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神にはおもしろいジョークがわからない?神にはユーモアがない?とんでもない。ユーモアを編み出したのは神だよ。
2007.03.31
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今日の新聞(読売)に、次のメッセージが書かれていました(MIZUNOさんの広告です。松井選手が載っているので、おそらくこれは松井選手の言葉かと思います)。以下抜粋一つ目[イマよりも。つづけることが大切なのを、ぼくは知っている。つづけることが大切なのを、キミも知っている。ぼくは、つづけてきた経験をもっている。キミは、ぼくよりも、ながくつづけられるカノウセイをもっている。うらやましいな。カノウセイの芽にエネルギーをためこんで、キミがやりたいことをつづけてごらん。じぶんでもビックリするようなじぶんがまっているよ。]まだ自分も知らない可能性をもっているんだと思うと、これから先が楽しくてウキウキしてくるような気がしてきます。「心から本当にやりたいこと」があるのなら、心にブレーキをかけずに、納得できるくらいに取り組めばいいということですね。そこまで真剣に無我夢中で取り組めたら、幸せなことです。二つ目[イマよりも。イマよりとおくへ飛ばせたら、きもちいいじゃない。イマよりはやく走れたら、たのしいじゃない。きみたちがもっているまだみぬ力は、ぼくたちを追いこすためにあるんだよ。ムリ?そういってたらなんにもできない。なにができるのかを、どんどん探さなきゃ、育てなきゃ、試してみなきゃ。スポーツはまだ見たことのないじぶんと出会うためにあるんだよ。]恐れずに何にでもチャレンジをしてみたら、新しい発見があるのかもしれません。まずは第一歩を踏み出すことから始めれば、そこから喜びや可能性など自分も知らなかったことなど新たな気付きを得ることができます。喜びや悲しみ、試練などが魂を輝かせるためにあるのなら、その時その時に感謝してこの人生という道を生きていきたいですね。 (写真は私が育ててるアイビーです)
2007.03.30
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期待は人間関係を損なう。
2007.03.30
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自分自身の最も気高い部分を知るということ、そしてそこにとどまるということは、立派な人生の目的だ。
2007.03.29
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『恩師は誰ですか』という興味深いタイトルを新聞(読売新聞)の中に発見しました。 「恩師は誰ですか」という問いに・職場、地域、家族など身近な人 47%・学校の先生 41%・歴史上の人物や作家など面識ないが慕っている人 10%・恩師はいない 2%次に「どういう点で恩師だと考えますか」という問いには・生き方やものの考え方に影響を受けた 83%・技術や仕事などを教わった 7%・学業など知識を広げられた 5%・その他 5%という結果がでてました。身近な人として挙げられたのは両親や祖父母、勤務先の上司などです。 面白い結果だと思ったのが、50代以上は職場や地域に恩師がいて、40代以下は学校の先生が恩師だということです。その中でも、40代のあるお母さんは中学時代の先生が恩師だけども、その息子は「中学時代に尊敬したり相談できると思った先生は一人もいなかった」と話していたんだそうな。そもそも『恩師』とは「教えを受けた先生」(広辞苑)という意味があります。 教育も今と昔では違っていて、今の教師は知識を教えるだけの技術屋が多くなっていて、昔は[知と得を備えた人間を育てる]ことが教育の目的だったんだそうです。「昔は近くのおばちゃんからも叱られたり、悪いことをしたら近所の人から怒鳴られたりした」と父が言っていました。 地域が助け合って支え合っていた昔。今は…、どうでしょうか? 時代が変われば色々と変わるのは自然なことですが、地域のぬくもり・支え合いなど、なくさなくてもいいものも変わってしまった感じがします。小学生の頃、学校の行き帰りに人に会うと自発的に「おはようございます」「今帰りました」と言っていた私。誰から教わることなく言っていたから、それが普通かと思っていました。最近はどうなんだろう……。地域のお祭りや行事に参加して、地域の人達から色々と教えてもらい、地域の自然と触れ合い、地域の良さを知る。何気なく住んでいる地域、でも、人間としてその地域に住まわせてもらっているという感謝の心を大切にしていきたいですね。 あなたの恩師は、誰ですか?
