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ソンテオから降ろされたンギウラーイ町役場の正面には北へ伸びる道が。行ってみましょう。国鉄南線のワット・ンギウラーイ駅に出るはずです。進むにつれて人家が多くなってきたなと思っていると、道が突き当たりに。正面には駅が見えます。着きました。ワット・ンギウラーイ駅。時刻は、12:02。今回なぜ私がこんな何の変哲もない駅を目指したかですが、昔はそれなりに賑わっていた駅だったからなんです。そんな面影を探そうかと思いまして ^_^;)それと事前にネットで情報収集をした際、この駅に停車する列車は1日に1本のみという書き込みを目にして興味を持ったのもあります。でもつい最近になってそれは全くの誤りであることに気付いたんですよ。上り7本、下り8本が停車するみたいです。ま、普通ですかね。ネットの情報を鵜呑みにしちゃいけませんなぁ…。でも興味深い歴史を持つ駅であることには変わりありません。その辺のことはおいおい書くとしましょう ^^ホームの西端、ナコーンパトム寄りへ。アルファベットで、「WAT NGIU RAI」。この「ング」の子音、語頭に来た時の発音でどれだけ苦労したことか(笑)さて、駅舎はというと、塗装塗り替え工事中で、時刻表やら何やらがほとんど取り外された状態。ちとタイミングが悪かったですねぇ。駅長室?をちらっと覗くと、誰もいない…。ただ制帽が机に置かれているのみ。不用心ですよ~。駅員名簿が駅舎脇に掲示されてましたが、駅長含めて4名が勤務しているんだとか。無人駅でもいいような気がしないでもないですけどね。横には、駅名看板が無造作に立てかけてあるではないですか ^_^;)普段は駅舎正面に掲げてあるんでしょう。その駅舎正面に回って駅前を眺めてみます。なかなか歴史のありそうな集落が現れました。一見して中華系ですね。左に見える奥へと続く路地へ入ってみましょう!<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:32バーツ※旅は2012年8月16日(木)に行いました。つづく
2012/11/29
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2つ前の旅でランパヤー水上マーケットからの帰り道にサーラーヤーへと出た際、本当はそこから行きたい場所があったんです。でも物凄い黒雲が迫って来ていたので、急いで戦勝記念塔行きのバスに乗って帰ってきてしまったのでした。なので、リベンジというか、続きの旅をすべく8月16日(木)に私は再びサーラーヤーへと向かったのでした。まずは戦勝記念塔から515番エアコンバスに乗車。時刻は、09:39。この時間はまだ綺麗に晴れ渡ってるんですけどねぇ。どうせ午後にはスコールになるんでしょう、また -_-;)結構時間がかかりました。10:50にようやくサーラーヤー到着。今回は、マヒドン大学キャンパスの北側へ曲がってすぐで下車してみました。そこには、こんな場所が。ソンテオ待合所、なんでしょうね。お坊さんもいらっしゃいます ^_^;)ここから、国鉄南線のワット・ンギウラーイ駅に行きたいんです。バンコクバスマニアさんから、国鉄南線に沿った道を走るソンテオ路線がある、と聞いたもので、きっとそれならワット・ンギウラーイ駅を通るだろうと。ふとその先に停車中の白いソンテオが目に入りました。あれかなぁ?横っ腹を見ると、「サーラーヤー市場 ムーバーン・プルックサー-4 ンギウラーイ駅」と。やった! しかし中に座っている車掌さんに確認すると、「行かないよ」とのつれない返事。書いてあるのに行かないとは、これいかに -_-;)それから待つこと40分近く。ようやくやって来ました。前面に「ナコーン・チャイシー」と書いてあるのできっと通るでしょう。ちなみに横には「ワット・マクルア プッタモントン サーイ4 サーラーヤー」とあります。11:31発。国鉄南線の南側をほぼ並行して走る道を西へと直進していきます。途中未舗装の箇所を土埃を立てて走り抜けたり…。iPhoneのマップで確認してて、そろそろかなと思ったところで車掌さんが「台湾人だか日本人だか、ここだよ、ンギウラーイは」と言って停めてくれました。どうもありがとうございます!ンギウラーイ町役場の前でした。時刻は、11:56。ここから、そんなに歩かないはずです~。<交通費>515番バス:23バーツソンテオ:9バーツここまでの合計:32バーツ※旅は2012年8月16日(木)に行いました。つづく
