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中国人の友達が「唇の中が痛い」というので見てみたら、口内炎だった。まだ小さいから、薬をつけたら治るかな。私はチューブ入りの薬を、内科医の手違いで5本も処方されたことがあって、使いかけの1本を彼女にあげた。 だいたい、口内炎に薬をつけるなんて、考えてみたこともなかった。 すご~く痛いけれど、時間さえたてば治る。そういうものは、放っておけばいいのだと思っていた。 ところが、あるとき。 職場の元同僚と食事をしていたら、口内炎の話になった。私が「ひどい時は、1つが治りかけると、また新しいのができたりするんだよね」と言うと、彼女のびっくり発言が飛び出した。「私なんて、10個くらいが同時にできていたことがあってさあ。そこまでいくと、もう何も食べられなくなっちゃうんだよね。それですっかり体力も落ちて、最後はしばらく入院して点滴することになっちゃったの」 口内炎ができると、リンパ腺がはれる。 前は気づかなかったけれど、絶対に気のせいじゃない。いつも口内炎ができるたびに、首に沿ったリンパ腺のどこかが痛い。 そっか~、たかが口内炎って油断はできないんだ。やっぱり早く治したほうがいいかなあ。 いつか、そう思うようになって、薬が大嫌いな私も、口内炎には薬を塗るようになったのだった。買ってみたいワインが見つかりそう。お気に入りのマイワインを探すぞ♪こんなものもネットで買えるんだ~!現在の私は、お礼ギフトを探し中。自分では買えないから、もらったら嬉しい。そんなものがいいんだけど。
2005.01.31
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母は、父のことを「すごいマザコンだった」という。 中学生の頃に父親(つまり私の祖父)を亡くした父は、女手ひとつで育てられた。だから、母親を大事にするのは当たり前じゃないのかなあ。 父が50歳になる前に、祖母が他界した。 急に倒れたと思ったら、そのまま目を覚ますことなく数日後に亡くなってしまった。 実母を亡くした父だけれど、(義母である)私の母方の祖母にもとても思いやりがあると思う。もしかしたら、母よりもずっと。 母にとっては本当の母親だけど、父には義母だから気を遣っているからかな。そんなふうにも思ってみたけれど、やっぱり違うような気がする。 父のほうが、自分の親や子供に対して、情が深いんじゃないのかなあ。 自分の親を大事にしてくれるなら、少しくらいマザコンの夫でも私はいいけどなあ。
2005.01.30
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そんなこと、ひとことでは語れない。何が自分らしいのか、考えたってよくは分からない。 でも私のポリシーは「誠実であること」。 時々「辛口だね」って言われたりするんだけど、お世辞ってものが言えないのだ。かと言って、似合わない服を来た友人に「似合ってないね」とか、友達の作ったまずい料理に「これ、まずくて食べられない」とか、そんなことを言うわけじゃない。 思いもしないのに「案外似合ってるよ」「わりと美味しいんじゃない?」なんてことを口にできないだけなのだ。 そんな時は多分、黙っている。か、話をそらす。 「誠実」の意味は、他にもある。 知りもしないことを、知ったかぶりして話すのは大嫌い。知らないことは「え? わかんないから、教えて」と言えばいい。 知りもしないのに、適当な言葉を並べて、正しくない情報を相手に与えるのが嫌いなのだ。 陰口も、好きではない。 そりゃあ、私にだって苦手な人はいるんだから、時々ストレス解消はする。でも、本人とは全然関係のない人、決して本人と面識がなく、本人に間違って伝わってしまう心配などない誰かに、ちょっと話を聞いてもらうことにしている。 文句があれば、本人に直接言う。言わなければならない、と思った場合だけ。 でも言っても無駄なことは、言わないかもしれない。そのかわりに、堂々と言わないことは、陰でも言わない。
2005.01.29
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ワインとかハムとか、商品券やリフト券、それから宝くじ。大きなモノは経験がないけれど、ちょっとした懸賞には時々当たる。 そんな私にとっての、今までで一番の大物は「沖縄旅行」。 近所の商店街の懸賞に応募したら、当たってしまった~♪ しかしペアではなくて、一人で参加しなければならない。当選者は5名で、若い女性ばかりだった。商店街の人が同行し、10名くらいの旅になった。 あれは2月。泳ぐにはまだ早く、海は眺めることしかできなかった。 それなりのホテルに泊まり、ひと通りの観光地はツアーに組み込まれていた。若い女性ばかりなので、それなりには盛り上がる。 う~ん、でもなあ。 やっぱり当選するなら、ペアがいいと思う。 日帰り旅行なら、私も何度か一人で参加したことがある。だけど2泊も泊まるなら、やっぱりペアのほうがいい。知らない人と少し仲良くなったところで、ずっと同室で同一行動というのはちょっとキツイ。 ああ、そういえば。 中華街とランチバイキングの旅、日帰りツアーのバス旅行に当たったこともあったっけ。あれは忙しい季節で、当たったのにすっかり忘れてしまい、結局は行きそびれてしまった。気づいたのは、申し込みがとっくに過ぎた、ツアー当日の午後だった。
2005.01.28
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25歳の女友達が、初めてのお見合いをした。 彼女には、2年前から付き合っていた彼氏がいた。なのに新しい職場に変わった途端に、別の人からアプローチされた。その人は公務員だったし、とても積極的で誠実そうな人。彼女の気持ちはすごく揺れたらしい。 迷った末に二股状態になり、公務員の彼は付き合って数ヶ月でプロポーズをしたのだった。「ご両親に会ってみたい」と言われたけれど、二股状態なので、まずは母親にだけ紹介することにした。 そうしたら、彼女の母親。「あの人も人当たりが良くて、話も上手だけどね。あんた、2年付き合った彼氏とそんなに簡単に別れていいの? 無口だけれど、誠実そうな彼氏じゃない」と言っていたくせに、数日後に「どっちがいいか決められないなら、お見合いしなさい」と、彼女に第3の男を紹介したそうだ。 その結末。 彼女いわく「お見合いの彼は、自分の世界を持っていない人。何でも私に合わせてくれるところが嫌だから、お断りしたわ」…。 そして数ヵ月後には公務員の彼とも別れ、元鞘におさまることに。 お見合いって、もっと楽しいものだと思っていた。すごくオシャレして、素敵なお店でお食事して…? そんなのは幻想?
