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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------さまざまなトライをしてみるんです。「○○できない」が口ぐせのひとには、共通点があります。それは、自分の知っているパターンからはみでることは、考えないということです。たとえば、「お金がないから、 ○○できない」というひとがいます。でも、おおくの場合、そのひとたちは、いま、自分がやっている以上のことをしようとは考えません。がむしゃらに、昼夜はたらいてお金を生み出すこともできます。おだちん程度のちいさなはたらきを、こつこつと積み重ねて、お金をためることもできます。あるいは、廃品とされているようなものを、ちょっとしたアイデアで、生かして、売って、収益を得るひともいます。ひとのいやがる仕事をすすんで引き受けて、喜ばれてお金に換えるひともいます。いいえ、それどころか、出会うひとごとに、1円をカンパしてもらえば、100万人のひとに頭を下げれば、100万円になるのです。(あくまでもたとえです)(^^ゞ言いたいことは、本当に、そのお金がほしいのかどうか、ということ。本当にほしいなら、「やる」しかないのです。本当にほしくはないから、あるいは、ほしくても、それだけのトライをする気持ちがないから、「やらない」でいるだけのことなのです。そして、もちろん、これは、お金の話だけではありません。私たちは、しばしば、「やらない」でいることを、「できない」と、言い換えているのです。そのために、まるで、自分が何かの被害者であるかのように感じているのです。でも、それは錯覚です。今日は、そのことに、気がついてほしいのです。あなたは、本当に、その○○がほしいのですか?それを手に入れるために、どれだけのトライをしてみましたか?失敗をおそれるあまり、あるいは、見栄や体裁を優先させた結果、「やらない」を、「できない」と、言い換えてきたことはありませんでしたか?「できない」と言った瞬間に、自分という主体は、うしなわれます。でも、同じことを、「やらない」と、言ってみたとき、自分がそれを決定したという自覚が生まれます。あなたは、いつだって、あなたの人生の主人公なのです。そして、主人公でいつづけるためには、あなたが、自分で「決める」かどうかがポイントなのです。そのためにこそ、「できない」ではなく、「できるためには、 どうすればいいのか」を考える選択をするのです。そして、さまざまなトライをしてみるんです。いままでのやりかたではうまくいかないのなら、やらなかったことをやってみるんです。お手本は、無数にあります。そして、その結果、どうしても無理だと思ったら、そのときはね、こう言うんですよ。「いまは、やらない」と。あなたは、永遠にやらないのではなく、「いま」はやらないと自分で判断したのです。あなたのなかに機運が動いたときには、いつだって再トライできるんです。さあ、今日から、あなたの辞書から「できない」ということばを追い出してしまいましょう。(笑)あなたに残されるのは、「やる」か「やらない」かだけです。レッツ、トライ!あなたの「やる」を応援します!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1275号(2007年4月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------あとは、ただ、やるだけなのです。「本番の出来は、 練習量に比例します」こう言ったのは、ある中学校演劇部の部長さんでした。(^^ゞ私は、このことばと、そのときの彼女の凛とした表情を、しばしば思い出すのです。演劇部が、公演をやるということは、見にきてくれるお客さんに、約束をすることと同じです。本番という、その瞬間に、最高のものをつくりあげることが、お客さんとの無言の約束なのです。とはいえ、さまざまなハプニングはつきまといます。思うように練習が進まなかったり、よけいな用事が入ったり…。果ては、部員同士のトラブルが勃発したり…。(^^ゞそのたびに、ついつい、言いわけをしたくなるのです。本番がせまってきてさえも、「○○のせいで できないんだから、 しかたがない」と、つぶやきたくなるんです。そんな弱腰な気持ちに、くぎをさすように、彼女は言ったのです。「本番の出来は、 練習量に比例します」そう、決めた以上は、やるべきことを、やるしかないのです。それなしには、満足のいく成果など、手に入るはずがないのです。人間っておもしろいもので、いったん、はらをくくると、びっくりするくらい、エネルギーが湧いてくるんです。ない、ないと言っていた時間が、不思議に生まれてくるんです。実は、おおくの場合、「やる」と言って、できないときには、自分のなかに、怖れが生まれているのです。失敗したらどうしよう。うまくいかなかったときの自分と向き合いたくない…。その気持ちの揺れが、時間のなさや、さまざまな問題を引き寄せてしまうことさえあるのです。念のために、書きます。このメッセージは、まだ覚悟のできていないひとにまで、押しつけるものではありません。自分で、やると決めたひとに贈る、エールなのです。それも、私からではなく、ひとりの女の子のことばを借りて。実は、私自身が、このことばから、何度も、勇気と励ましをもらっています。自分で決めたことを投げ出したくなったとき。時間のなさや、何やかにやにまぎれて、言いわけしたくなったとき。そんなときに、私は、あらためて、自分に問うことにしているのです。「私は何をやりたいのか」「いま、本当に、やるのか、 やらないのか」あの、15歳の少女が、まっすぐなまなざしで、いっさいの言いわけを断って、言い切った表情をまぶしく思い起こしながら。そして、「やる」と、こたえが出た以上は、あとは、ただ、やるだけなのです。すべての思いと時間を、そこに注ぎこんで…。そうして、何度も、さまざまなヤマを超えてきたように思います。もちろん、量さえあればいいという話ではありません。覚悟すれば、必要なものは、手に入るということをお伝えしたかったのです。それにしても、演劇をする中学生たちから、どれだけたくさんの宝ものをもらってきたことか。このことばも、一生忘れられないことばのひとつになりそうです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1274号(2007年4月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------そのとき、失敗は、失敗ではなくなります。最近、将来のことで悩んでいる若い友人と話をする機会がありました。自分のやりたいことで、生活できるのだろうか。これをやってみたいけれど、大丈夫なのだろうか。そんなふうに、自分の選択に、自信がもてずにいるのでした。「失敗しないと、 成功もしないよ」あえて、端的に、言ってしまいました。もちろん、私は、この世に「失敗」なんて存在しないと思っています。それは、このブログをお読みいただいているみなさんは、よくご存知のことです。でも、失敗を怖れているのなら、まずは、その失敗と思うこと・ものを、しっかり見つめる必要があります。たとえば、有名な野球選手は、どのくらい打てば、成功しているといえるのですか?4割打者ということばがありますよね。 すみません、 スポーツのことは、まったく 素人なので、まちがってたら ごめんなさい。(^^ゞそれって、6割はヒットを打てなかったということですよね?もしも、あなたが、一度も失敗を体験せずに、成功だけをしつづけることができたとしたら…。あなたは、おそらく、何が成功なのかを知ることはできないでしょう。失敗の体験があるからこそ、成功とは何かを知ることができるのです。そうですよね?先ほどの、野球選手にしても、「打てなかった」体験から、どうしたら打てるようになるかを、研究できます。つまり、失敗の体験こそが、自分を深めてくれたり、学びを加速させてくれたりするわけなのです。そのとき、失敗は、失敗ではなくなります。その失敗と呼ばれていた体験こそが、自分を高めてくれたことがわかるから。自分を高めてくれるものを、だれも失敗とは呼ばないでしょう?あなたが、これまで「失敗」と呼んできたこと・ものを、怖れを捨てて、もう一度見つめ直してごらんなさい。そこは、宝の山です。あなたは、自分自身がそこから学べるだけでなく、ひとにも、そこからの学びを、教えてあげることさえできるのですよ!そしたら、ひとは、あなたに感謝しますよね?ひとから感謝されることを、あなたは、それでも、失敗と呼ぶのですか?(笑)ね? だから、失敗なんて、この世に存在しないのです。そしたら、どうして、怖れる必要があるでしょう。足踏みする必要があるでしょう。勇気をもって、進んでいきなさい。自分の選択を祝福してあげなさい。おそらく、あなたは、たくさん、「失敗」するでしょう。そして、その「失敗」のぶんだけ、たくさんの成功を手にするでしょう。 ただし、そこから、 しっかり学んでくださいね!(爆)「トライアンドエラー」ということばがあります。先人は、そのことをちゃんと知っているのです。そこから学ばないなんて、もったいないですよ!とめどもない私の話に、若い友人は、ちょっと安心したような顔をしてくれました。もしも、その友人に、ほんのちょっとでも勇気をあたえることができたとしたら、私の「失敗」も、むだではなかったなと、思いました。友人のおかげで、私はまたひとつ、ちいさな「成功」を、手に入れることができたのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1273号(2007年4月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------幸福に、祈りをつなげます。子どもの問題にかかわっている、あるかたとお会いしたときのことです。こんなお話を聴かせてくださいました。さまざまな課題をかかえた子どもたちが、自分をとりもどしていくプロセスのなかで、かならずやってくるのが、反動期。東洋医学で言えば、好転反応ともいえる時期があるのです。閉ざしていた気持ちがほぐれてくると、子どもたちは、自分を外に解放したくなります。けれども、ほどよいバランスというものがわかりません。ときには、ほどけるぶんだけ、はげしく、外に表現する子もいます。それは、外がわから見ると、ようやく、落ち着いてきた子が、急に反抗的になった。昨日まで言うことを聴いていた子が、突然、わがままを言うようになった。…そんなふうに映るのです。こんなとき、かかわっているおとなたちは、動揺します。よくなっているように見えたのは、錯覚だったのか。表面だけ、うまくとりつくろっていたのか。反動は、はげしいときには、暴力的な行為に発展することさえあります。おとなたちは、自分の無力さを感じて傷つきます。こんなに時間をかけて、こんなに誠意を尽くしたのに、自分のやってきたことは、むだだったのか…と。その結果、しばしば、おとなたちは、子どもたちを、ちからで抑えつけようとします。あるいは、失望して、離れていくひともいます。すると、子どももまた、そこで、傷つくのです。自分の気持ちを素直に表現することは、結局、受け入れられないことなのかと。おとなの枠組みのなかでしか、受け入れてはもらえないのかと。ぞれは、子どもにとっても、おとなにとっても、とても不幸な出会いかたです。子どもたちは、子どもたちなりの方法で、おとなにうったえかけているだけなのです。「こんな自分でも、 受け入れてほしい」「どんな状態であっても、 受け止めてほしい」それは、けっしてわがままではなく、さまざまに傷ついてきた子どもたちが、全身全霊をかけて、伝えようとしているメッセージなのです。それ以外には表現できない、魂の悲鳴なのです。そのことに気づいてほしい…と、そのかたは、熱く語ってくださいました。お話をうかがいながら、私も深くうなずきました。私自身、演劇をとおして、子どもたちとの出会いのなかで、同じような体験を重ねてきたからです。そして、もっと言うと、私自身が、そのようなプロセスを体験してきたからです。実は、これは、子どもだけの問題ではないと、感じてもいます。こころの課題をかかえたおとなたちもまた、同じ状況なのです。いいえ、おとなたちは、解放のプロセスさえも踏めずにいるのです。自分を受け入れてくれるものなど、どこにもいないと。かたくかたく、こころを閉ざして、あきらめてしまうのです。この、絶望的ともいえる状況のなかにあって、有効な方法など、簡単には見いだせません。私自身、途方にくれてしまうこともたびたびです。でも、これだけは、わかるのです。私たちは、幸福になりたい。どんなひとでも、かならず、幸福になりたいと願っているのだと。