2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全3件 (3件中 1-3件目)
1
私の家では、夫婦共働きなので、家事も協同である。先週は、私が主体となり家事をこなす。当番制ではい。その日に、カラダが動く方が担当する。(息子が、この家事に協同しないのが不満でもある。)カラダが動くとは、身体的と精神的な意味である。どちらかがシゴトにメいっぱいであったり、落ち込んでいる時も含むということだ。しかし、そういう時こそ、家事をするべきなのかもしれない。大正時代の主婦は、悲しみをこらえながら、涙を流しながら、キャベツを刻むうちに、解放されていくという話を読んだことがある。とにかく、今週は家事から解放されつつあり、久しぶりにブログを開く。BBSに「さみしい」という、ココロに「ジワッ」とくる言葉があり、ちょっとセンチメンタルな感動を得た。ココロの声って、なかなか表現がしにくい。しょっちゅう、私のココロは声をあげる。叫び、悲鳴、泣き声(押し殺す・シクシク・ウワッ・ジワーなど)、怒り、喜び、笑い声などなど。苦しいときに、泣き声なのか、胸が締めつけられたり、気持ち?心臓?が、微妙に動くような感覚や、心臓がグラッと揺れる感覚などを経験している。この感覚や、ココロの声に気づかない時は、人生を走り続けているときである。少し休むつもりになったら、あるいは、休みたいと思ったら、突然、ココロの声が聞こえるのだ。このココロの声で、ココロの位置が揺れ動くのかもしれないな。うん。
Apr 26, 2005
コメント(2)
揺れる29歳‐4から、随分時間が経ってしまった。「29歳。Aさん」がキャリアチェンジのために、転職を選択したい経過を、本人の了解を得ながら、記録している。同僚のBさんにはポジションもあり、マネジメント業務を遂行しはじめているが、Aさんは、9年間フロント業務である。「あれもやりたい。これもやりたい。」とAさんは、自分の器用さで、シゴトの「できる」を判断し、ちょっと教えてもらえれば、どんな業務もこなせる自信があった。Aさんはソツなくこなすが、プロセスがなく、シゴトのための資料の準備・作成や、スキルアップの努力、また次の提案のための企画や考えを打ち出すことが、なかった。与えられたシゴトを、サッとこなし、お客様に良い印象を与えること。これがAさんの仕事ぶりである。昨年の新入社員のCちゃんは、Aさんに劣らず器用である。のみ込みもはやく、フットワークも軽く、お客様からのウケが良い。まさにAさんジュニアである。20歳という年齢から考えると充分である。そんなCさんと1年間接して、仕事に対して「複雑さ」や「丁重さ」、「真摯」な姿勢より、「気安さ」や「簡単」で、シゴトをしているCさんに対して、ライバル意識を持ってしまった。「ちょっとシゴトができるようになって、何でもできると勘違いしている。」Aさんは、カウンセリング中に、Cさんに対して、そんなふうに思っていることを話だした。カウンセラーにとって「傾聴」する瞬間である。Aさんは、「私も、若い頃からシゴトは、Cさん以上にはやかった」「同じ仕事で、同じ内容で」と、自分とCさんの比較をしていくAさん。「私は、なぜ、新入社員と同じ仕事で、同じ内容で比較しているの?」彼女は、話しながら、気づいていく。表情も曇りがちになる。「Aさん、転職したい理由は、そのあたりでしょうか?」Aさんは、「自分の転職したい理由なんて、気分転換のような・・・。別の場所で、自分が一番できると思われたかった。でも、話しているうちに、自分の気持ちを説明する言葉がみつかった。あのコと同じ仕事の内容がイヤなんです。あのコと同じ仕事で比較されることが、馬鹿馬鹿しい。でも9年間、そうだったんですよね。ずっと新入社員のシゴトだったんですね。自分は、そんなふうに思っていなかった。シゴトは、はやく、正確にこなせることと、接客態度の評判が、一番の評価と思っていたから、9年間同じ仕事でも、新入社員と同じと考えていなかった。」ここから、「今後どうしたいのか、どうありたいのか」というカウンセリングへとむかう。
