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昨日、高校の日本語教師をやった話を書いた後、アメリカならではの数件を思い出したので、忘れない内に付け足しておきたい。アメリカの高校では外国語のチョイスとして、前夫の時代にはドイツ語があったらしいが、その必要性が少なくなったからいつの間にか消えて、私の子供達の時代はスペイン語とフランス語になっていた。暫くすると、漫画だかアニメのアキラが全国的に流行りだしたり、日本企業のアメリカ進出で日本語を取り入れる高校が増えて来た。日本やフランスのように文部省がきめるのではなく、その学区、学区で決めるので、場所によっては中国語を教える学校もある。そういう事もあって、その地区によって他の課題も可なりの差がでてくる。ヒントとして、いやらしい言い方だが、実際にはアメリカの公立学校なら、やはり経済豊な地区だと、父兄のボランティアーが多かったり、寄付金なども沢山あって、施設なども良い。私の場合、ラグナビーチ・ハイスクールでは初めての日本語だったので、教科書を選ぶのもどう教えるかも、全部私の自由であったから、あれこれ調べてみたが、小中高大にしても、基本は同じで、例えば、小学生向きのは「水をください」が、中高になると「コークを下さい」で、大学の教科書だと「ビールを下さい」みたいに名詞や目的がかわるだけだったので、それなら一層、最初から大学の本をつかっちゃえ!!と、それを校長や教育委員にみせ「私はこれを使おうと思います」といったら、「あなたの自由にしてください」という事だった。そのほかに、私がやったことは最初から漢字を教えたのだ。特に象形文字は覚えやすいから、父兄会の時も、大人達の前で、それを試してみたら、数分で20くらいの漢字を覚えてくれ、「これは、面白い、私も習いたい位だ」とよろこばれた。 こういう点は、日本では考えられないかもしない。大学といっても、専門学校てきな学校で会話だけをおしえたときも、自分で教科書を作り上げたが、文句をいわれなかっただけでなく、これはDVDにしたら流行るかもしれない、などと喜ばれた。残念ながら、その大学もどきは、経済困難で倒産したらしいが、アメリカならではの話をシェアーしたかった。
2019.02.27
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もう半世紀以上前になるが日本では、学校でも大企業でも、デパートなどでも全員そろって朝礼をしたのを思い出す。デパートに出店していたアメリカの輸入会社に勤めたことがあるので知っているが、毎朝店員全員そろってスピーカーから流れるその日のメッセージを姿勢正しくして聞き、ドアの前に整列した店員、出店の臨時職員すべて、時間ピッタリに開いたドアに向かってお辞儀をしたものである。 学校でも同じ、全員校庭に並び、一斉に「おはようございます!」とお辞儀をし、先生たちの教訓やらその日のメッセージをきいた。子供時代の昔話にしても、毛利元就の【三本の矢】のように皆で力を合わせる事の強さを教えるものがあったり、国民体操、マスゲームにしても兎に角日本人は一致団結が上手である。 これの行き過ぎたのが「出るクイ(又は釘)は打たれる」であって、人と違う事をすると叱られたり、仲間外れにされたりという結果になる。日本では、往々にしてグループ責任というのをとらされることがあるので、他の人の迷惑にならないように同じ行動をとっていたが、それがうっとうしくてならなかった。 アメリカに来て、やっとそれらから解放され子供達の学校生活をみてもかなり自由で、例えば音楽にしても全員が同じ歌をうたわなくてもよく、歌の苦手な子は楽器でオッケイ。ピアノ、ギターやドラムなどの個人レッスンを受けてる生徒はその証拠をみせれば学校でとらなくてもよかったり、スポーツにしても、全員が走ったり、体操したりせず、フットボール、テニス、水泳、サーフィング、スキー等で体育の単位はとれたことになった。息子は数学と科学がずば抜けて進んでいたので、高校の必修科目は取らなくてよいから、カリフォルニア大学のコースを受けなさい、と言われ、何度か自分の車で通っていた。