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森田先生のお話です。「今日、患者が、鋸で木を切っているところを見たが、ここの患者は、鋸の種類を選ばないうえに、いくら鋸が切れなくても、平気でひいている。鋸の切れ味などは全く無頓着である。職人は、道具を大事にして、常にこれを研いでいる。素人は、その研ぐ時間で、少しでも、木をひいた方が、その時間に、余計に能率があがると思っている」(森田全集 第5巻 251ページ)この患者は思ったように木がきれないので、この作業をすることがイヤになる可能性が高い。この作業は自分には向いていないと投げ出してしまう。目的を達成できないで他人に肩代わりしてしまうことを考えるようになる。さらに自分は何もしてもうまくできないと自己否定感をますます強めてしまうかもしれません。この患者は多分神経症を治すことでいっぱいなのだと思われます。森田先生から指示された仕事や自分でみつけた作業に、ただ機械的に手を出している状態だと思われます。こういうのをお使い根性といいます。身体を動かしていれば神経症が治ると思っているのですが、ますます悪くなるパターンです。普通の人はどうして思ったように切れないのかと考える。鋸が悪いのか自分のひきかたに問題があるのか。その両方に問題があるのか。しかし自分ではどこに問題があるのか判断できないと思います。すると作業を中断して、この件について詳しい人に聞くはずです。詳しい人は縦引き、横引きの鋸の種類から教えてくれるはずです。また刃を見てなまっていれば、すぐにヤスリやクラインダーで研ぎ始めると思います。そして研ぎ方にもコツがありますので詳しく教えてくれるはずです。刃がとがってくれば切れ味がよくなります。実際に木をきってみると実によくきれる。作業が格段に速くなり、面白くなります。このほか大きな木はある程度きり進んだところで、斜めの切り込みを入れると作業効率が格段に良くなります。他の木も切ってみたくなります。弾みがついてくるのです。このコツを人にも教えてあげたくなるはずです。このパターンに持っていくためには、今とりかかっている作業について、何か問題はないか、不具合はないか、課題、改善点、改良点などがあるはずだという意識を持つことが大事になります。ものそのものになるというのはこういうことです。その時点でやり方が分からなければ人の助けを借りて解決するのです。コツがわかれば目の前の作業に集中することができるようになります。一心不乱に取り組んでいるときは、神経症の苦しみのことは一時的に忘れています。そういう時間が増えてくるということが、神経症から解放されるということになります。
2024.02.08
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1、生活の中で積極的に行動した方がよいものがあります。2、反対に行動は控えて我慢した方がよいものがあります。3、その区分けをして、実行すれば問題行動は起きないはずです。これが逆になっているとすれば改善の余地があります。1ですが、東海、東南海地震が近いうちにやって来ると言われています。地震の備えは今のうちからする必要があります。家具の転倒防止、家の耐震化工事、災害時の備蓄、避難場所の確保、避難訓練への参加、ハザードマップの確認、地震保険への加入、津波への備え、家族との話し合いなど。次に、病気、交通事故、火事、雷、漏水、盗難などに備えて医療保険や損害保険に入っておく。また、年金暮らしの人は、何とか最低限の生活はできても、多額の出費に備える必要があります。たぶん今までの貯えを取り崩していらっしゃるのではないかと思います。財産がどんどん減ってくるのを眺めているだけでは不安になります。私の体験では月に3万円の収入(時間にすれば1.5時間)の仕事をするだけで、精神的にはずいぶん楽になれます。つぎに2について心がけることを挙げてみます。毎日テレビの守りをしている。アルコールは毎日飲んでいる。趣味は何もありません。異性に興味はありません。起床してから今日は何をしようか考えている人は脳の廃用性萎縮が進行します。神経質性格者は一般的に好奇心旺盛です。これを活かすことが大切です。興味や関心のあることはできるだけ手を出すようにしたいものです。身体の健康は、毎年1回は生活習慣病検診に行くことです。その時胃のバリューム検査、ガンの腫瘍マーカーの検査を行う。健康で心掛けたいことはウォーキングです。犬を連れて散歩をするもよし。足の筋肉は第2の心臓といわれています。さらにセロトニンを増やすことを心がけることです。興味のある方は、2022年2月13日、14日 2022年3月8日投稿記事をご参照してください。3ですが、エンディングノートを作成しておくことが大切だと思います。カード関係、所属団体、財産管理、保険関係、交友関係、所有物などを整理しておくことが必要です。財産や不動産は遺産相続でもめないように手を打っておく。それ以外のことも分かりやすくまとめておく。残された子供達に迷惑をかけないようにしておきたいものです。
2024.02.04
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帚木蓬生氏のお話です。集中力など、あったりなかったり、一心不乱の境地も、1年に2度、3度あればいい、というのが、実際の私たちの心のあり方です。だとすれば、集中力があろうが欠けていようが、構わず勉強や仕事に手を出すのが得策です。手を出しているうちに、集中力が研ぎ澄まされてくるかもしれず、運が良ければ、一心不乱の境地を味わえるかもしれません。(生きる力 森田正馬の15の提言 朝日新聞出版 164ページ)私は訪問営業の仕事をしていた時に、どうせ冷たく断られるだろうという先入観でいっぱいになっていました。人への信頼感が欠けている対人恐怖の私にとって大変な仕事でした。私が考えていたことは以下の通りです。見込み客をふるいにかけて、購入意欲の高い人に絞って営業活動をしようと考えました。そうすれば自尊心を傷つけられることはなくなるだろう。また、セールストークや技術を高めることが大切だと考えていました。断られればこう切り返すというセールストークを習得したいと思っていたのです。そのためにセールス技術の本は手あたり次第読みました。身だしなみ、言葉の使い方、導入の話、相手のニーズの掴み方、ニーズと販売商品との関連付け、断わりを切り返す方法、購入を促す説得術などです。しかし結果は惨憺たるものでした。高い見込み客と思っていた人から断られると、その日の仕事に対する意欲がなくなりました。営業というのは、監視されているわけではありませんので、次第に仕事をさぼるようになりました。サボっても暇を持て余し、時間をつぶすのに苦労する有様です。営業成績が上がらないので、上の人や同僚から冷たい目で見られました。またセールス技術はある程度は役に立ちましたが、実際には理論どおりに当てはまることはありませんでした。これは理論が完全でないからだと考えて、さらに理論武装を図ることを考えました。これは森田でいうと精神交互作用でどんどん状況が悪くなっていきます。今考えると、見込み客を選別するよりもローラー作戦を展開して、できるだけ多くの人に会うことが必要だったと思います。またある程度のセールス技術を学習した後は、行動・実践の中でセールス技術を高めることが大切であると思います。いくら畳の上でクロールの練習をしても泳げるようにはなりません。失敗や断られるという経験から学ぶという姿勢はとても大事になります。定年までこの仕事を続けた人の話を聞いてみると、ほとんどこの方法で成功した人たちでした。私は不快な気分が湧き起こってくると、やすべきことや必要なことからいつも逃げてきました。その時はほんの少しだけほっとしますが、人生の敗北者になってしまいました。神経質者は行動は頭の中で納得してから取り組もう。やる気が出てからにしよう。そうしないと惨憺たる結果に終わってしまうと考えて、尻込みする傾向が強いと思います。この考え方は、もっともらしい考えですが、状況はどんどん悪くなってしまいます。イヤだ、面倒だ、しんどい、やる気が出ないという感情は池のなかを動き回る錦鯉のように自由に泳がせておく。行動は気分とはきちんと切り離して、必要な時に必要に応じて必要な範囲で自分の出来ることを心がけて生活したいものです。
2024.01.29
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森田先生は「お使い根性」について次のように説明されている。例えば「この盆栽に水をやる事を忘れぬように」と注意すれば、荒巻君は「どうも自分は気がつかない、頭が鈍い」という風に、言われた文句と、自分の都合とばかりを考えて、盆栽のことを見つめようとは少しもしない。すなわち注意された一つの盆栽ばかりへ水をやり、そのほかの水の切れている盆栽へは、水をやることに気がつかない。また翌日は、もう盆栽も花も自分とは全く無関係である。私はいつもこれを「お使い根性」と称して、「この盆栽に水をやる」という文句だけのお使いをして、盆栽を世話し育てるという事には注意を払わず、すなわち探し求めるという事なしに、ただ指ばかりを見ると同様である。これではいたずらに我情にとらわれるばかりで、決して柔順という事の稽古にはならないのであります。(森田全集 第5巻 186ページ)お使い根性というのは仕事でよく起こります。指示や依頼されたことしかしない。営業などではノルマがありますが、ノルマを達成したいという気持ちになれない。ライバルたちを蹴落として優秀マンとして社長表彰されるようになりたいとも思わない。ノルマが未達であっても、そこそこの営業成績なら首になることはない。給料さえもらえればそれでよい。寄生虫のようになってしまう。そんな気持ちで仕事をしていると、上司や同僚たちからの評価は下がってきます。人間関係が悪くなり、転勤や降格、リストラの候補にされてしまいます。一番問題なのは仕事が苦痛で仕方がないという自分です。その苦痛を和らげるために、ギャンブル、ネットゲーム、アルコール、買い物、趣味、風俗などにのめり込んでいきます。家庭生活や子育てに無関心になり、様々な問題を引き起こします。森田では最初イヤイヤ仕方なく取り掛かったことでも、ものそのものになって一心不乱になって取り組んでみましょうと言われています。しかし手を抜いて楽をする事ばかり考えているとなかなかそんな気持ちになれません。そういう方のために、2014年5月2日の投稿をお勧めします。この方は定年退職後、駐車場の管理人をされていた方です。その方が奥さんの介護に専念するために仕事を辞めることになりました。お世話になった方がちょっとしたお土産を持っていきました。すると小さなプレハブの管理人室で信じられないような光景を目にしました。この続きは当日の投稿をお読みください。感動の涙が出るような話です。森田を学習していると感動の涙を出すことが多いように思います。(どんな仕事でも楽しくなる3つの物語 きこ書房 福島正伸)この投稿にたどり着くには、「新着記事一覧」を左クリックします。別窓が開きます。月別記事を左クリックします。2014年、5月をクリックして2日投稿記事をご覧ください。
2024.01.25
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生活の発見会が出している「森田理論学習の要点」に次のような記載があります。理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功を積み重ねること。小さな成功体験を積み重ねていくと、自信がついて行動に弾みがついてきます。行動は積極的、生産的、建設的、創造的に変化してきます。理想というのは大きな目標、夢のようなものです。3年先、5年先、10年先、生涯を見据えて長期目標を持つことだと思います。長期目標を持つことができたら、実現可能な短期目標に分けることが必要です。例えば膝を曲げて思い切り飛び上がり手で到達点に印をつけます。それより10cmだけ距離を伸ばそうという小目標を持つことができれば俄然やる気に火が付きます。そういう目標を持つことができれば、ほとんどの人が目標をクリアします。小さな成功体験は自信や自己肯定感を育てます。行動に弾みがついてきます。これが生きる意欲につながります。私の長期目標は最低90歳までは長生きすることです。できれば100歳以上まで長生きしたい。理想はピンピンコロリです。意識して取り組まないと実現は心もとない。そのために短期目標としてどんなことに取り組んでいくのか。まず1年に1回の定期健康診断を欠かさないようにする。身体の不具合箇所を早期に発見して、メンテナンスを欠かさないようにする。車と同じで老化してくるといろんなところに問題が出てくるという前提に立たないといけないと考えています。セロトニン活性化、鍛え方はぜひとも継続して生活習慣としたい。詳細は2022年2月13日に紹介しました。さらに足腰を鍛えるために毎日6000歩以上は歩くようにする。それも3分早歩きをして次の3分はゆっくりと歩くことを意識する。これは足の筋肉を鍛えるコツだそうです。また階段上りを心がける。それも一段飛ばしを取り入れる。今のところはマンションの管理人の仕事の中で実施している。つぎに頭の老化を遅らせることを考える。興味や関心を持てるものにはどんどん挑戦してみる。特にカラオケ、自家用野菜作り、花卉園芸、加工食品作りに力を入れる。また現在チンドン屋として活動している。老人ホームの慰問活動、地域のイベントにお呼びがかかった時は支障のない限り引き受ける。そのためにアルトサックス、傘踊り、どじょう掬い、浪曲奇術、獅子舞などの練習を欠かさない。次にこのブログの投稿記事を毎日1本は作る。そのためには前日には書くテーマを1つだけ決めておく。アンテナを四方八方に広げてネタ集めを心がける。これらを駆使して、なんとか脳の廃用性萎縮現象を食い止めたい。
2024.01.12
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11月号の生活の発見誌の「私らしく生きる」という記事は大変参考になりました。この方は20代半ばから65歳まで予備校の講師として働いたそうです。その後は実家の稲作農業を継がれました。「農家は良いイメージが無かったのですが、米作りを始めてみると、神経症と米作りはすごく相性が良いことが分かりました。神経症の回復に効くんです。私はもともと観念的な人間なので、考え込んで行動せずに終わってしまうことが多いタイプ。でも、米作りは考えている暇がありません。天候次第なので、考えるよりも行動しなければならないパターンが圧倒的に多いんです。型にはまった形式はなく、毎年、その場その場の勝負です。雨が多く降れば水を抜かなければならないし、降らなければ水を入れる方策を考えなければならない。考える時間は多く取れません。考えるより行動する仕事なので、私には合っていますね」確かに農作業は段取りを組んで手足を動かすことが主力ですからね。神経症的な悩みは、農作業が終わってからにしようと思っているうちにいつの間にか流れてしまいます。私は田舎の畑で自家用野菜作りに力を入れています。楽しみが多いです。運動にもなりますし、すぐに成果が出る。特に収穫時はうれしいです。このブログで紹介している通りです。たくさん獲れた野菜は料理を工夫しています。その他、梅の木、柿木、栗の木、ゆずなども育てています。梅は梅酒にしています。柿は甘くてとてもおいしい。庭木には金木犀、シャクナゲ、カイズカイブキ、マキなどがあります。草刈りを兼ねて畑や田んぼに出ているときはとても楽しいものです。それは頭を休ませてリフレッシュしているからかも知れません。この方には写真と川柳作りの趣味があるそうです。特に毎年正月に企画される「発見会川柳」では最優秀賞を7回も受賞されている。タナカサダユキさんのイラスト原画が並んでいるという。10月中頃から、「川柳モード」に入るという。実体験を元に思いつくまま句を書き留め、何度も練り直して応募されているそうです。私も1回最優秀賞をもらったことがあります。2匹目のドジョウを狙っているのですが、なかなかいませんね。私は大阪の串カツが好きです。ここはいつも行列ができている。
2023.12.26
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本多信一さんは、学生時代になすべきは、「自分本来の個性を発見すること」だ。それができればもう十分だと言われています。この指摘に同感です。早い段階で自分の将来の好きなものを見つけた人は幸せな人です。それが一生涯携わる仕事だったら申し分ありません。私はそういう意識を持ち合わせていませんでした。私の大学時代の友人たちの多くは公務員になりました。そのための準備を早くから始めていました。私は大学卒業間際になって深く考えることなく仕事を決めて失敗しました。訪問販売の仕事、営業窓口の仕事、中間管理職の仕事をしてきました。本音と建前が一致していない仕事を選択するとその後苦労するというのが実感です。適職につくためには、自分の性格や能力を見極めることが大切です。そのために興味のあることには何でもトライしてみることも必要です。アルバイトをする、本で調べる、人の話を参考にするなどです。そうしないと何が自分に合っているのか見当もつきません。学校で友だちがたくさんいて、仲間と一緒になって一つの目標を目指すことが好きな人は、将来営業の仕事やマネージメントの適性があると思います。学校の先生は子どもと接することが何よりも楽しいという人に向いています。子どもにものを教えること好きというという人にも向いています。リーダーシップをとって人を統率する能力も必要になると思います。他人が怖いという社交不安障害の人は難しいかも知れません。対人関係に問題を抱えている人は、その特性を自覚すればよいと思います。自分を否定する必要はありません。修正する必要もありません。神経質性格のプラス面を意識することです。マイナス面には手を付けない。そして好奇心を刺激するもの、興味や関心があるものを探すことです。営業、指導者、マネージメント以外の仕事の中から自分の適職を探せばよいと思います。例えば、研究職、パイロット、電車やバスなどの運転手、シェフ、職人、自営業、農業、士業、芸術家など対人関係よりは、仕事の出来具合をより重視されるような仕事がいっぱいあります。12000種の仕事の中から適職を見つけることに全エネルギーを投入する。親はそのために全力でサポートをすることが必要になります。自分が持っている性格や能力を活かす、自分の得意な分野を伸ばす、自分の好きなものを早く見つける。見つけたらそれに磨きをかけてさらに伸ばしていくように努力していく。この道を歩むことが幸せな人生につながります。
