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10月24日、土曜日の朝早く家を出て、磐梯山へ向かった。7時30頃に磐梯山ゴールドラインの八方台に着くべく走ったが、出発の時間から8時少し前になってしまった・・・。ゴールドラインを登り始めて、アルツスキー場の上から猪苗代湖が一望できるところから撮影を試みたりしていて、やや遅れてしまい、八方台の60台の駐車場では後数台分のスペースを残すのみで、あと2分遅ければ、そこにすぐには停められなかったかもしれない・・・・。 ↓朱色の丸印が駐車場から山頂までのルート ↓ゴールドラインの途中から撮った猪苗代湖方面の画像・・・・・朝もやで幻想的であった・・・。すぐに磐梯山に向かって登山を開始した。 ↓ブナ林の間の登山道は落ち葉の匂いがしていて気分が良い・・・。標高1194mの八方台から山頂の1819mまで、625mあまりを自力で登ることになるので、初級登山コースとは言え侮ることは出来ない・・・。標高1620m程の弘法清水小屋まで、約1時間半ほどで登り、残りの約200mを30分で登るが、かなりの急斜面を登ることになる・・・。頂上からは360度のパノラマが見えるので、天気さえ良ければ眺望は最高の山だ・・・・。土曜日の天気予報は晴れという事で出かけてきたのだが、高曇りで今一すっきりとしない天気ではあったが、低い雲は全く無かったので、はるか遠くを見渡すことが出来た・・・。 ↓裏磐梯方向を見ると中央に桧原湖、右には西大嶺から西吾妻連峰、左に猫魔岳、さらに遠くに大日岳、御西岳等が見えている。 ↓南方向には猪苗代湖が見え、右奥の会津若松市の上空は薄くもやがかかっている。私達は頂上付近で、家で作ってきたオニギリを食べ、下山に備えた。真に見晴らしの良い山頂だが、この日は全くの無風で、山頂でも草さえも揺れないという珍しいお天気であった。 ↓早いお昼を食べた場所の目の前の眺め、遠く見える山は吾妻連峰、右手に見えているのは安達太良山、手前は磐梯山のもう一方のピーク櫛ヶ峰。午後1時頃には八方台の駐車場に降りてきましたが、高低差もあり、かなり膝に来ていましたが、途中で私達を追い越していった若い女性があんまり早く歩くので、どれぐらいの感じで歩いているのかと付いて歩いてみたが、かなり早く、此れが若さと言うものかと、己の年齢を思い知るのでした・・・・笑。でもおかげで後半はかなりのペースで歩いたので、予定より10分ほど早く着いてしまった。それから、宿泊予定の友人のペンションに行くには早過ぎるので、桧原湖の周辺を紅葉を見ながらドライブして、桧原湖に注ぐ長井川に沿って林道を走り標高1200mほどの桧原峠を越えて山形県側に出て、綱木峠を越えて白布温泉に繋がる道を走り、スカイバレーで白布峠を越えて、再び裏磐梯に入って、4:00頃には曽原湖畔の「ペンション藍」に着いたのです。桧原湖畔を走る動画は此処をクリック ↓長井川の上流の桧原峠への林道で見た美しく紅葉するブナの大木、ブナは黄色になってから直ぐに茶色になって落ちてしまうので、綺麗なオレンジ色になっているのをなかなか見られないので、珍しいと思って撮りました。ペンションの夕食ではスモークトラウトを頂いたのですが、お腹がすいていて、写真に撮ることも忘れて食べてしまい、画像はサンプルで出してくれたカマの部分だけしか撮れませんでした・・・・・以下参照・・・笑。翌日の朝はゆっくり寝て8:30に朝食を頂、10時頃にペンションを出発して、会津柳津の町立斉藤清美術館を目指した。昼頃に付いて素晴らしい版画や絵を沢山見て、家内はお気に入りの猫の版画のポストカードなどを何枚も買っていた・・・。家内は北方の蔵町へも行きたがっていたのだが、柳津が只見に近いので、北方市に戻らずに、只見線の走る田子倉湖へ行ってみること急遽変更した。裏磐梯の紅葉は終盤を迎えていたが、田子倉湖周辺は高度が600m~800m程度と低いので、丁度紅葉が真っ盛りを迎えるところで、なかなかの色を見せてくれた。 ↓只見線、田子倉駅近くの只見沢 ↓あいよし沢の紅葉は見事だった。 ↓あいよし沢から少し登ったところから見る田子倉湖と言うわけで、1都8県をまたにかけた登山と紅葉を愛でるドライブは、およそ900kmを走破し夜10時ごろに我が家に着いて終わりました・・・・。
2009.10.26
