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今日は、お出かけ。GADGET屋の織江さんから、かわいいペンギンのグラスを譲っていただきました。グラスリッツェンという技術でこつこつ作ってくれました。ダイヤモンドの針でガラスを掘るというものらしい。(このページのお気に入りにリンクがあります。 不思議な雰囲気の動画もあります。)娘はペンギンが大好き。どうして好きなのかというと、「鳥なのに飛べないからかわいそうだから」とのこと。そういう感性がどこから来たのか、それは「優しさ」と呼べることなのか、今でも、わたしには分かりません。自分のことで思い出せば、指は小指が好きでした。小指姫様と呼んでみたり、親指から数える習慣に我慢できなくて、小指から数えたから、今でも四指曲げずに小指だけまげることができます。姉がいて、家族の中で一番小さい立場にある自分のように感じていたのです。さて、娘のペンギン好きには、それと何か似通った物があるのかないのか、わたしには分かりません。兎に角、家にはペンギンのグッズが増殖中。ちょっと面白い話ですが、ペンギングッズ収集は、左の心理学本の中にある「愛と憂鬱の生まれる場所」の中で、ダニエル・エイメン先生もおすすめです。なにしろエイメン・クリニックには、ペンギングッズがあふれているらしい。その理由はというと、エイメンさんファミリーがペンギンのショーを見ていたとき、なぜペンギンさん達はそんな風に言うことを聞くのかと聞くと、「目を見つめ、お願いし、餌をやってやさしくほめる」ということをいったそうです。エイメン先生も、怒ってしつける方だったので、ペンギンマスターをみならうために、ペンギングッズを集めることにしたそうです。(この辺、本を参照せず、書いています。後で書き直すかも。)さて、わたしも大義名分が出来て、かわいいペンギングッズを集めるのだ。ふっふっふ・・・。
2003.03.30
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昨日、取り上げられた谷川俊太郎のさようならという詩は、ここで読める。http://www.nowget.com/beer_c/old/0019-10.html (何故、ナウゲットなんだろう?)テレビカメラの前で、息子が何を話したか問うと、「この詩の主人公はいい加減だと思う」とか言ったらしい。行かなくちゃならないと言いながら、本をたくさんよむとか言うのが・・。一度そう言ったらそこで曲げられないので、そう言い続けて、ねじめさんは説得し続けたとか。おうおう、やっぱりテレビに出ることは、誰に話したらいいか考えちゃうなあ。結構良い詩だと思うけれど、実際の年頃の子供達にはどう捉えられるのだろうか。ところで、わたしは、同じくらいの年の頃、こんなことを感じていた。国語で習う詩は、共感を持って感想を教師に伝えると、それなりの評価が来る。しかし、物の見方は何通りもあって、作品に対する反発やネガティブな気持ちを伝えると、もっと素直になりなさいとか、評価が帰ってくる。どっちも本当の自分だと思うのに、一方の書き方をすると大人が喜び、もう一方の気持ちを伝えると、大人の反発を買う。だからと言って、おとなの喜ぶ気持ちを伝えるのが、本当に良いことなのだろうかと。素直になるってどういうことなんだろう。なんだか今でもよく分からないような気がする。それでも、ものごとは、面白がったり楽しんだりする方が、悲しんだり、批判したりすることよりは、人生が楽しめるようだということだけは分かった。それでも、批判したくなる雰囲気、それは一方的な人の流れで、良くもないことが良いことのように扱われたりすることは嫌だな。あるいは、偽善的で自分を悲劇の中の善意のヒーローのように思いこんでいる人物と、それを取り囲む人々の雰囲気は我慢がならない。あえてここには具体的には書けないけれども。もう一度読んでみた。谷川俊太郎の「はだか」という詩集の冒頭に入っている詩だ。なんだ、これはからだそのものの声じゃないか。理屈もへちまもなく、自分を超えてどんどん行きたい(生きたい)ある「わたし」のことばだ。入り込めなければ、理屈としては通らない。他の子供達はどう感じたのか、なんだか知りたい。息子自身、本当は何か感じたものはあったんだろうと思う。今気づくにせよ、そうでないにせよ。
2003.03.28