つまり出る釘はうたれず、個々の体力、能力を尊重して伸ばしてくれる国である。 話は飛ぶが、私が高校の日本語教師になったときカリフォルニア大学の教科書を使って教えたので、そのコースを一年とった生徒はカリフォルニア大学で日本語の夏季口座をうけ全員Aをとったのである。そしてそれは大学の単位として保存しておいてくれるはずである。こういう自由はアメリカならではかもしれない。 数年前から指が曲がって来てピアノがひけなくなり引退し、日本人が主の混声合唱団にはいったのだが、初めての練習が終わったときに一同そろって「ありがとうございました」と先生にお辞儀をするのをぼそーっとつったったままでみている自分に気づき、「あ!そうだ、私は日本人だったのだ」と、数秒おくれてお辞儀したのだった。それまでの50年間、私は白人社会だけで暮らしていたので、このグループに入って日本人のやり直しをしているが、私はやはり日本人失格者である。
2019.02.26
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ある日、立ったままマグで緑茶を飲んでる自分に気付いてぎょっとした。「ほうじ茶は熱湯を直接葉にそそいでも、上等な緑茶は一度ちょいと熱湯をお茶碗にいれ冷ましてから葉の入ったキュウスに入れるのよ」と習った筈なのに、いつの間にか私は上等な緑茶でも熱湯をそそいで、マグで呑むようになっていた。抹茶にいたっては、アイスクリームやケーキに振りかけるのが主、竹で出来た泡立て器を何といったか忘れただけでなく、数回つかっただけでどこかに消えてしまった。千利休が知ったらさぞや嘆くことであろう。 高校や大学で日本語を教えていた時代もあるが、我が家で個人的におしえたときに日本のカルチャーも教えようと、書初めをしたり、恵方巻を一緒につくってたべたり、お雛様を折り紙でおって色紙にはりつけたり、お茶などもだしたが、お茶碗をもったとたんに、熱い!といってさめるまで待っていた生徒に質問された。「日本のお茶碗にはなぜ持ち手がついてないのですか。熱くてもてないもの」と、「さて何故だろう?茶道といってお茶碗を観賞するときにじゃまなのかもしれないし、昔、暖房などなかったころ手を温めるためだったのかもしれない」などと思いついたことを口走ってみたが、考えてみたらそのころからマグで呑むようになった気がする。 イギリスのティータイムも日本の茶道からヒントを得て始まったと聞いてるし、現在に至るまで日本の茶道の奥ゆかしさ、セレモニーの美しさは世界中でワンダフルと言われ、その度に誇り高くおもうくせに、奥ゆかしさの一かけらも残ってない私は日本人失格者である。
2019.02.25
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指が曲がり始めてから40年以上やってたピアノを教えるのをやめてリタイアー、それから混声合唱団にはいって歌ってるまに、もう4年たっちゃったのだ!早いなあ。人生、あっという間におわりますからね、皆さまも無駄にならさないように。、
2019.02.24
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稀にみる椰子の後ろの白い山写しまくらん雪とけぬうちit rarely happensthe mountain behind palm treescovered in whiteI take numerous photosbefore the snow melts away2/22/2019
2019.02.23
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グレッグのキスとカード(ちょいとミススペルもご愛敬)私は彼の好きなコーンマッフィン。朝食にはブルーベリー・バナナパンケーキが食べたいというので、それを作りました。別にチョコでなくても花でなくてもいいのです。心の問題。
2019.02.15