2012/11/26
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ソンテオの終点プラサムットチェーディーから渡し船で対岸のパークナムへと渡ることにしましょう。再びアーケードを奥まで歩きます。ちょっぴり閑散とした雰囲気ですけど、夕方の帰宅ラッシュの頃にはそれなりに活気があるのかもしれませんね。奥の船着き場に到着。ゲートが2つ。青:一般 4バーツ赤:制服着用の学生・公務員 3バーツ私でも学生服着てれば3バーツになるかな?(笑)青のゲートで4バーツ支払い、中へ。ずいぶん立派な設備を作ったんですね。長い通路を歩いて…渡し船に乗り込みます!15:07出発!この辺りのチャオプラヤー川は川幅がかなり広いですよね~。外航船が何隻も停泊しているのが見えます。すると渡し船は川の中ほどで停船するじゃないですか。ん?次の瞬間、目の前に巨大な影が出現。うおおお、間近で見るとデカイですね~!まるでスターウォーズのスター・デストロイヤーのよう(笑)左右に2隻並列した格好で目の前というより頭上を通過していきます。この船ってよく見かけますけど、何を積んでいるんでしょう?通過し終えるのを待って再び進み始めた渡し船は対岸のパークナム、ウィブーンシー船着き場に到着。市場を抜けて表通りを左へしばらく歩き、バス停へ。すぐにやって来ました。25番バス!スクンビット通りを走っているので、日本人に馴染みのある路線ではないでしょうか?乗りこみましょう。時刻は、15:22。席についてふと車窓を眺めると、前方にかな~りヤバめな雨雲が。案の定ほどなくして、物凄いスコールに突入。乗客はみんな慌ててバタバタと窓を閉め出しました。スクンビット通りを走った25番バスがBTS高架橋下に入ったところでブザーを押します。BTS始発駅ベーリン駅下で下車。雨に濡れないようダッシュして階段に辿り着きます(笑)ホームに立ちBTSの車両を目にすると、さすがにほっとしますね。時刻は15:48。これにて、今回の旅は完結です。海上に取り残されたワット・クンサムトチーンだけでなく日本軍の銃弾の薬きょうをはじめ、予想もしなかった物や人々に出会えて面白い旅でした。なにしろバンコクから程近く気軽に行ける場所にこんなアドベンチャーを味わえる別世界があることにオドロキです。最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました!次回の旅は、サーラーヤーからの続きの旅です。なにせその時もスコールに見舞われ(る直前でしたが)、旅程を途中で切り上げて帰らざるをえませんでしたので ^_^;)また日本にゆかりのあるモノと出会った旅でした。どうぞお楽しみに!<交通費>渡し船:4バーツ25番バス:7バーツここまでの合計:230バーツ※旅は2012年8月14日(火)に行いました。おわり
2012/11/22
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バーン・クンサムットチーン・ミュージアムから最寄りと言うローンリエン(学校)船着き場へと歩いて行きます。そう言えば自転車を放置して来ちゃいましたが、観光客向けだけではなく集落の人達も使っているようなので、きっとどなたかが乗ってくれるでしょう ^_^;)実際、建設中の中国廟のところにも自転車が数台停めてありましたし。歩き出してほんの4分で船着き場に到着。船着き場には料金表が。パーリー船着き場までの大人料金1人目80バーツ、1人追加毎に10バーツ加算。1艘につき4人まで。06:00~17:00つまり2人だったら合計90バーツだから、一人頭45バーツってことですね。しばらく待っていると遠くからエンジン音が。近づいてきたかと思いきや、ちょっと先で止まりました。きっと来る時に使ったワット・クンサムットチーン船着き場でお客さんを降ろしてからこっちに来るんでしょう。