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南国土佐の「ルナ・ピエナ」(土佐のご贈答用高級すいか)約2kg0626祭10 6月も今日で終わり、そろそろスイカが美味しい季節ですね。子供の頃、私の家には裏庭に井戸があり、休日には毎週のように井戸水で冷やしたスイカを食べました。家族みんなが集まって和やかに過ごす昼下がりのひと時でした。昔は、田舎では大家族だったので大玉のスイカを丸ごと一個切っても余るようなことはありませんでした。子供たちは、早食い競争をしたり、縁側で種の飛ばしっこ(笑)をしたりしました。残ったスイカの皮はカブトムシのご馳走になりました。 スイカといえば思い出すのは、当時、いろいろなスイカがあったことです。種無しスイカや中身が黄色いクリームスイカなどがありました。いまでは全然見かけないように思うのですが、どこへいったんでしょうね。
2006年06月30日
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夏の涼味 特選素麺 梅雨だと言うのに昨日は猛暑、そして夕立と夏そのものの1日でした。夕立のあとはすっと気温が下がり過ごしやすくなって、昔の夏はいつもこうだったなあと思い出しました。今日も昨日以上に真夏日になりそうです。(ちなみにこれ、朝に書いてます) さて、こう暑くなると冷たい素麺が食べたくなります。食欲がなくても素麺ならいくらでも食べられます。梅干で酸味を、大葉やミョウガで香りを利かせれば、この時期最高のご馳走です。 素麺のルーツは、一つには、奈良時代に遣唐使が持ち帰った菓子餅(唐菓子ともいう)にあるという説があります。14種の菓子餅の中にある索餅(さくべい)がそれで、索は細長い紐を意味し、また菓子といっても茹でて食べる「湯餅」(湯=スープ、餅=麺)だったらしいのでまさに素麺やうどんのルーツらしいところです。 別の説としては、鎌倉時代に素麺の製法もうどんの製法もほぼ同時期に禅僧によって持ち込まれたという説もあります。本当のところはわかりませんが、いずれにせよ元祖はやはり中国なのですね。 JAS規格によれば太さ1.3mm未満が素麺、1.3mm以上1.7mm未満が冷麦、1.7mm以上がうどんということになっていますが、これはいささか乱暴です。機械切りの素麺ならともかく手延べの昔ながらの製法で作られている素麺はうどんとは別物です。 素麺の製法は、グルテンの多い小麦粉を特に細かく挽き、きめの細かいところだけを使い、塩を加えて練ります。こうして出来た生地を細く伸ばしていくことで麺にしていきます。麺を伸ばしていく工程で植物油を塗りこみ、充分に細く引き伸ばすと乾燥させ、2年から3年熟成させます。夏場は小麦粉のグルテンがだれるため、麺を延べるの厳冬が良いとされ、その伝統はいまでも守られています。うどんの場合は、小麦粉と水と塩をこね、平に伸ばし、たたんで包丁で切って麺状にします。素麺の製法は、小麦粉の質、植物油、引き伸ばして作る製法、熟成させることがうどんと大きく異なるのです。 素麺は、小麦粉と植物油の質によってできが左右されるため、良い材料を産する土地では競い合って高品質な素麺を作りました。これによって産地ブランドができていきました。奈良県の三輪素麺や兵庫県の揖保乃糸など今も有名な素麺もこのようにして生まれたのです。 子供のころ、近所の子供会の催しで、キャンプ場で流しそうめんをやったことを思い出しました。青空、麦わら帽子、夏の日差しと冷たい素麺と子供たちの楽しそうな笑い声と。五感に刻み込まれた懐かしい記憶です。
2006年06月29日
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先日のテレビの「鉄腕ダッシュ」の「ダッシュ村」は、村の旗を材料から作るというものでしたが、とても感動しました。木綿の織り物の旗なのですが、材料の綿花の栽培から始めます。ワタを収穫し、糸を紡ぎ、染料で染める。染料も里山の自然の中で採取したベニバナや藍など天然の植物から作ります。染められた糸は昔ながらのトントンカラリの機織機で縦糸・横糸を一列ずつていねいに織り上げます。素朴な材料と技法ですが、けっして簡単ではなく、特に染料で染める工程は永年の試行錯誤のうえ生み出されてきた複雑な手順があり、一箇所手を抜いただけでもきれいに発色しなくなってしまいます。すべてが理屈でなく、そこで自然と共存する者の経験と工夫と永い時間が生み出した技です。たぶん古代、縄文の時代から、日本人は、この綿の繊維を糸、そして布にする技を磨いてきたことでしょう。人間は自然のなかで、かくあるべきというものを見た思いがしました。できあがった木綿織りの旗はシルクの輝きも、科学繊維の丈夫さもないけれど、素朴な味があり、なんだか無欲に日々を生きていた古代の人々を思わせます。けして効率的ではないけれど、時間がゆったりと流れていた昔はそれでよかったのでしょう。効率を追求するのは現代では仕方ないですが、材料からすべての工程を自らの手で行い、物を作り、利用し、使い尽くして灰にして土に返すまで、自分たちの生活の中で絶えることなく続けられていく。それはとても魅力的なことだと思います。現代社会では日常使っているものもどこで作られ最後はどう処分されるのかよく解らないのがほとんどだと思います。ついこの間まで作るほうも使うほうも最後の処分のことなど考えない時代ですらありました。私には、この自ら種を蒔くところから始まる生活こそ、本来の人の生き方だと思えてなりません。
2006年06月28日
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今日は、奇跡の人の日です。ヘレン・ケラーのことを知らない人はいません。いったいどんな才能と努力をもってすれば、あんな障害に打ち勝ってあのような立派な仕事ができるのか、凡人の私にはまったく理解できません。ヘレン・ケラーについては、世にたくさんの伝記や小説が出ていますから、ここではあえて書きませんが、彼女の偉大さは何百年たっても色あせる事はなく、語り継がれていくでしょう。 へレン・ケラーがここまで偉大な仕事を成し得た原点は、家庭教師アニー・サリバンとの出会いにあります。このアニー・サリバンという人も並たいていの人ではありません。 貧しいアイルランド移民の子として生まれたサリバンは、幼い時の病気がもとで目がほとんど見えず、10代になるまでは読み書きもできませんでした。9歳の時には親を亡くし、結核に冒された弟とともに救貧院に収容されました。けして良好な環境とはいえない生活の中で、残された唯一の家族の弟も亡くし、救貧院のアルコール中毒者・孤児・高齢者・精神異常者など、社会から忌避された人々の中で5年間すごしました。そんなサリバンを救ったのは寮母ホプキンズの深い愛情と教育でした。闇の中で途絶えかかっていたサリバンの人格は学問の力とホプキンスへの尊敬によって再生されたのです。その後、彼女は慈善委員会の推薦により全米でも有名な盲学校パーキンスに入学しました。16歳の時には眼の手術を受け、視力はかなり回復し、主席で学校を卒業しました。そして彼女はヘレン・ケラーの元へ家庭教師となるべく旅立ったのです。 三重苦のヘレンを闇から救い出すことができたのもこの過酷な生い立ちの中で出会った一人の指導者からもらった「再生された自分」、そして勇気と愛あればこそでした。以後のサリバンとヘレンの物語はご存知の通りです。 ホプキンスからサリバンへ、そしてヘレンへと受け継がれていった人の「精神」というものは時に素晴らしい力を生み出します。どんなに情報伝達の手法や教育理論が磨かれてもとうてい到達できない人と人との間に生まれる何かがそこにあります。 世の中の人の大部分は間違って覚えていると思うのですが、実は「奇跡の人」という呼称はヘレン・ケラーに与えられたものではありません。ヘレンを闇から救い、生涯へレンに付き添って彼女の偉大な人生を支えたアニー・サリバンに与えられたものなのです。
2006年06月27日
