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各機関の夏季休業のお知らせが某所より,一斉配信されてくる。 各機関がうちの大学に対して,お知らせしてくれるのは良い。むしろ,親切だ。 けれども,なんで,そのお知らせを学内津々浦々までお知らせしないといけないのだろうか?念のためと思っているのならば,全大学を調査して,とりまとめたものを送って欲しい。そんな気がないなら,送らないでよ? なんのための通知なのか,いまいちわからないんだよなあ。
Jul 10, 2008
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mixiばかりをしていて,こちらはとにかく放置。けど,mixiは友人ばかりで愚痴が吐きにくいからなあと,こちらで愚痴を吐いてみる。さて,コクダイパンについてである。http://blog.kokudaipan.info/コクダイパンとは国立大学職員一般職員の事を対象とした自発的かつ全国的な勉強会である。イメージとして国立大学職員一般職員の学会という感じなのだろうか。共通する課題に対し,全国的に有志を集め,年1回,フォーラムと懇親会を行う。その結果を受けて提言を行う。まさに国立大学一般職員を対象とした学会だ。ちなみに自分のとこでも,自分のような年代の連中が集まって自発的な勉強会を行っている。今年で3年目だ。内容としては,業務情報交換が主だけれども,今年ぐらいから「改革案」的なものを検討しようかという話になってきた。勉強会を起ち上げたのは自分だ。自分というと大声過ぎるが,みんながやろうかという気持ちはあったので,ちょっとだけまとめ役になった。 自分とその同期が集まって,てか,このままだと自分たちが「やばい」んじゃないか。という意識で,とりあえず情報交換をしようという事で集まってみた。この場合の「やばい」にはいろいろな意味が込められている。大学に求められる役割が変化しているのに,大学全体が変化に対応していないから,「やばい」。事務職員の業務が,従来の右から左だと対応できないぐらい複雑化しているのに,誰もなんもしていないから「やばい」。公務員体質だから「やばい」。OJTだけで,研修が少なく,専門馬鹿になりそうだから「やばい」。等々。「やばい」の意識が自発的な勉強会の起ち上げに結び付いたのだ。それはいい。ただ,思うのだ。事務職員が集団化し,何かしらの改革のアイデアを作ったとして,結局,行うのは教員の方々なのではないか。事務職員は研究も教育は行えない。地域貢献はできるのかもしれないけれど,それはあくまで「地域のゴミ拾い」的なものでしかなく,大学が持つ「知」を利用したものではないだろう。そうなると思うのは事務職員「だけ」が集団化し改革を掲げることは,大学というものをはき違える結果にならないか。 いや,良い点も数限りなく思いつくのだけれども,どうも懐疑的にならざるを得ない。自分としては,事務職員は事務職員で結束するよりも,自学の教員とのコミニュケーションの方がより重要じゃないのか。と思ってしまうのだ。さてさて,どうしよう。下手な考え休むに似たり。それもわかっているんだけれども。
Jul 2, 2008
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週末、実家から母親と父親と仲の良い女性の先生が遊びにきました。先生はアメリカの大学で東洋史を研究なさっている方で,アメリカの某有名大学に籍がありましたが,リタイアされた方です。ちなみに日本人,けど、アメリカ生活のほうが人生の中心です。一緒に近場の観光案内をしたり,食事をご一緒させていただきました。当然、日米の大学の話しがありました。今、日本の大学は大きな過渡期にあります。特に国立大学は法人化され,羽が生えて自由に飛びたてるんだか、重りをつけたまま徒競走をさせられてんだかわからない状況です。そのため、今まで何も考えずに奇人,変人として好きに研究してればよかったのが,突然,普通の社会人として、慣れない事務仕事を押し付けられるという状況になりました。国家財政がおかしくなるなか、費用対効果、コンプライアンス、アカウンタビリティ、社会貢献、地域貢献、就職支援、産学連携、資産運用、病床稼働率等等、国立大学の役割は「象牙の塔」から「裸の城」へ。ただ、問題なのは過渡期特有の減少として,今までのスタッフ,体制で,改革にあたらなくてはならない、また上からの押し付けなので、どうしたいかもよくわからないというとにかく混乱期になっております。結局、今までの公務員型職人と改革派アイデアマンたちが押し合いへし合いしながら、わけわかんねーって感じで日々が過ぎていっているわけです。そして、考えなくてはならないのは、先生方の権限は大きくなっているわけです。つまり、先生方は従来的な研究・教育だけでなく、学生募集等も含めた「経営」の権限が強化されています。異論はあるのかもしれませんが、先生方ってのはめちゃめちゃの権限がありまして、もうなんていうか、事務方の意見ってか、ワークフローとか無視して,「研究と教育と学生のため!」の論理で押し切られたらとてもじゃないがかなわない。そして、その論理は正しいです。むしろ、事務方の方が間違っているというか、もう少しふんぎれないし、ふんばれない。なぜか?それは公務員だから。給与体系や出世に如実に表れています。講師やポスドク等を考えたりしたら議論はつきませんが、結局のところ事務屋は現行の組織体系では,学長になれない。学長は先生しかなれないし、一般企業で言う取締役は天下り。意思決定の部分での事務屋の意見というのはとても小さいし、そこに逆らっても何の得もしない事をよくわかっているわけです。一方で、米国です。米国の一般というよりある大学の事例になります。私は彼女に対し、「私はマスターも出ました。働きながらドクターに行けたらいいなと思います。」と夢見がちの事を言うと「是非、そうしなさい!!」彼女は大賛成なわけです。なぜ彼女が大賛成かというと、「研究職なんてだめだ!!行政職は給料が高くなるから!!」というわけです。彼女によれば、彼女の所属する大学の日本でいう学部長は「行政職」がなる。先生達は小さな委員会等には所属し大学の行政に関わりますが、結局の決定権は「行政職」にある。そして、トップも「行政職」。「行政職」はまさに大学の「経営のスペシャリスト」として存在しているわけです。だから、彼女は「研究職なんてだめだ!」というわけです。つづく。
Nov 13, 2006
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さて、ひさしぶりに日記を書いてみる。こうやってみると、一年間は放置していたんだなあ。飽き性の私らしい☆さて、ちょうど日記を書くのをやめたあたりから、私は自分らの同期の一部と「勉強会」と称して,1月に1回~2月に1回ぐらいのペースで集まっちゃあ、自分の持ち場についてプレゼンしたりされたりを繰り返しております。そもそもの目的は「新人だと,まわりのことわかんないよねー。いろいろ、知りたいよねー。」って事で,自分の持ち場以外の情報を手に入れる事なわけです。なるべく、裏話を交えて,上の人には気づかれないようにw飲み会での戯言だったのをエネルギーが余っている時の私が,勢いではじめてみたのです。ただし、今の私は失速、会の運営は他の人にまかせてます。で、段々と話しは進んでいって、今は自分達でプレゼンするだけでなく、自分より目上でおもしろそうな人を呼んで話しを聞いたりしていたり。呼んでみたのは事務系の中でも上にいる人と,広報の担当者とか。いろんな情報が入ってきて、ネットワークは広がっていく。こうやって派閥とかってでけていくのかなあって、他人事のように眺めております。来月かその次には一番上の人がわざわざ時間を割いてくれるらしい。おーすばらしい。飲み会の戯言がドンドン進んでいく。これからとしては、うちの職場は事務系とそれ以外の断絶がひどいので、それ以外の人たちの話も聞いてみたいなと思うのですが,意外につてはないなと考え中だったりしているのが、今の現状です。
Nov 6, 2006
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頼まれもので4000字のレポートを書かなきゃいけないのですが、終わってない。だって、仕事が終わんなくて、土日しか進められなかったんだもの・・・。あー、昼休みに頭を下げて、一週間伸ばしてもらおう・・・。
Jan 31, 2006
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新年、あけましておめでとうございます。あー、もう2月だ。忙しいです。仕事の量が劇的に増えました。って、いうか、計画的に使おうよ、先生。予算が使えるようになってから、半年あるんだから。まとめて使おうとしないで。って、思います。特に、科研はねえ。この時季に科研で大量購入している先生とか、冷笑です。だって、研究に必要だから、お金を申請してるのに、この年度末ぎりぎりまで、その研究してなかったの?って言いたくなりますもの。って、感じです。こんないやらしい愚痴を言ってますが、実はただただ大変だなあとしか思いません。みんな事情はありますしね。あー、残業しよーっと。
