全8件 (8件中 1-8件目)
1

ラスト及び中に、リンク先追加しました。朝夕はすかり涼しくなってきたこの頃。今が一番しのぎやすい季節ですそして食べ物も美味しく実る頃。夏の暑さと豪雨続きだったけど、意外にきのこは豊作。サンマもやっと降りて来てくれたようです。しかし、今年の冬はまたまた寒波が停滞して北半球はものすごく寒くなるらしいです。短い秋を楽しむのは今しかない ( ^o^)( ^-^)(^~^) モグモグ♪イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 2 (オー・ザルム・ド・ブリュッセル)オー・ザルム・ド・ブリュッセル(Aux Armes de Bruxelles)ギャラリー・ロイヤル・サンチュベール(The Galeries Royales Saint-Hubert )前回紹介したイロ・サクレ(Ilot Sacre)地区の老舗レストラン、オー・ザルム・ド・ブリュッセル(Aux Armes de Bruxelles)の紹介です。このあたりでは高級感がある店と言えますが日本で言う所の「ちょっとおしゃれな洋食屋さん」・・と言う雰囲気です。味はバツグンで値段はそこそこ接客もしっかり 旬の食材を中心にしているので地元の人が多いかもしれません。店内は白いクロスがかけられていて、清潔できれいで静かで落ち着いた雰囲気です。この日は休日の昼だったので家族で食事に来ている人が多かったようです。横には常連のマダムが一人で休日にはないメニューをオーダー。ちゃんと答えてくれていました。高級感はあるけどドレスコードのあるような気張った店ではありません。まあ、夜行くならそこそこオシャレした方がいいでしょうけど・・。オー・ザルム・ド・ブリュッセルは、とにかく旬の食材を使った料理がお勧めです。ホワイトアスパラガスは調度旬な食材。今回はこれを食べるのが楽しみでした。この撮影時は5月11日。(たぶんまだ出始め)今回は隣国オランダでもたっぷり食べて来ましたから旬は1ヶ月はあるようです。因みに今年の日本は北海道での収穫が例年よりおそくて6月にずれ込んでいました。Creme d Asperge ホワイトアスパラガスのスープ €10.50味の決め手はアスパラの濃度にあるのです。安いところはサラサラで味が薄いです。今回の旅のなかでは一番おいしいアスパラ・スープだったかも・・。ホワイトアスパラガス(White asparagus)はベルギーだけでなく欧州一帯の春の名物です。ビタミンB1、B2、C、E、カリウム、アスパラギン酸、ルチンなどを含んだ栄養のあるアスパラですが、日光を当てないで育てる・・と言う難しさからお値段はグリーンより高め。アスパラは年数で太くなるので、太いほど高いのです。ベルギーではメッヘレン地方が産地として有名で、メッヘレンの貴婦人(Dame van Mechelen)なんて呼び名もあるらしいです。フランスではロワールイタリアではバッサーノスペインではナバラ地方日本では北海道で作られています。日本へは18世紀末に観賞用としてオランダより伝わったそうです。現在も輸入のホワイトアスパラガスはオランダからが多いようですが、オランダの産地がわかりません。ハーグでは朝市にたくさん持ち込まれていたのであちこちで栽培されているのかもしれません。※ ホワイト・アスパラガスについては2009年05月24日にちょこっと載せています。日本でもお取り寄せでおいしいアスパラスープを手に入れる事ができます。(季節限定)リンク ホワイトアスパラガスAsperge Flamade ホワイトアスパラガスのゆで卵とバターがけ €21.00オランデーズソースとは違って卵感がもっとありバターが多いです。Salade de Chicons チコリのサラダ €11.00ベルギーではチコリをシコン (Chicon) と呼ぶようで10月から4月頃までが旬。今年は寒いからギリでしたね チコリ(chicory)はフラマン語ではウイットローフ(白い葉)と言うそうです。これもホワイトアスパラガスと同じようにあまり太陽にあてないように育てられた野菜です。日本では年中あるので季節がわかりませんでしたが本来は冬場の野菜で、サラダだけでなく煮込みなどいろいろな調理方があるようです。ベルギー料理ではシコンをグラタンにもするそうです。Croquette Crevette クラベットのクロケット €16.90クラベット(Crevette)は北海沿岸でどれる小エビでベルギーだけでなく、ロンドンのレストランにもありました。これも今が旬の食材のようです。はっきりはわかりませんが、もしかしたらオキアミの一種かもしれません。中身は単純に濃厚なホワイトソースのグラタンです。盛りつけを見るとビストロ・・ですね。Gaufre de Bruxelles ブリュッセル・ワッフル €8.50フレッシュなワッフルはそこそこのレストラに入らないと食べられません。たいていは作り置きを暖めて出すだけなのです。フレッシュの時はチョコレートソースも暖められて出てきます。Cafe reserve pettit エスプレッソコーヒー2人分 €6.60サービスの乾いたゴーフレット付き感じの良いお店でした ギャラリー・ロイヤル・サンチュベール(The Galeries Royales Saint-Hubert )欧州最古のショッピングアーケードギャラリー・サンチュベール(Galeries St-Hubert)は、全長213mのガラス張りアーケード。当初はやはりこのあたりの美観問題から建設が決まったようです建築家ジャン・ ピエール・クロイスナール(Jean-Pierre Cluysenaer)(1811年~1880年)の設計。建設は1846年から開始。彼はこの物件では建築家との共同投資家の二重の役割を担ったという。若い時に採択されたこのデザインは師匠の影響からイタリアン・ルネッサンス様式になっている。当時は高級小売店が入り屋内のカフェは高級感を与え、1847年6月7日にオープン時はオペレッタが上演。屋内アーケードはもともと劇場を意識していたようでブリュッセルの三王家の劇場の一つとなったそうです。内装は1951年にリノベーションされたそうですが、今も綺麗です。天上はガラス張り。今もカフェとチョコレート店が多い。前回紹介したブシェ通り(R.des Bouchers)はこのアーケードと交差しているので途中から左折して入るのがわかりやすいでしょう。back numberリンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 1
2013年09月30日