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今日は、6、2、6で露天風呂の日です。露天風呂といえば温泉です。日本人は世界にまれにみる入浴好きの民族で、温泉を楽しむ歴史は、言葉が生まれるよりも古いと言われるほどです。火山の多い日本では比較的容易に自然に湧き出している温泉を見つけることができ、そのお湯で体を温めようと考えるのは古代人にしても当然だったと言えるでしょう。日本における温泉に関する文献では、「伊豫国風土記逸文」に596年に聖徳太子が道後温泉に来浴したという文があったそうですが、現在は失われています。また、「日本書紀」には、歴代の天皇が各地の温泉に行幸されたことが記録されています。天皇の温泉行は、単なる温泉旅行ではなく「湯垢離(ゆごり)」という宗教的行事だったようです。最も早いものでは舒明天皇(629-641)が、有馬温泉と道後温泉に行幸したということが書かれています。また、清少納言は「枕草子」で、七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯を好ましい湯としてあげています。 温泉は地球が誕生したときから持っているエネルギーを受けて熱せられています。これは地球がまだ生きている星である証であって、星が死に、内部の熱が冷めてしまえば温泉はなくなります。温泉の有効成分も多くはマグマや火山性ガスに由来するもので、温泉はダイナミックな地球の息吹でもあるのです。一時期の源泉掛け流しの不当表示や、薬剤投入事件で温泉の人気はがた落ちとなりましたが、今は温泉地の観光協会や旅館の人々の努力で人気は回復してきているようですね。これからも努力して温泉の維持をしていただきたいです。間違っても汲み上げすぎて枯らしてしまったなんてことのないように。温泉のない日本なんて悲しいですから。
2006年06月26日
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ソニーとパナソニックが、デジタル一眼レフカメラの市場に参入し、いよいよ次世代に生き残るメーカーを決める戦いが始まりました。20年来の一眼レフカメラユーザーとしては、それぞれの個性を生かして共存していってもらいたいところなのですが、近頃はカメラに限らずオセロ市場と言われています。圧倒的優位に立っていたはずのシェアNo.1メーカーが、突然オセロゲームのようにひっくり返され撤退へ追い込まれることもある。キャノンもニコンも安心はできません。しかし、度を過ぎた開発競争は、本当はユーザーのためにはならないと思います。カメラは精密機械ですから故障します。昔は高級機を買えば20年くらいは造り続けられ、部品の供給も問題ありませんでした。今はそういう息の長いモデル開発はまれになってきています。 ソニーがコニカミノルタの事業を引き継いだとき、コニカはともかくミノルタの永い歴史は終わったと涙がでました。私の買った始めての一眼レフカメラはミノルタα7000というカメラでした。世界初の量産オートフォーカス一眼レフカメラで一世を風靡した名機です。しかしこのカメラの良いところはオートフォーカス以前にカメラとしての使い勝手がとても優れていました。ミノルタは昔から使い勝手のいいカメラを作るのが得意なメーカーでした。そんな伝統もこれからはソニー色に染められて、デザイン至上主義の衣をまとうようになるのかと思っていました。しかし、ソニーは、αのブランドを継承し、昔のαレンズも使えるモデルを投入してきました。ソニーのロゴをペンタプリズムに輝かせて。 一方、パナソニックは、デジタルコンパクトカメラの技術をじっくりと磨き、満を持しての一眼レフ参入です。従来の常識にとらわれない画期的な製品がぞくぞくと登場してくるかも知れません。 デジ一眼では、今の市場ではキャノンが圧倒的に強く、ニコンはレンズ性能やボディのコンパクトさで苦戦を強いられています。ソニーはコニカミノルタの技術をベースに名門ドイツのカール・ツァイスのレンズと、ソニーならではのIT技術を駆使して、追撃してくるでしょうし、パナソニックは、これまた定評のライカレンズを引っさげ、家電などあらゆる分野での高い影響力でデジ一眼カメラ市場に大改革をもたらすかも知れません。以前にも書いていますが、デジ一眼レフカメラはまだ規格の定まらない不安定な市場です。最大の問題は撮像素子の大きさが各メーカーばらばらであることです。撮像素子の大きさはレンズの焦点距離と密接な関係があり、これが統一されないととても面倒なことになります。キャノンは自社内でも35mmフルサイズから独自サイズまでばらばら、ニコン、ソニー、ペンタックスはAPS-Cサイズ、オリンパス、パナソニックはフォーサーズと呼ばれるサイズとなっています。 この状況ではちょっと買う気になれません。ユーザー本意で考えるのであれば、35mmフルサイズに統一し、従来のフィルムカメラの時代のレンズ使いのノウハウを継承できるようにしてもらいたいです。その上での各メーカーの個性を発揮しての勝負をしてもらえばユーザーとしてはとても面白いです。各メーカーにお願いしたいのは、ぜひ、10年くらいは永く愛用できるカメラを作ってもらいたいことです。私にとっては一眼レフカメラはけっして消耗品ではないのですから。
2006年06月25日
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今日は、UFO記念日です。1947年(昭和22年)アメリカで初めて空飛ぶ円盤が目撃されました。ある実業家が飛行機で移動中に出会ったのですが、その物体はマッハ2をはるかに超える速度で急降下や急上昇を行い、人類の技術ではありえない飛行性能を持っていました。この目撃をきっかけに同様の目撃証言が相次ぎ、アメリカ空軍が調査に乗り出し、「UFO(Unidentified Flying Object:未確認飛行物体)」と名付けました。日本でも数え切れないほどのUFOの写真や目撃談がテレビを賑わし、特に昭和40年から50年にかけてはUFO専門のジャーナリストも登場して特番もたくさん組まれてブームになりました。 多くの人は、嘘に決まっている、写真もトリックだ、と思っているでしょう。私もそう思います。でも、この広大な宇宙空間に無数にある星々の中に高度な文明を持ち、宇宙を自由に旅行できる乗り物を作って密かに地球を調査に来ているというのは絶対にありえないとは言えないし、とても夢のある話ではあります。 私は、この宇宙の中で高度な文明を持っている星は地球だけと考えることの方がむしろ無理があるように思います。ですが、地球の科学者もそれなりに調査して、手近な恒星系には知的生命が繁栄できそうな星は無いということが定説になっています。しかし銀河系一つとっても人類にとっては無限の広がりがあるので、気の遠くなるような遥かかなたの星に知的生命体がいるかも知れません。その場合でもさすがに時間と空間の壁は厚く、地球を越えるような高度な文明と科学力を持つ星があったとしても地球までやって来るのはほとんど不可能です。もし本当に来ているとするならば空間と時間を自由に移動するアニメでおなじみの「ワープ」が必要になります。しかし、現代科学においては、光の速度を超えればワープできる、などと単純なものではなく、もし実現するならばブラックホールとホワイトホールを同時に人為的に作り出す技術と、ほんの数秒間でも持続させる膨大なエネルギーが必要になります。したがって人類の科学では不可能となります。でも科学は過去の歴史においても不可能を可能にすることこそが科学の進歩の真骨頂なので、この先何百年後にはどうなっているかは解りません。 私はUFOを目撃したことはありませんが、UFOもどきを目撃したことはあります。子供の頃、ある夏の日の夕方、いっしょに広場で遊んでいた子供たちの何人かが、空を指差し「UFOだ、UFOだ。」と大騒ぎしていました。指差す方向を見ると、確かに光の球が忙しく左右交互に飛び交っています。どう見ても飛行機やヘリコプターの動き方ではありません。そのあたりの空はうっすらと雲がかかり、UFOは雲の手前を飛び交っているようです。ここでピンとひらめいた私は振り返り、後方の彼方にある山間を縫うように通る幹線道路が見えることに気付きました。UFOらしき物達はこの道路を走る車のヘッドライトの動きと連動しています。どうしたかげんか、車のヘッドライトの光が雲のスクリーンに投射されてできた幻想的な現象だったのです。ちなみに、冷静にこのことを説明したら、盛り上がっていた周囲の子供たちから「ヤなやつ」みたいな冷たい視線の集中攻撃を受けたのは言うまでもありません。 とまあ、現実的には存在しない確立の方がはるかに高いUFOですが、マヤの古代の遺跡や石器時代の洞窟壁画、日本や中国の古文書に描かれている絵など、古代からUFOや宇宙人がやって来ていたらしい痕跡が伺えます。これらがすべて想像で描かれたとするには少し無理があるくらいにリアルなものも多いのです。個人的には、宇宙のどこかに高度知的生命は存在すると思っています。
2006年06月24日
