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これはスペインのアラニア(アラーニャ)洞窟の壁画を模写した絵である。実物はかなり劣化が激しく、写真では判別しづらいという。よって、ネット上で流通しているのは壁画を忠実に模写したこの手の絵ばかりだと思われる。専門家の見解によると、この絵は片手に籠のような入れ物を持った女性が蜂の巣に手を伸ばして蜜を採ろうとしている姿を描いたものらしい。彼女のまわりで飛んでいる生き物を蜂と考えると、そういうふうにしか見えないよね。ただ、蜂の巣がある場所に関しては見方が分かれるかもしれない。上下に伸びた3本の線を木の幹と考えると、当然この女性は樹上にある巣の位置まで登っていることになる。一方で、この縦の線を崖の上から垂らした蔓植物と見れば、彼女はそれを伝って巣がある岩壁の穴の位置まで降りてきていることになる。いずれにしても、この女性はかなりの危険に身をさらしていることになるのではないか。足元の安全はどうやって確保しているのだろうか。それに複数の蜂に刺されたりしたらどうするんだろう。大丈夫、大丈夫。新石器時代の人間は現代人とは比べものにならないくらいの身体能力(バランス感覚)を有していたってか?それに、当時の人間は女王蜂の羽音と瓜二つの音声を口唇と喉を使って発する術もマスターしていたので、働き蜂たちはこの女性を巨大な女王様と勘違いし、決して攻撃してくることはなかったってか?まあ、一万年ほど前のことなので、実際のところは誰にもわからない。が、少なくともこの絵を見ると、そんな大昔から人間が蜂蜜を採集していたということ自体は確かなことに思えてくる。では、この貴重な壁画のことをわしはどうやって知ったのか。ラスコーやアルタミラなら知っていたが、アラニアなんて今まで知る機会がなかった。先日、『秘密のおこない』という蜂飼耳のエッセイ集を読むまでは。この本の中には、「絵画十選『虫と人間』」と題されたエッセイが収めてあり、その一発目が「蜜蜂の壁画(アラニア洞窟)」に関する文章になっている。それにしても、これを書いている人が蜂飼という名前だなんて、なんか面白いなあ。鵜飼とか犬飼という苗字の人がそれぞれ鵜や犬を飼っていたように、蜂飼姓の人の遠い祖先は蜂を飼っていたのだろうか。そんなことを思いつつ、蜂飼耳の名前のことを調べてみたところ、これは本名ではなく、ペンネームとあった。本名は非公開らしい。お勤めの大学でも、蜂飼耳で通しているそうだ。知人ですら彼女の本名は知らないという。みんながその本名を知らないのであれば、逆に「蜂飼耳」という名前が本名みたいなものではないか。笑というより、本当は「蜂飼耳」こそが彼女の本名なのに、あえてそれをペンネームと偽っていたりして。あ、これ、冗談だからね、真に受けないでね。あるいはまた、本名に「蜂」がつく人なのかもしれないぞ。蜂谷とか、蜂須賀とか、養蜂とか。なので、ペンネームにも「蜂」という字を入れてみたくなったのかもしれない。少なくとも、この人、蜂に対して少なからぬ愛着を感じているのではないか。というのも、数少ない短編小説の中でも、彼女は蜂を飼う女性を登場させたりしているのだから。『紅水晶』という短編集の中に、「六角形」という短編が収めてある。これは「姉妹の距離感を、蜜蜂に照らして描いた」作品で、「六角形」というタイトルは蜂の巣のハニカム構造のことを表すと同時に、不思議ちゃんの姉がせっせと築いているマイワールドのメタファーにもなっているような気がする。まあ、それはさておき、この小説の冒頭の部分で、お隣さんである峰子という老婆が自宅の庭で蜂を飼っていることが紹介される。この女性自体は話が始まるや否や老人ホーム送りとなり、すぐに姿を消してしまうので、大方の読者にとっては影の薄い登場人物かもしれない。せいぜい、今流行りの週末養蜂を趣味にしている物好きな婆さんか、みたいな印象ではなかろうか。しかし、わしはこの蜂を飼う婆さんにビビビときた。ここで、もうひとりの蜂飼い婆さんのことをふと思い出したのだ。リチャード・ブローティガンの『芝生の復讐』という短編集の中に、「サン・フランシスコの天気」という掌編が収めてある。3ページほどの短い話だが、わしの中では完璧と言えるほどイカした話だ。まずは、その書き出しの部分でも読んでもらおうか。ある曇った午後、イタリア人の肉屋はひどく歳をとった女性に一ポンドの肉を売った。だが、老婆が一ポンドもの肉をなにに使うのか?それほど多量の肉を使うには、彼女は歳をとりすぎていた。もしかしたら、蜂の巣箱に入れるのかもしれない。家ではからだに蜜をいっぱいためこんだ五〇〇匹の黄金の蜂たちがその肉を待ちわびていたのかもしれない。「もしかしたら」とわざわざ断りながら、この後、ブローティガン特有の妄想が炸裂する。肉屋との珍妙なやり取りの末、一ポンドのレバーを手に入れた老婆は、それを持ってよろよろと坂の上にある自宅まで戻り、奥にある部屋へ歩をはこぶ。そして、締めはこうだ。部屋には、ところかまわず、隙間もないほど多くの蜂がいた。椅子の上に蜂。