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今日は30日。ほとんどの会社の方は仕事を終えてお休みモードに入っていますね。そういえばこないだの昼間、缶ビールをダースで纏め買いしているOLさんを見かけました。おそらく会社で納会をするのでしょう。実は私、この納会を一度も経験した事がありません。以前いた会社では本社で、その行事を毎年やっていましたね。私は営業所勤務でしてそのような習慣はなかったのですが、決まって納会になると私に内線電話をかけてくる本社の人がいてその雰囲気は伝わってきますが、周りがとっても騒がしくて明らかに皆、酔っ払っているのがわかりますね。どれだけのお酒が用意されているのかはわかりませんが、皆相当飲んでいるのでしょうね。でも楽しい雰囲気は伝わってきます。会社でお酒を飲むなんて事も一年に一度はあってもいいですね。来年の年末はわが社も是非、納会をしてみたいものですね。
2004.12.30
今日は仕事納めの方も多いことでしょう。今日はワインショップスタンドフォーの忘年会に参加してきました。ここのお店は2003年8月にオープンしたワインショップですが、ワインスクールを行っているのが特徴で、これまで380人の参加者を集めています。今年は一度もスクールに参加しなかったのですが、メンバーも大きく変わったものです。そして、このお店は単なるワイン屋ではなく、コミュニティの拠点として立派に機能しているというのも魅力のひとつですね。「ここのお店で知り合った仲間と下呂温泉に行ってきた」なんて話も聞きましたが、そんな事もいいのではないでしょうか。初めてあった人でも気軽に会話が出来る。そんな安らぎを感じる空間を提供してくれるお店ですね。ここの店長は私と同世代の32歳。大曽根のふじみやで修行をし、お店を開いた人で、たった一人で店を切り盛りしています。本人曰く「一人なので無理をしないで仕事をしています。」と言っていましたが、こういう考え方もありですね。私たち起業家は常に上昇志向で、上を目指したがるものですが、この人はまるで逆で好きな事をやる事に徹していますね。昼間お店に行くと誰もお客はいなくてゆっくり時間が流れている。まるで、喫茶店か古本屋のようなのんびりとした空間が流れているのですが、その雰囲気が好きでお店に来る人もいますね。また、スキメシに徹している店長に憧れている人も多いのではないでしょうか。無理をしなくても多くのファンに恵まれているワインショップスタンドフォーは本当に幸せなお店ですね。
2004.12.29
このところ本当に寒くなりましたね。コートを着込んでおりますがそれでも寒風は私の体の芯まで吹きさらしてくれます。う~寒い...私がやっている日本テレコムのお仕事は飛び込み営業がメインの仕事。「こんにちは日本テレコムですっ!」って元気良く飛び込んでいく。「結構です!」って断られるのが90%のパターンです。なかには話を聞いてくださるお客様もいまして、そんな時は「あったかいところに少しだけ長くいられる!」って嬉しくなったりしますね。私はいろいろなお客様のところに行っていろいろなお話を聞いてくる。趣味的な話題で盛り上がってくることもあれば、人生の話、お客様の身の上の話を聞いてきたりしますが、世の中景気のいい話ばかりではありません。このご時世に商売をやめざるをえない商店さんもやはりいて、自分自身も2ヶ月前そのような事を考えておりましたから、やはりそんな話を聞くのはつらいですね。いきさつはどうあれ、その後は幸せな人生を歩んで欲しいとはやはり思います。こんな感じで三百代言みたいな事もやっておりますから成績はそんなにいいとはいえません。私は根っからの営業マンにはなれないかもしれないですね。様々な人と会って交わる事に今は徹しておりますが、やはり人間根っからの悪い人はいません。皆心の中には純粋な気持ちを持っていますね。それがわかるとお互いがあたたかい気持ちになれますね。昨日もそんな感じでお客様周りをしていましたが、昼の2時を過ぎて腹時計が「ぐう~」っと鳴りました。そういえば今日は朝から何も食べておりませんでした。何か食べようと思案する。いつもはパンとコーヒーを買って、公園のベンチで食べるパターンなのですが、今日はご飯物が食べたいと思い財布をあらためると350円しかありません。キャッシュカード、クレジットカードは持ち歩かない(ほとんど入っておりませんが)ので今手持ちは本当にこれだけ。果たしてこれで何食べようか?とおもっていたら定食屋の”宮本むなし”がありました。それで、メニューを見ると今の予算で食べられるのは”卵丼”280円なり。これのみ。果たしてこれでおなかが満たされるのかはわかりませんが、とにかく今はこれしかありませんので食べる事にしました。卵丼といえば、高校の時、学食にメニューとしてあったのですが、確か値段は150円くらいだったような気がします。うどん、そばのサイドメニューで食べていたような記憶がありますね。でも今日はこれがメインディッシュなのです。でも今日はこれを心して食べましたね。安いけど案外おいしいのが気に入りました。豚カツが入っていないカツ丼って感じなのですね。結構ヘルシーで女性にオススメかもしれません。おなかも一杯になりました。貧乏にならなければこんな事を考える事もなかったかもしれないのですが、食べ物は人が生きていく上で必要不可欠となるものです。この事を尊く考えられるのは良い事ですね。これに携わる人たちは私がそうであるように、人を幸せにすることも救う事もできるんですね。ご飯が食べられる事、ささやかな幸せを与えてくれた事に感謝して
2004.12.28
昨日、インドネシアスマトラ島沖で起きた大地震はインド洋沿岸へ甚大な被害をもたらし、12000人を超える尊い命が失われてしまいました。震源地まではるか1500km離れたスリランカまでわずか2時間で到達してしまったとの事で、自然の恐ろしさを実感いたしましたが、多くの命が失われてしまった事に言葉を失ってしまいました。なくなってしまわれた全ての人のご冥福をお祈りすると共に、これ以上被害者が出ぬ事を切にお祈り致します。私は絶えず聖書(バイブル)を持ち歩いています。ここに書かれてある言葉は今まで私が行ってきた事とは180度違う事が書かれてあります。だから、日々の朗読は欠かせないんです。人間って、学んだ事も2週間経つと80%は忘れてしまうといわれています。だからというわけではありませんが、書かれている事の一字一句を丁寧に読む習慣が身に付いてしまいました。それと私はもう一つのバイブルを持ち歩いています。それは私の周りにいる仲間たちからのメールメッセージをプリントアウトしたもの。私は筆まめならぬ”メールまめ”。メールが大好きなんです。最近はその傾向が特に強くなり、日に何通もメッセージのやりとりをしております。これらは特にきれいにファイリングしてはいません。四つ折りにして、スーツのポケットの中に入れており、なかにはぼろぼろになったものもあります。でもそれぞれが私のために時間を割いて書いてくれた大切なメッセージの数々ですから、捨てるわけにはいきません。時間があれば開いて読み返したりしています。メッセージは様々ですが、それぞれに物語があって何度読んでも面白いですね。例えば昔の仕事仲間からは「あなたは私の原動力になってくれた」とのメッセージを頂いたんですけど、これを読むとその方たちと一緒に仕事をしていた頃を思い出しますね。決して楽な仕事ではありませんでした。絶えず二人の前には高い壁、荒波、天変地異が待ち受けているのです。でも、力を合わせて乗り越えてきた事など走馬灯のように思い出すんですね。壁を乗り越えられなくて悩んでばかりいる今の私と比べると、その頃は遥かに高いハードルを越えていたわけでして、「何だ昔は出来たじゃん」ってね。そう考えると本当に元気になります。あとは、私への激励の言葉、信仰に関すること、愛に関する事など、実に様々な人と様々な会話をしておりますが、頂いた全ての文章に目を通し、感謝のお返事をしてプリントアウトしては四つ折にしてスーツのポケットに入れています。おかげでポケットは膨らんできているのでありますが、ありがたい厚みですね。その厚みは決して福沢諭吉のような厚みでも重みでもありませんが、ここに書かれている言霊の数々は私の原動力になってくれていましてお金には替えられないものですね。これらの言霊を肝に銘じることで自分自身は救われますし、多くの人々を救う事も出来ます。そんな厚みなのです。私はスーパーヒーローにはなれないけど、それぞれの言霊に感謝の気持ちを忘れず、困っている人たちに救いの手を差し伸べられる人になれたらいいなあと思います。それが私のみなさんに対する恩返し。インド洋沖大地震でこれ以上被害者が出ぬ事をお祈りして
2004.12.27
