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私は30年前の公務員時代に所属長と日本共産党員の同僚からのいじめ、パワーハラスメントに合い、鬱病を発病しました。躁鬱病の家系でしたから、躁鬱病体質(循環気質)であったのが強いストレスを受けて発症したのだと思います。 10回近くも療養休暇を取りましたが、復職、再発の繰り返しでした。結局、休職、病気退職になりました。アルコールにも溺れ、アルコール依存症にもなりました。アルコールの酔いの中でしか生きられない人間になってしまいました。 故郷の金沢から高知に島流しにされ、断酒会発祥の地である下司病院に入院しました。院内飲酒をして人事不省に陥り、瞳孔は開き、血圧が0になりましたが息を吹き返しました。その時に生ける主、イエス・キリストに出会いました。 それから、私は東京神学大学に進学、卒業し、日本キリスト教団教師になりました。現在は瀬戸キリスト教会の牧師をしています。下司病院で一度は死んだ身が奇跡的に甦らされましが、躁鬱病も新薬、パキシルで全快に近い状態です。 私は子供たち、親、教師に学校には生命を賭けて通うだけの価値がないと言いたいのです。団塊の世代にはニートは存在せず、学校を卒業したら働くのが当たり前でした。学校に通わない人間、働かない人間は異常だと見なされました。 終身雇用の時代で、公務員が中途退職をしたら不祥事を起こしたと考えられる時代でした。精神科医からサラリーマン、特に公務員は勤まらないと言われ、自由業に就くように勧められましたが、失業することに恐怖感を覚えていました。 結局、アルコールで総てを失い、生命さえも失いかけて初めて新しい世界、今まで生きてきた世界とは違う秩序が支配する世界があることに気づかされました。故郷での生活を捨て去り、教会生活の中で自分の姿を再発見したのです。 学校だけが唯一の世界ではありません。人間にはその人に相応しい世界がきっとあります。極妻であった大平弁護士は辞書の弾き方さえも知らなかったのに独学で司法試験に合格しました。宮本先生は中学校ではオール1でしたが、23歳になり定時制高校に通い始め、名古屋大学理学部物理学科に入学、卒業しました。 大学を卒業するだけが人生ではありませんが、高校に通わなくても敗者復活戦に参加することは可能です。通信制の高校、大学もありますし、独学で大検に合格し、大学入試を受ける道もあります。何かの資格試験を受ける道もあります。 学校に通えなくても別の道があります。高速道路を突っ走る人もいますし、街中を歩く人もいます。山道をゆっくり登る人もいますし、迂回路を歩む人もいます。それぞれが全然違う風景の中をそれぞれに相応しいスピードで歩むのです。 人生の中で挫折はつきものです。物心がついてからこの世の生を終えるまで順風満帆の人生を送れた人間はおそらくいないでしょう。人間は挫折を乗り越えて、初めて人生の意味を知ることができ、生きる喜びを感じることができるのです。 自殺をするほど追い込まれた状況も、視点を変えればたいした状況でない場合が多いのです。いじめを我慢して身も心も病んでしまえば、回復するのには膨大な時間とエネルギーが必要です。引きこもるのも自己防衛の手段なのでしょう。 現代の子供は親から充分に愛された経験がありませんから、他人の痛みに共感することができないのかも知れません。いじめは人の心を破壊する犯罪に等しい行為だと教え込むことが大切です。互いに愛し合う心を育むのが教育なのです。
2006/10/31
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慰安婦問題については現代の常識で判断すれば根本的な誤りを犯すことになりかねません。作家の宮尾登美子のお父さんは得月楼の主人で女衒をしていたそうです。彼は戦地に女郎を送ることがお国のためだと信じていたそうです。 当時は貧しい農家の子供を女郎にすることは貧民救済的な側面もあったようです。戦地の軍人さんを慰めることがお国のためにもなると彼らなりに考えていたとしても不思議ではありません。売春禁止法ができる以前の話だからです。 おそらく朝鮮半島でも同じ事情で女郎になった女性も少なくないはずです。彼女たちと軍や官憲が強制的に拉致し、慰安婦としていた女性とは分けて考えなくてはなりません。「広義の慰安婦」と「狭義の慰安婦」とは性格が違います。 現代の日本では基本的人権が保障されていますが、戦前は女性の人権が著しく制限されていました。女衒は現代なら人身売買、管理売春で重罪になりますが、当時は合法的な仕事でした。女性に選挙権すら与えられていない時代でした。 ですから、当時は戦場にプロの慰安婦が少なからずいたそうですし、女給がお客の相手、売春をする料亭も珍しくありませんでした。古今東西、軍隊が駐屯すればその周りには飲み屋街ができ、売春が公然と行われるのは常識です。 軍隊の移動と共に軍隊相手に小間物から女性まで商う商人が付いていきました。ハイリスク、ハイリターンを求める商人は前線まで軍隊に付いていきました。前線は何でもありの世界でしたから、慰安婦問題もあったのでしょう。 私たちは「広義の慰安婦」プロの売春婦集団と、「狭義の慰安婦」拉致された素人集団とを区別しなければ、慰安婦問題を正確に議論することにはなりません。「狭義の慰安婦」も少なからずいたらしいので、日本に弁解の余地はありません。 朝鮮半島でも日本に劣らず広義の慰安婦がました。好んで身を売る女性はいないはずですから、戦前の日本の社会が抱えていた構造的な問題だといえます。現代の日本でも外国人女性の売買、売春がなくならないのと同じ構図だといえます。 しかし、日本には朝鮮半島を植民地にしたので宗主国としての義務があります。朝鮮半島のインフラ整備、教育制度などに貢献をしたことを免罪符として使う政治家が少なからずいますが、植民地を持つために必要なコストにしか過ぎません。 少なくとも、日本が植民地で行った皇民化政策は民族としての誇りを奪う政策であり、根本的に間違っていたと思います。欧米と比較して日本の植民地政策が良かったと主張できるのは当事者だけであり、日本には許されない主張です。 朝鮮半島の人々が日本に厳しい目を向けるのは日本に占領され、植民地化された怨念からきているのでしょう。日本は歴史的事実を明らかにすべきです。謝罪すべきは謝罪し、誤解は誤解を解けるように事実に基づき対応すべきです。 南京大虐殺でも虐殺の事実はあったと思いますが、いくら白髪三千丈の国でも30万という数字は桁が違います。30万人の市民を虐殺するには原爆並みのエネルギーがいるからです。慰安婦問題も過大に見積もられているような気がします。 朝鮮半島、中国の戦時中の問題に触れられると政治もマスコミも過剰に反応してしまい、前提となる事実関係の吟味が疎かにされてしまいます。日本の戦争責任の総括が国家でなされていないので無意味な神学論争が飛び交うのでしょう。
2006/10/30
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義務教育は読み、書き、算盤に尽きると思いますが、読む能力は子供の時から訓練しなければ伸びません。総ての教科の基礎になるのは日本語の能力ですから、国語の時間を増やす話は良いのですが、英語の時間を設ける話は言語道断です。 映画「奇跡の人」によれば、ヘレン・ケラー女史は盲、聾の重複障害者でした。家庭教師のサリバン女史がアルファベットの指文字で示す、w,a,t,e,rが流れる水に手を触れながらwater、水を表しているのを理解したシーンは感動的でした。 ヘレン・ケラー女史のIQを200だと推定する人もいるぐらいですが、アルファベットの文字列が言葉を表し、意味を持つことを理解するためには、思考の飛躍が必要でした。人間は文字を発明することにより革命的な進化を遂げたのです。 人間は農耕を始めることにより定住生活を営めるようになりましたが、文字が発明されて文明が開花したのです。文字が発明されて初めて人間は抽象概念で思考できるようなりました。文字が文化を創り上げる原動力になったのです。 子供は先ず文字を覚えることが肝心なのです。ヘレン・ケラー女史のような天才でも文字が言葉を表すことを理解するためには多大な時間と努力がいりました。普通の子供はその過程を経なくても自然に文字を覚えられるからです。 仮名文字だけではなく漢字を覚えることも必要です。漢字は画像認識の能力が発達している子供の時に覚えさせれば比較的容易に覚えられるそうです。古典の素読は漢字に振り仮名を振れば低学年からできるので効果が期待されます。 国語の時間に漢字をゲーム感覚で覚えさせることも可能です。少なくとも義務教育修了者には新聞を自由に読めるぐらいの国語能力を付けさす必要があります。英語に使う時間があるのならば日本語の能力を高めるのに使うべきでしょう。 さらに、読書の習慣を子供の時から身に付けさせることが必要です。子供たちはテレビ、パソコン、携帯電話などから入る情報に左右されがちですが、本のページを開いて文章をゆっくりと読み、文章を味合う習慣が生活の質を高めます。 読書は単に教養を高めるだけではなく、思考力を高めます。受験教育では無視されがちですが、大人の世界に入れば読書量の差が人間の器量の差になって現れます。競争社会を生き抜くためにも、生活に色を添えるためにも読書が必要です。 一人の人間の経験できる世界は歴史の流れから見れば一瞬ですが、本の中には人間の歴史が詰まっています。時間、空間を越えた世界が本の中に広がっています。読書により人間が積み重ねてきた知識、文化を吸収することができるのです。 現代社会は多様な価値観に溢れています。情報は至る所から押し寄せてきます。情報リテラシー、情報を取捨選択する能力は子供の時から身に付けた教養次第でしょう。トップマネージメントに必要なのは思考力と高い教養だと思います。 教養のない人間が知識だけを身に付けた姿は、殺人剣を駆使した人切り以蔵、岡田以蔵を連想させます。知識は現代社会では最大の武器ですが、知識を活用するためには教養が必要です。知識だけの人間は破綻する場合が多いようです。 ゆとり教育に非難が集中していますが、読書、作文、素読などをゲーム感覚で楽しみながら子供たちに身に付けさせれば良いのではないでしょうか。作文の時間は苦痛でしたが、人生の後半を迎えれば楽しい思い出に変わるものです。
2006/10/29
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改正テロ対策特別措置法が可決されました。4年前の9.11テロから始まったアメリカのテロとの戦いは、日本には他国での出来事でした。日本は日米同盟に大きく舵を切った証しとして、インド洋へ海上自衛隊を派遣しました。 4年前の国会での議論は、北朝鮮が核弾道を搭載したミサイルを所持することを想定していませんでした。日本が北朝鮮からの核ミサイル攻撃晒される危険性を考慮していませんでした。日本有事が想定されずに議論された神学論争でした。 北朝鮮がミサイル実験、核実験に成功したとまでは言えませんが、その能力を所持していることを国際社会に強くアピールしました。北朝鮮の体制が崩壊しない限り、北朝鮮はやがて核弾道ミサイルを所持する核保有国の仲間に入ります。 北朝鮮の核ミサイル攻撃から日本は逃れる手段を持ちません。日本は、個人の思想信条に関わりなく、アメリカの核の傘の下で守られるしか生き残る道はありません。北の将軍様が国際常識を弁えて行動するとは思えないからです。 日本では核開発に関して発言することはタブーでしたが、一部の閣僚や国防族が核開発に言及するのも日本の核抑止力は潜在的核保有国であるからでしょう。東アジアで核ドミノ論が現実になれば、国際情勢がさらに緊迫するでしょう。 中国やロシアが恐れているのは、北朝鮮の核実験が引き金になり日本、韓国、台湾が核保有国になることです。中国は日本が核保有国になれば太平洋への出口を閉ざされることになります。中国には台湾が核保有国になるのは悪夢でしょう。 一方、中国は北朝鮮の体制崩壊まで願っている訳ではありません。北朝鮮が中国のコントロールの下で、アメリカに対する盾の役割を果たしてくれるのがベストでしょうが、朝鮮半島に核兵器が存在するのを認められないでしょう。 中国、ロシアは北朝鮮に対して懲罰を加えるつもりですが、朝鮮半島有事だけは絶対に避けようとするでしょう。中国が6000年の歴史の中で培ってきた外交術、朝鮮半島をコントロールする鞭と飴との巧みな使い分けが見物です。 韓国は北朝鮮が核兵器を自国には使用しないという自信があるようです。同じ民族同士の信頼関係を理解することはできませんが、北朝鮮は武力による民族統一の夢を捨ててはいないので、核開発を放置することはできないでしょう。 アメリカは大統領が替わらない限り、北朝鮮に圧力をかけ続けるでしょう。北朝鮮の核開発を許せばイランの核開発も許さざるを得なくなるからです。中東に核保有国ができればアメリカだけではなくヨーロッパ諸国にも脅威になります。 日本は北朝鮮が核保有国になれば、直接的な脅威を受けますが、国際情勢は日本に有利に展開しています。日本は今、行動を起こす時ではありません。非核三原則を掲げながら、潜在的核保有国であることを示唆する程度がよいと思えます。 伝家の宝刀も鞘から抜いてしまえばただの刀にしか過ぎません。核カードを隠しながら、非核三原則を堅持するのが日本外交の進むべき道だと思います。平和憲法は核保有国の戦力の均衡でしか保たれない平和を変える道かも知れません。 日本は北朝鮮に対してアメリカの核の傘の下に入るのが懸命な道です。平和憲法を日米同盟の歯止めとして積極的に利用するべきです。平和憲法を造らせたのはアメリカだからです。日米安保ただ乗り論は日本外交の勝利だったと思います。
2006/10/28
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地上デジタルが放送が始まりますので、高知ケーブルテレビ、ピカラネットが共有する光ファイバー網を自宅にも引き込みました。ケーブルテレビとインターネット、PS電話を同時に使っています。 ケーブルテレビを見るためにSTBを購入し、設置料7000円(サービス期間なので半額)を払いましたが、Webを閲覧するための設定をしていきませんでした。双方向に必要な電話回線の接続を頼みましたが拒否されました。 当時はSTBに多様な機能があることを全く知らず、コンバーターと同じだと思っていたので不都合は感じませんでした。有料チャンネルを購入しようと思いマニュアルを調べたら電話とWebの接続がなされていないことに気づきました。 ケーブルテレビに問い合わせたら、電話回線の接続はしてくれましたが、Web接続はサービス外だそうです。STBを購入し、設定料も払ったのにも拘わらず、STBの機能を満たすだけの設定をしないのは詐欺商法に近いと感じました。 STBのマニュアルにはWebアクセス時のリモコンの使い方が書かれています。通信販売ならば設定は自分でしなければならないのは当たり前ですが、ケーブルテレビから購入したにも拘わらずWeb接続の設定を拒否されたのは意外でした。 手動でLAN接続を試みてみたのですがSTBが反応しませんので、CATV経由の接続にして欲しいとケーブルテレビに頼みましたが断られました。Web接続の設定はサービスにはないからだそうです。 ケーブルテレビを使い地上デジタルを視聴するのはインターネットに詳しい人ばかりではありません。それこそ機械をいじったことのない素人がケーブルテレビを利用するのです。地上デジタルの機能を理解していない人が大多数です。 ケーブルテレビは地上デジタルを普及させるのは企業利益に繋がるはずです。初期投資を惜しむべきではありません。ケーブルテレビに加入させれば違約金が高いので契約を破棄されないと思い上がっているように感じられました。 Web接続の設定などは担当者が来れば直ちにできるサービスです。10分もあればできるはずですが、それをしないところに独占企業の弊害が表れています。担当者に受信料はサービスを提供する見返りだという姿勢が感じられません。 県庁、市役所の役人にも共通して感じられることですが、競争のない世界では人間は横着になるようです。競争が総て良いとは言いませんが、競争がもたらす緊張感が働く者にサービス精神を発揮させるように働くようです。 旧国鉄でも、郵便局でも民営化されると職員の対応が見違えるように変わりました。地上デジタルを普及させるのが国策ですから、ケーブルテレビを気楽に利用できるように、関係官庁はもっと厳しく指導をするべきです。 ケーブルテレビに免許を交付する時には利用者に対するサービスも考慮すべきです。国民が安心してデジタルテレビを利用できるように官公庁も業者を厳しく監督すべきです。高い違約金を取られるので自由に解約ができないからです。 デジタルテレビはアナログテレビとは質的に全く違う世界です。通信インフラが整備されれば急速に普及すると思えます。そのためには、ケーブルテレビなどが利用者の目線に立ち、利用者に対するサービスに心がけることが必要です。
