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1カ月後の「お礼参り」のため、町内を歩きまわる夕刻。ふと、脳裏をよぎる――『エルガイム』のダバ・マイロードとギャブレット・ギャブレーの、人としての「格」の違いもまた、こんなところにあるのではないか。主人公ダバは、約束は守るしお礼は言うし、かといってことさら優等生的な人間でもない(しかし、やがて指導者としての頭角をあらわしていく)。他方のギャブレーは、ダバと同じく青雲の志を抱きつつも、リーダーというものは威張るものだといった体質が抜けない。結局、人間としての「格」「器」を決めるのは、感謝する心、恩に報いようという心なのではなかろうか…などと思いながら一人テクテク歩くドラゴン山田であった。(4月1日記す)
2010.03.31
今年も残すところ、あと4分の3となったか…。それにしても3月は、長くもあり、あっという間でもあった。「極限」を経験するというのは、そういうものなのかも知れない。それにしても、ものごとは「必要な時に」「必要なことが」「必要な形で」起こると言われるが――今年最初の3カ月間を振り返ると、まっこと興味深い現れ方をしたもんぜよ。特に、年度替りに近づくに従って、古き友人――大学時代のクラスメートやクラブの先輩、留学中の友、等々――から久方ぶりの連絡が次々届いたことは、嬉しい驚きだった。まるで、過去へ過去へと遡及するような不思議な感覚だ。改めて、友情ほど有難いものはこの世にあるまい、と思う。年度が替り、私が大学に入学してより四半世紀。この間、いろんな経験をしたと言うべきか、あまり変わらず大して成長していないと言うべきか…それはともあれ、生かす(活かす)べきものはそのまま残し、蘇生させるべきものはしっかり復活させ、捨てるべきものはバッサリたたっ斬る。これを、人生の節目節目に繰り返していくのだな。それによって、過去の意味も変わり、否、現在に至るありとあらゆる過去を「意味あらしめて」、未来に開く。どこまでも、「今」(here, now)から未来へ、なのだ。(4月1日記す)
2010.03.31
完了である。ここまで、我ながらよく我慢した! うむうむ!
2010.03.30
314092 2010-03-29 21:38:18 ***.ac.uk 英国の大学から、このブログを見ている人がおられるのか。英語で書いてないけどなぁ。ちなみに、先ほど国際電話をいただいた Edinburgh の大恩人・Fumie さんによれば、英国は今日からサマータイムに切り替わったとか。
2010.03.29
共著出版の最後の難関、索引作り。ここを越えねば明日はない。ここが天王山かっ。
2010.03.29
3月最後の月曜日だというのに、真冬並みに寒いではないかっ。
2010.03.29
朝イチで、すいすいみしまで水中ウォーキングの講習を受ける。流水プールでただやみくもに歩き回るだけでなく、インストラクターがきちんとついた講習を30分受けると、普段は動かさない筋肉も動くし、伸ばすべき場所も伸びる(と同時に、たまっていた「毒素」も体中に回る…涙)。その後、市民体育館の方で InBody 検査なるものを受ける。その結果、自分の両脚の筋肉が著しく衰えていることが、数字でも示されてしまった。そりゃそうだ。院生になって以降を考えても、20年余りもの間運動不足だったのだから。これまで三島市に払った税金を取り戻すべく、三島の公共施設で体力の回復・維持を図る1年とするか。それにしても、三島市民体育館の建物に足を踏み入れるのは、やはり大学の卓球部時代の市民卓球大会参加以来だろうから、これも20数年ぶりということになるか。
2010.03.29
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そぉか、そうだったのか…。フィギュア世界選手権で浅田真央が、バンクーバー五輪での雪辱を果たすかのように金メダルを取ったと聞き、ここのところなぜ自分が今さらのように『太陽の牙ダグラム』の DVD を観直していたのか理由を思い出した。自分でも、忘れかけていたのだ――。あれはバンクーバー五輪開幕直前の2月21日、NHKで浅田真央のこれまでの「苦闘」の軌跡を追った番組が放映された(それについては思うところが多く、このブログでも下書きまで用意したが、満足に文章化することなく現在に至り、up の可能性は限りなく低い)が、それを見ながら妻が「この娘は負けん気が強いのよねぇ」と言った。