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息子は高校2年生である。夏休み中に、オープンキャンパスを3~5回まわり、レポートを書き上げなければならない。オープンキャンパスは、保護者も少なくとも3大学をめぐるよう提案されている。息子は大学付属の高校の特進コースであるから推薦枠をもっている。学校の方針として、広い選択肢をもって進学に望めということだと考え、夫婦別々の大学へ向かうことにした。(1度ですむ!)さて、夫婦ともに友人を伴って、それぞれ息子が実際に望んでいる学部のある大学へ向かう。キーワードは「情報と経営・経済」である。ところで、もし私自身が社会人としてではなく、もう一度過去に戻り選択するのであれば・・・と考えた。・情報系・農業・酪農・心理を大学院まで学びたい・建築・デザインを専攻したかった私の相棒は・医療・情報系・美術系・農業・酪農系こう考えると、大学は何度も入学をしなければならない。最近クロス授業というのがあり、学部を超えて単位も取得できるそうだが。もう一度過去に戻り選択するのであれば・・・と前置きしたが、夫婦ともに、いまの自分の欲求を中心に考えている。それは、やりたいこと、やれること、できることという領域が見えている年代だからである。また、習得のコツを知っているし、職業や企業の内容も把握しているからだ。そして、カルチャースクール、社会人大学、大学院によって、あとでも勉強をできる領域も知っているからである。さて私達が選択した理由は、「研究する」という「学歴」において、やはり大学で学んだほうがよいと考えたからだ。ただ単位を取り学位をとって、知識を「雑学」にするための「学歴」ではない。自分のライフスタイルやライフワークの選択肢を広げるためである。さて、もう一度過去に戻り選択するのであれば・・・とにかく成績に見合ったところで、かつ興味を引きそうなところを探しているだろう。この興味とは、リカレントの科目の好き・嫌いがベースである。息子の「情報と経営・経済」は、付属大学にある学部で、パソコンを使いながら、2つの選択肢を持てるからだそうだ。何より多少成績が下がっても、ここなら推薦してもらえそうだから。これが一番の理由ではないか。
Jul 31, 2005
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フランクルは、「夜と霧」で次のように語っている。「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。」ヴィクトル・エミール・フランクル 池田香代子訳『夜と霧』(新版)みすず書房その「死」を自ら選択したのが、原口統三だ。《その時、彼ははたちだった》 『悪魔が今日、かういふ名刺を作ってくれた。 原口統三 慢性孤独病のマゾヒズム患者』原口は、昭和21年に19歳10ヶ月で入水自殺を果たす。悪魔が名刺を作ってくれたのは、昭和19年の17歳の頃ではないかと思う。一切の芸術を捨てた後に、僕に残された仕事は、人生そのものを芸術とすること、だった―そういう原口の文は難解で、彼を理解する要素は何もない。森有正、橋本一明らの追懐を読み、認識できるのは「死への衝動」と「拒絶する愛」である。『それは永久に秘密であり、不可解なことである、原口統三の死への志が、今ここに上梓されたささやかな小冊子“二十歳のエチュード”で明らかにされるなどと、何人も考えてはならないし、また事実において理解することのできる人は一人もいないだろう。』とある。・・・何人も考えてはならないし・・・人の死を、理論や思想で独断的に認知して、明らかにすることは考えてはならないのかもしれない。それは、社会的獲得地位に甘んじた家庭から、自分は特別な存在として「生きることは素晴らしいと全ての人が思えるように」などと嘯くような言葉を残すこと同じなのかもしれない。「全ての人」とは、一体何を指すのだろう。狭い視野からのコメントなのか、世界の人々を無視しているのか・・・。「死」や「生」を憧憬し、崇拝するものではないと思う。私達は、生まれたときから人としての生涯を完結する「死」への旅に、叶わない希望にも意味の問題に正しく答え、苦悩を受け入れてこそ「生きる力」を保ちながら、運命や宿命へと進んでいくだけだ。その苦味の「味わい」を知らずにして、「生」を急ぐ必要はあるだろうか。「死」とは「生」を急ぐほど、早くやってくるものなのかもしれない。苦味の味わいが、あとになるほど「旨み」を知ることができるのかもしれないのだから。追記私にとって大変興味深いところがある。 『表現と自己との分離。 表現は生れ落ちたとたんに自己から離れて、独立する。 すなわち自己は常に自己だけの孤独な時間の流れを通る。 もはや生み落とされた「表現」は一つの過去の記念碑にすぎない。 * 僕は自分のにせよ、 他人のにせよ記念碑に礼拝するのがいやだった。』原口統三は、赤城に来てからも絶えずペンを握り続けたという。ランプの灯で書きつづけ、時々疲れた眼をあげて「生きている間は絶えず表現していなけりゃならない」と言ったそうだ。1946年10月2日 赤城山にて自殺未遂。1946年10月25日 厨子海岸にて入水。《その時、彼ははたちだった》faithfulさんからいただいたメールから「赤旗の編集部で該当部分だけ送ってくれました。」ありがとうございました。※faithfulさんからいただいたトラックバックの記事「定本・二十歳のエチュード(原口統三)」共産党の上田氏とノーベル賞受賞者小柴昌俊氏の対談記事・・・日経2月6日「私の履歴書」・・・「しんぶん赤旗」2月2日日曜版19頁上田)彼のフランス文学は相当なものだった。同じ部屋にいたとき、午前中、原口がベッドでずっと寝ているんだよ。心配して「どうした?カゼでもひいたか」と聞いたら、「ゆうべ横浜港の人足に行って疲れた」というんで胸をつかれた。両親が「満州」にいて仕送りが途切れ、大変だったんだな。君もいっしょに行ったのか、米軍の荷役に?小柴)行ったんだよ。それで二人でサボって貨車の中で、米軍の食糧を食ってた。「レーション」っていって兵隊に配る箱入りの弁当、あれを積んだりする役目だけど、二人で貨車の中に隠れちゃって食ってた。上田)そうか。僕が小柴の部屋を出た翌年、彼が自殺するっていいだしてね。生きていたらいい仕事したのにな。当時の天野貞祐校長も心配して、みんなで説得したんだが、四六年十月逗子の海岸に入って亡くなったね。小柴)感受性が強すぎて耐えられなかったのかもしれんな、あの敗戦後の世界は。定本二十歳(はたち)のエチュード 筑摩書房二十歳のエチュード 角川文庫 二十歳のエチュード 光芒社reproduction
Jul 27, 2005
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乏しい食糧、劣悪な衛生状態、厳しい強制労働のもとで、人は次々と死んでゆく。希望を信じる者が必ずしも強いわけではなかった。強制収容所にて希望を抱く者が、その希望が叶えられないことに生への意志を失って自殺を決意する。 「あなたを必要とする何か」がどこかにあり、 「あなたを必要としている誰か」がどこかにいるはずです。 そしてその「何か」や「誰か」は、 あなたに発見されるのを待っているのです。自殺を決意する囚人のほかに絶望の淵にあっても、黙々と毎日の日課をこなす囚人の姿もそこにもあった。どこからその強さはくるのだろう。フランクルは、日々の務めに「意味」を感じ、「責任」を果たすことのできる人が、生きる力を保てるのだと答えを導き出す。 『その強さは希望からではなく、 人生が各人に課する使命を果たすこと、 日々の務めを行うことに対する責任を担うことであった。』V・E・フランクル『夜と霧』みすず書房より
Jul 26, 2005
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「自分に与えられた人生の意味を実現するという使命のためにあり、自己目的化した自己実現は単なるエゴイズムに過ぎない。」ナチス強制アウシュビッツ収容所などを体験し、その極限状況のなかから、『ロゴス』(愛・生命力・原理)を目覚めさせる治療法を生み出したV・E・Frankl:フランクルは、『自己実現』をそう批判した。Maslow自身、晩年には、自己実現を超える発達、つまり人間の成長の極限として「自己超越」を想定するようになるのだが。 ウイーン生まれのオーストリア人である ヴィクトール・エミール・フランクル強制収容所生活の体験のなかで、『宿命を超えて、自己を超えて』生きる意味を見つめて『それでも人生にイエスと言う』 人間は悲しみを通して 物事の本質を見抜く力、 世界を透視する力が養われ 高い次元の存在を感じ取れるようになる。 苦悩を受け入れることで 清らかな幸福が流れ出してくる。私は基本的に、どんな理論にも囚われない。どんな理論でも、本質を知る。しかしフランクフルだけは、私にとって「特別な存在」だ。どんな人生にも意味があると教えてくれたから。※本の紹介は、メンタルヘルスケアのアウェアネスに掲載していますので、ご覧になってください。
