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安倍総裁が郵政法案での造反議員の復党を認めましたが、義理人情が横行する古い自民党への先祖返りでしかありません。参議院選対策のつもりでしょうが、民意に反する政治決断は先の総選挙での自民党の圧勝を無に帰するものです。 小泉前総理が乾坤一擲の勝負を挑んだのは民意が味方するという裏付けがあったからでしょう。造反議員はクーデターが成功したと双手を挙げて喜んでいました。造反議員は美酒に酔いしれたそうですが、政治家として惨敗を喫しました。 政治家は結果責任です。反党行為をした者はは責任を取るべきですし、取らすべきです。義理、人情論が浮上した自民党は安倍首相が主張するような新しい自民党だとは誰も思いません。安倍首相もこれでレームダックになるのでしょう。 国民は世論調査で安倍首相の支持率がどれだけ下がるのかを楽しみにしています。支持率の低下は安倍首相の想定外の数字が出るでしょう。国民からは安倍首相は小泉前首相の遺産を食いつぶした道楽息子の烙印を押されるでしょう。 安倍首相の政治テーマである美しい日本では義理人情が約束よりも優先する国なのでしょうか。修身の復活を口にする者が武士に二言があることを子供たちに証明したわけです。いじめ対策会議の主宰者が嘘を平気でつくようでは駄目です。 子供たちがいじめに走る原因の一つは大人が信用できないことです。一国の総理が国民からの信頼を平気で踏みにじる国ではいじめが横行するのも無理がありません。政治が正義と公正を踏みにじれば民衆、子供の心は荒んでいきます。 国民が小泉首相を圧倒的に支持したのは自民党が古い自民党から脱皮することを期待したからです。無党派層の若者の支持が自民党を圧倒的な勝利に導いたのです。かつて森元総理が寝ていて欲しいと言った層が自民党を勝利させたのです。 小泉劇場の評価は分かれるでしょうが、無党派層の若者を目覚めさせたのは事実です。この層が再び無関心層に戻れば日本は危機を迎えます。再チャレンジは政治から始めなくてはなりません。若者に希望を持たせなくてはならないのです。 国民が望むのは強い指導者です。父親像が崩壊した現代社会では国の指導者に父親像を見出したいのかも知れません。舅小舅に右往左往する父親は見たくもありません。カリスマがないのならば、ないなりの工夫があってしかるべきです。 舅小舅の唱える義理人情の世界は自民党の中でしか通用しない論理です。政治が義理人情で動いたのは料亭政治の時代です。自民党が近代政党に脱却したのならば、義理人情ではなく論理的な思考に基づく政策で動かなければなりません。 小泉船長により日本丸はバブル崩壊の荒波の中で沈没するを辛うじて免れました。国民は血を流すようなリストラに耐えたのです。政界、官界だけはリストラを免れています。民と労苦を共にせず、果実だけを貪り食うのは卑怯です。 自殺者が毎年3万人を超えた平成大不況を耐え抜いたのは国民です。政治家は構造改革の抵抗勢力となり続けました。その筆頭が造反議員です。彼らはA級戦犯です。自民党が戦犯にそれに相応しい処遇をするのが公党としての責務です。 国民は造反議員の復党を構造改革路線からの転向と受け止めています。財政規律を緩め、赤字を垂れ流そうとしている族議員を復活させれば、安部政権は韓国の盧武鉉大統領、ブッシュ大統領と同じレームダックに成り下がるでしょう。
2006/11/29
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万波医師による病気の腎臓の移植の実態が明らかにされましたが、院内の調査によれば手術は適正に成されていたようです。レシピエントからは万波医師を擁護し、感謝する声が聞かれこそすれ、非難をする声は聞かれなかったようです。 素人判断では移植できるぐらいの腎臓を摘出したのが理解できません。一方、廃棄処分をする腎臓を有効に活用するのを一律に禁止するのも行きすぎだと感じられます。医療行為と生命倫理の狭間でなされた医療行為に疑問が浮かびます。 今回のマスコミ、医療関係者の生命倫理を笠に着た万波パッシングには疑問を感じました。彼らの正義感は傍観者の口先だけの正義感です。当事者である患者の苦悩に配慮しない正義感は国民の臓器移植に対する偏見を助長するだけです。 マスコミは万波医師の主張を真面目に取り上げることを怠り、週刊誌の三面記事のように扱いました。万波医師の病腎移植は死体腎移植、生体腎移植に加えて第三の道を模索した結果です。事なかれ主義の医師会側に問題を感じます。 日本の腎臓移植希望者1万5千人に対し死体腎移植は150例程度だそうです。人工透析で生命を保っている30万人近くいますが、現実に腎臓移植を受けられるのは100人に1人程度です。透析患者には腎臓移植が究極の医療なのです。 彼らは一日おきに透析を受けなければ死ぬのです。糖尿病の合併症から人工透析を受ける患者が最も多いのですが、合併症から透析を受ける患者は高齢者が多く、全身に合併症が現れています。透析に病院に通えない人もいることでしょう。 腎臓が移植されれば透析に通う必要もなくなり、治療は内服薬だけで済ませらせられます。QOL、生活の質が格段と良くなり、透析を受け続ける生活とは次元の異なる生活が送られるようになるのです。その手段としての病腎移植です。 肝臓でもドミノ移植があります。肝臓移植を受けた患者の肝臓を他の患者に移植する医療です。数少ない脳死体からの肝臓を有効に利用する手術法です。健康な腎臓を移植するのが最善ですが、宝くじに当たるのを待つようなものです。 考える方法は3つです。先ず脳死者からの臓器提供を増やすことですが、現在の臓器移植法では望み薄です。脳死移植はスペインが100万人当たり35名程度ですが、日本は1名未満です。キリスト教文化の国との差が歴然としています。 キリスト教国と日本との死生観は根本的に違います。臓器移植法をドナーの遺族の同意で臓器の摘出を可能にすべきだとの議論もありますが、日本人には抵抗が大きいでしょう。学校教育で脳死、臓器移植を取り上げる必要があります。 次に生体移植ですが、ドナーは肉体だけではなく精神的な後遺症に苦しむ場合が多いようです。精神科医を含めた生体移植専門チームを立ち上げる必要があります。移植コーディネーターによる丁寧なカウンセリングが必要とされています。 第三の道として病腎移植も考えて良いと思います。主治医の職人芸に頼るのではなく、第三者機関による同意の確認、情報の公開が必要です。角を矯めて牛を殺しては意味がありませんから、迅速に対応できるシステム構築が必要です。
2006/11/27
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自民党で造反議員の復帰が議論されていますが、もし復帰を認めたならば自民党は国民から見捨て去られるでしょう。自民党の有力者から情において忍びないという発言が見られますが、かつての自民党に先祖返りする気なのでしょうか。 小泉首相は自民党を政策集団へと変えましたが、浪花節の好きな抵抗勢力が頭をもたげてきたようです。かつての政権を維持するためならば何でもありの自民党に戻れば、日本はグローバル化した世界から置いてきぼりを食らうでしょう。 日本をバブル崩壊に導いた元凶は官僚と利権に群がった政治家です。実業の世界ではリストラが進み、経営者も50、60代に若返りしました。日本の企業は贅肉をそぎ落とし筋肉質に生まれ変わりました。国際競争力も回復してきました。 21世紀を日本が生き抜くためには政界、官界のリストラが必要なのです。郵政選挙で敗北した造反議員は政治生命を断たれて当然なのです。政治に情を持ち込めば、政治家だけがリストラとは別世界で特権を享受することになります。 リストラで多くのサラリーマンは職を失いました。家庭崩壊も珍しくありません。自殺者は年間3万人を超しますが、交通事故での死者の数倍に達します。国民は塗炭の苦しみの中でリストラに耐えたから景気が回復してきたのです。 政治家はバブル崩壊のA級戦犯ですから彼らだけがリストラから無縁であることは許されません。参院選対策ならば自民党は大火傷をするでしょう。バブル崩壊に日本を導いた政治家は恥を知るのならば腹を掻き切って国民に詫びるべきです。 情に訴える自民党の有力議員は武士の風上にも置けません。情でなされる政治はバブル崩壊の二の舞を演じます。政治家は非情であるべきです。政治の世界が情で動いたのは宴会政治の時代であり、政治家が裏技で評価されていた時代です。 民主党が沖縄知事選で敗北したのは小沢代表のあえて対立軸を造り、国会をボイコットした姿がかつての自社対決の構図を想い起こさせたからです。無党派層の若者は自民党の造反議員の復帰の流れを見て政治に嫌気がさしてきたからです。 与野党の先祖返りは若者を政治の世界から遠ざけます。若者の支持を失った政権は求心力を失います。小泉前首相の遺産で保っている安倍首相の支持率は一気に急降下するでしょう。政界のリストラが頓挫すれば日本沈没が現実となります。 郵政民営化は平時のクーデターと反クーデターとの戦いでした。亀井静香、平沼赳夫等一党は小泉首相にクーデターを仕掛けたのですが、小泉首相が郵政選挙で圧倒的な勝利をしめました。負け犬は自民党から追放されるべきなのです。 自民党、民主党は政策集団に脱皮しなければ時代の要請に応えることはできません。参議院選挙は政策集団に徹した方が勝利するでしょう。安倍首相が求心力を保つには小泉流の身内を切るだけの非情さを持たなければならないのです。 次の総選挙に勝利するためには自民党、民主党も共に真剣にリストラに取り組まなければなりません。旧世代を温存した方が負けます。旧世代の政治家の顔をテレビで見るのは願い下げです。戦後生まれの政治家の顔を見たいものです。 政界は世代交代をしなくては国民から見放されるでしょう。55年体制の中で生きてきた政治家に引導を渡すべきです。与野党は政治のスタイルを21世紀に相応しいものとするためには、過去と決別し、新しい政治家像を確立すべきです。
