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友人のK女史からメールが来た。「アリスとフジコは、さすがにこの寒さでは喧嘩もせず、私の右と左に潜り込んで、ぬくぬくと眠っています」(ご参考:2004年01月12日 毎夜の戦い)アリスとフジコは、K女史が帰宅すると騒ぐらしい。「どちらが私の横で寝るのかを決めるために騒いでいるのかも……」と書いてあった。次のメールが届いた。「2階の天井裏からこそこそ音がして、ネズミにしてはゆっくり歩くので、もしや?『アリス!』と呼ぶと『にゃー』と返事。そして、どすどすとはしゃぎます。天井裏への入り口が開いていて、中をのぞくと、アリスが喜んで駆け寄り、しっかりつかまえて引き下ろすと、後から『何事?』と言わんばかりの顔でフジコが下りてきました(-_-#)」それから、すきあらば天井裏へ上がるので、とうとう入り口をガムテープでふさいだら、「にゃーにゃー、ぎゃーぎゃー」と抗議して、大変な騒ぎらしい。「ガムテープでふさいだことへの抗議はまだ続いてます」と後日談が届いた。アリスとフジコは、喧嘩はしても仲がいいのだ。このコンビが次は何をしでかすのか、K女史のメールを待っている。
January 31, 2004
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映画やドラマで俳優が話す方言が、地元の人には不自然に聞こえるのはどうしてか。おまけに、地元の人も使わないような方言が、堂々と話されたりするのはなぜだろう。ある映画通のお方の推察は次の通りである。アクセントやイントネーションを習得するには時間がかかるので、方言指導が付いたとしても撮影には間に合わない。だから、それを補うために、その地方らしい方言を使って、何とか感じを出そうとするのではないか。なるほど、アクセントやイントネーションを重視するのであれば、地元出身の俳優を使わなければならない。名の知れた俳優ばかりではないから、これは無理な相談だ。しかし、その地方らしい方言といっても、今はくずれてしまって、70代以上の人でないと、うまく話せないのではないだろうか。若い世代は方言なまりの標準語もどきを話すし、現代劇であれば、このほうが地元の視聴者には納得がいく。だが、地元の人でなければ違和感はないので、変な方言も苦肉の策として認めざるを得ないのかもしれない。「かっちぇてー」と子供が叫びながら、走っていった。ほお、今でもこの方言は使うのかなと、何だかうれしくなってしまった。さて、何と言ったか分かるだろうか。
January 30, 2004
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辞書にも載っているし、日常的に使うにもかかわらず、どうにもしっくりこない単語がある。1.根回し木を移植する前に、根を切りそろえて準備する意味から、事前に関係部署に説明をして、ある程度は了解を取り付けること。新入社員だった頃、苦手な先輩の口癖だった。すべてに了解を取り付けないと安心しない人だった。その結果、私にとって「根回し」=「裏工作をして事を運ぶという卑怯な意味」と刷り込まれてしまったようだ。今でも、「根回し」と聞くと、一瞬気後れする。すぐに自分の中で「事前打ち合わせ」と翻訳して平静に戻る。2.某「某氏=ある人、某企業=ある企業」といった使い方をする。名前が分からなかったり、名前を伏せたりするのに便利なのだが、この字を見ると、「陰謀」と結びついてしまうのだ。先輩の影響力は恐ろしい。新人の頃に覚えたことは、いいことも悪いことも皮膚感覚として残ってしまう。上記の先輩が私の新人教育者でなかったことは救いだったと、今でも思っている。
January 29, 2004
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手に霜焼けができてしまった。先日から居座った寒波のせいだ。もともと血行不良で手足が冷える。足は何とか防寒できても、手は指先を使うから手袋をしているわけにはいかない。軍手の指先だけを切ったものを使うと良いという話を聞き、早速試してみた。確かに手のひらや甲は冷えずに済むが、ごわごわしてキータッチが乱れる。しかたがないので、カイロを膝に乗せて時々手を温めることにした。水仕事ではポリの手袋をしてみたが、茶碗を取り落としそうになってやめてしまった。ゴム手袋を上手に操る人のこつを教えてもらいたいものだ。もうひとつ、普通の人より多く手を洗うということも霜焼けの原因だと思っている。動物を触ったら洗剤で手を洗うことにしている。うちの猫も例外ではない。夏場は構わないのだが、冬になると手はかさかさになり、あちこちにあかぎれも発生する。薬を塗っても、またすぐ洗うことになるので効果がない。ぬれ手の乾く暇がないので、霜焼けにもなるのだろう。それでも霜焼けになったのは子供の時以来だ。温まってくるとかゆくなるし、冷えると痛む霜焼け。毎夜、あかぎれと霜焼けに薬を塗りながら、早く暖かくなってほしいと願う。