Jan 30, 2006
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2005年の有馬記念はディープインパクトが負けた有馬記念として語り継がれる有馬記念だと思う。 同時にサンデーサイレンス産駒だけが馬券の対象になったということで、 行く末に不安が残る有馬記念だった。。サンデーは死んでいるし、後継は次の三歳世代が最後。 90年代前半から上昇し97年で売り上げ的にピークを迎える中央競馬人気が陰っていく90年代後半から21世紀の競馬の歴史は、そのままサンデーサイレンスの歴史でもある。 サンデー以前のオグリやトウカイテイオーのようなドラマが連続した世界から、社台とサンデーによる圧勝と覇権は、不況の中で、勝ち組と負け組という言葉が表すような社会状況の中で、競馬の世界ですら産まれた時からのトップエリート=サンデー産駒のみがヒーローであるという世界を生み出す。 それは、そのままオグリキャップのような庶民が抱ける偶像とは乖離し、人気が離れていく過程でもあった。 歴代でもタレント揃いだった98年クラシック世代はダービー馬のスペシャルウィークこそサンデー産駒だったが、ライバル馬達はサンデー外である。セイウンスカイはシェリフズスター、キングヘイローはダンシングブレーブ、エルコンドルパさーはキングマンボ、グラスワンダーはシルバーホーク、エアジハードはサクラユタカオーといったメジャーからマイナーまでを揃えていた。それ以後の代表的な同世代的なライバル関係では、テイエムオペラオーとナリタトップロードとアドマイヤベガ、アグネスタキオンとクロフネとジャングルポケット。いつの間にかサンデーの一番星対それ以外の異能の者達という構図ができていたと思う。それはサンデー産駒達があまりにも重賞やGIで席巻しすぎた結果、あまりに「当たり前のようにエリートの強さ」を見せつけていく中で、しかし、ベストパフォーマンスを行うのは常に異能のサンデー外の者達である。クロフネやタニノギムレット、タップダンスシチー、シンボリクリスエス達。その一方で常に優等生的で「つまらない強さ」のサンデーの子達は徐々に多少のパフォーマンスでは個性が発揮できなくなっていった。それがまた、競馬をつまらなくした原因だと思う。普通の強さ。またサンデー産駒。エリート達の出来レースと優等生的な脆さ。その中でディープは血統エリート、サンデー産駒という背景は無視され、 ディープインパクトという確固たる才能と個性のみがクローズアップされ、 三冠というドラマを与えられ、ファンは熱狂した。 それはかつての英雄達がむしろ血統でなく、その個性のみに注目されたように。 事実、オグリキャップやナリタブライアン、トウカイテイオーはその血統自体に注目が集まったのは引退直後だけであり、今では満足な後継すらいない。 ディープは三冠の舞台に立っている間だけ、非サンデーだった。いや、サンデーではあるが、そのサンデーらしさ、極端な瞬発力であり、黒い毛色であり、常のサンデーのような常勝性であるといったものが際立たされ強調され個性となった。サンデーでありながら異能。サンデーでありながら個性的。ディープインパクトは日本の競馬における「サンデー」という現象の一つの到達点として、確固たるドラマを与えられたように思える。そして、それにディープは若き英雄として完璧に応えていってくれた。だが、ディープは負けた。 そして、勝ったのはハーツクライ。サンデー産駒。参着リンカーンもサンデー産駒。 そう、今日の有馬記念はディープが普通の馬ならば、 ただのサンデーが強いだけのいつもの平凡なG1なのだ。 我々がディープに求めたのはそんなものではない。圧倒的に強く、どこからも隙が無いような完全なる覇者。かつてのサイレンススズカやテイエムオペラオーみたいなものではなかった。古くはシンボリルドルフのような絶対的な強さではなかったか。古馬の壁や、疲れなどの言い訳がましい負け方をするようなヒーローはいらないのである。ヒーローは幻想であるべきだった。ディープが負けた。 ディープはただのサンデーと気づいてしまった。どこか心の底で隠していた不安が顕在化した。これで、また僕らは落胆するのだ。やっぱり、サンデーなのかと。所詮はサンデーなのかと。幻想は現実に打ち砕かれるのだと。
Dec 25, 2005
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忘年会ですよ。職場といっても、前回のは部全体だったわけですが、今日はちょっと小さめの課の忘年会だったわけです。ふぐをつつきながら、なごやかに場は過ぎていったわけですが、酒が入ると普段いえないようなハナシになるわけです。というわけで、50過ぎたおっさん二人から説教つД`)いろいろ、聞けるわけですよ。二人とも職場ではかなりえらい方なので、直々に説教食らうという事は光栄なわけです。内容としては、簡単な事です。自分のとこはお金を扱う部署な以上、なんでその事にお金を使うのかという説明責任をおっています。そのための法令や規則もあるわけで、違反したらいけないわけです。公的機関な以上、決まりにはずれた方法で仕事してはいけないのですよ。しかし、日々の業務ではもちろんトラブル続きなわけです。それも、もうどうしようもないようなトラブルってわけでなく、ちょっとしたトラブルですよね。上に相談する事も必要の無いぐらいのトラブル、そんなものは日々、ちょいちょいと対処しているわけです。まあ、現場の知恵ってやつです。が、やっぱり、そういう業務で残った書類は往々にして、ちょっとおかしいわけですが、上も見逃してくれているわけですよ。ですが、今日に限っては、その日々対処している現場の知恵ってのは、建前としてはおかしい!ってのを理解しているのか、ってとこで訓戒をされたわけです。新人なんだから、ちゃんとその辺を理解しているのか不安なんだとさ。いやー、わかってますよー。自分のお手々とお腹はもう真っ黒だてか、そんなんになったのも、最前線にいる現場のおセンセイ様たちがおれ達無視して仕事を進めているからだー。って、思ったりするんですけどね。言わないけど。
Dec 16, 2005
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豪雪!ってわけで、日本海側を中心に雪ばっかふっているわけです。当然、車は雪に埋まっているわけで、早起きしてえっちらおっちら雪かきしてから仕事場にむかうわけです。仕事場は街よりも高地にありますから、当然、雪が降り積もっているわけですよ。そうするとですね、当然。雪かきも職務なわけですよ。いつもより、30分早く駆り出されて雪かきしてきました。仕事の前の一汗。後の仕事はとってもだるいです。けど、思うわけです。雪かきする場所はどこかというと、事務職が働く棟のまわりだけです。あれ?おれたちって、そこらに寒いねーっていいながら、ミニスカはいている人たちのお金で働いているんじゃないかしら?つまり、ユーザーのための雪かきは無し!!!バス停に通じる道も雪かきはしますが、それも結局は自分たちの利害が絡むからだしね。そう僕らは自助努力という言葉の大切さを冷気と雪をもってかみ締めるまで教育してやろうってわけですよ。こんな事いっている自分ですが、職務じゃなかったら誰が他人のために雪かきなんざしてやるか!そこまでのボランティア精神はありませんが、組織としてユーザーを無視した態度はどうなんでしょ?とは思います。
Dec 14, 2005
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ジブリの次回作が『ゲド戦記』に決まったそうで。『ゲド戦記』といえば、言わずとしれた世界三大ファンタジーの一つ。その分、数々のファンタジーの原点と言うべき、設定、表現、世界観などが満載なわけです。読んでみてわかるのですが、古典。という表現がぴったりくると思います。つまり、どこか覚えがある設定ばかり(苦笑それもそのはず、以後のファンタジーが受けた影響の大きさを考えたら当然なわけです。真実の名前、竜との関係、魔法学校、光と闇といったものは特にありがちに思えてしまいます。つまりね、『ゲド戦記』をそのまま映画化してもですね、どっかありきたりな映像、世界観の提示。にしかならない気がするんですよ。危惧しているのですよ。そんな話を『ゲド戦記』ファンの友達の金正日とメールで話しているとですね、「物語はあくまで本と読者の一対一の関係だと思うんだよね。映画化されると、消費されるって図式に転化されるじゃない。それが辛い。」って、一言がメールできたわけです。これは最もだと思うんですよね。古典で思い入れの強いファンがたくさんいるような『ゲド戦記』。ちゃんとした解釈と独自性を発揮した映像を提示できるのか。『ゲド戦記』の持つ静かかつ繊細かつ、人間とは何かを考え抜く世界を、映画として一流のクオリティを持って提示できるのか。見ものです。ちょっと、見ものです。きっと、ヒットするんでしょうけど、なんかそれって、ジブリアニメの持つ偏執狂的なものからかけ離れた、普通の商品としてのヒットの仕方じゃないのかな。ハリウッド映画と何が違うのか。って、いろんな心配があるわけですが、これだけ心配させてくれるだけ、うれしいなって思います。
