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見ていて、つらい映画だった。死者を、送る際歌ったゴスペルがずしんと響いた。絶望的な日々。ラストに救いがあったが、主人公のみでありスカットした気分にはなれなかった。いい映画だと思うが2回見たいとは思わなかった。wikipedia1841年、ニューヨーク州サラトガのソロモン・ノーサップ(イジョフォー)は自由黒人のヴァイオリニストだった。彼は妻と子供2人と順風満帆な生活を送っていた。ある日、彼は二人組の男たち(スクート・マクネイリーとタラン・キルラム)から金儲けができる周遊公演に参加しないかと誘いを受けた。ある晩、二人組の男たちにノーサップは薬漬けにされ、昏睡したまま奴隷商に売られることとなった。彼は自分は北部の自由黒人だと主張するが、材木商のウィリアム・フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)に購入される。ウィリアムは信仰心は篤く温和な性格の農園主だった。ノーサップは教養が高く、ヴァイオリンも弾けることからウィリアムに目をかけられるが、農園の監督ジョン・ティビッツに言いがかりをつけられ暴力を振るってしまう。ノーサップはティビッツに報復行為を受けるようになり、ノーサップの身の危険を悟ったウィリアムは、仕方なしに資金面で世話になっている別の農園の支配人のエドウィン・エップス(マイケル・ファスベンダー)のもとへ売ることを決意する。ウィリアムと異なりエドウィンは非常に陰湿で残忍な性格の持ち主だった。綿花栽培のノルマに達成しない奴隷や気分が悪いときは平気で鞭打つなどしていた。ノーサップはひたすら耐え忍ぶが、ある日奴隷として白人であるアームスバイがやってくる。アームスバイはかつては監督官であったが、不祥事を理由として奴隷に身を落としていたのであった。自分と近い境遇に親近感を覚えたノーサップはアームスバイを信用し、友人へ手紙を送るよう懇願する(黒人ではなく白人であれば手紙を送ることは自然だろうと考えたのも決め手となった)。だがアームスバイは裏切り、ノーサップはウィリアムに責め立てられるが機転を利かし難局を乗り切る。その後も長い奴隷の時を過ごすが、カナダ人で大工のサミュエル・バス(ブラッド・ピット)と出会ったことから風向きが変わる。ノーサップは奴隷制に反対で良心を持っているサミュエルを信用し、自らの素性を明かし、北部時代の知己に手紙を送ることを懇願する。数日後エップスの農場のもとに保安官がやってきて、遂に奴隷から解放されサラトガに帰郷する。
2015.10.22
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見応えのある映画だった。1回目は誰が犯人なのか。それともやはり自殺だったのか。その点に意識が集中した。2回目は結末がわかっている。そういう意味で新鮮さからは遠ざかっている。それでも見たいと思わせ、また映画と向き合った。この作品のテーマは何だろうかと考えた。「家族」だった。幸せだとは言えない家族もあった。それでも登場した中学生は皆家族のもとに帰って行った。宮部みゆきの作品に流れているものに触れて、少しうれしくなった。この作品は絶望だけでなかった。
2015.10.20
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「土を喰う」水上勉のこの本が大好きで食べるという事を考えるときいつもこの本に立ち返る。そこには自然と共存している大好きな生き方があるからだ。これから書こうとしている事は「自然保護」について解決を求めて書いているのではない事をお許し頂きたい。今いる空間(図書室)は本で埋まっているが、そこに自然があるわけではないからでもあるだろう。休みの日となると山に入り、自然と楽しむが必ずそこには人間が残したペットボトルやら、タイヤと言った自然とは逆行するものが捨てられているからであろう。つい一人になると考えてしまう。自然保護と環境問題は、食料問題と並んで、21世紀の人類が抱える最大の課題と考えて良いだろう。言い古された言葉だが、オゾン層破壊、地球温暖化、森林伐採、環境に関する問題はより豊かな生活が物質にあると考えて実行した発露に他ならない。自然と共存する事に重きを置くより、貨幣利益を生む生活に人間が進んだ結果に他ならない。