2005.01.27
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いつも横を向いて寝るくせがある。 上を向くと、何だか腰が痛いような気分になるのだ。 そのせいなのか、いつからか「顎関節症」になってしまった。そんな病名は聞いたこともなかったけれど、もう9年くらい前かな。森高千里が、このせいでコンサートを中止した時に、そんな病気があることを知った。 そんなに珍しい病気でもないらしい。 男性ではまだ聞かないけど、女性は周囲にも何人かいた。一番ひどい友人は、高校時代に口が5ミリくらいしか開かなくて点滴をしてもらった経験があると言っていた。 さて私の場合。 疲れると、あごの付け根?の部分が痛くなる。だから、そちらを下にして眠らないように気をつける。寝返りを打つから、無駄なんだけど。 通院して、かみ合わせの調整をしていたこともある。でも治らないし、痛みが取れたので、完治しないけど通院は止めた。 上を向いて眠れたら、きっとかなり良くなるんじゃないかなあ。 ってなわけで、仰向けのまま眠る姿は私の憧れなのだった。
2005.01.26
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子供の頃、同居していた祖母とケンカして、家出したことがある。オモチャだけ持って出かけたから、ほんの近所を散歩したくらいだと思うけど、定かでない。 もう少し大きくなって、母とケンカした時にもやっぱり外に出た。それでも歩いて出かけていたから、きっと家出なんてもんじゃない。ちょっと頭を冷やしに行った程度だったんだろうな。 一人暮らしをしていた頃がある。 実家は両親の家だから、子供は独立したくて家を出る。一人で暮らしてみれば、親のありがたみもよくわかった。 家を出るのは、子供のほう。それは、決して疑うことのない、常識だと思っていた。 でもある日、母親を追い出したと彼女は言った…。 彼女は、女3人姉妹の長女だった。妹たちは既に結婚して、実家からは離れて暮らしていた。 間もなく50歳になろうという彼女のお母さんだから、70歳は超えていたんじゃないかな。数年前に父親を亡くし、母子2人で暮らしている家族だった。「前から、仲は良くなかったの」彼女は言った。 しょっちゅう一緒に旅行に行く2人は、仲の良さそうな親子に見えたのだけれど。「自分が出て行こうとは思わなかったの?」「どうして私が出て行かなきゃならないの? 悪いのはあっちなのに」「だって、ご両親が建てた家でしょ?」「私だって50年近く住んでいれば、追い出す権利はあると思うけど」 最初は他の娘の家や友人宅に世話になっていたというお母さんも、そのうちアパートを借りたらしい。70歳を超えて、初めて狭いアパートで一人で暮らす気持ちは、どんなものだったのだろう。 どの家族もみな違うから、きっと私にはわからない何かがあるのだと思う。思うけど、でも…。
2005.01.25
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20年くらい前のアフガニスタンの映像を、テレビ番組で観たことがある。緑がいっぱいで、本当に自然豊かな美しい国がそこにはあった。 戦争が20年も続いてたんだから、今20歳の若者は、平和を知らないまま大人になったということなんだなあ。戦争の中で生まれて、ずっと戦火の中を生き、心安らぐこともなく大人になったのだろうか。 それとも、いつも戦争があるのが日常だから、少しずつ鈍感になっていくのだろうか。 私はおばあちゃんっ子だったから、戦時中の話を聞く機会があった。疎開していた頃のこと、食べる物に苦労した話くらいしか、覚えてはいないけれど。 それでも十分に、もう2度と日本は戦争をしてはいけないということが心の奥に刻まれて育った。 原爆のアニメ映画を観た時、原爆ドームへ行った時、アメリカの航空博物館でB29の戦闘機を見た時、世界のあちこちで起こる戦争の映像を観た時、いつもいつも特別な気持ちが心をしめつける。 アメリカにほんの少し暮らした頃。 戦火の耐えない祖国ソマリアに、帰りたくても帰れない友人がいた。ベトナム戦争で敗北した、南から小さな手漕ぎボートで逃げる途中、海賊に襲われたという友人もいた。妊婦のまま国境を越えた思い出に、祖国の話をするのは辛すぎると涙するコンゴ人の友人もいた。 戦争の体験を語る、たくさんのほとんど同世代の友人たちに囲まれた経験は、それはそれは衝撃的だった。 「戦争を知らない子供たち」日本でそんな歌が流行ったのは、私たちよりどのくらい前のことなんだろう。 私たちにとって戦争の話や体験談は、おじいさんやおばあさん、または学校の授業で聞くものだった。戦争のことを、きちんと語り継がれないまま、私たちは何も語れない大人になってしまった。 世界には、戦争の実体験を持つ、私たちよりもっとずっと幼い子供たちもたくさんいるのに。 何も知らない大人のまま、おばあさんになってもいいのかな。今からでも、誰かちゃんと話してくれたら、私もいつか自分の子供や孫に、ちゃんと語り継いでいきたいのだけれど。
2005.01.24
