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どんなとこもそうでしょうが、予算ってものがあります。自分のとこは、公共系なので、原則単年度使いきり型です。いくら、改革が行われ、制度が変わろうが、慣習にはなかなか逆らえないから、単年度使いきりというハナシになるので、年度末ってのは意識されます。また、支払いは買ったものが納品されてから、請求書をもらって、それを基に支払いを行うので、必然的に来年の3月までに納品されないといけないわけですよ。で、予算ってのは、年度当初で枠が決まってるものもありますが、途中で増額になるものもあるわけですよ。そうすると、突然、予算が付いたからあきらめていたあの物品をかっちゃえーみたいなハナシが出てくるわけですよ。そうなるとにわかに慌しくなり、時間との勝負がはじまるわけです。輸入品とかだったら、納品されるまでに時間もかかるわけだから、早めに契約を行わければならない。けど、別に普通の買い物じゃなく、税金ですから、高額なら入札ってのをしなくてはならないわけです。その準備にどうしても、一ヶ月は、かかるわけです。そうなると、例えば、納期が二ヶ月かかるものは、一月中に契約を済ませたいから、入札の準備は12月に行わなくてはならない。って、事になります。やめてくれ!!とは、言いませんよ。仕事ですから。突然、欲しいって思うってことはよくありますもん。こっちはがんばりますよ。業者呼んで、なだめすかして、打ち合わせして。けどさ、ハナシをこっちに持ってきたその日に「今週中に契約できる?」って、聞くのはやめてくれ!てか、業者とばっか話して、勝手にスケジュール組んでから、こっちに持ってくるな!!内部の都合ってものもあるんだ!あんたがもらってる金は、あんたのポケットマネーじゃなくて、税金なんだぞ!????優秀な研究者の前に、善良な社会人!!!!で、自分の思うとおりにいかなかったら、業者を怒鳴りつけるのはやめろ!!むこうも仕事だぞ!!!!! って、思いますよね。まだ、こっちに怒れよ。そしたら、こっちも言い返してやるのに。特に、突然もらった予算でも無く、年度初めから決まってる予算だったら、夏にはハナシをだしてこい、って思います(ボソ<続く>
Nov 30, 2005
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一言。今日は火曜日。今日から、大詰めです。日曜の発表に向けて、大詰めです。先に作ったレジュメの第一稿について、先生からアドバイスをもらい、慌てて、改定増補。明日も、仕事だなー。
Nov 29, 2005
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修論前の発表かーい。毎年、恒例の修士二年による研究発表会がありました。発表と言うのは、見ず知らずのおっさんたちにわたしをみてーーーーーーーーー!!!!って、大また開いて、自分をさらけ出すような行為なわけです。露出度が高ければ、高いほどよくへたに和紙で作った着物を水に濡らすとか、手をこんだことをしてみると、逆によくわからん。てか、どこの一部のマニアを刺激してるんだってハナシになります。そのため、小道具も、ドライバーを手にもたれるよりも、あきらかに違うこけしを使われたほうがわかりやすい。要はどこまで、一般大衆向けにそそる発表をするべきかってハナシなんですよね。けど、それは一方で広すぎて深まりが無い、中学生のしったかぶりになっちゃうわけです。やっぱり、一方で、飲みながら語る、自分のちょっと変わった趣味ぐらいのマニアっぽさも必要なので、そのあんばいがむずかしいなあって思いました。発表者は全員、趣味はマニアけど、する時は、正常位って感じでしたから、フェチを押し殺した、いい発表だったかと思います。まあ一人、フェチに走りすぎて、みんながひいていましたが。以上、真面目な話を卑猥に語ってみました。
Nov 28, 2005
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仕事場の同期達で飲み会です。同期の7割ぐらいの20人程度が集まって、飲み会です。如何せん他の部署の人とはつながりが持ちにくいので、親睦を深めながら情報交換をしましょう、ということで、はじめた月一程度の同期会。今ではもっぱら、親睦ばかりが深まってます。けど、そんなんでも仕事場の愚痴とかは出てくるわけです。一人、K氏は憤る。上は何がしたいのだろうか。こんな、毎日を過ごしていたら、煩雑な業務が増えるだけで、意味が無い。また、一人M氏はクールに言い放つ。官僚制が腐敗する歴史的現場を目の当たりにしている。だからといって、新人なぼくらが何をすればいいのか、憤りの思いと酒量だけが増え、夜は明けていきました。
Nov 27, 2005
