全25件 (25件中 1-25件目)
1

(9/29のつづき)どうも最近、音楽にこだわる。ブログを書くというよりも、ブログで歌おうという気持の高まりが抑えられなくなってきた。ブログ訪問者は、私がスズムシ君たちと共演するコンサートに来てくれているものだと錯覚し始めた。しかし、このブログはコンサートを聴くのではなく、多くの人が情報交換をするアゴラ(広場)だと考えた人たちが騒ぎ出し、私の演奏の邪魔だと考えるようになってしまった。(つづく)
2009年09月30日
コメント(0)

(9/28のつづき)AIU(国際教養大学)の学部での最初の授業(ほとんどが外国人学生)にもスズムシと共に登場した。私のナチュラル・スピードの英語の授業は話題となったが、結果はスズムシ楽団にお株を奪われたのではなかったか。スズムシの声は、noiseかmusicかというテーマのディベートは、外国人生徒(7,8カ国)を相手にするからヒートする。畏友の角田忠信博士にも聞かせたい内容だ。右脳、左脳論議もスズムシ物語で触れるつもりだ。民主党が政権をとった。夕刊フジ、夕刊ゲンダイ。何を読んでも騒音。政情など私のブログの内容以上にコロコロ変わる。新刊の『オバマの本棚』の内容も腐り始めた。空しいだけだ。(つづく)
2009年09月29日
コメント(0)

(9/26のつづき)神田外語のアンケートによればディベート授業はすこぶる好評だったらしいが、その理由は、共演者のスズムシ君の協力によるものだ。私が活力を与えたことはたしかだが、スズムシ楽団は「感動」を与えた。波動(vibrations)の勝利だったか。このスズムシの生死のドラマはブログでは書けないので、今から横須賀のある民宿で連泊し、集中して書き下ろすつもりだ。どこでどう出すか、売るかなど、まだ考えていない。ただ、書きたいという衝動を抑えることができないのだ。(つづく)
2009年09月28日
コメント(0)

「先生、横須賀の人にも活気を与えてくれませんか。横浜の影に隠れてしまっていますが、歴史的にはもっとすごいですよ」 神田外語で英語教師たちにディベートを指導したあとの喫茶店で、一人の女性教師が持ちかけた話だ。もう一人の女受講者も、「そういえば横浜はLだけど横須賀はSですね。光を当ててあげて下さい」と声援を送る。私の授業をちゃんと聞いていた。そして館長ブログを読んでいた。lightに対するshadowは、裏になるが、Sワードは深遠(sexy)でもある。ようし行くか。(つづく)
2009年09月26日
コメント(0)

スズムシの里、松川村へ、供養の旅に出かけた。スズムシ物語は続く。しかし、このブログでは書かない。どこかの出版社で--縁があればの話だが――書き下ろしてみたい。スズムシ物語は内容的に重くなり、量的にも3、4倍に膨らむのだから、ブログでさえずる(twit)わけにはいかない。いつの間にか、新しく結成されたスズムシ楽団が、このフーテンの寅さんのような私の伴侶(コンパニオン)、そしていずれ私の人生の師になっていく。必ず本にする。売れなくてもよい。ブログはどうしても軽すぎてしまう。いったい、私の心境に何が起こったのか。What came over me?
2009年09月25日
コメント(0)

(9/22のつづき)元気のない日本、足の引っぱりあいしかしない政治家--男が背骨を失ってきた。自分の名前や顔を隠してホンネを述べるのは男ばかり。ここで母親が立ち上がらなければこの日本はどうなる。ふと考えてみた。今日会った、そして私をはげましてくれた6人の人たちは全て女性。しかも子持ちのお母さんばかりだった。偶然?そういう奇遇(セレンディピィティー)はスズムシ君に負うところが多い。これを虫の知らせ(英語ではA little bird told me.)という。 やはり、亡き母は私のところへ「空」となって戻っていたのだ。迎え火のおかげか?亡母は母親たちを集めてくれていたのだ。六角形(ヘクサゴナル)になっていた。物理的(あるいは数学的)に証明ができなくても、化学的に証明ができる。私にまつわる奇蹟は山ほどある。私はアルケミストではないかとさえ思う。「お母さん大学」を換えれば、私は究極の錬金術師(alchemist)になれるのでは。
2009年09月24日
コメント(0)