2006/11/25
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民主党が国会審議に応じましたが、沖縄知事選を挟む1週間、国会を空転させた責任を小沢代表は負うべきです。沖縄知事選の敗因は小沢代表が対立軸を無理に造り出して野党共闘を優先した55年体制、自社対決への先祖返りにあります。 民主党は対案を上程したのにも拘わらず審議拒否をしました。政権交代が可能な政党としての責任を自ら放棄したのです。教育基本法改正を与野党が競い合って提案したのを新しい政治の始まりだと期待しましたが失望させられました。 反基地、反米、反安保をスローガンにしても時代は動かなくなってきたのです。民主党の中でさえも一致できないスローガンを金科玉条のごとく掲げた小沢流選挙は、自社対決時代に豪腕を振るった政治家の最後の足掻きのように見えました。 国民は教育基本法改正の議論は深まっていないと感じています。教育基本法改正が政争の具にされてしまい肝心な部分での議論が成されていないからです。愛国心の評価、教育行政がどう変わるのかについて具体的な審議が不足しています。 国旗、国歌法案の時には、政府は国会で国旗を日の丸とする、国歌を君が代とすることを決めるのであって国民に押し付けるものではないと答弁しました。野中幹事長の教育現場に国旗、国歌を強制しないとする声明は反故にされました。 安倍首相の国会答弁は首相の政治的信条からすれば信頼できません。国旗、国歌法案のように法案さえ成立させたら、行政の自由裁量でどうにでもなると考えている節が感じられます。野党には自由裁量の余地をなくさす義務があります。 愛国心についてはまだ国民的な合意ができていないように感じられます。愛国心が国旗掲揚、国歌斉唱のように業務命令で強制される世界は、戦前への先祖返りです。むしろ子供たちに素朴な愛を身に付けさすことこそが必要なのです。 子供たちに様々な世界を体験させることが必要なのです。そのためにも読み、書き、算盤を身に付けさせなくてはなりません。国語の能力を高めることが肝要なのです。インターネットの世界に生きるためにも国語力が必要だからです。 小学校低学年から読書の習慣を身に付けさすことが肝要です。古典の素読などもさせて日本語の能力を高め、漢字を覚えさせればよいと思います。漢字は脳の図形認識能力が高い子供の内にゲーム感覚で身に付けさせれば良いと思います。 英語を子供の内から教えるのは百害あって一利なしです。語学講師から発音だけを学ぶのならまだしも日本人教師から間違った発音でも教えられたら取り返しが付きません。その時間を読書、作文の時間に回せば将来のためにも役立ちます。 義務教育では読み、書き、算盤を徹底的にマスターさせるべきです。新聞が読める、手紙を書ける程度を目安とすべきです。読み書きができれば、情報を得る手段は身近にありますから、独学で様々な知識を身に付けることができます。 いじめを受けても学校から逃げ出すこともできます。学校で習う範囲を超えた勉強も独学でできるようになります。自分なりのペースで歩める自由を得ることができるのです。読み、書き、算盤さえできれば社会でも戸惑わなくてすみます。 日本人として自分の力で考える能力を身に付けさすのが教育の基本です。愛国心を知識として教え込むのは危険です。多様性に富む世界の中で生き残る力を与えるのは創造力、想像力です。思考力に富む人間こそ真の愛国者になれのです。
2006/11/23
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沖縄県知事選で与党推薦の仲井真弘多氏が野党統一候補の糸数慶子氏に勝利しました。沖縄ではかつての全島を揺るがせたような反基地運動はもう起こせないと言うことなのでしょう。民主党の小沢党首の小沢神話も地に落ちたようです。 沖縄の戦後の反基地闘争の壮絶さを思い返すと少し寂しい気がしますが、それが時の流れなのでしょう。戦争を知らない世代が有権者の多数を占めるようになり、日本の政治の流れも変わりました。戦後世代の内閣が誕生したぐらいです。 小沢代表の国会で対立軸を造り、政界を揺さぶろうとする政治手法は55年体制への先祖返りです。不毛な国会審議が続いた時代に戻そうとするのは惚けの始まりではないでしょうか。民主党が責任政党に復帰しなければ政治が乱れます。 一方、自民党は公明党の力を借りてかろうじて勝利しましたが、若者の浮動票が逃げたのは自民党の造反議員の復帰話で政治に嫌気を差してきたからでしょう。与野党の先祖返りに若者は小泉劇場に酔った酔いから醒めてきたのでしょう。 小泉首相に対する評価は人によって違いますが、若者を政治に目覚めさせた功績は誰も否定できないでしょう。森元総理は選挙の時に若者に寝ていて欲しいと暴言を吐きましたが、政治家の政治生命を制するのは浮動票になってきました。 民主党の基地問題、安全保障に対する建前と本音の乖離が糸数候補が仲井真候補に競り負けた敗因でしょう。民主党の日米安保条約、米軍再配置に対する姿勢が定まらず、選挙の争点がぼやけてしまいました。これが民主党の限界です。 沖縄県人には経済が第一であったようです。元官僚と元バスガイドに下ろした県民の判断は経済復興に対する期待度の差でしょう。日本でも最下位の地域経済、仕事がなければ食っていけない現状を立て直すことが何よりも優先したのです。 沖縄の抱えている根本的な問題は地域経済が基地に依存している点にあります。沖縄を経済特区にして自由港にし、自由貿易を可能にさせる方法が考えられます。例えば、カジノを誘致すれば、経済的なメリットは計り知れないでしょう。 基地がない沖縄は理想ですが、現実の政治の世界では不可能です。稲嶺知事は公約で普天間基地問題に15年間の期限を付けたので自縄自縛に陥りました。仲井真新知事は官僚なので与えられた条件の中で最善を尽くす道を選ぶでしょう。 究極の基地対策は沖縄経済が復興することです。沖縄経済は地場産業がないので公共事業依存型経済です。観光産業でも沖縄経済を支えられないのが現状です。米軍基地に依存しなければ生計を立てられないのが沖縄の抱えるジレンマです。 日本の安全保障に関しては本土は沖縄に依存しています。米軍基地は絶対に必要だけれども誰もが嫌がる廃棄物処理施設、トイレのようなものかも知れません。基地を沖縄に押し付けている以上、本土にはそれに見合う経済負担が必要です。 政府は沖縄を飢えさせておいて目の前のご馳走に飛びつかせるようにしています。沖縄の人の人格を貶めるような政策は根本的に間違っています。米軍基地と共存できる町には精神的な余裕を持てるだけの経済的な豊かさが必要なのです。 米軍基地がなくなる時代が来ればよいのですが、北朝鮮、中国の核の脅威に晒されている間は日本が米軍基地を必要としているのです。核抑止力を持たない日本はアメリカの核の傘を必要としているのです。それが国際政治の現実なのです。
2006/11/20
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日米首脳会談は成功裏に終わったようです。安部、ブッシュもジュンイチロー、ブッシュとまではいかないまでも蜜月ぶりを発揮できるのではないでしょうか。両者の間では普遍的価値観、民主主義、自由主義などを共有できるからです。 安倍首相もブッシュ大統領も北朝鮮の核開発を断固阻止する立場では一致しています。北朝鮮の核ミサイルの照準は日本に向けられることは確実ですので、日本は譲歩できません。アメリカも核拡散は安全保障上座視できないでしょう。 韓国の盧武鉉大統領は太陽政策に復帰しかねない状況です。支持率が10%台しかなく、来年の大統領選まで政策変更はできないのでしょう。北朝鮮の核が韓国には絶対に使用されないという確信は韓民族にしか理解できないものです。 中国は北朝鮮の体制が崩壊するのまでは望みませんが、北朝鮮を中国の監視下に置こうとしているようです。飴と鞭を使い分けて、北朝鮮を調教できるかどうかの境目にあるようです。北の将軍様に熱いお灸を据えようとしているようです。 ロシアは朝鮮半島に介入する良い機会が来たと、今回の事態をむしろ歓迎しているのかも知れません。イランに加えて北朝鮮というカードを持てばアメリカに対抗する手段が増えます。大国主義の復活に寄与すると考えているのでしょう。 6カ国協議は日米と中韓ロとの路線対決が表面化してくるかも知れません。核の脅威に直接晒される日本と核拡散の脅威を受けるアメリカとは北朝鮮の体制崩壊を目指さざるを得ませんが、他の3カ国は核の脅威に直接晒されてはいません。 中韓両国は北朝鮮の体制が崩壊したら直接的な脅威を受けます。北朝鮮軍が侵略行動に出れば両国共に物質両面で甚大な損害を受けるでしょう。何百万人もの難民が両国の国境を越えて押し寄せてくるでしょうが、対応しかねるでしょう。 