だから、目の前にどのような状況がきたとしても、そのことだけは、忘れないでいようと。目の前の現象に振り回されるのではなく、ただ、まっすぐに、幸福に生きたいと願う気持ちとだけつながろうと。そのために、私は、こうして、毎日、メッセージを書いているのかもしれません。ワークショップやセミナーをつづけているのかもしれません。どれほど無力でも…。どれほどつたなくとも…。おとなも子どももともに、互いが、互いの痛みをわかちあい、育ちあっていける日が、来ることを、こころから願いながら。今日も、あなたの幸福に、祈りをつなげます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1272号(2007年4月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------まるごと、愛という存在なのです。私が敬愛してやまないジャンポルスキーさんは、そのたくさんの著書のなかで、こう書いています。「ひとの感情には 愛と怖れしかない」「え? 怒りも悲しみも あるじゃないの」そう思われるかたもいるでしょうね。でも、その怒りや悲しみは、どこから来るものでしょう。私たちは、生まれた瞬間には、怒りも悲しみも、もっていなかったはずです。赤ちゃんは泣きますが、あれは、泣くことが、赤ちゃんの表現手段だから泣くだけです。赤ぢゃんにあるのは、愛だけです。だから、欲求がかなえられた瞬間に、泣き止み、笑顔になります。けれども、私たちは、生きていくなかで、さまざまな体験を重ねます。もとめても、あたえられなかった体験。思っていたことと、ちがう反応をされた体験。予想もしないところで、痛い思いをした体験。そのたびに、私たちは、怖れをいだきます。私たちに怖れをあたえる相手に、怒りを感じます。怒りを感じる相手を、拒絶するようになります。それは、生きていくうえで、やむをえないことでした。でも、残念なことに、私たちは、その過程で、大切な大切なことを、忘れてしまったのです。生まれたときには、愛しかなかったことを。はじまりが愛であるならば、そこから先も、すべて、愛なのです。愛するからこそ、それをうしなうこと、手に入らないことを怖れるのです。怖れるからこそ、悲しみも怒りも憎しみも、湧いてくるのです。愛の反対語は、憎しみでも怒りでもありません。愛の反対語は、無関心です。私たちは、愛していないものには、何の感情もいだくことはないのです。怒りや憎しみを感じるとき、その怒りや憎しみを本体と思ってしまうと、そこにとらわれ、苦しみはつづきます。けれども、それらの感情の根っこにあるのは、大切な何かをうしなうかもしれないという、怖れです。そして、怖れさえも、愛がなければ、生まれてくることはありません。はじまりが愛であるならば、途中もすべて、愛であり、おしまいもまた、愛です。愛でないものは、何ひとつないのです。もしも、あなたが、怒りや憎しみにさいなまれているとしたら、どうぞ、思い出してください。すべての感情のみなもとは、愛であること。怒りや憎しみは、あなたを幸福にはしません。自分を幸福にしないものを、いつまでも、かかえている必要はないのです。今日は、そのことを思い出すためのワークをひとつご紹介します。それは、自分で自分を抱きしめることです。怒りや悲しみ、憎しみを感じたときに、その気持ちを相手に向けるのではなく、まずは、自分を抱きしめてあげてください。そして、そのぬくもりを感じてみてください。赤ちゃんのときから、そのぬくもりは、ただの一度もうしなわれることはありませんでした。愛は、ずっと、私たちとともにあったのです。あなたは、まるごと、愛という存在なのです。まるごと愛であるあなたを、どうぞ、しっかりと抱きしめてください。その愛のともしびが、ふたたび燃えあがるように。その愛のぬくもりに、さっきまでの怖れや怒りは、溶けて消えていきます。溶けて、ふたたび、愛の循環のなかにもどっていきます。時間はかかるかもしれませんが、よかったら、繰り返し、ためしてみてください。あなたの内なる愛に向けて、今日は、祈りをささげます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1271号(2007年4月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------からだの棚卸し脳は、使わないと、退化します。筋肉も、使わないと、退化します。すべてのものは、使わないと、退化します。からだの感覚もそうです。横になって、リラックスし、深く呼吸してみましょう。呼吸するごとに、からだのなかから、よぶんなちからが抜けていきます。呼吸するごとに、からだのなかの、よごれている部分、とどこおっている部分、よどんでいる部分が、きれいになっていきます。からだのなかが、どんどん、透明になっていきます。すると、それまで、からだのなかに隠されていた、さまざまな感情があがってきます。不意に悲しくなったり、苦しくなったり、せつなくなったりするかもしれません。涙が出てきたら、そのまま流してあげましょう。苦しくなったら、「苦しいんだね」と、声をかけて、その苦しい部分に、手を当ててやるのもいいかもしれません。そんなふうに、静かに、からだの声を聴いてあげるのです。私たちは、ふだん、このからだの声をおざなりにして生きていることがおおいのです。使わないと、からだの感覚も、どんどん退化します。だから、時間をつくって、からだまるごとで、この、からだの声を聴いてほしいのです。からだの声とは、からだまるごとが発している感覚のことです。「なんとなく」こうしたい、とか、ときには、「どうしても」こうしたい、と感じる感覚のことです。それは、外がわの尺度とはまったく関係なく、ただ、からだの内がわからあがってくる感覚です。頭は、すぐにジャッジ(判断・評価)をしたがりますが、からだは、ジャッジをしません。からだは、ただ、いまある、自分の感覚をあらわすだけです。からだの感覚は、うそをつかないのです。深く呼吸しながら、からだの声を聴いていると、からだが、自然に動き出したくなってくるかもしれません。それもOKです。受け入れて、動いてみましょう。それは、たいていは、これまでかためてきたものが、深い呼吸で、ほぐれて、動き出してきたのです。自分を抑えたぶんだけ、自分を殺してきたぶんだけ、からだもまた、抑えつけられています。からだの内がわから、あがってくるものを、受け止め、抑えずに、すべて出してあげます。からだが、「こうしたい」と感じることは、感じるままにやってあげます。ひとつも、否定する必要はありません。何が出てきても、まるごとOKをあげてください。やがて、からだは、ふたたび、静かになっていきます。ためこんでいたものを出し尽くしたのです。より深いところには、まだ隠されているかもしれませんが、いま、出したいものは、出し尽くされたのです。これは、ある意味で、「からだの棚卸し」というべきものかもしれません。実際の「棚卸し」がそうであるように、一度やると、次が楽になります。からだの声が聴きやすくなるのです。何も準備がいらない、まさに、からだひとつあればできるからだの棚卸し。やるごとに、自分の内がわとのつながりが、よくなっていきます。どうぞ、ときどき、思い出してやってみてくださいね。あなたが、よりあなたらしく生きていくためにも。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1270号(2007年4月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------からだが神さま。今日は、「からだが神様」ということばが降りてきたので、(笑)そこからはじめてみることにします。これまで、さまざまなセミナーやワークショップに参加してきました。さまざまなひとと出会ってきました。そのなかで、ふと、感じることがあります。こころの問題を追求するひとのなかに、熱心ではあるけれど、自分の課題から、なかなか、抜け出せないひとがいます。また、いわゆるスピリチュアル系と呼ばれるひとたちのなかにも、同じ傾向をもつひとたちもいます。そうしたひとたちは、頭で考えること、こころで感じることはたくさん体験してきていると思います。でも、からだで体験することは、置き去りにしている。あくまでも傾向ですが、そんな気がするのです。私たちは、このからだなしには、1秒だって、生きていくことはできません。どんなに、こころの問題を追いかけても、どんなに、神秘的な体験をしたとしても、三次元のこの地上では、からだ抜きに、生きていくことはできません。先日、野口体操http://www17.ocn.ne.jp/~noguchi/のワークショップを受講したとき、すてきなことばをうかがいました。「ひとは、生まれるときに、 38億年の地球の歴史を 再体験してくるのです」そうです。私たちは、受胎して、誕生するまでに、お母さんのおなかのなかで、生命の進化の過程をすべて体験するのです。生命の歴史。これこそ、まさに、「神さま」の仕事といえるのではないでしょうか。その「神さま」の仕事を、私たちのからだは、体験してくるのです。どんなひとも、この「神さま」の仕事を体験しないでは、この地上に生まれてくることはできないのです。また、私たちは、ふだん、脳が、考えることにしたがって生きているように思いこんでいます。いわば、脳みそ中心の生活をしています。でも、この脳にしても、からだのなかでは、あとからできてくる器官なのです。まず最初に、からだありき、なのです。「からだが神さま」このことばが、ふっと、胸に落ちました。私たちのからだは、神さまの仕事そのものなのです。神さまは、天の遠くにいるのではなく、このからだのなかに、すでに存在するのです。こころもまた、このからだのなかにあります。からだあってこその、こころなのです。だから、何か問題が起きたとき、私たちは、本来、遠くに祈る必要もないし、こころのありかを探しもとめる必要もないのです。ここに、あるのです。このからだのなかに、こたえがあるのです。もちろん、私は、さまざまなこころの活動や、スピリチュアルと呼ばれるものごとを、否定するつもりはありません。それらもまた、必要があって生まれてきたものですから。ただ、この地上で、それらが成り立つのは、このからだがあるおかげだ、ということを、ときどきは、思い出してほしいということなのです。そして、それらを大切にするのと同じだけ、この、からだにも、意識を向けてほしい、ということなのです。どうぞ、自分自身のからだの感覚を、やさしく感じとってみてください。いま、自分のからだが何を感じているか。何を欲しているか。どこに行こうとしているか。からだの内がわから、立ち上がってくる感覚を、ていねいにていねいに、受け取ってみてください。38億年(40億年とも)の蓄積が、すでに、このからだのなかにあるのです。あなたがもとめているこたえは、あなた自身のなかにあるのです。からだをもっている以上、私たちは、存在しているだけで、「神さま」そのものなのです。「こたえ」がそこにあることに、何の不思議もないのです。今日は、脳を少し休ませて、(笑)「神さま」そのものである、自分自身のからだと対話してみましょう。どこか遠くではない、自分の内がわに、静かに問いかけてみましょう。そのとき、あなたは、神さまと、こころとからだ、まるごとひとつを体験するのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1269号(2007年4月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------手放せないものは、愛ではない。「手放せないものは、 愛ではない」いきなり、そんなことばが、私のなかに、降りてきました。え? 逆じゃないの?「愛しているものほど、 手放せない」こちらが正解ではないの?でも、ちょっと考えて、わかりました。私たちが、日常のなかで、痛みもなく手放せるものは、それはたまたま手もとにあっただけのものです。もともと、どちらでもいいものなのですから、それは、手放したというのではなく、ただ、離れていっただけのことなのです。私たちが、「手放す」ということばを使うとき、そこには、何らかの愛着があります。「長年使ってきた○○を 手放した」「とうとう手放さざるを 得なくなった」そして、その愛着の度合いだけ、つらさや痛みを感じます。でもね。それを手放さなくてはならなくなったときとは、実は、手放すべきときが来たとも言えるのではありませんか?わかりやすい例では、子どもの独立ですね。あなたは、子どもを愛しています。でも、その子どもが、一生ずっとそのまま、家にいつづけることを望むでしょうか?こころのどこかで願っていたとしても、手放す時期がくれば、覚悟をするでしょう。