January 28, 2004
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近藤勇の義母の目に光る涙を見逃さない。劇中で明かされる義母の出自が、勇に対する執拗ないじめにつながっていたのだ。自分の出自にコンプレックスを持ち、それをバネに、非の打ちどころのない武家の奥方になろうと血のにじむ努力をしてきたのだろう。義母の場合、強迫観念に近かったのではないか。自信のない自分を、ぎりぎりのところでプライドが支えているから、ちょっとしたショックでヒステリーが噴出する。それでまた均衡を回復するのだが。夫も勇も察しが悪いと怒るが、察しが悪い男だからいいのだ。相手が女だったらもっと陰湿な戦いに突入するのは目に見えている。恐妻のように見えるが、夫の手のひらで遊ばされている、正直でかわいい女(ひと)だ。さて、どんな嫁がやって来るのか、今後、義母がどんなふうに暴れるのか楽しみである。
January 27, 2004
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暖取りトリオが解散した。外猫サーラが自分の寝箱を屋内に確保したからだ。( ご参考: 日課 サーラの小さな頭 )残った2匹はおばあちゃんと孫娘ぐらいの年の差があるので、小競り合いにはならない。血縁ではないが、おばあは孫娘をなめてやり、甘えん坊の孫娘はおばあにぴったり寄り添って、至って和やかな雰囲気だ。猫同士も相性があるらしい。サーラは急死したおばあの姉妹猫とは、とても仲が良かった。気性の激しいサーラを受け止められるおうようさが、その猫にはあった。同腹の姉妹でも、おばあの方は気が強く、なかなか慣れなくて、暖取りトリオになったときには、こちらが驚いたくらいだ。1匹抜けて広くなった膝の上で2匹ともまどろむ。のど鳴らしと寝息を聞いていると眠くなってくる。どうせ膝に乗せている間は動けないので、私も一緒に舟をこぐ。つい後ろにのけぞったのに驚いて、おばあは飛んで逃げていった。場所が空いたのを見逃さなかった猫がいた。孫娘の兄貴分である。去勢をしていても雄猫は大きくて重い。トリオ解散でやっと荷が軽くなったのに、また背負い込んでしまった。コンビ2組で、所要時間は2倍になってしまう。なんとかしなくては……。
January 26, 2004
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香港時代の周 潤發(チョウ・ユンファ)の最高に楽しいコメディ。同時に二人の女性と恋に落ちた証券マンは、なんと二人と結婚してしまい、両方の自宅を行ったり来たりして取り繕うが……という話。『アンナと王様』や『グリーン・デスティニー』の重厚な役でチョウ・ユンファという俳優を知った人が見たら、少しばかりカルチャーショックを受けるかもしれない。原題名と英語名と日本公開名が同じというのも面白い。大丈夫日記/The Diary of A Big Man/大丈夫日記劇中で、ユンファは歌まで歌ってしまう。その歌が、その声が耳に焼き付いて離れない。美しいユンファは、呉 宇森(ジョン・ウー)と組んだ一連の作品で堪能できるが、こういったコメディに徹した作品を見ると、やはり芸域の広い俳優だなと感じる。ユンファの出演作の中では2番目に好きな映画。一番好きな作品は林 嶺東(リンゴ・ラム)が監督している。ジョン・ウーを好きなのに、ベストにはならなかった。自分でも不思議に思っている。『大丈夫日記』(1988/香港 監督:楚 原〈チョー・イエン〉)
January 25, 2004
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朝、憂うつな気持ちで目が覚めた。サーラの薬を取りに行く日だが、昨夜の天気予報で大雪・風雪注意報が出ていた。確率は50%、多いところでは15センチの積雪と予報官が伝えたので、戦々恐々としていたのだ。(外猫のサーラは慢性鼻炎が悪化して通院中)動物病院は近い。だが、途中に上り坂があり、しかもその坂の頂上は日頃でも風が強い。積雪15センチで風が舞えば、病院に着く頃には雪がびっしり衣服に張り付くはずだ。ところが、気温は低いが地面は乾いて、晴れ間までのぞく安定した曇り空だった。昨日の注意報はどこへ行ったのか。日頃の行いだなと一人ほくそ笑んだ。薬を受け取り、その足で食料の買い出しに行った。微風でもやはり寒いので、足下ばかり見て歩く。小さな白い点が道路上に無数に付いている。スパイクタイヤの跡か。そういえばどことなくほこりっぽい。おとといの積雪の置き土産である。なじみの店で買い物をして帰ってくると、雪がちらついた。風も吹いてきた。サーラの薬も食料も確保したので、後は野となれ山となれだ。全く都合のいい気分である。
