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夕方、雨と共に秋が来ました。ジメツキが一瞬に無くなり夜はとても寒くて久し振りに窓を閉めました。夕方までは外に出ても家の中も酷かったので昼過ぎまで避難していたんだけど突然の雨に救われました。久し振りにぐっすり眠れそう。急いで引越し準備を終わらせたんだけど。大学3年の頃、2ヶ月放浪したヨーロッパ。ウィーンに入った瞬間真夏からコートの要る秋冬に一瞬で変わった冷たい雨。こんな感じで本当に一瞬で秋が来るんだと。NYの秋はとても好き。過ごしやすく落ち葉を踏んで歩く。セントラルパーク。オペラ・コンサートシーズン。NYの秋は楽しみが多い。今朝は早朝からこの状況から避難しウロウロ久し振りのマンハッタン。ミッドタウンを尾登さんしていました。もう言っている間に越してきて1年。早い。色んな所を1人で沢山歩いてきた。苦しい時は特に歩いた。マイナス20度の日も吹雪の日も雨の日も薄着で冬を乗り切った。当時の家は何かと問題が多く家に居たくなくて一ヶ月だけバイトもした。色んな事が続いて落ち着いた日は一度も無い。今日は事務所で早朝から涼んでいたらルームメイトさんがグランドセントラルの『Michael Jordan's Steak House』に連れて行ってくれた。だいぶんやつれていた様だ。肉が苦手な私も興味津々でいったら有名人経営のありきたりレストランではなく意外にも味も結構繊細で美味しかった。場所がとてもいい。午後はMoMAに行った。そう。年間パスを持っているMoMA好きなのです。『Cézanne and Pissarro』を展示しているのでこの期間にと思い足を向けました。こういうタッチの絵が結構好き。2人の違い、関心が変わっていくのがよくわかりました。ダイナミック。繊細。写実的。2大画家セザンヌとピサロの絵を比較しながら楽しめました。Autumn in New Yorkはじまる。
2005.08.31
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暑いんです。眠れないんです。出発前から4日。飛行機と家でウトウト2時間ほど無理矢理寝たくらい。何日寝てないのか。テンションエライ高い。まだピアノがないから更に高い。体調はガタガタ、全身の酷い痒み。え!?痒み!?お風呂で頭を何回洗えばいいですか。体が痛んできました。湿度高すぎでベトベトでお風呂入ってもスッキリするはずは無い。顔には見たことが無いほどの小さいニキビが沢山出てきた。そうなんです。NYの家にはクーラーがない!。ヨーロッパに出た時はまだNYは春でした。夏はとても短いので日本に帰っている間に夏は終わったハズ・・だった。秋が来てもう涼しいはずのNY。が、何だか戻ってから物凄く蒸し暑いです。日本でも夏場はあまりクーラーをつけない私なので何てことないかと思っていたら大変でした。有り得ない体に痒さ。鼻はムズムズ。頭は蒸れる。ニキビと湿疹。カビが生えそうです。もちろん眠れるはずもない。クーラーが好きでない私がクーラーを欲している。こんなこと初めてです。実家ではクーラーをつけなさ過ぎて変態扱いされるほど私の部屋だけ常夏だった。クーラーがないとは帰ってくるまで気付かなかったし。ドウシヨウモナイ。極限まで我慢してしまう私だとはいえ、この痒さは異常。明日にでも引越ししてしまおうか。結構本気。人口のものに囲まれているとはいえ、人間は虫や木や土同様自然。人口じゃない。だからカビだって生える。あぁこのままいくと間違いなく気が狂う。カビは生え、凄い事になりそうだ。精神的にもヤラレテキテどうにかするしかない。31日早朝、ルームメイトがいるミッドタウンまで急いだ。ギリギリセーフ。何がギリギリセーフか。爆発までギリギリセーフだった。限界だった。気が狂ってしまったものに時間は掛からなかった。結局この自然の一部の人体は人口のクーラーに解決されてしまった。なんてこったい。人口に囲まれている自然は人口の手入れが必要。人口に征服されているからだ。アスファルト、温暖化、小さい窓の家、電化製品。考えると暑い。で、冬は極感。日本の梅雨は好きなんだけどNYの今秋ジメツキは私の日本からの元気を一瞬にして裏返してしまった。くそぉ!!!絶対に戻してやるぅ!!!そんなNYは余裕で30度は超えております。適度なクーラーは必要です。
2005.08.30
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2005.08.29
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28日朝11時50分、関空発ロンドン行き。空港でさよならするのはとても苦手。今まで見送られる方が圧倒的に多かった。見送る方はもっと寂しい。行く者と見守る者。見守る者は寂しくて力がいる。NYの空港で兄を見送った時、何故か声をあげて泣きそうになる程寂しかった。帰途に入る後ろ姿。何度か訪れてくれた友人を空港まで見送り、その度に思いも寄らない寂しさがあった。姿が見えなくなるまで振り返っては手を振って、振り返っては背伸びして手を振る。やっぱり今日もさよならは言えなかった。「行ってきます。」「行ってらっしゃい。」空港で交わされるこの会話。何度してきたかな。離れる寂しさはいつも辛くて苦しい。飛行機が走り出してから到着するまで色んなことが蘇る。一番寂しくなるのはいつも飛行機の中。ロンドンで数泊する予定は泊まらないでそのまま乗り換えてNYに向かった。NY-Londonの旅の途中、日本への帰国を決めたから違う航空会社チケットは仕方なかった。28日夕方18時05分、ヒースロー発ニューヨークJFK行き。JAL421便12時間のフライト後、直ぐ乗り換えてVirginAtlantic9便で予定では8時間、ヒースローからの便が2時間遅れて結局10時間。22時間のフライト。機内食6回。2時間のロンドンでの乗り換え待ち。普通に考えてシンドイ。家を出てから24時間以上経ちやっとNYの家に着いた。ロンドンで一泊でもすれば良かったと飛行中気分を悪くしながら何度思ったことか。地球の3分の2を回ってNYに着いた。ロンドンで降りなかった理由はいくつかあった。テロの心配。引越しの心配。日をずらしていた事。一番の理由は自分の気持ちだった。今回の出発は何だか初めての留学。そんな新しい気分だった。離れる寂しさ、希望、不安、思い、そんな気持ちがロンドンで降りて薄れてしまわないように。無事にロンドンに降り久し振りのヒースロー空港。乗り換えカウンターでチケット発券出来ないトラブル。乗り換え時間が2時間もなく体力も低下して、もうこのまま発券出来ずにロンドンに泊まろうかと真剣に考えそうになった。諦めずにいたら手違いだったらしく予定の飛行機に乗ることが出来た。そんな事があって寂しくならずにロンドンからアメリカまで気を確かに持つだけ。JFKに着いたら着いたで入国審査で別室に連れて行かれるからまた日本!?と思ってしまった。世界一周してしまうのかと。