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今日は、お仕事。息子に掃除をまかせたら、家に帰ると、全部はかたづいていなかったけれど、食器棚が見事に配置換えされていました。わたしがやるよりきれいだ~。昨日は、NHKから学校に声が掛かったと言うことで、息子が教育番組に出演するのに付いていきました。総勢7人の子のステージママ(とパパ)でぞろぞろしていました。「国語が分かる」という新しい番組で、ねじめ正一さんが、谷川俊太郎の「さようなら」という詩を教えてくれました。残念ながらモニターには声が出ていなかったのです。少し小首をかしげて、たくさん話していた息子です。いったい何を話したのやら。こまっしゃくれた話と、母の実状暴露攻撃だったら、どおおしよおおお~!偶然「高円寺純情商店街」を持っていたので、息子にサインを頼んでもらったのは良いのですが、息子宛になっていました。(ぐすん。)高円寺には一時通っていたので、身近に感じられて買いました。古本屋さんで300円で買ったというのは、ねじめさんには内緒です。高円寺には実際に「純情商店街」があります。この本にちなんで名付けられたのかは不明。高円寺は、買い物のしやすい素敵なお店が多くて、バナナやトマトの山盛りも、うなぎのお弁当のお店も、お気に入りの古本屋さんも古レコード屋さんも、エスニックな服のお店も並んでいて、大好き。さてさて、この本は、主人公の「正一くん」が乾物屋さんの息子として育った話です。乾物屋さんの新鮮なかつおぶしのにおい、夕暮れになるとにぎわう商店街の町並み、そこで生活する人たちの息づかいがいきいきと伝わるような本。きっとすてきなワークショップだったと思うのに、詩のボクシングも行ってみたかったのに、ああ、それなのに、それなのに。音を入れてくれ損なったNHKさんったら・・・・。まあ、4月に入ってからのお楽しみと言うことで。帰りが遅くなったので、定食屋さんで一杯やりました。息子はジンジャエールで、わたしは天狗舞。こういう日が来るのはうれしい。アイワナソーヘイトデイト~♪(これが何の変え歌だか分かった人はえらい!)
2003.03.27
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春休み。今日は一日中雨。前にも書いたけれど、雨の都会は冷たいアスファルトにも命がこもるみたいで、結構好き。子供達は家にいて、毎日の習慣が変わると慣れるまで結構ストレスフルだったりするけれど、こういうタイトな家族というのは小さい頃だけなのかも知れない。小学校高学年にもなれば、第二次性徴が始まる。女子の第二次性徴は経験済みだが、男子のそれは、身近に知ることがなかったので、おおっぴらに話してくれる子供を、どういう顔をしていいか分からないとか思いながら、面白がってながめている。「これはどういうこと?」とか子供があけすけに聞いてくるので、そういうときにこの本は便利だ。こないだの嘉門達夫の下ネタ歌で親が嫌な顔をする原因も、この本で解説してやった。「嘉門達夫英語教室」”This is a pen!" (嘉門)「ミス 岩手県!」" Easy come, easy go!"(嘉門)「二時か、もう行こう!」" I can speak Japanese!"(嘉門)「あんちゃん スキン買いに行く」とネイティブアメリカンと尻上がり関西弁が妙にマッチしている歌だが、これで性教育をするはめになるとは思わなかった。いつかはそういう話をすることになるんだろうか、それとも本棚にこっそり置いておけば目を通すだろうか、と思いながら買ったこの本は、結構役に立っている。しっかり挿し絵が入っているし、そもそも大切なことはきちんと教えておこうという姿勢が良い。ばたばたと毎日が過ぎていく。子供はひとつひとつ変化していっているのだ。男の子のからだの絵本(こんにちは!からだとこころシリ-ズ ) 北沢杏子/今井弓子 /ア-ニ出版 2000/10出版 31p 25cm 1,500(税別)
2003.03.25
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このごろなんかばたばたとして、まとまって座っている暇がありません。ある掲示板にも書いたけれど、しばらく開戦ショックで、書けなかったと言うこともあります。いっときは、心の中のとげとげが、遠くから風に乗ってやってきたみたいでした。まあ、某MLとかで、暗躍はしていましたが(謎)。子供たちは明日から春休みです。またまた忙しくなりそう。少し気合いを入れて、家事をして、そして、仕事の準備もして、そして遊んであげなければ。主婦はつらいよ。
2003.03.23
