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何故ならまぁ寝てないからなんすけどね。なんか確認してませんがきっと目の下には隈があります。きっと。化粧で隠しちゃろか・・・というほど気合いを入れて人に会う予定もなし。つかこんな状態だと絶対化粧ののりとか悪そうだ。ああ・・・しゃき~んとするような出来れば天然植物由来な感じのアルカロイドとかないかしらん。最近の不摂生で嫌と言うほど思い知った事。1.煙草を(一箱半くらい)吸う→指先が震える2.コーヒーを(5,6杯)飲む→指先が震える元々神経過敏気味(?)っていうか神経症の気とかあるんだから気を付けないとなぁ・・・;;;ちょっと禁煙しつつカフェインも控えるか・・・なんか元気の素が・・・素が・・・;;;なんかサプリメントに逃げてみようかな(苦笑亜鉛とか(違リタ○ンとかもやっぱ手震えるのかなぁ・・・ん~某人の錠剤で試してみれば良かった。そいや今日ってハロウィンですなぁ。あれ和風にアレンジして百鬼夜行仮装行列とかにしたら、きっと気味が悪いだろうなぁとか思いつつ微笑するアンニュイな秋のティータイム。特別出演、なまはげ。
2005年10月31日
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また今日もよっこさんからいただきまして。なんか、最近毎日とても勇気をいただいて居ます。私は僧侶っぽいと言われました。なんか、性欲なさそうに見えるとかジジくさいとか、たまにお香焚きながら般若心経を部屋でかけたりもするんですが、でもそういう事ではないみたいで。うん。”純粋で完璧目指してるように思う”って言って頂きました。純粋・・・ん~・・・私純粋?w なんかそれは自分ではよく解りませんが、まぁかなり単純な気はします。完璧目指してる、っていうのにちょっと、はっとさせられました。確かにそうかもしれません・・・・良くも悪くも。多分こういう側面に関して、ポジティブな捉え方出来るのかもしれません。けどなかなか自分じゃ出来ないものです。なんか見つけて行けたら良いなぁって思うのですけれどね。でも完璧を目指してその目標(受動的に持ったモノでも自発的に持ったモノでも)に対してたとい80%、99%の所で頓挫してしまっても俺にとってはNothingになってしまう。無論そこまで得たものっていうのは自分の中で糧になるのだけれど、完璧ではない故に許せないっていう気持ちもあるように思います。ほんとに80%、99%みたいなものがごろごろ転がって居るわけです・・・構造体の途中で止まっちゃったC言語、全く持って99%、卒論だけ残した学士の資格。客観的には計れるものではないけれども今までやってきた音楽、作曲やギター、録音。そんでまだほとんど1%くらいだけど、やっぱりなんか仕事に結びつけたいなぁという(結構背水の陣ながら)邪念となんか周りの役に立てないかしらんっていう動機の元にやってる士業への志向とか。まぁでも、何の職業やりたいなんざ考えずに”音楽と言えばイタリア語だろ”とか無責任な動機で大学入ってやってきてどっかで停滞した自分としては、こういう職業やりたいんちゃう?って思ったのは初めてなんで。これってやり遂げたいというのと一緒にやり遂げなければ。っていうのもある。ここはでも完璧に行きたいなぁ・・・。一年で行ければめっけもんだって思って出来るかなぁ;(来年からえらい試験が様変わりする)でも今受けようと思ってるので止まりたくないから、頑張って一年、二年・・・なんぼかかっても2年では取りたいかな。頑張ろう。環境はすごく変えたい。自分の内面の問題かもしれないし。もう少しゆっくり考えても良いかとも思い始めた。肩の力、適度に抜けたら良いな。肩の力入ったままなのに停滞して、何も得るものがないのはやっぱ損な気もするwそれこそ僧じゃないけど、ふっと座禅でも組んで落ち着きと集中力を得られるようになれたら良いな。話は大きく外れますが、今日はちゃんと睡眠剤飲んだんですよ。補助剤の安定剤も含めて5錠ガッツリと。でも寝れないのよね・・・・これを不眠と言うのでせうか・・・?;;;
2005年10月30日