Jul 23, 2005
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Maslow(マズロー) 自己実現の定義・ 健康である・ 所属、愛情、尊敬、自尊心の満足・ 自己の能力を積極的に活用・ 高次の動機により動機付けられ、それを全力で得ようと模索し、確実に手に入れる。可能性、能力、才能の絶えざる実現として、使命の達成としてパーソナリティの完全な知識の受容として人格内の一致、統合へと向かう絶えまない傾向に動機付けられているのである。自己啓発、能力開発、スピリチュアルなど、さまざまな領域でトレーニングをつむことも、人格内の一致、統合へと向かわなければ自己実現すなわち“人格=個人性=パーソナリティ”といえない他者・共同体・人類・生態系・地球・宇宙との一体感同一性(アイデンティティ)の確立は自己実現を超える発達であり “自己超越”へと深くかかわることができる。“自己超越”は人生観-世界観であり-ライフスタイルそのものなのである。ニューヨーク生まれのアメリカの心理学者Maslow, Abraham H ユダヤ人である。次のエントリーで、FranklがMaslowの自己実現に対しての批判から始めていきたい。
Jul 23, 2005
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B価値とは、Being(存在・生命)を示す。・・・その認識になるもの・・・・・・・・全体性・・・・・完成性・・・・・完成・・・・・正義・・・・・躍動・・・・・富裕・・・・・単純・・・・・美・・・・・善・・・・・独自性・・・・・無礙・・・・・遊戯・・・・・真実、正直、現実・・・・・自己充足これらが、重複し融合する、生命全体の一側面であって、パーツであってはならない。これらの認識は受動的、受容的で、普遍的かつ基本的な人間の価値観と見なしている。
Jul 22, 2005
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physiological needs 生理的欲求生理的体系としての自己を維持しようとする欲求であり、具体的には空気・水・食物・庇護・睡眠・性 ・休養・運動などに対する欲求である。safety-security needs 安全への欲求 (安全・安定性欲求)安全な状況を希求したり、不確実な状況を回避しようとしたりする欲求である。具体的には安全・安定・依存・保護・秩序への欲求である。belongingness-love needs 所属と愛の欲求 (親和の欲求、社会的欲求:social needs)集団への所属を希求、友情や愛情を希求する欲求である。組織、学校、家族の中に居場所があり自分が愛されることである。esteem needs 尊敬欲求 (承認欲求、自我の欲求)自己尊厳を希求する欲求であり、具体的には、他人からの尊敬や責任ある地位を希求。自尊心・尊敬されることへの欲求である。autonomy needs 自律欲求 (esteem needsから独立に考えられる)自律的な思考や行動の機会を希求する。elf-actualization needs 自己実現欲求自己の成長や発展の機会を希求したり、自己独自の能力の利用および自己の潜在能力の実現を希求したりする欲求である。この段階説は、さらに付け加えられることとなる。7/21エントリー「自己実現」7/21エントリー「自己実現的人間の特徴」
Jul 22, 2005
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マズローの欲求が、世間でどのように扱われているのだろうか。重要なのは欲求階層説が次の4つの仮説によって成り立っていることを理解することである。1.欲求は満たされると、それは欲求ではない。なぜなら、満たされない欲求によってひとは動機づけられるからである。欲求が「目標」であり「動機付け」となる。2.この階層上で、基本的な「低次の欲求」が満たされて、はじめてより高次の欲求が出現してくる。つまり、一つの欲求が満たされると、次の欲求を充足させようという動機付けが発生する。ただ、人には成長し続けたいという人間的な高次欲求が存在するため、自己 実現欲求だけは、充足しきることがないということである。生理的欲求が満 たされない人間は、安全への欲求を満たすことが出来ないものなのだ。3.承認と自尊心の欲求に至るまでの欲求は、不足のものを満たすという欠乏欲求=D欲求であるのに対し、自己実現は一人ひとりの人間の「かけがえのない存在:beingそのもの」にかかわる欲求=B欲求である。4.欠乏欲求=D欲求は、生物的基礎が濃厚で、強い本能がそこに働いている。他方、自己実現へのB欲求にも生物学的基礎がないわけではないが、それは弱い本能に基づいているにすぎない。そのために、B欲求の充足にかかわるB価値やB経験に接するためには、いい社会やユーサイキアン・マネジメント「完全なる経営」がいる。モチベーション理論は大きく分けて、「内容説」と「過程説」の二つに分類される。「内容説」・・・『人は何によって働くことに動機付けられるのか』『その内容を重視する』「過程説」・・・『動機付けの流れや背景を議論する』マズローの欲求は「内容説」である。マズローの欲求は、検証されているわけではない。「人間重視の視点」が評価されているのである。現代において、「マズローの欲求」が都合の良いように扱われ、本来の「性質」が抜けている。自己実現的人間の特徴を理解しないまま、目標や動機付け、自己実現の手法に用いると、「自己実現とは何か」、「自己実現的人間とは」という答えが曖昧で、役に立たない「雑学」になるのだ。7/21エントリー「自己実現」7/21エントリー「自己実現的人間の特徴」自己実現、マズローの欲求は、中・高生も、現代国語、保健体育、公民・倫理社会で学ぶ機会がある。
Jul 22, 2005
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マズロー Maslow, Abraham H 「自己実現的人間の特徴」1.現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つ2.自己、他者、自然に対して受容的態度3.自発性、単純さ、自然さ4.自己中心的ではなく課題中心的5.孤独、プライバシーを好み、欠乏や不運に対して超然としている6.文化や環境からの独立し、意志をもった能動的人間である。7.認識が絶えず新鮮であること。8.神秘的経験-頂上(至高)体験を持つこと。9.共同社会感情を持つこと。10 .心の広い、深い対人関係を持つこと。11 .民主的性格構造を持つこと。12 .手段と目的の区別、善悪の区別が判断できること。13 .哲学的で悪意のないユーモアのセンスを持つこと。14 .創造性を持つこと。15 .文化に組み込まれることに抵抗し、文化を超越することさらに16.確固とした価値体系17.対立性の解決、欲望と理性の調和Maslowは正常な人間にはpeak experience(頂上体験)があると云う。これが現在、至高体験とされている。これは短時間しか継続しないが、さらに長時間継続する高原体験があると云う。Maslowは自己実現をある一部の年配者に限られる到達点としていたが、後に再定義し、誰でも「頂上体験(peak-experience)」によって、一時的に自己実現に到達しうることを示した。つまり、瞬間的な一過性の自己実現は、誰でも可能であるということになる
Jul 21, 2005
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社会や組織のスローガンは「自己実現」に止まらず「ノブリス・オブリージュ」まで日本の大衆社会に落とし込むさて、自己実現とは何かマズローの欲求段階説だけでは答えとして不足である。マズローの欲求が5段階説としての知識ならなお不足である。つまり、獲得的地位(大衆)と生得的地位(階級制度)の教育の開きがここにある。7/20エントリー「高貴な人々の義務」それでは、「自己実現」とは何か。・・・自己実現とは・・・自己実現の特徴・・・自己実現の動機となるものもし、あなたが各種のセミナーや研修を受講しマズローが望む答えを準備できないのなら、あなたは、セミナーの落とし穴にはまっている。つまり、スローガンだけが記憶されていることだ。プロパガンダ(Propaganda)的なセミナーを自ら選択した訳である自己実現とは才能や能力、可能性等を十分に用いて開拓していることであり、その人が潜在的にあるべき姿になり、より一層その人特有の姿になり、その人がなることできるもの全てになろうとする傾向である。それが、自己実現の欲求なのだ。いま、速聴、右脳開発などがさかんであり、成果主義に求められるコンピテンシーもこの「潜在的」がキーワードである。7/4エントリー:速聴と右脳7/7エントリー:コンピテンシー イントロダクション次のエントリーで、自己実現の特徴をエントリーする。