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父親がもうすぐ退院できることになった。放射線治療の副作用の経過観察するための入院。3月上旬だったわたしの入院に合わせて母が子供の面倒を見るために、入院時期を早めてくれたから、少し長くなった。ひめみずきを駅前の花屋さんで選んで花束にしてもらった。木の芽時を過ぎると、花のついた枝物が季節感があってうつくしい。ひめみずきは、ふくいくとした丸みのある薄いクリーム色の小さな花で、お店の人が持ち上げると、はらはらと萼が落ちる。きれいなブルーのデルフィニウムと良い香りのするフリージアを添えた。病室には花瓶を置くスペースがなく、もしかしたら母が持って帰るまでの間だけだったかも知れないが、父は喜んでくれたようだった。小さな花屋をしていたので、出来合いで売っている花束にはひとことあるようだ。喉が真っ赤にただれている割には、幸い痛くもかゆくもないらしい。枯れた声も治療が終われば治るだろうか。久しぶりにたくさん話した。今度会うときは、もう病院の外だろう。
2003.03.19
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今日は春雨。UAEの2週間検診に出かけた。病院は青山1丁目にあるから、達郎さんの「トーキョー・イズ・ア・ロンリー・タウン」。今日は、傘さして青山通り歩いてアビ-ロードの街(かぐや姫)になっていた。治療は、1時間待たされてお腹もすいた。いつも行くコーヒーショップの隣、陶器の店の作務衣のおじさんと目が合ってしまった。からだにやさしい料理と書いてあるのに惹かれた。備前焼のたくさんあるお店だった。焼き物は好きだけれど、ぜんぜん詳しくない。備前焼は、鉄さびの色の素朴な味わい。土の持つ生命力がそのままほっかりと店全体を包んでいるみたい。「じゃこご膳」を頼んだのだが、出てきたお料理も素直に口に入っていくもので、いつもより大目のご飯を自然に全部食べてしまった。なんだかそこで時間を過ごすことがぜいたくなようで、コーヒーも頼んだ。帰りに本を買いに代々木の紀伊国屋さんに寄った。新宿の雑踏の中でも、この季節の雨は命を生み出そうとするやさしい力をはらんでいて、すれ違う人々の顔立ちも心なしかゆるんでいるみたい。新宿の駅でリバースというバンドがストリートライブをやっていた。今日は、連れ合いは娘を連れて浅草に行っている。わたしは、ほんのちょっとだけ贅沢な時間の過ごし方。
2003.03.15
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近くの病院のささやかな植え込みには、つくしが春になると出てくる。あってもほんの2,3本なのだが、いとおしく、娘と一緒に首を突っ込んで探してしまう。日差しはあたたかいのに、風はまだ冷たい。娘の手の荒れが早く治って欲しくて、肌荒れ用の手袋を買った。今日から仕事に行った。週1日の事務仕事だから、大したことはないのだが、ちょっと不安だった。休み中のぽやぽやとした時間の過ごし方もすてきだったが、やっぱり仕事をしている女に、こだわりはあるなあ。少しくたびれたから、早く寝よう。今日の1曲◎「あんまりあなたが好きなので」おおたか静流さん藁の中の七面鳥=オクラホマ・ミキサーです。片思いしてわくわくする女の子の気持ちを綿々と歌っています。少し騒々しいですが、それでも、恋する気持ちはお祭りのようで、 夢じゃない ウソじゃない 目の前に その人が あんまり あなたが好きなので 気を失い あなたの腕の中 という歌詞があまりにもかわいい。(タイトル変更3/14 おおたかさんのタイトル、歌詞は書き間違いでした。)
2003.03.13
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ちょっと足を伸ばして、確定申告に行ってきた。退院してからあまり外に出ていないので不安だったけれど、思ったより近くてよかった。帰りにエスニック食料品店で乾燥ナツメを一袋買った。家の近くは、アジア系外国人の多い地域なので、こういった食料品店は結構ある。レジのおじさんが電話中だったので、奥の厨房にいたお姉さんに声を掛けた。お姉さんは、大理石風の真ん中のくぼんだ丸いまな板の上で、何か料理を作っていた。声を掛けて振り向くと、手にしたそれは、緑色のすっぽんだった。首を取って血がにじんでいる。鮮度が良いせいか、あまり気味の悪さは感じなかった。レジの人が電話しているので、お勘定をお願いしますと、二度ほど頼んだが、笑顔で「だいじょうぶですよ」という心強い言葉の割には、まったく動こうとしなかった。どうも通じていないらしい。もうひとり、帰ってきた店員さんがいて、お勘定をしてもらった。ナツメの実は、花粉症に良いらしい。亡くなった知り合いのお医者さんは、癇症に良いようなことを言っていたかな。乾いた棗の実は、ちょっと甘くてちょっとくせがある。生で食べると、りんごのような味がするんだった。榛名の家の庭先になっていた。花粉を憎む前に、花粉と化合して悪さをする排気ガスを憎め。春らんまんの散歩を奪われても、人は環境を悪くすることに歯止めが掛けられないと言うのはさびしい。