コメント(0)

ラストに、リンク先追加しました。ブリュッセルと言えばグランプラスから紹介するのが通常ですが・・。(* ̄ー ̄)"b" チッチッチッ そこは「こだわりブログ」 通常あまり紹介されない所からの紹介です。「ベルギーはヨーロッパ一食事のおいしい国」と言われているようですが、確かにベルギーの料理は美味しい。何より日本人の口にあうし、日本と同じように料理に四季がある。季節には季節にあった風物が街にあふれ、食を楽しんでいる人々がいるのだ。フランス料理が基礎にありながら気張らない家庭の素朴さをも持ち合わせているのがベルギーの料理の特徴だと思う。もっとも目立つ郷土料理は無いかもしれない。日本ではチョコレートやワッフル、それにビールくらいしか知られていないが・・。ともかく食のベルギー。その理由はどうも多国籍な文化にあるようなのだイロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 1イロ・サクレ(Ilot Sacre)地区小便少女(Jeanneke Pis)地理的にも欧州のほぼ中央部。ロンドンにもパリにもアムステルダムにも、ボンにもブリッセルから半径350km圏内にあるベルギーは大きく3つの言語共同体に分けられている。特に国土を2分する言語境界線のルーツは5世紀にさかのぼると言う。 北部がフランドル地域(公用語はオランダ語首都はブリュッセル)南部がワロン地域(公用語はフランス語とドイツ語)東国境にあるのがドイツ語共同体。簡単に言えば、北方からのゲルマン民族と南方からのラテン民族がぶつかり合った風土なのである。イロ・サクレ(Ilot Sacre)地区はグラン・プラスの北側に位置する飲食店の集まった区域です。ブルーで囲った部分がイロ・サクレ(Ilot Sacre)地区ピンクのラインは有名なギャラリー・サンチュベール(Galeries St-Hubert)オレンジのラインがブシェ通り(R.des Bouchers)注 ギャラリー・サンチュベール(Galeries St-Hubert)は次回に少し・・。イロ・サクレ(Ilot Sacre)地区イロ・サクレ(Ilot Sacre)地区はもともとはマルシェ(市場)があった場所だそうだ。今はブリュッセルの胃袋とも呼ばれるレストランの密集した区画。中央を横断するブシェ通り(R.des Bouchers)は、そもそも肉屋の通りの事だそうで、鳥肉通り、ハーブ通りなど他にも路地に名残りがあるようです。ギャラリー・サンチュベール(Galeries St-Hubert)からのブシェ通り(R.des Bouchers)イロ・サクレ(Ilot Sacre)に食べに行くなら、ギャラリー・サンチュベール(Galeries St-Hubert)から入ると分かりやすいのだ。ブシェ通り(R.des Bouchers)は店が通路に半分以上はみ出てイスやテーブルを出しているので完全に路地化している。これだけ似たような店が並ぶと、口コミや雰囲気で選ぶしかない。1958年のブリュッセル万国博覧会のおりに古びた汚い区画を整理しようとした都市計画がもちあがったそうだ。しかし、そこを聖域として守る運動を起こした結果今はレストランとして残った。イロ・サクレ(Ilot Sacre)とは「聖なる島」の意。手をつけては行けない場所・・と言う事らしい。そう言われて見れば、確かにこの一画の北、東、西には新しい都会的な建物がならんでいる。細い道にテーブルを出してゴチャゴチャしている様はちょっと前のヨーロッパの雰囲気?ノスタルジーさが受けて観光客に人気の場所となっている。しかし、敢えて苦言を呈せばここで火事に遭遇したらかなり危険な状況になるでしょう消防車が入れないし・・。シェ・レオン(Chez Leon)ブシェ通り(R.des Bouchers)では人気を二分する老舗レストランがシェ・レオン(Chez Leon)とオー・ザルム・ド・ブリュッセル(Aux Armes de Bruxelles)。それらはほぼ真向かいにあります。シェ・レオン(Chez Leon)は、今回食べに入っていませんが、こちらもベルギーらしい料理を出すカジュアルなレストランとして家族連れや観光客に人気だそうです。店構えからしてもカジュアルな感じのシェ・レオン(Chez Leon)に対してオー・ザルム・ド・ブリュッセル(Aux Armes de Bruxelles)はもうちょっと高級感のあるレストランです。オー・ザルム・ド・ブリュッセル(Aux Armes de Bruxelles)こちらのお店は次回紹介予定ですが、ベルギー駐在員が日本から来た客を接待する為に利用する・・と言うきれいめなのにリーズナブルなレストランです。知らない人だと店構えでシェ・レオン(Chez Leon)に入りそうだけど落ち着いて食べるのが好きな人にはこちらの方が雰囲気もいいかも・・。たぶん値段はそんなに変わらないと思う。ここに来たらムール貝の白ワイン蒸しとポテトの山盛りははずせない料理です。しかし、それぞれ旬があります。旬に来なければ美味しくないし貝も小さいかもしれない。残念ながらムール貝の旬は7月中旬から4月初旬くらいまでの秋冬からイースターまでがシーズンだそうです。今回は5月、完全に外れた時期でした。(メニューには年中あるようですが・・。)ムール貝が駄目でも今回は別の旬のお目当てが・・ さて、このブシェ通り(R.des Bouchers)をちょっと先に行った袋小路にベルギーの小便小僧に準じる小便少女の像があります。これは早朝の写真です。小便少女(Jeanneke Pis)実は角度に気を使いました。高さ約50cm。ちょっとリアルなので小便小僧(Manneken Pis)のようには載せられない写真です。彫刻家のドニ-アドリアン・デボヴリ(Denis-Adrien Debouvrie)により1985年に作成。1987年に設置。歴史の浅いこちらはあまり世間に認知されていない。ウィキペティアの方も詳しい事は書かれていない。そもそもネーミング自体が規制にひっかかるようで載せられ無いようなのだ。あるガイドブックには「ガンとエイズ撲滅の為の研究援助金を目的に設置された」と書かれているが、ここにそのような表示は無い。あるのはピンク・リボンのプレートです。つまりこれはピンク・リボン運動の一つ?ピンク・リボン運動は、乳がん検診の早期受診の推進運動、あるいは乳がん研究の基金を目的とした活動です。それにより乳がんによる死者を撲滅しようと言うもの。鉄格子で閉ざされているのは理由がある。ここを建てた理由は、確かに基金が目的のようです。