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白砂青松という言葉があります。日本の海岸の美しい風景を表わした言葉ですが、今ではほとんど死語になってしまいました。 常緑樹の松は、防砂や防風のため日本の海岸線のいたるところでみられました。ところが20年くらい前からだったでしょうか、松を食い荒らすマツノザイセンチュウ通称松食い虫が大発生するようになり、薬品による防除処理をされなかった松はほとんど枯れてしまったのです。もう今の日本の海岸には、天女が舞い降りても羽衣をかけて置く場所はあまりありません。 日本の海岸の多くで砂の流失が起こっています。原因は防波堤などによる海流の変化や、ダムの建設による河川からの砂の供給減少です。海水浴場などでは別の場所から砂を運んできて補っているところもあるようですが、最近では土木建設工事用の砂も不足しており、美しい白い砂浜は失われていくしかないのかもしれません。自然は常に変化しています。人為的な要因にしろ、そうでない要因にしろ、移ろい変わっていくのは仕方のないことなのかもしれません。しかし、コンクリートの岸壁とテトラポッドだけの海岸線だらけにはしたくないですね。これからの日本にふさわしい新しい美しさを持った海岸をつくるよう努力し、計画的な施策が必要だと感じています。
2006年06月23日
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先日、新聞で気になる記事がありました。「ロハス」という言葉は聞いたことがある人は多いと思います。「健康で持続可能なライフスタイル」を意味する言葉で、Lifestyles of Health and Sustainability の略語です。この「ロハス」という言葉がようやく自由化されたという記事でした。どういうことかというと、この言葉をありとあらゆる商品分野で登録商標にしてしまった会社があるのです。登録商標にされてしまうと宣伝文句等に他社はこの言葉を使えなくなり、使いたい場合は使用料を払わなければなりません。このため、企業の多くや公共のメディアなどはこの言葉を使わないようにしたので、「ロハス」はいまだにいまいちの普及度です。この言葉は90年代のアメリカで生まれた言葉らしいのですが、日本にやって来たのは4年くらい前です。健康と環境を大切にするというスローガンは現代人のライフスタイルとしてとても素晴らしいものであるのに、こういった企業のお金儲けの手法がこの4年間この言葉の普及を遅らせてしまっていたのです。登録商標権を持つ企業が、ようやく使用料をとるのをあきらめ、普及度を上げる決断をしたことで、「ロハス」の「自由化」となったのです。 こういうことは今回が初めてではなく、「平成」が決まった時も平成の名を冠した登録商標を出願する人が我先に特許庁に訪れましたし、野球で阪神が優勝確実になった時に「阪神優勝」という登録商標を出願し、却下された人もいましたね。そもそも、自分で考えたものでない言葉や単語の組み合わせを登録商標として申請できてしまうことが問題だと思います。また、現実にその商品を作る・販売する予定はないのに、こうした使用料を取ることだけを狙った登録商標は認めるべきではないと思います。本来、登録商標は、最初にその商品名を考えた人の権利を保護するためのものであるはずです。商品を作る・販売する予定がないと客観的にどう判断するかは問題ですが、一度にありとあらゆる商品分野で登録申請するなどという行為であれば明らかに使用料目的なのですから、なんとか法律を整備して制度の正常運用をめざしていただきたいと思います。本来素晴らしいものが、こういった経済のちょっと暗い部分によって社会に普及し、人々の役に立てないのはもったいないと思うのです。
2006年06月22日
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今日は、夏至です。二十四節気の一つで一年で一番昼が長く、夜が短くなる日です。この日は古代より人類の一年間の重要なベンチマークとして特別な日とされてきました。イギリスのストーンヘンジなど古代の巨石建造物の多くは、夏至の日に特定の部分に太陽光や影が達することでこの日を知らせる機能があると言われます。逆に言えばそうなるように計算して建造物を設計したらしいことになります。夏至の日を正確に知ることで、それを基準に農作物の種を蒔く時期を決めたりしていたと思われます。 年間日射量が少なく冬の間は暗く厳しい北欧では、夏至の日は大切な祝日となっていて、各地で盛大に夏至祭りが行われます。また、魔女が使う薬草はこの日の前夜、ミッドサマーイブに摘まれたものがもっとも魔力が高いとされました。 何年か前から日本では、各地で夏至の日の夜20時から22時まで照明を消すキャンドルナイトという運動が行われています。もちろん省エネの意識を高めるための運動です。20時から22時だとまだ寝るには早いし、さすがに真っ暗にするのは辛そうです。でも、できるだけ消灯して少しの明かりだけで2時間過ごせばそれでもいいと思います。各地でイベントもあるようですし、自宅にいても参加できますから興味のある方は参加してみてはいかがでしょうか。
2006年06月21日
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先日の新聞でよんだのですが、北太平洋に生息しているネオカラヌスというグループに属するミジンコのような動物プランクトンが、大量の二酸化炭素を深海に封印する働きを行っていることが解ったそうです。このプランクトンは、光合成を行う植物性プランクトンを食べて生きているのですが、植物プランクトンは光合成によって二酸化炭素を分解し、自分の活動エネルギーにするとともに、自らの体を成長させたり、繁殖したりしています。こうして分解された二酸化炭素はそのままではすぐに別の生物に食べられて呼吸によって二酸化炭素に戻ってしまいますが、このネオカラヌスグループのプランクトンの場合は、初夏のころ海面近いところで植物プランクトンを食べ、夏には深海に移動し、深海魚に食べられることで二酸化炭素を深海に封印できるのです。その量は相当なもので、日本が一年間に排出しているすべての二酸化炭素の半分に匹敵するそうです。大自然のダイナミックな営みには驚かされます。また、このプランクトンをうまく利用できれば地球温暖化に対抗する武器になるかもしれません。しかし、これは諸刃の剣でもあります。海の生態環境が変化し、もしこのプランクトンが絶滅でもしようものなら、いままで知らないうちに封じ込めされていた二酸化炭素は、大気中に開放されてしまいます。小さなプランクトンなどの生物は、細かい生態が不明のことが多く、絶滅を未然に防ぐ取り組みは困難です。あるとき気がついたら絶滅寸前だったということになりやすいのです。また、ネオカラヌスグループ以外の微生物などで、人類に知られていないけれど二酸化炭素の封印に役立っている生物もいるかもしれません。つまり、地球温暖化の問題は単に二酸化炭素の排出を抑制したり、吸収したりするだけでは充分でなく、微妙なバランスで成り立っている地球全体の生態環境を崩さないことが必要となってきます。すでに森林の砂漠化や低緯度地域の水没が刻一刻と進んでいる現在、微生物の生態まで気を配らなければならないのですから人類も大変ですが、世界中の英知を結集して乗り切りたいものです。もはやテロなど同属同士で殺しあったりしている場合ではありません。大量の石油を世界に供給している中東の国々にこそ地球温暖化への取り組みに努力する責任が大きいと思うのです。
2006年06月20日