両者の立場の違いに加えて、アメリカの中間選挙で民主党が圧勝したので、米朝直接対話、クリントン時代への先祖返りが考えられます。クリントン時代は核開発の時間を与えただけだと思えますが、直接対話を望む声も無視できません。 多元方程式の解は見当たりませんが、日本にはアメリカの核の傘の下に入るしか道がありません。日本は核抑止力を所有していませんから核三原則、集団的自衛権、平和憲法について議論を封じるのではなく、深めなくてはならないのです。 民主党の前原前代表が産経新聞に寄稿していましたが、政治家としての発言が公表されるのはよいことだと感じました。小沢、鳩山、菅らの旧世代が旧社会党への先祖返りをして、国会を政争の具として利用しているのとは大違いです。 団塊の世代までは核三原則、平和憲法を肌で感じることができましたが、戦争を知らない世代には何のことか理解できない人が多くいるのです。先ず国是とされている核三原則についても国民の間で真剣に議論することが必要なのです。 日本が持てる核抑止力はハード、核装備ではなくソフト、外交などだけですから、核開発の是非、利害得失を国民の前に明らかにしなければならないのです。国民の目を核の支配する世界から逸らせ、政争に耽るのは政治家として失格です。 民主党は前原前代表のように自らの主張を国民の前に明らかにすべきです。野党が欠席している国会の中継を子供も見ているのです。国政の場が政争の場に堕している、55年体制に先祖返りしているのを嘆いている国民は多くいるのです。
2006/11/19
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警察庁は鳥取県米子市で行方不明になった松本京子を拉致被害者と断定しました。警察庁は北朝鮮が工作活動を頻繁に行っていた事実を把握していたはずですが、高度の政治的判断により日本人が拉致された事実を認めませんでした。 日本は北朝鮮と国交を回復する手段を模索していたようですが、金日成の硬軟使い分けた外交工作に翻弄されていたようです。与野党の訪朝団、金丸信自民党副総裁、村山富市社会党党首一行は金日成の接待攻勢に誑かされたようです。 北朝鮮の工作員による拉致がマスコミで話題にされていたのにも拘わらず、訪朝団は話題にすら取り上げなかったようです。金日成と金丸信との間では1兆円に近い賠償金の支払いが取り決められていたという噂も流れているぐらいです。 自民党は何回も訪朝団を派遣しましたが、日朝双方ともに利権に繋がる話では合意できても、外交交渉は成されなかったに等しいようです。議員たちは酒池肉林の接待攻勢に誑かされて北朝鮮に借りを作ったという噂が飛び交いました。 外務省では日朝友好、日朝平和条約の締結が総てに優先していました。彼らは自国民が北朝鮮に拉致された事実を知らなかったのではなく、知りたくなかったという願望があり得ないという幻想を捏造し、拉致の事実を揉み消さしたのです。 外務省の官僚には拉致は人権問題ではなく、北朝鮮との外交交渉に使うカードの一枚にしか過ぎません。平壌会談では金正日に拉致を認めさせましたが、拉致被害者の一時帰国で日朝の面子を保ち、幕引きをするつもりであったようです。 拉致被害者を日本に取り戻したのは日本の世論であり、小泉首相の政治決断でした。外務省の国民に由らしむべし、知らしむべからずの政策が破綻したのです。外交が官僚に左右されていた時代が終焉し、世論が外交をリードし始めたのです。 北朝鮮のミサイル発射、核実験強行に対して、日本は国連の安保理事会で初めて積極的な外交を展開しました。北朝鮮に対する世論の高まりが小泉、安倍両首相に日本外交を旧来の控えめな外交から物を言う外交へと転換させたのです。 世論を盛り上げるためには拉致被害者家族会の働きが重要な役割を果たしました。横田さん夫妻を中心にした粘り強い戦いがありました。政府はもとより、政治の世界、マスコミからも無視され続けてきた市民運動が力を発揮したのです。 一市民が始めた市民運動が政府も与野党もマスコミも認めなかった拉致の事実を認めさせたのです。家族会に情報をもたらしたのはマスコミ人の個人プレーでした。個人から始まった人の輪が世論を巻き起こし、政治を動かしたのです。 北朝鮮の拉致は国際的に知られるようになり、拉致は万国共通語になりました。外国人拉致を「他の主権国家の国民の人権を侵害する」と批判する対北非難決議案が人権委員会で採決されました。12月には国連総会で可決される見込みです。 北朝鮮の拉致は日本の主権を侵した国家犯罪ですが、政府は否定し続け、家族が主張し続けたのです。日本が国家として国民の安全を守る義務があるのにも拘わらず拉致を放置したのは、戦後体制の呪縛から解放されていなかったからです。 拉致問題は日本の政治を鋭く問い糺したのです。国家には民主主義を守り抜く意思がなく、市民が自らの力で守らなければならないことを明らかにしたのです。市民参加型民主主義が国際政治をも動かす力を発揮することを証明したのです。
2006/11/18
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政界は過去の亡霊が跋扈する世界になってきたようです。民主党は55年体制に先祖返りしたように感じられます。民主党は審議拒否をしましたが、民主党は改正に反対ではなく対案を提出しているのですから審議に応じるべきです。 教育基本法改正は時期尚早だと思えますが、政争の具として審議拒否をされるのでは納得ができません。愛国心、不当な支配の問題などでは国民的な合意ができていませんが、国会での議論は与野党の無責任体制の元で深まっていません。 憲法、教育基本は進駐軍、GHQに押し付けられたのだから改正しなくてはならないという論理は無謀です。自主憲法、自主教育基本法が必要な論拠が明白ではありません。戦後レジーム(体制)からの解放だけでは説得力がありません。 日本は戦後レジームにより戦後60年間、平和で、自由で、物に溢れた社会を造り上げてきました。資源のない国が世界2位の経済力を誇ることができているのも戦後レジームのお陰です。それを否定するだけの論拠が示されていません。 現代の日本はバブル崩壊の後遺症で苦しんでいますが、未来に薄明かりが見えてきました。政治の世界では憲法改正、教育基本法改正が政争の具として弄ばれていますが、経済を回復軌道に乗せるのが政治の果たすべき第一の役割です。 日本が抱えている問題の多くは、日本がグローバルな世界に適応できない結果生み出されてきたと思えます。社会の変革は人間の意識の変革を待ってはくれません。創造力のある人間とない人間との格差が急激に広がってきたのです。 バブルまでの日本には能力に応じた範囲ではありますが希望がありました。努力をすればそれに見合う成果が保障されていたからです。終身雇用、年功序列の社会では、忍耐して定年まで働けば人並みにマイホームを持つことができました。 バブルが弾け、日本経済は崩壊の危機にさしかかりました。銀行さえ破綻した経済状況の下では日本全土をリストラの波が覆い、失業者が町に溢れました。大企業でもリストラがすすみ、リストラされたら再就職の道はほぼ断たれました。 リストラされた人間は経営者の責任の身代わりにされたのです。本人の責任ではない失業が普通に見られるようになり、終身雇用制、年功序列制度は崩壊したのです。本人の努力や才能が反映されない社会になり、希望が失われたのです。 フラット化された世界では少数の創造的な仕事をする者と多数のマニュアル化された仕事をする者とに分断されます。子供は一クラスに何人かしかいないエリートになれる可能性のある者とその可能性のない者とに分断されてしまいます。 従来のシステムでは能力に応じた仕事が用意されており、分相応の配偶者と結婚して家庭を営む機会がありましたが、グローバル化により社会が分断されてきました。子供の時から努力が報われない社会であることを自覚させられるのです。 学校教育はこの社会の変化に対応できていません。学校の中でいくら人間は平等だと教えても社会に出れば平等などあり得ないことは子供は知っています。学校での建前の教育と現実との乖離が教育問題の根本に横たわっているのです。 教育基本法を改正しても社会が抱えている基本的な矛盾を解決しない限り、建前だけが一人歩きをしてしまいます。フリーターでも店長、職長になれるようなシステム、叩き上げの人間が評価されるシステムが必要とされているのです。
2006/11/17