いつもと勝手が違い、ただの手続きが部屋で処理されただけだった。家に到着したのは28日23時が過ぎ。日本は29日お昼過ぎ。実家を朝9時に出て28時間経つ。(NYまでTokyoからダイレクトに来ると12~13時間で到着出来ます。)実家に電話したら母は外出していて父に電話した。クタクタながら電話だと元気に振舞ってしまうもの。またそれが自分で寂しい癖に元気に振舞うから泣きそうになった。優しい父の声。少し後で母とも話した。話したらすぐにまた母が寂しくて泣きだして、兄と電話をかわった。母が泣くと私も泣く。電話を切った後も涙が止まらなかった。「あまりご飯を食べないんだから心配。ご飯をしっかり食べて運動もしっかりしなさい。」と3人同じことを言って電話を切った。情緒不安定、体調不安定。昨年からだいぶんましになった。いつも私にママで居てくれてずっとずっと見守ってくれた大切な先生に飛行機に乗る直前に電話した。「何にも言わないでもわかってるからね。」って電話かけた瞬間思わず涙が滝になって何も言えなかった。壁にぶちあたる度、先生はいつも近くにいて見守っていてくれた。どんな時も粘り強く生きること、自分に素直に生きること、考える事、本当の優しさの意味、大切なこと。色んなことを自分で感じ取らせてくれたこと。生きるということ、生き抜くということ。今回、頭の中で解決した何かがあった。何だか私は今、少しずつ自分の足で飛び立つ時が来てるんだなってものすごく感じている。これまでの一年は気付かずにその準備をしていたのかもしれない。先生と離れるのは本当に寂しくてずっと近くに居ないと不安な気持ちでいっぱいになる。でもずっとそれじゃいけない事は自立心の強い自分は知っている。いつか飛び立つ日が来る事も。先生と言えば、ずっとメールをしている先生がいる。高校の時、数学をずっと習ってた。おかげで数学を満点取る事が楽しかった。数学が好きだという意識は先生だったからだ。先生のメールはいつも解決に導いてくれる。何度も読んで考えて、だからいつも返信が遅くなってしまう。そんな先生は今は遠い所に居てあまり日本に居ない。もう直ぐ一年オマーンに行ってしまう。結局会えずじまいだった。『お互い元気に頑張っていれば、いつかどこかで合えるでしょう。そのときまで、バイバイ。』バイバイ。『遅くなったけど、行ってらっしゃい。そして、行ってきます。』サッパリしている。サッパリしているから私も明るい。やっぱりその時期が来ているんだなって感じた。ロンドンに着くまで色んな事が思いおこされて来て12時間全く眠れなかった。それは全て感謝と寂しさと挑戦についてだった。一生懸命生きる。って言う事を掴んだ。無条件に死にたいって思いたくなくてもこだましていた時も。どんなに食べた方がいいと思っても欲がなくなり体重が30キロ近くまで落ちた時も。突然流れる涙。天気が良ければ良いほど心が痛く突き刺さったり。電車に乗れば倒れる。救急車に何度も運ばれた。歩く力もなく、外に出ることが怖くなり、誰にも会いたくなくなった。音さえも受け付けなくて息をする事も苦しかった。人と話すと緊張と恐怖から過呼吸になった。何をしても罪悪感。不眠症。生きていることが罪に感じて仕方なかった。それでも死ぬ事に手を延ばさないで生きることをあきらめなかったのは、本当に一生懸命に育ててくれた母。何も言わないで理解しようとしてくれて信じてくれる父。いつも近くで見守ってくれていっぱい愛してくれたお母さんのような先生。一緒に考えてくれていつも気にしてくれていた大好きな先生。言えばきりがないけど、時々くれた親友からのメール。HPに届くコメント。そして当時の彼。色んな抵抗が合っても結局は純粋なその気持ちを感じていたから。本当に毎日感謝しながら生きています。私は本当に気が付いたら色んな人にいつも助けられてきて自分の為に一生懸命になってくれる人たちがいて。だから私は頑張りすぎず我慢しすぎず、一生懸命自分のする事を信じて、愛して生きていこう。と自然に思ったのです。何だか思いっきりだらだら書いたら長くなってしまった今日の日記。まだ書き足りない。
2005.08.28
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9月16日のチケット。お祭りが終わるまで居ようと思ってた。7月末法事が終わったら戻ろうと思った。お盆が開けたらと思ったり、結局明日朝11時50分の関空発ロンドン行きに乗る。何度も日にちを変更した。伝えたい事を伝えられるのに伝えないで行く事が出来なかった。今回帰国して本当に良かった。5月末、ロンドンからアイルランドに行った。スペイン行き、フランス、友人と考えていたけど結局日本に帰ってきたのはまたいつものように『このままじゃいけない。』ある意味これは「このままじゃいけない病。」。そんな気分に追われてきたから帰国は予定より一ヶ月以上も早かった。メインはアイルランドだったからアイルランドに行けたらよかった。友人もヨーロッパに来ると言う事だったのでスペインへ牛追い祭りに行く予定もロンドンに来る友達とイギリスを旅しようかという予定も。アイルランドからロンドンに戻ったらすぐに『日本に帰ろう。』そんな気持ちになって次の日帰国した。また来たかったらまた来たらいいんだし。旅することよりも日本に帰ってすることがある気持ちに駆られて焦りと共に帰国した。歌を歌いたい。ピアノが弾きたい。それが大きかった。帰ってきて沢山の出逢いがあった。沢山の思いがあって、沢山の優しさがあった。リズム。音。感覚。流れ。息。基本。コンティニュー。心地いい場所。安らぐ。優しさ。出会い。言葉。伝えると言う事。友達。先生。家族。私は少し変わったな。悩みながらも苦しみながらも伝えようとする力。自分に耳を傾けること。祖母に会いに行った。次まで切らない髪を切った。
2005.08.27
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夕方病院の帰り道、自転車でふらふら。太鼓を打ち、笛を鳴らし、鐘を響かせる子供。私が生まれ育った街は大阪、岸和田もうすぐお祭り。中学一年の春、国語の授業、教科書のはじめは祇園祭の話。先生が聞きました。日本の三大祭とは!?当たったのは誰よりも自信を持って手を挙げた私!?。「岸和田だんじり祭りです!。」「・・・。」実は、この国語の先生は担任でもあって、中学受験の際の面接で聞かれた今でも忘れられない驚くことが一つ。「岸和田と言えばだんじりですが。学校とお祭りどちらを取りますか?」馬鹿げた質問の様に聞こえるでしょう。私が通った中高一貫の女子校は大阪市内。岸和田ではお祭りは学校も仕事も休み。岸和田から来ている生徒はどうやら休む傾向にあるらしい。岸和田のカレンダーは9月に始まり9月に終わる。お祭りが終わればもう次の年のお祭り。ビデオと言えば『祭りこそ我が人生』。(ちょっと言い過ぎ!?)面接ではもちろん学校に行くと応え、そしてその時の面接官の1人が私の中学一年の担任になった。9月が来て、13日の試験曳き。腹痛で朝から早退した。もちろんそれ以降6年間お祭りは暗黙の了解、学校に行く事はなかった。