クリスマスが終わりました。今年のクリスマスはみなさんから沢山のクリスマスプレゼントを頂きました。プレゼントといっても、指輪をもらったわけではありません。マフラーも頂いておりません。でも、みなさんから頂いたあたたかい気持ちの数々が私の心の中に刻まれています。こんなあたたかい気持ちで迎えたクリスマスは初めてでして、本当に感謝に堪えません。そんな私はこのところよく涙ぐむ機会が多くあります。本当に涙腺がゆるくなりましたね。嬉しかった事、悲しかった事、日々生活をしていていろんな事を考え、涙しますね。特にうれしくて涙するなんてことは私にとって今までにありえなかった訳なんですけどね。自分の感情が素直に出るようになって本当に嬉しいですね。自分がいつから涙を流さなくなったかと思い起こせば中学生の頃から泣いていませんでしたね。以降で涙を流した事と言えば、祖父母が亡くなった時の2回だけ。この間の15年間、嬉しい事、悔しい事、悲しい事、数え切れないくらいあったのにですよ!何故かといいますと、小学校の頃、私はどこへ行ってもいじめられっ子でいつも泣いてばかりいました。「強くならなあかん」そう思ってもからかわれては「うえ~ん」その繰り返しでしたね。だから「強くならなあかん。泣いたらあかん。」そう毎日念じていましたね。その願いが叶ったのか私は人前で涙を見せることもなくなりました。でもその代わりに私は感情を押し殺して生きるようになりましたね。するとどうなるのかといいますと、感情表現が鈍くなる。自分が今、どんな表情をしているのかさえわからなくなるのです。そんな私も16歳のころ、はじめて好きな人に巡り会えることが出来ましたが、その子に私の第一印象を聞きましたら「なんか冷たそうな人やと思った。」といわれましたね。これはちょっとショックでしたね。以後も何人かの女性をお付き合いしましたけど、第一印象はいつも決まって”冷たそう”でしたね。私はなんでそんなふうに思われるのかわからないんですよ。仲の良い人たちは、男も女もある程度会話をしているからそうなるわけでして、初対面で打ち解け合う事も少なかったような気がしますね。自分は腰をどっしり落ち着けて人と接するんだ。そう思っていたから今まで全然気にも留めていなかったんですけどね。それが15年間の沈黙を破って私が久しぶりに大粒の涙を流したのは30歳の誕生日を迎えてすぐの事、ある自己啓発セミナーで、今までにあった悲しい出来事を一生懸命考える時間を与えられたのです。あの時はこらえようにもこらえきれずに声を上げて泣いてしまった。涙腺が一気に緩み、決壊したダムのごとく涙が思い切りしたたってしまったのです。でもこの出来事を終えたときの感想は「すっきりした」でしたね。これは自分が30代を迎えるための洗礼だったと思っていますが、要は、泣ける時には思い切り泣きなさいなんですね。今までの鬱蒼とした自分の心の中が一気にクリアーにあったような爽快感がありましたね。で、その出来事があってからは、人とのコミュニケーションが少しスムーズなったように思います。感情と表情が一致しているからでしょうか。嬉しい時は嬉しい、悲しい時は悲しいそんな気持ちが素直に表現できるようになりましたね。はい、今日も牧師様とお話をしていて涙を流してしまいましたね。人間が感情をストレートに表現するのはとってもいい事です。何も恥ずかしい事などありません。人間が生まれ持っている感情なのですから。本音で語るにはまず今、抱いている感情をステレートに表現すること、これに限りますね。いつも私を応援してくださるみなさんに感謝して
2004.12.26
今日はクリスマス。私たちにとって特別の日です。特別の日といっても私は昼間は日本テレコムの営業マン、夜はバーテンダーの二足のわらじの生活には違いないのですが、神を信じるようになってはじめてのクリスマスです。昨日、矢場町近辺を自転車で走っていたらサンタの衣装をまとった子供たちのグループに出会いました。彼らは「メリークリスマス!」って口々に言いながら街中を歩いていたのです。何だか自分が祝福されているようなあたたかい気持ちになることができ、この気持ちの余韻はまだ残っています。でもふと考えたのは、この子供たちを周りの大人たちはどのような目で見ていたのだろうかという事です。矢場町のナディアパークの前ですから人は沢山いるところです。学生さんもいれば、サラリーマン、OL、お年寄りの人たちもいます。考えている事も人生のストーリーも人それぞれ。心に余裕のある人もない人もいるでしょう。皆が一様に同じ気持ちでいて欲しいとかそんな事は考えてはいませんが、この健気な子供たちへ送る視線によっても人の心構えが随分違ってくるのではないかと思ったのです。なぜなら、今までの私なら何も考えず通り過ぎていたから。「あっ、そう」ってね。随分冷たい人間でしたね。でも、そうではなくて他人であってもあたたかい視線を向けられる大人であるなら、誰に対しても優しく接していられるでしょうね。例えば私はイベントの仕事で、寒風吹きつける中、じっと外で待機させられることがあったりするのですが、100人通りかかったら2~3人の人は「寒い中ご苦労だねえ」と声をかけてくださる。その言葉だけで私たちは随分救われたりするものです。今までは赤の他人だったのが、声をかけてくださった時点で他人ではなくなります。さらにコミュニケーションが進めば友達にもなれるでしょう。喜んでいる人、怒っている人、哀しんでいる人、楽しんでいる人、いろんな人に目を向けられるようになれば友達も増えるし、自分の人生も随分変わったものになるでしょうね。ともあれとてもあたたかい気持ちでクリスマスを迎える事ができました。日ごろ私を応援してくださる皆様には感謝の気持ちで一杯です。皆様のご健康と発展をお祈りして
2004.12.25
今日はクリスマスイブですね。1年に一度しかこないこの日を楽しみに日々過ごしている人もいるでしょう。大好きな人と過ごしたり、家族とのひとときを楽しんだり、クリスチャンなら教会の仲間と賛美歌を歌ったり、過ごし方は人それぞれ。でも全ての人に一年に一度しかないこのひと時を大切に過ごして、いい思い出を刻んで頂きたいですね。今日は先日お会いした私の前職クライアントさんのお話をしたいと思います。昨日のブログでも書きましたが、先日前職の上司とクライアントさんと再会する事が出来ました。実に感動的な出会いでしてまだその余韻が残っております。その方は某自動車部品メーカーの海外事業課の課長をしておられます。まだ30代半ば。はじめての出会いは、99年の9月のこと。物流会社社員の私が鈴鹿より豊田に新しく出来た営業所へ赴任した時の事でした。1200坪の新倉庫は、そのクライアントさんのおかげで竣工出来たものでして、がらんどうの倉庫のなかに、大きな洗浄機とクリーンルームが備え付けられていました。もちろんピカピカ。いわゆる流通加工という仕事をするためのものでした。当時私は現場作業員で課長さんとお話しすることもなかったのですが、社内で聞くうわさは”とにかく頭が切れる人””手ごわい人”という事でしたね。仕事に関しては一切妥協しない人で、私のいた会社の偉い人たちも課長さんの存在には恐れていたといいます。それが翌年、私が海外業務の顧客担当になり、その課長さんとの直接折衝に当たる事になったのですね。これには以前ブログで書いた私の尊敬する上司の強い引きがあったと聞いております。今まで現場一筋、電話のしかたも知らない世間知らずな私。社内で恐れられている人との折衝が私のような小兵につとまるのかと不安だったのを今でも思い出します。現場の仕事はある程度わかっていましたが、海外業務のオペレーションは何にもわかりません。実際の実務はこの課長さんにほとんど教えてもらいましたね。お客様に仕事を教わるとはおかしな話ですが、今考えてもその人の教え方は部下を育てるような綿密さで、社外の人間である私に一生懸命教えてくれましたね。手ごわいというイメージがあったのですが、それは仕事をきちんとしなかった時は怒られましたね。一生懸命作成したプレゼン資料を却下された事も多々ありましたが、いつでも「じゃあこうすればどう?」とか「こんなふうにすればうまくいくと思うよ」って必ずアドバイスをくださるんですね。じゃあ私も「あっ、なるほど」ってね。私の考え方はいつも決まっていて、決して曲げなかったのですが(それが私の不器用たる所以です。)、彼はつねに選択肢を複数持っていましたね。どんな事でも判らない事は1.わかる人へ問い合わせる2.参考文献を調べ尽くす、ネゴシエーションでも決して負けないのですがそれは影での緻密な努力があってこその事、私もいろんな事が学べたなあと思います。常に私たちより一歩進んだ考えを持っていまして、「そんなん無理やわ」って思うような事でも「ご検討下さい。」って私たちに課題を与えてくださる方でしたね。私たちの頭からは常に煙がシューってね(笑)。今考えると、自分とともに私たちにも飛躍してほしいと願っているからこそ与えられた課題だったと思います。多忙なはずなのに私利私欲なしで私たちのために時間を割いてくださる心の温かい方でしたね。よく酒を酌み交わす事もありましたが、視点はとてもグローバルで会社の全体像を良く把握してましたね。それで会社の将来についても熱っぽく語っていましたよ。とにかく楽しい酒でした。私が4年近く在籍したその営業所は、2002年安城市に3000坪の倉庫が稼動し、私が居た頃よりはるかに業務が拡大しているそうです。もちろん売上も飛躍的に上がったと聞き、嬉しそうに話す所長の話を聞いて、私も喜ばしい気持ちになりました。それは会社の業績にも大きく反映されていると思いますが、きっかけはそのクライアントさんとの仕事を立ち上げた事、数社競合したなかで課長さんが私どもの会社を協力にプッシュしてくださった事ではなかろうかと思い、感謝に堪えません。そしてこのプロジェクトに関わる両社のスタッフのみなさんが会社の中心的な存在に成長されて時には社運をかけたプロジェクトに挑まれている事もあるそうですが、そんな仲間たちと一緒に仕事が出来たのは本当に誇りに思えることですね。にもかかわらず会社を辞めた私は、そんな両社のみなさんのご意思に背くものであったと今更ながら反省しています。私は起業の理由を「生まれてきた意義を問うため」「幸せになるために」と美辞麗句を常々言ってきましたが、辞めた本当の理由は『嫌になった』から。辞意を表明した当時、仕事をやっている、ではなくて、仕事をやらされている、という気持ちがとても強くありました。いつの間にかそんな気持ちになっていたんですね。自分の責任を全て会社に押し付け、今までそれを反省する気持ちもありませんでした。起業に失敗した本当に理由はそこにあります。だから退社後は前職の人たちとの関わりを絶っておりましたが、私を今でも思い続けてくださっている人が沢山いる事を知り、その方たちの期待に背いていた自分を恥じるとともにその事を知る切欠をくださった課長さんや前職の所長には本当に感謝の気持ちで一杯です。これからは両社のみなさんとまた良きお付き合いが出来る!そう考えると今は嬉しい気持ちで一杯です。これからは恩義ある人々への好意に背くことなく生きていこう!