2007.03.29
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あなたは、焦点が定まっていない。自分にとっての真実は何か、あなたには確信がない。宇宙とは、巨大なコピー機にすぎない。あなたの考えを何枚もコピーするだけだ。すべてを変える方法はひとつだ。あなたの考えを変えるしかない。
2007.03.28
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欲求とは、すべての創造のはじまりである。最初の考えである。魂のなかの偉大な感覚である。それは神であり、つぎに何を創造するかの選択である。
2007.03.27
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今日、いちごの苗を二人とハーブの苗を一人、計三人さんを我が家で育てることにしました。家に帰って、植物さん達の数を数えたら、ちょうど20人になりました。三年前にも植物さん達を育てていましたが、常に外で育てていたため、害虫(っていうんでしょうか、なんか小さな虫)がついて、ハーブはやられるわ病気になるわでしばらく植物さん達を育てるのをやめていました。部屋で育てていたサンスベリアちゃんくらいでしょうか、唯一育てていたといったら。それから時は過ぎていき、去年の夏に、観葉植物ちゃん達二人(サンスベリアちゃんと合わせて三人!)を育て始めていくにつれ、新芽が出たり、葉が日に日に大きくなるのを発見しては嬉しくて(心が躍るような感じです)、今日ここまで20人の植物さん達を育てています。外で育てると、また害虫がつくかもということで、今回は家の中で育てています。昨日は新芽が出始めていたと思っていたら、今日はその新芽が小さな葉となって育っていて、次の日には少しずつその葉が伸びていってという新しい変化を発見するのが楽しくて楽しくて。天気のいい日は、水をあげていいのだけ与えて、みんなを外に連れていきます。ひなたぼっこをしながら、優しい風に揺れながら楽しんでくれている様子です。自然というものは大変有り難いものですね。自然と触れ合うと、心が隙間をつくってくれて、そこに物では表現できないような豊かなものを感じたり、時間というものを忘れさせてくれるくらいの幸せを得たり、成長する新しい発見を目の前で感じたりと、日常生活になくてはならない安らぎを提供してくれます。風を肌で感じたり木々の葉が揺れる音を聴いたり絵の具では出せない緑色を見たり春の優しい匂いをかいだりそんなことを感じさせてくれる自然というものは、本当に有り難いですね。
2007.03.27
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見捨てられたと思わないように。神はつねにあなたとともにいる。
2007.03.26
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今日は、一ヶ月ぶりに田舎の実家に父と帰りました。田園風景が広がり、菜の花が咲き誇り、桜がかすかに咲いていて、目にも心にも優しい風景を満喫してきました。それに、今日の空は、カーテンをかけたような、もしくは空が踊っているような美しい空でした。おとといは、天使の羽らしき雲を見ました。本当に幸せです。田舎の実家に愛犬『ポチ』(メスの雑種)がいるのですが、私が実家に帰る楽しみの一つがポチと会うことです(ポチに会える~ワーイワーイ!)。以前、私が中学卒業の頃まで、実家の近く(といっても10キロは離れていましたが)に家族で暮らしていました。ポチと出会ったのは、私が小5の頃でした。ある日、家の前にあった公民館の床下に一匹の子犬を発見し、(すごく痩せてたので)妹と一緒にミルクをあげに行きましたが、なかなか飲んでくれず(警戒してたし)、次の日はボーロ、次の日はパンなど、ほぼ一週間、学校から帰ってきてはえさをあげに行っていました(食べてくださいよ~)。一週間もすればポチも少しですが慣れてきたような感じで(やった!)、床下から出て来てはえさを食べてくれるようになりました。それを二週間、三週間と続けていたら、それがポチも日課になって、最初は撫でようとしても警戒していたのが撫でさせてくれるようになって、そして私達家族の一員となりました!ポチは、人間には吠えたことはなく、猫や他の犬など動物に吠えていました(母が間違って尻尾を踏んだ時は、さすがのポチもキャンと泣きました。痛かったね、ポチ(ノ_・。))。郵便やさんが近くに来ても吠えないのに、猫が近くに来ると吠える、番犬にはなろうと思っていないポチが私は大好きです。母にドッグフードや小屋を買ってもらい、天気のいい日曜日はポチや小屋を洗ったり、えさと水を入れる器を毎日洗ったり、毎晩、星空に感動しながら散歩をしたり(明かりがないので、夜空はきれいですよ~)と、数え切れないくらい沢山の思い出があります(ポチのお世話は私の役目でした!)。ただ、私が高校生になった頃、家族で引っ越しをすることになりました。「ポチは連れて行かれない」と親から言われたその夜は、今まで一緒に過ごしてきたポチとの思い出が次から次へと浮かんできて、涙をこぼし一晩中ずっと泣いていました。その影響で次の日は悲惨な状態でした(あれだけ泣けばそうなることはわかっていたでしょうに)。。。目が腫れて、声は上手く出ず、笑顔なんてこれっぽっちも出る余裕もなく……。ポチは田舎の実家に行って暮らせるということでしたが、私にとっては一大事で、毎日当たり前にいたポチと離れなければいけないという哀しさと闘っていました。