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ディベート教育は教育だ。そのためには躾も必要なのだ。そこに幼少時の体罰が要る。痛みで苦しんだ人間しか、痛みを感じている人間の痛みがわかるものか。私は体罰を通じて男になった。吉田松陰も。今、私は体罰にかわるtough loveをディベート教育に採り入れている。勝敗をはっきりさせ、時には恥をかかせる。世間の冷たい目は、体罰よりはるかにシビアだ。教育は品格。だれも反論しない――できない。
2009年07月31日
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刑務所を出た戸塚氏は、国民的英雄になりつつある。石原慎太郎、櫻井良子両氏が講演に立った。加瀬英明氏が体罰擁護派の筆頭に立った。表の時代が始まった。裏の私は、パネリストにも招かれなかった。それでいい。裏の人間は、裏の役目がある。戸塚氏は体罰を教育と定義されている。しかし必ずしも体罰を必要としない教育もある。今、女性の間でも広がりつつある、サッカー・ディベートには体罰は要らない。体罰なしで「恥」意識を植えつけることはできる。世間は甘くない。正しくても負けるときもある。冤罪はなくならない。負けた人間、マスコミにいじめられた戸塚氏、植草氏、そして彼らの家族はつらかったであろう。わかる、わかる。私は人一倍、冤罪には敏感だ。
2009年07月30日
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お母さん方の体罰ディベートでは、圧倒的に肯定側(体罰容認派)が勝った。最近、戸塚宏氏とパートナーの粟谷女史も女・紘道館見学に来られた。彼女は体罰は教育ですと述べられ、その運動も燎原の火のように広がりつつある。空気が変ってきたのだ。私が教授時代、体罰とディベートがタブーとされ、冤罪のまま有罪となった私は、大学を去った。戸塚宏弁護のツケは高くついた。しかし払った。今や、刑務所を出た戸塚氏は、国民的英雄になりつつある。
2009年07月29日
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産卵本能。なにか子孫に私の思いを残したい。それが<道>ではないか。ミチなのだ。そのミチというspiritを守るのがドウなのだ。それが私の場合、武士道、英語道である。ディベートにも「道」がくっついた。相手に勝つのがディベート術なら、自分に克つのがディベート道だ。自我の強いやつほど、転迷開悟すれば人のために働く。俳優がディレクターになりたがり、物書きが編集をやりたがる(とくに私の場合)のも、自我から離れて、何かを産み残したいという産卵本能なのかもしれない。この歳になって、ICEEの普及と舞台づくりに精を出すのも、生物学的な欲求なのかもしれない。私の活動範囲はますます広がりそうだが、鮭が遡上する母川はあくまで紘道館(浜岡塾頭)である。女・紘道館という新たなる母川にも多くの母鮭が遡上してきた。私もウキウキしてきた。日本の将来は明るい。
2009年07月28日
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69歳はまだ60歳台。まだ残心の時代だ。ちょっとくらい表に出たところで、うかれるような私ではない。私の人生は70歳台から始まる。私が人生の途中で倒れても、すぐに私の後に続く英語サムライの育成を急がなければならない。再びICEEに力を入れる気になった。名古屋ではカズ、モモのコンビが有段者の意地をみせてくれた。一匹の中年の鮭が川上に向って遡上し始めた--何をそんなに焦っているのか。本人にもよくわからない。
2009年07月27日
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英語道ゼロ段が行く ~ その5 ~ 紘道館館長ブログより かつて東京で行われたICEEで、オレは負けていない、と外人ジャッジに噛みついた不粋な男が一人いた。ところが今回、一位、二位となった武道家上がりの英語サムライは堂々としていた。大会後の直会(なおらい)の参加者は30名近くに膨らんだので、参加者(受験者というより)のほとんどがこの夕食に加わったことになる。自分は次のゲイトに進出できなかったからそのまま帰るというコンテスタントはいなかった。これがICEEの特長である。最後まで残る。これがICEEが「お祭り」として成功した証拠になる。ICEEには、悪平等はない。そして悪不平等もない。参加者が全員winnersなのだから。その様子を見て、一番嬉しかったのが裏方で汗を流した十数名のシャドウ・サムライたちだろう。......続きはこちら
