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チェルノブイリ原子力発電所の炉心溶融事故、チャイナシンドロームから20年が経ちました。チェルノブイリ原子力発電所の炉心溶融事故の情報は当時のゴルバチョフ書記長の下にすら届いていなかったようです。事故対策は後手後手に回り、文字通り決死隊が原子力発電所の消火に向かいましたが、炉心が溶融した原子力発電所からはすでに大量の放射能が大気中にばらまかれました。原子力発電所は炉心が溶融し始めればそれを消し止める手段はありません。残された手段はただ炉心をコンクリートで覆うだけですが、工事関係者は大量の放射能を浴びてしまいました。当時の旧ソ連では原子力発電所の破壊力、放射能の恐ろしさは理解されていませんでした。ウォッカを飲めばアルコールが放射能を洗い流してくれるいうデモが飛び交い、ウォッカが売り切れたという笑えない話が伝えられています。先ず初期消火に当たって人たちが放射能被爆で急性の原爆症に罹り亡くなられました。次に事態の深刻さを理解できなかった周辺の住民が慢性の原爆症に罹りました。特に子供たちの多くに甲状腺ガンが見られます。被爆後20年を経つ頃からガンの発病率が急激に高まると思われますので、この事故の被害者の総計は推定すら不可能であるそうですが、私たちの常識を越える値であることは間違いありません。現在も京都府ぐらいの広さの土地が立ち入り禁止になっているそうです。現在は巨大な石の棺、鉄板で覆いコンクリートで固めた要塞が炉心を覆っているそうですが、老朽化が進み放射能の漏出も止まらないそうです。 チェルノブイリ原子力発電所の炉心溶融事故で大気圏にばらまかれた死の灰はヨーロッパを襲いました。ヨーロッパは一時パニックに陥りました。直接の死傷者は出ませんでしたが、長期的な放射能による健康被害は否定できません。ヨーロッパはこの事故を機会に、原子力発電所に依存していたエネルギー政策の舵を自然エネルギーに切り換えました。世界は原子力発電所の事故がいかに膨大な被害を引き起こすかを目の当たりにして、原子力発電所の管理に対し厳しい目を向けるようになりました。情報を公開し、原子力発電所の持つ危険性を共有する中で新しい原子力利用の国際協力体制が築かれようとしていますが、各国の思惑が絡み合い、前に進まないのが現状です。日本は電力の40%くらいは原子力発電所から得ていますが、原子力発電所の事故が後を絶ちません。原子力発電所で炉心溶融が起きれば日本は生命を絶たれますが、電力会社のそれに対する危機感が薄いようです。日本の経営者の姿勢に「安全性は絶対で、経済性を問わない」が見られないのが、最近あちこちで起きる企業事故で明らかにされています。地球温暖化、環境破壊、化石資源、特に石油の枯渇を考えれば、原子力の平和利用も一つの選択肢ですが、先立つのは安全性です。原子力は使い方を誤れば日本だけではなく世界を破滅に導きます。原子力の利用は経済性だけで論議されてはいけないのです。先ず安全性を何処までも追求する姿勢がなければ、原子力を平和利用する資格は人類にはないのです。オール・オア・ナッシングの世界だからです。
2006/04/29
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行政は障害者自立支援法施行に際し、個人情報データーを意図的に収集し、データーベース化するな 障害者自立支援法の申請を機会として、行政は障害者の個人情報を集めて障害者の個人情報データーを収集し、データーベース化しようとしている気がします。高知市の健康づくりは私の同意を得てないのにも拘わらず、家内に私名義の通帳のコピーを提出させ、私の通帳を閲覧しました。私は健康づくり課の本人の同意を得ない個人情報収集は個人情報保護違反であり、私のプライバシー権を著しく侵害していると、高知市の健康づくり課、個人情報センターに電話で抗議しましたが、電話を一方的に切られました。このようなケースは私だけではないようですので、高知簡易裁判所に調停を申し立てました。現在調停の場で話し合うことになっていますが、健康の人間でさえも担いきれないような重荷を障害者に負わす行政に怒りを覚えます。
2006/04/28