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久しぶりに夢見た。最近見ない夢。神戸の夢。何故か阪神高速の下のへん。で、ものすごく懐かしい人。なんでだろう・・・少しあの人に近い道を歩こうとしているから・・・?過去の夢、でも多分少し未来を示唆している夢。久しぶりに切なくはあったけれども辛い夢ではなかった。昨日から考えてたこと、迷いとか。起きたら来ていたよっこさんからのメール。心の和むような事とか。目覚めてそう悪くないかもしれないと、久しぶりに思った。まともにさわっても居ないのにギターを弾いてみるときちんと指も動く。ブルースを弾いてみたり、ちょっとした速弾きも指癖くらいならフルスロットルでこなせる。うじうじするより結構やってみれば大した事無かったりするのにな・・・。積み重ねた能力はそう簡単に自分を裏切ったりはしないのかもしれない。馬鹿みたいに積み重ねた時期もあった。小さい頃、頭キリキリさせながらドリルをやってた事もあったし、ギターも寝るまでずっと弾いてた事もある。勉強もよく解らないし、人生もよく解らないけれども、壁にぶち当たったとき、ギターに関しては少し後ろに戻ってでも、方法を見直して、そうやって上達してきた様な気がする。
2005年10月29日
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眉毛が生えて参りました。ちゃんと処理もしてますが。しすぎてまた麻呂眉にならないように今度は気を付けます。久々にちょいと前の写真見たら自分で怖いです。細すぎます。ちゃんと処理すればちゃんと形になるのにねぇ。前は描く方が楽でした。が、今はすっぴんで外に出れるのは楽です。ずぼらになっただけじゃなきゃ良いんですが。ま、眉とかはそれはそれで。しつこくまた風邪が復活気味です。そうでなければ多分喫煙のしすぎか。でもクシャミが止まらないのは煙草じゃないよなぁ・・・まぁ煙草はなんにしろ良くないんでしょうが・・・雨に打たれながら(多分それも良くない)音も無ければ誰もいない通りで考えました。勇気ってなんなんだろう。外に出れる。腕を切らなくなった。多分、一年前とは変わってるような気がする。でもやっぱり泣けない。涙が出ない。私は自分に対して厳しいんだろうか、甘いんだろうか・・・よく分からない。その辺自分で変われているのか、実感はないしやはり変わってないんだろうか・・・勇気の行き場にまだ迷いがある・・・今はもう未練はないと思うのに。ものすごく嫌悪感がある。けれどもそれじゃまた前に進むのとは違うのも分かってる。やっている事に疑問とか迷いは今はないのだけれどやはり居場所に違和感を感じる。何処が居るべき場所なんだろう?いや、居たい場所なのか、居ても良い場所なのか。寝ている途中にふっと、足下が瓦解してゆくような・・・階段を踏み外したような感覚で目が覚める事があるけれども・・・そんな感覚がずっと心を襲っている。焦燥感もあるけれどもそれとはまた違う足場のないような。その感覚がまた焦燥感を加速もさせる。何故そんなに即断を自分に迫るのか自分で解らない。以前は論理と感情のようなモノが自分の中で対立していた。合理的な思考からはみ出す感情は許せなかった。けれども、今までの中で少しそういうものが自分の中で融合してきた様な気がする。それはそれで悪くないように思うのだけれど、逆に今は自分の中の何かがなんらか、合理的な考えからくるものなのか感情的な何かから来るのかが解らない。まず、片づけるべきものは何か。きっと解っているようで解っていない。だから目の前にあって、手の付けられるものから手を付けて行ってはいるのだけど、それが正しいのか・・・正誤を考えている時点で何か違うのか。片づけてゆくもの、必要な事のリストは作れる。箇条書きに出来るが、自分の中での優先順位が付けられない。手を付けてゆける順番は自分の事だから解る。それで良いのか?それが間違っていないか、気になる。その間にも出来る事はあるからして行くけれど。やはり間違って居ないのかが怖い。自分とか、人生とか生き方に正誤なんてあるんだろうかじゃぁ誤であると言われたら私はどうするのだろう。ゲームオーヴァーか?んなことは無いんだろうな、ゲームオーヴァーには”なる”もんじゃなくて”する”もんのはず。枷は何処に在る?多分此処だけど。視界、額縁、フレーム、切り取るから世界は生まれるのに同時にそれによって世界は限定される。莫迦らしい。こう考える事自体が何かおかしい気もする。まぁ死ぬときに死ねば良い。いつか涙が出れば良い。本当に限界の内部にしか世界が存在しなくなったら幕は勝手にでも降りるだろう。不本意に幕が降りた人も不本意に限界の存在のする人も居る以上、私如きが今勝手に限界や幕を設定するのはやはり甘い。時間が欲しい。時間はある。それならば私は誰だ?足下も帰属も何もかも見つけて行くしかない。そう思う事が今はまた限定や限界にも思える。自分以外に自分を縛り得るものは居ないのにな。自分を解き放つ為に自分を支えるものや、帰る場所が欲しいと思うのはどうにも皮肉な事に思えて仕方がない。なんだろう・・・どう自分が歩いていたのか、歩き方を考えたら歩けなくなったとかそんな話をちょっと思い出したり。ま、這ったら良いんだけど・・・這い方知ってるのか私・・・取り敢えず、本の読み方は解ってるか。ということでまた本落ち。