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1956年に出版された、小説「挽歌(ばんか)」の作者として著名になった原田康子さんが20日、札幌市の病院で亡くなられたと聞いた・・・・。私は電話でだけれど、一度お話したことがあることもあり、冥福を祈らずにはいられない・・・・。太平洋戦争が始まって、現役兵として中国に渡っていた父は、当時内地の女子学生からの励ましの手紙を受け取り、返事を書いていたという・・・。明日はいよいよ前線に出発すると言う便りを最期に、その女学生に手紙を書くことも無く、中国の揚子江周辺の最前線の戦闘を生き抜き、敗戦をむかえたのだそうです。父は揚子江の中流域から苦労を重ねて何とか帰国し、昭和24年に私が生まれたわけです・・・・。復員した父は警察官を定年まで勤めた後、中央競馬会の内部保安機関である競馬保安協会に勤め、その出張で札幌の競馬場を訪れた時に、偶然、北海道新聞の紙面に原田康子さんが、戦中に励ましの手紙を書き、「明日は前線に出発すると言う手紙を最期に、音信の無くなった○○さん(父の実名)は無事に帰国されたのだろうか?」という、当時手紙をやり取りした兵士の安否を気遣う文章に出会ったと言うのです・・・・。勿論父も、本名ではない原田康子という名の作家がその時の女学生であったとは知る由も無かったわけで、その時、反射的に新聞社に問い合わせて連絡先を聞いて、原田康子さんに無事に帰国したことを伝えようとしたのだそうですが、折悪しく不在などで連絡できなかったと振り返っていました・・・。出張を終え、千葉県に帰ってきてからも、何度か連絡しようと思ったのだけれど、作家として著名になられていた原田康子さんに、なんとなく、その時の○○です・・・と、名乗り出ることも次第に躊躇われるように感じだして、とうとう連絡しそびれたと言っていました・・・。その話を死期を間近にした父から聞いた私は、父に内緒で、新聞社に訳を説明し、電話番号を教えてもらって、原田康子さんに電話をかけた・・・。死への床にある父に代わって、「○○は無事に帰国しました」と報告し、偶然北海道で読んだ新聞記事のことを説明したのです・・・・。その時は、丁寧に父へのお見舞いを語ってくださいました。それから12年の月日が流れ、一昨日、原田康子さんが亡くなられたと・・・・TVのニュースで聞くことになりました・・・。私には、気の利いた「挽歌」をたむける才も無いのが哀しいが、日本の困難な時代を生きた父と、たまたま戦地に赴く兵士に励ましの手紙を書いた一人の女学生がいて、その小さな接点を有した時代も終わったと言えるのでしょう。どうぞ、安らかにお眠りください・・・・。
2009.10.22
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日曜日の朝早く(AM4:00)家を出て、那須茶臼岳~朝日岳登山へ出かけた。茶臼岳のロープウエイ駅には丁度7:30頃に着いて、始発のロープウエイに乗って、茶臼岳山頂下の駅まで行き、そこから300mほどの標高差を登って、茶臼岳頂上へ、そして、そこから朝日岳へと向かった。朝日岳は、高低差はさほどではないが、なかなかスリリングでもあり、楽しめる山でした。近いし、頂上からの眺めは360度ぐるりと眺めもよく、なかなか気に入った。(全ての画像はクリックすると大きな画像が見られます)↓茶臼岳頂上付近から北方向をパノラマで見る。早朝の空が青く、白い雲海は低く、朝靄のように湧いていた・・・・右手の山肌の緑は全て熊笹であり、近づくと見事な緑の絨毯のようだ。↓茶臼岳から見た朝日岳、正面の一番高いピークを目指す。↓非難小屋のある峰の茶屋跡に向かう途中から見る朝日岳。↓峰の茶屋跡、非難小屋付近から見る朝日岳、拡大すると稜線を登る人も見える・・・、いかにも脆そうな色合いの岩肌だ・・・。↓沢山のクサリ場を経て、ようやく那須朝日岳の頂上に着いた・・・頂上付近から、隠居倉方面を撮った画像。↓朝日岳山頂から茶臼岳を望む・・・。↓下山途中、峰の茶屋跡から峠の茶屋への登山道から見た朝日岳↓那須朝日岳を下山し、登山道を半分ほど下った場所から見る朝日岳。お昼にはロープウエイ駅付近の駐車場まで降りてきたので、帰りに霧降高原から、川俣温泉を経由して、山王峠、戦場ヶ原へのコースをドライブして紅葉を楽しんだ。