それが良いのか悪いのかは別として、一度でも電気のある生活を望んだ文化は後退してランプの生活に戻ることは出来ない。原子力がどんなに危険なエネルギーであるとわかっていても・・その生活を現実として捨て去ることが出来ない。勿論少数派として捨て去った人もいるだろうが・・自然保護の問題は今やいきものだけに限らず菌や微生物までもが対象とされ、感情論が入り交じる。「鯨を守れ」「トキを守れ」と言った単純なものから、「生物多様性の保全」と言った感じでより複雑なものになってきている。そして、保護する立場から考える人は、生物多様性保と言う言葉だけが一人歩きを始め「とにかく生物多様性は保全しなければならない」と言う風潮が強迫観念のようにはびこってきてしまっている。「鯨を守ろう」的、自然保護は実に直線的で聞こえは良いが人間は食糧難の時代から鯨を喰ってきた。それのどこがいけないと言う論について、ただ可愛そうだから、資源が枯渇するという点だけでは生きると言う論点から切り離されてしまう。皮肉な事だが鯨を食わない人より、食う人の方が、鯨がいかに資源として大事が分かっている人の方が多いと思うからである。しかし自然保護区の指定は、その様な自然環境を人々から切り離す。このような包括的保護の強化は、これまで以上に在地の文化の全面的改変を迫る。多様な生活文化は行き場を失い、「貨幣」へと統合されて行く。生物多様性も、人間の多様な文化も、地域の環境の中で生まれるが、そこに利益と言う言葉が付くとすぐに環境が破壊される。自然とは己が生きる場を求める生命の発露として、共にかけがえの無いものである、多様な生き物と、人間の多様な生き方は本来同様のものではないだろうか。森を食うとは単に胃袋に入れるだけではない。一見物質的欲求を満たす目的に見える狩猟や採取と言った生業活動の中にも遊びの要素がある。食べるためと貨幣を目的とした農耕は一見森と対立する反自然であるかに見えるが、水田の中にカルガモを生かし稲の害虫を食べる方法で稲作をしている所もある。農薬を極力使わない事でカエルやドジョウが蘇生し水田が活性化することもある。森や自然環境、その中の草木虫魚の一つ一つに至るまで文化に結びつかないものはない。人間の生活から切り離し何も手を付けずただ保護するという発想は異様である。むしろ人と自然との間で、いかなるつながる関係性があるかを問う事が重要である。人間は森に入り、空を見たり、花を愛でたりすることで癒される。それは人間が自然と一緒に生きているからである。近大は凶暴な生態征服の時代であったが、最近はコンクリートの場所にも再開発として必ず緑が植樹されている。コンクリートだけが文化であり、生活ではなくなってきている。そこに自然があるという事がコンクリートを通した人間のつながりなのである。区切るという理論は一見自然保護になる気がするが、そこには自然環境に根差した文化の多様性をつぶす事になるかも知れない。資源として残される利点はあるが、共存と言う課題からは切り離されたままとなる。多様な価値が互いに尊重しあい共存する。多様な自然との関わりと多様な意見の異なる人達との関わりを排除することではなく、関わりを保持することが重要なのではないだろうか。ふっとそんなことを考えた。全然関係ないかと思われるかも知れないが、いじめ、自殺、猫の頭を切り取った事件、殺人事件、汚職、暴力等々、負の出来事が日常的に繰り返される世の中を見て何が足りないのか、何が人間をそういった負の事件に手を染めさせてしまうのか、自然と無関係ではない気がしていると思ったからである。
2015.10.16
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最初に見たときよりストーリーを知っているだけ緊張感は少なくなっていた。まあ、これは当然。この映画の凄みはラスト「キャラバン」でのドラムソロ。ジャズは格闘技か・・・フレッチャーがブルースリーのようだった。しかし勝ったのはどっちか。どちらでもなかった。最後お互いが共鳴しあう。憎しみからの共有。にやっと笑った所で、字幕がでて映画が終わる。ラストサムライの台詞「パーフェクト」まさに完璧だ。ハイハットの余韻冷めらやらぬまま、リズム音が消えていった。傑作。
2015.10.11