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今日は、元号の日です。645年の大化の改新によって日本で初めて元号が定められました。はじめての元号はもちろん「大化」です。 元号というのは、たとえば平成○年の「平成」の部分を言うわけですが、実はこれ、とても不便なもので、「平成○年は昭和で言うと○年にあたって、西暦では○年で・・・」などと面倒なことこの上ありません。個人の書類などは西暦で統一してしまえばいいのですが、役所の書類などは平成で書くようになっているのでどうしても元号とお付き合いしなければなりません。ヨーロッパなどは西暦で統一されていてとてもすっきりしています。国が違っても西暦は変わらないので、合理的です。 ある年を「紀元」と定め、年数を数えることを紀年法と言います。日本の元号もその一種です。西暦もキリストの誕生を紀元とした紀年法です。世界を見てみると、ユダヤ暦(イスラエル)、仏暦(ミャンマー、スリランカ)、タイ仏暦(タイ)、檀君紀(韓国)などがあるようです。どうも独立国家はその独立の証拠として独自のカレンダーを持ちたがる、というのが元号というものが存在する理由のようです。西暦ももとをただせばローマ帝国で使われていた紀年法であり、ローマ帝国の力が強大であったため、ヨーロッパ全体で使われるようになったようです。 あまり知られていませんが日本には「皇紀」という紀年法もあります。これは神武天皇の即位を紀元としていて、天皇が変わるたびにころころ変えなくて良いので、いっそこちらを正規の元号にしたら良いのではとも思うのですが、 昭和54年に「天皇の継承があった時にだけ元号を変える」という法律が定められたため、そうもいきません。昭和54年以前でも天皇が変わると元号が変わるのは慣習として行われていましたが、正式に法律で定められたのはわりと最近のことなのです。ちなみに明治時代以前は、元号は、天皇の代替わりに関係なく、洪水や飢饉があると縁起の良い元号に変えたり、おめでたい事があったからと変えてみたりとけっこう気軽に変えていたようです。 645年(大化元年)から2006年(平成18年)まで1361年間で247の元号が生まれました。平均すると5年半ごとに一つの年号が生まれた計算になります。日本の歴史に詳しい方なら、元号をみるだけで、「天平」の時代はこんな世の中だったんだよ、とか、「元弘・元徳」の時代は南北朝の時代で世の中が乱れていたんだよ、とかわかったりするのかも知れませんが247個もあったのでは凡人にはとても無理ですね。私は、基本的には和の文化を愛する人なのですが、どうもこの元号については実用性の点でなんとかならないものかと思ってしまいます。昭和から平成に変わるのを体験してきた世代ですから、たった二文字に国としての思い入れが込められているのは理解しているのですが。
2006年06月19日
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もうそろそろ蛍の舞う季節でしょうか。今では都市部では蛍はほぼ絶滅状態で、観光スポットで蛍狩りをセールスポイントにしているようなところにでも行かないと蛍は見られませんが、私が子供のころは普通に川原や田んぼの用水路に蛍が飛んでいました。不思議な緑がかった光を明滅させる蛍は、子供に人気で、ガキ大将を先頭に列をなして夜な夜な蛍狩りに出かけました。「ほーほーほたるこい♪」と歌を歌いながら虫網片手に蛍舞う水辺を歩きました。当時はおおらかなもので、親たちも夜に水辺へ子供たちが遊びに行くのも危険だとは思っていなかったようです。捕まえた蛍は、蚊帳の中に放ったり、虫かごのなかで光るのを楽しみました。虫かごの中には必ず「ホタルグサ」と私たちは呼んでいた水辺の草を入れました。この草に付く夜露を蛍が好んで飲むと信じられていたからです。 蛍は、日本全国ではけっこう種類が多いのですが、やはり有名なのはゲンジボタルとヘイケボタルです。ゲンジボタルの方が体が大きく、体長15~20mmほど、ヘイケボタル8mmほどです。ゲンジボタルのほうが鑑賞の対象としては主流で、古典文学などに登場する蛍もほとんどはゲンジボタルだと思われます。蛍は成虫だけでなく卵も幼虫も蛹も光ります。あの光は優れた生命の神秘によって作り出されています。まず、エネルギー効率が非常に高く、ほとんど熱を出さずに発光しています。このため「冷光」と言われます。蛍の体内にはルシフェリンという発光物質、ルシフェラーゼという酵素、そしてエネルギー源のATP(アデニシン3リン酸)があります。ATPのエネルギーは、ルシフェラーゼの助けを借りてルシフェリンをオキシルシフェリンに変化させ、この時に光が生まれます。人類の作り出すどんな照明よりも少ないエネルギーで輝くことができます。 蛍は、古の時代でも風物詩として愛されており、多くの文学作品に記されています。 物思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれ出づるたまかとぞ見る 和泉式部 (訳)恋の思いにふければ、水辺を舞う蛍が、私の思い慕う心が 体から抜け出して舞っているのかのように見えてしまいます。 夏は夜。月のころはさらなり、蛍の多くとびちがいたる。 (枕草紙)清少納言 (訳)夏は夜が趣深い。月夜であればなおさら、 蛍がたくさん飛びまわっているのも面白い。 近年、蛍は水を始めとする環境のバロメーターとして、日本全国で蛍を川に呼び戻す試みが為されています。しかし、本来そこにいるべき種類でない蛍を放ってしまったり、幼虫の餌となる貝類を放流しすぎて生態系のバランスが崩れたりと、問題も少なからず起こっているようです。もともと野生の生き物相手のことですから、人為的に手を加えるのはとても難しい仕事のようです。また、同じ種類の蛍であっても生まれ育った環境で性質が違ってくるようです。なかでも面白いのは、関東の蛍は4秒間隔で明滅しますが、関西の蛍は2秒間隔なのだそうです。しかし、それも蛍の幼虫の放流などで曖昧化し、近頃は3秒間隔で明滅するどっちつかずの蛍もいるのだとか。 自然のバランスには充分すぎるくらいの注意が必要ですが、蛍を愛でる文化は、未来の日本人のために残しておきたいものの一つです。関係の方々にはぜひともがんばっていただいて、蛍の絶滅だけは避けたいところです。
2006年06月18日
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今日は、砂漠化および干ばつと闘う世界デーです。1994年(平成6年)の国連総会で制定されました。砂漠化は単に水資源の枯渇やと地球温暖化が原因で起こっているのではありません。事実、アフリカ大陸北部に位置するエジプトでは、5000年前は緑に溢れた都市だったと言われています。だからこそ科学技術に頼れない時代でも高度な文明を育めたわけですが、今ではエジプト文明は砂漠の中の文明という認識が一般的です。エジプトはナイル河の恵みによって砂漠化が進む中でも文明を維持していけましたが、砂漠化がエジプト文明に大きな影響を与えた事は否定できません。この時代はまだ化石燃料はほとんど使われていませんし、環境に影響を与えるほどの人口もいなかったでしょうから長期的気候変動が原因と思われます。大気の層は、地球の周囲に薄いヴェールを一枚まとったような物です。地球の半径6,400kmに対して大気層は約10km、地球が直径1mだとしたら大気層はわずか1.6mmでしかないのです。ほんの少しの要因で気候が激しく変動するのも無理はありません。もちろん、地球温暖化の影響も深刻ですし、年々増える食肉用の草食動物の食料、発展途上国での燃料にするための木々の伐採、農地の過剰な開墾など自然的なもの、人為的なものなど複雑な要因で砂漠化が起こっています。植林による砂漠化対策も世界的に行われていますが、対処療法であって、完治のための対策にはなっていないという声もあります。原因を取り除かない限り砂漠化は止まらないと。しかし、複合的要因で起こっているだけに抜本的対策は難しそうです。 今、砂漠化が最も深刻なのは、アフリカ大陸の北部、アジア中部、そして南米アマゾン河流域です。これらの地域はこのままだと今世紀中に砂漠化してしまうかもしれません。ある試算によれば、あと2000年足らずで全地球が砂漠になるという話もあります。一年で九州と四国を合わせたくらいの面積が毎年砂漠化しているのです。しかし、一方でサハラ砂漠を吹き抜ける熱い風「シロッコ」がヨーロッパの気温を上げ、緯度が高い割には温暖な気候となっているのも事実です。科学万能と言われ、月に降り立つほどの科学力があっても、複雑な自然の連携によって生み出される環境の変化を、まだまだ人類は制御しきれません。ですが、せめて、人為的な砂漠化の要因は抑えていくことが知恵を持つ生物である人類の最低限の義務だと言えるでしょう。
2006年06月17日
