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11月も晦日。今年も残すところ12分の1となったか。夕べ・今夜と、久々に「たたかいの野に花束を」を聴く。「それぞれ違った 花の色 大空魔竜の 空の上 高く咲かせる 心意気 たたかいの野に 花束を」この1976(昭和51)年の歌のメロディーが頭をめぐっていたのは、もう4年も前のことか。人生が予想もしない方向に進み、しかも年末にはカーディフを訪れた2006(平成18)年。思えば、元気に渡英した最後だったかも知れん…。
2010.11.30
昨日に引き続き晴天(富士山が曇って見えない点は、昨日と違うが)。三島駅前郵便局までてくてく歩く。昨日・今日とかけて書いた、英国の友人・知人への Greeting Cards の束を、一気に投函した。例年より早く出せたなぁ。
2010.11.30
医者からイトーヨーカドーに行く途中、三島市役所に立ち寄り、新しいパスポートを受け取る。本当は9月に切れていたのに気づかず、11月に慌てて申請したという次第だ。生まれて初めてパスポートを手にしたのは、25年前(1985年)の大学1年生の時。あれから、いったい幾つ目のパスポートになろうか。ともあれ、次の10年は大丈夫だ。
2010.11.29
夕べから今朝にかけて冷え込んだはずだが…起床して愕然とする。バルコニー側の窓が、一晩中開けっぱなしだったなんて! よくもまぁ、賊が侵入しなかったものだ。
2010.11.29
NHK BS-hi で16:15から拡大版で放映した、大河ドラマ『龍馬伝』の最終回。やはり最後は、明治に弥太郎が語りつくして死んでいく、という幕引きだったのだな。それにしても、拡大版にする必要がどこまであったか、意見が分かれるところかもしれない。視聴率はどの程度だったか?
2010.11.28
「万が一」の事態がなければよいが…、今日から黄海で米韓合同軍事演習。今年は例年にも増して「安全保障」がキーワードになってしまったようだな。それも軍事的な意味合いで。
2010.11.28
明け方、久々に悪夢を見た。内容はほとんど覚えていないが、ひどく疲労し、寝巻も汗をかいていた。おいおい。
2010.11.27
妻を三島駅に送り出してから、旧 HDD レコーダーに録画して残っていた『GM』を再見し始める。笑うために…(苦笑)。保存してある一番古いエピソードは、第何話かは忘れたが、25年前に膀胱切除の手術を受けた女性の物語だった。「ポニー」が「五浪さん」と呼ばれ始めたのも、この話だったか。 (11月28日記す)
2010.11.26
眠れなくなって起きだした朝、メールチェックをすると、八戸時代の友・T岡氏が夕べ深夜にメールを下さっていた。スコットランドでの私の写真を発見してくださったのだそうな。グラスゴー近くのローモンド湖。私が27歳の時の写真である。あまり成長していない顔か(汗)。
2010.11.25
21日(日)に録画したまま観れてなかった、『龍馬伝』第47話。大政奉還である。勝海舟再登場。来週は最終回か。ハイビジョンでは16:15からやるらしい。
2010.11.24
たまりにたまった職場の郵便物の中に、専修大学の岡田憲治教授の新刊『言葉が足りないとサルになる――現代ニッポンと言語力』(亜紀書房、2010年)が。誠に有難うございます。
2010.11.24
人が市立図書館に行っている間に、北朝鮮が韓国に「砲撃」し、交戦状態になっていたのだな。
2010.11.23
いつぞや買ったサラダジュースのレシピ本。それに載っているもののうち、アーモンド、にんじん、オリゴ糖のジュースを、以前から試そうと思っていた。いざミキサーで作ってみたら、ジュースというより固体だ。さて、その効き目や如何…?