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木村和歌山県知事が競売入札妨害罪で逮捕されました。木村知事は大阪府副知事から和歌山県知事になりました。総務省から地方自治体の長へと転出した旧自治省の官僚です。和歌山県には総務部長として在籍したことがあるだけでした。 和歌山県は主要産業が土建業と言われるように、公共事業に依存した経済体質の県です。木村知事は県庁出身者の知事が続いた後に、県政刷新を掲げて和歌山県に乗り込みました。地元の選挙対策に元ゴルフ場経営者の力を借りたようです。 先の知事選では大手ゼネコンの丸山組会長らに自民党の推薦を求めて政界工作をしてもらい、事務所用地も提供されたようです。ゼネコンが集会に動員をかけたり、全面的にバックアップしました。会長が知事後援会の幹部を務めました。 落下傘候補の木村知事は選挙を裏で取り仕切る人物を必要としていましたが、ゼネコンも木村知事を支援して甘い汁を吸おうとしたようです。ゼネコンも1000億円を超す公共事業が知事の胸三寸で決まるのですから必死だったようです。 木村知事は談合をできない制度を造り、公共事業の透明性を高めたと評価されていましたが、県政のトップである知事、収入役が談合に荷担していればどのような制度を造っても、仏を造っても魂を入れずでしかなく効果はありません。 木村知事は「改革派の旗手」として知られ、辛口の言動は注目を集めました。全国知事会でも道州制特別委員長を務め、地方分権と中央省庁の解体再編を強力に主張していました。霞ヶ関出身のエリート官僚が霞ヶ関に叛旗を翻したのです。 梶原前岐阜県知事、佐藤前福島県知事、木村知事は全国知事会の牽引役として霞ヶ関の官僚と闘ったのですが、足下で起きた不祥事は彼らの仮面を剥ぎ取りました。霞ヶ関が裏で画策した国策捜査かも知れませんが隙を見せた方が負けです。 構造改革の主要なテーマの一つである中央から地方へという流れが途切れないかが心配です。日本の官僚機構の持つ権限は絶大です。小泉純一郎というカリスマが欠けた隙に、官僚は構造改革が頓挫しかねない状況まで失地を回復しました。 全国知事会に対して世論の目は厳しくなるでしょう。霞ヶ関の官僚の主張通り、地方には自立する能力がないのが明らかにされたからですが、中央省庁の官僚にも行政を任せられないという点では同じです。国民には目くそ鼻くそを笑うです。 しかし、地方自治体の首長の持つ権限が絶大で、ある経験者は首相以上で大統領並みだと言っていますが、選挙戦を乗り越えるためには支持者の意向を無視できません。李下に冠を正さなくても甘い利権に群がる蟻は穴を見つけ出します。 聖人君子でも水の流れはいつかは淀みます。トップが誠実でも部下は俗物揃いです。政治任命の慣習がない日本では役人は終身雇用です。問題の先送り、責任転嫁を第一とする彼らにはリスクをとって物事に当たる習慣がないからです。 政界は魑魅魍魎の跋扈する世界だそうですが、政治家には名を惜しんでもらいたいと思います。政治家小泉純一郎は権勢の絶頂期に自ら小泉劇場の幕を下ろしました。小泉流美学、朝日に匂う山桜かなを身をもって演出したのは見事です。 政治家には美学が必要です。大輪の綺麗な花でもスキャンダルにまみれて散れば醜いです。政治家の評価は歴史が定めますが、晩節を汚した政治家の末路は恥しか残りません。政治家の恥辱に耐えなければならない老後は哀れだと思います。
2006/11/16
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日本は現在程度の経済規模が身の丈に合っていると思います。地球がフラット化した現在、中国、インド、東南アジア諸国などの桁違いに安い労働力と対抗するにはこれ以上の賃金の上昇は見込めないでしょうし、期待するのは無理です。 日本の物作りにおける競争力も付加価値をどれだけ付けられるかに架かっています。創造的な発想に基づく独創的な技術開発が日本の生命線です。重厚長大、規模を誇った日本の産業を効率を重んじる産業へとシフトするが必要あります。 例えば、日本の誇る鉄鋼産業でも世界規模で合従連衡が行われ、外資のM&Aの脅威に晒されています。さらに、中国の粗鋼生産量は中国の必要量を上回っているそうです。高品質鋼における技術的優位をいつまで保たれるのかは疑問です。 資源のない日本は頭脳で勝負するしかないのですが、日本の子供の学力低下が著しいようです。創造的な仕事ができる一握りの人間とマニュアル人間との格差は拡大する一方でしょう。スキルアップをしなければ時代に取り残されます。 バブル崩壊はグローバル化の波に適応できなかった日本の産みの苦しみでした。日本の産業の国際競争力は回復してきましたが、高度成長時代、バブル時代のような高成長時代はもう望めません。経済成長率が2%もあれば御の字です。 個人消費の伸びは期待できないでしょうが、現在程度の個人消費は継続してあるでしょう。雇用が回復してきたので未来に薄明かりが点りましたが、多くは期待できません。現在の生活水準を維持できる程度の経済力で満足すべきでしょう。 少なくとも日本では生計が立たないことはありません。セイフティネットが生活保護だとすれば日本は随分と恵まれた国だと思えます。衣食住に事欠かないだけではなく、電気製品が一通り揃った生活が保障される国はそうはありません。 マスコミは勝ち組、負け組と姦しいのですが、負け組が生活に困るわけではありません。むしろ、物質的に満たされた生活であるがゆえに、精神的な貧しさが際だつのでしょう。若者に未来への希望を与えられない社会が問題なのです。 ヒルズ族、セレブがもてはやされていますが、リスクを負って働いた人間にリスクに見合う報酬があるのは当然です。むしろ、リスクを負えない生き方をする人間にもそれなりの希望を持たせる生き方を提示する責任が政治にはあります。 小泉前首相に圧倒的な勝利をもたらした浮動票は旧来の政治システムが機能しなくなったことを本能的に悟った若者からのものでしょう。フリーターに代表される浮動票は逼塞した現状を破壊してくれる救世主を待ち望んでいたのです。 現在の社会システムが続く限りフリーターを続けなくてはならない若者に再チャレンジの機会を与える政策は時宜に適っていますが、スキルアップの機会を活用するのもしないのも自己責任ですから、落ちこぼれる若者は必ずいます。 自己決定、自己責任の世界は過保護に育った世代には厳しいと思いますが、終身雇用が保障された時代は再び戻っては来ません。競争が生み出すエネルギーが枯渇すれば日本はアジアの諸国にあっという間に追い抜かれてしまうでしょう。 インターネットの世界では地政学的障壁は意味がありません。ブロードバンドに接続されたパソコンさえあればフラットな世界の住民になれるからです。誰にでも機会はあります。ツールにも差がありません。創造力のみが勝負の世界だからです。
2006/11/15
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犯罪としか思えないじめを受けて自殺する子供が後を絶ちません。不当な金銭要求は恐喝罪、強要罪です。 身体的特徴をあげつらえば侮辱罪、名誉棄損罪です。さらに暴力を振るえば暴行罪ですし、ケガをさせれば傷害罪が成立します。 学校が事態を把握していたケースでも放置されていたケース、適切な措置が施されなかったケースも少なくありませんし、自殺者が出てもいじめを続ける子供もいるようです。学校、地域は犯罪行為に対して厳格に対処する必要があります。 アメリカでは学校内のルール違反に対して例外なく厳しい処分を科すことにより学校に秩序を取り戻したケースが少なからずあるようです。子供が犯罪行為は言うに及ばず、ルール違反をしたら例外なく厳しい処分をすることが大切です。 日本では教師の教育的配慮、言葉を換えれば放任主義が蔓延しています。厳しく生徒を指導したら親が怒鳴り込んでくる場合も少なくないようですが、ルール違反に対するペナルティをはっきりさせ、例外を設けないことが大切です。 教師が親の恫喝、時には生徒の恫喝に怯えてしまっては教育は出来ません。彼らは子供の人権を振り回しますが、他者に迷惑を及ぼすような権利は誰にもありません。教師が恫喝から逃れるためには例外なき処分に徹底することが肝要です。 子供の時に犯罪を見逃されれば、子供の犯罪行為はエスカレートしていきます。犯罪行為をゲーム感覚で楽しむようになりかねません。非行、犯罪の芽は早い内に摘み取らなければ、際限もなく成長して本当の犯罪者になりかねません。 いじめは加害者と被害者を分断しますし、被害者と加害者の立場がある日突然逆転しかねません。加害者の子供は常に加害者の立場を守るために様々な策略を巡らしますが、教師や学校が子供の策略に惑わされれば事態の把握が遅れます。 客観的に見れば何でもないことが、事件の渦中にいると見えなくなるのでしょう。教師、学校の対応が余りにもお粗末にしか思えないことがしばしばです。岡目八目かも知れませんが、自殺者が出たケースは防げたケースだと感じました。 教育現場にいる教師からすれば、いじめの問題は端から見る程単純な問題ではないのでしょうが、賞罰を明らかにする原理原則を子供に対して際限なく譲ってしまったので対応不能になってしまったケースが多いように感じられます。 教師の体罰を始めとして教師が子供を叱れば問題にされる風潮が子供を甘やかした面もあると思います。親が子供を躾けることができなくなり、躾を学校に期待し、勉強は塾でさせるという風潮が子供を増長させた原因かも知れません。 いじめは何時の時代のどこの社会にでもついて回る問題ですが、学校でのいじめには逃げ口がありません。引きこもりも許されない社会では子供が逃げ込む場所がありません。登校拒否も自己防衛の手段ならば許されてしかるべきです。 今回の事件で明らかになったのは、教育委員会から文部科学省に上げられた報告ではいじめによる自殺は7年間で0でした。いじめ、登校拒否者の数を減らすのが校長の評価に繋がるので、隠蔽体質が横行し、子供を犠牲にしたのです。 必修科目の未履修問題にしても、学校の評価が数字で判断される体質に問題があるのではないでしょうか。教育は本来数値化できないものですが、数値化された勤務評価が現場で起きた問題を隠蔽する方向へ教師、学校を導いたのでしょう。
2006/11/14