2005年10月28日
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“考えない”と思うことは “考える”と同じ事で 自分で思ってたよりも 脆く儚い人間で 今ならまだ間に合うかな? 君の帰り道を探しかけて 溜息で目を伏せた 二人、過ごしたこの街は どこにでも君が溢れて 辛すぎるから出ていくよ 肌寒い朝を待たずに 「今ならまだ、、、」なんて言葉 最後まで言えないまま さよなら さよなら 愛した人、、、、 (still by Jann Da Arc) まだ見ぬ世界 そこで何が待っていても もしも理想とちがっても 恐れはしない 鳥たちは風にのり旅をしてゆく 今日から明日へと 伝えたいなあ さけびたいなあ この世に一つだけの存在である私 祈るように星のように ちいさな光だけど何時(いつか)かは もっと もっと つよくなりたい 限界のない可能性がここにある この手に It's gonna be your world 信じるそれだけで 越えられないものはない 歌うように奇蹟のように 「思い」が全てを変えてゆくよ きっと きっと 驚くくらい (プラチナ by 坂本真綾)*******今日、二つ。なんか心に響いた歌詞(部分)。プラチナはorangeちゃんに思い出させてもらった。stillはなんかウォークマンで聞いていたらふと。ああこんな詩あったよね。”ちいさな光だけど何時かは もっと もっと つよく”前から知っていたのに忘れてた。忘れた頃になんとやらです。他の友達にもこれ、以前落ち込んでた時に送ってもらった気がする。ジャンヌは・・・忘れなきゃいけない自分だな。けれどもまぁ無理してもどうやら仕方ないし。けど無理できない自分を諦めてもダメだし。NHKの某英語番組を見ていたら俳優からボクサーになって、そこから人生持ち崩して、また俳優として再出発した方のインタビューをやってた。何故かインタビュアーが川嶋なお子。まぁそれは置いておいて。どうやって、ここまで復活したかって話を訊かれて”動き続ける事(keep moving)暗闇で、前がどこか分からなくても、とにかく動くのをやめない事”と言っておられた。何もしないよりは後ろでも横でも。自分はもう若くないような、でもまだ若いような。ここまで親不孝したら、あとは一年くらい構うまい(苦笑よく分からない方向にとりあえず身を投げてみる。どうせよく分からない事だらけだ。ボチボチって事が出来たら良いな。多分、私は息切れが多すぎるんだろう。(大して動いてないのに動く前から息切れしてる事もしばしばな気もする。)何もしないまま自分を追い込んでしまうなら、もうちょっと動きながらでもゆったり構えられたら良いなと思う。けれど一方で今の自分を許せないのも事実・・・。許せない気持ちだけで追い詰まって動けなくなったときは一番辛い。から・・・動けなくならない程度って奴が欲しい。ええ加減、ってのが出来たら一番良いんだけどね。極端すぎる。今は。”ええ加減”ってのは”良い加減”ってな。少し余裕を持てと親父が言ってたように思う。あの人に言われるんだからな・・・。正直悔しい。親父を越えたいなぁなどと、不遜なことを本気で思いながら、正直ちんぷんかんぷんな本を読む私。いやまぁ理系の親父が出来た事だし。(関係ないな・・・)親父が数年かかった事でもあるから・・・一年みっちりにらめっこ。(継続するぞ継続するぞ継続するぞ)←自己暗示止まって居た、止めて居たいろんな事が少しずつでも動き出す点火剤のように働けば何よりだな・・・。毎回同じような事を経験して同じような事を思ってるような気もするけれども、何度目かの正直ってな。一度目よりは二度目がとは思う。私も人間なら学習する生物に違いない(苦笑)下手な鉄砲も回数撃てば(数打つほど弾数はないのでその都度学習しては撃ち直し。)当たる事もあるでしょう。いや、今度は当ててやる。という自己暗示。なんの日記だったかしら・・・ま、いっか・・・;人事を尽くして天命を待つ、って言う。まずは人事。oh人事。ttp://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgiとりあえず今日はこんなものを見つけたわけだけれども、やっぱ突然はムリっすな。
2005年10月27日