(9/21のつづき)私をインタビューしてくれたお母さん新聞の藤本裕子編集長は、ふとこんなことを口にされた。「いっそ、英語でブログをお書きになっては?」と。 「英語オタクを対象にしてもいいじゃありませんか、先生の思想は英語を通じて世界へ広がるんですよ」さすが、「百万母力」を目ざす九州のがばいお母さん、発想が違う。ネクラに会うと暗くなるが、ネアカに会うと明るくなる。笑顔が戻る。その後、吉本興業が運営している、ちびっ子水族館(横浜中華街)へ走る。お母さん新聞のキューピッド・永安さん、そしてバイリンガルの中尾美考(キュー)さんと、編集チーフの青柳さんと私の4人で、中華料理のテーブルを囲んで、日本の将来を語る。いずれ英語でもブログを書いてみるか。(つづく)
2009年09月22日
コメント(2)

(9/19のつづき)その時、お母さん新聞のAさんが横浜から車で迎えに来てくれた。車の中で諭してくれる。「20.60.20のルールをご存知ですね。20%の部下は強いリーダーに積極的にエールを送るのですが、60%は、黙ってついてきます。共感している人は、文章にしません。一番問題なのは、最後の20%。この人たちは強いリーダーを引きずりおろすか、上位の80%を信者と決めつける人ですから、感動するのでなく、感動する人たちに反発する人たちなんです。無視するのが一番でしょう。挑発に乗ってはいけません」(つづく)
2009年09月21日
コメント(1)

(9/18のつづき)8月14日 浅草プラザホテルのU支配人(母)が、「先生でも悩みがあるんですか」と問う。時々そんなコメントを受ける。まるで、私にはこわいものがないかのような印象を受けるではないか。大胆にして細心なのは父譲りだ。 「いやね、友達が亡くなってね。それからスズムシも鳴かなくって...それに、最近、ブログを書く気がしなくってね...」その時、U支配人が励ましてくれる。「先生のその弱気がいけないんですよ。先生が強くなれば、スズムシもきって鳴いてくれますよ」と。ロジックがない。しかし、男はこんなエモーショナルな発言で奮い立つものだ。やはり、リーダーは強くなくっちゃ。(つづく)
2009年09月19日
コメント(0)

歌わないスズムシは無用!捨てちゃえ!?なんという無慈悲な人間なのだろう――この私という人間は。偽善者か? 非情なプラグマチストか? しかし歌わないスズムシに責任はない。そういう隠れた残酷な自分の一面を照らしてくれ、いやしてくれるのが、この無言のスズムシ。神田外語でのディベート・レクチャー、紘道館の授業中、よく演奏してくれた(松崎レポート)。みじかかったが、もう私の記憶の中には、永遠のものとして、インプリントされている。こんなセンチメンタルなエッセイを読んで去る松本ファンもいるだろう。止めない。去るものは追わず、来るものは拒まずは私のこれまでの行動哲学なのだ。(つづく)
2009年09月18日
コメント(0)

(9/16のつづき)「序」「破」「急」の序の段階で立ち去っていく人がブログ訪問者に多いのだ。半田晴久社長(たちばな出版)なら怒るだろう。音楽には、メロディーというストーリーがあるのだから、最後の「急」まで聞けよ、と。女が泣いた、というのは事実。私が泣かしたのではない。それは事実であっても真実じゃない。私が犯人だというが、"I'm not the one."と、 マイケル・ジャクソンのように歌って抗議してみたくなる。人の言葉で人を傷つける。体罰より、言葉による暴力の方が恐ろしい、とこのブログでいい続けてきたが、まさか、私に火の粉が飛んでくるなんて。このブログをやめて、ぼくの本を読んでくれ、とふと過去の私に戻りたくなった。スズムシが歌わなくなるのもそんな心境かな。
2009年09月17日
コメント(0)