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久しぶりの友人と偶然出くわしたので、少しの間、立ち話をしていた。「そういえば、最近、彼女とはどう? 私はもう全然会ってないんだけれど」 私がそう尋ねると、友人が答えたのは「彼女はすごく寂しがりやだからよくお誘いがあったんだけど、私も忙しくて。でも最近はぱったり誘われなくなったの。きっと彼氏とうまくいってるから、忙しいんじゃないの?」 ……?「え? 彼氏って、どの彼氏?」「ほら、前に話してた、遠距離恋愛の彼氏だよ」「ああ……(無言)」 そっかぁ、あの人とは別れたと言ってたけど、きっとまたメールしちゃったんだなあ。 でも、あの人は「彼氏」なのかなあ。 彼には、家庭がある。子供たちとも仲良くやっているし、マイホームパパだと聞いている。 遠距離だから、彼女と会うのは年に1度か2度くらい。携帯で話したり、メールしたり、そういうお付き合い。体の関係もないらしい。ほんのちょっとだけ、手をつないだことと抱きしめられたことがあるんだったかな。 でも、前に携帯の通信費が高かったから奥さんにばれて、それからは彼女が電話代を払ってると言ってたっけ。いつも相手の都合がいい時にはワン切りしてもらって、かけ直すらしい。 奥さんも、怒るってことは、それを夫の浮気相手?とか思ってるのかな。けど彼は、そんなつもりなのかなあ。出会い系で知り合ったわけじゃないから、メル友って呼ぶのは変? それでも、以前から知ってる女友達と、メル友以上恋人より全然未満?(意味不明)の関係ってだけじゃないのかなあ。 奥さんにとっては、やっぱり嫌かな。 彼女が「彼氏」と呼ぶのは、やっぱり変かなと思うけど。不倫だからって気にしてたけど、不倫って、どういう関係のことかなあ。
2005.01.23
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子供の頃、食べ物の好き嫌いがとても多かった。肉も嫌い、魚もダメ。かと言って野菜が好きってわけでもない。麺類・イモ類・パン・玉子・果物、あとはお菓子とか。 生きている姿を感じるようなものは、特に食べられなかった。 もちろん今は大人になったし、肉も魚も食べられるようになった。だから旅に出ても、その土地の食べ物にあれこれ挑戦する楽しみができたのだった。 あれは上海に行った時のこと。 「火鍋」をぜひ食べるようにとガイドブックに書かれていたので、楽しみに近くの食堂に行ってみた。 友人と2人、鍋の中身を尋ねられて、豚肉をオーダーした。 日本では食べたことのない味付けのスープだったけれど、ピリからで濃い味のアツアツ鍋は美味しかった。具もたっぷりで、値段も手ごろ。ビールを飲みながら、私たちは食事を堪能していた。 でも。 ほんの少し、何かがおかしい。 う~ん、豚肉かあ。何となく、皮がつるんとしていて、食感も軟らかい。ちょっと違うかなあ。 食べている途中で、私は急に気がついた。 ああ! さっきの漢字は「ぶた」ではなかった。あの文字の意味は…。 ほぼ確信したけれど、どうしても友人には言い出せない。言ったら絶対に、残りは食べられなくなる。 すっかり鍋を平らげた時、私は切り出した。「あのね、変なこと言うけど…。今食べた鍋、豚肉の鍋じゃなかった気がするの。『狗』という文字の意味、急に思い出したんだけど犬じゃないかなあ」「……」「……」 ホテルに戻り、フロントで聞いてみる。 中国語が話せない私たちだったけれど、あの漢字を書いたら、フロントの女性が「ニャーニャー」と言った。 「?? ワンワン?」 彼女の勘違い、彼女も犬のことを言いたかったらしい。 食べるつもりじゃなかったのに。あ~あ、ショック…。
2005.01.22
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一人ぼっち。 それは、友達がいないってこと? 周囲に仲間がいないということ? 本当に孤独だなあと感じる時。それは、私にとっては、一人でいるときではない。 私は、一人で過ごす時間が好きだ。 自由だし、自分の好きなようにしていればいいから。 ぼぉ~っとするのも好きだし、あれこれ空想したり、考えごとしたり。そういう時間は悪くない。 悪くない、というよりは、そういう時間が私には必要だなあ。 私は、いつも仲間がいっぱいいて、その中でもリーダーみたいに中心になってるって見られることが多い。 そんな姿も、私自身の一部ではある。でも、それがすべてではないんだ。 リーダーなんて、時々面倒くさいよ。気が向かない時には、黙って誰かについていくほうが楽だなあ。ついていくのさえ面倒で、ゴロンと寝ていたい時だってある。 本当は私、大人数の飲み会って嫌い。 心を開いて話し合ったりなんて、できないよ。そういう時は、上辺の話しかしない。 皆でつるんで同一行動を強いられるのも苦手。一緒に旅行に行ったって、いいじゃん、時には自由行動で。 誰かと一緒にいるのに、やたら寂しい気分になる時。 そんな時は、一人ぼっちより孤独だな。 ああ、でもそんなこと分かっているのに、いつのまにか私、一匹狼のたくましさを失ってしまったかもしれない…。
2005.01.21
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元旦早々に友達が電話をくれた。 彼は、日本に働きに来ている外国人だった。 日本人にとっては家族が集まるにぎやかなお正月だから、一人で日本にやって来た外国人にとっては寂しいんだろうなあ。そう思ったくらいで、電話を切った。 ところが今日また電話があって、話があると言う。 何だろう。ずいぶん深刻そうな、そしてまた照れくさそうな様子。もしかして、告白?? まさかね。 結局は、また電話すると言って、切れた。 夜になって、もう一度かかってきた電話。 元旦に、2年くらい付き合っていた彼女にふられたんだって。 相手は、日本人。家を訪ねて、両親にも会った。一緒に何度か食事をしたこともあるらしい。 でも、別れた理由は、両親の反対にあったから。彼が外国人であることが、反対の理由だった。 彼には納得がいかない様子。 でも日本では、よくありそうな話だった。浅黒い肌の色。宗教の違い。文化の違い。国民性の違い。言葉の壁。 彼は日本語ペラペラ、日本の料理も好んで食べる。 それでもやっぱり、それだけじゃダメだったんだ。 寂しいけれど、虚しいけれど、かける言葉がうまく見つけられなかった。
2005.01.20