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精神病が薬により治る時代がきた躁鬱病でアルコール依存症の牧師 堀 俊明 今から4年前、2001年春、私はそれまで週2~3回は抗鬱剤の点滴を受けていたのですが、突然ある日を境にして点滴を受けに病院へ行必要がなくなりました。主治医に診察の中で「最近妙に調子が良い。躁になったのかもしれない」と言ったら、主治医はニコニコしながらカルテを開き、処方箋に書いてある薬品名パキシルを指差しました。 数週間前に、主治医からパキシル、SSRI(選択的セロトニン再吸収阻害剤)系統の抗鬱剤が新しく開発され、副作用としては眠気などがあることを説明されましたが、不眠に悩まされていた私は就眠前に飲むように処方してもらいました。私はそれまでパキシルと同じSSRI系統のルボックスを飲んでいたので新薬だからといって期待はしていませんでした。ジュースの材料がミカンからオレンジに変わったぐらいにしか考えていなかったのです。 ところが、私はそれまで寝たり起きたりの生活を続け、週2~3回の点滴でかろうじて生きてきたのですが、パキシルを飲み続けることにより健康な人に近い生活を送ることが出来るように変えられたのです。私の脳の機能がパキシルにより突然回復させられたのです。 SSRIは脳の神経伝達物質であるセロトニンが脳細胞のシナプスにある受容体に再吸収されるのを防ぎ、セロトニンの濃度を上げることにより脳を鬱状態から解放させる薬だそうです。私の躁鬱病、脳の機能の一部の欠損がパキシルを飲み続けることにより回復させられたのです。足の機能を失った人が性能の良い義足により健康な人と変わらない生活を送れるように変えられたようなものです。 35年前、私の最初の主治医は患者から見ても分かるほど重度の躁鬱病でした。彼は私に「足の不自由な人は車椅子や松葉杖を使うだろう。あなたは薬をそれらの代わりとして利用することを考えなさい。薬を飲み続けることにより健康な人に近い生活が送られれば良いのだから。私は何を忘れても薬だけは持ち歩くようにしている」と言い、ベルトに取り付けてあるポーチの中の薬を私に見せてくれました。 私も35年間、薬を飲み続けてきましたが、私の人生は寝たり起きたりで終わることしか想定していませんでしたが、その想定が突然覆されたのです。それまで足が不自由であった人に自由に歩き回れる義足が与えられたようなものでした。 私が最初に抱いたのはむしろ違和感、あるいは恐怖感でした。真っ暗な世界の中で屈み込み、足元を見つめることしかできなかった私に突然立ち上がり、目を見上げ、目の前の世界を見つめる力が与えられたのです。目の前の暗闇が薄れ、目の前には未知な世界、自由な天地が広がっていました。 いきなり広がった世界を前にして私の足は竦みました。そーっと足を踏み出し、足を踏ん張ることができるのを確かめ、一歩一歩足を進み出し始めたのです。私は発病前の世界で生きていた頃の感覚を思い出しました。私は何でもできると信じ込んでいた思春期の感覚を取り戻したのです。 しかし、現実の世界では私の脳は30年間正常に機能してこなかったのです。例え脳が正常に機能するようになってもリハビリが必要でした。錆び付いた脳から錆を振るい落とすことが必要でした。 私は脳のリハビリのために読書をすることを選びました。近くの図書館に行けばオンラインシステムで本を取り寄せることができます。4年間の間に7~800冊近い本を読みました。読書を重ねる中で脳の機能は少しずつ甦ってきました。日常生活も規則正しいものへと変わってきました。私は4年間、一度も鬱状態に陥ったことはありません。 私はそれまで寝たり起きたりの生活を続け、一日に一回は布団に潜り込んでいたのですが、寝ることはできず、時には眠剤を乱用したこともありました。家内に眠剤を取り上げられたくらいでしたが、今では一日一時間ぐらい自然に昼寝ができるようになりました。 眠剤の量も半減しましたが、睡眠は十分にとれるようになりました。早朝覚醒が続き、日の出前からインターネットをしていたこともありましたが、今はゆっくりと目覚めることができるようになりました。 それだけではなく、肉体も脳の機能が回復するにつれて回復してきました。インスリン、甲状腺ホルモンを補いながら生活をしていますが、体の隅々の細胞までが活性化されてきたのを実感することができます。 単に脳の機能が回復しただけではなく、肉体の機能も回復してきました。QOL、生活の質そのものが高まってきたのです。 現代の精神医学の進歩は私たちの予想を遙かに超えています。私のように薬を飲み続けることにより健康な人と変わらない生活を送れるようになった人はまだ少ないかもしれませんが、そう遠くない未来には様々な薬が開発され、脳の機能が薬により回復される人も増えてくるでしょう。 精神病は不治の病ではなく、治る病気になってきたのです。私たちは未来に希望を持って生きることができるのです。
