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いやはや、なんだか、今日は、疲れました。こんな日は、寝るのが一番。身体中の体液が、一瞬のうちに蒸発して、気がついたら、にごった透明の細胞膜がつながっただけの乾燥した皮膚だけになって、埃混じりの乾いた空気に揺らいでいるみたいだ。こんな夜は、ぬるいお風呂に浸かって、細胞膜が再生して、再び浸透圧によってニセモノの体液が充満するか、あるいは、死んでしまった皮膚がぶよぶよとふやけるのを100数えながら、確かめよう。睡眠薬を飲んで、あちらの国に行って、ふたたび、魂のかけらをよみがえったからだに取り込んでこよう。明日からまた、その魂を育てるのだ。ゆっくり、ゆっくり。
2004.09.30
大学時代からの友人とひょんなことから、メールでの着物談義がとまらない。お茶会のために用意した着物から入った私は、色無地、京染め、などのはんなり、たれもの系。お仕事にもお着物で行ってしまう(かっこいいっ!)彼女は、しゃっきり、紬系なのだ。紬は、母親から譲り受けた大島とまだ着てない(忘れてた)縞の一枚だけ。結城の蚊絣とか、山形あたりの紅花で染めた紬が欲しいよぉ。とはいえ、やはり、買うときは勇気のいるものなので、今日もお着物の本を買って来ては、眺めて、ため息なのだぁ。まもなく、先生のところでの「萩の茶会」によさそうな、萩がこぼれるクリーム色の帯も欲しいけどちょっと、我慢。次は、きっと、彼女とのお着物デートにも着ていけそうな、紬を探したい。
2004.09.29
10月にはいるとテスト。ほとんどが小学生、幼稚園のときから私のところに来てくれているので、いわゆる「英語の耳」は、優秀。ところが、吉と出るか、凶と出るか、聞き取れる、読める、憶えられるので、つい、「書く」ことを忘れている子が・・・。これが大問題。なんたって、中学校のテストそのものは、やはり、書いてなんぼ、あくまで「減点法」。最近は、5年生から「書く」ことにも力を入れることにした。実力を「書いて」証明しなければ・・・と自覚させなければならない。AETが添削してるワークブックは、What's this ? の答えの書き出し部分、It's .... を This is ....としていても○がつけられているけれどテストの解答は、日本人の先生がチェックした場合、○をもらえるとは思えない。おいおい、しっかりしてくれよ。ひとやま、ひとやま、ともかく、越えるしかないんだけどわかっているのかなぁ。がんばれ、中学生!
2004.09.28
このblogを始めたとき、「思考が感情をつくる」ゆえに、自分の思考を目に見えるように、感情を外側から眺められるように、文章化したいと思ったのだ。「鬱になって痩せた。」のは事実だが、それは、「鬱によって、食欲が減退し、摂取カロリーが基礎代謝量を下まわったために痩せた。」ということを「科学的事実」と意識したいのだった。鬱が薬で治るわけでは、もちろん、ない。治りたいがゆえに、あらゆるアプローチを試みる。その試み、努力、日々の歩みによって、なにより、こんな私のそばに寄り添っていてくれた人々によって、自分のいる場所を取り戻すことができる。それでも、なにもかも信じられない、暗闇の底に息を潜めてじっとしているしかできないとき、辛い副作用に耐えても薬を飲み続けられたのは、出かけるのさえ辛いのに、泣きながらでも通院し続けられたのは、「鬱である。」ことが、「なんらかの原因によって、脳内の神経神経伝達物質の働きが悪くなり、鬱の症状があらわれている。」であるから、「薬を飲めば改善する。」のは、「薬で脳内神経伝達物質のバランスの乱れを修正することで、この状態を改善できる。」と、あくまで、「科学的」に認識し続けたことで、「行きたくない。」「生きたくない。」という「感情」を乗り越えて、ねじ伏せて、通院を続けられたということだと思う。鬱が薬で治るのではない。それでも、自分の感情をどうにもできないとき、思考の大爆走を止められないとき、なんの意欲もおきないとき、この世に神も仏もないと思うとき、低いほうへ、低いほうへ、猛スピードで押し流されながらもわらをもつかむ手は、「科学的根拠」を信じるしかなかったということだ。これは、自然科学第一主義(?)の家庭環境に拠るかもしれない。
2004.09.27
今日は、お茶のお仲間14名で陶芸教室に行ってきました。以前、ご近所のお年寄りと一緒にしばらく、陶芸を習っていて、素焼きと本焼きのときは、おばあさんたちが持ってきてくださったお漬物とお茶で早朝から半日以上、窯の番をしたこともあります。でも、今日は、粘土を練ることもなく、「たたら作り」でお菓子器を2つ、成形しました。叩いたり、のばしたり、冷たく柔らかい粘土の感触についつい、無口になる。四角と丸、それぞれ成形した浅めの器に、スタンプのような型で、模様をつける。同じ型を使って、同じ粘土を使っているのに、できあがった器は、焼く前からすでに、個性的。お茶碗も、花器も、お皿も作ってみたくなる。やっぱり、何か、ものを作ることは、楽しいのだ!