最後の散歩をした時、妹は泣く事なく平然としているのに(なぜ泣かぬのか、妹よ?)、私は涙がこぼれるわこぼれるわでハンカチを絞れるくらい泣きながら散歩をしました。泣きまいと我慢すればするほど泣けてきて、長かった散歩も終わりました。ポチもわかってたんでしょうか、後ろを振り返ることなくひたすら歩いていました。そして、ポチは田舎の実家に預け、私達家族は大分に住むことになりました。ポチとの思い出を字で表現することなんてなかったので、今あらためて、その当時の気持ちを感じています。そんな思い出があるので、田舎の実家に帰ると、ポチと散歩をします。ポチは、私が実家に帰ると嬉しいのか、「早く散歩に行こう」と言っているかのように尻尾を振って喜んでくれます。今日もポチの散歩に行ってきました。散歩中に大きな風が優しく吹いていきました。とても気持ちが良い風でした。散歩から帰って午後から椎茸取りに父と行ってきました。その時、うぐいすさん達のコーラスも聴けて、春だな~と嬉しくなりましたやっぱ自然と触れ合うことは、いいことですね。そんなこんなで今日一日を無事終わることができました。今まであったことも、今日あったことも全てが宝物です。今日も沢山の感動をありがとうございます!(写真は実家に咲いていた菜の花です。)
2007.03.25
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「こんな目にあう」のは、何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできない。
2007.03.25
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問題は、なぜそんな道へ歩み出すのかではない。すでに踏み出しているのだから。生まれた瞬間から、この道を歩いているのだから。問題は、この道を意識的に歩くのか、無意識のまま歩くのかということだ。
2007.03.25
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人生とは「行動すること」だと考えているなら、あなたは自分を理解していない。あなたの魂にとっては、暮らしのために何をするかなどはどうでもいい。人生が終わるとき、あなたもどうでもいいと思うだろう。魂にとっては、どんな行動をするかではなく、その間どんなふうに在るかだけが大切だ。
2007.03.23
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心配するのをやめれば、すぐにも健康状態は良くなる。
2007.03.22
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解決できない問題が目の前に現れた時、どうしますか?その問題に立ち向かっていきますか?それとも、他の解決方法を考えますか?もしくは、それ以外ですか? 今まで、自分が変われば解決できるような問題には直面してきました。だけど、その頃は、問題が起こればそれを回避することしかできず、解決することなく過ごしてきました。自分を追い詰め、苦しくなるのはもういやだとつくづく感じたりもしてましたもういや~、追い詰めるの、いや~。ただ、ここ1年ちょいの間に沢山の人の講演を聞いて自分の考え方を変えればいいということに気づかせていただきました←詳しくは去年の冬にあった小林正観さんの講演会から変わりました。かなりの影響がありました。「新しい考え方を身につけて、もっと人生や自分というものを楽しく学びなさい」と、神様が与えてくれたんでしょうと、勝手に思ってますが。人間関係がよくなければ自分の心をオープンにしてみたり、苦手な人にはあえて笑顔で話すようにしたりしていたら、人間関係問題は少なくなりました。心の状態もよくなって、嬉しい限りです。 今までの自分が変われば解決する問題はどちらかといえば減りましたが、今度は自分が変わっても解決できない問題に直面しました。そんな時、この問題をどう解決したらいいのか悩みましたん~?ん~?。そして、浮かんできた言葉、それは「この問題はどうすることもできない。だから、問題を認めよう。」 問題を認めたら、心がふわ~っと軽くなって、次のステップにいくことができました。 問題に立ち向かう・問題の解決方法を考えるのも大切かもしれませんが、まずは、問題から目をそらさず、それを認め、それから立ち向かったり解決方法を考えても遅くはありません。それに、違った道が見つかるかもしれません。 解決できない問題が目の前に現れた時、まず深呼吸して、自分のペースで問題を問題と認める必要性を身をもって感じ取れたことに感謝です
2007.03.22
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ひとの内面まで見てしまっても、決して人間関係を___それに相手や自分を___傷つけることにはならない。なぜなら、内側には外から見える以上のものがあるからだ。ずっと多くのものがある。ひとがそれを見せないのは、恐れているからだ。
2007.03.21