2006/04/27
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1)躁鬱病は気分障害である2)気分障害は躁と鬱の谷間の間に寛解期がある3)寛解期には人格、理性などの低下は見られない4)寛解期(年単位)であるから,健常者と同じと見なされる5)プライバシー権には病者と健常者との差はない6)主治医からは健常者として調停の場に臨むように言われた
2006/04/27
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1)気分障害であるが、現在は寛解期(少なくとも4年間)である2)気分が高揚しているのでバレリン錠を(夜,昼)処方する3)今回の問題は個人情報保護法に関するものであるから,プライバシー権に病者も健常者もない4)調停は話し合いの場だから,診断書を提出する必要はない バレリン錠:神経の過剰な興奮を沈める,眠気,注意力,反射運動の低下が見られる
2006/04/26
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今度からできるだけ診察日の前の日にはメールで状態をお知らせします食欲はあります睡眠はハルシオンを12:30頃に追加服用して、1時頃にやっと眠れます朝も早く目が覚めるときが多くなりました床に就くと色いろいろな場合をシュミレーションしてしまいます心身は疲労困憊いますが気持ちが異常に高揚しています昼寝をしたいのですができず、気持ちの切り替えができません昔のようにゆっくり昼寝ができるようになりたいです友人にはブログを立ち上げるように勧められているのですが、情報をいったん公開してしますと、とんでもない方向に行く危険性も感じています少なくとも病者グループ、市民運動グループ、朝日と高新の記者の目にはとまるでしょう。市と話し合いではなく、団交のようなイメージになりかねず躊躇しています市が良心的に対応してくれるのならば、市の対応も同時に載せなくてはフェアーではないと思っていますしばし考え中です
2006/04/25
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富山県射水市の市民病院で外科部長が入院患者の延命措置を中止した事件がありました。院長は外科部長が安楽死をさせたと言いますが、外科部長は延命治療の中止だと反論しています。安楽死は積極的に患者を死に至らしめるものですが、延命治療の中止は治療を中断し、死にいたらしめる消極的な手段です。延命治療の中止でも判例では複数の医師で治療中止の判断をしたか、患者あるいは家族の意思表示があったか、 脳死に近い終末期であったかが条件とされています。安楽死は日本では原則として認められず、耐え難い苦痛に苦しんでいる、死が避けられず死期が迫っている、肉体的苦痛を除くために手段を尽くした、安楽死を望む患者の明確な意思表示がある場合にのみ認めらると言う判例があります。 今回の事件は終末医療に光を当てました。自宅で最後を迎える人たちが多かった時代には終末医療はそれほど大きな問題になりませんでしたが、病院で最後を迎える人が圧倒的に多くなってきた現代では終末医療をどの時点で終えるかの明確な基準がないのです。人の生をどの時点で終えるか、明確な指針がないのです。個々の医者の判断に終末医療が委ねられているのです。医者によって患者の最期を看取る基準は異なります。医者にとって最も非難を受けない方法は、スパゲッティ症候群と言われるそうですが、患者に人工呼吸器を付け、体中にチューブを取り付けて生かし続ける方法です。それに対して尊厳死を主張する人々も出てきました。人間としての尊厳を保ちながら死ぬことは、現在の日本の医療制度では非常に難しく、予めリビングウィル、明確な遺言を残しておく必要があります。 人は必ず老い、死にます。人間の寿命には限りがあります。おそらく現在の日本の平均寿命、女性85歳、男性80歳ぐらいが人間としての生物学的な限界なのでしょう。もちろん100歳でも元気な人もいますが、115歳を超す人はほとんどいません。もちろん平均寿命まで生きられない人もいます。これは自然の摂理なのですから、私たちも寿命の尽きる時に備えて人生を生きることが必要なのです。人生において次の瞬間に何が起きるかは全く予想ができません。突然の事故や発作で生命を奪われる人もいます。例え生命を長らえても、人の肉体は必ず老い、脳も老います。