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免罪符の説明先リンクを追記しました。
以前からあちこちで識字率の話しに触れているが・・。
「ブルージュ(Brugge) 5 (ブルグ広場 1)」の冒頭では、日本の江戸時代の識字率について触れている。 字が認識できるか? 本が読めるか? コミュニティー単位でその違いは他の文化にも大きく影響する
のだなと改めて思う。
欧州では絵画やステンドグラス、あるいは木彫などのオブジェを使用して聖書の理解が促された
。ラテン語、そしてドイツ語の聖書が発行されても、読める者は一部の限られた者だけだったからだ。
※ ドイツ圏では、識字率の低かった当時、司教達はイエスや使徒、また諸聖人達の功績や教えを像を見ながら人々に語ってきた。
しかし、 だからこそ素晴らしい絵画やステンドグラス、あるいは木彫が芸術文化として後世に残されると言う結果になった
と言える。
日本では、江戸時代に仮名草子や浮世草子がベストセラーになる。それらを読みたくて庶民の識字率も少なからず上がったと考えられる。
もちろん日本にも、般若心経の絵文字も存在するが、 日本では文字が読めない人の為の文化と言うのは特別聞いた事が無い
気がする。
寺小屋は、江戸や京都の都市部に急速に普及。17世紀には農、漁村ににも普及を始め幕末期には16000以上の寺小屋が存在していたらしい。
日本においては読める努力の方に力が入れられたようだ。 文字を美しく書くと言う文化もあるが・・。
寺小屋では「読み書きそろばん」。勘定においては、そろばんのような道具の文化がうまれている
。
ところで、聖書の話に戻ると、欧州では、グーテンベルク(Gutenberg)が活版印刷(1439年頃)を発明し、聖書を印刷するも、信仰心は強くてもラテン語(古典)の聖書は一般には売れなかったそうだ。
グーテンベルクの発行では、免罪符(めんざいふ)なる贖宥状(しょくゆうじょう)の印刷の方が多く売れたらしい。(こちらは読めなくても、持っているだけで良いし、教会が信者に乱発して売っていたからだ。)
※ 免罪符については、その成り立ちについて以下の章2016年5月で書いています。
リンク アウグスブルク 6 (フッゲライ ・Fuggerei) 2 フッガー家と免罪符
一般の人の読める口語の聖書の発行は、1522年9月。ルターが翻訳し、クラナッハが販売してベストセラーとなっている。読める一般人もまだ少ないが・・。
※ ルターがラテン語からドイツ語に翻訳した「新約聖書」を発刊。画家のクラナッハが印刷の独占権を持ってお金持ちになっている事実。割とみんな知らない。
この話は2017年3月詳しく書いています。
リンク クラナッハ(Cranach)の裸婦 1 (事業家クラナッハ
今回はノートルダム大聖堂終章です。
今回の火災で、キリストの聖遺物「茨(いばら)の冠」が無事であった事が伝えられていて驚きました。
あれは、サント・シャペルの所蔵品であったはず。いつのまにノートルダム大聖堂の所蔵になったのか? その辺も調べてみました。
ノートルダム大聖堂の悲劇 4 南翼のバラ窓と茨(いばら)の冠
ノートルダム大聖堂(Notre-Dame de Paris)
南のバラ窓
肩車されている聖人
北のバラ窓と南のバラ窓の枠(トレサリー)
キリストの聖遺物「茨(いばら)の冠」
古いカメラなのと天気の関係で綺麗な画像とは言えませんがセーヌ川からシテ島の写真です。
見える黒い尖塔と屋根が全部焼け落ちたようですね。
火災後に聖堂内部で発見された「奇跡の風見鶏」。尖塔のトップに付いていたそうです。
シュベ(Chevet)にある木彫はキリストの生誕にまつわる話や最後の晩餐など描かれている。
冒頭ふれたよう、これこそがまさに司教達の聖書の解説書であり教材である。
上 弟子たちの足を洗うキリスト
下 「過越(すぎこし)の食事」をとるキリストと弟子。いわゆる「最後の晩餐(ばんさん)」の図
ヨハネによるキリストが水の洗礼を受けている図
南側バラ窓と左にサンクチユアリ 中央下に ノートルダム・ド・パリ
ノートルダム・ド・パリ(Notre Dame de Paris) パリの聖母 14世紀
南のバラ窓
こちらはちょっとピンボケ。拡大失敗です
一応中央にキリストと回りに4人の福音書記者のシンボル(象徴)が描かれている。
南のバラ窓下のランセット窓 (Lancet window)
肩車されている聖人
諸聖人の図と思われるが、不思議な構図を。発見
どうも 偉大なる予言者が、4人の福音書記者を肩車している図らしい
。
この構図は非常に珍しいが、シャルトル大聖堂の南のバラ窓下のにランセットにもが同じ構図があるそうだ。構図ばかりか絵もそっくり。
シャルトルのステンドグラスがノートルダムの工房で作られたものだと読んだ気がする。もしそうなら納得。下絵のデザイナーがシャルトルのステンドと同一かもしれない。あるいはどちらかがそのまま再利用したか?