Jul 21, 2005
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「働くことに真摯であれ」という英国には、ノブリス・オブリージュという精神が存在する。「高貴な人々の義務」と訳され、高貴な身分に生まれついた者は、より多くの義務を負うというイギリスの貴族、ジェントルマン、職業軍人、騎士道精神に受け継がれる高貴な身分に生まれついた人間には、 人々に奉仕し、献身する義務があるという、生得的地位にある上流階級の文化と伝統だ。ノブリス・オブリージュとは、その「家柄」、「階級」という「身分」の義務であった。守るべき領土と領民がいる特定の階級。上流階級の子弟がパブリックスクールを経て、グランド・ツアー(大陸巡遊旅行)によって、それまでの教育の総仕上げをする。プライベート教育のことだ。パブリックスクールでは、指導力と奉仕(Leadership & Service)という、人民を指導し、慈善事業や軍務などさまざまな分野で社会に奉仕を、学問と同時に叩き込まれる。いま英国のおける階級制度「class system」の不平等もあり、いよいよ英国も、生得的地位が揺るぎはじめている。こういった「家柄」と「教育」が結びついていない日本で、ましてやパブリックスクールなるものが存在しなくなったこの国では、企業や政治家、教育、また「働く側」へ、ノブリス・オブリージュの精神を取り入れることは、その精神の伝統と文化を乱すだけで、決して「進化」をしているわけではない。大衆社会という現在の日本は、生得的地位ではなく、獲得的地位で成立している。義務教育により、文化の喪失された環境からも、獲得的地位により社会進出を果たしているわけだ。これが「学歴」である。つまり、守るべき文化や伝統、品格や人格、指導力と奉仕においては、家庭教育や学校教育にはバックグランドがないわけだが。このノブリス・オブリージュの精神を、企業、労働者に取り入れようという考えがあるが、日本と英国の違いを、長時間労働で比較してみる。「働くことに真摯であれ」という英国における管理職の残業の理由。 1.キャリアアップ 2. 業績に対して責任 3. 昇進の機 4.スタッフを失望させないため 5.同僚の敬意を得るため日本におけるサービス残業の理由 1.予定の期日に間に合わせる為 2.その日中にやらなければならない為 3.示しがつかない 4.就業規則によるため 5.管理職であるため自主的に自分のためにという理由は16%である。 ※管理職以外では 就業規則 申請できない雰囲気 査定にひびく日本では、長時間労働=サービス残業であり、英国の回答とはこれほど相違する。獲得的地位により経済的・社会的な成功者が、対極側の人間に対して、自発的に指導が行われるのだろうか。労働者は仕事の意味づけや理想の職場を追求するようになり、組織は、社員を動機づけたり、職場の福利厚生を充実させたり、さまざまな研修・手法を使って、「よき労働者」と「よき雇用者」のマッチングを求め、「いかに安い賃金で人を働かせるか」の結果を得ようとしている。いま、成果主義に変わった日本にも、ライフ・スタイル・バランスが普及しようとしているが、申請できる「職場」が普及するのだろうか。ワーク・ライフ・バランス T・Kのディキャリア 過去エントリーパク・ジョアン・スックチャ「会社人間が会社をつぶす」・ ワーク・ライフ・バランスの背景・ ワーク・ライフ・バランスの取り組みワーク・ライフ・バランス 参考:濱口桂一郎「EU労働時間指令の改正案とその影響」(世界の労働2004年10月)欧州生活労働条件改善財団は、ワーク・ライフ・バランス政策は、企業にとっては生産性と競争力の向上、労働者にとっては仕事の質の改善、職業訓練・能力開発へのアクセスの面で、大きな利益をもたらす顕著な証拠が見られるとしている。調査は、労働条件の改善、個人生活の充実、職業訓練やボランティアへのアクセスの向上のために、労働時間を生涯全般に渡って再配分できるよう、政策担当者が新しい時間と所得の選択肢を改善または創造していくべきである、と提案している。また、もし退職年齢が引き上げられ、職業生活が延長されるなら、政策担当者は、その代償として、人生でストレスを受けやすい期間により多くの有給休暇が取得できるよう保証すべきであると主張する。また、職業生活を通じた新しい労働時間の設定を可能にしていくためには、新しい社会保障制度の構築が不可欠であるとしている。「いかに安い賃金で人を働かせるか」これは先進国の企業は国内だけに止まらず、人件費の低い開発途上国に工場や農場を持ち、現地人を雇用し、不当に安い賃金で、苛酷な労働を強いることをはじめる。(昨日のエントリーで、産業革命後の例をあげているが、歴史は繰り返すのではなく、続いている?)その一方、1940年代にアメリカのNGOから始まったと言われ、ヨーロッパを中心に1960年代から本格的にひろまったフェアトレード。・・・【Fairtrade】その基準とは・・・・・・貧困のない公正な社会をつくるための、対話と透明性、互いの敬意に基づいた貿易のパートナーシップ。・・・アジアやアフリカ、中南米などの農村地域や都市のスラムなどに暮らす人々に仕事の機会を提供することで、貧しい人々が自らの力で暮らしを向上させることを支援。・・・小規模農家や手工芸職人に継続的な仕事をつくり、農薬や化学肥料に頼らない自然農法や、生産地で採れる自然素材と伝統技術を活かした生産によって、持続可能な社会を目指している。消費者の我々が、必需品をフェアトレードで購入すると、途上国の生産者たちが自立した生活を送ることに貢献できるというしくみだ。自給自足の生活から、暮らしを向上させること。これは、生存の欲求を満たす「労働」ではないだろうか。「働くことに真摯であれ」という英国の文化と伝統を、単なる「義務と権利」に置き換えてしまう危険性。職業に対する意味づけや理想、動機付けよりも、いかに我々が貧困なのだと自覚したほうが良いのかも。働くことは生存の欲求なのだと。中流家庭というレッテルを自ら剥がす時期なのではないか。
Jul 20, 2005
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人間の文化:ぱぴ1729さんのコメント『働き手を大切にする企業の方がいいんだという価値観を社会がもつべきなのでしょうけど・・・海外との競争もあるから、なかなか難しいですね。この前、100円ショップで、竹を編んだかごを見つけました。ベトナム製でした。日本の企業は、海外でも搾取をしており、私たち日本人の豊かな生活がその上に乗っかっていることを思うと、悲しくなりますが、自分に何ができるのかわかりません。>機械に使用によって単純になった作業に女性や子供を低賃金で雇い、長時間の労働が課せられた。というのは、東南アジアでは昔のことではないのでしょうね。』Re:ぱぴ1729さんおっしゃるとおり、東南アジアも、実は日本でも他国でも続いています。先進国に本社を持つ企業が、人件費の低い開発途上国に工場や農場を持ち、現地の人を労働者として雇う例は多くある。一方で、生産者と購入者が対等なパートナーとして、生産が続けられるように環境に配慮しながら、労働に見合った公正(フェア)な価格で取引をする貿易が生まれた。これがフェアトレードという。我々消費者が、自分の生活に必要な範囲でフェアトレード商品を購入するだけで、途上国のより多くの人々が持続的に自らの力で生活を向上させることができる。この件については、次のエントリーで挙げてみたい。
Jul 20, 2005
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ルネッサンス以降、人間中心の文化がはじまった。混色がはじまったのもこの時代である。ガリレオ・ガリレイ、ニュートン、ゲーテ、ルンゲなど、14c~19cと、光・色彩を追求していく。17世紀は「光」の世紀18世紀は「産業」の世紀19世紀は「視覚」の世紀神の時代から何世紀も経て、宗教革命、産業革命、IT革命が起こり人間は神よりも職業との関わりの時間が長くなる。産業革命は、18世紀後半に、イギリスではじまりナポレオン戦争の終了後、ヨーロッパ諸国やアメリカではじまる。19世紀末頃、ようやく日本とロシアの産業革命がはじまった。19世紀という時代は、道具から機械の使用により、人々の生活が一変し、生活が豊かに便利になった。社会・政治・文化などあらゆる面に大きな影響を与える、資本主義経済。その資本主義に、自然回帰を謳うアーツ・アンド・クラフト運動のウィリアム・モリスが誕生したのは、1834年。造形活動の基本を手工芸におく、バウハウスのグロピウスは、1883年に生まれている。機械に使用によって単純になった作業に女性や子供を低賃金で雇い、長時間の労働が課せられた。命を賭けた使命ではなく、命を削った労働である。平凡社『西洋史料集成』 証言より「活況の時期には、少女たちは朝のなん時に工場に行つたか。」 「活況の時期には、それは6週間ばかりの期間ですが、少女たちは朝の3時には工場に行き、仕事を終えるのは夜の10時から10時半近くでした。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「普通の労働時間は朝の6時から夜の8時半までだったのだね。」 「そうです。」日本では「野麦峠」を読んでみるとよい。現代と変わらないと思う方々がいるのかもしれない。肉体ではなく、精神の命を削った労働であるなら。