2004.12.24
クリスマス前はイベントが盛りだくさんです。言ってませんでしたが、私はクリスチャン、まだ洗礼を受けてまだ日が浅いのですが、私が初めて教会に言った時の事を書きましょう。事業に失敗をして、元手はゼロ。なのに支払の催促はじゃんじゃん来る。はっきり言って居場所はありません。日雇いの仕事をしてなんとかその日の食事にはありつく事はできましたが、働いても働いても借金など返すあてもありません。どうしようもなく飛び込んだのは教会でした。教会では聖書を一読してからはパイプオルガンの音色にしばし耳を傾けました。その曲は今来ませ異邦人の救い主よ(JSバッハ)でした。パイプオルガンの音色を聴きながら自分に心が洗われていくような清涼感を味わう事が出来ましたね。心身ともに追い詰められている私にとってそれは今までに味わった事のない安らぎでした。何を思ったのかといいますと、「自分はまだ見捨てられていない。神様は自分を見守って下さっている。」そんな気持ちでしたね。と同時に自分をこの世に生み出してくれた両親に対する言いようのないくらい感謝の気持ちが溢れてきましたね。そう思うと自分の頬から大粒の涙が溢れてきました。本当に人前では涙を見せない強がりな私の事ですから、よっぽど悲しいのか、嬉しくないと涙を見せることも無かったのですが、他人様の目をはばかることなく涙してしまいました。そしてその日から1週間も経ずして私は洗礼を受けました。洗礼を受けたからと言って私の状況が大きく好転したとは言えません。ですが、今この逆境は神様が与えてくれた試練であることを思うと素直に受け止める事が出来るようになりましたね。引きこもりがちだった私も最近ではいろんな人とのコミュニケーションを取ったりしています。最近の事例では、嫌で嫌で辞めたのですが以前勤務していた会社の上司やお客様とも再会でき、協力を約束してくださった事。昔の会社の上司に関しては私も随分誤解をしていたなあと恥ずかしい気持ちになりましたね。以前の会社の仲間やお客様のみなさんも私の事を懐かしがってくれていたみたいでして、そんな話をきけたのも幸いでした。「自分は一人じゃない。自分には仲間がいるんだ。」そう感じる事が出来てとても心強い気持ちになりましたね。年の瀬も近づいてきましたが、残りの数日を一生懸命頑張って新年を迎えたいと思います。仲間との出会いに感謝して12月23日◆あとがき◆今日の話はキリスト教に関するお話ですが、布教を目的としたお話ではありません。また、お気を悪くされる方がいらっしゃいましたら心よりお詫び申し上げます。
2004.12.23
昨日から私は通信回線の仕事を本格的にスタートした。ハードな飛び込み営業のなかで、いろんな事を改めて考えさせられました。「営業マンがやって来た」お客の頭の中ではそう考え、お断りをする人も沢山いました。会社名を言ったとたん、「結構です」と言ってお断りをされたことも数知れず経験しました。けど、断る人のほとんどは内容を聞かずに営業マンという先入観だけで断っているケースがほとんど。私たちが手掛ける商材は本当に素晴らしい!そう思って販売しているのですが、その素晴らしさを気づいていない人がほとんど。この素晴らしさ気づいていない人たちへアプローチする事でいくらでも可能性が広がるという商材の魅力を感じましたね。それで、私が昨日訪ねた会社の中で、ある自己啓発セミナーをやっている会社に行った。社長がいないので即決はできなかったのですが、セミナーの事が少し気になったのでお話を聴くことにした。応対してくれたのは私よりも4つ年上の34歳のモチベーターでクリスチャン。とても目が輝いていてパワーに満ち溢れた方です。7年前にこのセミナーの講師になったという。でもここにたどり着くまでには幾多の困難とどん底を経験しているみたいです。彼がモチベーターになるまでの経歴はこうです。高専を中退し、電気工事の仕事をするようになる。やがて親方から独立したが道楽を繰り返し挙句倒産。その後、携帯電話の0円ショップを開業し大当たり。4店舗構えるまでに成長するが、2000万円の借金を抱えて再び倒産。3度の自殺未遂を計る。その後、通信関係の仕事をしている時に今の社長と出会ってモチベーターになられ、クリスチャンになったそうです。この話を聞いて、私は思わず今の自分の状況を話してしまったのです。自分は思い上がってばかりいて気が付いたら資金がショートし事業は頓挫、廃業を考えたのだが、多くの人の温かい励ましの声に触れ、再起を決意した事、それで今の会社にお世話になっている旨を告げました。すると彼は3度の自殺未遂をした時の様子を話してくれたのです。おそらく彼が人生の中で一番つらかったのは3度の自殺未遂を企てた時でしょう。話は壮絶でした。3度目の時の話はこうです。自分は借金苦、働いても働いても返しきれない借金、一部の債権はヤクザの手に渡っており、追いかけられる日々に疲れた彼は自分の人生にピリオドを打つべく鉄道自殺をするために名古屋駅に向かったそうです。岐阜方面から電車が入ってきたとき、「これで楽になれる」「もうこれで終わりだ」と考えると恐怖よりも自殺への決意が固まったそうです。それで、思い切って電車に向かって飛び込もうとした時、携帯に電話が鳴った。今まさに飛び込もうとしているときのことですから、その電話ですっかりタイミングを逃してしまったのです。電話の主は彼のお母様で「元気にしてる?今あなたは大変だろうけどくれぐれも変なことだけは考えないようにね。どんなことでも生きていけるんだからね。」そう言ってくださったそうです。彼はそれから駅のホームで何時間も立ち尽くしていたそうです。そう、駅員さんに声をかけてくれて初めて我に返ったそうです。それから彼は現実に背くことなく懸命に働いたそうです。借金は4年で完済したとのことです。縁あってモチベーターになりクリスチャンになり今に至っているそうですが、どん底の時代、自分はまさか家が買えるとは思ってはいなかったそうですが、昨年購入する事が出来たそうです。同信の仲間たちが祝ってくれ感無量だったそうです。私はここの事務所を出た時、ぐっとこらえていた涙が不意に止まらなくなってしまいました。一本の電話が救った命、もしあの時命を絶っていたら、喜ぶ事も笑う事ももう出来なくなっているのです。今の幸せな暮らしも出来なくなっているのです。以心伝心とでもいうのでしょうか、あるいは偶然の一致でしょうか。おかげで彼は今も生き、沢山の人々を勇気付ける仕事に就いておられるのです。そして私と出会うことも出来ました。これは感謝に堪えません。帰りがけに彼は私の成功と幸せのために祈ってくれました。仕事の成果は無かったですが、彼と対話できた事が昨日の大きな成果だったと思います。
2004.12.18
私は会社員時代、ことごとく会社の考えにそむく人間でした。そむくというかどこかひねくれているといったほうがいいのでしょうか。仕事こそ一生懸命すれ、会社の命令にはことごとく背いていたと思います。とにかく上司の言う事なすこと何でも「納得いかへん!」「おかしい!」そんな事ばかり言っていたような気がします。会社に忠誠を尽くすという事自体、古い考え、今の世の中通用せえへん!そんな事を思っていました。そんな私が今は今後の法人化、組織化へ向けて、「会社を運営するには社員のモチベーションを高める事。会社への忠誠心を持たせる事が大切。」なんて事を常々考えているからおかしな物。随分自分勝手な人間だと思ってしまいます。そんな私がただ一人だけ尊敬する上司がいました。その方との出会いは私が入社して鈴鹿へ配属となった時。その方は1年先輩。年齢にして私より2年年上の方でした。はじめてあったときの印象は”貫禄がある人”でした。仕事の仕方も豪快そのもの、とにかく要領が良くて頭が切れる。「ガハハハ」と笑う様は入社2年目の社員とは思えないくらいの貫禄がありました。入社以来その彼とは一度も仕事をしたことがなかったのですが3年目になって一緒に仕事をすることになり、以後2年あまり一緒に仕事をしたのですが、とにかく仕事には厳しくよく叱られていましたね。カミナリが落ちるのは毎日の事。私も育てるのに毎日必死になっていてくれた人でしたね。