2023.12.15
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良寛さんは若いころ岡山玉島の円通寺で修業されていた。そこに仙桂和尚という20歳以上年上の僧がおられた。この方は僧侶たちの食事を作る、菜園で野菜などを作る典座という仕事をされていた。その頃の良寛さんは、寺で一途に読経・参禅する。禅語録に触れることが修行であり、立派な僧侶になるためにはそれ以外のことにうつつを抜かしてはならない。修行に打ち込んでいるとそんな余裕はないはずだ。台所で食事を作り、菜園を耕すなどの仕事をする人は下男か作男ぐらいにしか思っていなかった。その良寛さんが越後の五合庵で暮らすようになって、そのような考え方を改めている。「仙桂和尚こそは、真の仏道者である。彼は黙して語らず、朴訥にしてうわべを飾らぬ人であった。30年間、国仙和尚のもとにあっても、参禅もせず、読経もせず、宗門の教えの一言も口にせず、ただ畑を耕して雲水たちを供養していた。円通寺当時、私は仙桂和尚を見ていながらも真の姿をみていず、遇っていながらも真の心に遇っていなかった。ああ、今になって彼にならおうとしても、もはやどうすることもできない。誠に仙桂和尚は真に仏道を会得した人であった」この考えは森田理論学習にも通じるところがあります。いくら森田理論を極めて整然と説明できるだけでは森田を身に着けたとは言えない。それは必要条件ではあるが十分条件とはなりえない。森田理論には車の両輪があると言われています。理論の車輪が小さいときは小さいなりに森田理論の活用と応用が必要になります。理論の車輪がステップアップしていけば、活用・応用の車輪を一回り大きなものに付け替えていく必要があります。2つの車輪のバランスをとりながら前進しないと、空回りしてしまいます。森田理論学習のみに偏っていると、期待していたような効果はありません。むしろ停滞を加速する原因となります。そして森田理論を恨むようなことになります。森田理論の学習をしている人からこんな話を聞くことがあります。ネットゲームが好きで夜遅くまでやっています。休みの日は昼近くまで寝ていることがあります。部屋の中は埃だらけです。掃除や整理整頓する気持ちにはなりません。食事は外食が中心です。鍋や包丁はほとんど使いません。家で食べるときは、おいしそうなお惣菜を買ってきて食べています。アルコール中心の食事です。間食のスイーツやお菓子はよく食べています。土曜日や日曜日は身体を休めることに専念しています。森田理論を活用・応用している人からは次のような話を聞きます。規則正しい生活、凡事徹底、ものそのものになる生活を送っています。起床時間と就寝時間が決まっている。雑仕事、日常茶飯事のルーティンワークに丁寧に一心不乱に取り組んでいる。バランスのとれた食事作りや後片付けを大切にしている。掃除が行き届き、洗濯も滞りなくなされている。土曜日や日曜日はやるべきことをメモしたリストに従って行動している。森田理論を学習して生活ぶりが変化しているのです。
2023.12.14
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今日は「ゆとり生活」ついて考えてみました。「ゆとり教育」「ゆとりある暮らし」「ゆとりがある老後」という言葉があります。ゆとりのある人はバタバタしていません。自分のペースでゆったりと、余裕のある生活を楽しんでいます。ある程度生活に余裕があり、何か大きな出費のとき慌てることがない。精神的に落ち着いていて、行き当たりばったりということがない。食べていくためにだけ生きているというのではなく、自分の好きなことややりたいことにも取り組んでいる。一般的には子育てが終わり、家のローンが終わり、退職金が入ると金銭面では「ゆとり生活」に変化してくるようです。退職すると、精神的、対人的、経済的な悩みや問題が少なくなってくることが大きい。ゆとり生活は、これまで頑張ってきた人に対するご褒美のようなものです。「ゆとり」生活に入ると、人間は二極分解してくるように思います。1、今までどちらかというと、しんどい仕事から解放されて、自分の好きなことややりたかったことにも取り組んでいる人がいます。こういう人は、「ゆとり生活」がプラスに作用している人です。ただしなかにはこんなことを言う人がいます。「私は釣りが好きで、現役のころは退職したら毎日釣り三昧の生活を楽しむことを励みに頑張ってきました。でもそれが実現して毎日好きなことをしているのに、充実感といったものがないのです。そのうち釣りにも飽きてしまいました」ゆとりがありすぎるというのも考えものだと思います。2、一方、課題や目標を持たないで、不規則な生活、刺激的、享楽的な快楽を追い求める生活にどっぷりと浸かってしまう人がいます。こういう人は、「ゆとり生活」がマイナスに作用しています。放置していると心身ともに廃用性萎縮現象が起きてきます。「ゆとり生活」が実現すると、今までの制約だらけの生活パターンから解放されます。起床時間も就寝時間も自由自在になります。それに流されてしまうと、今までの規則正しい生活が一挙に崩れてしまいます。仕事をしていた時は、仕事が規則正しい生活を支えてくれていたのです。課題や目標を持たないで日々刺激があればよいという生活は根なし草に似ています。どうしても空き時間が増えて、自己内省的になってきます。ゆとりが出てきたときに心掛けることは森田理論が教えてくれています。まず規則正しい生活を崩さない。次に日常茶飯事に丁寧に取り組む。自分でできることは、自分でするという癖をつける。そのうえで自分のやりたかったことやりたいことに取り組む。この順序が逆になるとまずいいと思います。つまり森田的な生活を基盤にして、その上で仕事、趣味、ボランティア、世話活動、運動、自己啓発、他人との交流などを楽しむ。これらは森田理論を生活に応用している人は、自然に身についていると思われます。
2023.11.20
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「雑」の付く言葉を思いつくままにあげてみましょう。雑多、雑事、雑談、雑木林、雑貨、雑音、雑学、雑損、雑念、雑費、雑仕事、雑務、雑用、雑役、雑菌、雑誌、雑穀、雑所得、雑種、雑草、雑踏、雑則これらのイメージや特徴はどんなものでしょうか。・こまごましたもの。面倒なもの、わずらわしいもの、とるに足らないもの。・脇役、軽視しても大した問題にはならないもの。・たいして役に立たない、大きく評価できるものではない。不純物。・余分なもの。避けたいもの、迷惑なもの、できればない方がよいもの。「雑」のつくものは、低く価値評価して無意識のうちに無関心になりやすい。「雑」の反対は、一言でいうのは難しい。しいてあげれば、脇役ではなく主役を張る。居るだけで存在感がある。大きな価値を持っている。尊敬されている。常に光が当たっている。大きな影響力がある。一目置かれている。注目されている。一本筋が通っている。世のため人の為に大いに役に立っている。神経質な人は雑事、雑仕事などを無視して、大きく目立ち成果の上がる建設的、奉仕的、創造的な目標に焦点を当てがちな傾向があります。でも大きな目標はなかなか見つからないし、あってもどこから手を付けてよいのか分からない。つまりどちらに転んでも行動的な態度にはなれないわけです。神経質者の特徴は心配性です。これは裏を返せば細かいことによく気がつくということです。この性格を活かすとすれば、「雑」のつく言葉に注目して、それらを宝ものとして取り扱うというのは如何でしょうか。「雑」という言葉がイヤならば、「誰もが気がつかない小さなこと」というのは如何でしょうか。小さな日常茶飯事、みんなが軽視しやすい小さな仕事などに丁寧に取り組んでみる。イヤイヤ仕方なく始めたことでも、一旦はものそのものになって取り組んでみる。その中から小さな気づき、小さな発見、小さな成功体験、小さな楽しみ、小さな感動を見つけることができるようになると、生きていてよかったと思えるようになります。神経質者が「誰もが気がつかない小さなこと」」を軽視するようになると、自分の強み、長所を活かすことができなくなります。秋祭り
2023.11.11
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歳をとってくると二極分解が起きるように思います。元気な人は心身ともに健康です。頭や手足がよく動いている人です。80歳になっても、90歳になっても自分の身の周りのことは自分でしている。毎日楽しみや課題を持ち、感謝の気持ちを持って生活している。一方で病気を抱えて、心神耗弱状態に陥っている人がおられます。行動がおぼつかなくなっている。考えることが後ろ向きです。そういう人が認知症に陥ってくると大変です。但し本人の自覚はありません。自分は正常だと思って行動しています。そういう人が車の運転をするのは危険だと思います。生活の発見会では高齢者の方もたくさんいます。心身とも元気な人が多い。特に世話活動をしている人は元気です。さらに森田理論を生活の中で応用・活用している人は考え方もしっかりしています。毎日緊張感を持って生活しているからかもしれません。こういう人は年に一回は定期健康診断を受けている。特にガンの家系の人、心疾患の家系の人はこまめに検査を受けている。そのうえで森田を生活に応用している。まずは規則正しい生活をしている。次に生活の柱となるものをいくつか持っておられる。今日はそういう人の話を紹介してみたい。現在75歳の方です。生活の柱を整理されてみんなに説明された。1、集談会に参加できるときは極力参加している。50年目になる。2、放送大学に11年間在籍して18科目の単位を取得した。3、本格的な登山をしている。3000mの山9峰の登頂を果たした。4、10年間町内会の世話活動をしている。年間30件近い行事がある。6、公民館の歴史研究会に7年間通っている。現在事務局長。7、子ども食堂の手伝いをしている。8、小学校のクラス会の幹事をしている。年2回開催。2018年からはクラス会新聞の編集責任者をしている。9、広島カープの熱烈な応援をしている。1958年から。この話を聞いて刺激を受けたという人は、90歳以上まで健康に過ごすことができる可能性が高いと思う。集談会で定年退職したらすぐにやってみたいことを10個くらい持っていないと暇を持て余すようになると聞きました。今現在持っていない人はこれからでも遅くはありません。身近なところから見つけることをお勧めいたします。久しぶりに秋祭りでチンドン演奏をしてきました。
2023.11.08
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元スピードスケートの清水宏保氏は、指導者から指示された練習しかしていない選手は伸びないと言われています。指導者から指示された練習メニューをこなしながら、自分で考えた練習にも取り組んでいる選手は、3年後、4年後にしっかりとした結果を出している。与えられた課題にプラスアルファ―を、1日に1秒でも積み重ねていくと、365日後には大きな差となって現れるからです。指導者から指示されたことだけをこなすというのは、森田先生が言われている「お使い根性」ということだと思います。やる気が高まり、自ら積極的に行動しているわけではありません。他人から指示・命令されたことに従っているだけです。最初はこの方法でも一定の成果が期待できます。ところがこの方法は途中で息切れしてきます。それは本音と建前が一致していないからです。いつまでもイヤイヤ仕方なしの行動に甘んじていては行動に弾みはつきません。どこかで自分が主体となって本音と建て前を一致させることが肝心です。この問題の解決策として、森田理論では「ものそのものになる」ことをお勧めしています。これを日々の日常生活や仕事の中で心掛け実践していくのです。最初はイヤイヤ仕方なしに取り組むことは問題ありません。そのうちできるだけ一心不乱に取り組んでみることです。我を忘れて取り組んでいたら、時間が経つのを忘れていたという状態に持っていくことです。そういうときは感情が活発に動き、頭がフル回転しています。問題や課題などによく気づきます。小さな発見、工夫、アイデアを次々に思いつくようになります。行動は積極的、生産的、建設的、創造的になります。プラスアルファ―の行動習慣を作り上げるためには、目標を明確にしておくことも大切です。目標には短期目標、中期目標、長期目標があります。長期目標に到達するために、少し努力すれば実現可能な目標をいくつも持っておくことが肝心です。このことを森田では「理想は高く、実行はこきざみに、小さな成功を積み重ねる」と言います。小さな成功体験を積み重ねると、自信と勇気と自己肯定感が生まれてきます。大阪城
2023.11.02
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中国のことわざに、「狡兎に三屈あり」というのがあります。これは賢い兎は隠れ家を3つ持っているということです。住まいが一つだけだと敵におそわれることがある。自然災害で使い物にならなくなることもある。隠れ家が3つあれば、自分と家族の生活と安全を守ることができる。私たち人間は仕事だけしていればそれでOKというわけにはいきません。森田の学習会では、生活のバランスを整えることが大切であると学びました。その内容は多岐にわたっています。仕事、家事、育児、子育て、家庭生活、生活習慣、職場の人間関係、親戚・近所付き合い、生活の発見会活動、趣味、遊び、教養、自己啓発、交友関係、地域活動、心身の健康管理などがあります。健康な人は全てにアンテナを張って、バランスの維持を心がけています。神経症に陥ると症状を治すことばかりに注意や意識やエネルギーを投入しています。その他のことには、無関心になります。あるいは依存的になります。森田では神経症の不安は欲望があるために起きてくると言われます。不安を抱えたまま、生の欲望に向かって努力精進していくのが筋というものです。不安を悪者にして、不安を無くするために悪戦苦闘しているのですから、症状がよくなる訳はありません。森田の基礎的学習が不足しているといわざるをえません。森田学習をしている人は、実践課題を立てておられる方が多いと思います。その際、仕事と職場の人間関係、家庭生活、ゆとり生活(趣味や遊びなど)、地域活動(町内会活動、趣味の会活動、ボランティア活動、生活の発見会活動)、心身の健康管理の5つに分けるのは如何でしょうか。人によっては違う項目が入る場合もあるでしょう。それはそれで結構なことです。肝心ことは、神経症を治すことを唯一最大の実践課題にしないことです。それは、5つのバランスが整ったあとで、時間があれば取り組んでみようと考えることです。実践課題は具体的であることが肝心です。期間は一週間単位、1ヶ月単位、そして1年単位の中期目標を立てる。集談会で1年に一つでも生活の変化が見られるようになると、その人は神経症を克服できると聞いたことがあります。
2023.10.29
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私は4ヶ月に1回歯医者で歯のメンテナンスをしています。主に歯垢を取り除いてもらうためです。その他歯の健康診断をしていただいています。今回歯の定期検診では凡事徹底の奥深さを感じた。歯医者が小さな虫歯ができかかっているところがあるという。特に親知らずの後ろにはブラシが当たっていないと言われる。つまり丁寧に歯みがきをしていないのではないかと指摘された。前、横、奥、上下と順番に磨いているつもりだった。では何分ぐらい磨いているのかと言われるので、時間は計ったことがないので分からない。タイマーで測った方がよいと言われた。あるいは頭の中で数をカウントする。磨くところは、表面、前面、側面、それぞれに裏表がある。まず上下の歯の表面に1分、次に前面の上下の歯の裏表に1分。次に磨きにくい側面の裏表に丁寧にブラシを当てる。これに2分かける。合計4分になる。早速家で実行してみたが、結構な時間である。今までは2分くらいで磨いたつもりになっていたことが分かった。しかもそれを朝昼晩と3回行った方がよいと言われた。せめて朝と晩は必須である。でも歯医者さんはそれだけでは不十分だと言われる。歯と歯との間は歯間ブラシを当てないときれいにはならないと言われた。ブラシでの歯みがきか終わったら、必ず歯間ブラシを当てることを習慣にしてくださいと指導された。この2つの習慣を継続すると虫歯にならない。定期的に歯垢を取り除くだけで、生涯健康な歯で過ごせますよ。プラントや入れ歯になると大変ですからね。それからキシリトールガムを噛むことを習慣にするとよいそうだ。虫歯予防効果と顎を鍛えて嚥下防止効果もあります。歯との付き合いを見直して、森田の凡事徹底を応用していきたいと思いました。
2023.10.23