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今日は、和菓子の日です。平安時代に当時国内に疫病が蔓延したことから、仁明天皇が、6月16日に16の数に因んだ菓子、餅を神に供え、疫病除けを祈願した故事に基づいているそうです。 菓子は語源は果子であり、木の実や果物を指します。古代においては木の実や果物が果子であり、菓子の原点と言えます。しかし、日本では米や麦、そばなどの穀物や芋類を菓子に加工する技術が発展しました。餅や団子を中心に、砂糖がない時代の甘味料として、甘葛の汁を煮詰めたり、発芽した穀物の酵素でデンプンを糖化し飴を作ったりして独自の進化を始めました。洋菓子は高度な技術が必要な芸術の域に達している別の文化です。しかし、あえて言うなら果物や生クリーム・バターをふんだんに使う洋菓子は解りやすいというか、サプライズが少ないように思います。江戸時代後期にならないと砂糖が普及しなかった日本において、芋類や野菜、穀物から甘味を引き出し、材料の風味を生かして作り上げる和菓子は繊細さと匠の結晶です。あん一つとっても芋を使ったものなら芋、豆を使ったものなら豆の味がはっきりと味わえます。定番といわれる和菓子も多数ありますが、職人が永い時間をかけて切磋琢磨してきた結果、数え切れないほどの種類があります。和菓子は茶道との出会いでより繊細な芸術性が磨かれてきました。和菓子には、花鳥風月や自然の風物、和歌俳句や文学、郷土の歴史や地名などから生まれた「菓銘」がついています。茶道や文学など日本人の美意識と深く関連してもはや単なるお菓子ではなく日本文化の重要な一角とさえなっています。 人間はものを食べる時、視覚、味覚、触覚、臭覚、聴覚の五感を駆使します。これは和菓子に限らずどんな食べ物でも同じですが、和菓子の場合は嗅覚に格段の特徴があります。天然の恵みである豆、芋、ニッキ、ショウガ、ハッカなどをあえてほのかに香らせる繊細さです。例えて言うなら、洋菓子が油絵だとすれば、和菓子は水墨画か水墨画に淡く色を付けた墨彩画と言えるのではないでしょうか。何がなんでも洋菓子より和菓子が上と言うつもりはありませんが、和菓子のあえて控えめであることの美は、日本の古くからの風土・習慣に根ざしており、今後の日本人も忘れてはならないものだと思うのです。
2006年06月16日
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今頃の季節になるとスーパーの店頭に美しい青梅が並びます。梅はジャムにしても甘露煮にしても美味しいものですが、やはり買う人のほとんどは梅酒を作るために購入しているでしょう。果実酒にもいろいろありますが、やはり梅酒の右にでるものはないと言い切りたいほど梅酒は果実酒の王様です。簡単に作れて失敗はほとんどなく、美味しい。梅のエキスとアルコールの殺菌効果で食中毒を防ぎ、暑気払いや疲労回復にも効果があります。 梅酒は一般庶民に普及するのは以外と新しく、江戸時代後期からのようです。やはり砂糖を庶民が気軽に使えるようになるまでは普及できなかったようです。和をイメージさせる花木は、桜が代表選手ですが、単に花といえば桜のことを指すようになったのは平安時代中期以降で、それ以前は花といえば梅を指しました。万葉集では梅は桜の3倍の数の歌に詠まれており、これは植物全体でも萩に次いで多いのです。梅は、弥生時代にはすでに食用として利用されてきました。未熟な梅の実にはそのままでは青酸という毒があるため食べられません。梅雨の時期に青酸はクエン酸に分解され無毒になるとも言われますが、やはり生で食するものではありません。それでもあえて梅を食用とするからには梅が弥生人にとっても魅力ある食材だったのでしょう。塩漬けなり酒に漬けるなりして、毒さえ抜ければ、独特の風味、酸味、薬効で日本人の食卓に欠かせないものとなりました。昔の農家ではたいてい庭に梅の木が植えてあり、梅干や梅酒に使う梅はその木の実を使いました。今では日本各地にある梅林で集中的に栽培されたものが店頭に並びますが、青い梅の実は一年のうちこの時期だけしか出回らない季節限定商品です。私は青い梅の実の清々しい緑色を見ると、梅酒が出来上がる頃の夏の日差しと冷たい梅酒のさわやかな甘酸っぱさが楽しみになります。 青梅に眉あつめたる美人かな 与謝蕪村 (訳)青梅を口にし酸っぱさに眉をしかめる美人も良いものであるなあ 青梅の尻うつくしくそろひけり 室生犀星 (訳)形のそろったたくさんの青梅。少女のお尻がたくさん並んでいるようだ。
2006年06月15日
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梅雨時に最も似合う花がアジサイです。なぜかお寺で咲いていることが多いですね。全国にアジサイ寺と呼ばれる寺はいくつかありますが、一番有名なのは北鎌倉の明月院です。ここを訪ねるときだけは雨が降っていても苦になりません。やっぱりアジサイは雨の中が絵になります。 アジサイは日本原産の植物です。ですが、なぜか日本で普通に見られるアジサイはセイヨウアジサイという輸入種です。日本で自生していたガクアジサイが海外に持ち出され、品種改良されて戻ってきたのがセイヨウアジサイなのです。このアジサイという花は外国人には人気があるのか、かのシーボルトもこの花を愛し、帰国語にはアジサイ属14種の植物図などの研究成果を発表しています。そして、そのうちの1種に「オタクサ」という学名を付けました。これはシーボルトが愛した日本人女性「お滝さん」を長崎訛りで「オタクサ」と言う事からだと言われています。この学名は結局正式採用はされなかったのですが、アジサイとお滝さんへの思い入れが伝わってきます。 アジサイの花だと普通思われている部分は花ではなくガクです。装飾花と言います。本当の花はほとんど退化してしまっていて実を結ぶことはありません。また周囲の土の酸性・アルカリ性で色が変化し、花言葉の一つにも「移り気な心」があります。梅雨時の風物詩、しかも日本原産のアジサイですが不思議なことに万葉集には2首しか詠まれていません。これは、前述の実を結ばない事、移り気なことから縁起が悪いと、あまり万葉歌人には人気がなかったようですね。もちろん平安時代末期以降になると盛んに和歌や俳諧に詠まれるようになります。 「紫陽花や 藪(やぶ)を小庭の 別座敷」 松尾芭蕉 「紫陽花の 末一色(すえひといろ)となりにけり」 小林一茶
2006年06月14日
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昨日、環境省が2030年までにガソリンをバイオエタノール10%混合ガソリン(E10)に切り替えると発表しました。日本政府としてはびっくりするような迅速な施策で、やればできるじゃんって感じですね。一方で、今回のことは京都議定書がらみであって、日本政府としても京都議定を日本が達成できないようでは国際的な笑いものになりかねないという危機感もあったのでしょう。10%程度の添加ですから劇的に化石燃料由来のCO2削減することにはならないかもしれませんが、社会的インフラが整備されてくれば100%バイオエタノールも不可能ではないので、とりあえずスタートする事が大切です。しかし、バイオエタノールはアルコールですから燃料系統の配管などに使われているゴムのパッキンに対して攻撃性があり、これから作られる車は対策できるにしても古い車は走れなくなってしまいます。15年前の車を大切に乗っている自分としては複雑な気分です。
2006年06月13日
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今日は、日記の日です。でも、とても深刻な悲しみを伴わずにいられない日記です。1942年(昭和17年)のこの日、ユダヤ人の少女アンネフランクが日記を書き始めました。「アンネの日記」です。その時、アンネは13歳でした。 アンネの家族はナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れてアムステルダムの隠れ家でひっそりと暮らしていました。しかしそんな生活も永くは続かず、1944年(昭和19年)8月1日にアンネの日記は終わっています。ナチスに捕らえられアウシュビッツ強制収容所に送られてしまったのです。そして1945年(昭和20年)3月31日にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死したとされています。病死といってもまともなベッドの上での穏やかな死ではなかったろうと容易に想像できます。少なくとも日本ではアウシュビッツにしろ、日本軍がアジア諸国でしたことにしろテレビなどで映像が流されることはほとんどありません。映像が残っていないわけではありません。過去数度だけテレビで流れたのをみた事があります。それはそれは背筋の凍りつく映像で、人間とはここまで残虐になれるものなのかとショックを受けました。戦争の愚かさはいまさら言うまでもありませんが、ユダヤ人迫害は、何の罪も犯していない普通の市民が突然捕らえられ残虐に殺されてしまうというあまりにも理不尽な行為です。ヒトラーは気が狂っていたとしか思えませんし、周囲のだれも彼の暴走を止めることができなかったのも悲劇的な事です。多分、ヒトラーと一部の親衛隊以外の大多数の人たちは、こんなことが許されるはずはないと考えていたはずです。少数の狂気に多数の理性がかなわない事が多々あるのが人間です。こんな過ちはもう二度と起こしてはならないのですが、いまだにアラビア半島と朝鮮半島あたりには私たちにはうかがい知れない闇の世界が残っているようです。
