2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全22件 (22件中 1-22件目)
1
本当なら昨日この話題を書くことができたら一番よかったんだけど、話がまとまってなかったのと他に書きたい話題があったのとで今日になってしまいました。これを見ての感想というのはあとに回して、まずはこれに関する思い出から。私は一応大阪の大学に行っていたから、当然大阪国際女子マラソンの観戦には・・・実はないんですよねえ。いや、正確には一度だけ見る機会があったと言うんでしょうか。補助員をしていて、動くことができずチラッとだけ見ることができただけなんですが。あの時はちょうど雪が降っていて、ガタガタ震えながら立っていたという記憶があります。あと、卒業してからは、高橋尚子さんの初マラソンの時にOB会から応援の召集がかかっていた時がありましたが、用事が入っていて、行く機会を逃してしまいました。この時期はうちでも駅伝とかがあるから、大阪に行くのは難しいんですよねえ。さて、行くことができなければテレビで観戦、ということでいよいよ感想ですが、より一層楽しむために、事前に予想を立てていました。(うちのHPのリンク集にもあるTAKAさんのHP(http://www2s.biglobe.ne.jp/~taka_cha/)の予想クイズにも参加しています。)でも、私の予想というのはなかなか当たるもんじゃないですね。気温も低く、ペースメーカーもついているから、去年ほどは速くならないだろうな、と思っていたら、11K過ぎで大南さんがやってくれましたね。あれでレースが動きだし、おもしろくなりました。結果的には大南さんは失速してしまったけど、責められるもんじゃないですね。そして、ラトビアの選手が中盤から飛び出し、大南選手をかわしてそのまま好タイムでゴールというのも予想外でした。日本選手の1位はなんとか予想が当たりましたね。事前の報道ではシモン選手対弘山選手っていうのが結構取り上げられていましたが、私は密かに小崎選手に注目してました。都道府県女子駅伝を見て、調子よさそうだなと思っていたのが理由なんだけど、あとから練習があまりできていないという話も聞いてちょっと不安でした。でも、それでもあの走りができるんですから、まだ潜在能力はありそうです。世界選手権でも頑張ってほしいですね。あと、弘山選手はさすがの粘りでしたが、若手選手にはまだまだ頑張ってほしいな、というのがおおまかな感想でしょうか。こういう形でブログに書くのはおそらく初めてですけど、これからも印象に残ったレースとかがありましたら感想ということで書いてみようと思います。まあ、あくまでも私の独断での感想になってしまうので、あまり共感する人はいないでしょうけどね・・・。
2005年01月31日
コメント(0)
今日は大阪国際女子マラソンが行なわれましたが、出場している選手の中には初マラソンという選手もいたかもしれませんね。初めての42.195K、一線級の選手はともかく、一般ランナーにしてみれば、完走することができたらこれからの自信になると思います。しかし、私の場合には他の人がめったに体験することがないことをしてしまったんですよ。これが前回のブログに書いた「自分自身が救急車に乗せられた」っていう話でして・・・。私が初マラソンを走ったのは今からはるか昔、高校3年の卒業前でした。親に勧められてというのが最初のきっかけなんだけど(うちの父親って私以上に融通がきかないもんで、これといったらひくことを知らないんですよね)、陸上部の顧問にマラソンを走るって言った時にはさすがに反対されましたね。それでもなんとか説得して走ることになったんだけど、未知の距離ですから走りきれる自信というのはそんなになかったです。とりあえずそこそこの距離を走りこんでマラソン当日を迎えました。どんなペースで走ったかは覚えていませんが、そんなに速いペースではなかったと思います。しかし、練習は正直と言いましょうか、折り返し地点に行くまでに足がケイレンしてしまい、そんな状態で無理をして走り続けたもんだから、だんだん汗も引いていき、体力の消耗も激しくなってきました。そしてついには歩いて、回復を図ろうとしたのも束の間、25K過ぎに突如意識を失い、道の上に大の字に倒れこんでしまいました。これ以降のことはほとんど覚えていませんが、救急車に乗せられて病院に運ばれている途中に、なんとか救急隊員の問いかけに答えることができていたみたいでした。病院に着いてから意識は回復しましたが、意識を失って倒れた原因というのはどうやら酸欠だったようです。もしかして脱水症状も起こしていたのかもしれませんね。さすがに当日応援に来ていた親もさすがにビックリしてましたね。まさかこんなことになるなんてというのもありましたが、運ばれた病院というのがその日の休日当番医であった国立がんセンターでしたし・・・。ちなみにラジオ中継の中で選手が救急車で運ばれましたが大丈夫でしょうか、とも言われたとか。名前は言われませんでしたが、きっちりラジオデビューしてたりして。こういう体験をすれば普通は次に走るのが怖くなるものですが、その後大学に進学してからはいつかリベンジしてやるんだという気持ちが芽生えてきましたね。やっぱり走るのが好きなんでしょうね。次の年、同じマラソンできっちり完走をしてリベンジを果たしました。さらに次の年にはサブスリーも達成して順風満帆のように思われていたんですが、マラソンと同じく、人生も何が起こるか分からないものでして・・・。