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彼女は、マレーシアからやって来た。 5月に会った時「お金を貯めたら、絶対に日本に行ってみたい」と言っていたけれど、本当にそれを実現した。 でもなあ、こんな寒い時期に来なくてもいいのに。ここしか休みが取れなかったのかな。 祖国は30度を超える日々なのに、初めて10度を切るような寒さを体験したらしい。彼女が行ったことのある国は、タイや香港だったっけ。寒い国に行ったことはないのだという。 せっかく初めての国に来たのだから、彼女の喜ぶ所へ案内したい。マレーシアではいろんな種類の料理を食べ歩き、すごく楽しい日々を過ごさせてもらったのだから。 まずは、大阪でお好み焼きとねぎ焼き、焼きそばに挑戦。イスラム教徒の彼女は、豚肉は食べない。シーフードならOKとのことで、すべてシーフード入りにした。 翌日は、京都で豆腐料理。といっても、お手頃価格のランチだったけど。夜はなぜか、石焼ビビンバなんかにチャレンジしてみた。でも、やっぱり中身はシーフード。 金閣寺はお気に召したのかどうか。寒過ぎて、落ち着かない様子だったけれど。お土産いろいろ選んでいたから、まあまあ良かったのかな。
2005.01.19
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赤痢を海外から持ち帰ったのが、私にとっての唯一の入院経験につながった。 検査の結果、赤痢と診断されたという電話があって間もなく、保健所から車が迎えに来た。何と言っても「法定伝染病」ってやつなので、電車やバスはもちろんタクシーにも乗れない。だからお迎えの車が来て、部屋中を消毒されて、後は病院へ直行だった。 一般病棟ではなく、特別に建てられている「隔離病棟」ってところに入院。部屋にはトイレがついていて、窓は開かない。 退院できる条件は、便から赤痢菌が検出されない日が連続で7日間続くこと。だから毎日の排便の後、看護婦さんを呼ばなければならない。そしてまずは目で色や形状を確認してもらった後、検査のためにほんの少量を取ってもらってから水を流す。 これはかなり屈辱的な気分だった。だって、恥ずかしすぎる。大人になってから、誰かにそんなものを見せた経験はないし。もしも下っている時は、そんなモノを見せるのだろうか。 幸い私は、赤痢と診断される前、病院で最初の検査を受けて自宅待機をしている3日間のうちに、処方された抗生物質を服用して治ってしまっていた。 あれは夏の終わりだった。他に隔離病棟に入院している患者はいなかったので、12人くらい入れる病棟は私だけの貸切だった。部屋にテレビやお風呂はないけれど、どうせ自分しか患者はいないし。 病院の食事も悪くなかった。 運ばれてすぐに食べるので、決して冷たい食事をしなくてもいい。いつも温かいうちに食べることができた。 カロリー計算と栄養のバランスを熟考されつくしたメニューのおかげで、太ることもなく美味しくいただいた。お腹への配慮であろうおかゆ続きと、消化の良さそうなあっさりしたモノばかりのメニューが、元気になった私には物足りなかったけれど。 洗濯は、洗濯機と乾燥機が設置されていて、無料で使うことができた。ただ、洗う前に1時間くらい、バケツにすべての洗濯物を入れて、消毒液に浸けなければならなかった。 また病棟へ診察に来る医師は必ずマスクをし、隔離病棟に入った途端に手を洗い、白衣も着替える。私の菌を持ち出さないように。 貸し切り病棟に入院する私に「壁やいろんなとこを、やたら触らないでね」とカワイイ顔したナースがのたまう。 お見舞いに来てくれる友人たちとは、インターホン越しでしか話せない。駅の切符売り場みたいな、空気穴の開いた窓さえない。空気感染する病気もあるから、仕方ないのだけど。 私が出す手紙などは、すべて消毒の光を当ててからしか外部には持ち出されない。退院前には、持ち込んだすべての物(衣服やカバン、筆記用具から目覚し時計まで)を、光線で殺菌消毒して下さった…。 こんな屈辱的な思いもあったものの、最短の10日で退院を許可され、電話代以外は美味しい食事もすべて国費でまかなわれ、あの暑い夏の入院生活は冷暖房完備で快適に終わったのだった。
2005.01.18
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2人姉妹で、いつも妹と比較されながら育った友人がいる。妹はいつだっていい子で、姉はちょっとひねくれて育ったという。それでも、大人になった今でさえ甘え上手は妹、姉は親に甘えられずに親を気遣ってはお土産をせっせと買っている。 姉と弟にはさまれた、二女の女友達。彼女のお母さんと私の母は、ちょっと似ている。そして母親への複雑な思いも、とても似ている。 彼女のお姉さんは、のんきな長女タイプ。そしてちゃっかりしてる。彼女は二女なのに、長女の私と似てる気がするのは、しっかり者に育ったからか。 どんな兄弟構成で育っても、きっとそれぞれに親にはいろんな思いや不満を抱くのだろう。親が子供に期待するように、子供も親に期待する。「お母さんなんだから、優しくしてほしい」「お父さんに頼りたい」「ねえ、もっと私のことを見て」「もっと子供の気持ちを理解して」「親なんだから、手本になる生き方をしてほしい」 期待の中身はみな違っても、期待のすべてに応えてもらえるわけでないところは、きっと同じ。 大人になって、やっと分かったこと。 親だって、大人だからといって、決して完璧ではありえないこと。 私は大人になったけど、まだ親にはなったことがない。でも、完璧な人間になれるとは、とうてい思えない。 だけど子供の頃は、親なんだからもっと平等に、子供たちを同じように愛して育ててほしいとか思ってた。 私はあまり両親に甘えなかった分、自由を認められていたし、信用もされていた。私が決断したことを、大きく反対されることはそんなにはなかった。 それは、他のきょうだいへとは違う、私への特別な信頼だったらしい。他のきょうだいに言われて初めて、そのことを意識するようになった。 姉として育ったから、我慢もたくさんしたけれど、いいこともきっとあったはず。だけど、子供ってそんなことを考える余裕はないから、いつもたくましくしっかり者でいなければならないことを、とても大変だと思うことがあった。 きっと親の立場だって、子育てに気持ちの余裕が持てなかったりすることもあったのだろう。だけどもちろん子供に親のそんな気持ちを察する余裕もないのだから、それ以上に親に察してほしいことばかりを持て余す。