Dec 13, 2005
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風邪です。仕事中にずーっと、鼻をかんでます。ボックスティッシュを生協に買いにいきました。頭がぼーっとしてます。ってことで、仕事中にミスしまくりヽ(ヽ・∀・)アヒャ? 係長にあきれ顔されてますが、元々は係長の風邪だあ!!!憤っても仕方なく、書類をせっせと作り直しておりました。
Dec 12, 2005
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うちの白馬近くに住んでいるばあさんが、来春にちょっとした多目的スペースを遺品として建設する事になったので、その相談のために、金沢から知り合いの若手建築家3人を連れて一路白馬へ。って、天気予報はめっちゃ雪。行きはよかったのです。相談も順調でした。で、帰り。白馬で急に信号が赤になったので、下り坂の直線でブレーキを踏んだら、つーって、スケート状態で赤信号に突入四駆でスタッドレスだったのにまったくブレーキはきかず、思わずギアをパーキングにいれ慣性にまかせました。そして、北陸自動車道。めっちゃ吹雪最高時速50キロ白馬日帰りはもうきっついです。途中から視点があわなくてぼやーってしてたし、よく事故らなかったなあ。
Dec 11, 2005
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普通に八時に起きて、部屋を片付け、洗濯をし、コインランドリーで乾燥させ、充実した一日。夜にマンガ喫茶に行ったら、「店長が過労のため倒れましたので閉店します」の、張り紙。せつない(つд∩)
Dec 10, 2005
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今日、未明。とっても、人に言えないようなはずかしいことを、満面の笑みで致しました。いやはや。結局のところ。基本設計が不健全ってわけですよ。
Dec 9, 2005
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フジイチにて、中古スタッドレスタイヤを購入、取り付け待ち時間は二時間半。あー、有休とっててよかった。有休はスタッドレスタイヤを買うだけで終わりました。っていうか、買うために有休とりました。そのために、前日に残業までして。民間企業と違い、いつでも気軽に有休使えるのがいいところです☆実はこれはうちの課だけでして、部署によっては毎日10時まで残業しているところもあります。つまり、業務の効率化、平均化ができていないわけでして、うちの人事にコンサルタント能力は無いなと思う今日この頃。ま、中古タイヤの限界と、自分の職場の限界、どっちが早く訪れるかのレースは結構な接戦では無いかと思います。
Dec 7, 2005
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サトラレですよ。マンガ版ですよ。某、花の名前が付く人に貸していたマンガが何ヶ月かぶりに返ってきたので、読み直していたわけですよ。ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!! ですよ。一年ぶりぐらいに読み直してはまってしまったわけです。思い返せば、第一話を雑誌で読んだ時はまだ学部生でして、それはそれは、ものすごい衝撃を受けたわけです。結局、サトラレってのはおもしろい設定を考え付いたもん勝ちの代表みたいなとこがあるわけですよ。周りに自分の考えが伝わっちゃう人間がいる。そいつは超天才。超善人。で、一話を書いちゃったわけですよ。で、その話のオチや展開は極普通なんですけど、テンポの良さと、絵のきれいさでひきつけてくれたわけですよ。その後の連載からが秀逸だと思うわけですよ。というのは、自分の思いついた設定の中で、いや、サトラレってのの最初の人はどんな人だろう?サトラレが医者だったらどうしよう?サトラレが子供だったら?って感じで、ifを思いついた上で、それを綺麗に昇華していくわけです。きれいにきれいに、一つずつ、将棋の一手ずつのような必然と偶然のピラミッドを積み上げるかのように、描かこうとする。破綻しているとこもあるわけですが(展開的に強引とか)、某少年漫画のような締め切りに間に合わないから勢いで!、で済まさず最後まで真摯に考え抜いて描こうとする作者の態度が感じられます。そのあたりが、このマンガのいいところ、この作者のいいところなんだろうなあって、一人心地ながら、感動して泣いております。西山君ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!!
Dec 6, 2005
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笠谷和比古『武士道と日本型能力主義』新潮選書2005徳川時代の武士と武士組織を中心に論考。笠谷氏によると論点は三つ。1、武士個人と組織との関係を武士道を中心に解説。また、武士組織の組織形態も概説。2、徳川幕府の持つ能力主義型人材登用を解説。笠谷氏によれば、江戸幕府の組織形態は、単なる門閥主義ではなく、能力と一定の運さえあれば、下級の武士や、出自が農民の武士でも登用され、組織に活性化をもたらしたとする。3、日本の近代化に果たした武士の役割を解説。2と密接に結びつくが、幕末の主に外交交渉にあたった人材は、優秀であり、時代性と限られた選択の中で最善を尽くしたと論じる。笠谷氏は現代の失業に強い問題関心を抱いており、その一つの結果として、現代人の企業に対する忠誠心の欠如を指摘する。また、今言われるようなグローバルスタンダード・株主優先型の企業を否定し、日本の企業組織と言うものの歴史的特質は江戸時代の武士社会にあったとし、今こそ、日本型組織の再編を主張している。このスタンスは笠谷氏は一貫しており、市民向けの啓蒙書では、単純化すると、現代=アメリカ(笑)=悪、江戸=善、とし、日本の風土に合うのは江戸以来の武士型組織形態であるとする。ただ、この本で問題なのは、笠谷氏がいうような、人材登用も活発で優秀な組織形態である武士組織の総本山である江戸幕府は、幕末維新において倒壊せしめられたそして、出来上がった近代政府は、一時的にせよ、世界の中枢になったという、事実を意図的に排除していることである。これは笠谷氏のスタンスとして一貫しており、常に現代と江戸時代を飛躍的に結び付けるが、その間にある近代についてはうやむや。むしろ、幕末の江戸幕府を賛美するのではなく、なぜ、失敗したのかを中心に据えた方で、失われた十年の日本企業の問題をも浮かび上がるのでは無いだろうか。以上、雑駁な感想。ただ、近世史家としては、近世を賛美する傾向を持ちやすいので自戒する必要もある。賛美することも必要だが、なぜうまくいかなくなったかも考えなくてはならないだろう。
Dec 5, 2005
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発表です。ちっぽけな学会で発表でした。出来はよくなかったです。早口すぎだし、発表の場所を選ぶべきだなあって発表でした。だって、いるのは知識をひけらかしたいおっさんばかりで、自分が「××年に権力主導で建てられたAやBはそのような目的はなかった」とレジュメに書いたわけです。実際はAとBは数年ずれがありますが、普通、一緒に考えられています。自分のいいたいことは、権力側が『作らなかった』事を問題にしたいだけなわけです。が、しかし、敵「というか、××年にはまだ、この建物はなかったのではありませんか?」自分「書き方が悪かったです。すみません。」「ということは、このような目的の建物がなかったという事でよろしいですか?」「いや、そうではなく、このような目的の建物が権力主導でたてられていないことが問題でして。私的なものはありました。」「あなた、さっき、××年にこんな建物無いっていったじゃないですか。建物がなければできないでしょ!」「いや、権力主導の建物がないだけで、私的なものはあります!(あるんですってば。)」あー、だめだ、おれ。もっと、わかりやすい説明ができないとダメですね。反省仕切りでした。なお、その敵は発表で事実誤認ばかりしている思い込み満載の発表をしていました。ちゃんと相手している重要性はあまりなかったのだと思いました。なんというか、お山の大将って感じのプライドだけが高い人で、おじいさんですし仕方ないのですが、勉強して来い、ボケって、かんじー。きぶんわるーい。