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仕事が終わると倒れるように寝て、起きたら朝の四時。そこから、ちょっと勉強を開始。そんなこんなで朝を迎え、気づいたら昼前。ふっと、携帯を見ると、後輩からのメール。「温泉ヽ(´Д`;)ノ ランタ タン♪」というわけで、野郎二人で、温泉です。行き先は、大学を横切り、ダムを横切り、山道をくねくねして、ぬくもりの郷というとこです。ここは温泉だけでなく、地元の農家の人たちの持ち寄りの格安特産品コーナーなどもあり、なぜか北陸のくせにみかんが安かったりするんですが、休憩所もある、ちょっとした総合コミニュティスペース。最近、町おこしや村おこしの一つとして、早朝市場とかを村内で開き、近隣、市町村からの買い物客をあてこむなんてスペースを経営する地方共同体は少なくないわけですが、ここは買い物だけでなく、温泉も入れるという総合型。山間の辺鄙なとこにあるくせに、結構にぎわってます。北陸の冬の天気は生理中のおなごのようにヒステリックでうつろいやすいものですが、今日は終始、曇りで安定。そこの温泉は山の中腹のがけっぷちに立っているので、露天が周辺の山々を見下ろす感じの勇壮な景色に包まれて、晩秋の山のこもった色の紅葉がさみしさを彩りながらも、心を美しく流してくれるという、身体のケアだけでなく、心のケアまでしてくれました。あー。ここは疲れた男二人にはぴったりだなああ。。。。。。
Nov 26, 2005
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先日、自分が卒業した大学の研究室に仕事が早く終わったので、スミマセン税金ドロボーッス遊びに行きました。ちょうど、先生たちがいたので、話していたわけです。先生たちは会議が終わってすぐらしく、愚痴を軽く言われたわけです。その会議はどうやら来年度予算やカリキュラムに関するもので、悩み悩ませ、頭が痛くなるものだったそうです。国立大学は法人化し、大学ってのは競争状態に陥ってきたわけです。その中で、文系学問への世間の目は厳しい。社会への有用性や、目に見える進歩が求められるせっかちな世の中にとっては、文系はまさに無駄使いばかりしている、意味の無いものにとられがち。また、大学自体もお金に結びつかない基礎研究ばかりする、特権学者の集まりとみられがちでして、これらかどうやって、社会とリンクし、アピールし、お金をとってくるかという経営判断が重要になっていく事でしょう。それは簡単には教員に手をだせる領域ではなく、けど、口を出さないと自分たちが無視されてしまうというジレンマ。先生たちは苦悩しているみたいでした。先生「うん。これからはやっぱ大学にも経営のプロが必要だなあ。どうやったら、呼んでこれるんだろうか。」自分「そうですよねー。やっぱ、経営判断は一筋縄ではいかないですもの。」先生「うん。僕なんかは現場主義じゃない?経営は経営のプロに任せて、現場は教育のプロにまかせてほしいよね!!」この先生、自分の現役時代から、曰くその先生に自分の研究のアドバイスを求めるぐらいなら、他の専攻の先生にアドバイスをもらったほうが有益だ。曰く今、必要なのは就職活動なのに、研究の話をされても困る。曰く全員が全員、研究者になりたいわけじゃないのに。曰く具体的な方向性の相談をしているのに、理想論を語られても困る。曰く使えない。と、生徒が必要とする時に、自分の意見を押し付けていく教員だったわけです。それはそれで、先生の意見は立派なものですし、生徒におもねる必要も無いわけですが、生徒から使えないとまで思われていても、自分はプロっていうかあ。プロってじゃあ、なんなんだ!!!って、疑問は尽きるばかりで、自分の母校の将来が心配になります。
Nov 25, 2005
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結構、地味だなあって思っていた知り合いがmixiをしている(自分もしてます)ってのを聞いていたわけです。で、mixiのそいつのHPを見たわけです。あー。mixiでたくさん、友達いるなあ。コミニュティに参加しまくりだなあ。ネットと現実の区別がつかなくなってきたとはいえ、リアルの地味な感じと、ネットでのがんばっている感じを見ていると、その人の抱えている、ちょっとした心の闇を透かし見た感じがしたので、嫌な気分です。意外に、友達のネット状況は見なくてもいいのかもしんないなって思いました。見たくなかったなあ。
Nov 24, 2005
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昨日は飲み会でした。飲み会は総勢9人でした。その中に1組カップルがいました。で、二次会もそろそろ解散と言うことで〆の言葉をカップルの男の方にいいました。男たちは酔っ払ってるから、二人を冷やかしてばかりいました。そしたら、その男が〆の挨拶として、「・・・・ほれてます・・・・!!」って、対面の彼女さんに頭を下げながら言いやがりました。くそー!!なんて、かっこいーんDAAA!!!!!!きっと、その後の二人は燃えたに違いないなあって、熊本ラーメンを食べながら、自分の両手と、股間を見ながらひとりぼっちか・・・・。って、つぶやきました。
Nov 23, 2005