案の定ほどなくして到着。来た時と同じ船頭さんが笑顔でこちらを見てから舟をUターン。ではまたよろしくお願いします ^^14:17出発!エンジン音を再び轟かせた舟はワット・クンサムットチーン船着き場を過ぎ大きく右折。ヒャッホー!舟ってやっぱり気持ちいいですねー。サイコーだ~!!…という時間もそう長くは続かず、6,7分で橋が見えてきました。くぐればパーリー船着き場です。船着き場に到着。80バーツを船頭さんに手渡して陸へと。時刻は、14:24。右手のあずま屋で帰りのソンテオを待つことに。iPhoneをいじりながらのんびりしていると、「何を待っているんですか?」と船着き場受付のおばさん。ソンテオです。「来ましたよ。」という声に道路を振り向くと、ちょうどソンテオが視界に入るところでした。エンジン音で分かるんですね。おばさん、さすがです。ありがとうございます ^^プラサムット・チェーディー行きソンテオ乗車。14:40。トラック・ソンテオは車内が広々としてていいですね~。順調に走り、終点プラサムット・チェーディーに15:03到着。さて、移転した渡し船新船着き場からの初乗船といきますか!<交通費>舟:80バーツソンテオ:8バーツここまでの合計:219バーツ※旅は2012年8月14日(火)に行いました。つづく
2012/11/19
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男性についてミュージアム向かいの建物へ。入ると、台の上に写真アルバムやら資料やらが無造作に広げてある一角が。「どうぞご覧ください」男性が写真アルバムを一つ手に取って私に渡します。沿岸部のマングローブ林の写真なんかが収めれてますが、うーん・・・ ^_^;)「マスコミの方ですか?」男性がおもむろに尋ねてきました。いえいえ、単に観光で来ただけです。「ここには以前、NHKや朝日の記者が来たことがあります」えっ!? なんでですか?「海岸の浸食についての取材でした」へー、こんなところまで日本の記者さんがやって来たんですね。なかなかやりますね、日本のマスコミも!壁には、ワット・クンサムットチーンの年代比較写真が。1974年の写真。まだ周囲はしっかり陸地ですね。そして1991年。陸地の端っこになってしまっています。で、2009年にはすっかり島になってしまってます(>_
2012/11/15
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集会所らしきところから養殖池の中央を横切るように伸びている歩道へ。その真ん中に、これがあります。 バーン・クンサムットチーン 0 バンコク 19 タイ湾 0.500うーん、謎めいた数字だなー。0=バーン・クンサムットチーンから0km19=バンコクからの距離0.500=海抜…かな?右側の面にはバーン・クンサムットチーンへようこそ。と。街道沿いに立っている道標を模しているんでしょうね。観光客向けにこんなものまで作っているのが、ちょっと意外でした。養殖池の岸側を眺めてみます。この右側にさっきの集会所があり、左の並びに建設中の中国廟が。後で分かったことなのですが、アユタヤ時代、中国からのジャンク船がアユタヤへ向けチャオプラヤー川を遡上する前に、この地で停泊して積み荷の商品を一旦陸揚げしていたんだとか。そんなことから住みつく人が出てきて、バーン・クンサムットチーンの集落ができたんだそうな。それで中国廟があるワケなんですね。さらには地名にチーン(中国)とついているのもそういうことですか。ボーッと景色を眺めていると、「そっちはサーラー(ホール?)だよ! こっちはサーンジャオ(中国廟)だ!」とのおばさんの叫び声が。ん? 左の方から聞こえてきましたが、姿が見えません。声のした方へ向かってみますか。中国廟の裏へと歩いて行くと簡素な売店があり、声の主のおばさんと30代男性が。ミュージアムはどこでしょうか?私はニコニコしながら尋ねてみました。ここですよ。どうぞ。男性が指し示す方向には、おぉ、なかなか立派な建物ではないですか。「バーン・クンサムットチーン地域ミュージアム」との看板がかかっています。くだんの男性について行くと、おもむろに扉の鍵を開けてくれました。