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昨日の新聞に書いてあった何気ない一文。「昔の日本人は季節に敏感な国民といわれたが、さて、今はどうか。」短歌や和歌といった『うた』には、その時その時の気持ちや感動したこと、季節にちなんだことなど、風情豊かなものが多いですね。万葉集や古今和歌集などはあまり目にする機会が少なくても、百人一首はお正月にお目見えすることがあるかと思います。高校生の頃、毎年秋から冬にかけて百人一首大会の練習をしていました。早い人(覚えている人)は、上の句の始めを読んだだけで、すごい勢いでとりますね。あれには驚きです(よく沢山覚えてられるな~と感心します)。百人一首のうたもさまざまありますが、恋にちなんだうたも結構あります。[音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ]このうたは、『祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんおうけのきい)』のうたです(これだけは覚えていたのでスグとってました!)。意味は噂の高い浮気なあなたの言葉は心にはかけません。あとで袖が涙でぬれるといけませんから。……なんでも恋の贈答歌なんだそう(といっても思いを寄せられて断る時に作った返事のうた)。この人は、祐子内親王(後朱雀天皇←ごすざくてんのうの皇女)に仕えた人みたいです。他にも色々なうたがありますね。ただ取るだけじゃなくて、一つひとつの解説を読むと案外おもしろい気付きを発見できるかもしれません(現代にも通じるものもありますし)。季節といえば、高校の看護実習先で、ある患者さんからこんなことを言われました。「ここ(病院の売店)は年中餅や饅頭が置いてある。いつも置いてあると季節がわからん。季節のものは旬だから、いつもあると旬じゃない。食べたい時に食べれる時代になったが、旬を旬と感じられなくなるようだ」と。確かにそうですよね。季節によって、春は暖かいとか桜とかイメージできるわけで。四季があるから、その季節ごとに変化を楽しめるんですよね。暖かい日に道端にタンポポが咲いているのを見て、春だなと感じた幼い頃を思い出した今日この頃でした。
2007.03.21
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神はあなたがたが選んだとおりのものをもてるように___創造できるように___宇宙に法則をうちたてた。この法則は破ることができないし、無視することもできない。
2007.03.20
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あなたがたは神のパートナーである。神との間には永遠の契約がある。神は、つねに望むものを与えると約束した。あなたがたの役割はたずねることだ。
2007.03.19
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今日は、仕事が休みだったので、祖母と陸上自衛隊 第四音楽隊のスプリングコンサート(福岡県に所在)に行ってきました(今日コンサートがあった会場は大分です)。開場一時間前から沢山の人が並んでました(こんなに大勢の人が並んでる~)。建国記念奉祝行事の慰労会で、このコンサートのお知らせをしていたので、すぐに整理券をもらい、今日の日を待ち侘びていました。感想を一言で言うならば、「心から感動した時間を過ごせて幸せだった」って感じです。一曲目から感動したのか、涙がポロポロこぼれて(なんで涙が次から次へと流れるんだろう)。。。アンコール入れて、12曲演奏してくれたのですが、涙したのが8曲で(半分以上涙してました)、聴きながら自然と涙がポロポロこぼれていきました(なんだか、懐かしいんです。今まで音楽を聴いて泣いたことはありましたが、今回はいつもと違い、心から泣いている。スっと心に入るんです。この感覚、幸せすぎる~)。涙を止めようとする自分と、止まらない心からの涙がよくわからなくなってきて、最後の方は心任せでした。悲しい時や寂しい時、悔しい時の涙じゃなく、幸せ・嬉しい・なんかわからないけど嫌じゃない涙がどんどんと出てくるこの不思議な感覚。。。久しぶりに、吹奏楽にふれたので、魂も嬉しかったんでしょうね。ただただ、魂を開放して涙しながら聴いていました。中学生の部活でフルートを三年間吹いていたので、懐かしかったです。それにしても、さすがプロです!音色が美しいし、強弱もちゃんとあって素敵でした。魂が震えた二時間になりました。祖母も、大変喜んで満足した様子。中でも、『ブルースカイ』という曲は、まさに青空をイメージさせるようなさわやかな曲でした。目の前で、一人一人が楽器を吹いて、それがまとまりあって一つの音になり、それが重なって一曲になるのってやっぱり素晴らしいですね。その癒しのパワーが会場を満たしてました。テレビやCDを通しての曲じゃなく、目の前で演奏してくれるのを聴けるのって、本当に幸せですね。今日、こうやって祖母とこのコンサートを聴けたこと、終わって一緒にお茶したこと、沢山話せたこと、そして祖母の笑顔が沢山見れたこと、全てが私の宝物です。また来年も行こうね
2007.03.17
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神は、あなたがたを通じて自分を実現しなければならない。それが、神の計画、神の理想なのだ。
2007.03.17
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宗教はその決断によって、いつまでも消えない印象を創り出してきた。社会も、その決断によって、自画像を創り出してきた。あなたは、いまの自分の姿に満足しているだろうか?宗教の姿は、あなたの望んでいるものだろうか?