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業者さんから見積もりがきたわけです。見積もりと言うのは、どれだけ、コストがかかるかを計算したものなわけです。項目毎に単価があり、それが何個あるか示したりしてくれて、総額でいくらかかる書いたものなわけです。それを書いたものを見積書っていうわけですよ。で、その見積書を見て、こっちは予算と相談しながら、高いとか安いとか、無駄なとこがあるとか、相談したいわけですよ。ここの経費かかりすぎとか、ここはやっぱいらないとか。つまり、見積書がしっかりしてくれないと、困るんですよ。で、今日来た見積書はそれなりにもっともらしいものなわけですよ。で、相手方から電話かかってきたから、交渉開始ですよ。で、聞くわけですよ。ここの項目いらないんじゃないの?もちろん、安くして欲しいからですよ。その項目分の経費が無かったら、安くなりますもの。しかも、不要な項目だと思ってますからね。けど、相手方がですね。「いや、その項目は必要なんですよ。うち的に。やっぱ、その項目分経費かかってますから。まあ、結局のとこですね、いくらひけばいいんですか?それに合わせますから。」いやね。そうじゃないのよ。純粋にそこの項目がいらないと思ってるから引いて欲しいのよ。そのほかに不満はないのよ。そこだけが不満なのよ。だから、総額削るよりも、そこの項目無くせといいたいのよ。けど、むこうは「うるさいなあ。結局、今回の見積書なんて丼勘定を無理やり計算してるんですよ。だから、総額で話してくれた方がいいんですよ」と、裏で思ってるのかなあって、こっちは思っちゃうわけですよ。つまりですね。その、見積書が信用できないんですよ。まあ、総額安くしてくれるならそれでいいかと思って、安くしてもらいました。業者も担当さんも様々だから、いちいち腹をたててらんねーや、けっ。あー。休み明けには前に書いた業者さんに電話しなきゃなあ・・・・。めんどいなー
Nov 22, 2005
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通常の手続きじゃない支払いの書類が回る時があります。海外出張とかで、見つけちゃった、どうしても必要な物品とかを、とりあえずその場で買ってから、後で立て替えたってことで、領収書とかが回ってくるわけです。通常なら業者さんに支払う金が、その出張した個人に行くだけの話しなんですね。で、まあ、そのための支払い書類見たいのを作ってもらうんですが、それって結局、部局とかが作るわけではなく、その個人に作ってもらうのですよ。で、特にフォーマットらしい、フォーマットが決まってるわけでもないんですよ。そうなるとですね、部局で一応、チェック受けるんですけどね、適当な書類(請求書)が回ってくるんですよ。だって、別に部局もどんな書類が正しいのか知っているわけでは無いからです。建前的には部局がOKだしたものは支払うということにはなってます。がですね。結局、自分とこで、この書類を通すか通さないかの決定をするわけですよ。だって、部局の判断なんていい加減なものだし。だからといってですよ、些細なミスがあったから、書き直してきてー、って突っぱねるのもかわいそうですから、足りないところはボールペンで書き足し、括弧をつけたりして「通る書類」の形にしてしまうわけです。これはそういう慣習ってハナシなんです。この慣習の良し悪しというのは置いておきます。ここで考えるのは、個人と部局はどういう書類なら通るのか、聞いたこともないし、教えてもらった事もないということになります。マニュアルが無いんです。マニュアルが無いって事は、結局、海外出張が多い人は必然的に経験が多いので、なんとなく理解していきます。五年に一回とかしか、しないような人は全くわからないまま、適当にやってしまうわけですよ。で、部局もなんとなくでやっているところがある。そういう曖昧さがある。僕らも不満はあっても、言わない。なぜなら、些細な事過ぎて、言っても仕方ないような事が多いから。一つ、一つの現場でいろんな改竄や手直しを加えた結果として、一つの事象がなんとなく通っているというわけですが、一番良いのは、最初から完成していればいいわけです。けど、その完成させるためにはどうしたらいいのかという情報が流れていかず、一つ、一つの現場で止まってしまう。情報が汚い沼みたいに沈殿していくんです。たぶん、これは組織の体質です。全体として隣が何をしているのか知らないし、隣がしていることを知ろうともしないし、隣のために働くというときは自己犠牲をしようとする。最初は自己犠牲もありだなと思ったのですが、それよりもどんどん情報を垂れ流し、失敗であったり、不満であったりして、みんなに知ってもらったほうが何かとうまくいくのではないのか。自分の職場は、明確に役割がわかれた二つの集団が互いに監視しあうようにしてそびえています。その二つの集団がもっと御互いの事に興味持てばいいんじゃないの?御互いの事を分かち合おうとすることが必要なんじゃないのかなと、強く思います。そのためにはとにかく、がんがん、情報を流すことだよなあって思うのですが、どうやって発信したらよいんですかねー。考えどこです。
Nov 21, 2005