望まぬ老後を送らざるを得なくなる人もいます。しかし、主を仰ぎ見て人生を送ることが必要なのです。例え目がかすみ、耳が遠くなったとてしても、主を賛美することはできます。例え御言葉を聞き取ることができなくなったとしても、礼拝の中で生ける聖霊の交わりの中に入ることが主を賛美・礼拝することになるのです。私たちも年を重ねれば体が不自由になり、主を忘れ去る時が来るかも知れません。私たちの誰にも礼拝に集えなくなり、主を忘れ去る時が来る可能性はありますが、主は私たちを忘れ去ることはありません。人が老いることはそれだけ神の国に近づくことを意味するのかも知れません。私たちはキリストの誕生・昇天により神の国はすでに来たが、終わりの日は未だ到来しない世界を生きています。肉体が滅びても、終わりの日に神の国に移されるのです。
2006/04/23
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2006/04/20意見書,2申立人 堀 俊明 印事実関係2006/03/?1)申立人は申請書の個人情報取扱い同意書に署名押印する2)社会的通念の範囲内(非課税所帯の証明,障害年金証書,同払込み通知書等)で個人情報を取り扱うことに同意した2006/03?健康つくり課から申立人妻に電話がある1)申立人妻に国民年金証書,振り込み通知書のコピーの提供の依頼がある2)申立人妻は同電話に回答する3)振り込み通知書は海辺の杜ホスピタルに提供済みであると答える a)海辺の杜ホスピタルには申立人が自転車で通院している b)申立人妻はそれ以外の健康づくり課との会話の詳細を記憶していない4)申立人妻は申立人名義の郵便貯金通帳のコピーを同課あてに提出する2006/04/05申立人は健康づくり課へ電話をする1)介護給付の負担上限がおかしいので調査を依頼した2)申立人は障害年金は収入に入らないと錯誤していた3)健康づくり課から県へ電話するように言われる4)県から再び市へ電話するように言われる5)申立人は再度健康づくり課に電話する 6)申立人は介護給付の負担上限がおかしいので健康づくり課に調査を依頼する7)健康づくり課は同電話で回答する8)収入が障害年金だけなので限度額が15000円であるはずだと回答する9)申立人に申請書の再提出を求める2006/04/06A)健康づくり課から申立人に電話がある1)申立人の収入が80万円円以上ある同課から回答される2)同課員が申立人妻より提供させた申立人名義の通帳コピーに共済年金 からの障害年金受給が記録されていたので申立人の収入を80万円以上と推定,記載した旨回答がある3)申立人は同電話で健康づくり課に抗議する4)申立人は個人情報の不法取得,目的外利用をしたと抗議する5)申立人の収入が80万円を超えるか否かが問題なのではない6)申立人名義の通帳のコピーを本人の同意なしに申立人妻に提出させたことが個人情報の不当取得であると抗議する7)同課員から事情を聴取してほしいと依頼,拒否される8)申立人妻は同電話で健康づくり課に抗議する a)申立人妻は国民年金の払込み通知書のコピーの提出を依頼された b)国民年金の払込み通知書は海辺の杜ホスピタルに提出してあると答えた c)同コピーが申立人の収入の調査に利用されるとは予測できなかった d)申立人妻は個人情報の目的外利用だと健康づくり課に抗議をする9)健康づくり課は個人情報の取り扱いには申立人の同意を得ていると反論する10)申立人名義の通帳のコピーは申立人妻より任意に提出されたと反論する 11)申立人に共済年金から障害年金が支給されているのは事実だから収入を推定し,申請書に記載したのは適法である a)通帳を1/31潤オ2/16までの見られたぐらい大したことはないでしょうと言う b)(私なら通帳を見られるぐらい平気ですと言う)12)一方的に電話を切ったB)高知市の受付に電話し,個人情報保護を取り扱う部署に電話をつないでもらう1)個人情報保護センターの課員が応対する2)同課員は健康づくり課から事情を聴取し、折り返し電話すると申立人に回答するが,申立人は黙殺される危険性を感じ,電話を保留にしてもらう3)電話が一方的に切られる4)申立人は再度電話し抗議する5)同課員は苦情があるのなら高知市長にしてくれと応対する2006/04/101)岡崎市長殿,瀬戸キリスト教会牧師堀 俊明より質問状を速達配達証明で南郵便局から送付する2)岡崎市長殿,堀 俊明より書簡1)を配達証明で送付した旨の内容証明を 南郵便局から送付する2006/04/171)高知地方裁判所に高知市長あての訴状を持参した2)受付で少額訴訟にはなじまないと言われ、民事調停を勧められる3)高知簡易裁判所に高知市あての民事調停の申立書を提出、受理される2006/04/18高知簡易裁判所調停センターに意見書を2部送付する2006/04/20 高知簡易裁判所調停センターに意見書,2(事実関係)を2部送付する