January 24, 2004
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湯たんぽを漢字変換すると『湯湯婆』となる。この字はどこかで見たような……。『湯婆婆』だった。映画『千と千尋の神隠し』の『ゆばーば』だ。毎夜、湯湯婆には世話になるが、湯婆婆には添い寝してもらいたくない。だが断ったりしたら、名前をはぎ取られてこき使われるのだろうか。千尋の成長物語といわれている映画だが、私はそうは思わなかった。生と死の境にある湯屋に人間の千尋が紛れ込んだのは偶然ではないからだ。湯屋に縛り付けられている霊魂たちを救うために、また湯屋自体を浄化するために必要だから呼ばれてきたのだ。千尋は巫女だろう。だから10歳の少女でなくてはならない。映画『ピクニック・アット・ハンギングロック』では、美しい女生徒たちと独身の女教師が岩山で行方不明になった。数日後、行方不明の少女の一人が衰弱しているところを発見されたが、何も覚えていなかった。彼女の代わりなのか別の少女が死んだ。残りの女生徒と女教師は戻ってはこなかった。岩山が処女だけを必要としたとしか思えない。なぜ千尋は記憶を消されて戻されてきたのか、湯婆婆とは何者か……。考えている。『千と千尋の神隠し』(2001 監督:宮崎 駿)『ピクニック・アット・ハンギングロック』(1975 豪 監督:ピーター・ウィアー)
January 23, 2004
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初積雪。雪はあまり降らず、積もることもまれなこの地方では、1センチの雪で交通に支障が出る。雪への備えが薄いことと、斜面都市であることが原因だろう。外猫の水桶にも氷が張っていたから、気温は氷点下に下がっていた模様。氷点下になる日なんて、一冬に数えるくらいしかない。前日、自治体の広報が「水道凍結に注意」と呼びかけていた。それくらい温暖な地域なのだ。外猫のシェルターにもタオル巻のカイロを入れた。低温やけどが怖いので幾重にも巻いた。寒がりもいれば寒がらないのもいる。カイロがシェルターの外にけり出されていたこともある。肩を寄せ合い眠る仲間の体温は心地よくても、カイロの熱は不快なのだろう。越冬場所を決めたサーラは、晴れの日は外で日光浴をし、天気が悪ければ屋内の寝箱で過ごす。トイレも飲み水も用意をしたのに、必要なときは「外に出して」と意思表示する。必ず屋内で自分用を使ううちの猫とは逆だ。今のところ棲み分けて、うちの猫とは争いになっていない。春まで平穏でいてくれるとありがたいのだが。
January 22, 2004
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昨年末から病院通いの外猫サーラは、一時病状が悪化したものの、暖冬のおかげで順調に回復している。庭のシェルターに一緒に寝泊まりしていた猫が急死してから、サーラは居を外に移していた。大好きな相棒の死は応えたのだろう。その後、別の場所に作った新しいシェルターを使うようになって安心したのもつかの間、何が気に入らないのか、また出ていってしまった。食欲旺盛で体重も減らないので、回復するまでもう一息だとは思うが、これまでに2度死にかけて、体はあまり強くない。冬本番の底冷えする夜をシェルターにも入らずに、一体どこで過ごすつもりなのか。数日前の夜、「開けて、開けて!」と何度も叫ぶので、ガラス戸を開けると、サッと飛び込んできた。そして、うちの猫が以前使っていた寝箱に飛び込んで、そのまま収まってしまった。タオルでくるんだカイロを入れてやると、そのまま朝までぐっすり眠っていた。次の朝は予報以下の気温で、この冬一番の冷え込みだった。サーラのSOSは正しかったのだ。あちこち寝泊まりして、冬を越すのに適した場所を探していたのだろう。子猫とたびたび間違われる小柄なサーラの小さな頭には、生き抜いていくための知恵がぎっしり詰まっているように思える。
January 21, 2004