2007.03.16
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殺害が怒りの表現や敵意の放出、「悪を正し」、敵対者を罰する手段として、正当化されることは決してない。
2007.03.15
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人生のすべては神聖だ。
2007.03.14
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不安と恐れのなかで暮らしている社会には__実際に、そして必ず__最も恐れられるかたちの恐怖が生まれる。
2007.03.13
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完璧だというのはプロセスのことであり、すべての人生は選択されたものだ。その選択に介入したり、疑念をもったりするべきではない。まして、非難するべきではない。
2007.03.12
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今日は月一回の駅前掃除でした。夜、なかなか眠れず(朝5時に起きる~と念じてたら眠れなくなって)、寝たのが朝方の4時でした。起きたのは5時で、それから身嗜みを整え、6時には駅前に着きました。朝から強い風が吹いてたので、寒いし髪は飛ぶし…(え?カツラじゃないですよ)。けど、やっぱ朝見る空はいいですね!寒くても、空を見上げると月が出ていて「よし!寒くなんかないから頑張るぞ~!」というやる気が湧いてきて、今日も頑張らせてもらいました。道の歩道をホウキで掃いていたら(大分弁はホウキではわくといいます。)、隣を車やらバイクやらが通って行ってたので、なるべく邪魔にならないように端に寄ったりしながら、掃除しました。いつものごとく、煙草の吸い殻は多く、今日は目薬のカラまでありました(外で掃除をすると、いつも何かしら変わった物を拾います。以前駐車場の掃除をしていたらマックのゴミが山ほどあったこともありますし、傘とか一升瓶、赤ちゃんのオムツなども拾ったことがあります。モラルが問われますね)。で、掃除も終わり、掃除を終えた皆さんが集まったところで、「本日の掃除、お疲れ様でした」と挨拶があり、その後輪読がはじまりました。その内容に心が惹かれたので、ここで少し書きます。『二割できれば、充分なんだよ』[物事にすべてとか完全なんてのは、ありえない。すべてを求めるのは不可能だし、いけないことなんだ。それと同じように、君は君自身にも完全を求めるから、悩みや乗り越えられない壁を、君自身が作ってしまってるんだ。][私たち常人は、二割もできればOKなんだ。求められた十のうち、ふたつ良い形を残す。悩んで、困って、足を止めている君でも、それくらいなら、やれそうな気がしないかい?][誰だって、やってみたら二割ならできる。二割はゼロじゃない。二割で充分なんだ。][だから自分を見失ったり、自信をなくしたりしなくていい。誰でも何かしらの意味をもって生まれ、こうやって毎日を生きている。][この世に必要ない人間なんて、一人もいないんだ。]これを読んだら、心が楽になりました。完璧にしたいという私がいて、うまくいかなかったら落ち込み、仕事も完璧にしようと焦るからうまくいかなかったんです。また、昨日、探し物をしていたらK作さんのポストカードが二枚出てきました。一つは『次!』 さあ 新しい区分が やってきた二つは『旅』 いいかっ! くじけるなよ 必ず帰って来いいつ見ても、感動するK作さんの言葉ですが、まさか、このタイミングででてくるなんて…。というのも、明日から新しい職場で仕事を始めます。そして、「今度はどうやったら職場で笑顔がでるか」「どうやったらうまく仕事がいくか」など、考えていました。その答えが昨日今日で三つも目の前に文字となってあらわれたことは、本当に有り難いことです(ありがとうございます)。この前の小林正観さんや村上和雄先生の講演会、大谷和尚の法話も大変役にたっています。「二割出来れば充分」という言葉に感謝しつつ、明日から頑張りたいと思います!
