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遠くに網走の街と港。
街を抜けて、高台に網走監獄(あばしりかんごく)。
網走といえば、網走刑務所。
明治時代から1984年に新しい建物がつくられるまで使用されていた有名な刑務所を天都山に移築し、博物館として公開している。
駐車場に停めて、施設へ。

まずは、鏡橋。
「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」との思いが由来。
受刑者は、様々な思いを胸に刑務所へ。
見学者も、同じ。
蓮がびっしり、お釈迦様もおられるのだろうか。

刑務所の門があり、左のチケット売り場で、大人1050円支払い中へ。
正門。
赤レンガ門で、威圧感がある。
今の刑務所にも同様の正門がある。

正門には、看守控え室と面会人待合室。

庁舎。
北海道らしい白の洋風建築。
中は、体育館のようにがらんどうで、網走刑務所が建て替えられるときに旧刑務所の一括移築を訴え実現した創設者・網走新聞社社主故 佐藤久 氏の銅像。
となりに、懲罰房。

面会所。
刑務作業の製品。有名なニポポ人形。
あの名作ゲーム、オホーツクに消ゆ、で出てきたっけなあ。
典獄(現在の刑務所長)室。
他にもいろんな部屋があったようだ。

敷地は広く、いろんな施設が点在している。
赤レンガの正門からレンガの塀が続き、裏門、水門もある。
五右衛門風呂と旧網走刑務所職員官舎。
官舎内は、広間が休憩所になっており、ほかに台所や居間など。

味噌・醤油蔵は、自給自足のために味噌と醤油をつくる大きな桶がある。
休泊所は、受刑者が塀の外で日帰りできない作業をするときに泊まった仮小屋。
別名、動く監獄と言われ、土間に丸太小屋で、寝床と布団のみ。常に監視されていた。
なぜに部外作業というと、網走刑務所の歴史は、北海道開拓の歴史でもあり、札幌と網走を結ぶ中央道路の開削のために、明治24年4月から11月までの8ヶ月間、延べ1000人以上の受刑者が働いた。
蝋人形で再現してある。

裁判所法廷。
捕まった容疑者は、法廷で被告人として裁かれ、刑務所で受刑者となり刑に服す。

耕耘庫。
網走刑務所は、農園刑務所としても有名で、網走市郊外の二見ヶ岡、湖畔、住吉といった各農場で働いた。
その作業道具の展示と、鍛冶の様子。
つけもの庫。
冬に野菜が不足するので、漬け物としてまかなった。
巨大な桶がある。
監獄歴史館。
明治から現在までの行刑の変遷の展示。

その脇の小道から、山の上から約2km北の網走川の向こうにある現、網走刑務所がみえる。(写真は同じ天都山にあるオホーツク流氷館からの眺め。)
1984年にできて、定員1600人、国内最北端の刑務所で、近代的で大きい。かつては極悪犯罪者の施設だったが、今は10年以下の受刑者の施設。

刑務所入り口、差し入れ受付。
刑務作業製品。
ニポポ人形だけでなく、いろいろある。

現在の網走刑務所の様子。
鉄筋コンクリートの近代施設で、共同室は広くて、旅館のよう。定員6名。
ただし、刑務所生活は、懲罰ではなく、自由刑、すなわち自由を制限して、犯罪性を減らし、社会復帰を可能にすること。
6:40起床から、午前の刑務作業、午後の作業、21:00の就寝までタイムスケジュールが決まっている。
作業報奨金は、1ケ月平均3000円で、自弁品(書籍・洗面用具・下着等)を購入することができる。
大変な内容だ。
ホリエモンのように、懲りずにいろいろやるやつもいるけどね。

大半は単独室。
四畳半に、机、布団、身の回り品、成績優良者は、テレビも見れる。

中央道路開削工事220kmの苦行。
ヒモでつながれ、監視されながら、移動と作業。
赫い囚徒の森の再現。

囚人服、手錠、足かせなど。
宿直室。囚人も大変なら、冬は零下28度にもなる網走で、昼夜監視を続ける職員もきつい。
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