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その日の治療が済んだ後、歯茎の検査と歯石を取ることになった。歯の治療は神経が抜いてあるので全然痛くない。歯茎の検査の方がよっぽどチクチクと痛かった。専門用語は全く分からないから、スタッフ(この人は歯科衛生士?)がチェックする数字だけで想像していく。「○○2、○○3、○○2、○○2……」。「○○5」、おっ、これは悪い数字のようだ。歯茎が後退していて歯の露出度が大きくなっているので、歯垢がたまらないように良く磨くようにとのアドバイスだった。次は歯石取りだ。自分では見えないので、どうやって取るのかさっぱり分からない。「水が出ます」と申し渡されるから、高圧噴射で洗い流すんだろうか。日頃水が凍みたりする歯に差し掛かって緊張したが、何事もなく無事通過。歯の健康のためとはいえ、歯石取りも気持ちのいいものではない。結局、取り除いたのが1年ぶりであるにもかかわらず、歯石はあまり付いていなかったようだ。いい加減にしか歯磨きをしないのに歯石が付かなかったのは、肉をほとんど食べないせいではないかと思っている。私はベジタリアンを目指しているのだ。追伸:こちらも見てください。動物を犠牲にしない化粧品
January 20, 2004
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新選組隊士の中で一番興味のある人物は斎藤一。永倉新八とともに大正まで生き延びた斎藤を誰がやるのか、いつも気になる。うん、オダギリ ジョーはいい。映画『壬生義士伝』では佐藤浩市が渋く演じた。今回は芹沢鴨か。沖田総司といつも対で語られるが、斎藤の剣は重い。左利きの殺陣をじっくり見てみたいものだ。土方歳三本人が最高の土方役者だと思っているから、いつも配役には期待しない。山本耕史。色白の役者顔だ。いい。土方役者として有名な栗塚旭が、土方の兄で盲目という設定で登場し訓辞を垂れるのは、なかなか意味深だ。毎回こういう隠し味が楽しめるのだろうか。近藤勇の愛妾深雪太夫と桂小五郎の愛人幾松、それにおりょうも加えて、競演が楽しみ。島原の遊女は祇園の芸妓を「しろうとはん」と呼んでいたそうだから、そのあたりの女同士の戦いがあると面白いだろう。「!」が付いている。毎回、「!」を探すのが楽しみになりそうだ。『壬生義士伝』(2003年 監督:滝田洋二郎)
January 19, 2004
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「ただいま! ただいま! ただいま!」と挨拶しながら、小走りに外猫の甚三朗(じんざぶろう)が帰ってきた。「ごはん、ごはーん、ごはーーん」と声が大きくなる。はぐはぐ、「んまい」、はぐはぐ、「ただいま」。飯をかき込みながら、仲間に挨拶することも忘れない。しばらく寝る。大きな伸びをして、また出ていく。甚三(じんざ)は今忙しい。近くに適齢期の娘がいないので、遠くまで出掛けているようだ。最近、雄猫の特徴の頬も膨らんできて、体も大きく筋肉質になり、単なる若造から変身しつつある。甚三は高所恐怖症だ。何かにおびえて高いところに駆け上り、下りられなくなったのは1度や2度ではない。上った先が迎えに行けるところだったのは幸いだった。「怖いよぉ」と泣き叫ぶ。助けに行っても、後ろを向いて、近寄ってこない。あきらめて帰ると、また泣き叫ぶ。そんなことを何度か繰り返し、時には助けるのに2日かかったこともあった。ある日、駆け上るのを見て、「ああ、またか」と助ける準備を始めた。ところが、いつまでたっても「怖いよぉ」と言わないのだ。良く見ると、甚三がよその猫を追っているのだった。それ以来、助けを呼ぶことはなくなった。甚三の高所恐怖症は治ってはいない。しかし、それを上回る知恵で、雄猫の命を生き抜いているように見える。
January 18, 2004
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歯科医は声がとても美しい。深みのあるりりしいバリトンで、患者に丁寧に説明をする。安心させる声の持ち主なのだ。診察室に通されて、前の患者の治療が済むまで、所在なく待っている間、医師の声を聞いている。この声で『闘牛士の歌』なんかを歌ったらいいだろうなとか、『夕星の歌』でもいいなとか。ほんとうはどうだか知らないが、演歌やポップスとは結びつかない声なのである。声の美しい人が話す言葉は、そのまま音楽になる。唾液でのどが詰まりそうにならなければ、心地よくて、口を開けたまま眠ってしまいそうだ。音楽のようなその声にすれ違ったのは日曜日。後ろ姿だけを見送った。美しいものは虚像のままにしておくほうが賢明だ。つづく
January 17, 2004
