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あまり、形から入るほうではないんですが。なんとなく買ってしまいました。円中堂 2950円http://enchudo.huuryuu.com/写真は上記HPからのコピーです。オーダーの翌日に届けてもらって、むふふ。お香もあるし。ちょっとやる気。
2007.03.27
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星空観察会のはずが、あいにくの曇り空。スノーシューを履いて森へナイトウォークに変更になった。主催は、癒しの森のトレーナーの会「ひとときの会」の自主勉強グループのひとつ。10人が集まって、1時間半の散策となった。月明かりもない森の中だったけど、雪の白さで、目が慣れると結構見えるものだ。足元のよく見えない中、スノーシューで歩くというのは、初めて。ヘッドランプは持ってきたけれど、明かりはつけずに歩いてみましょうという。何日構えに15人くらいで散策に来たグループの足跡だろうか?それが固まって、すごく歩きづらい。表面がパリ。なかがクシャっていうかんじ。森の中に入ると、パウダースノー。ここは歩きやすい。池のほとりでしばしひっくり返って、耳を澄ます。水の音。遠くの車、電車の音。そして何かの羽音。ギャーギャー言う鳴き声。羽音はコウモリかと思ったら、鴨じゃないかという声あり。ギャーギャーはカラスに聞こえたが、狐じゃないかと。耳を澄ますにも全員いっせいにそうしないと寒い中は辛抱がきついね。カメラのフラッシュは癒されない・・・まぶしいよ!!といろんな感想。「夏だったら、ネイチャーゲームの(夜はともだち)がいいよ!」と私の提案。うさぎちゃんの作ってくれた熱々のかぼちゃスープを飲み、少し遠回りして、戻る。かぼちゃスープ、美味しかった!!星空を見に、こんどは寝袋持って来よう。
2007.03.17
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二月に受験した、CTIジャパンの資格試験。無事合格しました。3日間5コースの初級・中級コースを経て、9ヶ月間の上級コースののちの面談による資格試験。試験当日の自分の状態は、自分にOKでてたけど、結果として合格かどうか・・・って言うことに関して。悪くはなかったけど・・・・試験のできうんぬんよりも私が思っている基準を満たし、コーチできるようになっているかと思うと、「だめでしょ」って思う自分がいた。不合格でおっけー。合格で「とまどい」そんなかんじだなぁと思っていたら「合格」にわかには受け入れがたい自分がいた。なんでだろう?そこでわかったのは、比較している自分。仲間のうち、不合格だった人に対するメンバーの評価、フィードバック。私が感じている彼らのコーチングの良さ。それらを自分自身と比べている。そして彼らが落ちて、私が合格なんて・・・って受け入れてくれない人がいるんじゃないかって思っていた自分がいた。でもそれって、私自身が、自分を評価するのと同様に、私が、ほかの人を評価してみていたからだと気がついた。ひどい話だ。試験の前、当日。私一人で受験するのを、温かい気持で見守ってくれていた人たちなのに。エールを送ってくれていた仲間なのに。行動でも示してくれていた人たちなのに。私はもっともっと人を信じることが必要。そんな課題をこの合格は教えてくれたみたい。「とまどい」は手放した。私はこの合格をちゃんと味わって、ここからまたスタートする。チームのみんなの愛と励ましに感謝。練習相手になってくれたCTIの面々に感謝。厳しくて温かいフィードバックをくれたスーパーバイザーと森の家で、私のやってみたいことをモデルとして見せてくれて、応援してくれたリーダー。コーチングの練習の環境を提供してくれた人たち。ありがとう。
2007.03.16
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2月末、いつもならどっさりの雪に多い尽くされているはずの我が家の庭。土が見えている。昨日から久しぶりに雪が降り、20センチほど積もっている。でもこれもじきに消えてしまうんだろうな。ベースとなる根雪がないし。また暖かい日もやってくる。ふむ・・・
2007.03.12
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「ちっちゃいねー♪近くに5ヶ月の子供がいるんだけど、すっごいおっきいから・・・」と4ヶ月の子供を見て、何にも考えずに口にした。その5ヶ月の子から勝手に想像してたのより小さかったので、子供の4ヶ月と5ヶ月って違うなぁっていう驚きの思いがあったんだけど、最後まで言う前に、別の人が「女の子だからちっちゃいほうが可愛くていいよねー」と言った。「ひとそれぞれだし・・・」と言う声もあがった。「・・・・・・」失敗したのかも。と思った。初産のその子のお母さんは、もしかしたら子供の小さいのを気にしているとか?確かに人と比べる必要もないし。「女の子はちっちゃいほうが可愛いよね」って言葉をかけた人は出産経験がある人。だから、お母さんの心理状況がわかるから、万が一のことを考えてフォローしたのかもしれない。こういう何気ない何も考えない言葉が人を無意識に傷つけているってことはよくある話だけど。ちょっと考えた。確かに、失言だった。だいたいそれをいうことにどんな意味があるというのか?だけど・・。