それを聞いた瞬間、私の脳裏をよぎったのは、『ダグラム』第19話「包囲網を破れ」でキャナリー・ドネットが放ったセリフ――「ここで負けるのは絶対にイヤ!」であった。そのセリフを無性に聞きたくなって(苦笑)、DVD 第4巻を引っ張り出して19~20話を見た後、連邦軍の元少佐ジャッキー・ザルツェフをJ・ロックがゲリラ側に引っ張る第43話「仕組まれた背信」以降、1日にほぼ1話のペースで最終回まで観てしまった、というのがこの一月余りであったのだ。何せ、大河ドラマたる『ダグラム』には、心に突き刺さる名セリフが多いでな…。 (4月3日記す)
2010.03.28
生まれ故郷、幼馴染、家族――それらを捨てて「脱藩」の道を選んだ龍馬。1クール(第1部)終了にふさわしい、濃い内容であった。
2010.03.28
楽器というものは、やはりキチンと習うべきものだなぁ。自己流でやって、変なくせが錆のように身についてしまっては遅いからな。おや、三島市内の桜もボチボチ見ごろか。
2010.03.28
いったい自分は、この世で何を成し遂げるべきなのか?――巨大な問いだが、しかしそれは手の届かない問題ではない。すべては自分の中にあることなのだ。先週新宿区内でお目にかかった T氏から今夜頂戴したメールに、私がものした短い文章が「予想を裏切らない秀作」と書かれてあった。過分な評価にひたすら恐縮する以外にないが、しかしやはり、自分が自分なりにこれまで考えてきたことと別に「自分が成し遂げるべきこと」などないのだ、という確信を頂戴した。文字通り「使命(mission)」とは、自分の命を使うことなのだ。何に使うのか? 価値を生み出すことに使う以外、もう無駄なことはしておれんのだ。(3月29日記す)
2010.03.27
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別に最初からずっと観てきたわけではないのだが…NHK 朝の連続テレビ小説『ウェルかめ』の最終回を、昼過ぎの再放送で観る。前作(だったか?)の『つばさ』の舞台が川越だったのに対して、『ウェルかめ』は徳島であった。妻の故郷の隣というわけだ。これまで一番まともに観た連ドラは『ちゅらさん』だったが、この最終回の倉科カナがどういうわけか、国仲涼子に似ているように見えた。さて、来週からは「ゲゲゲで始まる朝8時」なのかっ。(3月28日記す)
2010.03.27
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一体全体、いつから眠らせていたのだろうか――2004(平成16)年上映の映画『ラブ・アクチュアリー』の DVD を、久々に引っ張り出して妻と観る。シリアスものの DVD ばかり繰り返し見て、笑いがなくなっていたことを反省したため。久方ぶりにヒュー・グラントを見た気がする。それにしても、話は断片的にしか覚えていないものだなぁ。しかも、字幕でなく吹き替え版で観たぞ。(3月27日記す)
2010.03.26
散髪~銀行~サントムーン。しかしそれにしても、よほど神経がやられていたのだろうか。1時間の内にいったい何回お手洗いに行った?(3月27日記す)
2010.03.26
共編著『シティズンシップ論の射程』の三校目が、雨の午前中に届いた。当初は2月中に発刊予定だったが、4月にずれ込んだ。それはともあれ、ようやくここまでたどり着いたか…。
2010.03.25
英国ブリストル大学の Terrell Carver 教授からのメールが転送されてきた。ロンドンの出版社から今年出る予定の共著も、いよいよ最終段階に入ったか。
2010.03.24
「ひと区切り」ついた昨日は、これまでの辛労が出たのだろう、夕刻以降の体調がすぐれなかった。そして昨夜は、それこそ文字通り「爆睡」した。ようやく生活にもノーマライゼーションが訪れるか? 外は冷たい雨だなぁ。
2010.03.24
郵便局~イトーヨーカドー~医者。大きな二つのことに、今日ひと区切りがついた。1つは2カ月弱、もう1つは半年にも及ぶ課題であり、どちらもそれ相応の負担を心に強い続けたが、ともあれ区切りである。さて、後回しにしてしまった他の課題に取りかかるか…いや、その前に必要なのは、「故障者」らしい休息か?