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ヨットマンの白石康次郎氏のお話です。水産高校では研修航海に出ます。船の中には危険なものがたくさんあります。マグロなどを釣り上げたときに引っ掛けるでかいかぎや出刃包丁などです。これらを使ったままそこらに放置しておくことは命にかかわる。船が揺れた時に、それらが船の甲板を走るのである。人の首や腹に刺さって亡くなるという事故が実際に起きている。研修航海では、使った道具をきちんと元のところに戻して固定することをきびしく指導される。(人生で大切なことは海の上で学んだ 白石康次郎 169ページ)それがよい習慣となり、単独のヨット世界一周に活かされているという。シート類はきちんとまとめておく。急いで作業をするときに、足に絡まり、転倒するという事故が防げる。部品の一つ、工具の一つも使った後は必ず元へ戻す。急いで何かをしなければならない時に、探し物をするほどストレスがたまることはない。神経症と格闘しているときは整理整頓など眼中にないのではなかろうか。集談会などでも片付け、掃除をしなければと思っても、その気にならないという話を聞きます。片付けを森田の実践課題にするというのはどうだろうか。必要なものを3分以内に取りだすことができるようになることを、実践目標として掲げることを提案いたします。私はインテリアの卸会社でメーカーへの支払業務をしていたことがありました。メーカーからの請求書通りに仕入計上がされていると何も問題はありません。ところが実際には差異が発生しています。返品交換や大量発注による値引きが絡んでいるからです。それが大きな仕入先になればなるほど差異が複雑に絡み合っています。その時納品書がメーカーごとにきちんとファイルされている。売上伝票が連番に整理されているとすぐに差異が特定できることを経験しました。ここで3分以内に目的の伝票を取りだせるというのは、大きな能力だと思いました。私の場合、蔵書が大量にあります。森田関係のノートもたくさんあります。それから森田関係、仕事関係、パソコンのファイル、マンション関係、趣味の関係、近隣・親戚関係、通帳・財産関係、小物、事務用品、請求書や領収書、衣類関係などいろいろと整理しなければならないものがあります。目的物を3分以内に取りだせるようにするという目標があると、整理整頓に工夫をするようになります。まず大まかに分類することから始まります。意識としては大分類、中分類、小分類を意識しています。蔵書でしたら数か所にまとめておく。私は森田関係の本は一ヵ所にまとめています。あとは著者ごとにまとめております。お気に入りの著者はすぐに取り出せます。そしてよく利用する本は前面に出しておきます。あまりみない本は半年に1回くらいは確認するようにしています。必要な書類が山のようにあります。これはKOKUYOのA4-1Fという黄色の個別フォルダーというのが役に立っています。これに見出しをつけて、100均で手に入れたストッカーボックスA4に入れています。これは特に日付ごとにはファイルはしていません。これだけでもすぐに必要書類を取りだすことができます。整理整頓の方法は人様々だと思います。整理整頓の必要のあるものも人様々だと思います。これらの工夫例を情報交換することは大切なことだと思います。
2023.10.11
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イエローハットの創業者の鍵山秀三郎氏は、トイレ掃除に人生をかけて取り組んできたと言われています。「誰にでもできる簡単なことを誰にもできないほど続けてきた」と言われてます。私のやってきたことは、誰でも真似をしようとすればすぐ真似ができることばかりです。ただ、すぐに効果がでないから続きません。効果がすぐにでないと、「こんなことやっていても無駄だ、駄目だ」あるいは「一生懸命やったってやらなくたって結果は同じだ。だったら、一生懸命やったってつまらない」という考え方がとても多いように思われます。私のやり方に批判的な人はたくさんいました。従業員は、社長がそんなことをするから、我々社員が卑屈になると言われました。ある経営学の先生は、「そんなことを社長がしていたらお宅の会社の将来はない」と指摘されました。「そんなことをしている時間があったら、もっと商売の方に時間をかけたほうが営業成績はあがるのじゃないか」と忠告してくれる人がほとんどでした。確かに、東証上場会社の社長さんが、掃除に力を入れているという話は聞いたことがあません。それもトイレ掃除を毎日徹底して行っているというのは変わっています。経営幹部は、そんなことをするべきではない。事業の推移を注視して、経営を健全に維持していく。さらに将来の新たな事業戦略を立てること。これらが経営者の本来の仕事ではないのか。掃除を徹底するというけれども、経営者の本来の仕事から逃げているのではないか。社長としての職責を果たして、そのうえで余裕があれば、余暇を利用して掃除に取り組むようにしたらどうか。これに対して鍵山氏の考え方はまるきり反対です。掃除が先で経営者としての仕事はその次に来るものだ。掃除がきちんとできない人が経営者になっても、ザルで水を掬うようなことになってしまう。これは松下幸之助氏も同じことを言われていました。雨が降ったら傘をさす。当たり前のことを手を抜かずに愚直に取り組んでいく。これが経営のコツだといわれているのです。鍵山氏は、トイレ掃除に取り組んで人生の極意を掴まれました。そして次の言葉を紹介しておられます。「10年偉大なり、20年おそるべし、30年にして歴史なる」平凡を軽視しないで丁寧に取り組む生活を10年、20年、30年と続けた人は、類まれな非凡な人になれます。これは水谷啓二先生を始め森田の先輩たちが口を揃えて言われていることです。凡事徹底を無視していると、小さなことに喜びや感動を味わうことはできなくなります。小さな喜びや感動を味わえない人生は後悔の多い人生になる可能性が高い。森田では神経質性格者に対して、凡事徹底をお勧めしています。
2023.08.30
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林成之氏のお話です。プロ野球のバッターは、時速150キロものスピードで向かってくる剛速球を打ち返しています。ピッチャープレートとホームベースの18.44mです。ピッチャーが時速150キロのボールを投げた時、ホームベースに到着する時間は0.45秒です。一方、プロの打者がバットをスイングするのにかかる時間は0.2秒と言われています。また脳が体に命令を下してから実際に体が動くまでの神経反応には、約0.3秒弱を要します。ほんの少しだけボールが到着する時間が短いために、理論的には打者が150キロのボールを打てないことになります。しかし実際にはプロの打者は150キロ以上のボールを打ち返しています。これはいったいなぜでしょうか。「イメージ記憶」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、物事をありのままに記憶するのではなく、その物事についてのイメージを自分の頭の中で作り上げ、それを記憶することを言います。打者は、ピッチャーが投球動作をしている段階から、ボールが手元にくるまでの軌道のイメージを記憶していて、バットを振るのです。バッティングの達人とは、過去に成功したイメージ記憶を膨大に蓄え、それをあらゆるボールに対して当てはめることができる人です。(勝負脳の鍛え方 林成之 講談社現代新書参照)この話は私たちにも参考になります。過去に成功したイメージ記憶を積み重ねていると、一見実現不可能と思われるようなことでも、脳は目的達成のために強力にアシストしてくれるということです。扁桃体が「快」に振り分けてくれて、ドーパミンという神経伝達物質によって報酬系神経回路を駆け巡ることになります。積極的、生産的、建設的、創造的な行動につながります。子どもの時から興味や関心のあることに積極的にチャレンジして、成功体験を積み重ねることが大切になります。大人になってからは、凡事徹底の生活の中で、小さな成功体験を積み重ねていくことが大切になります。成功体験は自信をもたらします。自己肯定感を育てるためにも大切なものとなります。しかしイメージ記憶は万能ではありません。イメージ記憶は過去の成功体験です。それが今度の挑戦に通用するかどうかは分かりません。イメージ記憶に基づいて行動したとしても、ほとんど失敗に終わります。プロ野球の打者の場合は、7割から8割は失敗に終わります。打者が150キロのストレートのイメージ記憶を取りだして準備しても、鋭く落ちるフォークボールを投げられると当てが外れます。イメージ記憶に基づいて行動してもよい結果が出るかどうかは分かりません。人生は自分なりの成功体験を基にして、予測や仮説をたてて、仮に行動するしかないのです。成功するも失敗するも神のみぞ知るという覚悟が必要になります。バッターの予想は、ほとんど外れますが、たまに良い結果が出ることがあります。それが2割5分から3割いけば、プロとして飯が食っていけます。失敗を恐れず、イメージ通りの球は確実に打ち返す練習を重ねておくしかありません。ほとんど失敗に終わるのなら、挑戦しない方がましだと考える人もいます。成功間違いなしと確信を得た後でないと、挑戦することは無謀であるという考え方の人もいます。神経質性格者は慎重ですからその傾向が強い。これは認識の誤りとなります。100%の成功を望んでいる人は、失敗した時こんな現実は受け入れられないと考えます。この場合は、今度再びチャレンジする時に、扁桃体が「不快」に振り分けて、ノルアドレナリンという神経伝達物質によって防衛系神経回路が作動します。潜在意識が自動的に失敗を呼び込んでしまうようになります。プロ野球で成功するためには、多くのみじめな失敗を許容できる精神力が必要になります。完全主義の人は無理です。減点主義ではなく加点主義の人が成功します。7回失敗しても3回成功すれば一流打者として脚光を浴びることができるとひたすら信じている人は、プロの世界で飯を食っていけます。仮説、実行、失敗、検証、再チャレンジというサイクルを回すことが肝心です。
2023.08.26
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仕事が多すぎてイライラするという人がいます。こじれると、うつ病の発症、休職、バーンアウト、過労死する人もいます。原因はいろいろあろうかと思われます。1、自分一人で多くの仕事を抱えている。2、仕事の優先順位の交通整理ができていない。3、仕事の取り組む姿勢に問題がある。1は、他人に仕事を任せることができなくて、自分一人で抱え込む場合です。仕事がなくなると自分の存在価値がなくなるような気がして手離すことができない。また、他人に依頼して断られることを怖れて仕方なく抱え込む場合もあります。こうなるとすぐにキャパオーバーになり身動きが取れなくなります。残業や土曜日、休日出勤で対応せざるを得なくなります。心身ともに疲れ果ててしまいます。そして仕事が雑になり、納期に間に合わないことになってしまいます。私の場合、集談会で世話役をお願いしたいときに、断られて不快な思いをするのがイヤで依頼できないことがあります。その結果一人で抱えてしまうことになります。他の幹事の人で依頼することが苦にならない人がいることが分かりました。ダメでもともと、引き受けてもらえればもうけものという考えができる人です。こういう人は断られたとき「そうですか。ではまた都合のよい時にお願いしますね」と引き下がるのが上手なのです。自分も相手も気まずくならないのです。その方に依頼して自分になり替わってやってもらうようにしています。2の場合ですが、仕事には必ずいつまでにやるという納期があります。納期を最優先する必要があります。やりやすい仕事を選り好みするのは問題です。スケジュール帳に書き込んで納期に間に合わせることが肝心です。それから、仕事にはすぐにできる簡単なものとどこから手を付けていいのか分からないような難しいものがあります。仕事は簡単でやりやすいものから、どんどんこなして数を減らしていくのが基本です。そして残りの時間で難しいものを手掛けていくように持っていく。限られた時間を有効に使う工夫をする必要があります。3ですが、複雑に見える仕事も分解してみれば、単純な仕事が絡み合っている場合が多いです。単純な仕事を軽視していると、複雑に絡み合って難しそうな仕事に見えてくるのです。ですから単純な小さな仕事を丁寧にこなしていくことが欠かせません。そうなれば、時間的にゆとりが出てきます。気持ち的にもゆとりが生まれます。仕事に追いかけられることがなくなり、仕事を追っていけるようになります。例えば、事務関係の仕事をしている人は、一枚の伝票をお金のように取り扱うことです。どんな伝票でも30秒以内に取りだすことを目標にするのは如何でしょうか。時間にゆとりが出てくると、難しい仕事に取り組む時間が生まれてきます。この点に関しては、2013年1月12日に「仕事に追われる人と仕事を追う人の違い」という投稿記事がありますので、興味のある方はご参照願います。
2023.08.19
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今日はマンションの大規模修繕工事の現場監督の段取り力について取り上げてみました。大規模修繕工事はおおむね12年から15年毎に行われる。大規模修繕の時期が近づいてくると、2年くらい前から修繕委員会が立ち上がります。まず管理会社や設計事務所などに依頼して建物診断を行います。つぎに指摘された修繕項目について取捨選択を行います。そして施工業者の競争入札を行います。施工会社からは工程表に基づいて説明会が行われます。このとき現場監督が紹介されます。そして満を持して半年から1年に渡る工事が始まります。工事は基本的には、足場を組み、建物洗浄、外壁タイルの補修、ペンキの塗り替え、床の下地シートの張替工事などがあります。その他、エレベータ取替工事、屋上防水工事、給水設備取替工事、LED電球取替工事、共用部トイレ取替工事、駐車場の白線引き、玄関改装工事、プレイロッド工事、宅配ロッカー設置工事など多種多様です。ここでは現場監督の段取り力と変化対応力が大きく左右します。工事に合わせて、毎日の朝礼、工事内容や注意点の居住者への周知徹底、水や電力の確保、騒音対策、資材の調達、資材置き場の設置、簡易トイレの設置、代替え駐車場の確保、コピー機など事務機器の設置、産業廃棄物の処理、交通誘導員の手配、職人さんの手配、職人さんの詰所の設置、工事の進捗状況のチェック、問題発生時の緊急対応、居住者や近隣対策、修繕委員会、管理会社、設計事務所との打ち合わせ、引き渡し書類の作成など細部にわたります。現場監督は過去にさまざまな経験を積み重ねています。過去のトラブルのケースや解決策をよく知っており、問題が大きくなる前に事前に対策を立てて実行しています。過去のミスや失敗は貴重な財産として今の仕事の中で活かしているのです。ミスや失敗の数の多さが、現場監督の善し悪しに影響を与えていると言われていた。疑問や問題点は自分一人で判断しないで、会社の人や修繕委員会の主だった人や施工管理者、職人さんと事前によく相談や打ち合わせをしています。その中でも問題発生に備えてキーマンは誰かを捕まえるのが早いし的確です。居住者の中でも工事に影響力を持っている人をすぐにつかんでいるのです。問題が発生した時は、その方に真っ先に相談しているのです。だから問題が実態以上に大きくならないのです。また職人さん、業者、メーカーなどとのネットワークの広さは驚くばかりです。森田でいう広く浅くという不即不離の人間関係が貫徹されている。現場監督は作業の進め方などを内容ごとにノートやパソコンなどによくまとめています。パソコンの扱いも得意で複雑な工程表なども独自のソフトを利用して短時間で作成しています。掲示物や配布物に手抜かりはありません。とにかくやるべきことをどんどん先取りしています。段取り力のよさは舌をまくばかりです。同時並行的にいくつもの作業内容を組み合わせているのです。例えば、設備屋、ペンキ屋、屋上防水、溶接業者などの職人が同時に作業しています。多くの職人や資材を臨機応変に手配して、全体をきちんと統率する能力は驚くばかりです。そのために人間関係調整能力、観察力、フットワークなどが大切になります。笑顔での声掛けを心がけて、むやみに敵を作らないという人間力は必要だと感じました。天候悪化で作業内容が変更になることはよくあります。作業の途中で仕様変更になることもしばしば発生します。想定外の出来事ですが、その変化対応力は驚くばかりです。想定外の問題の発生は、工事にはつきものであり、それを解消して納期に間に合わせるのが、現場監督の能力の発揮のしどころだと言われていました。その人は小さいころはガキ大将で手が付けられなかったそうですが、人間関係の持ち方はそのときに会得したと言われていました。過去に問題やトラブルを起こしても、人生に無駄なことは一つもないということだと思います。むしろミスや失敗、後悔の少ない人が大人になって苦労することになるということでしょう。同じ人間でもスケールの大きさを感じました。この人はどんな仕事についても成功するだろうと感じました。今回勤務棟の大規模修繕工事を管理人の立場から見させていただいて、仕事とはこうゆうふうに取り組むとうまくいくという手本をみせてくださいました。今回は私も大きな刺激を受けました。西国13番札所 石山寺
2023.08.13