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たまたまイオン主催の新体操を8チャンネルでやっていて偶然見る機会に遭遇した。その時シチューを温めていたのだが思わず手が止まってしまった。日本の、早川さくらと言う選手が登場した時思わず演技とスタイルに見惚れてしまった。何、なんだ。この長い手足は。世界に通用するオーラを感じた。失敗もしていたけど、将来が楽しみな選手が登場した。フィギュアの真央ちゃんもいいが、私は断然早川さくらを応援したい。Yahoo!動画で、一杯掲載されているので興味ある方はのぞかれたらいいと思う。とにかくとんでもなく美しい。身長170センチ。モデルに転身してもすぐトップスターになれる華やかさと肢体を持っている。それにしても新体操の女性は出る人、出る人、綺麗で美しい。クラシックバレーの要素を兼ね備えた演技という事もあるのだろう。手足の隅々までが、本当に美しくて、ため息が出てしまった。
2015.10.10
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ソロモンの偽証 前篇宮部みゆき作品を映画化した「ソロモンの偽証」評判がいいのでツタヤで借りてみた。ソロモンって誰?ウィキペディアで調べて見ると「ソロモンはエジプトのファラオ[1]の娘をめとり、ギブオンで盛大なささげものをした。そこで神がソロモンの夢枕に立ち、「何でも願うものを与えよう」というと、ソロモンは知恵を求めた。神はこれを喜び、多くのものを与えることを約束した。ここからソロモンは知恵者のシンボルとなり、ソロモンが子供のことで争う2人の女の一件で賢明な判断を示した逸話は広く世界に伝わり、後に江戸時代の大岡裁きの話にも取り込まれた[2]。このことから、長きにわたってユダヤ教の伝承ではソロモンは知恵文学の著者とされていたが、歴史的な裏付は無く、考古学的には疑問視する意見も少なくない。また、一説には神から知恵(指輪)を授かった、もしくはユダヤ教の秘儀カバラが記された『ラジエルの書』を託されたとも言われ、多くの天使や悪魔を使役したとされる」と記載されていた。ふぅん。そうなんだ。テーマは中学生の男の子が雪の降った日、学校の飼育室の前で死んでいた。自殺なのか殺人なのか。「真実を知りたい」その死を目撃した主人公の少女が腹を決めて立ち上がる。前篇はその真実を知るために生徒だけで裁判を始めようとする。さて、どういう結末が待っているのか。わくわくするストーリー展開である。登場人物一人一人もよく描かれている。話しは変わるが中学・高校の頃、殴られた事も、殴ったこともあった。今でもあまりいい記憶として残っていない。いじめの暴力は本当に心を蝕む。いじめを受けたら逃げるのが大事。戦うのではなく、逃げる。力で人を屈服させようとする人は、子供の頃であれ、大人になっても大嫌いであった。この映画の中でもそういう大人が多々登場する。「勇気」と言う言葉は簡単に口に出せるけど、当事者はそんな余裕なんてない。とにかく、どういう場合であれいじめを受けたら「逃げる」そこからじっくり自分に非があるのか、相手に非があるのか見極めることが大事だ。「逃げる」なんて先生言ってくれないしね。この映画のテーマは重い。ゆえにラストにどんな結末が待っているのかわからないけど人間ってやっぱり悪魔と天使が宿っていると思った。
2015.10.10
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二回目も確実に見たくなる映画。どこまでも続く辛口の風景と時間。「キャラバン」で見せた主人公の想い。この映画には最近失われたジャズの面白さが宿っている。どんな世界でも一線を超えると、凄みとなる。凄みは感動と余韻を与えてくれる。映画を見る理由は色々あるが、見たことがない世界に触れてみたい。主人公と重なってみたい。役者が好きだから。数え上げればきりがないが、予定調和でない世界が広がっている。生々しい人間の喜怒哀楽が含まれている。そういった人間の棘の部分に触れるとのけぞるような解放感と自閉感を双方向で感じてしまう。ラストに待っていたものは、凄まじいばかりの復讐と共鳴であった。ハイハットの余韻未だ冷めやらず。
2015.10.06
