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これまで測定を続けてきた気温の変化をグラフにし、その変化の仕方と天気との関係について調べる。前時に測定の結果を表にまとめたのだが、それでも晴れの日が気温が高く、くもりの日が低いと思っていた子どもたちが多い。しかし、グラフにして比べてみると、その違いがはっきりわかる。グラフを、大きな紙に書き写し、黒板に並べて張る。「晴れの日は昼間に気温が上がるけれど、くもりの日は、あまり上がらない。」子どもたちにとって新しい発見だ。また、晴れの方が最低気温が低いことが多いことを知り、驚いている様子でした。今朝の気温は、約12℃。しかし、日中は汗ばむくらいのあたたかさになり、「苦労して作業したこと」とあわせて、その変化について実感することができた。やはり、このような整理(処理)は、めんどくさい(もちろん、課題意識の高まりよって楽しくなる)ても、コツコツとやる必要がある。
2005.10.31
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本校本年度の研究も、いよいよ大詰めである。研究テーマ「学びが好きになる授業の創造~協同的な学びをめざして~」に迫るため、毎週授業研究会を行ってきたが、この授業研も残すところ4回となった。私自身、本校の授業研究会で大きく成長することができたと思っている。先輩の先生方から、本当に多くのことを学び、影響を受けた。「他人から学ぶ」よさや、その重要性を実感しているところだ。がむしゃらに取り組む中で、多くのことを「他人から学んだ」わけだが、この「他人から学ぶ」ためには、何が必要なのだろうか。佐伯胖氏は、「感化を受けること」として、「『わかる』ということの意味」の中で次のように述べている。 ・・・・ ところで、受け身でなく自発的に「感化を受ける」ためには、ときには、大変な内的葛藤を経由しなければなりません。なぜならば、本当の意味で「感化を受ける」には、受け手自身が全く独自の人間的成長を遂げなければならないからです。そのためには、ときには、一時的に「避ける」ことや、「拒否する」ことすら必要です。もっとも、それが単なる「逃げ」にならないためには、本人自身のすさまじいまでの自己研鑽がなければなりますまい。それを経てあらためて「感化の受け直し」ができたときこそ、本当に「他人から学ぶ」ことができるのです。 すなわち、人が他人から「感化を受ける」ことができるためには、次のような条件が必要なのではないでしょうか。(一)何が本当に価値あることかを求め続けていること。(二)「表面的なこと」の背後には、常に、「表面にあらわれていないこと」があるはずだと考え、それがどんなものかを知ろうとすること。(三)ものごとには常にさまざまな側面があり、「かくかくしかじかである」という断定はできるかぎり保留し、いつでも、根本から考え直すことを辞さない覚悟をしていること。 一言でいってしまえば、「無知の知」(すなわち、自分が無知であるということの素直な受容)を身につけていることが、よい出会いを逃さないことになるのだと思います。 ・・・・「無知の知」を身につけるためには、「大変な内的葛藤」が必要だということである。この「葛藤」に不満をいっているだけでは、だめなのである。この2年間、私自身、研究に対して何度も「避ける」「拒否する」こともあった。しかし、その何割かは「逃げ」にならずにすんだのではないかとふり返っているところである。
2005.10.27
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太平洋上に停滞していた台風19号も何とか北上し(もちろん、日常生活上はうれしいことではないのだが)、「台風の動き」について学習できる。子どもたちは、これまで、「雲の動き」を調べるために「雲画像(新聞の切り抜き)」をデータとして集めてきた。「雲は、西から東へ移動する」ときまりを見いだした子どもたちだったが、その後も「台風の動き」の調べるために、データ集めを続けてきた。(思っていた以上に意欲的であった。単なる新聞の切り抜きだったのだが、何か「おもしろさ」があったのであろう。)今回は、その「台風の動き」を白地図に書き写していく。他の雲と違って、台風はその中心(目)が分かりやすい。まず、雲画像(6日分)の台風の中心に×印をつけさせる。それを、白地図に書き写し線でつなぐ。ただ、思ったよりはじめはとまどう子どももいた。雲画像、白地図ともに緯線と経線が記されているのだが、なかなかなく地図に書き写すが難しい様子である。「地図の見方」が十分ではなかったのであろう。(社会科を指導しているのも私なのだが・・・。)しかし、それでもしばらくすると慣れてくる。そこで、9月に接近した台風14号をはじめ、いくつかの台風の動きを同じ白地図に書き写させる。ここで、私用したのは、気象庁のホームページで見つけた台風の進路図である。今年発生したすべての台風のデータがあるのだが、典型的な動きをした台風を取り上げる。