2010.03.23
事実上の国民皆保険となるこの法案。アメリカでは「歴史的」「革命的」なことなのだろうが、これが共和党の側から見れば「オバマは共産主義者だ」ということになるのだろうな。社会民主主義は、アメリカではそんなに自由主義と両立しないのだろうか?(3月28日記す)
2010.03.22
ひっ、久々に、起床時に非常に苦しんだ。首が、背中が、腰が痛い。はい出るように布団から起きた。で、体が重いまま、三島市民プール「すいすいみしま」へ。振り替え休日だが、プール自体はやっているので、30分ほど流水プールで歩いてきた。とにかく、体を動かさなければ。それにしても、よい天気である。
2010.03.22
二重の「暗殺指令」であったか。武市は龍馬に「吉田東洋を斬れ」と、そして後藤象二郎は弥太郎に「坂本龍馬を斬れ」と…。長州で久坂玄瑞と会見し、「攘夷」と「行動」について思索を続けた龍馬にとって、もはや「土佐」とか「藩」という単位でものを考えることは意味のないことになりつつあった――。やはり次回第13話(1クール終了)で、Season 1が終わるのだな。(3月24日記す)
2010.03.21
まさに14年ぶりではないか。シェフィールド時代に暮らした 242 Crookesmoor Road の家のリビングには、家主のギターが置いてあった。私は弾けたわけではないのだが。親しい友人 Richard に教えてもらったことはあったが、指が短い私なので向かないものと決め込んでしまった。あれから14年後の今、ふたたび、か。
2010.03.21
霞か雲か、いや黄砂。烈風に乗って、中国大陸から飛来。
2010.03.21
妻が録画していた、山本周五郎原作の『樅の木は残った』のドラマを、午後に観る。ひたすら休息しようとした土曜日ではあったが、それにしてはこの内容は重かった。この小説を友人に勧められて読んだのは、もう10数年前のことだ。十分に覚えてはいない…。(3月22日記す)
2010.03.20
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なのかっ。早いものだ。私は国外から BBC を通じてこの事件を見ていたことになる。ちょうどこの1995(平成7)年あたりから河合隼雄氏が書いたエッセイを、妻に勧められるままに読んでいる。私が、留学生として日本の事をどうヨーロッパ人に理解させるか考えていた、あの当時の思考が蘇ってくるような気がした。逆に言えば、その重要な課題を、帰国して14年の間にいつしか封印してしまったということでもある。(3月22日記す)
2010.03.20
去る2月7日(日)にサンダビーダ要塞静岡支店にお見えになった T崎氏と、この日、新宿でお目にかかる。2月末に恩人 K林氏が取り次いでくださったおかげである。最大のポイントは2つ。・すべてに「意味がある」。無駄なことは何一つない。そう「確信」すること。・すべての人と環境に対して感謝できる、「大いなる包容力」が必要であること。要するに、この2つに共通するのは、一切合財の「因」が自分の中にある、という生き方を貫くしかないということだ。「因」を外に求めてしまうと、結局は周囲の環境などに終始振り回されてしまう。すべては「自分が決める」ことなのだ。おぉ、基本の再確認。私が英国留学より帰国して、早や14年。その間に、世界もまた大いに変わってしまった感がある。しかし、変わっていない課題、私が当時ない頭で「必要じゃないか」と考えていた課題が、「今(now)」「ここ(here)」に厳然と存在することもまた、再確認できた。先人がいない「茨の道」、しかし確実に誰かが開拓しなければならない道。それには、10年、20年という「大いなる忍耐」が必要だ。T崎氏には、その道を「貫き通してしまう」ことを期待された。エピソードとしてでなく「思想」として理解すること。「理解したつもり」にならないこと…。(4月10日記す)