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仕事柄聞蔵という朝日新聞のサイトを見ることが度々あります。そこで下記のような記事が掲載されていました。迷走しているというより、なんか腹がたってきました。これはオープンに書かれた記事です。秋のキノコ狩りシーズンが真っ盛りだが、富士吉田市など3市町村では東京電力福島第一原発事故の影響で県による「野生キノコの採取、出荷及び摂取」の自 粛要請が続く。にもかかわらず、週末、富士吉田市内の山林は、多くのキノコ狩り客でにぎわっていた。道路には山林に入るための「入山鑑札料」を徴収する係 員もいる。いったいどうなっているのか。 ■富士吉田の組合「吉田恩賜」 富士山麓(さんろく)と富士山5合目を結ぶ木材搬出用 の舗装道路「滝沢林道」。9月27日朝、林道の入り口で、山林を管理する富士吉田市外二ケ村恩賜(おんし)県有財産保護組合(吉田恩賜)の「委託職員」と 名乗る男性2人が、車を1台ずつ停車させ、通行の目的を尋ねていた。 吉田恩賜によると、鑑札料は組合外の人が山林に立ち入る際に支払う必要がある。登山や神社参拝など林道を通行するだけの場合は必要ない。 委託職員は「山林に立ち入る」と答えた車からは、1人あたり500円の鑑札料を徴収していた。だが、山林に入る目的についての会話は交わさない。記者が見ていた1時間半の間に、約20台の車の行楽客が鑑札料を支払った。 鑑札料を支払った人を記者が追いかけて、山林に立ち入る目的を聞いてみると、全員が「キノコ狩り」と答えた。だが、支払いと引き換えに受け取った入山鑑札の「摘要物件」の欄には、本来の目的の「きのこ」ではなく「山菜薬草」の部分に丸印がついていた。 県からキノコ採取の自粛要請が出ているから、別名目で鑑札料を徴収し、入山を認めているのではないか。 後日、吉田恩賜に取材すると、礒村洋之総務部長は「野生キノコを流通させて商売するのは『自粛』だが、個人では野生キノコを採っても良いと考えている」と 説明。明らかにキノコ狩りが目的なのに、「山菜薬草」の名目で鑑札料を徴収していることについては「体裁を整えるため」と話した。 ■県と食い違い 一方、県森林環境部林業振興課の担当者は「健康被害を考えて、『採取、出荷、摂取の自粛』をお願いしている」と話す。「国の基準値を超える放射性物質を含んだキノコを食べれば、健康被害の可能性がある。個人で採って食べる分には大丈夫という考えは成り立たない」 また、別名目で鑑札料を徴収していることについては、「山菜や薬草を採取する名目で鑑札料を取るなら、キノコ狩りはしないよう入山者に念を押して欲しい。そうした注意をしていないのであれば、早急に指導する」としている。 吉田恩賜は10月11日まで、日曜ごとに鑑札料を集める予定だという。(河合博司)
2015.10.05
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本来ならキノコ採りに関して楽天ブログでオープンに書いても問題ないけど何せ国がこんなこと言ってます。あまり意識していなかったけど、仲間の一人からそのことで連絡があったりして面倒臭いので、別のクローズしたところで書くことにしました。耐え難きを忍び、屈服するつもりはさらさらないけど、争い事は好むところではないのでキノコブログから去ります。ご報告まで指 示 平成24年10月26日 山梨県知事 横内 正明 殿 原子力災害対策本部長 内閣総理大臣 野田 佳彦 東京電力株式会社福島第一原子力発電所において発生した事故に関し、原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第20条第2項に基づき、下記のとおり指示する。 記 山梨県富士吉田市、富士河口湖町及び鳴沢村において採取されたきのこ類(野生のものに限る。)について、当分の間、出荷を差し控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者等に要請すること。それについて山 梨 県出荷制限指示後の管理の考え方―(野生きのこ)―野生きのこの出荷管理については、富士吉田市、鳴沢村及び富士河口湖町(以下「関係市町村」という。)と連携し、次の対策に取り組むこととし、万一不適切な事案が確認された場合には、速やかに是正措置を講じる。1 制限区域の市町村からの出荷防止対策(1)採取者対策県は、野生きのこの出荷制限が指示された関係市町村の協力を得て、当該市町村内で発生した野生きのこを採取する者に対し、一切の出荷を行わないよう周知するとともに、関係市町村及び関係団体と連携して巡回指導を行う。