2004.09.25
一ヶ月ぶりでした。今回は本当に落ち着いた一ヶ月でした。自分でも「そうそう、こういうのが『普通』の気分だったかも。」と思えました。「以前は、どんな感じでしたか?」といわれて考えてみました。とにかく、なにも考えたくないと思ってもぐるぐる、ネガティブな考えや焦りや悲しみ、怒りなどに執拗にからめとられてしまい、やめたくてもそれが止まらない。立っても座ってもいられず、常に疲労困憊。あらためて、「その状態は「不安」と「抑うつ」。これからもそうならないとは限らないので、そういう時は、今、考えたようなこともある、と思ってください。」と言われました。薬はしばらく同じ処方で、と、1ヶ月分。睡眠薬は2週間分だけいただきました。どうやっても気分を上向きにするどころか、どうにか今より悪くならないように踏みとどまることさえ、不可能にしか思えないときもあった。私がなんとか、あきらめずに通院できたのは、「脳内の情報伝達物質の不足は、薬で回復する」ということを信じていられたから。精神的な、スピリチュアルな考えに到達できないほど頭が不安感と焦燥感に占拠されているときは、どうにもならないのだ。「どうにもならないな」と開き直ることさえ、できない。けれども、ともかく、「化学物質の不足」は、「考え方」「精神」では、どうにもならないのだ、と思うことで薬を飲み続ける、通院し続けることができたと思う。もちろん、また、どん底に落ち込むこともあるかもしれない。それでも、この2年のことが、決して無駄にはならないと今は、信じられる。「信じる」こと。信じることを選択できる今を迎えることができて、よかったな、と思う。
2004.09.24
それよりギャラリー・サミットの感想だろう!という自分へのつっこみは置いといて、興味のある方は、きっとyamakumoさんが書いてくれるんじゃないかと思うので、お訪ねください。(と、私も勝手に期待)新しいおもちゃに夢中のこども状態で亀ってしまいました。せっかくなので、『日日是好日』をアップ。すっごい時間になったので今日は、おしまい!