2010.03.19
現在進めている翻訳の参考資料にと、他学部図書館より以前から借りていた、G. A. Almond and S. Verba, The Civic Culture (Princeton: Princeton U. P., 1963)。しかし、今までの一連のバタバタで満足に活用できないまま、返却の時を迎えようとしている。やむなく、必要な個所をコピーしようというのだが、何せ500頁を超える分厚い本である。コピーを続けているうちに、左腕がすっかり疲れてしまった。結局、1時間近くもコピー機前に突っ立っていたことになるではないかっ。おや、いつの間にか、晴天になっているなぁ。
2010.03.18
大事なことに決着をつけようとすると、必ず、行く手を阻む大小の障害が次々と起こる。「来た!」まるで、北極ポートを目前にして伏兵ブリザード・ガンナーの奇襲を受けるダグラムのようだ。しかし、1つ1つ、乗り越える。「貴様に俺は倒せない!」あれ、これはクリン・カシムではなくダバ・マイロードのセリフだったか…?
2010.03.18
極限を体験してから半月余り。清水町にある、会員制の文房具問屋・INK で安売りをする日なので、妻と一緒に行きしこたませしめる。その後、沼津の整体へ。極限後、初めてであるが、二人揃ってかなりやられた。心身ともに相当参っていたらしい。(3月18日記す)
2010.03.17
朝から知らず知らず気が張っていたのだろう。帰宅してから、急に心身がドーンと重くなり、しばし横になって寝てしまった。おかしいなぁ、「故障者リスト入り」するはずの今年なのに、1月も2月も、3月に入ってからも、激闘続きではないか…。夕飯は、優しい味の豚汁で軽く済ませるのであった。(3月18日記す)
2010.03.16
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郵便局~職場を経て、妻が生け花を習っている三島いきいきホールへ。早めに生け花が終わったという妻と、ホールで合流し、そのまま市立図書館に立ち寄る。たまたま手に取った、現静岡県知事・川勝平太監修『イギリスの社会――「開かれた階級社会」をめざして』(早稲田大学出版部、1997年)が、今進めている翻訳に役立つかも知れないことを知り、借りる。この3月16日は、三島市立図書館から初めて本を借りるという、歴史的な日となった(何を大げさな)。(3月18日記す)
2010.03.16
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3月も16日になってようやく、お年玉付き年賀ハガキの当選したものを郵便局で引き換えた。今年は切手シート2枚のみだったが、S田さん、Y井さんと、いずれもシェフィールド留学時代の友からの賀状だったのが不思議である。車の中では、珍しく Lyrico が鳴る。
2010.03.16
しなやかに戦え!朗らかに勝て!