2005.01.17
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中国人の友人たちと一緒に、水餃子を作った。 白菜4個分を刻むのは、大変な仕事だった。皮も全部手作りで、本当は強力粉と薄力粉を混ぜて作りたかったのだけれど、知らないうちに却下されたらしい。強力粉だけは残っていて、打ち粉として使われていた。 あ~あ、そっちのほうが高かったのに。 もう何度目かになるので、私はその正体を知っていたけれど、日本人の友人の一人が言った。「こんなにたくさん焼くのなら、ホットプレートを持参すれば良かったね」 だから、水餃子だってば。 でも、スープに入った餃子とは全然違う。日本人に分かりやすく表現するなら「ゆで餃子」と言ったほうがいいかも。 中国人は、みんな餃子を作るのが上手なのかなと思っていた。でも、それは大きな勘違い。 餃子を作って食べる文化は北部に暮らす人々にはあっても、南の地方では作らないらしい。 まあ、それも当たり前かな。 何と言っても、中国は広すぎる。
2005.01.16
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おばあちゃん好きな私には、たくさんのおばあちゃん友達ができた。その中のひとりに、よねさんがいる。 90歳の手前くらいかなあ。 笑顔の可愛らしい、大好きなおばあちゃんの一人なんだけど、彼女は一週間前に喫茶店に行ったことも覚えててくれない。「よねさん、今週もお茶飲みに行こうか?」「喫茶店は行ったことないから、楽しみやなあ」「先週も一緒に行ったでしょ?」「いやあ、私は初めて行くわ」(ま、いいか)「よねさん、今日は何を注文したの?」「何だったかなあ、忘れたわ」「この近くに、息子さんのお店があるんでしょ?」「私は一度も連れて行ってもらってないから、場所はわからんわ」(あれれ・・・) とまあ、すぐに忘れちゃうわけだけど、よねさん大事な思い出は、亡くなったご主人のこと。「藤田さんが私を見初めてくれて、結婚したんさ」「男前やったから、家に他の女の人を連れて来ることもあったけど、好きやったからなあ。我慢せな仕方ないやろ」「子供が2人できたんやけど、その後にお父さんは戦争に取られてな。2年くらいで無事に帰って来たけど、戦死した人も多いのに嬉しそうにしてられへん」「それからまた子供が3人できてな。私は5人子供を産んだんさ」「結婚くらいは、自分の本当に好きな人とせな、つまらんやろ」 よねさんの得意な話は、いつもこのご主人の話。 男前の藤田さんに見初められた話をする時には、私より、もっとわか~い少女の顔をする。それはそれは可愛らしい、少女の顔。その顔が見たくて、何度もこの話をおねだりしたくなる。「よねさん、幸せだったんだね」「そうやなあ、まあ幸せな人生やったんかもしれんなあ」
2005.01.15
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私の仲良しの女友達は面白い。 自分でもよく言ってるけど、人見知りは強い。でも言うと決めたことは、はっきり言う。気が強い性格なのだそうだ。 だけど、なぜだか度胸がすわってない。 気は強いけど、気が小さいのだ。 何となく矛盾しそうな表現だけれど、彼女は本当にその通り。 気が強いくせに、例えば交渉ごとなどは苦手だ。値切るのも苦手、試食をしたら買わなきゃ悪いって感じだし、断るってのが得意じゃないのかな。 そして、彼女には「妄想癖」がある。ちなみに私には「空想壁」がある。 本来の言葉の意味とは違ってくるのだけれど、私と彼女の間での理解は「妄想癖=起こってもいないのに悪い想像を巡らせて、心配で自分自身ががんじがらめ状態になること」「空想壁=楽しい想像を巡らせる、夢見る夢子さん」そんな感じなのだ。 彼女はその「妄想癖」ゆえに、時々悪い夢を見るらしい。そして「空想壁」の私は、眠りにつく前のひと時に空想の世界を駆け巡り、楽しい夢の世界にそのまま突入する。楽天的で能天気な私らしい夢の見方だと思う。 でも彼女は、後悔しない性格なんだ。楽天的ってのとは、違うのかもしれないけど。
2005.01.14
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3週間くらいの予定で海外へ行ったのに、5日目くらいに高熱を出してしまった。 とても暑い国で、関節がやけに痛むと思って熱を測ったら、38度くらいあった。おなかをこわしたことがない私なのに、どうも調子が悪い。でも、吐き気はなかった。 ガイドブックで症状をチェックしながら、自分はどんな病気なんだろうとあれこれ想像していた。熱は40度を超えた。夏なのに、寒気がする。 でも2日置きくらいに下がったりもする。う~ん、吐き気がないからコレラや赤痢ではなさそう。この熱の出方は、マラリアだったりして。 マラリアは日本にはない病気だから、現地の病院で薬をもらって治すようにと、ガイドブックには書かれている。でも、熱が下がったのを見計らっては観光を続けていた。 だって、伝染病とは限らないし。 そして、帰国。 空港で発熱と下痢を伝えたけれど、夏休みの東南アジアからの帰国客はとても多い。皆1度くらいは、おなかくらいこわすものらしい。申告している客の長い列ができていた。「今はもう大丈夫ですか?」「はい、熱も下がっているし、おなかもまあ治ってきたみたいです」 そして、そのまま帰宅。空港を離れて電車に乗る前には、また熱が上がって来てる気はしていたのだが。 数日後、やっぱり熱はどんどん上がるし、病院に行くことにした。 検査が終わって、抗生物質を処方された。そして3日後に結果が出るまでは、外出を控えるようにと言われた。 3日後に保健所の車が迎えに来て、入院することになった。隔離病棟のある病院だった。 法定伝染病である「赤痢」だそうだ。マラリアでもなく、ごく普通の「細菌性赤痢」という病気にかかっていた。 部屋にはトイレまでついていて、他には入院患者もなく快適だった。抗生物質のおかげで、入院した頃には体調はもうすっかり良くなって、ずいぶん優雅な入院生活だった。 赤痢になったことを誰もうらやましがってくれないけれど、私には、実はひそかな旅の勲章なのだった。