2005年01月30日
コメント(0)
タイトルだけを見ると何か悪いことをしていて、パトカーのサイレンにおびえてる、っていう感じを受けるかもしれませんが、別に悪いことはしてませんのでそんなことはないです。ただ数年前までは救急車のサイレンにいつもおびえていたということがありました。その理由には家族の事情というのがいろいろとありまして・・・。ところで救急車のお世話になったことはありますか?私の場合、救急車を呼んだことも、そして付き添いで乗ったことも、さらには自分自身が乗せられたこともあります(この話は後日のネタにでも・・・)。私の家では祖母が家にいた頃は救急車を呼ぶ機会が多かったんです。祖母はいろんな病気持ちだったため、よく意識を失い、そのたびに救急車を呼んでいました。その回数が半端じゃなかったので、近所では救急車のサイレンが聞こえると、またあそこの家か、という感じに思われていました。そういうことがあったから、私が仕事をしている時に救急車のサイレンが聞こえると、もしかしてまたうちかも?とヒヤヒヤしていたものでした。その祖母が亡くなり、そういうこともなくなるかな、と思っていたら、その数ヵ月後に今度は父が突然意識を失い、救急車を呼ぶはめになったことがありました。母は祖母の時に何度も救急車を呼んでいるから慌てないかな、と思いきや、やっぱり何度あっても慌てるみたいで、その時は私が消防署に連絡をしました。しかし、何度もかける人でも慌てるっていうのに、ほとんど消防署にかけることがない私ですから、大慌てしている状態できちんと状況を話すのはちょっと難しかったです。誰でもそうですが、いくら緊急の時にはこうしなければ、とは思っていても、いざという時にそのとおりにできる人ってなかなかいないのではないでしょうか。実は、救急車をよく呼んでいた時期には、慌ててパニックになることを想定して、うちの家の電話の前に消防署、というか「119」の番号を張り出していました。父のために救急車を呼んで以降は、とりあえず呼ぶ機会というのはないんですが、災いというのはいつ何時と起こるか分かりません。今月に入って父の体調が今ひとつだし、もしかしたら急にってこともあるかもしれません。そうなってはいけないんですが、たとえ慌てるとしても、ちゃんと対応できるよう身構えておくようにと心がけています。
2005年01月29日
コメント(0)
またしても前回の続き的なところがあるんだけど、一般ランナーから見て、自分より速い女性ランナーってやっぱりすごいと思いますよね。まあ、私の場合だったら大学の後輩がすでにすごいを飛び越え「別格」になってますけど。日本を代表するランナーがすごいのは分かりますが、これとは別にして、実は身近なところですごいなあと思ったことが学生時代にあったんですよ。今をさかのぼること○○年前、私が高校に上がる直前のこと、無事に高校入試に合格して、卒業式を終え、あとは高校入学を待つばかりとなっている時期でした。友人に誘われて、高校の陸上部の練習に行ったんですよ。入試を終えて間もない時期でしたから、練習不足ってこともあり、途中でついていけなかったんですが、その中で悠然とついていく女性の先輩がいたんですよ。中学の頃、いくら陸上部内では遅いとはいっても、女性には負けることはさすがになかったんで、この事態にはさすがにショックを受けましたね。入学してから聞いてみると、これまでずっと男性の中で一人、ほぼ同じような練習をやってきてるとのことでした。そりゃあ強いはずだわ。あの練習以降、男性は女性より速いものだという意識はどっかに行ってしまい、まずはこの先輩に勝つことから始めなきゃ、という意識に変わっていました。その後、この先輩は都道府県女子駅伝はもちろんのこと、横浜国際女子駅伝の中四国代表にも選ばれるなど、県内ではかなりすごい選手になりました。もちろん、私が尊敬していたのは言うまでもありません。たまにレースに行った時に会うこともあるんですが、いまだに頭が上がりません。この頃の経験があったからこそ、たとえ自分の方が速くても、女性ランナーを見下すってことがなくなったのかもしれませんね。そして趣味として走るようになった現在では、速いというのとは別にして、生活の一部として走り続けている人みんながすごいなあと思っています。「すごい」と思うことに男性女性の性別なんて関係ないことなんですよ。ほんと、私も負けないように頑張らなければ・・・。
2005年01月24日
コメント(0)
都道府県男子駅伝もあったけど、一応、私も先輩というかOBですし、こちらの話題を取り上げないわけにはいかないですよね(知ってる人は知ってるけど、同じ大学の陸上部出身なんですよ)。足を骨折していた高橋尚子さん、一昨年の東京国際女子マラソン以来、久々のレース復帰です。さすがにマスコミは大きく取り上げています。とはいえ、完全には治ってなく、本気モードではなかったんですけどね。それでもジョギング程度といいながらハーフを1時間26分できっちり完走するんだよなあ。ところで、始めはスターターで出るだけだったのに、急遽走るようになったのには本人に何か意図するものでもあったのでしょうか?私はどちらかというと完全に治るまでは無理をさせたくない派ですが、本当なら監督も無理させたくなかったんでしょうね。しかし、思うに走る走らないを決めるのは本人ですからねえ。