ひとであれ、ものであれ、手放す時期が来たら、止めることはできないのです。この世のすべては、循環のなかにあり、ひとつとして、とどまるものはありません。それがどれほど理不尽なかたちであらわれようと、すべては、その法則のなかのできごとなのです。そして、きびしいかもしれませんが、このことは、お伝えしておく必要があるかもしれません。もしも、あなたが、手放すことに必要以上の痛みを感じるのだとしたら…。それは、愛ではなく、執着なのです。あるいは、愛ではなく、それに依存してきただけなのです。愛するものがあるとき、愛するひとがいるとき、あなたは、そのひと(そのもの)が、最高に輝いていることを望むでしょう。では、あなたの愛するひと(もの)が、最高に輝いている状態とは、どんなときですか?そのひと(もの)が、そのひと(もの)らしさを存分に発揮しているときではありませんか?輝きは、いつかうせることがあります。あるいは、別のかたちに移り変わっていくこともあります。でも、それもすべて、必然なのです。あなたがそのとき、かつての輝きを期待してしまうなら、それは、あなたの愛するひと(もの)の過去を追うことになります。まるごとのそのひと(もの)を、受け止めてはいないことになります。執着は、愛ではありません。依存も、もちろん、愛ではありません。私たちは、しばしばそのことをまちがいます。執着するこころや、依存する気持ちを、愛とかんちがいします。でも、そこにしがみつくことは、(変わらないことを 望むことは)相手の変化をとどめることになります。変化は必然なのですから、それをとどめることは、相手のあらたな輝きを、さまたげることになるのです。愛しているからこそ、手放すのです。愛するひと(もの)が、だれよりも何よりも輝いてほしいと願うからこそ、手放すのです。手放せないものは、愛ではないのです。「手放せないものは、 愛ではない」このことばを聴くとき、あなたのなかに痛みが起きるなら…。あなたのなかに執着や依存がないかどうか、どうぞ、もう一度、調べてみてください。それは、あなたが愛するひと(もの)をも自由にしてくれません。そして、何よりも、あなた自身を幸福にしてくれません。愛するひと(もの)に最高に輝いてほしいなら、勇気を出して、手放してごらんなさい。今日のメッセージは、すぐには受け入れがたいものかもしれません。すとんと胸に落ちてくれないかもしれません。でも、それでもいいと思っています。いいえ、そのほうが、大切かもしれないと思っています。どうぞ、ゆっくりと考えてみてください。それは、あなたの愛が、より深いところにいたる道のりかもしれません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1268号(2007年4月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------あなたの「自己中」を生きてください。いわゆる「自己中」と呼ばれるひとたちがいます。「あのひとは、自分のこと しか考えていない。 自己中すぎる」そんなふうに、批判されることがおおいようです。でもね、ふと考えてみると、私たちが、純粋に、自分自身のことだけを考えていることって、実際、あるでしょうか?自分自身のことだけ考える…というのは、他者の思惑とか、利害にはとらわれないということです。何かと比較したり、世間的な価値に照らしたりしないということです。自分が何をしたいのか、どう生きたいのかを、まっすぐに見つめることです。実は、私たちは、日常のなかで、純粋に、自分のことだけを考えるということを、おどろくほど、していません。そして、いわゆる「自己中」と呼ばれるひとびとも、本当の意味で、自分のことを大切にはしていません。本当に自分のことを大切にするということは、いま、生きている自分に完全にOKをあげるということです。あるがままを受け入れることです。あるがままを受け入れたとき、私たちの内がわからは、怖れが消えていきます。怖れがなくなると、おおらかに、他者を受け入れることができるようになります。ね?いわゆる「自己中」と呼ばれるひとたちも含めて、おおくのひとが、怖れのなかで、がんじがらめになっているのです。だから、過剰に他者を拒否したり、自分の殻のなかに閉じこもってしまったりするのです。まわりがどうだとか、過去に何があったとか、将来がどうだとか。それらを一切脇に置いて、まっすぐに、自分のことだけを見つめる時間をつくってみませんか?私は、どう生きたいのだろう。どんな価値感をもって、生きているのだろう。私は、何を大切にしていきたいのだろう。そんなふうに、思いをめぐらせてみるのです。もちろん、こたえは出ないかもしれません。それでもいいのです。大切なのは、そういう時間を、自分にあたえること。そういう時間を自分にあたえられる自分を発見すること。自分に投げかけた問いは、そこから、内がわで、しずかに育ちはじめます。考えることをやめても、ずっと、内がわで、育ちつづけます。その育ったものが、生きているあなたに影響をあたえないはずがありません。あなたは、より本質に向かって、意識を向けるようになるでしょう。より本質に向かうということは、世間的な価値に自分を照らすことをやめるということです。ただまっすぐに、自分自身を見つめることです。その自分自身のために、生きる選択をすることです。それこそが、まさに本当の「自己中」なのです。自分が生きるための中心を見つけることが、本当の「自己中」なのです。どうぞ、あなたの「自己中」を生きてください。自分自身の「自己中」を生きるとき、私たちは、かつてない安らぎを、そこに見いだすでしょう。そして、他者の「自己中」をも、ひとしく尊重できる自分自身に気づくでしょう。今日は、あなたの「自己中」を祝福します。どうぞ、どこまでも「自己中」になってください♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1267号(2007年4月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「手当て」が必要です。「手当て」ということばが日本語にはあります。けがなどにたいして、薬をつけたりする意味で使われています。でも、もともとは、もっと単純に、まさに「手を当てること」をさしたことばなのですね。たとえば、私たちは、歯が痛いとき、手で、ほおのうえから、そのあたりをおさえます。おなかが痛いときも、自然に、手がおなかにふれています。それだけではありません。たとえば、悲しそうにしている友だちを見たとき、思わず、肩に手をかけて、話しかけたくなるでしょう。泣いている子どもには、頭に手をやって、「どうしたの?」と聴いてしまうでしょう。手を当てることによって、直る(治る)ちからがはたらくことを私たちは、本能的に知っているのですね。実際、宗教のなかには、手を当てたり、かざしたりして、病気を治す話もしばしば出てきます。この、「手当て」が、できなくなっているひとを、最近、ときどき見かけます。ひとにふれることができないのです。ふれても、まるで、ものをあつかうように乱暴だったりします。ひとにたいしてだけでなく、自分にたいしても乱暴なひとがいます。おなかが痛いとき、ちょっと熱っぽいとき、手を当てることもせず、さっさと、薬を放りこんだりします。そうして、私たちが本来もっているちからを、どんどん退化させてしまうのです。私のワークショップでは、ときどき、この「手を当てる」ということをおこないます。2人1組になって、相手のひとの背中に、手で、ふれてもらいます。てのひらのまんなか、掌(たなごころ)の部分が、ふんわりと、でもたしかに、相手にふれるようにします。ふれる位置に決まりはありません。そのひとが、その瞬間に、ふれたくなった部分が、その瞬間の「正しい位置」です。変えたくなったら、変えたい位置に変えるのも「正解」です。じっとふれていると、そこから、熱が伝わっていくのを感じます。ちからをいれて指圧なんかしなくたって、これで充分に、気持ちよさが伝わります。ふれているほうも、ふれられているほうも、呼吸がおだやかになり、気持ちがしずまっていくのを感じます。ここちよいという感覚は、ひとが生きていくために、とても重要な感覚です。でも、私たちは、日々の生活のなかで、つい、この感覚を置き去りにしてしまいます。こころが、がさがさになり、その「がさがさ」は、おこないにも影響します。「手当て」が必要です。(^^ゞどうぞ、みぢかなひとと、ほんの数分でいいのです。お互いに「手当て」をしあってみてください。治してやろうとか、変えてやろうとか、そんな気持ちは、いっさい必要ありません。ただ、てのひらをふんわりやさしくふれているだけでいいのです。てのひらをとおして、見えないエネルギーが、自然に流れていきます。てのひらをとおして、見えないエネルギーが、還ってきます。流れる水が、いつでも新鮮であるように、エネルギーが循環するところにも、とどこおりはありません。もしも、あなたがたったひとりでいるとしても、「手当て」は可能です。自分で自分にふれてあげるのです。自分ひとりでも循環は起こせるのです。最近、なんだか、あわただしい日々を過ごしているなあと思ったら。自分にたいしてでも、みぢかなだれかにたいしてでも。どうぞ、この「手当て」をためしてみてください。そして、こころにもからだにも、やさしいエネルギーを流してあげてください。ささやかなことですが、生きていくうえで、忘れないようにしたいことのひとつです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1266号(2007年4月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.24
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------あなた自身の気づきです。算数がわからないとか、英語がわからないとか、よく言いますが、これ、「頭で理解できない」ということですね。言い換えると、私たちは、いつでも、頭で理解しようとしています。そして、頭で理解できないことにたいして、「わからない」と判定します。算数や英語なら、「わかる」「わからない」には、とりあえず、一定のこたえがあります。10進法で考えるかぎり、だれが計算しても、1+1は、基本的には2。「DOG」の意味が、あなたの場合、「犬」で、私の場合が、「ねこ」になることはありません。私たちは、それが「わかる」ことで安心し、「わからない」ことは、マイナスであるように感じます。ところが、同じ問題を出しても、同じこたえが出ない場合があります。それが、からだであり、こころです。「自分の内がわで感じる、 感覚を大切にしてください」「からだの声を聴いてください」ワークショップのなかで、私はしばしば、そんな投げかけをします。すると、不安そうに、まわりのひとのようすを見るひとがいます。自分と、他人が、ちがっているのが、心配になるのです。1+1が2になるように、自分のこたえを、他人のこたえと、あわせたくなるのです。でも、からだもこころも、一人ひとり、ちがいます。同じ問いかけをしても、一人ひとり、ちがうのが、当たり前なのです。こんなときに大切なことが、「わからない」という感覚なのです。外がわに見えるかたちに自分をあわせるのではなく、どこまでも、自分の感覚を探りつづけていくのです。探りつづけている状態は、「わからない」状態です。でも、その「わからない」状態こそが、「わかる」ために必要なプロセスなのです。そのプロセスなしに、そのひとにとっての「わかる」感覚はやってこないのです。外がわのかたちにこたえをあわせたとたん、からだとこころは、ばらばらになってしまいます。自分の内がわにしか、自分にとってのこたえはないのですから。わからなければ、もっとじっくり、もっとたっぷり、探っていけばいいだけなのです。まるで、道草をしながら、学校から帰るときのように、道すがらには、たくさんの宝ものが落ちています。こころもからだも同じです。こころのなかを、ていねいに探っていくと、途中で、落としものが見つかることもあります。「ああ、自分はこんな 気持ち(感覚)を、 置き去りにしていたんだ」そう感じたら、そっと、ひろいあげてもいいのです。からだの状態を探っていくとき、あらためて気づくことがあります。「ああ、いま、自分は、 こんなに、こわばった 状態でいるんだな」そう感じたら、ふっと、ゆるめてやることもできます。「わかった」ふりをしないほうがいいのです。「わからない」ことを自分のなかに、ゆるしてやればいいのです。繰り返し繰り返し、自分と対話していくだけでいいのです。こころとからだが、ゆるみ、ほどけていくとき、深いところで、しずかに「わかっていく」感覚が立ち上がります。