Jul 19, 2005
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聖書にある「2つのものを混ぜてはいけない」古代のプラトン以来、中世のロジャー・ベーコンに至るまで光や色彩も「神の創造物」であった。つまり混色によって「新たな色」を造りだすことは、神への冒涜でもあった。神の時代である古代ギリシャ。「労働は卑しいこと」人間がしなければならないことは何か。「祈り」そして「考えること」だったのだ。
Jul 19, 2005
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政治的意図をもつ宣伝をロシア語でプロパガンダという。主義や思想の強調を、「大衆」に向けて「理性」ではなく、「感情」に訴えることだ。ボルシェビキの指導者「レーニン」ファシストの総帥「ムッソリーニ」ナチス総統「ヒトラー」彼らが引用したのは、ル・ボンの著作「群集心理」大国によるプロパガンダは事実の誇張・歪曲を含むあらゆる手段を行使しやすく、対応が困難であるとされている。プロパガンダは、メディアを通して、大衆の心の中にどこにも存在しない感情や欲求を新たに植えつけるのではなく、眠っている感情を揺り起こす。アメリカ大統領選挙のCM、ナチの演説、レッテル張り、スローガンは反復することによって強大な効果を挙げた。いま、プロパガンダは、「新しい」、「やさしい」など言葉を掲げて、環境、化粧品、食品など、新聞、広告・チラシ、TV、ラジオ、インターネットを通し、「感情に訴えかける」、「反復する」、「単純化する」という戦略を、企業や自治体も利用している。エレン・ランガーは、宣伝に対してほとんど心あらずというやり方で、ある説得や宣伝を受けた時に、感情的に決断してしまう反応を「無思慮」と呼んだ。それは、ただ漫然と行う行為、思慮のないことばづかい、これら散漫な心にあたるマインドレス:mindlessである。マイケル・ムーア監督「華氏911」は、総動員をかけ、「ブッシュ政権を支持し、強いアメリカを誇り、イラクにおいて正義を果たしていると信じる、多くのアメリカ国民」へ説得しようという構造を持っている。こういった”もう一つの”プロパガンダ(Propaganda)もあるのだ。私たちは深く考える力を持っている。いま、子供も大人も不足しているのは「探究心」である。学校教育に依存し、家庭教育はどこにいったのか。自宅で探求する時間や機会はどこに行ったのか。学校や塾だけで全てが身につくなら、みな天才である。参考文献洗脳の科学/リチャード・キャメリアン/兼近修身 訳/第三書館20世紀の権力とメディア/平井正/雄山閣プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く/A・プラロカニス E・アロンソン著/社会行動研究会 訳/誠信書房
Jul 18, 2005
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記号とは、みえざる「神の右手 悪魔の左手」 グランファルーンとは「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」だ。これが、どういう特性や性質を含んでいるか理解できただろうか。『人格を育てるのであって、良さそうに見える「記号」を育ててはいけないのだ。』これを、グランファルーンにあてはめて考える。グランファルーン=「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」これが「記号」である。「人格」をグランファルーンの特性や性質として考えてみる。「セールステクニック」としてのグランファルーン・所属している事に誇りを感じる・規律やルール、期待を破らないように行動する・自分と相手との間に共通項を創り出す顧客の「話を引き出し」、意図して「共感する」つまりその結果が自分への評価を上げることが出来る。「コミュニティサイト」としてのグランファルーン(情報交換などのコミュニケーションを中心としたWebサイト)・同じ職業・同じ趣味・同郷・同じ出身校など要するに、「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」そのものである。その人とのつながりは単に「○○が同じ」というだけで、連帯感が生まれる。○○が記号でもある。もっともグランファルーンの特色を表しているのがSNSである。招待制、非招待制があるにせよ、「○○つながり」が特徴である。ヒューマニズムの感じられるサービスにする為、常に「人」を尊重し、掲示物を大切に考え、変造、毀損、削除されないように最善を尽くして保護を誓約し、新たな友人関係を広げることを目的に、参加者が互いに友人を紹介し合い、友人の関係、個人の興味・嗜好等を登録していく、実名登録制の制約されたコミュニティサイトである。さて、あるコミュニティサイトで、もっともグランファルーンの性質を表しているグループが出現した。『○○のマナー違反者を運営者側へ通報し、平和で安全な場所を作っていく為に力を合わせている「○○ポリス」達が集まるグループです。違反者を追放する為には皆様のご協力が必要です! 正義感の強い方々の参加をお待ちしております!』「マナー違反者を通報し、追放する」という、誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯である。(コミュニティサイト側の判断に関心がある)「組織・団体・国」としてのグランファルーングランファルーンでは、同じグループに属する人は、同じグループの規律やルール、期待を破らないように行動する傾向にあることがわかっている。・仲間意識(連帯意識)・明確な差別意識・規律をつくる・ルールの徹底・友好的で穏やかな説得と命令・心理的な高揚感と誇らしさ「マナー違反者を通報し、追放する」・焚書・報道、言論の自由と規制・社会的真実(記号による属性)・人権問題群集心理とは、強力に見える指導者の存在を追い求め、進んで服従し、夢を託し、それと一体化しようとする大衆という「記号」ではなく、「性質」を捉えている。※人事工学研究所:人事用語集から グランファルーン所属している事に誇りを感じるが、意味のない人間同士の連帯。例えば、同郷の出身であるとか、同じ学校の出身である等。同じグループに所属する人は、同グループの規範やルール、期待を裏切らないよう行動する傾向があるという。自分と相手との間に共通項を創り出すことによって、自分への評価を上げることが出来ることから、セールステクニックとして使われる。 ・おもいやり・傾聴 ・支持・交渉 ・励まし・愛 ・友情・信頼 ・受容・歓迎・尊敬これは、グランファルーンでは意図的である。「記号」で連帯感を強めているからだ。「人格」といわれる特質や性質に着目すると意図的な「記号」に悩まされない。「やさしい」という記号の性質は何か。その個人の「ものさし」によって差異があるはずである。・たやすい人・わかりやすい人・なんでもしてくれる・怒らない人・口うるさくない・心配りがある人・穏やかな人・物静かな人・思いやりがある人・上品で美しいしぐさ・人に尽くす姿・心づかいをして控えめである。・つつましやかである。「やさしい」という「記号」を使うとき、「何」を指しているのか。「人格」というのはそこである。また、意図的なものを判断することもできるのではないか。それが真実の連帯すべき仲間、伝統的価値観、従うべきルールや秩序を得ることになる。大衆とは、無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々のことであるとしたのは、スペインの哲学者ホセ・オルテガだ。フランスの社会学者ギュスターヴ・ル・ボンは、大衆は弱い権力には常に反抗しようとするが、強い権力には卑屈に屈服するとしている。※大衆と政治の心理学/若田恭二/勁草書房※世論と群集/ガブリエル・タルド著/稲葉三千男 訳/未来社※群集心理/ギュスターヴ・ル・ボン/桜井成男 訳/講談社学術文庫
Jul 18, 2005