前からあった小便小僧(Manneken Pis)の噴水像に、なぜかお金を投げる皆の習慣に着想。最初からそれを寄付金にしよう・・と言う発想だったようです。鉄格子がついているのは、要するにここが賽銭箱のような意味合いを持っているからであろう。(泥棒よけである)どこで読んだか定かでないが、この「小便少女(Jeanneke Pis)」には肖像権のようなものがあるらしい。だからあまり公的に公開されていないのかもしれない。「小便少女(Jeanneke Pis)」の絵はがきは、それ自体が全て寄付金(基金)になっていると言う。ピンク・リボンのプレートには暗にコインを投げろ・・的な説明がありますが、日本語も無いし、由来が知られていないのでコインを投げる日本人は少ないかもしれない。ところでなぜこの場所に?これは何となく気付いたのであるが、小便小僧と小便少女を結ぶラインのちょうど真ん中にグランプラスの市庁舎が存在しているのだ。偶然か? わざとか?つづくリンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 2 (オー・ザルム・ド・ブリュッセル)他リンク 小便小僧(Manneken Pis) le Petit Julien
2013年09月27日
コメント(0)

ラストにブリッセルのBack numberル1~12を入れました。 鉄道関連のリンク先も追加しました。※ 途中でハワイが入りブリュッセル5と6の間が2ヶ月ほど開いています。イギリス、ロンドンから、ユーロスター(Eurostar)でベルギーに入国。リンク ユーロスター(Eurostar)ブリュッセル(Brussels)の南駅(Midi)がユーロスター(Eurostar)やタリス(Thalys)、ICE(Intercity Express)など国際列車のターミナル駅になっています。もっとも同じEU圏なので「入国」と言っても、空港のように入国審査があるわけでもなく、普通に列車を降りた感じです。ベルギーではその滞在のほとんどをブリュッセル(Brussels)にしていたので、乗り換えて中央駅に。あいにく雨で到着でした。ブリュッセル中央駅(Brussels Central)観光客にはつらい駅事情その前にベルギーの位置から。ブリュッセルは「ル」の文字のあたり。旅行書もたいていオランダと抱き合わせになっている為に資料も少なくどこにあるか知らない人も多いかも・・。それにしてもベルギーはかなりの田舎都市でした。一応欧州の中程に位置する為に欧州連合の主要機関が集まる国際都市なのですが・・。ブリュセル地図(内容が若干古いのですが・・。地図上に北駅があり地図左下に南駅。ブリュッセル中央駅は地図の中程の紫の部分。実は丘陵地の為か? 歴史地区に近い為か? 中央駅あたりは地下を走行しています。(地下鉄ではありません。)地上の建物は小さいけど地下に展開。その一帯が中央駅で地下鉄も別に乗り入れしています。赤で囲ったのが、世界遺産に登録されているグランプラス(Grand Place)で、観光の目玉の地。黄色の点が有名な小便小僧 (Manneken Pis)の場所です。因みにホテルは駅の正面に取りました。ピンクがホテル(Le Meridien Brussels)です。とにかく立地が最高でした。ブリュッセル中央駅(Brussels Central)1952年、もともと国際列車の到着する北駅と南駅を接続する北南接続線計画により中央駅が開業。欧州ではどの方面に行くかで、ターミナル駅が別れている事が多いのです。日本で言えば東北方面に行く上野駅と東海方面に行く東京駅を接続したようなラインです。中央駅もICE(Intercity Express)は停車します。上段が外観。下段がその展開図。観光客にはつらい駅事情チケットは1階に窓口とマシンがありますが、日本と異なりマシンの方は買いにくい。とは言え窓口に並ぶと、時間もかかるし窓口手数料で高くなります。発券窓口日本の郵便局のように時間がかかるので乗車間際では間に合わないかも・・。30分くらい余裕をみないといけないかも・・。列車が何番線から出るかは、この電光ボードで確認しないといけません。ホームに行っても方角の表示もないし、駅員1人いない。日本の国鉄と違い、時刻表もなんとなくうやむやです 窓口のおばさんに確認して、すすめられた電車に乗ろうと行ったら、祝日はダイヤ変更になっていたらしく電車が無かった事が・・。窓口で再度確認したのに最初の係の人も知らなかった。掲示板に出てないのですが・・。と再度聞いたら「今日は無かった・・。」と言われてビックリです。職員はこんな感じであまり信頼はできないので、自分で調べられる限りは調べて何度も確認しないと大変な事になります。因みにオランダのハーグに移動予定でした。日程は変えられないし荷物も多いのでアントワープ経由で乗り換えてハーグまで行くはめに・・ 因みにベルギーでは駅に改札はありませんし駅員もほとんどいません。ホームも、列車の運転手が自分で降りて確認して発車するので窓口でしか聞ける人もいません。ところで、改札も駅員もいなくても、キップはちゃんと買わないといけません。時々抜き打ちでチェックしているので見つかったら何倍も罰金をとられる事でしょう。地下がプラットホームになります。また、各方面からの地下道もこの地下に接続されています。駅舎が新しいのでここのあたりの地下は、まあまあ綺麗ですが、トイレは有料のが1カ所です。駅はどこも共通で0.5ユーロ。※ お金を払ったからと、必ずしも綺麗なわけではない。フランス系のベルギーはトイレ事情があまり良くありません。トイレが無いに等しいくらい無いので、たいていの地下道はくさいし汚いし、しかも掃除がされないので本当にバッチイです。地下鉄のエレベーターなど真っ黒です 初夏に近いこの頃、側溝から蚊の大群が発生していました。古来ペストなどにやられてきた歴史の理由がわかった気がしました。地下2階のホームホームには指示版が何も無い。「本当にこの電車で良いのか?」不安になる事でしょう。中央駅正面のホテル。メリディアン・ブリッセル(Le Meridien Brussels)ロビーは広くは無いが客室は結構多く、モダンで快適な現代的ホテル。因みに、ホテル1階のトイレも通りすがりの一般の人が使用できないようにキーカードが必要である。左がメリディアン・ホテルで右が中央駅。画面には無いが駅の道路隔てた右側におしゃれなガレリアがある。左方面に坂を下ると旧市街のグランプラス方面である。駅周辺とこのあたりは開発のされた新市街。旧市街の方は道も石畳になるのでヒールでは絶対歩けない。レンタサイクルを良く見かけるが、乗っている人は見かけない。