20歳まで曳いていただんじり。そうなんです。結構ヤバイって思うかも。でもそれはここの街では普通。21歳になった時、兄に頼まれてからは法被は着なくなったものの本心はまだ着たい。純粋にだんじり好き。お祭り娘。好きすぎて友達が疲れて抜けていってもひとりでも曳いてられた。だいたい女の子は完走などしない。寂しくても曳ける嬉しさが勝ってしまい疲れたからと一度も抜ける事もなかった。(結局だんじりやそれぞれの町を動かしているのはそれぞれの町の男の人。女の人はそれのサポート。だんじりだけじゃなくて町並みであったり色々あるみたいだけど私には直接的には関わりがなく曳く事を純粋に自己満足していた。)去年も、お祭りの為に一時帰国チケットも取ったんだけど結局天候で飛行機が飛ばなかった。今年はお祭りの終わった次の日に日本行きのチケットを取っていた。兄が華の年だから絶対に居たかった。でも、もうアメリカに戻ろうと思った。それって私の中ではありえないこと。なのに今、何故!?。私の生まれ育った街はとても良い。特に秋がいい。言葉は決して綺麗じゃなくて雑で慣れない。でもなんかあったかい。お祭りのあるところっていい。
2005.08.26
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なんだかんだで結局2ヶ月以上滞在してしまった。ならば岸和田祭りまで何て思っていたけど。今日出国日で、でも台風しかもJALだし・・ロンドン経由だし・・・。ちょっと怖くて日にちを変更しましてまだ日本に。本当は母に伝えておきたい事があって、父と話をしておきたいって思っていてだからなんだかやり残したことが沢山詰まっていたから気持ちが進まなかった。この2ヶ月半。沢山の変化だった。なんていうか転機がものすごく近い。絶対に近い。楽しいんです。オンガク。コードも大丈夫!分析は得意だし。でもまだまだ音を選んでと言った部分などクラッシック以外の理論の部分ではこれからだけど。理論、全然分かってないって自信のなかった自分自身。結構始めてみたら(クラッシック分野に関しては)知っていること、やってきた事が多くただ考えて応用していなかったと言うだけ。復習していたら安心してきた。ドンドン体に入ってきた。ものすごいきっかけや出逢い。この2ヶ月半なんだか忙しかった。楽しくて仕方ない。このままツッキッテイコー!!!2日後までに色んな事を整理して旅立ち。今回の出国。これが本当の意味での留学になりそうです。これまでの一年間は休息、復活、準備の一年。これからがスタート。
2005.08.25
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今日は朝起きてからずっと涙が止まらず泣きたくないのに泣いている。この涙は自分の為じゃない。この涙はもう限界に達したときに溢れる涙。言葉に出せず、タイミングもなく、心を読みすぎて言えなくなる。それは大好きな家族だったらなおさら。人前で絶対に泣かない。そんな子供の頃からの意地っ張り。だから男勝りなのか!?。可愛いくない。仏さんの前に座るのが一番安心する。もっと素直に泣ける気がする。変?。手合わせて皆が上手く行きますように。そんな事をいつも祈ってる。特に家の事が私の中では大きくてどうやって話をしたらいいのかわからなくなって悩みすぎて、今日は少し疲れてしまった。でも自分の役割じゃないものを私が取り上げて解決してはいけない。順序があって、みんなそこで経験をしてその道を通ってくるから人の気持ちをわかるんであって、私が心配だからと言って助けあげてしまうんじゃなくって近くで応援してあげるということ。それが優しさ。今回は友達にそんな事を教えてもらった気がする。私はいつもこうやって周りから助けてもらって教えてもらって気が付いたら色んな人のおかげで今私はここにいるんだって思う。自分の為に泣くという事。それって大切な事。自分の心に素直に。そして優しく。
2005.08.24
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家に帰り大泣きして疲れたまま寝てしまった。出発の用意、どう考えても間に合わない。凄く苦しかった。当時の体重は30キロ台前半。重たい荷物を背負って小さなスーツケースに荷物を詰め込み人の流れに逆らって歩いた。涙がずっと止まることはなかった。どこにもこの涙をぶつけられず自分で解決するしかない事だと思って私は止まることなく歩いた。心を空っぽにしてみても、目をそらしてみても何も変わらない。怖くなんてなかった。何が起こったってよかった。ただ、そこを通らないと私は進んで行けないこと後悔する事をわかっていたから、ただ良くなるように。いい方向に。そう信じて長く暗いトンネルを抜けてきた。ちょうど2年前。ボロボロになった靴をひきずり、疲れきった心は頭でかろうじて動いていた。表情はなく、その無表情の顔に涙が流れ続けるだけ。重たい空気の中、重たい荷物を引きずってどんなに歩いただろう。私にとって居心地のいい場所はどこだろう。大学時代は練習室だった。休みの日でも毎日通った。どこにも居場所がなかった。だから眠れなかったし居場所なんてなかった。色んな人に助けられて私は沢山の優しさを受けてここまでやってきた。気付かないうちに色んな人が手を差し伸べてくれて私はいつの間にかここまできていた。オーバーヒートした体を取り戻すのには時間が掛かる。ボディーまでも完璧に駄目になってしまったから。頭、心、体。全てがばらばらになったら動かなくなる車、パソコン、なんでもそう。人間も。人間なんてもっとそう。人間は何でも作れても人間、生命の宿る生物を作ることは出来ない。完璧なばらばらになってしまってでも逃げないで見守ってくれていた先生がいて彼がいて私はやってきた。唯一の頼れる所だった。今日、その時どうして疲れてしまったのか。またその理由の一つに気付いた時すごく胸に詰まった力が少し抜けた。理由はひとつなんかじゃないから。因縁関係。何も自分1人で背負わなくてもいいってこと。1人で責任を感じて人の役割を補おうとしないでいいということ。自然の中には順序というものがあること。
2005.08.23
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よくよく考えると別れた彼なのですが、その彼と今日、再会した。4,5年ぶり。弁護士事務所開設のメールが来ていたのでお祝いに行こう。と思いアポを取るメールをした。今日の午後、2駅先の裁判所に来るとのことでランチをする事に。事務所を見たいと言ったら10月からだと。私はテッキリもう新しい事務所だと思い込んでいた。今週日本を発つので10月の事務所開きの日には行けない。今年中には行けない。早々ながらお祝いを持って待ち合わせ場所。4,5年ぶり。ちょっとソワソワした。タクシーで来てくれた彼は何も変わらなかった。単調な話し方、実際感情も単調な人。4年も経ったのかと昨日の事のようだった。今はいい友達。時々来るメールくらい。特に何って事のないおしゃべり。ざる蕎麦を食べながら1時間が過ぎた。違う一面。変わらない唇。単調。タクシーで彼は裁判所に戻り、私は家に戻った。すぐ電話があり、レッスンまで午後の裁判後、一緒に電車で心斎橋のAfternoonTeaRoomへ行きレッスンまで付き合ってくれた。私の歳の時、彼はすでに司法試験に受かっていた。彼の受験の頃の話を聞いて、もっと頑張ろうと思った。今29歳の彼の歳になる4~5年後。私はどうなっているだろうか。ノメリコモウ、オンガク。
