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こんにちはenoです。完全な球技復帰とは・・・座談会に出席してもらった宮永選手は、前十字靱帯断裂のケガをしたのが、1年生(我々のチームではこのように呼んでいた)の時の10月だった。そして、彼女はその時、レギュラーの選手ではなかった。チームの主力選手が故障したときには、復帰までによほどの困難があったとしても、チームは彼女の復帰を待ち望むに違いない。しかし、宮永選手のようにレギュラーでもない1年生の選手で、しかも復帰までに約1年を要するようなケガだった場合、チームは彼女の復帰を待てるだろうか?正直な気持ちとして復帰を待つより、新人を補充したほうが良いと考えるのではないだろうか?1年後の復帰が確実かどうか分からない選手より、新人を採ることのほうが、チームにとって確実な戦力が約束されるかもしれない。競技スポーツで、勝負を追求していく限り、こうした選択をすることは致し方ない面がある。だからこそ、現段階では、競技復帰のための手術を選ぶかどうかは、判断の非常に難しいところと言える。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月30日
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こんにちはenoです。 【榎本】:選手に無理をさせて、再び膝を傷めてしまってはいけないという気持ちが強いから、私としても「絶対に大丈夫」と思えるくらいにならないとゲームに使ったり、ゲーム形式の練習などをさせるべきではないと考えている。 だから、チーム・ドクターの増島先生にも意見を聞き、これで再び膝をケガしたら、それはもう新しいケガだと考えるべきだというように、納得のいくところまでは使わないようにしていた。 それと、その選手の動きを毎日複数の人たちで真剣に見続けていると、ハラハラしたり、危なっかしいと感じるような気持が段々と消えてきて、自然に映るときがある。 そのときは、「ああ、もう大丈夫だ」と思う。 動きそのもののどこが違うというわけではないが、自然にそう見えてくる時期が必ず来る。 - - - - - - - 前十字靱帯損傷からの競技復帰というテーマで座談会の内容を紹介した。 次回は、それらの内容のまとめの意味も含めて、補足的な話、私の意見を付け加えてみたい。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月25日
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こんにちはenoです。 【記者】:宮永さんが前十字靱帯の手術をしたのが入部1年目の10月で、試合に出るようになったのはいつ頃からですか。 【宮永】:次の年の11月の最初の練習ゲームに確か出たと思います。 【榎本】:その頃には、練習ゲームではよく使っていた。 【佐藤】:その年のシーズンでも1~2回は出たよね。でも、まだ2年目でチームの主力ではなかった。 【榎本】:日本リーグで、チームとしても本当に困った状態で使いたい時もあったが、そのときでも、相手チームでマークする選手、またはマークする選手を考えて、これなら大丈夫という時に使うようにした。 しかし、その頃には、プレー中のコンタクトがあっても大丈夫という感じになっていた。 【佐藤】:現在では、以前に比べ前十字靱帯損傷のリハビリテーションの時期も早くなりつつあるとのことですが、1年以上かけたマツの競技復帰の期間が10ヶ月や11ヵ月で十分だったかどうかは、経験が無いのでわかりません。 ただ、復帰の時期を早くするというのは強い希望ではあるし、また早くできるという気持ちもあるが、確証出来るものが未だにないので、怖いという気持ちが強く残ります。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月23日
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こんにちはenoです。 【榎本】:ある時、佐藤トレーナーが、「今日は天気がいいから外を走ってきます」と、マツと一緒にランニングに出たことがあった。 チームの練習にまだ参加できない頃のことで、これは気分転換のために外に出たのだなと後で思った。 これも、トレーナーが選手にマン・ツー・マンで付いていられるから出来ることで、このように、身体的にも精神的にも近くで支えてやる人がいるから、選手もトレーニングを長い間釣り遂げることができるのだと思う。 【記者】:チーム内でそうやって指導してくれる人がいないと、選手はトレーニングよりもチームの練習に参加したがるでしょうし、無理して痛みが出るところまでやってしまうということにもなりやすいのでしょうね。 【佐藤】:腫れや痛みが出るところまでやってしまっては遅いと思うんです。 少しくらい痛くてもその日の練習はなんとかこなせますが、そのあとが、膝に水がたまったり、痛みが出たりして、1~2週間は練習できないという状態になります。 痛みが出るところまでやったら、その後は1日休むだけでは済まないので、痛みが出ないところでやめさせることが重要だと思います。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月21日