ゆっくりなら(といってもキロ4分ですが)走っても大丈夫と監督も踏んだから認めたんでしょうね。話を戻しますが、今回のレースに出場したのは、タイムからすると練習の一環とかフルマラソンのための調整というよりはファンとのふれあいという意味あいの方が強いでしょうね(あくまでも推測ですが)。まだまだ回復途上ですし、ファンとしてはこの段階では元気な姿を見れたことだけでもよかったと思います。とはいえ、やっぱり次に期待してしまうのは、大きなレースでの快走でしょうね。そのレースははたして名古屋になるのか、あるいは春の海外レース、または秋のレース!?どのレースになるにせよ、ファンとしては万全に近い状態で走りを見てみたいものです。そして、それがどれだけ長い期間あいても、またどんな結果になっても応援し続け、そして見守っていきたいですね。
2005年01月23日
コメント(0)
去年を表す言葉「災」が示すとおり、去年は災害が多い年でした。数多くの被害が出て、今でも復興にあたっていて、まだまだ時間がかかりそうです。そして災害といえば忘れてはいけないのが、10年前の1月17日に起きた阪神大震災のことです。ちょうど明け方でしたが、うちでも揺れたので目が覚めましたね。そして、テレビをつけてみると悲惨な光景が・・・愛媛に住んでいる者なら、これらのことにショックは受けても、直接の被害はないんですが、私たち家族にとっては、同時にすごく心配する出来事が起こってしまったんです。私の父はその頃は大阪に単身赴任をしていました。そこで被災を・・・というのではなく、実は前日まで私たちの自宅に帰っていて、ちょうど陸路を通って大阪に戻る途中だったんです。ちょうどテレビで高速道路が崩れている映像も流れていたこともあって、まさか父も・・・と思ってしまいました。家を出た時間からして、おそらくそこまでは行ってなかっただろうと母は言うものの、何日もまったく連絡がなく、どうなっているのかすごく心配でした。震災が起こってから3日後、ようやく父から大阪に戻ったとの連絡があり、ようやく家族はホッとしました。父の話によると、震災が起こったちょうどその時間は本州に渡る直前であって、直接の被害は受けなかったとのことでした。でも、数時間早い時間に家を出ていたら、間違いなく何らかの被害は受けていたでしょうね。そして、本州に渡ってからは車が全然進まなかっため時間がかかり、そして車を降りれなかったため連絡ができなかったとのこと。さらに、それまでの食料はちょうど車に積んでいた親戚の人へのおみやげ等を食べながら、またそれを周りの人たちへ分け与えながら、なんとか乗り切ったとの話でした。その間、神戸の火の海もまざまざと見せられ、すごくショックを受けたみたいでした。この体験が原因かもしれませんが、どこでも家への連絡をできるよう、まもなくして父は家族では一番早く携帯電話を買いました。こういった災害はできるなら起こってほしくないもんですが、専門家の予想では数十年の間に大きな地震が起こる確率は高いとのことです。いくら備えをしていても避けられないものだってありますが、出来る限り被害を抑えるために私たちは努力をしていく必要はあるでしょうね。そのためには10年前の震災を含め、それまでの災害で起こったことをこれからも忘れずにしなければ・・・。
2005年01月17日
コメント(0)
都道府県女子駅伝があった同じ日に愛媛県では愛媛駅伝という、県内では大きな駅伝がありました。以前はチームも多く出てにぎやかだったけど、いろんな事情もあって、今年は予選も実施され、参加チームも限られた大会となりました。私が所属しているチームもなんとか出場できましたが、私は以前は選手として出場してましたが、ここんところはもう何年も付き添いをしています。さて、今回特に感じたことなんですが、あいかわらず渋滞が多いですね。うちのチームも人材が少ないもんだから、私もかけもちで付き添いをしたんですが、次の区間に行くにも間に合わないかもしれないとかなりあせりました。まあ、もともと交通事情が悪いから以前から交通渋滞があったんですが、今年はそれに輪をかけるような原因があったんですよ。今回、地方の大会では全国初の試みとして、携帯電話(FOMA)での駅伝中継をしたんです。私も運良くFOMAを持っていたから、その中継を見たんですが、さすがにテレビのような画像とはいかないけど、様子は十分に分かりましたね。その点はよかったんだけど、実は関係者にとっては落とし穴があったんですよ。当然、中継をするためにはカメラを構えなきゃいけないんですが、先頭集団を中継するカメラを乗せた車が先導の白バイの前で構えて低速で走るもんだから、その車を先頭に渋滞が続いているんですよね。片側何車線もある道ならまだしも、大半が片側一車線しかない道を走るもんだから、その車を抜くのにどれだけ苦労したことか・・・。その後は交通規制もしてないからすいすい進むことができましたが。大会のレベルアップのためもあるんだけど、渋滞を少しでも緩和するために参加チームを制限したというのに、全国初の試みが新たな渋滞を起こすとは思ってなかったでしょうね。新しいことをするにはよいこともあれば、何か問題があることも必ず起こります。こういった問題を少しずつ改善していって、よりよい大会になってもらいたいですね。ただ、うちのチームの間では、中継はともかく、今回の大会のやり方は逆に悪くなったと不評でしたが・・・。