2005.08.22
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雨でゴルフ中止になった。殆ど寝ないで朝がきた。ゴルフに行くつもりで早く起きたんだけど結局うなされて苦しかったので起きて良かった。マイナーコードのツーファイブワンがなかなか覚えらない。毎日何度も弾いて楽しんでいるんだけど。睡眠したのはたったの1時間なのに、終始ツーファイブワンに追い立てられている夢で終わった。怖かった。なんでコードに追い立てられてるんだよぉ!!!。スッキリしない朝。スッキリしない事があったからかな。
2005.08.21
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友達と奈良でゴルフの練習をして帰ってきたら待っていたフリッパーズギターの楽譜が届いていた。ピアノに向かいフリッパーズの曲に目を。正直こういうスコアは見慣れていないけどすぐにイメージを掴んで気が付いたらコード進行、転調や和音を分析してみたり、弾いてみたり。結構地味な作業をしていました。最近の私は分析癖が付いてきた。結構楽しい。こういうのがとても自分で向いていると思う。だから先週の大学院の事もとても悩んだんだけど。形になったものを分析してみてなるほどとは思うけど実際作っている段階ではどうなんだろう。これは出来上がって結果こうなった、と言うだけなのか。意図的なものなのか。ずっとクラッシックだけをやってきて、こういう作曲方法を見ているととてもこれらが機械的にそうなっているように思えて仕方ないのは私だけだろうか。バロック時代の音。その時代でルールがあってその上に則って作られてきたのかな。その時代の風を感じてただ当時の作曲家は体に染み付いたコード進行で合ったり感性で合ったりで作られてきたのかな。でももし私が音楽も何も聴かないで生きてきて(この時代現実的に有り得ない)理論も何も勉強しないで曲を作る。(そういう発想自体生まれないかも知れないけど)天才と言われる人を除き、音を聞いて音との関係を感じ取ってそれらの心地よさ、関係が上手く表現するのには難しいものがあるのではないか。宗教などの関わりや生活の中でリズムを取るところから始まりドンドンと引き継がれてきてそれらの上に色んなテンションが加わったり複雑なリズム、感情抑揚が入って来て新しいものが生まれて来た。とすれば、何もないところからつくるとなると私はそういう発想自体出来ない!?やはりルーツと言うものは大切だな。自分がどういった音楽を聴いてきたか、どういった音に触れてきたか、どんな経験をしてどう生きて来たか、体の中のリズム感、情熱。様々なものが自分をつくり、その自分が生み出す音楽。基礎になるものだから理論を勉強する事はやはり必要。
2005.08.20
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結構スッキリしてたりする。夕方の驚く事というか、自分の予想的中で震えが止まらなかったり。でも結構スッキリしていた次の朝。自分でも自分の勘の鋭さが嫌になる。ものすごく当たる。物事が起こる前から当たる。『サヨナラ。』その言葉の重要性。恋人との別れ。友達との別れ。家族との別れ。そして死別。色んな別れの形がある。別れには二通りあり、会える別れ。会えない別れ。どちらにしても家に帰る時も、恋人関係じゃなくなる時も、死んでいく時も、そこには『サヨナラ。』がある。深く寄り添った恋をした。そんな人と『サヨナラ。』のない別れがあった。恋を例にしてみる。自然消滅した恋の話は良く聞く事。言ってみればそれと同じ。違いは四六時中共にしていた人であったり何かを約束した仲だったとする。一年離れ離れになったとして突然恋人が消えた。あれから一年。どうやっていけば!?。新しい恋が出来ないのは!?。残された人はどうすれば!?。月日が経っても、『サヨナラ。』をはっきりさせない限り、別れたとはっきりさせない限り、二人の間に情熱がなくなったとしても曖昧な『サヨナラ。』という言葉が付いてくる。残された恋人だけは解決しないままどこかでひっかかってしまう。過ぎ去った恋人は自分で解決していたとしても。昔、父を母と兄で駅まで送った時、ほんの2時間程の用事だというのに父と『バイバイ』するのが出来なくて大泣きを毎回していた。行かないでと泣いた。幼稚園卒業するまで続いた。今でも一緒に母とお買い物に出掛けた後、先にどちらかが家に帰ったり用事に出掛けたりするとき、私は母の背中が見えなくなるまで見送る。事故等がない限り、家に帰ったら会えるのにいつもいう『バイバイ』が辛い。いつも『サヨナラ。』を言う時は明日会えるのかもしれない。それが最後になるかもしれない。そんなことを考えると『さよなら。』が寂しくて言いたくなくなる。だから『サヨナラ。』の後に、また後で会おうねと言う。挨拶をする中で『サヨナラ。』は特別、力がいる。恋人にしても、友達でも、家族、事柄もか。『サヨナラ。』のない別れをしたら、どうやって消化すればいい。珍しくTVをつけると養老孟司さんが出ていた。養老孟司さんの本が好きで彼の本は殆ど読んだ。番組で話していたこと。「死の壁」終章P175 にも同じ事が書かれていて養老さんが良くされる話の一つ。----------------------------------------------------■父親の死養老さんは、4歳の時に父親を亡くしています。三人兄弟の末っ子として鎌倉に生まれ育ちました。お父さんは当時、商社に勤める会社員でしたが、20代後半から肺結核を病み、以後、自宅で療養する生活を送っていました。幼かった養老さんの父親の記憶は、ベットにつらそうに寝ているときにも、いつもニコニコ笑いながら遊んでくれたお父さんの姿だと云います。そのお父さんは、昭和17年に亡くなり、養老さんもお父さんの臨終に立ち会いました。親戚の人から「お父さんにあいさつをしなさい」と云われましたが、なぜか、4歳の養老さんは「さよなら」と言えませんでした。■挨拶のできない少年成長した養老さんは内気な少年になっていました。とくに人に挨拶をするのが苦手で、近所の人と会っても挨拶が出来なかったと云います。今から50年近く前の時代です。人に会っても挨拶もしない少年が、周囲の大人たちからどう思われていたか、想像できそうです。人に挨拶をするのが苦痛で苦手というのは、その後もずっと続いたそうです。■地下鉄での気づきそんな養老さんがすでに40代半ばになった頃、地下鉄に乗っていて不意に、「自分があんなに人に挨拶をするのが苦手だったことと、父の死とは関係があるんじゃないだろうか」と気づいたとき、涙があふれて、止まらなくなったそうです。