なんと、責任者さんだったんですね ^_^;)では、お邪魔します。まず目に飛び込んできたのは、大量の割れた中国陶磁器。「全て沖合から引き揚げられたものです」男性が解説もしてくれます ^^昔、ジャンク船に積まれてきたものなんですね。バラストとして積まれて来て廃棄されたのか、はたまた船が難破したのか…。男性がガラスケースに陳列された金属製の筒2本を指差して、「これは日本軍の銃弾です。日本軍の工場で働いていた人から寄贈されました。」なんと!!薬きょうのようですね。機銃徹甲弾かな?こんなところで日本ゆかりの品に出会えるとは思いもしませんでした。もしや、さっきのお坊さんのお陰かな。さらには、ラグビーボール状の特徴的なガラス瓶。これは間違いなく、アンパワー水上マーケットへ行った際に触れた「ナム・マネット」が詰められていた瓶じゃないですか!まさか実物をこの目で見られるとは思いもしませんでした。しかもこの地で!!さらに奥に奇妙なモノを発見。鼻緒のついた高下駄風のコレは、水の溜まったところを歩く際の履物なのだとか。重くて歩き辛そうですね。しかし見ていて昨年の洪水時のコレをつい思い出してしまいました ^_^;)おぉっ、こ、これは!!「カブトガニです。」この辺りにもいるんですか!?「はい、います。」そうなんだ!!でもまさか養殖池で養殖はしていませんよね?「養殖池にはいません」と男性は苦笑い。そりゃそうですよね ^_^;)資料によると、バーン・クンサムットチーンの養殖池では、エビ:バナナエビ、テナガエビ、ブラックタイガーカニ:マングローブ・クラブ、ワタリガニ貝:灰貝、ムール貝(ミドリイガイ)、カキ魚:スズキ、ボラ、ハタなどの養殖をしているそうです。「写真や資料も見ますか?」はい。ついでですからぜひ見てみたいです。男性とともにミュージアムを後にして、向かいにある建物へと向かいます…。<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:131バーツ※旅は2012年8月14日(火)に行いました。つづく<参考資料>『バーン・クンサムットチーン集落観光マニュアル』(タイ語)『サムットプラーカーン県プラサムットチェーディー郡レームファーパー村 バーン・クンサムットチーン集落地域ミュージアム観光マニュアル』(タイ語) ※いずれもバーン・クンサムットチーン・ミュージアムで頂きました。
2012/11/12
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ワット・クンサムットチーンを後にします。前を歩くお坊さんに追いつかないように、自転車をゆっくり漕いで行きますか ^_^;)すると左手には僧坊が。来た時にはあまり気にしませんでしたが、リゾートホテルのコテージみたいですよね~。裏には海が見えていますし!傍からは優雅な修行生活が送れそうに見えますけど、実際はここでの生活って結構大変なんでしょうね。前方には依然、お坊さんがゆったりと歩いています。時折立ち止まってペットボトルの水を飲んだり…。ちょうど海の上を歩いていらっしゃいます ^_^;)そうだ。この先で道がふた手に分かれてるんでした。左は船着き場、右はバーン・クンサムットチーンの集落です。お坊さんが折れた方と違う方向へ行くことにしましょう。するとお坊さん、突き当りで左にくいっと曲がったではないですか。私のバーン・クンサムットチーン集落方面行きが決定~。右に折れてマングローブ林を抜けると・・・コンクリートの橋が途切れて、板きれが一枚渡してあります。これはまた随分な試練だな(笑)ふとゴチャゴチャと立っている看板を見ると、その中に「← バーン・クンサムットチーン・ミュージアム」とあるじゃないですか。ほぉ、どんなものが展示されているんでしょうね。ちょっと興味があります。そっちに行ってみるかな。この橋を渡らなくて済みますし(笑)矢印の示す左側を見やると、このあぜ道を自転車で進むのはキツいですねぇ。ここに停めて歩いて行くとしますか。左手にエビ養殖池が広がる景色の中をトボトボ歩いて行きます。右側には民家がぽつぽつと。結構歩いたけど、まだかな?不安に思い始めていたところ、道沿いの民家の縁側で談笑中の住民の方々に遭遇。すみません、ミュージアムはどこでしょうか?「この先だよ。あの赤い屋根の家がそうだよ。」ん?一番奥に見える建物のことっぽいですね。ありがとうございます!ほどなくして到着したその建物は・・・あんれ? 集会所のようなステージのようなスペースでした。ミュージアムはどこ???辺りを見渡すと、代わりにエビ養殖池の上に何やらあるのを発見。ほう。渡って間近に寄ってみますか!時刻は、13:41。自転車を降りて歩き始めて、ちょうど10分でした。<交通費>自転車に乗って歩いただけなので:0バーツここまでの合計:131バーツ※旅は2012年8月14日(火)に行いました。つづく