2006/10/27
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私は国立大学の附属高校出身ですが、今から40年前にも理科、社会は受験科目のみが正規の時間数で、その他の科目は最低授業時間数を満たすだけであったような気がします。試験はありましたが形式的なものに過ぎませんでした。 おそらく、未履修科目がある高校ではそれさえもしなかったようです。昔とは履修科目が違いますから一概には言えないのですが、学校側が必修科目の最低授業時間数を確保することができなかったのか疑問に思えます。 世界史の授業が70時間も必要なのかには疑問を抱きますが、虚偽の時間割を組んでいたのは明らかに学校側の責任です。受験に必要のない科目の授業を受験に必要な科目に振り変えをしたい気持ちは分かりますが、裏時間割は違法です。 300校に余る高校が裏時間割で授業を行っていたようですが、必修科目の単位を正規に取得させないで卒業証書を出すのは高校教育の否定に繋がります。大学でも選択の幅は広くなりますが、必修単位を取得しなければ卒業できません。 大学合格者数で学校のランクが決まるので裏時間割が蔓延したのでしょうが、裏時間割の導入が大学受験に貢献したと考えるのは早計だと感じます。授業時間を振り返るのと大学合格者数との間には果たして相関関係があるのでしょうか。 裏時間割が表沙汰になった県が正規の時間割に戻したそうですが、大学合格者数が減った訳でもないようです。教師の側の授業時間の振り替えが受験に有利に働くという単なる思いこみが過剰な配慮をさせた原因ではないでしょうか。 生徒の方は受験科目でない授業は適当にごまかすものです。赤点を取らないぐらいの勉強しかしないものです。むしろ生徒の方で、適当に気晴らし、息抜きの時間に活用するものです。生徒側の自主性に任せれば良かったのです。 高校時代の先輩ですが、学校では授業をさぼりサッカーばかりしていました。学校の成績は悪かったに違いありませんが、東大にストレートで入りました。現在は東大教授ですが、彼は学校に適当に息を抜くために来ていたようです。 高校側は正規の時間割通りに授業を行えばよいのです。高校生活と受験勉強との両立は生徒自身に委ねればよいのです。受験競争に勝ち抜くためにはそれぐらいのことができい受験生は、受験競争から脱落する運命にあるのです。 学校側の必修科目の授業時間の振り替えは生徒側には全く責任のないところで行われました。生徒の受験勉強に対してもプラスになったとはとても思えません。学校側が生徒の自己決定、自己責任の権利を一方的に奪ったからです。 受験勉強は受験技術を競い合う孤独なゲームです。周りがいくら環境を整えても、本人にその意欲と能力がなければ負けてしまいます。受験場には誰も付き添ってはいけないからです。最後に頼れるのは自分しかいないからです。 高校の必修科目数、必修時間数は私たちの時代よりもかなり減ったようですが、それでも多いと考えるのならば土曜日に補習をすればよいのです。教師が手抜きをするのではなく、教師自身が土曜日に出勤して授業をする覚悟が必要です。 大学受験が終われば春休み中でも教師は出勤し、補習に励むべきです。一日6時間とすれば、2週間もあれば必要な授業時間数が確保できる筈です。学校側が先ずペナルティを受けるべきです。教育委員会は厳格な処分を行うべきです。
2006/10/27
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教育基本法改正のための国会審議が始まりましたが、与党案と民主党案とは全く対立するものではなく、話し合いの余地は随分とあるように思えます。民主党は臨時国会の目玉とするようですが、国会対策のみが優先しすぎています。 世論調査では愛国心を基本法改正案に盛り込むことに対する賛否が拮抗していますが、民主党案も愛国心を盛り込むことに賛成しています。むしろ、民主党案の方を評価する自民党議員が少なくないようです。 民主党が徹底抗戦をしても、与党案は成立するでしょう。国民が期待するのは野党の無意味な抵抗戦術ではなく、先の国会審議で49時間を費やしても明らかにできなかった問題点を、徹底的に審議することです。 例えば、国旗、国家法が国会で成立する過程で、政府は国民に強制はしないと答弁しました。当時の野中官房長官は記者会見で教育現場には持ち込まないと約束しましたが、東京を始めとして全国の教育現場に持ち込まれています。 東京地方裁判所が東京都教育委員会の卒業式に国旗掲揚、国歌斉唱を拒否した教職員に対する処分を無効とする判決を下しました。国会審議の過程で政府側がした答弁と現実とは著しく異なっていることが明らかにされました。 教育基本法改正についても同じことが起こりうる可能性が高いと国民が懸念するのは当然だと思います。既に通知簿で愛国心を評価している学校があるくらいですから、教育現場では愛国心の強制が起こりうると思います。 愛国心は夫婦の愛、父母の愛、親子の愛、家族愛、郷土愛などの自然に湧いてくるものですから、国家から強制されるべきものではありません。戦前の修身が国民総動員令を可能にし、軍国主義、全体主義の日本帝国を造り上げました。 民主主義の原点は多様な価値観を認めるところにあります。しかし、子供の時からマルバツ試験に慣らされる現代人は、与えられた問題には必ず答えがあり、しかも答えは一つしかない世界しか知りません。 修身のような単一の価値観を強制するのは危険です。読書、作文、素読などに勤しませて、多様な価値観に自らの力で触れさせるのが教育です。教育の基本は読み、書き、算盤ですが、特に国語力を身に付けさせることが必要です。 日本語は世界でも特異な言語です。外国語として学ぶには最も難しい言語だそうです。子供の頃から日本語を意識して身に付けさせなくては日本語すらできない日本人になってしまいます。英会話の授業などは必要ありません。 日本ほど世界中の本が翻訳されている国はないそうです。日本語ができさえすれば世界中の文学を読むことができ、あらゆる思想に触れることができます。そのためにも日本語の能力を付けさすのが教育の基本です。 愛国心は世界を知るようになれば自然に身につきます。世界と日本との関係を意識するようになれば、自ずから国旗、国歌を尊敬する態度も身についてきます。国家が愛国心を強制すれば、むしろ歪んだ愛国心が育ってしまいます。 日本は多民族国家のように愛国心を高揚させるために国旗、国歌が必要な国とは本質的に違います。日本語が日本人のアイデンティティですから、日本語の能力を高めることが愛国心を生み出す源泉力になると思います。
2006/10/26
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奈良市環境清美部の職員が5カ年間でわずか8日しか出勤しないのにも拘わらず、2700万円の給料が支払われたいたことが明らかになりました。職員は懲戒免職になりましたが、市は氏名、写真の公開には応じていません。 この職員は部落解放同盟奈良市支部協議会の副議長をしていました。14種の病名で34回も病欠をしました。病欠中にも部落解放同盟の同和対策や人権問題についての市当局との交渉の場に現れ、年数回も出席していたようです。 国、地方自治体、公共企業体などが部落解放同盟に利益提供してる現状は担当者だけではなくなく広く市民にも知れ渡っています。しかし、部落解放同盟の組織力を恐れて、誰もが臭いものには蓋を決め込んでいるのが現状です。 BSEで廃棄処分になる牛肉代金を詐取した業者、大阪市の旧芦原病院への融資案件など数百億円を筆頭にし、小遣い稼ぎまで不正な利益提供が後を絶ちません。担当者の事なかれ主義義と問題先送りが産んだ構造的な不正です。 部落解放同盟は全国水平社(1922年創設)に起源を持ちます。戦後、被差別部落解放運動を担う組織として部落解放運動は社会に大きな貢献をしました。悲惨であった被差別部落を根本的に変えたのは彼らの運動の成果でしょう。 水平社宣言には「自らの運動を人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動」と規定していますが、理想と現実とは大きく乖離してきたようです。運動の中で堕落し、強請、たかりを生業にする者も出てきたのでしょう。 この職員は広く報道されたので奈良市も懲戒処分にせざるを得なくなりましたが、事実を把握してから半年余りも経つのに事情聴取さえなされませんでした。部落解放同盟がバックに付いているから口封じがなされていたのでしょう。 奈良市の件がたまたまマスコミに取り上げられたから世間の耳目を集めたのに過ぎません。これに類することは国、自治体、公共企業体などで労使の暗黙の了解事項として頻繁に行われていると考えるのが常識的でしょう。 部落解放同盟は綱紀粛正に励むべきです。対外的にも部落解放同盟が変わったと思われるようにしなければ、暴力団と同列視されている現状は変わらないでしょう。自己の権利を主張しても構いませんが、義務を果たす方が先です。 部落解放同盟が結成された頃には、誰から見ても被差別部落は人間の住めるような環境ではなかったようです。住居、教育、就職、結婚などについても明らかな差別がありましたが、現在は環境も整備され、就職なども改善されてきました。 むしろ、被差別部落に対する逆差別を指摘する声が聞かれるようになりました。市の職員として採用されながら職場放棄をしても給料が払われる現状は明らかに逆差別です。多額の無担保融資などが公然と行われている現状も異常です。 部落解放同盟は既得権益を守る利権集団に堕落してしまったような印象を受けます。かつての部落解放同盟は先進的な運動体として人間解放を目指していました。自治労の中でも実働部隊として中核的な働きを担っていたように思います。 だから、部落解放同盟は水平社宣言に立ち帰り、自由と平等を追求した先達の意思を受け継いでいく義務があります。「人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向つて突進する」のが部落解放運動、人間解放運動の原点だからです。
2006/10/25
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佐藤福島県前知事が逮捕されました。物を言う硬派の知事として全国に知られ、知事会の副会長も務めていました。東京電力の福島原発事故、プルサーマル導入に対して国と激しく対立しました。 佐藤前知事に対する国策捜査という側面があるのかも知れませんが、付け入られる隙を造ったのは事実です。実弟が陰の知事として公共事業の談合を仕切っていたのは事実のようです。 おそらく、福島県内の業者だけではなく大手のゼネコンの間でも公然の秘密とされていたのでしょうが、県議会が黙認していた可能性が高いと思います。県庁内でも知事に諫言できる人材はいなかったようです。 東大出身の仕事熱心な知事で、5期18年も県政のトップに君臨すれば、誰よりも県政に詳しくなり、仕事に口を挟めるだけの人材が育たなかったのも無理ではないのかも知れません。 前知事が汚職で逮捕された後の知事選で建設省の官僚相手に20万票の大差を付けて圧勝してから、福島県は徐々に佐藤王国となっていったのでしょう。本人は前者の轍を踏まないように注意しながらも同じ轍を踏んでしまいました。 前知事自身は身辺には神経質なぐらいに気をつけていたようですが、土建業者は実弟を汚職に引き込みました。もし、前知事が表の顔と裏の顔とを使い分けていたのならば、かなり悪質な汚職といえます。 政治家の身内の汚職はアジア諸国では頻繁に見られる現象ですが、実弟が兄の権力を利用したのならば同じ構図です。大家族制が崩壊した日本でも封建社会特有のたかり構図が生きていようです。 政治家は支援者の力を借りなければ当選できないわけですから、支援者の要望を断りにくいのは政治の世界につきものです。利権を求めて集まってくる人間は鵜の目鷹の目で政治家の弱点を突いてきます。 政治家は李下に冠を正してはいけないのですが、本人以上に身内はそうでなくてはいけないのです。前知事の実家の経営が不振に陥ってきた時に、業者に食い込まれたのか、業者を利用したのかどちらかでしょう。 政治家は井戸と塀しか残せない時代もあったのですが、現代は政治家と利権が切り離せない時代になってきました。小泉前首相は政治家の利権構造に激しく切り込みましたが、小泉前首相が隠退したので息を吹き返しそうです。 地方自治体でも梶原前岐阜県知事の裏金問題、木村和歌山県知事の官製談合疑惑など不祥事が続いたので、地方分権への流れが勢いを失ってきています。知事には権力が集中するので腐敗しやすいのでしょう。 知事がいかに清廉で有能であっても権力が腐敗するのは避けられないのかも知れません。権力の腐敗を防ぐのには情報公開が必要です。目安箱のように役人の手を介さない情報が知事の手元に届かなければなりません。 高知県では役人の手で電子掲示板が閉鎖されました。橋本知事が役人からの情報だけに頼れば多選知事の弊害が一気に吹き出すでしょう。多選知事は裸の王様なのですがそれを自覚できるか、できないかで評価が分かれるのでしょう。
2006/10/24