(9/15のつづき)神田外語の1年生の女生徒が泣いたことをブログで日記風に書いた。ブログである以上、異見にも耳を傾けなければならない。しかしだ。私の教育方針に反論する人がいても平気だが、私と親しい間柄にある同外語の悪口を私のブログに書き込まれると困る。これは「穢れ」のみならず攻撃ととらえた。だからこのブログが始まって以来、初めて攻撃することにした。坊主憎けりゃケサまで憎い、という心境はわかるが、最後まで聞いて欲しい。ブログは訪問者のフラストを発散するために始めたわけではない。(つづく)
2009年09月16日
コメント(0)

8月14日 盆シーズンが楽しい。先祖が戻ってくるから。物質的証明はできないが、私には感じる。もう妻と私が共有する信仰だ。昨朝、迎え火で母もこの世へ帰ってきているはずだ。帰名できなかったのが残念だ。しかし、見えない亡母の糸に操られていることに気づいたのは、数日後のことだ。霊は、直接私の心に入り込むのだ--多分、無意識に。そこには、時空の違いなどない。迎え火の13日、お母さん新聞の藤本編集長を薪能にいつの間にか誘っている。豪華なデートだ。東京都庁舎の都民広場前に3000名が集まった。半田晴久会長の能の解説が良かった。とくに、序破急が日本の古典芸能の基本であるという解説には説得力があった。能から狂言、そして最後の能。この早いテンポの調べの舞いを見ずに途中から帰る人は、芸の心のわからない人...。半田氏は天才肌のエンターテイナーで、英語ができるうえに、古今東西あらゆる分野の領域に明るい、博覧強記の国際的ビジネスマンだ。私は別のことを考えていた...。(つづく)
2009年09月15日
コメント(0)

8月11日 あれからスズムシは鳴かない。佐宗氏の通夜から、全く反応なし。よほど悲しかったからだろうというのが、文学的解釈。戸塚宏とか数学好きな人は、こういう非科学的な解釈を否定する。多分、私のファンの中には、私の思い込みのきらいな人もいるだろう。たしかに、因果関係はない。4匹が3匹になってしまったが、そのうち鳴いていた一匹のオスが二匹のメスに食われて、産卵用の餌になった。神隠し現象は私の人生で多いが、ここでは触れない。では、残った二匹のうちのオスは、ライバルがいなくなったから競って鳴くのを止めたのか。他にどんな心境の変化が。歌ってくれないのは私の世話に手抜きがあったのか。とにかく、証拠がない。刑事コロンボでもわからない。
2009年09月14日
コメント(0)

もう一度8月9日に戻ってみよう。スズムシがまた鳴いた。あの地震の朝も、スズムシ君たちが鳴き続けていた。沈めるタイタニック号で演奏を続けた、楽団隊のようだった。その日、ダイヤが乱れ、早目に家を出たのに、新幹線が東京に着いたときは、もう午後遅くになっていた。佐宗邦夫氏のお通夜に、虫カゴと共に出掛けたが、最後まで鳴かなかった。スズムシはコオロギより神経質なのだ。とくに野性のスズムシでなく、人間により養殖されたものだから、より周囲の人間関係の波動により過剰に反応するのかもしれない。
2009年09月12日
コメント(0)

(9/10のづづき)その理由を聴いていただきたい。まず、私は神田外語大は、好きだ。ある投稿者のように、この学校はひどい学習環境ではない。あのごたごたした神田という地理的環境が私は大好きで、よく出入りしている。とくに、教育熱心な長谷川さんとは、いつも日本の英語教育の在り方について意見交換をしている。さて、例の上級者向きのディベートの研修。私から叱られた十代の女生徒。感極まって、私と握手しながら泣いて、誓った。私も心が洗われた。ところが、この二人の関係をブロガーに引き裂かれた。母を背負った夢を見たと書いたら、「笹川良一か、銅像など建てるのか」と茶化す同一人物だ。書き込みを読むのが恐怖になっていく。最近、「先生!それでも黙っているのですか。昔の先生ならディベーターらしく...」とけしかけてくる側近者が増えてきた。もう、名前も顔もわからない人たちとかかわりたくなかった。
2009年09月11日
コメント(3)