石畳がこれだもの・・。因みにこれは横断道の敷石です。ベビーカーを押して、ウイーンからブリュッセルに遊びに来ていた日本人夫婦に合いました。道が最悪でベビーカーが押せないと嘆いていました。ブリュッセル・・つづくリンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 1リンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 2 (オー・ザルム・ド・ブリュッセル)リンク ブリュッセル(Brussels) 1 (グラン・プラス 1 中世)リンク ブリュッセル(Brussels) 2 (グラン・プラス 2 北東面ギルドハウス)リンク ブリュッセル(Brussels) 3 (グラン・プラス 3 西面ギルドハウス)リンク ブリュッセル(Brussels) 4 (グラン・プラス 4 西面ギルドハウス 2)リンク ブリュッセル(Brussels) 5 (グラン・プラス 5 市庁舎 ガーゴイル)リンク ブリュッセル(Brussels) 6 (グラン・プラス 6 ブラバント公の館)リンク ブリュッセル(Brussels) 7 (EU とサンカントネール公園)リンク ブリュッセル(Brussels) 8 (サンカントネール公園とフェスタ)リンク サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他)リンク サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)リンク ブリュッセルのコイン・ランドリー(苦戦物語)リンク ブリュッセル(Brussels) 9 (芸術の丘・ Mont des Arts)リンク ブリュッセル(Brussels) 10 (ロワイヤル広場界隈)リンク ブリュッセル(Brussels) 11 (王宮)リンク ブリュッセル(Brussels) 12 (漫画センターとオルタとタンタン)リンク ダヴィッド&アリス・ヴァン・ビューレン美術館(Musée David et Alice van Buuren)リンク 小便小僧(Manneken Pis) le Petit Julienブルージュもシリーズあります。リンク ブルージュ(Brugge) 1 (街のなりたち)鉄道関連のBack numberリンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 東海道新幹線開業50周年の日リンク 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2013年09月22日
コメント(0)

鉄道関連ののリンク先をラストに載せました。今回はロンドン脱出編です ユーロスター(Eurostar)国際列車ユーロスター(Eurostar)欧州を走る高速鉄道ロンドンから列車で英仏海峡(ドーバー海峡)を横断。ベルギーに向かいました。今回はその滞在の半分以上がベルギー 列車はもちろん国際列車になるのでロンドンのセント・パンクラス(St Pancras station)駅から出発するユーロスター(Eurostar)です。ユーロスター(Eurostar)は、陸続きの欧州でも2カ国以上をまたがるのが国際列車。当日は写真なんか撮っている時間はなく、駅の写真はウィキメディア・コモンズから借りてきました。セント・パンクラス(St Pancras station)駅 撮影者Colin国際列車ユーロスター(Eurostar)英仏海峡トンネルを通ってイギリスと大陸ヨーロッパとを結ぶ最高速度 300km/h の高速鉄道がユーロスター(Eurostar)。運行ルートロンドン(London) ~パリ(Paris)ロンドン(London) ~ブリュッセル(Brussels)ロンドン(London) ~アムステルダム(Amsterdam)ロンドン(London) ~リール (Lille)※ 2013年時点の所要時間ロンドン~アッシュフォード~カレー~リール(Lille)~パリ (2時間15分)ロンドン~アッシュフォード~カレー~リール(Lille)~ブリュッセル (1時間55分)列車の総座席数766席。1日30便以上が運行。クラス特等 ビジネスプレミア(Business Premier) 食事:時間帯に応じたホットミールおよびドリンクが付くらしい1等 スタンダードプレミア(Standard Premier) 食事:軽食とドリンクのみ2等 スタンダード(Standard) 食事:なしユーロトンネルの開通の同年1994年11月にスタート。当初の始発駅ははウォータールー駅。高速新線HS1が完成した2007年11月からロンドン側ターミナル駅はセント・パンクラス(St Pancras station)駅に変更。チケットは今やインターネットで予約できるので自宅のプリンターで印刷。バーコードで改札を通過ところで「ユーロスター(Eurostar)のチケット予約」については2013年03月「海外旅行ネット予約の注意点」で少し紹介。リンク 海外旅行ネット予約の注意点改札を入ると空港のようにパスポートのチェックの他、荷物のスキャンとチェックもある。列車とは言え国際線は違うのね。待合室上の階がホーム。特等のビジネスプレミアには専用ラウンジがあるらしい。搭乗案内があるまでゲートは封鎖されている。開く時間は割とギリである。列車と思うから不自然であるが、飛行機だと思えば「そうか・・」と思う国際列車のプラットホームである。ホームにはカートの場所もあるが、駅自体にカートは一台もなかった。カートは撤廃したのか? 昔のように駅にポーターもいないので今は自分で荷物を転がすしかないのが大変。欧州を走る高速鉄道欧州を走る高速鉄道はユーロスターだけではない。各国の国鉄が主軸になり鉄道網を整備しているが、陸続きの欧州各国は接続を考慮して高速新線のネットワークを構築し連携している。最高速度300km/h の列車・ユーロスター(Eurostar) ユーロスター・インターナショナル社 (フランス、イギリス、ベルギーの3カ国で共同開発)・AVE(Alta Velocidad Española) スペイン国鉄(Renfe)の高速鉄道システム・TAV(Treno Alta Velocità SpA) イタリアの鉄道会社 イタリア国内・タリス(Thalys) タリス・インターナショナル社 (フランス、ベルギー、オランダ、ドイツの4ヶ国を結ぶ)最高速度320km/h の列車・TGV(Train à Grande Vitesse) フランス国鉄 (SNCF) の高速鉄道の車両・ICE(Intercity Express) ドイツ鉄道運営の上位車両・新幹線 JR(Japan Railways)グループ運営の高速鉄道実は時間がなくて先頭車両が撮影できなかったのでこれもウィキメディア・コモンズから借りてきました。