子どもたちにとっては、自分の集めたデータの「整理」、及び、書き写すという作業がほとんどの45分間であったが、意欲の低下は見られず「日本付近では南から北へ移動する」という規則性を見いだしたことに満足している様子であった。最後に、北上せず東から西へ移動した台風の進路図を提示した。すると、子どもたちから大きな驚きの声があがる。自分たちが見いだしたきまりが確かなものになっていた分、大きな矛盾を感じたのであろう。台風の動きを、静止画をつないでアニメーションなどにして提示することは簡単である。しかし、今回のような「アナログ」な学習が必要であるという場面も多い。やはり、「デジタル」と「アナログ」のバランス(もちろんねらいに迫るための)が大切である。
2005.10.22
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本校では、来年の2月17日(金)に研究発表会を開く。(毎年、この時期に行っているのだが・・。)その案内に間に合うように、公開授業の「単元名」の締め切りがせまってきた。もちろん、私は理科の授業をするのであるが、授業を考えるとき、もっとも悩んでいるのが、その授業と「文化とのつながり」である。佐伯胖氏は、「理科の『わかり方』を考える」として、「『わかり方』の探究」の中で次のように述べている。 ・・・・・ 系統学習で忘れられてきたのは、科学というのが「知識の体系」というよりも、人びとの文化的な営みだということである。つまり科学というのは、知識の「データベース」ではなく、人びとがおもしろがり、大切にし、いろいろな試みをするという、生き生きとした文化の営みなのだ。最先端のことでも、「細かいことはよくわからないけど、およその感じはわかる」とか、「ものすごい基礎的なことだけれど、疑ってみると、よくわからないことがいろいろある」とか、「ごく日常的でありふれたことの中に、すごい真理がひそんでいる」ことを認め合い、賞味し合い、語り合うという文化の営みなのだ。そういう「科学する文化」に誘うことを忘れてはいなかっただろうか。 ・・・・ 「科学は文化的な営み」であること。「『科学する文化』に誘うこと」。早急に咀嚼し、授業構想に生かさなければならない。
2005.10.20
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新聞の切り抜きの雲画像から、その動きの「規則性」を見いだした子どもたちであったが、今回、その天気の違いによる気温の変化について調べていく。「天気予報をしよう」という単元の流れからは、少しそれる感じもするが、実際の天気予報でも最高・最低気温の予想をしている。「気温も予報しよう」と声をかければ、子どもたちの意欲は高まる。実際は、どれだけ子どもたちが「科学的」に気温を予想できるか疑問も残るのだが・・・。まず、3つの昼間の「空」の写真を提示した。一つ目は「雲一つない青空」、2つ目は「雲が少し浮かんでいる空」、そして最後は「一面雲に覆われた空」である。子どもたちに、「それぞれの天気は何か」とたずねる。すると、1つ目は「晴れ」で、3つ目は「くもり」と答える。2つに関しては、「晴れ」か「くもり」か意見が分かれた。ここで、天気の区別に仕方を知らせる。雲が全天の8割以上のときを、「くもり」といい、2つ目の写真は「晴れ」ということである。1つ目の写真も「晴れ」であるが、そのなかでも「晴天」と呼ぶことを伝えた。ここで、ある子どもが「それじゃあ、雨は?」という疑問を発表した。答えは、「一粒でも雨が降れば『雨』」。子どもたちからは、驚きの声があがった。子どもたちは、天気によって「雲の量が違う」を知ることができたが、続けて「天気によって、変わるものはないか」と聞いた。すると、「気温が違う」と発表する。どのように違うかとたずねると、多くの子どもが次のように答えた。「晴れの日は気温が高く、くもりや雨の日は低い。」ほとんどの子どもが、「なぜ当たり前のことを聞かれているのか」のようにきょとんとした顔をしている。しかし、しばらくすると数名の子どもたちが口を開いた。「雨の日でも、暖かい日がある。」「今日は晴れだが、朝はとても寒かった。」このように日常の経験を振り返り、その気づきを交流することで、「天気の違いによる『気温の変化』の変化を調べよう」という課題を設定することができた。
2005.10.17
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今週の研究会の中で(実は、先週行った私の提案が発端なのだが・・・)、「多様化」と「多元的」ということが話題にあがった。その中で、この2つについて十分に説明しきれていないと感じた。今後、この「多様化」と「多元的」を整理する必要がある。そこで、まず今回は、その意味について調べてみる。(大辞林国語辞典より) ・・・・・多様:いろいろなものがあること。変化に富んでいること。また、そのさま。さまざま。多様化:多くの様式や種類に分かれること。「価値観が―する」多元:根元が多くあること。多くの要素があること。多元的:考えや事物のもととなる立場・要素が多くあるさま。 ・・・・今回は、単なるメモであるが、具体的な教材や授業などで考えていく必要がある。