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社会保険庁を解体し、民営化しなければ国民は納得しないでしょう。福島県知事選で自民党は負けましたが、敗因は郵政民営化に反対した議員を復党させようとする自民党首脳部の意向にあります。自民党は抵抗勢力と見なされたのです。 安倍政権は小泉政権の亜流として国民に認知されている段階ですから、構造改革の流れに逆行すれば支持率は急降下するでしょう。族議員、官僚が跋扈していた小泉改革以前に先祖返りすれば、安倍首相は抵抗勢力として見捨てられます。 郵政民営化に反対した議員を復党させる話が出てから、国民の自民党に対する目は厳しくなりました。それにも拘わらず、参議院選対策のために復党を急ぐ話が急浮上してくるのは、自民党が国民の声に耳を貸さなくなってきた証拠です。 安倍首相が守旧派であるのか、構造改革派であるのかは社会保険庁に対する対応で判断されるでしょう。厚労省、官僚、族議員は年金基金に寄生してきましたが、浪費された国民の資産は何兆円単位です。国民の許容範囲を超えています。 社会保険庁の乱脈ぶりは公務員である甘えから来ていると思います。今回の処分も前例のない大量処分でしたが、民間ならば懲戒解雇を含む実質が伴う処分になるはずですが、訓告程度の実質が伴わない処分でお著を濁した印象を受けます。 公務員は「仕事をしないのが仕事」と思っているとしか思えません。国民年金の徴収率を上げるようにノルマを課せられたら、ノルマを達成させることよりも書類を改竄することしか考えられない社会保険庁の職員は全員解雇すべきです。 旧国鉄のように職員全員を先ず解雇して再雇用すべきです。職員としての適性に欠ける職員は再雇用せず、失業対策的な下請け会社に回すべきです。民間出身の長官のリストラを組織的、意図的にサボタージュする分子を追放すべきです。 ホリエモン裁判で感じたのですが、ホリエモンは携帯で起案を受け決裁していました。ペーパーレス、書類をなくする効率的なシステムが機能していたようです。社会保険庁の事務仕事もIT化すればかなり人員削減が出来ると思います。 国民年金番号を住民番号とリンクさせるシステムになっていますが、数十%の人をリンクさせることが出来ませんでした。民間企業ならば監督官庁から処分を受け、信用失墜により破綻しかねない事態にも誰も責任を取ろうとしません。 責任回避と問題の先送りしか考えていない組織の存在理由はありません。民営化された新会社では保険会社のように年金の徴収をノルマ化し、給料も歩合制に改めるべきです。新会社は徴収された年金の手数料で運営されるべきです。 徴収できた保険金の総額を上げなければ給料が払われないシステムにすれば自ずから徴収率を上げる努力をするでしょう。年金の徴収率を公表し、民間企業並みに企業業績、バランスシートを監査する第三者機関を設置すべきでしょう。 安倍首相は現段階では小泉前首相の遺産で政権を維持できていることを自覚するべきでしょう。小泉前首相の始めた構造改革への支持は続いています。自民党が改革政党なのか民主党が改革政党なのかを見分ける国民の目は厳しいです。 国民は自民党の郵政民営化反対議員の復党、社会保険庁の民営化問題を安部政権の構造改革への取り組みのバロメーターとして見つめています。参議院の青木、片山両議員は国民の目から見れば抵抗勢力の親分にしか見えないからです。
2006/11/13
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菅総務相がNHKに拉致問題を国際放送で放送するように命令を出しました。菅総務相の行動は憲法改正の露払いとして報道管制の先陣を切ったかのように見えます。拉致という反論できない内容でNHKの報道の自由に介入したのです。 塩崎官房長官が「古い法律であり、議論するのも一つの考え」として放送法改正の可能性についても言及していますが、「命令放送」が存在する限り、NHKは政府の代弁者としか見なさないでしょう。NHKに対する信頼は地に落ちました。 そもそも、菅総務相が命令にあくまで拘った背景には、政府がマスコミ支配に露骨に乗り出そうとしているからでしょう。安部首相のインタビュー問題に端を発したマスコミとの確執が政府にマスコミ支配を決意させたのでしょうか。 いずれにしろやり方が余りにも幼稚すぎます。まるで駄々っ子が駄々をこねているようですが、駄々っ子を利用する官僚、政治家が数多くいます。総務相はマスコミ支配までを意識していないかも知れませんが、結果としてそうなります。 イギリスではBBCがブレア首相のイラク政策に瑕疵があったことを放送したのが政治問題化し、官邸からの圧力に経営委員会が屈してしまい、会長が辞職させられました。BBCの職員が辞職する会長を支持する異例のデモを行いました。 その背景には、BBCが10年毎の免許更新時期にさしかかっていたこともあるようですが、日本でもテレビ、ラジオの免許更新を許可する権利を政府が持っています。免許更新を人質に取り、事実上の報道管制を敷くことも理論上可能です。 NHKの命令放送はその嚆矢として利用される可能性が充分に考えられます。総務相に対し唯々諾々と従ったNHKの橋本会長にはマスコミに生きる人間としての誇りがないのでしょうか。技術屋だからと言っても余りにも情けないです。 テレビ界の反応にも危機感が感じられません。明日は我が身であるという自覚がないからでしょうか。命令放送についてのキャンペーンがあっても良いと思いますが、視聴率に反映しないからやらないのでしょうか。失望しました。 日本が軍国主義の波に巻き込まれていったのにはマスコミにも責任があります。当時の新聞を見ると政府に対する提灯記事が余りにも多く、 戦況の報告は大本営発表を丸写しです。憲法改正でも提灯記事を放送するのでしょうか。 憲法改正では国民的な議論が必要です。マスコミの果たす役割は重大ですが、民間放送はNHKの命令放送を他山の石としなければなりません。国民は日本の歩む方向を真剣に議論したいのです。偏向した報道に流されたくはないのです。 正直に言って、民主主義の日本でこのような暴挙が許されるとは思いませんでした。社説で取り上げているのは産経と朝日ですが、左右両派から批判が上がりました。報道関係者として政府のマスコミ支配には徹底的に反対してください。 NHKは受信料を政府の広報活動に流用するわけですから、私たちには受信料を拒否する権利があります。拉致家族会ですら総務相の行動に懸念を抱いているそうですが、今回の総務相の執った行動は拉致解決にはむしろマイナスです。 私たちはNHKの受信料支払いを拒否しましょう。NHK、政府に対し抗議の姿勢を明確にしましょう。督促状を送付するなどの卑劣な手段を行使しますが、マスコミとしての義務を果たさないNHKに受信料を払う必要などありません。
2006/11/10
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アメリカの中間選挙では野党民主党が12年ぶりに与党共和党に対して地滑り的な勝利を治めました。上、下院の過半数を野党が占め、知事の改選数でも野党が上回りました。ブッシュ大統領の政権運営に手枷足枷がはめられたようです。 アメリカは三権分立が徹底した国なので大統領の権限は強く、基本政策は変わらないでしょう。2期目のブッシュ大統領は再選を意識する必要がありませんので、議会を敵に回しても最後の勝負を賭けた戦いを挑むかも知れません。 今回の選挙の争点はイラク問題でした。イラクが混迷の度を増すにつれ、国民は事態の打開を望みました。共和党は12年間も議会を制してきましたので腐敗が蔓延し、醜聞も広がりました。新しい政治の風が吹くのを国民が望んだのです。 ブッシュ大統領がラムズフェルド国防長官を更迭し、イラクに対する政策変更を模索しているようです。イラク戦争では戦争の大義が否定された上に、3000人に近いアメリカ兵が戦死している現状に国民がノーを突きつけたからです。 しかし、アメリカが始めた戦争ですからアメリカが責任を取らなくてはなりません。アメリカの政治状況がどう変化しても、アメリカがイラクから撤退することは許されません。イラクの治安を回復させる義務がアメリカにはあるからです。 日本にはアメリカの対北朝鮮政策が変わらないのかが気に掛かるのですが、おそらくブッシュ大統領は北朝鮮を核保有国として認めることはしないはずです。6カ国協議の場でも、金融制裁の解除を条件とした交渉に応じないと思います。 安倍首相にはジュンイチロー、ブッシュの関係は期待できませんが、安保条約による日米同盟は維持されるでしょう。日本に核の傘を提供するのはアメリカにも利益ですし、北朝鮮の核ミサイルを抑止する力を持つのはアメリカだけです。 レイム・ダックになったブッシュ大統領は北朝鮮、イランの核開発を阻止するのを歴史的使命だと考えているのではないかとも思えます。ブッシュ大統領は敬虔なクリスチャンですから、神から与えられた使命には従順に従うからです。 国際社会には様々な問題が山積していますが、イラン、北朝鮮の核開発を阻止できなければ国際社会はカオスに引きずり込まれます。テロ組織に核兵器が渡れば世界は破局に向かいかねないからです。デッドライン、最後の一線だからです。 日本は国際社会の先頭に立って北朝鮮に制裁を加え、中国にも北の将軍様に圧力をかけ続けさせなければならないのです。中国も日本の軍事大国化は望まないはずです。況や、日本が核開発を始めれば中国には軍事的な脅威になります。 日本には非核三原則がありますが、北朝鮮からの具体的な脅威がある中で、非核三原則を国民的な議論に掛けるべきです。小沢代表、鳩山幹事長は非核三原則に対する議論を封印しようとしていますが、過去の発言を忘れた暴論です。 北朝鮮からの核の脅威に晒される中で非核三原則を守り抜くためには国民の意思統一が必要です。戦争を知らない世代には非核三原則を墨守する理由が理解できないからです。理屈抜きに肌で理解できるのは団塊の世代から上の世代だからです。 日本の進むべき道を今議論しなければ、時機を逸すると思います。非核三原則、平和憲法を議論しなければ、戦争体験を次の世代に引き継げないからです。平和憲法を双手を挙げて受け入れた事実を語り継がなければならないからです。