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衆議院の補選で自民党が2勝しました。元来が自民党の議席でしたので 当然と言えば当然かも知れませんが、安倍首相には追い風になりました。この補選は新しい自民党と古い自民党との対決の様相を呈していました。 民主党は小沢代表の指示により、古い自民党型選挙法を取り入れました。各種団体に協力を求める姿勢は、旧来の自民党が大樹、特定郵便局長会や医師会などを集票マシーンとして活用した姿を彷彿とさせました。 民主党が古い自民党、田中角栄に繋がる小沢代表を選出しました。菅、鳩山氏とのトロイカ体制を解消しない限り改革政党とは見なされません。有権者の目には自民党が改革政党で、民主党が抵抗勢力に思えたに違いありません。 小沢氏は側近政治、壊し屋のイメージがあり、国民の目から見れば既に過去の人にしか過ぎません。民主党は過去の亡霊を甦えらしましたが、何を血迷ったのかと批判的に見る人も少なくはなかったと思います。 前原前代表が選出された時には民主党は確かに変わったというメッセージを国民に発信することができました。安全保障についても新しい政策を打ち出そうとしていた時に、政治家としての未熟さが出てしまい自滅してしまいました。 その後の民主党の迷走は目を覆うばかりでした。自民党が若い安倍総理を選出したのとは正反対の動きを見せました。安倍総理は政治家としてのキャリアは少なく、政界の闇の中で活動してきた小沢代表とは正反対でした。 安倍総理の政治家としての経験のなさがむしろ新しい可能性を感じさせましたが、小沢代表の政治家としての経歴は古い自民党臭を強く感じさせました。旧態依然とした談合政治の復活を感じさせたのです。 新しい葡萄酒は新しい革袋に詰めなくてはならないのです。古い革袋に新しい葡萄酒を詰めたら破裂してしまいます。小泉改革で日本の政治システムが大きく変わったのですから、小沢代表を選出した民主党の政治感覚を疑います。 北朝鮮が核実験を強行し、核保有国になろうとしている時に、過去の亡霊に闊歩されては困ります。民主党は健全な野党として国会で日本の安全保障に付き与党と激論を闘わせてもらわなくては困るのです。 教育基本法の改正もこれからの日本の教育に大きな影響を与えるものですから、野党に野党としてのチェック機能を働かせてもらわなければ困るのです。民主党に世代交代が起きなければ自民党が独走してしまいます。 自民党の支持者でも与党が衆議院で2/3の議席を占めている現状に懸念を抱いている人も少なくないと思います。理論的には憲法改正以外の法案を与党が単独で強行採決をできる数字です。 議会制民主主義の世界ではこのような事態は想定されていません。あくまでも健全な野党が存在することを前提としてできた制度です。小泉首相は敢えてこの大権に封印をしましたが、安倍首相は分かりません。 民主党がこのまま崩壊すれば、日本の民主主義は崩壊してしまいます。民主党には世代交代を図る道しか残されていません。小沢、菅、鳩山のトロイカ体制を解消して新しい執行部で安倍首相に国会で論争を挑むべきです。
2006/10/23
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「ぷらっとこうち」の運営委員会の現状認識には根本的な誤りがあります。少なくとも竹内、西村両氏をめぐるトラブルが起きる数ヶ月前に利用者として登録した者から見て運営委員会のやり方は一方的でフェアーではありません。 ある日突然両氏の書き込みが削除された事態は、第三者から見れば理解不能でした。書き込みが公序良俗に反するものではないのは明らかでした。両氏に釈明の場を与えず、書き込み削除、登録抹消へと進んだ処分は常軌を逸していました。 利用者はこのような初歩的なトラブルに愛想を尽かしたのです。処分が一方的なものである限り処分された者が争うのは当然です。運営委員会に当事者能力がないから最後の手段として司法の場に持ち出されたのにすぎません。 高知県庁の住民には訴訟は業務の一環でしょうが、一市民が訴訟を起こすのに要するエネルギーは膨大なものです。好きこのんで訴訟を起こす者などいません。訴訟に要する時間だけでも訴訟で得る利益よりも遙かに大きいものでしょう。 運営委員会が常識的な運営をしたならば訴訟などが起きるはずはありません。県庁の住民には訴訟を起こされたこと自体がショックだったかも知れませんが、公務員としての職務を放棄した結果が招いた事態であり、責任は県側にあります。 「ぷらっとこうち」のアクセス数が減少したのは運営委員会の責任です。お上が許可した落書きだけが掲示されている掲示板を庶民が見に来るはずはありません。落書きはお上の権威に反抗する庶民の意思表示だから面白いのです。 私はブログを初めて半年ぐらいにしかなりませんが、二つのサイトでそれぞれ常時3桁のアクセスがありました。ところが、日本は核武装をした普通の国になるなというブログを書いたらいきなりアクセスが二桁前半にまで落ちました。 テーマが過激なのがブログ村の住人には嫌われたのでしょう。ブックマーク、RSSからも削除されたようです。初めての経験なのでショックを受けましたが、ブログ村では掲示板は回覧板ではありません。見る、見ないは自由なのです。 書き込みの削除、登録抹消などが恒常的に行われる掲示板はそれだけの理由でブログ村の住民からボイコットされても当然です。「ぷらっとこうち」をブックマーク、RSSから削除してしまった利用者を呼び戻すのは大変でしょう。 「ぷらっとこうち」から手を引き、つつがなく過ごしたい役人根性が丸見えです。橋本知事が選挙に出るとするならば「ぷらっとこうち」を軟着陸させられなければ、ブログ村の支持を失うことになるので責任問題に発展するでしょう。 役人の本能として保身に走るのは構いませんが、状況を読み間違えれば庁内での立場に響くことになります。橋本知事の肝いりで造られた「ぷらっとこうち」を潰しても構いませんが、関係者の名前は既に全国に知れ渡っています。 裁判がどうなるのか分かりませんが、運営委員会、事務局、県の主張は常識から外れていると思います、、「ぷらっとこうち」が廃止されれば訴えの利益がなくなり却下されるので色々と画策をしているようですが、卑怯です。 「ぷらっとこうち」を再開し、運営委員会が自己批判をするのが先決です。閉鎖をするような姑息な手段がブログ村の住民から愛想づかしをされる原因になるのです。予算要求をしないような姑息な手段は問題を先送りするだけです。
2006/10/22
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北朝鮮のミサイル発射、核実験強行に対して日本が国連外交の場で初めて積極的外交を展開しました。アメリカとの連係プレーが実を結び、中露の協力を得て北朝鮮非難決議案、北朝鮮経済制裁決議案を安全保障理事会で可決させました。 しかし、麻生外務大臣、安部官房長官、現首相が外務省に積極的な指示を与えた結果でした。外務省は非難決議案に際して情報を隠蔽したり、外相、官房長官を外そうと画策したようですが、麻生、安部ラインはぶれませんでした。 北朝鮮が核実験を強行したので、外務省は一転して強気に転じたようです。中国、ロシアも北朝鮮に対する制裁を認めざるを得ないと考えたのでしょう。アメリカと共に国際世論を追い風にして、経済制裁を決めることができました。 中国は北朝鮮の核実験強行に対し予想以上に強い反応を見せました。唐国務委員を北朝鮮まで派遣して唐・金会談を実現させました。金総書記が条件付で中国に謝罪したというニュースも流れましたが、ライス国務長官は否定しました。 中国は北朝鮮が崩壊すれば朝鮮半島でアメリカと直接対決をせざるを得なくなるリスクと、北から難民が流れ込むリスクとを避けたと考えられますが、中国からの指示を無視した北朝鮮に対して相応のペナルティーを課したと思えます。 中国が経済制裁を完全に実行すれば北朝鮮は瞬時に崩壊してしまいます。例えば中国に石油のパイプラインを閉じられてしまえば北の機能は完全にマヒしてしまいます。北の生殺与奪の権利は一方的に中国に握られているといえます。 北の将軍様は核カードを先ずアメリカに対して切ろうとしていますが、ブッシュ大統領は応じないでしょう。その一方で中国に対しても核カードで揺さぶりを掛けています。地続きの中国ならば核兵器を使用できる可能性があるからです。 中国首脳部の至上命令は北朝鮮を核保有国にしないことです。その一方では、人民解放軍は血の盟友関係にある北朝鮮軍と戦端を開きたくないないのが本音です。和諧を掲げる胡主席は人民解放軍との間で微妙な舵取りを迫られています。 さらに中国の描く最悪のシナリオは潜在的核保有国である日本が核保有国になることでしょう。日本国内、さらにはアメリカでさえも政治家が日本の核開発に言及する記事が報道されています。中国外交はまさに岐路に立たされています。 北の将軍様は中国の置かれている状況を計算し尽くして瀬戸際外交を日米だけではなく中国に仕掛けているのでしょう。強請、たかりの国北朝鮮と6000年の歴史を持つ老獪な中国との間で火花を散らした外交戦争が展開されています。 日本では外務省は前後の見境がなくなり、防衛庁は腰が引けているように感じられます。北朝鮮のミサイル発射、核実験は想定された範囲内であるのにも拘わらず、国家戦略を持たない日本の政治、官僚政治の欠陥が浮かび上がりました。 外務省、防衛庁は予め予測された事態に際し、協力して対処した形跡が見られません。日本の安全保障が危機に陥った時にも官僚の縄張り争いが優先し、危機対応マニュアルさえ機能しない日本は平和ぼけと言われても仕方がありません。 日本人には外国から侵略、略奪を受けた体験がありません。危機管理能力が欠如しているのも当然かも知れませんが、安倍首相の「主張する外交」はその反面リスクも高い外交です。政治主導の外交を支える外務官僚の意識改革が必要です。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/22
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日米韓の3カ国外相が国連安保理事会の北朝鮮制裁決議のすみやかな実施で合意しました。中国は北朝鮮に唐国務委員を派遣しました。北の将軍様もさすがに中国に頭を下げたようですが、無条件で謝罪をしたわけではなさそうです。 日米韓に加えて中国も北朝鮮包囲網に加わるようになりました。中国は北朝鮮が核開発するのを許せませんが、体制崩壊までは望んでいません。北の体制崩壊まで睨んでいる日米と体制の維持を許容する中韓との温度差が気になります。 しかし、基本的には北朝鮮包囲網が完成しましたので、各国間の調整を取りながらゆっくりと北の首を絞める方向へと進むべきでしょう。兵糧攻めは焦った方が負けです。日本は北の将軍様が自滅するのを待てばよいのです。 ライス国務長官が直接アジアへ乗り込んできましたので、韓国、中国も北に対して甘い顔もできないでしょう。中国も北の核開発が日本の世論を刺激し、政治家が核開発を口にするのを見て、日本が核開発に乗り出すのを警戒しています。 日本の核開発の可能性が米中に疑心暗鬼を生じさせています。日本が潜在的核保有国であることが抑止力になっているのです。伝家の宝刀は抜かないから力を発揮するのです。日本が非核三原則を守り続けることが核抑止力にもなるのです。 アメリカは日韓の安全を保障するために核の傘を再確認しましたが、日本はアメリカの核の傘の中で守られていればよいと思います。アメリカも日米安保条約の基で、日本が核兵器を持った普通の国になるのを望んでいないからです。 日本が過剰に反応をすれば北の将軍様の思うつぼです。北は日本国内の北シンパを総動員して日本の世論を操作をしようとしていますが、さすがに核実験は日本の世論を硬化させました。国際世論の硬化も計算外であったかも知れません。 北は中国とロシアの出方を読み誤っていたのかも知れませんが、中国外交のトップである唐国務委員を北に呼び寄せられたのは一定の成果であったでしょう。中国を相手に条件闘争ができたのは瀬戸際外交の勝利と言えるかも知れません。 中国、ロシアも朝鮮半島に核兵器が存在することは北東アジアの軍事バランスを崩し、両国の安全保障上絶対に許すことができませんので、北の核実験再開、核開発は絶対に許せません。国際社会、日本とも協力をするでしょう 北の核開発阻止では5カ国の国益は一致しますので、北朝鮮包囲網を敷くのは比較的容易だと思えますが、中国は北が崩壊し、難民が押し寄せるのを警戒しています。生かさず殺さずが中国の対北朝鮮戦略の中心になるだろうと思います。 日本は中国を北朝鮮包囲網に参加させることに成功したのですから、中国が北の将軍様に圧力を加えた結果が出るのを待つべきでしょう。アメリカに協力する体制を整えながら、事態の推移に柔軟に対応できる体制を取るべきでしょう。 周辺事態の認定、特別措置法の制定などを焦れば、折角機能しだした北朝鮮包囲網に綻びが出てきます。北の食糧事情は悪化しており、兵糧攻めの効果はボディブローのように効いてきます。今年の冬を越せないかも知れないからです。 北朝鮮の国民が金体制を打倒することなしに、北の国家犯罪に依存する体制を変えることはできません。拉致問題だけではなく核開発をする国と日本は共存することはできません。日朝平和条約は体制が崩壊してから結べばよいのです。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/20
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福岡県筑前町で中学2年の男子生徒が自殺したのは教師のいじめであったと報道されていました。教師は生徒を「いじめられやすいタイプ生徒」と認識していたのにも拘わらず、教師の不注意な言動がクラスのいじめを助長させました。 この教師のイメージとして浮かび上がるのは、生徒と仲良しタイプの先生です。生徒に対して馴れ馴れしく接し、冗談などを交わし合っていたのでしょう。教師ではなく話の分かるお兄さんを演じようとしていたのではないでしょうか。 学年主任を任されているのですから、校長の評価は良かったのでしょう。学校行事の経験も豊富で改革力や企画力があったと評価されていました。生徒の間では人気があったようですが、口が悪く悪ふざけなども多かったそうです。 この教師は生徒から人気を得る手段として最も卑劣な手段を用いました。弱い者をからかうことにより生徒と一体感を造り出し、自分を生徒と同じ側に置き、弱い犠牲者を仲間外れにしたのです。いじめの図式と全く同じ構造です。 教師が生徒と仲良しになってはいけないと言いませんが、教師としての威厳を保つことを忘れて生徒の人気取りに走るようでは教師失格です。今回の事件はたまたま表に出ただけですが、関係者は単に運が悪かったと思っているでしょう。 学校、校長、教師に対する評価制度が厳しくなればなるほど、教育現場の隠蔽体質がますます深まるという悪縦貫に陥っているような気がします。文部科学相の出す統計を信じる者はいないでしょう。現実との乖離が著しいからです。 北海道滝川市で小学6年の女児が自殺したケースでは女児が教室に遺書を書き残していたのにも拘わらず、1年間も放置されていました。今回もマスコミがこれだけ騒がなければ、学校、教育委員会は隠蔽工作に走った可能性があります。 教師は精神科に入院したそうですが、世間から隔絶された世界で一人の生徒を自殺に追いやったことを反省してもらいたいと思います。何がいけなかったのかを生徒のご両親だけではなく、社会に対しても明らかにする義務があります。 今回の事件は氷山の一角にすぎないと思いますが、事件の根本は教師が権威主義に陥ないことイコール生徒と友達付き合いすることと取り違えたところにあります。教師と生徒、師弟関係が既に崩れ去っていたから起きた事件です。 教師の中には教壇にラフなスタイル、時にはトレーナー姿で上がっている教師もいるようですが、教師としての姿勢が根本的に間違っています。クールビズ、ワームビズまでは許されますが、教壇にはネクタイを締めて上がるべきです。 聖職者には聖職者に相応しい服装が要求されます。服装が乱れれば生徒が教師を見る目も乱れます。クラーク博士は「紳士たれ」の一言で札幌農学校の生徒の風紀を糺しました。教育労働者だと思う教師は塾の講師に転職すべきです。 今回の教師は学年主任をしており、いわゆる駄目教師ではありません。教育改革の過程で淘汰される教師ではありません。熱心であるがゆえに生徒に与える害も大きいのでしょう。「紳士たれ」と教師に言える人材が必要とされています。 国旗、国歌の強制には反対ですが、教師の側にも問題があるように思えます。自由には責任が伴うことを忘れている教師が多いのではないでしょうか。生徒に対しても毅然とした態度を取れない教師が増えてきたのではないでしょうか。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/19