(9/9のづづき)K外語のエピソードを書いた。泣いた女学生、気になる女性の話を書いた。その評価は、私の期待に反するものだった。「女を泣かせるなんて」とか「だから松本ファンが去っていくのだ」といった、批判がブログに飛び込んだ。一人でも友人とかファンを失うと柄にもなく落ち込むものだ。その日の怒りの表現(私を怒らせた)で、ファンを失うのなら、きっぱりブログはやめた方がいいと思う。批判することが私への忠誠? そんな人のためにブログで歌うつもりはない。(つづく)
2009年09月10日
コメント(2)

(9/8のづづき)今も、あるホテルの一室でいつものように虫カゴのとなりで考えごとをしている。泣かないスズムシなんて、ゴキブリと同じじゃないか。そんなふうに、ふと考えた自身が許せない。なんと、自分は業の深い人間なのだろう。私の心根は残酷なのだ。表向きはカッコいいことを言ったり、書いたりしながら、歌を忘れたスズムシはゴキブリじゃないか、という非情な発言をする。日記だから、こんな女女しい(女性ファン、ごめん)発言も許されるのかなと思っていたが、最近、ファンといえども不安な存在になり始めた。その発端はこうだ。(つづく)
2009年09月09日
コメント(0)

(9/7のづづき)不愉快な日々が続くと、グーグル・ビデオでマイケル・ジャクソンのビリー・ジーン(それでもボクはやっていない)を聴く。この音楽により、心の傷はいやされるのだ。歌でもって、冤罪という火の粉をふり払っているのだから。スズムシは、佐宗邦夫氏の遺族の前で、鳴く(sing)のか、それとも泣く(cry)のか、それとも哭く(weep)のか、しかし一度もsoundを発することもなかった。シクシク泣いて(sob)いたのか。今もスズムシは啼こうとしない。謎のままだ。今3匹になった。オスが一匹いるのに、鳴いてくれない。(つづく)
2009年09月08日
コメント(0)

スズムシ君が歌うのをやめた。佐宗邦夫氏のお通夜の日、以来だ。その前日まで、スズムシは勢いよく鳴いていた。M6の地震のときも、この合唱団は演奏し続けていたのに。葬式と結婚式がぶつかったとき、どちらを選ぶか、という私好みの価値ディベートでは、議論を深めれば深めるほど、ウエディングよりもfuneralsの方を選ぶようになる。こういう論争はディベートという公開の場で徹底的にやるべきだ。ブログ上は不向きである ―― 2ちゃんねるなら別だと思うが。もし私が間違っていれば、改める。このブログをやめる。そして、これまで「私の本を買うより、ブログを読んで下さい」という意見を撤回する。そしてこう言う。「ナニワ英語道ブログを読んで、そのうえで正々堂々と論争をしましょう。私のブログにmusicがなければ、潔く撤退します。私はdebatersは好きだがarguersは大嫌いなのです。」と。(つづく)
2009年09月07日
コメント(9)

夏がまだ終わらない。「スズムシと私」について書く。Let me personalize it. 人間とのつきあいが疲れてくると、スズムシくんたちと話す。反論もしない、挑戦もしない。ただ聴いてくれるだけでいやされる。スズムシは、私に聴いてもらうために歌っているわけではない。私もそのつもりで、ナニワ英語道ブログを書き始めた。スズムシのようにホンネのまま鳴きたかったからだ。ブログは日記の延長だという考えがあった。気ままに、ときには不本意ながらも、その時のフィーリングに忠実に書くことが日記だと思っていた。日記とはそのようなもので、第三者に批判されるために書くものではないと思っていたが、このブログにも、批判がなければ、人気ブログではないという思考から、討論の広場にしようという人が登場した。私の音楽を聴くのではなく、私の音楽(日記だから不協和音もでる)を批判する音楽評論家が出てきた。私のブログを批判しなければファンとして認めないという人のために、このブログを書いているのではない。そうじゃないか、スズムシ君。
2009年09月05日
コメント(15)