一緒に仕事をするまでは彼はただ要領がいい人という印象しかなかったのですが、要領の良さに秘められた緻密さ、きめ細かさが隠されている事に気づいた。そして何より仕事に対する情熱が他の誰よりも強いのです。仕事には厳しいが仕事を離れると部下にはとっても優しくしてくれましたね。同じ営業所の上司と部下になってからはほとんど毎日のように2人で飲みに行ってました。午前様は当たり前で奥様にとても申し訳なかったんですけどね。最初の頃は彼から「飲みに行くぞ」と誘われていたのですが、私もアフターファイブのこの時間が楽しみになり私のほうから「今日行きますか?」って誘う事も珍しくはなくなった。酒を飲んでも豪放磊落、酒を飲むときは豪快そのもの、ビールなんて生中じゃなくて生大ですよ。それも一度の酒で4杯くらいは軽く飲んでいましたね。余談ですが実は今、酒飲みとして他方で知られている私も25歳くらいまではあまり酒が飲めませんでしたね。生中2杯くらい飲んだらもう一杯一杯って感じでそれ以上飲めなかったんですよね。それが今や酒豪になったのも彼の影響が大きいですね。私が普通に生中1杯飲み干している間に生大2杯目を半分くらい飲み干している。それくらい飲むペースも早かったですね。上司が生大なのに部下が生中っておかしいじゃないですか?だから私も生大を頼むようになりましたね。そして、彼の飲むペースについついつられて飲むようになったんですけどね。最初の頃はつらかったですよ。ほとんど下戸みたいなものですからね。最初の1杯はうまいんだけど2杯目からは徐々に苦しくなっていくんです。でも上司の前だから席上は涼しい自分を演じて、「お疲れ様でした」と言って別れて帰る道すがら田んぼでゲロゲロやったことも何度かありましたね。どうして生大かと言うとですね、「生中で何度も注文するのがめんどくさい」とか言ってまして、半分冗談なんですが彼にはそういう合理的な一面もありましたね。とにもかくにも私は酒が大好きになってしまったんですけど、楽しい酒だったと思いますね。考え方はとにかくグローバル。サラリーマンって自分のセクションの事しか考えない人ってわりと多いじゃないですか。いくら大卒の総合職で「次代の会社を背負って立つ人間だ!」と言われ、そう自覚していたって、何年も働いていると、日々の業務をこなすのに精一杯。とてもそんな事を考える人っていないんじゃないかと思います。会社の経営が見えにくい大企業にいればなおさらの事。でも彼は違ったんですね。常に未来、自分の夢について私に聞かせてくれた。素晴らしいのは自分の夢を会社にぴったりとくっつけていたことですね。彼と仕事をしたのは2年あまり、この間、会社でもそうですが、アフターファイブのノミニケーションでいろんな事を学ばせてもらったなあと思います。入社当時の頃から「あいつは絶対大出世するぞ」って社内ではそう言われていましたが、4年目には主任、6年目には大抜擢で営業所長となり管理職の仲間入りを果たしました。異例中の異例人事でしたが、彼がそのようにアピールしていたのではなくて自然と周りから推されての出世でしたね。着任当初は幾多の困難が待ち構えており、相当大変な毎日だったそうだが、持ち前のガッツで難なくクリアされ、今では絵空事のように私と語っていた会社全体のことを考え、実行できうる人になっているようです。社歴を経るにつれ彼の名は社内に知れ渡るところとなりましたが、今、その会社の社内で彼の名を知らない人はいないでしょう。そんな方を一緒に仕事が出来たのは私の誇りです。
2004.12.14
今日の白昼、暴走族グループがたむろしている場面に遭遇しました。なんか爆音ばらまいて続々とやって来るのではありませんか!バイクを見ると後ろに月の輪をしょっていたりして時代遅れっぽいですね。その時代遅れのバイクに乗っている不良少年たちが集まってきました。でも、ただ集まるだけならいいでしょう。でも彼らは大声で叫んでいたり、ゴミ箱など周囲のものを蹴っ飛ばしたりホントにやりたい放題なのです。周りの人間を威嚇しているのでしょうか。はっきり言ってウザったいと思うのです。彼らが集合してさわいでいたのはある地方都市の駅前でのこと、周囲にはちょっとした商店街があり、コンビニ、バス乗り場などがありその町の中心といった感じなのですが、あろうことにも”町の顔”ともいえるその場所で堂々と占拠、他人の迷惑を顧みず大騒ぎしだすのでした。コンビニの入り口を半分塞いでいるもんだから客が入れなくなっている。はっきり言って商売の邪魔!こちらも商売をやっている。自分の持てる声を一杯張り上げてアピールしなければならないのに彼らが騒ぐがために私の商売も全くの空振り...全くもって商売の邪魔!彼らは10人ほどいて、パンチパーマにリーゼントに時代遅れのオンパレードだが、ヤーさんチックで関わるには勇気が要る。でも私はたまりかねて彼らに言ってしまった。「お前ら騒ぐんだったら人気のないところで目一杯騒げ!ここで騒がれて皆が迷惑してるんだ!」と。でも彼らは皆、馬鹿にして私をからかうのです。「兄さん誰が迷惑してるの?誰もそんなこといってないじゃん。」とか、「仕事うまくいってないからって俺らのせいにしないでよ。」って完全に見下されている感じ。血が逆流しそうな憤りを感じながらも「君らそんなことやってて楽しいか?世の中ななめに生きてさ。誰からも相手にされてないんでしょ。はっきり言って負け犬だよ君ら。」というと、一人の少年が「なんだ兄さんやんのか!こらあ!」と大声を張り上げて私の胸倉をつかんできました。そしたら駅員さんやコンビニの店長とかがやってきて止めに入ってくれたが、私たちは彼らともみあいになってしまいました。騒ぎを聞いて警察官が駆けつけてきたので彼らは渋々撤収。何とか収まりましたが、情けないのが見てみぬフリをしている大人たちがあまりにも多いということ。多くの通行人がいながら遠巻きに見ていて止めに入ろうとしなかった。キレル若者に関わりたくないのだでしょう。コンビニにしてみれば彼らに入り口を占拠された時点で立派な当事者のはず。なのに何で何も言わないの?こないだ大阪で前途有望な青年がキレル若者たちによって暴行にあい、亡くなってしまいましたが、そのときと全く同じ。彼らのなすがままになっているのです。社会から見捨てられた彼らの目を覚ますのは誰?他人の迷惑顧ない彼らに憤りを感じながら私は言ってしまいましたが、私にも矛盾があります。彼らはおそらく17歳から18歳くらいだろうと思われますが、私も彼らと同じ時に同じ事をしていて警察にも随分厄介になっていたのですから。他人が迷惑していることなんて知ったこっちゃない!ってそんな勝手な事を言っていました。自分たちは悪くない。悪いのは自分たちを認めない社会だ!そんな事を当時の私は本気で思っていたのです。因みに私が非行に走った原因はとっても単純なことでした。生まれて初めて味わった”挫折”からでした。「勉強の出来ない奴はこの学校には必要ない!」中学時代までは成績は良くて、有名私立高校へ進学したのですが、ハードな勉強についていけず、すぐに劣等性になってしまった。ある時、数学のテストでクラス最下位になってしまった私に教師が言った言葉がこの言葉でした。それはそうでしょう。先生も一生懸命教えている。何故理解できないんだ!ついていけないんだ!私に対してそうも思っていたと今になっては思うのですが、この教師の一言により、完全に行き場をなくした私が走ったのは非行の道でした。だからというわけではありませんが、彼らにもおそらく同じ経験があったのではないかと思います。だからわざと”はみだし者”を演じているのではないかと思ってしまいました。私もそうでしたが彼らもきっと寂しいんだと思います。社会を見返す方法っていろいろあると思うし、決して非行に走るのが正しい道ではありませんね。手が付けられない彼らを野放しにしている親たちもいると聞きます。でも誰かが彼らと向き合わないと、目を覚ましてやらないと一生社会と背を向けて生きなければならないでしょうね。彼らが自覚するのはまだ若いかもしれない。だからこそ親や教師が彼らと向き合って話し合わなければならないのでは?根っからのワルって世の中そんなにいませんよ。
2004.12.13