2004.09.23
確認せずにお医者さんに行ったら休診でした。そんな予感が・・・というか、確かめてから行ったほうがいいんじゃない?と心の中で誰かがささやいていたのに・・・。無視してしまった。そういうことって、やっぱり大切にしないといけないなぁ。というわけで、時間が空いてしまったので、検討中だった新しいデジカメを探しに行く。まずは、カメラやさん。数日前に同じチェーン店の、市内にある別の店舗をのぞいて見たのだけどなかったんだよなぁ。しかし、同じようにここにもお目当ての機種が展示されてない。しかし、今日は、お店の人に聞いてみるよぉ!そしたら、実は、のぞいた別店舗に1台だけ入っているそう。なんだぁ、やっぱり、あのとき聞いてみるんだった。(う~~~む。これはやはり、何かのメッセージであろう。)というわけで、そこへ行ってみることにする。道すがら、ふと、大型電器店にならあるだろうか、と思いつく。一台だけの在庫を、それも、あらかじめ別店舗から連絡済みで見せてもらって気に入らなかったらば、どうしましょ。「やっぱりいりません。」って言えばいいんだけど妙に小心者のわたくし。(そういうときもあるのさ。)だったら、ちょっと立ち寄って展示されてる実物を触ってみたいもの。というわけで、その大型電器店に・・・・・・。はたして、やはり、ここにも展示はなく、なおかつ、その前に出たモデルは、なんだか、おもちゃのような手触り・・・・・。写りはいいようなんですが、持ち歩くとなるとやっぱり、それなりに愛着が持てるものがいい。そして、さっきのお店でも、ここでも、超小型、スタイリッシュ、そして現在使用しているメディアを使える最新機種が、どれもこれも魅力的・・・・・・。そのメーカーの最初(つまり最古)のデジカメを使用中の私だもの、実際、どれを買ったって、大きさ、性能とも大進化!そして、結局、目に映ったものをなんとなく撮りたいだけだから、どのカメラでもさして結果は、変わらないし・・・。ともあれ、今日の教訓を生かして、ここで一応、聞いてみることにする。すると、展示してないけれど在庫は一台あるという。おおっ!というわけで、初対面!「見て気に入らなかったら・・・」は、杞憂であった。というか、結局は、上記の理由で、これ以上、カタログ集めて見るのも店頭でうろうろするのも一気に面倒になってしまったので、即、購入しました。あ、さっきのカメラやさん、ごめんなさい。(結局、失礼だったかしら?)ま、しかし、結局、貯めてたポイントでメディアも購入。今、梱包を解いてみました。充電中なので、初撮りは明日のお楽しみ。
2004.09.22
Amazonのトップページを見てびっくり!「本当の英語力」は5文型で劇的に伸びる(葦永奈雄 著 大和出版)という本が出版された。これぞ、私がいつか本を出そう(っていうのは、大げさ)と思っていた、英語の文法で一番大切なポイントではないか。これに気付いていたのは、私だけではなかったか。(当たり前か。)学校では、最初もしくは最後に、おまけ程度にしか教えてもらってない5文型は、すべての基本。どんな短い文でも、あるいは、英字新聞の記事も論文もどんな長文も必ず、5文型に分けられるのだ。この文の要素さえ把握すれば、語彙の意味に頼って「なんとなく勘で」訳すようなことはなくなるのだ。英作文、会話文もしかり。これさえ頭に入っていれば、後から修飾する言葉を補いつつ、文章を作っていけるのだ。というわけで、今、手元にその本が。読むのも簡単な本なので、お勧めです。
2004.09.21
誰にって、ある男性に・・・。初めて会ったのは、2年前。ひとめぼれ、でした。ハンサムだし、食欲旺盛だし、タイプ的には、わが道を行くタイプかなぁ。彼に会うためならどこへでも車を飛ばしてすぐ行くわん。しいて問題点があるとすると歳の差・・・。うっ、悲しい。それと水も滴るいい男・・・といいたいけどよだれ滴ってるし、オムツもねっ。1歳9ヶ月の甥っ子なんだなぁ。「孫は可愛い」っていうけどたぶん、それなんだろうなぁ。なんでこんなにかわいいのかよぉ♪と歌いたいのもよくわかる。「どう考えてもよそんちの子よりハンサムだわ。」って多分、みんな身内ならそう思うんだろうなぁ。ただのおばばかでごめんなさい。あ~~~、今日も楽しかった。子どもが無事に育つのも難しい世の中だけど元気に大きくなって欲しいなぁ。