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ロシア、中国は形を変えたツァー、皇帝が支配しなければ治まらない国なのかも知れません。ゴルバチョフのペレストロイカ、グラスノスチによりソビエト連邦は崩壊しましたが、再びプーチン大統領による独裁政治が始まりました。 ロシア、中国はアメリカとは違う意味で一部のエリートが国の政治を掌握し、国の富を収納してから庶民に再分配する方が国が纏まりやすいようです。西欧型の民主主義に国民が馴染むことができないのでしょう。 ロシアはソビエト連邦が崩壊する過程で国家が一度破綻しましたが、生産力も回復してきました。石油、LPガスが高騰し、国家財政は潤っています。国の負債も総て返済し、自力で経済回復、拡大を達成しています。 ロシアにはエネルギーを始めとする資源が豊富にあり、基本的には自給自足が可能な国です。シベリア開発でも日本からの投資よりも中国からの投資と労働力を呼び込んだ方がロシアに有利です。 ロシアにとって日本の存在はエネルギーを買ってくれる上得意であって、それ以上でも以下でもないのでしょう。ロシアには同じ政治体制の中国の方がリスクが少なく、日本よりもパートナーとして相応しいのでしょう。 ロシアではプーチン大統領の独裁体制の元でソ連型独裁政治、大ロシア主義が復活してきたような気がします。エネルギー産業を強権を発動しても国内資本だけではなく海外資本も含めて国家統制をしようとしているように見えます。 ペレストロイカの波が押し寄せていた時には国民はKGBの支配から解放されたかのように見えましたが、ロシア・マフィア、KGBの残存勢力が国民を暴力で支配し始めました。マスコミ関係者がしばしば暗殺されているくらいです。 ロシアの国民性からして北方領土を日本に返還する気はないでしょう。西方、中央アジアで勢力を失ったロシアが東方でも譲歩するのを国内世論が認めないからです。日本には国内世論の反対を抑えるだけの取引価値がないからです。 日本は北方領土返還に見合う利益をロシアに与えなければ、ロシアは領土問題は解決積みと主張し続けるでしょう。ロシアは戦争が終わったのにも拘わらず、60万人とも言われる日本人をシベリアに抑留させた国だからです。 外交は国と国との取引です。国際法を双方が守る意思を示さない限り、国際司法裁判所も無力です。外交の世界では法と正義よりも力とお金が力を発揮するのでしょう。あるいは北朝鮮のように脅迫するしかないのかも知れません。 日本にあるのは経済力だけですが、少なくとも現在はロシアは中国の方を見ています。しかし、中国がこのまま高度成長を続けられるとは考えられません。中国経済が破綻した時にこそ日本の出番があるのではないでしょうか。 ロシアと日本との間に友好関係を結ぶのは時間が掛かると思います。ロシアが西欧型民主主義を棄てソ連型独裁主義、大ロシア主義に移ろうとしている姿は、日本人から見れば冷戦構造が再来するかのように感じられます。 ロシアとは中国と同様に政冷経熱しかないように思えます。日本人の感覚からすればロシア、中国は異質な国であり、政治レベルでは有効な関係とは言えなくても、経済レベルで友好関係が保たれれば良しとしなければならないでしょう。
2006/10/18
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根津医師が祖母が娘の代理母になり、孫を出産したと発表しました。50歳代の祖母は既に閉経していましたが、治療により子宮の機能を回復させたそうです。30歳代の娘と夫による体外受精卵を祖母の子宮に戻し、出産させました。 根津医師は過去にも体外受精卵の「着床前診断」など生命倫理に問題のある症例を産婦人科学会に図らず行ってきた過去があります。根津医師は最先端の生殖医療を積極的に取り入れることが患者の利益と考えている産婦人科医です。 根津医師は確信犯ですから、彼と生命倫理を議論しても無意味でしょう。彼は医師免許を所持し続ける限り、より高度の先端生殖医療技術を取り入れた手術をし続けるでしょう。彼のクリニックを尋ねる患者もなくなることはないでしょう。 医師が患者の求めであればどのような治療をしても構わないのならば、医師は単なる技術者に堕落してしまったと言えます。売買された腎臓の移植手術を求められるままに施し、臓器売買も時には必要だといった医師と同じレベルです。 生殖医療は加速的に発展しています。原理的には精母細胞と卵母細胞さえあれば、それらを基にして精子と卵子を創り、体外受精させれば受精卵ができます。受精卵を人工子宮に受胎させれば、赤ちゃんを出産させることができます。 SFで描かれている未来社会が現実となる可能性があります。赤ちゃんは工場で出産されるので少子化は克服されます。総てが計画的にコントロールされる世界ですが、その様な世界に人間が果たして適応できるかが先ず問題になります。 「赤ちゃんは天からの授かり物」というのが日本人の生命観です。人間が顕微鏡下で精子を卵子に受精させ受精卵を創ることからして日本人の生命観に反しますが、さらに赤ちゃんを工場で育てる発想は日本人の生命観とは相反します。 キリスト教的な倫理観からすれば、生命の主は人間ではなく神様ですから、西欧諸国では生殖医療に厳しい制限が掛けられています。向井さんがアメリカで代理母により双子を得ることができましたが、州により法律が違うからです。 人間は自然に不用意に手を加えると環境破壊が起こり、人類の存続にも拘わることを学びましたが、生命に手を加えることは人間社会を破壊する一歩に繋がるかも知れません。科学技術万能主義は既に過去の遺物となっているからです。 人間の自然を征服するという使命感が、結果として環境破壊を起こしたのです。産婦人科医の子供に恵まれない夫婦に自分たちの血を引いた子供を授けたいと思う善意、使命感が、結果として人類を破滅に導く可能性が高いのです。 生殖医療を人間の善意、使命感で判断してはならないのです。自分の遺伝子を残したいのは生物としての本能ですが、人間は養子を迎えることもできます。子供を欲しい夫婦の要求を社会が無制限に許容するのは根本的に間違っています。 生命倫理の確立は現代文明が環境破壊を引き起こした過ちを繰り返さないためにも必要なのです。無原則な生殖医療の普及は社会を根底の部分から破壊するかも知れないからです。厚労省は世論に迎合し、政策判断を誤ってはいけません。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/17
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国連の安全保障理事会で国連憲章7章41条に基づく経済制裁案が全快一致で可決されました。常任理事国の中国、ロシアも賛成に回り、韓国は共同提案国になりました。軍事制裁を避け、経済制裁に絞ることで合意が成立したからです。 北朝鮮がわずか3ヶ月以内に安全保障理事会から3回にわたり非難、警告、制裁決議を突きつけられる異常事態が起きました。北朝鮮は国際世論に耳を貸さず、例え経済制裁でも北朝鮮に対する宣戦通告だと見なすと宣言しています。 一方、6カ国協議のメンバーは北朝鮮が6カ国協議に復帰すれば経済制裁を解除する道に繋がると含みを持たせています。国際社会が北朝鮮の核開発を断固阻止するという強いメッセージを北に突きつけたのです。 今回の決議が合意に至るまでには1週間も掛かりませんでした。北朝鮮に対して最大の影響力を持つ中国が賛成に回ったからです。ロシアも日米韓に追随し、6カ国協議のメンバーの内5カ国が経済制裁案を賛成しました。 議長国である日本とアメリカのチームワークがとれて各国に対する斡旋が成功しました。全会一致で決議案を可決されました。北にはまだ核実験カードが残っているので、国際社会も武力制裁カードを手元に残しておく方が懸命でしょう。 北朝鮮に経済制裁を加えても、中国が積極的に行動しければ北を兵糧詰めすることはできません。北朝鮮は中国が国境を越えて北から難民が流れ込んでくる可能性を考慮し、制裁決議案には賛成しないと計算していたのかも知れません。 中国は基本的には現状維持が好ましいのだと思いますが、金正日が核開発に手を染めるのを許すわけにはいかないでしょう。朝鮮半島非核化は中国、ロシアの国益に適う体制ですから、それの変更を認める訳にはいかないのでしょう。 アメリカが日韓に対する攻撃はアメリカに対する攻撃と見なすと明言しているので、北朝鮮は日韓との全面的な武力衝突は回避するでしょうが、特殊部隊、工作員が侵入し、破壊活動、テロが行われる可能性は十分に考えられます。 日本では国防族がヒステリックになりすぎているように感じられます。核開発の可能性にまで言及するのは、アジア各国からの誤解を招きかねません。核三原則は日本のアイデンティティですからそれを否定する言動は慎むべきです。 日本はアメリカに経済的な面で寄与しているのですから、軍事面では依存すればよいのです。平和憲法はアメリカが日本に押しつけたのですから、アメリカには日本を防衛する義務があります。そのための日米同盟です。 日米同盟は軍事面では片務的なものですが、経済面では双務的だと考えられます。北朝鮮でさえこれだけ騒がれるのに、プルトニウムを大量に貯蔵している日本が核開発を宣言すれば、世界はカオスに巻き込まれてしまいます。 日本は平和憲法を堂々と掲げればよいのです。世界は日本が軍事大国、ましてや核保有国になることを望みません。そのために日米安保条約があるのです。日本は核兵器を所有した普通の国、軍事大国になってはならないのです。 平和憲法はアメリカの押しつけではなく、戦後の混乱期の国民が求めていたものでした。日本は普通の国になることを拒否したのです。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」からです。
2006/10/16
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ネットの上での著作権とネットの外での著作権を分けて考えなくてはならない時代になってきました。物理的なメディア、本、DVDなどの著作権は70年に統一すべきですし、ネットでの著作権には発想を変えた立法措置が必要です。 現在の著作権法が想定しているのはDVDに保存された音楽、映像までです。テレビもデジタル化してきました。にネット上から音楽だけではなく、ユーチューブのように画像を取り込むことができるサイトも普及してきました。 ネット上で公開された著作物は簡単にコピーができますが、それを禁止するのは現実的ではありません。むしろ、著作権者に何らかの付加価値を与えるようなシステムを構築すべきです。 書籍、音楽、映像もネットを介してダウンロードできるようになりました。ネットの世界では、新人が簡単にデビューすることができるようになりました。ネットで話題になり、売り上げが伸びるという現象も起きているようです。 ネットの世界ではプロダクション、出版社の支配が崩れ、誰もが参入できる世界になりました。マスメディアが支配していた世界から、ブログを使い、誰もが作者、ミュージシャンになれる世界になりました。 マスメディアが技術的にも著作権を独占できる世界ではなくなりましたが、ネット業者には広告収入という新しい付加価値が生まれてきました。双方の間で著作権収入と広告収入とを適正に分配するシステムが必要でしょう。 ネットの利用者には、現行の無料でダウンロードができるシステムが良いのに決まっています。テレビの映像なので著作権の関係で再放送ができないという障壁がなくなる方が望ましいのも当然です。 最悪なのは、著作権問題がこじれて映像などが死蔵されてしまうことです。ネットの利用者の視点に立ち、広告収入をサイト側が独占するのではなく、死蔵されている作品を掘り起こし、社会に還元すべきでしょう。 現在のように著作権法に縛られ、著作物の積極的活用の場が狭められているのは著作権者、利用者双方のためにもマイナスです。文化を発展させる面からすれば、非常効率が悪く、付加価値を生み出しにくいシステムです。 法律は現実の世界を前提にしていますので、バーチャルな世界を規制しにくいでしょうが、バーチャルな世界こそ21世紀のニューフロンティアです。ニューフロンティアには現行法とは質的に全く違う法律が必要とされているのです。 ネットの世界には誰もが何時でも何処からでも参加できますので、階級の差を乗り越えさす力があります。ネットの世界では負け組でも勝ち組と同等なサービスを受けることができるので互角に戦うことができます。 ブログの世界ではマスメディアが中央から発信する情報とは違う情報が流れています。21世紀はマスメディアが管理する管理型民主主義からブログ民主主義に変わるでしょう。個人が発信する情報が世界を動かすことになるでしょう。 経済の世界でもネットの世界を活用すれば、発展途上国と先進国と差がなくなります。例えば、インドはネット先進国の仲間入りをしようとしています。パソコンの普及率が高まれば日本はインドに追い越されるかも知れません。
2006/10/15