2005年01月16日
コメント(0)
これは前回のブログの続きと思ってもらいたいです。このことも私の趣味というかなかなか治せない癖というものだから・・・。タイトルにもあるように、私って新しいものに目がないんですよね。といっても、今使ってるものにすぐあきてしまうってことじゃないですよ。いくら熱しやすくさめやすいと言っても、さすがにすぐに手放すってことはしませんからね。どちらかというと自分が持つものは何にでも愛着を持つほうですから。ただ、新しい機能というのは見逃せないんですよ。この癖というのが明らかになったのは、おそらく大学の頃からでしょうね。それまではお金を稼ぐこともしてなかったから、たとえ興味があってもできませんでしたし。大学に入ってバイトを始めてからは、それまで買えなかったものが買えるようになりました。その最初というのがおそらくCDコンポだと思います。いや、正確には、その時はコンポを買うためにバイトを始めたんですが。どれでもそうですが、世間に出始めたばかりのものというのは高いもんですね。今だったら同じ性能で当時の何分の一かで買えますから。音楽関係でいえば、MDプレイヤー(レコーダー)も出始めの頃に買いました。それまでCDをカセットに編集して録っていたんだけど、それ以来、ずっとMDに編集するようになりました。当然、機械も高かったですが、録音するためのディスクも高かったですね。社会人になって収入があったとはいえ、一枚が当時1000円以上というのは痛かったです。それでも好きなことのためには買ってしまうんですよね。音楽関係以外のものでもいろいろあります。さすがにPCは今でも高いので、新しい機能のものが出たとしても短期間に何度も買い換えるってことはしませんが、携帯電話などは年一回のペースで新しい機種に変えています。始めのうちは電話をかけることができるだけで十分だったのに、機能が年々進化するうちに、メールだのカメラだの、いろんな機能がついたものが欲しくなってしまいます。まあ、それを全部使い切るかどうかは別として。これだけ書くと機械マニアだと思われがちですが、実は手先が不器用でメカにはそれほど詳しくないんですよ。ただ単に、新しいものが好きなだけ。けど、この癖のおかげで、自分の財政を圧迫しているのは事実、今では多少自粛をしてます。現に、早くから欲しかったDVDレコーダーも、世間にかなり流通してきて金額が安くなった頃にようやく買いましたしね。この不景気なのをいい機会として、この悪い癖も治していかなきゃいけませんね。最後に・・・2回にわたって書きましたが、これだけいろんなものを買って借金ばかりなのでは?と思わないで下さい。前回書きませんでしたが、私の社会人になってからの影の趣味というのが「貯金」でしたから、いろんなものを買っても少しずつ貯金はしてました。しかし、今ではその貯金は崩れてばかり・・・もう余裕はありませんね。
2005年01月15日
コメント(0)
HPなどにプロフィールを書くときに趣味を入れることが多いですよね。私の場合は(自分のHPを確認はしてませんが)、まず陸上絡みのことが多いと思います。これは中学の頃からずっと続いているので、もはや生活の一部となっているんですが、自分が走ることはもちろん、陸上の雑誌も買いまくってますし、ここ数年は陸上の大会を観戦を県外に観戦に行ったりもしています。これは時間とお金と体力に余裕があればの話ですが・・・。それと陸上と同じくらいに年期が入っているのが音楽鑑賞です。高校まではテレビで歌番組を聴く程度だったんですが、大学に入ってから一気に開花、ちょうどCDが出始めた頃と重なって、コンポも買い、CDを買っていろんな音楽を聴き始めましたね。実は大学でバイトを始めた最初のきっかけがCDなどを買うための小遣いを稼ぐことだったりして・・・。でも、やっぱり苦学生、お金がなくてほしいCDを買うのを断念したことも。しかし、仕事を始めてお金がある程度入ってきたら、ちょっと気に入った歌とかがあったらどんどんCDを買いまくり、MDが出始めるとどんどん編集をしたりと、収入の大半をCD、MDに費やしてましたね。もちろん、車の中では音楽聴きまくりです。で、今はというと反動からかお金に余裕がなくなり、最小限のCDしか買えなくなりました。だったらレンタルは・・・基本的に借りることが嫌いだから利用したことがないんですよ。あと、社会人になってからの趣味としてゲームがあります。スーパーファミコン、セガサターン、プレステ、プレステ2・・・いろんな機種を買ってゲームをしましたね。シミュレーションゲームが好きで、夜遅くまでやって、次の日の仕事に影響が出たことも!?しかし、これもまたお金の余裕がなくなったこともあってだんだん買わなくなり、今では甥っ子と対戦ゲームやるぐらいですね。たまに負けるけど(泣)。ここまで書くと、お金の切れ目が縁の切れ目というか、お金の影響で興味がさめていくって感じですね。まさに熱しやすくさめやすいってところでしょうか。不景気っていうのは趣味にまで影響してくるってことを身をもって知りました。現在はこれらの趣味の中にPCというのも加わってくるでしょうか。サイトを見るだけでなく、HPを自分で作ったりもしてますからね。初めて自分のPCを買ってからもう何年も経ちますが、お金に余裕がなくなっても何とか今まで続いています。これからも興味が続くかどうかはお金しだい、というか自分しだいかな!?