2006/11/09
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腎臓売買事件が起きた徳洲会病院で、万波医師が病気で摘出された腎臓を移植したケースが数十件もあることが明らかにされました。万波医師は「捨てる腎臓を有効に利用して何が悪い」と主張していますが、常識的に考えるならば生体移植が可能な腎臓ならば摘出する必要があったのかという疑問が湧きます。 マスコミは医師の倫理に反すると万波医師パッシングに走っていますが、レシピエント、移植を受けた患者のコメントが報道されていません。腎臓移植は人工透析を受けているレシピエントを機械から解放する究極の医療です。QOL、生活の質を高めるために手段を尽くすのも医者の使命なのかも知れません。 医療関係者のコメントは確かに正しいのですが、人工透析で苦しんでいる患者の苦痛に対する配慮が感じられません。腎臓の移植を受けなくても人工透析を受ければ生きていくことができるという主張は患者の苦痛を無視した主張です。 万波医師は「脳死移植、生体移植に継ぐ第三の道だ」と主張していますが、レシピエントが充分なインフォームドコンセントを受けてなされた手術ならば、第三者が口を挟む問題ではありません。一方、腎臓を摘出する過程において医療倫理にもとる行為がなされなかったかを第三者機関で検証する必要があります。 日本の医師の世界は保守的です。批判はするがリスクは負わないのが彼らの習性です。万波医師はその様な学会に愛想を尽かしたのだと思いますが、医師の原点である医療倫理に対する配慮が疎かにされていた側面は否定できません。 例えば、ガンを除去した腎臓を移植すればガンが再発する危険性は高くなります。特に免疫抑制剤を服用していればその確率はかなり高くなるでしょうが、それでも、例えば高齢者などでリスクを伴う手術をあえて望む人もいるでしょう。 現代の医師の倫理としては病腎移植は避けるべきなのでしょうが、臨床医の立場からすれば別の医師の倫理が成り立つのかも知れません。廃棄される腎臓を求めてネットワークができているのですから、万波医師を支持する臨床医もいます。 腎臓移植の第一線に立つ医師の判断をマスコミや医事評論家の感情論ではなく、客観的な事実を積み上げて検証する必要があります。医師は患者の利益を優先しますが、それが他の患者の利益を犯すものであってはならないからです。 腎臓を治療のために必要のないのに摘出されたと訴える人もいますが、マスコミに踊らされている証言のような気もします。廃棄される腎臓でも移植して欲しいという患者の声には、健康な人間には分からない切実なものがあるのでしょう。 臓器移植は究極の医療ですが、日本では移植できる臓器の数が限られています。脳死者からの臓器移植はニュースになるぐらいに少ないですし、生体移植でも善意のドナーに肉体的、精神的な後遺症が見られる場合が少なくありません。 素人判断ですが、廃棄される臓器が有効に活用されるのならば、倫理委員会で審査を受けたケースに限って臓器移植を認めても良いのではないでしょうか。第三者の原則論では解決できない問題が今回の事件の裏にはありそうだからです。
2006/11/08
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自民党の中川政調会長が核論議を提起し、麻生外相もそれを支持しているのに対し、野党だけではなく自民党の二階国対委員長が批判を加えました。北朝鮮の核実験が強行された現在こそ、核論議を始めるのに相応しい時だと思われます。 日本人は核三原則、平和憲法を日本が墨守すれば、世界が理解してくれる、配慮してくれると錯覚しているようですが、北朝鮮、中国、ロシア、韓国は日本がいじめやすい国だからいじめようと手ぐすね引いて待っていたのが現状です。 その日本が北朝鮮のミサイル発射、核実験強行に対して国連の場で初めて積極的な外交に打って出ました。日本とアメリカが共同歩調を取り、安全保障理事会に北朝鮮非難決議、制裁決議を可決させたのです。窮鼠が猫を噛んだのです。 中国、韓国は日本外交が転換したのを肌で感じたでしょう。いじめられっ子が堪忍袋の緒を切ったのですから、彼らには驚きだったでしょう。日本が国を挙げて行動を起こした時の破壊力を過去に身をもって体験しているからです。 中国には日本が潜在的核保有国であり続けることが国益に適います。日本が核開発を始めたら、韓国、台湾が核開発を始めだしかねないからです。核のドミノ現象が起きるのは中国だけではなく核保有国全体にとって脅威になるからです。 日本の核論議は伝家の宝刀の中身を世界に知らしめた点では意味があったと思います。世界に日本の世論が右傾化しているのを知らせる必要があります。日本に対する脅迫外交は日本を軍事大国化させてしまう可能性が高いからです。 さすがに中国は外交方針を転換させました。日本からの経済協力が必要なだけではなく、日本を軍事大国にさせないためにも日中関係を改善する必要があったからです。北朝鮮を管理下に置かなければ、日中友好も破綻しかねないからです。 一方、国内的には核論議を支持する声が多かったようですが、核論議を封殺する前時代的手法に国民が反発したからだと思います。核三原則は神棚の上に祭り上げられており、議論することさえ畏れ多いような状況になっているからです。 団塊の世代から上の世代は核三原則は皮膚感覚として受容することができるのですが、下の戦争を知らない世代には核三原則がなぜ必要なのかが理解できないのだろうと思います。核三原則に対する国民的な合意ができていないからです。 戦争を知らない世代の中川政調会長は素朴(政治的)に彼の所属する世代の声を代弁しただけに過ぎないのだろうと思います。核三原則、平和憲法は戦争を知らない世代には空念仏に感じられるのでしょう。実体が伴わないからです。 核三原則、平和憲法は人間の常識である力の均衡から外れる概念です。国際社会で無手勝流が通用しないことは歴史が証明しています。日本があえて力の均衡とは違う道を歩むことを選択したのであれば、国民の意思統一が必要です。 20世紀は軍事力が世界を支配していた時代でした。鉄のカーテンが世界を二分していましたが、ソ連が崩壊し、ベルリンの壁も撤去されました。21世紀は力の均衡ではなく、国家間の信頼からなる新しい秩序を構築する必要があります。 核兵器を所有する能力があるのに所有しない。国際平和を軍事力で達成しようとはしない。国際社会のいじめられっ子に敢えてなるところに日本の存在意義があるのです。人類は核兵器、最終兵器を手にしましたので、力の支配は地球を破壊させてしまいます。力ではなく信頼こそが人類の未来を開く唯一の鍵なのです。
2006/11/07
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道路特定財源は小泉改革で一般財源化されることに決まっていた筈です。族議員、国交省、地方自治体に加え、参議院選挙対策として自民党、参議院側からの圧力が激しいようですが、安倍政権が世論の支持を得るか、失うかの瀬戸際です。 総選挙では小泉前首相が地滑り的な勝利を収めました。政界では与野党逆転を予想した議員も少なくなかったでしょう。亀井静香代議士は郵政民営化法案を参議院で否決された時には、勝利の美酒を飲み干しましたが、夢幻に終わりました。 小泉前首相を支持したのは日本に構造改革が必要だと国民が判断したからです。既得権益の上に胡座をかく勢力、抵抗勢力を政治の世界から追放せよという民意でしたが、小泉前首相の引退と共に抵抗勢力が鎌首を持ち上げ出しました。 道路特定財源の一般財源化を阻止しようとする勢力は郵政民営化に反対した抵抗勢力と同じ穴の狢です。郵政民営化反対派は政治家として倒閥運動、党内クーデターを謀った勢力ですから、安倍首相が復党させれば世論の支持を失います。 安倍首相には小泉前首相のようなカリスマはありませんが、戦争を知らない世代が官邸主導で政治をリードしようとするところに目新しさがあります。世論の支持は古い自民党から脱却した政治を行うであろうという期待値からです。 安倍政権が古い自民党に回帰する方向にシフトすれば、支持率は急降下するでしょう。安倍政権の求心力は支持率を一度下げたならば雲散霧消します。小泉前首相の地滑り的勝利とは正反対に参議院選では地滑り的敗北を喫するでしょう。 安部首相を後ろ押ししたのは小泉前首相であり、北朝鮮の暴走でした。安倍首相が実力で得た地位ではありません。安部首相は小泉前首相よりも政治力がないのですから、守旧派、抵抗勢力と手を切り世論を味方に付けなくてはなりません。 国民は永田町、霞ヶ関に愛想を尽かしているのです。