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高知新聞によると、高知県における飲酒運転検挙者数、事故数ともに減少しているようです。県の飲酒運転撲滅に対する積極的な取り組みと飲酒運転に対する取り締まりの強化と厳罰化の結果と考えられるようです。 北九州市の中橋からの転落事故を契機に、各自治体が飲酒運転の罰則の強化に取り組んでいるようです。高知県庁ならば当たり前の飲酒運転即免職は自治体の常識ではなかったようです。 高知県警の統計を見れば、気楽に飲酒運転をしていた層が取り締まりと罰則の強化に目覚め飲酒運転を控えているのが分かります。一方、問題飲酒者の飲酒運転常習化は止まらないように思えます。 取り締まりの強化が有効なのは正常な判断力を持った人の場合であり、問題飲酒者、アルコール依存症の人間には無力です。言い換えれば、飲酒運転をする者はアルコール依存症と見なしても良いと言うことです。 飲酒運転に対して世論が厳しいのを知りながら飲酒運転をする者は正常な判断力を失った者として取り扱うべきでしょう。単に罰金を科すだけではなく、アルコール依存症の治療を強制的に受けさすべきです。 教育刑、ボランティアをさせる等、の導入が議論されていますが、飲酒運転の場合はアルコール依存症の治療を受けるか、断酒会、A.A.などに参加することを義務づけたらよいと思います。 アルコール依存症の人間はアルコールを飲めば正気を失います。飲酒運転に対する抵抗感は消え去ります。走る凶器そのものに化します。アルコールを断たない限り、生きる凶器として存在し続けます。 高知通運の運転手が高速道路で飲酒運転事故を起こし、幼児2名が焼殺されたのを契機として危険運転致死傷罪が制定されましたが、厳罰化しただけではアルコール依存症の人間の飲酒運転は減らないでしょう。 社会も飲酒運転をした者をアルコール依存症と見なし、強制的に治療を受けさすだけの意思を持たなければなりません。日本ではアルコール依存症に対する認識が甘すぎます。 私自身がアルコール依存症ですからアルコール依存症の恐ろしさを身に染みて知っています。アルコール依存症の人間にはアルコールは文字通り気違い水です。アルコール依存者の人権に配慮することが被害者を生み出しているのです。 アルコール依存症は社会に害を及ぼす病気ですが、断酒しさえすれば普通の人間と全く変わらない人生を送ることができます。アルコール依存症は否認の病気だと言われますが、飲酒運転即アル中と見なせばよいのです。 病気ならば治療しなければならないのは当然ですが、アルコール依存症の治療を素直に受ける者は先ずいません。飲酒運転をアルコール依存症のリトマス紙として活用すれば、悲惨な末路を迎えるアルコール依存症の者も減ります。 アルコール依存症は家族を巻き込みますし、社会を巻き込みます。飲酒運転では加害者の人権よりも被害者の人権を優先させるべきです。厳罰化よりもアル中専門病院に強制入院させる方が効果が上がりますし、社会の負担も軽くできます。さらに、断酒ができる人が増えれば家族も救われますし、社会にもプラスになります。 西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/30
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安倍首相が拉致問題に関わり始めた時には政治家としてリスクの方が大きかったでしょうが、拉致問題に取り組んだ姿勢が評価されて首相に就任しました。社会党は拉致問題を反北朝鮮キャンペーンだと最後まで認めず泡沫政党になりました。 拉致被害者家族会は社会党が理解を示してくれることを期待しましたが、自民党の安倍代議士が真剣に取り組んでくれたのは嬉しい誤算であったでしょう。自民党の実力者たちは北朝鮮から得られる利権にしか関心がありませんでした。 金丸訪朝団が利権にしか興味がなかったのは分かりますが、社会党の村山元首相が加わった訪朝団が拉致問題に触れられなかったのが社会党の限界でした。今から振り返れば社会党の凋落の前触れであったのでしょう。 自民党、外務省の北朝鮮に対する姿勢は朝貢外交としか評価しようのない体たらくでした。北朝鮮は「たかり」で生きている国ですから、具体的な見返りがはっきりしない段階で安易に貢ぎ物を与えてはならないのです。 外務省にはタフなネゴシエーター(人質解放のプロ、交渉人)がいなかったようですし、政治家は利権だけを求めていました。ネゴシエーション(交渉)は 犯罪人との取引ですから安易な妥協は認められません。 小泉首相の訪朝を演出した外務省の田中前局長はミスターXとの個人的なルートを使いました。金総書記に拉致を認めさせたのは大きな功績ですが、拉致を根本的に解決する姿勢がありませんでした。 田中局長は多額の援助を、1兆円ぐらいと推定されますが、保障することにより日朝国交回復を図ったのでしょう。彼には拉致問題は交渉材料の一つでしかなく、適当なところで手を打つ準備をしていたようです。 しかし、小泉前首相が日朝会談で安易なネゴシエーションをする外務省の担当局長ではなく、タフなネゴシエーターである安倍総理の進言を取り入れたのが小泉政権を浮揚させるのに大きく貢献しました。 小泉前首相の真紀子外相更迭で落ちた支持率を回復するために打った博打は成功しました。アメリカとの外交関係を崩さず、金総書記を手玉に取れた背後にはタフなネゴシエーターである安倍首相がいました。 小泉前首相が政治家安倍晋三を自らの後継者として認めた瞬間であったのではないかと思います。拉致された5名とその家族を日本に連れ戻せたのは、小泉前首相の背後に安倍首相と中山補佐官との連係プレーがあったからでしょう。 拉致問題解決は従来の自民党、外務省の朝貢外交では解決しません。「たかり」を生業とする国家に対しては、専門家、ネゴシエーターが必要です。安易な妥協を一切しないのが彼らのネゴシエーションの基本です。 日本の従来の外交にはネゴシエーションが見られませんでしたが、国連の安全保障理事会で北朝鮮のミサイル発射に対する非難決議を取りまとめたのが日本の外交元年かも知れません。これを演出したのも安倍、麻生コンビでした。 安倍首相の新保守主義には団塊の世代は危険な側面を感じますが、戦後生まれの政治家が日本の政治を牽引するのは当然だと思います。バブルに踊った政治家はバブルの責任を取って政治の表舞台から消え去るべきです。
2006/09/30
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言語能力はおそらく3歳ぐらいまでに基礎が固まってしまうと思われます。お母さんや周囲の人との会話から日本語を母国語にして脳が形成されます。帰国子女に多いバイリンガルはこの時期に2か国語を聞かされて育った特殊な人です。 小学生にもなれば、言語中枢には既に日本語を母国語とする文法が刷り込まれています。ネイティブな英語を身に付けるには遅すぎます。頭の中で英語を日本語に翻訳し、日本語を英語に翻訳して理解しているに過ぎないのです。 小学生時代に覚えるのが良いと思われるのはネイティブな発音ですが、ネイティブな英語を話せる教師を十分に確保できるとは思えません。日本語式英語しか話せない教師から英会話を教えられれば成人してから矯正するのが大変です。 日本語が母国語として刷り込まれているのですから、日本語の能力を付けるのが肝心です。英語よりも古典の素読をさせるべきでしょう。子供の時から漢字に馴染ませ、漢字を図形として認識させるのです。 素読は仮名さえ振ってあれば誰にでもできます。深い意味を教える必要はなく、読み方を指導すればよいのです。子供たちはゲーム感覚で覚えるでしょう。夏休みの宿題で、小倉百人一首、奥の細道、平家物語を読まされたのを思い出します。 その時は受験勉強のために読まされてと思っていたのですが、和歌、俳句、琵琶法師が吟じる、いずれも声を上げて読み上げる作品でした。古典の先生が受験勉強を兼ねて教え子に日本語のリズムを覚えさせようとしたのでしょう。 漢字も図形認識ですから、子供の時に覚えさすのが一番です。日本に留学してきた学生が一番困るのは漢字だそうです。漢字を覚えるには脳が完成しすぎているからです。漢字を図形として認識する能力が既に衰えているのです。 役に立つか立たないか分からない英語に貴重な事業時間を使うよりも、日本人なら確実に役に立つ古典の素読をさせるべきです。百人一首を楽しんでも良いですし、俳句を朗読しても良いですし、琵琶法師を聞いても良いと思います。「師、曰わく…」も良いでしょうし、漢詩を吟じさせても良いのだろうと思います。 私たち団塊の世代は意識的に古典から目を反らせられていたようです。小学校の低学年からもう少し古典に勤しんでいたならば、日本語の理解力も少しはましなものになっていただろうと今から振り返れば悔やまれます。 小学校から英語を教えようという親の声は、親の世代の英語コンプレックスの裏返しだろうと思いますが、自らの国語能力の足らなさを自覚してもらいたいものです。親の足らなさを子供で補おうとする親の姿は見苦しいと思います。 英語はできなくても実生活には差し支えありませんが、日本語ができなければ実生活に差し支えます。総ての学問の基礎は日本語にあります。日本人の論理的な思考は日本語がベースになっているからです。 読み、書き、算盤が義務教育の基本です。日本語ができなければ日本人とは言えません。美しい日本は先ず美しい日本語を話すことから始まります。耳から美しい日本語を学べば、自ずと美しい日本語が読み書きできるようになります。 小学校の限られた事業時間を役にも立たない英会話に使うのではなく、日本人ならば必ず身に付けなくてはならない日本語の基礎を、古典の素読を通して耳から覚え、漢字を目から覚えることが大切です。
2006/09/29
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高松高裁がオンブズマン高知の高知県警の捜査資料不開示を不当とした訴えに対し、捜査1課だけではなく捜査2課、暴力対策課の資料の開示を命じました。県警の開示により受ける不利益よりも公共の利益が優先すると判断しました。 非常に常識的な判断だと思います。捜査費用の不正使用は警察の構造的な不正だと市民は感じています。北海道警だけではなく、いくつかの県でも不正使用が明らかにされているからです。裏金疑惑は全国的に広がっています。 高知県の橋本知事でさえブログに立法措置を執るしかないかと書き込んでいるぐらいです。県警本部長が知事に明らかに反旗を翻せる制度は地方分権の時代に反しているように思います。昔のように自治体警察が良いのかも知れません。 警察庁からの天下り官僚に支配されている県警の実態は民意を反映しなくなってきています。警察行政のためには全国規模のネットワークが必要なのは分かりますが、キャリア官僚の出世の道具にされる県警はたまりません。 不正使用された捜査費は捜査費用名目の経費が裏金とされ、キャリア官僚のために使われているという疑惑は晴れていません。市民は県警の内部調査よりも県の監査委員会の調査報告の方が真実に近いと感じています。 岐阜県で多額の裏金が発覚しましたが、県警にも裏金が隠されているのはないでしょうか。北海道警やいくつかの県警だけの問題ではなく、全国の警察で裏金がプールされているのではないでしょうか。 高知新聞が粘り強く取材し、記事にしましたが、県警は自らの疑惑さえ解決できないのでしょうか。「李下に冠を正さず」と言いますが、警察が市民から信頼されなくなれば、市民は誰を頼ればよいのでしょうか。 日本の警察は倫理観が高いので世界的に有名ですが、自ら襟を正すことができなければ、賄賂を平気で要求する二流警察に成り下がります。現場の警察官が真面目に責務を果たしているのに、それを貶めるような行為は止めてください。
2006/09/29
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佐藤福島県知事が実弟の汚職事件を期に辞職しました。佐藤前知事は5期18年に渡り福島知事を務めていました。佐藤前知事は元知事の汚職で混乱した県政を立て直すために参議院から鞍替えし、当選しました。 対立候補は建設省の天下り官僚で、建設業界が一致して支持しました。佐藤前知事が建設業界の談合体質を批判し、選挙前の予想に反し当選しました。県民のクリーンな政治を望む声が業界丸抱え候補にノーを突きつけたのです。 佐藤前知事はクリーンな政治を守るために、業界との付き合いを一切絶っていたそうです。前知事のガードが強いので、業界有力者が実弟にターゲットを絞ったようです。選挙参謀を巻き込んだ汚職事件に発展しました。 前知事の関与があったのかどうかは分かりませんが、実弟が虎の威を借りる狐を演じていたのは間違いありません。前知事の生家の家業、スーツ製造業を継いだ実弟の会社のスーツが通行手形代わりになっていたそうです。 業者は実弟に賄賂を渡し、県の工事を請け負っていたそうです。元県幹部も一翼を担っていたそうです。前知事はあるいは知らないことであったかも知れませんが、「李下に冠を正さず」、辞職は当然だと思います。 前知事は知事会副会長を務め、国のプルサーマル政策に対しても批判的でした。「物言う知事」として知られていました。県政に詳しく、県庁の裏表を知り尽くしていたと言われます。役人は口を挟むことができなかったようです。 県議会もチェック機能を失っていたと言われても仕方がないでしょう。業者の声は県議会議員の耳にも届いていたはずですが、猫の首に鈴を付ける役割を果たす人間がいなかったのでしょうか。 福島県は「地産地消」を建設業界にも適用し、地元業者を優先するシステムができていたようです。このシステムが談合の温床となった可能性が指摘されています。業界、政界、官界を巻き込んだ官製談合の疑いがあります。 埼玉県でも前知事の長女が父親の虎の威を借りて汚職をしていた事件もありました。知事には大統領並みの権限が集中するので、知事の周りには利権を漁る狼が跋扈しています。隙を見せたる食いちぎられます。 佐藤前知事は少なくともクリーンであり続けるように努力していたようですが、身内が取り込まれてしまいました。一説には国の原子力行政に楯突いたのに対する国政捜査だと言われていますが、突き入る隙を見せたのは事実です。 前知事が実弟の行動を知らなかったとすれば、既に裸の王様であったのです。知事としての情報網に致命的な欠陥があったと言うことです。ワンマン知事が陥りやすい陥穽です。諫言をしてくれる部下が一人もいなかったのでしょう。 多選知事にはワンマンな人が多いようです。仕事はできるのですが、取り巻きに諫言をするような人材がいない人が多いようです。市民の声が役所の中で揉み消され、役人に都合の良いことしか知事の耳に届きません。 知事は市民の声を直接に聞く機会を持たなくてはなりません。目安箱を持たなくてはならないのです。ブログを活用するのも良いと思います。役人は隙を見せると知事の目と耳を塞ごうとします。「ぷらっとこうち」を閉鎖したようにです。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/29