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私は現在マンションの管理人をしています。毎日5時間の仕事です。主な仕事は、受付・清掃、立ち合い・点検・連絡報告・事務の仕事です。休憩をはさみながら、毎日決まった時間に決まった仕事を規則正しくこなしています。・管理人ポストの確認。居住者や来客対応。・棟の外回りの拾い掃き掃除。・解放廊下、階段の拾い掃き掃除。・玄関、エントランスなどの水モップ掛け。・各階解放廊下の水モップ掛け。(1日にワンフロア―ずつ)・ゴミ置き場の掃除。植栽への水やり。雑草取り。・玄関、エントランス、事務所、掃除道具置き場などの清掃と整理整頓。・鳥の糞やクモの巣取り、面格子、手摺、サッシの空モップかけ。・設備関係の点検、駐車場、駐輪場の見回り。照明器具の点検。・鍵や重要書類の確認と整理整頓。・2回目の巡回。管理会社への報告書の作成。これらは習慣化しており、あっという間に時間が経ちます。なんとせわしないと思われるかもしれません。ルーティンに従ってこなしているので、精神的にはとても楽なのです。ここでは森田先生が言われているリズム運動を意識しています。それと「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」の応用です。毎日6000歩から10000歩は歩きます。とくに階段の上り下りはとてもよい運動になります。太ももが大きくなります。下りるときは斜め歩行で衝撃を和らげています。これは「人間の脳は足から衰えてくる」を意識しています。ルーティンワークを持っていることはいかに幸せなことであるかが実感として分かりました。毎日決まった時間に同じことを繰り返すことで、頭を休ませることができます。精神状態が内向き一辺倒になることを避けることができます。気持ちが外向きになることが習慣化してくると、身体も精神状態も健康になります。仕事や生活に弾みがついてリズムやテンポがよくなります。無理をして頑張り過ぎるとどっと疲れがでます。仕事は細く長くをモットーにしてできる限り長く継続していきたい。現在この仕事の最高齢者は83歳の人ですが、私は85歳を目指したい。実現の可能性は高いとみています。そしてブログの継続目標はとりあえず93歳です。もちろん地元集談会への出席は終身です。
2023.08.05
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森田先生のお話です。我々がお茶漬け飯をザブザフとかけ込むには、随分、箸と茶碗の持ち方、とくに左の手の茶碗の回転具合は、極めて微細な働きであるけれども、このほうにはほとんど気がつかないで、意識は飯をこぼさないようにとの目的ばかりに向かっています。また球投げをする時に、球のほうにばかりに注意を集中していさえすれば、適切に球を受ける事ができるけれども、意識がひとたび、自分の手つきや・腰の曲げ方のほうに向かうようになれば、すぐ球を受けることができなくなる。小指を怪我した時などでも、球が受けられなくなるのは、意識がその目的物を離れて、手元のほうに向かうようになるからである。薪割の時に、打とうとする一点のみを見つめていれば、百発百中であるというのも、この理由に基づくものである。(森田正馬全集第5巻 644ページ)森田先生は、意識が内向化してしまうと目的が達成できなくなる。反対に意識の外向化が起きると、目的を達成することができると言われています。今日は意識の内向化と外向化の関係について、車の運転を例に取り上げてみました。車の運転の練習を始めたときときは、誰でも意識の内向化が起きます。運転技術が未熟な時は、意識の外向化は起きません。意識の内向化には脳の前頭前野が絡んでいます。始動のしかた、チェンジレバーの操作、ウィンカー、ブレーキ、アクセル、ライトの点灯、ワイパー操作などが気になります。その次に、窓の開閉操作、空調の切り替え、ライトの切り替え、曇り止め操作、バックのワイパー操作、ナビの操作、テレビやCDの操作なども気になり始めます。まず車を止めた状態で、操作レバーの位置、操作方法を入念に確認します。これは比較的早く分かるようになります。次に自動車学校で実際に運転しながら、運転技術をマスターしていきます。これらが無意識的に自由自在に操作できるまで何度もくり返すことになります。その結果、運転やレバーなどの操作については、前頭前野を経由しなくても、大脳の側頭葉や運動野からダイレクトに手足に指示命令が出されるようになります。これは別の言い方をすれば、意識的行動が、無意識的行動へと変化してきたということです。無意識的行動になると安心してみてられます。しかも正確です。間違いがない。この段階でもし仮にちょっとした不安などがよぎると大変です。その不安の情報が前頭前野に送られて、無意識的行動でうまくいくようなことまで、ああでもない、こうでもないと詮索し始めるのです。練習では上手にできたのに、本番で失敗するのはこういう場合です。不必要な意識の内向化が起きて、行動の目的を達成できなくなるのです。自動車の運転の外向化とは、スピードメーターの確認、信号機の確認、交差点の人や対向車の動き、車線変更時の他の車の動向、交通標識の確認などがあります。意識の外向化は、そのときの状況や変化に合わせて素早く正確に行われています。車の運転の外向化は、運転操作が無意識的に自由自在にできるようになった後で初めて可能になります。脳でいうと意識が内向化しているときは、前頭前野から指示命令が出されます。意識の外向化が起きると、側頭葉や運動野などから指示命令が出されます。その時前頭前野は、完全にお休みしています。外向化に切り替わるまでは、教習所で訓練や練習を繰り返すことが必要になります。一旦意識の外向化を身につけると、それは一生使えるものになります。
2023.07.29
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生活の発見誌の6月号より三重野悌次郎氏のお話です。戦後の教育などは、子どもに納得させようというようなところがあって、近頃の子どもは自分が納得できないことはしないーー納得できないことはしないというのは、非常に自主性があっていいことだというような思想がありますが、これは大変な間違いだと思います。自分の納得できることだけするのでは、いつまでも進歩はないわけです。三重野氏は納得できないことでもしなければいけないと言われています。今日はこの問題を取り上げてみたいと思います。納得できることは、ある程度勝算が立つものが多い。自分なりにシナリオ通りに事が運ぶことを確信していることが多い。これは過去の成功体験に裏打ちされているのではないでしょうか。しかし現実はかならずしもシナリオ通りにならないことがあります。もし逆の結果が出た場合は、計り知れないショックを受けます。反対に納得してはいないが、生活のため、リスク回避のために敢えて行動しなければならないことも多い。この場合は、最初はイヤイヤ仕方なく取り掛かることになります。ダメでもともと、うまくいけば儲けものという気持ちではないでしょうか。取り組んでいるうちに弾みがついて、どんどん意欲的になってくる場合があります。最初はあまり期待していなかった成果がもたらされると望外の喜びとなります。私達神経質者は、少しでも不安が残るものは大事をとって挑戦しようとしない。リスクを犯した冒険を嫌がる。現状維持に甘んじてしまうことが多い。確実に見返りが期待できるものだけを選り好みしています。エネルギーの無駄使いは絶対に避けたい。ミスや失敗は、たとえ小さいものでも受け入れることはできない。神経質者は納得できないものは、最初からしり込みすることが多くなります。私も長らくこの考え方でやってきたのですが、今思うと完全に間違っていたと思います。私は大学を卒業して訪問販売の仕事をしていました。その時見込み客を重視していました。つまり買ってくれるお客様と買ってくれないお客様を勝手に選別していたのです。10人の見込み客がいれば3人くらいの人が買ってくれると思っていました。そこで3人の人には営業をかけていましたが、その他の人はどうせ訪問しても時間の無駄になるだけだと思っていました。ダメなことが予想されることにエネルギーを投入するのは消耗するだけだと思っていました。そして実際には見込み客以外の人を訪問することはしませんでした。その結果どんなことが起きたかというと、見込み客は落とすことはできないと考えているので、対応がぎこちなくなるのです。緊張して、しどろもどろになりました。商談に失敗するのです。また有力な見込み客思って訪問しても、あっさりと断られることが多々ありました。見込み客から断られると、立ち直れないような精神的ショックを受けました。仕事をする意欲が萎えてしまいました。そしてさぼることを覚えました。最後には、成績不良の営業マンになってしまいました。一方成績のよい営業マンはローラー作戦をとっていました。営業ノウハウよりも、数打てばノルマは果たせると気楽な気持ちなのです。できるだけ多くの人に接触することを重視していたのです。30人に営業をかけて、そのうち3人と成約できれば十分と考えて訪問販売の仕事に取り組んでいたのです。だから冷たい断わられ方をしてもほとんどダメージは受けません。断られる人を増やさないと、成約には結びつかないと考えているのです。こういうスタイルの営業マンはどんどん伸びていきました。私は中途退職しましたが、その人たちは定年まで残ることができたのです。その理由は、第一に断られても自尊心が傷つくことがありません。更に断られる経験を積み重ねることで、営業能力に磨きがかかります。セールステクニックが他の追随を許さないほど高められているのです。三重野悌次郎氏が言われているように、納得できなくても、やる気が出なくても、目的や目標に向かって手を出していくことはとても大事なことだと思います。森田理論に「努力即幸福」というのがありますが、成功するか失敗するかと気をもみながら、努力しているその過程が大切なのだと思います。仕事から逃げると、そのときは少しだけほっとします。しかしその後自己嫌悪、自己否定感で苦しむことになります。そのままでは苦しいので、酒やキャンブルなどで解消しようとするのです。どんどん悪循環のスパイラルにはまってしまうのです。
2023.07.20
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実践という言葉の「践」の右のつくりは「わずか」という意味があるそうです。「浅」というのはわずかな水深です。「銭」はわずかなお金のことです。「実践」という言葉は、わずかに自分の手足を使って実際に動いてみるということになります。考えてみると、仕事や日常生活は実践の連続ではないでしょうか。森田理論で「凡事徹底」に目覚めた人はこの方向に向かっているようです。反対にそれらにはできるだけ手を抜いて楽をすることを考える人もいます。余った時間でできるだけ生活を楽しむことを目指す。あるいはもっと価値のあること、クリエイティブなことを手掛ける。そして周りの人がアッと驚くような成果をあげて称賛を浴びる。生活面では料理、洗濯、掃除、整理整頓、修理や修繕、家計費の管理、親戚や近所との付き合いなどを親や配偶者や業者に丸投げしている。自分は会社勤めで生活費を稼ぐのが最大で唯一の仕事であると考えている。稼いだお金で煩雑でわずらわしいことを人に肩代わりしてもらう方がよほど効率的だ。仕事では大きな商談をまとめ上げて会社に貢献する。そして社長表彰の対象者になることを目指す。あるいは業務改善の責任者になって、事務の合理化や効率化を推進する。人のできないようなことを手掛けて成果を上げるのが本来の人間の進むべき道だ。だからめんどうで細かいわずらわしい仕事は他の人にやってもらう。一見効率的で理にかなった考え方のように見えます。こういう考え方になると、雑事、雑仕事などは、価値のない、とるに足らないつまらないものに見えてきます。それらは能力の劣る人がやることだとみなすようになります。私の体験では、この方法はザルで水を掬うようなことになると思います。仮に一時的にうまくいっても、どんどん水が抜け落ちてしまいます。例えば事務処理の仕事では、仕入伝票や売上伝票を取り扱います。それらを日付ごとメーカーごとにきちんとファイルする仕事があります。チェックが終わったのでもう用済みだと判断して段ボールの箱などにそのまま投げ入れていると、伝票の照合が必要な時に面倒なことになります。お目当ての伝票を探すのに時間がかかります。見つからないとイライラします。魚釣りの糸が絡まったような状態です。元に戻らないとあきらめてしまいます。こうして仕事全体が雑になっていくのです。そういう仕事ぶりの人は何かにつけて探し物をするのに時間がかかっています。精神的には何かに急き立てられるような感じになり、そのうち仕事をすることが苦痛になります。誰でも出来るような雑仕事に喜びや楽しみを持てる人は、基礎がしっかりしているので、その上に大きな建物を建てることができます。雑仕事を馬鹿にしている人は、砂上の楼閣を立てているようなことになります。そのうち基礎も立派な建物も崩れ去ってします。神経質性格の人の持ち味は細かいことによく気が付くことです。細かいことをきちんとメモして、次々に片づけていく能力に磨きをかけると、仕事が好循環するようになります。あの人にまかせておくと間違いないという評価を得ると自分の居場所ができます。足場をきちんと固めて、余裕があればもう少し大きな目標に向かう方が賢明だと思います。
2023.06.27
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生活の発見誌の5月号に三重野悌次郎氏の記事があった。それによると三重野氏の自戒の言葉は、「小苦を回避して大苦を生じ、大楽を追及して小楽を失う」であるという。ここで小苦というのは、日常茶飯事の雑事や雑仕事のことを指している。三重野悌次郎氏は雑事をおろそかにして人生はないと言われています。雑事の代表は家事です。炊事、洗濯、掃除、整理など家事は雑事の集大成です。集談会で、ときどき家事手伝いの若い女性の悩みを聞きます「こんなつまらないことばかりしていると肩身が狭い。社会へ出て働きたい」私は女性が、社会に出て働くことに反対ではありません。だが、家事を「こんなつまらないこと」という考え方には反対です。家事は我々の本来の欲望達成のために欠かせない仕事です。この大事な家事をつまらないという人は、社会に出て働いても、そこもまた、雑事の連続であることを見て、またつまらないと言うでしょう。どんな仕事も雑事の積み重ねです。その雑事に真剣に取り組めば、必ず興味が湧いてきます。森田博士のいうお使い根性で働けば、すべてがつまらないのです。ともあれ雑事に喜びを見出す人は幸せな人です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社 83ページ)大楽というのは、ドーパミンが大量に出るような刺激的、享楽的、本能的な快楽を求め続ける生活のことではないでしょうか。ちなみに田舎の住職さんによると、貪欲に欲望を満たそうとする態度のことを「餓鬼」(がき)というそうです。めくるめく快感を果てしなく追い求めていくようになりますと、一時的には幸福感に満たされます。カンフル剤的な効果はあります。しかしすぐにエネルギー切れの状態になり効果がなくなります。そこで急いで次の刺激、快楽を用意する必要が出てきます。しかし同じ程度の刺激では、以前のような強い快感は得られなくなます。そのためにさらに強力な刺激や快楽を注入する必要があります。イタチごっこになります。薬物療法でいえば薬の量と種類が増えていくようなものです。薬は基本的には毒ですから、どんな薬にも副作用があります。特に長期間の服用による副作用は目も当てられなくなります。さらにその効果が切れた時に、イライラするようになります。いてもたってもいられない精神状態に追い込まれます。これは薬が切れた時の離脱症状に似ています。刺激的な快楽を追い求めていると、そのうち欲望が暴走するようになります。欲望が独り歩きを始めて、制御不能に陥るのです。求めても、求めても満たされない欲望に振り回されるようになります。精神的に不安定になります。お金と時間の無駄使いも起きます。いつの間にか小さな楽しみや喜びは味わうことができなくなります。最終的に生きることはつらいことだという考えが湧き上がってきます。生きていても砂を噛むような味気なさを味わうようになる。刺激や快楽を追い求めるよりも、凡事徹底の生活の中で、小さな楽しみや喜びを味わうような生活習慣を作り上げることが大切になると思います。
2023.06.25
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西田文郎氏のお話です。人間を意欲的にさせるきっかけは5つあるそうです。1、何かに不満や反発を感じること。2、願望や欲求を持つこと。3、好きなことや得意なことを持つこと。4、負けず嫌いであること。5、感謝や使命感を持つこと。(かもの法則 西田文郎 現代書林 66ページ参照)集談会ではうつ状態で何もやる気が起きないという話をよく聞きます。そういう方は無気力、無関心、無感動な日々を送ることになります。そういう方はこれを参考にして過去を振り返ってみるのは如何でしょうか。だれでも情熱的な時期、意欲的に行動していた時期があったはずです。それを取り戻して、これからの人生に活かしていくことはできないものでしょうか。1は自分の理想と現実が乖離している場合、何とか現実を理想に近づけたいという気持ちになります。理想が持てなくなり、現状維持で十分と思うようになると意欲は出てきません。ただしこれは下から上を目指す時は有効ですが、理想から現実を非難・否定するようになると葛藤や苦悩を抱えてしまいます。神経症に陥る原因になります。この傾向が強い人は森田理論学習が役立ちます。2は課題や目標を持っている人は意欲的になります。課題や目標が持てないと、ただ延命を図っているだけということになります。人間は目の前の対象物に働きかけて新しいものを創造するという宿命を負っています。森田では人を意欲的にするためには、目の前の事実をよく見つめる。すると何らかの気づきや発見が生まれる。次第に感情が動き出し流れてゆきます。これが積極的、意欲的な行動につながると説明されています。3は好奇心、興味や関心が持てると意欲的になります。小さな成功体験の積み重ねは、プラス思考の人間を作り上げてくれます。高良武久先生は、10年くらいかけて自分の専門分野を極めていくことが大事だと言われています。小さな自信が次の目標を生み出して、次第にステップアップしていきます。4、神経質者は負けず嫌いな性格特徴を持っていると言われます。これをプラスに活かすことができると、意欲的になれます。ライバルを目標にして、追いつき追い越せと努力することはやる気を育てます。ライバル同士で切磋琢磨すればお互いに人生の醍醐味を味わうことができます。5、人の役に立つこと、人の為になることをする。そして感謝・感動の気持を持ち続けることは最高の生き方になります。自分の辛い神経症経験を後世の人の為に活かすことを考えて実行すれば、大きな社会貢献につながります。