2005年01月14日
コメント(0)
このタイトル、もちろん元ネタは「負け犬の遠吠え」です。このブログのカテゴリーに芸能というのもあったけど、ずっとネタがなく書けませんでした。しかし、初めて書くネタがこれになるとはねえ。杉田かおるさんの超玉の輿結婚、それはもうビックリもんです。私だって「負け犬」の代表格だと思ってましたから・・・。でも、おめでたいことには違いないですね。「負け犬の遠吠え」で言う「負け犬」というのは「30歳以上、未婚、子供なし」の女性のことを指しますが、男女の違いはあれ、私も立派な「負け犬」となるでしょうね。でも、自分自身はさほど気になってはないんですよ。しかし、周りはそれをうるさく言うんですよねえ。そちらの方が気になってしまって。周りもそうだけど、特に親が・・・。まあ、今とは社会の状況が違うとはいえ、二人とも若くして結婚してますから、それは言いたくなりますよね。特に母なんか19歳で結婚でしたから。余談にはなりますが、私の妹も「負け犬」になる前に結婚しました。さすがに玉の輿ではなかったけれど、7歳も年下の旦那を見事に捕まえてきましたね。この目ざとさというのは誰に似たんでしょうかねえ。少なくとも私にはないですね。そして、今でも苦労しながらも、子供ともに頑張っているようです。さて、私は「負け犬」から「勝ち犬」に転身するのはいつの日になるんでしょ?今の状態ではそんな気配すら感じさせないんですが、突然っていうこともありますし。ま、それでも私はきっかけを逃すことに関しては天才的だから、たとえそういう機会があったとしてもつかみ損ねるのは間違いないので、まだまだ「負け犬」人生は続くでしょうね。
2005年01月13日
コメント(0)
市町村合併が進められている世の中、愛媛県でも今年に入ってからも次々と合併されていっています。1日には県庁所在地の市が隣接の市町と合併し、四国初の50万都市になったし、11日にもある市が隣接の町と合併、そして16日には全国でも数少ないと思われる、12市町村での合併があります。いずれも新市の名前は中心となった市の名前をそのまま使ってますが、この結果、愛媛からは「村」というのがなくなりました。また、私が住んでいる町も隣接の市と合併し、8月には市となる予定です。今年中には70あった市町村が20市町になるみたいですね。世の流れとはいえ、住んでいる者としては合併というのはあまりいい気分ではないですよ。行政の方は合併をすればサービスもよくなり、生活も便利になると説明するけれど、どうかなとも思いますね。やたらと面積ばかりが広くなって、それまでの役場も支所となることで人数も減り、大事な用事があれば、遠く離れた本庁まで・・・ということにもなり、不便な面も多く出てくると思います。また、役場に勤めている人たちも、もしかしたら自分が住んでいるところからかなり離れたところに勤務になる可能性も?どちらにせよ、不便な面はいろいろと出てきますね。それでも合併を受け入れねばならなかった理由、慢性的な財政難により単独で生き残ることが難しくなり、少しでも合併による恩恵を受けたいがためにやむなく合併ってこともあるのではないでしょうか。愛媛ではわずかではあるが合併に加わってない町もありますが、どちらかというと合併しようとした市町村との意見の食い違いにより合併から外れた、あるいは外されたところだから、本意ではなかったかもしれません。本当なら今住んでいる町のまま、ずっと残ってくれるのが一番だろうけど、それを許さないような世の中に誰がしたのだろうか・・・。名前が変わるのは寂しいものの仕方ないとしても、今までより悪い環境にはならないでほしいと願っています。
2005年01月12日
コメント(0)
自分の親とどこか似てるところ、誰だってありますよね。私の場合も、もちろん例外ではありません。それがいいところばかり似たんならいいんですが、そう話はうまくいかないもんで・・・。まずは外見ですが、誰がどう見ても父親似です。まず間違われることはありませんね。ただ、似なくてもいいところばかりが思い切り似てしまって、私としてはかなり複雑な心境です。どうやらこの「似なくてもいいところ」というのはうちの家系みたいで、親戚を見回してもそういう人ばかり・・・どこかというのは想像にお任せします。性格は・・・誰に似たのかなあ?ちょっと大雑把なところは母親に似てると思うけど、内向的で気が小さく、マイナス思考、それでいて真面目すぎるところは誰にも似てないなあ。社交的で気が強いところを受け継ぎたかったけど、そうはうまくいきませんね。ただ、つまらないことでも一途で頑固なところは見事に似てしまいました。あと、運動神経はどう見ても父親には似なかったですね。うちの家系は足も速くて、スポーツはなんでもできたって聞いているし、母親にでも似たんでしょうか。そう言うと母親は断固として否定しますが・・・。ちなみに学校の勉強はどちらにも似ていないと親から言われますが、実際はどうだったんでしょ!?まあ、悪いところばかりが目立ってしまいますが、ようするに両親の間の子供という証拠ですね。こんな自分だけど、急には変わることはできないし、今までこれで生きてきたんだから、これからも親から受け継いだ心と体で頑張るしかない、と半分あきらめている自分です(笑)。
2005年01月11日
コメント(0)