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奈良地裁は奈良市の小1女児誘拐、殺害事件で元新聞販売店員の小林薫被告に、求刑通り死刑を言い渡しました。小林被告は性犯罪の前科があり、刑務所から出れば再び性犯罪を犯す可能性を認める証言をしていました。 殺人事件には最高裁判例「永山基準」が適用され、3人以上を殺害した場合には死刑が相当といわれていました。1人を殺害して死刑判決を受けたケースは特別な理由、殺害法が残忍、仮釈放中が考慮された場合に限られていました。 広島地裁の小1女児殺害事件のペルー人被告もわいせつ目的での殺人でしたが、無期懲役が選択されました。このケースでは、被告がペルーでも性犯罪を犯したらしいのですが、検事が公判で立証できなかったからでしょう。 異常性愛者による凶悪犯罪が最近目立ちます。世界的に見れば、異常性愛者対策はかなり進んでいます。医療施設に隔離収容するケースも見られますが、居住場所の制限、治療継続の義務化などの制約を加える場合が多いようです。 社会も異常性愛者から子供を守るために、異常性愛者のリストを警察が所持する場合から、インターネットで公開されている場合まであります。異常性愛者の居住を拒む地域もあるようです。子供を守る権利が主張されるようになりました。 日本では人権擁護の立場から、異常性愛者は放置されてきました。最近まで警察には異常性愛者のリストすらありませんでした。刑務所から出れば社会に復帰することができ、過去は問われない制度になっているからです。 異常性愛者が治療可能なのかは医学的に難しい問題でしょうが、社会が異常性愛者から子供を守る制度を日本も取り入れる必要があるでしょう。現在の法制度の下では社会が子供を守ることすらできなくなっているからです。 法改正で性犯罪を犯した人のリストが警察にやっと渡るようになりましたが、行方不明者がかなりいるようです。加害者の人権問題が先にきて被害者、社会の人権が後にされる日本の法制度には根本的に問題があると思います。 異常性愛者と犯罪を犯した異常性愛者とは分けて考えるべきです。性犯罪を犯した異常性愛者は社会の厳重な監視の下に置くべきです。現在の名ばかりの保護観察処分ではなく、医療施設の活用を含めて厳重に保護観察をすべきです。 強姦罪が厳罰化しましたが、幼児に対する強姦罪を新設すべきです。ペルー人被告に対する判決では、裁判官は仮釈放をしないように求めましたが、死刑が躊躇される場合でも、仮釈放のない無期懲役、終身刑を新設すべきでしょう。 仮釈放された異常性愛者を社会が厳重に監視できないのならば、彼らの仮釈放には抑制的であるべきでしょう。厳罰化が問題の根本的な解決にはならないかも知れませんが、彼らと社会との棲み分けも考えざるを得ないかも知れません。 精神病で心神喪失とされて無罪となった犯罪者とは別な意味で犯罪を犯した異常性愛者は普通の犯罪者とは処遇を変えるべきかも知れません。単に刑務所に収容するだけでは問題は解決せず、医療刑務所での治療を考えざるを得ません。 鉄格子のある閉鎖病棟での体験から思いますが、ある数の人たちを社会から隔離するのも仕方がないと思います。悲しいですが、それが現代医学の限界です。しかし、かつての閉鎖病棟のような無法地帯にしてはいけないと思います。 瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/28
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安倍政権が誕生しました。あるテレビでは「論功仲良し」政権だと揶揄されていましたが、言い得て妙だと思いました。小泉前首相のようなカリスマがない安倍首相にできる範囲内で個性を出した人事だと評価します。 政治家になって10数年しか経っていない安倍首相を抜擢したのは小泉前首相でした。小泉前首相の「自民党をぶっ壊す」という公約は戦後生まれの安倍晋三を総理にし、安倍政権を誕生さすことで果たされました。 戦後生まれの政治家、自民党の従来の体制ならば陣笠議員に毛が生えた程度の政治家が閣僚や党の要職につくことは旧来の自民党の常識では考えられませんでした。自民党が世代交代を果たし、劇的に若返りしたといえます。 戦後生まれの世代、戦争を知らない世代に政治家としての能力を発揮する場が与えられたのですから、後は自己責任です。日本をバブルに導いた世代は政治責任を取らされたと考えれば分かりやすいと思います。 安倍首相の政治姿勢は官邸主導にあるのでしょう。閣僚には自民党の慣例に従った論功行賞人事を行いましたが、官邸のスタッフには気心の知れた人材をあてました。安倍首相の同志とも言える人たちを集めました。 ホワイトハウスをモデルにしているようですが、安倍首相らしさを発揮すればよいと思います。安倍首相は戦後体制の清算を目指していますが、戦争を知らない世代が取り組む政治課題だと思います。 団塊の世代は戦争を知らない世代の右傾化、保守化に危惧を抱いていますが、これからの日本は彼らが指導すべきです。団塊の世代の上と下とでは世代間ギャップがありますが、民主主義のルールに則り世帯間で争えば日本は活性化するでしょう。 安倍首相の登場は戦後政治に一区切りを付けた意味で大きいと思います。自民党は世代交代に成功しましたが、民主党は前原代表が自滅し、先祖返りをしてしまいました。今更、小沢代表が出てくる場面ではないと思います。 小泉前首相は最後まで世論の支持を受けながら「立つ鳥は跡を濁さず」、爽やかに官邸を去りました。権力の頂点にありながら自ら権力を放棄しました。死の床でも寝技を使う小沢流政治学と小泉流美学との違いは歴然としています。 民主党は構造的な歪みを抱えています。小沢、菅、鳩山のトロイカ体制は時代錯誤としか思えません。戦後生まれの政治家が育っているのに拘わらず、旧態依然とした体制から世代交代ができなければ民主党は滅びるでしょう。 日本のためには健全野党が必要です。民主党の存在意義が反対勢力としてだけならば、社会党と自民党が対立していた55年体制と変わりません。民主党が政権交代が可能な野党になるためには構造改革が不可欠です。 私たちはバブル経済とその崩壊とで大きな犠牲を払わされました。政治家と官僚はバブルの戦犯ですが、責任を取らされることもなく、口を拭っているだけです。武士道を礼賛するのならば、責任を取って腹を切れと言いたくなります。 自民党は世代交代の流れを絶えさせてはなりません。先祖返りをさせたい老人がたくさんいますが、自民党は構造改革を断行すべきです。民主党はトロイカ体制から早く脱却し、世代交代を実行させなければ存在意味が無くなります。 瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/27
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高知市の健康づくり課から介護給付費支給決定通知書、障害程度区分認定書、高知市独自の減免制度説明書が届きました。同封されている同意書も個人情報保護法に配慮なされた適正な書式の同意書に変更されていました。 自己負担減免上限額が非課税所帯の扶養家族で年収が80万円未満が月額15000円から5000円に、年収80万円以上が24600円から8200円に減免される通知でした。平成20年4月からは同10000円、16400円に増額されるようです。 障害者自立支援法での施設利用料、自己負担1割は「福祉はただ」の世界から「福祉も自己負担」、「自己決定、自己責任」の世界へ大きく舵を切りましたが、低所得層への配慮がなされていませんでした。 例えば、作業所に通う人たちの多くは施設利用料が報償費よりも高くなり、低所得者層の人たちが通所できなくなりました。障害年金を受給しているにしてもかなりの負担増になり、施設利用が十分にできなくなる恐れがありました。 高知市の減免措置後の利用料自己負担程度が自己負担の限界だと感じられますが、福祉の世界にも自己負担を求める制度改変は社会保障費の抑制にも効果があるばかりではなく、福祉施設のサービス改善にも大きく寄与すると思います。 日本には北欧型高福祉社会は不向きです。消費税が20%台、国民負担率が70%程度の社会に日本人は耐えられないからです。消費税が10%程度、国民負担率が50%程度の社会が日本人に耐えられる限界でしょう。 障害者も国民が負担できる範囲内の福祉を考慮して生活設計をしなければなりません。ノーマライゼーション社会は高コスト社会です。私たちの力で社会の意識を変えさせ、福祉への配分を向上させるように努力しなければなりません。 福祉を与えられるのを待つのではなく、自らの力で勝ち取らなくてはなりません。障害者なりの活動をしなければ、社会から忘れ去られてしまいます。「自己決定、自己責任」の世界は厳しいようですが、自立を促す制度です。 障害者自立支援法は自立を促す意味では目指す方向は間違っていませんが、赤ちゃんにいきなり自立を迫るようなところがあります。自立も段階を踏まなければ、怪我をしますし、挫折のトラウマが残ることもあります。 私は精神障害者の自立は「職業を得て、自活する」ことなのか疑問を感じています。精神病院に長期に入院していた人、病気で仕事ができなくなった人はグループホームで生活できればそれでよいのではないでしょうか。 もう少し活力を取り戻してきた人の自立は、街中でアパートを借り、自立して生活できるのを目標にすればよいと思います。私は家内にもしものことがあれば、グループホームに入れてもらうつもりにしています。 むしろ、行政に求められるのは障害者が集まれる場所、小規模作業所などです。私たちに必要なのは仲間が集まり、共に時間を過ごせる場所です。精神障害者には社会復帰が目的の施設ではなく、仲間が集える憩いの場が必要なのです。 小規模作業所を労働施設として認め、賃金を支給できる制度に改めるべきです。労働施設ならば当然利用料はいりませんし、わずかでも労賃が得られれば励みにもなります。不要な施設に多額な税金を投入するよりも効率的だと思います。
2006/09/27
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1万個の実がなるトマト、温室内で適正な環境を保った水栽培のトマトの風景をかつて写真で見ましたが、ブドウの木のように枝が広がり、大きなリンゴが一杯に実っているように思えました。人口栽培の成果はすごいと思いました。 遺伝子操作をした特殊なトマトかと思っていたのですが、根を土の間に這わすのではなく、必要な栄養を溶かし込んで水だけで栽培した結果だそうです。成長を阻害する要因、土がなければ植物は生長し続けるのでしょう。 自然界では生物間に様々な要因が働き合い、生態系が形成されています。生態系のバランスは地球の歴史、生命の誕生から現代に至るまでの歴史、30億年の歴史を経て造り上げられてきたものです。 私たちは現在生きている環境を3次元として理解していますが、時間軸を加えて4次元として理解しなくてはならないのです。原生人類(ホモ・サピエンス)には15~20万年、人類には600?万年くらいの歴史があります。 日本でも人間が住んだ形跡は縄文時代、1万年前から見られます。律令制が始まったのは1400年前、幕藩体制は400年前、明治維新は140年前です。敗戦が60年前、生活感覚とは違うタイムスケールを考えなくてはなりません。 生態系を私たちの生活感覚で破壊してしまうと種の絶滅が起きます。例えば、アホウドリは海洋の孤島で繁殖していましたが、近代になり羽毛を取るために乱獲され、絶滅寸前になりましたが、人間が手助けし、自然繁殖が再開されました。 朱鷺、日本狼、日本カワウソなどが絶滅したのは知られていますが、既に絶滅した種はそれだけではありません。これらの種は人間が意図的に絶滅させたのではなく、文明化された結果、自然環境が生存に適さなくなったからです。 アメリカインディアンは17世紀にヨーロッパから移民が始まると激減しました。移民と共にヨーロッパからアメリカにない伝染病、天然痘などが持ち込まれ、免疫のない先住民が壊滅的な打撃を受けたのです。 西部開拓と共に彼らの生活の場が農地、牧場とされ、狩猟・採取生活が可能な土地を奪われてしまいました。開拓民から見れば不毛の土地であり、開拓しなければならない土地でしたが、インディアンには生活を支える土地であったのです。 私たち日本人は日本人自身が開拓民になり、日本自身の生活の場を奪っているのではないでしょうか。日本人が自らの生活の場を破壊しているような気がします。私たちが気がついた時には滅びへの道を転がり落ちているかも知れません。 ホモ・サピエンスには生物としての限界があります。農業が初まり、定住生活が始まってから文明は加速度的に進歩してきました。私たちは高速道路が張り巡らされ、新幹線が走り、飛行機が飛び交い、摩天楼が建ち並ぶ社会には適応できないのです。 スローライフが言われるようになりましたが、ホモ・サピエンスの生物学的スピードに合う生活を求める人たちも出てきたのです。物質文明を否定するのではなく、物質文明を人間のスピードに合わす必要があるのです。 生物としての人間は自然を必要とします。1万個も実がなるトマトのように、必要な物しか与えられない環境で純粋培養された人間はモンスターになってしまいます。わずかな環境の変化にも耐えられないようなひ弱な人間ができてしまいます。人間は自然と共生しなくては社会を維持していくことはできないのです。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/26
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私は行政サイドで原子力発電所の温排水が生物に与える影響をしていました。原電の営業第1号炉である浦底原発が営業運転を開始した時から、美浜、小浜、高浜、動燃の各原電の排水口を含めた沿岸海域の生態系が頭の中に入っています。 研究を始めた時には、参考にする文献もなく手探り状態でフィールドワークを続けました。温排水が排水口で6度、数km離れた地点でも1度以上昇温するから、周辺海域の生態系に影響を与えない訳がないと信じ込んでいました。 原電からの温排水が生態系に重大な影響を与えると考えるのが当時の科学者の常識でした。実験室内での昇温実験では水産生物のライフサイクルに影響が見られるという報告が国内でも得られていたからです。 反原発の市民運動家は室内実験の結果を根拠として反原発運動を進めていました。一方、周辺海域から炉心から漏れた放射能が発見されたのも事実です。いずれにしても、今から思えば観念論、神学論争の域を出えてはいませんでした。 生態系が乱れている証拠を見出そうとしましたが、フィールドにおける生物の適応能力は一般常識を超えたものがありました。研究職が先入観に囚われてはいけないのですが、研究の結果は従来の科学的常識とは逆に出てしまいました。 タンカーから重油が流れ出して、水鳥がタールにまみれて死んでいた情景は有名になりましたが、死の海となるとその後考えられていたのに拘わらず、比較的短期間で回復したそうです。現在は被害の後は全く見られないそうです。 おそらく、自然の回復力は人間の常識を越えたものなのでしょう。温排水で生物相が無くなる場合もありましたが、数年後には生態系は回復しました。排水口の中まで潜って何年も観察した結果ですので、そう間違った見解ではない筈です。 しかし、放射能については別です。放射能は人類が存続している間は消え去ることはありません。原発は人間が作った工作物ですから、必ず放射能漏れはありますし、放射能廃棄物は貯まるいっぽうです。 大切なのは、頭の中だけで考えた論理を現実に無理に適用しない態度です。人間の造る物には完全な物はなく、必ずリスクが伴います。リスク評価の基準を何処に置くかを社会各層で冷静に議論しなくてはなりません。 リスク0は原電のない社会ですが、現実的ではありません。エネルギー政策に迎合したリスク管理は大地震、直下型地震が起きた時に最悪の事態を招く恐れがあります。炉心が溶融すれば、回復不能な被害を与える可能性があるからです。 リスク管理が神学論争に陥ったら適正なリスク管理ができなくなります。情報公開を原則とし、討論の場を広く持つべきでしょう。グリーンピース的な環境保護運動は科学的な討論の場に神学論争を持ち込んでしまうので有害だと思います。 リスク管理には科学的な知見が優先しますが、最終的には日本人自身が決めるべき事柄です。政治、経済の論理が優先すると取り返しの付かない事態が起きる可能性があります。放射能による日本沈没が起きるかも知れないからです。 地学的時間は人類の時間とは桁が違います。現在得られている知見では地震の予知すらできません。私たちの感覚とは違う世界の論理で構成されている知見を、私たちの社会にどう適用さすかが問われています。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/25