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こんにちはenoです。 【榎本】:一口に復帰のためトレーニングと言っても、出来あがったプログラムなど何もない状態なので、それぞれのチーム、選手がそれを作っていかなければならない状況にある。 そして、トレーニングを十分行わずに、焦ってチームの練習に入っていくと、再び膝を傷めてしまう危険性が大きい。 日立戸塚では、トレーナーやトレーニング・コーチがいて、またチームドクターの増島先生や、関東労災病院の村井先生(理学法療士)などにも協力していただいている恵まれた環境にあったものの、それでも前十字靱帯損傷からの競技復帰は並大抵のことではない。 現段階では、メディカルな面も含めてのチームの指導体制がしっかりしていないと、本格的な競技復帰は非常に難しいのではないかいうのが、私の率直な意見です。 【佐藤】:競技復帰までの期間が長いだけに、トレーニングだけを毎日集中して行うというのは、精神的にも難しいようですね。 バスケットボールの練習をやりながらトレーニングをするのとは大きな違いです。ですから、シュート練習が行えるようになると、選手は生き生きとしてくるのが分かります。 【榎本】:ケガの回復については、1年を一応のメドとしてやっていくわけだけど、身体面のトレーニングと同時に、選手の精神面にも十分気を配ってやる必要がある。 心が病気になってしまっては、トレーニングそのものが順調に進まなくなる。また、ケガをしていない他のチーム・メイトに対しても。今のリハビリをしている選手の状態を知らせておく必要がある。 そのために、増島先生や村井先生も色々と気を配ってくれるし、佐藤トレーナーや私も、選手が復帰に向かって頑張れるようにできるだけ気をつける。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月18日
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こんにちはenoです。 【記者】:普通は、選手自身が自分の感覚で運動量や強度を調節することが多いですね。例えば、足が痛いからとか、これ以上やるときつくて動けないとか・・・。 それが、前十字靱帯損傷からの復帰過程では、自分の感覚でなく、周りの別の基準でやめさせられるという、初めての体験をするわけですね。 【榎本】:その基準というのも、今のところは、ハッキリ言って根拠がない。チーム・ドクターにも相談はするが、トレーナーや私の総合判断で決めることになる。 また、チーム全体の事情で、ケガをしたその選手にかかり切ってはいられないということもある。 前十字靱帯損傷の様なケガの場合、その選手1人の事情だけでなく、チームの事情も復帰のための練習に関わってくるので、その辺も非常に難しいところだと思う。 【記者】:競技復帰する為には、本人の努力だけでなく、医学的なサポートも含め、周りの色々な力が必要だということでもありますね。 【榎本】:手術をして、病院での数ヶ月間のリハビリテーションを終え、チームに戻って来たとき、それからの競技復帰のためのトレーニングは、選手1人では絶対に無理だと思う。 復帰まで約1年をメドにするとして、退院後約9ヵ月間の具体的なトレーニングメニューを提供できる人、またそれを常に見てやりながら精神的なことも含めて適切に指導できる人がいないと、その選手がいくら真面目な選手だといっても、復帰のためのトレーニングでつまずくことになる。 また、チームの中で指導してくれる人がいなければ、選手1人ではトレーニングを出来るものではない。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月16日
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こんにちはenoです。 【記者】:復帰の過程で痛みはどうだったんですか。 【富永】:痛かったのは、ケガをしたときと、手術が終わった時だけで、それから痛いと思ったことは全然ありませんでした。 【佐藤】:だから、本人にしてみればやれると思っていたわけですけど、榎本さんや私にしてみれば、だから怖かったし、慎重にならざるを得なかった。 マツの3ヶ月前に前十字靱帯を切ったケンの場合も、痛みが無くて順調に回復していると思っていたら、突然、腫れと痛みが出て、動けなくなった時がありました。 ケンの場合、私自身、チームのトレーナーとして前十字靱帯の手術をした選手をみる初めての経験だったので、チーム練習への復帰のさせ方についての実際的な知識がほとんどない状態でした。 ですから、マツの場合は、ケンのときの経験も活かして、なおさら慎重にしました。 特にマツの場合、入部1年目で前十字靱帯を切って、すぐに手術をして復帰を目指したので、本人も言っている通り、膝の痛みをほとんど経験していないわけです。 ですから、マツ自身は、ケガの怖さというか、こうしたらまたケガをするんじゃないかという"実感"があまりなかったと思います。 そこが、私にとってなおさら怖いところだった、 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月14日