Dec 4, 2005
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朝の九時には解散と言うちょっと二日酔い気味な中で、家に着き、コタツに入り、熟睡。爆睡。夕方から登校して、レジュメのチェックと、印刷。そして打ち合わせ。以上。
Dec 3, 2005
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今日は、忘年会。仕事終わってすぐ、そのままにある温泉地まで、ひとっとびです。普段、離れで仕事をしている自分としては、同じ部署といいつつほとんどの人の顔を知らないわけですよ。で、忘年会と言う事で豪華温泉旅館に一晩、閉じ込められるわけですよ。酒。酒。酒。酒。ビールから始まり、日本酒を飲み干し、ワインを瓶の四分の一ぐらいを一気飲みし、ふらふら、へらへらしながら、いろんな人と話していましたが、覚えてないただ、ちょっとだけ覚えているのは、1.上の人ほど、現場との接点が無い事に苦悩している。2.現場での仕事と、例規や法律という建前の理解。3.労働争議にはいろんな形態があった。とかですかね。いやー。まあ、酒が美味しかったので、それでいいんです。へらへらしている変な奴というレッテルが貼られていたらうれしいな。
Dec 2, 2005
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前回、大変、憤ってみた。憤ってみつつ、だからといって、特に誰かに恨みがあるわけでもなく。しょーがねーなーの、一言でだいたいが終わっちゃうわけです。仕事だしね。みんな、いろんな立場があるからね。ただ、思うのは、じゃあ、どこまで互いを理解できている?ってハナシでありまして。人それぞれ、己の立場と、己の仕事があるわけですから、全部が全部理解しろとは言いませんが、無理って、言ったら、無理なんです。それだけは、理解しなきゃと思うし、理解してもらわないとと、思うわけです。いくら、ごねても業者に在庫は無いし、電話連絡を事前に一つもしないで、明日までに、これ欲しいって言われても無理なんです。誰かはあんたのパシリじゃないのー!!って、思うわけですよ。と、同時に今日中に物が来ないと研究できないのー!!!って、言われたら、こっちもどうしようもないわけですよ。もう、平謝りですよ。正論ですよ。すみません。ごめんなさい。けど、そんな文句も、実は事前にちゃんとアナウンスをしっかりすれば良いだけのハナシなんじゃないのか?また、ちゃんと、聞いて理解する態度をとってくださいますか?相互理解と共存共栄。いろんな人がいろんな立場でよりかかったり、突き放したりしながら一緒に生きている以上、また、官僚制、日本的と言われるように、横のつながりと根回しが必要な組織にいるんだから、「トイレに行ってきます」的な些細な事柄からしっかり、周りに伝えておく必要があるなと思います。それと、自分と関係ない、金のハナシ、人事のハナシ、組織のハナシ、とかに興味を持ってくださいなと。これは自分にも言えるわけですよ。意外に、セクショナリズムと無関心でどうにかなっちゃう感じに動いていますから、まずは回りが何をしているのか情報としてしっとく必要はありそうだなと思いました。リスクは事前に回避したいですからね。立場が違うから、ハナシがわからないってのは、おかしいし、立場が違うから、ハナシが通らなくて当然ってのも、おかしいんですよ。むしろ、もっと、理解してー!うん、理解するー!!!って叫びながら、全裸になって抱き合うぐらいじゃないとね。結局、今日もセクハラです。だから、同期の女の子たちに最近、蔑みの目で見られてます。あは。
Dec 1, 2005
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どんなとこもそうでしょうが、予算ってものがあります。自分のとこは、公共系なので、原則単年度使いきり型です。いくら、改革が行われ、制度が変わろうが、慣習にはなかなか逆らえないから、単年度使いきりというハナシになるので、年度末ってのは意識されます。また、支払いは買ったものが納品されてから、請求書をもらって、それを基に支払いを行うので、必然的に来年の3月までに納品されないといけないわけですよ。で、予算ってのは、年度当初で枠が決まってるものもありますが、途中で増額になるものもあるわけですよ。そうすると、突然、予算が付いたからあきらめていたあの物品をかっちゃえーみたいなハナシが出てくるわけですよ。そうなるとにわかに慌しくなり、時間との勝負がはじまるわけです。輸入品とかだったら、納品されるまでに時間もかかるわけだから、早めに契約を行わければならない。けど、別に普通の買い物じゃなく、税金ですから、高額なら入札ってのをしなくてはならないわけです。その準備にどうしても、一ヶ月は、かかるわけです。そうなると、例えば、納期が二ヶ月かかるものは、一月中に契約を済ませたいから、入札の準備は12月に行わなくてはならない。って、事になります。やめてくれ!!とは、言いませんよ。仕事ですから。突然、欲しいって思うってことはよくありますもん。こっちはがんばりますよ。業者呼んで、なだめすかして、打ち合わせして。けどさ、ハナシをこっちに持ってきたその日に「今週中に契約できる?」って、聞くのはやめてくれ!てか、業者とばっか話して、勝手にスケジュール組んでから、こっちに持ってくるな!!内部の都合ってものもあるんだ!あんたがもらってる金は、あんたのポケットマネーじゃなくて、税金なんだぞ!????優秀な研究者の前に、善良な社会人!!!!で、自分の思うとおりにいかなかったら、業者を怒鳴りつけるのはやめろ!!むこうも仕事だぞ!!!!! って、思いますよね。まだ、こっちに怒れよ。そしたら、こっちも言い返してやるのに。特に、突然もらった予算でも無く、年度初めから決まってる予算だったら、夏にはハナシをだしてこい、って思います(ボソ<続く>
Nov 30, 2005
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一言。今日は火曜日。今日から、大詰めです。日曜の発表に向けて、大詰めです。先に作ったレジュメの第一稿について、先生からアドバイスをもらい、慌てて、改定増補。明日も、仕事だなー。
Nov 29, 2005
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修論前の発表かーい。毎年、恒例の修士二年による研究発表会がありました。発表と言うのは、見ず知らずのおっさんたちにわたしをみてーーーーーーーーー!!!!って、大また開いて、自分をさらけ出すような行為なわけです。露出度が高ければ、高いほどよくへたに和紙で作った着物を水に濡らすとか、手をこんだことをしてみると、逆によくわからん。てか、どこの一部のマニアを刺激してるんだってハナシになります。そのため、小道具も、ドライバーを手にもたれるよりも、あきらかに違うこけしを使われたほうがわかりやすい。要はどこまで、一般大衆向けにそそる発表をするべきかってハナシなんですよね。けど、それは一方で広すぎて深まりが無い、中学生のしったかぶりになっちゃうわけです。やっぱり、一方で、飲みながら語る、自分のちょっと変わった趣味ぐらいのマニアっぽさも必要なので、そのあんばいがむずかしいなあって思いました。発表者は全員、趣味はマニアけど、する時は、正常位って感じでしたから、フェチを押し殺した、いい発表だったかと思います。まあ一人、フェチに走りすぎて、みんながひいていましたが。以上、真面目な話を卑猥に語ってみました。
Nov 28, 2005
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仕事場の同期達で飲み会です。同期の7割ぐらいの20人程度が集まって、飲み会です。如何せん他の部署の人とはつながりが持ちにくいので、親睦を深めながら情報交換をしましょう、ということで、はじめた月一程度の同期会。今ではもっぱら、親睦ばかりが深まってます。けど、そんなんでも仕事場の愚痴とかは出てくるわけです。一人、K氏は憤る。上は何がしたいのだろうか。こんな、毎日を過ごしていたら、煩雑な業務が増えるだけで、意味が無い。また、一人M氏はクールに言い放つ。官僚制が腐敗する歴史的現場を目の当たりにしている。だからといって、新人なぼくらが何をすればいいのか、憤りの思いと酒量だけが増え、夜は明けていきました。
Nov 27, 2005