2010.11.22
ふと思い立って、英国時間午前11:45に、エディンバラの大恩人・Fumie さんに国際電話をする。ちょうど、グラスゴーの AGM に参加のため、お出かけになるところだったらしい。年明けには90歳になられる Fumie さん。初めて私がお目にかかった時には70歳であられたということだな。(11月23日記す)
2010.11.21
洗濯物が一気に乾いた今日、きれいな夕焼けになりそうな気配である。ふと、バルコニーから見上げる空に浮かぶ雲が、なぜかゲア・ガリングに見えてしまった。片仮名の「エ」を平べったくした形である…(汗)。
2010.11.21
大量の葉書が印刷されるのを待つ間、久しく聴いていなかった CD をパソコンで聴く。
2010.11.21
膨大な葉書を印刷するのは。それにしても、小春日和だなぁ。
2010.11.21
桐谷箱根荘では、夕飯も朝食もほどよい量で助かった。チェックアウトし、三島への帰路に着く。週末だけあって、ケーブルカーはおびただしい人であったが、ともあれ大涌谷で例の黒たまごを購入。芦ノ湖までのロープウェイは、さほどの混雑ではなかったが、昨日といい今日といい、箱根は大勢の外国人旅行者に人気の場所なのだなぁと痛感する。海賊船で元箱根に戻り、玉村豊男ライフアートミュージアムに併設されているイタリアンレストラン、ラ・テラッツァでピザのランチ。エスプレッソはなかなかの濃厚さだった。それにしても、三島に到着する前まで、今日もまた富士山がよく見えていたのであった…。雨も降らないまま、14:30過ぎには帰宅。(11月23日記す)
2010.11.20
7月に、約40年ぶりに強羅に訪れたが、年内にもう一度訪れることになるとは。いやいや、妻は夏の時点で「強羅の紅葉が見てみたい」と言っていたのだから、計画通りではある。もっとも、ふと思い立って計画を立てたのは一昨日(11月17日)のことであり、箱根フリーパスをせしめたのは昨日(11月18日)だったが。三嶋大社前バス停を9:19発の沼津登山東海バスで元箱根へ。そこから海賊船で桃源台へ。紅葉も富士山も見事であった。特に富士山については、いつも見る三島方向からは裾野にかけてななめに積っている雪を、東側から見ることになり、普段とは違った装いに見えた。ロープウェイで大涌谷に至るまで、ほぼ完ぺきな雄姿を見せ続けてくれた。そして、早雲山からはお約束のケーブルカー。黒部のケーブルカーを経験した後では、ここのケーブルカーはかわいいものに思えた。公園上駅で下車し、泊まる予定の宿に荷物だけ預けてうろうろ歩きまわる。初めて訪れた箱根美術館は、MOA の姉妹館なのだな。7月には雨だった強羅公園周辺は、晴天の紅葉の季節にはまた異なった趣である。昼食は田むら銀かつ亭だったが、13時頃に行ったのにむちゃくちゃ混んでいて、かなり待たされた。もっとも、カツは柔らかくボリュームがある割にあっさりしていて、確かに人気なのだなと思う。午後には曇ってしまった強羅。宿泊は、桐谷箱根荘。さくら亭という離れの建物であった。(11月23日記す)
2010.11.19
「故障者リスト入り」して7カ月余り。いつしか、「戦い」も新たな段階に入ったことを実感せざるを得ない。闇は暁を求めて――。
2010.11.19
TSUTAYA DISCAS で今月あたまに借りておりながら、観る時間がなかなかなかった、1978(昭和53)年作品『さらば宇宙戦艦ヤマト―愛の戦士たち―』DVD を、やっと観る。なかなか重く、ある意味で救いのない話ではあるが、当時小学6年生だった私にいろんなインパクトを与えたことは否定できない。都市帝国で、真田と斉藤が死んでゆく場面は、やはりハイライトシーンの1つか。70年代作品の「死の描かれ方」を改めて考える…。来月には実写版の映画『ヤマト』が封切なのだな。見に行く予定はないが。(11月19日記す)
2010.11.18
自分がここのところちゃんとブログ更新をしないから仕方ないのだが、アクセス数は減る一方である。そのうち、1日平均アクセス数も175から174、173へと減っていくかも知れない。一時は176まで行っていたのだが、175もキープできまい。風前の灯火か…まぁ、別に数字が維持できればよいというものでもないのだが。今、中身のあるものが書けない状態である以上、しゃあないと思うしかない。
2010.11.18
80~100ズシリと重い課題と、大いなる希望・目標とを抱えて…
2010.11.18
「久々」という言葉が、この秋このブログに踊り過ぎだが、ともあれ、水曜日の水中ウォーキング50分コースを、妻と共に行くのはいったいいつぶりだ?(11月18日記す)
2010.11.17
甥っ子たちの来訪中は TV どころではなかったので、録画しておいた『龍馬伝』第46話。疲れた頭でようやく観る。土佐に戻ってきた龍馬は、山内容堂とついに対面。龍馬に対する後藤象二郎の「本音」も聞けたなぁ。で、最終回=龍馬暗殺まで、あと2週。(11月18日記す)
2010.11.16
さすがに、甥っ子が嵐のように去って行った後でドッと疲れが出た。午前中は医者に行く。(11月18日記す)
2010.11.16
甥っ子も高松に帰る日が来た。2泊3日はあっという間だ。4人で新幹線と地下鉄を乗り継ぎ、横浜のアンパンマンミュージアムへ。そして、新横浜駅から、混んでいるのぞみで去って行った義妹と甥っ子であった…。帰路はなかなかの「難行苦行」だったらしいが。(11月18日記す)
2010.11.15
サンダビーダ要塞から何度か Tel. 下さっていた M川氏が、20時前に来てくださる。玄関には甥っ子まで出てきたぞ。M氏の手には、ナイアガラの滝の写真が美しいクリアファイルが。Cheerfullyand boldlyfearlesslyand resolvedwalk your own paths!(11月18日記す)
2010.11.14
甥っ子を連れて、小田原市のわんぱくらんどへ。少々曇っていたが、比較的温暖で助かった。一度帰宅した後、夕飯は毎度!でラーメンなのであった。甥っ子は疲れを知らぬのか、それとも実は疲れていたのか…。(11月18日記す)
2010.11.14
義妹と共に三島にやってきた甥っ子。最近は「がらがらどんどん」とは言われないらしい。三島駅から私の住まいに連れてきて、プレゼントのプラレール(スーパービュー踊り子)を渡すと、狂喜乱舞していた。新幹線でなければ喜ばないのではないか、というのは杞憂であった。くら寿司では大人以上の量をぺろりとたいらげ、極楽湯でもひとしきり遊んでいた。パワフルさは健在のようである。(11月18日記す)
2010.11.13
予報では少なくとも日中は晴れのはずなのに、曇って見えるのは、黄砂のせいか?