2006/04/20
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2006/4/18意見書申立人 堀 俊明 印自己紹介躁鬱病とアルコール依存症で精神障害2級,聴覚障害で身体障害4級です。当事者能力 主治医,海辺の杜ホスピタル清水博院長にはメールで事態の推移を随時報告しています。清水医師からは「当事者能力がある」との診断を頂いています。申立ての趣旨1)高知市の利用に同意した申立人の個人情報は非課税所帯の扶養者である証明,障害年金受給に関する証明等であると常識的に判断され、申立人は署名押印した。申立人には同人名義の預金通帳を閲覧されることは予測できなかった。2)申立人名義の預金通帳は本人の同意を得なければ利用できない個人情報である。妻の同意は申立人の同意と見なすことはできず,通帳のコピーは申立人から任意提出された個人情報と見なすことはできない。3)申立人の収入は自主申告に基づいてなされるべきものであり、相手方は申立人の同意を得ず収集した個人情報に基づき同人の収入を推定してはならない。4)申立人名義の預金通帳は申立人の秘匿されるべき個人情報である。申立人の預金通帳を申立人の同意なく閲覧し,その個人情報に基づき申請書を作成した相手方の行為は申立人のプライバシー権を著しく侵害する行為である。5)申立人は相手方に精神的な苦痛を負わされたので慰謝料10万円を請求する。6)申請書に記載された収入そのものについては争わない。精神的苦痛について申立人は薬の服用で辛うじて精神の平衡が保たれている状態である。申立人の精神的な平衡は相手方から加えられたストレスにより著しく乱された。特に不眠が顕著になった。申立人には寝る前にベゲタミンA,ホーリット,パキシル,ハルシオンが処方されている。本事件が起きる前には23時ぐらいには就眠できていたが,本事件の過剰なストレスにより就眠できなくなった。24時を過ぎてからハルシオンを追加服用しても翌日の1時ぐらいまで就眠できなくなった。 意見1)相手方が申立人に誠意ある対応をしていたら申立人が裁判所に調停を求めなくてはならない事態を回避できた。申立人は膨大な時間とエネルギーを調停に費やされることはなく,これほどのストレスにさらされることもなかった。2)障害者である申立人に健康な人間でも負いかねるような重荷を負わせたことを相手方は反省してほしい。精神障害者である申立人には訴訟手続をゼロから学び,訴状を作成することは過剰なストレスであった。3)申立人は扶養家族であり障害年金が唯一の収入原である。申立人には行政書士,弁護士等を雇用する経済的な余裕は全くない。申立人が自力で調停を申し立てたのは障害者の置かれている状況を相手方に理解してもらいたいからである。4)高知市の障害者行政が真に障害者に優しいものとなることを願っています。
2006/04/18
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調停の申立平成18年4月17日申立人 堀 俊明相手方高知市同代表市長 岡誠誠也申立の趣旨 1 相手方は申立人に対し慰謝料10万円を支払え 2 調停費用は相手方の負担とする申立の原因 1 相手方は平成18年3月ごろ申立人の平成18年度障害福祉サービス受給証発行に際し,同証の発行申請書に申立人の障害基礎年金振り込み通知書のコピーを添付すれば同証の発行を申請できたのにもかかわらず,申立人の妻堀眞知子に申立人名義の郵便預金通帳のコピーを提出させた。 2 相手方の申立人の妻堀眞知子に申立人名義の郵便貯金通帳のコピーを提出させ,同コピーを閲覧した行為は申立人のプライバシー権を著しく侵害する行為であり,申立人に甚だしい精神的苦痛を負わせた。 3 そこで申立人は相手方に対し慰謝料10万円の支払を求める。証拠方法 1 甲1号証 年金振り込み通知書 2 甲2号証 介護給付及び訓練等給付費支給決定通知書兼利用負担減額・免除等決定通知書 3 甲3号証 岡崎市長あて質問状写し(平成18年4月10日配達,回答なし) お願い 申立人は身体障害4級(聴覚障害)ですので御配慮を願います。以上
2006/04/17