エレミヤ(yirmya)、イザヤ(yeshaya)、エゼキエル(yekhezke、ダニエル(Daniyyel)が
ルカ (Lukas)、マタイ(Matthew)、ヨハネ(John)、マルコ (Marco)を肩車。
※ 象徴も見えないし、名前がちょっとで読めないので、今回誰が誰だか特定するのはやめておきます。
シャルトルの方は、エレミヤがルカ、イザヤがマタイ、エゼキエルがヨハネ、ダニエルがマルコとなっているらしい。
意味は、福音書記者の功績の下には偉大なる預言者がいたと言う事らしい。
いずれにしても、解釈もちょっと特殊である。キリスト教の方で、旧約の予言者をあえて持ち出して、福音書記者を上にあげるなんて、他で見た事ない。
ユダヤ教との関係性を強調しているかのような不思議な図である。 それも肩車して足が巻き付いていたりするから絵のデザインもちょっと奇妙すぎ。
北のバラ窓と南のバラ窓の枠(トレサリー)
下は北のバラ窓のトレサリーです。上部の小窓の方は火災で壊れていました。
下は南のバラ窓のトレサリーです。上のバラ窓は確かにゴシックですが、下はやはりレース網柄のデザインみたいです。
キリストの聖遺物「茨(いばら)の冠」
今回の火災においては、幸いに消失を免れた大切な文化財が多数ある。
その中でも特筆するのはカトリック教会の中でも最上位にランクする聖遺物。 キリストの茨の冠(いばらのかんむり)(Crown of thorns)がノートルダム・ド・パリ(Notre-Dame de Paris)にある
事だ。
なぜノートルダム大聖堂に? いつから? と思った人はいると思う。
本来、このお宝はサント・シャペル(Sainte chapelle)のお宝であった
からだ。
かつてシテ島に王宮があった時代、王宮内にこの聖遺物を収蔵する為の堂を建てた。(1248年献堂)それがサント・シャペル(Sainte chapelle)である。
※ サント・シャペルについては2017年2月紹介しています。
リンク フランス王の宮殿 1 (palais de la Cité)
リンク フランス王の宮殿 2 (Palais du Justice)(サント・シャペルのステンドグラス)
サント・シャペルを建立したのは聖王ルイ(Saint-Louis)と呼ばれたルイ9世
(Louis IX)(1214年~1270年)である。
聖王ルイは聖遺物のコレンター? 彼はブライベートで手に入れた茨の冠を収蔵し、近くで眺める為に自分の寝室に隣接して堂を建てたと言われている。
※ 茨の冠はキリストが貼り付けにされる直前に、ローマ兵から苦痛を与える為に与えられたトゲトゲの茨で編んだ冠状の輪です。
そもそも、 元はコンスタンチノープルのラテン皇帝ボードワン2世の所有物であったとされている。
債務肩代わりの担保にキリストの荊(いばら)の冠を聖王ルイがもらい受けたらしい。
聖遺物については、あちこちで書いているが、聖遺物産業が成立するくらい 聖遺物は宝石以上のお宝
であり、当然、偽物も多数。むしろ本物はあるのか? と言うほど中世どの教会にもそういったお宝が必ず存在していた。
この茨の冠もまた本物とは到底思えないが、聖遺物のランクで見ると、イエス・キリスト、聖母マリア、12使徒、キリストに関係した人々、他にバチカンで公認された聖人列伝に叙せられた諸々の聖人に関する骨遺骨を含めて何でも遺物は聖遺物として認識される中、最上級の聖遺物である。
下は装飾のほどこされたガラス容器に収められたキリストの茨の冠とされている。
ウィキメディアから借りてきました
聖遺物は大概、装飾の付いた豪華なガラスケースに収蔵される。そしてさらにそれを収納する豪華な箱が存在していた。
でも 革命期に箱は溶解されて無くなり、同時に残った聖遺物はf破壊されたり、ノートルダム大聖堂に納めれらるにいたったのである。
王家の堂であったサント・シャペルは革命期には目の敵にされたのでしょう。お宝は略奪されたりと散逸。堂はその後、裁判書類の文書置き場として1802年~1833年まで利用されたいた経緯がある。
同時に火災から保護された聖王のチュニックも元はサント・シャペルのものです。
解説は入れる時間が無いので写真だけ・・。
白ガラスのグリザイユは、教会堂が暗いと言う理由で一時期とり入れられていたガラスです。
気持ち的にはまだ書き足りない部分もありますが、父が危篤状態に陥り数日。
「ノートルダム大聖堂の悲劇 」は1~4で終了します。
以前書いていて途中の「アジアと欧州を結ぶ交易路 」もいずれ続ける予定ですが、しばらくブログの方お休みさせていただきます。m(_ _)m
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リンク ノートルダム大聖堂の悲劇 1 奇跡のピエタ
リンク ノートルダム大聖堂の悲劇 2 1841年の改修問題
リンク ノートルダム大聖堂の悲劇 3 外周と北翼のバラ窓
ノートルダム大聖堂の悲劇 4 南翼のバラ窓と茨(いばら)の冠
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