2005.01.13
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インドの西から東まで、列車で移動しようとチケットを予約した。午前中に駅の近くのホテルをチェックアウトして、駅に向かおうとすると、フロントの人が「列車が遅れているから、まだココにいていいよ」と言う。 2時間くらい、遅れるらしい。インドでは長距離列車が遅れるのは日常茶飯事。ガイドブック等にも書かれてはいたものの「2時間…ってねえ(汗)」 長距離列車の遅延情報がすぐに分かるような掲示板が、駅に設置されていた。 親切だなあと思ったけど、2時間しても列車が来る気配がない。ホテルに荷物を置かせてもらい、時々掲示板を確認しに行ってみても、到着時間が延びていくばかり。 結局、列車が来たのは夜中だった。14時間の遅れ!! 同じ列車が折り返し運転をするので、東西に伸びるこの路線は遅れの幅が大きいらしい。それにしても、14時間かあ~。 やっとたどり着いた町には、雨期で濁った水が流れる大きなガンジス河が待っていた。聖なる河では人々が沐浴をし、子供が飛び込んで遊び、動物の死体が流れ、飲み水なのかペットボトルにくんでいく人々もいる。宿泊を決めたホテルにはヤモリがいて、町ではたくさんのサリーが売られていた。
2005.01.12
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アルゼンチン人の知り合いがいる。彼女は日系のアルゼンチン人と結婚して、9ヶ月になる赤ちゃんとの3人家族だ。 彼女が家族旅行で京都に行った時のこと。 とても綺麗な着物を着た「芸者さん」(私は、もしかしたら舞妓さんだったのかなと思うけど)が数人、通りを連れ立って歩いているのに出くわした。彼女にとって、着物姿は憧れ。「きゃ~、メチャメチャ綺麗♪」と嬉しくなって「一緒に写真を撮って下さい」と頼んだそうだ。 ところが冷たく「あっちへ行って!」とあしらわれたという。 本当かなあ。舞妓さんってイメージを大切にするから、断らないんじゃない? それとも、それはテレビに映るような人たちだけ? または仕事中じゃなくてプライベートだから断ったのかも。 つまり、頼んだのが外国人じゃなくても、日本人が頼んだとしても、断られたんじゃないのかなあ。そんな気もする。 う~ん、それとも。 もしかしたら彼女の日本語が、相手に通じなかったのかも。でもカメラを持ってたら、気づくよね。 …と、疑問だらけになったのでした。
2005.01.11
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中学・高校と6年間片思いをしてた彼と、偶然デパ地下で会ったと楽しそうに友達が話す。そっかぁ、あの頃は本当に大好きだった相手だもんね。 「カッコ良くなってた?」「まあまあかな。悪くはない」「そういえば、BMWに乗ってたっけ」 でももう、すっかり遠い人。独身でいるのかなあ。どっちでもいいか。だってみんな、もうそれぞれに新しい恋をして、大人になっちゃってる。過去の想いとして、懐かしむだけ。 かなり年上の女友達がいて、彼女が言った。 「私はね、もう20年くらい、片思いしてるんだ」 高校時代の同級生だったか、幼なじみだったか。彼女と同い年の相手は、いつか結婚してしまった。 そっか。それでも続く片思いって、一途…。最初は、そう思って話を聞いていた。 でも、長いなあ。20年? それで彼女は、今までずっと独身なのかな。ちょっとショックだった。 男友達だったか弟だったか。話す機会があって、そんな話題になった時「重いなあ」とポツリ。 自分の中だけの想いは、相手のイメージが美化されて残る。付き合うことなく想い続けるだけならば、幻滅することもない。 でも、ず~っとそれを続けるのは、辛くないかな。会うこともなく、それでも想い続けられるものなのかな。 例えばその想いはそっと心の奥に大切に抱きながら、別の恋愛して結婚する、なんてことはダメなのかな。いろいろ考えさせられた夜…。
2005.01.10
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他人から口止めされた話を、ついうっかり誰かに話したことはありますか? 私は、絶対にない。 中学生の頃から、口が堅いことには自信があった。というか、それが私のポリシーだった。 普段からよくしゃべるから、おしゃべりには違いない。いつも頭の中では、話したいことが次から次へと回っている。 だからといって「口が軽い」という意味の「おしゃべり」ではありたくない。そう思ったから。 口止めされてないことなら、よくしゃべる。 でも私から誰かの秘密を聞き出そうとしても無駄。絶対に話さない。 だから自分のことを誰かに話す時も、すごく慎重に相手を選ぶ。なのに、時々失敗することがある。 無口な人は、秘密を守る? 必ずしもそうとは限らない。でも、お調子者は口がすべることも多いかも。
2005.01.09