2003.03.12
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息子が、生まれて初めてCDを自分のおこづかいで買った。スマップの「世界でたったひとつの花」。 ナンバーワンになれなくてもいい もともと特別なonly oneという素敵な歌で、わたしも久しぶりに新しい歌を覚えた。ついでに、よせば良いのにデジ譜で楽譜を手に入れて、ギターで歌って、息子に大いに嫌がられるのだ。 最近、息子は周りの子供たちの影響か、とつぜん中学受験をしたいと言い出した。わたしは、お受験の文化は好きではないし、親からあまり教育にお金を掛けてもらったことがないので、あえてひねくれ者の態度を取ってしまう。公立中学校で良い、受験産業を儲けさせる必要はないとうそぶくのだが、子どもの意思というものもある。まあ、大学院に進んだとき、もともと奨学金で居候程度の迷惑しか掛けていないのだが、父親は母親に「そんなお金どこにある」と言われたと後で聞いた。そんな親同士のやりとりも露知らず、一年間出なかった奨学金がまとめて出ると、さっさと外国へ遊学に出て行ったわたし、その子どもだから、それほど無理な願いではないのかもしれない。わたしは、親にあまりほめられたことがないような気がする。いつも大丈夫かと言う目で見られて育つ子どもと言うのもつらいものだ。子どもよ、おまえはどこへ飛ぶ。わたしが親なのに、ちゃんと育っているおまえはえらい。
2003.03.11
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入院中は、ずっとビーチボーイズの「ホーソーン CA」を聴いていた。このアルバムは、1年くらい前に出た新譜だと思うが、メンバーのほとんどが不幸な死に方をしたグループなので、未発表のテイクを年代組を追ってまとめた2枚組だ。時折、話し声やブライアンの「もう一度!」がかかってやり直しが入ったりして、若かった彼らが時代の寵児として駆け抜けるありさまが伝わるような切なさを覚える。表題の「TIME TO GET ALONE」は、昔から知っていた曲だが、テープでもらったので、なかなか曲名が分からなかった。ロッカーワルツでも踊るようなスムースなメロディーライン、美しいコーラスで、口笛も入る。なごやかな日々を楽しんでいるような感じだと思っていて、これが別れの曲であることに気が付いたのは、最近のことだ。 松の香りのする空気 雪の日はとてもいいにおい ~ 君のほおがばら色にそまり ひんやりするときの手触り 抱きしめると心地よくて ※なんでもないことなのに、失うととても悲しいこと。なごやかですてきな時間と想いをいくつも共有して、当たり前だったそういうことのひとつひとつ、こころにきざみつけて、さよならをしていくんだ。(※歌詞は一部だけ訳してみました。誤訳だったらごめんなさい。)
2003.03.08
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息子が学校を休んだ。入院騒ぎのどたばたで、少し疲れたのかも知れない。このごろ、家に帰ると「ただいまっちゃミルクは、あまにが~い」、「おかえりすのしっぽは、邪魔くさ~い」とクレヨンしんちゃんになり、口を開くと駄洒落を言い合い、漫才のような親子をやっている。それでいて、困ったことに、今でも時折”母が”荒れる。息子が娘をひがんで、喧嘩になる。それでも、にぎやかなのは幸せなのかも知れない。男の子としての体の成長の話も、割とざっくばらんに話してくるので、嫌がりながら面白がっている。それでも、嘉門達夫の下ネタのコミックソングをきっかけに性教育の話をしてやったら、そんなのは嫌だというような顔をしていたので、ちょっと安心した。昔は、うまく子供をあやすことも遊ぶことも出来なかったが、何でもぶつけ合い、何とか背丈も同じくらいになった。来年は、六年生。わたしの方も新年度の話が来た。同じ授業二コマずつ二つ。それから、すごい少人数のえり抜きのクラスが1コマ増える。お金が増えるのはうれしいが、子供達に振り向ける意識と時間が少なくなると、余裕のよっちゃんの顔も出来なくなりそうで、ちとつらい。子供は、一緒にいて呼吸を合わせてやって、話を聞いてあげる時間がまだ必要なんだけれど。