それは、だれでもない、あなた自身の気づきです。だれに、こたえを聴く必要もない。こたえあわせをする必要もない。あなた自身の気づき。そこには、深いやすらぎがあります。満ち足りたおだやかさがあります。「わからない」ことを、とことん大切にしたとき、おとずれる感覚です。どうぞ、大切にしてください。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1265号(2007年4月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------自分のまるごとを生きる感覚「自分の内がわで感じる、 感覚を大切にしてください」「からだの声を聴いてください」私のワークショップでは、そんな語りかけをすることが、しばしばあります。「内がわで感じる?」「からだの声を聴く?」おそらく、日常では、ほとんど体験したことがないことでしょう。なぜなら、それは、日常生活、社会生活をいとなむうえでは、とても「非効率的」なことだからです。だって、そうでしょう?目の前に信号があれば、赤になったら止まり、青になったら、進む。当たり前のことです。それをいちいち、「いま、私のからだは、 どうしたいのだろうか」と、問いかけていては、たちまち交通渋滞を引き起こします。(笑)会社でも、学校でも、家庭でも、私たちは、決まったルールのもとで、瞬時に対応することをもとめられています。そして、それ自体は、まちがいではありません。ただ、あまりにもそれが過剰になると、からだは、抵抗を感じます。止まればよいのですが、止まるには勇気が必要です。止まれないまま、どんどん進んでいくと、抵抗は、苦痛に変わっていきます。こころもからだも、がちがちの状態になってしまいます。ときには、原因不明の不調としてあらわれます。だから、ワークでは、いったん、その状態をリセットします。「自分の内がわで感じる、 感覚を大切にしてください」「からだの声を聴いてください」語りかけることで、もう一度、自分の感覚に、返ってもらうのです。いま、自分が何を感じているのか。いま、自分は何をしたいのか。(あるいは、 したくないのか)自分にとって、ここちよい状態とは、どんな感じなのか。ていねいに、ていねいに、問い返していくことで、本来の自分の感覚をとりもどしていくのです。世間の、社会の、外がわの基準ではなく、自分自身の内がわに、したがう感覚をとりもどしていくのです。次第に、表情がゆるんでくるのがわかります。自然に、笑顔が生まれてきます。呼吸が、ゆったりと深いものに変わります。このからだで、こころで、もう一度、日常生活にもどってみてほしいのです。もちろん、信号が赤になれば止まり、青になれば進むことに変わりはありません。でも、そのときに、それを選ぶ自分に、自分でОKをあげるなら、判断の軸は、自分の内がわにもどります。あるいは、会社で、学校で、家庭で、指示を受けたとき、いったん、自分の内がわで、自分がどうしたいかを問い返します。「言われたから」「決まっているから」ではなく、「いま、この瞬間に、 自分で決めて選ぶ」ことが、できるようになります。すると、結果のかたちはいつもと同じでも、受け止める気持ちが、おおきく変化します。ときには、「ノー」を言うことだって、できるようになるのです。あなたは、あなたの人生の主人公です。あなたは、そのことを思いだす必要があります。あなた自身の幸福のために。そして、このことを、頭ではなく、からだで、まるごとの自分自身として、感じること。それが、体感です。からだで(まるごとで)わかるから、やがて、実際の生活にも生かせるようになるのです。自分のまるごとを生きる感覚を、ワークショップをとおして、あなたに受け取ってもらいたい。そのためのサポートをすることが、私自身のライフワークでもあるのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1264号(2007年4月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------「聴く」という体験聴覚にハンデがないかぎり、毎日の生活のなかで、私たちが、ごく当たり前におこなっている「聴く」ということ。でも、私たちは、本当にひとの話が聴けているでしょうか?あなたは、ふだん、どんなふうに、ひとの話を聴いていますか?たとえば、相手の話が自分の体験と重なるものだったとき。「そうそう、私も…」そう思った瞬間、あなたの頭のなかには、自分が体験したそのことが浮かんでいます。あなたは、相手の話を自分のイメージに沿わせて、聴くでしょう。でも、それでは、相手の話を完全に聴いていることにはならないのです。それはあなたのイメージであって、相手のものとはちがうからです。共感したときでさえ、こんなことが起きるのですから、そうでない場合はなおさらです。相手の話が、共感できない場合、とたんに、あなたの頭のなかは、めまぐるしく回転し始めます。「それはちがう」「それについて、自分は こういう意見をもっている」「このひとは、どうして こんなことを思うんだろう」「こんなことでは、 先が思いやられる」等々。ね?頭の中が、こんなにいっぱいになっているときに、あなたは、本当に、相手の話が聴けていると思いますか?たしかに、音としては、耳に入っているかもしれませんが、相手が本当に伝えたいことなど、ぽろぽろ落ちてしまうことが、想像できるでしょう。まるごと、本当に聴くって、実はとても大変なこと。私たちは、もっとそのことに気づいたほうがいいのです。いかに、自分が聴けていないか。いかに、聴いたつもりになってしまっているか。その結果として、いかにたくさんのすれちがいを生んでいるか。自分の固定観念を捨てて、ただ、まるごと相手の話を聴く。いっさいの価値観念、判断、批判をしないで、あたかも、白いキャンパスに相手の言葉を書きつけていくように、相手の話を聴く。そんな体験をしてみませんか?自分の話が、まるごと受け止められていると感じたとき、ひとは、そのまま、自分自身が受け入れられている喜びを感じます。それはそのまま、聴いてくれる相手にたいする信頼となって、かえってきます。信頼関係が生まれると、ますます、聴くことができるようになります。意見がちがっていても、お互いのちがいを尊重しあい、かつ、理解しあえる部分を見出すこともできるのです。まずは、自分の「聴く」をチェックするところからはじめてみましょう。そして、いかに、自分が聴けていないかを、体感してみましょう。コミュニケーションの第一歩は、こんなところに、あるのかもしれませんよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1263号(2007年4月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------それがそのまま、ひとつの奇跡です。「ひとは、いつまで 生きられるかわからない。 だから、いま、この一瞬を 精いっぱい生きようよ」そんなことを言うと、こんなふうに、お返事をされるかたがいます。「昨日も今日も、普通に 生きてこれたんだから、 そんなふうに言われても、 リアルには考えられない」私は、反論しません。昨日と同じように今日があり、そして明日があると思える。それが、どれほど幸福なことか知れません。私のある友人は、ごく普通に、おやすみなさいと言って眠り、そのまま、二度と目覚めませんでした。脳出血。43歳でした。ある友人は、眠ったまま、亡くなっているのを、一週間後に発見されました。死因は不明ですが、心停止。42歳でした。風邪から肺炎を併発し、内臓うっ血で亡くなった、友人は、まだ19歳でした。そして、3年間の闘病生活を、昨年、終わらせた友人がいます。その3年間を、私と、友人たちは、ずっと、向きあいつづけました。「かめさん(私の愛称です)、 私は生きたい。 どうしたらいいの?」悲鳴のようなメールが、届いたのは、春のことです。ほうっておけば、余命半年。そう宣告されたのだそうです。私は専門家ではありません。それでも、できるかぎりの情報を、友人に送りました。友人も、あらゆることをする決意をしていました。無事に、手術に成功。いったんは回復に向かったと思った矢先の、再発。入院、退院。その繰り返し。化学療法のかたわら、ときには、民間療法など、友人は、どんな努力も惜しみませんでした。家族も、私たち友人も、できうるかぎりのサポートをしたのです。けれども、病状は、少しずつ進んでいきました。「治る・治らない」というシーソーゲームを、友人が、てばなしはじめたのは、いつのころからでしょうか。「いま、できることを、 できるかぎり、やる!」いつしか、友人の生きかたは、そこに向かっていました。体調を見計らいながらも、友人は、ありとあらゆる「やりたいこと」をやってのけました。名古屋に住みながら、かつて住んだ札幌にも出かけていきました。観たいお芝居があると、東京までやってきました。家族との旅行も果たしました。昔の仲間に会いたいと、飲み会にも出ました。新しいことにも、次々とチャレンジしました。友人たちとつくるメーリング・リストでは、そのときどきの思いが、吐露されました。がまんするのではない、無理にがんばるのでもない、ただ、いま、その瞬間を生きて、生き抜くこと。そのまっすぐな思いは、下手な同情など、あっさりとはねのけるいきおいがありました。かたわらで見守っていると、不思議な気持ちになりました。病気の友人のほうが、はるかに、「いま」を生きている気がしてならないのです。その密度の濃さは、1日が1か月。1か月が1年。1年が10年。3年間は、まさに、30年の厚みをもっていたのです。そして、38歳の春、友人は、しずかに、河岸に旅立ちました。涙は出ませんでした。友人の生きた存在感が、あまりにもおおきすぎ、いなくなったという実感がなかったせいもあるかもしれません。いいえ、やはり、それだけではありません。あまりにも密度の濃い人生を生き抜いた友人が、どこかで、ふっと、「これでいいんだよ」と、言っているような気がしたのです。そして、実際、そのあとあとまでも、友人は、いつでも、私たちのそばにいて、見守ってくれている。茶目っ気たっぷりの笑顔のまま、そっと、後押しをしてくれている。そんな気がしてならないのです。そう、うしなわれるものなど、何もないのです。私たちは、生まれる前から、あとまで、すべて、ひとつの存在です。そのまるごとひとつの存在を、ただ、かたちを変えて循環しつづけるだけなのです。そんな気持ちが、ひたひたとしてきます。いま、こうして、生きてこのメッセージを読んでくれているあなたへ。あなたが、いま、生きている存在として、ただ、そこにあること。それがそのまま、ひとつの奇跡です。あなたのいのちの輝きにめぐりあえたことを、こころからよろこびます。あなたのいのちが、今日も輝いてあることを、こころの底から祈ります。そして、あまねく宇宙を満たすすべてのいのちにたいして。こころからの感謝をささげます。ありがとう。友人の一周忌の会に寄せて。すべてのいのちが、ひとつにつながるこの一瞬を、今日は祝福したいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1262号(2007年4月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------私は、自分を信用していません。私は、自分を信用していません。なぜなら、私は、方向音痴が特技なのです。地図を見ながら、行き先を間違うこともしばしばです。ですから、私は、はじめてのところに出かけるときは、予想される時間の倍の時間を見こんで、出かけます。反対方向に歩いてしまって、引き返したとしても、これなら、なんとか間にあうからです。私は、自分を信用していません。私は、忘れものの名人なのです。雨の日のかさは、手を離した瞬間に、その存在を忘れます。ですので、雨の日は、折りたたみ傘をもち、ぬれたまま、ビニール袋に入れて、かばんにしまいます。うっかり、長いかさをもって出たときは、これが今生の別れと、覚悟をしておきます。(^^ゞ私は、自分を信用していません。私は、かんちがいの達人なのです。これまでに、ありえないほどのかんちがいをたくさんしてきました。ですから、私は、自分の考えを鵜呑みにしません。ことあるごとに、うたがってかかります。「自分はそう思って いるけれど、 本当にそうなのか?」「相手と自分の考えは ちがうけれども、 本当に、まちがって いるのは相手なのか?」常に、自問自答します。その結果、私は、自分の考えがまちがっているときには、なんのためらいもなく、修正できるようになりました。「ごめん。まちがった」見栄も体裁もありません。何しろ、自分を信用していませんから、とりつくろうべきことなど、何もないのです。