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「豚も煽てりゃ木に登る」、友人に勧められてブログを初めて半年になろうとしています。アクセスが15000件を超えました。毎日100件を越すアクセスがあります。産経のブログ新聞izaからのアクセスも20件くらいあります。 原稿用紙4枚くらいのハードな(社会派に分類されていますらしい)ブログですが、毎日、飽きもずに読んでくれるブログ友(顔も名前も知らない)に感謝しています。社会で起きた事件を自分なりにまとめてみるのも良い経験です。 私は鬱病で30年間、寝たり起きたりの生活をしていましたが、5年前にSSRIのパキシルと出会い、健康な人に近い生活を送れるようになりました。脳の機能、脳内物質の代謝異常が薬により正常になってきたのです。 しかし、30年間、休眠状態にあった脳の機能を回復するためには脳のリハビリが必要でした。最初は図書館に通い、5年間で1000冊近い本を読みましたが、次は読むから書くにステップアップし、ブログを始めてみました。 30年間の空白を取り戻せないにしても、年相応の知性を身に付けたいと思いました。ブログを初めて、毎日、原稿用紙4枚程度のブログを書けるようになるにはかなりの時間を要しましたが、現在はブログを書くのを楽しみにしています。 私にとってブログは始めは脳のリハビリでしたが、今はブログの世界にのめり込んでいます。高知の片隅で発信した情報が全国を駆けめぐる時代は、マスコミ民主主義からブログ民主主義の世界の到来を予感させます。 橋本知事がブログを再開されたのを歓迎します。マスコミを通しては伝えきれない情報を市民に伝えるべきです。小泉首相の異常に高い支持率を支えたのは、彼のオーラをマスコミだけではなくメルマガを通して国民に発信したからです。 「ぷらっとこうち」ができた経緯は知りませんが、高知県の公設掲示板をインターネットの世界に設置するアイディアは先進的であったと思います。それが県の一部の職員の保身のために潰されるのは高知県民のためにも残念です。
2006/09/24
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上海市の摩天楼が中国経済の象徴として紹介され機会が多いのですが、日本人は摩天楼からニューヨーク、自由の女神と連想しがちです。中国を世界の工場、外貨準備高世界一の経済大国と過大評価しすぎる傾向があります。 しかし、中国の社会体制は封建体制を脱却していないと思えます。中国共産党が支配する王国と考えれば理解しやすいと思います。社会主義国であるのにも拘わらず、国民を都市戸籍と農村戸籍に分け、分割統治しています。 沿岸部の都市部と内陸部の農村との所得格差は日本人の常識を越えています。地方役人が農民を搾取する構造は全く改められていません。毛沢東は初期の理想を棄て、晩年は社会主義の顔を持つ毛王朝を目指していました。 文化大革命の犠牲者は数千万人に達するとも言われていますが、皇帝が権力を得るために反乱者を虐殺したと考えるのが妥当でしょう。中国でも革命により特権を得たのは共産党員であり、農民は農奴の身分から解放されていません。 胡錦濤、温家宝の「第四世代」が実権を握るようになっても、一部の特権階級に富が偏在しています。貧農はその日一日生きていくだけの食料さえ得られないのに、特権階級は王侯貴族のような生活を享受しています。 トウ小平の先富論は疲弊した中国を外貨準備高世界一国へと導きましたが、中国には富の再配分という概念がないのかも知れません。富める者と貧しき者との格差、富の格差は中国社会の構造的な宿痾かも知れません。 中国社会が抱える構造的矛盾は限界点に達しているのかも知れません。国内の暴動などがインターネットを通じて全国に知れ渡っています。西側のマスコミに漏れた情報もネットを通じて国内に流れ込んできます。 西側のマスコミを新華社を通じて規制しようとしています。さらに、国内のインターネットに対する規制は西側の常識を越えています。グーグル、ヤフーが中国当局に屈服し、ネットを規制に協力し、情報を当局に渡すことに同意しました。 中国には自由主義社会の常識である報道の自由、基本的人権という概念はありません。マスコミは共産党の統治機構に組み込まれたいます。党の方針を人民に知らすための広報機関であり、党が認める情報以外は報道されません。 中国共産党は独裁を維持するためには露骨な言論統制をしなければならなくなっているのでしょう。中国が抱えている矛盾は社会が封建体制から解放されていないのに、経済が自由主義経済路線をひた走っているところにあります。 戦前の日本が脱亜入欧、富国強兵を国策として急成長していた時期と重なるものを感じます。日本がアジアの資源を囲い込もうと猪突猛進していた時代と相通じるものを感じます。中国の資源外交には危険なものを感じます。 中国の高度成長は原電が炉心溶融(チャイナシンドローム)を起こし、制御不能になる直前のような気がします。バブルに浮かれていた日本と現在の中国とが重なって見えます。中国のバブル経済も崩壊するのかも知れません。 日本、世界は中国リスクを真剣に考えざるを得ないでしょう。報道管制の強化は体制崩壊の前兆かも知れないからです。タイでもクーデターが起きましたが、アジアは封建体制から開放されていないので、政治的なリスクを考えざるを得ないでしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/24
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都教組が都教委に控訴しないように申し込んでいる場面がニュースに出ていましたが、相変わらずの団交シーンです。子供もニュースを見ているのですから、大人らしい話し合いの場を持てないものかと素朴に感じました。 裁判所が出した判決は都教組と都教委との対立をあおるのではなく、大人の解決を求めるものだと理解しましたが、双方の間には深い溝があるようです。イデオロギー対決を続ける両者の被害者は子供であることは確かです。 団塊の世代は愛国心は学校で教わるものではなく、自分で身につけるものだと考えますが、政治家は学校教育の中で教え込まなくてはならないと考えています。日本の学校教育の恐ろしさは多様性を認めないところにあります。 おそらく子供は一つの問いに一つの答えしかないと思っているのではないでしょうか。マークシート方式の欠点は複数の答えが出たら誤りだと思い込むところにあります。大人になって求められるのは複数の答えを出す能力です。 愛国心には無数の答えがあります。正解もなければ誤りもないのです。愛国心は一人の人間の生き方そのものです。評価の対象にはならないものです。現在の学校教育のシステムには馴染まないものです。 団塊の世代は全共闘世代です。キャンパスにバリケードを造った世代です。社会にも、自己にも大きな犠牲を払いながら学んだことは、多様性を認めながら、同一性を見出すことでした。複眼的な見方をすることを身に付けました。 単眼的な見方は非常に危険です。全共闘時代に戦場に近い体験をしました。人は悪魔にもなれるし、天使にもなれると実感しました。反戦主義者、平和主義者が殺し合う世界は悲惨でしたが、それが戦場の論理だと思いました。 戦場には戦場の論理しか通用しないのでしょう。その様な世界に子供を送ることはできないと思う教師の心は分かりますが、入学式、卒業式では都教委と都教組との間には戦争の論理しか働いていないのではないでしょうか。 反面教師として意味があると言うのならば完全な居直りですが、現実はそれに近い状態になっているのではないでしょうか。都教組側が教師として子供たちの前で守らなければならない最低限の礼儀を守ることを期待します。 判決に従えば、教師が入学式、卒業式を妨げる行為を認めていないはずです。国旗掲揚、国歌斉唱が嫌ならば大人しく席に着いていてください。思想、良心の自由は他者を巻き込んでも良い自由までは保障していないからです。 都教委は大人しく席に着き、式の進行を妨げない教師までも処分をしないで下さい。子供たちに考えの違う者が共存する世界を実体験させるのも教育です。子供に大人の喧嘩のやり方を実体験させるのには良い機会です。 石原知事のコラムは毎週読んでいます。知事の発想はユニークで面白いのですが、批判能力のない子供には劇薬です。日教組が日本の教育を駄目にしたという主張は駄目にされた世代にも共感できますが、手段が極端で、強権的すぎます。 石原知事、都教委、都教組のチキンレースになってしまったようですが、東京地裁の判決が時の氏神かも知れません。三者三様の思いはあるでしょうが、角を突き合わすだけでは問題は解決しません。大人の解決を目指してください。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/23
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タイで15年ぶりにクーデターが起きました。東南アジアの優等生として、日本からの投資もすすみ、経済は順風満帆でしたが、タクシン首相の強権的な政治手法や不正蓄財が都市部の中間層から強い批判を受けました。 首相は総選挙に打って出ましたが、野党のボイコット受け、選挙が無効とされました。政治がマヒ状態に陥り、懸案が店晒しにされました。慣例に従い国王が仲介に乗りだしました。与野党は一時休戦しましたが政治は泥沼化しました。 タクシン首相は実業界のキャリアを生かしてタイ経済を活性化させました。農村地帯や都市の貧困層対策を行い、格安医療など提供し、地方では熱い支持を受けていました。総選挙の結果は農村部と都市中間層とで二分されました。 タイは国王が統治する立憲君主制ですが、政治的危機には国王が仲介する伝統を持った国です。過去に何度もクーデターがありましたが、国王の仲介で国家が分裂を避けることができました。 タクシン首相は1997年にタイ憲政史上、初めて民主的な手続きを経て選出された首相です。タイ経済を活性化させた功績は大きかったのですが、一族郎党の数千億円を超す不正蓄財が都市部の中間層の怒りを買いました。 アジア諸国は封建体制が残されたまま、高度経済成長を続けています。政治の権力を握れば一族郎党がそのおこぼれに与るのが当然とされています。韓国の庶民派代表の盧武鉉大統領、金大中前大統領の家族も汚職で掴まっています。 ロシアは帝政ロシア、中国も皇帝時代、北朝鮮は金王朝です。フィリピン、インドネシアでもクーデターが起きる気配も見られます。現代の日本人、民主主義国家の住民から見ればおかしな光景ですが、戦前の日本もそうでした。 日本は戦争に負けてアメリカ軍が進駐してきました。日本はGHQの指示により封建体制から民主主義体制に変えられました。大家族制廃止、農地改革、財閥解体などは日本は自力で達成することはできなかったでしょう。 私の父方の祖父はレッドバージーで職を奪われ、失意の内に亡くなったそうですし、母方の祖父は資産家でしたが戦後は営林署の臨時職員として糊口を凌いでいました。彼らの戦後は戦前の償いの人生でした。 父親や息子、親族が戦死した家族は普通に見られました。彼らは靖国の英霊として祀られるよりも、日本の平和、世界の平和を望んでいるでしょう。靖国の英霊に応える道は日本が民主主義国家、自由主義国家であり続けることでしょう。 安倍総裁を中心にした新保守主義の政治家は戦争を知らない世代です。団塊の世代までは飢えを想像できますが、飢えを想像できないのが彼らの最大の欠点です。先進国を見続けて育ってきた世代は、後進国の状況を想像できないのです。 日本はテロとの戦いの傍観者であり続けることはできないでしょうが、軍事的貢献が日本の取り得る唯一の道ではありません。むしろ、テロの背景、貧困をなくすことが日本の得意な分野です。軍事大国アメリカのできない分野だからです。 21世紀になってもアジアの封建的な体制が変わらない限り、クーデターはどこかの国でまた起きるでしょう。武力介入が許されない時代ですから、民生面でアジアの解放、封建体制からの脱却を助けるのが日本の使命でしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/23
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国旗掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達や指導が、東京地裁で違法とされました。国旗・国歌法案を成立させる過程で、政府は同法案を教育現場に持ち込まないことを国会答弁、官房長官会見で明言していたのにも拘わらず、教育現場では日の丸掲揚、君が代斉唱が義務づけられてきました。都教委の教育現場に対する過剰な干渉は教職員に対する大量処分となって表れています。 日の丸や君が代には軍国主義の精神的支柱として利用された歴史があります。誰もが素直に受け入れられない現実があります。教職員が式を妨害するのは許されませんが、国旗掲揚や国歌斉唱を拒む自由はあります。東京地裁の思想良心の自由に基づく判決は常識的な判断だと思えます。むしろ、教育委員会が教育現場に日の丸掲揚、君が代斉唱を義務づけている現状が異常だと思えます。 将棋の米長九段が園遊会で全国の学校に日の丸掲揚、君が代斉唱を広げるのが仕事であると胸を張ったのに対して天皇があまり共感を示さなかったのが思い出されます。国旗、国歌は強制させるものではなく、自然と国民の中に広がっていくのを待つべき性質のものだと思います。国技館で相撲を見に行った人々が優勝式で日の丸を仰ぎ見て、君が代を歌うのは自然な流れからくるものでしょう。 私も学生時代、体育会系の日の丸掲揚、君が代斉唱には反発し、日の丸に対し後ろ向きになりましたが、今は若気の至りだと思っています。日の丸、君が代に対する国民の思いも時代と共に変化してきました。ワールドカップやオリンピックで日の丸や君が代に対し敢えて反対する者は現代の日本にはいないでしょう。 都教委のような押しつけに対し現場が反発するのはむしろ自然な成り行きのような気がします。日の丸、君が代に反対するイデオロギー的な反対論を支持しているわけではありませんが、自然に日の丸、君が代が根付いていくを待つ姿勢が必要だと思えます。国旗、国歌を強制すれば、副作用の方が多くなります。 多民族国家は国旗、国歌の元に集まるしかないのです。国旗に忠誠を誓うことが国家に忠誠を誓うことを意味するからです。国旗は国家の統合の象徴としての意味を持つからです。例えば、アメリカでは何処へ行っても星条旗が掲揚され、行事では必ず国歌が歌われます。彼らのアイデンティティーが国旗、国歌だからです。肌の色が違う人たちが国旗、国歌で一体感を感じられるからです。 日本は単一民族ですから、敢えて国旗、国歌の元に集まらなくても良いはずです。それなのに国旗、国歌が強調されるのはそれなりの理由があるはずです。単一民族をさらに単一化させる理由があるからです。国家の効率が最も高いのが全体主義国家です。日本の指導者は戦前の全体主義国家を目指しているようです。 国旗、国歌は国家から強制されるべきものではありません。日本が誇れる国であるのならば愛国心は自然に湧いてきますし、国旗、国歌を大切にするようになります。日本を子供たちが誇れるような国にすることが先決です 。そうすれば、子供たちも自然に愛国心を持ち、国旗、国歌を大切にするようになります。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/22