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ふっかーっつ!!!!!!高橋尚子なんですけどね。25kmぐらいを過ぎたとこでテレビをつけまして、そのままぼーっと見続けてました。マラソンは普段は見ないんですけどねー、高橋尚子だけはよく見ます。って、見た覚えあるのはシドニーと今回だけなんですけどさwそれでも、おれにとっては見るほうの選手だ。シドニーの時は、めっさ、寝起きでパジャマのままで、シャワーも浴びずにずーっと見てました。今回はシャワーを浴びてはいましたが、ぼーっとした、軽い二日酔い明けの体で見てました。高橋はすごいですね。勝ち方がドラマチック。前回、失敗した上り坂からスパートしたりとか、レース前に怪我してるの発表したりとか、劇場型の人生ですよね。こういうわけのわからない、無理やりに勝っちゃう人がほんとの英雄になるんだろうなあ。に、対して、競馬のマイルチャンピオンシップですよ。高橋のカタルシスに勝つには、大外からデュランダルがぶっこぬいてくる以外のシナリオは考えられないじゃないですか。しかも、ありえない足とか使って。けど、伸びないし、勝つのはペリエだし、どうもドラマに欠けてしまったなと思うわけです。大番狂わせでもなく、世代交代でもなく、中途半端感漂う、GIに、こりゃ、やっぱりマイル戦線はつまらないままなのかなって思っちゃいます。次週はジャパンカップですが、予想的にはおもしろいですが、御祭りとしては盛り上がらない感じがするので、競馬も有馬記念までは淡々と見るだけですね。K-1も武蔵がつまらない試合してくれたし、なんかうさんくさいし、どうしようもない。NOAHは田上の変な貫禄に笑えます。
Nov 20, 2005
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今日は何事もなく、図書館に行き、史料をコピーし、たこ焼きを食べ、マンガ喫茶に行き、ちょっとだけ大学に行き、飲み会へ。あー、ぼんやりしたいい日だったなあ。
Nov 19, 2005
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今日は、今までやったことのない仕事を教わりました。自分の係りの業務範囲だし、通常業務の一つなのですが、ただ、単にやる機会が無かったというだけなんですけどね。さて、仕事の詳しい内容はおいておきます。新しい仕事を教わる時や教える時なんですが、どういう教え方や教わり方がいいんでしょうか。自分は最初に全ての段取りを全部提示されておいて欲しい人間です。つまり、仕事のスケジュールややること全てをとにかくリストアップされ、一気呵成におおざっぱに詰め込まれてから、さあ、やってみなって感じでまかされるのがいいわけです。もちろん、一つ、一つのステップ毎に上に報告しますが、基本的に全体がわかってから仕事をしたいタイプなんですね。常に全体を考えて、今の行動にどういう意味があるか考えてしまうタイプなんです。ですが、自分の上は、どちらかというと一つずつ、一つずつやらせてから、全体を覚えて欲しいタイプなんですね。「これやって。」→「終わりました」→「じゃあ、次あれやって」→etcで、そうやっているうちに、一つの仕事が終わっていくし、覚えていくという感じです。一つ一つを別に丁寧に教えてもらうわけではないので、必然的にこっちからの質問は増えます。それがおれにはまどろっこしい。上は「察しろ。自分で考えろ」って言いたいみたいですが、「知るか。わかるか。こっちははじめてじゃ。しきたりなんぞ知らんのじゃ。」って感じで、すねますwこれは、タイプの違いなわけだし、仕方無い事なんですが、自分からすると、全体がわからないから、不安になるわけなんです。今の一つ一つがどういう意味かわからない。上の意図としては、一つ、一つ、覚えて、まずは体験してくれって感じなのでしょうが、それがおれにはまどろっこしい。手取り足取りになるし、本当は良くないのかもしれませんが、最初にきっちり全体の行程を見せてもらったほうが、やりやすいんですよね。また、ある程度、示された全体の中で、自分なりの改善点を見つけて、仕事に反映することができるし、他の仕事とからめての作業スケジュールを自分なりに組み立てられるわけですよ。一つ、一つだと、それにかかりっきりになるので、非常に効率が悪い気がするわけです。まあ、タイプの違いですね。どちらがいいというわけではなく、ちょっとストレスを感じるなあって思うってだけのハナシなんですけどね。今日も新しい書類作る時に、これ、作っておいてって感じでまかされたので、どこをどう作れば良いのか、なんのためなのか、いちいちこちらから聞いていたので、互いにまどろっこしいなあって顔してました(笑
Nov 18, 2005