2007.03.11
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いまこそ、あなたの考えのいくつかを変えることが大切だ。それが、発達ということなのだから。
2007.03.10
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永遠という視点から見れば、ものがよく見えてくる。
2007.03.09
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人間関係はいつでも課題だ。つねに創造すること、表現すること、自己の高い面、より大きな自分、すばらしい自分を経験することを求められている。
2007.03.08
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3月7日の夜、大分で小林正観さんの講演会がありました。去年の12月に、大分で行われた正観さんの講演会が初めての参加だったので、今回は二回めの参加でした。今回も、沢山の人達が見えられていました。数日前に、母に「行く?」と聞いたら、「行く!」と言ってたので、母も初参加しました。時間になったので、正観さんを拍手で迎え、講演の始まり~始まり~。面白いことを言うので、会場は笑いの連続でした。内容も興味深いもので、筆をはしらせながら聞いていました(メモをとるのが好きみたいです。よくノートを見ずに書くので字が踊ってますが……)。執着の話、シナリオ通りの話、人生の話、人間の話などをしてくださいました。ではここで少しですが、内容を書きたいと思います。[人生に予想外のことはなくて、シナリオ通りになっている。それを知ったら、自分の人生について、悪く評価・評論を言わなくなる。出来事が起こっても「そうか、これもシナリオ通りだから受け入れよう」と思うことができるから。][人生は自分がたてた目標にひたすら向かっていくことが大切ではなくて、人生とはいかに喜ばれる存在であったかということが大切である。もしかしたら、さみしい人がひたすら目標だけに向かっていくのかもしれない。人は一人でいるだけでは動物学上でいうヒトである(二足歩行ができて、指で物を摘むことができる等)。しかし、人との関わりの中で初めて人間としての価値がある。そして、いかに人の間で、自分が感謝されるか、 喜ばれる存在になるか、 少しでも役にたてるか それが大切。それにはまず自分がまわりを愛していく必要がある。]今書きながら、なんとも意味ある言葉だろうと改めて実感しています。帰ったら母が「よかった~」と言っていました。そして、テレビをつけたら、正観さんが話していたキーワードが3つほどでていてビックリ!(野球チーム名とか地名とか。)その中でも一番驚いたのが「人は人とのつながりによって存在する」って、つい一時間前に正観さんが言ってましたよ!なんたる必然!!!(すご~い)今日の講演会は意味あるものになりました。これも、シナリオにあったんですね。
2007.03.07
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成功をうらやまず、失敗を憐(あわ)れむな。魂の決算の時がきたら、何が成功で何が失敗になるかわからない。
2007.03.07
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今日は、久しぶりに「寒~い」一日となりました。風は冷たいし、大量に吹くしで、15個ある植物さん達も、今日は部屋から外を眺めていました。つい最近まで暖かい日が続いてたので、植物さん達の日光浴が毎朝の日課になってました。けど、植物さん達も、たまには、部屋でのんびりとするのもいいかなと。で、今日、図書館に行ったら[14日まで休館します]の貼り紙が貼ってました。「うそ~」とショックを隠しながら、まぁこれも知らないことが知れたとプラスに思うことにして、本屋さんに行きました。(う~、寒い~。)本屋さんである雑誌を見てみると~、な!なんと!!!今の学校現場のことが載ってました。今の学校は「皆主役」「皆平等」「皆同じ」といった内容でした。『かぐや姫』を学芸会でした小学校では、なんとかぐや姫が4~5人も!!!(多すぎるやろ!)他校でも主役が20人で(皆同じ役)、一幕二幕と分けて登場させたんだとか(それも多すぎ!)。保護者は「どれが主役かわからない。」と困惑気味の様子(そりゃ~、そうでしょ)。確かに目が回りそうです…。それに、なんとも異様な空気が流れてそうな…。また運動会では、かけっこをする際に、ゴールの手前で遅い子を待ち、皆、手をつないでゴールするんだそうです(有り得ませんよね)。走るのが得意な子の親は「どうなの?それ」って疑問を感じてもおかしくないですね。こんな風になったのは、保護者の母親達から「うちの子が主役じゃないってなんなのよ!主役にして!」「なりたい役になれないなんて、子供が可哀相よ!」「遅い子がみじめで可哀相よ!」など(本当に身勝手すぎ)の苦情が先生宛にきたのを、先生が希望通りに叶えたからなんだそうです。なりたいものを全部叶える学校…ここからは競争意識も生まれず(皆同じですから)、自立する道すら教わることはない、自分達がよければそれでいいという子供が社会に出た時に困ることは目に見えています。また、才能ある子にしてみたら、これこそ不平等そのものです。と、考えさせられました。子供の若い芽を育てるのが、大人の役目なんだと思います。会社で、社長が5人とかにならないようにも(笑)。得意なものはどんどんのばして、褒めましょう!その子を否定せず、子供の前で夫婦喧嘩はせず、マイナスなことを言わず、とにかく褒めましょう!悪いことをしたらその時はきちんと叱る、そして反省をしたら、またいつもと変わらぬ愛を注ぐ。心から幸せに満たされた子供が増えることをお祈りします。P.S~ また明日も寒いみたいです。皆様、体調に気をつけてくださ~い。