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人間は勝手なものよ雨漏りに待ちわびし雨今度は憎しHow selfish are we?when finally came down pour the long waited rain the moment the ceiling leaksnow I'm glaring at the sky
2019.02.15
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買い物に出かけたら、花束を抱えた殿方が、ゾロゾロ会計の所に並んでました。我々は、ただお互いに ハッピーバレンタインと言ってハグするだけでしょう。
2019.02.14
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母は大正、父は明治うまれ、母の祖父母は慶応、その両親は文久生れでその人達の写真まであったので、江戸時代まで身近に感じられる家庭にそだった。その私が第二次世界大戦中に生まれて戦後のひっくり返った世の中で貧乏に育ちアメリカに来たのが昭和39年。 明治維新後の日本のモダン化は超スピードで進んだ。260年のながい鎖国という冬眠から目覚め、やる気まんまんの若者達をどんどん国外に留学させた明治天皇は先見の明がおありだったと思う。その若者達の中に私の大叔父も二人いるのだが、彼等は色々な外国の文化を日本に持ちかえり海外に行かなかった若者達も新しいテクノロジーを知りたくて新知識を貪り食ったと想像できる。 そして彼等が汽車、電車、バス、計量器、カメラ、ラジオ、電話、ミシン等々をどんどん改良、開発していき次々にオリジナルより立派なものに仕上げていった。ところが調子に乗りすぎた日本は、海外を乗っ取ろうとしてあちこちに日本の植民地を開発していきその国の人達を奴隷のようにあつかい、真珠湾まで攻撃して結果的にはコテンパンにやられてまたゼロから出直すことになったわけだ。 そのゼロ時代から出発した私は、とても運が良かったと思ってる。【キューバの空からペソが降る】というエッセイ集にも書いたが、貧乏というのは悲しいことでも恥ずかしいことでもなく、考える力と感謝の心を育てる畑だとおもっている。ただ、「やる気」というのは、生まれ持った性格とそれを育んでくれる周りの環境からでてくるものだとおもっている。生まれ持った性格なら、周りがそうでないと気づいたら自分でそういう環境を目指して進んでいくと思う。 その「やる気」を持った日本人には、かてて加えて協力するという文化があるからその力は莫大であり、戦後の日本はアイディアが爆発するごとく広がっていったのだろう。日本の変化は目覚ましいものであった。 昭和40年代にハワイのヒルトンのフロントで働いたのだが、各部屋には日本語でシャワーやバスタブの使い方、トイレにはトイレットペーパー以外のものを流さないこととイラストした紙が貼ってあった。 現代の日本人が日本人以外のアジア系のツーリストを「うるさい」とか「恥知らず」「マナーがない」とか可なりバカにした意見を言い、私自身も里帰りでそういう団体にであったが、なんのことはない昭和時代のハワイに遊びに来た日本の農協団体さんとそっくりだと思った。 昭和の戦後からの発展には目を見張るものがあり、車にしても電化製品にしても、電子製品にしても、食べものにしても、世界一の質の良さではないかと思えるものばかり。 今では外国人が(私の子供達を含め)清潔で驚くほどの機能のある日本のトイレなどの写真を撮るくらいであり、反対に英語や外国語でウォッシュレットの使用法イラストがトイレに張ってあって、その両方の過去をしっている私は苦笑をする。 戦後は日本人がアメリカ人にへいこらしていたが、今では反対になっていて、「日本最高!」「日本人大好き!」「日本語習いたい!」という声を始終聞き、私が日本人であるというだけで、友達になりたがる人もいる。日本国がNHK Worldという24時間のテレビ番組を放映しだしてからは、ますます日本びいきが増えたと思う。「ニッポンよくやった!」と拍手をおくる。 この素晴らしい進化にまけないように、子供達のいじめがなくなり、のびのびと育つ若者達の日本を願いつつ残されたいくばくかの人生、これからも色々な意見を書いていくつもりである。
2019.02.07