2005.10.14
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8月に行われた校内の研究会の中で、佐伯胖氏はある実践に対して「ステレオタイプなラベルづけではなく・・・」ということを強調された。私自身、ステレオタイプとは社会的なバイアスの一つと考えていたのだが、もう一度考えてみたい。ステレオタイプについて、波多野余誼夫氏(放送大学)は、「認知心理学4思考(市川伸一編)」の中で次のように述べている。 ・・・・・ ステレオタイプとは、典型的には、ある社会的カテゴリーに属する成員の比較的多くがもつ特性を成員すべてに付与することにより生み出される過剰な一般化をさすが、それには少なくとも2つの生成過程が含まれている。・・・(中略)・・・もう一つは、経験的基盤なしに(否定的な)特性を付与する偏見と共通する、その社会で広く流布している(ないしは特的の社会勢力が喧伝している)ある社会的カテゴリーに対する見方が個々人に反映される、というものである。 ・・・・ また、「認知過程研究知識の獲得とその利用(稲垣佳世子・鈴木宏昭・亀 田達也著)」の中には、次のような説明もある。 ・・・・ 認知的ヒューリスティック、自動的な特性推論、ステレレオタイプといった諸現象は、 社会的推論の多くが、簡便化・自動化された認知的道具に依拠していることを示唆している。こうした認知的道具は時に誤り をもたらすものの、多くの場合に、私たちの生活する自然・社会的環境への生態学的な意味での適応を促進する。社会的推論 のための認知的道具は100点満点ではあり得ないものの、70~80点ぐらいの成績を保証する、生態学的な合理性を備えているといえそうである。 ・・・・「ステレオタイプ」に対するマイナスイメージしかもっていなかった私であるが、ある程度の「合理性」も含んでいるようだ。しかし、だからこそ、教師自身が自分の中の「ステレオタイプなラベルづけ」を常に振り返り、教材の価値をしっかりと吟味し、文化とのつながりを強く意識していかなければいけないのではないだろうか。
2005.10.13
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子どもたちは、この10日分の雲画像を新聞から切り抜いて集めてきた。今回は、その雲画像を使って、雲の動きの「規則性」を見いだしていく。季節は秋であるものの、なかには秋雨前線や台風の影響で西から東に動いていることがわからないものもある。そこで、その中の4日間をピックアップする。最初の計画では、その雲画像をプロジェクターでスクリーンに映し出すつもりであった。しかし、4つの雲画像を横一列に並べると、映し出すサイズが小さくなってしまう。また、2列にして映し出すと雲の変化が分かりづらい。そこで、一つ一つの画像をA3サイズにプリントして掲示することにした。プリントする手間はかかるが(プリンタがA4対応のため、ポスター印刷した)、こちらの方が、ずっと見やすい。 また、印刷したことによって思いがけない効果も得られる。私自身、あわてていたせいか、その一枚一枚が何日目ものか分からなくなったのである。そこで、子どもたちに「いつのものか分からなくなった」ことを伝え、「自分の集めた雲画像を見て、何日のものか調べてほしい」と投げかける。子どもたちは、夢中になって黒板に貼られた雲画像と自分のノートを見比べる。このことは、その後の雲の位置とその順序性(規則性)に着目することにつながっていった。思いがけないトラブルの効果もあったものの、ITと比べることで「アナログ」のよさを感じることができた。
2005.10.12
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以前のblogで、図工の時間に「ブドウ」を描いたときの失敗談を書いた。今振り返っても、やはり不十分さを反省する。しかしながら、このblogを読んだ同僚の先生から、廊下に掲示していた「ブドウ」の作品を見て「結構いい作品だよ」と声をかけてもらった。改めてみてみると、数点であるが「目をひく」作品がある。これまでの指導の「貯金」が生かされたということか。今回は、その「いくつかの作品」を紹介したいと思う。
2005.10.10