2004.09.20
ほっほっほ。今日、ついに、デパートデビューしました。先日、スーパーで買い物ができたと日記に書きましたが、今日は、ついに、駅前のT百貨店にでかけました(涙)。デパートの「京都展」が今日までだったので、おいしいものに釣られた・・・のも事実なのですが、去年、そんな立ち寄りの出店みたいなところで反物を買ってしまい、そのまま、お仕立てもお願いしてしまったのですが、その老舗の染物やさんがまた来ているので、ご挨拶しに行きました。すごくお仕立てが良かったのとなんども御手紙をいただいたのにお返事もできなかったので、去年と同じ方が来ていたらぜひ、顔を出したかったのです。さすがは、お商売をなさっている方で、こちらは、「この方だったかなぁ」と記憶の糸を手繰っていたのですが、顔を見た途端に思い出してくださったようでした。去年、母と一緒に来たことなど詳しく憶えていてくださったのですが、「去年は、こんなにぱーっと明るい感じじゃなかったでしょ。」と言われてしまい、思わず、苦笑。まさに「一見さん」でも、そう思ったのねん。だったらば、去年のお見立ては、それゆえの渋好み、地味好み、だったのかしらん。で、今年?あちらも反物一本も開くことなく、お土産に帯締めまでいただいて帰って来ました。お金がないって、今年は思われたのかしらん。わはは。
2004.09.15
今日は一日、のんびりムード。母が出かけてしまったので、なおさら、だらだらし続けてしまいました。そのなかで、友人と盛り上がる着物談義。ほんとに、いつも、どういうわけだか、興味がシンクロする。大学時代から雰囲気も似ているといわれて、姉妹の契りをかわして?いるのだが、ほんとに、いろんなこと、こだわりとか、お互いにツボにはまりまくりだ。着物を普段から着られるように復活したお茶の御稽古。ダイバーズ・ウォッチをしたいから始めたスキューバ。と、いつも、はずしてないようで、どこか、本末転倒気味の私。普段の着物=紬、と思っていたのに、御茶席の着物優先でいまだ、紬は、母から譲り受けた大島だけだ。彼女は、紬ばかりで、小物にも凝り始めてしまったようだ。ふたりで、着物デート、着物やさん巡り、こ洒落たレストラン、京都へもでかけよう!と異常に盛り上がってしまった。楽しみです。
2004.09.13
BBSって、1600字以内なんですよね。お返事は、こちらに。>今日は日曜ですが、心の調子はいかがですか?(^^今日は、忙しかったんですよ。午前中からボランティアで、夜は、お友達と御食事に。これは、楽しかったです。↑これ、すごいことでしょ?まず、「午前中から」。なかなか、午前中からは動けません。「ボランティア」自主的に、ではないんですが、やむをえない事情以外の外出、人との接触、なかなか、できないことでした。「夜は」一日に2つ以上の約束、これも最近。「お食事」やっと食欲も食事の量も戻ったのですが、これはこれで、おそろしいリバウンドが・・・。>vanilaさんは、どうやってトンネルの向こうに明かりを見つけられたのですか?むむむ。1、抗鬱剤が効いた。2、時間が経った。木で鼻をくくるような答えでごめんなさい。でも、魔法はないですよね。今飲んでいる抗鬱剤は、古いタイプの薬で副作用もあります。この薬にたどり着くまでに、1年以上掛かりましたし、薬が変わってから効き始めるまで、地獄のようでした。辛いし、治りたいし、治らないし、心だけじゃなくて、身体も辛くて、「寝たきり」みたいになっちゃってる自分が赦せなかった。あるとき、「鬱になってる自分」や「死にたいと思ったりもする自分」と2mmぐらいの距離がとれて、それから、少しずつ、「しかたない」「今は休もう」「休めるだけ、休めばいいんだ」と自分を赦せるようになったのかもしれません。