2023.06.23
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生活の発見誌6月号に森田理論を様々に応用している人の記事がありました。その方は教師で教育に応用しているということでした。一つの例ですが、運動会の徒競走のときのことです。知的障害のある1年生の一人の女子は、担任の先生たちが横で励ましても、スタート地点から走ろうとしませんでした。学年主任だった私は、その子の前の方から、その子の名前を大声で呼んで、近づきました。すると、その子は私の方に向かって、走りだしました。私はその子の少し前を走ってゴールに向かいました。すると、その子は、私を追いかけて、ゴールできました。これは、目の前の目的を示すという森田の教育への応用の成果と思っています。(同書 66ページ)井戸水を汲み上げる時、呼び水を入れると水をスムーズに汲み上げることができます。この先生の行動は呼び水の役割を果しています。上杉鷹山は、「してみせて、言ってきかせて、させてみる」と言っています。さらに、山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」という言葉を残している。これが3点セットとして作動することで、梃子でも動かなかった人が、行動に踏み出すことができたとすれば、試してみる価値があるように思います。森田は、日常生活のなかで、小さな課題や目標を目指して、小さな喜びや達成感を数多く味わうことをお勧めしています。学校教育のなかで実際に子どもたちに働きかけて、成果をあげられたということは実に素晴らしいことです。わが家のベランダ
2023.06.03
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高良武久先生のお話です。昔、僕が若いころ、森田先生が1週間ぐらい温泉に行かれた。で、帰られたときに、僕が「1週間も温泉に行っていたら退屈するでしょうね」と言ったら、「僕は退屈するなんてことは全然ない」と言われるんだね。何かやるんだな、やっぱり。そのへんを歩きまわったり、いろいろなものを観察したり、書きものをしたり、活動的な人っていうのは、何か外界のものごとに関心を持つことが多いから、退屈する暇がないというんだね。自分の状態ばっかり観察している人間は、非常に空虚になりますよ。外界のものごとに触れて、そして、それに手をかけていくという生活態度になれば、非常にはつらつとしてくるんだね。私たちの精神というものは、ものごとに接触して、はじめてはつらつとしてくるんだから、一人じっとして、ただ自分の反省ばかりしていると空虚になりますね。いつも外界のものに心を向けて、そしてそれに関心をもって働きかけていくというような生活態度になれば、内向的な神経質的なとらわれから、自然に解放されていくんだね。(生活の発見誌 2023年4月号 7ページ)外界のものに心を向けるために、規則正しい生活習慣を作り上げることが大切だと思います。毎日のルーティンを確立することです。同じ時間に同じことをするという習慣をつくる。気が向いたときに気が向いたことをするというのは、あまりお勧めできません。私は30分おきに次々と取り組むことを変えていくのがよいと聞きました。これは「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」の応用です。まず朝起きる時間を同じにする。そして就寝の時間も一定にする。これは休みの日も一緒にすることです。それから毎日の生活の軸になるものを作る。多くの人は仕事になるでしょう。あるいは家事の人もいるでしょう。子育ての人もいるでしょう。またボランティア、趣味の活動という人もいるかもしれません。毎日のコアになる活動が決まらないと、精神的には不安定になります。その間にもやるべきルーティンワークは様々あります。それを同じ時間に組み込んで自分の生活スタイルを作るのです。そういう習慣が出来上がると、自然に体が動いていくようになります。これはリズム運動と同じということになります。前頭前野を休ませて、手足を動かすことが多くなれば、心身とも健康体になれます。これをせわしないとみるのか、心を外向きにするコツの一つと思うのかは大きな違いです。山口県岩国市吉香公園
2023.05.30
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鍵山秀三郎氏のお話です。鍵山氏は、掃除をしている時は無心になれると言われています。掃除はすべて手を使います。便器も素手で洗います。手で感じる感性を大切にしているからです。手で感じたことは頭にも心にも響きます。自らの至らない人間性を少しでも向上させるためには、手で感じないと駄目なのです。目は臆病ですが、手は勇気があります。たとえば、トイレを目で見ると、汚いな、嫌だなと思います。でも、手で触れてみると、手は本当に勇気がある。小さな汚れや髪の毛1本でも指先で感じ取って、きれいにしようとします。結局、それは問題の本質に近づくということでもあるのです。大事なのは、目の前の問題から逃げるのではなく、できるだけ近づいて対応することです。(二度とない人生を生きるために 鍵山秀三郎 PHP 75ページ)実際に掃除を始めると、気になるところが次々にでてきます。鍵山氏は掃除の効用の一つは、「気づく人」になれることだと言われています。損得に気づく人は多いのですが、そうではなくて、今何が大事か、どうしたら人が喜ぶのかということに気づいて行動できる人になるのです。森田先生は行動する時は「なりきる」ことが大切だと言われています。わしは、風呂を炊く時には、風呂焚きになりきる。どうしたら、ゴミの整理がうまく出来るか、どうしたら少ない燃料で、もっとも早く風呂をわかすことができるか、真剣に研究し、工夫する。風呂を炊く時には風呂焚きになり切り、将棋をさすときには将棋さしになり切る。つまり、何をやっても自分の全力を尽くすのだ。そこには価値批判はなく、風呂炊きも診察と同じように興味があり、張り合いがある。これがもし、下手な価値批判にとらわれ、風呂を炊くより原稿を書いた方が得だ、原稿を書くより診察のほうがもうかる。診察より病院の経営をやった方が利益が多い、という工夫に損得ばかりを基準にして考えていくと、しまいには何もすることがなくななって、手をこまねいているか、あるいは詐欺をやった方が金儲けの早道だ、というようなことにもなりかねない。・・・風呂炊きでも飯炊きでも何でもよい。価値批判を抜きにして、とにかく気軽に手をつけさえすれば、いつの間にか興味が出て来て、研究と工夫を重ね、仕事はそれからそれへと発展して、社会に役立つ働きができるようなものだ。(生活の発見誌 1970年(昭和45年)5月号 9ページ)圓鍔勝三彫刻美術館(広島県尾道市)
2023.05.24
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私は毎日マンションで掃除をしているのですが、指導員からこんな話を聞きました。人が見ていなくても、また汚れが目立たなくても、毎日同じ時間帯に、同じ場所を心を込めて取り組むのが掃除の基本です。心を込めて取り組んでいると、その人の人格が磨かれることになります。掃除が行き届き、身なりがきちんとしている人には、相手もそれなりに対応してくれます。他人から指摘される、あるいは汚れを確認して、これ以上放置できないなというときに始めるのは掃除ではありません。それを言葉で表現すれば「手抜き」です。「手抜き」仕事は、周りの人を不快にさせるだけでなく、やっている本人も面白くありません。この話を基にして凡事徹底について考えてみました。規則正しい生活は、生活にリズムが生まれます。生活のリズムに沿って生活していると、頭を酷使することがなくなります。特に神経質者は時間的な余裕が生まれると、悲観的なことばかり考える傾向がありますので、それを防止することができます。掃除に丁寧に取り組んでいると、他の気になるところが次々に見つかります。それをメモして、自分の課題として取り上げると生きがいになります。改善点を工夫するようになると頭の回転がよくなります。掃除は体を使います。まずよく歩くようになります。階段上りはとてもよい運動になります。足の筋肉が鍛えられます。毎日丁寧に掃除をしていると、周りの人から評価されるようになります。そしてねぎらいの温かい言葉をかけてもらえるようになります。思いやりのある温かい人間関係はとても気持ちがいいものです。掃除以外で毎日取り組むことに料理、洗濯、整理整頓、身だしなみを整えることなどがあります。ペットや観葉植物の世話をすること等があります。これらにも手抜きをしないで、丁寧に取り組むことが、神経症を防止してくれることになります。キーワードとして「凡事徹底」を心がけるということになります。バナナのたたき売り
2023.05.23
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なにもやる気が起きないことは誰にも起こります。私たちの場合は、「失敗したらどうしょう」という考えに振り回されて行動することを躊躇してしまいます。最初はイヤイヤ仕方なく取り組んでいるうちに弾みがついてくるということを軽視する傾向があります。また、やり始めたとしても、途中で解決困難な問題が立ちふさがってくると、すぐに退散してしまうこともあります。森田先生は行動する時、気分に振り回されてはいけないと言われています。イヤだ、面倒だ、わずらわしい、不安だ、気が重いといった感情に振り回されてしまうことです。そういう気持ちが湧き上がってくるのは仕方ありませんが、当然なすべき行動を回避するのは考えものということになります。たとえば、富士山の強力をしているようなものは、平常は百姓などをしていて夏は強力になる。毎年初めて登るときは強力でもやはり普通の人間であるから人並みに足も痛む。翌日はなはだしいときは、便所でかがむことができないほど股やふくらはぎが痛いそうです。そこで2~3日ほど休めば回復するそうですが、それでは仕事にならない。仕方がないので痛いのを我慢して、足を引きずるようにして、しいて登山を続ける。そうすると1週間も経たずに、いつとはなしに足の痛みもなくなり、夏中ずっとその仕事を続けていくことができるそうです。(森田全集 第5巻 566ページ)どうしてもやる気が出ない時にどうすればよいのか。そのヒントを矢野惣一氏の本の中から見つけました。動物が行動を起こすときの動機付けは2つほどあります。1、苦しみから逃れたい。2、もっと気持ちよくなりたい。これを活用することで気分本位に流されることを抑制できます。たとえば、月曜日になって会社に行く気が湧いてこない時にどう対応するか。まず仮病を使って有休をとった場合のデメリットを考えてみる。しばらくはほっとするが、そのうち罪悪感が出てくる。暇な時間を持てますようになる。他の人に迷惑をかけることになる。次の日みんなエンジン全開で仕事をしているのに、自分は慣らし運転から入らなくてはいけなくなる。次に仕事に行くことのメリットを考える。仕事をすることで生活費を稼ぐことができる。身体を動かせば運動にもなるし体を鍛えることができる。晩酌のビールをおいしく飲める。孤立することなく、人と付き合う機会が持てる。自分の居場所や活躍の場が確保できる。丁寧な仕事を心がけていると人から感謝されることがある。相反する2つの気持を分析して、できるだけ正しい行動を選択するというのは如何でしょうか。
2023.05.22
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田原綾さんのお話です。先生は、何にでも興味を示されましたが、手品にも大変関心を持たれ、盛んにご自分でも研究をなさいました。近くにお祭りなどがあって、手品をやっているのを、自分で見て来て、帰って来てから私達に、「タネを見てこい」と言ってお金を下さるのです。行って来て、タネを報告しますと、「やっぱり自分の思っていた通りだった。それ見よ!」と大変な喜びようでした。ある時は、露店で手品をやっているのをそっと見ていて、「種を明かしたら、その道具を全部くれるね」と約束させ、本当に種を明かして、その道具を全部もらって、さっさと帰って来てしまいました。ちょっと常識はずれの、そのような行動をよくなさいましたので、私たちはハラハラしたり、また、恥ずかしいのでご一緒するのを・嫌がったりいたしました。(生活の発見誌 1968年(昭和43年)12月号 69ページ)私は一時森田理論学習に飽きてしまったことがあります。その頃森田先生の「鶯の綱渡り」という宴会芸の話を知り、「そうだ、みんなが喜んでくれる宴会芸を身に着けよう」と思いました。手品、チンドン屋、アルトサックス、ドジョウ掬い、高知のしば天踊り、浪曲奇術、アナウンサーの口上、腹話術、傘踊り、カラオケなどに取り組みました。今では毎日の生活の一部になり、忘れないように毎日練習に励んでいます。生活に張りや楽しみが生まれました。市には一人一芸を持っていて、ボランティアで余興を披露しているグループがあります。私たちのチンドン屋の活動はそこを通しています。私はそういう活動をしている人たちとの交流の輪が広がりました。私にとっては貴重な人間関係です。今はしつこい対人恐怖症を持ったままで、毎日楽しく愉快に過ごしています。神経症を治すために、興味や関心のあるものに取り組んでみるという方法もあるということだと思います。
2023.05.08
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今日は2009年(平成21年)10月号の生活の発見誌の記事からその一部をご紹介します。この記事を読むと、日常生活の創意工夫が無上の喜びをもたらしていることが分かります。わが家の庭には、子猫のヒタイほどの畑がある。何も手を加えないので、ひどく痩せた土地になってしまい、野菜のできが悪かった。ある時、草を取っていて「この取った草を干して畑に入れれば、肥料になるのではないか」と思い、やってみた。それまでは、袋詰めにし、ゴミとして出していた。やがて次から次へと考えが発展して、庭木の剪定した小枝も、葉っぱと枝を分別して、葉っぱは干して畑に、小枝だけはゴミ出ししていた。そのうち、小枝もよく乾燥させ燃やし、その灰が土壌改良になった。いつの間にか、庭のゴミがすべて資源になり、捨てる物がなくなった。それだけではない。妻も米のとぎ汁を花鉢や果樹、野菜にやってくれ、毎日出る生ごみも分別して、畑に埋められる物を、私に渡してくれる。貝殻、卵の殻は砕いて、野菜のクズなどはそのまま埋める。畑には、ミミズやら小さな虫たちが多く住むようになり、その排泄物も肥料になっているのであろう。野菜が良くできるようになった。おもしろいのは、埋めた生ゴミから、カボチャの種やジャガイモの皮から芽が出て、それからも収穫がある。ジャガイモは少し小ぶりだけど、収穫してすぐにふかして食べる。あてにしていた物でないだけに、特別に美味しい。今、隔週ひとり暮らし(奥さんは実家の親の介護に隔週で出かけている)をするようになって思うことは、以前から、風呂の掃除、作業着の洗濯、昼食後の食器洗い、玄関の掃除、月二回の料理をしていたので、自分では家事手伝いを、よくやっていると思っていて、大きな顔をしていたが、実に恥ずかしい限りであった。これまで家事全般を妻にまかせっきりで、よく見ていなかったが、毎日の生活は実にやることが多く、妻のありがたさが、身にしみてわかった。今はまだひとり分の、最低限の家事だけではあるが、掃除のときに気づいた、手の懸かる器具等の手入れなどを、少しずつやるようにしている。もちろん何事も全力で。
2023.05.06
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自分の持っているものを有効活用するためには定期的な棚卸作業が大切だと思う。私たちは森田で「物の性を尽くす」ことを学んでいます。そのものの存在価値を見つけて居場所や活躍の場を提供することである。この考え方を活用していくためには、定期的な棚卸作業がとても重要な意味を持っています。自分の持っているものにはどんなものがあるか。衣類、鞄、靴、携帯、書籍、電化製品、各種取扱説明書、重要保管文書類、写真、DVD、MD、カセット、通帳、財産、道具類、生活必需品、小物など様々あります。これ等を定期的に棚卸するメリット。・掃除ができる。・整理整頓できる。・こんなものを持っていたのかという宝さがしができる。・改めて活用方法を見直すことができる。・新たな居場所や活用の場を見つけられる。・不用品が処分できる。・バザーに出すと有効活用につながる。・欲しい人にあげると喜ばれる。全部を一挙にやろうとすると疲れます。範囲を決めて定期的に継続することが肝心です。1ヶ月に1つか2つの分野に取り組んでいくというのはどうでしょうか。ボツボツ始めると、弾みがついてそのうち時間を忘れてしまいます。私もこの連休は本や写真や書類の棚卸作業に取り組みたいと思っています。
2023.05.02