かつて、自分が正しいと思っていたときは、だれかに否定されると、ひどく、傷ついたものでした。でも、いまはちがいます。「はあ、へえ、ほおお。 なーるほど、そんな 考えかたもあるんだ」受けいれて、終わりです。だって、自分が絶対だと思っていないのですから、どんな考えかたがあっても、OKなのです。「それもあり、これもあり」気楽なものです。さてさて、何度も自分を信用しないと、書いてきましたが、ふと気づきました。どうも、この、「信用していない自分」を、私は、深く信用しているらしいのです。まちがう自分もOK。うっかりぽっかりの自分もOK。ずっこけたってOK。そしたら、自分をきらいになることはありません。うっかりぽっかりのまま、ずっこけたまま、まるごと好きでいられるのです。不完全である自分を受け入れることは、実に気持ちのいいことです。自分の考えに固執しなければ、さまざまな発想もOKになるということなのです。ね?自分を信用しないっていうことも、まんざら、悪いことではないでしょう?今日はちょっぴり逆説的に、マイナスに見える自分を応援してみました。いつでも応援したくなるくらい、私は自分のことが大好きです♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1261号(2007年4月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------苦しみのプロセスを祝福します。先日、立て続けに、うれしいメッセージをいただきました。マイナスと思える状況にあっても、マイナスの部分ばかり見ないで、生きていけるようになったというお話です。これらのかたがたには、共通点があります。自分の置かれた状況を、ほかの何かのせいにしていないことです。そして、これまでの苦しみに対しても、「必要なプロセスだった」と、受け入れていることです。ここにいたる道のりは、けっして楽なことではありません。何度も何度も、ひとをうらみたくなったり、自分を否定したくなったりしたことでしょう。でも、そのたびに、選びなおしてきたのです。自分は、そんなふうに、ひとをうらんで生きる生きかたをしたいのか。自分を否定して生きて、自分は幸福になれるのか。選びなおすということは、選ぶ主体としての自分があるということです。自分がなければ、選ぶことはできないのです。選ぶというプロセスをとおして、このかたがたは、自分の軸を、つくりあげてきたのです。私たちは、自分のなかに、確固とした強い軸があるといいなあと、あこがれます。でも、それって、一朝一夕に、できあがるものではありません。繰り返し、繰り返し、少しずつ、少しずつ、積み上げていくものなのです。私は、このかたがたの、苦しい道のりについて、ほんの一部ではありますが、共有させてもらいました。それだけに、このかたがたが、けっして、特別な存在ではないことがわかるのです。直接おたずねしたわけではありませんが、きっと、このかたがたも、こうこたえると思うのです。「だれにでも、できますよ。 かならず、できるように なりますよ。 あきらめずに、少しずつ、 手探りしていけば、 きっとたどり着けます」これらのかたがたは、世間一般で言うような、「成功者」ではありません。むしろ、いまなお、その苦しみのプロセスを生きているかたがたです。でも、だからこそ、私には、その生きかたが、尊く、まぶしいものに感じられるのです。苦しみをわがものとして、行きつ戻りつしながらも、前に進んでいく姿こそ、おおくのひとにとって、勇気をもたらすものだから。あなたが、もし、いま、苦しみのさなかにいて、絶望しかかっているのなら、どうぞ、顔をあげて、前を見てください。あなたの前には、あなたと同じように、苦しみながらも、でも、歩みつづけているひとたちがおおぜいいます。そのひとたちは、その生きかたをとおして、あなたにエールを贈ってくれます。「ひとりじゃないよ」と、はげましてくれています。その祝福を、どうぞ、受け取ってください。 あなたの苦しみは、けっして、あなたひとりのものではありません。私たちは、深いところで、ともに、痛みを感じあえる存在なのです。そして、だれかが、その苦しみを抜けることができるのだとすれば、あなたにも、抜けられないはずがないのです。だって、私たちは、つながっているのですから!今日は、あなたの、苦しみのプロセスを祝福します。あなたの生きかたをとおして、いつか、だれかが、そこから勇気をもらえる日が来ることを、こころから祈りながら。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1260号(2007年4月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------からだ感覚を、意識してみましょう。有名な話なので、聴いたことがあるひともおおいと思います。カエルは、熱いお湯に入れられると、びっくりして飛び出します。でも、入っている水に、徐々にお湯を入れられると、気がつかずに、そのまま死んでしまうそうです。「ぬるま湯状態」ということばがあります。ぬるま湯は、気持ちがいいので、いつまでもつかっていたい気分になります。でも、そうしていると、次に動き出せません。動き出すためには、何らかの刺激が必要です。何かをやりたいけれど、怖くて前に踏み出せないというひとは、ある意味で、この「ぬるま湯」のなかにいます。「いまの状態は、 ちっとも気持ちよくない。 苦しいだけだ」と、しかられそうですが、本当に苦しいときは、そこにはいられないのです。もちろん、苦しい気持ちはうそではないでしょう。でも、そこにいるかぎり、あたらしいリスクは負わなくてすみます。ひとは、未知の体験より、すでに知っている不幸のほうが、より安全で安心だと感じるのです。それって、やっぱり「ぬるま湯」なんです。あなたはいま、どんな人生を送っていますか?自分の人生は、「ぬるま湯」だなあと感じることはありますか?もしもそうだとしたら、あなたは、このまま、「ぬるま湯」につかった人生を送りたいですか?あなたが、いまの状態に満ち足りているのなら、こたえは「イエス」でかまいません。大切なのは、自分自身がどう感じるかですから。でも、そうでなければ、ちょっとトライしてみてほしいんです。自分に刺激をあたえる、ということを。いきなりおおきなことに挑戦するのは、リスクもおおきいし、精神的な負担もあります。だから、ちょっとしたことでかまわないんです。それは、ちょうど、冬の朝、ぬくぬくしたおふとんから出られない状態に似ています。起きるためには、どこかで、決意が必要です。(笑)そんなときには思い切って、ふとんを蹴って飛び出し、顔を洗ってしまうんです。そしたら、さっぱりと、目が覚めてしまうんです。それもカゲキというなら、ふとんのなかで、体操をしてみるといいです。両手両足をしっかりのばしてちぢめて曲げて。すると、意識もしゃっきりしてきます。そう、からだを刺激すると、こころも目覚めてくるんです。あなたが、次のステップに進みたくなったら、自分の生活のなかに、何かひとつでいいから、刺激を加えてみるんです。朝の散歩もいいですね。とってもすがすがしい気持ちになります。この「すがすがしさ」をキープして動いてみると、あたらしいこともまた、「すがすがしい」ことのような気がしてくるんです。(実際そうなのですよ!)からだの感覚は、こころの感覚とつながっています。「ぬるま湯」のときは、どよんとしていた感覚も、しゃきっとしたものにふれると、とたんに冴えてきたりします。急を要するときには、こんな方法もあります。第8号(2003年11月8日発行)(なつかしいですね~)どちらにしても、からだの感覚がポイントです。今日は、自分自身のからだ感覚を意識してみましょう。一歩前に進みたいと感じているひとは、あたらしい刺激を自分にあげましょう。レッツトライ♪あなたの一歩が、加速します!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1259号(2007年4月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------あなたの人生のために、生きてください。私の持論のひとつは、「死ねば終わり」です。 (第1225号/2007年3月9日発行)このひとことを使えば、いま自分が何をすべきかを決めることができるのです。でも、そうはいっても、なかなか思い切れないのも人情というものですね。今日は、そこにいたるための道すじを追ってみたいと思います。私たちは、周囲から、さまざまな期待や要求を受けながら生きています。子どもであれば、親から、学校に行けば、先生、先輩、あるいは、友だちから、会社に入れば、上司から。その期待や要求が、自分の気持ちやペースと完全に一致していれば、問題はありません。でも、そうではない場合、私たちは、しばしば、ストレスを感じます。そんなときにね、あらためて見てほしいんです。あなたに期待している、そのひとは、あなたにとって、一生つきあいたいひとですか?ああ、このひとなら、一生涯、何らかのかたちで、かかわりつづけていきたい。そんなふうに思えるひとですか?もし、そうであるなら、その期待は、あなたをより高みに押し上げてくれる、すばらしいチャンスです。果敢に挑戦しましょう。きっと、そのひとは、あなたの成長のための、よきサポーターになってくれるでしょう。でも、そうは思えないとき。あなたは、自分が一生つきあう気もないひとのために、人生の時間を浪費していることになります。そうですよね?よく考えてみてください。あなたが、そのひとの期待にこたえることに、どんな意味があるのですか?目先のことではなく、人生の時間に照らして、考えてみてください。どんな問題も、最終的には、自分自身の問題なのです。他人のせいにすることはできません。「相手の気持ちを 傷つけたくないから」そんなふうに言うひともいますが、あなたは、一生涯、そのひとの気持ちをフォローして生きることはできません。だったら、ここで、できないことはできないと、きちんと表明することが、そのひとの人生を助けることになるのです。「人間関係のまさつを 避けたいから」そんなこたえもありそうですね。でも、それをやれば、あなたは、この先ずっと、そのパターンを踏襲して生きていくことになります。「自分が、いいひとに 見られたいから」これも同じです。いいひとに見られるために、あなたは、この先もずっと、自分をごまかしていくことになるかもしれません。それには、遅かれ早かれ、限界が来ます。ぜひ、いま、このことを、かみしめてみてください。あなたが、期待にたいして、プレッシャーを感じるのは、起きてくる結果を、何もかも引き受けようとしてしまうためなのです。でも、あなたが、引き受けるべきは、起きてきた結果にたいして、「自分」がどうあるかということだけです。それ以外のことは、それ以外のひとたちの問題なのです。どうぞ、みずからの意思で、「これをやりたい」「こんなふうに生きたい」と、決意してください。だれのためでもない、自分自身のために決意してください。そうしたら、あとは、その決意した自分を楽しめばいいだけです。あなたにとって、本当に大切なひとたちは、結果がどうであっても、あなたを支えつづけてくれるでしょう。そうでないひとたちは、そうでないかたちで、変化していくでしょう。それでいいのです。それこそが、自然なかたちなのです。ほかのひとの人生が、そのひとのものであるように、あなたの人生もまた、あなた自身のものです。あなたの人生のために生きてください。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1258号(2007年4月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------ゆるむから、ゆるすことができるのです。先日、ふとしたことで、自分のなかに、過去のできごとをまだゆるしていない部分があることに気づいて、愕然としました。とっくに終わっていると思っていたので、自分でも意外でした。でも、それほどに、ゆるすということの奥は深いものなのかもしれません。たまたま同じ時期、こんな話を聴きました。Aさんは、かつて、Bさんというひとに、無視されたと感じる体験をしました。そのため、Bさんにたいして、不快な気持ちをいだいていたのです。ところが、しばらくぶりに、そのBさんから、Aさんに、手紙が届いたのです。内容は、一般的なお知らせではありましたが、Aさんのこころのなかで、Bさんにたいする感情が、ふっとゆるむのがわかりました。この「ゆるむ」感覚は、「ゆるし」のプロセスでは、とても大切なものです。気がゆるむ…。寒さがゆるむ…。どちらにせよ、冷たくこわばっていたものが、とける感覚です。そう。ゆるむから、ゆるすことができるのです。