2009年07月25日
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もうNHK番組の話はやめよう。今の私は、オバマ大統領に90分間の突撃インタビューをするのだという意欲で燃えている。ひとりでもホワイトハウスへ乗り込みたくてウズウズしている。Time and money permitting.だが。『オバマの本棚』のシーズン2があれば、ジョージ・ソロスかスティーヴ・ジョッブズ級の人物の「本棚企画」で対決したい。70歳になる来年こそは、この松本道弘、世界相手で勝負してみたいのだ。
2009年07月24日
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少し前――いつか忘れた――NHKの「英語でしゃべらナイト」にゲスト出演したあと、数ヶ月ほど経ってから、某プロデューサーに直接電話をした。「あのパックマンかパックンか忘れたが、二人で英語で対決させてくれないか。10分だけでも。あとは日本語エンタテ番組でいいから」。「おもしろい、考えておきましょう」というNHKらしい返答。考えておいてくれるはずはない。それから数ヵ月後、DHCの某女編集員から、「先生がパックンの英語をほめたことが愉快でした。ぜひ先生とパックンと英語と日本語の対談を本にしたいのですが」という丁重な手紙を頂いた。(おもしろい、対決してみるか)と私は半ば乗り気だった。しかし一ヵ月後、やっと相手からお断りの返事があったという。やはりまだ「英語でしゃべらナイト」に対するこだわりがあったのだろう。断って正解。この狼が羊の番組を支持するはずがないから、敬遠して当然だからだ。
2009年07月23日
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コウモリはvampireとも呼ばれ、吸血鬼でもある。決してイメージはよくない。私はどういうわけか、裏の世界に関心があるほうで、イメージでソンをしている者に対して同情し、すぐに味方してしまう。冤罪じゃないだろうか、と。とにかくテレビなどのスタジオで勝負するエンターテーナーは好きになれない。しかし劇場の芸人は好きなのだ。
2009年07月22日
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「大切なのは瞬間なのです。ビデオ撮りではないのですから」と。そうか、動画では緊張感がないな。それにしても、このカメラマンが気になる。何者だろう。忍者か。目のつけどころが違う。さなぎから蝶にかえり、飛び立とうとしているクリティカル・モーメントで、鳥に狙われているような気がしてならない。いや、顔写真が世に出たから、表の人間にシェイプ・シフトしたわけではない。世間は私の顔を知らない。つまり私はまだ闇の中にいる、蝶じゃなく蛾なのだ。太陽より月が好きな縄文人間なのだ。そうだ、私はコウモリに睨まれている蛾なのだ。その無名のカメラマンのカメラ目線が恐ろしかった。編集長が言う。「あのカメラマンは業界では有名ですよ決定的な瞬間を撮るプロでしてね。先生と同じ武道家ですよ」と。たまたまその日、外国人記者クラブは、古書セールを始めたばかりだった。私が買った一冊の本。『The World of Bats』(コウモリの世界)。このぶ厚い本が300円。その日の日記のテーマができあがっていた。「編集者はコウモリだ」でいこう。
2009年07月21日
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脱稿後、世界文化社が本誌のカバー用に本棚の写真を撮りたいからと、外国人記者クラブの図書館へ私を誘い、プロの写真家を私に引き合わせた。ここまで本格的にオバマの本と私の写真を撮るのだから、また私は脚光を浴びそうだ。編集者は「本棚」シリーズ化を真剣に考えているとみえて、「本棚の松本」というキャッチフレーズ入りの名刺まで考えているという。まさか!この日陰の人間にも、やっと太陽光線が当るのか?パチパチ、ガシャガシャとシャッターがうるさい。なにかまばゆ過ぎる。どうも私の人生ではなさそうな感じがする。父の血なのか。たとえ返り咲いたところで、NHK時代の、引っぱりダコの頃の私には戻りたくはない。表の社会は虚。顔が知られていない今の私が本当の私(the real me)なのに。「先生すみません。もう一度歩いてきて、そのままちょっと止まって、その本(『ルーツ』)を手にして下さい。もっと自然に、もう一度やり直し」。一枚の写真を撮るのに、なぜこんな動作がいるのだろう。表の社会はしんどいのう。
2009年07月20日