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ペンシルバニア州のランカスター郡でキリスト教系小学校に自動小銃を持った男が乱入し、立て籠もりました。女子生徒だけが取り残され、5名が射殺されました。射殺された少女は処刑されたかのように頭を打ち抜かれていたそうです。 この地方にはプロテスタントの一派アーミッシュ派の信徒が世俗社会から離れて住んでいます。18世紀のままの生活様式を今も守りながら生活しています。電気、ガス、水道、自動車を使用せず、馬車を使う独特の文化を守っています。 アーミッシュ派はスイスで始まり、ドイツ語圏に広がりましたが、ヨーロッパで激しい弾圧を受けたので18世紀にアメリカへ渡ってきました。「ペンシルベニア・ダッチ」という古いドイツ語を受け継ぎ、無地で質素な服装をしています。 彼らは一般市民と離れて住み、彼らだけの共同体を造り、自給自足の生活を営んでいます。参政権や徴兵などの国民の権利や義務さえも拒否しています。教育は子供を堕落させると信じ、子供たちには英語の読み書き程度しか教えません。 犯人に銃を突きつけられた少女たちの中で最年長の13歳の少女が「私を撃ってほかの子たちを放してください」と犯人に身代わりを申し出て射殺されました。彼女の妹も姉に続いて犯人に身代わりを申し出て重傷を負わされました。 それにも拘わらず、アーミッシュの人々は犯人の奥さんを5人の少女たちの葬儀に招くいたそうです。犯人の奥さんをアーミッシュの人々は抱擁したそうです。聖書にある『恨みに思うことがあれば赦してあげなさい』を実行したのです。 このアーミッシュの絶対平和主義が全米の人々に深い感動を与えたそうです。アーミッシュの絶対平和主義は徹底しており、第二次世界大戦では良心的徴兵拒否が認められました。看護の手伝いや落下傘づくりをしていたそうです。 少女は主が弟子に『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』と言われたのをその身で実行しようとしたのです。聖書の世界に生きる少女は主の十字架での死に倣い、友の身代わりになって死んでいったのです。 アーミッシュの生きている世界は私たちが生きている世界とはあまりにも違い過ぎます。戦争が絶えない世界から隔絶された世界、18世紀にタイムスリップしたような世界に生る彼らの規範は「信仰のみ、聖書のみ、万人祭司」なのです。 北朝鮮が核実験を強行しました。テロとの戦いの先は見えません。国家機能が既に破綻し、民衆が難民キャンプでしか生きていけない国もあります。世界の平和、世界の安全保障は危機に晒されています。軍事的緊張が世界を覆っています。 軍事力で一部の先進国だけの平和が保たれている世界は人類にとって不幸な世界です。武器に頼る社会、一部の者が資源を搾取する世界に人類の未来はありません。世界の資源を再配分することができれば、世界は飢えから救われます。 アーミッシュの世界は私たちに既に失ったものを感じさせます。権謀術数が渦巻く国際政治の中で絶対平和主義を唱える日本はドン・キホーテのようですが、非対称の武力抗争が続く世界の明日を開く鍵が平和憲法に秘められています。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/15
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和歌山県庁の談合事件で出納長が逮捕されました。昨年から続く旧日本道路公団、防衛施設庁、福島県庁の談合事件と同じ構造の「官製談合」です。木村知事の事件への関わりが問われることになるでしょう。 木村知事は入札の透明化を計り、談合ができない仕組みを整えていたと言われていましたが、「側近集の側近」と言われた出納帳が「官製談合」主導していました。木村知事を蚊帳の外に置いて役人が共謀したのではないでしょうか。 和歌山県は基幹産業がなく「地場産業は建設業」とまでいわれていたようです。地方経済が低迷する中で、公共事業は失業対策事業の意味合いを持っていたのかも知れませんが、過去の「箱物行政」時代の発想です。 「官製談合」は財政出動が景気対策の常識とされていた時代には、失業対策の側面を持っていました。地元の業者に県の事業を発注するのが当然という発想があったのも事実です。談合は必要悪だという意識が行政にも業界にもありました。 小泉前首相は景気対策のためには財政出動を行うのが常識であった政治の世界に、財政出動を伴わない構造改革による景気対策という概念を持ち込みました。政治の世界にコペルニクス的発想の転換をもたらしたのです。 小泉改革は瀕死の患者に外科手術を行うようなものだと揶揄されながらも、日本の経済は立ち直り、デフレから脱却するのも時間の問題です。バブル時代にはリストラで多くの犠牲者が出ましたが、雇用も回復してきました。 大企業は水ぶくれから筋肉質に改造され、国際競争力も回復してきましたが、中小企業、地方には経済波及効果が及んでいないところが随分とあります。景気回復が遅れている地方では、雇用を維持するために失業対策事業も必要でしょう。 しかし、「官製談合」を放置すれば、モラルハザード、倫理の欠如が起きます。日本がバブル崩壊で溺れそうになったのは企業の経営者、官僚、政治家がモラルハザードを起こしたからです。正直者が馬鹿を見る世界は必ず崩壊します。 「官製談合」で仕事を得ることが普通になりますと、企業努力よりも談合をすることが企業の業績を上げることになります。企業努力を放棄し、営業だけで成り立つ企業が市場から淘汰されなくなれば県の活力も落ちてしまいます。 「官製談合」は麻薬のようなものです。一時は苦痛を凌ぐことはできますが、身体は蝕まれ、破壊されてしまいます。麻薬依存から回復するためには麻薬を断たなければなりません。日本経済は財政出動を断つことにより再生できたのです。 高知県ではゼネコンの大旺建設が民事再生法の適用を申請しましたが、大手ゼネコンも再編を免れられないでしょう。麻薬を絶つためには死ぬような苦しみを味わいますが、それに耐えられたものだけが健康を回復することができるのです。 高知県、市は新堀川を暗渠化し4車線の道路工事を計画していますが、100億円を超す工事費を捻出できないのに、工事を強行しようとしています。和歌山県、新潟県が行った失業対策のための「官製談合」の疑いが濃厚です。 トップに談合の意志がなくとも蚊帳の外で部下が蠢いています。改革派知事たちは裸の王様になっていたのです。役人は肝心の情報を上には上げません。知事がいかに誠実に仕事をしても、役人の汚職体質はなくならないのです。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/14
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国連の安全保障では国連憲章7条に基づきますが、憲章41条に限定する決議案が採択される可能性が高いようです。経済、外交面での制裁については加盟国に対し強制力を持ちますが、軍事制裁はしない決議案に治まりそうです。 日本が求めていた北朝鮮封じ込め案から見れば若干後退していますが、日本、アメリカに中国、ロシアが譲歩したのは一歩前進です。合意案が纏まったのは外交的勝利といえるでしょう。安倍首相の自己主張をする外交が実を結びました。 北朝鮮にはまだ核実験カードが残っています。日本、アメリカも国連憲章42条カードを温存しておくべきでしょう。日本独自で対応できるカードは既に使い切ったからです。後は政府の対応次第です。 日本には臨検に対する対応が課題として残りました。現行法は多国籍軍が北朝鮮の船舶を臨検する事態を想定しておらず、与野党から周辺事態と認定せよ、さらには新しい立法措置を検討するべきだという声が上がっています。 国防族の目の色が変わり、自衛権を発動すべきだと張り切っていますが、緊急事態だからこそ冷静に対処しなければならないと思います。かつての日本は一時の興奮に駆られて中国に乱入しました。その結果が国を滅ぼすことになりました。 人間の集団は緊急事態に遭遇すると過激な意見が通ってしまう傾向があります。前後の見境をなくし過激な行動に走り、収拾が付かなくなる事態を避けなくてはなりません。戦略なき戦術は国を滅ぼす元だからです。 戦略目標は北朝鮮の核開発阻止にあります。戦術としては北朝鮮を兵糧攻めにするという古典的な戦術を選択しました。そのためには中国、韓国、ロシアの協力を求めなければなりません。日本だけの制裁では効果がでないからです。 アメリカも北朝鮮の核開発を絶対に認めることはできないでしょう。北の核開発はアメリカの自衛権を侵す行為であると認識しているからです。北朝鮮から核兵器がテロ組織に流れればアメリカの死活問題になるからです。 北の核開発が自衛権を侵す行為と見なす点では日米間に共通認識ができているでしょうが、日本には憲法9条「国の交戦権は、これを認めない」があります。日本の役割はアメリカ軍の後方支援に留まるべきです。 憲法9条は21世紀の国家の理想像です。先の大戦での多くの犠牲者の血で贖われてできたのが平和憲法です。軍事力が支配する世界は軍事力で滅びます。軍事力ではテロを封じ込めない現実がそれを証明しています。 冷戦時代は東西の核の均衡により、平和が保たれていましたが、唯一の軍事大国であるアメリカでさえテロとの戦いに勝利できない時代なのです。テロとの戦いは軍事力に頼っている間は、おそらく解決することはできないでしょう。 北朝鮮の国家テロも軍事介入すれば解決できる性質の問題ではなく、古典的な兵糧攻めが最も効果的だと思えます。韓国の太陽政策も中国からの経済援助も北朝鮮に核実験を行う時間的余裕、経済的余裕を与えただけでした。 日本は国際社会に核拡散の脅威を訴え続け、対北朝鮮包囲網を構築し、北朝鮮に圧力をかけ続けなくてはなりません。ルーマニアのチャウシェスク政権が突然国民に倒されたように、北朝鮮の国民に金王朝が倒されるのを待つしかないでしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/13
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団塊の世代は総ての面で競争をさせられました。現在と比べて大学の門は非常に狭かったと思いますが、受験教育の弊害をそれほど感じないですみました。現代のような偏差値という単一な物差しがなかったからでしょう。 共通一次試験が導入されてから偏差値が唯一の基準になってきたようです。大学を偏差値で選ぶようになり、大学の校風で選ぶことがなくなりました。専攻先を理系にするか文系にするかさえも偏差値で決まるようです。 高校生の間に将来の進路まで決めるのは無理かも知れませんが、理系に進むか、文系に進むかすら偏差値に任せるのは異常です。学部、学科を選ぶのも偏差値で決める大学生を想像すらできません。私たちの時代には個性に溢れた大学があり、大学に憧れて進路を決めたように思います。 自分の適性を自分で判断できないのは大人になりきっていない証拠です。人生の最初の選択を偏差値に任せれば、「自己決定、自己責任」、自分で決定したことに自分で責任を持つことができない人間が大量生産されます。 さらに、マークシート方式では一つの設問に必ず一つの答えしかないのがルールです。単眼的な物の見方が無意識のうちに刷り込まれてしまいます。世の中には答えがないこと、答えが複数あることも知らずに育ってしまいます。 社会に出れば単眼的な思考は通用せず、複眼的な思考が必要とされます。日本のエリートと言われる人は与えられた課題を処理する能力は非常に高いのですが、新しい課題を見出す能力は低いと思われます。 バブル崩壊までの日本は「アメリカに追いつけ、追い越せ」ですみました。アメリカという目標を目指してエリートたちの問題処理能力の高さが極限まで機能したのですが、アメリカを追い越したとたんに目標を見失ってしまったのです。 バブルで極限まで高められた日本の国際競争力、経済力を維持できなかったのは新しい時代に相応しいシステムを構築することができなかったからです。日本のエリートが栄光に輝いていた期間は短く、日本のバブルは崩壊したのです。 日本が戦争に突き進んだのも同じ構造であったと思います。陸軍大学の恩賜組が日本のシステムを機能させる責任を負いましたが、彼らには日本の国家戦略を練り上げるだけの能力はなく、事態の推移に手をこまねいていただけでした。 日本の教育システムは単眼的な思考しか評価されませんので、問題処理能力には長けていますが、複眼的な思考が全くできないエリートを生み出してきました。創造性の欠如を指摘されますが、偏差値教育に起因するように思えます。 戦前のように飛び級制度を復活し、高校を卒業する前に一流大学に進学できるようにし、共通一次とは全く違う入試システムを導入します。例えば数学オリンピックのように学校のカリキュラムとは関係のない出題をすればよいのです。 共通一次試験では全科目で高得点をマークできる人間しか有名大学へ入れません。減点法ですから、苦手の科目が1科目でもあれば偏差値は極端に落ちます。私ならば共通一次には適応できず、大学に進学はできなかったでしょう。 入試システムを改めなければ、日本の教育を変えることはできないでしょう。単眼思考しかできない人間ではなく、複眼思考のできる人間を社会は求めていると思います。複眼思考ができなければ、創造性を発揮できないからです。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/12
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北朝鮮が「核実験に成功した」と声明を発表しましたが、核爆発のエネルギーが広島、長崎に比べて一桁小さいですので、核爆発は部分的であったのではないかと言われています。核実験が失敗した可能性も否定できません。 しかし、いずれにしても北が核実験を開始したのは事実ですから、後は時間の問題です。少なくとも長崎型原爆の数個分、多くて十数個分のプルトニウムを貯蔵していると考えられますので、物理的には核開発を止められません。 核弾道開発には超えなければならない技術的課題が多くあるそうですから、核ミサイル開発には時間的余裕がありますが、テポドン2型に核弾道を装着して打ち込まれれば日本には防ぐ手段がありません。 日本の安全保障を考える時に、冷戦終結後には具体的な脅威を前提とした議論がなされてきませんでした。日本人は「平和ぼけ」といわれ続けてきましたが、北からの核攻撃の脅威に国民がパニックに陥ったら北の思うつぼです。 政府は船舶に対する臨検をせず、北の脅威を周辺事態と認識しないようです。世論の高まりを受けて、朝鮮半島有事に突き進むことに政府は抑制的なようです。安倍首相の持論である集団的自衛権行使も封じ込めているようです。 自民党内には集団的自衛権を行使できるように政府見解の改訂、憲法9条の解釈を変更すべきだと主張する勢力がありますし、民主党内にもあります。憲法改正派が勢いづき、護憲派が衰退する兆しが見られます。 護憲派の多くはかつて拉致などはあり得ない、反北朝鮮キャンペーンだと決めつけました。北の核開発をためにする議論だと認めませんでしたが、北は「ならず者国家」でした。世界を相手の強請、たかりを生業とした国家でした。 護憲派には親米は悪、反米は善という前提があったように思えます。親米は悪に始まる演繹法で、だから憲法9条の改正に反対するでした。国際情勢を分析した帰納法で、だから憲法改正派は認められないとの論理構成がありませんでした。 日本が具体的に戦争に巻き込まれる可能性を無意識に排除した論理でしたが、北からの脅威が具体的になった現在は机上の空論と見なされても仕方がありません。国際社会には「ならず者国家」が現実に複数はあるからです。 例えば、北がノドン、100発は所有しているらしいですが、それの弾頭に「汚い爆弾」(放射性物質を封入した爆弾)を装填して日本に打ち込まれれば、日本はパニックに陥ります。特殊部隊、工作員のテロにも対応できないでしょう。 冷静に考えれば、アメリカの核兵器以外に北朝鮮に対する抑止力はないのです。その様な状況の中でなおも憲法9条を守り抜く論理が護憲派には見られません。「右の頬を打たれれば左の頬を差し出しなさい」は宗教者の論理です。 国民の半数は憲法9条の改正に反対ですが、北の脅威が世論を憲法改正に賛成する方向に導きかねません。護憲派が国民を納得させる論理を構成することを望みます。従来の発想を捨て、国際情勢にあった護憲論を展開してください。 政府も冷静に事態の推移を見守り、過剰に反応をしないで下さい。北への制裁は憲法で許される範囲で行ってください。「集団的自衛権は行使できない」を遵守し、周辺事態法を適用せず、臨検は武力行使と紙一重ですから止めてください。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/11