2007.03.06
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ものごとが明らかに正しいのなら、それをするがいい。
2007.03.06
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もちろん、魂の使命はわたしたちに偉大さを選らばせること、選ばなかった部分を非難せず、最善の自分を選ぶようにさせることだ。
2007.03.05
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つらいときには、真の自分を忘れがちになり、自分が選んだ人生を創造するために与えられた道具を忘れがちになる。
2007.03.05
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「今、この私に与えられている課題って、何かな~?」ふと、頭をよぎった素朴な疑問です。今までを振り返ると、ほとんどの年の誕生日前後はインフルエンザか風邪でダウンしていて(一番嫌なのが声が出ないとき!)、 少なくとも過去4回は意識を失い倒れ、 18才の夏の授業中に初めて急に左頭がすごく締め付けられた感じの激しい頭痛がして、痛み止めを服用しないとどうにもならず、 あとで知ったのが遺伝の偏頭痛で、 社会に出て働いた福祉会社に感謝できずマイナスな心の積み重ねでうつになり、自分が自分じゃなくなって生きることが恐くて心が死にそうで、 心療内科に通い内服治療1年で治り、 偏頭痛が治る薬を3日分処方してもらったらうそのようにピタっと痛みも治まり (なぬ~!?うそでしょ~!?治った~!!!)、 今でも偏頭痛は起こらなくなりました。 意識を失ってもインフルエンザになっても偏頭痛になってもうつになっても命を失うことなくここまでこれたことを思うと、サムシング・グレートからのお力に感謝をします。そして、私を色々と助けてくれた人達にも、感謝をします。本当にありがとうございます!こうした症状や病気って、感謝をするということを身をもってわかってほしいという課題が、実は隠れているみたいですね。(どうもそう思えてならないんです。)人間、一人では生きてないんだとつくづく感じました。そして、もうひとつ身をもって知ったことがあります。それは、考えてることが実現してしまうということです。というのも、頭痛にしてもうつにしても、心のどこかでそうなりたい (っていうと変ですが、小学生の頃友達が頭痛持ちでよく保健室に行くのいいな~と思ったり、うつになる前も「うつになったら私の仕事は誰がするのかな~」と内心では思ってたり) と、考えていたので実際そうなって健康のありがたさが身にしみました。 私は教えてもらっても納得できず(えへ!)、実際体験してみないとわからない性格なので、こういったのも経験できてよかったと思います(そうだそうだ!!!)。病気・環境・今ある自分の立場はすべて自分自身の心がつくりだしたものなんですね。いいものをつくりだすのも、悪いものをつくりだすのも自分。他の人ではない、この自分がつくっている。そんなことに気づいたら、自分なりにいいものをつくりだしていこうと思います。 今の課題、それは、「自分をもう一度見つめ、足元にある歩く道を定め、本当に心からしたいことを見つける」ということなんだろうと思うので、じっくり自分と向き合います。
2007.03.03
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どんな祈りでもかなえられる。祈りとは、「これが現実です」と認めることだから。
2007.03.03
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今夜は、2月11日に大分で行われた『日本の建国をお祝いする集い』のスタッフの慰労会がありました。父が、「今日、本、もしかしたら売れるかも…」と言ってたので、私は書籍兼準備係として、参加しました。(父との距離をがんばって縮めようとしなくても、慰労会が終わる頃には、自然と縮まっていました。親子って不思議ですね。)沢山の方の参加に感動し(U木さんも有り難うございました。)、色々な団体さんの話を聞かせていただき、ますますがんばるぞ~という気持ちになりました。楽しくお話をしていたら、目の前に座っていらした75才の紳士の方に、大変有り難いお言葉の数々、お褒めの言葉などいただきました。