2006年06月12日
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もう梅雨入りですね。うっとうしい季節ですが、これなくして日本の風土は成り立ちません。稲作も豊かな森林も梅雨あればこそです。子供の頃も今も雨は好きではありませんが、不思議と雨と関係のある和紙を張った番傘やてるてるぼうずなどはどこか心引かれるものがあります。雨を題材にした音楽や降り始めの雨の臭いなど五感に訴えてきます。結局、奥深いところで自分は日本の風土を愛しているのだと感じます。 6月は古い呼び名では水無月と言います。梅雨なのに水無とは変ですね。実はこの無は当て字のようなもので「無」は「な」、「○○の」の意味です。つまり「水無月」とは「水の月」という意味ですね。また、「梅雨」または「梅雨」に降る雨は、古くは「五月雨」と言いました。旧暦5月に降る雨ということですね。 五月雨(さみだれ)や 大河(たいが)を前に 家二軒 与謝蕪村 (訳)五月雨が降り続いて水かさを増した大河がごうごうと流れている。 その大河の前に家が二軒建っているが、水の勢いに今にもおし流されてしまいそうだ。 五月雨を 集めてはやし 最上(もがみ)川 松尾芭蕉 (訳)降り続く五月雨を集めて、最上川はまんまんと水をたたえ、ものすごい勢いで流れ ていることだ。この梅雨が明ければ、陽の光に満ちた盛夏がやってきます。今は静かに今年の夏はどうすごそうか考えます。
2006年06月11日
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今日は、時の記念日です。「日本書記」の天智天皇10年(西暦671年)4月25日(新暦6月10日)の項に、「漏刻(水時計)を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」という記載があり、それにちなんで記念日とされました。時は時にロマンチック、時に残酷です。一生涯の生きる糧になる美しい思いでもあれば、あの時ああしていれば…という死ぬまでつきまとう後悔もあります。時間を遡ることは究極の人類の夢です。H.G.ウェルズはタイムマシンという作品で未来の世界を描いています。そこは決して夢のような文明の楽園ではありませんでした。これから100年後、さらには1000年後、人類がどんな生活をしているのかできることなら見てみたいものです。 タイムマシンというと思い出すのは、マシンではないですが「タイムトラベラー~時をかける少女~」です。1972年(昭和47年)1月1日、最初はNHKの少年ドラマシリーズの第一作として始まったこのドラマは、ミステリアスなストーリーやラベンダーの花をキーアイテムにした斬新さで人気となり、その後も現在に至るまで原田知代主演の映画を始め、内田有紀主演ほかたくさんのリバイバルが作られています。近年リバイバルばやりといってもここまで何度もリバイバルされる作品は珍しいと思います。良い作品は時代を超えて愛される良い例ですね。そして今年、なんと新たなストーリーでアニメ化されるらしいです。とても楽しみです。
2006年06月10日
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今日は、6、9でロックの日です。音楽のロックもありますが、今日は鍵のロックについてです。ここ十数年で日本もアメリカなみに物騒になりました。我が家のマンションでもサムターン廻しの被害がたくさん発生しています。昔はピッキングという鍵穴から針金などを差し込んで開錠するというワザが使われていましたが、今のサムターン廻しは、ドリルでドアに穴を開けて針金や工具を差込み開錠するという荒っぽいやり方です。サムターン廻し防止の部品を取り付けてあれば侵入は防げるものの、ドアには穴が残ってしまい、高価なドアを交換するはめになります。自分で気を付けて防げるものではないので大変深刻です。 さて、話は変わりますが、日本最古の鍵は奈良の正倉院にある、蝦鍵だと言われています。これは南京錠のようなもので、残念ながら国産ではなく中国製だと思われます。では、日本の一般の住宅の鍵はどうなっていたでしょうか。 伝統的な日本の家においては鍵の考え方が現代とは少し違うようです。昔ながらの日本家屋は玄関も引き戸ですから、現代のようなシリンダー錠は使いにくく、「捻締錠」とか「ねじ締り」という2枚の引き戸をねじで締め付けて固定するような鍵が使われました。しかしこの捻締錠も近代に入ってから作られたもので、もっと古くは「落とし錠」のような鍵と言うよりは木組の「仕掛け」が主流でした。捻締錠もそうですが、シリンダー錠と大きく違い、内側から掛けるもので、外からは施錠も開錠もできないのです。これは必ず中にだれかがいるという前提の「戸締り」のためのものです。昔は日本は大家族が普通で、おじいちゃん、おばあちゃん、夫婦、結婚前の夫の兄弟、子供などと大勢の人が一つ屋根の下で暮らし、家族で出かける時にもだれかが「お留守番」として残るものでした。家がもぬけの空になることはあまりなかったのです。治安も今よりははるかに良く、田舎の農村などでは鍵などいっさい付いていない家も珍しくはありませんでした。 昔の日本の社会は稲作文化の社会で、田植えや稲刈りを互いに助け合って行う風習が有り、集落全体が信頼関係で成り立っていました。現代は、夫婦は共働き、子供は学校と、昼間はあからさまに留守である事が解ってしまう戸建住宅や、昼間はゴーストタウンのようになってしまう集合住宅では、犯罪者もだんだんと大胆な行動に出てきています。昼間にドアにドリルを当てるような行為は周囲に監視の目があると思えばできるものではありません。自分が子供のころと比べると嫌な世の中になったなあと感じます。昨今の物騒さは、単に犯罪者が増えたというだけでなく、社会構造や格差問題、生活習慣などとても根が深く複雑な問題が実は裏にあるように思います。
2006年06月09日
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今日は、バイキングの日です。西暦793年のこの日、歴史上初めてバイキングの活動が記録に登場した日だそうです。バイキングは中世時代の北欧の海賊を主たる生業とする民族です。戦闘能力に長け、また戦士としての誇りを持つ民族でした。彼らの信じていた言い伝えの中には、戦争で死んだ戦士は、ヴァルハラ(キリスト教でいう天国)で神と一緒に最終戦争に参加できるというものがあったそうです。根っからの戦闘民族だったのですね。また航海術に優れ、当時としてはとても高性能なバイキング船で世界中を航海することができました。9世紀頃にはアメリカ大陸へ到達したとも言われ、これはコロンブスがアメリカ大陸を発見するよりも遥か昔なのです。 とはいえ、普通の人はバイキングといえば好みの物を自由に取って食べられる料理のことですよね。なぜバイキングというのでしょうか。バイキングは日本独特の言い方です。最初に始めたのは帝国ホテルで1958年のことだと言われています。当時帝国ホテルのゼネラルマネージャーだった犬丸徹三氏が、デンマークでスウェーデン料理・スモーガスボードに出会い、いたく感激して帰国しました。後に村上信夫総料理長がこの話を聞いて研究し、新しい料理のスタイルを考案、スウェーデンにちなんでバイキングと命名したと言われています。 私はバイキングと言うと、昔のアニメ「小さなバイキング ビッケ」を思い出します。「アンデルセン物語」のような絵本調の絵が可愛いアニメでした。バイキングの一族に生まれた男の子ビッケは小さくて弱虫で、バイキングらしからぬ子供なのですが、いざ航海に出ると優れた知恵で仲間の危機を何度も切り抜けて、なくてはならぬ頼もしいバイキングのメンバーに成長していくというストーリーでした。それほど一世を風靡したわけでもないアニメなのですが、なんといまでも公式ホームページがありました。同好の士がいてちょっとうれしい気分になりました。インターネットですごい!