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北朝鮮非難決議が衆議院で採択されました。「国際社会の平和と安全に対する重大な挑戦」とし、核実験を「いかなる理由に基づこうとも正当化の余地はなく、無謀な暴挙を絶対に容認することはできない」と強く非難するものです。さらに、日本政府に「米国など関係各国と連携し第7章に基づく措置も含め、国際社会が結束した外交を展開し、平和的な解決を模索すべき」と求めました。 北朝鮮のミサイル発射に続く核実験強行は、北に対する制裁を求める世論をさらに喚起しました。与野党から北朝鮮に出入りする船舶への臨検を求める声や集団的自衛権の政府見解を見直す声が上がってきています。 世論の北朝鮮パッシングを利用し、安全保障に関する懸案事項を安易に国会を通過させる動きが見られます。日本帝国陸軍が大東亜戦争へと突き進む時も、軍部が世論を煽り、対中国強行論を利用した前例があるからです。 今回は日本の自作自演ではありませんが、憲法改正派、集団的自衛権行使派が世論を煽り、対北朝鮮強硬論を利用する可能性があります。安全保障に関する案件の審議は平時に行うべきで、緊急時には慎むべきです。 アメリカは核兵器を所持する北朝鮮とは共存しないと明言していますし、ブッシュ大統領はクリントン大統領のような譲歩はしないでしょう。日米安保条約、日米ガイドラインの実行を求められる事態が起きるかも知れません。 公海上の船舶に対する臨検も、北朝鮮関係の船舶は北の工作船のように重装備を施している可能性があります。巡視船レベルでは撃沈されるかも知れません。自衛艦が出動する事態になれば戦時体制に突入してしまいます。 北の将軍様の意図がどの辺にあるのか分からないのですが、瀬戸際まで追い込まれていることは確かです。自爆テロも可能性としては十分に考えられます。日本は朝鮮半島から距離を置き、事態の推移を見守るのがよいと思われます。 アメリカが直ちに実力行動に出ることはないでしょうが、北の体制崩壊を最終目標にしてあらゆる手段を行使するでしょう。日本の協力はアメリカ軍の後方支援に限り、韓国軍とも良好な関係を保つ範囲の協力に限定すべきでしょう。 少なくとも憲法9条の範囲内での行動に自制しませんと、朝鮮半島有事に自衛隊出動となりかねません。有事法、日米ガイドラインで曖昧に決着させられていた有事が現実のものとなりかねません。 北朝鮮軍の正規軍は日本を攻撃する手段を持ち合わせませんが、特殊部隊、工作員によるテロは十分に考えられます。破壊工作による人心攪乱に過剰に反応し、9.11テロ後のアメリカにならないように注意しなければなりません。 日本の政治家の意識は既に有事に切り替わっているかも知れませんが、国民は政治家に踊らされることなく、平和を希求しなければなりません。憲法9条はまだ生きており、集団的自衛権の行使は認められていません。 安倍首相は政府見解を変更し、集団的自衛権の行使を容認する絶好の機会を得ました。国民が北朝鮮パッシングに巻き込まれるとかつての日本帝国、ナチス・ドイツになってしまいます。ナチス・ドイツは民主的手続き経た政権だからです。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/10
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下司さん(下司先生の息子)からメールを頂きました。正義やモラルでは飲酒運転はなくならないというものでしたが、私は制度の問題だと思っています。飲酒運転に関する法制度に瑕疵があると思っています。 下司さんは飲酒運転が厳罰化されても飲酒運転がなくならない現状は、社会がアルコールに対して適切な対応をしてこなかったことにあると思われているのでしょう。子供の時からの飲酒教育の必要性などを指摘なされていました。 確かに今から振り返れば、私はアルコール依存症になりやすい体質であり、本来アルコールを飲んではいけない人間に分類されるのだと思います。適切な飲酒教育がなされていればアルコール依存症にならなかったかも知れません。 一方、アルコール依存症になってしまえば、断酒がいかに難しいかを私は経験してきました。アルコール依存症ほど「断酒の効果が明確であり、断酒しか治療法はない」のが明かであるのにも拘わらず治療が難しい病気もないでしょう。 治療よりも予防が有効なのは医療の原則ですが、アルコールで失われる経済的な損失、人的な被害を考えれば、社会はアルコール依存症にもっと真剣に取り組むべきです。アルコール依存症対策は喫緊の課題です。 下司さんの指摘するとおり正義やモラルではアルコール依存症はなくなりません。アルコール依存症は病気であり医療の対象だからです。アルコール依存症はアルコール専門病院、断酒会、A.A.などで治療すべき病気だからです。 しかし、飲酒運転はアルコール依存症とは別の次元の問題です。一言で言えば、アルコール依存症の人間に運転免許証を所持させなければよいからです。飲酒運転をした人間に運転免許証を所持させ続けている制度に瑕疵があるのです。 統計を見れば、飲酒運転が厳罰化されてから飲酒運転で検挙された人間などの数字が減少しているのが読み取れますが、重大な事故は相変わらず起きています。飲酒運転常習者、アルコール依存症の起こす重大事故が減らないからです。 飲酒運転が厳罰化されたので飲酒運転がもたらすリスクの高さを認識できる人、アルコールをコントロールできる人は飲酒運転を避けているのでしょう。下げ止まりしているのはアルコール依存症の飲酒運転が減らないからです。 アルコール依存症はアルコールが入れば飲酒運転のリスクの高さなどは忘れ去ってしまいます。厳罰化は飲酒運転の抑止力とはならないのです。「飲んだら乗るな」、常識的な判断さえできなくなるのです。それが病気である証拠です。 言葉を換えれば、飲酒運転をした人間はアルコール依存症であると言うことです。だから、飲酒運転をした人間から運転免許証を取り上げるべきです。正常な判断ができない人間が運転免許証を所持している現状が間違っているのです。 おそらく、基本的人権を云々する人間が出てくるでしょうが、運転免許証の取得条件には適正な判断力を持つ者とあるはずです。アルコール依存症の人間には断酒3年くらいの実績がなければ運転免許証の再取得を許すべきではありません。 基本的な問題は警察庁でも飲酒運転は過失として扱われ、警察官でさえも飲酒運転の処分は停職止まりですが、飲酒運転は未必の故意による殺人未遂です。故意犯であり、確信犯です。殺人未遂犯は高知県のように免職にすべきです。 社会が飲酒運転を故意犯、確信犯だと認識するようなれば、飲酒運転既遂者でも運転免許証を所持できる制度が改まります。飲酒運転の犠牲者を減らし、アルコール依存症の運転者に治療の動機付けを与える近道だと思います。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/10
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日中首脳会談で安倍首相は胡錦濤国家主席を始めとする中国首脳陣と会見しました。歴史問題が小泉前首相、胡錦涛主席の喉に刺さっと棘でしたが、両首脳は歴史問題、靖国参拝を棚上げすることで合意したようです。 日中両国間では政冷経熱の状況が続いていましたが、小泉前首相の退陣に合わせて日中首脳会談が再開されたのは日中両国にとって歓迎すべき事柄でしたが、その直後に北朝鮮が核実験を行いました。 北朝鮮が中国の全国人民代表会議に合わせて核実験を強行したようですが、安倍首相の韓国到着直前に合わせたような気もします。湖主席が安倍首相に北朝鮮に核実験を行わないように強く働きかけると約束した直後でした。 北朝鮮は瀬戸際外交でクリントン前大統領から大幅な譲歩を引き出したことが忘れられないのでしょうか、超えてはいけない一線を越えてしまいました。ブッシュ大統領が北朝鮮に譲歩することは考えられません。 日本、アメリカは安全保障理事会に国連憲章7条に基づく北朝鮮制裁決議を提出するでしょうし、今回は中国、ロシアも国際世論を敵に回さないと思います。両国が北朝鮮よりの立場を貫くメリットがあると思えないからです。 国際的な北朝鮮包囲網が形成される可能性は非常に高いと思われます。中国も世界中の視線が集まる中で北朝鮮に面子を潰されました。中国が北朝鮮の体制を維持するための努力、経済援助を続けるかは疑問です。 北朝鮮が核保有国になれば東アジアの軍事バランスが大きく崩れます。中国、ロシアも朝鮮半島が核武装されるのには反対の筈です。アメリカがイラク、イランに手こずっている隙を狙ったのでしょうが、判断ミスとしか思えません。 安倍首相に対する北の将軍様の嫉妬?から出たのかも知れませんが、戦前の日本が受けたABCD包囲網が再現されるのではないでしょうか。北の将軍様は最後の博打に打って出たのでしょうが、賽の目は凶と出るでしょう。 アメリカは核を持った北朝鮮と共存する気はないと宣言していますし、日本も対話を続けられる雰囲気ではありません。安倍首相の持論である集団的自衛権が議論されなくてはならない国際情勢になってきました。 例えば、公海上での臨検が具体的な課題として持ち上がるでしょう。海上保安庁の巡視船が北朝鮮の工作船に銃撃を受けたのは最近の出来事です。工作船は対戦車ミサイル、対空ミサイル、重機関銃等で重装備されていました。 今から振り返れば、軽装備の巡視船で対応できたのが奇跡でした。自衛艦が対応すべき事態でしたが、法整備が遅れていました。日本が「集団的自衛権を持つが、行使できない」立場を貫ねけられるかが政治課題となりました。 北朝鮮の原爆はミサイルに搭載できる段階に達してはいないと言われていますが、時間の問題です。日本はノドン、テポドンの射的距離内にあります。核攻撃をされる危険性が具体性を帯びてきました。 憲法9条の解釈、集団的自衛権をめぐる議論が抽象論ではなく、具体論として浮上してきました。憲法9条を掲げる日本はドン‐キホーテのようですが、平和憲法は日本のアイデンティティです。憲法9条の枠組みの範囲内でできうる国際貢献を政治家は見出してください。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/09
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個性尊重教育が子供のわがままを容認する気風を社会に蔓延させました。教育界が個性とわがままを同一視した結果ではないかと思っています。社会、父兄に躾に厳しい教師と暴力教師とを見分ける力がなくなってきたからです。 一律に体罰を禁止する風潮には疑問を感じます。子供には身体で覚えさせなくてはならないことがあります。躾と体罰とは紙一重ですが、紙一重の基準を造る努力を社会が放棄している現状が問題だと思います。 暴力教師も多く、児童虐待は私たちの身の回りで起きています。彼らは異口同音に躾をしていると言いますが、躾と体罰の差は愛があるかないかで決まるでしょう。愛は客観化できないので無条件で暴力を禁止せざるを得ないのです。 しかし、教育の根本は愛に尽きると思います。愛が必要でないのならば機械をを導入すればよいのです。教育ソフトは巷に溢れていますが、子供が機械に育てられるようになれば人間社会は崩壊してしまいます。 愛は非常に抽象的な概念ですから教育現場に導入する手段が限られます。私立学校ならば設立の理念に沿った価値観、宗教教育もできますが、公立学校に宗教教育を導入させるわけにはいきません。 キリスト教国である西欧諸国では、宗教教育は憲法との整合性を問われています。アメリカで進化論を教える事の是非が裁判で争われました。進化論を教えるのを禁じるのは合衆国憲法違反だという判例がありますが、今でも賛否両論です。 学校教育にの現場に宗教教育を導入させたら、公立学校においては憲法違反になりまし、学校が混乱します。だからといって、教育基本法を改正するのも戦前の修身が甦るようで、価値観が一面化される恐ろしさを感じます。 国旗、国家法案の国会審議の過程で、政府は国旗、国家を強制するものではなく、国旗を日の丸、国歌を君が代とするだけであると答弁しながらも、教育現場では教職員を懲戒処分で脅しながら、国旗、国家を子供たちに強制しています。 何処の国の国旗、国歌でも尊ばなければならないのは国際常識ですが、現在のような強制的な手段は国歌に対する反発を強め、むしろ逆効果をもたらすと思います。国旗、国歌の強制は躾ではなく体罰のように感じさせられます。 子供に対して教えなくてはならない普遍的な愛は、家族愛、兄弟愛、夫婦愛、男女の愛、親子の愛、郷土愛、民族愛などですが、国家に対する愛は相対的なものだと思います。国家は永遠に続くものではないからです。 日本は海で大陸から隔てられているので国家が絶対だと錯覚していますが、大陸では侵略したり、侵略されたりするのは日常茶飯事です。日本の歴史でも統治者は変わっていますが、異民族に支配された経験はないからです。 日本は日本人イコール日本語を話す人と言い換えても良いくらいの世界でも珍しい単一民族国家です。日本人のアイデンティティは日本語であり、国家、国旗を持ち出さなければならないような多民族国家とは根本的に違います。 ですから、義務教育は読み、書き、算盤に尽きますが、特に読書、作文、古典の素読などを教え、日本語を習熟させることが肝要です。多様な価値観があることを教え、多様な価値観を選択する力を身につけさすのが教育の目的といえます。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/08
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私は断酒会発祥の地である下司病院でアルコール依存症と躁鬱病の治療のため1年間入院していました。断酒20年を超しますと、入院仲間の訃報が相次ぎます。1年間に下司病院を通り過ぎた人で確実に断酒している人を私は知りません。 下司元院長が「厳罰では飲酒運転を根絶することはできない」と言われたのは、おそらく「アル中は飲酒運転を厳罰化しても飲酒運転を止めない」という文脈の中で言われたのだと思います。 飲酒運転の厳罰化が飲酒運転を激減させたのは事実ですから、下司先生は厳罰化が意味がないと言われたのではないと思います。飲酒運転の厳罰化よりもアルコール依存者対策が重要だという意味で発言なされたのだと思います。 私は飲酒運転は未必の故意による殺人未遂だと思っています。被害者が出なかったのは偶然であって、殺人未遂行為を現に行っているのです。飲酒運転による事故は業務上過失致傷罪ではなく殺人未遂罪で裁くべきだと思っています。 飲酒運転に対する対応に官民で違いのあるのが不公平だと主張なさるのは見当違いだと思います。民が官に倣い、官は高知県に倣うのが本筋だと思います。殺人未遂の既遂者が免職になるのは社会常識と懸け離れていません。 官の対応に違いのあるのは、飲酒運転を過失罪だと判断するか殺人未遂罪だと判断するかの違いです。警察庁は過失罪と捉え停職または減給です。静岡県の石川知事の「免職は死刑に等しい」と主張するのも過失罪と捉えているからです。 しかし、飲酒運転を殺人未遂罪と捉えれば、その様な人間を公務員にしておけないのが常識です。免職にしない方が任命権者としての義務を怠っているのです。例えば、殺人未遂罪の前科がある者は警察官に採用されることなどあり得ません。 飲酒運転がいかに危険かは運転免許を取得する時、あるいは再交付される時に講習を受けているはずです。運転者の義務として「飲んだら飲むな」を厳重に言い渡されているはずです。子供でもそれぐらいのことは知っています。 飲酒運転では反射神経が鈍り、注意力が散漫になる実験はテレビでも良く放送しています。飲酒運転の危険性を自覚しながら行う飲酒運転は故意犯です。過失犯ではありません。特に、飲酒運転常習者は確信犯です。 日本の社会は飲酒に甘すぎます。特に土佐は酔狂が許される土地柄ですが、人に危害を加える酔狂が許される時代は過去のことです。酒を飲んだ者も、飲ませた者も、飲ませた飲み屋も厳重に処罰されるべきです。 酒気帯び運転は即免許取り消しにすればよいと思います。アルコール専門病院で治療を受けた者だけが再取得を可能にすればよいのです。再犯は3年以上断酒継続ができた者のみに再取得の機会を与えます。 飲酒運転をした者にも生活していく権利があるかも知れませんが、被害者の生きていく権利が奪われたのは事実です。官が率先して飲酒運転は未必の故意による殺人未遂であることを社会に訴えていかなければなりません。 「隗より始めよ」、警察庁が飲酒運転を殺人未遂であることを認め、飲酒運転者を免職にしなければなりません。公務員も同様ですが、アルコール専門病院で治療を受けるのを条件として執行猶予にしても良いかも知れません。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/07