実は、最初のところで、私が感じた気持ちも、この「ゆるむ」でした。「ゆるむ」感覚が起きてきたおかげで、「ゆるんでいない」部分が、(「ゆるしていない」部分が)あったことに気づけたのです。起きた事柄や、相手を「ゆるす」には、抵抗がともないます。準備ができていないときは、なおさらです。だから、そんなときには、こころのほうは保留にして、からだのほうをゆるめます。こころとからだは、ひとつながりのものですから。どちらからはじめても、同じなのです。深く呼吸します。かならず、吐くほうが先です。吐ききったら、からだのちからを抜きます。(ゆるむ感覚です)自然に空気が入ってきます。息を吸うときは、からだのすみずみにまで、新鮮な空気が、しみわたっていくイメージで。ちょうど、東の空から朝の太陽がのぼって、大地の色を染め替えていくように。あたらしいエネルギーが、からだを満たすのを感じてください。繰り返しているうちに、ゆったりとほぐれて、からだの内がわから、パワーがよみがえってくるのがわかるでしょう。実際に、からだがほかほかしてくるひともいるでしょう。このここちよい感覚を、からだのなかにキープして、毎日の生活を送ってみるのです。たとえば、苦手な相手が、向こうから来たとき。身がまえたとたんに、からだはこわばります。気持ちにも、余裕がなくなります。そうではなく、ゆったりした状態のまま、向き合ってみるのです。深い呼吸を意識して。不思議なことに、苦手だと感じるひとも、その状態だと、案外、気にならずにすむのではないでしょうか?いらいらする相手も、いつもより、「ゆるせる」気持ちになるのではないでしょうか?そのときには、もう、あなたのなかで、「ゆるし」は、はじまっているのです!ゆるむ方法は、呼吸だけではありません。そのひとなりに、いろいろ工夫できます。ぜひ、意識的にこの、「ゆるむ」感覚を体験してみてください。あなたの「ゆるし」への、たしかな道のりです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1257号(2007年4月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------------自分まるごとからの、メッセージを聴くんです。あなたが、これまで、精一杯行動してきて、それでもどうしようもないと感じてしまったとき。 あ、行動していないひとは、 まず、行動するのが先です からね♪今日はそんなお話です。行動することは、勇気のいることです。たくさんの怖れと向き合い、一つひとつ、超えていかなくてはなりません。でも、行動すれば、行動したぶんだけの反応がかえってきます。その反応にうながされて、また行動が生み出されます。もちろん、すべてが期待どおりの反応とはかぎりません。一回ではだめで、何回も繰り返さなくてはならないこともあります。でも、行動しているかぎり、エネルギーは、生み出されつづけます。あなたが現状を打破したいと思うなら、やはり、行動するしかないのです。ただ、そこまで行動して、行動して、行動した結果、どうしても進めなくなってしまったとき…。そのときには、沈黙することが、もとめられているのかもしれません。沈黙は、実は、行動すると同じくらい、怖いことです。だって、私たちは、ふだんの生活のなかでさえ、3秒の沈黙を、耐えることができません。必ず、何か理由をつけて、笑わせようとしたり、ごまかそうとしたりします。でも、そんなときでさえ、勇気を出して、沈黙してみてください。これまで見えなかった、相手の何かが見えてきたり、置き去りにしていた自分の気持ちにふっと気づくかもしれません。行動したあとの沈黙は、もっと重要です。ごまかしたりしないで、じっと沈黙してみてください。そして、自分の内がわから湧き上がってくる感覚に、からだを澄ませてください。そう、からだまるごとで、内がわからのメッセージに耳をかたむけるのです。ポイントは、頭で考えないこと!あなたは、これまで充分に行動してきたのです。いまは、立ち止まって、その自分を感じることが必要なときなのです。自分に深く問いかけてみてください。前に進みたいのか。もとにもどりたいのか。はじめたいのか。終わらせたいのか。あたえたいのか。受け取りたいのか。問いかけたあとは、ただ、沈黙して待つだけです。沈黙をとおして、からだまるごと、自分まるごとからのメッセージを聴くんです。あなたが感じることに、まちがいはありません。あなたの深いところからの返事は、あなたの魂の返事そのものだからです。怖れずに、まっすぐに、降りていってください。まるで、深海にもぐるダイバーのように。自分の内がわに降りていくのです。深い沈黙のなかに、こたえは隠されています。あせる必要はありません。じっと待ってください。そして、浮かび上がってくるそれを、しっかりと受け取ってください。受け取って帰ってきてください。そのときには、もう、次の行動の道すじが、見えてくるでしょう。そうしたら、また、動き出していいんです。沈黙の時間は終わりです♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1256号(2007年4月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.16
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------すべて、あなたのものです。私は、この毎日の「フォーカスチェンジ」のメッセージを、ときどき、誰か、特定の個人のために書くことがあります。それは、友人であったり、ご相談をいただいた読者のかたであったりします。そのとき、おもしろいことに、その「誰か」以外のかたから、「今日は、私のために 書かれたように感じました」と、感想をいただくことがけっこうあるのです。これは、ひとは、つながっているということを意味しています。あらわれる事象は個別でも、深いところで、ひとは、共通の感覚をもっています。そこにシンクロするとき、あたかも、自分のために書かれたように感じるのです。逆に、別の意味でおもしろいことも起きます。その「誰か」である当人が、ちっとも、自分にあてられたとは感じないケースです。もちろん、実際の内容が的はずれである場合もあるのですが、(スミマセン)それだけではない理由が、ときとして、隠されています。受け取ることが怖いときです。もっと言うと、変化することが怖いときです。だから、無意識のうちに、自分を揺さぶられないように、情報を選択してしまうのです。もしくは、あえて鈍感になって、情報が、通り過ぎるようにしてしまうのです。自分にシンクロしていると感じるとき、そのひとは、もう、変化の途上にあります。変化を受け入れる態勢がととのっているのです。でも、何がやってきても、自分には合わないなあと感じるときは、ちょっとだけ、自分を「うたがって」みる必要があるかもしれません。「ちょっと」でいいですよ。「ものすごく」である必要はありませんから。(笑)そのときに、大切なことは、自分を「うたがう」ことは、自分を「否定する」ことではないということです。この食べものは、まだ大丈夫かな?と思ったときには、匂いを嗅いでみるでしょう?あるいは、ちょびっとかじってみるでしょう?その程度の感覚でいいんです。余談になりますが、私は、自分とはまったくことなる意見に出会うとき、いったん、こう考えることにしています。「この意見は正しい」そうすると、その意見のなかの有益な部分が見えてくるのです。この部分は生かせるな、とか、この視点は使えるな…など。すると、最終的に、意見全体には賛成できなくても、自分におトクな部分だけを取り入れることができるのです。さて、本題です。これを読んだあなたは、どちらを選択してみたいと思いますか?意識的にシンクロを使って、変化の波を起こしてみるか。それとも、変化をこばんで、いまのままの自分でいるか。どちらも間違いではありません。あなたが決めたことは、あなたの人生において、いつでも正しいのですからね! ただし、ひとの人生に とってどうかは別ですよ。 念のため。(^^ゞおしまいに、ひとこと。もしも、あなたが、「変化はしたいけれど、 怖くて踏み出せない」と思っているとしたら…。残念ながら、これだけは覚悟してください。痛みなしに、それを超えることはできません。痛みを引き受ける覚悟ができたときに、はじめて、あなたに変化がおとずれるのです。そして、もうひとつ、お伝えしておきましょう。実は、その覚悟ができたとき、痛みは、消えてしまうのです。あるいは、ごくごくちいさなものに変わるのです。変化を起こしていく人生も、足踏みをしている人生も、すべて、あなたのものです。あなたが、本当に、どんな自分を生きたいかにかかっています。私の願いは、ただひとつ。あなたが幸福に生きること。今日のメッセージが、その道すじのための、ひとつのヒントになることを祈っています。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1255号(2007年4月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------リストからはずしてください。もしも、あなたが、おおきなおもりを足につけ、「なかなか速く走れない」と、なげいているひとを見たら、何と思いますか?あるいは、両手にいっぱいの荷物をもって、「ほしいものがあるけど、 手に取ることができない」と、困っているひとを見たら、何と思いますか?「そのおもりをはずしたら?」「手にしている荷物を、 いったんおろしたら?」そう言いたくなりますよね?これって、こころの問題でも同じなんです。「○○ができない」と、立ち往生しているひとは、たいてい、こころに、おもりや荷物をもっています。そして、それをそのままにしたまま、「できない」と、言いつづけているのです。そのおもりや荷物とは、実は、怖れや不安のことです。あなたが動きだすためには、この怖れや不安を、いったん、はずす必要があるのです。まず、あなたが、怖れていたり、不安に思っていることをすべて、紙に書き出してみましょう。「○○されたらどうしよう」「○○になったら、困る」「○○と思われるのがつらい」「笑われたら恥ずかしい」「ばかにされるかもしれない」…などなど。そしてね。それらのなかで、過去に、実際に体験してきたことを、ピックアップしてみてください。案外、少なくなることに、気がつきませんか?あなたが感じている怖れは、おおくが、「かもしれない」という、未確定のものです。つまり、実際にはないものを、勝手に想像することによって、自分で自分をしばりつけていたのです。体験していないことは、まず、リストからはずしましょう。体験してからはじめて加えればいいのです。「いや、たしかに体験した」もちろん、そういう部分もあるでしょう。では、今度は、それらについて見てください。それらのうち、どんな場合でも、かならず、体験してきたことはありますか?たとえば、365日のうち、どのくらい、それを体験してきたのですか?正確に思い出してください。これもまた、意外に少ないことに気づくでしょう。実際の体験は、3日だけなのに、残りの362日は、「また体験するかもしれない」と想像することで、自分で引きずってきたのです。体験した3日ぶんだけを残して、あとのぶんは削ってください。さらに、つづけます。あなたが実際に体験したことで、それにかかわったひとは、どのくらいいますか?たとえば、だれかがあなたを笑ったとします。それは、何人ですか?「みんな」なんてこたえはなしですよ。みんなっていうのは、60億人世界人類すべてを差して言うことばですからね。仮にあなたの知り合いが、100人いるとして、あなたのことを笑ったひとが、30人なら、残り70人のひとのことは、リストからはずしてください。そのひとたちは、「かもしれないい」という、あなたの怖れによって、これまで、無実の罪を着せられてきたのです。(^^ゞさあ、もう一度、リストを見てみましょう。どのくらい残っていますか?かなり減っていることに気がつきませんか?では、最後のチェックをしてみましょう。残った項目のうち、いま、確実に、すぐにあなたをおびやかすものは、どれですか?いま、確実に、すぐに、ですよ。もしかしたら、ひとつもないのではありませんか?あるいは、あっても、ひとつかふたつなのではありませんか?残りすべては、あなたが、「かもしれない」という想像のもとに、自分で自分に背負わせていたものなのです。リストからはずれたぶんは、あなたが、おもりを減らしたぶんです。荷物をてばなしたぶんです。思いきり、伸びをして、深呼吸してみましょう。あなたのからだは、確実に軽くなっています。何しろ、おもりをはずしたのですからね!手だって、ずいぶん、自由になっているんです。からだの内がわから、エネルギーが湧いてくるのを感じてください。