何かスポーツしてる人って運動神経がいい、もしくは他のスポーツも結構できると思ってる人いませんか?たしかにそんな人もいるけど、実はそうでもないんですよねえ。現に、今これを書いている本人がそうですから・・・。一応、陸上は今までずっと続けてきたけど、それ以外のスポーツはさっぱりダメなんです。私は学校の勉強の方は普通以上にできたけど、体育の方は普通以下、というか下に限りなく近い状態でした。小学校の頃の成績は5年生の時までずっと五段階評価の「2」だったんです。出席をしてたからかろうじて「1」にならなかっただけなんだけど・・・。足も遅いし球技もさっぱり、特に全然ダメだったのが水泳です。この授業は特に嫌だったですねえ。なにせ泳げない、というか「水嫌い」でしたから。学校のプールの端から端まで泳げるようになったのは5、6年の頃だったでしょうか。ただし平泳ぎのみ。他の泳ぎというのは小・中・高と全然できませんでした。ちなみに、私って海の近くには住んでいるんですけど、関係ないですね。もちろん、学校を卒業してからは一度も泳いではいません。そんな私が一回だけ五段階評価の「4」を取ったことがあります。それは中学三年の時、体育の授業にマラソンがあった学期です。中学に入学してから何の間違いか陸上を始めたけれど、さすがに3年間もそれだけを続けるとそこそこにはなりますよね。当然、体育の授業にはそれ以外もあったけど、マラソン大会で学年で4位に入ったのが効きましたね。ちなみに私より上位に入ったのがその年の県中学駅伝の優勝メンバー、私も補欠に入ってました。高校に入ってからも他のスポーツが苦手なのは変わらなかったけど、さすがにマラソンの授業だけは抜群でしたね。学年でも2~3番に入り、陸上部以外には負けませんでしたから。でも、陸上部の中では遅い方で、結局中学から通して県大会で走ることはありませんでした。まあ、陸上という取り柄というのができただけでもよかったと思いますよ。これがなかったらずっと運動オンチのままでしたから。人並みにできるのは長距離を走ることだけだけど、これからも観戦することを含め、スポーツはずっと好きでいたいですね。
2005年01月10日
コメント(0)
普段から不規則な生活をしているものの、病気にはなかなかならないんですよね。見た目でいうと、家族の中では一番ひ弱そうに見えるんだけど、実は唯一病院通いもしていないんです。これもずっと趣味程度ながらも走り続けてきたおかげでしょうね。さすがに今では体力も少し衰えてきて、年に数回風邪をひくようにはなったけど、数年前までは風邪なんて年に1回ひくかどうかというぐらいでした。(なんとかは風邪をひかないと言わないように。)しかし、そんな私でもいまだに治らない「持病」とも言うべきものがあるんですよね。神経質なのかもしれないけど、小さい頃から胃腸がむちゃくちゃ弱いんですよね。すぐのお腹を壊してしまいます。これは走ってる者にとってはきついですよね。学生の頃なんか、長い距離を走りに行く時はティッシュを持参していないと不安で仕方なかったです。また、レースなどでも給水は飲みすぎないよう気を使いますね。おかげで脱水症状になることもたびたび・・・。どうにかならないでしょうか?薬を飲んでも効くのはその場限りで、すぐに効き目はなくなりますしねえ。まあ、普段の食生活を改善するぐらいなもんでしょうかね。毎年の健康診断には引っかからないけど、もしかして精密検査を受けたら重大な病気が見つかったりして!?いや、まさかねえ・・・。
2005年01月09日
コメント(0)
正直言って、私は昔から子供嫌いというか苦手でした。一緒に遊ぶのはもちろん、面倒をみるってこともできなかったですね。だから、子供と関わる仕事は絶対無理だなと思ってました。もちろん、今でもそんな仕事にはついていないです。まあ、もともと人見知りなところがあるから、子供に対しても同じことなんでしょうね。一方、同じ兄弟でありながら弟の方は私と逆で大の子供好き、子供と遊ぶのも進んでやっています。そういう私でも、ここ数年は嫌でも子供と遊ばなきゃいけない立場にあるんですよね。毎週のように、嫁いでいった私の妹が自分の子供を休みの日に家に置いて帰るんです。向こうは土曜も仕事があるからって子供を預けるのはいいんですが、預けられる立場の者からしたらどうにかしてほしいって感じです。自分の休みがつぶれる!?いやいや、それだけではないんですよ。おとなしい子供ならいいんですが、誰に似たのか知らないけれど、とんでもなくやんちゃな子供なんですよね。目が離せないっていうか、動き回って何をするか分からないから気の休まる暇がないんです。弟がいる時は任せているんですが、その弟でさえ手に負えないこともあります。本人が寝てる時が唯一休める時でしょうか。去年ぐらいからはゲーム(PS)にはまってもいて、動き回る時間は減ったんですが、時々付き合わされますね。(現在4歳。なのに、いろんなゲームが人並みにできます。)ただ、物心つかない小さな頃からうちに預けられてるんだけど寂しがらないんですよね。そこらへんはえらいと思います。うちに来れば楽しいって思ってることもあるんだろうけど、普通は親を恋しがるはずです。だから、寂しがらないように、親とともにできるだけ協力して面倒をみるように努力をしてます。年々手に負えなくなっているけれど、これを乗り越えることができたなら、もしかして私も子供好きに変わることができるかも?