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NHKが受信料未払い者に対して強制徴収手続きを開始すると発表しました。無作為に選んだ未払い者に督促状を届け、それでも支払わない場合は裁判所に強制執行を申し立てるそうです。 法的手段に訴える姿勢を見せることで徴収率を上げようとするのでしょうが、裁判所を脅迫材料に使うところは、サラ金と全く同じ発想です。サラ金は世論から強い反発を受けて妄りに法的手段に訴えることを自粛したはずです。 「貧すれば鈍する」、NHKも終に落ちるところまで落ちたというのが率直な感想です。サラ金レベルにまで成り下がったNHKに国営放送に相応しい番組を期待する方が無理なのでしょう。 今回の未払い問題の発端はチーフプロデューサが制作費を私的に流用した事件でしたが、当時の海老沢会長の傲岸不遜な態度が国民の反発を招いたのです。受信料未払いはNHKに対する国民の抗議の声の表れでした。 NHKには国営放送である自覚がなく、職員は民放との視聴率争いに血眼になり、民放と同じレベルの番組しか制作できませんでした。民放と変わることのないNHKに受信料を徴集される不合理に国民は目覚め、叛旗を翻したのです。 NHKはなぜ国民から叛旗を翻されてのかを真剣に反省すべきです。NHKでしか作られない番組を提供し、民放との違いを目に見える形で国民に示さなくてはなりません。3割にも達する未払い者にNHKの存在価値を示すのが先です。 受信料未払い者にも選択の自由があるはずです。見もしないNHKの受信料を徴集されるのは不合理です。NHKの職員のために受信料を払う義務がなぜ生じるのかが理解できません。国民に対する説明責任をNHKは果たしていません。 NHKに受信料を強制的に徴収する権利があるとすれば、NHKには税務署並みの強権が与えられていることになりますが、1企業体のために目的税を徴集するのは納税の義務に反し、憲法違反になるのではないかと考えられます。 NHKが司法の場で争えば最高裁まで争われる可能性があると思いますが、1市民にはその様な力はありません。受信料強制徴収の違法性を争われることはないと見越し、裁判所の権威を使うのはサラ金同様の脅迫に近い行為です。 NHKが強制手続きに入る対象は裁判所で争う可能性のない人々を選び出していると思います。先ず弱いものを叩き、見せしめにするのは古来から権力者の常用する手段ですが、そういう官僚体質が国民の反発を招いているのです。 おそらく、市民運動派の弁護士などが集団訴訟を起こし収拾の付かない事態に陥るのではないでしょうか。公正取引委員会の元キャリアが私的な場でNHKの強制徴収に応じる必要はないと言っていました。 少なくとも、法律の専門家がNHKの受信料の強制徴収は違法だと指摘するだけの法的な根拠があるのでしょう。裁判所でNHKの受信料の強制徴収の適法性を判断した方が国民のために良いのかも知れません。 NHKが自ら司法の場で争うと宣言しているのですから、国民のNHKに対する疑惑を法廷で明らかにする良い機会かも知れません。NHKが真摯に再建に取り組まなければ、NHK解体論が力をますでしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/07
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高知県警の捜査費疑惑を解明する意志が県議会にはないように感じられます。高松高裁の判決があっても、県警は疑惑を否定し続けるようです。最高裁に控訴できるような法令違反もないと思いますが、上告する気でしょうか。 県警は時間稼ぎに出ているような気がします。警察官僚、キャリアは2~3年の任期の間をつつがなく過ごせば良いのでしょうが、現場の警察官の思いを無視し続ける姿勢には日本の治安を与る警察官僚の誇りを感じることができません。 監査委員に証言した現場の捜査官は生命がけであったと思います。もし情報が漏れれば、警察に居場所がなくなります。実名で証言をした警察官が左遷されたのは事実ですし、復職できましたが居場所はないようです。 捜査官は捜査に人生を掛けてきた人たちばかりでしょうし、叩き上げの人たちばかりです。彼らが捜査情報を得るために使った経費を返還せよと言うのではなく、偽造された捜査資料を公開せよと言うだけです。 捜査官の情報源の秘匿は最高裁で認められた記者の取材源の秘匿にも匹敵する権利でしょうが、情報源を開示せよと言っているのではありません。自らの不正を隠匿するために情報源の秘匿に疑惑問題をすり替えている県警の態度が許せないのです。 橋本知事がブログに「立法措置しかないか」と書いた思いは痛い程に分かります。任命権者に「立法措置しかないか」と言わせる県警は何様のつもりなのでしょうか。少なくとも県警本部長は民意を代表していません。 日本国憲法の15条に「 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とありますが、県警本部長も公選制にして欲しいと思います。警察機構が腐敗しているのは2流国家だからです。 日本は治安がよいので世界的に有名でしたが、最近は治安が悪化してきました。警察機構に構造的な欠陥があるからではないでしょうか。警察庁のキャリア、地方警察の準キャリアでからなるシステムが崩壊してきているのではないでしょうか。 社会保険庁も本庁キャリア、地方の準キャリアが支配しているシステムが機能不全を起こしました。社会保険庁は抜本的な構造改革を迫られるようですが、警察機構も抜本的な構造改革が必要なのではないでしょうか。 警察官のモラル低下は著しいと国民は感じています。飲酒運転を取り締まる立場にありながら、飲酒運転が蔓延しています。しかも、処分が非常に甘いのが特徴です。酒気帯び運転は「停職または減給」だそうです。今年は免職が26人中わずか2人しかいません。 高知県の職員からすれば不公平としか思えないでしょう。身内に甘い県警、県庁は市民からの支持を失ってしまいます。警察は公正に法を執行するから尊敬されるのであり、身内に甘い2重基準で法を執行すれば信頼を失います。 県会議員も県民の警察に対する怒りを代弁すべきでしょうが、県警本部長よりの議員も少なくないそうです。高松高裁の判決があったので状況が変わるかと思いましたが、そうでもないように感じられます。 官僚の発想は「由らしむべし知らしむべからず」のようですが、世論を無視した官僚の末路には寂しいものがあります。官僚、警察官は職を失えばただの人に過ぎません。ただの人になってから嘆いても遅いのです。 瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/06
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義務教育は読み、書き、算盤に尽きると思います。読み、書き、算盤さえできれば独学ができるようなります。「オール1の落ちこぼれ、教師になる」の著者宮本延春さんは中学卒業後大工見習いになり、24歳で定時制高校に入学し、名古屋大学理学部物理学科、同大学院を経て母校の教師になりました。 私は高校時代には既に鬱病の兆候が見られ、引きこもりに近い高校生活を送りましたが、受験直前に躁状態になりました。高校3年間の教科書を独学でやり直し、3ヶ月足らずでマスターしました。京都大学に現役で入学することができました。 読み、書き、算盤さえできれば独学で進路を開拓することができます。大学入試ならば教科書さえあれば独学でクリアーすることも可能です。大平弁護士のように、極妻から独学で司法試験を通った人もいます。彼女は不祥事の相次いだ大阪市の助役として招聘されました。 現代の子供の学力が落ちているのは、読み、書き、算盤を教えないで、ゆとり教育の時間を無駄に使っているからです。読み、書き、算盤さえろくにできない子供に英語を教えるなどとは正気の沙汰とは思えません。 むしろ、古典の素読などをさせれば子供たちはゲーム感覚でマスターするでしょう。振り仮名さえ読めればよいのですから、誰にでもできるはずです。子供の間に漢字を画像認識させれば将来のために役に立ちます。 子供の時代に読書に勤しませることが総合的な学力を身につけさす近道です。日本語ができなければ、OSソフトが機能しないパソコンのようなものです。いくらたくさんのデーターを入力をさせてもパソコンは機能しないからです。 ワープロ、電卓がありますから、読み、書き、算盤ができなくても不自由をしないように思えるかも知れませんが、思考力が身につきません。パソコンで結果を瞬時に出すことはできますが、論理過程を理解していないと応用ができません。 日本の小学生の学力が落ちてきているのは基礎ができていないからです。学校教育の中で、論理的な思考をする訓練がなされていないからです。知識は必要になれば身につきますが、思考力は子供の内に鍛え上げなくてはなりません。 日本人は明治維新に西洋文化が流れ込んできたのを、日本流に受け入れ、発展させました。日本が欧米の植民地にされなかった理由の一つは、日本人の知性、教養が世界水準に達していたからだと思われます。 武士の子弟は素読を通して読み書きができましたし、庶民の子は寺子屋で読み、書き、算盤を習っていました。識字率は世界でも群を抜いていました。欧米諸国も国民の平均的な教養では日本に比べて劣っていました。 日本の文明開化以後の急成長の原動力は教育でした。田舎の秀才が「末は博士か大臣か」の夢を持てる時代でした。貧しい家の子供でも書生をしながら帝国大学に進学したり、幼年学校、師範学校などで専門教育を受けることができました。 社会格差が教育格差を生むと言われていますが、素質のある人間が乗り越えられない格差ではありません。むしろ、富裕層には欠けているハングリー精神を賜物として生すことのできる社会だと思います。 私は父親の顔も知らず、母親が幼稚園の先生をしながら大学を卒業させてくれましたが、私の致命的な欠陥はハングリー精神がなかったことだと思っています。私は適度な社会格差は社会に活力を生み出す力と変わりうるものだと思っています。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/06
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富山県警南砺署の男性警察官が 全国交通安全運動の期間中に、酒気帯び運転で摘発されましたが、飲酒運転で摘発されたのは2回目だそうです。彼に下された懲戒処分は停職6ヶ月ですが、諭旨免職になるそうです。 世論が公務員の飲酒運転に対して厳しい処分を求めているのにも拘わらず、警察官は身内に対して甘すぎます。「隗より始めよ」、警察は飲酒運転をした警官を高知県庁のように免職処分にするべきです。 初犯ではなく再犯で、しかも全国交通安全運動期間中に飲酒運転をした警察官が懲戒免職にならないのならば、全国の自治体での飲酒運転即免職の流れに水を差すことになります。 警察官でも免職にならないのならば、公務員を免職にするのは不公平だという声が上がりそうです。静岡県の石川知事の「免職は死刑に等しい」という主張に新たな根拠を与えてしまいます。 「飲酒運転は未必の殺人未遂である」、犯罪であることが良く理解されていないような気がします。車は走る凶器ですから、凶器を他者に向けた者は犯罪者です。飲酒運転をする者にその自覚がありません。 日本の社会はお酒に寛容すぎます。お酒をコントロールすることができなくなれば、アルコール依存症です。飲酒運転即アルコール依存症です。殺人鬼になる前に検挙されたら感謝すべきでしょう。 アルコール運転で検挙された人間にはアルコール専門病院での治療を義務づけるべきです。初犯は専門病院での治療を義務づけた上で、情状酌量の余地のある者には執行猶予を付けても良いかも知れません。 しかし、再犯は即免職にすべきです。しかも警察官では弁解のしようがないと思われますが、富山県警は停職ですませました。法を執行する者が、身内を特別扱いにすれば治安が悪化します。法治国ではなくなります。 県警の裏金問題でも感じますが、警察官は治外法権の社会に住んでいると錯覚しているのではないのでしょうか。治安の悪化が社会問題化していますが、身内に甘い警察の体質が犯罪者を野放しにさせているのではないでしょうか。 警察官は法の執行者として自らに厳しくあるべきです。「李下に冠を正さず」、市民から見れば警察官は既得権に胡座をかいている岡っ引きに見えるからです。真面目に働いている警察官も同類で見られてしまいます。
2006/10/05