昨日、久しぶりに友人と会いました。彼はサラリーマンなのですが、弁護士になることを夢見て法律学校へ通っています。もう1年くらい勉強しているといいます。彼はとても勉強熱心で読書も好きです。よくヘッセの詩とかも私たちに聞かせてくれました。司法試験って合格率が3%といわれる難易度の高い国家試験です。それも日夜勉強に明け暮れる人たちばかりが100人受けてもたったの3人しか合格しないんですよ。そんな試験にあえて挑むのは彼の向上心の高さの表れなんでしょう。因みに私が持っている資格といえば英検、TOEIC、漢字検定、珠算、運行管理者かな。このうち社会人になって取得したのは運行管理者くらいです。それも「受けろ」って言われて、いやいや受けたものだから一通り目を通しただけで殆ど勉強はしなかったのです。。試験前日は”前祝い”と称してしこたま酒を飲んだ記憶があります。それだからというわけではありませんが、彼の向学心には舌を巻かれるものがあります。 ところで民法は条文が1000条くらいあるらしい。その中には離婚問題、債権譲渡、その他各種条文とかいろいろあって、それらは私たちが普通に生活していても仕事をしていても関わってくる法律がたくさんあるようです。それで彼はその民法を一般の人たちがあまりにも理解していない事を憂えていました。「知らなさ過ぎる」と。判りやすく解説している本もあるのでその本を一冊でも手に取ればいいのにと言っていました。 しかし、少し疑問に思うことがありました。それは皆が皆、この民法を理解しようとするでしょうか。おそらくしないと思います。「民法なんて簡単だ」と彼は言ってましたが、それは彼が法を学んでいるからこそそう思うのであって、必要にかられない限り学習はしないでしょう。例えば、会社役員をしている人たちは商法をとても熟知している。「この例は商法第~条に基づいて」などと六法全書を見なくてもさらりと言える人もいます。でも、あらかじめ商法を勉強して会社に入った人っていったい何人いるでしょうか。彼らも日々の仕事に追われながら今まで過ごしてきたはず。わざわざ法律を勉強するために時間を割いてきたとは思えないのです。それはすなわち必要に応じて知識を付けてきたのではないでしょうか。私もサラリーマン時代に通関業法、アメリカの海事法などを学ぶことが出来ました。それは自分がその仕事に従事していたからやっていくうちにいろんなところから知識をつけていたからにほかなりません。長くなってしまいましたが、法律を知っている人の大半は必要に応じて知識をつけただけのこと。予め勉強してという人もいないでしょう。 ではどうすれば一般の人たちに法律がわかるようになるでしょうか。テレビの「行列の出来る法律相談所」なんかはいいでしょう。あの番組が高視聴率を誇っているのは”わかりやすい”からでしょう。エンターテイメント性を持たせたものですが、それだけではなく、そこから得られる”法律の豆知識”を楽しみにしている人も多いはずです。全部は覚えていなくても不意にこの法的知識が必要になった場合、すぐさまテレビでの事を思い出すでしょう。そこではじめて人は法律を学ぶのではないかと思います。そこで私も思いついたのですが、それなら新聞で連載してみるのもいい方法ではなかろうかと思った。”わかりやすい法律まめ知識”とかいうコーナーを設けて。判例を載せてあげると親切でしょうね。新聞は多くの人が目にするメディアですから、知らず知らずと身に付く事もおおいのではないでしょうか。にもかかわらず法律に関する新聞連載も少ないように思えるのですけどね。 とはいえとっても法律を覚えるのはとっても難しい。なんとか判りやすく一般のみなさんにわかる方法があればいいかなと思った。
2004.12.12
テラザスマルベックというワインがある。このワイン、アルゼンチン産の赤ワインなのだが私がバーテンダーをつとめるお店でも人気のワインなのだ。マルベックという種で作っているこのワイン。グラスに注ぐととっても綺麗な輝きを放つのだ。ココナッツのような香りもし、見かけよりも飲みやすい。昨日は私のお店でこれが大量に余ったので頂戴して帰ってきた。返ってくるなり飲んでしまったのだが。とってもなめらかでうまい!これ、酒屋で買うと1500円くらいなんですね。チープなんだけどとってもうまい!とってもなめらか!オススメですよ。因みにこれ、輸入元はドンペリで有名なディアジオモエ&へネシー社です。高級ブランドワイン専業って感じがしてたけど、結構お値打ちでいいワインも扱ってるんですね。マルベックはほんとうにおすすめの赤ワインですよ。
2004.12.11
青春18きっぷのシーズンがやってきた。愛好者も多いことだろう。これはJRの企画切符なのだが、楽しみ方は人それぞれだ。私はビジネスで利用した事もあるのだが、たいていは学生とか、あるいはグループで近場に行くために利用するとかそんなニーズが想像できる。帰省にもレジャーにも大いに活躍しているのが18きっぷ。最近はこのチケットもプロ顔負けの愛好者もいるというか、使い方が多様になりすぎて専門雑誌まででているほどだ。その中でも極めえるプロといえるのが、18きっぷをつかっていかに遠くまでいけるのだろうかというチャレンジャーたちなのである。私も18きっぷでの旅路をいろいろとシュミレーションしてみたのだが、面白い事に結構遠くまでいけるのである。ひたすら西へ進もうと思えば名古屋からでも、一日でなんと熊本県の八代までいけるのである。これはいずれもルートが幹線だから電車が頻繁に走っている事も起因するが、それにしても凄い。なんだか行動範囲が広くなるような気がしてきた。西ルートをいろいろとシュミレートすると、八代だけではなく、九州は小倉で乗り換えると大分県の佐伯まで、佐賀県の肥前山口まで。四国なら愛媛の宇和島、高知の宿毛、徳島の甲浦と四国は隅っこまで一日で到達できる範囲とわかった。八代までのルートを説明しよう。名古屋5:52発-6:28着大垣6:31発-7:07着米原7:26発-9:58着姫路10:04発-11:26着岡山11:42発-18:11着下関発18:19-18:25着門司18:29発-21:39着大牟田21:57発-23:18着八代アサイチで名古屋を出れば23:18に熊本県八代市に到達出来ることがわかる。移動距離は984キロ。乗り換えは7回である。乗車時間はとても長いが、気長に旅を楽しむ気で行けば結構楽しいたびになるはずです。旅の楽しみといえば駅弁。乗り換えの時間を活用して美味しい駅弁をゲットしましょう。おすすめ駅弁米原駅 近江牛ステーキ弁当 鱒の押し寿司姫路駅 しゃこめし下関駅 ふくめし(季節限定)などなど。どれも絶品なんだけど、ふくめしは季節限定、売り切れ必至なので是非見つけてゲットしてほしい。みなさんの18きっぷ活用法あるいは必勝法をお聞かせください。
2004.12.10
私は音楽が好きです。小さい頃から音楽が身近なところにあり色んな思い出があります。最初は4歳のころから、お隣の家がピアノ教室だったので通っていた。姉もここで習っていたのだが、これは両親の教育だったのだろうと思う。はじめて見るおたまじゃくしに「おばちゃんこれ何?」怪訝な顔をする私に、「これを見て弾くねんで」と言った。ドレミファソラシドから始まって慣れるのは早かったと思う。鍵盤を見ずに弾けるようにもなった。そうやって4年くらいは習っていたと思う。ピアノをやめて以降も父がクラシックのレコードを良く買ってきて聞いていた。どんなのを聞いたいたかというと、ワーグナーとか刹那的なものではありませんよ。ヴィバルディ「四季」ショパン「華麗なる大円舞曲」シューベルト「ます」チャイコフスキー「白鳥の湖」「花のワルツ」サン=サーンス「動物の謝肉祭」とかだったと思う。はい、ベートーベンも各種聞きました。 私の音楽の始まりはポップスロックではなくてクラシックでした。中学は80年代のJ-POPを根こそぎ聴きました。FM雑誌を毎週買ってきてエアーチェックするんですね。それで、録音していました。今ではなつかしい、渡辺美里、スタレビ、杉山清貴、チャゲ&飛鳥なんかも聞いたなあ。そのころは、音楽ならなんでもって感じでチャンポンしてましたね。洋楽ではカーペンターズビリージョエルエアロスミスに大きな影響を受けた。