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怖いです。夢が怖いです。希望をちらつかせる夢ほど怖いものはありません。食ってないのに、食うとボディラインが醜くなるような気がして罪悪感があります。でも、音楽楽しめるようなってきました。難波はまだ怖いけれど、でもまだ外で出れる。たまに現実感がなくて、知らない間に何かをしてるけれど。前のように人が人に見えないようか感じじゃなくて・・・なんだろう目の前にあることにふっと気付く。何してるのかな?あ、そうだ用事だ。ここ、この人らなんだろう、あ、動いてる。人形劇みたい。現実感ないなぁ。そんな感じ。カッターナイフで切り裂いて行くと、敷き紙みたいにただの髪になってその辺の紙くずになりそう。しないけどね。それがふっと気付くと、あ、人間だった、あ?これ現実か?とか思う。なんか覚えてるような覚えてないようなものが家にある。ああ、昨日こんなもの食ったっけ。なんか舞台の上のことを見てて、まさか自分の事だとは思わなかったよってなんかそんな感じです
2005年10月25日
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よく覚えていない。断片的に誰かと話した事、何をした、あれをした。それは思い出せる・・・思い出せるというか・・・干された洗濯物を見たり、食い散らかした後のトレーなんかを見て、”干したんだな”、”食べたんだな”と思う。思い出そうと努力するとどうしていたかなんとなく思い出せるのだけれど、本当虹分がそれをしていたのかって感じがする。食べたものの味とか思い出せない。自分じゃない人がここで食べたみたいで気持ちが悪い。俺何したんだろう何話したんだろう変な感じだ。怖くはないけれど。今日の夕方、外に出て、飯を食おうと思ったときふっと、自分に戻った気がした。あ、俺ここで何をしてるんだろう?目の前がすごく非現実的なまま動いていてまるで人形劇みたいだったのが、ふと現実として見え始めた。ごはんを食べる前に、本を買った。必要だから。切った髪はまた伸ばせば良い腹が減ったら食えば良い忘れたいけれど忘れない忘れたいと思っているかぎり明確に覚えていて。思い出さないようにずっと本とにらめっこして。本に自分をピン留めするためのニコチン。誰か忘れさせて下さい。幸せだっただけ記憶って残酷だ。今は逃げて居れば勉強が出来る。誰か忘れさせてくれる人をずっとずっと探して。自分の目から流れた涙と胸から流れた血去りゆく足音。愛した誰かに付けた傷跡の返り血と頭から離れない罵倒や涙。そんなものよりもやるせない気持ち。恋も、愛も、情も、全部別。風邪なのかなぁ・・・自分の領域が不確定。帰る所は何処にもない。つくらなきゃ・・・つくらなきゃ・・・死んでしまう。はぁ・・・両親離婚しないかなぁ・・・そろそろ・・・・必要の無い過去は消して行かないと・・・秋は嫌い、鬱っぽくなるってあの人が言っていた。心地よく身体をむしばむ冷風と静かに晴れ渡った空。独りで居てこれほど切ない季節、憂鬱を誘う季節は無いだろう。ま明るい寂寥と、晴れ渡った死の予感。清浄な空気は死に向かって清められたような感じさえする。冬が来る。寒いのだろう。誰か・・・何処に居るのだろう・・・せめて貴女は・・・”本当に”幸せになって
2005年10月24日
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前々の彼女に貰ったリング・・・元々左手の薬指に付けていたものを右手につけてみる。するっと通ってしまった。なんだか・・・ギターもきちんと弾いていなくて、むしろ指は太ってしまっているのではないかと思っていたけれど・・・なんだかどんどん細くなっていってしまってる・・・元々はコレも左手の薬指に付けていたんだなぁ・・・この二年で・・・私はすごく痩せてしまった。太るつもりはないけれど・・・でも失ってしまった色んなものをまた手に入れようともがいて行く中で何か少し戻ると良いなぁ・・・。私独りの、私、っていうのはどこまでは私なのか。周りには迷惑を掛けっぱなしではあるけれども、自分っていうその範囲をもっと拡げて、自信持てるようにしてゆくことは出来る。余裕が欲しい。出来ないから自分で作って行く為の種まきをする。誰かを支えるだけの強さが欲しい。だから自分にもっと自信を持てるようになる。このペースで行くならきっと、あと一年ってものすごく長いんだろうな・・・けれどまぁそれも悪くない。睡眠剤を飲んだら止まらなかった動悸が少し止んだ。さて、どこに行こうかな・・・
2005年10月23日