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「外人」という言葉を辞書で調べてみたことがある。 もちろん「外国人」という意味があるのだけれど、それ以外に書かれているのが「他人。外部の人」という意味。 日本人が使う「外人」という言葉には、よそ者を受け入れない背景を感じると、外国人の友人たちは言う。 家にあった古い広辞林には「外国人。主として欧米人にいう」と書かれていたので、またまたビックリ!! どういうことじゃ? 私の推測。 欧米人に対する昔の日本人のイメージは「金髪。白人。英語を話す」という感じ。そしてイコール、それが「外人」だったんじゃないかな。つまり欧米の国籍を持っていても、黒髪や、アジア系の移民などは、外人らしくない。正当な外人というのは、金髪の白人で、英語を話す(ドイツ語もフランス語もスペイン語も、どれも英語にしか聞こえなかったかも)もの。 アジアの国には、目も向けていなかった頃。 憧れの海外旅行というのは、欧米諸国に行かなければ意味がなかったのかもしれない。 韓流ブームの現在からは、ほど遠いイメージ。 こんなに外国が身近になり、日本にもたくさんの外国人が暮らしていたり、旅行に来たり。 「外人」に「さん」をつけて「外人さん」と丁寧に?呼んでみたところで、排他的なイメージは消せはしない。そろそろ「外人」という言葉は捨てて「外国人」という言葉を使ってみたらどうかな。 私が見た別の辞書では「外人」は「外国人をさす、差別用語」と書かれていたものもあったんだ…。
2005.01.08
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健康にだけは自信がある! そんなことを簡単に口にできた頃…。 でも、みんな少しずつ、健康を失っていくんだなあ。 Webの検索サイトで、今までにいったいいくつの病気を調べただろう。自分だけじゃなくて、周囲の人たちに頼まれたりしては、あれこれ調べた。 貧血やアトピー、うつ、顎関節症、ヘルニア、ぜんそく、骨折、鼻炎、白内障、脳卒中…、もう思い出せない長い名前の病気や聞き慣れない病気とかも。 病は気からって、私は本気で信じてて、なぜか毎日のように、免疫力がアップするというバナナを食べている。風邪をひいても薬は飲まず、栄養とビタミンCと睡眠をたっぷり。あとは気合で治す。 病院に行くよりも、温泉旅行にでも行くほうが元気になったりもする。 失ってから気づいても遅いから、これからは身体を大切に使わなきゃって、時々そのことを思い出す。
2005.01.07
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かなり不仲な夫婦がそれでも離婚しない大きな理由は、子供のためにってことらしい。 アメリカでは、仲の悪い夫婦が子供と一緒に暮らすほうが、子供の教育に悪影響だからという考え方が主流だとか。 私の両親も、仲の良い夫婦ではなかった。 子供の前で、しょっちゅうケンカをしていた。暴力とかモノが飛び交うとか、そういうわけでもなかったのだけれど、子供だった私はオロオロした。それでも、もっと幼い弟たちのために、しっかりしなければと頑張っていた。 けれど大人になってみて、不仲な両親でも、離婚せずにいてくれて良かったなと思った。きょうだいが別々に暮らさなくて良かったから。親との関係がイマイチだった分、きょうだいの結束は強かった。友達みたいに仲の良いきょうだいだねって言われることも多かった。 でも、妹は同じ意見ではないらしい。きっと私よりももっと、心を痛めて育ったんだろうな。 両親がかなり不仲。親と子供も、かなり複雑な関係。そんな男友達は「ずっと両親が離婚すればいいのにって思って育った」という。世間体を気にして離婚しない両親が、すごく嫌だったらしい。 でも大人になってわかったこと。 どこの家族だって、それなりには問題を抱えてる。家族の形なんて、十人十色。家族の数だけ、形も違う。 よその家庭なんて、うらやましくない。うらやんでも仕方ない。 やっぱり自分の親やきょうだいとの関係を、どんなふうにしていくかを考えたほうがいい。いつからか、そう思うようになった。
2005.01.06
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朝はすごくテンションが低くて、夜になると元気になっちゃって眠れない、という友達がいる。私が起きてメールをチェックすると、すごい時間にメールが来てたりする。 アトピーがかゆくて、朝まで一度も目が覚めずに眠ったことがほとんどない。夜中も無意識にかきむしっていて、布団に血がついてることも珍しくない。そんな友達もいる。 2年くらい前からずっと、薬を飲まないと眠れない、という人もいる。彼女は今でも通院しているけれど、いつも短いカウンセリングの後に、同じ薬が処方されるらしい。 さて、私が眠れないのは…。 まずは、興奮状態が強い日。その日に英語が飛び交う環境にいたりすると、夜はもう大変! 頭の中で、英語が炸裂する。 私は、眠りに落ちていくまでの時間が大好き。 ぼぉ~っと、いろんなことを考える。嫌なことを考えることはあまりなくて、楽しい想像ややりたいことなどが、たくさん浮かぶ。 なのに、興奮状態にある夜は、英語でぼぉ~っとはできないから、頭が冴えきって眠れない。意識して思考を止めないと、とてもじゃないけど眠りに落ちるなんて無理。 それから、翌日にイベントがある日。遠足の前日にはよく遠足の夢を見たりしたけれど、大人になった今でも、翌日に遠出する予定があると、やっぱり興奮状態なのかなあ。なかなか寝つけない時がある。 子供の頃から隣に寝ていた祖母に「あんたは、布団に入って3分もしないうちに寝てる」と言われていた。グループで旅行に行った時にも「滑走路を滑るように、眠りに落ちていく」って皆に笑われたっけ。 そんな寝つきのいい私だったのに、眠れない日は時々訪れる。 最近一番ひどいのは、夜中の変な時間に目が覚めてしまった時。 そこから再び眠りの世界に戻っていくことが、なかなかできない。 楽天的で能天気。そう思ってる私だって眠れないんだから、うつ病に悩んでる私の多くの友人たち、そりゃあ眠れない夜もあるよ。 眠らなきゃって思ったら、余計にどんどん目が冴えて、眠れなくなるから困ったもんだよね。 朝起きたら、太陽の日差しを浴びるといいらしい。 太陽のめぐみは、人間にもパワーをくれる。体内時計をリセットして、夜には眠くなるようにしてくれるんだって。身体で日差しの暖かさややわらかさ、優しさをしっかり感じたら、気分も少しずつ明るくなるよ。