↓日光、霧降高原、六方沢の紅葉霧降高原から川俣温泉方面に走って、山王峠を越えて戦場ヶ原へのコースを走ったが、40年前から知っているこのコースは紅葉の時期は最高のコースで、今では全て舗装された道になって走りやすいが、川俣温泉の方向から戦場ヶ原方面に走る車が少ないので、私にとって殆ど出会う車は対向車ばかりであり、対向車の殆どがすれ違う車を殆ど経験して無いはずであり、多くの対向車のドライバーは一方通行路の様な感覚になっているかもしれないと予想された為、こちらとしてはその点注意が必要だった。それにしても最良の日であったかも知れしれないと思うほどに、紅葉は素晴らしかったが、やや夕暮れに近く良い画像は残せそうも無かったので殆ど撮影はせず、心に焼きつけるのみとなった・・・・・。↓の画像は川俣温泉から山王峠への途中に野生猿の群れと出会ったので、そのうちの一頭を撮影したもの。すでにやや暗く自動ポジション(A)にしてISO設定が高感度に変わる事を予期して撮ったが、やはりノイズの多いもになっている。
2009.10.18
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明日にしようと思ったけれど、たぶん明日からは忙しくなるかも知れず、今日中に書いてしまおうと気を取り直して、はしょって書いてみよう・・・・・。金曜日は夕方から寝て、夜12時過ぎに出発、5時半頃に高山の駐車場に着いて、8:00まで仮眠、それからオニギリの朝食を食べて、高山祭りを見ましたが、寒くて調子が狂って、私だけ一旦車に戻って、セーターを着込んで30分程休み、日が射してきたので、また出て屋台を見たり、からくり奉納を見たりして、お昼には飛騨牛御前というのを食べて、私は一位(イチイという栂に似た針葉樹のこと)の一刀彫の工房兼店舗で一位の彫刻材木を購入し、家内は鍛冶橋際に有った川上屋の「栗きんとん」(恵那栗)と言う名のお菓子が、試食したところとても栗の風味が強く残っていて美味しいという事で幾箱か買い込み、さらに骨董店で土人形を買い、それから五箇山に向かいましたが、県道478号から国道360号と一般道を使って白川郷へ峠越えをしたので、久々にワインディングロードを心地よくハイペースで走破しました。白川郷は二度行っているので今回は通過して五箇山と菅沼の合掌造りを見ましたが、やはりミニ白川郷と言う感じです。観光化が進んでいますが、白川郷よりはナチュラルなのかもしれません・・・。雪をスッポリ被った冬の姿が不要な現代の建造物を隠してくれて良いのですが、雪景色以外はなかなか見たくないものも見えてしまいます。五箇山からは東海北陸自動車道を使って北陸自動車道を経由して新潟方面へ、右手に見える北アルプスは鉛色の分厚い雲に覆われているし、高山市内で聞いたが乗鞍岳でも10日の朝方には雪が積もったそうなので、北アルプスの高い山を登山した人にとってはたぶん厳しい状況だっただろうと想像した。親不知辺りでは凄い豪雨にも遭って、バイクのツアラーはトンネルの出口で雨宿りしているほどでした・・・・。中越から上信越自動車道へ入り、豊田・飯山ICで高速道を出て野沢温泉へ・・・・途中で入った蕎麦屋の高くてしかもひどい味に怒りながら野沢へ・・・・。8時近くなったので、観光案内を頼りに電話で泊まれる宿を探し、長八荘というところが泊めてもらえるという事で、アポなし飛込みで、糊の効いた浴衣とシーツで寝ることが出来た。すぐ近くに中尾温泉があり、無料で天然温泉にも入ったが、その温泉の熱いこと・・・・たぶん44度近くあって、温泉を出た後2時間ぐらいは体が赤くなっていました。夕食は済ませてあったので、翌朝の朝食コミで一人4千円と格安でしたが、朝食のボリウムが凄くてお腹一杯になりました。日曜日のお天気はパッとせず、時々小雨も降っていましたが、奥志賀スーパー林道の紅葉は丁度良い時期で素晴らしく、1500m付近の稜線沿いを走る50kmもの距離の林道は、これでもかと見事な紅葉を見せてくれた。春に此処を訪れた時にはさほど感じなかったのですが、野沢温泉のスキーリフトやゴンドラの一部、はおよそ1000mに及ぶ標高差があって、テッペンまで登ってから森の間を縫って滑り降りるのはさぞ滑り甲斐があるだろうと想像できました。奥志賀高原、一ノ瀬、高天ヶ原、発哺と行き交う車も増えて流石に3連休の日曜日と感じることになったが、午前中の天候は今一で1800m付近以上は雲の中に入っていた。