撮影者 Oxyman (若干下を削りました。)こう言っては何ですが、列車はものすごく汚いです。窓ガラスなんてキズだらけで透け感も無い。窓越しの撮影は絶望です。なぜ掃除しないのか? 疑問を呈すくらいですが、窓はそれ以前の問題です。綺麗なのに交換してよ・・。日本の新幹線と違いこちらは車両に乗り込むのに段差がある。駅は後からできたのだからホームの高さを上げればいいのに不思議です。1等 スタンダードプレミア(Standard Premier)2等 スタンダード(Standard)座席間は狭く日本の新幹線のように足の前にキャリーを置くスペースなどない。でも、荷物置きは成田エクスプレスにはあるけど新幹線には無いなー。客車内にも少し置き場があります。トイレの写真がありませんが・・。日本より広くていいです。でも、こちらでは朝一しか掃除しないようです。だから朝は綺麗だけど汚れたらそのままずっと・・。汚いけど少し広めのトイレだからまだ許せる。日本の鉄道サービスはどこよりも素晴らしい。だけどトイレをもう少し広くしたらいいのになー。ビュッフェ車両所用2時間ほどしかないのでワゴン・サービスも無いようです。イギリスのフォークストーン(Folkstone)からフランスのカレー(Calais)まで英仏海峡(ドーバー海峡)真下、ユーロトンネルが20分で結ぶ。楽しみにしていたのに天気は曇り。しかも窓ガラスが汚すぎて写真もとれない。車窓の写真が撮れないなんて、せっかく乗った意味が無い。ぶっちゃけ、諸々ユーロスターはガッカリでしたともかくユーロスター(Eurostar)はブリュッセル(Brussels)のMidi駅へ。リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central)関連のBack numberリンク ドクターイエロー(Doctor Yellow)リンク 大阪駅(Osaka Station) 1 (5代目大阪駅と初代駅舎)リンク 大阪駅(Osaka Station) 2 (大阪駅舎の歴史とノースゲート)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 1 (機関車と制御車)リンク オーストリア国鉄レールジェット(railjet) 2 (列車レストランのメニュー)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク ミュンヘン中央駅(München Hauptbahnhof)リンク ザルツブルグ中央駅(Salzburg Hauptbahnhof)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ)リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)リンク 西武鉄道のレストラン列車「52席の至福」
2013年09月19日
コメント(0)

追加テンプル教会ラストは、そこに眠る中世の英雄の話で締めたいと思います。ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)騎士ウィリアム・マーシャル(William Marshall)騎士をめざした貴族の子弟足のクロスの謎テンプル教会には何人かの騎士が眠っている。中でも円形ドームの下に眠るウィリアム・マーシャル(William Marshall)親子の墓は特別な存在である。騎士ウィリアム・マーシャル(初代ペンブルック伯)(William Marshal, 1st Earl of Pembroke) (1146年~1219年)ウィリアム・マーシャル(William Marshall)は日本では全く・・と言っていいほど知られていないが、彼は騎士の王道を進み、中世のイングランドで最も成功した一人です。幼少より奉公に出て修行し、トーナメントで実戦参加、戦場を渡り、騎士を育て、やがて戦場を退いて政治に携わる。ウィリアム・マーシャルの主君はイングランド王家(プランタジネット朝)であった。そこでヘンリー2世、ヘンリー若王、リチャード1世、ジョン王、ヘンリー3世と歴代5人の王の側近として重要(ちょうよう)された。親子でも敵対する時代に、互いに敵になりながらも、一度側近になれば、とことん忠誠を誓う信用と信頼のもてる男であった為、世代が変わりながらも歴代の王に仕え続けたのだ。それはこの時代とても希有(けう)な事なのだ。ウィリアム・マーシャルは身内だけでなく、敵対する武将からも一目置かれ信頼された。彼の正義は騎士道に忠実であったのだ。1170年に彼はヘンリー王子の武芸指南役に任命され4年でヘンリー王子を騎士に育てた。二人は師弟として、またそれ以上に強い友情でも結ばれていたようだ。騎士道を復活させ、騎士道に邁進(まいしん)。黄金期を造ったと言う。残念ながら若きヘンリー王子は1183年に熱病死するが、ウィリアム・マーシャルは1183年から1186年まで十字軍にも参加している。これがヘンリー王子との約束。・・だとも言われているが、参加に関しては、ヘンリー2世の代理で参加した・・と言う方が理屈が合う。(理由は前回紹介したトマス・ベケット暗殺事件である。)この十字軍参加でウィリアム・マーシャルは聖地でのテンプル騎士団の活動に感銘したそうだ。それ故、死ぬ時はテンプル騎士団として埋葬されることを誓ったとされ、その遺言通りウィリアムは死の直前にテンプル騎士団に入団してこの教会に埋葬された。何にしても財産も何も持たない一介の騎士から領地、名誉、爵位を受けて貴族に上り詰めた英雄的な騎士なのである。氏名不明の騎士の彫像(Effigy of Knight)上の4体は、大戦の時の空爆で天上ドームが崩落。教会や墓のダメージは大きく、左上の墓以外名前も不明。写真下は・ウィリアム・マーシャル初代ペンブルック伯とその子供のお墓左上・・ウィリアム・マーシャル初代ペンブルック伯 (William Marshal, 1st Earl of Pembroke) (1146年~1219年) 右上・・ウィリアム・マーシャル、第2代ペンブルック伯 (William Marshal, 2nd Earl of Pembroke)(1190年~1231年) ジョン王の娘と結婚するが、子供をもうけることなく死去。