2005.01.05
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北海道に行ってみたい。そう思ってツアーをあれこれ探していたら、とても手頃なものが見つかった。 全日程が5日間くらいだったかな。ちょっと長いので、同じように休みが取れる友達としか行けない。誰かいないかなあ。 ちょうどその週末だったか、高校の同窓会があった。そこで久しぶりに会った同級生の1人が「あ~、私、一緒に行きたい♪」と言ったので即決。彼女とは、特に仲が良かったわけでもないけれど、悪くもなかったし、普通に、適当に、まあ仲の良い関係だった。 まだ卒業してそんなに経っていなかったから、疎遠になってもいないし。迷うことなく、即決した。 その旅から帰って以来、彼女とは1度も会っていない。 あの旅は、私のその後の大きな教訓になった。「女友達との2人旅は、絶対的に仲の良い相手じゃなければ行かないほうがいい」 母か妹か、彼氏か親友か。2人きりの旅行なら、それくらい慎重に相手を選んだほうがいい。それが私の今の意見。数人のグループで行くのなら、まあいいんだけど。 「あまり深くない友達関係」の女友達は、自分の意見をはっきり言わないことも多い。不満を心に溜めて、突然爆発することもある。 相手の性格があまりわかっていないから、どんなふうに接すればいいのか、数日間も寝起きを共にする場合には戸惑いが多過ぎる。 北海道に一緒に行った時、女2人の旅だからナンパされる機会も多かったのだけれど、彼女の気まぐれに振り回された。 私はいちいちナンパされずに、無視しておけばいいと思っていた。でも彼女は「退屈だから、別にいいじゃん」と相手を受け入れておいて、気に入らない所を見つけると放り出す。私たち2人連れをナンパする相手はたいてい2~4人だったから、放り出された彼らの相手をするのは私。あ~もう面倒くさすぎる。でも、急に冷たく知らんぷりするのは、私にはしづらい。だったら最初から相手にしないほうがいい。 だって相手もおかしな人たちじゃなくて、結構まともな大学生だったりしたんだから。急に態度を変えるなんて、私はできなかったんだ。 あの時、私が友達に借りてきたCDプレーヤー壊したでしょ。私はほとんど聴いてなくて、彼女にずっと貸してたのに。急に聴かなくなったなと思ったら、もう壊れてて聴けなかったよ。修理代、返してよね!
2005.01.04
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小学生の頃、朝の通学班での登校が大嫌いだった。ひと言も口を開かず、黙ったままで30分くらいの道のりを歩く毎日だった。 教室の中では、ごく普通に、よくしゃべる子供だった気がする。でも朝の登校時間は、別に我慢しているのではなくて、ほんのひと言さえも話せない、話したくない、だから話さない時間を過ごしていた。 気持ち悪いとか、おかしいとか、(2列登校なので)一緒に並びたくないとか、周囲にはいろいろ言われていた。でも平気だった。とにかく通学班という体制が嫌い、上級生が嫌い、姉がいるからと態度がでかい同級生も下級生も嫌い。 話せない私が悪いんじゃなくて、話せない雰囲気なんだから仕方ない。 教室に行けば友達がたくさんいて、先生ともしゃべるし、何っていうほどのことじゃない。でも大人になって知ったけれど、そういう状態は「場面緘黙(かんもく)」というらしい。 「場面緘黙」とは、会話能力はあるにもかかわらず、何らかの心理的原因によって、特定の場面(多くの場合は学校や幼稚園など。つまり家庭のような親近的ではない場面)では、言葉による表現を避ける、つまり話さないという心の働き。しかもこれが、数年持続する状態だとのこと。 「緘黙」という言葉は初めて聞いたけど、ひどい場合は治療も必要になるような「情緒・行動障害」だったらしい。 でも多分、担任もクラスの友達も、誰も知らなかったと思うんだ。そして6年生になって、上級生がいなくなったら自然に治ったし。 今の私しか知らない人は、私に「しゃべらない時間」があったことを知ったら、驚くだろうなあ。
2005.01.03
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初めて行った国は、アメリカだった。 アメリカがそんなに広いとは知らなかった。「ロスのディズニーランドに行くから、ついでに自由の女神も見て来よう」そう思って地図を見たら、西と東に離れていた。でも、飛行機じゃなきゃ行けない距離だなんて知らなかった。 英語が話せない私。飛行機も初めてだった。1ヶ月のホームステイも、もちろん初体験。 旅行を申し込む時には、わくわく。 いよいよ出発する頃には、ドキドキ。 でも、ロスの空港に着いて、ホームステイ先のホストマザーが迎えに来てくれてからは…、結構辛い日々だった。 日本語ならおしゃべりな私も、英語では「彼女は全然話さないから、楽しいのかつまんないのか、全然わからない」と陰口を言われてしまうくらい、無口になった。(聞き取ることは、できたらしい) 憧れだった自由の女神は、あまりにも遠かった。
2005.01.02
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元旦から富士山が見れたから、今年もきっと幸せな1年にしよう。 幸せは、みんなで分け合うほうがいい。それでも幸せは減ることはなく、きっと膨らんで行くに違いないから。 でもま、私の場合は、不幸もみんなに分けてしまうからどうなんだろう。みんなに話しているうちに、そんなことどうでもよくなったりする。誰かになぐさめてもらうよりも、ちゃんと話を聞いてくれる人がいれば、それだけで良かったりもする。 今年の抱負は、何にしようかなあ・・・。
2005.01.01
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