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安倍官房長官、51歳が自民党総裁になりました。世界の指導者が戦後生まれに代替わりしている流れに沿って、団塊の世代を通り越してシラケの世代の首相が登場することになりました。政治家として10数年しか経験のない安倍氏ですが、小泉首相に見出され総裁の椅子を手に入れました。小泉首相は「自民党をぶっ壊す」という公約を、自民党の序列を無視した総裁選出で果たしました。 戦争体験が全くない世代だけに、先の戦争を日本の自衛戦争であり、アジア解放戦争であったと割り切って考えています。戦前の教育、教育勅語に対する憧れを持っているようです。新しいナショナリズム、民族主義の台頭といえると思います。新保守主義、確信右翼とでも言えばよいのかも知れません。アメリカのネオコン、アメリカの新保守主義と軌を一にする流れのように思えます。 安倍総裁は対北朝鮮外交での鷹派に徹した対応が世論の支持を受ける発端となりました。対中国、対韓国外交では鷹派の姿勢を崩すことはできないでしょう。集団的自衛権行使、憲法改正に固執する姿勢には危険なものを感じさせられます。祖父の岸信介元首相の安保改正路線を引き継ぎ、日米の対等な軍事同盟を模索しているように思えます。日本のアジア諸国に対する加害者意識が希薄で、新しい外交を目指しているようですが、アジア諸国が納得する可能性は低いと思えます。 内政面では教育基本法の改正を目指すでいますが、旧世代の懐古主義とは違い、戦後教育を受けた世代の主張だけに戸惑いを覚えます。団塊の世代までは戦前の教育に戻るには拒絶反応が先に起きるのですが、新しい世代が感じる戦後教育の問題点には頷けるものもあります。日教組の自由平等教育の弊害は確かに見られますが、戦前に回帰するのではなく、新しい視点を提示して欲しいと思います。 再チャレンジできる社会は自由競争社会には必要な制度ですが、政策として煮詰まっていない感じがします。格差社会是正もどこまでの格差が許されるのかについての国民的な合意ができていません。経済格差が教育格差に繋がる体制を是正するためには公教育の抜本的な改正、奨学金制度の確立が急がれます。 いずれにしろ、安倍総裁は古い自民党、森前総理などの旧体制から新しい体制に衣替えをすることに成功しなければ自滅するでしょう。古い自民党には日本をバブルに導き、日本を崩壊寸前にした責任を取ってもらうべきです。政治家は結果責任ですから、一蓮托生です。政治の表舞台から消え去ってもらうべきです。旧世代と並んで立つ安倍総裁の姿は醜悪です。世論の支持を失いかねません。 小泉首相が安倍総裁を抜擢したのは自民党の旧勢力に引導を渡すためでしょうが、それに応えられなければ世論は安倍総裁を見捨てるでしょう。小沢民主党代表は旧勢力の代表ですが、それに対抗するためには新勢力を結集しなければなりません。新しい日本の行く先は新しい世代が決めるべきでしょう。旧世代は日本を沈没させそうになったのですから、政治の表舞台から消え去るべきでしょう。安倍総裁が新世代の代表になれなければ、新世代の政治離れが加速するでしょう。
2006/09/21
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高知県県警本部長は県警の捜査費の不適切な支出を個人の教養のなさに責任転嫁し、謝罪だけですませようとしていますが、問題は全く解決していません。県警の内部調査の結果と監査委員会の報告とが余りにも乖離しすぎるからです。 県民は県警の内部報告よりも監査委員会の報告を支持するでしょう。北海道警以下各地の県警にも自浄能力がなく、責任を回避し続け、外部から証拠を突きつけられて初めて不正を認めたケースが余りにも多いからです。 橋本知事ですら不満を抱くような県警の内部調査を、県民に信じろという方が無理です。県庁の役人を「民は之に由らしむべし之を知らしむべからず」と批判してきたのですが、県警の「知らしむべからず」は常識では理解できません。 民主主義国家を支える警察機構がこれほど硬直し、市民の支持を失っても存在し続けるのならば、戦争直後のような自治体警察に戻した方がましです。警察庁の存在意義が疑われているのです。 警察庁から天下る警察官僚は北海道に赴任したならば頭を下げ、高知に赴任したら頭を下げないのでしょうか。県警の本部長には警察庁のエリート官僚としての矜持が感じられません。 日本の治安を与る警察庁のエリートならば、エリートらしい問題の処理方法があるのではないでしょうか。もっとスマートな解決法を必死に模索してください。知事にも県民にも受け入れられる解決法があるはずです。 北海道警のように証拠を突きつけられてから不正支出を認めれば警察の権威は地に落ちます。高知県警捜査費疑惑事件は全国版で報道されていますが、傷は浅いうちに手当をした方が致命傷にならないと思いますが?いかに。
2006/09/21
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カトリックの法王を選ぶ制度はプロテスタント側からすれば理解しがたい点があるのですが、ローマ法王の政治的影響力を考えると若干問題があったのではないかとも思います。 ローマ法王は全世界の枢機卿が一堂に会し、絶妙なバランス感覚で選出されるのですが、今回の法王の失言はバチカンに対する失望感を増大させたようです。 イスラム教とカトリック教会の間には過去の十字軍遠征などによる心理的な距離感があるのですが、その傷口を抉るようなテキストの引用であったと思います。 ローマ法王は無謬(間違わない)だと信徒から信じられているので、神学的な発言も政治的な発言として捉えられる危険性があります。 宗教間での誤解、慣習の違いからくる誤解も政治的なリスクを伴う世界になりましたので、私も含めて聖職者は発言に気をつける必要があると感じさせられました。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/21
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北朝鮮はおそらく末期的な状況に陥っているのでしょうが、金王朝が倒されない理由がよく分かりません。日々の生活に必要な食料さえ上納させられているのに、農民一揆が起きないのは金正日に対する個人崇拝からなのでしょうか?。 北の体制には日本が焦土となっても国体護持、天皇制維持を図った旧陸軍と相通じるものも感じるのですが、昭和天皇は金正日のように奢侈を極めた生活はしていませんでした。むしろ軍人が昭和天皇を利用し、好き放題をしたのです。 北の身分制度は我々の想像を越すようですが、自己責任で体制変革ができない国とは距離を置いて付き合うしかありません。対話、外交交渉は双方に譲り合う意志がなければできないので、圧力を掛けるしかないでしょう。 小泉首相の日朝会談では拉致が明らかにされ、拉致された人々の一部とその家族が日本に帰ることができましたが、既に対話路線は行き詰まりました。安部新総裁に対北朝鮮外交を対話から圧力へ変換してもらいたいと思います。 拉致された人々を日本に取り返すのは国家としての義務です。北朝鮮の国家体制にまで口を挟む気はないですが、北の仮想敵国である日本は北のミサイル発射、核兵器開発に異議を申し立てる権利はあると思います。 韓国が北に荷担するのは自由ですが、それに伴うリスク、対日米関係の悪化を引き受ける気が本当にあるのでしょうか。ドイツでさえもドイツ統合の後遺症を引きずっていますが、朝鮮半島統一が国際強力なしにできるとは思えません。 むしろ、かつての朝鮮半島のように中国の属国として生きるしか道がなくなるのではないでしょうか。中国は朝鮮半島を属国として取り込もうとしているようですが、韓国の国民感情がそれを許すとは思えません。 中国は台湾を取り戻せば、次に朝鮮半島支配に取り組むでしょうが、アメリカも防衛ラインを朝鮮半島から日本、グァムに引き直そうとしているようです。日本の対北朝鮮外交は日本の国防政策とも深く結びついているようです。 日本は憲法9条が許す範囲内で、北朝鮮、中国に対する防衛ラインを構築しなければなりませんが、アジア外交の根本には先の戦争に対する反省が必要です。日本の自衛のため、アジア解放のための戦争だったとは思えないからです。 しかし、過去に対する謝罪のみが強調されれば日本の世論が硬化します。未来志向の外交、ウィン、ウィンの経済関係を構築する外交が必要です。日本の武器は経済です。明治からの武力外交は日本の国情を考えれば無理な手段でした。 日本が鎖国から国際舞台に何の準備もなしに躍り出たことが、日本人を軽躁状態にしてしまいました。日本の拡張政策が日本を縛ったのです。バブルでお金に狂ってしまったのです。分相応と言うことを日本人は学ばなくてはなりません。 日本は現在でも十分に豊かです。無理に経済成長をする必要もありません。周囲の国々と覇権を争う必要はありません。平和であることが日本の国益に適うのです。日本の取るべき外交手段は経済制裁までで止めるべきです。 安倍総裁に望むのは対北朝鮮包囲網を軍事レベルにまで拡大しないことです。北朝鮮の政治体制にまで介入しないことです。世界、特にアジアでは中国、ロシアの覇権主義が跋扈していますが、挑発に乗らない慎重な外交を望みます。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/20
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高知県の職員には先ず日本国憲法を読み直さしてください。ブログで「憲法すら忘れた公務員」と揶揄されるのは公務員として恥だと思ってください。 目標設定以前の問題として、県の職員の公僕としての自覚のなさ、責任感のなさは目に余るものがあります。 「ぷらっとこうち」では検閲を平気でしてみたり、「新堀川暗渠工事」ではバブル時の計画を見直すこともせず、従来からの計画を平然と提出してみたりしています。 彼らにも言い分があるのなら市民と堂々と議論をすべきですが、「民は之に由らしむべし之を知らしむべからず」という戦前の官僚気質丸出しです。 市民の主張に対し、丁寧に応対するのが公僕としての努めですが、公開討論会さえ開かない、開けない?のは職務怠慢です。 沈黙さえしていれば時間が解決すると思い込んでいるようですが、市民の支持を失えば職を失うぐらいの覚悟が必要です。 納税者を疎かにしているから、県民のために何をしなければならないかを考えられないのです。 給料は県民の納めた税金から出ていることを思えば、目標設定すらできない職員を辞めさすべきです。 そうは言うものの、職員がいなくなれば困りますが、民間ならば既にリストラされている様な職員が多すぎます。 昇進試験を厳密にし、憲法すら読んだことのない職員を管理職に登用すべきではありません。 県の人事管理が余りにも甘すぎます。成果主義などは当たり前のことです。民間なみの厳しさを県の職員にも要求すべきです。 民間よりも給料を多くもらいながら、民間並みのリストラ(人員整理だけではなく、業務向上のための再編成)を受けていない職員の再教育が必要です。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/19
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格差社会がキーワードのようですが、適正な格差は社会を活性化させると思います。セイフティネットを完備するのが社会の義務ですが、意欲と能力を発揮する場があり、何度でもチャレンジができる社会が活力ある社会を創ります。 私は非課税所帯の扶養家族です。家内の収入が月9万円で、私の収入は障害年金だけです。社会的には負け組に分類されるのだと思いますが、日々の生活は十分に満たされていると思っています。 障害年金は国民年金加入者が障害者になるリスクをヘッジしたものですから、障害者になれば障害年金を受け取る権利があります。老齢年金も掛け金に見合う額が支給されるのは当然のことです。 一方、生活保護は福祉政策によるものですが、掛け金を払わないのにも拘わらず、老齢年金よりも支給額が多いという矛盾が起きています。真面目に掛け金を払い続けたものが損をする制度は間違っています。 「働かない者は食うべからず」と言われますが、健康上の理由から働けない者を除き、自助努力を促すべきです。雇用状況が改善したので職がない人は減りましたが、キャリアアップできるような公的な制度を確立を急ぐべきです。 正社員と非正社員との格差が増大してきましたが、同一職種、同一賃金にするべきです。フリーターをしながらマイペースで生きるライフスタイルも21世紀的な生き方かも知れませんが、最低賃金を上げるべきです。 女性の能力を社会がもっと活用すべきです。女性が子育てを終えれば職場に復帰できる制度を確立すべきです。日本の社会制度は女性の能力を生かし切っていないと思います。管理職などにも女性を登用すべきです。 ニートが社会問題化していますが、精神的な面でのカウンセリングや職業訓練が必要でしょう。家族がニートを抱え込んでしまうケースもあるようですが、親が子供の行く末までも保障できないことを家族で話し合うべきなのでしょう。 北欧でも高福祉社会に対する反省が見られますが、福祉依存の体質から脱却することを目指して、自己努力をする者にはそれに相応しい待遇を保障しなければなりません。努力する者としない者とが同じ評価をされるのは間違っています。 しかし、経済格差が教育格差を生むないような制度を創出しなければなりません。公立学校を卒業すれば有名大学に進学できるだけの学力と、経済的に恵まれない子弟のための経済的保障、奨学金制度などを確立しなければなりません。 キャリアアップを公的に助成する制度が必要です。政府が保障し、銀行から融資を受けられる制度(新しい職に就いたら給料から天引きする)などを工夫し、自己努力をする機会とそれを発揮する機会が与えられることが肝要です。 負け組がいる世界は上昇志向をする人間を生み出します。アメリカンドリームが実現できる社会は健全だと思います。マイペースで生きる人間と上昇志向を持ち、努力し続ける人間とが共存する社会が健全な社会です。 日本は中国やアメリカのような極端な格差がある社会ではありません。大企業の社長と新入社員の給料の差が一桁という国は世界にまずないでしょう。負け組でも電気製品の一揃いが揃い、日々の生活に困ることのない国も珍しいでしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/19