□養老さんは、こう語っている。「人に挨拶をすることと、死んでいく父親に挨拶していないこととが、重なり合っていたんですね。つまり、さよならを言わない限り父は、自分の中に生きて続けていることになるわけです。挨拶をやり終えていないわけですね。挨拶をし終っていない、まだやり残していることがあって、その間は父は私の中では死んでいないことになるわけです。それが、私が人に挨拶をすることが出来ずに、苦手だったこととつながっていたんだと思います。父に挨拶をし終っていないんだから、他人に挨拶なんかできっこない。挨拶をしてしまうと、父が本当に死んでしまうから、遠くに行ってしまうから・・・。でも、こうした気持ちや感情は、頭の中で無意識のうちに作られてしまうことなんですね。だから本人にも分からないのです。私も四十代の頃は、ただ父の死と何か関係があるかもしれない、と気づいただけで、ここまで思い至ったのは、五十歳を過ぎてからです。長生きすると、少しはいいことがあるということですね死とは理不尽なものですよね。「あいつ死んじゃったよ、そうか・・」で済むような人間関係であればそれでいいでしょうが、親子ではそれで済むわけがない。まして子どもがまだ小さければ、理不尽そのもので、死がどういうことかさえも分からないまま、突然親の死に直面させられるわけです。私だけでなく、こうして話をしている今この時も私と同じ経験をしている子どもたちがいるわけです。」
2005.08.19
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ダイアトニックコードの上がり下がりを繰り返しては右手で適当に弾く。何にも考えたくない時はそんな事を繰り返しています。これだけでも素敵な曲が沢山ある事を知って感動。落ち着く綺麗な進行1から4の和音を行ったり来たり。時々寄り道をしてみたり。少し切ない気持ち、しんみりした和音と弾くメロディーは結構落ち着く。そんなダイヤトニックコードでピンと来る曲を。
2005.08.18
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なかなか全身を使えないでいた。Golfに置いてはテニスも野球もしたことも殆ど無かったのでバックスウィング後の溜めや振り方、体重移動。全く無縁な生活をしてきたので全てが初めて。まず球技というものがとても苦手でボールが怖かったんだけどGolfは止まっているボールなので怖がる事も無い。今までしてきたSportsと言えば水泳、剣道。カポエラ、バレエ、タップ少々。特にボールとは縁も無く振り物を飛ばすという動作も無く。一番の全身を使えないでいた理由は何か。それは『頭だけでしている。』からではないか。頭だけで歌は歌えない。頭だけでゴルフは出来ない。頭だけで物事は出来ない。Golfをしていてとても感じていた事が全身を使えていない。つまり硬くなってしまっている部分。肩から動かしもっとしっかりと伸ばして肩を入れられていなかった部分。つまりそれにより手打ち。バックスウィング後の体重が左のまま。よってボールを救い上げてしまったり上体がぶれてしまったりと色々と駄目な点。溜めないという事はスピードが無い。しっかりと溜めていく。歌もしっかりと溜めて大切に息を流す。駄々漏れなるような勿体無い出し方をしない。全身を使う。歌も全身を使う。同じ事。
2005.08.17
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25歳。女性にとって第一次結婚ラッシュと言われる時期でしょうか。この一年で結婚したという話をずいぶん聞かせれました。私の周りはじゃぁ結構遅い方なのかな。結婚したのは1人。婚約しているのが1人。こんな私でもふと不安に思ったことが一度だけあって、今日は高校の親友6人で集まったんだけど1人はこの一年で結婚し母になり。もう1人が婚約。その婚約したよ!と聞いたときすっごく喜んでいた私とちょっと焦りを過らせた私。私って大丈夫?みたいな。やりたい事があるし30とかそんなのでいいわ。何て思っていた私でも焦る気持ちがあるなんて、とかなり自分に驚いてでも結構彼女の婚約と言うのが周囲も始めてやばいと感じたらしくそういう歳なのね。何年も付き合っていてそのまま結婚するでしょう。と言った彼のいる4人と私。一番やばいよ。ってどこに言ってもいわれるのは、結婚しなさそうな感じがするとか。昨年、一昨年、私にもそう言った話が出ていたんだけど私の結婚は30くらい発言と留学で結婚願望の強かった年上の彼がひいてしまい、別れようと真剣に悩んだとか。縁が会って素敵な相手がいたらもちろんって思ってるし、結婚はいずれしたいけどそこまで結婚の為に探すとか焦るとかっ言うのはなくて気が付いたら隣りにいた。そんな自然な関係で居られる人がいいなと思うわけです。出産した友達から母のオーラが出ていて子供を産んだら変わるんだなぁとしみじみ。統計によると25歳前後に産んだ子供が一番良いと出ているそうだ。母胎が若い内じゃないと高齢出産になった場合落ち着きのない・話の聞けないと言った子供になる可能性が上がるとか。最近の子供に多い状態の理由。確かに高齢出産は増えてはいるけど。
2005.08.16
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Today I didn't go playing golf.So today I stay in my room all day.What I'm doing is...曲の構成やクラッシックとポップス等の違い。コード進行。などなどを見直していたらどんどんはまって行って理論の復習を始めてしまいました。休んでいたらやっぱり考えなくなっている部分があるんだな。-----------------------------------------------PGA Championshipもちろん一番好きなVijay Singhを応援しているのです。が、凄い雨で中止になったのね。本当だったらNYに戻っている頃だったのでNJまで見に行くつもりだったんだけど今回は日本から観察。テレビ番組もこっちでする日本の硬いアナウンス入りの放送よりGolfChannelじゃないとなんだか退屈。初めてPGA観にいった時にサインをもらったPhil Mickelsonが一位か。奥さんがとても綺麗だったなぁ。格好いいAdam Scottは40位かぁ。Sergio GarciaのGameがすごく面白かったからまた見たいなぁ。ウズウズウズ。-----------------------------------------------今日は8月15日。正午に市役所からいつもなら流れる音楽とは違ってサイレンが鳴った。終戦記念日。NHKにチャンネルを合わせて心から平和を願う気持ちでいっぱいになり黙祷した。私は戦争を知らない子供。広島、長崎、沖縄、その他の資料館などを訪ねてはとても苦しいものを感じてきた。もう二度と戦争は。戦死した親族もいて今日は何となくぼんやり戦争のこととか考えていました。テロが多発して、悲しい殺人も増えて目を開けてられないようなニュースを見る度、自分には何が出来るのかって思う。命の大切さ。大人になるずつその重さと大切さを感じます。私に何が出来るのか。今まだ無力な私は平和を心から祈るばかりです。-----------------------------------------------夕方に送り団子を持って家族とお墓に参り、こういう行事があり、亡くなった祖父の事思い出したり話をしたりっていい事だなぁって、しみじみ思った今年のお盆でした。