2010.11.13
早朝、実家の母より電話あり。今日・明日と、52年前に新婚旅行で行った大洗に行ってくるのだそうな。私たちが贈った旅行券が使われるらしい。
2010.11.12
昨日、河口湖畔より久々に盟友 K森氏に近況メールを送っていたが、今朝返信を受信し、月曜日に2番目の赤ちゃんが生まれたとのこと。男の子だと。慶事であった。
2010.11.11
随分前から市立図書館で借りていた岩波ブックレット、竹信三恵子『女性を活用する国、しない国』(岩波書店、2010年)を読了。目を通したというレベルを越えるものではないが…。
2010.11.11
週末には甥っ子一行が三島を訪れる。「うっきゃあさん」とか「ガラガラドンドンくん」とか称される彼。過去数回の訪問の折には、私の部屋には入ってこなかったが、近づいてはいたようだ。今回はドアを突破(笑)されるやもしれん。最低限の片づけはしておこう。
2010.11.11
おびただしい観光客がバスでやってきているのは、もみじ回廊へか、それとも猿まわし劇場へか? もみじ回廊は夕方からライトアップしているようだが、ここはまだ十分に色づいてはいない。先週の山中湖の方が、紅葉自体はきれいだったというべきか。湖畔にたたずむ夕暮れ時の富士は雄大だったが、湖面に逆さ富士が映るのはなかなか見られないなぁ。季節によるのか、時間帯によるのか…。河口湖温泉の元湯・野天風呂天水は、紅葉まつりをやっているもみじ回廊からほど近いのであった。(11月11日記す)
2010.11.10
山中湖に行って1週間もたっていないのに、今日は河口湖。河口湖は5年ぶりらしいが、今日の晴天もまた完璧。富士山も、山頂付近に少々雲がある以外は完ぺきな雄姿である。で、行ったことのない天上山へ、カチカチ山ロープウェイで登る。カチカチ山――昔話だが、内容を忘れていたぞ。おじいさんが畑で捕まえてきたタヌキ。タヌキ汁にしようかと思っていたが、おじいさんの留守中にタヌキがおばあさんを殺してしまい、「ばばあ汁」にされてしまう。泣き悲しむおじいさん。見かねたウサギが、おばあさんの仇討をする…。考えてみれば、おばあさんが殺害されてしまうというのも、またウサギがタヌキに対して執拗な制裁を加えるのも、なかなか残酷な物語である。太宰治がパロディを書いたというが、その目の付けどころ(ウサギが美少女、タヌキが中年男という)に考えさせられてしまった。約1カ月ぶりの登山靴で、ロープウェイよりさらにてくてく徒歩で登り、天上山の頂上へ。思ったより足腰が弱ってなくて少々安心した。しかし、富士山はバッチリ見えたものの、河口湖は木が邪魔してよく見えないのであった。(11月11日記す)
2010.11.10
今日も富士山が姿を現している。こんな晴天が続くとは珍しい。バルコニー工事が事実上終わり、洗濯物が干せるのもいいものだ。カラカラに乾燥しているようだから、一気に乾きそうである。
2010.11.10
朝ポストを見たら、『壊れる大学』(寺田篤弘著、人間の科学社、2010年)が届いていた。(11月18日記す)
2010.11.09
晴天だが三島は風が強い。妻にもらったネクタイを着用し、新幹線へ。新宿・四谷で O金氏と再会。氏の「引っ越し」もそろそろか。丸の内の OAZO では、4階で来年のカレンダーフェアがあり、「ウサギぴょんぴょん」という山と渓谷社のカレンダーを妻用に衝動買いしてしまう。今週末に来る甥っ子のために、東京ばな奈・黒ベエを買うことも忘れられない。それにしても、東京駅内で時間つぶしにぴったりだった書店が姿を消していた。しばらく来ないと浦島太郎である…。(11月11日記す)
2010.11.09
いくら放映30周年とは言え…12月に出るのか、新しい DVD-BOXが。『伝説巨神イデオン』。タキ・コーポレーションではなくビクターのようだが。
2010.11.08