2005年01月08日
コメント(0)
私ぐらいの年齢になるとプロスポーツ界では現役でやっている選手というのは少なくなっていますね。野球では清原選手や桑田選手、サッカーでは中山選手などがいます。また、それより上の年齢でも頑張っている選手もいるんですからたいしたものです。陸上界になると、市民ランナーとかは別にして、私の同じ年齢の方は指導者になっている人が多いです。若い者には負けない、と思っても、スポーツによっては年齢には勝てないってこともあるんですよね。さて、スポーツ界ではないですが身近な自分の同級生っていうと、社会の中では一線でバリバリやっている年代になりますね。ただ、私の住んでいる町では企業とかがないので、残っているといったら自営で仕事をしている人ばかりで、ほとんどが町外に出てるんですが、それぞれ頑張っていると思います。ただ、ここまでの間にはいろんなことがあった同級生もいるんですよね。自ら命を落とした者、いろんな別れを経験した者、そして罪を犯してしまった者・・・。ここまで大げさではないけれど、今まで何事も挫折とかを味わった者などいないかもしれませんね。そう考えると、私なんかはまだマシな方なのかも?みんながいろいろありながらも頑張っている以上、私も少々の挫折に負けずに頑張らなきゃいけないんだけどね。そのためにはもっと精神的にも強くならなければ・・・。
2005年01月07日
コメント(0)
今月16日には都道府県対抗女子駅伝があります。今回は昨年以上の成績、うまくいけば久々の入賞を狙っているでしょうね。その唯一入賞した時にはアンカーの真木和さんが区間賞の快走をしましたが、今年のアンカーは土佐礼子さんです。1区も同じ三井住友海上の大平さんだし、ここでいい位置につけ、中高校生が踏ん張れば入賞というのも現実味を帯びてきますね。さて、女子の方はこうやって明るい話題もありますが、男子の方は今ひとつなんですよね。ふるさと選手で戻ってきてもトップクラスの選手ではないし、中高校生の活躍が頼りとなるので、今年も苦戦しそうです。地元の一般選手は・・・たしかに関西実業団駅伝に出場するチームや大学だってあるのだけれど、高校生のチームに勝てないんだからどうしようもありません。愛媛には一般、高校、クラブチームが同時に走る、県内では大きな駅伝があり、その第2レースともいえるのがちょうど都道府県女子駅伝と同じ日にあります。ここ数年は高校が一般チームなどを抑えてトップになっていて、頑張れ一般、と言いたいところですが、職場の事情などもあるから難しいところですね。その駅伝、年々参加チームが減って、いや、減らされてきています。原因は主催者(陸協)が交通渋滞を避けるためとか、駅伝のレベルを上げるためとかいうけど、どんなもんなんでしょうかねえ。分からないでもないんですが・・・。こういった現状からして、他の県の駅伝のことを聞くといつもうらやましいなあと思ってしまいます。交通渋滞を防ぐことも必要、また大会のレベルを上げることも重要でしょうが、底辺の拡大、そして押し上げがあってこそ全体のレベルも上がってくるのではないかなあ。多くのチームが出場すると、やっぱり盛り上がりますよ。まあ、これは私の独自の考えで、正論ではないかもしれませんが・・・。
2005年01月06日
コメント(0)
職場内に今、ある手作りのポスターがいくつも貼られています。うちの町出身の大学生選手が国内の大きな大会や世界大会などで優勝したと伝えるものです。(結構メジャーなスポーツです。去年の五輪では一番金メダルを取った種目!?)この選手も将来はさらに強くなり、そして五輪を目指すことになるんでしょうね。私の町出身で五輪に出場した選手といえば、知ってるかぎりでは一人だけ。私より一つ上の先輩で、新体操で五輪に出場しました。その頃の選手といえば、山崎浩子さんとか秋山エリカさんといったかなり有名な選手がいました。ちょうど山崎さんが前回の五輪で引退してたとはいえ、かなりすごいことだと思います。もちろん、うちの町からも応援に行く人たちはいましたね。私がやってた陸上の場合は・・・まあ、五輪に行った選手はいないけれど、現在実業団で活躍している選手はいますね。駅伝では何度も優勝に貢献しているし、今度は個人としても日本のトップクラスに上り詰めて、世界でも戦えるような選手になってほしいです。その実業団に今春もうちの町から、それも近所の子が進むことになります。中学の頃からその活躍を追いかけてきた選手ですし、これまで以上に応援することになるでしょうね。そして将来はうちの町だけでなく、日本、そして世界でも名の通った選手になってもらいたいものです。
2005年01月05日
コメント(0)
うちの職場では今日から仕事始めでした。その仕事始めの式典でのあいさつで「今年で・・・としては最後になる」という言葉がありました。これは今回ばかりでなく、去年もよく聞かれた言葉でした。いや、正確に言えば去年のこの式でも言ってた言葉ですね。まだ正式な日程は分からないけれど、うちの町は今年、合併して市になる予定なんです。まあ、世の中の流れからか、市町村合併の話が各地である中、私が住む県は全国でも1、2を争うほどの合併推進県で、ほとんどの市町村がなんらかの合併に絡んでいます。もちろん、合併しないで単独で残るってこともできるんだけど、うちの町は財政難が明らかなもんで、この話に飛びつかないわけはありません。そうやって話が進んでいき、去年の10月には合併しているはずだったんですが・・・。合併の中心となる市がゴネてしまい、一時は話がなくなるところだったんです。おかげで合併も伸びに伸びて、今に至っています。今月も他の市町村は合併して、最終的には市町の数も今年のうちに去年の今頃の三分の一以下になるでしょうか。合併してもそのままの名前のところもあれば、まるっきり変わるところもある・・・やっぱり寂しいですね。でも、たとえ名前が変わったとしても、気分を入れ替えつつも、今までどおり生活していきたいです。