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民主党の代表に小沢氏が圧倒的多数で選出されました。前原前代表は疑惑メール問題で自滅しました。疑惑メール問題では永野前代議士の情報源に対する調査不足が明らかにされました。情報を持ち込んだ西澤なる者は週刊誌に偽情報を持ち込み週刊誌側が名誉毀損で訴えられて敗訴した経歴があります。業界では誰も相手にしない胡散臭い人物であったそうです。彼から1000万円で民主党が情報を買うつもりであったことも明らかにされました。最初に一言謝ればそれで済んだのに、それができなくて傷口を広げました。今国会は小泉首相の構造改革の総括をする大切な国会でしたが、序盤で民主党が大きく躓きました。政治に及ぼした影響を考えれば前原前代表の辞任はむしろ遅すぎたぐらいです。小泉首相から「少しは長くやってもらいたいねえ。次々に辞めちゃうんだもんねえ」と言われるような民主党は野党としての責任を果たしてはいないと見なされていました。 民主党は党再生を賭けて代表選をしましたが、従来の談合体質から抜け切れていないようです。自民党の幹事長であった小沢代表と官公労を支持基盤とする旧社会党系の横溝氏とが野合したかに見えました。小沢氏の政治理念は小さな政府であり、官から民へ、中央から地方へと言う政治の流れは小泉首相とは変わりがありません。官公労からの支持を逆手に取られて、民主党は抵抗勢力と決めつけられ、総選挙で大敗しました。小沢代表は労組依存体質に国民が拒絶反応を示したのに横溝氏を味方に引き込みました。それから多数派工作が露骨に行われました。政策論議が深まらないままで、代表選挙に突入したというのが現実でしょう。 日本の政治は小泉首相までは談合政治でした。派閥の領袖の談合で首相が決まり、大臣が決まっていました。時代は民主主義なのに自民党の中では全会一致が原則でした。陣笠議員という言葉で代表されるように、新人議員は一票を投じるためだけの投票マシーンでした。役所の利権に群がる人々から政治献金という名の上納金を集めるシステムの要が派閥です。自民党は派閥の連合体であり、利益誘導のためにのみ党が存在していたのです。そこに小泉首相が「自民党をぶっ壊す」と宣言し党総裁になりました。小泉首相の郵政民営化法案で党の総務会での全会一致の原則が初めて破られました。選挙の候補者任命権も党に戻りました。大臣は派閥と無関係で総理総裁が指名しました。構造改革で利権構造も大きく変わりました。談合に対し国民の目が厳しくなり、検察庁、公正取引委員会に摘発される例が後を絶ちません。権力の頂点で自ら権力を手放す例は世界史的にも珍しいといえます。小泉首相の構造改革は歴史的使命を果たしたように思えます。 問題は小泉首相なき日本を誰が何処へ導いていくかです。ポスト小泉、自民党だけではなく民主党も日本の未来に責任があります。おそらく衆議院は任期満了まで解散はされないでしょうから、民主党次第で日本の未来は大きく変わるといえるでしょう。健全な野党があって初めて議会制民主主義は有効に機能するからです。そのためには民主党こそ旧来の談合体質から脱皮する必要があります。
2006/04/09
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「アルコール中毒」良い表現ですね。信徒の友でこのようないわゆる差別表現とも受け止められかねない言葉が使われるとは思っていませんでした。断酒会、A.Aの多くの仲間は、例会、ミーティングで自己紹介をするときには「アル中の◯◯です」と言います。第三者が使う場合には問題があるかもしれませんが、少なくとも自分自身を指して使う場合は許されると思います。最近、言葉狩りが流行し、訳の分からない言葉が作られています。本来、差別的なニュアンスを含む言葉には、それに伴う実態がある場合が多いと思います。実態が改善されないのに言葉だけを変えても、時がたてばその言葉もまた差別的なニュアンスを持つでしょう。例えば統合失調症、認知症は活字の世界だけの言葉になるように思えます。確かに本人や家族は一時過去の呪縛から解放されるでしょうが、むしろ曖昧な表現であるからこそさらなる差別を生み出すではないかと思っています。躁鬱症も気分障害と言い換えるそうですが、話をする相手ごとにまず病気の説明をしなくてはならなくなりますね。瀬戸キリスト教会には統合失調症の人もいますので、私が牧師として使う言葉としては気をつけて使っています。しかし、私自身を指すのならば、むしろ普通に用いられてきた言葉の方が差別的ニュアンスも含めてふさわしいと思っています。