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自分は昔っから、季節の変わり目には風邪をひくという虚弱体質です。なんども、経験している事なのですから、季節の変わり目になったら、温かい格好をするとかすれば、いいじゃないかと思ったりもするのですが、往々にして、そういう準備をしたほうが風邪を引きますね。なので、むしろ、何もしない方がいいみたいな。去年までは、別に風邪をひいても学生だったんで、授業なんてさぼればいいやとばかりに寝込んでいたのですが、今年からは仕事をし始めたので、そうも言ってられない。実は、昔から寝込んだほうが風邪が長引くという都合のいい体質です。例えば、熱が37.5度あるし、気分悪いし今日は授業も大した事ないし、一日寝よう。明日には治るだろう。なんて、事すると、次の日には熱がなぜか39度でるという特異体質。逆に、あー、38度超えたー、けど、ゼミ前だし、無理しなきゃーって無理やり活動していると、なぜか次の日は平日でバリバリできるという、自分を労わるためにはどうしたらいいのかが、わかりません。それで、今日も、仕事中から、ものすごーく、頭が痛くなってきて、やってらんねーって感じだったわけですが、仕事場に常備してあるバファリンを飲んで、無理やり仕事していたら、段々、痛みを治まってきました。まあ、残業はしないで今日は寝ておこう、もしかしたら、起きたら大病かもしれない、なんて、思っていましたが、起きたら頭はすっきり、目覚めは爽快。あー、この仕事のために体調を勝手に整えてくれる我が身体にやるせない憤りを感じます。
Nov 17, 2005
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巷では公務員改革が必須と叫ばれています。北海道庁では、一割の削減だそうで、ストライキも必至だとか・・・。(http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/hokkaido/news/20051117ddlk01010101000c.html)公僕たる公務員が、一般の人々より厚遇されているのに、ストライキするなんて何事だ!っていう声が多いのはわかるのですが、我が身に降りかかりそうなので、ちょっと考えさせられます。我が職場も、このたびの人事院勧告に従って、給与削減の案が出ているのですが、そりゃ、もちろん反対運動が起こってます。給与削減自体は致し方ないという気持ちはあります。もう、守られている時代ではないし、そんな意識ではだめなんだとも思ってます。けど、ですねー。うちは厳密にいうと「公務員」じゃないんですよー。あくまで、独立採算制の某職員(もちろん,国からの援助はありますが)。となるとですねー。人件費の削減するのはいいんですが、「人事院勧告がでたから。」ではなくて、「経営戦略上必要なことだから。」という、はっきりとしたビジョンとデータを示した上での、給与削減であるべきなんじゃないかと思います。今の削減理由は「人事院勧告もでたし、人件費もなるべく削りたいから、むにゃむにゃ。」って、感じでつじつまは合わないし、場当たり的過ぎて、聞いてらんない。そんなにも気づかない、うちの人事やトップは無能の権化ではないかと、思います。無能がトップに入れるから公共系は問題なんですが。
Nov 16, 2005
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IT化が進む、どころか、既に生活はITとやらと同居しないとやっていけない今日、この頃。我が金沢でも来年からついにデジタルテレビ放送が始まるそうですが、自分のテレビはアナログテレビ、しかも、テレビなんて朝ズバしか見てない、今日、この頃。しかも、仕事場のOSはWIN2000だ、セキュリティはだいじょぶなのか!?と、いぶかしむ今日、この頃。ですが、それなりに、IT化にも対応していますし、PCもなくてはならない、必要なツールです。もっと、安くなれよっていっつも思うんですけどね。今日は知り合いが新しいPCを買ったのだが、なんかうまくいかないから見てくれというので、行ってきました。どうやら、DVDが見れないということです。あれ?なんでだろ?と、試しにDVDを入れてみると、「DVDデコーダ」が、ありませんの表示。ん?どういうこと?と、ネットで検索してみると、どうやら、DVDの再生ソフトが無いとの事。ありゃあ。DCDドライブなのに、ソフトがついてないの?と、持ち主に聞くと、そんなん見たこと無いぞ?入ってないの?と、逆に聞かれる始末。しかたねーやー。と、フリーソフトのWMCプレイやーを入れてみるも、全く動かず。ありゃあ。うーむ。こりゃ、ユーザーサポートに聞いたほうが・・・・。あ。メーカーからPC送られてきたときのマニュアルとかセットアップCDってある?ありましたよ。PowerDVDが。ちゃんと、セットアップガイドにインストールしてくださいとの解説つきで。持ち主曰く、今までのPCには全部入っていた。なんで、今回だけ自分でいれないといけないんだ。うーがー。って逆ギレされました。IT化ってのは進みますが、往々にして、人間の不注意こそが、すべての元凶なんだということを、思い知らされました。PCは正しい。
Nov 15, 2005