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クラウンが取れた歯が虫歯になっていたので、歯のレントゲン写真を撮った。レントゲン室に案内されて低いいすにちょこんと座り、スタッフの合図を待つ。「はい、もういいですよ」。歯科なのだから、大きく息を吸う必要はなかったのである。歯科で働くスタッフは、すべて歯科衛生士だと思っていた。ところが歯科助手や受付専門スタッフなどとは、資格も仕事も違うそうで、ひとつ知識が増えた。治療を受けるのに、医師の顔が見えないという病院がほかにあるのだろうか。もっとも、歯の治療中もしっかりと目を見開いている人は別だが。大体、歯科医師は患者の右後方にいて見えにくいし、マスクをしているから顔半分は隠れている。治療が終われば、こちらが口をすすいでいる間に次の患者の診察台(というのか?)に行ってしまうので、後ろ姿だけを見ることになる。だから、街ですれ違っても、治療してくれた医師だとは分からないだろうと思っていた。ところが、それらしき人物に遭遇したのだ。つづく
January 16, 2004
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ドイツ語のRの発音が懸壅垂(けんようすい・のどちんこ)を振動させるということは知っていたが、そう簡単にのどちんこは震えない。ところが、ある日突然震えるようになったのである。猫たちの中に、のど鳴らしのとても上手な1匹がいて、その猫のまねをしているうちにできるようになったようだ。猫に向けてのどを鳴らしてみせた。「……?」発信源を捜している。もう一度鳴らしてみせた。「へっ?」気味の悪いものでも見たかのように、逃げの姿勢に入る。次々にほかの猫にも試してみたが、反応は芳しくない。人間がのどを鳴らすのはおかしいと思ったのか、鳴らし方が下手だったのか。しばらくは練習を続けたが、猫からのオーケーは出ないままやめてしまった。久しぶりにのどを鳴らしたところ、「クルルルルルル……」と優しい声を返してきた。上手にのどは鳴らせても、どういう意味だか分からないのが悔しい。
January 15, 2004
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第1回目を見なかった。今年のNHK大河ドラマ『新選組』は、映画『竜馬の妻とその夫と愛人』の三谷幸喜脚本でもあるし、見てみようかなという気はあるのだが。キャストの顔ぶれを見て、あまり気を惹かれなかったのもひとつの理由だ。若すぎる。当時の20代と今の20代では成熟度が全然違う。国家の大事に自らを投じる野心に満ちた若者たちの覇気が感じられるのだろうか。昨年9月に放送されたNHKの金曜時代劇『蝉しぐれ』では、原作者藤沢周平が設定した登場人物の年令より10歳ほど年上の俳優たちが演じた。良かったのである。昔の人の16歳は今の20代後半の成熟度なのではないか。だから映像でそれを表現するためには、俳優の年令も重要な要素となる。醸し出す雰囲気は演技だけでは表せない。二つ目。土方歳三は土方本人が最高の土方役者だと思うので、どんな美男で芸達者な俳優を持ってきても納得しない。『御法度』を見なかった理由もそのあたりだ。しかし、見てもいないものをとやかく言っても仕方がない。ともかく『新選組』第1回の再放送を見てみよう。『竜馬の妻とその夫と愛人』(2002年 監督:市川準 )『御法度』(1999年 監督:大島渚)
January 14, 2004
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「もう、寝ます」と猫が言う。ササッと布団をめくって中に入れる。これで一日が終わる。猫が入ったのは自分用の布団だ。ふざけて、たたんであったキルティングのこたつカバーの間に挟んだところ、とても気に入って、それ以来ここを寝場所にしている。それまでは箱に寝泊まりしていたから、眠ければさっさと入っておしまいだったのに、こたつカバーは腰がないから、いちいち挟んでやらなければならない。寒いと日中も出たり入ったりするので、日に何度も呼びつけられる。とうとうこたつカバーの中に支えになるように段ボールを入れた。とても機嫌が悪い。背中に触れるカバーの感触が好きなのだろう。友人と一緒に寝る猫は湯たんぽ代わりにもなるが、うちの猫は一人で寝るのでそれにもならない。ただ、こちらがこき使われるだけである。
January 13, 2004
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猫好きの友人宅には、4匹の猫が大事に飼われている。5匹だったのだが、最近1匹亡くなり、その猫の兄弟と娘3匹、つまり伯(叔)父と姪が残された。4匹の猫は、夜、ホットカーペットと友人の布団の二手に分かれて眠る。ホットカーペット派の2匹は全く問題がないのだが、布団派の2匹の間で、毎夜熾烈な戦いが繰り広げられるらしい。同腹の姉妹猫アリスとフジコ(どちらも仮名)は、母猫が死んでから、子猫返りしてべたべた甘えるようになった。友人の布団には1匹しか入れない。早い猫(者)勝ちで、後からきた猫は悔しいのか、友人の横でぬくぬくと寝ている猫をたたいた揚げ句、足元の布団の上でふて寝する。最近、そのふて寝にも変化が現れた。先にアリスが寝ていると、フジコはプイっと下のホットカーペットに行く。フジコが先の場合、アリスは必ずフジコを猫パンチして布団の上でふて寝する。それでも、ひどく寒い時は、友人を挟んで右がアリス左がフジコと川の字で寝ているのだそうだ。「身動きできないのでたいへんです」と友人はぼやいていた。猫のやきもちも、まだまだ続きそうな気配だ。