>私には大勢の人が支えてくれて応援してくれているのに、ちょっと浮上して「やった!」と思ったら>又、ドーン!と落ちてガックリという繰り返しです。支えてくれる人たちには、感謝して、でも、それに今、「応えよう」と思わないでくださいね。今は、感謝するだけで十分だと思います。支えてくれる人がたくさんいるのは、junさんご自身の賜物、ですよ。>欝で一番ツライのは孤独なんですけど>(たとえ家族や恋人が居ても)>孤独とどうやって戦ってますか?孤独ですねぇ。辛いですねぇ。戦ってません。戦えません。全敗です。「負けた~~~。」と泣きます。>矛盾してますが、孤独はツライけど>とても1人になりたかったりもします。わかります。一人ぼっちは、怖い。でも、誰か、そばに居てくれるのに、寂しかったら・・・今よりもっともっと、孤独です。>ほんとにやっかいな病気になってしまったと思っています。まったく。なんで、あたしが?と思います。免疫ができるわけでもないし。怖さがわかっているだけに、今度また、どかんと来たら・・・と想像すると怖いです。>薬は副作用でまいってしまったので>安定剤と睡眠薬で調整しています。私の副作用は、便秘と口の渇きです。便秘対策の薬は、あまり効いてない感じです。口が渇くのは、慣れません。虫歯にもなりました。安定剤と睡眠薬。これも、使い方が難しいですよね。睡眠薬が少なくなれば、通院が減らせそうです。>私の周囲で薬で欝が完治した人はいません。>良くなった人は、人の力で元気を取り戻していきました。人の力を受け入れ、受けとめ、元気になれるのは、まさに、回復と同義語ですよね。自分の心がぱんぱんに破裂しそうになっていたら、誰かが、手を差し伸べてくれても、受け取れない。>私も早く元気な日を増やしていきたいです。ゆっくり、ゆっくり、ですよね。気がついてみたら、1日、3日・・・と「あれ、なんだか、先月よりも元気だったな。」と思える日が来るんだと思います。お互いに。>これからもヨロシクm(_ _)mペコリ仲間(あまり、人を誘える仲間じゃないけど)がいるから大丈夫。また、来てくださいね。
2004.09.12
待つことは、じっとうずくまってやってくるまでなにもしないことではない。待つことは、希望を持つこと。待つことは、待ち望むこと。待つことは、祈ること。きっと会えることを信じること。
2004.09.10
処方されている入眠剤がなくても眠れる日が多くなってきた。そうなるとなるべく飲まないでがんばろうと思ってしまうのが悪い癖。結局、毎朝、3時45分に目が覚める。がんばってみても眠れない。でも、結局、昼間もたないので、そこから、薬を飲んでみる。そうすると今度は、起きてから、ぼわ~っと眠い状態が続く。ちょっと貧血気味。たぶん、低血圧。これも手伝ってる。ともあれ、休むときには休むに限る。というだらだら生活がみごとに「無駄なお肉」となって目に見える形になってるぞぉ!来月のお茶会までにリセットするぞ(切実)。
2004.09.08
台風が来るぞ!なんだか、涼しいので麦茶を作り忘れていた。ごめん、ごめん、おちびさんたち。氷をがりがり食べながら、レッスン開始。Reviewのレッスン、遊びながらも結構憶えているよね。偉い、偉い。Let's ~~~together.Watch me ~~~ .~~~ with me.それぞれに、今まで習った動詞や動詞句をいれて発表してみる。いいぞ、いいぞ。その調子。そして、いつもの脱線コース。テキストのrabbitの絵を見たユウスケ。「うさぎってねぇ、耳をつかんで持つんだよぉ。」「え~~、そんなの、だめだよ。」「かわいそうじゃん。」黒一点のため、つねに女子チームのダメ出しの的。反省するのも、超早っ。「えへへへ、ごめんね。」っていいながら、ウサギの絵の上に鉛筆で「ご・め・ん・わ」「ユウスケ、ごめん『わ』って書いてるよ。」「えっ、あ、ほんとだ。」「いいけどね。」「23日、学校がお休みだったら、レッスンもおやすみにするからね~。」「うゎ~い!」「ユウスケ、お『体』み、って書いてるよ。」「あら~~~。いいのっ。」「ま、いいか。」英語のまえに、日本語、かも・・・。