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自分のいる部署は渉外に近いところがありまして、様々な業者さんと打ち合わせをしなくてはなりません。打ち合わせというか値段の交渉したり、買い入れるものがあれヴぁ、それの納入計画を立てたりです。渉外を担当してますが、その後ろにあるプロジェクトの決定や立案に関わっているわけではないので、なんで、そんな物を買う必要があるのだろうとか、なんなんだろう、これーって、思うことがままあるわけです。ですので、自分は素人だなあ。と、思いながら交渉するわけです。その前に、ネットや本などでカタログデータ的な、最低限必要な知識はいれてますが、それではもちろん不十分です。まあ、こちらが、不勉強でも、相手方が親切かつ、よくわかってる人なら問題は起こらないのです。けれど、小さなとこだと、営業と技術の人が全く別で、営業が全然わかってない、もっと最悪なのは、自分出してきた書類すら説明できないって人もいます。今日も遠くの人なので、電話で資料みながら打ち合わせしていたのですが、もちろん、こちらは資料に書かれている事に疑問があるから、打ち合わせするわけですが、その質問にことごとく答えれない。答えた事も間違っていたりして、後でお詫びのメールがきてたりする。ほとほと、いやになります。ただ、相手方がめんどくさいだけで、自分に全権があるなら、問題は無いわけですが、こっちは公共系職員。上にまで、書類を回すというしちめんどくさく、お役所的な事務が待っているわけで・・・。あー。めーんどーいなー。
Nov 14, 2005
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自分が住んでいる市は公立の図書館が充実しています。昨日、行った県立図書館はかなり古臭く、アスベストとかがありそうで、怖いわけです。まあ、古いのは市立の図書館もそうなわけですが、県立はぼろっちいという感じです。それに比べて市立は小奇麗で心地よいわけです。そして、自分の県には公文書館がありません。根強く、自分の恩師であったり、その弟子たちや同輩たちの設立活動はあるのですが、一向にできません。噂によると、新県庁舎を作ったせいで、そんなものを作ってる予算が無いとか。二、三年程前に新県庁舎が郊外にできた事で、旧県庁舎から人や物が移転したわけですが、その際にも、大量の行政文書が廃棄されてしまったそうです。公文書館があれば、そういうの文書は史料として、収集され、後代に伝わり、新たな事実の発見に寄与する可能性があったわけですが、廃棄されてしまえば、それでおしまい。県庁の暗部が歴史に残らずホッとした人もいるでしょう。一方で、いざというときに昔の行政がどのように判断していたのかの証拠もなくわるけですから、何か問題があったときに解決できないかもしれません。例えば、地権です。戦後すぐから県が使っていた土地は実は、どっかの地主さんの持ち物なんだけど、好意で県に貸していた。で、その当事者であるじい様が亡くなったから遺産整理していたら、そんな権利書がでてきたけど、じい様以外にわからない。じゃあ、県に聞いてみるベと、行ってみたら、証拠書類は煙になっていた。そんな事も考えられるわけですから、やっぱり、行政文書というのはちゃんと保管してもらいたいものです。しかし、自分の住んでるところは歴史ある土地ですから、自ずから古文書の類も多量にあります。そういのはどこにあるのか。まず、県が県立図書館等に保存しています。そして、一番、多量なのは市が史料館を作っていてそこにどさーって保存してあるんです。その規模は全国有数でして、こんな地方都市になぜというぐらい、前近代、特に江戸時代の文書がたくさんあるわけです。なにより、すばらしいのは、日本史を勉強するものにとってはありがたく、市は古文書の価値がわかってないんじゃないかと不安になってしまう、という、その史料の閲覧のされ方にあります。普通の資料館が保存する史料を見ようと思ったら、まず、大学の先生に推薦状を書いてもらい、電話でアポイントメントを取り、閲覧申し込みの書類を郵送し、最後に菓子折りの一つも持ってその場に出向く。まあ、一番、ひどい場合ですが、それぐらい、めんどいわけです。さあ、閲覧だってなったら、まず、手を洗い、白い手袋をはめ、マスクをしなければならない、mustなわけで、しないもんならば、怒髪天を突く資料館員。しかし、自分の市の資料館は、手ぶらできて、目録から選んで、ファミレスのように指差すだけで、どさっと、だるそうな女子高生みたいな感じで渡してくれて、鼻くそをほじくってようが、淫水焼けしてようが、気軽に古文書に触らしてくれる素晴らしいとこなんです。そして、史料の質も、一級品の近世文書がありますか、もっと、全国の研究者に利用されてほしいですよね。お勧めの史料館。金沢市立玉川図書館近世史料館はこちら
Nov 13, 2005