2005.08.15
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■動悸・息切れ動悸・息切れが主症状の重大な病気動悸とは、心臓の拍動を異常に強く感じる状態をいいます。また、呼吸をしにくく感じたり、息をするのに苦痛を感じたりするのを、息切れ、呼吸困難といいます。 動悸とは主として心臓病の、息切れは主として呼吸器の症状ですが、どちらも両方の場合がありえます。また、肝臓病、ホルモンの病気である場合があります。-----------------------------burning low...no way...まぁ初めてって訳じゃないし気にしないでおこう。明日はきっとましになってるでしょう。こういうときは曲構成の事でも考えよう。
2005.08.14
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自分の整理の為に始めたブログも、心のやり場に作った居場所。このブログは一番初めに作ったページだった。相談も出来なくて、本当の気持ちがわからなくて、言いたい事が何一つ言葉に出来なくて苦しかった。誰に対しても遠慮と顔色で言葉を選んで歩いてきて自分の気持ちがわからなくなり爆発した数年前。彼の勧めもあって始めた。そんなブログには沢山の気持ちが今は思い出になり、その思い出とこれからとに卒業が必要だと思ったから。必要であればまた始めたらいいし、今の私には一つの整理としてこれから前に進む為にもこのブログを終わりに。この日記じゃないブログが後2つあって、本当に人に言うのが怖いと思うことをそこに書いてきた。とてもネガティブでひかれるのが怖かったからそっと置いていたブログだった。自分のブログはどれもあまり人は見ないから結構気にしなくてもいいんだけど、自分の中でいつかこの辛くて苦しい気持ちの詰まったこのブログがなくなればいいのに。と思っていて、それを今日のお盆の一日目にしようと思います。2年前の8月13日の決意したことを今日8月13日。新しくもう一度踏みしめて。支えてくれた彼。先生。言葉をくれた友人。ウラランさんにソラヲくん。お世話になりました。ありがとうございました。ただのブログ一つやめるっていうだけで大げさだけど結構勇気のいるものだなって思うのです。26ヵ月分ありました。長かった暗い闇のトンネルに光。
2005.08.13
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法事の為、帰国して以降ダラダラといるような私。別にダラダラしている訳では有りません。法事後直ぐに戻る予定が延びているのには色々とある理由。その一番の理由は音楽。歌。ピアノ。音楽が健康でパワーが蓄積された体に戻ってきたのが大きい。新しい音との出逢い。声の先生との時間。新しいピアノの先生との出逢い。基礎の見直し。色んな出逢いがここで待っていて日本に帰国してからなんだか結構忙しい。周りの人達、ゴルフとアメリカの自然が私を元気にしてくれた。アメリカのゴルフしか見た事がないから日本のゴルフをみたらなんだかすこし寂しくなる。のびのびしたーい。と叫びたくなる。北海道でのラウンドでもそう感じてしまった。アメリカのあの手入れが行き届きすぎてない所がいい。でもこれだけは規模を考えても仕方ないことか。こんなゴルフとの出逢いをし復活をして、焦りからNYに行って少し大人しくなって、また都会感が体に戻った。前回、帰ってきた際はまだ私は日本に帰るには早い。そう感じていて、今回は今回帰ったら癖になってしまうんじゃないかと怖かった。ヨーロッパに渡り、ロンドン。憧れのアイルランドに行った。予定より1ヶ月早く日本に帰国する事にした。ロンドンに居る時、なんだかここにいても仕方ない気がしたから即効チケットの変更をした。東京、北海道。そして大阪に帰った。大阪に帰ったら両親がまた太ったと崩れた体型を心配した。だいぶん太っているらしい。15kg増量は重たくて持てない。前回の帰国してからそんなに日が経っていないので新鮮さに欠けるけど前回と全然感覚が違ってた。居心地がまた少し良くなっていて家でリラックスできる感じがした。(家で心を休められるって事がなかったので。)ピアノを弾いている。新しい音との出逢い。音と遊んでいる自分がいてそれが凄く嬉しい。テンションの刺激がなんだかすごく気持ち良かったりする。新しいピアノの先生との出逢いは結構大きかった。そして一緒に組もうと思っているウラランさんとのこれからの活動もすごく楽しみ。今回、本格的に自分自身が音楽の中に包まれて響いてきたものを感じる。帰ってきて良かった。ピアノがないと私は無理です。遠慮なく音の出せる場所。
2005.08.12
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前回日本に帰ってきたのは一年ぶりだった。久し振りに見る日本。じめついた空気。小さい物。アメリカになじんだ大きな体はすごく隠れていたかった。一年前から15kg太った。それは元気と引き換えだった。一番痩せてしまった時で30k台前半だった。流石にやばかったかも知れない。ヨロヨロで歩けなかった。精神的な物からだった。アメリカに行って一番の目標は『元気になる事』。クリア出来た。英語とか全く私の目標ではなかった。生活の上で付いてきたらいいと思っていただけで。アメリカという適当で広くて自然があるこの国にで元気をもらった。自然とゴルフに元気をもらった。ゴルフの楽しさ。荒んだ体を無理にでも連れ出して自然に触れるようゴルフに連れ出してくれた友人に大変私は感謝しています。久し振りの日本は思っていたより窮屈でもなくしんどくなかった。それがとても意外だった。日本に一時帰国をしようと決めたのは祖母の不調を聞いてすぐに決めた。帰ってきたらとても調子の良くなった祖母がいて安心した。寂しかった父にはめられたものだったけどでも元気でよかった。フロリダでの生活。寮のトラブルから始まり、顔の大怪我。車にはねられ事故。2度の追突事故。保険問題。常夏フロリダも0度になってガッカリした事。虫だらけ。ハリケーン。停電生活。日本人。3度の引越し。ゴルフ。そして日本に居た彼の問題。毎日生きるってことに追われていてここではいろんな不便さから本当に必要な事、大切な事に気付いたり、当たり前じゃないという事を知ったり。