それにしても奥志賀高原付近から志賀高原にかけてのカメラマンの多さは凄まじく、良いビューポイントでは狭い林道に車が何台も停まっていて通りにくくなっている上、三脚を道路に立ててしまうものだからそれがすれ違い時の邪魔になることもしばしばで、以前尾瀬ヶ原や栂池自然園の遊歩道でも同じ様な経験をしていましたが、道路でも起きはじめているのです・・・。今後こうしたカメラマンのマナーの悪さも恐らく社会問題になると感じました・・・・。何しろ高山植物保護のために施してある策やロープを超えて踏み込むのは登山者ではなく、殆どが良いカメラアングル得たいが為に行動してしまうらしい、いい歳をしたカメラを構えるオヤジ達なのだから・・・・。奥志賀から横手山の下を走り渋峠を通る時は雪になってしまって、道路に積雪とまでは行かなかったが、木々は白く雪化粧をしていて、降りて撮影をしたのですが、その寒さは真冬のようでした。渋峠を過ぎて、万座ハイウエイから軽井沢を目指して、なるべく一般道を使ったが、国道18号辺りはなぜか大渋滞、カーナビを駆使して細い道を迂回しながら走り、何度も行った事のある軽井沢プリンスホテルゴルフコースのクラブハウス内にあるレストラン「こぶし」にて昼食、車をそこに置いて、歩いて軽井沢アウトレットへ・・・。長男夫婦への新築祝いをロイヤル・コペンハーゲンでフル・レースのコーヒーカップセット選んで来たが、アウトレット品でご容赦願うわけだ・・・笑。その他、家内はクラブハウスの売店で「澤屋」のナチュラル巨峰ジャムとマーマレードを購入していた・・・。帰りがまた凄い渋滞で碓井・軽井沢入口も渋滞だと言うし、上信越自動車道も横川~関越道までも渋滞の情報もあったので、此処もガーミンのカーナビ設定を、有料道路と幹線道路を通らないルートにして、裏道の一般道で藤岡まで走ってから高速道路に乗った。そこからは渋滞もさほどひどくは無く、ほぼ順調に走れて、夜の9時頃には愛猫の待つわが家に着いたが、高速道路だけではないがバイクのツーリングの非常に多いことに驚いたが、殆どが750ccを超える大型バイクで、ライダーの年齢層の高いことも昨今のバイク人口が中高年のリターンライダーによって維持されている現実を裏付けるようであった・・・。家に帰り着いた時は沢山撮影した画像も動画もPCで読み出せたのだが、まあ、多少は疲れたので12時過ぎには寝ることにしてSDHC内のデータのバックアップを取らなかったのがいけなかった・・・・。まあ、後悔しても始まらないが、16GBのSDHCクラス10と言う高速な規格だが、エラーが出れば、サイズが大きいものは収容枚数も大きいから被害も大きいと言う教訓を得たのです・・・・。
2009.10.12
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金曜日から出かけて、飛騨高山祭り~五箇山~野沢温泉~奥志賀スーパー林道~志賀高原~軽井沢アウトレットと高速道路の休日割引を利用しつつ1115kmも走ってきたのですが、今回初めて使う16GBのクラス10という高速なSDHCメモリーのエラートラブルで、撮影してきた静止画と動画の全てを失ってしまいました・・・・。帰宅した日曜日の夜は異常なく見ることが出来たのですが、バックアップせずにその夜は寝てしまい、翌日の今日PCを起動したところ、エラーで全てを失ってしまったのです。あらゆるレスキュー手段をとりましたが、不良セクタが出来てしまって、どうしても読み出せませんでした・・・残念です。そしてさらに、今日の日記を書き始めてアップロードに何故か失敗して、5000文字程の文章も消えました・・・・。不運なことは続くものです・・・。と言うわけで、今日は再度日記を書く元気も失せたので此れで寝ようと思います・・・・・。
2009.10.12