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今日は、郷土史を行っているグループの研究会に顔を出してきました。自分はその研究会に所属しているわけではないのですが、案内が大学の研究室にきていたのが目に入り、まあまあ、興味のあるテーマだったので顔を出してみたわけです。出てみて良かった?良かったですね。といっても、別に自分の研究テーマに直接的に関わりあるわけではないので、自分の研究のためになったというよりは、わざわざ休日である、土曜日にそういう研究会に出てみるという刺激がよかったなと思ったわけです。で、そんな研究会に出てみて、さっそく刺激を受けて、図書館で本を借りました。ちょうど、県立図書館の一室で研究会があったこともあって。分厚い研究書を手に取りました。さあ、そしたら、読むしかないわけです。どこで、読むか。家か、大学まで足を伸ばすか。結局、県立図書館から繁華街のほうにむかい、「純喫茶」と名をうつ、怪しい喫茶店にこもることにしました。その喫茶店は、パーマがかかったストレートの黒髪でやけに棒読みでセリフを言うかのようにしゃべる劇場型の女主人兼占い師がやってるという、まあ、そんな界隈には有名なお店です。店の雰囲気は、『風の谷のナウシカ』のワンシーンにある、皇女ナウシカのラボみたいな感じを想像してください。せまく、雑然としつつ、神秘的な感じなんです。スペイン音楽がフラメンコをかなで、他のお客たちが一所懸命、最近、見た映画や、作った美術品のハナシをしながら、やけに分厚くて、深いコーヒーカップになみなみとそそがれあ、煮詰まったような濃さの怪しいコーヒーを飲みながら、若尾政希『安藤昌益からみえる日本近世』を読んでいると、映画やイメージ的な学生気分を味合いながら、ちょっと思索的にメランコリックな素敵な土曜日をすごせたなあって、満足げです。まあ、こんなちょっと、おしゃれな感じを求め、そこにひたろうとしている自分はなんて、気持ち悪くて、やっぱり、渋谷系とかサブカルとか好きそうな自意識過剰野郎なんだと、つばを吐きたくなる気分にもなるので、どうも二律背反、精神衛生上良かったのか、わるかったのか、わからない土曜日です。
Nov 12, 2005
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引き続き卒論のハナシです。自分は理系ではなく、文系で日本史なので、そこしかわかりません。ですので、以下は自分の経験と観察に基づく意見になります。卒論とは結局のところ、大学が与える卒業認定のために必要な単位の一部なわけです。昨今では卒論が無かったり、代替の単位で卒業させる大学もあります。単位さえあれば卒論はいらないというわけです。講義ならば、寝ても、寝なくても、ノートをとっても、ノートをコピーしても、カンニングしても、試験やレポートを通れば、勝手に単位はとれるわけです。講義において一番の単位の取り方とは何か。それは効率の良い努力では無いかと思います。ある先生がレポートや試験で、講義の内容を問うならば、授業の内容を必死に暗記すればよいでしょう。ある先生は授業の内容ではなく、講義についての自分なりの意見を問うてくるのならば、講義で使った参考文献や、講義のテーマに類する本を読んでみればよいでしょう。先生がどんな問題を出すかわからない、となれば、思いつく限りにノートをまとめ、本を読めばいいでしょう。また、先輩などから情報収集して対策を練ればいいでしょう。結局はどこまで、その講義の単位を取るために努力したのか。それが問われるわけです。卒論はどうか。そうではないです。良い論考、悪い論考を決める差は努力の差ではありません。もちろん、努力は必要です。努力無しに、時間をかけずにかけるわけはありません。ただ、努力した時間に正比例するものではありません。センスやひらめき。これが重要です。そして、自分の思いつきを信じて、そのために努力する必要があるわけです。だから、良い論文を書くのにどうしたら良いですか?と、聞かれたら、そんな答えは無いと、答えるしかない。けれど、悪くない論文を書くのにはどうしたら良いですか?と、聞かれたら、努力。そして、自分を好きになる事です。と、答えます。努力は絶対条件です。そして、卒論は厳しいものです。様々な論文を読み、様々な資料・史料を読み、苦悩していく。自分なりのオリジナリティを作り上げていく。自分の思い付きを説得力あ資料・史料で補足し、先学を批判し、先学にひきづられしながら、オリジナリティあふれる意見を作り上げていく。それは即ちなんなのか。それは自己表現なんです。つまり、自分の事に自信がなく、自分の事が嫌いな人にとってはとても苦痛な作業でしょう。ああ、なんておれは頭が悪いんだ、ああ、なんて私の考える事は浅薄なんだ、と考えて、悲観的に捉え落ち込んでいく。そうしていては突破できません。ああ、おれの思いつきはなんて素晴らしいんだ、けど、根拠が薄いから史料を探ろう、ああ、なんておれはたくさんの資料を集めてえらいやつだ、さあ、ここから何が言えるか考えよう。その程度でいいんです。最初から先学を乗り越えようとするのではなく、自分の良いところは徹底的にほめ、自分に足りないと思うところは素直に受け止め、それを乗り越えようとする。いや、そんなこといっても、私はバイトが忙しくて勉強してないんですよ、だから、良いもの書けるわけが無いんですよ、って意見もあるのでしょうが、ならば、どうしたらバイトと両立できて、かつ、体力的に無理しない方法があるのか、折衷案を考えようじゃないか。常に、どうしたら良い物がかけるのだろうかと、今の自分をみつめ、本当にみつめ、ポジティブに物事を考えていく。それこそ、良い卒論を書くことの絶対条件なんだと思います。それには、今の自分から目を背けるのではなく、セロテープを使ってでも両のまなこを見開き、自分をみつめるしかない。自分と対峙するしかない。自分と対話するしかない。その時に、いいとこを取り上げ、悪いとこを直視する。そうやって、自分を見つめなおす場が卒論なんだと思います。卒論は決して卒業のための儀式ではない。卒論には意味がある。そうやって、自分を見つめ、発見した事はこの後の人生にきっとプラスになる。だから、後輩たちよ、そんなどんよりした目で勉強しないでおくれ。もっと、深い透き通った色を瞳にたたえておくれ。先輩は応援しているぞ。