なんでも適当のいい所、悪い所。それは都合のいいこと、悪い事だったり。何よりゴルフが『楽しむ』という事を教えてくれた。ニューヨークでの生活。マイナス20度の季節に引越し。バイト。食パン生活。中国人トラブル。家の問題。ルームメイトの困った猫。引越し。初めての日本人ルームメイト。窓のない地下の部屋の暮らし。暗い部屋。悪い空気。暑い家。寒すぎた部屋。摩天楼。薄着の重ね着。つまらない学校。通いつめたゴルフショップ。ゴルフ。焦ったっていいことないよということを身をもって思い知らされる。常に誰も知らない所に飛び込んでいっては、でも何とかやれてきたのは、いつも誰かが助けてくれていた事。だからこうやって今も居るんだなって事。不安ばかりででも涙はぐっと飲み込んで飛び込んでは足を一歩ずつ自分で歩かせるしかない。そうやってやってきた。もし何かあったら全部おいていってもなくなってしまっても命だけあったらいいんだから。そうやって重い荷物を背負って移動してきた。荷物なんて軽いに越した事はない。何もなくなったって命だけあったらいいんだから。そうやって自分の足を進めてきたことを思い出した。一番大切なことは何か。そんな不安を知らないうちに気付いたら色んな人が手を差し伸べてくれて今までやってきていたこと。本当にすごく心から嬉しかった。出発前に手伝ってくれて応援してくれていた彼のこと。心配しながらも見守ってくれている家族の事。先生の事。友人の事。
2005.08.11
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Today I went to one school to see the professor.It's School of Human Sciences, Osaka University.The area is psychology of music.I find it interesting, though.What I first want to do is singing.So..Anyway, if I enter there, how do I want most and what do I want most?Just I want the graduation certificate most.So I thought I don't need to go there.The talk with the professor was very interesting for me.I feel I'm interested in.But I thought what I go to the graduated school is just for getting the certificate.It needs for 2 years.... just for that... too long for me...Actually I didn't like my academic backgraund.But now nothing else matters.研究室では研究の仕方を学ぶのだろう。面白い研究をしているんだなと感じた。それをすることが無駄だとは思わないし研究で発見していく事によって面白いことを見つけていく事が出来る事も分かる。そういう楽しみもあるけどこれは全く私の目指しているものとは正反対の面から見るものであり知る意味はあるけど、今の私の優先順位ではこれは頭にはこない。結果としてそうなったとしても、応用にすぐそれが直結するかというとそうではない。これはある意味音というものを数字で表してまとめていくものであって、冷徹な目で音楽を見ていく。今までとは全く異なる。後2年で退官するその教授は、研究員という期間をせずにこの研究室で大学院に入り研究して2年で論文を仕上げ頑張るか、研究員として勉強するか。ベースになるものを勉強しないといけない分、2年分を余計につまり4年分を2年で勉強しないといけないけど頑張れば大丈夫でしょう。(続く)と言っておられた教授。もし受験を通り、入ったら入ったで私はきっとのめりこめると思う。でも果たして体当たりするくらいの力で?となるとそうではない。きっとゴルフをしている時より楽しいとは感じないだろう。ゴルフをしていても抜け切らないモヤモヤというものよりももっと一層やりきれなさを感じるだろう。という訳でやはりここの大学院への受験はない。1割か2割程度の気持ちがあったので話を聞きに行ったけど大学の名前だけが私には正直魅力であって、何かピンとは来なかった。音大に行かなかったら私がなりたかったものは医者。もともとこの分野に興味があったわけではない。音楽をやってきたからこういうところにもただ興味があるというだけ。こう言うなんだか少し自分と観点が違う所にくると、自分が音楽というコミュニケーションをしていくという気持ち。音楽から離れられない自分。表現者、伝えていくという場所に自分がもう立っているんだなってあらためて気付かされる。そんな時間があったら練習をしよう。
2005.08.10
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だいぶんご飯食べれるようになったけど。でもまだグッタリ。。久し振りにこんなにグッタリだわ。あぁゴルフがしたい。歌いたい。今日は一日無心でカデンツ弾いてよう。
2005.08.09
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It's a little bit strange.It's a very strange.Cause my body is getting crazy.How?Heavy thumping of my heart.Undue breathlessness. I mean it's difficult to breathe.Some of my hair to fall out bizarrely. My mother noticed.Excessive sweating. I didn't usually tend to perspire so.Dizzy.Wooziness.Hard of hearing.Have bleary eyes.Any way you slice it, my condition is not good.I didn't have any power to go out today.I will try to go the hospital tomorrow.But I know, there are no place to see any good doctors near here who I know.Anyway I have a fainting fit.I need to get well before I go any further.I hope tomorrow is better.