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仕事が終わると倒れるように寝て、起きたら朝の四時。そこから、ちょっと勉強を開始。そんなこんなで朝を迎え、気づいたら昼前。ふっと、携帯を見ると、後輩からのメール。「温泉ヽ(´Д`;)ノ ランタ タン♪」というわけで、野郎二人で、温泉です。行き先は、大学を横切り、ダムを横切り、山道をくねくねして、ぬくもりの郷というとこです。ここは温泉だけでなく、地元の農家の人たちの持ち寄りの格安特産品コーナーなどもあり、なぜか北陸のくせにみかんが安かったりするんですが、休憩所もある、ちょっとした総合コミニュティスペース。最近、町おこしや村おこしの一つとして、早朝市場とかを村内で開き、近隣、市町村からの買い物客をあてこむなんてスペースを経営する地方共同体は少なくないわけですが、ここは買い物だけでなく、温泉も入れるという総合型。山間の辺鄙なとこにあるくせに、結構にぎわってます。北陸の冬の天気は生理中のおなごのようにヒステリックでうつろいやすいものですが、今日は終始、曇りで安定。そこの温泉は山の中腹のがけっぷちに立っているので、露天が周辺の山々を見下ろす感じの勇壮な景色に包まれて、晩秋の山のこもった色の紅葉がさみしさを彩りながらも、心を美しく流してくれるという、身体のケアだけでなく、心のケアまでしてくれました。あー。ここは疲れた男二人にはぴったりだなああ。。。。。。
Nov 26, 2005
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先日、自分が卒業した大学の研究室に仕事が早く終わったので、スミマセン税金ドロボーッス遊びに行きました。ちょうど、先生たちがいたので、話していたわけです。先生たちは会議が終わってすぐらしく、愚痴を軽く言われたわけです。その会議はどうやら来年度予算やカリキュラムに関するもので、悩み悩ませ、頭が痛くなるものだったそうです。国立大学は法人化し、大学ってのは競争状態に陥ってきたわけです。その中で、文系学問への世間の目は厳しい。社会への有用性や、目に見える進歩が求められるせっかちな世の中にとっては、文系はまさに無駄使いばかりしている、意味の無いものにとられがち。また、大学自体もお金に結びつかない基礎研究ばかりする、特権学者の集まりとみられがちでして、これらかどうやって、社会とリンクし、アピールし、お金をとってくるかという経営判断が重要になっていく事でしょう。それは簡単には教員に手をだせる領域ではなく、けど、口を出さないと自分たちが無視されてしまうというジレンマ。先生たちは苦悩しているみたいでした。先生「うん。これからはやっぱ大学にも経営のプロが必要だなあ。どうやったら、呼んでこれるんだろうか。」自分「そうですよねー。やっぱ、経営判断は一筋縄ではいかないですもの。」先生「うん。僕なんかは現場主義じゃない?経営は経営のプロに任せて、現場は教育のプロにまかせてほしいよね!!」この先生、自分の現役時代から、曰くその先生に自分の研究のアドバイスを求めるぐらいなら、他の専攻の先生にアドバイスをもらったほうが有益だ。曰く今、必要なのは就職活動なのに、研究の話をされても困る。曰く全員が全員、研究者になりたいわけじゃないのに。曰く具体的な方向性の相談をしているのに、理想論を語られても困る。曰く使えない。と、生徒が必要とする時に、自分の意見を押し付けていく教員だったわけです。それはそれで、先生の意見は立派なものですし、生徒におもねる必要も無いわけですが、生徒から使えないとまで思われていても、自分はプロっていうかあ。プロってじゃあ、なんなんだ!!!って、疑問は尽きるばかりで、自分の母校の将来が心配になります。
Nov 25, 2005
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結構、地味だなあって思っていた知り合いがmixiをしている(自分もしてます)ってのを聞いていたわけです。で、mixiのそいつのHPを見たわけです。あー。mixiでたくさん、友達いるなあ。コミニュティに参加しまくりだなあ。ネットと現実の区別がつかなくなってきたとはいえ、リアルの地味な感じと、ネットでのがんばっている感じを見ていると、その人の抱えている、ちょっとした心の闇を透かし見た感じがしたので、嫌な気分です。意外に、友達のネット状況は見なくてもいいのかもしんないなって思いました。見たくなかったなあ。
Nov 24, 2005
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昨日は飲み会でした。飲み会は総勢9人でした。その中に1組カップルがいました。で、二次会もそろそろ解散と言うことで〆の言葉をカップルの男の方にいいました。男たちは酔っ払ってるから、二人を冷やかしてばかりいました。そしたら、その男が〆の挨拶として、「・・・・ほれてます・・・・!!」って、対面の彼女さんに頭を下げながら言いやがりました。くそー!!なんて、かっこいーんDAAA!!!!!!きっと、その後の二人は燃えたに違いないなあって、熊本ラーメンを食べながら、自分の両手と、股間を見ながらひとりぼっちか・・・・。って、つぶやきました。
Nov 23, 2005
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業者さんから見積もりがきたわけです。見積もりと言うのは、どれだけ、コストがかかるかを計算したものなわけです。項目毎に単価があり、それが何個あるか示したりしてくれて、総額でいくらかかる書いたものなわけです。それを書いたものを見積書っていうわけですよ。で、その見積書を見て、こっちは予算と相談しながら、高いとか安いとか、無駄なとこがあるとか、相談したいわけですよ。ここの経費かかりすぎとか、ここはやっぱいらないとか。つまり、見積書がしっかりしてくれないと、困るんですよ。で、今日来た見積書はそれなりにもっともらしいものなわけですよ。で、相手方から電話かかってきたから、交渉開始ですよ。で、聞くわけですよ。ここの項目いらないんじゃないの?もちろん、安くして欲しいからですよ。その項目分の経費が無かったら、安くなりますもの。しかも、不要な項目だと思ってますからね。けど、相手方がですね。「いや、その項目は必要なんですよ。うち的に。やっぱ、その項目分経費かかってますから。まあ、結局のとこですね、いくらひけばいいんですか?それに合わせますから。」いやね。そうじゃないのよ。純粋にそこの項目がいらないと思ってるから引いて欲しいのよ。そのほかに不満はないのよ。そこだけが不満なのよ。だから、総額削るよりも、そこの項目無くせといいたいのよ。けど、むこうは「うるさいなあ。結局、今回の見積書なんて丼勘定を無理やり計算してるんですよ。だから、総額で話してくれた方がいいんですよ」と、裏で思ってるのかなあって、こっちは思っちゃうわけですよ。つまりですね。その、見積書が信用できないんですよ。まあ、総額安くしてくれるならそれでいいかと思って、安くしてもらいました。業者も担当さんも様々だから、いちいち腹をたててらんねーや、けっ。あー。休み明けには前に書いた業者さんに電話しなきゃなあ・・・・。めんどいなー
Nov 22, 2005
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通常の手続きじゃない支払いの書類が回る時があります。海外出張とかで、見つけちゃった、どうしても必要な物品とかを、とりあえずその場で買ってから、後で立て替えたってことで、領収書とかが回ってくるわけです。通常なら業者さんに支払う金が、その出張した個人に行くだけの話しなんですね。で、まあ、そのための支払い書類見たいのを作ってもらうんですが、それって結局、部局とかが作るわけではなく、その個人に作ってもらうのですよ。で、特にフォーマットらしい、フォーマットが決まってるわけでもないんですよ。そうなるとですね、部局で一応、チェック受けるんですけどね、適当な書類(請求書)が回ってくるんですよ。だって、別に部局もどんな書類が正しいのか知っているわけでは無いからです。建前的には部局がOKだしたものは支払うということにはなってます。がですね。結局、自分とこで、この書類を通すか通さないかの決定をするわけですよ。だって、部局の判断なんていい加減なものだし。だからといってですよ、些細なミスがあったから、書き直してきてー、って突っぱねるのもかわいそうですから、足りないところはボールペンで書き足し、括弧をつけたりして「通る書類」の形にしてしまうわけです。これはそういう慣習ってハナシなんです。この慣習の良し悪しというのは置いておきます。ここで考えるのは、個人と部局はどういう書類なら通るのか、聞いたこともないし、教えてもらった事もないということになります。マニュアルが無いんです。マニュアルが無いって事は、結局、海外出張が多い人は必然的に経験が多いので、なんとなく理解していきます。五年に一回とかしか、しないような人は全くわからないまま、適当にやってしまうわけですよ。で、部局もなんとなくでやっているところがある。そういう曖昧さがある。僕らも不満はあっても、言わない。なぜなら、些細な事過ぎて、言っても仕方ないような事が多いから。一つ、一つの現場でいろんな改竄や手直しを加えた結果として、一つの事象がなんとなく通っているというわけですが、一番良いのは、最初から完成していればいいわけです。けど、その完成させるためにはどうしたらいいのかという情報が流れていかず、一つ、一つの現場で止まってしまう。情報が汚い沼みたいに沈殿していくんです。たぶん、これは組織の体質です。全体として隣が何をしているのか知らないし、隣がしていることを知ろうともしないし、隣のために働くというときは自己犠牲をしようとする。最初は自己犠牲もありだなと思ったのですが、それよりもどんどん情報を垂れ流し、失敗であったり、不満であったりして、みんなに知ってもらったほうが何かとうまくいくのではないのか。自分の職場は、明確に役割がわかれた二つの集団が互いに監視しあうようにしてそびえています。その二つの集団がもっと御互いの事に興味持てばいいんじゃないの?御互いの事を分かち合おうとすることが必要なんじゃないのかなと、強く思います。そのためにはとにかく、がんがん、情報を流すことだよなあって思うのですが、どうやって発信したらよいんですかねー。考えどこです。