右下・・氏名不明の騎士の彫像(Effigy of Knight) もしかしたらリチャード・マーシャル、第3代ペンブルック伯 (Richards Marshal, 3nd Earl of Pembroke)(1191年頃~1234年) 結婚するも、子供をもうけることなく死去。左下・・ギルバート・マーシャル第4代ペンブルック伯 (Gilbert Marshal, 4th Earl of Pembroke )(1194年~1241年) 2度の結婚をするが、子供を得ることなく死去。注・・実はマーシャル家は2世代目のペンンブルック伯家となる。ペンブルック伯家は幾度も家系が断絶して爵位が数え直されていると言う。マーシャル家もまた2代から5代目まではウィリアム・マーシャルの子息であるが、不思議なことに息子たちは全員子供が無く、爵位は娘婿に継承される。写真上の右と写真下がウィリアム・マーシャル初代ペンブルック伯写真左が父親と同名の長男ウィリアム・マーシャル、第2代ペンブルック伯上下逆であるが1941年のダメージ以前に撮影された上の二つの墓の写真 ウィリアム・マーシャルヘンリー1世の高官だったジョン・フィッツ・ギルバートの息子に誕生するも3男で家督権の無い彼は11歳で家を出され知り合いの伯爵家で騎士となるべく修行を積んだ。騎士をめざした貴族の子弟騎士階級の者は、主君より与えられた(騎士の)称号と義務、それに不随して得た領地は共に相続され子に引き継がれたそうだ。(現在は一代限りの称号も多い。)しかし、南フランスでは財産は子に均等に相続されるものの、北フランス、イングランド、ドイツではほとんどの財産が長子のみに引き継がれ、次男以下の息子には何も無与えられなかったと言う。つまり嫡子以外は早々に家を出され自ら生計を立てねばならなかった。結婚においてもしかり、貴族の子息と言えど、長子でないものは自分でトーナメントや軍隊で稼いで財産を得てからでないとできなかったので、30過ぎても独身の騎士は多かったと言う。それ故、12世紀末、十字軍の進軍や、テンプル騎士団の影響もあり、家を出る若者達の間で騎士ブームが起きたのもうなずける話である。成功すれば一攫千金なのだから・・。ウィリアム・マーシャルも自らの力で未来を切り開いた人であるが人望故か? 運も良かった。ヘンリー2世がウィリアム・マーシャルを気に入り、縁談を持って来た。逆玉である。相手は富豪の女性イザベル・ド・クレア(Isabel de Clare)(1172年~1220年)この結婚によりペンブルック伯爵などの爵位のほか、アイルランドのレンスターやペンブルック城など、イザベルがウェールズに有していた権利までも得たのだ。二人はかなり歳が離れていたと言うが仲がとてもよく10人の子供にめぐまれた。ギルバート・マーシャル第4代ペンブルック伯ギルバート・マーシャル第4代ペンブルック伯もウィリアム・マーシャルの3人目の子息である。彼はトーナメントの事故で亡くなった。先に紹介したように、ウィリアム・マーシャルの息子には全員子供が無く、爵位は最終的に娘婿に継承された。ところで家を継承する世継ぎができる前に早世したのは彼の仕えたプランタジネット家も同じであった。ウィリアム・マーシャルが仕えた主君は6人。そのうち早世したヘンリー王子とリチャード1世とジョン王はヘンリー2世の子息である。世継ぎがいなければ長子でなくても王位や爵位が回ってくる事も多々あったようだ。足のクロスの謎彫像の足は交差し、ライオンなど動物? のようなものを踏みつけている。踏みつけられている物は騎士叙任時の象徴の言われからおそらくプライドを具象化したもの?足のクロスは十字軍騎士の特徴・・と言う説もあるがこの墓の主、ウィリアム・マーシャル、第2代ペンブルック伯は騎士として戦いはしているが十字軍に参加はしていない。逆に初代ウィリアム・マーシャルは十字軍に参加しているが足はクロスしていない。つまり足のクロスが十字軍騎士の特徴と言うのは間違いで、単に当時の流行のスタイル? の可能性が高い。あるいは当時騎士の間で流行したスタイル(叙任式の騎士のスタイル)の可能性がある。もちろんそれはクロス(十字架)を意味しているのだろうが・・。なぜなら当時の騎士道はテンプル騎士の活躍もあり、非常に尊い、清くレベルの高い武士道であったからだ。騎士の叙任式には数々の儀式が執り行われる。それは今となってはどれも秘技である。別の回に紹介できれば・・。話は変わるが、十字軍兵士の墓と言われる物をあまり欧州で見かけた記憶が無い。王家に並ぶような有名な騎士や修道僧の立派な墓はたまに見かけるが・・。ウイーンのハイリゲンクロイツの僧院で聞いた話であるが、遠い異国の地で亡くなった遺体を持ち帰る事は基本不可能なので、あり得ないそうである。(遺体は腐るし荷物になる)しかし、どうしても故郷に連れ帰らねばならなかった時、遺骸を釜ゆでにして、肉をそぎ落とし、骨だけ持ち帰ったそうだ。このテンプル教会にどれだけの本物のテンプル騎士がいるのかは不明である。なぜなら彼らのほとんどは中東で亡くなっているのだから・・。テンプル教会 back numberリンク ロンドン(London) 9 (テンプル教会 1)リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)ロンドン(London) 11 (テンプル教会 3 中世の騎士)十字軍についてのback numberリンク 十字軍(The crusade)と聖墳墓教会(The Church of the Holy Sepulchre) 1リンク 十字軍(The crusade)と聖墳墓教会 2 (キリストの墓)騎士修道会についてのback numberリンク 騎士修道会 1 (テンプル(神殿) 騎士修道会)リンク 騎士修道会 2 (聖ヨハネ騎士修道会)リンク 騎士修道会 3 (ロードスの騎士)「ロンドン(London) 」シリーズと番外リンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2リンク ロンドン(London) 6 (バトラーズ・ワーフ)リンク ロンドン(London) 7 (シャッド・テムズのカフェレストラン)リンク ロンドン(London) 8 (シティの紋章)リンク ロンドン(London) の地下鉄(Underground)リンク ユーロスター(Eurostar)リンク 2013.9 クイズこのロゴは何? 解答編 フリーメイソン・グランドロッジ・ロンドンリンク シティのパブ The Edgar Wallace リンク ビクトリア& アルバート博物館 のカフェテリアリンク ユーロスター(Eurostar)リンク 英国のEU離脱の失敗 ・ ウェストミンスター宮殿