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春以来だろな。起きたら微妙な寒気と共に。喉の痛み。っていうか前日に読書のお供とかで二箱くらいタバコも吸ってるし、必ずしも風邪でとも思えない。口内炎はズキズキするし。まぁタバコにビタミン持っていかれただけかもしれない。なんか久しぶりにあの人の夢を見たような気がする。多分久しぶりじゃないんだろうな・・・とにかく日柄一日、死にたいっていう気持ちと、生きてゆけばっていう気持ちとぶつかりあって、過去に縛られながらなんとか未来に向かおうって思って。ずっと本の中の世界に逃避して。これで本の内容が未来に繋がらない内容だったら救い様もないんだけれど、そこだけでなんとか保っている。ちょうど後一年。夢で見た内容は出てきた人と多分切なかった内容以外覚えてないけど、起きたら、歌が頭を回っていて 出会ってすぐ 君に惹かれ 傷つくのが ただ怖くて 何も言えず 逃げてばかり 涙の理由 知ってるのに 君の弱みつけこんでた うしろめたさゼロじゃないってやつ。別に全然被ってもないのにね・・・いやまぁどっかで何かと被ってんのかな・・・新しい本を買わないと。読むモノがなくなるとやはり崩れる。
2005年10月22日
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切ってみた。心境の変化は無いのだけれど。多少の心境の変化をそっちから期待したのか・・・まぁどの道、かなり長くてうざったかったので、すっきり。別に願掛けを捨てたわけではなく(苦笑)けどもそれにしがみ付くほどでもなくなったのか。そんな意味でも少しすっきり。今週に入ってからかなりダメ入ってたのだけれども、まぁ一念発起で外出。髪を切った後、前から探していた法学の本を購入。某所に入り浸って1/3くらい読む。ずぶずぶの素人なので入門書。大学の一般教養レヴェルなのでさっさと頭に入れてしまおう。が、まぁちょっと目的もあるので丁寧に読んで。やって出来ない子じゃねぇから、と自分に言い聞かせ、まぁでも、不純なりとも動機と目的を持てば割に勉強も楽しいもので。ふと思い出した彼女との小さな出来事。それを支えにして動機にしてるけれど、まぁそんなでもきっとないよりは良い。英語が出来るようになったのも外大に行ったのも、高校の時に憧れてた先輩に、英語の成績を誉められたのとその人が外大を目指してたからだし。(苦笑)でもそれはそのうち目的じゃなくなる。その人は外大にいけなかったけど、俺は行ってしまったりとかね。その人が居ないからって外大に行かなくなるわけじゃない。わかんないけども、人に必要とされるようになりたいんだろうな。大切な人の役には立ちたいし。このまま勉強癖を形成して行ければ一番良い所。あんまり短絡的に見返りを求めちゃいけないんだろうから・・・諦めずに継続してゆけるかだろうな・・・気張って賽を投げても出る目は一かもしれないし、意外な方向に六とか出るのかもしんない。出来ないこと今ぐだぐだしても仕方ないし。出来ることして。その代わり今までの自分よりも、もうちょっときちんと頑張ってみる。今までの人生そこまで頑張ったことが無い訳じゃないから、出来るよ。きっとね。傍に誰かにいてほしいけれどそのために頑張るんじゃないんだろうな。頑張るから、誰かが傍に居てくれるんや。紅鳩ブラザーもそう言ってたやん、親父もなんかそんなこと言ってた。それもまた動機やとか目的の一つなんかな。と言うことで、また書物とにらめっこして参ります。ノシ
2005年10月20日
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『 「人間という種類の生き物が生きるために必要な育ち方-というのでしょうか。子供を産むこと、産んだ子に乳を遣ることが疎ましくなった時、矢張りそれは壊れている。人としては壊れていなくとも、少なくとも生き物として壊れている-」(中略)「そうした生活を保証してくれるのは、制度なんかではないと思います。道徳でも倫理でもない。高邁な理屈は、何も保証してくれません。それを保証してくれるのは、多分退屈な日常だけなんです」「日常-ですか?」「ええ。私の失ってしまったものです」 敦子がふいに顔を上げた。「善くは解りませんが-愛情と云うのは、何かこう、崇高で、神神しい印象の言葉ですが、私が思うに-それはつまらない日常を共有すること、という意味なのではないでしょうか-」 益田は考える。 恋は盲目と云う。愛は何物にも代いがたいとも云う。崇高なる愛を成就させるため、艱難(かんなん)辛苦を乗り越える類の恋愛譚は、星の数程ある。しかし、そうした話は何故か必ず成就したところで終わってしまうのだ。どんな恋でも、結ばれた後に待っているのは必ずや退屈な日常の筈なのだが、恋愛譚はそこまでは描かない。描かないから皆勘違いをする。 』(京極夏彦「塗仏の宴 宴の始末」より)最近多分一番考えさせられ、身につまされた一節。
