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(12/30のつづき)「悟り」とは、瞬間に飛び込んでくるモメントだ。師弟の魂の衝突は真剣であるべきだ。もし私のこんな教え方が大学に合わず、追い出されるようなことがあっても平気だ。 そんな不幸がバネになって、もっと大きくなるだけのことだ。人はいじめられて育つ。いじめられることはチャンスだ。自殺など考えるなんてもったいない話だ。いじめる側にとり、いじめるチャンス(opportunity)であっても、いじめられる側から見れば、いじめる側のスキこそopportunityなのだ。年末。しかし「残心」を怠らないように。残心とはrelaxed alertness。(つづく)
2009年12月31日
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(12/29のつづき)私は背中を見せる。教科書通りの授業などはしない。教育の目的は、引き出す(エアツイーレン)こと。人間を本来の人間にするだけのこと。人は教科書から、あるいは教授から教わった知識だけで満足する動物ではない。だれにも生前から両親から授かったnative intelligenceがある。 本来の性に目覚めさせる。それがサッカー・ディベート(球論)だ。ディベートの選手仲間だけじゃなく、両親にも、自然にも感謝させる。生きていてよかった、お父さん、お母さん、ありがとう。そういう「悟り」とか「感動」は単位や学位とは本来無縁だ。(つづく)
2009年12月30日
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(12/28のつづき)大物を育てた私塾は、教えるだけでなく、育てた。すぐに切れる(go dead)電池人間より、人を惹きつけるパワーのある磁石人間を育成した。単位だけしか興味のない学生は私のクラスにはいなかった。私語などが許されるわけがなかった。 私はそのつもりでAIUの客員教授をつとめている。磁石化した学生たちが一層刺激を求めて、紘道館へ、ICEEへ、遡上してくるのはあたりまえだ。(つづく)
2009年12月29日
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(12/26のつづき)紘道館(上野)の比嘉光宣君(私が選んだ今年のマン・オブ・ザ・イヤー)が沖縄紘道館の最初の塾頭になる。学生、先生(教授、教諭)、男、女、マスメディア、宗教家、軍人(基地関係)、あらゆる人々が私のナニワ英語道の精神を求めて集まってくる。55名集まった。沖縄でもそうだった。 一切垣根はないのだから、私にとりいつも真剣勝負。空海の綜芸種智院、広瀬淡窓の咸宜園、緒方洪庵の適塾、福沢諭吉の慶応義塾(大学化してエネルギーを失ったが)などは、大物を育てた。ところで、今年の紘道館のウーマン・オブ・ザ・イヤーはマチックス・千里(ICEEチャンピオン)。琉球紘道館設立の裏方に徹してくれた。(つづく)
2009年12月28日
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(12/25のつづき)私が行くところはすべて――大学でも、高校でも、父兄の会でも、主婦の集まりでも――私塾化してしまう。こういう紘道館は全国にいくらあってもいいではないか。 女・紘道館が誕生してから、これなら全国展開も可能と踏んだ。お母さんや子供たちが集まってくる。皮膚の色や思想は問わない。教科書も教室も要らない。人間がいればいい。人は城、人は石垣なのだ。(つづく)
2009年12月26日
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(12/24のつづき)ところがAIUの学生は違う。眼が輝いている。今回のICEEは、私の教え子が5人も参加して、話題をさらった。私は大学の教室を塾化するから、私語問題は生じない。教室は舞台だと信じて教える。 AIUという大学は全国的に広がることはない。しかし、私が率いる「人間力を鍛えるための」紘道館という私塾には、垣根はない。国境もない。だれにも卒業証書は与えない。単位を求める人には来てもらわなくてもいい。だが不思議にたくましい人間が育っていく。(つづく)
2009年12月25日
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(12/23のつづき)「そんなにしゃべりたいのなら授業に出てこずにサボってくれ」。また「そんなに出てきたいのなら、出てきてもいいが、頼むから眠ってくれ」というが、学生たちは眠らず、ボソボソガヤガヤが続くという。 飯田先生は、『日本の反省』というご自身の著書のイントロで、「大学生の私語」のことをトップにあげておられるというから肌が寒くなる。創造性、独創性など期待できないのが今の大学。そして今どきの大学生。大学院生のインフレも続きそうだ。(つづく)
2009年12月24日