Apr 17, 2005
コメント(0)
やっと復活することができた。「かぜ」をひくことが、こんなに「大変」なことだったとは・・・徹夜の仕事と「かぜ」で、ポイントの小さな文字がかすみだし、周囲の方に、ずいぶん助けていただいた。ありがとうございます。このブログを開いても、文字が読みにくく、コメントの返事も遅れてしまったり・・・申し訳ありません。こんな不調で、「あるモノ」を勧められ、飲んでみたら直ってしまったのだ。なんだか楽天の私の買い物コーナーになってしまうが、いろいろな健康食品やドリンク、錠剤など、信用したことがない。というより、飲んだことがない。カゼや疲労ぐらいでは、病院に行ったり薬も飲まない。よほどのことがない限りである。また、「あるモノ」も、ほら、人を紹介していくシステムがあるでしょ。その類なのだ。だが、直ってしまうと「飲み続けたい」と思うではないか。そして「目」がはっきりしないということは、こんなに辛いことだったとは思わなかった。「いいなー。かっこよく眼鏡をかけられて」なんて思っていた。申し訳ない。地下鉄、JRの階段や、人と行き交う場所で、不安になり、ましてや、パソコンに向かうことなどできなかった。原因は不明(病院にはいかなかったので)、自分ではかぜと疲労ということにしているが、「目」がみえることは、「生活」「仕事」することに重要であることを知った。「目」がはっきりしないことは「ストレス」「不安」のほか「生活」に支障をきたす。そして、注意深く行動し、知恵を使うことを覚えた。長い3週間であった。朝方まで、眠れぬこともあったおかげで、「鳥」にバーバルコミュニケーション(言語)があることを知った。「カラス」と「すずめ」である。以前から、あれが「言葉」なんだなと感じていたが、今回は、「リズム」を理解できた。「カラス」同士、「すずめ」同士は、朝方に、「合図」のよう鳴き声をかけあうが、ある日の午前5時に、カラスがもう一匹の「カラス」に怒っているようなのだ。その時に、今までに聞いたことのない「リズム」で、「すずめ」が何かを言っている(鳴いている)のである。けんかの仲裁か、となりのスズメに、カラスのけんかを訴えたのかわからないが、「訴えている」ことを理解した。「目」に支障があるときは、感性が強く感じられるものなのだな。先日、若い男性(10代)が、ドラムのステッキを持って、私の隣に座った。勤務帰りの人が、会社や同僚の愚痴を言い合う時間帯の地下鉄であった。次の駅のインフォメーションが、聞き取りにくいくらい話に花がさく。ある駅で、扉が開いた。となりの彼は、「A駅ですよね」と私に尋ねてきた。「そうです。」と答えた。彼は、ドラムのステッキを長くのばし、あわてて席を立った。そうだ。ドラムのステッキではなく、目の見えない人の「ステッキ」であったのだ。「扉」が閉まりそうになるのではないかと思い、中腰になった私をみて、扉の近くに立っていた人が、足とカラダを一歩、ホームと地下鉄の中間に立ち、駅員さんに合図をしている。(いい人だな)無事に降りられ、みんなホッとした。目のみえない彼は、カラダで乗車している時間を覚えていたのだろうか。誰かが「俺らが大きな声で話しすぎたんだよ。」といった。(いい人だな)いまなら、目のみえない「彼」と同じように、私は乗車の時間帯を知ることができる。「まだかな」と思うときは、いつもB駅だ。「そろそろかな」と思うとたいがいに、2つ前の駅である。この3週間に、目や耳を頼らず、「まだかな」「そろそろかな」という感覚で、時間を計った。いろいろな支障を持ちながら、生きて、生活をしている人がたくさんいる。「自分の目」は、カラダのあちこち、ココロや精神のあちこちに存在している。
Apr 7, 2005
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1