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こんにちはenoです。 【佐藤】:手術後1年経つまでにそれから約2ヶ月あるわけですが、その間がマツにとって一番不調な時期だったのではないでしょうか。 【富永】:そうですね。出来ると思って積極的にやれば怒られるし、やめればチームのみんなから何か思われるし・・・という時期だったですね。 【榎本】:マツの3ヶ月前に前十字靱帯を手術したケンの場合もそうだったけれど、チームの練習に参加し始めると、見ているこちらのほうが不安でたまらない。 せっかくここまで回復してきて、ここで無理をさせて再び膝を傷めてしまっては元も子もないわけだから、心配で自然にマツのほうに目がいってしまう。 チーム全体の事を考えると、もっと他に注意しておきたい選手がいるのに、どうしてもマツのほうに神経がいく。 だから、オール・コートではなく、ハーフ・コートでやらせるようにして、疲れすぎないように、1時間半か、2時間するとやめさせるなどして気を遣う。 そして、マツがチーム練習から抜けるとホットする。これでやっと、いま自分のやりたい練習が出来るという感じ。 マツも辛かっただろうけど、私としてもまた別の意味で辛い時期であった。 【佐藤】:ここで止めたら可哀想だと思うけれど、1歩早めに止めておかないと、膝を傷めてしまってからでは遅いという気持ちが強くあるから、どうしても慎重にならざるを得ない。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月11日
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こんにちはenoです。 【佐藤】:手術をせずに練習を続けていた選手が、練習中に痛くてプレーができなくなったり、試合が終わったら歩けなくなったり、また、練習後は腫れて痛む膝を毎日冷やしている。 そいう姿を見て、チームのみんなも前十字靱帯損傷について少しずつ分かってきたんだと思いました。 【記者】:チームの練習に少しずつ参加するようになってからは、早くみんなと同じようにやりたいという気持ちが強かったのではないですか。 【宮永】:自分としてはもっと動けるし、やれるのに、なぜやらせてくれないのか、と思っていました。 【佐藤】:手術後8ヵ月目くらいがチームでバスケットボールを始めた時期ですが、その頃からそういう気持ちが強くなっていったと思います。 それまでは、ちょうどその逆で、本人はまだ膝に不安があるので、チームにみんなは、「やれるんじゃないの」という目で見ていた時期があります。 【榎本】:手術後8ヵ月目の頃は、チームの最初のアップの部分だけ、ボールの感覚を忘れさせない程度にやらせるようにしていました。当然、コンタクトのないプレーです。 【佐藤】:手術後10ヶ月目が、ちょうど夏合宿だったんですが、その時は対人プレー以外は全部やらせるようにしました。 その頃には、「自分はもう絶対にできるのに!」と思っている様子がありありと分かりました。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月09日
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こんにちはenoです。 【佐藤】:当時は前十字靱帯そのものに対する知識や、そのリハビリテーションの関する理解が他の選手達にもなかったので、「元気そうなのにマツはなぜ練習しないんだ」という意識があって、それがマツにとってはプレッシャーとしてあったと思います。 本人はやりたいのに、やると私や監督から怒られる。すると本人は後で、"ふくれっつら"をします。やれば怒られるし、チームのみんなからは何でやらないんだと言われる。 マツの場合、そういう面でも、精神的に非常に辛かったと思います。 【記者】:宮永さん自身やチームのみんなが、前十字靱帯損傷というものについて、だんだん分かってきたのはいつ頃からですか。 【宮永】:1年くらい経ってからですね。私の次に前十字靱帯を切った人がいたんですが、その頃からだと思います。 その人は、手術をしなかったので練習すると痛みや腫れがひどくて、すごく大変だったのです。それを見て、初めてみんな、こんなに大変なものだということが分かったんではないでしょうか。 【佐藤】:前十字靱帯の手術を受ける場合、かなりの長い期間チームの練習に参加できないので、本人が病院でどんな苦しい思いをしているかは、チームのみんなは分からないわけです。 そして、やっとチームの練習に少しずつ参加できるようになるころには、見た目には本人は元気そうなので、本人もやりたいし、周りも「なぜもっとやらないの」ということになる。 でも、実際にはこの時期に焦って無理をすると、再び前十字靱帯が切れたり、緩んだりして、それまでの苦労が全てゼロかマイナスになってしまいます。 私や榎本さんの立場としても、万が一を考えて、慎重にならざるを得ないわけです。 ■ 榎本のまぐまぐメルマガ(当ブログと内容が違います)『 Never give up! ~バスケットボールと共に歩んだ道~ 』 はこちらから http://archive.mag2.com/0001186611/index.html ■ このブログに関する、ご意見、ご質問、ご要望はこちらまで enosann★gmail.com( 迷惑メール防止のため、★を@に置き換えてください。■ ブログランキング参加中。押していただけると励みになります。
2011年11月04日
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