「あんたみたいにお父さんの手伝いをする若い人はおらんと思ってたけど、おったな~。いつもいつも有り難う。あんたのその笑顔を見てると幸せになる。孫を見てるようだ。これからも日本の本当のことを勉強していったらいい。」(ここまで褒められたことがなかったので、正直照れを隠すのに精一杯。だけど終始笑顔は絶えませんでした。)そして、中盤、一人一言ずつ皆さんの前で挨拶を兼ねて話をすることになりました。話を聞きながら、ためになると学習していたら、私の番!(キターーーーー!!!)色々考えていましたが、それはあまり話せず(アハっ!)、父から教えてもらう日本のこと(日本に生まれてこれて有り難いということなど)を手短に話しました。それまで真面目な話を沢山の方が話していて、シーンとしていた空気に笑いが起こりました。去年の慰労会もそうだったのですが、私の話を聞いてくれて、そこに大きな声で有りがたきコメントを言ってくださる人がおり、それに対して私がちょっと抜けたことを言うので、空気がほぐれたように笑ってくれる人がいてくれるので、大変嬉しいです(それに有り難い)。会も終わり、父を隣に乗せ運転していると、次から次へと沢山の言葉が出てきて、さっきまで話していました。人間のアイディアはどんどんでてくるんですね。素晴らしいです、人間は。これまで、父の手伝いをするのが好きで受付や書籍販売をしてきましたが、私にとってそれは生き甲斐のようなもので、「そんなことして何になるの?」とか言われると「私のため!」と答えるくらいやり甲斐を感じています。いやいやしてるのならとっくの昔にやめているだろうし、ボランティアするのが好きだったから今自分の場所ができて嬉しく思えることができます。たまに食べ物をくださる方がいてくれて、本当に有り難く頂いております。これからも日本人ならではの感性を養っていきます。四季にふれ、伝統文化にふれ、自然とふれ、日本とふれ……このようなことで感性を養うことができるんだろうな~としみじみ思いました。
2007.03.03
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心配するのは、「神」とのつながりを理解していないからだ。
2007.03.02
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・・・、最近、いや、ここ2~3日・・・・・・、父と意見が対立して、私が勝手にギクシャクした空気を作って、おる次第であります。父が私に教えてくれてるんだと思いますが、「それは悪い!」と指摘しているのに、私は、頭 かっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんきて、「もう・・・知らん!」と言い、もくもくと自分がしているビーズの作業に没頭。父から、何言われようが、私が「は?」とか言うので、父も呆れて読書を始めてました。昨日も、自分の中で素直になろうと思ってたのに、案の定、父から「これを読め」と言われ、読んでいたら私には理解できない内容。。。(なんですか、これ)私が父に「意味がわからん」と言うと、「日本人に生まれてこれもわからんのか。感動せんのか。」と言われ、これまた私として素直になれない状況。。。一昨日と一緒に。。。。。。自分で作り出しているといえば、その通りなのですが、私、こんなことでいらいらしちゃうんだろうかというなんとも情けない現状を実感いたしました。どちらかというと、通常は穏やかで他人から何か言われるとしょげてしまい、自分というものを出さない人なのですが、肉親から言われると遠慮がないのでたま~に色々言うこともありけりです。肉親から色々言われても、その時の自分の気分がよければ特に問題なく自分のペースでいくのですが、気分が悪ければいらないことを言ってしまいます。母とは、ごくたまに?←ほんとに???喧嘩をしたり、一緒に買い物に行ったりとしますが(昨日も一緒にお買い物~)、父とは、仕事以外での活動の手伝いをするのに一緒に行動したり、田舎に一緒に帰ったりと移動する時が多いような・・・、・・・・・・、今書きながら知りました(そうなんだ~)。父の知人からは「いつも一緒にいるね」とか言われますが、私が父と一緒に行動していることが多いからでしょうね。私、当たり前にあることに感謝できてませんでした。他人や地球には感謝できていても、肉親には感謝が足りませんでした。けど、両親はそんな私をわかってくれていて(さすが両親!)、私がそんな空気を造ろうとも色々私に話しかけてくれるんです。有り難いことです、本当に。まだまだ、子供です。これから大人の心になっていけるよう、自分の心をぶれないようコントロールしていきたいですこの機会も、私が成長するためには必要なものなんですね。
2007.03.02
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支えとなっている考えのいくつかを変えなければ、人類は滅亡してしまうかもしれない。(これ、日記に入れようか考えましたが、入れても大丈夫と思い、入れました。滅亡してしまう「かも」という警告なので。。。)
2007.03.01
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