Nov 21, 2005
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ふっかーっつ!!!!!!高橋尚子なんですけどね。25kmぐらいを過ぎたとこでテレビをつけまして、そのままぼーっと見続けてました。マラソンは普段は見ないんですけどねー、高橋尚子だけはよく見ます。って、見た覚えあるのはシドニーと今回だけなんですけどさwそれでも、おれにとっては見るほうの選手だ。シドニーの時は、めっさ、寝起きでパジャマのままで、シャワーも浴びずにずーっと見てました。今回はシャワーを浴びてはいましたが、ぼーっとした、軽い二日酔い明けの体で見てました。高橋はすごいですね。勝ち方がドラマチック。前回、失敗した上り坂からスパートしたりとか、レース前に怪我してるの発表したりとか、劇場型の人生ですよね。こういうわけのわからない、無理やりに勝っちゃう人がほんとの英雄になるんだろうなあ。に、対して、競馬のマイルチャンピオンシップですよ。高橋のカタルシスに勝つには、大外からデュランダルがぶっこぬいてくる以外のシナリオは考えられないじゃないですか。しかも、ありえない足とか使って。けど、伸びないし、勝つのはペリエだし、どうもドラマに欠けてしまったなと思うわけです。大番狂わせでもなく、世代交代でもなく、中途半端感漂う、GIに、こりゃ、やっぱりマイル戦線はつまらないままなのかなって思っちゃいます。次週はジャパンカップですが、予想的にはおもしろいですが、御祭りとしては盛り上がらない感じがするので、競馬も有馬記念までは淡々と見るだけですね。K-1も武蔵がつまらない試合してくれたし、なんかうさんくさいし、どうしようもない。NOAHは田上の変な貫禄に笑えます。
Nov 20, 2005
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今日は何事もなく、図書館に行き、史料をコピーし、たこ焼きを食べ、マンガ喫茶に行き、ちょっとだけ大学に行き、飲み会へ。あー、ぼんやりしたいい日だったなあ。
Nov 19, 2005
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今日は、今までやったことのない仕事を教わりました。自分の係りの業務範囲だし、通常業務の一つなのですが、ただ、単にやる機会が無かったというだけなんですけどね。さて、仕事の詳しい内容はおいておきます。新しい仕事を教わる時や教える時なんですが、どういう教え方や教わり方がいいんでしょうか。自分は最初に全ての段取りを全部提示されておいて欲しい人間です。つまり、仕事のスケジュールややること全てをとにかくリストアップされ、一気呵成におおざっぱに詰め込まれてから、さあ、やってみなって感じでまかされるのがいいわけです。もちろん、一つ、一つのステップ毎に上に報告しますが、基本的に全体がわかってから仕事をしたいタイプなんですね。常に全体を考えて、今の行動にどういう意味があるか考えてしまうタイプなんです。ですが、自分の上は、どちらかというと一つずつ、一つずつやらせてから、全体を覚えて欲しいタイプなんですね。「これやって。」→「終わりました」→「じゃあ、次あれやって」→etcで、そうやっているうちに、一つの仕事が終わっていくし、覚えていくという感じです。一つ一つを別に丁寧に教えてもらうわけではないので、必然的にこっちからの質問は増えます。それがおれにはまどろっこしい。上は「察しろ。自分で考えろ」って言いたいみたいですが、「知るか。わかるか。こっちははじめてじゃ。しきたりなんぞ知らんのじゃ。」って感じで、すねますwこれは、タイプの違いなわけだし、仕方無い事なんですが、自分からすると、全体がわからないから、不安になるわけなんです。今の一つ一つがどういう意味かわからない。上の意図としては、一つ、一つ、覚えて、まずは体験してくれって感じなのでしょうが、それがおれにはまどろっこしい。手取り足取りになるし、本当は良くないのかもしれませんが、最初にきっちり全体の行程を見せてもらったほうが、やりやすいんですよね。また、ある程度、示された全体の中で、自分なりの改善点を見つけて、仕事に反映することができるし、他の仕事とからめての作業スケジュールを自分なりに組み立てられるわけですよ。一つ、一つだと、それにかかりっきりになるので、非常に効率が悪い気がするわけです。まあ、タイプの違いですね。どちらがいいというわけではなく、ちょっとストレスを感じるなあって思うってだけのハナシなんですけどね。今日も新しい書類作る時に、これ、作っておいてって感じでまかされたので、どこをどう作れば良いのか、なんのためなのか、いちいちこちらから聞いていたので、互いにまどろっこしいなあって顔してました(笑
Nov 18, 2005
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自分は昔っから、季節の変わり目には風邪をひくという虚弱体質です。なんども、経験している事なのですから、季節の変わり目になったら、温かい格好をするとかすれば、いいじゃないかと思ったりもするのですが、往々にして、そういう準備をしたほうが風邪を引きますね。なので、むしろ、何もしない方がいいみたいな。去年までは、別に風邪をひいても学生だったんで、授業なんてさぼればいいやとばかりに寝込んでいたのですが、今年からは仕事をし始めたので、そうも言ってられない。実は、昔から寝込んだほうが風邪が長引くという都合のいい体質です。例えば、熱が37.5度あるし、気分悪いし今日は授業も大した事ないし、一日寝よう。明日には治るだろう。なんて、事すると、次の日には熱がなぜか39度でるという特異体質。逆に、あー、38度超えたー、けど、ゼミ前だし、無理しなきゃーって無理やり活動していると、なぜか次の日は平日でバリバリできるという、自分を労わるためにはどうしたらいいのかが、わかりません。それで、今日も、仕事中から、ものすごーく、頭が痛くなってきて、やってらんねーって感じだったわけですが、仕事場に常備してあるバファリンを飲んで、無理やり仕事していたら、段々、痛みを治まってきました。まあ、残業はしないで今日は寝ておこう、もしかしたら、起きたら大病かもしれない、なんて、思っていましたが、起きたら頭はすっきり、目覚めは爽快。あー、この仕事のために体調を勝手に整えてくれる我が身体にやるせない憤りを感じます。
Nov 17, 2005
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巷では公務員改革が必須と叫ばれています。北海道庁では、一割の削減だそうで、ストライキも必至だとか・・・。(http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/hokkaido/news/20051117ddlk01010101000c.html)公僕たる公務員が、一般の人々より厚遇されているのに、ストライキするなんて何事だ!っていう声が多いのはわかるのですが、我が身に降りかかりそうなので、ちょっと考えさせられます。我が職場も、このたびの人事院勧告に従って、給与削減の案が出ているのですが、そりゃ、もちろん反対運動が起こってます。給与削減自体は致し方ないという気持ちはあります。もう、守られている時代ではないし、そんな意識ではだめなんだとも思ってます。けど、ですねー。うちは厳密にいうと「公務員」じゃないんですよー。あくまで、独立採算制の某職員(もちろん,国からの援助はありますが)。となるとですねー。人件費の削減するのはいいんですが、「人事院勧告がでたから。」ではなくて、「経営戦略上必要なことだから。」という、はっきりとしたビジョンとデータを示した上での、給与削減であるべきなんじゃないかと思います。今の削減理由は「人事院勧告もでたし、人件費もなるべく削りたいから、むにゃむにゃ。」って、感じでつじつまは合わないし、場当たり的過ぎて、聞いてらんない。そんなにも気づかない、うちの人事やトップは無能の権化ではないかと、思います。無能がトップに入れるから公共系は問題なんですが。