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紘道館館長ブログより 英語道ゼロ段が行く ~ その3~こういう二人の若き英語サムライと私の間には共通する点がある。強い父親に対する憧れが強い。師とライバルを求め、近づきたがるクセがある。慕うだけなら、だれでもできる。接近するには勇気がいる。この二人には、それがある。私もこの二人のように水と火の心のバランスのとれた、英語武芸者である。さて、第1回名古屋ICEEが開幕した。30名の参加。見学者を加え、50名を超えたというから、興業的には上出来。四人のネイティヴ・ジャッジが確保できたのだから。トヨタの火が消えても、このトヨタ城下町の名古屋人の心意気を燃焼させようと、舞台裏の人たちも歯をくいしばって頑張った。地検、水検、火検で、やはりカズとモモが頭角を表した。英語のできる参加者が他にも多かったことは驚きだ。50名の観客もカズとモモのどちらがチャンプになるかと両者の英語さばきを見守っていた。......続きはこちら
2009年07月18日
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『オバマの本棚』の「あとがき」を書く前にハプニングが起こった。世界文化社の女編集員の一人が、「先生、きのうオバマがハエをたたくところを見たでしょう。すごい。まるで武蔵!」と興奮気味に私に話しかけた。不覚!見ていなかった。この3ヶ月のオバマ企画で、毎日インターネットで英語ニュースを見ながら、原書を読みながら、そして書き続けるという苦業を続け、オバマ情報に関しては、人に負けぬという自負があった。不覚!英語ムサシとして油断することがある。言い訳はきらいだが、昨日は一日中、『オバマの本棚』企画の一環として、DVDで『ルーツ』全巻を見ていたのだ。『マルコムX』を書いたアーサー・ヘイリーの話題の自叙伝だから、オバマも見ているだろうということで、黒人史にどっぷりつかっていたのだ。それにしても、脱稿寸前という気の弛みがあったことは否めない。この本が確実に7月17日に書店に並ぶまでは、残心を怠らぬことにした。
2009年07月17日
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今朝買ったジャパン・タイムズは、Kang Sang Jungがインタビューされている。そう、今話題のクールな論客、韓国人で東大の姜尚中教授だ。今しがた近くの喫茶店でざっと読んだ。彼の本『悩む力』(集英社)は、45万部も売れた。I'm jealous.(laughter) My jealousy isn't the issue here. (laughter) 私は、英語でも笑いをとるのが巧い。私の聞きたいのは、この「悩む力」をどう訳すか?正解は? ネイティヴ英語はthe power of wavering。そう、このwaverは揺れ動くこと。この表紙のフロント・ニュースで、英国のゴードン・ブラウン首相は、「オレは辞めない。この仕事をやり続ける」といった。その英語がこれ。"I will not waver. I will not walk away. I will get on with the job." Waverは「ぐらつく」―― つまりネガティヴ。これがポジティヴに活用すると「ゆるぎ」か。人はwaveに逆らわない人と、抗う人の二派に分かれる。紘道館は今や女・紘道館に傾き(waver to ~)つつある。それは弱さではなく、強さだ。次代の先がけをつくるのはtwitteringの好きな若者たち(young tweets)。そしてその若者を育てるのは母親だ。したがって、日本の母親が日本の将来を変えるのだ。まるでオバマだ。
2009年07月16日
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メンター・ダイヤモンドより 「でっかい夢を見よ。Dream big.」米国の心理学者・マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」と仮定し、人間の欲望ピラミッドの最終階層(てっぺん)はself acutualization(自己実現)であるとした。......(続きはこちら)
2009年07月15日