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紘道館の強さはなんといっても私塾の強さだ。大学というところは、本当に学びたいことを学ぶという意欲を犠牲にしても単位に走る。この教授は大きらいだが、単位のために出席するという。 私塾ではありえないことが起こる。内館牧子が『女は三角 男は四角』(小学館文庫)の中でこんなエッセイを書いている。国際日本文化研究センターの飯田経夫教授が、講義中の私語に悩まされているという内容のエッセイだから、大学と私塾の比較を研究してきた私にとってはおもしろくてたまらない。(つづく)
2009年12月23日
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(12/21のつづき)6.大阪紘道館創設が再浮上。木澤女史と大阪の女・佐々井(ICU)に火がついた。 7.マチックス・千里(女・紘道館)が優勝し、女・紘道館にもICEEマインドが飛び火。8.浜岡(紘道館中興の祖)と私(同年齢)のコラボで、ICEEを全国展開できるかもしれない。9.二次会も大いに盛り上がる。神田外語の長谷川チーフは、来年もICEEは神田でとなった。神田外語が母校であるチサト(今回のチャンピオン)が来年の司会。3月6日の祝賀会(FCCJ)の司会は、ハビック真由香に決定。10.ジェットとの友情が、私をオバマ大統領に接近させるきっかけにもなった。来年の誕生日(3月6日)が待ち遠しい。
2009年12月22日
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(12/19のつづき)3.AIUの学生5人の活躍ぶりが注目を浴びた。日本人の今村拓真、フィリピンの蔡吉利、韓国のイ・サンヒョンの活躍ぶりが佐野元康(次期理事長)の注目を惹いた。4.ジェット・エドワーヅがICEEへ臨時出演してくれた。岩崎弘治(根田コネ)には、真由香も私も感謝、感激、雨あられ。ジェットとの激突ディベートも実現できた。5.私が初めてスズムシ・ダンスを公演。ステージで「グリーン・トメートウ」を唄うジェットと私が踊る。この辺りは紘道館の松崎レポートに書かれていないので、私がこのブログでいずれ触れる。私はこの「間」を大切にする。疲れ、カイの同時通訳は断念した。真由香もその方がいいという。やる気は残っていた。来年は必ずやる。(つづく)
2009年12月21日
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(12/18のつづき)神田祭は、公と私が踊る祭りとなった。だから大成功となった。ドラマが生まれた。多過ぎて日記に書けず、その成果を十点に絞って日記にリストアップした。1.紘道館が陰徳(virtue)を発揮した。浜岡塾頭のもとに、吉村、川口、生田など、過去のチャンピオンがかけつけてくれた。マチックス千里がチャンピオン、松井健治君が準優勝。紘道館の誉れ、そして同通のプロ。名古屋のローカルICEEでチャンプとなった横山君が最も意識しているサムライ通訳者。女・紘道館の初代塾頭・ハビック真由香の司会ぶりも高く評価された。2.神田外語学院のトップと外人講師陣からも、これぞ本物の実用英語の検定試験だと評価された。(つづく)
2009年12月19日
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(12/17のつづき)それが昨年名古屋のローカルICEE(白井、横井)に出し抜かれた。オーガナイザーの面目(面子)がかかっている。こういう面目(shame意識)が日本人の危機管理の底辺にある。もうすでにrisk management English(危機管理英語)という言葉が生まれていた。東京外大を首席で出た武井勲氏(柔道参段)からもヒントを得た。これまでのペーパー・テストでなく、危機管理のできる組織と人材の育成がこれからの日本にとり急務だと氏は力説されていた。(つづく)
2009年12月18日
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(12/16のつづき)中でも、インターナショナル・スクール13年というキャリアをもつ今村拓真君は、ネイティヴ顔負けの英語の使い手で、この男なら入段できるのではと秘かに願っていた。さらにフィリピン学生や韓国学生も参加すると言い出したので、AIU選手団は、5人にまで膨れあがった。浜岡氏の喜ぶ顔が浮ぶ。松本組とは、紘道館の連中だ。表に回って(参加して)も、裏に回って(主催者のサポート役になって)も完璧にこなすヤクザ的に結束の固い組織だ。(つづく)
2009年12月17日
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(12/15のつづき)まずAIUの生徒からだ。英語だけのクラスに慣れている彼らでも、ガラス張りの検定試験と聞いて、尻込んだ。いくら英語オンリーの環境といっても、所詮秋田の「柵」の中。AIU牧場には、羊が多い。せっせせっせと単位を食っている。すぐに日本語に甘えてしまう。しかし私のクラスを選ぶ人は、山羊がほとんど。Sheepは、素直。英会話ができれば、幸せという連中。goatsは違う。中味が気になる。だからディベートを求めてくる。高い山を登ることを恐れない彼らは、柵の外の生活が気になる。だから、私のような狼の先生に憧れてくるのだろう。その狼先生が主催するICEEに参加させるには、かなりの説得力がいる。(つづく)
2009年12月16日