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人生には成功と失敗があるのではなく、成功と成長があるだけである。手掛けたことが目標通りにいかない場合、それを失敗と捉えるのか、成功への足掛かりと捉えるのかは大きな違いです。成功への足がかりと捉えると、失敗は貴重な経験であり、成功へ近づくために、失敗はつきものであり、好ましいものということになります。こういう発想ができる人の前途は明るいものになります。エジソンはいつもそういうとらえ方をしていました。エジソンは電球のフィラメントの素材に関する失敗を5000回近く積み重ねたそうです。失敗するたびに、「電球に向かない素材がまた一つ見つかった」と喜んでいたという。「成功とは縁のないやり方がまた一つ見つかった。別の素材を試してみよう」と成功に向けてさらに闘志を燃やしていったという。最後には日本の竹という素材にたどりついて成功することができた。反対に失敗と捉えると後悔と自己否定で苦しむことになります。イソップ物語に葡萄と狐の話があります。ある日狐が道端でたわわに実った葡萄を見つけた。早速飛び上がって取ろうとしたが、何回トライしても手が届かない。手にすることができないと思った狐は次のように自分を欺いた。あの葡萄はきっと酸っぱくてまずいいに違いない。もともと自分は葡萄なんか食べたいと思っていなかった。そして葡萄を獲る能力のない自分を卑下した。こんな自分を生んだ親を憎んだ。さらに発展して、葡萄を欲しがらない狐になろうと考えた。葡萄をすぐに手に入れられる超能力を得たいと空想するようになりました。この狐は葡萄を獲ることができないという自分に対して反抗的な態度になっています。このもどかしい事実を一つの失敗の経験として受け止めることができたらどうなるでしょうか。すると次の新たなステップにつながってきます。・葡萄を獲るために脚立か梯子のようなものを探す。・葡萄を叩き落す棒のようなものを探す。・仲間の智恵を借りる。・仲間の応援を要請する。自分の立てた目標に到達しないときに、それを失敗と捉えると、事態はどんどん悪化し、益々みじめになります。目標に到達するまでに、多くの失敗を積み重ねていくことは、貴重な経験の積み重ねとなり、自分の財産となります。失敗の経験のない人はとても危なくて見てられないということになります。失敗しないで成功だけを手にしたいというのはあまりにも虫がよすぎるのではないでしょうか。集談会で人生は3000回の失敗を重ねて立派な大人へと成長していくと聞きました。そういう意味では、失敗や挫折が予想されるときに、逃げ回ってしまうと、身体は大きくなっても、精神状態は子どものままで大人になってしまうことになります。
2023.04.27
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宇野千代さんの言葉です。頭で考えるだけのことは、何もしないのと同じことである。私たちは頭で考えるのではなく、手で考えるのである。手を動かすことによって、考えるのである。手を素早く動かすことが、そのまま、頭を素早く動かすことになる。どんなことをするのでも、先ず頭が、その、することを伝達する。その伝達が、間、髪を入れないほど、素早いのは、手が、頭の伝達を、神業のように素早く受け取るからである。私たちは、先ず、手を動かすのかと思うほど頭の伝達を素早く受け取る。頭の動きというものは省略されているのかと思うほど、手が、手だけが素早く動くのである。小説を書くのも、手が動くのである。どんな大傑作を書くのでも、手が動くのである。手が動かないものは何もない。私もときどき、頭の中だけで、大傑作を思いつくことがあるが、それは手が考えたのではないので、さて、書こうと思うと、何であったか、まるで思い出せない。(行動することが生きることである 宇野千代 海竜社 10ページ)私たちは不安、恐怖、違和感、不快感を持ったまま行動すると、ミスや失敗を誘発して取り返しがつかないと考えやすい。それが事実でないことは倉田百三氏が証明されています。倉田百三氏は、観照障害などの神経症で苦悩されました。その状態ではとても仕事にはならないと思っておられました。小説を書くことは神経症が治ってからにしようと思っておられました。森田先生は、神経症を持ったまま書きなさいと助言されました。倉田氏は森田先生の助言に従って仕方なく書くことにしました。その時にできた小説が「冬鶯」という作品です。あとから読んでみると非常によくできている。自分でもそれなりに納得できるし、森田先生も高く評価された。症状を持っていても、目の前の必要な日常茶飯事や仕事に手を出していくことが大事なことがよく分かります。手掛けたことが出鱈目になるというのは、思い込みや先入観や決めつけが強いだけで、事実ではないということになります。宇野千代さんの指摘されていることは、頭で考えているだけでは、次の展開は望むべくもない。行動することによって、次の展開が見えてくるということだと思います。
2023.04.03
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毎日の生活を楽しむ方法を考えてみました。1、規則正しい生活を続ける。同じ時間に同じことをするという習慣を作り上げるということです。そうすると気持ちが外向きになります。また生活にリズムが生まれてきます。30分おきにどんどん仕事の内容を変えていくようにすると相当なことができます。一日が終わって日記に書ききれないくらいの内容が出てきます。そんな単調な生活を繰り返していても何も楽しいことはないと思われる方もいらっしゃると思います。果たしてそうでしょうか。退職してエブリディサンデーと大喜びしていた人がこんなことを言っていました。退職して海釣り、ゴルフを中心に趣味三昧の生活を楽しむことにしました。3ヶ月くらいは気分が高揚して楽しかったそうです。しかしそれ以降は飽きてきたのか、急にむさしさを感じるようになりました。仕事の合間にやっていた時のほうが楽しかったというのです。2、好奇心を感じたこと。興味や関心のあることに取り組む。私はチンドン屋に属して老人ホームの慰問活動を続けてきました。よかったことはなんとかアルトサックスをふけるようになったこと。ドジョウ掬い、傘踊り、獅子舞、浪曲奇術などの一人一芸をものにできたこと。多くの慰問仲間と出会い、交際範囲が広がったこと。それと公民館活動に参加しています。男の料理教室などに参加しています。目標を持って取り組むことで、楽しい生活になります。3、家族を持つ。友人を持つ。仲間を持つ。世話をするものを持つ。私は生活の発見会活動を通じて貴重な人間関係を築いてきました。それとマンションの管理人の仕事をしていますので、いまだに仕事関係の人と交流があります。家族では昔は夫婦喧嘩をよくしていましたが、森田を学習して、妻への感謝の気持ちが持てるようになりました。それと孫がすくすくと大きくなるのを見て、とても楽しみになっています。家ではメダカを飼い、草花を育てています。実家では家庭菜園に取り組んでいます。趣味を通じての人間関係は大きく広がっています。カラオケや飲み会なども開いています。4、一人で楽しむことを見つける。本を読むこと。ブログを書くこと。you tubeプレミアムで広告なしの音楽を楽しむこと。サックスや一人一芸の練習をすること。録画したテレビ番組を見ること。一人カラオケをして録音して再生して楽しむ。ワインクラブに入っているのでワインや日本酒をたしなむこと。自分は何もしないで、他から与えられる刺激や感動を追い求めるよりも、自分で行動して小さな楽しみ、感動、喜びを数多く味わいたいという気持ちを持っていると、毎日の生活の中身が濃くなってくるように思います。
2023.03.27
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鍵山秀三郎氏のお話です。10年偉大なり、20年畏るべし、30年歴史なる。何ごともあきらめなければ、必ず報われる。(二度とない人生を生きるために PHP 39ページ)この言葉は、目標を持って挑戦している人にとって勇気が出る言葉です。鍵山氏は、掃除道を究めることで、自分磨きをされていました。掃除は難しいことではなく、誰でもやろうと思えばできることです。ただそれを愚直にていねいに継続してきただけです。東証一部の会社の社長さんが掃除、それもトイレ掃除に精魂を傾けてきたというのが好感が持てます。まさに「凡事徹底」です。この座右の銘は下村胡人の本から得たものだと言われている。生活の発見会のルーツをたどれば、下村胡人の煙仲間の社会運動にあることを考えると、実に感慨深い。10年経過したころ、同調する人、共感する人、賛同する人が現れた。20年経った頃、掃除の効用を訴えて全国を講演して回るようになった。30年経った頃、「日本を美しくする会」を発足して、全国展開するようになった。まさに掃除道を通じて歴史を作ってきた人です。アルトゥール・ショーペンハウアーは次のように言っている。①正しいことをやれば、最初は人から嘲笑される。②あえて愚直に取り組んでいると、激しい抵抗と反対を受ける。③①と②が過ぎると、そんなことは最初から分かっていたと、みんながやるようになる。(同書 42ページ)鍵山氏は掃除道に愚直に取り組んでいった人です。その道は決して平たんな道ではありませんでした。その歩みを振り返ってみると、山あり谷あり苦難の連続でした。最初は周囲の人は冷ややかに見ていた。そのうち嫌がらせを受けるようになった。社長がそんなことをしているから、我々社員は卑屈になる。掃除をする時間があるのなら、会社経営のほうに力を入れるべきである。お前は会社をつぶすつもりか。などなど。そのうち自分のことを批判していた効率重視の同業他社がつぶれていった。自分の会社はしだいにお客様から支持される会社になった。そして東証一部上場会社になった。掃除で周りがきれいに変わった。すると自分の心も変わってきた。続いて社員や取引先の人の心が変わってきた。この運動に賛同する人が次々に現れて盛り上がりを見せるようになった、凡事徹底の持つ意味を多くの人に再認識させることができた。私たちの大先輩である三重野悌次郎氏は、「雑事を無視して私たちの人生はない。雑事に丁寧に取り組むことによって、私たちの人生は活性化する」と言われていました。西川きよし氏の「大きなことはできませんが、小さなことからコツコツと」という言葉をスローガンにして、凡事徹底に取り組みたいものです。
2023.03.12
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昨日の続きです。3、人をよく見て知ろうとする教師時代、小学校5年生の担任をしていた時、算数の時間になると落ち着きがなくなる男の子がおったの。様子を見ていたら、どうも九九でつまずいていることに気付いてね。「九九が分からんのじゃね」って声を掛けたら、その子が泣きだしたん。情けない気持ちと、助かったっていう思いが入り混じったような泣き声で。その子に九九を教えると夢中で勉強するようになりました。うれしかったなあ。相手のことを知ろうとする、観察するいうのは教師時代からの癖ですかなあ。元気がないとか、少し瘦せちゃったかねとか、ちょっとした変化に気付くことは大人同士の付き合いでも大事なことじゃと思います。声掛けの内容によって相手の反応も変わる。この人、私のことをよう見てくれてるなあと思うたら、安心して自分をさらけ出してくれるようになるんです。集談会では寄り添ってくれるだけで楽になると言われたことがあります。気の利いたアドバイスはそんなに多くは必要ないのかもしれません。反対に「小さな親切、大きなお世話」になることもあります。アドバイスに力を入れるよりも、相手に寄り添い、相手の気持ちや感情、不安や問題点、欲望や欲求をよく聞いてあげる方がよほど感謝されるように思われます。4、マイナス感情 笑いに変換食べるものが「ない」とか、お金が「ない」とかの否定の言葉を使う時、語尾に「ナイチンゲール」を付けます。「お金がナイチンゲールでございます」ってな感じです。そうしたら皆さん、クスッと笑うてくれる。同じ「ない」でも笑いに変えると気持ちがええの。「ないない」ばかりじゃ気分が沈むから言いたくないんです。心の落ち込みは魔物です。落ち込みそうになったら早めに自分を助けてあげんといけんのです。ダジャレは、その場を和ます効果があることがよく分かりました。ダジャレを心がけている人は、心が外向きになっています。自身の心の悩みに関わり合うことが少ないようです。みんなに「またバカなことをいって」と言われてもあまり気にならない。それよりもみんなが喜んでくれる方がよほどやりがいがあるし楽しい。結果として他人への細やかな配慮ができる人だと思います。5、手本になる先輩を見つける知らず知らずのうちに、しゅうとめさんのまねをしている自分がおります。暇を見つけては庭や畑の草を取り、いつもきれいにしとっちゃった。毎晩、仏さんに大きな声でお経をあげるのも、しゅうとめさんから引き継いだことです。26歳でお嫁に来ました。その頃、しゅうとめさんは薪を背負って町へ売りに出よっちゃった。売ったお金で、まだ珍しかったソーセージを買うてきてくれてね。学校勤めをする私ら夫婦の弁当のおかずにって、陽気で働き者のところも、ちょっとした心遣いも、いつもやって見せてくれました。皆さんも、手本になるような先輩を探してみたらええです。まねをしながら、体に染み込ませていけたらもうけものです。私は集談会の先輩の中から「人生の師」ともいえる人に出会いました。困難な問題に直面した時、「あの人だったらどう考えて行動されるだろう」と考えるようになりました。そういう人が自分のバックについていると思えれば、思い切って行動できます。人生で師ともいうべき人に出会えた人はそれだけで十分幸せなことです。(102歳、一人暮らし 石井哲代 文藝春秋 54ページ参照)
2023.03.08
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引き続いて、102歳の元気なおばあちゃんの紹介です。広島県府中市上下町に住んでおられます。この方は20年前に夫を亡くし、子供もいなかったので一人暮らしです。でも孤独ではありません。元教師で教え子がよく訪ねてくるそうです。教え子が訪ねてくるというのは、先生冥利に尽きますね。今日は生き方が上手になる5つの心得の紹介です。1、物事は表裏一体。良いほうに考える。私の手を見てごらんなさい。手の甲はしわしわですが、ひっくり返せばつるつるです。一方向から見るだけでは分かりません。例えば受験に失敗して本命じゃない学校に行ったとしても、そこで生涯の友に出会えるかもしれんでしょう。失敗してもひっくり返して、良いほうに考えるんです。失敗にとらわれてばかりじゃ劣等感に包まれて人生が曲がってしまう。人間が小さくなってしまいます。失敗は通過点で、いくらでもやり直せる。あれは成功じゃったと思える日がきっときます。これは森田理論でいうと両面観の考え方ですね。失敗はよい経験をしたと思えば将来の糧になります。思い通りにならないからこそ、人の心の痛みに共感できるようになります。2、喜びの表現は大きく。私は、うれしいな、ありがとうという気持ちを相手に伝えようと思えば自然にオーバーアクションになります。普段、姪の直ちゃんがおかずを差し入れてくれたり、ご近所さんがお掃除を手伝ってくれたりすることも多いんです。一人暮らしの寂しさを知っているからなんでしょうかなあ。本当にありがたい。いつも「わぉわぉ」って大喜びしています。年寄りが機嫌を悪くして怒りっぽくなるのはいけんと思います。年寄りは若い人の見本にならんといけん。ああ、老いても楽しそうだなって思ってもらえるよう、にこやかに。社会のムードメーカーっていうんでしょうか。なんでもない小さなことをオーバーに喜ぶことができる人は魅力があります。小説家の宇野千代さんは、「小さな幸せのかけらはそこら中に落ちている。ただその幸せのかけらを見つけることが上手な人と下手な人がいる」と言われました。森田を学習していると、路傍の草花にも感動できるように変わりました。人間は苦しむために生まれてきたのではない。人生を楽しむために生まれてきたのだ。感謝と感動の日々を積み重ねていきたいものです。この本には、おばあちゃんの笑顔の写真ばかりです。3、人をよく見て知ろうとする。4、マイナス感情 笑いに変換。5、手本になる先輩を見つける。この3つについては、明日ご紹介します。(102歳、ひとり暮らし 石井哲代 文藝春秋 52ページ)
2023.03.07
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今日から3回にわたり、102歳の石井哲代さんの健康法を紹介したい。元教師で、現在は田舎で一人暮らしをされています。中国新聞社が生活ぶりを紹介して地元ではすっかり有名人になりました。健康で長生きするために心掛けておられることは次の通りです。1、朝起きたら布団の上げ下ろし。わざわざジムに行かなくても運動できます。2、いりこの味噌汁を飲む。うちにある動物性食品です。3、なんでもおいしくいただく。ご飯の量は1回2膳が基本。一人の食卓でも「いただきます」「ごちそうさま」は欠かしません。4、お天気の日はせっせと草取り。雑草で荒れると家や畑がかわいそうな気がします。5、生ごみは土に還す。みかんの皮や野菜くずを肥料袋にためて堆肥を作ります。6、こつこつ脳トレに励む。7、良英さんと会話をする。20年前に見送った夫の良英さんの写真を枕元に置いています。8、柔軟体操をする。思いついた時に柔軟体操をします。体のあちこちを延ばすと気持ちがええです。(「102歳 一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方」 石井哲代 文藝春秋)次の言葉は石井哲代さんの信条です。できなくなったことは追わずに、くよくよしない。できることをいとおしんで、自分を褒めて、まだまだやれると自信に変える。この本にはよく作って食べている料理のレシピが紹介されていました。凡事徹底の生活が、心身の健康に役立っているようです。毎日感謝の気持ちを持って、笑顔いっぱいで暮らしておられるのが、長生きの秘訣のように感じました。ぜひとも見習いたいものです。この本は知り合いの2名の方からの推薦図書でした。
2023.03.06