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アメリカでは精子バンクという会社が多数あり、年間200億円以上の市場規模になっているらしいが、データが数年前のものなので、現在はどれくらいの規模であるか良く解らない。元々は不妊治療のために高められた医療技術であったが、昨今は我が子をもうける上でその母親がより優秀な遺伝的形質を持った男性精子を求める傾向が強い。勿論不妊の原因が男性の伴侶にあって、人工授精ののように、結婚相手ではない男性の精子を購入して妊娠に至るケースも多いが、シングルマザーと呼ばれる、未婚の女性が子供を欲して精子バンクを利用するケースが増加していると言う。そうした、シングルマザー達が求める遺伝子は、白人の長身で高IQ、金髪碧眼の特徴を持つ男性の精子に人気があるとか聞いたことが有る。アメリカ人の女性の内、年間数十万人はそうして、遺伝子を選んで好みの特徴を持つ精子を購入しているという事に、皆さんは少しは驚くでしょうか?デザイナー・ベイビーと言う言葉があり、SF小説ではかなり多く扱われているがご存知だろうか?(ガタカという映画はそうした社会とそこで起きる問題を描いていた。)現在では確立された医療として体外受精卵の着床前遺伝子診断と言う技術があるが、此れは子宮に着床する前に受精卵の遺伝子を調べて、将来病変を起こすと判っているような遺伝子を持つ受精卵を排除した後に子宮へ戻し、また男女の産み分けも同時に行える技術なのである。少なくとも、医療技術の可能性から言えば、自分以外の女性から卵子提供を受け精子バンクから好みの男性の精子を購入し、体外受精を行い、将来危険な遺伝子を持つ受精卵を排除した後に、自分の子宮に着床させる事や、そうした処理を経た自分の受精卵を代理出産させることが現実レベルになっていると言えるので、すでにデザイナー・ベイビーは実在していると言えるのではないだろうか・・・。さらに、近年ヒト・ゲノムは全て解読されたので、ゲノムの働きは研究されて行き、どの遺伝子が人体のどんな形質を決めているかも段々と解ってきて、やがて遺伝子を組み替えるという行為により人為的にデザインされた子供が誕生する日がやってくるに違いないのです。例えばエイズウイルスに感染しても発病しない遺伝子を持つ人が1%居ることが解っており、その遺伝子を我が子に組み込めるという時に、それを望まない親がどれだけいるのだろう・・・・・。あらゆるケースでそうした操作が行われるようになって行くことは容易に想像できはしないだろうか・・・・?。ジーンリッチという新たなミュータントがやがて出現することはもう10年以上前に予言されていて、富裕層の中には遺伝子操作で危険な因子を取り除くだけでなく、自分の遺伝子には無い優れた形質を遺伝子組み換えによって獲得し、自己の子孫の潜在能力を高めようとする者が現れる可能性があり、その技術が利用できるレベルになればそれはビジネスとして機能するだろう事は疑いも無いのです。やがてジーンリッチグループ間で遺伝子操作を行いながら世代を繋いで行くことで、少なからず異なった特徴の人種が誕生し、ナチュラルな遺伝子継承をするグループとの間で軋轢が起こることが想像されるのです。どこかの国の誰かが遺伝子操作を人間に行う可能性は排除できないものの、各国とも倫理観の問題ではそれを容認しては居ないし、現在はまだ充分な技術には達しては居ないのだが、動物レベルではすでに実用化されていることも有り、公にされずにすでに始まっていると考えても良いのかも知れないのです。私は・・・人類はそうした行為をやがて行う様になるだろうという確信があり、時間の問題だろうと考えている。地球環境の悪化で人類が完全に滅亡する事は無いにしても、遺伝子操作の結果として種の多様性を失った末に永く生き続けられるかどうかは疑問に思う。そして、人類がセックスによって自分の子孫を作るという行為がやがて衰退して行くことは避けられないことのように感じている。それは、現在アメリカの精子バンクに持ち込まれる精子は厳しく検査され、ウイルスなどによる汚染だけでなく遺伝病に関する検査が行われるようになったことで、最終的に合格する精子は5%に満たないという事実があり、多くの人の遺伝子は何らかの短命をもたらす遺伝子を持っている可能性がある事がすでにわかっているわけで、偶発的な卵子と精子の出会いで子供の持つ遺伝子を決めるという行為が、やがて乱暴極まりない行為とされる時代がやって来ると考えられるからなのです・・・・。つまり現在では多くの病気が或る特定の遺伝子を持つことや、ある遺伝子が欠損していることで発現することがわかっている為、卵子や精子、受精卵を調べて、将来の危険を未然に防ごうとする行為が常識的になるとも考えられ、それをしないでナチュラルなセックスによって子供を身篭ると言うことは、避け得る危険をあえて犯し、ハンディキャップの或る子供を誕生させるかもしれないリスクに目をつぶってしまうことと同じである・・・という世論が出来上がって行くだろうという事なのです。したがって、危険な遺伝子を取り除き、安全な遺伝子に組み替える日が、いずれやって来るであろうと考えられるのです。そんな時代はあと100年も待つことはないであろう・・・・・・。