2010.03.16
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今日のドラゴン山田は一味違うぜよ。
2010.03.15
上士が下士に斬られた――土佐藩内が二つに割れることを懸念した龍馬は、単身、まるごしで、吉田東洋の屋敷に赴く。吉田のスパイとして活動することになる弥太郎。土佐勤皇党を立ち上げる武市。そして…異なった世界観を持ち始めている龍馬にとっては、故郷である土佐が「息苦しい」場になりつつあった。NHK 大河ドラマ『龍馬伝』も、間もなく1クール終了である。(3月15日記す)
2010.03.14
弦楽器とピアノ類とは。キーボードを弾いていても、パソコンをたたいているのと訳は同じかもしれない。しかしきっと、ギターをつま弾いている時には、普段使わない脳が働いているのかもしれないな。そうでなければ、いつもはない不思議な感覚を覚えるはずがない…。
2010.03.14
夕べの就寝が23時頃、しかし1時過ぎに目を覚ましてから眠れなくなった。結局、今日は終日体調がしんどく、重い1日であった。先月末に受けたダメージから立ち直るには、かなりの時間の経過を必要とするらしい。
2010.03.14
春一番か、いや、二番、三番あたりか? 暖かいのは嬉しい限りだが、しかし富士山は相変わらず見えないのぉ。
2010.03.13
朝、出勤すると、しばらく顔を合わせていなかった同僚 W辺氏と出くわす。開口一番、「痩せたんじゃないですかぁ?」と言われる。むむ、分るのか。確かに昨日・一昨日と、しばらくぶりに55kg台にまで体重が減ってしまっていたのだが…。
2010.03.12
茨城空港の開港。私の兄貴の住まいの方だよなぁ。誰が使うんだ? わが福島空港だって、また静岡空港だって、やばいと言われている中ではないか。
2010.03.11
私がダウンであった(涙)。夕刻には晴れたので、ふらふらになりながらスーパーに買い物に出たが。
2010.03.11
とても日曜日には観れる状態でなかった、『龍馬伝』第10話を、録画で観る。千葉道場で修業を終え、目録を手にした龍馬は、土佐に戻るが…攘夷のため京都に隠密として送り込まれることとなった加尾。一方、吉田東洋にその経済的資質を認められ、牢から出た岩崎弥太郎は、長崎へ向かう。まもなく Season 1 が終わるのか。(3月11日記す)
2010.03.10
夕食を食べ終わって、片づけをしている時、事件は起きた。キッチンカウンターに置かれていた湯呑を、シンクに降ろそうと手を伸ばしたら、つかみ損ねて指先で押してしまった。食卓側に倒れた湯呑から、大量のお湯が! 飲み残しの白湯がこんなに残っていたのかっ! 大洪水となった。あぁ、オワっている。妻が実家と電話中でなかったら、私は「発狂」の声を上げていたに違いない。
2010.03.09
妻に替って、イトーヨーカドーに買い物に出た私。体が悲鳴をあげている時には、その声に素直に耳を傾けることだな。そして、回復を焦らないこと。これが、結局は一番の近道であろうから――。
2010.03.09
おぉ、シェフィールド時代の友人・M緒さんからエアメールが届く。英国人と結婚して、すっかりシェフィールドに定着した M緒さんが、今月末に一時帰国なさるのだそうな。久々に私と会いたいと書かれてあったが、果たして私の体力が維持できているか否か…?(3月9日記す)
2010.03.08
生活のノーマライゼーションは、予想以上に困難らしい。しかし、時は刻々と流れてゆく…。
2010.03.08
そりゃそうだ。あれから1週間、過酷な日々が続いたのだ。今までよく走り抜けたものだ。しかも今日は、冷たい雨の1日でもあったし、寒さに弱い妻にはこたえたのだろう。しばし休ませてあげたい。
2010.03.07
「長くてあっという間の」1週間だった。
2010.03.07
28日(日)には観るどころではなかった『龍馬伝』第9話を、再放送で観る。再び江戸に出てきた龍馬。しかし、攘夷に立ち上がろうとしている武市ら幼馴染と、亀裂が走るばかり。一方、弥太郎は獄中で他の囚人から、学問ではなく商売で身を立てることのヒントを得ていた…。それにしても、濃い内容であった。
2010.03.06
極限の5日間を過ごし、生活のノーマライゼーションを図らなければならないのだが、なかなかオワっている。妻と共に極楽湯に行き、ジェットバスなどによって、ようやく疲労を感じるまでになった(それまでは、感じさえしなかった)。その後、毎度でラーメンをすするはずが、タッチの差で、目の前でのれんを下げられてしまった。仕方なく、Cream で食事。結果的に、きちんと栄養を摂取するという意味ではこちらがよかったのだが。で、帰りにキミサワに立ち寄って食料を買ったが、レジを終えてから、手を滑らせて卵パックを落として割ってしまった。店の人に替えてもらったが…あぁ、やはりオワっている。そして、帰宅したら果てた。
2010.03.05
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