2006年06月08日
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今日は、昼ごろ天気雨が降りました。日が照っているのに雨が降っているという不思議な天気ですが、正式には「日照雨(そばえ)」と呼ぶそうです。雨粒が上空の強い風に流されて落ちてくる、あるいは雨雲から落ちた雨粒が激しい上昇気流で上空に留まり、雨雲が消えてから落ちてくるために起こる現象です。 この現象には「狐の嫁入り」というロマンチックな俗称がついています。狐にばかされているようだからそう呼ばれるのだと言いますが、単に「狐雨」でなく「狐の嫁入り」であるところが面白いところです。不思議なことに仏教発祥の地インドでもまったく同じ表現をするそうです。「狐の嫁入り」を神事として執り行う稲荷神社もいくつかあるようですし、なにか宗教的な語源のエピソードがあるのかもしれないですね。 関係ないですが、私はユーミンの曲の「天気雨」が好きです。いろいろな意味で輝きのあった時代の懐かしい曲なのです。
2006年06月07日
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今日はカエルの日です。やや強引ですが6、6でケロケロだからだとか。日本は水田稲作の国でしたから、田んぼや用水路などカエルの生息地には事欠きませんでした。良い声で鳴きますから古の頃から日本人に愛されてきました。万葉集は自然の様子と人の感動を素直に表わした歌が多く、カエルの歌もたくさんあります。 かはづ鳴く 神南備河に かげ見えて 今か咲くらむ 山吹の花 厚見王 (訳)河鹿の鳴く明日香の里の神南備河に影を映して 今ごろ咲いていることであろうか、山吹の花は河鹿がカエルのことで、今で言うカジカガエルだとされています。最も身近で美しい声を聞かせてくれるこのカエルは特に愛されて、万葉集など古い歌集で歌われているカエルはこのカジカガエルだと言われます。また、時代が下ると、かはづ(かわず)という呼び名もしばしばみられます。必ずしもカジカガエルではなさそうな歌も出てきます。あの有名な句はだれもが知っていますね。 古池や 蛙 飛込む 水の音 松尾芭蕉ついでに有名どころで 痩蛙まけるな一茶是にあり 小林一茶カエルは信仰の対象ともなっており水の神様の使いであると言われます。石で彫られたカエルの像などは日本全国の神社で見られるのではないでしょうか。現代においてもアニメのキャラクターなどでたくさんのカエルが登場しています。こんなの日本だけだと思います。 私が子供の頃、地方都市の郊外では、田んぼの用水路や池は子供たちの絶好の遊び場でした。カエルの卵がオタマジャクシになり、やがて足、手がはえてカエルになる様子を見て育ちました。子供心に命の不思議さを感じました。夕暮れ時にはカエルたちがいっせいに鳴き出し、帰宅の時間を告げてくれました。そんな原風景も失われつつあります。
2006年06月06日
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今日は、環境の日、世界環境デーです。1972年12月に行われた国連総会で制定された国際デーの一つで、同年ストックホルムで開催された国連人間環境会議で「人間環境宣言」が採択され、国連環境計画が誕生しました。国連では、日本の提案によりこの日を「世界環境デー」と定め、日本では1993年(平成5)年に「環境基本法」で「環境の日」と定めました。 世界の環境を考える際、まず思い浮かぶのは京都議定書です。1997年に京都で開催された第3回地球環境サミットで、地球温暖化を食いとめるための手段、方法、目標を決め、それらのスケジュールを記したものが京都議定書なのです。これによると2008年から2012年までに先進国全体で、温室効果ガス6種類の排出量を、1990年レベルから平均5.2%削減する。日本6%以上、米国7%以上、EU8%以上の削減を目標とすることになっています。しかしこの目標の達成は非常に困難だと言われています。日本も増えこそすれ削減は全然できていない状態ですし、世界で一番温室効果ガスを排出しているアメリカは「京都議定書を支持しない」とブッシュ大統領が発言しており、どうもあまりやる気はなさそうです。アメリカは今は温室効果ガスの削減よりはバイオメタノールによる原油依存からの脱却を最大の目標としているようで、自国の利益を優先しています。バイオエタノールは、植物を栽培して空気中の二酸化炭素を吸収、固定化させたあと微生物の力でアルコールに変えるので、温室効果ガスの削減にはなりますが、技術開発からインフラ整備まで考えれば、とても京都議定書の目標である2012年には間に合いそうもありません。だから京都議定書を支持しないと言っているのでしょう。中国の今後も気になるところです。おそらくは戦後の高度成長期の日本のように、急激にエネルギーの消費量が増え、温室効果ガスも減らすどころかすごい勢いで増えていくと思われます。今はまだ発展途上国ということで削減目標はないのですが、今後京都議定書による削減目標が設定された場合、達成するのに無理ということをすでに言い始めているようです。 世界共通の危機感を持って温室効果ガスの削減目標を定めたことは著しい進歩であり素晴らしいことですが、実現はまだまだ困難な問題を抱えているようです。
2006年06月05日
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今日は、6、4で虫の日です。虫、昆虫は珍しくもない生き物ですが、生物学的にはかなり不思議な生き物です。他の生物ではあまり見られない、複眼と呼ばれる目、肺でもエラでもない気門という呼吸気管などいったいどんな生物から進化したのかまったくの謎なのです。バクテリアなどの微生物がカンブリア紀に爆発的な進化を遂げ、現代の生物の祖先が生まれたのは良く知られていることですが、この時は海中での進化ですから昆虫はまだ生まれていません。魚類、両生類、爬虫類と進化して生物は陸に進出していきましたが、昆虫はあまり進化の過程の証拠となる化石が残されていません。進化の過程がわからずミッシングリンクと呼ばれています。突然現れ、あっというまに地上を席巻しています。現在でも種類の豊富さで言えば菌類やバクテリアを除けば昆虫がダントツで1位で、地球上で最も繁栄している生物は昆虫なのです。おそらく人類や哺乳類が絶滅しても昆虫は最後まで生き残るでしょう。 昆虫はすごい能力を持っています。飛翔能力は他の生物に先んじて昆虫が手に入れた能力です。トンボは特に優れた飛翔能力を手にいれた昆虫で、4枚の羽を自在に動かし、高速飛行もホバリングも可能な、現代最新鋭のヘリコプターも顔負けな能力を持っています。ジャンプ力ではバッタやノミは体長の何百倍もの距離を跳ぶ事ができます。その他の昆虫も全体的に細身で小柄な体にしては異常なパワーを持っています。また、アリやハチは社会を形成し、哺乳類でも為しえないほどの統率の取れた集団行動をします。アリのなかには、巣の中でキノコを栽培し、食料を農業的に作り出す種類すらいるのです。こうした特殊能力、突然の繁栄などから、昆虫は宇宙から来た生命体だとも言われます。 昆虫は人間にとってもなくてはならない存在です。植物の多くはチョウやハチが花粉を運搬することで子孫を残しています。自然の植物と人類が共存するためには昆虫の存在は欠かせないのです。現代では昆虫とのふれあいが少なくなり、あまり身近な生き物とは言えなくなってきましたが、昔は、春にはチョウが舞い、夏にはセミ、やホタル、秋にはスズムシやコオロギなどが人々を楽しませてくれました。はっきりと季節のある日本ならではの風情です。近年では生息地域が限定され、ホタルやスズムシなどは数が激減しています。せっかくの趣ですからなんとか存続させていきたいものです。