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(12/14のつづき)ICEEは英語のスコアを競う試験ではない。人間力そして勇気、勝者を愛(め)でる腹が試されるお祭り型の検定試験なのだ。日本語ICEEを日本各地に広めたいくらいだ。「早期英語教育より、早期日本語ディベート(究論)教育が先だ」は私の持論だが、これは長期戦だ。とはいえ、私は創始者としての意地もあり、浜岡氏の不安をやわらげるための、受験者狩りを始めた。(つづく)
2009年12月15日
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(12/12のつづき)私の方が、落ちついていた。「3人しか」が私にとって「3人も」と置き換えて考えていた。それほどこの試験は恐ろしいのだ。あらゆる検定試験を総ナメにした東大出の猛者がいたが、このICEEだけは、敬遠している。恥をかくのが恐ろしいのだ。人の目が光っている。英検1級やTOEIC満点の人がバタバタ落ちる。そしてそれらの試験の低スコアの受験者が、勝ち残っていく。A game of chanceとはそういうことだ。
2009年12月14日
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(12/11のつづき)数週間前から、ICEE委員長の浜岡勤(紘道館塾頭)が不安だった。名古屋ICEEが大成功に終ったのを目撃し、この薩摩男が震え上がった。ようし江戸の面目にかけて、有段者ゲイトの「交渉ゲーム」を入れるのだと闘志を燃やした。それなのに、弱気になっている。「もう数週間前というのに、まだ申し込みが3人ですよ」と。 ラサールをトップで東大へ入った、このエリートは、体育会(野球の選手)系の発想ももっており、いつもは悠々と構えている、サツマのサムライ(今示現流を始めている)だ。「神様は決して急がない」という西郷隆盛のようなセリフを吐く男だが、このときばかりはあわてた。(つづく)
2009年12月12日
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(12/10のつづき)表の試験は、点数がつけやすい。人間を数字で科学的に管理ができる。裏のICEEはその点デメリットが多い。人生はa game of chanceであり、瞬間時に獲得した英語の点数が永遠のものだというのはdelusional(妄想的)だと割り切っている。その英語が、その点数が、今でもここでも使えるのか、というのが大阪のプラグマティズム(ソロバン思考)だ。受験対策や傾向などのテキストなどない。跳び込むかどうかという勇気だけが試される。武道家的発想だ。自分だけではないのだ。自分の仲間を、自分の組織を、自分の国を、自分の国の文化が、守れるのか、自殺したい人間を思いとどまらせることができるのか、その英語で――。そのように吼え続ける。私や、私が産んだICEE祭りに近づく人は、きわめて稀だ。神田外語学院の方でも慎重だ。松本組のお祭りを、恒例の神田祭りにできるのか。(つづく)
2009年12月11日
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(12/9のつづき)11月29日、ICEE神田祭り。ここまでくるのに、何十年かかったことだろう。ICEE(道検)は、松本組が仕切る、プライベートなお祭りであった。なんとか省というカンムリつきの検定試験ではない。そういうカンムリ好きな人は日本人を安心させるのか、メディアや政治好みの関東の大学を出たエリートがやればよい。私は、大学まで関西(東京ではコネのない関西学院)であった。だからナニワ英語道といえば、ずっとウラの検定試験であった。オモテの英検やTOEICやトフルとは違う。今回のICEEの状況は、松崎君が講義録で見事に描写してくれている。(つづく) ICEE報告はこちら
2009年12月10日
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(12/8のつづき)デジタル時代の落ちこぼれ人間だと思っていたら、周囲は「これからはアナログの時代ですよ」と励ましてくれる。ネコでもシャクシでもブログへアップロードできる。ネコは何もできない。そこにいるだけ。シャクシ人間は、アップロードできなくても、ダウンロードはできる。そして人はますます字を書かなくなっている。私は、パワーポイントも使わず、国際教養大学で英語の授業を進めている。たまたま、絵日記ふうに、白板に絵を描く。ある日の日記には、コロンブスのイラストを書いた。その吹き出しが「航海とは後悔せぬこと。旅人だってそうだろう、松本さん。Being a traveler means never having to say you're sorry. Enjoy risk and adventure. Life's a journey.」とした。コロンブスと私が日記というトポス(邂逅の場)で対話ができるのだ。その日の日記の大見出しはこんな大言壮語。「歴史とは私のことなり」「私が変れば歴史も変る」(つづく)
2009年12月09日