2005年01月04日
コメント(0)
成人の日っていうのは私ぐらいの年代だと、どうしても1月15日というイメージがあるんだけど、三連休を増やすということで日付を固定せずに月曜になっているんですよね。ということで、通常はその成人の日に成人式が行なわれるんだけど、最近では自治体によりそのこだわりはないみたいです。都市部ではなく田舎の方では、できるだけ人が集まりやすいようにお盆とか三が日に行なっているところもあり、うちの町ではここんところずっと三が日に行なっているみたいです。うちの町では成人式はどんな行事を行なっているのかなあ、って自分の頃の成人式と比べることができないんですよ。実は私、成人式には出席しておりません。そればかりか、うちの家族は誰も出ていないから、どんな様子なのかは他人に聞くしかないんですよね。家族それぞれ出席しなかった理由はあるだろうけど、私の場合はズバリ、帰省するお金がなかったからです。大学時代は生活費はすべてバイト頼みだったから、帰省するにもお金かかるうえに、そのためにバイトを休むとなるとその分バイト代が入らず、その後の生活にかなり影響するというのが目に見えてましたしね。まあ、成人式の様子っていうのはニュースとかでもよく流れますが、最近のはどうみても悪いイメージしかないんですよね。ほんと、趣旨を分かって出席しているとは到底思えません。ふざけるのなら無理に出席しなくてもいいと思いますし、自分たちだけで集まればいいんじゃないでしょうか。出席したことがない人間が言うのもなんですが、もっと考えてみてもいいと思います。それは参加する側だけじゃなく主催する側も。うちの町では終わりましたが、今年の成人の日に行なわれる他の市町村の成人式、どんな問題が起こるのでしょうかねえ・・・。
2005年01月03日
コメント(0)
正月三が日に何も予定がなくても、駅伝ファンだったら退屈することはないですね。ニューイヤー駅伝に箱根駅伝・・・朝早くからあるけど、長時間ですから好きなものにはたまらないです。分からないものにとっては走るだけなのに何がおもしろいの?って思うだろうけど、それぞれドラマがあっていいんですよ。「駅伝は何が起こるか分からない」ってよく言われる言葉です。速い選手が揃っているチームなら強くて当然なんだけど、全員が実力を出して勝つのも難しいことです。その日の気象条件、体調、精神面などが絡んで、様々なアクシデントが発生することがあります。絶対っていうことが決してない、だからおもしろいんです。しかし、応援しているチームもなく、ただ単に見ているだけならそれでいいかもしれないけど、応援しているチームにそういったアクシデントが起こったらショックでしょうね。そして、その駅伝のために頑張ってきた選手たち、そしてそれを支えてきた周りの人たちなら特に・・・。そういう人たちのことを思うとちょっと辛いですね。私も陸上に関わってきた人間だから分かるんですよねえ。できることなら全選手が力を出し切ったレースを見てみたい。そんなことはめったにないけれど、そういった力と力の勝負っていうのが私は本当におもしろいと思います。今年も見ごたえのあるレースの中に、またいろんなドラマがありました。それがまたおもしろいとして見るだけでなく、選手たちにちょっと感情移入して観戦すると、今までと違った駅伝として見ることができるのではないでしょうか?
2005年01月02日
コメント(0)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。年も変わったことだし、自分自身も変わらなきゃいけないんだけど、はたしてどうなることか・・・。去年までのような自分であれば、おそらく今年もどうしようもない一年になってしまうでしょうね。性格が急に変わるってこともできないだろうし、どうやったら今までと違う自分になれるのだろうか?変わるといえば、今年はいよいようちの町も合併をし、市へと変わってしまいます。本当なら去年のうちに変わっていたはずなんだけど・・・。自分たちの生活自体も変わってしまうんだから、それぞれの思惑も絡んでできなかったんですよね。どんなことであれ、変わるってことは簡単にできないもんです。昨年よりもいい年になってほしい・・・願うことはそれだけです。欲を出すなんてとてもじゃないけどできません。現状維持でもいいけど、それじゃあ意味がない。ほんの少しでもいい、進歩できれば自分にとっていい年になるはずです。そのためには今以上に気を引き締めて自分も頑張らなきゃね。そして、周りもよくなってくれればこれ以上のことはないですね。どうか平和な一年でありますように・・・。
2005年01月01日
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1