ジャズにも興味を持ち始め、映画にもなった「ハートカクテル」を聴いたり、夜寝る前には「ジェットストリーム」を聴いていたなあ。その頃、ジャズで一番影響を受けたのが、アメリカのジャズボーカルグループのマンハッタントランスファーです。彼らの「FourBrothers」はとっても絶品です!鮮やかなメロディーは今聞いても色褪せません。とてもスローテンポに見えて、実はとってもクイックなサウンドはとても真似出来ません。ライブ版ならドラムとサックスの臨場感が溢れてとても素敵です。学校では音楽を聴きながらの”ながら勉強”を禁止していたのだが、私はそれを無視していつでも何か聴きながら勉強をしていたなあ。よくそんなんで高校に入れたものだと感心します。 高校時代はロックに傾倒し、バンドを結成しましたよ。BOOWY系の曲は何でもチャレンジしましたよ。私はボーカルだったんだけど、カッコつけたくてギターも練習した。歌いながらオルタネイトピッキングは出来なかったけど、コードくらいはさわれたなあ。 大学に入って以降は再び聴く方向で音楽と付き合ってきましたが、この10年はジャズ、ボサノヴァ、AOR系音楽を主に聴いてきましたね。小野リサ、クレモンティーヌ、スティービーワンダー、ボビーコールドウェル、アースウインド&ファイアー、ドゥービーブラザーズ、ケイコリーなどなど数えたらきりがないくらいなんですね。 音楽って不思議なのは、その時代を常に反映しているということ。久しぶりに聴くと、初めてその曲と出会ってむさぼるように聴いていた頃の事を必ず思い出すんですね。「こんな事をやっていたなあ」とか「こんなこと考えていたなあ」とか、「あの頃付き合っていたのは...」とか。時に昔の記憶が昨日のように鮮明によみがえる事もあるんですね。懐かしい時代にリプライズしたければこの方法が一番かと思えるくらいね。 私にとって音楽は自分の歴史の一部かもしれません。その歴史は輝かしくなくてもいいから、悔いのない人生でありたいですね。堀之内社長の格言では「今が充実している人は5年前、一生懸命生きてきた人だ。」といわれていました。ということは、充実した5年後を送りたければ、今をしっかりと生きる事、5年後音楽によってリプライズしたときに「あのころは必死に生きていたなあ。今となってはいい思い出になった。」そう思えるようになりたいですね。とは言っても、日々不安の中で格闘する毎日を送る私。あたたかいアドバイス、声援が頂ければ幸いです。
2004.12.09
今日、久しぶりにタワーレコードへ行ってきました。CDはほとんどここで買います。タワレコのなかでも大好きなジャズ、ボサノヴァのCDがわかりやすく陳列していて、豊富に揃っている近鉄パッセ店が一番好きです。よくここで視聴してしまうのですが、ここで聴いたクレモンティーヌで、久々に鳥肌が立ちました。聴いたのは「OH!シャンぜリぜ」みなさんご存知だろう。私も幼稚園の頃から知っております。この有名なフレンチポップスはいたるところで歌われていますからね。いつ聴いてもほのぼのとしていますね。でもクレモンティーヌが歌うと何とも甘いテイストのサウンドになるんですね。原曲の明るさも決して失っていなくてなんともいえない! ミュージシャンの素晴らしいと思うところはいくつかあるのだが、各ミュージシャンが独自のテイスト(個性)を持っているところではないでしょうか。ボーカリスト、ピアニスト、ギタリスト、ベーシスト、作曲家それぞれに個性があるから、組み合わせいかんではカバーであっても全く別のサウンドを作る事も可能なのです。昔、私はカバーと聴くと”パクリ”だと思っていた。90年ごろ、ユーミン、サザンなどの逆カバーがヒットしたが、申し訳ないがどれもこれも原曲のインパクトには勝てないと思った。唯一素晴らしいと思ったのが、故レイチャールズの「エリーマイラブ」。いとしのエリーのカバーですね。でも今は、カバーが出来るミュージシャンって凄いと思います。クレモンティーヌの「OH!~」はカバーなんだけど、全く別の曲に仕立ててしまっています。オリジナル曲を作るのも大変な作業だし、クリエイティブな世界ではありますが、カバーも、ある意味全く別のテイストをクリエイトしてリスナーに感動を与えなければなりませんね。この意味ではカバー曲も大変クリエイティブな世界だと思いますね。 因みにクレモンティーヌは”イエルと彼女”というアルバムで「男と女(Une Homme Est Femmeだったかな?)」をリリースして大ヒットを記録した。有名な「ダバダバダ」のメロディーで始まる曲です。あまりにも多くの人がカバーするこの曲。因みにこれ、クレモンティーヌもカバーだとは知りませんでした。そう、「男と女」という題名の映画が昔あったのですね。1966年にカンヌ映画祭最優秀賞など、多くの賞を総なめにしたのだという。 この「男と女」のサントラCDが復刻されているのです! この曲もこれが原曲なんですが、クレモンとは違った意味で感動してしまう名曲です。全部は聴いていませんが、インストルーメンタルも入っていて、映画の流れが聴くだけで一通りわかるのではないかと思います。 ボサノヴァのジャンルで言えば、パイオニア的存在なのが、故アントニオ・カルロス・ジョビンの「ワン・ノート・サンバ」がとってもオススメです。この曲も他方でカバーされており、いろんな”ワン・ノート・サンバ”が生まれています。結構聞き比べも楽しいですよ。 今日は感動を与えてくれたクレモンティーヌに遠い異国の日本から感謝感謝です。OH!シャンゼリゼは最近発売されたオムニバス”ボンボンフレンチ”でもダニエルヴィダルが歌っています。こちらもおすすめ。
2004.12.08
島耕作シリーズはご存知でしょうか?課長島耕作ですよ。週間モーニングで連載中の漫画で1982年から、途中中断はあったが22年続いている。課長から部長、そして今は取締役と主人公をリアルタイムに描いている。そんなわけで今は取締役島耕作なんです。はい、初芝電器産業株式会社の取締役になりました。島耕作という人物がどんな人物なのかはおいといて、このストーリーに登場する、今野輝常なる人物について解説してみよう。この人物、課長島耕作コミックス第7巻よりショウルーム課主任として登場する。昭和35年入社の高卒社員。昭和45年大卒入社の島とは社歴で10年、年齢で6年のひらきがあるのだが、島の部下として登場する。この人”上に厚くて下に薄い”典型的なサラリーマンタイプの男、島が転勤後ショウルーム課の課長となるも、セクハラ問題が明るみになり左遷。その後は長く登場しなかったが、部長島耕作のフィナーレに近づいてきた時に再度登場する。今度は福岡の系列販社の社長、島が専務と立場が逆転。長年の恨みとばかりに数々の嫌がらせを実行するも島の誠実さには勝てずすべて失敗。そのうち、販社の業績が悪化し、社内の士気が乱れ、業績悪化の責任を取らされ今野は解任された。あと半年で定年だと言うのに。実は解任をされた時の島とのやり取りが実に興味深い。解任されても自分の非を認めない今野はそればかりか、「島、お前わしを解任するために根回しをしたんだろう。うまく立ち回ったな。」まだ開き直る今野に島は、「あなたはどうして自分に都合が悪いと全部人のせいにするんですか?」ピシャリと言ってさらに続けた。「あなたは人に好かれたことがありますか?」そうなんです。島は今野の一番痛いところを突いてしまったのです。島という人物は人が傷ついてしまうことが言えない人物。それなのに敢えて言ったのは今野のためを思っての事。このやり取りがあって以降、島と今野の本当の付き合いが始まった。今まで自分の非を認めなかった今野は「人に好かれたことってありますか?君から言われた時衝撃を覚えた。」といって、自分の生い立ちから話はじめる。”上に厚く、下に薄い”彼の性格は、親の愛情が受けられず、寂しさを紛らわすために人をいじめる事で安らぎを覚えていた少年時代に端を発するらしい。大人になってもそれは変わらず、その方法である程度までは出世できたと。しかし、それが間違いだと気づいたのは課長になって以降の事、ある程度部下からの信任がなければそれ以上の出世は望めないと気づいたのだがもう手遅れだから嫌な奴に徹してやろうと。ここまで話した今野に島は、「もし今までがそうであってもこのまま定年を迎えるのは寂しくないですか?