2013年09月13日
コメント(0)

オリンピックの東京開催が決まり、とても嬉しいです。東京ばかりでなく、きっと日本全体にその経済効果が出る事になるでしょう。何より、目標があれば人にはやる気が生まれます 経済しかり、スポーツをする若者にとっては現実に自分が参加できるかもしれない身近な目標になればやる気も倍増ですところでまだ大阪に滞在中です。昨日はウェスティン大阪のランチ・ブッフェに行き そのついでにウェスティン隣にある梅田スカイビルの空中庭園展望台に上ってきました 梅田スカイビル大阪府大阪市北区大淀中の新梅田シティ 1993年3月完成。建築主は積水ハウス。積水ハウスの本社もタワーイースト内に。ビルに穴が開いている? ように見えて不思議な建物に見えていたのは、実は2棟のビルが連結されているビルでした。連結超高層ビルは地上40階地下2階 高さ173m中自然の森より撮影。丸くくり抜かれたゾーンの上にルミデッキがある。22階にも連絡通路が・・。シースルーエレベーターで3階から39階に上り、そこから上が有料ゾーンです。シースルーエスカレーター空中庭園はリフトアップ工法(地上で組んでからワイヤーロープでつり上げる)で施工。ルミデッキ本当に屋根の無い展望台なので、帽子、傘、タバコも禁止されている。北東 淀川とインターコンチネンタル・ホテル実は意外に回りに高層ビルがあるのでパノラマ・ビューは微妙 南西 ベイエリア方面右端に見えるのは淀川の河口方面地下1階飲食店街は昭和初期の町並みが再現。滝見小路昔の町並みが再現されているけど、ここの店は実際営業している本当のレストランが入っている。街並の中にあちこち見られるホーロー看板であるが・・。美観を損なわないよう。現実の案内がホーロー看板で、しかも古めかしく付けられているのだ エライゾ そのこだわりようが・・。インターコンチネンタル・ホテル・ロビーからの梅田スカイビル大阪駅周辺は長らく車両の車庫があった為に土地がたくさん空いている。最近開発が進んでいるが、まだまだ土地はたくさん空いているのでこれから何ができるか楽しみだ。
2013年09月10日
コメント(0)

日本のフリーメイソン・ロッジの初代マスターも追記しました。Break Time (一休み)2013.9 クイズこのロゴは何? 解答編 フリーメイソン・グランドロッジ・ロンドン秘密結社? フリーメイソン現在のフリーメイソン(Freemason)のルーツ石工、フリーメイソン(Freemason)とは?フラタニティ(fraternity)とギルド(craft guild)ロゴに注目・・が今回の解答の鍵でした。コンパスに定規。これは友愛結社フリーメイソンのシンボルでした。秘密結社? では無いフリーメイソン(Freemason)or フリーメイソンリー(Freemasonry)とは、決して秘密結社ではなく、一言で言えば現代の慈善団体の一つに他なりません。但し、その入会などには厳密な規定があり、誰でも参加できるものではないし、入会に関する組織独特の入会の儀(誓いの言葉)や、外には公開していない会員だけの秘密厳守が規定されている事から謎の団体のイメージが付いたようです。また一般の慈善団体ではあり得ない「貢献度などにより階級が存在」しているようで、その階級が33位階? テンプル(神殿)騎士団の階位を真似ている・・と言われ、シルエットは敢えてダビデの☆をかたどっている・・など何かとテンプル(神殿)騎士と関係性があるかのような神秘性が取りざたされて秘密結社的なイメージができあがったようです。※ 実際、テンプル(神殿)騎士団を調べ尽くした私の見解としては、18世紀にできたフリーメイソンとテンプル(神殿)騎士団の間には、何の縁もゆかりも無い。※ 慈善団体としては、ロータリークラブやライオンズクラブの祖、とも言える。団体に神秘性を持たせる・・と言う効果は昔も今もいろんな団体が試みる手法。それが成功しすぎて逆に怪しい団体として取り上げられる事の方が多いのかも・・。いろんな意味に解釈されるシンボル石工職人の道具である定規は道徳、コンパスは真理を表しているとか・・。物質と霊の二元論からGnosis(グノーシス主義)のGの意味だ・・とも言われていますが、それは深読みしすぎ?偉大なる・・の、Gと言う説がありますが、偉大なる・・ならラテン語でmagnaになるので、Gは単純に英語でグランドロッジのGか? Freemasons Hall, London, home of the United Grand Lodge of England最古のイングランド・ロッジの本部住所 60 Great Queen Street London WC2B 5AZ United Kingdomコベントガーデン駅下車 徒歩5分1927年~1933年建設 建築家は、H V アシュリーとF ウィントン・ニューマン会員数は600万人。イングランドロッジには25万人いるとか・・。宗教の種類は問わないが無神論者は駄目。入会には会員の紹介とそれなりの社会的地位、多少のお金、審査と試験もあるようです。日本の初のフリーメイソン・ロッジは1870年(明治3年)神戸に発足。初代マスターはトーマス・ウィリアム・キンダー(Thomas William Kinder)(1817年~1884年)。彼は日本に始めて建設された造幣局の局長として招かれた男。当時日本の首相よりも給料が高かった。非常に横柄な男で常にトラブルが絶えなかったらしい。そう言う意味では必ずしも人格者が選ばれる訳ではないのかも。造幣局の所で書いています。リンク 大阪天満の造幣局 2 お雇い外国人とコイン製造工場現在のフリーメイソン(Freemason)のルーツコンパスと定規は石工職人のギルドだった? 事の名残? と言われていますが、彼ら自身その誕生のルーツがはっきりと特定できていないようです。近代フリーメイソンの結成は1717年6月24日ロンドンのパブレストラン「the Goose and Gridiron Tavern」であった。最初は宴会だけを目的とする集まりだったようです。1723年、ジェームズ・アンダーソンにより「フリーメイソン憲章」を制定。それ以来思想的な面を打ち出す集団へと変化。時代は啓蒙思想まっさかりの時代である。不思議組織へ発展するのはその頃からと言える。先にも触れたが、現在はライオンズクラブや国際ロータリークラブのような慈善団体となんら変わりない団体となっている。