昔だったら?って、二つの局面から考えた。一つ目は、子育ての環境の違い。昔は大家族で、子供の成長の差なんてマジかで見ているからあたりまえで、育て方にしたってばーちゃんからご近所の人、年の離れたおにーちゃんやおねーちゃんが面倒見て、みんなで育てるから、お母さんが一人で悩むことなんかなかったかもしれない。今のように子育て本とか、何ヶ月で平均身長このくらいとか、この範囲なら標準とかこれ以下なら少々問題とか、そんな知識は必要なかったし入ってこなかっただろう。今ははじめての子育てをお母さんがひとりでして、誰も相談できる人がいないから、本で知識を得る。自分の子は順調に育ってるんだろうか?気になる。人の言葉に過敏になる・・・?二つ目はコミュニケーションのこと。こんなこといっちゃいけない。あんなこといったら、どう思うだろう・・・・って、気にしていたら、たくさん、気にすることがありそうだ。なんか、それって苦しい。本当は言葉を文字通り受け取るのではなく、言葉の裏にある思いを受け取れば言葉が文字通り指し示すことを気にしなくてもすむ。そんなこといったって、自分が「気にしていること」に対して、そんな余裕はないよね・・・日本人は「察する」人種だった。でも、最近は言葉を文字通り受け取って、その背景に思いを馳せたり気持がわかりづらい人が多いかも・・・・それは私であったりもするんですが。私の場合は、「気持を察する」のは、わりと苦手で言葉を文字通り、まず受け取って、で、なんでそんなこと言われるのかとか、わからないことが多いから、質問すると、やっとわかったり。「察しろ」って言われることもありますが(^^;文字通り受け取って勝手に解釈して以前は憤慨していることもあったけど、人間関係のファシリテーションやコーチングをまなんで、相手にその意味を尋ねればいいんだってわかったら、とっても楽になりました。勝手な仮説ですが。今回のケース、昔だったら、子育てにひとりで悩む環境はおそらく今よりも少なかった。私のような訪問者も、おおらかで、子供なんてみなれているからこんかいのような不用意で意味のない発言はしないだろうし、万が一同じようなことがあったとしても、初めてのお母さんも言葉に反応しないで察するから特に問題にはならなかったかもしれない。で、今は昔じゃないんだから、私は今後このような場合はどうしたらいいのか?相手の受け取り方を変えろっていうのは無理な話。私は、考えなしに思いついたことを口に出すなってことね、まず。っていうか、今ここにいるのは目の前にいる赤ちゃんなんだから、私自身が、【今ココ】にいれば、余分なことは思い出さないし口にしないだろう。ましてや比較なんてね。私の意識が浮遊してるから、いけないわけだ。コミュニケーションにスキルや考え方もあるけどありかた(Being)として自分自身が「今ココにいる」っていうことが、一番大事じゃないか・・・・むぅ~。坐禅しよっと。
2007.03.11
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「損得勘定で動く」ってどういうことだろう?納得がいかず、うまく立ち回れない私に、「あの人は楽しいだけじゃ動かない」と言い、今も自分の物差しで「損得勘定で動く人」を決めているあの人は、確かにオープンだけど、そのあり方に確かに打算はないのだろうか?損得勘定はないのだろうか?だいたい、その定義はなんなのだ?私は損得勘定を計算して行動しているのだろうか?ふとそんなことが気になって、自分のコーチと話してみる。ほぼ、ボランティアの活動1とボランティアの活動2、それ以外にもボランタリーな活動にふたつほど所属している。それらの活動で、私とは違う行動をするAさん、Bさん、Cさん、と私は何が違うのか?私は、そこまでできない。私はここまでだったら、気持ちよく、心から関われる。そういうボーダーがある。わかったのは、Aさん、Bさん、Cさんは、それぞれの活動が自分のやりたいことそのものなのだ。実現したい世界がある。あるいはその活動自体がやりたいことへの近道なのだ。私は、私のやりたいことにちょっとかぶってる活動だからやってもいいかな・・・という気持なのだ。そういえば、自主的に関わったり、発足から関わったものはない。必要だからと声をかけられて、なんとなく足が抜けられなくなったというほうが、正しい。そうだ。私の思いはここにはない。私だって、無償であっても、喜んで請け負う、活動する領域がある。思いがある。でも、それを広げてはいない。そういう場がないからだ。それが、将来的にどういう形にしたいのか、イメージがつきかねているから動けないのだ。ただ、それだけなのだ。何か活動をしていくとき、自分の立ち居地、スタンスがあいまいだとどう動いていいのかわからなくなり、不必要な迷いが生じる。私の立ち居地は、今のままでいいんだと、納得がいった。それでも居心地が悪くなるような環境だったとしたら、そこからは手を引く時期なのかもしれない。やりたいこと、実現したいことが明確で、その場がそこにある人はそれをやればいい。やりたいことがあいまいで、その一部はわかるけど全体像が見えない私にできる一歩はなんだろう?やりたいことを多くの人に伝え、フィードバックをもらうことかもしれない。こんなこと、やってみたいんですけど、なにかアドバイスもらえませんか?そんな一歩を、踏み出してみよう。
2007.03.06
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