出来ればあと半年、皆に好かれる努力をして、祝福されながら第二の人生をスタートしたくないですか?」という。以降の今野は、毎日会社に来ては各部署へ花を手向けにやってくる。”職場に花を持ってくるオジサン”そう自分の立場をコミットしたのだ。島の取締役就任のニュースをいちはやく知り、うれし泣きしてしまう。かつてのねたみ感情はなく、島の出世をわが事のように喜ぶ今野の姿がそこにあった。そして定年退職の日、本当に皆に祝福されて会社をあとにする。「初芝電器産業バンザーイ!」と万歳三唱する今野に島は「最後の花道を飾りましょう」と言ってベンツのオープンカーをチャーターするなど粋なプレゼントを今野に、感動的なフィナーレを飾る。と、名キャラクター今野輝常をざっとここまで書いたが、長年犬猿の仲であったこの二人がフィナーレを目前にしてうまく完了していることに着目したい。「人に好かれたことってありますか?」この島の勇気ある一言が今野の人生を変えてしまったのだ。あくまでこれは漫画の世界なのだが、実生活でもこんな経験はみなさんにもあるのではないかと思う。私もどちらかというと、昔は人の痛みを知らずに多くの人を傷つけてきた経験がある。その時の自分の対処の仕方で人との交わり方が大きく変わっていくものです。「あなたにはやさしさ、いたわりとかないのですか?」と言われた事があった。それも後輩の女性に言われたのが凄いショックでした。ショックだったのだが、強がりな私は、「お前は誤解している」と一喝してしまったのです。それ以降はその女性とのかかわりは一切絶たれてしまったのだが、その言葉の重みを感じるようになったのはそれから5年くらい後のこと。あの時の非礼を詫びたいがその後の消息はわからずじまいでそれも出来ずじまいなのだが、その後の自分の人生の中で15年前のあの言葉は今も生きているし、支えにもなっています。当然その時は島耕作という世界は知らなかったのだが、後に島耕作を読んで今野輝常という人物を触れるにつれ、あの時の事を思い出していた。今は自分を考え直す機会を与えてくれた彼女の心から感謝しています。
2004.12.07
そう思うことがよくある。何故難しいかといえば人はそれぞれ違う頭脳を持っているからだろう。 実は先日ある人がクビになったという知らせを聞いた。その人は私のお客さんであり、そこの会社の課長をしていた。まだ若い。理由は越権行為だったらしい。協力会社社員たちの連判状が出されたのがきっかけだと聞いた。聞けばそこには20名の署名がしてあったということ。余程のことがないかぎりこんな動きにはならないし、クビになったのも何か他の理由があったものと推察してしまうのだが。 彼のうわさはよく聞くが、現場の第一線で働く協力会社の社員たちは皆彼を嫌っていた。仕事のやらせ方がひどいというのだ。仕事でトラブルがあれば惹起者である人を呼びつけ、徹底的に怒鳴りつけ、挙句の果てには吊るし上げる。成績が悪ければ徹底的に批判するし、少しばかり良くてもポカミスを徹底的に糾弾する人だったらしい。彼との出会いは1年くらい前だったのだが、その時も彼は現場の女子社員が仕事をしていないと言って公衆の面前、その女性に罵詈雑言を浴びせていた。あまりの剣幕にその女性は泣き出してしまったのだが、彼はケロリとしている。その時は黙っていたのだが、彼は私に言った。「課長って人を使うのが仕事だからね。馬鹿じゃ勤まらないよ。」そんな事をいけしゃあしゃと言うのである。腹に据えかねるのを我慢しながら、「頭の良し悪しなんか関係ない!そんなんじゃ人はついて来ないよ。」私の一言で”何だこのやろう!”てな具合で押し問答になってしまった。 依頼1年。彼の悪口をいろんなところから聞いてはいたのだが、聞くたびに辛かったですね。仕事は熱心なんだけど、なんか不器用にも感じる。彼はゲキを飛ばしているつもりなんだが、威張っているようにしか皆には見えなくなってきている。根はいい人だと思うのだが、私にすらそんなそぶりを見せなかった。 今きっと、呆然とぬけがらのようになっていると思う。どうしているかは知らないが。彼は若いしやり直しもきくと思う。 次こそは幸せになってほしいと思い、ただただ祈るしかありません。
2004.12.06
先日一通の封書が届いた。 差出人が英文でGoogle INCと書いてある。 何だろう?って思った。中を改めるとなにやらインボイス(請求書)っぽく、Description(明細)が書かれているではありませんか! 以前アドワーズ広告を掲載していた事があり、その請求書か?と思った。でもそれはカードで決済をしている筈。おかしい。追加請求が来るはずはないと思ったら。”Adsense”と書いてあった。 そういえば私のホームページにはすべてグーグルのアドセンス広告を入れている。そのことなんだろうと思って調べてみたら案の定だった。クリック数に応じてアドセンス広告掲載者に報酬が支払われるシステムなのだ。2ヶ月前にアドセンスを入れていたのだがそんな事はすっかり忘れていたのでなんか”棚からぼた餅”みたいな感じでしたね。支払われたのは100ドルの小切手。100ドルでも嬉しいですね。 ただ、今は円安傾向なのでちょっと今交換するのにはもったいないかな。
2004.12.05
この会社、実は就職試験を受けたことがあり、内定まで頂きました。切欠はこないだ書きましたが三浦綾子著「夕あり朝あり」のモデルの五十嵐健治氏が創業した会社だから興味を持ったという事だ。 就職試験は20社くらい受けた記憶があるが、今考えても不思議なのは志望動機が「夕あり朝あり」を見た。ただそれだけの理由だった。物流志望の私が他業種に挑んだ数少ない会社である。他の会社は「~がしたいから」「~になりたい」など明確な理由でもって試験に挑んでいたと思うのに...である。でもこれまた不思議なのは、他の会社でいくら自分をアッピールしても不採用がほとんどだったのに、この白洋舎では最終面接まで受けることが出来たのです。詳しくは何を言ったのかは覚えていない。だた、4回にわたる面接、工場見学、かわるがわる面接官が替わる中で私は「五十嵐健治さんに憧れた。21世紀の五十嵐健治になりたい。」って言い続けていたのを覚えています。 クリーニング業はお世辞にもきれいな仕事ではない。夕あり朝ありのなかで、こう書いている。洗濯屋 近所の垢で 飯を食い 明治の頃に謳われた俳句なのだが、文字通り人々の汚れ物を扱う仕事である。見学した工場も戦前の建築のもので古びて、暗い建物だった。 でも白洋舎の社員さんたちの目は、とても生き生きとしていたのを今でも覚えている。特に人事課の方がとても私を気に入ってくれていて、選考通知以外にもよく電話をくれていた。両親も白洋舎をとても気に入っていて「ここにしなさい」って言っていたほどだ。 しかし最終選考が近づいている時期、人にあたたかい会社、白洋舎へ行くのか?あるいは今まであたためていた夢、国際ビジネスマンになるべく物流の道へ進むのか?私は選択に迷った。でも3次面接の時に人事の人に私は正直に言った。本当は物流の道を志しているということを。でも、白洋舎の方は「お気持ちはわかりました。それでも白洋舎のことを考えてくれてありがとうございます。最終的にどちらへ進むのかな清水さんの判断にお任せします。」と言ってくれ、最終面接地の東京本社へ招待してくれたのです。そして、最終の役員面接を受け、翌日には内定通知を頂いた。その時も「待っていますのでしばらくはじっくりと考えてください」と言ってくれた。 結果的には国際ビジネスマンへの近道、物流マンの道を選ぶため、内定を辞退してしまった。 大阪でのセミナー時、100人近くいた大卒予定者も3次面接では5~6人になっていたのを覚えている。おそらく全国で内定をもらったのは10人くらいだったと思うが、私は運が良かったのかあるいは思い入れが強かったのかその中に入ることが出来た。 内定辞退後、私は物流会社へ入社し、3年目には国際物流部門への配属が叶った。以来、4年間従事し、結果的には国際ビジネスマンにはなれなかったがいい経験にはなったと思うし、就職前に白洋舎を垣間見る事が出来た事は幸せだったと思う。 生まれ変わったら白洋舎に入社しようかな?と思う今日このごろである。