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「T・Kのディキャリア」に寄せられたコメントから・・・何を見聞し、どう感じる大人になるのか・・・問題提議をしていただいた「一期一会」のみぃー笑さん・子育ては自分育てだと本当に思う。敷かれたレールから飛び出し、砂利道を自分の足で歩き出した、寄り道して転んで怪我もして反発して生きて花の香りや塩の甘さを感じたような。その一方でレール感覚はしっかり根付いていた事感じてた。今まで子供と寄り添って生きてこねばならない状況だったがこの先は?二分する自分の子育てが子供の主張とどう向き合うのか不安でもあり楽しみでもある。自分育て、まだまだ先が長い。・記号+○や△の教育や教養が必要じゃがバターさん・ご自身の思春期の課題をクリアーせずに、子どもさんに投影されてたりして、問題の解決がとってもややこしくなることが増えていますし、裁かれなければいいんだってな具合で、ずっこい生き方を親もしているのでしめしもつきませんし、親御さんがいけないことを・・・身体をはってでも伝えないといけないことを回避しようとしているんじゃーないかとすら思います。マナーの悪さは親の生き方にも現れているので・・・子達はそれを見て自然に吸収してしまうんじゃーないかと思うのです。こちぶおやぢさん かっこいい大人、スタイリッシュなOYAZI・こどもを見守るのが「こうでなくちゃいけない」という価値観しか持ってない大人・ベストなのは「ここまでやっちゃいけない」を知っている大人まんまる84さん・気兼ねや緊張といったストレスこそ、多くを学ぶきっかけに・多くの人は(時には自分自身も含めて)そういった記号から、人格を判断・学校で、苛め方や苛められ方を学んだような気がします。学校という箱の中の、児童、生徒同士の狭い社会で“快”“不快”を嗅ぎ分け、何を選べばよいか・・・それは今でも、私の人格を形成する上で、重要な学びであったと思います。ぱぴ1729さん・まずは、「記号」ではなく、人格を見るように・どのような家庭で育つかで、その子どもの学ぶ意欲は大きく変わるでしょうね。それだけではないでしょうが、非常に大きな要因でしょう。・「学びたくても学べない環境の子ども」や「教育したくてもできない経済状況の大人」も多いですね。そして、それが個人の問題とされる社会になっています。そういう人たちを助ける社会の仕組みも必要です。・「人権を学べば教師が変わり、教師がかわれば生徒が変わり、生徒が変われば学校が変わる。学校が変われば山でも動かす」と言う言葉があります。jeryiさん・上海の方がいらっしゃるですが、その方は一生懸命、日本と上海の情勢の違い、文化の違いなど今の日本人より丁寧な日本語で話してくださいます。私といえば彼らの努力さえ当たり前のように感じていて、その人の母国のことなど全く見ていませんでした。かるてーかさん・国がしなけりゃいけないことは、企業に安定した雇用を求めることじゃないのだろうか。使い捨ての駒であることがわかっていてなお働かざるを得ない状況に、好きで甘んじる馬鹿はいない。それでも食っていかなきゃならないから、フリーターや派遣で働く。それを揶揄されたんじゃたまらない。いづみさんlivedoor・多数派から少数派へと移行すれば、自由な代わりに孤独を味わうこともしばしば。・自分を省みないで他人を大事にするって方がなんかキレイゴトで薄気味悪い。・寄生している子供も離れたくないのと同じように、寄生されてる親もまた子供を手放したくない"共依存"的関係・自立ってさ、経済的なことばっかじゃないよ。精神的に自立したい気持ちが一番大事で、それを見届けてやる親のそれこそ"責任"が大事だと思う。他サイトのエントリーからlivedoor carrer counseling ・cultural deprivation -文化の喪失- 労働者階級のバックグラウンドを持つ子供たちが、良い教育を受けることができず、豊かな家庭の子供たちと同様のアドヴァンテージを持つことができない場合などに文化の喪失が起こります。家庭環境に書物をはじめとする文化的経験のできるものが欠如してしまします。※ 引用:English for Intelligent Conversation 著者:Karl・R・Twohig (英国) ベレ出版・ここでは、レイ・ブラッドベリの「たんぽぽのお酒」から引用し「こころ -生きる目的と、それを-」をテーマに取り上げました。1928年の少年の短い夏の出来事をファンタジーに描くだけではなく「この世界の隠れた力」、「隠れたドラマ」をメッセージしたつもりです。死はいつも人の隣にいるからこそ、人の存在価値があるのです。 ・さまざまな事情を抱えながらも -日本でニートと呼ばれて- というレッテルを貼られ、それも経験と文化の違いですが、そのレッテルを「主義とする一人一色の人」、「レッテルを剥がしたく、もがいている十人十色の人」、「壊れそうな心で暮らす一人十色の人」が存在していると思うのです。・How can I go to there Where am I going ・私はどうやっていけばいいの 私のいくあては ・私は何をすべきなのだろう 私はどこへいくのだろう ・私がそこににいかに行くことができるか 私はどのように行くべきなのかライフスタイルコンシェルジュ・『地球にやさしく自然と親しむ程度の感覚であってはなりません。「ごっこ」ではなく、その土地のマイノリティの問題、社会問題、環境などの地球的課題の潜在的役割を意識して。』 ライフスタイルナビ・日々心を配り、目を配り、声をかけて、生命を育てていく。丁重に扱うことですね。それを「おもてなし」というのです。・記憶にわざわざ残さないような、敬愛に溢れる謙虚な行為に、深く考えさせられるのです。 biz&キャリア・さて、よく「多くの」という表現が使われています。「多くの悩みは・・・」「多くの女性は・・・」などとよく聞きますね。本当に、「多くの」なのでしょうか。あらゆる使いやすい言葉を使い、選びやすい言葉を選ぶために、本当の自分の考えや、悩みが一般化される言葉によって曖昧になってはいませんか。・常々思うのは、ひとつの学派、流派だけを述べてはいけないと思うのです。その学派や流派の手法にこだわるのは、たくさんの理論、手法からクライエント自身が選択することで、自分にあったスタイルにこだわれると思うのです。・一生懸命という言葉ですが、あまり好きな言葉ではありません。一生懸命、努力、がんばる、大丈夫、とりあえず、という言葉は、使用しません。努力と一生懸命を、私は「真摯」、ときに「全力」と表現しています。 真摯・・・まじめでひたむきなこと。事を一心に行うさま。 全力・・・出しうる限りの力。すべての能力を出しきる。 LifeGear ソーシャルアントレプレナーシップ「自然、歴史資源が保存され、人々が職に就き、スプロール化が抑制される。近隣の安全性が確保され、生涯教育の機会に恵まれ、公共交通が利用可能で、ヘルスケアにあずかれる。すべての市民が生活の質の改善に平等に参加できる。そんな健康なコミュニティを創造するために、みんなが力を合わせて働こう。」 『人格を育てるのであって、良さそうに見える「記号」を育ててはいけないのだ。』は次のエントリーで。
Jul 16, 2005
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カール・ロジャースの来談者中心療法が、教育・開発系に多く使われているが、もともとロジャーズは、日本には適さないと見なされていた時期があった。社会背景、教育体制などで、心理学の源流が変わることがある。ただ、文明は進化したが、「人」としてどこが進化しただろうか。過去100年間の科学技術の進歩は急速な上向きのグラフになるが、過去100年間の人間関係の進歩は、やや上向きの横ばい状態である。ロジャーズもチョイス・セオリーも、「傾聴」がありマズローもチョイス・セオリーも、「欲求説」がある。その子や、あるいは自分自身の資質や性質、特性、環境を考えて、歴史のある心理学を新しいやり方で取り入れたり、放棄したり、新しい理論を受け入れたりと、人間関係を築く方法を、選択する時代ではないだろうか。何を使うかではなく、誰がどの方法を「どのように取り入れるのか」だ。心理学や療法は、人をコントロール(指示・支配)するものではない。人対人として向き合うための方法なのだ。選択は一つではない。いくつも正しい選択肢があるのだ。それを「選択」できる判断をもつ大人が、「養育する大人」なのだ。「養育する大人 1」 -子育てごっこ- ぱぴ1729さんのコメントからどのような家庭で育つかで、その子どもの学ぶ意欲は大きく変わるでしょうね。それだけではないでしょうが、非常に大きな要因でしょう。また、少し違うことかもしれませんが、「学びたくても学べない環境の子ども」や「教育したくてもできない経済状況の大人」も多いですね。そして、それが個人の問題とされる社会になっています。そういう人たちを助ける社会の仕組みも必要です。 cultural deprivation -文化の喪失- livedoor carrer counseling 労働者階級のバックグラウンドを持つ子供たちが、良い教育を受けることができず、豊かな家庭の子供たちと同様のアドヴァンテージを持つことができない場合などに文化の喪失が起こります。家庭環境に書物をはじめとする文化的経験のできるものが欠如してしまします。 ※ 引用:English for Intelligent Conversation 著者:Karl・R・Twohig (英国) ベレ出版 「養育する大人 2」 -掲載記事から- まんまる84さんのコメントからストレスを“害悪”と決め付けたのはいつ頃でしょうね?気兼ねや緊張といったストレスこそ、多くを学ぶきっかけになるんだけど・・「養育する大人 2」 -掲載記事から- こつぶおやぢさんのコメントから朝起きて学校に行き、塾に行く子供たち。良いサラリーマンになるためにそこまで苦労したいとは思わないんですけどねぇ。うん。「養育する大人 1」 -子育てごっこ- ぱぴ1729さんの質問『人格を育てるのであって、良さそうに見える「記号」を育ててはいけないのだ。』についてはもう少し詳しくお聞きしたいと思います。・・・記号とは、シンボルです。・・・幸せ・不幸せ、良い・悪い、反抗・素直など・・・学歴、身分、職業などいずれも人格を表す表現ではなく、単なる言葉の記号です。