新しい葡萄酒は新しい革袋に詰めなくてはならないのです。小泉改革が古い革袋を破りましたが、漏れ出た葡萄酒をまた古い革袋に詰めれば葡萄酒は総て溢れ出てしまいます。 自民党守旧派は日本をバブルに導き、バブルを弾けさせました。政治家は結果責任ですから、守旧派は政治の表舞台から消え去るべきなのです。守旧派を論功行賞で登用せざるを得なかったのは理解できますが、のさばらせては駄目です。 世界はグローバル化しています。20世紀から21世紀に移り世界は質的な転換を遂げています。日本経済は順調に回復してきましたが、日本の政治も旧来の政治システムから解放されなければ、日本は世界の中で負け組に成り下がります。 日本の政治システムは構造改革で族議員、官僚から解放される方向に進んできましたが、過去の亡霊が息を吹き返す機会を虎視眈々と狙っています。政治の流れは構造改革の方向に流れているのですが、逆行させようとすれば流されます。 道路特定財源、造反組の復党で安部首相がリーダーシップを取れれば政権を浮上させるチャンスです。小泉前首相は乾坤一擲の勝負に勝ちましたが、安倍首相も乾坤一擲の勝負に出るべきです。世論は安倍首相を必ず支持するでしょう。 世論の支持を失い、死に体内閣として歴史に汚名を残すか、初の戦後生まれの首相として歴史に名を残すかの勝負を掛ける時です。政治家として優柔不断は恥です。北朝鮮問題で世論の支持を最も必要としている今こそ決断の時です。
2006/11/06
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テレビでも放映されていますが、ツキノワグマが各地に出没しているようです。住宅地にまで頻繁に出入りされては住民が不安感を抱くのも無理がないと思えますが、射殺されたツキノワグマの姿を見ると素朴に同情してしまいます。 ツキノワグマが人里にまで出てくるのは、山の生態系が悪化してきた証拠です。去年はブナの実が豊作でしたが、今年は山の幸が少ないようです。熊が人里にまで出没するようになったのは、山に人手が入らなくなってきたからです。 熊と人間は古来から共存してきました。山里が存在し、手入れされた人工林がある環境が熊にとっては住みよい環境なのです。熊は人間の生活圏の外側に住んでいますが、山に入る人間を避けながらも人間と共存しているのです。 最近山に人が入らなくなり、人工林が荒れ果ててきました。間伐がされない人工林ではドングリが実らなくなり、餌が不足してきます。さらに、人間と熊との境界線が崩れてきましたので、人里にある美味しいものを漁りに出てくるのです。 熊が人間の姿に慣れてしまい人間を避けなくなってきたのです。人間の居住地区に行けば美味しいものがあることを覚えた熊が餌を漁りに出てくるのです。熊の捕獲数も増えていて、昨年の4倍に近い2500頭近くに達しているそうです。 ツキノワグマの生息数は減少傾向にあり、保護を必要としている地区も増えてきています。ツキノワグマは日本狼が人間と共存できなかったように絶滅する可能性もあります。熊と人間が共存できる環境が双方にとって相応しいのです。 そのためには、山里が寂れないような政策が必要です。日本の山は人間が手入れしてきた自然林が主体です。日本は近代化された社会の中で森林を守り抜いた唯一の国かも知れません。江戸幕府による森林保護は世界に誇るべき政策でした。 山に人手が加えられて森林が保護され、木材の伐採も厳重に制限されてきたのが戦争中に乱伐され、杉の人工林に変えられました。熊には広葉樹からなる自然林の方が餌は豊富にあります。ドングリを始めとした食材が多いからです。 自然林の方が貯水量も豊富にあり、生物相も豊富です。生態系も豊かです。昔は鎮守の森があり、自然が保護されていました。人間には心の故郷として自然が必要なのです。経済原理では計り切れない効用が自然界にはあるのです。 森林浴は知られていますが、それ以外の有形無形の効用が森林にはあるのです。熊と共存できる自然が熊だけではなく人間にも有用なのです。団塊の世代が定年を迎えますが、定年後の生活を山里で送る人が出てくればよいと思います。 現代社会の喧噪の中で疲れてきた人たち、学校生活に適応できない子供たちなどの心身のリハビリの場所、サナトリウム的な場所として活用するのも良いだろうと思います。自然の中での心身のリハビリは効果があるだろうと思います。 また、子供たちの教育の場所としても活用できます。山里に青少年の家、キャンプ場などを設置し、長期的な自炊生活の場を提供することにより、子供に集団生活を体験させることもできます。受験教育とは違う教育も子供には必要です。 日本の都市には緑がありませんが、郊外に出れば緑があります。かつてのローマ市民はローマでは狭いアパート暮らしに耐えていましたが、郊外の別荘での生活を楽しみにしていました。別荘での生活こそが彼らの求めた生活でした。日本人も都会での生活の疲れを癒すために、自然の中で過ごす時間が必要です。
2006/11/05
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高校生の必修単位の未履修が問題になっていますが、50時間の補習授業を受ければ卒業できることになりました。生徒には全く落ち度がないことですから、受験直前の冬休みに補習授業を受けなくとも卒業させるのが順当なところです。 必修単位の未履修は過去にも問題になっていたのですから、文部科学省が知らなかったはずはありません。未履修は長期にわたり慣行とされており、構造的な問題だと思われます。教育関係者の間では暗黙の了解事項であったのでしょう。 とにかく全国の高校生の10人に1人は補習授業を受けざるを得ない状況は異常です。受験校が必修科目を受験科目に置き換えていたのが表面化したようですが、「やっぱり!」というのが大多数の人が受けた印象だろうと思います。 むしろ、「今頃になって」という戸惑いの声が教育関係者からは聞こえてきそうです。このような受験校の慣行は団塊の世代にもありましたが、これほど露骨ではありませんでした。校風に合わせた独自のカリキュラムがありました。 団塊の世代には授業の科目が余りにも複雑ですので必修科目が何かが理解できませんでした。社会科では世界史だけが必修ですが、理系は理科2課目、社会1課目、文系が理科1課目、社会2課目が必修の方が分かりやすいと感じました。 大学受験に必要な課目以外を必修にしても生徒も勉強する気が起きないでしょうから、理系、文系に分けて5教科6課目を必修にし、その他の課目を選択制にして、学校独自のカリキュラム編成の自由度を上げるのが良いと思えます。 受験校の受験優先のカリキュラムと普通校の指導要領に従ったカリキュラムとの差が極端に開き過ぎています。受験校には受験に偏重せざるを得ない柵があります。学校のカリキュラム編成の自由度を上げないと同じことが繰り返されます。 日本の教育の欠点は多様性を認めないところにあります。例えば東京芸大の入試でもセンター試験を受けなければならないような制度は受験生から個性を奪い去ります。天才、芸術家はセンター試験には適応せず、落ちこぼれてしまいます。 一方、指導要領に従えば受験勉強に必要な授業時間が取れませんし、授業に追いつけない生徒も出てきます。高校全入時代ですから、学校間に格差がなければ能力に応じた教育を受けられません。教育に平等と言うことはあり得ないのです。 日本では能力別イコール差別感、疎外感を生むからいけないと言われますが、社会に出れば能力に応じた評価しか受けません。子供の時から能力に違いがあることを認識させませんと、大人になってから社会に適応できなくなります。 学校教育の目的は子供の適性を伸ばすところにあります。義務教育を終えたのですから、高校では自主的なカリキュラムに従って教育をすればよいと思います。中高一貫教育ならば、普通の高校と違うカリキュラムになって当然です。 エリート校にはエリート校らしい教育、受験校には受験校らしい教育、普通校には普通校らしい教育、実業高校には実業校らしい教育、宗教教育校には宗教教育校らしい教育、芸術校には芸術校らしい教育を認めるのことが大切です。 補習授業が必要な東大生が出てくる受験制度を根本的に改めなければ、日本の教育は再生できないでしょう。センター試験の弊害が高校教育に波及しているのです。大学が個性的な入試をすれば、高校教育にも多様性が出てくるでしょう。
2006/11/04