「ローマの休日」のパクリではないか、と考えるのは私一人ではあるまい。思えば、この大河ドラマもあと3回で終わりである。冒頭、久々に土佐の坂本家が出てくる。龍馬が嫁を貰ったとの知らせ(それも、ピストルの腕前もなかなかだという文面)に、ぶっとぶ面々。弥太郎が用意したミニエー銃を土佐に運ぶ途中、龍馬は下関に立ち寄る。木戸貫治(および大久保利通)と面会する龍馬だが、すでに武力討幕に動いている彼らにとって、龍馬の大政奉還論は鬱陶しいものでしかない。「容堂公は大政奉還など本気で考えてはいないではないか」と…。で龍馬は、三吉さんのところに身を寄せていたお龍と久方ぶりに夫婦水入らずの時間を過ごすはずだったが、騎兵隊のメンバーが龍馬をもてなしたいということでそれもままならず…。土佐への出発が1日遅れたとはいえ、これが龍馬とお龍の最後の別れになるとは。弥太郎は弥太郎で、「疫病神」龍馬および海援隊と手を切ったと思ったら、土佐商会の主任の座を追われることに。これからは日本も生き馬の目をぬく厳しい時代を迎えるのに、上士だの下士だのといった身分にとらわれていたら商売に負ける――弥太郎はとうとう、自分の力でビジネスを起こす決意をする。戦になる日本で大もうけをしようと…。で、武市の死以来(?)土佐に上陸した龍馬は、後藤象二郎のもとへ――。(11月8日記す)
2010.11.07
午前中は曇りがちだったが、昼を過ぎてから青空が広がった。週明け、水曜日あたりから気温が下がるという…本日、立冬なり。
2010.11.07
またまた晴天が続き、富士山が見えた1日。甥っ子が遊びに来るまであと1週間となった。プレゼントにと考えていたプラレールを買いに、EIDEN に向かう。やはり通販でなく、現物を見ながら物色するに限るなぁ、こういうものは。その後、甥っ子を連れていくであろう、1号線沿いのかっぱ寿司に初めて行く。ネタが悪くないのに全皿100円均一、というのには訳があった。このネタの薄さよ…。
2010.11.06
忍野からの帰路、山中湖 IC 近くの温泉施設・紅富士の湯に立ち寄る。浴室から落日の富士山がバッチリ見えた。が、露天風呂の石の階段では、足の裏が痛く冷えたぞ。三島へ帰る途中、すっかり日が暮れた山中湖畔に再び車を向け、「夕焼けの渚・紅葉まつり」の紅葉ライトアップをちらりとだけ見た。やはり紅葉は日中の方がきれいである。(11月6日記す)
2010.11.05
駐車に苦労したぞ(汗)。いずれ両親を連れてくることがあるだろうか。(11月6日記す)
2010.11.05
山中湖に行ったことがないという妻。私も、学生時代の部活の合宿ぐらいでしか、めったに行かなかったものである。今年は暑さが続き、紅葉が遅れ気味だとは言うが、晴天の下、車を走らせる。珍しく富士山がその雄姿を見せる中、青空に映える紅葉と黄葉はなかなか見ものであった――ただし富士山麓では自衛隊の演習らしき音がドドンと響いていたが。13時頃、湖畔の「小作」というお店で、久方ぶりに山梨のほうとうをお昼ご飯に食べる。(11月6日記す)
2010.11.05
1カ月半ぶりぐらいに整体へ。首、腕、肩、腰…気をつけなければならんな。「原因」は、大体において、自分が思ってもいないところに潜んでいる。
2010.11.04
2日(火)投票だったアメリカ議会中間選挙は、民主党の歴史的敗北だと。「ティーパーティ」と呼ばれる草の根社会運動が勝利したからデモクラシーなのか、保守的な新自由主義に対抗することがデモクラシーなのか…。現代のアメリカのことも、少しは知らなきゃなぁ。 (11月4日記す)
2010.11.03
戴きものをお届けくださった Y野氏を、妻がマンションのエントランスに迎える。戻ってきた妻の手には大量の郵便物であったが、その中にアマゾン UK の小包が。T. Carver et al. eds., Globality, Democracy and Civil Society: Beyond the West/East Binary (London: Routledge, 2010) が届いていた。私の短い文章 "'Mass Society' and 'Civil Society' in Postwar Japan"は、最終的に第5章となったのだな。(11月4日記す)
2010.11.03
全53件 (53件中 1-50件目)