January 12, 2004
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歯医者の仕事始めの1月5日に予約の電話をした。数日後、前と同じ歯科であるにもかかわらず、緊張して出掛けた。診察の結果、かぶせもの(クラウンというのだそうだ)にすき間ができていて、中の歯が歯茎のところから虫歯になっていた。さらに歯根に炎症があるとかで、治療のまえに炎症を治さなければならないと、レントゲン写真を見せながら医師が説明した。通院の前日、友人の一人からメールが届いた。歯茎が腫れて、痛みのあまり歯医者に行ったとのこと。もう少し発見が遅ければ、私も同じ目に遭うところだった。元旦にクラウンが取れたのは幸運だったということだ。次回の予約をした。冬休みが終わっていて治療希望者が一段落したのか、好きな時間に予約できてうれしかった。つづく
January 11, 2004
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元旦に雑煮のもちで「かぶせもの」が取れた歯の治療だ。苦にならずにさっさと歯医者へ行く人を私は尊敬している。歯医者通いは苦手である。なぜかと言うと、緊張のあまり唾液がどっと出て、今にものどに詰まりそうになるからだ。仕事熱心な歯医者ほど長く口を開けさせられるので、こちらはたまったものではない。ときどき我慢しきれずに、歯の削りかすと一緒に唾液を飲み込んでしまったことも数知れない。そういう理由で敬遠していた歯医者だが、一昨年の12月にいもあめにくっついて歯の詰め物が取れたので、仕方なく治療に行った。10年間ほったらかしておいた付けは、数本の虫歯になって戻ってきた。詰め物をして、虫歯を治療して、歯石を取って、これから5年ぐらいは歯医者に行かなくてもいいなとホッとしていたのである。ところが、たった1年で、それもまた同じような理由で治療に行くことになってしまった。 つづく
January 10, 2004
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甥がやっと自分で本が読めるようになった頃、とても気に入っていた絵本である。「オレは猫だ。ハッキリいって、人間なんかよりずっと頭がいいんだぜ」と、まあこんな調子で語られていく。色彩がとても奇麗な作品で、私も気に入っているから、ファンが増えるのはまんざらでもない。ある日、親戚の若い娘がやって来た。甥は張り切ってその本を読んで聞かせた。せりふのある場面では、劇中人物になって演技している声になる。引っかかり、引っかかり一生懸命である。とうとう28ページもあるその本を終わりまで読んで聞かせた。1ページに150字もある本なのだ。この一途さは恋猫に通じる。久しぶりにページをめくると、甥の手あかがしっかりと残されていた。『おれは長ぐつをはいた猫である』作:トニー・ロス 訳:もとしたいずみ 発行:1992年3月 発行所:(株)架空社
January 9, 2004
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明らかに順位は外猫Aが上だ。外猫Bが猫飯時にやって来ると、待ってましたとばかりににらみを利かす。Aが餌場を離れるまで、Bは少し離れた場所でじっと待っている。ある日、給餌が遅れて猫たちは腹を空かせていた。用意した餌皿に首を突っ込んで猛烈に食べる。大きな皿だから2、3匹は一緒に食べられる。何気なく顔ぶれを確認すると、AとBが同じ皿をつついているではないか。毎度のことを考えて、一瞬ひやりとしたが、別に争うわけでもなく並んで仲良く食べている。これはどういうことだろう。「昨日の敵は今日の友」というわけでもあるまいに。やがて満腹になった2匹は無表情に別れていった。次の日、AはBに意地悪をする。Bは腹が減ったと私に訴えるものの、離れたところで待っている。いつもどおりの光景だ。ほかの動物には力関係の順位が存在するが、猫はそれが極めて流動的なのだそうだ。くるくる逆転するらしい。基本的には単独生活者なので、リーダーというものが存在しないのかもしれない。AとBの関係は、その後逆転することもなく、意地悪なA、気弱なBで推移している。ある日の出来事は、Aが寛大になっていたか、Bがせっぱ詰まっていたかのどちらかなのだろう。観察するのは面白い。