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(12/7のつづき)11月28日、ICEEの前夜に、私は歴史とは何かというエッセイを書いた。いずれブログで公開するが、日記もブログもお金につながらない。愚痴はやめよう。その日の日記に戻る。小林秀雄は、「歴史は神話だ」と言った。塩野七生は「歴史は娯楽だ」と言った。そして私は、「歴史は芸術作品だ」と日記に書いた。 書くということは創造的な活動だ。書きながら、ふといいアイディアが浮かぶ。書くという知的活動は、読み、聴き、話す活動よりもずっと集中力がいる。書ければ話せるのだ。ありがたいことに、ブログの時代が、私に芸術的衝動を甦らせてくれた。中学生の頃の絵心を戻してくれた。(つづく)
2009年12月08日
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(12/5のつづき)マスメディアに取り上げられることで、知名度を保つ教育ビジネスは、ややもすると、vanity(虚)に走る。私の教育者人生には、二つの流れがあった。学校と私塾であった。この二つの川の流れは、たまには交わったが、やはり、離れていくことが多かった。その流れは、いつも悲しいものだった。学校で働くことは、生活の糧を得る手段として申し分ない。しかし私塾の方はたとえ心は充実していても、お金にならない。術と道。Higherかdeeperか。この中庸の道はないか。またお金にならない(お金を失う)ICEEが近づいてきた。(つづく)
2009年12月07日
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私は、英語による人間教育には命を賭けている。いずれ英語道(今はナニワ英語道)を皮切りに日本の教育界にも教育道を広げるという悲願を抱いている。その具体的な武器がICEE(Inter-Cultural English Exchange)だ。22年も続いたが、英検に負けるものかと気負って始めた英語道検定試験(25年前は"道検"と呼んでいた)の歴史は、もっと以前にまで遡る。道検という漢字がひんしゅくを買って、もっとハイカラなICEEとなったが、私の使命感は、あくまで「道」にある。見てくれを重んじることはvanityであるが、陰徳はvirtueである。同じV語でもこうも違う。(つづく)
2009年12月05日
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(12/3のつづき)もう一つは葉隠タイプの説得法だ。切腹覚悟で諫言する。切腹とは、自己責任の極致だ。逆ギレなどできない。いっさい、根にもたない、復讐もしない、黙って引き下がる。「オレじゃない、あいつが真犯人だ」とか「オレは善意でやってやったのに」とか「のに」は使わない。この覚悟で迫る部下に対しては、トップも気迫を感じて、耳を傾けてくれる。死ぬ覚悟(給料は受け取らない)ができていないのに、大言壮語する部下は、すぐに見抜かれる(こいつ、カアチャンに弱いな)と。
2009年12月04日
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(12/2のつづき)もう一つ、上司と対等になる妙法がある。相手の弱味をにぎること。アメリカには多いが、日本の犯罪もアメリカ化しているから、同じようなオフィス事情があろう。しかし、この手法は勧めない。そういう裏技を使う人は、部下を惹きつけるチャームに欠けるからだ。危険なゲームはやめよう。より警戒感を与えて、ますますディベートの機会を与えられなくなるからだ。とかく一時的な勝利は空しい。(つづく)
2009年12月03日
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(12/1のつづき)対等な立場になっているか。相手を知りつくしているか。お互いの情報量が接近したうえでないとディベートをしてはならない――インタビューならいいが。相手が上司なら、その人を知りつくし、参謀が務まるほどの力量をもっているか。参謀になるには、その人の汚れ仕事をしているかどうか。仕事を選ぶ人、スピード感に欠ける人、場の読めない人、部下を育てることのできない人は、ディベートをする資格がない。上司を驚かせるぐらいの特殊技能をもっている――歌うスズムシのように――人なら相手も耳を傾けてくれる。一番上司に信頼される(ディベートが許される)人は、上司が一番苦手とする汚れ役をすることだ(私の場合は、ワープロ編集ができる、コンピューターおたくでもいい)。諸葛孔明のような部下なら、三顧の礼で迎えるが――借金しても。(つづく)
2009年12月02日
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少し前に、雇い主とディベートしてはならないという旨のブログを書いた。ディベートを勧めているが私がディベートをするなとは。薩摩の武士は、「議を言うな」といった。それは、詮議をしたあとのことだ。どうすれば、雇い主と互角にディベートができるのか、その方法論について、書き綴ってみよう。ディベート訓練を受けた人が会社へ戻ると、必ず問題を起こすからだ。家庭でもディベートが、家庭の和を乱すことが多い。なぜか。こんな質問を自らに課してはどうか。(つづく)
2009年12月01日
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