Jul 15, 2005
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コメントへのメッセージ 2 一期一会 掲載記事を読んでいま、歩き方、座り方が無神経な大人が多い。O脚、姿勢の悪さ、身体を揺らす、顔をいじるなどの落ち着きのない行為。手足の指を動かす。口や鼻の中に指をいれる大人。その行為に自分で気づかない。その「大人」を育てた「大人」は何を見て、何を躾けたのだろうか。身体を揺らす、顔をいじる、手足の指を動かす、口や鼻の中に指をいれるなどは、不安な心の現われである。「養育する大人」がいない時間に、子供は不安になる。そういった時間に、子供は身体を揺らす、顔をいじる、手足の指を動かす、口や鼻の中に指をいれるなどの「しぐさ」をはじめる。「養育する大人」が帰ってくると、そういった「しぐさ」が治まるので、「養育する大人」は気がつかない。気がつかないから「躾」ができない。そのままその子供が「大人」になる。公共の交通機関で、その「しぐさ」が、またはじまる。「共働き」で大切なのは、祖父母、親戚や近隣との交流であり、「親」がいないときに、しっかり「躾」や「行動を見守る」ことができる「養育する大人」の配慮を欠かしてはいけないのである。いま、子供に選択肢はない。大人が勝手にレッテルをつけ、このレッテルにはこの薬と騒いでいる。遊びにしても、「ごっこ」遊びをさせなさい。大人も「ごっこ」遊びが好きなようだけれど。・・・・・「仲間との遊びを多く。」道徳責任なのだろうか。一人でいるのが好きだという感覚。その子の資質や性質、特性を考えてほしい。仲間選び・・・自分の子の性質、資質を見据える覚悟 なぜその彼らを選んだのか「支持と交渉」 量から質への本人の気づき「支持と交渉」 「大人」に優れた資質の友人・知人はいるか。関連記事6/18エントリー:アイデンティティ ※まんまる84さんのコメントから ※biz&キャリアのトラックバック・・・・・「親戚や近隣との交流を深める」気兼ねや緊張がないとはいえない。また、気兼ねや緊張が「害」でもない。親のいない時間に「躾」やその子の「行動」を見守る関係であるべきなのだ。・・・・・「自分から進んでやる事」を見守る。子育てを、自分の権利、義務、道徳責任であるという考えではない見守るということは強制や統制がない。見守るということは「支持・交渉」するという行動だ。 ・おもいやり・傾聴 ・支持・交渉 ・励まし・愛 ・友情・信頼 ・受容・歓迎・尊敬こういった行動を示すことが、「自分から進んでやること」ができるようになる。※グラッサー博士の選択理論 エントリー「リード・マネジメント」こどもを見守るのが「こうでなくちゃいけない」という価値観しか持ってない大人が判断するとこういう結果になるのかなという感想でした。ベストなのは「ここまでやっちゃいけない」を知っている大人なのだと思います。OYAZI的 HAPPY MORNING!! 楽天ブログ「小粒な親父の白昼夢」より・・・・・子ども一人ひとりの「よさ」を認める。これは、大人に対してでもある。人権問題はどうなっている?人として一人ひとりの「よさ」を認める教育が必要だ。関連記事6/13エントリー:「私-わたくし-」 かけがえのない自分自身※ぱぴ1729さんのコメントから 「君といっしょにいるとおかしくなる・・・・・。 あれは頭にくる・・・・・。 こちらの気持ちを思いやる気はないのか・・・・・。 君は僕を怒らせた。僕は冷静になれない・・・・・。」人間関係を築くウィリアム・グラッサー博士のチョイス・セオリーby biz&キャリア 新しい生き方 セラピストが消えても、気づかないだろう セオリー セオリー2 principle セオリー3 選択理論 人を動かすもの コメントのメッセージ 3へつづく
Jul 15, 2005
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コメントへのメッセージ NO.1ライフスタイルコンシェルジュの7/10エントリーの「ライフスタイルをつくる旅」で、エコツアーに関するこんな一文がある。『地球にやさしく自然と親しむ程度の感覚であってはなりません。「ごっこ」ではなく、その土地のマイノリティの問題、社会問題、環境などの地球的課題の潜在的役割を意識して。』さまざまな行動の「とりあえず」や「つもり」が、「やさしく、親しむ」という手軽な方向へ進み、自分で探求し考えるという行為が抜けてしまっているのではないか。学問にしても、自分で探求するという力が抜け、「知らない・聞いていないこと」は学校、教師の責任になっている。「担任のあたりはずれ」という言葉を、子供の前で平気で口にする大人や「親」がいるが、「親のあたりはずれ」はないのだろうか。親のいない家庭では、親の務めができる大人がいる。祖父・祖母であり、叔父・叔母である。よく、父親と母親の役割を口にするが、「父・母」を含め、「養育する大人」としていきたい。「資質の優れた大人」である片親、祖父母や親類に育てられると、「資質の優れた大人」になるからだ。人格を育てるのであって、良さそうに見える「記号」を育ててはいけないのだ。
Jul 14, 2005
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クライエント(来談者)やクライアントと、メールのやりとりで、不思議に思うことがある。相手の「つぶやき」に対して1.いま、こういう状態ですか2.それとも、こうですか?3.こういった状況ですか?4.それとも、また違った感じ方ですか?など複数の選択肢で尋ねることがある。たいていは、「はい。3の○○なのです。」あるいは、「はい。4.で○○です。」問いかけで、自分の気持ちを再確認できる。また主訴の相互理解にもつながる。しかし・・・「いいえ」「いえいえ」この場合「いいえ。私は・・・・です。だから○○と考えているのです。」しかし、この○○というのは、私が記した選択肢に含まれているのだが。捉え方が選択肢全体をみず、メッセージを送ってくるのだな。かならず文章の頭に、「いいえ」、「いえいえ」をつけて。yes,noは、難しい言葉である。NOを先頭につける方に、共通しているのは、「○○は難しいですよね。」必ず、最後も否定形である。自分の資質や性質は、何気なく発する言葉からも読み取れる。私は他のブログでも、エントリー(投稿記事より)に対しての、コメントを読むのが好きなのは、人類の巣窟だと思うからである。資質や性質が溢れているからだ。投稿者の意向に向き合う人自分の問題に変える人など私のブログでは、まさにカンタベリー物語のように、語り手の職業や性格にふさわしい「お話」を残してくれる。-カンタベリー物語 ブログの語り手-
Jul 14, 2005
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・・・・・・・・・・日記を投稿する機能が変わっている。・・・・・・・・・・早起きしてよかった。・・・・・・・・・・ちょっと”ためし”・・・・・最近、マテリアルの収集に凝っている。・・・・・・・・photo by teatime http://teatime.velvet.jp/
Jul 14, 2005
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1970年代にハーバード大学の心理学者であるD.C.マクレランド(David.C.McClelland)教授によって提唱され、引き継いだライル・M・スペンサーとシグネ・M・スペンサーのCompetence At Workを参考に、コンピテンシーを紹介しているわけだが、これまでの適正テストや知識テスト、成績証明書やライセンスは、「コンピテンシー:高業績者の行動特性」を意味を持たないということだ。コンピテンシーは、職種、職務によってプログラムも変わる。ここでは、現在日本の企業が、コンピテンシーを導入していても、職務によってプログラムを変更していない点を強調し、これまでの適正テストや知識テスト、成績証明書やライセンスで、成功は予測できないことを再認識してほしいと望んでいる。これは、個人のキャリアにもいえることである。資格は資質と伴ってこそ、意味がある。就職や昇進には全くもって関係がない。自己のコンピテンシーを見極められるような、Personal Development:パーソナル デベロップメントへの自己投資が成功を予測させるだろう。