死んだ両親の写真の上にも蜂。カーテンの上にも蜂。かつて一九三〇年代に耳をかたむけていた古いラジオの上にも蜂。櫛やヘアブラシの上にも蜂。蜂たちは彼女に寄ってきていとしげにとりかこむ。彼女はレバーの包みをあける。そして曇った銀の皿にそれを置いたとたん、皿はたちまち晴れの日に変った。やるなあ、婆さん。どうせ飼うなら、このくらいのスケールの放し飼いがいいね。ほとんどペットだよね、これ。 笑ただ、肉を餌としてあげているということは、この蜂たちはペットには不向きな感じのアシナガバチとかスズメバチの類いということになるのだろうか。でも、おかしいな。「からだに蜜をいっぱいためこんだ黄金の蜂たち」というフレーズからはミツバチをイメージしたいところだが…まあ、そのへんはブローティガンにきいてみないとわからないが、彼はとっくの昔に死んでいるので、どうにも気になって仕方がないという人は訳者の藤本和子に尋ねてほしい。 笑とりあえず、ここでは肉も食べる新種のミツバチということにでもしておこうか。 笑いずれにせよ、蜂さんたちのうるさいまでの羽音を耳にしながら、ひとり恍惚の笑みを浮かべている老婆の顔だけはありありと思い浮かぶ。
2026.02.14
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キンカンの実 2026トモエくんを顕微鏡の前に座らせる。ミジンコを見せる。マスカラをつけない睫毛が、音を立てずに打ち合わさる。ぼんやりと透きとおる体は、心臓も腸も卵巣もさらす。花のかたちをした眼に、人のすがたは映らない。ミジンコたちは、内部の仕組みを見せるつもりなどない。結果として、人に見られているだけだ。スケルトンの時計の部品のように慎ましく、麗しい。透明な時間を紡ぎながら殖えていくものたち。トモエくんは感心しているようだった。( 蜂飼耳 「崖のにおい」より )Wikipedia よりトモエくんは顕微鏡で見ているけど、ミジンコって、大きいのになると2ミリくらいあり、肉眼でも見える。主に田んぼや池のような流れのない淡水に生息する微生物で、ウチの睡蓮鉢の中でもうじゃうじゃ泳いでいる。こうして拡大してみると、ヒヨコっぽくて可愛いらしく見えるが、分類上はエビやカニと同じ甲殻類なんだそうな。まあ、でも、そんなこと全部、人間サイドの関心事であって、ミジンコ自身には全く関わりのないこと。そもそも、彼らは人間に見られていることすら気づいてないだろう。同じように、わたしたち人間も、人間以外の何かに観察されていることに気づいていないのかもしれない。そう考えた場合、人間を観察するその何かってやつは、やはり高次元の存在ということになるのだろうか。だとすれば、わたしたちは心の中まで透け透け状態で見られているのかもしれない。しかも、彼らはそれ(私たちの心の中)を瞬時に図像変換して楽しんでいる可能性もある。たとえば、ある建築家が頭の中で幾何学的思考を巡らしているとしよう。それが彼らにはこんなふうに見えたりする。放散虫 Wikipedia より葉緑素をもつ植物プランクトンは日光を利用して、海水中の単純な無機物質から複雑な有機分子をつくる。動物プランクトンがそれを食べる。彼らの小さな体は炭酸カルシウムや二酸化珪素の殻に包まれていて、その殻は実にさまざまな奇怪で絶妙な形をしている。何本もの尖ったトゲをつけているもの、雪の結晶のようなもの、正確な正何十面体をしたもの、ビルマの仏塔に似たもの、中世の城壁崩しに使われた鋭い錐みたいなものを一方に突き出したもの、釣鐘状のもの、無意味としか言いようのない装飾をまとったもの。とくに放散虫類のオパールの精密に放射状の殻は、この地球上で最も美しい形のひとつだ。オパールは二酸化珪素が宝石状になったもので、砂や石英の主成分である。つまり放散虫は生きている水晶、比類ない美的センスをそなえて水中を浮かび漂う砂の微粒である。彼らは川から流れこむ二酸化珪素を使って精妙極まるガラス細工状の体をつくり、短命な生涯を終えると静かに海底に降り沈んで堆積岩の材料になる。土中の微小生物たちは岩石の細片と共存しているだけだが、海水中のプランクトン類はより自由に無機物との境界を往き来している。なるほど、私はもうあと十年ぐらいしか生きないつもりだが、今度生まれてくるなら、放散虫になりたいね。この宇宙で恐らく最も美しい姿。透きとおって、静かに冷たくきらめいて。放散虫以上に生命は進化すべきではなかったのかもしれない。あるいは究極まで進化した知的生命体、超意識存在は、きっと放散虫の形をとるにちがいないと思ってるよ。( 日野啓三 「放散虫は深夜のレールの上を漂う」より )というわけで、私たちを観察しているかもしれない存在というのは、別に高次元存在である必要はないのかもしれない。放散虫のような形をした超意識存在が私たちと同じ次元に存在しながら、密かに私たちを観察していると考えてみるのも大ドンデン返しっぽくて面白いかもしれない。 笑
2026.02.01
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