2005年10月16日
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過ごしたことのない秋なのに清々しい空気に懐かしさを感じてしまったり。馬鹿みたいに好きでもっと出来た事があるのになんて思っても始まらないから自分の傍らがもっと素敵なものになるように今できる事に足掻いて懐かしい風景は一体どこだっただろう一緒に立っているはずの
2005年10月16日
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mixiってSNSがあって、そこでリンクしてくれた人が紹介文を書いてくれるわけだけれどもある方に”目が合ったら殺されるんではないか、という容姿とは裏腹に滅茶苦茶気さくで変態な人。”って書いてもらってあった。まぁ変態はこの際流そう、さらりと。この方と出会った頃ってかなり自分的にもキてた頃だと思う。その後前々彼女との別れがあって・・・私はあの女性と別れたら死ぬか、坊主になると思っていた(笑)人を拒むようになってすごく”バリア”張り巡らせて拒否オーラを出してた気がする。雪が降りしきって居た頃、ふと、心の中に居た秋桜ちゃんを好きになって。彼女は・・・真面目で、恥ずかしがりで、とても私が思う以上に女の子だった。そして何故か自然と外に私を連れ出してくれる不思議な力があった。今、別れてしまっても、私は外に出る事ができる。バリアを張る必要がなくなっている。別れてすぐは彼女を彷彿とするすべてのものが怖かった。いや、切なかった。いろんな所でカップルを見かけるのも嫌だった。以前には無かったことでだいぶ動揺した。少しずつ、落ち着くにつれ、決して彼女と出会った頃の自分に私が戻ってしまうのではないかという恐怖は無くなった。変わらないのは、社会的な立場かなw これは自分でなんとかしないといけない。こっちに関しては停滞は後退でもあるわけで、状況は決して楽ではない。大学からの連れであるdigiengelには”能力はあるけど、人間性・社会性・意欲に問題がある人間”と言われた。歯に衣着せぬけれどもまぁ非常に的を射た意見だろうとも思う。人間性、意欲に問題がなければ鬱にはなるまいしw 社会性があればもっとうまく立ち回れるだろうなとは思うw その代わり、何らかの命題に意欲と興味を持てばまぁそこそこな結果は出す人間なのかもしれない。大学の成績表ってのが手元にあるわけだが、結構C評価でぎりぎり通っている単位が多いと思っていたのだけれども、以外にABで通っているものは多かったりした。興味のあるもの(概してなんの金にもならない美術、図像学、映像やら、哲学なんかなのだが)に関してはほとんどAだった。ああ~俺こういう人間だったねぇと思い出した。2/3÷3/4って問題がある。これをほとんど皆疑問を持つことなく2/3÷3/4=2/3×4/3と分子分母を入れ替えてかけ算に変換して計算するわけだが、これって何故だろうかとか。4+2=と出されて4+2=6とやるわけだが4+2=1+5=2×3=24÷4とかやったって考えようによっては問題なかったりするわけで。数学は大嫌いだがこういうのは大好きだった。なんかそういう気持ちを思い出した気がする。それでどうなるかは分からないwけれども、何かできる気がする。CDを聞いてなんとなくプロデューサーが分かるとかミキシングエンジニアが分かるとかギターの音でどのタイプのギター使ってるか分かるとかんなどうにもならない能力もなんかどっかで何か役に立つのかもしれないw 膨大な蓄積と興味の結果だ。まぁ厳しかろうと人生やりなおせない時なんてないんだろう。そんな風に思わせてくれる出会いもそのためにあったんだろう。今は、ありがとうって言えるだろうな。幸せであって欲しい。今、私が想う人はやっぱり彼女しかないけれども俺は幸せになろって思う。何か少し思い出しかけてる気がする。多分とても大切な事。今度は潰されたくない、潰れたくないな。
2005年10月14日
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傍に居て、そして当然のように傷付けてきたことが私にもあるのだろうな・・・秋はとても綺麗で寂しい季節。そして冬から春に至る。また、私も成長しなければ。
2005年10月14日