2006年06月04日
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この日記でも過去何回か書いてきましたが、食料危機がいよいよ目前に迫っているようです。中国やインドなど発展途上国と言われていた国の生活レベルが大幅に向上し、農産物の輸出国から輸入国へと変貌しつつあります。また、イタリアのチーズやフランスのワインなど高級食材の輸入量も大幅に増え、だんだん供給量が不足し、日本の取り分がなくなりつつあります。食料は農産物でも畜産物でも、水や肥料などの資源を投入して生産されるもので、無尽蔵に湧き出してくるものではありません。特に熱帯、亜熱帯地方の水資源の枯渇により砂漠化が進む現状では希望的観測はほぼ出来ない状況です。水がなければ穀物が育たない、穀物が育たなければ牛や豚なども飼育できずありとあらゆる食料が不足する事態になります。アメリカやロシア、中国などは最悪の事態に直面しても食料の国内生産を強化してしのぐことができるでしょう。しかし日本はそうはいきません。人口に対して農地が少なすぎます。また、山間部が多いので、アメリカのような大規模機械化農業で大量生産するにも不利です。ほんとうに必要不可欠な資源が地球規模で不足したとき、一番窮地に立たされるのは日本です。国外で、砂漠を緑化する代わりに日本向けの農作物の栽培をさせてもらうなど、対策を今から考えないと確実に危機は訪れると思います。もしかすると21世紀末にもなれば世界で食料を奪い合う戦争が起こるかもしれません。過去、人類は宗教、スパイス、紅茶、原油などいろいろなものを奪い合い戦争してきました。しかし部族程度の話ならまだしも、国レベルで食料を奪い合う戦争は人類も始めてのことです。生きる事に直結しているだけに、より深刻な事態になりそうです。もはやあまり猶予はありません。全世界の協力による地球レベルでの対策を一日でも早くスタートする事が大切だと思います。
2006年06月03日
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過去の日記を全てカテゴリー分けしてみました。TOPページ一番上のナビゲーションバーの「日記」から各カテゴリーにいけますので興味の有る分野があればご覧になってください。 さて今日の日記ですが、カメラメーカーのキャノンがフィルム式カメラの新規開発を終了すると発表しました。ニコンもすでに細々と既存機種のほんの一部を生産継続する以外は撤退していますので、最後の牙城キャノンだけが頼りだったのですが、それも夢と消えました。開発を終了した工業製品は骨董品もしくは古臭いものを愛でるマニアのものへの道を進むしかありません。写真という文化の転換点は雪崩のように押し寄せてあっという間に世の中を変えてしまいました。今後は現像や焼付けを行ってくれる店舗が急激に減少していくことが予想されますし、フィルムを買うのもコンビニでというわけにはいかなくなることでしょう。永年フィルム式カメラに魅せられて愛用してきた自分もデジタル一眼レフへ移行しなければならないようです。でも、まだデジタル一眼レフには問題があります。 まず各メーカーでCCDセンサーのサイズがばらばらです。CCDセンサーのサイズが統一されないとレンズの焦点距離の35mm換算値がカメラによってばらばらになり、ユーザーにとっては不便なものになります。願わくば各メーカーで協調して35mmフィルムと同サイズにしていただきたいと強く思います。そうすれば過去の経験と知識をそのまま生かし、この場合なら90mmが画角的にちょうど良いとか、この場合は50mmで絞り開放で撮るとおもしろそう、などと直感的なレンズ選択ができますから。 次にセンサーへの埃やゴミの付着の問題です。従来のフィルム式一眼レフカメラではレンズの先端から飛び込んできた映像は何枚かのレンズと絞りを通過し、シャッターが開いていれば直接フィルム面に到達します。そしてフィルムは撮影のたび常に新しい面が供給されるのでレンズ交換の際に多少のゴミが入ったとしてもそのコマだけの問題で終わるのですが、デジ一眼ではCCDセンサーの表面にずっと残ってしまいます。ユーザーが自分で掃除をすることは出来ないので、メーカーへ送って掃除してもらわなければなりません。時間的にも費用的にも負担になります。振動でセンサーのゴミを払い落とす機能を持ったものもありますがいつでも完璧に落とせるわけではありません。やはり光学的に悪影響を与えないような無反射ガラスで密閉するとかの技術が実用化されないと、ゴミの影がポツポツと点在する写真が大量生産されてしまいそうで怖いです。できればそれらの問題が解決されてからデジタル主流の世界へ入っていって欲しかったと思います。
2006年06月02日
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今日は、電波の日です。1950年(昭和25)年に電波三法(電波法・放送法・電波監理委員会設置法)が施行され、電波が一般に開放された日なのだそうです。 電波って普段お世話にはなっていますが、目に見えないので何者なのか良く解りませんね。電波は電磁波の一種です。電磁波とは「直交する電界と磁界の相互作用によって伝播する電気の波の総称」です。難しいですね。概ね電気と磁気でできる波だと覚えておけばよいでしょう。意外なことに光、電波、X線、γ線はすべて電磁波であり、これらの電磁波の波長や周波数、性質などから勝手に人間が光とか電波とか呼び分けているに過ぎません。 一番周波数が低いのは電波で、ラジオやテレビでおなじみですが、電波にも長波、中波、短波、超短波、マイクロ波、ミリ波など色々な種類があり、それぞれ適材適所で利用されています。 次に周波数が低いのは赤外線です。次いで可視光線、紫外線と続きます。 次がX線やγ線でこのあたりになると放射線になってきます。 私たちが普段光と呼んでいる可視光線と、なじみのある赤外線、紫外線は、幅広い電磁波の帯域のうち、電波と放射線の間に挟まれたごく狭い領域なのです。しかし周波数が変わるだけで電波から光、放射線まで変化する電磁波とは不思議なものですね。 普段、電波を一番意識するのはテレビやラジオです。特にテレビは最近の都市部の電波状況の悪さからゴーストなどで画質が落ちて困ります。ケーブルテレビの方やすでに地上デジタルを導入している方は関係ないですが。アナログ時代のテレビはVHF帯と呼ばれる電波を利用していてFM電波でした。地上デジタルはUHF帯を利用しています。 ラジオでいうAMとFMって何が違うのでしょうか。電波の周波数も違っていますが一番の違いは音声信号の乗せ方です。 AMは振幅変調(Amplitudemodulation)の略で、電波の波の高さの変化で音声信号を乗せる方式です。音質は劣るが遠くまで届く特性があります。 FMは周波数変調(Frequecncy modulation)の略で、電波の周波数の変動を利用して音声信号を乗せる方式で、音質に優れますがあまり遠くには届きません。また、ステレオ化などが比較的行いやすい特性を持っています。 テレビはもちろんですが、個人的にはラジオのAMの深夜放送やFMの音楽番組などが思いいれが深いですね。毎夜「ラジカセ」にかじりついてエアチェックしたり、DJの語りに耳をかたむけたものです。懐かしい思い出です。
2006年06月01日
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