Nov 16, 2005
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IT化が進む、どころか、既に生活はITとやらと同居しないとやっていけない今日、この頃。我が金沢でも来年からついにデジタルテレビ放送が始まるそうですが、自分のテレビはアナログテレビ、しかも、テレビなんて朝ズバしか見てない、今日、この頃。しかも、仕事場のOSはWIN2000だ、セキュリティはだいじょぶなのか!?と、いぶかしむ今日、この頃。ですが、それなりに、IT化にも対応していますし、PCもなくてはならない、必要なツールです。もっと、安くなれよっていっつも思うんですけどね。今日は知り合いが新しいPCを買ったのだが、なんかうまくいかないから見てくれというので、行ってきました。どうやら、DVDが見れないということです。あれ?なんでだろ?と、試しにDVDを入れてみると、「DVDデコーダ」が、ありませんの表示。ん?どういうこと?と、ネットで検索してみると、どうやら、DVDの再生ソフトが無いとの事。ありゃあ。DCDドライブなのに、ソフトがついてないの?と、持ち主に聞くと、そんなん見たこと無いぞ?入ってないの?と、逆に聞かれる始末。しかたねーやー。と、フリーソフトのWMCプレイやーを入れてみるも、全く動かず。ありゃあ。うーむ。こりゃ、ユーザーサポートに聞いたほうが・・・・。あ。メーカーからPC送られてきたときのマニュアルとかセットアップCDってある?ありましたよ。PowerDVDが。ちゃんと、セットアップガイドにインストールしてくださいとの解説つきで。持ち主曰く、今までのPCには全部入っていた。なんで、今回だけ自分でいれないといけないんだ。うーがー。って逆ギレされました。IT化ってのは進みますが、往々にして、人間の不注意こそが、すべての元凶なんだということを、思い知らされました。PCは正しい。
Nov 15, 2005
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自分のいる部署は渉外に近いところがありまして、様々な業者さんと打ち合わせをしなくてはなりません。打ち合わせというか値段の交渉したり、買い入れるものがあれヴぁ、それの納入計画を立てたりです。渉外を担当してますが、その後ろにあるプロジェクトの決定や立案に関わっているわけではないので、なんで、そんな物を買う必要があるのだろうとか、なんなんだろう、これーって、思うことがままあるわけです。ですので、自分は素人だなあ。と、思いながら交渉するわけです。その前に、ネットや本などでカタログデータ的な、最低限必要な知識はいれてますが、それではもちろん不十分です。まあ、こちらが、不勉強でも、相手方が親切かつ、よくわかってる人なら問題は起こらないのです。けれど、小さなとこだと、営業と技術の人が全く別で、営業が全然わかってない、もっと最悪なのは、自分出してきた書類すら説明できないって人もいます。今日も遠くの人なので、電話で資料みながら打ち合わせしていたのですが、もちろん、こちらは資料に書かれている事に疑問があるから、打ち合わせするわけですが、その質問にことごとく答えれない。答えた事も間違っていたりして、後でお詫びのメールがきてたりする。ほとほと、いやになります。ただ、相手方がめんどくさいだけで、自分に全権があるなら、問題は無いわけですが、こっちは公共系職員。上にまで、書類を回すというしちめんどくさく、お役所的な事務が待っているわけで・・・。あー。めーんどーいなー。
Nov 14, 2005
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自分が住んでいる市は公立の図書館が充実しています。昨日、行った県立図書館はかなり古臭く、アスベストとかがありそうで、怖いわけです。まあ、古いのは市立の図書館もそうなわけですが、県立はぼろっちいという感じです。それに比べて市立は小奇麗で心地よいわけです。そして、自分の県には公文書館がありません。根強く、自分の恩師であったり、その弟子たちや同輩たちの設立活動はあるのですが、一向にできません。噂によると、新県庁舎を作ったせいで、そんなものを作ってる予算が無いとか。二、三年程前に新県庁舎が郊外にできた事で、旧県庁舎から人や物が移転したわけですが、その際にも、大量の行政文書が廃棄されてしまったそうです。公文書館があれば、そういうの文書は史料として、収集され、後代に伝わり、新たな事実の発見に寄与する可能性があったわけですが、廃棄されてしまえば、それでおしまい。県庁の暗部が歴史に残らずホッとした人もいるでしょう。一方で、いざというときに昔の行政がどのように判断していたのかの証拠もなくわるけですから、何か問題があったときに解決できないかもしれません。例えば、地権です。戦後すぐから県が使っていた土地は実は、どっかの地主さんの持ち物なんだけど、好意で県に貸していた。で、その当事者であるじい様が亡くなったから遺産整理していたら、そんな権利書がでてきたけど、じい様以外にわからない。じゃあ、県に聞いてみるベと、行ってみたら、証拠書類は煙になっていた。そんな事も考えられるわけですから、やっぱり、行政文書というのはちゃんと保管してもらいたいものです。しかし、自分の住んでるところは歴史ある土地ですから、自ずから古文書の類も多量にあります。そういのはどこにあるのか。まず、県が県立図書館等に保存しています。そして、一番、多量なのは市が史料館を作っていてそこにどさーって保存してあるんです。その規模は全国有数でして、こんな地方都市になぜというぐらい、前近代、特に江戸時代の文書がたくさんあるわけです。なにより、すばらしいのは、日本史を勉強するものにとってはありがたく、市は古文書の価値がわかってないんじゃないかと不安になってしまう、という、その史料の閲覧のされ方にあります。普通の資料館が保存する史料を見ようと思ったら、まず、大学の先生に推薦状を書いてもらい、電話でアポイントメントを取り、閲覧申し込みの書類を郵送し、最後に菓子折りの一つも持ってその場に出向く。まあ、一番、ひどい場合ですが、それぐらい、めんどいわけです。さあ、閲覧だってなったら、まず、手を洗い、白い手袋をはめ、マスクをしなければならない、mustなわけで、しないもんならば、怒髪天を突く資料館員。しかし、自分の市の資料館は、手ぶらできて、目録から選んで、ファミレスのように指差すだけで、どさっと、だるそうな女子高生みたいな感じで渡してくれて、鼻くそをほじくってようが、淫水焼けしてようが、気軽に古文書に触らしてくれる素晴らしいとこなんです。そして、史料の質も、一級品の近世文書がありますか、もっと、全国の研究者に利用されてほしいですよね。お勧めの史料館。金沢市立玉川図書館近世史料館はこちら
Nov 13, 2005
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今日は、郷土史を行っているグループの研究会に顔を出してきました。自分はその研究会に所属しているわけではないのですが、案内が大学の研究室にきていたのが目に入り、まあまあ、興味のあるテーマだったので顔を出してみたわけです。出てみて良かった?良かったですね。といっても、別に自分の研究テーマに直接的に関わりあるわけではないので、自分の研究のためになったというよりは、わざわざ休日である、土曜日にそういう研究会に出てみるという刺激がよかったなと思ったわけです。で、そんな研究会に出てみて、さっそく刺激を受けて、図書館で本を借りました。ちょうど、県立図書館の一室で研究会があったこともあって。分厚い研究書を手に取りました。さあ、そしたら、読むしかないわけです。どこで、読むか。家か、大学まで足を伸ばすか。結局、県立図書館から繁華街のほうにむかい、「純喫茶」と名をうつ、怪しい喫茶店にこもることにしました。その喫茶店は、パーマがかかったストレートの黒髪でやけに棒読みでセリフを言うかのようにしゃべる劇場型の女主人兼占い師がやってるという、まあ、そんな界隈には有名なお店です。店の雰囲気は、『風の谷のナウシカ』のワンシーンにある、皇女ナウシカのラボみたいな感じを想像してください。せまく、雑然としつつ、神秘的な感じなんです。スペイン音楽がフラメンコをかなで、他のお客たちが一所懸命、最近、見た映画や、作った美術品のハナシをしながら、やけに分厚くて、深いコーヒーカップになみなみとそそがれあ、煮詰まったような濃さの怪しいコーヒーを飲みながら、若尾政希『安藤昌益からみえる日本近世』を読んでいると、映画やイメージ的な学生気分を味合いながら、ちょっと思索的にメランコリックな素敵な土曜日をすごせたなあって、満足げです。まあ、こんなちょっと、おしゃれな感じを求め、そこにひたろうとしている自分はなんて、気持ち悪くて、やっぱり、渋谷系とかサブカルとか好きそうな自意識過剰野郎なんだと、つばを吐きたくなる気分にもなるので、どうも二律背反、精神衛生上良かったのか、わるかったのか、わからない土曜日です。