(9月3日より)たしかに、浮ついた感じではない。真面目なお母さん連中ばかりだ。百万母力の子育て情報紙の創始者である藤本編集長は、お孫さんまで連れてこられていた。これからの日本の若者を育てるのは、母親の力次第という信念の持ち主で、母親たちの間にも新聞を通じてサッカー・ディベートを広げるという。私とは意気投合したまま。 彼らの熱気にすっかり酔い、フロアでダンス(だれも真似できないスズムシ・ダンス)を披露した。これがかなり話題となったらしい。残って良かった。スズムシ楽団の演奏がなかったので、私がマイケル・ジャクソンとなって即興のダンスを踊ったまでである。やはり人間だれしも息抜きは必要だ。息抜きを与えることも必要だ。喜んでもらえることも息抜きになる。I need a break. You need a break. Everyone needs a break.スズムシくんにとり、breakとは何だろう。帰途を急ぐ。
2009年09月04日
コメント(0)

(9月2日から)ホテルに残してきたスズムシも少しは気になっていたが、恥ずかしくて言えなかったまでのこと。 「先生、ここに来ておられるお母さんたちで、問題をかかえていない人なんていません。夫の世話以外に、子供の教育、それにパート、自己犠牲の精神がなければ、母親業はつとまらないのです。数年に一度、こうして仮衣装で羽根を伸ばしているのですよ...。これが精一杯の息抜き...」「わかった残る」。私は納得した。私はガンコな人間ではない。羽根を伸ばすといっても、別に不倫関係ではない。スズムシが羽根を広げて、歌うようなもので他愛ない。(つづく)
2009年09月03日
コメント(0)

暑い夏が続く。やはりこのブログでもう少し、スズムシの話題を続けてみようと思う。お母さん大学主催の「一日シンデレラ」という珍しい会合が横浜で催された。 白いドレスの若々しいお母さんたちだ。紳士(ほとんどがスポンサー)たちの姿もチラホラ。バンカラの私には場違いな感じがする。途中こっそり抜け出そうとした。そのとき、和服姿のN女史に掴まり、お叱りを受けた。お金だけ払って、食事前に失敬するのは、たしかに不粋だ。「いやね、この種のパーティーは苦手でね。それにある身体障害児をかかえて、参加できなかった。知人のお母さんのことが気になって...」こういうのをlame excuseというのだろう。(つづく)
2009年09月02日
コメント(4)

(8月31日から)スズムシは鳴かない。黙って泣いていたのかもしれない。 結果、肯定側「マイケル・ジャクソンは天寿を全う(live well)した。(He lived a full life.)」という側が圧勝した。ディベートが始まった直後から、スズムシ楽団が応援していたのかもしれない。7月29日の絵日記には、マイケル・ジャクソンの絵を描いた。「松本先生、ぼくはスズムシですか、ありがとう」という吹き出しを入れた。人生とは、私のこのブログのように、季節感はない。死んだマイケル・ジャクソン、今も生き続けているスズムシくんたち -- 人生は長い方がいいのか、短い方がいいのか、未だにわからず悩み続けている。若き(いや老いた)松本道弘。そこにレガート(和の流れ)があるのかないのか ―― ミューズの女神のみぞ知る。マイケル・ジャクソンは死んでも音楽は残る。モーツアルトもそうであった。スズムシくんの音楽もそうだろう。ミューズは、私に死後どんな音楽を残せというのか???リンリンリン
2009年09月01日
コメント(0)
全25件 (25件中 1-25件目)
1