2004.09.07
・・・・・どうしたら取れるのだ、このお点は。まじ、100点満点なのか?3分の1、できてる。いや、できてない、とか、そういう問題じゃないだろうっ!「連立方程式の解き方がわからなくなっちゃったぁ。」ってあんた、テスト前に、それしかやっとらんだろうが。三つの連続した自然数の和の証明もあんなに何度もやったじゃん・・・。ま、そんな贅沢は言わないけどせめて、計算問題は・・・。どうすりゃ、いいのよ。あんたたちの頭。ともかく、間違えても、忘れてもいいけど、わかんないのに「うん、うん」ってうなずくのはダメなのよ。っちゅうか、やり直したらちゃんと解けるじゃん。どういうことなのよ。今頃、自信つけて、満面の笑みって、そりゃ、親もキレルさ。もう、引退してもいいですか?この仕事、やっぱり向いてないかも。あなたたちの頭じゃなくて、私の教え方が悪いのかも。そんな気がしてきました。転職してやるぅ。
2004.09.06
週末のレッスンで、「ねえ先生、見て、見て。」懐かしい!みんながまだ、幼稚園児だった頃の写真だ。身長なんて、今の半分ぐらい、わ~~、みんな顔も「大人っぽく」なったね。女の子たちは、みんな喜んでみているが、男の子たちは、今ひとつ、テレ気味だ。「やめろよ~。」ふてくされ気味の男子に、黄門様の印籠のように写真をかざして亜美ちゃんは叫んだ。「見ろ。これが、お前の過去だ!」・・・参りました。
2004.09.05
故・遠藤周作夫人、遠藤順子さんの講演を聞く。「日本人の心に届くキリスト」日本人の心に届く「キリスト教」ではない。キリストは、すなわち、キリストの愛、である。『沈黙』は、私にとっては、最初に読んだときには、神様のことも神様の沈黙の意味もわからなかった。発行当時には、「禁書」であった。やはり、「わからない」信者さん、「わからない」教会がたくさんあったということだ。「隠れキリシタン」の子孫たちは、現代でも「転びもの」として同じクリスチャンからも低く見られている現実があるというのも初めて知った。キリスト教が日本に伝わったとき、仏教伝来からは、すでに1000年経っていた。仏教は、信仰だけでなく文化としてもすでに、10世紀のときを経て、花開いていた。それから500年近くが経ち、今、クリスチャンは、人口の1%。決して、多くはないと思う。そのうち、42%がカトリックで58%は、プロテスタントだという。神の愛を伝えるためにまだ見ぬ世界へと派遣される伝道師たちは、勇敢であり、信仰の篤さに圧倒される。「ザビエルの東洋の人間たちに白人の神の教えを広めてやる、という上から下へという姿勢は間違っていたと思います。私は、好きじゃありません。」カトリックの高校での講演、シスターである校長先生の前で小気味良いほどにずばりとおっしゃる。ご著書「夫の宿題」にあるように「死は終わりではない」というメッセージを伝えること、「心温かな医療」を確立させること、そして、この「日本人の心に届くキリスト」を伝えていくことで忙しく、ひとりになったことを悲しんでいる暇はない、とおっしゃっていた。溌剌として、凛とした姿、美しい日本語の使い手でもあり、本当に素敵な方だった。ご主人と天国で再会されたときにあわせる顔がないのでは困るとおっしゃっていたが、精力的な活躍ぶりに、ご主人もしばらくは奥様にこの世でがんばって欲しいと声援を送っていらっしゃるのではないかと思った。
2004.09.04