2009.10.06
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スズカでは必勝を期したであろうトヨタF1チームであったが、ヤルノ・トゥルーリが2位で、またも悲願の優勝はならなかった。チームトヨタは勝てない理由をドライバーの責任に求めだしている様に私には見える。ラウノやティモでなく、すでに何勝かしているような、そして今でも勝てるドライバーが欲しいようだ・・・。かつて最も良い時期を過ぎた観もあったラルフ・シューマッハーを大金で雇い入れたが、ラルフもトヨタでは勝つことは出来なかった・・・・。ここ数日、トヨタチームはキミ・ライコネンとロバート・クビサと契約すべく行動を開始していることが報道された・・・。トヨタチームで車を作る側にいる人間としては、自分達の8年に渡る大金の消費の結果を、ただの1勝すら挙げられないことの説明を本社にしなくてはならないとしたら、なんと言えば良いのだろう・・・・。やはりドライバーに今ひとつの速さが足りないのである・・・と言いたくなるかもしれない。しかし、私はそうは思っていない。低迷していたHONDAがブラウンGPになって、7戦で6勝した今年の前半、そしてルイス・ハミルトンを要したチャンピオンチーム、マクラーレン・メルセデスの眼を被うばかりの低迷も今年の前半に見られた・・・。シーズン半ばを過ぎて、万年最下位の弱小チームというレッテルを貼られていたチーム、フォースインディアはマシンの改良が功を奏し、ベルギーGPで、ジャンカルロ・フィジケラはポールポジションを獲得し、レースでも2位に入ったことを考えてみれば解りそうなものではないか?トヨタのF1マシンは今年はかなり良いレベルにに来ているが、もう一つ抜きん出るところまで行っていないし、コースによっての得手不得手の差が大きすぎる。これまで、もし他チームの不運が起きれば3~4戦ほどで勝つチャンスはあったと思うが、チームの戦略のミスなどもあって、ことごとく勝利を逃してきた。今日のスズカのレースでも、もしトップを走っているレッドブルのセバスチャン・ベッテルに何らかのトラブルが発生すればヤルノ・トゥルーリがめでたくトヨタに初優勝をもたらしていたかもしれないのだ・・・・。ジョン・ハウェットよ、ドライバーが誰であれ今年勝てないことに変わりは無いと知るべきです。それよりフォースインディアのマシンがジャンプアップしたことや、エイドリアン・ニューエイの設計したマシンが速いという事に目を向けなくてはならないだろう!!キミやフェルナンドを以ってしても、ルイスを以ってしても劣ったマシンではフェラーリもルノーもマクラーレンも勝てはしない!もしもそんなマシンで勝てたなら、それはフロックであり、幸運が重なったとしか言いようが無いはずだ・・・・。決してドライバーが誰でも同じと言う意味では無いが、エンジニアは真摯に開発を続けるしかないのだよ・・・・もう少しじゃないか!!
2009.10.04
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300枚も撮ってきた画像の中で、お見せできるものをもう少しアップしようと思う。 ↓画像は別山へ向かう途中の尾根で剣沢を撮ったものだがこの沢の大きさを感じてもらう為に沢の中に写っているテントや人影をズームしてみよう。(全ての画像はクリックすると大きなサイズで見られます。) ↓中心付近を少しズームアップしたものだが・・・テントや小屋が見えてきます。 ↓さらにズームアップした画像ではテントサイトへ向かう5人の登山者が見えてきます。この人が写っている画像を見てから最初の剣沢の画像を見ると、相対的にこの剣沢の大きさを感じることが出来るでしょう・・・。 ↓富士の折立への急な岩場で一休みしている私、息苦しくて寒くて余裕の無い顔してますね・・・。 ↓次は雄山が写っている画像です。 ↓雄山の神社から神社の社務所方向を写す。 ↓祝詞を挙げる為に神社に向かう司祭 ↓雄山の登山道、二ノ越辺りから三ノ越方向を見上げる。
2009.10.02
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