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要約筆記者養成講座で日本語の特徴という題で講演しました。私に与えられた課題は「手話の世界と要約筆記の世界の違い」を中途聴覚障害者として説明することでしたが、ある土佐らしいストーリーが頭の中に浮かびました。 土佐の海援隊の坂本龍馬と陸援隊の中岡慎太郎が武器を購入するために上海に出かけました。漢文の素養のない龍馬は身振り手振りで中国商人と交渉をまとめました。酒宴に招かれた龍馬は中国商人と酒を酌み交わし大騒ぎしました。 一方、漢文を子供の頃から学んでいた慎太郎は、卓子の前に座り墨と紙を取り寄せ、中国商人と筆談で交渉をまとめました。その後招待された酒宴の席では、中国語を全く話せない慎太郎は憮然と独酌で酒を飲み干していました。 手話で育った人は手話の文化の中で生きてきました。手話は表意文字ですが、日本語と文法が違います。手話を途中で覚えた人は手話を日本語の文法に並べ直して理解しています。漢文に返り点を付けて日本語読みをするようなものです。 その点、要約筆記は日本語ですから、誰にでも理解することができます。自動翻訳機と違う点は逐語訳をしない点にあります。原稿を読み上げるニュースは自動翻訳でも良いのですが、会議の席では冗長になりかえって不便です。 要約筆記の良い点は会話が要約されている点にあります。会話では人間は結構無駄な話をしていますが、無駄がないと人間は疲れ切ってしまいます。生きた会話を要約したものが、利用者にも丁度良いスピードになるのです。 さらに、パソコンを使えば会議に出席している全員が同じ画面を見ることができるので、意思の統一には非常に便利です。パソコンの要約筆記の画面を見ていれば、中途聴覚障害者である私にも十分に会の進行が理解できます。 肉筆の要約筆記は会話の時に非常に便利です。場所も取りませんし、気楽に筆記してもらえます。時には真面目な顔をして冗談を書き込まれるのも楽しいものです。肉筆には肌のぬくもりが感じられ、ローテクならではの良さがあります。 老人人口が10人に1人になったそうですが、耳が不自由になり社会参加ができなくなっている人たちが大勢います。彼らの持つキャリアを生かせないのは社会的な損失です。要約筆記は彼らの社会参加を可能にするツールです。 要約筆記は単なるボランティアではなく、社会に有用な人材を供給する人材派遣会社です。グローバル化した社会は通訳がいないと成り立たないように、老人化社会も健康な人の社会との通訳、要約筆記を必要としているのです。 私は高知県のバリアーフリー委員会で何回も要約筆記を利用させていただきましたが、必要にして十分でした。会の進行を十分に理解することができ、発言も何回かさせてもらいました。お互いに慣れれば良いコンビにもなりました。 要約筆記はパソコンを使っても、人間の手で行うものです。要約するのはあくまでも人間です。人間の頭の中を情報が通り、整理される課程が大切なのです。要約筆記は人間だけができる仕事で、機械には絶対真似のできない仕事です。 要約筆記を中途聴覚障害者である私ですら知らなかったくらいですから、社会的に認知されるためには広報活動にも取りかからなくてはならないと思います。これからは誰もが利用できるようにスタッフの充実を計ってください。 頑張れー!マドンナ!妖精!妖怪???、熟年男性も負けるなー!瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/18
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私は日本で初めて原子力発電所の環境アセスメントに関する研究をしましたが、原発反対派知識人の科学者としてのモラルを問いたくなるような言動に苦しめられました。 原発立地は政治・行政が判断すべきであり、科学者は科学的な根拠に基づく判断をすべきであると考えましたが、彼らに言わせれば御用学者の一人であったようです。 高レベルの放射性廃棄物についても、科学的見地からではなく、反原発の雰囲気で議論されているような気がします。 少なくとも、私たちの生活が原子力発電所に依存している事実を抜きにしてはこの問題は語れないと思います。 原発は既に放射能廃棄物で一杯です。これをどこかに廃棄しなければならないのが現実の日本が置かれている状況です。 「ゴミを出すがゴミを処分するのは他所で」、という論理は単なるわがままです。目の前のゴミの山を先ず片付けなくてはなりません。 考えられるのは、ゴミを減らすことですがそれには限界があります。ゴミを出し続ける原発依存の社会を変えなくてはならないでしょう。 しかし、高レベルの放射性廃棄物の安全性を議論する前に、感情的反発で科学的議論を封殺するのは間違っています。 文明が生み出したゴミを引き受ける自治体があるのならば、先ず安全性についての議論を住民に公開された場で議論すべきでしょう。 議論の前提は情報公開が担保されるかどうかに掛かっています。かつての原発立地の現場では情報公開が十分になされず混乱を招きました。 電力会社はもちろんですが、市民の立場に立つべき行政すら情報を隠蔽し続けたのが原発に対する不信感を増大させました。 原発に対する不信感の根底には、技術的な不信感よりも電力会社、行政の情報隠蔽体質からくる不信感の方が多かったと思います。 現代の技術水準がどの程度なのかは知りませんが、感情的な反発が科学的な評価を曇らせ、行政の判断のみで永久貯蔵が決定されれば将来に禍根を残します。 過去の任地は、ある調査によれば日本一住み安い県だそうです。原発立地による経済効果かも知れません。 いずれにしろ、判断するのは地元住民です。メリットとデメリットを冷静に評価し、町の将来を自らの判断で決めるべきでしょう。
2006/09/18
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麻原彰晃の最高裁判所への特別抗告が棄却され、被告の死刑が確定しました。裁判がこれだけもつれた原因は、先ず弁護人の「死刑が予測される裁判を長引かすのは被告の利益である」と考える弁護団のルール無視の姿勢にあると思います。 弁護人の死刑廃止論には牧師である私も共感できる部分が多いのですが、あくまでも政治的な主張です。法廷での弁護は法廷のルールに従ってなすべきです。裁判を長引かすために何をしても良いという論理は一般社会では通用しません。 牧師は「教会のルール」と「社会のルール」を分けて考えています。教会内では「教会のルール」が優先しますが、社会に出れば「社会のルール」に従います。弁護士も法律のプロならば法廷では法廷のルールに従うべきです。 弁護人の東京高裁への控訴趣意書の提出を拒否した弁護戦術は、結果として上告棄却、特別抗告棄却をもたらして、被告に不利な状況を招いてしまいました。控訴趣意書を提出して、法廷で被告の訴訟能力を争うこともできたはずです。 人権派弁護士の名に拘り、何が被告の利益かを見失った粗雑な弁護戦術でした。麻原被告が精神病を装っているのか、拘禁性精神病か、真正の精神病かを法廷で明らかにするのも弁護人に課せられた使命ではないかと思います。 死刑反対論者の弁護人が母子殺人事件の最高裁弁論でも欠席し、弁論が開けなかったこともありました。死刑反対は政治の問題で裁判の場に持ち出すべきではありません。法廷のルールが守れない弁護士には懲戒処分を科すべきでしょう。 一方、精神障害2級の精神障害者の目から見れば、殺人事件が起きると必ず精神鑑定が行われ、責任能力の有無が争われます。精神病と診断されれば、起訴されない、法廷でも無罪もしくは減刑を勝ち取れる世界は異常だと思えます。 詫間元死刑囚も精神病で無罪とされた経験があったので、池田小学校で起こした児童殺傷事件では精神病を装いました。従来ならば心神喪失で無罪となりかねない状況でしたが、捜査当局が精神病を装っているのを突き止めました。 精神病が司法の場で葵の御紋のようになっている現状に対して、精神病を病む者として疑問を感じます。精神病を病んでいても犯した犯罪の責任を取るのは当然で、責任を取らせないのは逆差別であると感じます。 犯罪に対する刑罰を病気であるからと減じるのは憲法が定める法の下での平等を侵していると感じらるからです。精神病者も健常者と同じ判決を受けるべきですが、刑務所ではなく、医療刑務所で精神科の治療を受けさすべきでしょう。 現在のシステムでは精神病者の人権のみが強調され、治療を拒否している精神病者は少なくありません。罪を犯した場合は健常者が受ける刑罰に等しい期間を社会から強制隔離すべきです。社会に放置するのは危険だからです。 麻原被告が精神病を理由に死刑が免除されたならば世論の激しい抵抗にあったでしょう。人権派弁護士が精神科医と組み、被告を精神病に仕立て上げて無罪を勝ち取れば取るほど、多くの精神病者への偏見が助長されるのです。 精神病者は何をやっても罪に問われない制度は精神病者に対する差別と偏見を助長しています。「精神病者は何をやっても罪に問われない」は、「精神病者は何をするか分からない」という社会の偏見を育て上げているからです。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/17
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秋篠宮家に悠仁親王が産まれ、天皇の後継者ができたことになりますが、天皇家が皇室典範改正で世間が騒然としたのに対応したのでしょう。皇室典範改正は一次休戦になりましたが、現状のままでは天皇家は衰退してしまいます。 男系天皇だけで皇統が絶えなかったのは側室制度があったからです。昭和天皇は女子の誕生が続き、跡継ぎに恵まれなかったので、側室を勧められたそうですが、それを断ったそうです。戦後は側室制などは論外の社会になりました。 女性皇族は結婚をすれば皇族から離れるので、男性だけで皇族を守るのは不可能であるという「皇室典範に関する有識者会議報告書」の指摘は間違っていません。皇族に男子が産まれたのが41年ぶりだというのもその現れでしょう。 男系天皇を主張する人たちは旧華族を皇族に復帰させ、男系天皇を守ろうとしているようですが、時代錯誤としか思えません。象徴天皇制で許される皇族の範囲は天皇と天皇と直系の宮家だけです。華族を復帰させるのは論外です 男系天皇を主張する人たちの多くは万世一系である天皇、2000年の歴史ある皇室と主張しますが、歴史的事実と余りにも懸け離れています。「神武天皇のY遺伝子を男系皇族が受け継いでいるから男系天皇」は、科学的根拠が薄弱です。 神武天皇が存在していたとしても、神武天皇のY遺伝子が遺伝学的に重要な意味を持つとは思えません。例えば、中央アジアの男性の7%くらいがチンギス・ハーンのY遺伝子を受け継いでいるという研究結果もあるぐらいです。 Y遺伝子はX遺伝子に比べて小さく、情報量は非常に少ないことが知られています。Y遺伝子は人間を男性化させる遺伝子を活性化させるスイッチの役割を果たしいるだけです。男性が受け継ぐ遺伝情報は両親から半分ずつです。 戦後育ちには天皇は日本国の祭祀を司る祭司職と説明された方が理解しやすいと思います。天照大神、卑弥呼も女性ですし、伊勢神宮の斎王も内親王が勤めていたので、古代では女性が祭祀を司っていたと思われます。男性社会になり祭祀を司る祭司職が男性、巫女が女性と役割が分担されたのではないでしょうか。 天皇が日本国の祭祀を司る祭司職であるのならば、女性天皇が祭祀を司ってもおかしくはないはずです。国際的に見ても男系に限る王室は極少数です。平成の皇室は男女同権が相応しいと思います。皇室も時代と共に変わるべきでしょう。 皇室典範改正論議が深まると共に、戦前の皇室を回顧する政治勢力が政治の表に出てきました。戦後教育を受けた世代の中にも復古調の人たちが意外と多くいました。憲法改正論議と皇室典範改正論議が複雑に絡み合ってしまいました。 保守派は憲法改正を機会に天皇を国家元首にしようしていますが、危険な政治の流れだと思います。天皇を戦前の現人神にしてはいけません。日本国憲法、象徴天皇制は先の戦争で亡くなられた人たちの血で贖われた法制度だからです。 天皇家がファッションとして受け入れられているのは構いませんが、戦前の現人神である天皇、大元帥を軍部が利用した時代に日本を戻らせてはなりません。
2006/09/16
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全国の公立図書館で山口県の高専女子学生殺害事件の容疑者(19)の実名と顔写真を掲載した読売新聞の閲覧が制限される事態が起きました。20歳未満の容疑者の実名報道を禁じた少年法の趣旨に反しているからだそうです。 ある図書館では8日付けの読売新聞の朝夕刊を一時撤去しました。顔写真と実名部分にシールを貼って閲覧させた図書館もあるそうです。読売新聞では容疑者の死亡が確認されたので少年法の趣旨から逸脱していないと判断したそうです。 週刊新潮は死亡が確認される前に実名と顔写真の公開をしました。読売新聞と一部民放テレビは死亡確認後に実名報道をしましたが、その他の新聞とテレビは実名報道をしていません。今回はマスコミ間で報道姿勢が異なりました。 公立図書館の図書の展示をめぐっては、新しい歴史教科書をつくる会のメンバーが関係する著書が廃棄されたり、ジェンダーフリー(性差否定)などを推奨する書物が撤去された事件も過去に報道されています。 公立図書館では猥褻な図書、特定の政治的主張を掲げた図書などを購入・展示できないと判断される場合もあるでしょうが、公序良俗に反しない限りできるだけ多方面に渡る図書が閲覧できるようにすべきです。 図書館は公序良俗の判断を抑制的にすべきです。普通の本屋で手に入る図書は基本的に図書館に備えておくべきです。定期購読している新聞、雑誌などは記事の内容に図書館の恣意的な判断を差し挟むべきではありません。 読売新聞の発行部数は世界一です。その新聞社が責任を持って掲載した記事よりも一行政機関の判断が優先すると考えるのは行政の傲慢です。行政による検閲は最初は反対が起きそうでない問題から始まるからです。 最初の一歩を許してしまうと坂道を転げ落ちるように既成事実が積み重なります。戦前の日本を軍国主義に導いた責任はマスコミにもあります。報道の自由を軍部に売り渡したマスコミと軍部の検閲が相乗作用を引き起こしたのです。 高知県の運営する掲示板「ぷらっとこうち」に参加者が書き込めなくなりました。トラブルの発端は管理者が参加者の書き込みを強制的に削除したからですが、登録抹消にまで発展し、抗議の声を抹殺するために掲示板を閉鎖しました。 公立図書館の閲覧規制も公立の掲示板を閉鎖するのも行政の独自の判断でなされたのです。彼らは「由らしむべし知らしむべからず」、「人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない。(広辞苑)」と思っているのでしょう。 民主主義の基本は情報の共有にあります。情報開示、情報公開、情報発信・受信の自由は憲法が保障している重要な権利です。憲法21条に「表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない」と明記されています。 公務員は公僕として果たすべき義務は平気で手を抜くのに、権限を振りかざすのが大好きなようですが、本末転倒も甚だしいと思えます。大局が見えず、重箱の隅をほじくるばかりが仕事だと勘違いしているようです。 事務規則には精通しているが、行政法などを見直す機会もなく、憲法などは忘れ去っているのでしょうか。憲法99条「公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」は忘却の彼方、「忘却とは忘れ去ることなり」なのでしょうね。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/15