January 8, 2004
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女、剣の使い手、師を毒殺し秘伝の巻物を盗み出したお尋ね者、追跡者複数。呼び名はジェイド・フォックス〈碧眼狐〉。映画『グリーン・デスティニー〈臥虎藏龍〉』の敵役である。なぜ師を毒殺したのか劇中で本人が語る。弟子とは名ばかりで、夜のおつとめをさせられていたと。碧眼狐というのだから、緑色の瞳のエキゾチックな美人だったのではないだろうか。身分を隠して行政長官の娘の家庭教師となったが、娘は家庭教師の武術を超えてしまう。巻物をこっそり読み解いていたのである。ジェイド・フォックスは文盲だったのだ。師に裏切られ、愛弟子にも裏切られ、最後には追っ手に殺されてしまうジェイド・フォックスが哀れでならない。この映画は昨年12月に民放で放映されたが、案の定カットされてズタズタだった。中でも特に残念だったのは、ジェイド・フォックスを「毒ぎつね」と訳していたことだ。ジェイドは翡翠(ヒスイ)の意味である。『グリーン・デスティニー〈臥虎藏龍〉』(2000年/米・中国 監督:アン・リー〈李安〉)
January 7, 2004
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年末から年始にわたって、フランスの俳優、ジェラール・ドパルデューの出演するドラマを見た。『終電車』で初めて存在を知って、続く『隣の女』でファンになった。今やフランス映画界の重鎮である。ドパルデューの魅力は何と言っても声。すごみのある低音から高く甘いささやき声まで表現が豊かである。それと芸域の広いこと。悪党から善人まで、恋に悩む男から革命家まで、シリアスからコメディまで、器用に演じる。『シラノ・ド・ベルジュラック』でのシラノのいじらしい純愛には泣いた。年末・年始の海外ドラマは吹き替えで、日本の声優も良かったのだが、私としてはドパルデューの声が聞けずに残念だった。さて、彼にはギョームという俳優の息子がいて、時々父が演じる役の青年時代を演じる。美男である。父のジェラールには似ていないのである。なのに、どうしてギョームを使うのか不思議でたまらない。友人の一人がこう言った。-----------------------『めぐり逢う朝』でも親子を演じていました。このときは、まずギョームが演じる若者時代からはじまり、ついで途中からドパルデュー演じる中年時代へと続きますが、若い時期に別れたかっての恋人と久し振りに出会うシーンから始まります。その久々の再会の最初のせりふが「少し太ったわね」なのです。極めて深刻な映画なのですが、思わず笑ってしまいました。それに「その太り方って、少しじゃないだろうが」と突っ込みを入れたくなりました。-----------------------今でこそ巨漢のイメージが強いが、その昔は痩せていた。といっても、がっちりたくましくはあったが。『愛と宿命の泉』で夫婦役だったのがジェラールの妻エリザベス。小柄でバレリーナのように華奢で美しい女優だった。この母なら、ギョームの美男は納得できる。しかしである。やはりパパのドパルデューが大好きだ。現在封切られているところもある『ミッション・クレオパトラ』が地方までやってくるのを首を長くして待っている。『終電車』(1981/フランス 監督フランソワ・トリュフォー)『隣の女』(1981/フランス 監督フランソワ・トリュフォー)『シラノ・ド・ベルジュラック』(1990/フランス ハンガリー 監督ジャン・ポール・ラプノー)『めぐり逢う朝』(1991/フランス 監督アラン・コルノー)『愛と宿命の泉』(1986/フランス 監督クロード・ベリ)『ミッション・クレオパトラ』(2002/フランス 監督アラン・シャバ)
January 6, 2004
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それほど親しくない猫まで膝に上ってくる。やっと慣れてくれたのかと喜んだのは大きな間違いだった。単に暖を取るためで、その証拠にチラチラと私の顔を盗み見る。それが分かるとただ重い。3匹だから、10キロを超える「猫抱きの刑」だ。正座した足に縁側の板の冷たさがしみ通ってくる。おとなしくしていればいいものを、うち2匹が座る場所を巡って小競り合う。狭いのだ。しかたがないので壁に背をもたれて面積を広げる。まるで臨月の妊婦のような座り方で、腰に負担がかかる。やっと落ち着いたので、新聞を脇に置いて読もうとすると横やりが入る。甘えんぼの1匹は自分の方を見て、なでてもらいたいのだ。空を見る。庭を見る。猫は夢を見る。毎日15分、暖かくなるまで、この「猫抱きの刑」は続く。
January 5, 2004