あなたが自由になったことで、エネルギーもまた、解放されたのです。そして、その自由なからだで、もう一度、残された課題を見てみましょう。あなたは、もう、行動に移せます。どれから解決していきますか?それだけのパワーが、あなたにはあるんです。なんだか、わくわくしてきちゃいますね!(^○^)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1254号(2007年4月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------あなたの悩み終了宣言あなたが、もしも、虫歯だったとします。ものを噛むと、痛みが走るかもしれません。水がしみて、痛むかもしれません。あるいは、頭痛がするかもしれません。よく噛まないまま、食べたために、胃痛を起こすかもしれません。朝っぱらから、気の滅入りそうな話題でごめんなさい。でも、あなたは、こんなとき、きっと気がつくはずですよね。噛むと痛みが走るのも、水がしみるのも、頭痛がするのも、胃が痛むのも、全部、虫歯のせいだって。実は、人生の問題も、これとほとんど同じなのです。悩んでいるひとがいるといます。そのひとは、たいてい、一つならず、悩みをかかえています。仕事の悩みだったり、恋愛の悩みだったり、家族の悩みだったりします。そして、それらは、すべて別々の問題だと考えます。でも、本当にそうなのでしょうか?順風満帆に見えるひとでも、悩むことはあります。でも、たいていの場合、そのひとは、いつまでも、悩みをかかえこんだままでいることはありません。何とかして、悩みを解決する方向に動きます。一方、悩みをたくさんかかえてしまうひとは、しばしば、かかえたまま、立ち往生してしまいます。どれから解決していけばいいか、わからないのです。どれも解決しがたい問題のように感じるのです。ためしに、ちょっと、二人を俯瞰(ふかん)してみることにしましょう。そう、鳥のように、(あるいは天使のように)少し離れた高みから、全体を見てみるのです。きっと、あなたにもわかるはずです。解決に向かえるひとも、立ち往生しているひとも、かかえている悩みは、ほとんど同じなのです。だって、しょせんは、人間のかかえる悩みなのですからね。ただ、解決のための行動を起こせるひとは、自分が動くことが、解決のための一番の方法であることを知っています。 自分が動くということは、 ひとに助力をもとめる ことも含めて、です。立ち往生しているひとは、自分が無力であるという思いに取りこまれ、だれかに助けをもとめることさえ忘れています。行動できるかできないか、二人には、そのちがいがあるだけなのです。そして、行動できるかできないかは、自分に「GO」を出せるかどうかにかかわっています。自分に「GO」を出すということは、自分に「OK」を出すということと同じです。同じ行動をとる必要はないのです。ひとは、みんなちがう存在です。そのひとに合った方法、そのひとに合ったスピード、そのひとに合った、タイミングがあります。それぞれに、そのときに、自分のできることを見つけるだけでいいんです。それを、実行に移していくだけでいいんです。1回でうまくいく場合も、100回トライして、うまくいく場合も、結果は同じなのですからね!そしてね。どんなにちいさなことでも、自分に「OK」を出せるようになると、不思議と、悩みは、消えていくものなのですよ。だって、解決できる自分が、そこにいるのですから!今日は、あなたのちいさな一歩を応援します。その一歩こそ、あなたの悩み終了宣言です♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1253号(2007年4月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------ギフトにつながる道ですから!メルマガ「今日のフォーカスチェンジ」を書きつづけて、今日で、1252日になります。 めちゃくちゃ 区切りが悪いですが。(爆)その日によっては、すらすらと書ける日もあれば、うんうん言って、ひねり出す日もあります。「オススメ」コーナーも含めると、一日平均、2時間近くは、このメルマガのために使っていることになります。単純計算すると、約2500時間。2500時間÷24=104日。3か月半くらいになりますね。約100日ぶんの時間を、いま、自由に使っていいとあたえられたら、あなたは何に使いますか?ゆっくりのんびり休養することもできるし、予定を立てずに、旅行に行くこともできます。趣味に使うこともできます。したければ、仕事をすることもできます。(笑)その100日ぶんを、私はメルマガを書くということに当ててきました。その自分を振り返って、つくづく思いました。「トクしたなあ」ええ、そうです。「トクしたなあ」って、こころの底から思ったんです。たくさんのかたから、「気づきがありました」「学びを得ました」「悩みから抜けられました」というメールをいただきました。たくさんの「ありがとう」をいただいてきました。自分がやりたくてやっているだけなのに、それで、「ありがとう」と言ってもらえるなんて、こんな幸福なことはありません。そして、何よりも、私自身が、このメルマガを書くことで、たくさんのことに、気づくことができました。学ぶこともできたし、悩みを抜けることもできたのです。そう、だから、自分が一番トクしているのだと思います。私は、100日かけて、自分にプレゼントをあたえてきたと言えるのかもしれません。もしも、あなたが、これから何かをやってみようと思っているのなら…。それはすべて、あなた自身にかえってくるものです。あなた自身が生み出す、あなた自身へのギフトなのです。時間はかかるかもしれません。うまくいかないことも、あるかもしれません。成果は、すぐには見えないかもしれません。でも、「やりたい」と思う気持ちがあるかぎりは、つづけてみてくださいね。あなたの「行動」は、すべて、あなた自身へのギフトです。いっこいっこは、見えないくらいちいさくても、やがては、おおきなものに成長していくのです。それをとおして、ひとりでもおおくのひととつながることができれば、ギフトは、さらにおおきなものになります。だからこそ、こころをこめて、誠意を尽くして、向き合ってみましょうよ。その道行きを、楽しんでみましょうよ。だって、それは、最後には、ギフトにつながる道ですから!今日は、あなたのギフトへの道を祝福します。ゆっくりゆっくりと、進んでいきましょう。私もいっしょに歩いていきます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1252号(2007年4月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------思いをもって接することメルマガを発行していたり、ブログをやっていたりすると、いろいろと、お願いのメールをいただくことがあります。「○○を紹介してください」「○○を載せてください」それはそれでかまいません。私も、さまざまなひとに、たくさんお世話になってきました。ネットの世界であれ、リアルの世界であれ、助けあうのは気持ちのいいものです。でもね。とっても気持ちよく引き受けられる場合と、なんだかなあと思う場合が、実はあるんです。一番残念なのは、「メルマガ発行者様」とあるだけで、個人名を書いていないもの。これでは、だれかれかまわず、一斉送信していると思われてもしかたありません。次に、名前は書いてあるけれど、なぜ、私に依頼してきたのか、理由がわからないもの。友人・知人ならわかりますが、まったく知らない相手です。「○○を読んで共感しました」など、せめてひとことあると、「ああ、そうか」とうれしくなるものなのにね。ちなみに、「○○をいつも読んでいます」とあっても、全体の文面から、それが伝わってこないこともあります。この場合も、つい、「ほんとかなあ」と、首をかしげてしまいます。ネットの世界にかかわって、早いもので、7年目。つくづく、ネットもリアルも基本は同じだと思うのです。それは、どれだけ、相手に思いをもって接することができるかどうか。相手に思いをもって接すると、いい加減な対応ができなくなります。何をしたら、そのひとが、気持ちよく対応したくなるか、いろいろ考えます。プレゼントだの特典だの、そんなことではありません。あくまでも大切なのは、ひととして、「ああ、このひとは、 誠意をもって 接してくれているなあ」と、感じてもらえるかどうか。これをお読みのあなたは、もしかしたら、メルマガの発行もブログもやっていないかもしれません。でも、メールくらいは、発信することがあるでしょう。あるいは、ときには、掲示板に書きこみをすることもあるかもしれません。そのときにね、受け取る相手のことを、自分にとって大切な友だちや家族のように、考えてみてほしいのです。大切な友だちや家族にたいして、自分はどんなふうにメッセージを伝えるだろう。自分のメッセージを伝えるだけでなく、相手の気持ちや考えを、ちゃんと受け止める用意をしているだろうか。そんなふうに考えたら、一方的な押しつけや、ひとりよがりな発信は、できなくなりますよね♪ここ最近、ちょっと、気になるメールなどを受け取ることがあったので、今日は、そんなことを書いてみました。でも、書いてみて、気がつきました。こうして書いたことは、かならず自分にかえってくるんですね。私自身が、本当に、ひとにたいして、誠意のある態度をとっていたかどうか。私自身が、本当に、相手の気持ちを思って、発信していたかどうか。あらためて、問い直される気持ちです。60億の人類のなかで、今日、あなたと私が出会うということは、きっと何かのご縁です。あなたの顔を知らなくても、あなたと直接、出会うことがないとしても、やっぱり、貴重なご縁です。この一期一会のご縁が、心地よいものであるように。自戒をこめて、向き合いたいと思います。すべてのあなたに、こころからの感謝をこめて!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1251号(2007年4月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------生きているうちにできること。ふっと、ことばが降りてきました。「生きているうちにできること」先日、ある友人と話していたときのことです。気になっていることがあるけれど、行動できずにいるというのです。「もし、明日死ぬとわかっても、 行動しないの?」そう聴くと、友人がこたえていわく。「明日死ぬとは考えられない」思わず苦笑してしまいました。なるほど、それもひとつの考えかたです。そして、おそらく、おおくのひとが、同じ気持ちなのだろうと思います。でも、こんな平和な国に生きていてさえも、私は、何人もの友人が、「突然」死んでいくという体験をしてきました。ときには、病で…。ときには、事故で…。ときには、みずからの衝動で…。そのせいでしょうか。「明日生きていることが、 当たり前には思えない」そんな気持ちが、いつのまにかしみついてしまっています。もちろん、どちらの考えかたでも、いいと思うのです。ただ、今日、ふっと降りてきたことばに、私は、私自身を照らしてみたのです。「生きているうちにできること」それは、とりもなおさず、人生という有限を意識することでもありました。たとえ明日死なないとしても、私たちは、いつか、必ず、100%、死にます。あと1日あるか、10年あるか、100年あるかはわからないけれど…。 いや、さすがに100年は ないと思いますが。(爆)ひとつだけわかっているのは、「生きているあいだにできること」は、言い換えれば、「生きているあいだにしか、 できないこと」でもあるのだということ。そう考えたとき、また、胸にあがってくることばがありました。「自分を幸福に生きることを とおして、他者の幸福にも つながっていくこと」 ちょっと、てにをはが 変に感じるかもしれませんが、 浮かんできたことばです。そう、自分も幸福。ひとも幸福。そのつながりのなかで、生きていくこと。自分の幸福のために、できるかぎりのことをする。そうすると、きっと、幸福な気持ちになれます。ひとの幸福のために、できるかぎりのことをする。そうすると、きっと、幸福な気持ちになれます。そう、「できるかぎり」でいいんです。だって、「できるかぎり」以上にはできませんから。(笑)そして、「生きているあいだ」とは、実は、いま、この一瞬一瞬のことをさすのです。たとえ明日死ぬかもしれないと思って生きるひとも、明日も死なないだろうと思って生きるひとも、この瞬間、瞬間は、ひとしく生きているのです。その一瞬、一瞬に、「できるかぎり」の幸福を追求していけばいいんです。そしたら、きっと、毎瞬毎瞬、毎日毎日が、最大の幸福な時間になります。