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ふと思い出した事。なんか私は小学生の頃はテストは必ず100点を取らないといけなかった気がする。家ではそれで当然とされていた。100点取ったら褒めて貰えるんだとか、なんか買って貰えるんだとか(それもどうか、ってとこもあるけど)いう学友の言葉がよく分からなかった。多分褒めてもらったり。おもちゃでも買ってもらおうと思うと150点満点くらいになってくれないと買ってもらえまいwなんか100点はなんていうかその先はないのに基準点で、95点とかは90点ってのは”マイナス”で、80点台に突入したらとんでもなく怒られた気がする。弟ってどうだったんだろう。中学になったらなかなか100ってとれないわけだけれどもそれでも90点台とか90点台後半、場合によっては100点ってのは安定して取らなきゃならなかった。まぁ平均点ってのがそのころは発表されたから、満点でないテストは平均点からの点差でなんとか見逃してもらったようなもんで。そんでも70点台のテストなんかは(平均点が30点台でも)すごく後ろめたかった。なんということもなくそんなこと思い出した。自分が親になったら別に何点でもがんばって取ったものなら褒めてあげたいよね・・・なんかそんな気がした。
2005年10月13日
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きっと寂しい。私はまだ半人前だけれども一人前にきっとなってやる。いつか書いた、強くなりたい。やせ我慢はどのみちできないけれども。やっぱり俺はでも、一人前になっても半身のような気がするんだろうな。ずっと自分の半身を求めて生きると思う。この先出会えるのかもしれないし、もう出会っているのかもしれない。ただ、もっともっと土台を強い人間にならないと。そんな気はする。自分の場所。自分の帰る場所。自分自身。自分自身はそこに在るけど、でも場所とか帰るところなんてきっと自分で作っていかなきゃ。
2005年10月12日
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斯くも得難く斯くも有難く優しく厳しいのだなぁと
2005年10月11日
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あのひとの名前を見つけると今でもやっぱり少し嬉しくてチャットソフトに上がってるとやっぱり嬉しくて楽しくチャットする夢とか見てしまって、嬉しくて切ない寝起きを何度も経験してやっぱり好きなんだろうなって自分で思う。時間が、動揺とか不安はだんだん癒してくれてる。だからって気持ちは別なんですね。彼女と過ごした場所、彼女と行った場所。立ちすくんだり怖かったりしたけれど、そういうのは今平気。時間って不思議なもんだ。もうしばらくで一ヶ月・・・冷めてたかなぁって頃から考えると一ヶ月以上になるのかな・・・いろいろ考えた。けどやっぱ好きだな・・・。素敵な男になりたい。あ、いやちゃんと少しずつ、復活してますのよw
2005年10月11日
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こういうときって、読む本が自分ととてもシンクロしたりする。京極夏彦の「塗仏の宴」。 ”宴の支度”と”宴の始末”で単行本2000P近くになるものなのだけれど、(んなことしてる暇ほんとはないんだけど)読破したりして。(専門書とか学術書をこのくらいのペースで読めたら良いんですけどね)自分が自分で自分である、自分が選択していると信じている自分、と、自他との社会性、因習、習慣、またそういったものへの迎合、摩擦、そういうよって成立している自分、っていうものの境界線っていうのは何処なのか。社会の最小単位で、かつ自己の形成の根源である、家族というものとその絆。そういったものは果たして理屈や善悪、合理性などによって存在するのではなく、退屈な日常というものの積み重ね(というものが平穏にできるならそれは非日常でもあるかもしれなくて)こそ近代人が脱却しようともがくが故に見失う本来の姿でもあるのではないかとか。自分は、自を見るのに精一杯で、他があまりにも見えていなかったのかもしれない。自分の為は人の為である、ってよく、昔好きだった人に言われてた気がする。人のためになりたいと思えばまず自分のことで、自分に対する決断に自分が近しく思える人の恣意っていうものも入り込んでおかしいものでもないのかもしれない。自分を強く持つっていうのは我を張ることとは違うのだろう。