Nov 11, 2005
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自分は日本史学を勉強している(していた)わけですが、たまには卒業した研究室に顔を出したりします。自分は24歳。今の大学4年生とは3つも離れているわけで、中学を高校時代がかぶっていないということは、結構なジェネレーションギャップがあったりします。とはいえ、今は卒論の追い込みの時期、四年生たちは必死です。卒論への意気込みも千差万別です。就職が決まったし、とりあえず卒業できればいいやと思うもの、大学院への進学を考えていて、少しでも良いものを書き上げたいと考えているもの、先輩としては、出来が良いか悪いかとは違う、日本史を勉強してきた意義みたいのをつかんでもらえたらなと思います。日本史だけではなく、歴史学、ひいては文系学問はこの御時世、無用な学問とみられがちです。確かに、特許はとれませんし、直接的に産業に結びつくわけではありません。そういう意味では、全く役に立ちません。けれど、己を見つめ、社会を見つめ、世界を見つめ、深く深く思索する。とても内面的で個人的にしか効果を発揮しないのかもしれませんが、生き方の鍛錬としてすばらしいものと確信しています。何より、軽挙妄動に流されやすい世の中において、十分にクールでいられるということは素敵な事だと思います。オフィスワーカーとしてのメリットを言うとは、本気で卒論を書くということは膨大な情報を整理しなくてはなりません。情報も紙であったり、データであったり、声であったり様々です。その整理というのも、ノートにしたり、ファイルに入れたり、PCで管理したりするデータ整理から、作業のフローを考え、効率よくかつ効果的に期日までの戦略を立てる等と、必然としてオフィスワーカーとして必要な心構えができているということです。特に自分のような公的な事務職員にとっては極めて重要な事ですし、役に立ってるなと思います。だからこそ、必死で卒論を書いてほしいと思うし、熱くかたるのですが、理解してもらうことも無く、今は目先の作業の膨大さにうっとうしくなっている後輩たちをも見ていると、悲しくもなりますが、後輩たちのつらさも理解できるので、黙ってしまいます。せめて、書きあがった後に、自分たちは一歩、前進したんだ、卒論は無駄じゃなかったんだと思ってほしいものです。
Nov 10, 2005
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仕事場の先輩Kさんは目が大きくて、いつも笑顔で、しゃべる時に首を上下させながら艶かしい姿の、にきびだらけの二十代後半歳です。そんな、Kさん、今日は仕事が忙しいらしく、業者の連絡待ちらしく、パンをほおばりつつ、PCに向かう姿はまさに闘神。目をギラギラさせ、鼻息荒く、口が厳しい。けど、そうしながら、キーボードにボロボロとパンくずをこぼす姿は、あっちにいったボケ老人を彷彿とさせてくれました。
Nov 9, 2005
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某地方の某公共機関で、皆様の税金で食わしていただいてます。公僕として、皆様のために精魂尽くして働かなければと、日々、引き締まる思いで働いております。といいつつ、仕事中にも関わらず、日記をつけてみようかなと思い立ったわけです。つまり、私的な事に公の時間を費やそうとしているわけです。ああ、なんて税金の無駄使い。後輩のIという女の子の話。Iはすらっとした女の子で大学生。彼女は一年ぐらい付き合ってる彼氏がいるが、どうしようもない。というのは、彼氏に言われるらしい。「愛してない」と。付き合ってから、昼間にデートすることも無く、プレゼントももらわず、会いたいというと、本が読みたいから無理、一人でいたいから帰れと言われるI。そんなもんだから、三ヶ月に一回ぐらい、「もう、分かれました」とわめきだすのだが、「一人寝に耐えれない。添い寝したい」と、すぐにまたわめきだし、深夜のローソンに車を停め男のとこに行く毎日。男自体は、添い寝されても手を出すわけでもなく、やさしくするわけでもなく、ただ、そのままらしい。Iはもちろん、「私は不幸な女だ」というが、いや、むしろ、「不幸な自分によっている駄目な女だ」と、まずは自分を見つめなおせ。
Nov 9, 2005
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