2012/11/08
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ワット・クンサムットチーン本堂の南側すぐには広大な海が!足元には波がバシャンバシャンと打ちつけていてちょっと怖いです…。波消し用のコンクリート製杭の内側に東西に伸びる桟橋を西へと歩いてみましょう。端っこまで行こうと思ったものの、ここから先は怖くて進めません ^_^;)沖の景色を眺めると…海の中に柱の列が並んでいるのが分かりますか?実はこれ、電柱なんです。かつてこの先まで陸地だったのが本当である動かぬ証拠。あの電柱の列に沿って道が伸びていたんでしょうね。今度は、桟橋の東端の方へと。電柱の列はこちらまでずっと続いています。眺めていてなんだか悲しい気持ちになっちゃいましたよ。しばしそんな海を眺めていました。さて、戻るとしますか。本堂を振り返ってみます。すぐそこまで海が来てるのがよく分かりますね。境内に戻ると、犬たちが我が物顔で闊歩中。こんなところは普通の寺院と変わりませんね ^^一とおり見たので、海上の寺院、ワット・クンサムットチーンを去ることに。再び自転車に跨ります。時刻は、13:25。ありゃ、前方にはお坊さんが。追い抜くワケにいかないぞ。これは困った -_-;)<交通費>歩いて自転車に乗っただけなので:0バーツここまでの合計:131バーツ※旅は2012年8月14日(火)に行いました。つづく
2012/11/05
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ワット・クンサムットチーンの本堂に歩いて行くと窓の下半分がコンクリートで埋められているのが分かりますか?正面に回ります。やはり。上げ底されているんですね。きっと海水がここまでやって来ることがよくあるんでしょう。こんな不便な場所になぜ寺を建てたんだと思うかもしれませんが、実は深いワケがありまして…。このワット・クンサムット・ターワート(ワット・クンサムットチーン)が建てられたのは1967年。そんなに昔のことではありません。その頃、この辺りはれっきとした陸地だったんです。それが海による陸地の浸食が急速に進み、海岸線がなんと1km以上も後退。周囲の土地が水没する中、寺のあるこの一帯だけが小島として海上に取り残されたんです。こちらの「Thai Temple in the Sea」には、嵐がやって来た際に思いっきり冠水している本堂の様子の写真が掲載されています。怖過ぎですね・・・グーグル・マップの航空写真でも海に取り残されている様子がよく分かります。そんなワケで海水を逃れるために本堂が上げ底されたようで。本堂入口も、まるで茶室に入るかのように身をかがめなければなりません。内部に入ってみると、いたって簡素。海水が沁みたせいか、壁の塗装が剥げてしまってますね。それよりも、コウモリの糞のような臭いが充満しているのがなんとも…。外に出て、もう一度まじまじと見ると、やはり海水に頻繁に浸かるせいか、痛みが激しいですよね。まるでクメール遺跡にいるような錯覚を覚えるほど。本堂のすぐ、ほんの数メートル南側は、もう海!これ以上の浸食を防ごうと護岸工事を地道にしている最中のようです。ちょっと怖いですが、橋を渡って海の間近に立ってみますか!<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:131バーツ※旅は2012年8月14日(火)に行いました。つづく
2012/11/01
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