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要約筆記者養成講座、2 中途聴覚障害者、身体障害4級 堀 俊明 日本語の特徴A)語学学習1)小学校の教科に古典の素読が取り入れられるa)高校時代に小倉百人一首、奥の細道(松尾芭蕉)、平家物語を読んだ 読み上げられる、耳で聞かれることを前提にした作品である 日本語の韻律、リズムを感じ取ることができた 時代を超えて現代の私たちに語りかけるものを感じた 単語の意味を完全に理解できなくてもイメージが広がったb)高校の古典の授業で漢文に接した 漢文に返り点 、ヲコト点を付けて読む 漢文は中国語であり、日本語に翻訳して読んでいる 漢字の中国語読み(音読み)に大和言葉(多数の訓読み)をあてているc)文語体に出会う 文語体は視覚的(漢字を読む)に理解できる2)小学校の教科に英会話が取り入れられるa)小学生になればネイティブな英語を身につけることはできない バイリンガル、2カ国語を併用できるのは3歳児ぐらいまでである 英語を日本語に、日本語を英語に翻訳してから話しているB)言語能力を身に付ける1)母国語を身に付けるa)脳の発達段階の初期に言葉(文法)を覚える 言語中枢は左脳の側頭葉にある 3歳ぐらいまでに1つの言語を母国語として身に付けるb)人間は言葉(抽象概念)を用いて思考する 人類はホモ・サピエンスに進化して初めて言葉を話せるようになったc)人間は言葉を用いてコミュニケーションをとっている 人間社会は言葉を使えるようになってから急激に進歩した2)外国語を使う 外国語を日本語に、日本語を外国語に翻訳してから使用している 微妙なニュアンスまでは分からない3)手話は中途聴覚障害者には外国語である 手話の世界を覚えられないし、理解できない 複雑な会話、抽象概念などは伝えられないC)要約筆記の必要性 要約筆記の方が逐語筆記(自動筆記)よりも理解しやすい 漢字は抽象概念を視覚的に捉えることができる 同音異義語の識別が容易である西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/14
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小沢氏が民主党代表に無投票当選しましたが、民主党の寄り合い所帯の弱さを露呈しました。菅、鳩山両氏とのトロイカ体制で続くそうですが、民主党には人材が尽きたのでしょうか。健全野党が存在しない民主主義は危機に陥ります。 小沢氏の手法はかつての田中派の選挙手法を彷彿とさせます。自民党の敵は味方という発想で郵政民営化で自民党を追われた代議士や特定郵便局長会、大樹にすり寄ったり、財界のご機嫌伺をしたりして野党としての矜持がなさすぎます。 セーフティネットもばらまき政策で、田中角栄の列島改造論を思い出させます。健全な社会は能力のある人間に能力を発揮する機会を保障し、能力に応じた収入を得させる社会です。ばらまきは崩壊した旧社会主義国になってしまいます。 しかし、補助金全廃は時代の要求にあっていると思います。地方は補助金漬けで特色ある政策を打ち出すことができません。地方は中央官庁の補助金で縛られて窒息寸前です。補助金体制が破壊されれば中央から地方への流れは加速します。 消費税を福祉目的税化するのならば、消費税を5%から10%程度に増額すべきだと思いますが、参議院選挙前ならばそうも言えないでしょう。自民党であれ、民主党であれ消費税の増額は避けて通れない問題だと思います。 小沢氏らしさは安全保障問題では明確にされています。「対等な真の日米同盟」をうたい、「米国と役割を分担しながら国際社会の責任を積極的に果たす」と主張しています。従来から主張していた国連軍構想を政策に取り上げています。 小沢氏は国連警察活動は憲法に違反していないと主張しています。しかし、朝鮮戦争でも国連の安全保障理事会が北朝鮮非難決議を採択し、国連加盟国に対し韓国への軍事支援を勧告した結果、アメリカ軍主体の国連軍が結成されました。 冷戦構造が崩壊した現在では、朝鮮戦争のような事態が起きる可能性は低いかも知れませんが、局地戦争が拡大する可能性もあります。小沢代表の国連軍合憲論は、朝鮮戦争のような泥沼に日本を引き込む可能性を秘めています。 「個別的であれ集団的であれ、わが国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使する」、集団的自衛権を認めました。憲法改正を主張せず、憲法を独自に解釈した集団的自衛権、国連軍構想は公党の政策としてはルール違反です。 小沢氏が国連に信頼を置いているのは分かりますが、安全保障理事会は拒否権を持つ常任理事国5カ国の意志次第です。冷戦時代にソ連とアメリカが拒否権を乱発し、安全保障理事会が機能不全に陥ったことを歴史が証明しています。 日本人には国連幻想がありますが、少なくとも安全保障理事会はパワーポリティクスの最前線です。超大国が国連の名を借りて主張を通す場、戦争を合理化する場です。国連軍構想は国連の名において日本を戦争に導きかねません。 日本は憲法9条を盾に戦場に自衛隊を投入することを拒否すべきです。憲法9条は何百万人の同胞の血で贖われた憲法です。日本は戦争を起こしてもいけないし、それに巻き込まれてもいけないのです。普通の国になる必要はありません。 日本はテロとの戦いではテロの起きる根源、貧困との闘いに国力を使うべきです。日本は軍事面ではなく民生面で国際貢献をすべきです。軍事大国のアメリカは世界から尊敬される国でなくなってきています。ODA、NGO、NPOなど民生面で日本が遅れている面を強化すれば世界から尊敬される国になれるでしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/13
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日本は「満蒙は日本の生命線」あたりで矛を収めるべきであったのでしょうが、石原完爾以下が左遷されてしまい、対中強硬派が参謀本部を制圧してしまいました。 国家戦略を立てうる将官クラスは傀儡で、実務は佐官クラスが握っていました。マスコミも軍部に迎合していました。国家百年の計を考え得る政治家がいませんでした。軍官僚、参謀が明確な理念、戦略を持たず、主戦論が勇ましいだけで通ったのが陸軍の実態でしょう。 国家戦略は世論に迎合するだけでは立てられません。政治家が軍部の独走を制止し(シビリアン・コントロール)、国家の安全保障に責任を持たなければなりませんでした。 陸軍が天皇の統帥権を利用し、軍部独裁を続けることができたのが、大日本帝国憲法最大の瑕疵条項であったともいます。 日本国憲法でシビリアン・コントロールが強調されているのもその反省からでしょう。憲法9条を国民が双手を挙げて受け入れたのも、戦前の軍部の独走に危機感を抱いていたからでしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/13
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自民党総裁選の討論会で安部幹事長は集団的自衛権について「公海上でパトロールをしている際、今の憲法解釈では米国艦船が攻撃されても日本は全く手出しができない」と説明しましたが、国民を欺くためのレトリックとしか思えません。 彼らは先のアジア・太平洋戦争でさえ自衛のための戦争と認識しているので、自衛の範囲は際限もなく広がる可能性は大です。アメリカ軍の対テロ戦略ではグァム島に駐屯させる早期展開部隊を世界中に展開させる計画を立てています。 日本から航空母艦と護衛艦隊が空挺部隊の後方支援として派遣されるでしょう。アメリカ艦船が攻撃される可能性が高いのはこのような場合です。自衛艦がアメリカの航空母艦を護衛すれば国際法上は戦闘行動に入ったと見なされます。 安部幹事長は平和憲法、憲法9条の改正を前提にした発言を、自衛艦がアメリカ軍が攻撃されるのを見過ごすかのような問題に矮小化しています。集団的自衛権を認めることはアメリカの対テロ戦線に参加することを意味するからです。 日本は現在までイスラム原理主義の標的になっていませんでしたが、アメリカ軍と戦闘行動を共にすればテロの標的になります。集団的自衛権は日本には劇薬です。日本の国際貢献はイラク派兵程度に止めるのが理性的な対応だと思います。 憲法9条は日本が国際政治、パワーポリティクスの世界に巻き込まれないための歯止めです。憲法9条があるからアメリカはイラク派兵程度のことでも高く評価したのですが、韓国は数千名を派遣しても高く評価されていません。 アメリカは盧武鉉大統領の反米姿勢に対し、地上兵力を引き上げる決定をしました。韓国では歴代の国防相が大統領に抗議行動を起こしていますが、韓国から防衛戦を日本からグァム島に移したアメリカの基本戦略は変わらないでしょう。 日本が憲法9条の制約がない普通の国ならば、重装備の自衛隊を他の国の軍隊が警備することは国際常識としてあり得ないことです。自衛隊がサマワのような安全地帯に限り駐屯し、陣地に立て籠もるような派兵は許されなかったでしょう。 北朝鮮、中国、ロシア、韓国とは外交上上手くいているとは思えませんが、日本の憲法9条改正カードが抑止力になっています。彼らは帝国陸軍が復活するのを恐れ、日本が核兵器開発を宣言するのを警戒しているからです。 日本にはプルトニウムが数十トンはあるそうです。核燃料再処理工場も稼働するので、核開発を決断すれば核兵器はすぐに開発できます。固体燃料のM-5ロケットがありますのでIBM、大陸間弾道弾も直ちに制作することができます。 日本が核武装をする能力があるのに核武装をしないのが戦争抑止力となっています。日本を追い込めば核武装に走り出しかねないからです。イスラエルがイスラム教国に包囲されながらも存在できるのは核兵器を所持しているからです。 日本が専守防衛を棄てて普通の国になれば、論理的帰結として核武装の道を指向するでしょう。日本海を挟み中国と核ミサイル向け合う新たな冷戦構造の再来が予測されますが、核武装、伝家の宝刀は抜かないから威力を発揮するのです。 戦争を知らない世代もバブル崩壊に至った過程を省みれば、日本人が調子に乗れば前後の見境をなくする民族であることが分かると思います。日本人は憲法9条の歯止めを失えば、かつて歩んだ戦争への道を再び歩みかねないのです。
2006/09/12
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9.11テロから5年が経ちましたが、テロを境に世界は質的に違う世界になったように感じられます。民主主義を建国の理念としている西欧諸国が監視社会に変質しました。監視カメラ、盗聴、投獄など何でもありの国家になりました。 テロで世界から忘れられていた国、アフガニスタンが世界の注目を集めました。ソ連のアフガニスタン侵攻が失敗に終わり、アフガニスタンは国際戦略上、価値のない国になりました。麻薬の原料、ケシ栽培で国民の糊口を凌いでいました。 イスラム教原理組織タリバーン、ウサマ・ビンラーディン氏はテロで初めて耳にしました。イスラム原理主義国の異常な姿は人々を驚かせました。ブルカから目だけを出したわずかな女性の姿しか見られないは街の姿は異常でした。 イスラム法を厳格に適用した世界では髭を剃ってはならない、映画、ラジオ、などが禁止されている、公開処刑がなされるなど異次元の世界でした。バーミヤーン石窟の大仏立像2体を偶像だとして爆破した映像は世界を驚かせました。 テロのショックとイスラム原理主義に対する憎悪、嫌悪がアメリカの世論をブッシュ大統領のアフガニスタン侵攻を支持に向かわせました。ブッシュ大統領はアフガニスタンに対し武力侵攻に踏み切り、タリバン政権は崩壊しました。 さらに、ブッシュ大統領はイラクが大量破壊兵器を所有していると主張し、イラクにも武力侵攻をしました。フセイン大統領は逮捕されましたが、大量破壊兵器は発見されませんでした。現在も内戦状態に近い状態だそうです。 この間、ウサマ・ビンラーディンに指導されたアルカーイダのテロは世界各地で続きましたが、ウサマ・ビンラーディンは現在も生存していると考えらています。アルカーイダは国際テロのネット組織へと変質を遂げていきました。 イスラム原理主義によるテロはエルサレムを始めとしてロシア圏、アジア、アフリカでも起こっています。スペインの鉄道テロ、フランスのイスラム系住民の暴動、ロンドンの地下鉄テロはヨーロッパの移民問題を顕在化させました。 テロの原因は先ず貧困にあります。人間は腹一杯に食べることができれば、暴力に訴えることには躊躇いを覚えるものです。キング牧師が指導した公民権運動は非暴力、非服従、非協力を貫きながら公民権法を勝ち取りました。 しかし、西欧のイスラム系住民は法的には差別を受けていないにしても、実生活では厳然たる差別がある中を生きて行かなくてはなりません。民主主義国家の理想と現実のギャップの激しさにテロに走る若者が出てくるのでしょう。 エルサレム、アジア、アフリカでのテロは貧困に政治問題が複雑に絡み合っています。自爆テロはキリスト教国では理解できない戦術ですが、かつての日本人が神風特攻隊を編成したように、彼らには普通の戦術なのかも知れません。 キリスト教文化とイスラム教文化との間には質的な差があるように思えますが、西欧が植民地獲得に乗り出す前にはヨーロッパ社会とオリエント社会は共存していました。エルサレムでもユダヤ人とアラブ人は共存していたのです。 第2次大戦後の戦後処理のまずさが冷戦後の局地戦争を助長しました。戦勝国が地図の上で引いた国境線は現状を全く無視したものでした。イスラエル共和国はアラブ人を追い出して建国されました。アフリカの内戦も民族間の闘争です。 テロの起きる原因を解決しようとせずに、いくら厳戒態勢を敷いても限界があります。テロリストの方が戦術的に圧倒的に有利だからです。むしろ、21世紀の指導者はテロを政治的に解決する知恵を持たなくてはなりません。西風の会 HP,
2006/09/11