たまには、おちびさんたちの要望にお答えして、外で10分だけ、遊ぶことにする。なんたって、アドレナリン出っ放し状態の男子6人。どう考えても毎週、おとなしく座っているほうが難しい。3回勝負で2チームによるリレーを行う。有り余ってるエネルギーを放出する。と、そこへ、おちびさんたちよりちょっぴりお姉ちゃんの女の子が私のところへ向かって来る。「妹が昼寝しているので、静かにしてください。」「あ、ごめんなさい。・・・」さてさて、そろそろ、レッスンか・・・・と思った途端に、急にムカついてきた。小学生の女の子が、妹可愛さとはいえ、言うか、あのセリフ。いうなら、私じゃなくて、小学校で見たことある「後輩」に言うだろう。・・・ということは、母親が飛ばした「子ども爆弾」。狙いは、私だ。おいおい、なんで、うるさかったら、自分で言いに来ないんだ。なぜ、その役目をお姉ちゃんに押し付ける?お姉ちゃんなら、そういう役目を押し付けられてもしかたないのか?「正義」を行ってるつもりなら、自分でやれよ。なぜ、責任を子どもに負わせるんだよ。なんだか、急激に腹が立ってきた。あなたの家の敷地内で騒いでいるわけじゃない。あなたの幼い娘が昼寝をしていようが、近所の子どもたちがその間中、ず~っと騒ぎ続けてるわけじゃない。あなたの子どもは、決して騒がないだろうか。それは、いい。あなたの言うことが100%正しいとして、正しいならなおさら、正しい姿を子どもの前で見せるべきではないだろうか。苛立ち紛れに、「あのおばちゃんに、言ってきなさい。」と託すのではなく、自分自身で言いに来てみたらいかがなものだろうか。こんなことでつまらない腹を立てるほど、私も元気になってきたってことかな。
2004.09.03
なぜだか、急に新しいデジカメが欲しいぞ。別段、知識があるわけじゃなし、芸術的な、もしくは、人とは違う!なんてこだわりの写真を撮りたいわけじゃなし。雲の写真を撮ってみたり、そんなことがしたいだけだから、今の骨董品で大満足なんだけどある種の「衝動買い」、いや「衝動買い欲求」。光学ズームで、広角、マクロ、そんな感じのちょっと工夫のできるやつが欲しい。でも、ともかく、ちっちゃいやつでもいいのかも。久しぶりに電器屋さんに行ってみたら、あれあれ、結構、お手軽なお値段。これが、危険なんだなぁ。その中で、これは、おもちゃ?って感じの、かわいいおちびさん、見つけちゃった。昨日、思わず、衝動買いしそうになったんだけどほんと、深呼吸して、思いとどまりました。うわ~。どうしよう。実用的なちょいお勉強が必要なマニュアルモードが楽しめるタイプか、持ち歩くのに負担にならないコンパクトなやつか、よく知らないけど、ちびっこ真四角写真のやつか、どうせ、ゲイジツ写真が撮りたいわけでもなし、こんな私は、見てくれで選ぶのが一番かなぁ。なんだか、無駄遣いしたい!!!なにこれ?
2004.09.02
今日は、母の名代でお葬式に行きました。お焼香だけ、とはいえ、週に2度は・・・。今日のお葬式は、祖父の生前、うちによく来てくださったおじいさんでした。祖父が亡くなってからは、たまに我が家からお餅などを届けたり、父が亡くなった後、お参りに来てくださったとか。一人暮らしをされていたようなので、お身内の方は、記帳した母の名前を見ても誰かは、わからないかもしれません。父のお葬式の後も住所と名前だけでは、どういうご縁の方がわざわざ遠くからおいでくださったのか、わからないこともありました。それでも、遺されたものには、縁もゆかりもなくてもお悔やみに足を運んでくださった方に生前の父がお世話になったことを感謝しました。母の名前を見てもその名代の私などなおさら、どこの誰だか知りようもない。それでも、やはり、「おじいちゃんがお世話になりました。」と一方的にであれ、お礼とお別れを言わなければ。「同じ時代を生きている」-それだけでもきっと、選んで、選ばれて、「ある」。そのなかで、なんらかの出会いがあるというのは、やはり、「縁」としかいいようのないものが存在していると信じられる。こんなことに今頃、気がつくのは遅いだろうか。自分がいつかこの世を離れるときもあちらで再会できるひとが増えてくるのは、なんだか、安心だ。
2004.09.01
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