私はむしろアル中という言葉が持つ差別的なニュアンスを自らに対する社会の正当な評価だと受け入れています。アル中はアルコールを止めない限りは社会から排除されるべき存在であることも私は認めます。それだからこそ、その私を甦らせて下った主の愛の大きさを思うのです。大きなマイナスだったからこそ、それが逆転されたときには大きなプラスになったのです。回心は劇的なほどより大きなエネルギーを生み出します。私が現在生きておられるのも、牧師として主の御用に当たられるのもそのエネルギーによるのでしょう。私は今回の原稿を書きながら、かつて主が私になされた御業を思い出しました。私は「心の病」といわれ続け、心さえも暗黒の中で萎えてしまっている仲間のことを思い出さされました。私が主張し続けてきた「精神病だけれど心は健康である」は、そういう仲間に対する私からのメッセージです。「主はあなたを愛され、あなたを必要となされている」そう伝えたいと思っています。
2006/04/01
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「慰めの祈りー病むときに」 信徒の友新刊紹介 堀 俊明 「病も主から与えられた賜物、特別な恵みである」に気付き、主の恵みに感謝することができれば、人は癒され、平安な心を取り戻すことができます。たとえ肉体が癒されなくても、心は甦り、主の愛と恵みを賛美することができるように変えられます。 私は躁鬱病と「アルコール中毒」で精神障害2級の牧師です。私には、鉄格子のある病院で何年かを過ごした経験があります。私は入院中にも関わらずアルコールを飲み、人事不省に陥り、瞳孔が開き血圧が0になった時に生ける主に甦らされました。 自分自身ですら自分を見捨ててしまった時に、復活の主は「それでもおまえを愛している」と言われました。その時に、私の心は甦りました。躁鬱病は、脳の機能の一部の欠損つまり肉体の病気ですので、肉体は癒されませんでしたが、心は甦らされたのです。 私は、私の人生をすべて主に委ねました。寝たり起きたりの生活の中で、東京神学大学への進学・卒業、牧師、結婚、そして開拓伝道へと私の人生は開かれました。 私の妻も病気の私を助けるためか牧師に召されました。躁鬱病は癒されないと思っていましたが 、新しい薬が開発され、薬を飲み続ける限り、健康な人に近い生活が送れるようになりました。 今、私の体から聴力も失われつつあります。現在は身体障害4級です。教会員の祈りを聞き取る能力はすでに失われています。補聴器を付けていますが、現代医学が進歩しても回復することはないでしょう。 人は病に陥った時には、肉体は医療に委ねなければなりませんが、心は主に委ねなければなりません。生ける主との生きた交わりこそが、人に生きる力を与えてくれるのです。人は病むと祈る言葉さえ失ってしまう時がありますが、その時にこそ、この本を開き主に祈ってみましょう。まず祈りの言葉を口から出してみることが大切なのです。 人は祈りを口にすることで、生ける主との交わりを回復することができます。祈りこそが、人の心を癒してくれるのです。 人は病の時に悩み、苦しみ、戸惑います。今まで信じていたものが音を立てて崩れ落ちるのを経験します。病気に対する不安、病院生活に対する不安、未来に対する不安などが私たちの心を必要以上に苛みます。肉体よりも心が病んでしまうのです。時には肉体は癒されても、心は癒されない場合すらあります。 そのような時にこそ、私たちは主に悩み、苦しみを訴えればよいのです。自分一人で耐えるのではなく、主が共に耐えてくださります。主と共に歩めば、病の時にも希望を持つことができます。主により新しい道が開かれるのです。 主は私たちの心を癒してくださります。たとえ肉体がいかに病で傷つこうとも、心が病まない限り人は希望を持って生きることができるのです。 人は病に陥った時に、特に主を身近に感じます。病の時、生ける主との交わりで心が癒されることこそが、主から与えられた特別な恵みなのです。たとえ現代医学の限界に生きる道が絶たれたとしても、天国への道を平安に歩むことができるのです。
2006/04/01