Jul 13, 2005
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・コンピテンシーの定義職務そのものへの個人の根源的特性状況とは、組織であり、社会であり、広範囲のものへの個人の根源的特性特性とは、自発的に考えて行動する、実際の結果への個人の根源的特性「さまざまな状況を超えて、かなり長時間にわたり、一貫性をもって示される行動や思考の方法」前回のイントロダクション2で・キャリアカウンセラーは、どれだけのクライエントを就職・再就職・転職させた のか。・キャリアカウンセラーは、企業とクライエントの幸運・成功へのマッチングはど れだけあるのか。この2つの領域を、同時にこなすことを求める事業所があるなら、事業の本質を欠いていることになり、職務の負担と無駄を計画していることになる。つまり、組織の方針と特性であるが、「個人の根源的特性」とは、異質な方針ではなく、異質な環境への対応力である。「どこに行っても、何をやっても」という職務そのものへの個人の根源的特性なのだ。・着目項目 成功の特徴的人材の比較 成功に導く、実際の機能している考え方と行動 異文化への対応能力 社会的感受性 基本的尊厳と価値を認める能力 政治的ネットワークこれらの根源的特性と着目の方法については次で説明するとする。
Jul 12, 2005
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「セクシャル・ハラスメント、強迫、思いつく限りのありとあらゆることが掲載されていた。……本気で僕たちにコンタクトしてくる人間が出てくる前にサイトをダウンさせたんだ。そうだね……それがサイトをやめる理由だ」引用:WIRED NEWS http://www.wired.com/ CNNパロディーサイトの製作者のコメントである。その製作にかかわったコメントの彼は16歳だ。おそらくそれほど気にとめていなかっただろう、CNN。製作者側もパロディであるという意識があったのだろう。だが、受けて側はそうではない。実名でパロディに登場させられた人物はどうなのだろう。「セクシャル・ハラスメント、強迫、思いつく限りのありとあらゆること」そのステージに、実在人物が虚偽の世界で勝手に役者をやらされてしまったわけだから。当然、事実を否定する声明を発表した。「人々はなんと騙されやすいことか」とは彼のコメントである。パロディってなんだったっけ。
Jul 11, 2005
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WIRED NEWS http://www.wired.com/ご存知の方も多いと思うが、私は「WIRED NEWS」が読みやすい。ゲストのピースさんからも情報提供で頂いている。なぜかというと「否定」も「共感」も「感情論」もないからである。オンラインメディアの質は、受けてが決めるものだ。事実をありのままに述べ、次に当事者の過程を「WIRED NEWS」ならでは知りえない事柄が報道されているからである。「人々はなんと騙されやすいことか」これは受けての解釈なのではないか。ブログを通して記事投稿をし、コメントに寄せられる内容も、「受けての解釈」である。ぱぴ1729さんが寄せてくれたコメント「情報を見る目を私たちが持っていないとたいへんなことになります。」その通りである。どの報道記事が正しいのかと考えるよりも、事実を簡潔に報道し、どのように考えるべきかの機会を与えてくれるのが正しい報道なのかもしれない。キャスターや記者の個人的な感情や思いは、煽り立てる報道だからだ。※トラックバック受付中(期限なし)
Jul 11, 2005
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市民記者に定義はない。しかしながら、非商業メディアである存在は、商業メディアの検証を意識するべきではないか。・企業に支配された大手メディアが無視したり歪めたりしているような主張や見解・政治文化や社会文化を撹乱しプロパガンダを行う最大の手段がメディアである認識・不満を煽り立てる報道、レッテル報道ステレオタイプは「中央」だけなのか?Brain News Network 北海道のニュースサイトは、市民ジャーナリズムの醸成に繋げていくビジョンを明確化しているが、話法、文字情報と画像の関係は、情報を発信する側の“とりあえず”型で、見る側を考えてはいない。BNNの運営に関わる私的なブログのいくつかは、Brain News Networkという楽屋裏を見せられている気がするだけである。ただ単なるコミュニティ間を結ぶことの有効性だけであってはならないのではないか。BNNの「自分の眼で見て、感じたことを率直かつ簡潔に」という精神は、評価に値するけれど。「weblogは新しいジャーナリズムか」、「ネット新聞は新聞か」という論議が盛んになりそうな気配である。
Jul 10, 2005
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高度な専門職、管理職位では、IQ120以上を有し、高い学位を取得しているという。※IQ120 八・十・人・火・内・元を組み合わせすると、ある言葉ができあがる。 時間は1分間。彼・彼女らの卓越したパフォーマンスを生む要因は、モチベーション、対人関係スキル、政治的スキルということだが、これらのすべてがコンピテンシーと考えてもよい。つまり、誰がすぐれた成果をだし、誰が惨めな成果に終わるのかだ。たとえば営業・販売では、個人売上が目標をどのくらい達成できたか。それでは、次をどのように考えるかだ。・キャリアカウンセラーは、どれだけのクライエントを就職・再就職・転職させた のか。・キャリアカウンセラーは、企業とクライエントの幸運・成功へのマッチングはど れだけあるのか。この2つの領域を、同時にこなすことを求める事業所があるなら、事業の本質を欠いていることになり、職務の負担と無駄を計画していることになる。前者は、ハローワーク、人材会社である。登録者のその後の追跡調査や、アフターケアは業務外である。登録者が失業なく、あるいは失業の空白を短い期間で終わらせ、次の就職先を決定することが職務である。また、その職務内容に適した人数を配置している。職務を遂行する環境によって、コンピテンシーの考え方は変化する。
Jul 9, 2005
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今日はブログもお休みです。私用でパソコンに向かう時間がありません。また明日PHOTO by.RELISH
Jul 8, 2005
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旧暦から伝統的七夕を紹介している。語り継ぐ大切さを知る人には読んでほしい記事だ。ライフスタイルナビ 日本の行事 七夕
Jul 7, 2005
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コンピテンシー competency「コンピテンシー」は、「高業績者の行動特性」を意味する。1970年代にハーバード大学の心理学者であるD.C.マクレランド(David.C.McClelland)教授によって提唱された。日本では、コンピテンシーについて、厚生労働省職業能力開発局平成14年度の報道資料で「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書から、以下のように述べている。「公的職業能力評価制度として、技能検定制度が機械、建設等の技能分野を中心に137職種にわたって設けられている(資料27)ほか、ホワイトカラー系については、営業、法務、会計、経理等10分野についてユニットに分けて認定を行うビジネスキャリア制度がある。また、直接、職業能力の評価を目的としたものではないが、各分野について451もの公的職業資格が存在している。一方、民間企業もそれぞれに職能資格制度や社内検定制度等を持ち、独自に評価を行っている。さらに民間資格も3000種類程度存在するといわれ様々な評価・資格制度が存在するが、統一基準がなく、労働市場における共通用語とはなっていないのが現状である。」コンピテンシー概念図:厚生労働省職業能力開発局「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書から厚生労働省職業能力開発局「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書参考:「厚生労働省ホームページ」http://www.mhlw.go.jp/このコンピテンシーが、成果主義において、日本企業に検討、導入がされている。 ・新しい人事評価 ・研修・教育での"能力開発" ・採用での面接手法 D.C.教授の提唱を引き継いだコンピタンスの概念の具体化を、組織のキャリア形成、個人のキャリアデザインの視点から、しばらくエントリーしていく。 エントリーテーマ ・コンピテンシーとは何か ・コンピテンシー・ディクショナリー ・それぞれの適切なコンピテンシー・モデル ・コンピテンシー・モデルの応用