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自民党後継総裁に安部幹事長が選出されるのが確実視されるていますが、自民党員の安部幹事長支持への雪崩現象は、国民を白けさしています。安部幹事長の出したマニフェストは何も公約していないに等しいのもそれを加速しています。 彼の著した「美しい国へ」を読みましたが、団塊の世代と新人類に挟まれた自称「シラケ世代」(昭和29年)だそうです。団塊の世代は日本が敗戦のショックから抜け出されない時代に育ちましたが、彼は高度成長時代に育ちました。 「開かれた保守主義」を標榜していますが、敗戦の呪縛から解き放たれた世代には彼らなりの保守主義があるようです。元海軍将校の中曽根前首相らに代表される旧態依然たる保守主義とは一線を画しているような気もします。 戦前回帰を指向する旧世代、森前首相らとは肌合いが違うようですが、森院政が敷かれるような気もします。最初の閣僚人事が彼の政治生命を決めるでしょう。派閥順送り人事、論功行賞人事をすれば凄まじい逆風が吹くでしょう。 稀代のカリスマ、小泉純一郎と比較するのはかわいそうな気もしますが、小泉首相の放つオーラに匹敵する何かが必要なのでしょう。天才には天才であるが故の欠点もありましたので、彼には彼なりの政治哲学を磨く必要があるでしょう 彼の安全保障政策、改憲論議は戦争を経験した世代や団塊の世代には危険なものに感じられ、無条件で拒否反応が出てしまいますが、戦争を知らない世代には軍国主義に対する拒否反応、トラウマがないので違う考えがあるのでしょう。 日本国憲法もアメリカに一方的に押しつけられたものであり、「自主憲法を制定するまでは日本が真に独立したとは言えない」という主張が戦争を知らない世代から出るのならば、私たちの世代も真剣に議論しなければならないと思います。 国民が安部幹事長に期待するのは、小泉首相が破壊した自民党の談合政治、派閥領袖、長老、族議員が支配する古い政治から脱却し、戦後世代が政治の主導権を握り、日本の政治に新しい血を吹き込むことであろうと思います。 バブル崩壊の責任を政治家、官僚は取っていません。日本をバブル経済に酔わせ、バブル崩壊をもたらした政治家は政治の表から取り除くべきです。森前首相を始め古参議員がテレビの画面に出てくるようでは日本は再び崩壊します。 日本の教育を憂いていましたが、日本を指導する政治家、官僚でさえ「自己決定、自己責任」を守れない大人の社会を横目で見ている子供たちが、教師を尊敬しないのは当たり前です。現場の教師が教育に情熱を失うのも当然です。 政治家自身が責任を取ろうとしないから、日本中で無責任体制が蔓延するのです。「隗より始めよ」、元海軍将校中曽根前首相、文教族のボス森前首相、古参議員らには武士らしく政治責任を取ってもらい、政治の場から隠退してもらいましょう。 再チャレンジできる社会をキャッチフレーズにしていますが、具体的な政策が見えてきません。社会に適応できない人のためのセーフティネットは必要ですが、意欲のある人が何度でも挑戦できる社会、経済格差が教育格差を生まない社会、男女差を生まない社会、安心して子供を育てられる社会を造る必要があります。 小泉首相は丸投げと批判されましたが、例えば竹中金融相に金融政策を任せたら総ての雑音を身をもって制しました。首相は政策通である必要はなく、優秀なブレーンを集め、彼らを活用し、決めた政策はぶれないことが肝心です。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/09
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自民党後継総裁選では教育が大きなテーマになっているようです。日本の戦後教育は人間は平等であるという理念が人間は平等であるべきであるという信念に変わり、人間の能力には差があるという現実を無視させようになりました。 理想に燃える教師ほど教育が無限の可能性を秘めていると錯覚し、生徒の能力の差を認めようとしません。運動会のかけっこでも走れる早さに応じてクラス分けし、手を繋いでゴールをさせる教育を理解することができません。 能力別のクラスを造ると言えば、差別を助長するかのような議論もありますが、社会に出れば能力の差は歴然としますし、能力の差に応じて社会の待遇も変わります。それが嫌ならば社会からドロップアウトするしかありません。 人間の能力に差があることを社会に出て知らされた若者は戸惑い、身の置き場がなくなるのではないでしょうか。マニュアルに沿って働けばよいフリーターとして、マイペースで生きられる道を選ぶようになるのではないでしょうか。 教育は人間の能力に差があることを明らかにしますが、それが人間の価値を計る基準にならないことを教えるのも教育です。昔は、普段の授業では目立たない子供が運動会の日のヒーロー、音楽、図工の時間の天才として一目置かれることもありました。 社会は一握りの秀才、エリートだけで成り立っているのではないことを教えるのも教育です。偏差値は人間のある能力についてだけ評価する基準であり、人間性そのものを評価する基準にはならないことを教えるのも教育です。 学習塾に通わなければならない教育制度は既に破綻しています。公教育だけで必要にして十分な教育を受ける権利が国民にはあります。能力のある人間の能力を伸ばし、能力のない人間には能力を補う教育が必要なのです。 個人差が大きい算数などは能力別クラスを導入し、ボランティアなどの協力を求める工夫などをすべきです。教師も学習塾の教育法から学べるところは授業に取り入れるべきでしょう。教師のプロとしての努力が感じられません。 小学校の授業に古典の素読が取り入れられるようですが、幼いときから日本語の韻律に馴染むことは日本語の能力を高めることになるでしょう。素読ならばクラス全員が揃って声を張り上げ、ゲーム感覚で身につけるのではないでしょうか。 一方、小学校の授業に英語を取り入れるのは、早急すぎます。ネイティブな英語を話せる語学教師が不足しているのに加え、ネイティブな英会話を身につけるには年を取りすぎています。先ず正しい日本語を身につけるのが先でしょう。 愛国心が話題になっていますが、戦前の修身をイメージした教育論には違和感を覚えます。日本人ならば日本語を話し、日本語の読み書きができる世界でも希有な民族です。多民族国家の真似をする必要もないと思います。 むしろ、子供の頃から読書の習慣を付けさせ、文芸作品に触れさすことで、愛国心は自然に養われていくのではないでしょうか。愛国心教育は戦前の全体主義教育に結びつく危険性を強く感じさせられます。 大学教育はエリートだけのものではなくなりましたが、公立大学の授業料でも高すぎます。経済的にゆとりのない家庭の子弟には奨学金制度、(入学金、授業料、生活費の貸与)を拡充し、経済格差が教育格差を生まないようにしなければなりません。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/08
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秋篠宮家に親王が産まれ、天皇の後継者ができたことになりますが、天皇家が皇室典範改正で世間が騒然としたのに対応したなのでしょう。皇室典範改正は一次休戦になりましたが、現状のままでは天皇家は衰退してしまいます。 男系天皇だけで皇統が絶えなかったのは側室制度があったからです。昭和天皇は女子の誕生が続き、男子に恵まれなかったときに、側室を勧められたそうですが、それを断ったそうです。戦後には側室制などは論外の社会になりました。 女性皇族は結婚をすれば皇族から離れるので、男性だけで皇族を守るのは物理的に不可能であるという指摘は間違っていません。皇族に男子が産まれたのは41年ぶりだというのもその現れでしょう。 男系天皇を主張する人たちは旧華族を復帰させ、男系天皇を守ろうとしているようですが、アナクロニズムとしか思えません。象徴天皇制で許される皇族の範囲は天皇と直系である宮家だけです。華族を復帰させるのは論外です 男系天皇を主張する人たちの多くは万世一系である天皇、2000年の歴史ある皇室と主張しますが、歴史的事実と余りにも懸け離れています。神武天皇のY遺伝子を男系皇族が受け継いでいるのを論拠としてが薄弱です。 神武天皇が存在したとして、神武天皇のY遺伝子が重要な意味を持つとは思えません。例えば中央アジアの男性の7%くらいがチンギス・ハーンのY遺伝子を受け継いでいるという研究結果もあるぐらいです。 Y遺伝子はX遺伝子に比べて小さく、情報量は非常に少ないことが知られています。Y遺伝子は人間を男性化させる遺伝子を活性化させるスイッチの役割を果たしています。男性でも両親から半分ずつの遺伝情報を受け継いでいます。 戦後生まれには天皇は日本国の祭祀を司る祭司であると説明された方が分かりやすいのですが、天照大神、卑弥呼も女性ですし、伊勢神宮の斎王も内親王が勤めています。古代では女性が祭祀を司っていたのではないでしょうか。男性社会になり祭祀を司る祭司が男性、巫女が女性と役割分担したのではないでしょうか。 天皇が日本国の祭祀を司る祭司ならば、女性天皇が祭祀を司ってもおかしくはありません。国際的に見ても男系に限る王室は極く少数です。平成の皇室は男女同権が相応しいと思います。皇室も時代と共に変わるべきでしょう。 皇室典範改正論議が深まると共に、戦前の皇室を回顧する政治勢力が政治の表に出てきました。戦後教育を受けた世代の中にも復古調の人たちが意外と多くいました。憲法改正論議と皇室典範改正論議が複雑に絡み合ってしまいました。 保守派は憲法改正を機会に天皇を国家元首にしようしていますが、危険な政治の流れだと思います。天皇を戦前の現人神にしてはいけません。日本国憲法、象徴天皇制は先の戦争で亡くなられた人たちの血で贖われた法制度だからです。 天皇家が国民にファッションとして受け入れられるのは構いませんが、現人神である天皇を政治勢力,軍部が利用した時代、戦前に日本を戻してはなりません。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/07
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梶原前岐阜県知事が裏金17億円の隠蔽工作を了承した疑いが3名の弁護士からなる検討委員会の報告書で指摘されています。検討委員会は当時の幹部や管理職らに約19億2000万円を返還させるよう古田岐阜県知事に勧告しました。 梶原前知事は知事会の会長として地方への財源委譲を小泉首相に迫りました。中央官庁と激しい鍔迫り合いを演じ、三位一体改革の中に地方の主張をある程度盛り込ませた力量は高く評価されました。 しかし、足下の県庁では多額の裏金が隠蔽されていました。森元前副知事から「裏金の総点検が行われると、職員が動揺し、庁内が混乱する」との進言を受け、隠蔽工作を了承したと報告書で指摘されています。 10年前には各地の県庁、市役所で裏金造りや不正支出が表面化し、日本全国の地方自治体で政治問題化していました。梶原氏は「岐阜県庁にはない」と断言し、形ばかりの調査で問題を落着させていました。 梶原氏は翌年知事選を控えていました。さらに「知事の旅費の一部も裏金から工面されている」と知らされていました。自らの3選出馬を前にして、知事の責任が問われる事態を回避したのでしょう。 橋本高知県知事のブログを読みますと、梶原氏の側近の話によれば彼は責任感が強く、仕事熱心な人のようです。橋本知事も人間的には好きなタイプの人と表現しています。彼は自らの業績に裏金問題で画竜点睛を欠いたとしか言えません。 官公庁の裏金は北海道庁の78億円、北海道警、厚生労働省の地方労働局と次から次へと明らかにされてきています。裏金による官官接待、官製談合、社会保険庁不祥事と公務員の公僕意識の欠如が明らかにされています。 高知県は本当に大丈夫なのでしょうか。高知県警の裏金問題も暗礁に乗り上げています。県庁には隠蔽された裏金はないのでしょうか、疑問を感じているのは私だけではないでしょう。 橋本知事はブログで「情報を原則100パーセント公開した上で、受け手の県民・市民が判断すればよい」は正しい方向だと認めています。「ぷらっとこうち」を閉鎖し、情報の発信を止めた県の行為との整合性が取れていません。 「ぷらっとこうち」の参加者は800名近くいますが、突然の書き込み停止は参加者を無視した一方的な処置でした。県の職員が保身のために参加者からの情報発信を止め、不利な情報を隠蔽するために掲示板を閉鎖したしか考えられません。 橋本知事の情報公開の姿勢と職員の隠蔽体質とはあまりにも乖離し過ぎています。登録抹消という県の取った処置は、植木枝盛、日本国憲法に影響を与えたと言われる土佐の自由民権家の主張する絶対的自由権との格差が大きすぎます。 「自由は土佐の山間より」、土佐人の自由奔放さが憲法の自由権に繋がったと思われます。プロイセンの立憲君主制に倣った帝国憲法に対して主権在民を主張した自由民権の先駆者に対して高知県の取った処置は余りにも恥ずかしいと思えます。 県は「ぷらっとこうち」を再開し、県民・市民からの情報を公開し、県民・市民の判断に委ねるべきです。橋本知事が自らブログで主張されているように、今こそ情報公開を実践するべき時だと思います。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/06
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梶原前知事が裏金の存在を承知していたか、していなかったかは問題ではありません。組織の長として20億円近い裏金が隠蔽されていたことに対して責任を取るべきでしょう。 梶原前知事は知事会会長として三位一体改革に対して、全国の知事を結集して小泉首相と直談判したことは評価できるのですが、足下でこのような不正が行われていたのは遺憾です。 高知県でもこのような不正が行われていないのか、疑問を感じています。情報は100%公開という橋本知事の姿勢は正しいと思いますが、足下の「ぷらっとこうち」では情報の発信すら県の職員が一方的に止めています。 県の職員には情報が公開されたら困るような弱みがあるのではないですか。情報の公開を妨げるのは行政の不始末を隠蔽するための職員の策動ではないのでしょうか。 「李下に冠を正さず」、橋本知事は積極的に情報を公開する勇気を持ってください。「県民、市民の判断に委ねる」、今こそそれを実践すべき時です。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/06
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障害者自立支援法が施行され、精神障害者福祉にも社会の目が向けられてきましたが、行政の現場では書類仕事すら十分になされていないのが現状です。 「精神病院から社会へ」、行政も舵を切ろうとしていますが、受け入れ体制が十分ではありません。 ハード面、施設などはある程度拡充されてきましたが、ソフト面が立ち後れています。精神保健福祉士などのプロの働きに対する社会的評価が十分になされていません。 社会的入院をさせられている人たちを社会に戻さなくてはならないのですが、受け入れる施設、例えばグループホームなどがまだ少ないと思います。 社会的入院者を放置することは基本的人権の侵害、犯罪行為です。社会には社会的入院をなくす義務があります。西風の会 HP,瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/06