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「映画でも、名作といわれる作品は、何気ない日常を魅力的に描いています。そして、その単調な繰り返しが壊されるとき、不幸が起きるという描き方をしているようです。小津(安二郎監督)作品は、それを描くことによって日常の大切さを描いたのではないでしょうか」という書き込みをいただきました。哲さん、どうもありがとうございます。小津安二郎生誕100年の記念企画として、BSで次々に監督した映画が放送されている。1月2日に『浮草』(1959 制作=大映・東京撮影所)を見た。旅回りの一座の日常とその崩壊が淡々と描かれていた。単調な繰り返しを壊す小石は、この作品では女の嫉妬だった。その嫉妬も、抑制のきいた演出で表面上は大火事には見えない。ほかの小津作品でも感じることに表情がある。俳優の正面からのアップで、顔の上半分と下半分に別の演技をさせているように見える。能面が動いているような奇妙な感じがするのだ。これまで小津監督の作品で私は和むことができなかった。ガラス瓶の中に密閉されているような息苦しさを覚え、たなびく煙や、吹き渡る風さえも人工的な感じがしてならなかった。けれどもその理由はよく分からなかった。分からないまま、数本鑑賞したあと、小津作品を見ることをやめた。記念企画で放送された一連の小津安二郎監督についての研究結果と、哲さんのご意見で息苦しさの理由が少し分かったような気がする。完璧主義と戦争体験。淡々と描かれた単調な繰り返しをそのまま素直に受け取ってはいけないのだ。
January 4, 2004
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ビデオデッキが故障している。修理に出すのが面倒で放置していて後悔した。見たい番組が重なったのだ。片方は好きな作家の実話ドラマ。もう一方は大好きなスターの出演ドラマ。結局作家の方を選んで、CMの間にスターをチラチラ見ることにした。久しぶりにドラマ出演した女優は驚くほど作家に似ていた。当時の赤い口紅を引けば、本人かと思えるほどだった。作家が自殺した恋人の家から帰宅する間に見たすべてのものは色彩を失い、まったく異質なものに映っていたはずだ。寒さも感じないし、思考停止状態だったろう。それに続く作家の妹が見たタンスの引き出しを開けてじっとしているシーンは想像していたのとは少し違った。表現するのが難しい場面だったと思う。実在の人物が主人公のドラマは取り扱いが難しく、どうしても表面を滑っていくのは致し方のないことかもしれない。恋人亡き後の作家がどういう心持ちで生き延びていったのか、やはり知りたい。
January 3, 2004
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大晦日だ元日だと人間がせわしくしていても、猫たちにはまるで関係がない。腹が減れば飯を要求するし、日光浴をして、毛繕いをしてと日課をこなしていく。季節の移ろいには敏感でも、何月何日が何の日かなんてどうでもいいのだ。未来の心配なんかしていないように見える。今、このときを一生懸命生きるのに忙しそうだ。年末の寒波で慢性鼻炎の悪化した猫がいて、動物病院の仕事納めの日まで治療に通った。外で生活する独立猫なので、慣れているようでも病院へ連れて行くタイミングがなかなか難しい。猫には嫌われるし、疲れるし、損な役回りである。その猫も元日あたりから少しずつ快方に向かいつつある。暖かな年末・年始も幸いしたのだろう。危機が過ぎれば、ごく自然に普通の生活に戻る。祝儀気分ではずんだ猫缶に感謝するどころか、食べるのに夢中で、あとはげっぷをして寝るだけだ。普通の生活――これが一番のお年玉だなと、いびきをかいて眠る姿を見ながら思う。
January 2, 2004
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かみしめた雑煮の違和感に一瞬嫌な予感がした。雑煮にくっついてきたのは歯にかぶせた金属だった。そういえば、おととしの12月にも同じようなことがあったが、こちらの治療は年内に終わってすがすがしく新年を迎えた。きょうは元日。歯医者も正月休みではないか。取りあえず自分でかぶせてみると、ガクガクはするものの、なんとか元に収まったので、くっつくものを食べないことで乗り切ることにした。それにしても、ついてきたのが歯のかぶせものとは、とんだお年玉である。「元気な歯で、今年1年がんばれよ」というメッセージだと思い直して、治療予約の予定をカレンダーに書き込んだ。
January 1, 2004
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