もしも、あなたが、私の友人のように、気になっていることがあるけれど、行動することができないと、悩んでいるのなら…。明日のことは考えなくてかまいません。いま、この瞬間に、「できるかぎり」のことだけをやってみてください。そして、その「できるかぎり」をやれたことを、祝福してください。そしてね。これはおまけですが。「できるかぎり」のことをやると、その次に、必ず、あたらしい「できるかぎり」が、見えてきます。あたらしい「できるかぎり」を、できるかぎりやってみると、さらにあたらしい「できるかぎり」が見えてきます。毎回、毎回、祝福しながら、その瞬間の幸福を味わいながら、生きていってくださいね。「生きているうちにできること」案外、たくさんありそうですよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1250号(2007年4月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------自分をみとめなさい。生まれたばかりのとき、人間は、歩くことができません。それどころか、這い這いさえできません。それが少しずつ、這い這いを覚え、立ち上がり、歩きだし、走ることだって、できるようになります。それだけではありません。手だって自在に使えるようになります。さまざまな道具を使いこなせるようになります。それらを使って、あたらしい道具を生み出すこともできます。たくさんのことを覚えます。覚えたことを、さまざまな仕事に生かせるようになります。自分のもつ知識や技術で、ひとを助けることもできるようになります。当たり前のことのようですが、これって、よくよく考えると、すごいことだと思うんです。さらに、人類の歴史をさかのぼれば、現代の人間は、過去の人間ができなかった、たくさんのことを実現しています。ところが、人間は、しばしば、この「できるようになった」ことを忘れます。そして、「できない」ことに、意識を向けていきます。この意識が、前向きに「よし、これを解決するぞ」という方向に動いていると、エネルギーが湧きます。実際、人類はそのようにして、発展の歴史をすすめてきたのだと思うのです。ところが、ときに、「できない」ことをなげく方向に、意識が向かうひとがいます。「自分は○○だから、 ○○できない」「自分は、○○しかないから、 ○○できない」しきりに、「できない」を繰り返します。でも、そのひとだって、いまできていることが、できなかった時代があるはずなのです。 一つひとつ、クリアして、いまがあるはずなのです。なのに、そのよろこびを、いつのまにか、忘れてしまうのです。できないことばかりに、目を向けて、なげくのです。これって、とてももったいないことですよね!今日は、どうぞ、このことに気づいてください。あなたが、「できない」と思うことがあるとすれば、それは、「できない」ことが、わかるレベルにまで、あがってきたことを意味しているんです。だって、そうでしょう?子どものころ、私たちは、車の運転ができないことを、なげいたりはしませんでしたよ。それは、できないことが当たり前だったからです。できるちからがついてきたからこそ、「できない」ことが見えるんです。だとしたら、なげく必要なんて、ないではありませんか! できるようになってきた自分をみとめなさい。自分をみとめることが、次のステップに向かうちからになるのです。どんなにちいさなことでも、いいえ、ちいさなことこそ、一つひとつ、しっかりと、みとめていくんです。それこそが、「できない」をなげく前に、あなたのすべきことです。そしてね、これはおまけです。その「みとめたこと」のリストを書いてみたらね、それを、どこかにいったんしまっておくんです。3年後でも、5年後でも、取り出してみてごらんなさい。きっとまた、あらたな項目が、増えているはずですよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1249号(2007年4月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------いのちの終わりのときに自分を否定する必要はない。たとえ、どれだけ他者とくらべて、足りないところがあっても、そのときそのとき、それが自分のベストなのだから。そのベストを、自分なりに、積み上げていけばいいだけだから。自分を責める必要はない。責めて、楽になるひとはいない。追いこまれていくだけ。かたくなになるだけ。殻に閉じこもるだけ。責めて得になることはひとつもないのだから。ありのままでいい。誰も、自分をみとめてくれなかったら、自分で自分をみとめてやればいい。たとえ何があっても、最後まで自分に味方をしてやれるのは、自分自身なのだから。たとえ、どのような生きかたをしようと、すべてのひとは、死ぬときは、たったひとり。大昔、家来や奴隷を、いっしょに埋葬した王様もいたけれど、それだって、魂までが、ひとつになることはない。そのたったひとりの、いのちの終わりのとき、あなたは、何を思うのか。ああ、ひとと比べて生きてきて楽しかったなあ。お金や地位のあるなしで、ひとを分けへだてして、有意義だったなあ。強いものに流され、弱いものに横柄にして、心地よかったなあ。そんなことは、きっと、かけらも思わないだろう。ただ、たったひとつのいのちを、どう生きたか、そのことだけに、こころが向かうだろう。「ああすればよかった」「こうすればよかった」年老いてから、そのようになげくひとが、大勢いるという。だったら、いますぐ、生きているこの瞬間から、その、ありたい生きかたを選べないか。だれのためでもない。ただ、あなた自身のために。いのちの終わりのときに、どんなこころでいるか。それを胸に浮かべながら。今日のメッセージは、いささかラディカルすぎるかも。でも、ときどきは、そんな、根源の問いを、自分に投げかけてみるのもいい。根源の問いのもつエネルギーが、あなたを、本質に連れもどしてくれるだろうから。いつかの、あなたのいのちの終わりのときが、光に満ちたものであるように。その光をみちびくものは、あなたの、こころひとつ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1248号(2007年4月1日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------残るのは、感謝の気持ちだけなんですよ。友だちにたいして、私はちょっとだけ、変わった考えかたをしています。それは、「生きていればそれで充分」ということです。うれしいことに、私には、たくさんの友だちがいます。全国各地はもちろん、海外にもいます。(まだ、よその星には いません。…たぶん)(^^ゞそして、当然ながら、ほとんどの友だちと、しょっちゅう会うということはできません。メールや手紙のやりとりも、時間がないときには、さぼりがちです。ここのところは、年賀状さえ不義理してしまうこともしばしば。(^^ゞ10年、20年も会っていない友だちがいます。連絡のとれなくなってしまった友だちもいます。もしかしたら、私のことを忘れてしまったひとだっているでしょう。それでもいいと思っています。生きていてくれれば、それで充分なんです。だって、生きていない友だちもたくさんいるのですから…。はじめて、友だちをうしなったのは、10代の終わりでした。…自殺でした。そのあと、病気であったり、事故であったり、さまざまなかたちで、何人もの友だちが、あちらにいってしまいました。(もう、10人を越えています)はじめのうちは、たくさんのショックを受けました。でも、いまは、すこしちがいます。だって、私たちは、誰でも、いつかはあちらに行くのです。そのときに、「やあ!」と、笑って手を振ればいいのです。きっと、向こうも、「待ってたよ」と、手を振り返してくれるでしょう。 死後の世界を信じている、 というよりも、そういう 考えかたをしたほうが、 楽しい、ということです。生きていない友だちにさえ、そんな気持ちになれるのです。だったら、いま、生きている友だちは、生きているという、それだけでもう充分の存在なんです。会えるときには、会えるよろこびをわかちあいます。メールや手紙のやりとりも、そのときどきを楽しみます。そのとき、そのとき、できるかぎりのことを、やるだけです。そして、できないときには、それも、やむなしです。人間、生きているあいだに、やれることには、かぎりがあるのです。友だちが、生きているだけで充分なように、私もまた、生きているだけで、充分なんです。(^^ゞ不義理を叱られてしまうぶんは、あちらにいってから、ゆっくりお詫びすることにします。宇宙のおおきな流れのなかで、生きている時間は、ほんの瞬間でしかありません。会えるのも、奇跡。ふれあえるのも、奇跡。その奇跡だけを、楽しんでいたいと思うのです。生きているすべての友だちに、今日も生きていてくれてありがとうと、感謝の気持ちを贈ります。いまは生きていないすべての友だちにも、出会ってくれてありがとうと、感謝の気持ちを贈ります。そして、自分自身にも、「生きていてくれてありがとう」だって、生きているおかげで、こんなにすてきな、たくさんの出会いに恵まれたのですから!ね? 何があってもなくても、最後に残るのは、感謝の気持ちだけなんですよ。これって、なかなかHAPPYなことだと思いませんか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1247号(2007年3月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------「いま・ここ」にしか、存在しないのです。先日、中学生に演技指導をしていたときのことです。どうにも、演技にパワーが足りません。たとえば、歌を歌っていても、ちっともこころにひびいてこないのです。「ちょっと待って」稽古を止めて、私は言いました。「なんだかね、いま・ここに いない気がするのよ」束縛された状態から、解放されるよろこびを歌っている場面です。歌詞一つひとつをたどりながら、からだの感覚、感情をとらえなおしていきました。ねえ、この瞬間に、何が見える? 何を感じる?それは、どんな色をしているの?かたちは? おおきさは?このことばを言うとき、からだのなかで、どんな変化が起きているの?ちからが入る?ぱっと明るくなる?それとも…それまでは、ただ、暗記した歌詞(ことば)を、ただ、暗記した曲(音)にあわせていただけだったのです。でも、ことばのイメージを、自分でとらえ直し、ことばを発する瞬間に、起きてくるからだの変化を感じとるようになったとき、はっきりと、歌が変わりました。声にパワーがみなぎりました。表情が自然に変化しました。まさに、「いま・ここ」にいるという、躍動感があふれてきたのです。これは、お芝居の稽古の話ですが、現実も、同じように考えてみることができます。この瞬間、瞬間、本当に「いま・ここ」に生きているかということです。過去にこころをうばわれると、「いま・ここ」にいることができません。未来への不安に駆り立てられていると、「いま・ここ」にいることができません。周囲との関係に思いわずらっていると、「いま・ここ」に、いることができません。その状態では、パワーは分散されています。エネルギーを集めることができないので、気力も高まりません。思いが拡散するために、生きている実感を感じにくくなります。もしも、あなたが、「自分にはパワーが足りない」と感じているのなら、「いま・ここ」を生きていない可能性があります。足りないのではなく、気づかずに、パワーをうばわれているだけなのです。だから、今日は、どうか思い出してください。私たちは、本来、「いま・ここ」にしか生きられない存在なのだということを。そのことを忘れて、「いま・ここ」でないものを追いかけることは、みずから、生きるちからを弱めるのと同じことなのだと。「いま・ここ」は、瞬時に移り変わっていきます。その瞬間、その瞬間、つねに、あたらしく生まれてくるのです。「いま・ここ」は、まさに、「いま・ここ」にしか存在しないのです。きっぱりと、そこに立ち切ってください。「いま・ここ」をまるごと選びきったとき、あなたは、しっかりと地球の中心とつながります。地球のエネルギーが、あなたのからだに、こころに注ぎこまれます。そのエネルギーに満ちたあたらしいあなたとして、今日を生きてください。あなたの生きかたが変わります!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1246号(2007年3月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2010.11.07
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