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さて、twitterの語感に移ろう。紘道館の午前中の館長トークでは、道路でちぎりとったつつじの木の枝を見せる。「これは英語で何という」。私の得意なソクラテス対話は、質問から始まる。英語のテストではない。あくまで思考のテストだ。早期英語教育より、早期日本語ディベート教育に目覚めたママさん(子育てしながら学んでいるtough women)たちが目を光らせている。「そうtwig。これをこうねじり合わせることを...そうtwistする。すごいね、君のボキャはすごい。ここの小枝に小鳥が止まって啼く...どんなふうにさえずるの...そうchirping。じゃチッチッは、twit, twit, twit。そうおしゃべりはtwitters。そうこのタイムのカバーのトウィッターというのは、小鳥のさえずりなんだ。」だけど、これが大きくなると、どうなる。この業界の横綱級のグーグルやフェイスブック(三役)が注目するだろうな。この1年でのtwitterの伸び率が、なんと1298%。幕下からもうすぐ十両に入る。まるでモンゴルの力士のように、あっという間に、三役入りするんじゃないか。なぜか。
2009年07月14日
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Biz Stoneが立ち上がった。「おもろいやないか」と。このトウィッターに参加するtweets(トウイートたち)に対し、スター・トレックが野球や自分の女房に対し、いちびるのだ。彼の140字の「いちびり」はこれ。 biz was just in bed half dreaming that I was supposed to do something --- oh, yeah, wake up! (まだベッド。何かせなあかんなと夢の中。せや、起きるこっちゃ)なんやこれ。つぶやき、小鳥のさえずり。これがIT時代の新しい掲示板?辞書を引くと、twitとは、(過失、弱点、欠点などで)<人を>なじる、あざける、やじる、とある。しかし、「バカ」「イライラ」という意味もある。その姿はつかめない。そこで、「いちびる」を用いた。敬愛を込めながらも相手を小馬鹿にする人はa tweetなのだ。テレビの画面でいえないことが、このトウィッターでいえる。2ちゃんねるでハンドル・ネームでベタベタと、無抵抗な相手を批判するのではなく、ピリリと辛辣なコメントを140字で書くのだから、カラッとしている。たとえばジャック・ウエルチ(GE)は、オバマがソトマイヤーを選んだことで、くどくどといじめているメディア(共産党メディアのこと、FOX)がいる。それが気にくわないからトウィットする。「それぐらいでええやないか。彼女は適任やで」と。ネアカの反撃だから、スカーッとする。
2009年07月13日
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紘道館館長ブログより (本文)英語道七段という肩書きを捨て、零(ゼロ)段とした。昨年の「ヒストリー・チャンネル」で私が武士道を語る歴史家として紹介されると知ってからである。ほとんど打ち合わせなく、「出たとこ勝負」で登場するということで、この英語武蔵も緊張しながらも奮い立った。いずれ柔道の神様の三船久蔵十段のような名人になりたいという夢も捨てた。この悲壮な決意も、それはわかりきったこと、段を捨てる方が私にとり理想の姿である、と以前から私に苦言を呈してくれた男がいた。浜岡勤氏(紘道館塾頭)という私の女房役である。「先生には最早"段"は要りません」と、七段昇段を歓迎しなかった。このことが原因で、大喧嘩になった。......続きはこちら
2009年07月11日
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このスピード感は柔道からきている。まずTwitterとは何か。140字でペチャペチャしゃべるというメディアだ。新しい形のオープン・カンバーセーションだ。権威に対し否定(これなら2ちゃんねる)するのではなく、いちびるのだから、本質的にネアカ。2006年にトウィッターを始めたEvan Williamsは、"What are you doing?" から始めたという。このきっかけがこわい。これがいつtipping point を動かし、波(wave)をつくるか。それには相棒がいる。将を支える参謀がいる。
2009年07月10日
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最新のTIMEのカバーがTwitter。オバマも始めたというから、注目されている。私もインターネットをスタートするのが遅かった。血液型論議に加わるのも人一倍遅かった。かならず、空気に逆らう。ところがいったん火がつくとメラメラ燃える。あっという間に追いつき追い越す。今や、これまで敬遠してきたブログに関しても、日本ブロガー協会の最高幹部に迎えられようとしている。このブログ界の新参者が???絵日記が効いたのか?