2003.03.07
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だいぶ体力も回復しました。気が付くとあれこれ家事などやったり、まとまって読書をしたり、なかなか更新ができましぇ~ん。そうそう、病院にいたとき、秀さんご推薦の「チボー家の人々」を読み始めたのですよ。昔のヴィルディングスロマン(人間形成小説)は、背景、他の人物、社会についての書き込みが細やかで、自分以外の人間たちの視点を常に目指していて、少し読みづらいけれど、現実的で公平なところが好きです。今日は、ビーチボーイズのTime to get aloneをテーマにしようと思ったのですが、まだまだ無理せず寝ます。ネタが古くならないうちに料理したいな。
2003.03.06
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2003.3.8 write・・・(こういう話題を好まない方はスキップしてください。)<自分にとっての子宮という臓器の存在について>子宮筋腫の治療としての第1選択は、未だに筋腫の摘出(核出手術と言われる)、ないしは子宮そのものの全摘出であると思います。特にわたしのように経産婦であり、一般的な出産適齢期よりは高めで、さらに子供を望まない場合は、「子供要らないんだったら切っちゃえば?」という語りかけが時として女を傷つけるのです。わたしは、幸い直接的にそういった言葉で傷つけられた経験はないのですが、今回、他の病院で、第1選択として全摘を勧められました。40歳の時のあることがらをきっかけとして、もう女でなくてもいいやと思ったことがあるので、今回はそれほど心が揺れるというわけではなかったのですが、それでも、一抹のさびしさを感じたのは事実です。子宮は、子供たちを生み出した大切な臓器であり、自分自身のたいせつな一部です。なくなったら心の中にぽっかりと穴が空いたようにならないだろうか。実験的にそういう経験をしてみたい、分かりたいという気持ちもないわけではなかったですが、それよりも守れるなら守りたいと思いました。からだの一部として大切なほかに、主観的にかなしみの壺でもあります。整体的には、下丹田とだいたい位置が一致すると思うのですが、かなしいとき、せつないとき、この辺がきゅんと痛くなる。他の人は分からないけれど、わたしは、なぜかいつも胸より子宮のあたりでした。そんなものを抱え込んで、ひそかに大きくなったのかも知れません。特に、去年一年間は、新しい仕事をしてストレスいっぱいで、筋腫もすっかり大きくなりました。女医さんに「血液がいっぱいいっている元気な筋腫ですね」と言われたとき、いとしの筋腫ちゃんじゃないけれど、なんだか複雑な気分になりました。(つづく・・・)
2003.03.02
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2003.3.8 write・・・(こういう話題を好まない方はスキップしてください。) <説明編>小出しにあちこちで書いていますが、三月上旬は、入院していました。子宮筋腫のUAEという治療を受けて、1日に入院して4日に退院しました。開腹手術の場合には、入院が半月から1ヶ月に及ぶらしいのです。わたしの場合、自宅療養と称して怠け生活を送っていますが、一応簡単な家事は可能で、痛みもさほどひどくありません。一応説明しておくと、(不要な方はスキップ)子宮筋腫というのは、良性の腫瘍で、いわば肉のかたまりが一つないしいくつか出来て、すくすくと(?)育っていくという病気です。他の臓器や靱帯などを圧迫して症状が出たり、他の病気を併発したり、または、経血が異常に多くなって貧血になったり、不妊になったりということがなければ、取る必要がありません。治療法としては、ホルモン剤で生理を止めたり、筋腫だけを摘出したり、子宮そのものを取ってしまう手術を受けたりするといったものがあります。UAEは、子宮に栄養を与えている動脈にスポンジ様のものを詰めて、数十分一時的に血流をほとんど行かないようにすることにより、壊死させるという方法です。すぐなくなるわけではありませんが、大きさが何割か小さくなり、再発も少ないそうです。新しい治療なので、まだ保険適用でないので、ちょっとお高いのが難点です。一方で、開腹を伴わないので、体への負担が小さく済み、入院日数も少なく済むということ、それから何よりも子宮を取らなくてすむという利点があります。(つづく・・・)
2003.03.01
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