何しろライオンズクラブも国際ロータリークラブもフリーメイソン出身者が造った団体なのである。日本では鳩山一郎氏がフリーメイソンのメンバーとして有名であるが、息子の鳩山由紀夫氏もことある毎に「友愛、友愛」と連呼している。英語の fraternity(フラタニティ)を「友愛」と訳したのは鳩山一郎氏なのである。彼はフリーメイソンを「友愛団体フリーメイソン」として日本に紹介したのだ。実はそのfraternity(フラタニティ)にこそフリーメイソンのルーツがあった。館内は撮影禁止。ガイドツアーがあると言うので出かけたがその時は無かったので図書室と博物館だけ見学を許可された。博物館は歴代のフリーメイソンの寄贈? によるいろんな種類の品が展示。中でも階位にかかわる勲章のような袈裟は興味があった。石工、フリーメイソン(Freemason)とは?フリーメイソン(Freemason)のmason(メイスン)はラテン語の石工をさします。Freeはおそらくfree lance(フリーランス)から来ていると思われ、それは中世のヨーロッパで、主君をもたずに自由契約で諸侯に雇われたフリーの職人や個人事業主を指す意味があります。通常のギルドは土地に縛りがあります。あくまでその街のギルドであり、街を勝手に出る事は許されなかったのです。(何か理由で国の外に出る時は王なりの許可が必要であり、国替えなど絶対許されない。)しかし、石工達に関しては土地の縛りが無かったのです。なぜなら、中世大聖堂の設計施工に携わっていたのが石工の職人達(フリーメイソン)だったからです。彼らの主たる仕事は大聖堂の建築ですから、聖堂が完成すれば、次の聖堂を造る土地に引っ越す必要があった。土地を替えられる唯一のギルドが石工かもしれません。それが通常のギルドとは異なる彼らの特権です。それ故、その土地の王なり支配者との間には特別の主従関係が存在し無い。特別に忠誠を誓う君主があるとすれば 神のみか? と言う事になる。彼ら石工のギルド達は ギルドで有りながら、free lance(フリーランス)の職業集団だったわけで中世の石工(大聖堂建築にたずさわった人々)の団体こそが本来のフリーメイソン(Freemason)意味なのです。ところで大聖堂建築は数十年単位の仕事。特定の故郷も無く国を転々とする根無し草のような生活の彼らは地域のコミニィテイーには入れず、特殊なfraternity(フラタニティ)に所属していた。それがfree lance(フリーランス)のギルド集団と言う事に・・。フラタニティ(fraternity)とギルド(craft guild)fraternity(フラタニティ)はラテン語の「兄弟」に由来。(姉妹・・sorority・ソロリティ)今は地域奉仕の慈善団体や社交団体をさす言葉として認識されていますが、もともとは14世紀後半~16世紀初頭の地域の組織的共同体が起源となっている。簡単に言うと町内会のような地域の小集団だったと思います。そこには助け合いや信仰、同じ歴史を持つ者同士の痛みや、それをいたわる深いつながりがあったと考えられます。いわゆる隣組ですね。フラタニティでは祝宴費、教会や聖職者への寄付。ギルド会館の建設、道路や橋の建設管理。貧困した者への施しといった慈善活動など社会事業に関与。入会できたのは経済的に余裕のある富裕層だったようで、富める者は分け与えなければならない・・と言う聖書の理念がその時代すでにあった?。15世紀~16世紀前半、フラタニティは全盛期を迎え都市、農村の住民の相当数が何らかのフラタニティに所属。組織化されていたようです。この頃、地域のフラタニティとは別に商人ギルドや職人のギルド(craft guild)の社会組合も結成。特に職人の組合(ギルド)は、技術、経済的問題などフラタニティの性格にマッチしていたようで定着。すなわちギルドもまたfraternity(フラタニティ)の一種なのです。ただ、ギルドが商業的機能を本質に構成された組織であったのに対し、フラタニティは宗教的つながりや社会生活の中にあり、かつ様々な職業に門戸を開いた組織だったことが少し異なる。衰退フラタニティ自体は16世紀初頭まで続き、次第に衰退。中世ギルドは特権集団として生き、時代錯誤な閉鎖的組織として批判が強まり市民革命期に解体。しかし遅くまで封建制が残っていたドイツでは職業別の社会保険制度を作り上げたと言う。そんな訳で石工のギルドから派生したと言われているフリーメイソンであるが、現実的な意味ではその正当性は無いと思う。ところで、フラタニティに参加すると、多様な階層の人々が相互に交流でき、交友関係もできるので、商業上の情報交換、商人相互の関係形成、有力者との関係形成、結婚相手探しなどメリットも大きいと言う。そもそもそう言うところが近代フリーメイソンの趣旨だったのでは? と思ったりした。神秘性は箔付け(はくづけ)か? 17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代にプロビデンスの目が持ち込まれる。もともと啓蒙思想家達が好み、当時流行した三位一体図であるが、これがフリーメイソンに幾多の都市伝説を生んだのだろう。秘密と秘技が人の興味を引くと同時に、人は解らない物に嫌悪するのである。おわり
2013年09月04日
コメント(0)

Break Time (一休み)2013.9 クイズ 「このロゴは何 ?」テンプル教会もあと1回。次はロンドンを離れてベルギーに向かう予定です。いつも同様前回も文字数も写真もオーバーで、どこをカットするか悩んで削って苦労しました。十字軍はマイ・テーマの一つでした。20年前に調べていたレポートを半分参照。20年の間に加わった知識に加え、違うジャンルから覗いて見ると全く見え方が違うし、考え方も修正されたり、思わぬ発見もあったりしました。改めて歴史って面白いなーと感じた所です さて、ちょっと気分転換にロンドンで手に入れたある品を紹介。いつもお馴染みのクイズシリーズからですが・・これは何でしょう? 品物はワイン・オープナーです。つまり正解がそれではありません。それのロゴが問題です。気が付かれた方はすでに解ったのではないでしょうか?ちょっと変わったデザインのワイン・オープナーです。見ようによっては天使が翼を広げているようにも・・。天使か? 武器か? 工具か? これがヒントになるか解りませんが・・。友 ❤ヽ( ^ー^)人(^ー^ )丿❤ 愛ヒントです。回答リンク 2013.9 クイズこのロゴは何? 解答編
2013年09月03日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()

![]()