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「精神障害者ではあるが心は健康である」 堀 俊明 私は、躁鬱病でアルコール依存症です。主治医の勧めで障害年金の申請をしましたが、診断書には「配偶者(主任牧師)の介護を受けて牧師の職を努めている」と書かれていました。現在、精神障害2級に認定されています。妻の助けがなければ、一人で生活できない状態です。 発病したのは、1972年に京都大学を卒業して、「原子力発電所からの温排水が生物に与える影響」を研究していた時でした。まだ日本では環境アセスメントという言葉が市民権を持っていなかった時です。 研究機関に努めて2年目の木の芽時に発病しました。原子力発電の環境アセスメントというストレスの多い仕事に就き、眠れない日が続きました。睡眠薬の変わりにアルコールを飲みましたが、どれだけ飲んでも眠れなくなりました。 当然勤務態度にも影響が出始め、アルコールの匂いをさせながら出勤したり、突然欠勤するようになりました。それに加え、私には、何か分からないけれども、普通の人とどこかが違うという思いがありました。それで、精神科に受診すると躁鬱病であると診断されました。 また、アルコールをだんだん手放せなくなりました。鬱の時にはアルコ-ルを飲んで総てのことを忘れようとしました。躁の時はアルコールを飲んで騒ぎ回りました。そういう私がアルコール依存症になるまでにはそう時間がかかりませんでした。 職場の実験用のアルコールにさえ手を出すようになってきました。アルコールを飲み人事不省になり、職場からの連絡により、母親が迎えに来るということがしばしば起き始めてきました。 最初は内科に入院したのですが、外に出てゆき、アルコールを飲んで人事不省になり、救急車やパトカーの面倒になるようになりました。 ついに内科では面倒を見られないといわれ、精神科の鉄格子の中に入れられました。それでも考えることは、今度退院したら、いかににうまくアルコールを飲むかということだけでした。明らかに人間失格という状態でした。 私は、10年間に10回以上入退院をしたように思えます。鉄格子のある病院で過ごした年月も3年以上になるのではないかと思います。その間離婚を経験し、仕事も6年しか続けられませんでした。 客観的には、明らかに精神障害者ですが、私にはそれを認めることが出来ませんでした。しかし、私のような人間は生きていく資格がないと思っていました。自分自身を愛することが出来なくなっていました。ただ誰にも迷惑を掛けずに死にたい、そう思うようになりました。 その様な私に転機を与えたのが、「断酒に捧げん」という一冊の本でした。断酒会の初代会長で松村春繁氏の生き様を書いた本でした。その本を読み始めて、初めて自分がアルコール依存症ではないかと思いました。 そしてアルコールだけは止めようと決心して、断酒会発祥の地である下司病院に、金沢から高知まで単身で来て1年間入院をしました。しかし、それだけの意志があったのに関わらず、無意識に自動販売機のビールを買って飲んでしまいました。 それからのことは覚えていないのですが、急性アルコール中毒で瞳孔は開き血圧は0となりました。それから、息を吹き返した私は生きることに絶望して死のうと思いました。するとその時に、突然イエス様の「それでもおまえを愛している」という声が聞こえました。 悩み苦しんでいる私と「共に歩む」と言われたのです。自分自身でも愛することの出来なかった私を、イエス様は「愛している」と言われたのです。 その時に私は躁鬱病でアルコール中毒の自分を認め、初めて自分自身を愛することがで来たのです。それから20年間断酒は続いています。躁鬱病とも仲良く暮らしています。 私は1984年12月に宗教とは関係なく、精神障害を持った仲間と共に「西風の会」を作りました。その中で、世間では「心の病」という表現を使いますが、なぜ精神障害者であるから「心が病んでいる」のか疑問に思いました。 精神障害者の「心が病んでいる」というのは、いわゆる健常者の傲りりのように感じられます。 精神障害とは、脳という体の一部の、機能不全だと思います。身体障害の延長線上にあると思っています。 ですから私は「精神障害者ではあるが心は健康である」と声を大にして叫ばずにはおれません。 医学的な治療は必要不可欠ですが、それと同時に心を豊かにするために、その人なりのものを身に付けいくことが大切です。 西風の会に行けば、様々なタイプの精神障害者がいます。それらの人との交わりの中で、自分をもう一度見直すことがで来ます。その中で、自分を客観的に見つめ直すことが出来るし、その様な自分を受け入れることが出来るのです。 そして、私達精神障害者は、精神病から解き放たれ、新たな道を歩み始めつつあるのです。
2006/04/01
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