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鍵山秀三郎氏のお話です。普通のことでもどんどん極めていくと、あるところから普通ではなくなる時点があります。これは、スポーツでも言えることで、実はプロ選手がやっていることも全部普通のことなのです。アマチュアとプロの違いは、アマチュアは普通のことを普通のままやっているだけですが、プロは普通のことを極めていって、ある時点から普通ではなくなるのです。それともう一つの差は、アマチュアの中には普通のことを普通ではなくなるところまで極める人もいますが、それはごく限られた1つか2つなのです。ところがプロは、その極めたものをいくつも持っているのです。それがいざとなったときに、瞬時にして組み合わさって、大変な力になって出てくるのです。(大きな努力で小さな成果を 鍵山秀三郎 育鵬社 24ページ)この話を基にして森田理論の活用・応用について考えてみたいと思います。森田理論がある程度理解できると、それらを生活や仕事のなかにいかに活用していくかという段階に入ります。森田理論学習と行動実践は車の両輪と言われます。車輪が同じ大きさで回転しないと前進しないで空回りします。活用と応用については人によってさまざまだと思います。思いつくままにあげてみましょう。・凡事徹底、平凡道を非凡に歩む。雑事、雑仕事を大切にする。・生活のリズムを大切にする。規則正しい生活を心がける。・取り組むときは一心不乱に取り組むようにする。森田では、ものそのものになりきるといいます。・不安、恐怖、違和感、不快感を抱えたまま、必要なことに手を出していく。すっきりしなくても、見切り発車することです。その際、気分に振り回されないように十分気を付ける。・目標や課題、夢や希望を持って生活をする。生の欲望の発揮のことです。・不安と欲望のバランスを意識する。神経症的な不安は欲望の裏返しとしてとらえる。生の欲望の発揮に際しては、不安を活用して、欲望が暴走しないように心がける。・物事を見るときは両面観を活用する。一面的な見方で行動すると、後悔することが多くなると心得る。早合点、先入観、思い込み、決めつけには特に注意する。・物の性を尽くす、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くす。あらゆるものに居場所や活躍の場を与えてとことん生き尽くしてもらうように心がける。・直観、第一の感情、初一念を大事にする。潜在意識、本音、素直な感情、意思、行動、欲求、希望、生き方などのことです。森田でいう「純な心」の活用を身につける。・「かくあるべし」を自分にも他人にも自然にも押し付けない。事実を受け入れて、そこに足場を築くことを第一優先順位とする。理性、観念、知識などは補助的に使うようにする。第2優先順位という位置づけを忘れないようにする。・対人関係では相手の話をよく聞くようにする。信頼関係がないときは、安易に他人を非難、否定しないように心がける。人間関係には、森田でいう不即不離を応用していく。人間関係は必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心がける。これ以外にもあるかもしれません。適宜付け加えてください。そして、これらから、1つだけを実践課題として選択する。それをものにできるまで真剣に取り組んでいく。習慣化できたら、もうひとつを選び同じように深耕していく。それくらいにした方がよいと思います。すべてのことに取り組むと、多くのエネルギーが必要になります。森田理論はそこまでしなくても身につけることができます。富士登山は吉田口、御殿場口、富士宮口、砂走ルートがあるそうですが、どこから登っても最後は同じ頂に到着します。森田理論を活用・応用して、人生観を確立する場合も同じことが言えます。切り口が違っても、いずれの道でも森田の達人の域に到達できるはずです。自己信頼感、自己肯定感を身につけると、その後の人生は楽しくなります。
2023.03.02
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宇野千代さんのお話です。ものを書こうとするときには、誰でも机の前に坐る。書こうと思うときだけに坐るのではなく、書こうと思っていないときにでも坐る。この机の前に坐ると言うことが、小説を書くことの基本です。毎日、または一日の中に幾度でも、ちょっとでも暇のあるときに坐るというのではなく、毎日坐るのである。坐る、と言う姿勢が、あなたを規制します。不思議なことですが、ほんとうです。あなたは坐ったら、何をしますか。どうしても、何か書くしかないでしょう。この、毎日坐るということが、小説を書くことの基本です。何を書くかは、あなたが決定します。しかし、間違っても、巧いことを書いてやろう、とか、人の度肝を抜くようなことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、いま、机の前に坐っている瞬間に、あなたの眼に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです。「雨が降っていた」、「私は腹を立てていた」、「また、隣の娘が泣いている」と言う風に、一字一句正確に、できるだけ単純に書くのです。あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません。素直に、単純に、そのままを書くと言うことが、第一段階の練習であり、やがて、大きなものが書ける基本です。(行動することが生きることである 宇野千代 海竜社 203ページ)宇野千代さんほどの小説家でも、仕事をする気にならないことはたびたびあったようです。そのとき気分に振り回されてはいけないと言われています。イヤな気分を持ったまま、机の前に坐る。これは森田でいうと、形から入るということです。「外相ととのえば、内相自ずから整う」ということです。その後は、巧い文章を書こうとしないで、見た通りの事実を書いていく。時間の経過とともに弾みがついてくることがあると言われています。イヤイヤ仕方なしの行動でも、行動しているうちに感情が動き出して、突然小説のテーマが浮かんでくる。さらに主題が明確になる。倉田百三氏は強迫神経症になり、小説が書けなくなりました。小説は強迫神経症が治ってから書けばよいと思っておられました。森田先生のアドバイスは、いくら強迫神経症で苦しくても、決して仕事を止めてはいけない。イヤイヤ仕方なく、ゆっくりでもよいから仕事を続けなさいと言われました。そんな状態で書いた「冬鶯」という小説は、後から読み返してもよい作品に仕上がっていたといわれています。この話は、不安、恐怖、違和感、不快感を持ったままでも、他人から評価されるような仕事をすることは十分可能だということです。
2023.02.13
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村上和雄氏のお話です。人と話をしていると、あれこれできない理由をいいだす人がいます。できない理由を探す人には、2つの特徴があります。ひとつは、余分な知識がある人です。余分なことを知っているから、これはできないとハナから決め込んでしまいます。もうひとつは、自分の中に限界を設けてしまう人です。自分には才能がない、成功する可能性がないと限界を設けてしまって、チャレンジすることをやめてしまいます。「できない」を「できる」にするためには、誰にでも未知の可能性が秘められているということを信じることです。その遺伝子のスイッチをオンにすることができれば、誰もが自分なりのゴールに近づくことができるのです。できない理由を考えるよりも、どうすればできるかを考えるようにしましょう。(望みはかなう きっとよくなる 村上和雄 海竜社 112ページ)できないという先入観や思い込みの強い人、できるはずがないと最初から決めつけている人は、行動することを躊躇します。また、たとえ目標や夢を持ったとしても、壁や問題点にぶつかると、すぐに断念してしまう人も同じようなものです。村上先生は、こういう人は、目標に近づくための新しい手法や方法を探ることが大事になると言われています。どういうことでしょうか。今日はこの問題を取り上げてみたいと思います。研究者の世界では、新しい実験手法が出てくることが、それまでできないと思っていたことを打開する一つの有力な手段になります。最近のノーベル賞の傾向は、新しい手段の開発に貢献した人に与えられるケースが少なくありません。それによってこれまで無理だと思われていた研究が大きくジャンプするからです。人間は課題や目標を持って生活することが大切だといわれます。意欲が生まれなければ目標に挑戦しようという気持ちにはなりません。しかし、それだけではどうも心もとない。手段や方法を開発していくことが、目の前の壁を乗り越えたり、弾みをつけて前進することになると言われているのです。早速森田理論に照らし合わせて考えてみましょう森田理論のなかに両面観という考え方があります。壁にぶつかって動きが取れなくなったとき、両面観や多面観を活用すると打開策が見つかることがあります。村上先生の考え方は、森田でいう両面観のことではないでしょうか。次のように、視点を変えることができれば問題解決のヒントにつながります。・自分一人で無理なら、他人の智恵と力を借りる。・専門家の意見を聞く必要があるなら専門家に依頼する。・時期が悪ければ、適当な時がくるまでじっと待つ。・資金が足りなければ、先に資金を作る。・やり方が悪ければ、やり方を変えてみる。・今とは逆の立場に位置を移動してみる。また、視点を変える方法には、鳥の目で見る、虫の目で見る、魚の目で見る、コウモリの目で見る方法があります。鳥の目・・・地上から空に舞い上がり全体を見るようにする。虫の目・・・今一度問題点を掘り下げて考えてみる。魚の目・・・周りの状況や流れを分析してみる。コウモリの目・・・順序や上下ひっくり返して違う角度から見てみる。ダメだ、もう無理だ、限界だとすぐにあきらめてしまうのはもったいないと思います。そんな時こそ、神経質性格の執着性を活かしていくべきだと思います。そして両面観を活用して、ゼロベースで改めて見直してみると、案外意外なところから打開策が見つかることがあるのではないでしょうか。
2023.02.02
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ハーバード大学のエリオット総長は、「成功への習慣」と題した講演のなかで、次のような話をされている。『小学校で、いわゆる「落ちこぼれ児童」が出るのは、初期の段階で生徒がこなせる量の課題を与えないからです。つまり「成功の感触」を掴むチャンスを与えなかったからです。学校生活の初期に成功を経験しなかった生徒は、「成功の習慣」を身につけるチャンスが与えられなかったことになるのです』小学校の低学年のときに、生徒が成功を体験できるように学科・科目の内容を調整するのは、先生の重要な役目です。それは、生徒が容易にこなせるもので、興味をおこさせるもののほうが効果的です。「こうして得た小さな成功が、『成功感』を与え、それはその生徒の人生における良き伴侶となります」ちょっとしたことに成功すると、大きな仕事にも「成功感」をもち越せます。その意味では、まず小さな目標をたててそれを達成したら、次にもう少し大きな目標をたてて・・・、といった具合に段階的に目標を大きくして、それを達成する方法は、上手なやり方と言えましょう。「失敗は成功の母」と言いますが、「成功は成功の母」「一事なれば万事なる」とも言えます。(自分を動かす マクスウェル・マルツ 知道出版 204ページ)小さな成功体験を積み重ねると、一回り大きな人間になれます。自己信頼感、自己信頼感が持てるようになります。何事にも意欲的で、積極的な行動ができるようになります。小さな成功体験は子どものうちからより多く蓄積していくことが大切です。親は子どもが好奇心や興味や関心を示したものは可能な限り応援してやりたいものです。また家事なども社会体験の一環として、取り組ませることが有効です。人間関係は子どものうちから様々な人と触れ合う経験が大切です。可能な限り自然と触れ合うことも大切です。神経質性格者の場合は、雑多な社会体験が不足していると言われます。小さな成功体験が不足したままで大人になってしまったのです。何をするにも自信が持てない。自己肯定感が持てない。ひとつのミスや失敗が、すぐに自分の一生を左右してしまうかのような大きな問題に膨れ上がってしまう。成功体験が不足している人は、これからどんどん蓄積していくことをお勧めします。森田では、雑事や雑仕事、日常茶飯事に丁寧に取り組むことをお勧めしています。凡事徹底に取り組むことで、成功体験を積み重ねることができます。それが積み重なると自己信頼感、自己肯定感が持てるようになります。凡事徹底はやる気になれば誰でもできます。それを習慣として定着させて、継続していくことが大切です。とにかく成功体験の数を増やすことを心がけることです。小さな喜びや感動を数多く味わってください。集談会に参加している人は、世話活動に取り組むのが有効です。世話活動というのは星の数ほどあります。世話活動に、真摯に取り組むことで、成功体験はどんどん増えてきます。私はここで自信をつけて、仕事に応用して成功した経験を持っています。集談会ではミスや失敗があっても大目に見てもらえます。ここでの経験が、社会に出たときに大いに役立つことになります。
2023.02.01
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坂村真民氏の詩です。鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが何もそんなことばに耳を借す必要はないせっせと磨くのだ刀は光らないかも知れないが磨く本人が変わってくる(坂村真民 詩集「自分の道をまっすぐゆこう」 PHP研究所 「鈍刀を磨く」より一部抜粋)この詩は日常生活の中で小さなことに手を抜かないで、ていねいに取り組むように心がけていると、人間として器の大きな人間になれるということだと思います。神経質者は小さなことが気になりますが、それはよくないことだと思っている。発揚性気質の人のように、細かいことが気にならない人にあこがれています。自分の性格のよい点を軽視して、ないものねだりをしているのです。自分の性格を磨くことに力を入れた方がよほど意味があります。普通は雑事や雑仕事などはできるだけ手を抜いて、自分の得になることや他人から称賛を浴びるような大きなことに取り組みたいと考えている。あるいは何もしないで、ひたすら快楽を追い求める生活に甘んじている。水谷啓二先生は、「我々は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。平凡に徹し、それを継続することで評価されるタイプの人間である。平凡を20年30年と積み重ねた人は、極めてまれな非凡の人となれる」と言われています。神経質性格者は、このような生き方をめざしていくべきだと思います。陸上競技でいえば、短距離よりもマラソン競技の方に向いています。マラソンは地道な競技ですが、42.195キロを完走する人は大きく評価されます。集談会でルーティン生活を大切にしておられる方に出会いました。日々の日常生活の中で、小さなことでささやかな楽しみや感動を数多く味わっているといわれるのです。たとえば・おいしくビールを飲むコツをみつけた・魚のあら炊きをおいしく仕上げる方法・一人カラオケを楽しむ方法・父親の残した盆栽を楽しむ工夫・毎朝近くを散策する楽しみ・路傍に咲く花を心ゆくまで楽しむ方法・市営プールでの水泳の楽しみ方・テレビでの大相撲の楽しみ方・庭の雑草退治や剪定を面白くする工夫・夫婦の人間関係を改善する会話・生活の発見誌を隅々まで読む楽しみ・自家用野菜の世話をする楽しみ・野菜畑の土つくりについて・市の映像ライブラリーの活用方法その他にもいろいろと教えてもらいました。その方の信条としては、お金のかかることは安易に手を出さない。新しいものはすぐに手を出さない。みんなに行き渡ったころに必要と判断したら初めて買う。今あるものを修理し、工夫してできるだけ長く使うことに喜びを見つけている。だから老後の貯えなどはそんなに必要ないと言われる。森田理論を生活の中で活用することに生きがいを見出しておられる。その中でも「物の性を尽くす」「ものそのものになりきる」ことにかけては、他の追随を許さないという雰囲気がある。この方の話は体験に裏打ちされているのでとても参考になりました。いつも参加者の話をよく聴いて、自分の経験をもとにして話しされました。現在は体調を崩されて集談会には参加されていませんが、いまだに大きな存在感を示しておられます。私は仕事や人間関係で困ったことが起きたときは、「こういう場合、あの方はどう考えて行動されるだろう」と考えるようにしています。こういう方に集談会でお会いできたことは私の一生の宝物です。
2023.01.26