2004.12.04
ワカモノって書く事自体、私が年をとってしまったのかなと、つい苦笑してしまいます。いや、俺もまだ若いぞ! そんな事はどうでもいいけど、最近よく20歳前後の若者たちとお話をする機会がよくある。以前も学生で起業家予備軍たちとも話をする機会もあったが、その時は「何を小生意気な」って舌打ちしたくなるような心境で彼らと接していた。私も悪に徹した高校時代、遊びに徹した大学時代、よく「近頃の若いモンは...」などと言われて「おっさんらなんやねん!」と、反感を覚えたものだが、自分も年を重ねると少し年下の世代のワカモノを見ていてもそう思った。そうやって時代を重ねていくものだと。 でも最近では、今のワカモノも捨てたもんじゃないなあと思う。いや、感心する事がよくある。18歳、19歳のワカモノでも、将来の夢、人生ビジョンをしっかりと持ってる人もいるんです。自分の18歳のころ、こんな確固たる夢があったかというと、無かった!と、思うのです。思うし、その夢を人に堂々と宣言できるというのも素晴らしいと思った。夢を語るワカモノたちの目はキラキラと輝いていて実にまぶしい! 実は、彼らの言う事を聞けるようになったのも自分も最近頭をやわらかくしたからなのだが、彼らにインスパイアされる事もしばしば、「君なら絶対に夢が叶うよ!」って言ってみたりする。頑固者(私)も随分変わったもの、ワカモノたちに元気付けられているのも事実です。 ワカモノたちには大きく分けて2種類の人たちがいる。それは、 夢を持っているか否か?だと思います。夢をもっている人、その想いが強い人ほど仕事も真剣に取り組んでいる。逆にただ毎日流されるままに生きている人は、イマイチ仕事にもやる気がなかったり、人の言う事を聞かなかったりする。でもね、たとえそうであってもその人を責めるわけにはいかないと思う。20歳前後って、挫折を一度は経験している年代だと思うんですが、話を聞いていると挫折を経験してそのまんましり込みしている人もいるんですね。きっと打開策を見出せないんだと思います。そんな人を元気付けるのも仲間であったり人生の先輩たちがすべきなんじゃないかな? 「~がしたい」とか「~がしたいけど出来なかった」ちょっと抽象的だが、打開策を見出せないまま日々過ごしている人も、それが暗さとなって表れていたり、仕事の成果に現れていたり、あまりいい影響はないんですけどね。そんな若者たちには「元気出せよ!」って言ってあげたりもする。だって、尻込みするのももがき苦しむのもいいけど、そんなことばかり考えていても自分にプラスにはならないでしょ。だからそんな人には「今の仕事を一生懸命やろうよ」って言ってあげたりする。 感受性の強い世代だから、その言葉をすぐには消化できないだろうけど時が来ればわかると思う。「そういや10年位前に30のおっさんがそんな事言ってたよな」って。それでいいと思う。 とにもかくにも次代を担う若者には自分たちの夢をそれぞれかなえて欲しいなと思う今日この頃です。
2004.12.03
堀之内社長が今月のアントレに載っていたので思わず立ち読み...その格言の数々の中で印象的だったのが、「プールの水をまずおちょこですくってみよ」だった。そんな気の遠い話、だれもがしり込みするでしょう。これは例え話なんですが、成る程!と思った。私なりに解釈すると、まず出来る事からコツコツやりなさい!なのです。プールの水をすくうのにおちょこしかなかったら、まずおちょこですくってみよう!この発想です!おちょこですくっているうちに、色々と効率的な汲み出し方を創作するでしょう。コップはないだろうか、バケツはなかろうかと、こんな具合なのである。しかもそれはやってみないとわからない。やっていて、体験してみて初めていろんな方法を創作するのでしょう。私も資金がショートして途方に暮れていたのが1ヶ月前、取り敢えずやってみよう!ではないけど、重い腰を上げ、動き出したのだが、毎日コツコツ働いているとそれなりにお金が生まれてくる!どんな仕事をやろうか?色んな媒体を見たりしたのだが、その選んでいる段階では「仕事きつそう」「給料安そう」とかいろんな事を考えてしり込みをする。随分無駄な日々を過ごしたなあと思うのだが。でも安かろうと取り敢えず何らかの仕事をしてみるもんです。そうすればいくらかの収入が生まれるわけだから、それからまた何かやろうと思えば可能である。堀之内流おちょこ哲学をもっとわかりやすく言うと何でもいいからとにかく行動しなさいということではなかろうか。とにかく動く事、動く事でいろんなアイデアが創作出来、それが仕事なら財布も膨らむかもしれない。同氏は「どん底からの成功法則」の中で、”小さい欲から満たせよ”と書いて、今の食事がご飯1杯のみの食事なら、おかずを1品でも増やせるように努力せよと説いておられた。おかげで私も今は白ご飯にタクアンのおかずを添えられるだけの余裕が少しだが生まれた。 長々と綴ってしまったが、「楽して儲けたい」と考えている人が多いのも世の事実だと私は思う。そんな事、平然と言い放つ人間も見てきた。でもいかがなものか?アリとキリギリスじゃないが、地道な努力って絶対必要。社員がキリギリスなら、早々とクビになったり、社長がキリギリスだったら社員がついてこなかったりその会社はつぶれてしまったり、あまりいい影響はないだろうと思ったりする。 とにもかくにも私は堀之内哲学に救われた一人である。今月中旬に氏の第2弾「野良犬の成功法則」がサンマーク出版から発売される。今から楽しみです。
2004.12.02
なんか最近そんな爽やかな気分になれるのである。 このところ晴天続きだが、澄み渡った青空のごとく自分の気気持ちもクリアーになってきた。 この2ヶ月ショートしかけた資金をどう立て直そうか。そんな事ばかり考えてきた。働いても働いても借金の返済、未払いの返済に消えていくこの虚しさ。久保田社長のコラムにも書いてましたが、ほんと自分の銀行口座には一円のお金も入金できない悲しさばかり嘆いていたものです。 それが最近、悲観的に考える事もなくなった。ほとんど休みなしで働いている。朝は早くて、夜は遅い。しかしその生活にもなれてきた事もあるが、むしろ最近は楽しいと思う。窮地に陥ってしまったとき、救ってくれた人も数知れず、その中でポスティングという仕事にありつく事が出来た。これはとても孤独な仕事なのだが、がむしゃらにやっていく中で、何が自分に足らないのか?自分が今まで足らなかった事は何だろうか?色々と考えさせられた。 いや、足らなかったというか今まで自分が逃げていた事について考える事が多かったように思う。例えばポスティングの仕事はこんな事を言っては甚だ失礼だが、必ずしも万人に歓迎される仕事ではない。ポスト投函中に住人に見られることもあるが、「こんにちは」と挨拶しても露骨に嫌な顔をされる事もしばしば。そんなことが繰り返されると気がめいってしまうのだが、しかしそこでめげては今までの自分と一緒なのである。ここは地に付いた活動をするべきなのである。それは決して逃げない事。それを教えてくれた白扇株式会社さんには本当に頭が上がらない思いであります。で、その後はどうかというと、別の新たな仕事がスタートしたのですが、本当に不思議なくらい、飛び込み営業も苦ではないし、キャンペーンの仕事をやっていてもクロージングまで頑張って持っていけるような策もいくつか浮かんできた。クロージングが出来なくて悩む事もあるが、先人たちはクロージングの実践論を私に教えてくれたりする。やや、強引とも思えるアドバイスもあるが、黙って聞いて自分流にアレンジする工夫もしている。それと最近は接客時にトゲトゲしくなることもなくなった。自分は嘘をつけない性質だから「むかつく!」と思うとストレートに顔に出てくるのだが、最近ではそれもサラーッと流して、いやスマイルで応える事も出来る! 今の私は「冬の時代」です。「冬のソナタ」なんて、綺麗な世界ではないし、私はヨン様でもありませんよ。波乱万丈な人生の荒波の中です。 でもその波に呑まれないで、乗り越えていきたいですね。
2004.12.01
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