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子どもたちが、総合的な学習の中で「UD」を追求する上で、疑問の残ることがある。それは、「高齢者疑似体験」を追求の導入で取り入れることである。本校は、数年前から総合的な学習に関しての研究に取り組み、各学年ごとのカリキュラムが完成している。そして、そのカリキュラムに沿って学年ごと(1学年3クラス)に学習を進めている。ここ数年、その5年生のカリキュラムの中に導入として「高齢者疑似体験」が取り上げてあるのだ。(私のクラスでも、9月の行ったのだが・・・。)もちろん、意図するところはわかる。おもりを体中につけ、見えにくいメガネをかけ、分厚い手袋をつけて、階段を上ったり箸を使ったりする体験をすることで、高齢者の立場になって私たちの街を見直す。しかし、本当に子どもたちの意識を変えるために効果があるのだろうか。そこには、実際に不自由な生活を送っているお年寄り(介護する人も含め)も、UDをつかって便利だと感じているお年寄りもいない。この「『意識』面での学習」について、坂元章氏(お茶の水大学)は「認知心理学者 新しい学びを語る」の中で次のように述べている。 ・・・・・ 一般論として、こうした情報キャンペーンは、意識面を変化させるには限界があると考えられます。情報キャンペーンでは、相手についてあくまでも表面的にしか知ることはできません。そうした表面的な接触は、もともと相手に対して偏見をもっている場合、それを解消するどころか、むしろ、それを強化してしまう場合があると考えられます。これはひとつには、偏見をもっている場合には、どのような情報に接触に接しても、その悪い側面ばかりに注目してしまう傾性が、人間の情報処理にあるからです。 ・・・・・ここでは「情報キャンペーン」として、ユニセフの作成する第三世界の困窮した状況の子どもたちの苦しい生活を描写しているビデオを例にあげている。今回、私たちが取り組んだ「高齢者疑似体験」も、高齢者の「大変さ」にだけ着目した「表面的な接触」ではなかったか。反省するところである。この反省をもとに、いろいろな人との「交流」を中心に追求を進めていくことにした。
2005.10.06
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今、総合的な学習の時間では、「ユニバーサル・デザイン(UD)」について学習をしている。今回、子どもたちが夏休みに「身近なUD」について調べたことを発表し合い、これからの課題を設定しプロジェクトを組む。子どもたちは、夏休みに「いろいろなこと」について調べてきた。「文房具」「建物」「乗り物」、そして「我が家」。私が予想していたよりも、はるかに多くのことについて調べることができた。これは、子どもたちにとってUDは興味・関心をひくものであり、追求する対象として十分であるということか。子どもたちの感想も、「身近にたくさんのUDがあり驚いた」というものがほとんどである。しかしその中で、ある子ども次のように発表した。「UDは足りているのかな。」子どもたちは、この発表をきっかけにして「私たちの住む熊本市は住みよい街なのだろうか」という課題設定をしていった。そんな中で、どんなことを調べてみたいかたずねてみる。すると、「街の中でUDとUDでないところを調べてみたい」「他の県や国などのうUDについて調べてみたい」など発表される。そして、次のような考えも発表された。「お年寄りや体の不自由な人に話を聞いてみたい。」「UDをつくっている人に話を聞いてみたい。」これから、これらの「交流」を中心にして、追求を進めていく予定である。
2005.10.05
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この日記が、このblogで100件目である。約200日間で「100」という書き込みができ、我ながら驚いている。しかしながら、最近、なかなかパソコンに向かっても手が動かなかった。理由はいくつか考えられる。運動会の練習や準備でバタバタしたこと。プライベートな部分での忙しさ。夏休みぼけで、思考が低下していたこと。しかし、一番の理由は、夏休みの終わりにあった校内の研究会の中で佐伯胖先生に「積み木ふりこ」の実践を「メッタ切り」にされたことである。私の取り組みを、「根本から見直す」ことを余儀なくされ、blogを書く意欲すらなくなっていたのだろう。忙しさを理由に、研究から目を背けていた。反省するところである。ところが今週、理科の同僚の研究授業がある。私も、理論の提案をするので、佐伯先生の批判をしっかりと「分析」しなければならなくなった。佐伯先生が残された「言葉」に、真っ正面に向かい合わなければならなくなった。そんな中、「科学する文化」の中で、村山功氏(静岡大学)の書かれている文が目に止まる。 ・・・・・ では、何も学ばなかったのかといえば、それは違う。大いに学んでいるはずである。しかし、何を学んだのかといわれると表現できない。このあたりの感覚をわかってもらうために、ゼミの仲間で出版した『教科理解の認知心理学』という本の「はしがき」として 私の先輩が書いた文章を引用しよう。 最後に一つだけ書かねばならないことがある。おもしろいアイディアをもっていったときには誰よりも喜び、興奮し、覚えきれないほどたくさんのコメントをしてくださり、くだらない話をもっていったときにはありとあらゆる意味においてくだらないことありとあらゆる方法を使って(説教する、けなす、怒る、寝る等々で)思い知らせ、二、三週間ほどわれわれを自己嫌悪に陥らせながら、指導してくださった佐伯先生に心から感謝したい。われわれは語り尽くせないほどの多くのことを彼から学んだ。 ・・・・・ 今、理科の理論を考え直すとき、佐伯先生がいわれた「文化とのつながり」「探究のロジック」「多元的」という3つの言葉が頭から離れない。もうしばらくすると、「感謝」できるようになるであろう。(いつできるか、不安ではあるのだが・・・。)