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鍵山秀三郎氏のお話です。警察官のAさんは、正義感の強い方で、正しいことは正しいと言い続ける人です。法で定められたことを、曲げずに主張するものですから、周りの方と摩擦が起きていたのです。同僚からも「そんなに堅苦しくやらずに、もう少し柔らかくなれ」と言われていたそうです。私と出会った頃もずいぶんと悩んでおられ、警察を辞めようかと思われていた時期でした。当時は帯広の駐在所の勤務でしたが、不法駐車を巡って住民との間でトラブルになっていたのでした。厳格な取り締まりのために、住民から不満が噴出していたのです。Aさんは私にそのような悩みを打ち明けられたので、私は言いました。「毎朝、奥さんと一緒に近隣の掃除をしなさい」と。それからAさんは奥さんと二人で掃除を始め、40日くらい続いた頃に、住民の駐車違反がなくなったそうです。住民との関係が、掃除をきっかけに良好になったのです。その後Aさんは帯広から札幌に転勤になり、留置場勤務となりました。留置場は真ん中に通路があり、両側に未決囚が入れられているそうです。私はAさんに、「朝就業時間前に通路を掃き、雑巾がけをし、囚人の顔を見て声を掛け、おはようございますと挨拶をするように」と言いました。それを毎朝続けていたら、囚人が隠し持っているものをみんなAさんに出すようになったそうです。(大きな努力で小さな成果を 鍵山秀三郎 育鵬社 183ページ)この話は、毎日掃除に真剣に取り組むと、自分の心も同時に浄化されるようになるということだと思います。そして、自分の心が浄化されると、それを見ていた周囲の人の心や考え方や行動によい影響を及ぼしていくことではないでしょうか。不思議なことがあるものです。本当のことかと疑心暗鬼になります。今日はその現象に焦点を当ててみたいと思います。このケースでは、掃除をする責任のない人が掃除をされました。もちろん報酬を伴わないボランティアです。それを毎日のルーティンワークとして継続されました。その結果、公道や留置場がきれいになりました。と同時に、目には見えませんが、Aさんの心のなかもきれいに掃除されたのでしょう。それを見ていた人は、最初はあの人は何をしているのだと不審に思われたのでないでしょうか。悪く考えると、何か魂胆があるのではないか。あるいは、これ見よがしにあてつけがましいことをしているのではないか。しかし40日も続けていたら、そんな気持ちが薄らいできました。これは、掃除に取り組むことで、周りの人の心もいっしょに浄化されたということではないでしょうか。周りの人の心も気づかないうちにすっきりときれいに掃除されていたのです。周りの人の心の中の汚れなどが取れてきたのです。泥水の泥が底に沈殿して、上水がきれいに澄んできたような感じです。汚かった水が魚の住める水に変わってきたようなものです。心が澄んでくると、ねぎらいの言葉をかける人が出てきました。しだいに共感者や賛同する人が生まれてきました。その流れはしだいに大きなうねりとなり、渦を巻くように広がっていきました。毎日きちんと掃除している人は、心の中もきれいに浄化されます。掃除をほとんどしていない。どうにもならなくなって初めて掃除をするという人の場合は、心のなかは少々荒れ気味ということかもしれません。心の中は目には見えませんが、自分では気づかないうちに、他人に対する心ない言動として噴出するようになるかもしれません。さらに心の中が荒れている人は、やることなすことが裏目に出るようになります。人間関係もうまくいかない。仕事もうまくいかない。子育てもうまくいかない。そのうち投げやりになって、人生に愛想をつかすことにもなるかもしれません。隅々まで掃除されている場所やきちんと掃除や整理整頓を心がけている人の側に行くと、何か自分にも良いことが起きそうな気になります。その人のオーラを受けて感化されるようになるのです。あえて汚してやろうとか、悪さをしてやろうとは考えなくなります。自分を気持ちよくしてくれたことに感激・感動するようになります。できればお役に立つことがあれば協力してもよいと考えるようになります。掃除による心の浄化作業は、しだいに周りの人に波及してくるということです。その結果、よくないことや迷惑行為をする人が少なってきます。住環境も人間関係もともに改善されます。そして思いやりのある住みやすい社会に生まれ変わります。凡事徹底の取り組みの一つとして、掃除に取り組むことをお勧めします。
2023.01.23
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和暦は昭和、平成、令和と変わりましたが、果たして西暦でいうと何年になるのか戸惑われたことはありませんか。誕生日、中古車、入社日などを和暦表示されると、経過年数がピンときませんね。この問題を解決するためには、和暦と西暦対比表を作り、手帳やスマホに挟んでおくと便利です。和暦は3つも変わりましたので、西暦の方が計算しやすいです。ごまかそうと思えば、和暦を使う手もありますが・・・。こういう問題は疑問に思った時点ですぐにメモしておくことが大事になります。そのためには小さなメモ帳を持ち歩くことが必要になります。あるいはスマホの「メモ帳」やスケジュール帳も役に立ちます。そうしないとすぐに忘れて、思い出せないことが多くなります。こうした気づきのストックをいかに多く持っているかが大事になります。細かいことが気になるという神経質性格を活かすためには、心して取り組むことをお勧めいたします。これに関係して、平成3年(1991年)4月号の「生活の発見」誌に、次のような趣旨の投稿記事があります。誰でもやればいいなと思うことは日常いくらでも思いつきます。思うだけの人は能力があるとは言えない。その宝物はすぐに忘却の彼方へと消えてしまいます。それは思いつかなかった人と同じ結果になります。つまり神経質の素晴らしい性格を活かすことができなくなります。頭の中にひらめいたことを、きちんとキャッチできる能力は、本人が意識している以上に素晴らしい能力です。このメモが宝の山に替わる可能性があるからです。私は早速対比表を作りました。その一部を紹介します。昭和20年 1945年昭和25年 1950年昭和30年 1955年昭和35年 1960年昭和40年 1965年昭和45年 1970年昭和50年 1975年昭和55年 1980年昭和60年 1985年昭和64年/平成元年 1989年平成5年 1993年平成10年 1998年平成15年 2003年平成20年 2008年平成25年 2013年平成30年 2018年平成31年/令和元年 2019年令和2年 2020年令和3年 2021年令和4年 2022年令和5年 2023年ちなみに私の勤めている会社は、すべて西暦表示に変更になりました。バブルがはじけたのが1990年(平成2年)、生活の発見会の会員数が一番多かったのが1993年(平成5年)でした。
2023.01.20
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四書五経の中の一つ「易経」の中に次のような教えがあります。「小人は小善をもって益なしとして為さざるなり。小悪をもって傷(そこな)うことなしとして去らざるなり」この言葉は次のように理解できます。小人、つまり普通の人は、たいした効果がないこと、自分の利益に結びつかないこと、他人から評価されないことはなかなか手を出さないということです。たとえば、お金にならないことや人がほめてくれないことは進んでしない。たとえば、ボランティアの仕事などです。空き缶を拾うとか、家の前の公道の掃除をするようなことです。汚い、臭い、きついと言われる3Kの仕事などもそうです。一方、他人から非難されないことや、大きな損害がでないと判断すれば、本当はやらない方がよいと思っても平気で手を出してしまう。たとえば、タバコを吸われる方がタバコを吸って吸殻をポイと捨てる。あるいは空き缶を国道の植木の中に捨てる。テレビや冷蔵庫やクーラーを山の中に捨てにいく。確かにこれらをしたからといって、急に人生が暗くなるわけではありません。あるいは酒が好きな人が、日本酒は1合まで、ビールは中瓶1本までと決めていても、欲望に負けてつい深酒をしてしまう。たまには日頃のストレスを発散するのもいいものだ。これくらいなら許容範囲だとつい自分に甘くなってしまう。これらは特に問題がないようにも見えますが果たしてそうでしょうか。森田の「凡事徹底」の考え方から見ると違和感があります。これを逆にするとどうなるでしょうか。つまり小さなことでやればいいなと思ったことは積極的に手を出していく。逆に、やらないほうがいいなと思うことは、我慢して抑制する。やるべきことは日常生活の中でいくらでもいくらでも見つかります。すぐにできることは早めに手を出す。今すぐに出来ないことはメモして、時間のあるときに取り組む。これだけを心がけるだけで、生活はすぐに活性化してきます。できれば、人の役に立つことを見つけて行動に移す。そういう心がけで生活している人は、自分の所有物や周りの人を大切に取り扱うようになります。そして居場所や活躍の場をあたえようとします。所有物や周りの人との関係がすこぶる良好になります。それは自他ともに幸せな生き方となります。やらない方がよいことはどんなことがあるでしょうか。まず自分の身体を痛めつけるようなことは避けたいものです。人間の寿命は125歳といわれていますから、精神的ストレスや食べ物によるストレスを避けて、脳と身体に適度の刺激を与えれば長生きができると思います。人間関係ですが、他人を非難しないようにしたいものです。他人を否定しない。グチや不平不満を口にしないようにする。相手の「いいとこさがし」を心がける。相手に「ありがとう」と感謝の気持ちを積極的に伝える。相手への「お役立ちさがし」を見つけて実行する。これらを心がけて、日々実践すれば、人間関係で苦しむことは少なくなると思います。
2023.01.16
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イエローハットの創業者の鍵山秀三郎氏のお話です。私が商人人生において、経営者として重視してきたことは、とにかく手抜きをしないことです。手抜きをしたら、そこからどんどんほころびが出てきて、最後は取り返しがつかなくなります。私は今、これから何かを成そうと思っている人にすすめたいのは、「手をかけること」です。手を抜くのではなく、逆に「ここまでやるのか」というぐらいに、手をかける。手抜きには限界があるけれど、手をかけることには限界がありません。これでもか、これでもかと手をかけていく道は、どんどん先が広がる楽しい道です。手抜きは、先が行き止まりになる道です。手抜きで行き止まるから、今度はだますということで道を広げるけれど、また行き止まるのです。展示してあるものは、どうしてもホコリをかぶります。ホコリをかぶったままにしておくのではなく、順番におろしてホコリを払って戻すと、同じものなのですが光り輝いて見えるのです。人間の手は、そういう不思議なものを持っています。その不思議な力を持っている人間の手を省くから、全体が死んでしまうのです。そうすると、しまいには安さだけしか残りません。安さを追求するということは「私は何もしませんから、ただ安くしますよ」と言っているのと同じです。(大きな努力で小さな成果を 鍵山秀三郎 育鵬社 20ページ)この話を参考にして私の体験を振り返ってみました。私はマンションの管理人をしています。仕事の半分は掃除です。掃除というのは、目視でまだ汚れてないし許容範囲だなと思うと、ルーティンワークの掃除でも飛ばしてしまうことがあります。今日やらなくても明日やれば同じことだという気持ちになるのです。このような気持ちに振り回されると、凡事徹底というスローガンは絵に描いた餅になります。それが1日延ばしになり、2日延ばしになります。埃というのは、箒で履いたり、雑巾がけをして初めて気が付くものです。許容範囲だと思って掃除をさぼっていると、しだいに埃がたまってしまいます。そのうち気付けばよいのですが、慣れれば無頓着になります。たかが掃除、されど掃除だと思います。平凡なことを毎日手を抜かないで丁寧にこなすという目標を無視するようになると、小さなことが気になるという神経質性格は活かすことができなくなります。外に向かわなくなった神経質性格は内向きになって、自己嫌悪、自己否定するようになります。外に向かえば神経質性格は大いに育みがいがありますが、内に向かうと手に負えない代物に変化してくるのです。運が悪いと、居住者が先に埃を見つけることになります。親切な人は教えてくれますが、意地の悪い人は他の居住者と噂話をするようになります。マンションの中でしだいに管理人への悪評が広がってきます。受付、点検、立ち合い、連絡報告、金銭管理、鍵の管理の仕事も手抜きをしているのでないかと思われるようになります。あの管理人は、見張りをつけていないととんでもないことをするかもしれない。毎月の理事会で、管理人の悪評が出てくるようになります。その噂は管理会社にも伝わり、出来の悪い管理人として判定されてしまうのです。退職勧奨の対象者になるのです。掃除は1週間単位で、毎日取り組むべき仕事は決まっています。汚れていようがいまいが、ルーティンワークとして、心をこめて、ていねいに取り組むことが大切だと思います。そうしないと、心がそこから離れてしまうのです。いったん離れた心は元に戻すことはとても難しくなります。そのような仕事ぶりでは、問題の発見や工夫は思いつかなくなります。気づきや発見がないと、掃除が面白くなりません。仕事は辛いばかりということになります。頭の片隅には、もうそろそろしないとやばいかもと思っても、手と足がついていかなくなるのです。「まあ、いいか」と思えば、凡事徹底はスローガンだけになってしまいます。反対に心を込めて、共用トイレなどをピカピカに磨きあげると驚かれます。あるいはグレーチングを外して、中にたまった落ち葉を綺麗に片づけている。各階解放廊下のドレンを外して、ワタ埃や髪の毛を綺麗に取り除いている。各階解放廊下の塩ビシートの水モップ掛けをしてくれている。鳥の糞を見つけたらすぐに取り除いてくれる。夏にクモが発生したらすぐに駆除してくれる。居住者にとっては想定外の掃除をしていると、驚きや感動があるのだと思います。真剣に取り組んでいると、掃除に関する相談が寄せられるようになります。しだいに人間関係がよくなり、いろいろと気を遣ってもらえるようになります。仕事は相手に感謝・感動を与えるくらいな気持ちで取り組みたいものです。常に何か相手に役に立つことはないかを探している。そういうのはよい評判として拡散されますので、益々仕事が楽しくなるのです。するともっと居住者に感動を与えたいと奮闘するようになります。凡事徹底とは具体的にはこのようなことを言うのではないでしょうか。
2023.01.15
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長野市千曲川のほとりにある円福寺の和尚さんが作られた詩があります。「はきものをそろえる」はきものをそろえると 心もそろう心がそろうと はきものもそろうぬぐときにそろえておくとはくときに心がみだれないだれかがみだしておいたらだまってそろえておいてあげようそうすればきっと世界中の人の心もそろうでしょう(はきものをそろえる 清水克衛 総合法令出版 93ページ)はきものをきちんとそろえるというのは、そんなに重要なことなのでしょうか。今日ははきものをそろえることと心の関係を考えてみました。靴を揃える、部屋や風呂の掃除をする、洗濯をする、整理整頓をする、後片付けをする、洗車をする、料理をつくる、加工食品をつくる、ペットの世話をする、身支度をする。私たちの生活は、このようなルーティンワーク、雑仕事の連続です。雑事をおいて私たちの生活はないといわれますが、まさにその通りです。森田では毎日心を込めて丁寧に取り組むことをお勧めしています。本当はやりたいことではない。めんどうだがしかたない。つまらないことに時間がとられるのが口惜しい。どうにもならなくなくってやっと重い腰を上げる。その結果、どうしても粗雑になってしまう。気がつくと、家中に物が散らかっていて、埃だらけになっている。それに慣れているので、別に気にはならない。つまり感覚が麻痺してしまっているのです。そのような態度が心にどんな影響をもたらすのか。ルーティンワークが崩れてしまうと、規則正しい生活が乱れてきます。基本的には、手抜きをするようになります。そして目先楽しいことを追い求める生活になります。するといつの間にか心が浮ついてきます。落ち着きがなくなります。そして小さなことから心が離れていくようになります。現実から離れて、空虚で憂うつな気持ちになっていきます。自分では気がつきませんが、傍から見ている人にはよく分かります。やったらよいかも知れないが、そんな小さなことに関わり合いたくない。自分はそんな小さなことをするために生まれてきたのではない。もっと意味のあることやクリエイティブなことをしたい。でもそんなものになかなか出会えないというジレンマを抱えている。小さなことを無視していると、小さなことに愛着が持てなくなります。目の前のものや他人を粗雑にとり扱うようになります。まるでゴミや廃棄物のように取り扱うようになります。そういう人は、周りのものと対立することが多くなります。小さなことに感動・感謝することがなくなります。日常生活の中で小さな幸せのかけらは見つけることができなくなります。小さな喜びでは満足できなくなり、欲望は益々エスカレートしていきます。それを求めてお金やエネルギーや時間を投入して飛び回るようになります。それでも心の中の不安はなかなか払しょくすることはできません。大きな喜びが見つからないと、手持ち無沙汰になって、心が外向きにならない。心が一転して内向きになってくるという問題も発生します。自己内省力が強まってくる。自己否定や他人否定を繰り返すようになります。その息苦しさから逃れるために、短絡的、享楽的、本能的な欲望で穴埋めするようなことを考えるようになります。森田では「外相を整えれば、内相自ずから整う」といいます。この言葉は、日常生活に丁寧に取り組んでいると、小さな楽しみがいくつも見つかり、小さなことを大きく喜ぶことができるようになる。さらに小さなことで、すぐに感動の涙を流すことが増えてくる。心が浮つかなくなり、落ち着きを取り戻してくるということだと思います。心が豊かで満ち足りてくるようになる。安心感と安定感が生まれてくる。そして毎日の生活を楽しむことができるようになります。砂を噛むような人生を歩んでいる人との差はどんどん広がるばかりになります。この言葉を理解したら、ぜひ自分の生活の中に取り入れてみてください。
2023.01.14
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