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本日、高知市の健康づくり課の課長と担当係長が申請書に手続きミスがあったと謝罪に我が家まで来られました。申請書から個人情報保護法に関する部分は削除するべきであったが、パソコンから打ち出した書類を訂正しないまま送付しまったと謝罪されました。 10月からは申請書を新しい書式に変えると言われました。新しい書式は個人情報保護に十分な配慮がなされ、障害者も安心して署名できるものでした。ご両親が介護保険の適用を受けるようになった場合には、行政側に手続きを依頼すればよいように改正されていました。 最初からこの書式ならばトラブルも起きなかったと思いますが、個人情報保護法が施行されて間がありませんので、行政も戸惑っているのでしょう。西風の会代表として役割を果たすことができたと感じました。雨降って地固まるでした。 障害者自立支援法は地方自治体の準備体制が整わない前に施行され、障害者の立場から見ても拙速な印象を受けました。仕事の山に囲まれている担当者には気の毒なことをしましたが、障害者の人権を守る立場から敢えて苦言を呈させてもらいました。 障害者の中には行政に申請を代行してもらわなければならない立場にいる人も少なくありませんが、だからといって十把一絡げにして行政で総てを代行して良いわけではありません。ケースバイケースであることを行政側にも理解して欲しいと思いました。 障害者、特に精神障害者は症状が非常に個性的ですが、行政側にも慣れない面が多く、精神障害者の置かれた状況に目を配る余裕がないのかも知れません。行政、福祉、医療間のネットワークが十分に機能していないのでしょう。 障害者自立支援法のコンセプトが未だはっきりとしません。厚生労働省も事態の推移に翻弄され、地方の担当者へ対し明確な指示がなされていないような気がします。担当者だけの責任とは言えないと思います。 本来現場で使用する書類は厚労省で統一書式を作成し、地方の負担を減らすべきです。厚労省の怠慢が現場を戸惑わせ、現場の地方公共団体の職員に過重な負担を強いているような気がします。 地方分権時代と言われていますが、地方の事務量を減らすためには中央でやらなければならない仕事もあるはずです。中央と地方の仕事配分のミスマッチを強く感じさせられました。中央の手抜きといっても良いかも知れません。 障害者支援法における自己負担についても抗議の声があちこちから上がっています。地方には解決できない問題ですが、現場での折衝は地方任せです。面倒なことは中央から地方へ丸投げしているような気がします。 社会福祉法人の運営を見ていても、首を傾げざるを得ないことが起きています。社会保険福祉士の公的な位置づけが明確になされていないような気もします。ハード面ではかなり整備されてきましたが、ソフト面はまだまだです。 目の前にある書類仕事をとにかく片付けなくては、行政がソフト面にまで目を向けることができないのは仕方がない面もあります。現場の担当者が一番の被害者といっても良いのかも知れません。瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/05
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高知県精神保健福祉士協会の新人研修委員会から丁寧なお礼状を頂きました。8月26日(土)に行われた新人(経験3年未満)研修会で精神障害者から見た精神保健福祉士像について1時間くらい話をさせていただきました。 新人と聞いていたので座談会のようなものを連想していたのですが、20名近くの出席者があり驚かされました。昔は各病院に1人か2人のワーカーしかおらず、県下のワーカーを集めてもこれくらいの人数ではなかったでしょうか。 私は昭和24年金沢生まれの57歳ですが、35年前に京都大学を卒業し、原子力発電所の環境アセスメントの仕事についたこと、鬱病を発病したこと、準公務災害扱いで退職したこと、アルコール依存症になったこと、22年前に金沢から高知の断酒会発祥の地、下司病院へ入院したこと、西風の会を結成したこと、東京神学大学に進学、卒業したこと、日本キリスト教団教師任職、高知教会伝道師、妻眞知子と結婚、香美教会副牧師、瀬戸キリスト教会を開設、同副牧師(眞知子が主任牧師)に就任したこと、パキシルの服用により健康に近い状態になったこと、脳のリハビリとして読書、ブログの世界に親しんでいることを話しました。 私の人生の軌跡はエリート公務員から鬱病、アル中、離婚、離職、どん底体験、断酒、アル中より回復、牧師、結婚、教会開設、パキシルによる脳の機能の回復とU字カーブを描いて上昇し、最初より高いレベルにまで上昇しました。 私は下司病院で院内飲酒をして瞳孔が開き、血圧が0になりましたが、息を吹き返しました。その時に神との出会いを体験しましたが、断酒人の体験発表を聞いていると何らかの神秘的な体験を経験しているように私には感じられます。 下司病院の院長の息子、医大中退の下司さんがワーカーのような働きをしていました。私の入院生活、退院後の生活、神学校への進学を強力にサポートしてくれました。大学の休みの期間は下司病院で過ごせるようにしてくれました。 神学校で紹介された精神病院は閉鎖病棟のある病院で、体調を崩した私を強制的に入院させようとしました。事務長に連れられて帰高しましたが、トリプタノールの注射をし、一晩熟睡したら回復しました。 下司さんから東京の先進的な診療所を紹介してもらったので神学校を卒業することができました。一人の精神障害者が社会に復帰し、社会的な地位につくまでには下司さん以外の多くの人たちの具体的な支えと祈りがありました。 牧師になっても寝たり起きたりの生活を続けていましたが、5年前にパキシルに出会いました。パキシルは私の体質に特異的に効き、脳は30年間の休眠状態から目覚め、機能が回復し始めました。脳のリハビリとして一週間に3,4冊の本を読み、毎日ブログを書いています。 多くの精神障害者は日常生活に多くの助けを必要とします。薬がいかに効いても生活習慣が改まらなければ症状は改善しません。医師、看護師、臨床心理士などの医療側の働きは、精神保健福祉士がいて初めて有効に機能するのです。 精神障害者の日常生活を支えてくれるのは精神保健福祉士です。医療、福祉の現場での働きが社会的に認知されていない面も感じさせられますが、私たちはいつも感謝しています。ノーマライゼイション社会を支える働き手として、これからも精神障害者のために働いてください。精神障害者として生きる, 西風の会 HP, 瀬戸キリスト教会 HP
2006/09/04
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要約筆記者養成講座が9月2日に日高村保健センターでありました。NPO特定非営利活動法人やまももの主催で行われました。9月2日、10日、16日、17日、24日、10月7日、計6回に渡り行われます。 私は第1回目、聴覚障害者とコミュニケーション、第3回目、日本語の特徴というタイトルで講師を務めます。要約筆記の利用者、中途聴覚障害者の立場から要約筆記を学ぼうとする人たちに話をさせていただきます。 第1回目の最初の講義を任されたのですが、中途聴覚障害者の生きている世界を理解していただくために、JRを利用して大阪往復をしたときの話をしました。アナウンスが聞こえず、標識に気づかず右往左往したことを話しました。 中途聴覚障害者は耳から情報を得る世界で生きてきたので、視覚情報を取り入れる能力が先天的な聴覚障害者に比べ劣ります。人の表情を読み取れない、話しについて行けないなど社会生活を送る中で戸惑うことがしばしばあります。 最近はレジにデジタル表示が導入され、買い物が大変楽になりました。街中の至る所でデジタル表示がなされ、随分生活しやすくなりました。地上デジタルが始まり、字幕表示でテレビを楽しむこともできるようになりました。 コンピューター内蔵の補聴器、内耳に電極を埋め込む技術も開発されましたが、機械には限界があります。私たちが会議に出席するためには、パソコン、OHPを利用して映し出される要約筆記が欠かせないのです。 障害者も健康な人間も共に生きていく社会、ノーマライゼイション社会では障害者の補助具、例えば車いすなどの利用が保障されていなければなりません。中途聴覚障害者にとって車いすに相当するのが要約筆記なのです。 私は高知県のバリアーフリー委員会に精神障害者を代表して出席して欲しいと頼まれました。聴覚障害があるからと断ったのですが、要約筆記者を付けるからと言われ引き受けました。 会議には聴覚障害者も来ておられましたが、手話通訳が付いていました。私にはやまももの会員が要約筆記者として付いてくれました。会の進行に十分付いていくことができ、発言をすることもできました。 手話のできる方は積極的に人生を送られているようでしたが、中途聴覚障害者は引きこもりが多いようです。聴覚障害者の世界に慣れず、人と話をするのが面倒になってくるからです。 私はインターネットの世界を楽しんでいますが、文字と文字との付き合いなので健康な人と条件が同じだからです。ケータイは持ってはいませんが、ケータイの世界も聴覚障害者の世界を広げたと思います。 しかし、実社会で活動する機会は余りありません。要約筆記が社会に認知されていないからだと思います。要約筆記者が増えれば、中途聴覚障害者の社会参加が進むと思われます。行政も要約筆記者を必要としています。 やまももの会の女性は光り輝いて見えました。目的を持って勉強し、活動している女性は何時までも若く、美しいのです。マドンナ、妖精、自称妖怪が何十人も活動している姿は壮観でした。年を重ねてハッピー!エイジング、輝くあなたのパワー全開!の女性軍でした。男性軍も負けずに頑張っておられました。要約筆記者養成講座、1、レジメ, 瀬戸キリスト教会
2006/09/03
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2006/09/04高知市健康づくり課長殿 高知市長浜1371-8 堀 俊明 印 個人情報保護法に基づき貴課の保有する堀 俊明名義の郵便貯金通帳のコピー並びにそれに基づく個人情報の破棄を求めます。 以上
2006/09/03
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高知市の健康づくり課は堀 俊明、眞知子との信頼関係に反する行動を取りました。私は市への調停申立を堀川部長を信頼して取り下げました。堀川部長、担当課長、係長には市が個人情報保護法違反をしていることを具体的に指摘しましたが、全く改善がなされていない申請書が送付されてきました。 堀川部長は私の個人的信頼を利用して、市に対する私の調停申立を取り下げさせました。私は彼らを西風の会への表敬訪問として我が家に迎えたのにも拘わらず、現場が個人情報保護法違反を平然と続けていることを放置しました。 先ず、申請書には、「免除等申請、利用意向調査書を申請します。また、必要な 個人情報を各関係機関、団体に紹介することに同意します」と書かれ、申請届けを提出すれば、個人情報取得に同意したと見なされるような書式になっています。 個人情報保護法によれば、申請書の署名と同意書の署名は別々にしなければならないことになっています。申請をする行為と同意する行為は全く別の行為だからです。申請書に署名して申請すれば自動的に同意書に署名したことになるのは、サラ金が契約書に生命保険の申請書を紛れ込ましたやり方と同じです。 次に、必要事項を各関係機関、団体に紹介することに同意させるのも個人情報保護法違反です。個人情報保護法では紹介する個人情報を具体的に明示し、使用目的を明らかにし、紹介先を具体的に明示しなければなりません。市が必要だと判断すれば警察、税務署、金融機関等に個人のプライバシーに属することも問い合わせることができるようになるからです。 今回の市に対する調停の申立は、健康づくり課が私の個人情報、通帳のコピーを本人の同意がないのにも拘わらず収集したことから始まっています。個人情報保護法違反ではないという健康づくり課の主張に、私は具体的に反論し、少なくとも彼らはそれに納得して帰ったはずです。 もし、それが欺瞞であるのならば、高知市の職員として市民を意図的に欺いたことになります。市民の善意を悪用し、調停の申立さえ取り下げさせたら管理職としての職務を果たしたという態度に強く抗議します。公務員病、問題の先送り、問題隠しが高知市役所に蔓延しています。 私は健康づくり課が福祉制度が変わったので新体制に移行できていない事情を善意に解釈していましたが、単に組織的サボタージュの口実にしか過ぎなかったようです。高知市の起債が制限を受けるかも知れないそうですが、このような仕事ぶりならば当然だと思います。 高知市の障害者を騙し続ける態度は障害者自立支援法の立法趣旨から大きく逸脱しています。高知県、厚労省に確かめてみますが、厚労省からの指示だとは思えません。高知市の独自の判断でした行為のように思えますので、市役所の裁量で解決できるはずです。市は法律違反の事務手続きを直ちに改めて下さい。 高知市の職員には公僕である自覚があまりにもなさ過ぎます。市の職員は市民からの信頼を裏切るような行為を止めてください。市民からの苦情を自らの力で処理することができず、司法の場に持ち出されたことを恥じてください。調停を取り下げるために、申立人である市民を欺いた不誠実な態度に強く抗議します。西風の会, 瀬戸キリスト教会
2006/09/01
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要約筆記者養成講座 聴覚障害者とコミュニケーション自己紹介 瀬戸キリスト教会牧師、躁鬱病とアルコール依存症で精神障害2級 身体障害4級:音の聞き分けが不自由で普通の難聴者より等級が高い 物心が付いたときから右耳が聞こえない 40歳頃から補聴器を使用しているA)JRを利用して大阪往復をしたときに感じたこと 1)JR高知駅で到着列車の乗り口が分からなかった 到着ホームは改札口に表示されていたが、ホームの何処で待てばよいかが分 からなかった⇒ホームのアナウンスは聞き取れない 2)新岡山駅で新幹線への乗り換え口の方向が分からなかった 列車内にある案内表示板には次の停車駅の案内しか出てこない 列車内のアナウンスは聞き取れない 3)新大阪から私鉄への乗り換え駅が分からなかった 4)私鉄では列車に停車駅の案内がなかったので不自由をした 5)新大阪駅でのぞみの到着ホームが分からなかった 6)新岡山駅からJR岡山駅までの移動に不自由をしたB)中途聴覚障害者の世界 1)耳が不自由な世界に慣れていない 聴覚に頼った生活をしてきたので、聴覚以外の情報収集能力が落ちる 視覚情報収集能力、目配りができない 聴覚障害者用の案内などに気がつかない 話の輪に入れない 場の雰囲気、人の表情が読めない、微妙なニュアンスが分からない 2)補聴器にも限界がある 音量を調節することは可能だが、聞き分ける能力が低下している お風呂の中で話し合っているような感じである 3)会議には出ないようにしている 要約筆記が必要である 4)電話には出られない(留守録にしてある) 固有名詞、数詞を聞き間違える 5)テレビは文字放送を楽しんでいる 地上デジタル放送が始まり、文字放送を楽しんでいる 6)インターネットの世界(ブログ)を楽しんでいる 音声は切ってあるC)要約筆記がなければ会議に出られない 1)逐語筆記よりも要約筆記の方が分かりやすい 2)パソコンの使用は全員が同じ画面を見られるので良いと思う 3)要約筆記は手軽で、会話の場面では有用である
2006/09/01
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