全5件 (5件中 1-5件目)
1

食欲の秋、実りの秋。我が家の混沌、ミニジャングル庭、野生のまま生い茂り、家族、親しい人以外の出入りを拒んでいる、というか、入りたくもない自然そのままの天真爛漫の 狭いのに、イチジクやら、キュウイやら、柿やら植わっている庭のぶどうです。一応、巨峰。虫に食われている所は、食べると苦い。ナシの木と、サンショの木にツルを這わしています。ということは、手入れしてないということですが、今年は、いつもの年より、豊作です。今までは、ほとんど食べることができませんでしたから、それで、庭に出たついでに、紫色の濃い、実のパンパンに入った所をつまんで、食べています。買ったものは、非常に甘いのですが、我が家のは、酸味もあります。姉は、「コクがあって、おいしい。」と言っています。 畑仕事の合間に、自宅で、ぶどう狩りをして、のどの渇きをいやしています。 それはそうと、 飛行機なんて、ほとんど縁の無い生活をしているのですが、ニュースでは、日本航空は大変ですね。 先日、成田航空へ行ったとき、尾翼だけが、赤い色の飛行機を見て、 デザインがダサイ。 どこの国の飛行機だろう。乗る気がしないな。 と、思ったのである。それが、日本航空だと知った時には、日本人として、ガッカリしたのである。もっと、カッコよいデザインにすればよいのに、 心理的に、乗りたくないな、、、というものでなく、乗ってみたいな、というデザインである。 世界中の人々から、一度は乗ってみたい、と あこがれるデザインの日本の飛行機。
2009年09月26日
コメント(0)

子供のために、自分のしたいこともせずに、我慢してきたようなことを言ったら、子供に、シラケタ顔をされた。「お母さん、結構、買ってるじゃない。あの、大量のビーズの材料は、どうなの。ムダにしないで、作ってよ。」ということで、「あっ、忘れていた。 我慢なんかしていなかった。 買いたいものは、ちゃーんと買っていた。そのうちに、なんとか使うから。」 老後の楽しみ、ボケ防止であると思えば、そんなに高い出費ではないと、言い訳しながら。 しかし、老眼になり、細かいものが見えなくなり、ビーズも出来なくなったら、材料は、そのまま残ってしまうなぁ。 その時は、畑仕事があるさ。今日は、春に食べるクキタチの種をまいた。畝の真ん中に、雑草を入れて、土をかぶせ、その両側に種をまいた。手前は白菜。害虫にもめげずに、なんとか大きくなりそう。
2009年09月22日
コメント(0)

アクセサリーとか、おしゃれとか無縁の生活をしてきた。ただ、ただ、子供たちの学資が困らないように、「お金がないから、大学は出せない。」とだけは、言わないようにと、ただ、ただ、それだけを目標に、なりふりかまわずに、過ごしてきたような気がする。それはそれで、目標があって、充実した生活であった。しかし、最近は、少し心に余裕ができたせいか、自分のために、ということも大切かな? という心境になってきた。ということで、アクセサリーなんて、したこともない自分の為にアクセサリーを作りました。おおー、なんと、しおらしいー。のであるが、本当のところは、肩こり防止の健康器具アクセサリーなのです。おしゃれとは、あんまり関係ないのです。ゲルマニューム石は、肩こりに効くようで、以前作った味もそっけもない機能重視だけの灰色石を繋いだだけの数珠のような首飾りを少しアレンジしました。8ミリ、6ミリの天然石を、qピンでつないだものです。すこーし、アクセサリーっぽくなりました。ターコイズ、アメジスト、カーネリアン、ローズクォーツ、スモーキークォーツ、ロードナイトなどで作りました。 でも、ゲルマニューム石そのものの色が地味な灰色なので、なんとなく、しっくりしないのですが、その時、その時の洋服に合わせられるように、ブルー系、むらさき系、オレンジ系、黒系と、色違いで作りました。 もちろん、留め具なしで、さっと、かけられるように67センチ位の長さで、 思うに、古代のアクセサリーというものは、権力の象徴だったかもしれないが、本当のところは、肩こり防止などの健康器具の役目を果たす、必需品だったのではないだろうか?
2009年09月21日
コメント(1)
家人の退職から、3年過ぎたので、今年から、国民健康保険になった。4月発行された証書が、9月で期限切れで、10月からの新しい保険証が、市役所から送られてきた。日本では、保険に、国民全員が、入っている。ゆえに、安心して、具合が悪くなったら、いつでも、誰でも、医者に飛んでいける。保険証は、みんな持っていて、子供が病気になったら、すぐに医者に行く。そんなこと当たり前なことである。保険に入っていないことのほうが、怖い。というより、保険証のない生活なんて考えられない。しかし、アメリカでは、民間の保険会社があるが、公的な制度がないらしい。医療費が高くて、医者に行けない人もいるらしい。これは、驚きである。 私たち戦後数年生まれの者にとり、アメリカは理想の国であり、模範とすべき国である。という教育を受けてきた。実際、戦後、アメリカから、敗戦国の日本に、有形無形いろいろなものが、流入してきた。民主主義の思想、それまでの男尊女卑や、封建制を打ち破る、斬新な男女平等の教育。 「戦後、女と靴下は強くなった」と言われるように、アメリカの制度を取り入れて、アメリカを模範とすれば、貧しい日本も、アメリカのような豊かな生活が、できるようになると思い込まされていた。ゆえに、 戦後の日本の制度は、ほとんどアメリカの制度の受け売りだと、思っていた。慈善事業の盛んな、合理的なアメリカ。当然、国民健康保険制度も、戦後、強制的にアメリカから日本に押し付けられたものか、それとも、日本が、アメリカのマネをしたものか、と思っていたのであるが、あにはからんや、である。とにかく、日本では、当たり前の制度が、当たり前でない先進国があることは、驚きである。国が大きすぎると、制度化も困難なのかもしれない。。。。。凡人には、分らない事情があるのかもしれないが。。。。。
2009年09月17日
コメント(0)

今年は、ゴーヤのなりが、おそいけど、それなりに、ウメの木に垂れ下がって、食べられるようになった。 種は、昨年、自家採取したものである。ウメの木の根元に植えて、ウメの木を支柱代りにすると、支柱を立てる手間が省けて、便利である。 姉から見れば、こういう手抜き、いい加減なやり方は、我慢できない見っともない方法であろう。 が、手間がかからず、ゴーヤが食べられる便利な方法である。 そうしたら、去年のカボチャのこぼれ種でもあったのだろうか、ウメの木の近くにカボチャが芽を出したと思っていたら、いつの間にか、カボチャのツルが、地面を這わないで、ゴーヤに負けじと、ウメの木によじ登り、ゴーヤの実と一緒に、ウメの枝から垂れ下がっているのである。このカボチャのように、張り合い、マネをする、ということは、植物、動物のみならず、生物全般のDNAに組み込まれているのだろうか。 ゆえに、人間界のファッションの流行という現象も起こるのだろう。カボチャでさえ、ゴーヤのマネをするのだから、人間が、世の中の流行に無関心でいられるはずがないのである。 世の中の、「流行する、はやる。はやらせる。」ということが、なんとなく分かったような気分になった。
2009年09月15日
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()