(2)流通対策県は、野生きのこを流通、販売する者に対し、出荷制限区域内で採取された野生きのこを流通、販売しないよう周知するとともに、関係市町村及び関係団体と連携して巡回指導を行う。また、定期的にインターネット上の通信販売について監視を行い、制限区域内で採取された野生きのこが販売されていないかを確認する。2 制限区域外の市町村からの出荷に関する対策県は、出荷制限区域外で採取された野生きのこについては、野生きのこを流通、販売する者に対し、産地の市町村名を表示するとともに、入荷先、販売先の記録を保存するよう周知徹底する。また、必要に応じて当該記録の県への提出を求める。これらの取り組みが行われるよう、巡回指導を関係市町村及び関係団体と連する
2015.10.05
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「早川の小磯釣具店が10/14で閉めちゃうよ」「餌釣りが釣れてるよってブログに書いてあったよ」「水も澄んできて、友釣りもいいらしいね」キノコも先日腹いっぱい採ったことだし、今年度最後の友釣りに行こうか。小磯釣具店にAM6:30到着。餌釣りのやり方を聞いていたらどこからか釣り客が湧いてきた。9/30(水)だってのに、結構来るんだな。ラセンを付けてシラスを巻く仕掛け。針は返しの無い袖針1号。太閤橋上下が良いって言うんで車を走らせ、先ずは橋の上から川見。「いるいる」ちょっと興奮。トミさんは下流、私は上流に入り早速ラセンを使って、餌釣り開始。瀬に流すと突然ウキが沈んだ。ゆっくり合わせると10センチ程度の可愛い鮎が釣れた。少し場所をずらして流すとまたウキが一気に沈んだ。今度は13センチ程度。入れ掛かりにはならないけれど、鮎はよく引く。下流にゆっくり場所を変えると入れ掛かりをしている麦藁帽のオジサンがいた。毎日のように来ているとの事。オジサンはラセンを巻かず、普通にウキと針だけで釣っている。シラスは撒いているとの事。じっくりオジサンのやり方を見せてもらう。ウキはとても小さい。鮎が掛かるとよく沈む。釣れている型も15センチ以上とまずまずだ。「友釣りをやるのかい」「ハイ、好い型の鮎が餌で釣れたらやります」「だったらこれ持ってけよ。俺は毎日釣っているからやるよ」気前の良い話にびっくり。びくには10匹位オトリになりそうな鮎が入っていた。AM10:30。餌が釣れなくなったので、トミさんに鮎2匹献上して、友釣り開始。平瀬のまったりした流れに鮎を泳がせると「キラリ」掛かったのがすぐわかる。5.5→6.0のズーム竿なので抜くのが簡単。3匹入れ掛かった所で橋の上を見るとたくさんのギャラリーが・・・ありゃぁ、こっぱずかしい。あまり見られていても緊張するので、やってみたかった瀬に移動する。竿抜けだったのだろう。激流におとりを入れると一発で当たり。いい感じでの入れ掛かりが続いた。型も18センチ程度とまずまず。この時期に入れ掛かり。秋田の桧内川のカタキを早川でリベンジした。いい気分だ。8本程抜いて鮎が小さくなったので更に下流に移動。1人若いにいちゃんがいて時々掛けていた。何せ広い河原にいるのは私とにいちゃんだけ。場所はいくらでもある。深瀬に入れると一発で追った。「快感」やっぱ鮎釣りは楽しい。型も20務センチオーバー。このポイントでも入れ掛かりが続いた。ここで7本程抜いて更に下流に移動。普段はあまり入れない荒瀬におとりを誘導するとこれまた一発で追った。川の水も適度にぬるみ状態はいい。これが天然河川の実力だと思った。心配していた大涌谷の火山灰の影響もなく水は澄んでいる。もの凄い食み跡があったのでそこに鮎を入れるとこれまた一発。鮎の魚影は濃い。しばし入れ掛かりを堪能していたが急に風が冷たくなり釣れなくなったのでPM3:00。トミさんのいる上流に移動トミさんの釣果は13匹。湯本の方へ移動するかも知れないという事で何本か使わない鮎を残して置いたとの事。湯本も行って見たかったが、まあ結果論。しばし談笑後、トミさんの釣っている場所の上流に深瀬があったので、そこに入れると一発で来た。「いるじゃあないか」オトリの循環が良いと本当によく釣れる。ここで4本抜く。最後は背針が玉網にもつれて仕掛けを作り直し、一匹釣って納竿とした。数えたら42匹。自信が復活した日でもあった。
2015.10.03
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