2005.08.08
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About for 3 days, my body condition has been getting bad.It was too bad to go out.I don't want to eat anything.It was not a diet.It causes excessive heartbeats or dizziness in my body.My ears were also not good, Actually left side.I don't know why...So today I played the piano all day.But I could not sing for my body.I cannot have any power even speaking.I felt my body is not mine.My body is not mine.This body cannot say anything.I can say something what I want.If body want to say to me, it cause some symptoms.If I say something to my body by using my voice,what is it happened?It's nothing to happen.Voice is also by a part of my body.This body is mine.But My body is not mine.体は頭で思うことを全部聞いてくれるとは限らない。熱が出て下がってくれと頼んでも直ぐには下がらない。怪我をして治れといっても皮膚が直ぐに再生されたりするわけでもない。体には声はない。声だって私と言う魂が入り体で色んな事が起こってマウスが動き声となるだけ。今日は心がこんなにとても元気なのに、体は全くこんな調子。かなりツライ。
2005.08.07
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I go to one lesson.The teacher is very good for me.So I'm enjoying myself.Since I met the teacher, it was changing in my mind what is the feeling for piano.I really wanted it.So I'm so happy.How has it been changing?It has been changing from music for study to music for fun.Now I am having fun with my piano.I will play the piano more than before and also sing.
2005.08.06
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It was yesterday what I saw my friend, Maiko, in junior high and high school today.I am relieved artist like her.So It's been a great pleasure with her.I think we bear some resemblance each other.こういう人に会うと何か歯車がカシャンと噛み合ったかのように安心する。She is a little bit famouse artist painter.
2005.08.05
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I went to one teacher's house with my teacher like mother.The teacher got a child.Then, we could not see each other for 3 years.I was so glad to see her again.Her boy, Masaya, looks really cute.And she got one more baby again.子供って本当に可愛い。まだ何にも濁ってなくて純粋で優しい目をしてるし、悪気なく行動して透明。いつまでも持ち続けていたい素直な部分、ナチュラルな部分。常に実体はどうなのかって分かって自分の心に正直にいたい。肩の力抜いて。結局入れてるのは自分であってしんどいのは自分なんだしリラックスリラ~ックス。
2005.08.04
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I've been thinking of my course.How should I go to my destination?What I want to do. Singing. Songwriting.What do you want to sing? Japanese song in the Classical style(日本歌曲). Italian song. Singing I wrote.So now, I need more skill to write with my teacher.Since I came back to Japan, music came back to me with my healthy body.It's not perfect, but it's getting a healthy body.Anyway, my teachers tought me music way in which I enjoy.I believe they were fateful meeting.I have great time playing the piano.I got power to sing and destination.Why am I thinking so seriously?One thing is age problem.If I go to graduated school, I will be 27~28 years old after the school.If I want to be debutant, I think young is better about women.I'm thinking..I make a career of music.Should I go to Graduated school in the US or Musicactivities in Japan.
2005.08.03
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私の足はかなり酷い。昨年なんて病気かと何度も聞かれるほど本当に酷いものだった。昨年はFloridaにいて超デカイ蟻としぶとい蚊にやられた私の足や腕。胸元まで。その跡形はまだ消えていません。数え切れないほどあって痒さも半端じゃなかった。今回帰国してから早速日本でも蚊に好かれる私は酷い有様。昨年の後形と今年の新生。ゴルフなんていった日には虫除けふっても私だけ足が真っ赤。献血に比べたら微々たる物だけど。そう思ったらふと飛んでいても日本の蚊だとまだ可愛いものだと殺したら可哀相になってまっいっかって思ってしまったり・・。でも今日は一匹仕留めてしまった。可愛そうだったけど、かなり太っていてパチンとして出た血は間違いなくA型。私の足の7箇所は間違いなくこの蚊。ごめんね。これ以上吸わせるわけには・・。はぁドン臭いのか馬鹿なのか。蚊取り線香も毎晩お風呂上りに仕方なく振るスプレーも効果薄。まぁ蚊もこうやって生きてるんだよね。自然なことなんだけど。とこれで感染とかしたら大変だけど。すぐに化膿するから気をつけないと。しかし今日の蚊も昨日の蚊も結構吸って痒い。昨年の形だけでも早く消えてくれたらいいのに。掻かないで我慢我慢。あんな小さい体で蚊って勇敢。Do you have some good ideas?
2005.08.02
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The reason is a little bit funny or stupid..I should say “I couldn't go” rather than “I didn't go”.My friend told me to go to PL firework with me one month ago.Last time and last but one was with the friend.We would see PL and each other for a change.So I really wanted to go if I could decrease my weight while I've been here. But I didn't tell today was PL.I was thinking a lot, though.My friend forgot the date.So I could not see my friend as my weight didn't move much.It's a stupid thing.本当はすごくPL行きたかった。今回帰ってきた一番の楽しみだったんだけど。自分の責任だ。早く痩せよ。
2005.08.01
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