Nov 12, 2005
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引き続き卒論のハナシです。自分は理系ではなく、文系で日本史なので、そこしかわかりません。ですので、以下は自分の経験と観察に基づく意見になります。卒論とは結局のところ、大学が与える卒業認定のために必要な単位の一部なわけです。昨今では卒論が無かったり、代替の単位で卒業させる大学もあります。単位さえあれば卒論はいらないというわけです。講義ならば、寝ても、寝なくても、ノートをとっても、ノートをコピーしても、カンニングしても、試験やレポートを通れば、勝手に単位はとれるわけです。講義において一番の単位の取り方とは何か。それは効率の良い努力では無いかと思います。ある先生がレポートや試験で、講義の内容を問うならば、授業の内容を必死に暗記すればよいでしょう。ある先生は授業の内容ではなく、講義についての自分なりの意見を問うてくるのならば、講義で使った参考文献や、講義のテーマに類する本を読んでみればよいでしょう。先生がどんな問題を出すかわからない、となれば、思いつく限りにノートをまとめ、本を読めばいいでしょう。また、先輩などから情報収集して対策を練ればいいでしょう。結局はどこまで、その講義の単位を取るために努力したのか。それが問われるわけです。卒論はどうか。そうではないです。良い論考、悪い論考を決める差は努力の差ではありません。もちろん、努力は必要です。努力無しに、時間をかけずにかけるわけはありません。ただ、努力した時間に正比例するものではありません。センスやひらめき。これが重要です。そして、自分の思いつきを信じて、そのために努力する必要があるわけです。だから、良い論文を書くのにどうしたら良いですか?と、聞かれたら、そんな答えは無いと、答えるしかない。けれど、悪くない論文を書くのにはどうしたら良いですか?と、聞かれたら、努力。そして、自分を好きになる事です。と、答えます。努力は絶対条件です。そして、卒論は厳しいものです。様々な論文を読み、様々な資料・史料を読み、苦悩していく。自分なりのオリジナリティを作り上げていく。自分の思い付きを説得力あ資料・史料で補足し、先学を批判し、先学にひきづられしながら、オリジナリティあふれる意見を作り上げていく。それは即ちなんなのか。それは自己表現なんです。つまり、自分の事に自信がなく、自分の事が嫌いな人にとってはとても苦痛な作業でしょう。ああ、なんておれは頭が悪いんだ、ああ、なんて私の考える事は浅薄なんだ、と考えて、悲観的に捉え落ち込んでいく。そうしていては突破できません。ああ、おれの思いつきはなんて素晴らしいんだ、けど、根拠が薄いから史料を探ろう、ああ、なんておれはたくさんの資料を集めてえらいやつだ、さあ、ここから何が言えるか考えよう。その程度でいいんです。最初から先学を乗り越えようとするのではなく、自分の良いところは徹底的にほめ、自分に足りないと思うところは素直に受け止め、それを乗り越えようとする。いや、そんなこといっても、私はバイトが忙しくて勉強してないんですよ、だから、良いもの書けるわけが無いんですよ、って意見もあるのでしょうが、ならば、どうしたらバイトと両立できて、かつ、体力的に無理しない方法があるのか、折衷案を考えようじゃないか。常に、どうしたら良い物がかけるのだろうかと、今の自分をみつめ、本当にみつめ、ポジティブに物事を考えていく。それこそ、良い卒論を書くことの絶対条件なんだと思います。それには、今の自分から目を背けるのではなく、セロテープを使ってでも両のまなこを見開き、自分をみつめるしかない。自分と対峙するしかない。自分と対話するしかない。その時に、いいとこを取り上げ、悪いとこを直視する。そうやって、自分を見つめなおす場が卒論なんだと思います。卒論は決して卒業のための儀式ではない。卒論には意味がある。そうやって、自分を見つめ、発見した事はこの後の人生にきっとプラスになる。だから、後輩たちよ、そんなどんよりした目で勉強しないでおくれ。もっと、深い透き通った色を瞳にたたえておくれ。先輩は応援しているぞ。
Nov 11, 2005
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自分は日本史学を勉強している(していた)わけですが、たまには卒業した研究室に顔を出したりします。自分は24歳。今の大学4年生とは3つも離れているわけで、中学を高校時代がかぶっていないということは、結構なジェネレーションギャップがあったりします。とはいえ、今は卒論の追い込みの時期、四年生たちは必死です。卒論への意気込みも千差万別です。就職が決まったし、とりあえず卒業できればいいやと思うもの、大学院への進学を考えていて、少しでも良いものを書き上げたいと考えているもの、先輩としては、出来が良いか悪いかとは違う、日本史を勉強してきた意義みたいのをつかんでもらえたらなと思います。日本史だけではなく、歴史学、ひいては文系学問はこの御時世、無用な学問とみられがちです。確かに、特許はとれませんし、直接的に産業に結びつくわけではありません。そういう意味では、全く役に立ちません。けれど、己を見つめ、社会を見つめ、世界を見つめ、深く深く思索する。とても内面的で個人的にしか効果を発揮しないのかもしれませんが、生き方の鍛錬としてすばらしいものと確信しています。何より、軽挙妄動に流されやすい世の中において、十分にクールでいられるということは素敵な事だと思います。オフィスワーカーとしてのメリットを言うとは、本気で卒論を書くということは膨大な情報を整理しなくてはなりません。情報も紙であったり、データであったり、声であったり様々です。その整理というのも、ノートにしたり、ファイルに入れたり、PCで管理したりするデータ整理から、作業のフローを考え、効率よくかつ効果的に期日までの戦略を立てる等と、必然としてオフィスワーカーとして必要な心構えができているということです。特に自分のような公的な事務職員にとっては極めて重要な事ですし、役に立ってるなと思います。だからこそ、必死で卒論を書いてほしいと思うし、熱くかたるのですが、理解してもらうことも無く、今は目先の作業の膨大さにうっとうしくなっている後輩たちをも見ていると、悲しくもなりますが、後輩たちのつらさも理解できるので、黙ってしまいます。せめて、書きあがった後に、自分たちは一歩、前進したんだ、卒論は無駄じゃなかったんだと思ってほしいものです。
Nov 10, 2005
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仕事場の先輩Kさんは目が大きくて、いつも笑顔で、しゃべる時に首を上下させながら艶かしい姿の、にきびだらけの二十代後半歳です。そんな、Kさん、今日は仕事が忙しいらしく、業者の連絡待ちらしく、パンをほおばりつつ、PCに向かう姿はまさに闘神。目をギラギラさせ、鼻息荒く、口が厳しい。けど、そうしながら、キーボードにボロボロとパンくずをこぼす姿は、あっちにいったボケ老人を彷彿とさせてくれました。
Nov 9, 2005
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某地方の某公共機関で、皆様の税金で食わしていただいてます。公僕として、皆様のために精魂尽くして働かなければと、日々、引き締まる思いで働いております。といいつつ、仕事中にも関わらず、日記をつけてみようかなと思い立ったわけです。つまり、私的な事に公の時間を費やそうとしているわけです。ああ、なんて税金の無駄使い。後輩のIという女の子の話。Iはすらっとした女の子で大学生。彼女は一年ぐらい付き合ってる彼氏がいるが、どうしようもない。というのは、彼氏に言われるらしい。「愛してない」と。付き合ってから、昼間にデートすることも無く、プレゼントももらわず、会いたいというと、本が読みたいから無理、一人でいたいから帰れと言われるI。そんなもんだから、三ヶ月に一回ぐらい、「もう、分かれました」とわめきだすのだが、「一人寝に耐えれない。添い寝したい」と、すぐにまたわめきだし、深夜のローソンに車を停め男のとこに行く毎日。男自体は、添い寝されても手を出すわけでもなく、やさしくするわけでもなく、ただ、そのままらしい。Iはもちろん、「私は不幸な女だ」というが、いや、むしろ、「不幸な自分によっている駄目な女だ」と、まずは自分を見つめなおせ。
Nov 9, 2005
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