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いじめは紫式部の【源氏物語】にも出てくるくらいで昔からある。嫁をいじめる姑とか、舅とか、私も疎開先では土地の人間ではなかったから、幼児から育ったにも関わらずなんらかのいじめにあった。私が「おかあさま、おとうさま」と呼ぶ事も母がケーキを焼いて私の誕生会をすることも、いじめの対象になったし、東京から親戚やアメリカ人が来ることもいじめの対象になった。さらに両親が東京弁をつかうことも地方の人には煙たがられていた。 私の場合は土地の方言をつかっていて友達も大勢いたのに、一人の時よく男の子が「お前のとうちゃん人殺し。。。お前のかあちゃんはパンパン」と、おっかけてきたり、石をなげたりしたが、いつも立ち向かってたたかったのを覚えてる。つまり泣いたり逃げたりしないでこちらも箒をふりまわしたり、石をなげたり取っ組み合いをしたのだ。 父が人殺しと言われた所以は軍人だったから、母をパンパン(米兵向けの娼婦)と言ったのは、進駐軍がこの町に来た時に通訳に駆り出されたり、叔母が米軍の通訳やツアーガイドなどしていたからだった。家の外の壁には、ペンキでパンパンの家とか落書きしていく大人もいた。そういう時父は、「やっこさんたち、焼いてるんだ。つまり羨ましいんだよ、ほうっておきなさい。」と言った。 その町にはもう一軒東京からの疎開組がいて、娘は私と同級生であったが学校の他は家にいたようで親が地元の子供達とあそばせなかった。 当時、私の学校ではどうやっていじめ対策をしていたかと言うと、毎日十分の瞑想があったり、一日の終わりの三十分を「反省の時間」にあてていた。瞑想の時間は、皆ほほを机につけて目を閉じ、全校放送で静かな音楽をながし、生徒は口をきいてはいけなかった。反省会は「今日あった、良い事、悪い事を全部ぶちまけろ」と先生がいい、「それはよい事だろうか?悪い事だろうか?」「なぜそういう事をしたのか?」「そのきっかけは?」と先生がレフリーになって生徒達に考えさせ、答えさせ「それで、お前は悪かったと思うのか?思ったらXXにあやまれ。二度とするな。そしてXXも許してやれ。そして終わった事は終わった事、いつまでもぐちぐち言うな」というような方法であった。 さらに近所で喧嘩がおきると、必ずボス的叔母さんが出て来て先生と同じように「あんたも、あんたも悪い、喧嘩両成敗ふたりともあやまんな!」とかいったものである。子供の母親が「自分の子は絶対にそんなことしない」などとでてきたら、その叔母さんに、「子供の喧嘩に親はでるもんじゃないよ、あんた最初からみてたのかい?子は親の鏡っていうからね、あんたも気をつけた方がいいよ!」などとコテンパンにやられたものである。私の覚えてる昭和時代のはなしである。 2019年の現在の日本の状態はしらないが、十年くらい前に里帰りした時のレンタル携帯は蓋を開けるとニュースが流れていたので驚いた。日本のテクノロジーの進んでいたこともさることながら、心を痛めたのは毎日のようにいじめられた子供達が自殺したニュースであった。二週間滞在中ほとんど毎日、違う子がいじめの原因で自殺していたのだ。その内容が、昭和時代のおおっぴらないじめと違ってなんとなく陰険に思えるものが過半数であった。このシリーズは昭和の思い出だから、知らないことは書きたくないが、第一に考えられるのは家族構成や、うっとうしいほどの近所付き合いや、学校の反省会などが無くなっていることである。当時の家族は三代ひょっとすると四代くらいが一緒に暮らす家が沢山あったから、喧嘩や諍いもたえなかったかわりに、にぎやかで話を聞いてくれる人も大勢いたと思う。今の子達は、ひょっとすると親との会話さえ携帯が多くなってきてるのかもしれない。つまりハグとか、家族とのなまの会話とかに飢えている子がおおいのではないだろうか。つまり人間味がうすれて機械に頼りすぎる時代になったことが大きく影響してはいないだろうか。テクノロジーも良いが、考えさせられる大きな問題である。
2019.02.05
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