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憲法も還暦を迎えましたが、憲法改正のための手続き法が存在しません。民主主義国家、法治国家において国民が憲法を改正する手段を持たないのは異常だと思います。国民投票法が存在しないのは立法府の不作為による怠慢の結果です。 自民党、民主党は改憲を主張していますが、政争の手段として弄ばれているような気がします。民主党は前原前代表から小沢代表に代わり、自民党との対立軸を造るのが目的化し、安全保障について自民党と対話できなくなりました。 社民党、共産党は非武装中立を墨守するために国民投票法に反対していますが、民主主義のルールに反しています。平和憲法を守り抜くためにも国民の意思を問うべきです。世論調査の結果も国論が二分されているので決着を付けるべきです。 民主主義は次善のイデオロギーだと思いますが、これに変わるイデオロギーを人類は持ちません。ワイマール憲法のような民主的な憲法の下でも民主的な手続きを経てナチスの独裁政治が完成しましたが、それが人間の限界なのでしょう。 現在の日本の政権与党は衆議院の定数の2/3を占め、理論上憲法改正発議以外の法案を成立させることができますが、安部首相が強攻策を取るれるとは思えません。小泉前首相でさえも強権を発動することを自制したぐらいだからです。 先ず、与野党は不磨の大権と言われた憲法の改正手続き法について協議すべきです。憲法改正についての主張を論じ合う前に、その前提となる国民投票法案を国会に提出し、国会審議を進めるべきです。審議の場を奪うのはルール違反です。 安倍首相は憲法改正に対し強い意欲を海外のマスコミに語りましたが、首相の任期中に国民投票法を成立させ、改憲への道筋を付けるぐらいのスタンスでいて欲しいほしいと思います。憲法改正に決着を付けるにはまだ機が熟していません。 憲法改正論議では憲法9条改正が中心となりますが、環境保護、情報社会など新しい概念を憲法に取り入れることも必要です。憲法を全面的に改正する立場から部分的に必要な条項を加える立場、改正阻止まで主張を明確にすべきです。 国論は2分されるでしょうが、日本に民主主義を確立させるためには通らなければならない道筋です。平和憲法を守る立場からも国民的な議論が必要なのです。党利党略に翻弄された結果が憲法改正論議すらタブーにされてきたからです。 平和憲法を守り抜くには国民の強い意志が必要です。スイスは武装中立の道を選びましたが国民皆兵制度を取っています。非武装中立の道は武装中立よりも遙かに険しい道です。北朝鮮に対する備えを抜きにした議論は机上の空論です。 日本が核武装するのは非現実的な空論ですが、アメリカの核の傘の下に入らなければならないのは現実です。北朝鮮が核武装すればアメリカの核抑止力に頼らざるを得ないからです。日本が潜在的核保有国であり続けるのが抑止力になります。 力の均衡による平和は核保有国が増えれば破壊されます。テロ組織に核兵器が渡れば世界はカオスに突入します。現在の核保有国が核を独占できる体制が永遠に続くとは考えられません。力の均衡で保たれている世界はやがて破られます。 日本は南アフリカやリビアのように核開発を放棄した国が有利になる世界を構築しなければなりません。日本は海洋国家ですから、軍事力で平和を維持できると考えるのは幻想です。軍事力ではシーレーンすら守り抜けないからです。
2006/11/03
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耐震偽装事件は姉歯元建築士の耐震データー改竄が発覚したところから、マンション業者、建設会社、コンサルタント会社を巻き込んだ一大疑惑に発展しましたが、残されたのは耐震基準に合わないマンションを買わされた住人です。 バブル崩壊から景気が回復し、都心のマンションブームがミニバブルの様相を呈してきた時に発覚した耐震偽装事件は、バブル時代を彷彿とさせるモラルハザード、倫理観の欠如が現在も平然と行われている現実に目を向けさせました。 バブル時代のモラルハザードの結果、日本経済は破綻寸前にまで落ち込みました。小泉改革で経済は回復しましたが、規制緩和で民営化された確認検査機関が耐震データー改竄を見逃してしまい、建設確認証書を発行してしまいました。 設計確認検査機関のイーホームズが耐震データーが改竄されているのを指摘したのですが、改竄された耐震データーに基づき建設された物件が100件を越していました。特にマンション、ホテルなどの住居部分の多い建物が大多数でした。 設計確認検査機関のイーホームズの藤田社長は国土交通省の責任を激しく追及しましたが、裁判では認められませんでしたが、彼の主張には頷ける点があります。国土交通省の設計確認検査の民営化には意図的な瑕疵があったと思われます。 国土交通省の確認検査の民営化は民営化の流れに沿いながら確認検査をしていた役人の合法的な天下り先の確保という側面がありました。確認検査をできる実績を持っているのはこれまで確認検査をしていた役人しかいなかったからです。 霞ヶ関の官僚がしてやったりと胸を張ったという噂も流れているようですが、天下り先として人事院からもクレームが付けられない民間会社を設立可能させました。霞ヶ関の官僚としては理想的なシステムを造り上げたわけです。 霞ヶ関の机上のプランだけで造られたシステムですから、現実に運営するには様々な問題があったようです。会社の利益のためには手抜きをせざるを得ないシステムであったようですが、イーホームズが改竄を発見し、届け出をしました。 藤田社長はデーター改竄を発見した時点で国交省に届け出たのに処分をされたのは不当であると主張しました。談合でも公取委に自主的に届け出れば免罪されますのに、職務を正当に執行したのにも拘わらず処分されたからです。 藤田社長は国策捜査で強引に別件で立件され、罪を負わされたような気がします。罪を問われるべきなのは不完全なシステムを造った国交省の官僚の方です。耐震設計のデーターが改竄される可能性を予見していなかったからです。 姉歯元建築士、木村建設の木村元社長、「ヒューザー」の小嶋元社長のような制度を悪用する人間が出て来るのはむしろ当然です。検査義務を民営化するのに際し、チェック機構の整備を怠ったのは天下り先のためにした行政の不作為です。 現在も耐震基準が満たされないマンションに住んでいる人や、立て替えの費用を捻出しなければならない被害者に対する保障すらなされていないのが現状です。この事件は特殊な事件ではなく、検査義務の民営化に伴う構造的な事件です。 官から民への流れに乗って既得権益擁護に走る官僚の蠢動は許されません。天下り先を確保するために「何でもあり」は許されません。役人にも定年後の生活がありますから、転職は構いませんが、常識の範囲内の仕事に限るべきです。
2006/11/02
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北朝鮮が6者会議に復帰するそうです。中国からの圧力に屈したかのように見えますが、北の将軍様はそう簡単には折れないだろうと思います。アメリカの中間選挙を横目で見ながらの取引には、彼なりの勝算があるのかも知れません。 安倍首相は北朝鮮に対する制裁をゆるめる気はないようです。拉致に関してもアメリカのボルトン国連大使も好意的ですから、拉致に対する国際包囲網も強化されてきたといえます。拉致問題を理解する声も国際社会に広がってきています。 昨年に続き北朝鮮の人権状況を非難する決議案が国連総会に提出される予定です。拉致問題は「強制的失踪という外国人拉致に関する未解決の問題」として「国家主権と関係する個人への人権侵害」と表現し、非難のトーンを強めています。 拉致は国家主権を侵した国家犯罪ですから、原状回復が原則です。北朝鮮の元工作員・安明進氏さえ特定失踪者の拉致認定の法廷で、「日本政府は脱北者による目撃情報を生かして、古川さんの拉致認定を急ぐべきだ」と訴えたぐらいです。 日本国には拉致問題を黙殺した歴史があります。公安当局は北朝鮮の工作員の不自然な行動を把握していたのにも拘わらず、総てを闇の中で処理をしてしまいました。事件として立件されることはなく、拉致はあり得ないとしてきました。 革新政党は拉致を反北朝鮮キャンペーンだと主張し、拉致に取り組む人々を非難中傷しました。社会党の村山党首の訪朝でも拉致は全く取り上がられませんでした。政治問題として取り上げられたのは拉致家族の救う会の働きによります。 日本政府、政治家には拉致問題について不作為であった過失があります。日本国民には拉致被害者に対する過失の責任を取る義務があります。国民が拉致されたのにも拘わらず、日本政府には拉致の事実を隠蔽してきた責任があるからです。 団塊の世代である私の脳裏には北朝鮮が「地上の楽園」と宣伝されていた時代の記憶が残っています。マスコミも、学校でも、そう宣伝されていたと思います。金日成に日本中が騙されていたのですが、マスコミ、教師の責任は重大です。 マスコミは北朝鮮批判、拉致批判をしますが、マスコミも北朝鮮と同罪です。小泉前首相の日朝会談がなければ、政治家もマスコミも拉致の事実から目を反らし続けていたでしょう。マスコミが健全な報道を怠った罪は大きいと思います。 日本において拉致問題が放置されてきた原因を明らかにする義務がマスコミにあります。報道の自由を自ら放棄したと思われても仕方がない言動が、マスコミ各社にはありました。自ら自身を検証してから、拉致問題に取り組むべきです。 拉致問題が国際社会に受け入れられるためには、当事国である日本ですら拉致の事実を隠蔽してきた過去があることを認めるべきです。拉致の事実を認めない国に日本の過去を説明し、日本政府が真摯に反省している事実を伝えるべきです。 拉致の事実を認めない国家、認めても消極的にしか動けない国家にはそれなりの理由があります。10年前の日本がそうであったように、拉致を認めては政治的なリスクが大きすぎるからでしょう。日本からの物心両面の援助が必要です。 国際政治の場は正義が必ずしも正義として通用する場ではないでしょうから、日本の外交努力が必要です。拉致が事実であれば個人的には肯定する人はいないでしょうが、国益が絡むと論理的に正しくても通用しない現実があるからです。
2006/11/01
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