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北朝鮮が核実験宣言をしましたが、北の将軍様の意図が把握できません。安倍首相は中国、韓国での首脳会談のテーマが核実験問題に絞られ、歴史問題に時間を割く必要が無くなりました。中国、韓国も内心はほっとしているでしょう。 北朝鮮の瀬戸際外交に世界は踊らされてはなりません。韓国では盧武鉉大統領が太陽政策を転回し、北へ圧力を掛けようとしていますが、北朝鮮は青瓦台の弱みを握っていますから、成功するかは疑問です。 中国は今回核実験を許してしまったら、先のミサイル発射で世界に対し面子を潰されたのに加えて、国際的な評価が著しく低下します。北朝鮮の体制を事実上支えているのは中国ですから、国際世論は反中国になびくでしょう。 北朝鮮が核実験を強行すれば、東アジアの軍事バランスが崩れ、日本の軍事力強化を後押しするだけですから、ロシアの利益にも反します。中国、ロシアは日本の軍事力強化、核開発を最も恐れているからです。 アメリカは北朝鮮が核を持つことを許しはしないでしょう。軍事行動に出るとは思えませんが、最悪の事態も考えられないことはありません。さらなる経済制裁を行使し続けるでしょし、国際的な北朝鮮包囲網を強化するでしょう。 北朝鮮が核実験を強行すれば、日本の世論は北朝鮮に対してさらなる圧力をかけることを求めるでしょう。国連の安全保障理事会の議長国として安保理が北朝鮮に対し厳しいメッセージを送ることを求めています。 北朝鮮制裁に中国、ロシアは消極的ですが、核実験が強行されれば、北朝鮮包囲網に入らざるを得ないでしょう。アメリカが北朝鮮と直接会談を行う可能性は全くないと思います。 北の将軍様が何処に活路を見出しているのかが理解できないのですが、日本と中国、韓国との共通の敵として名乗りを上げてくれたので、日本が意図したのではありませんが、首脳会談では遠交近攻外交が実現することになりそうです。 北朝鮮の生命線は中国です。中国に北朝鮮の体制を維持するメリットが無くなれば、北朝鮮を切り捨てるでしょう。中国との国境には、既に難民を防ぐための準備がなされていると言われています。 韓国は太陽政策の延長線上から考えても北からの難民を受け入れざるを得ないでしょう。日本にも海上難民が押し寄せてくる事態を想定する人もいますが、その前に備蓄米を放出すれば敢えて難民になる人はいないのではないでしょうか。 北の将軍様の切り札はおそらく難民にあるのではないかと思いますが、日本は過剰に備蓄されている備蓄米を放出し、韓国は日用品等の経済援助をすれば、難民が発生する可能性は低いのではないでしょうか。 アジア、アフリカでの難民は内戦から発生していますが、土地への執着心の強い北朝鮮の人々は、食料と日用品が取りあえずあれば窮乏生活に耐えられるでしょう。むしろ、中国軍が北朝鮮に侵入することの方が危険です。 日本の取るべき立場ははっきりとしています。飴は効き目がなく、鞭を効かすしかありません。6者会談に北朝鮮が復帰しない限り、経済制裁を強化するしかありません。国際的な北朝鮮包囲網を造り上げる努力を続けなくてはなりません。
2006/10/05
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日本と中国、韓国との外交は常に歴史認識問題というジョーカーを持つ中・韓両国と日本がトランプをしているようなものでした。中・韓両国は何時でもジョーカーを切り札として使えるので日本には勝ち目の薄いゲームでした。 小泉前首相が靖国参拝で譲歩しなかったのは中・韓両国には誤算であったでしょう。小泉外交の負の側面を指摘する人も多いのですが、歴史認識問題をジョーカーとして使えないことを両国に認識させたのは小泉外交の勝利だと思います。 前回の私人としての靖国神社参拝まで外交問題とされたのでは、嫌中国、嫌韓国の方向に世論が動いたのも仕方がありません。中国、韓国も対日本外交を見直さざるを得なくなったのは日本にとっても好機到来です。 日本は戦後の歴史の中で、初めて対等な立場で両国と外交を行うことができるのですから、虚心坦懐に話し合うべきです。胡錦濤主席は江沢民前主席の桎梏から解放されたばかりですし、盧武鉉大統領は国内世論に縛られています。 安倍首相は両国の外交方針が転回された事情に配慮し、日本も小泉外交から転回すべきです。安倍首相には独自の歴史認識があると思いますが、日本政府としては村山談話、河野談話を引き継ぐべきでしょう。 戦後体制からの解放がアジア太平洋戦争を日本の自衛戦争であり、アジア解放戦争であると認めるのならば同意しかねます。日本の中国侵略や朝鮮半島の植民地化を正当化するのならば間違っています。 しかし、江沢民前主席が回顧録で日本の戦争責任を未来永劫、追求すべきだと主張している姿勢にも同意しかねます。日中両国が過去に囚われている間は日中友好が現実化することはあり得ないからです。 日本は確かに過去に中国で残虐なことをしたのは事実ですが、未来永劫それが赦されることはなく、過去の罪を追求され続け、謝罪を要求され続けるのならば、日本人は中国とは別の世界で生きることを選択せざるを得ないでしょう。 しかし、朝鮮半島では良いこともしたのではないか、と主張する日本人もいます。日本は朝鮮半島の近代化に貢献したという人もいます。封建主義体制から資本主義体制にし、インフラを整備し、帝国大学を始めとして教育施設を造りました。 白人が支配したアジアの他の植民地からすれば、日本の植民地は現地の人たちに様々な恩恵を与える施策も行いました。しかし、それらは植民地を持つ宗主国として当然なすべき義務を果たしたと言えると思います。 日本人と朝鮮半島の人たちとの関係は、EU諸国の移民問題に近かったのかも知れません。戦争が激しくなるにつれ内地の労働者が徴兵に取られ、内地の労働力の不足を補うために朝鮮半島から労働者が移住してきたからです。 いずれにしろ、中国、韓国の主張と日本の主張とは懸け離れていますが、日本が中国を侵略したのは事実ですし、韓国を植民地化したのも事実です。日本が過去に起こした事実は事実と認め、未来志向の外交を指向すべきです。 両国が過去に囚われている限り、日本からは得られる物はわずかしかないことを両国に理解させるべきでしょう。むしろ、未来志向の外交をした方が日本から得られる物がはるかに多いことを納得させるべきでしょう。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/04
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愛媛県の宇和島徳洲会病院で行われた生体腎臓移植手術で、患者(レシピエント)と仲介者が、臓器提供者(ドナー)に金品を渡した疑いで逮捕されました。初めて臓器移植法違反が適用され「臓器売買」の疑いで摘発を受けました。 主治医はカリスマ移植医として全国的に名前が知られており、毎週のように生体腎臓移植の手術を行っているベテランの移植医です。生体移植ではドナーは肉親に限られていますが、ドナーの身元確認はなされていませんでした。 河野衆議院議長に息子の河野代議士から生体肝臓移植がなされたのが知られていますが、河野議長は息子の生命と引き替えにしてまで生きたいとは思わないと抵抗したそうですが、息子に説得されて手術を受け、健康を回復しています。 生体臓器移植はドナーに心身共に深刻なリスクを負わせながらも、レシピエントが健康を回復するために残された最後の手段です。臓器売買を防ぐ意味でも、ドナーは肉親に限られていますが、臓器売買の噂は絶えません。 肉親でも周囲から強要される場合は十分に考えられますので、脳死臓器移植のように臓器コーディネーターが関わる必要があると思います。今回の事件や京都大学病院で起きた未遂事件の背後には医療側の倫理無視を感じさせられます。 主治医には生体移植手術をしさえすれば良いという姿勢が感じられますが、医師は単に技術を提供すれば良いのではなく、生命を与る者としての倫理観、モラルが問われます。手術以外は患者の自己責任という姿勢は医師として失格です。 現実の生体臓器移植手術では、今回のケースが特別に珍しいケースではないようです。ドナーを捜してくるのは患者の自己責任で、医師は手術を含めて医学的対応はするが、その他のトラブルに医師は関与しないのが業界の常識のようです。 日本においても「臓器売買」の闇ルートが既にあるのかも知れませんし、海外で臓器移植を受ける人も多くいます。腎臓は2つあるので、1つを移植しても生命に拘わらないので、腎臓を売り渡す人はかなりいるのではないかと思えます。 一方、腎臓移植を望む人は多くいますが、死体、脳死体から提供される腎臓は少ないので、需給のバランスは極端に需要が過多の状況が続いています。糖尿病の合併症から腎不全になり、人工透析を受ける患者の数は激増しています。 生体臓器移植は肉親の生命を削るものですから、レシピエントの心理的な負担は大きいですし、ドナーの精神医学的なフォローも必要です。現在のような移植手術が野放しの状況は、政府が医学の無法地帯を放置していることになります。 生体臓器移植にも新たな法的な措置が必要でしょう。ドナーは生きているのですから脳死移植よりも厳重な規制が必要です。生体臓器移植がこのような無責任な体制の元で行われているとは国民は全く知らされていませんでした。 ドナーの肉体的、精神的な負担、後遺症が想像以上に深刻であるという調査結果も報告されいるので、新たな立法措置と行政の積極的な関与が必要とされています。医師のモラルハザード、職業倫理の欠如が強く感じさせられるからです。 私は糖尿病でインスリン治療を受けています。糖尿病が国民病と言われて久しいのですが、糖尿病は防げる病気です。発病しても健康管理さえ十分に行えば合併症は防げます。国民の糖尿病に対する危機認識は非常に甘いと思われます。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/03
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私は団塊の世代、昭和24年生まれです。子供の頃から足りないものだらけの中で育ちました。大学入試も最難関と言われた時代でしたが、幸いにも現役で京都大学に入れました。しかし、引きこもりに近い高校時代を送りました。 現在は躁鬱病とアルコール依存症で精神障害2級ですが、高校時代には既にその兆候が現れていたはずだと主治医から言われました。鬱病の兆候か、受験勉強を全くせず、テレビばかり見ていて、毎朝遅刻して先生に叱られていました。 授業を良くさぼり、弁当を持って裏山に登ったこともしばしばでした。先生から出席時間が足らないと言われ、落第しますと答えて叱られたことを思い出します。塾はおろか補習にも出ず、授業でノートを取ったことすらありませんでした。 ところが、受験前3ヶ月ぐらいになって、突然躁状態になりました。受験まで3ヶ月もなかったので勉強したのは教科書だけです。参考書も問題集も使う時間はありませんでした。高校3年分の課程を3ヶ月で一通りマスターしました。 入試では数学は8問中7問が解け、後1問の半分まで解いたところで時間がきました。英語を除く科目で解けないと感じた問題はありませんでした。英語は教科書に出てきた単語しか知らないので赤点しか取れなかったと思います。 英語は赤点でしたが、数学は8割以上、生物、化学は7割以上、日本史、国語は6割以上は取れたと思います。当時の京大の入試は知識を問う問題はなく、思考力を問う問題でしたので、ほとんどの問題が記述式でした。 京大の入試で要求された知識は教科書の範囲内でしたが、求められた思考力は高度なものであったかも知れません。それに引き替え、私立大学はマルバツ式でしたが、百科事典を調べても分からないような知識が出題されていました。 今から振り返れば、正解が分かっていても答えを正確な日本語で表現できなければ点がもらえないシステムでした。共通一次のようなマークシート方式とは違い、国語の能力がなければ評価の対象にすらされないシステムでした。 共通一次が導入された時には金沢大学にいたのですが、生態学の教授が「今の学生は何にでも名前が付いているのが当然だと思っているのですねー」と慨嘆されていたのを思い出します。共通一次を境にして学生の質は確かに変わりました。 限定された知識の世界、マルバツで答えるデジタルの世界しかしらず、自然界がアナログの世界であることを理解できなくなってきたようです。マルバツでしか思考できない子供たちの世界は現実と遊離してきたような気がします。 小学校教育を変えるには入試のシステムを変えるしかありません。日本語で表現できなければ評価されないシステム、記述式にウェートを置く入試システムに変えるしかないでしょう。入学してもレポート重視の授業をするしかありません。 そうすれば、小学生に英語を教えるよりも古典の素読をさせた方が将来のためになるので、父兄も日本語の充実に目がいくようになります。子供の時に漢字を図形として覚えさすのが脳の発達段階にあっていることも理解できるでしょう。 日本語はパソコンのOSソフトのようなものです。OSソフトが機能しなければパソコンもソフトもがらくたにしか過ぎません。小学校教育は読み、書き、算盤に尽きると思いますが、読み、書きできなければどんな知識も空しいものとなります。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/02
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安倍首相の公約では教育が大きなテーマになっているようです。日本の戦後教育は人間は平等であるという理念が人間は平等であるべきであるという信念に変わってしまい、人間の能力に差があるという現実を無視させようになりました。 理想に燃える教師ほど教育が無限の可能性を秘めていると錯覚し、生徒の能力の差を認めようとしません。運動会のかけっこでも走れる早さに応じてクラス分けし、手を繋いでゴールをさせる教育を理解することができません。 能力別のクラスを造ると言えば、差別を助長するかのような議論もありますが、社会に出れば能力の差は歴然としますし、能力の差に応じて社会の待遇も変わります。それが嫌ならば社会からドロップアウトするしかありません。 人間の能力に差があることを社会に出て知らされた若者は戸惑い、身の置き場がなくなるのではないでしょうか。マニュアルに沿って働けばよいフリーターとして、マイペースで生きられる道を選ぶようになるのではないでしょうか。 教育は人間の能力に差があることを明らかにしますが、それが人間の価値を計る基準にならないことを教えるのも教育です。昔は、普段の授業では目立たない子供が運動会の日のヒーロー、音楽、図工の時間の天才として一目置かれることもありました。 社会は一握りの秀才、エリートだけで成り立っているのではないことを教えるのも教育です。偏差値は人間のある能力についてだけ評価する基準であり、人間性そのものを評価する基準にはならないことを教えるのも教育です。 学習塾に通わなければならない教育制度は既に破綻しています。公教育だけで必要にして十分な教育を受ける権利が国民にはあります。能力のある人間の能力を伸ばし、能力のない人間には能力を補う教育が必要なのです。 個人差が大きい算数などは能力別クラスを導入し、ボランティアなどの協力を求める工夫などをすべきです。教師も学習塾の教育法から学べるところは授業に取り入れるべきでしょう。教師のプロとしての努力が感じられません。 小学校の授業に古典の素読が取り入れられるようですが、幼いときから日本語の韻律に馴染むことは日本語の能力を高めることになるでしょう。素読ならばクラス全員が揃って声を張り上げ、ゲーム感覚で身につけるのではないでしょうか。 一方、小学校の授業に英語を取り入れるのは、早急すぎます。ネイティブな英語を話せる語学教師が不足しているのに加え、ネイティブな英会話を身につけるには年を取りすぎています。先ず正しい日本語を身につけるのが先でしょう。 愛国心が話題になっていますが、戦前の修身をイメージした教育論には違和感を覚えます。日本人ならば日本語を話し、日本語の読み書きができる世界でも希有な民族です。多民族国家の真似をする必要もないと思います。 むしろ、子供の頃から読書の習慣を付けさせ、文芸作品に触れさすことで、愛国心は自然に養われていくのではないでしょうか。愛国心教育は戦前の全体主義教育に結びつく危険性を強く感じさせられます。 大学教育はエリートだけのものではなくなりましたが、公立大学の授業料でも高すぎます。経済的にゆとりのない家庭の子弟には奨学金制度、(入学金、授業料、生活費の貸与)を拡充し、経済格差が教育格差を生まないようにしなければなりません。瀬戸キリスト教会 HP
2006/10/01
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