2005.10.04
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インターネット上には、数多くの「ライブカメラ」の映像を配信しているサイトがある。今回、この「ライブカメラ」を天気の学習に取り入れる。前時の学習で、子どもたちは「雲画像を見ると、天気が分かる」ということを知った。もちろん、「雲があると曇りや雨になる」ということは、何となく理解しているであろう。しかしながら、やはり「何となく」ということが、子どもたちの表情から伝わってくる。そこで、天気予報のサイトにある一番新しい「雲画像」と「ライブカメラ」から送られていくる各地のリアルタイムの映像を比較する。まず、大型スクリーンに、現在(実際は、30分前の映像であるが)の「雲画像」を映し出す。それを見て、「○○地方(県)は、今、曇っているはずだ」と予想を立て、それぞれのパソコンを使ってその地域の「ライブカメラ」によう映像を見る。「ライブカメラ」の中には、街や道路の様子を映し、天気が分からないものもある。しかしながら、今回実際にやってみて驚いたことだが、かなりの数の「ライブカメラ」が存在し、見たい思う地域の天気を、おおむね知ることができる。「『雲画像』で、雲のあるところの天気が曇りかどうかたしかめよう」という課題が適切であったかどうか不安が残るところだが、「ライブカメラ」を使って「雲画像」と実際の天気との関係を子どもたちは実感することができた。「ライブカメラ」は、思っていたより「使える」ようである。
2005.10.03
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5年生では、天気について学習する。この学習の中で、子どもたちは「雲が西から東へ移動することにともなって、天気が変化する」ことと「台風は、南から北へ移動する」ことを、雲画像などのデーターと実際の天気の観察から見いだしていく。(「雲が西から東へ移動する」ことは、春と秋が観察しやすく、教科書では5月頃に取り扱ってあるのだが、「積み木ふりこ」の実践を1学期に行ったため、2学期に「台風」といっしょに学習する。)そこで今回は、単元の導入で「天気予報をしよう」と子どもたちに投げかける。学校内にある掲示板を使って、次の日の自分たちが予報したものをみんなに知らせてみてはどうかと提案した。しかし、私が考えていたほど、子どもたちの「挑戦意欲」は高まらない。もちろん、ある程度の「おもしろそうだ」という子どもたちの反応はあった。しかしながら、天気予報をするための「手がかり」がないのである。子どもたちの表情からは、とまどいが感じられた。「どうすれば天気予報ができそうか」と問うても、「夕方の雲を見る」と「言い伝えを調べる」の2つしか答えが返ってこない。そこで、今日の新聞に載っている気象衛星から撮影された「雲画像」を見せる。すると、一人の子どもが「雲は西から東へ動くから、雲の様子が分かると天気予報ができる」と発表した。まわりの子どもからは、「えー?」と、とまどいの声があがる。「どうしてか」とたずねると、その子どもは「テレビでは、いつも動いている」と答えた。テレビでの天気予報の多くは、雲画像をアニメーションにして放映している。このことに気づいた子どもたちからは、納得する声が聞かれた。「雲の動きを調べると、その規則性が分かり天気予報ができるかもしれない。」子どもたちに、何とか「見通し」をもたせることのできた授業であった。
2005.10.03
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フリーページの「インターネット天文台」を使った実践を更新した。今年、1月の実践であるが、今回11月に長野で行われる全国日本教育工学研究協議会全国大会に参加する論文としてまとめた。この大会に参加するのは、昨年に続き2回目である。昨年、はじめて参加したのだが、思っていたよりも手応えが大きかった。この大会については(「インターネット天文台」の実践についても)、後日、報告する。私自身、年2回は全国規模の学会等で発表するように「心がけて」いる。(学会など、恐れおおいと思っていたが、「心がけ」れば、誰にでも発表できる。)本校の先輩に進められてのことであるが、このような機会に実践をまとめることができる。(何かなければ、まとめない・・・。)また、、私自身の取り組みが文化的実践に参加しているという「手応え」を感じることができる。
2005.10.01
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