Jul 7, 2005
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jeryiさんのブログに「右脳と左脳」がエントリー。jeryiさんのエントリーと以前に自分がエントリーした自己啓発・能力開発 カテゴリー:キャリアデザインに関連させ、速聴と右脳:テーマエントリー「ライフ&ワークスタイル」で投稿した。jeryiさんは、右脳の活性化に、栄養を与える成分とサプリメントの活用のほか、簡単なトレーニング方法が挙げられていた。 ・左手の使用 ・読書 ・未来予想 ・整理整頓 ・音楽 ・気分転換 ・言語の使用 ・噛むこのいくつかは、速聴がと同様の「視覚」と「聴覚」による活性だ。さて「左手」である。これは研究の結果から、「なかにはそういう人もいる」という、決して多くない分析が発表されている。それでは、速聴の効果はいかに?楽天ブログ「速聴 自己啓発 能力開発 実践レポート」では、step7さんご自身の速聴の経過を記録している。※web cunselingを改め、Alternative Styleの新着情報から、「速聴」も購入できるよ。
Jul 6, 2005
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新着情報に掲載の「速聴」についてのコメントに、以前エントリー(記事投稿)をした。自己啓発・能力開発 May 24, 2005「速聴」は、2.7倍以上の高速音声を聴くと、大脳が活性化することが研究の結果で実証。左脳は言語と理論でじっくり思考し、記憶し、計算する意識脳(顕在意識脳)で、右脳は本能的能力から発達した脳で見たまま聞いたまま、感じたままにイメージ、五感、直感で 瞬間的に記憶するなど、情報を取り込む無意識脳(潜在意識脳)だ。イメージには五感(聴覚、視覚、臭覚、味覚、触覚)や身体を動かす体感イメージ、直感イメージ等がある。「速聴」は、聴覚、視覚の情報がウェルニッケ中枢を刺激する。つまり、目で読み、頭で唱える「追唱」のスピードが「頭の回転の速さ」につながるので、「速聴」は聴覚をつうじて、ウェルニッケ中枢に効果的に活性化させ、潜在意識を高めるのだ。要するに、右脳の記憶のしくみを利用し、大脳の記憶、知覚、認識、運動などの各領域を活性化するということだ。左利きの右脳開発は、「そういう人もいる」ということで、「速聴」の説明でも述べたように、右脳の領域に属することは聴覚という感覚機能と関わる「音楽」が、日常的なトレーニングに有効ではないか。
Jul 4, 2005
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電子メールをダウンロードするために時間がかかるなど、受信者側に大きな負担をかけるため、社会問題となっているのがスパムメール(迷惑メール)である。 ・不快感 ・迷惑 ・不安 ・損害 ・危険こういった人の「感情」を刺激する。スパムメールのほか犯罪性や違法性を帯びるものへ、どのような法律、被害、問題、対策があるか。 関連法規民法(公序良俗違反、不法行為) 刑法(脅迫罪、名誉毀損罪、信用毀損罪、侮辱罪、業務妨害罪) 特定商取引に関する法律 無限連鎖講の防止に関する法律 不正アクセス行為の禁止などに関する法律 青少年保護条例 迷惑防止条例 被害・ストーカー、脅迫メール ・モラルハラスメント、セクシャルハラスメントな内容※マナーとトラックバックを参考(名誉毀損のメール無料相談を掲載)※ソーシャル・ネットワーキング・サイト・匿名性について※ストーカー・情報開示の責任について ・メール爆弾・チェーンメール・デマメール・ウェブページへのリンクのメール(悪質なスクリプト) 問題点・メールを整理する手間 ・受信者のサーバーに負荷・ネットワークに不要な負荷・財産権侵害のおそれ(通信費用の受信者負担など)・コンピューターシステムの異常、ウイルス感染 対策迷惑メールを規制する法律と相談先「特定商取引に関する法律」・スパムメール(一方的な商業広告の送りつけ)・表示義務違反(「未承諾広告※」の表示)・受信拒否を無視して再送信禁止義務に違反(財)日本産業協会「特定電子メールの送信の適正化等に関する法律」・表示義務違反(「未承諾広告※」の表示)・受信拒否を無視して再送信禁止義務に違反(財)日本データ通信協会「悪質商法」の被害と情報提供・勧誘を受けた・悪質な商法を敢行している業者の情報提供・ネズミ講や悪質と思われる商法の被害警察庁生活安全局生活環境課生活経済対策室※情報提供アドレス netfraud@npa.go.jp 「マルチ商法、内職・モニター商法」消費生活センター経済産業省消費者相談室 TEL: 03-3501-4657「ウィルス対策」コンピュータ緊急対応センター 日本コンピュータセキュリティ協会情報処理振興事業協会(IPA):ウィルス対策「インターネットのトラブル全般の検索先」インターネットホットライン連絡協議会 参考「財団法人 インターネット協会」
Jul 3, 2005
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HP、ブログなどの開設では、以下のような情報セキュリティの問題がある。 著作権侵害に注意 個人情報の公開の危険性 電子掲示板へのいやがらせ パスワードに注意 ここで、個人情報公開の危険性を取り上げてみる。自分の判断で、公開をしていると思うのだが、自身の個人情報を公開することの危険性について、認識しておられるであろうか。私の場合は、関連する団体での使用eメールを使用している。さらに、クライエントの特定を避けるため、団体で連動するイニシャル(tei.k)を使用している。つまり、団体でサイト公開をしているメンバーの、イニシャルを組み合わせたものである。団体で使用しサイトでも公開している資料など、著作権がらみもあるので、イニシャル(tei.k)を利用している。個人の開示情報は、誕生月日である。さて、SNSで実名を公開したlivedoorでは、姓名の公開のみであり、写真、地域、生年月日は公開していない。個人の住所、電話番号、氏名を揃えて情報公開をしているサイトは多くはない。しかし、地域や写真、普段使用するeメールは?写真は、自宅、近隣、家族、個人、ペットなどがある。自宅の写真公開の危険性は、侵入である。近隣の写真は、地域の特定である。家族の写真は、その世帯の特定である。情報を元に、個人情報を探し出すことができる可能性から、被害の実例があるということだ。
Jul 2, 2005
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livedoor Life Carrer Counselingで、匿名性が低く、インターネット上で作られた仮想のアイデンティティーではないことへの証明として、SNS:Social Networking Site(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)公開した。クライエントの特定を避けるために、いっさい事例報告を、ブログ・SNSで取り上げないことを前提としている。ライフスタイルコンシェルジュまだ、グループ、メンバーがいないので、もし共感する部分があるなら参加をどうぞ。SNSとは、新たな友人関係を広げることを目的に、参加者が互いに友人を紹介し合い、友人の関係、個人の興味・嗜好等を登録していく、実名でのコミュニティ型ウェブサイトである。ブログとは、ウェブサイトへのリンクを張り、そこに個人の評論を書き加えた情報が時系列に表示されるウェブサイトで、ある程度頻繁に更新されるもので、インターネット上で作られた仮想のアイデンティティーを想像することができる。ユビキタスネット社会で、「人の尊重」、「信頼関係」、「コミュニティ」が重視されたウェブサイトである。誰でも自由に参加できるSNSのトピック・「JOCOSO」JOin COmmunication SOciety・Commit4u 参加者からの招待がないと参加できないSNSのトピック・mixi・livedoor フレンドパーク 目的別SNSのトピック・SEGA link ゲームメーカーのセガが運営するゲーム系コミュニティサイト。・プレイヤーズ王国 ヤマハ運営の音楽コミュニケーションサイト。総務省は、ネットが持つ匿名性を排除し、実名でのネット利用を促す取り組みに着手する方針を固めた。匿名性が低いとされるブログ(日記風サイト)やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)を小中学校の教育で活用するよう求め、文部科学省などと具体策を詰める。総務省報道資料ブログ・NSNの現状分析および将来予測
Jul 1, 2005
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