2009年07月09日
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第50回「ディベートでビジョンを創発しよう Let's the debate begin to come up with visions.」 メンター・ダイヤモンドより (本文)生田正治氏との対話中、東芝会長・岡村正氏はビジョンという言葉を多く使っている。ビジョンとは何だろうか。どのようにすればビジョンは生まれ出るのか。話の中で氏が引用された渋沢栄一翁の「交易と産業とは両立させないといけない」(『論語と算盤』)という哲学は、岡村氏のビジョン形成にどのように結び付いているのか。名著や古典をただ読むだけで、ビジョンがポンと浮かぶことはないだろう。たしかに多くの本を読めば、読解のスピードが速くなり、それに伴い知識量は爆発的に増えるだろう。故人の知恵も感得できよう。......(続きはこちら)
2009年07月08日
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紘道館の例会の前日は緊張する。とくに、英語がさっぱりわからないのですが、お邪魔してもいいでしょうか、という人が増えてくると、緊張する。午前中は全部、英語でやりますが、午後はバイリンガルになります、と説明をしても、私が英語でぶっ通しで喋っていると、見学者に申し訳ない(feel guilty)と思ってしまう。そのとき、英語のわからない人に対してもリラックスさせるのが、私の"芸"の見せどころ。内容とパフォーマンスで勝負する。
2009年07月07日
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私を敬遠し、警戒する人は、私をどこか心の中で神格化しているのか、それとも神格化しようとしている群衆を警戒する人のいずれかだ。だから、私はナニワ気質で、神格化されつつ、私自身をいちびるのだ。このイチビルという関西弁が、標準語で表現できない。権威(東京)にタテつくことができないが、ヨコからチクチク制する言動のことだ。彦根の殿様が天下りされた。ハハーと頭を下げる。しかし、殿が消えたところで、舌をペロリと出す。敬して遠ざける。これなら英訳できる。give Tokyoites a respectful distanceと。
2009年07月06日
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紘道館館長ブログより 見猿聞か猿言わ猿 Don't ask. Don't tell.The Pentagon's "Don't ask, don't tell" policy governing openly gay soldiers in the military. (TIME June 22, 2009)「軍隊にホモを入れているのは本当か」と聞けば、アメリカ人ならDon't ask. Don't tell. と答えるだろう。日本人なら、「察しろよ」とか、「見ざる、聞かざる、言わざるっていうからな」ぐらいの答えしかない。この日光の「見ざる、聞かざる、言わざる」はどの和英辞典にも出ているので『日米口語辞典』には載せなかった。そう、あの、See no evil, hear no evil, speak no evil. だ。この訳ならだれも文句を言わない。しかしディベーターの私は考えた。......続きはこちら
2009年07月04日
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どうしても、box(型)の中に閉じ込めようという日本的思考が、ディベートを敬遠し、派閥抗争に変えてしまう。私は、ディベートの"心"(ソクラテスまで遡る)にまで戻れというから、極めて密教的だ。かといって、私がディベートの心を代表する神だとは思っていない。神格化して欲しくない。私はイエス(キリスト教)でもなければ、モーゼ(ユダヤ教)でもないし、モハメッド(イスラム教)でもない。真実(みち)とは何かを今でも求め続けている一求道者に過ぎない。こわがる必要はない――赤ん坊がそのまま大人になったような人間なのだから。私を恐れる人は、自分を恐れている人だ。紘道館へ遊びに来ればわかる。
2009年07月03日
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オバマの愛読書の一つ『Self-reliance』(自己信頼)の中で著者のエマソンは、「一つの思考は奴隷だ」と述べている。一つのイメージにこだわると、これが宗教化され、いつの間にか戦争になるぞ、と述べたのは、インド哲学の最高峰といわれるJ. クリシュナムルチだ。私のディベート道(その「心」を「形」にしたものがヘクサゴナル・ロジックで、その応用がサッカー・ディベート)である。私のマーケティング法は、密教を「十住心論」により拡げた、空海のそれに似ている。大日如来の「心」にストレートに入るのだ。釈迦の胎内を巡るのだ。空手バカ一代の故大山倍達氏は、日本人は、派閥の中に、術を入れ、その中に道をとじ込めるから、広がらないと、私との対談中(ソニー企画)に語られた。
2009年07月02日
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第49回「執念を持ってやり遂げろ! Stick it out. 」 メンター・ダイヤモンドより (本文)執念をstick-to-itivenessと訳した。stick toという語感とitを組み合わせると、Stick to it. そこにoutを加えるとstick it out 「最後までねばれ」となる。Stick to the(your) guns. となれば、 私たちの世代なら......(続きはこちら)
2009年07月01日
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