自分探しとかってつもりはなくて、自分はあるまま今ここにあって、生きていて。死なない限りはこうやって生きていて。ん~なんと言うべきか。好きな人が、親しい人が、こっちの方が喜ぶじゃない、って思って生きてゆくのって、自分が弱いとか自分がないとかって言うんじゃないのかもしれない。と、感化されやすいだけなのかもしれないけれども本を読んで思ったりもして。少し心の余裕はできてきたのかな。完全復活宣言とまではいかないけれども、復活宣言くらいはしても良いような気がするし、私は私は、と、うろたえる自分の話を聞いてくれて、きちんと返してくれるような人たちまでいてくれて。気づいていなかったわけではないと思うのですけれど昨日くらいからかな。すごく・・・ああ、自分アカンやんとw もっとしっかりしよ元気なりたい。って思いだしたんですね。まだ”自分”の境界なんてわからないですし(境界性うんぬんとかじゃないですぜ、多分ねw)いろんな人にいろんな風に思ってもらっていろんな側面、いろんな姿の自分があるんだろうって。なら、俺があんまり悩んで自分が自分がって言っても今は仕方がないし、自分はどうやってもここにいるし。卑屈な意味じゃないけど、見損なわれない私っていう存在になりたい。それは多分、場合によっては、っていうか大方、そうなんだろうけれど、ルーチンワーク的な同じような日常の積み重ねなんだろうと思う。それにいろんなひとがいてくれていろんな要素があって自分って・・・あまり変に気張らなくても(多少は俺、気張ったほうが良いだろうけど;)そこに居るんだと思うから。ん~なんかこうやって書くと未整理だなぁ・・・でも、少しなんか見えてきたような気はします。いろんな事がいろんな風に今見えてきてるというか、新しい見方というか、自省の上に成り立ったそういう見方ができるようになったのかもしれないと思います。まずは、起きて、飯食って、飯食って、飯食って、寝る、って基本的なところを整えよう。んでないとたいそうな日常の形成なんてできないわな。今日はちゃんと早く寝ます~
2005年10月09日
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思い通りに行かないってう時期もあるのかな泣いて良いって言われて罵って良いって言われてでもそう言われると出来ない人で。。。まだきっとあまり泣いていないな・・・やっぱり好きで、罵る事も出来ない。帰る所が欲しくて欲しくて・・・帰る所。作らなきゃいけないのでしょうね。ずっと待ち、けれども待つだけではなくて動いて・・・かな・・・よくわからない日記で失礼
2005年10月07日
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忘れていた鳥。弱った翼で今から羽ばたきます。地べたを這いずるならばもう堕ちるのも怖くはないから低くても良い身の丈に合っただけ羽ばたいて身の丈に合っただけ飛んで例えあの子に届かなくとも永遠に翼を休めるその日にきっと後悔のないようにきっとひとりではないように過去を悔いても今は仕方がないからそう思って拙く不格好にでもまずは飛び上がってみようと足掻いて足掻いて足掻いて・・・
2005年10月02日
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紅鳩ブラザーとorangeちゃんが荷物の片づけを手伝いに来てくれました。ほんとにほんとに言い表せないくらい感謝です。片づけ自体も本当にすごく感謝ですし(こんなに進むと思わなかった;)一人の時間を埋めてくれたことにも感謝します。ってかほんとに色々話も聞いてくれて・・・なのにでもここまでちゃんと住空間になって・・・なんていうかん~と、まだ何をどうって書きまとめたら良いか解らないんですが、えっと、やっぱり自分は片づけ下手でしたw でも二人のお陰でほんとに片づいて。そしてほんと来てくれてありがとうで・・・うん感謝です。一週間なんですね。まだ。凄く長かったです。けれども前に進む力。信じる力とか、色んなものをほんと色んな人に貰ってます。前もこんなこと書いたかな;なんかうん。無理はしないし出来ないです。けどもなんかきっと出来ます。自分を信じます。ん。きっと時間は無くなってくるんですけれど、でも自分の気持ちもまだ信じて行こうかなとも思いました。きっとなるようになるんです。がんばればね^^;感謝を胸にフレーヾ(゚ー゚ゞ)( 尸ー゚)尸_フレー私~
2005年10月02日
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