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このごろ機嫌の悪い娘に、今日はひさしぶりに読んでやりました。もともと、涙なしには読めない本だったのですが、やっぱり読み返しても泣けます。ストーリーは、幼稚園に通う ようことたけしが、段ボールで作ったロボット・カミイ。世界一強いことにしたから、力は強いけれど、わがままで自分勝手。おまけに涙のつぶのビー玉を真ん中に入れたから、泣き虫で、唯一の弱点は、水を掛けられるとへなへなになってしまうこと。幼稚園のももぐみに入れてもらっても、わがまま放題で、やりたい放題。毎日のようにたくさん事件を起こして、最後には一人班にされてしまう。ところが、ある日、子供達の列につっこんできた暴走トラックからみんなを身を挺して守って、ぺっちゃんこになって死んでしまう。ようことたけしが、作り直していると、生き返って意気揚々とロボットの世界に帰っていく。と、こんなお話です。このごろ、最後の死んじゃうところあたりからではなく、もっと前から、カミイが好きになりました。欲しい物があると、「ボクもかわいそうだよぉ。ちびゾウがないんだよぉ。」と思いっきり泣き叫ぶカミイ。みんなに嫌われても、だいじょうぶ!と、でたらめな歌を歌っていばっているカミイ。それに、「これ以上自分勝手なことをしたら、ひとり班にしてしまおう。」と言われると、「自分勝手なことなんてしたことがないよ。」とこたえるカミイが、何とも言えずかわいくて、大きな声で読んでいると気持ちよくて、そしてかなしいのです。カミイがみんなに迷惑を掛けたり嫌われたりするとはらはらして、カミイの幸せを祈っているふたりの子供もとてもいじらしくて、こんな子達がいるから救われるカミイです。なんで、こんなに気持ちが動くかというと、もしかすると、自分の小さい頃を思い出すのかも知れないですね。こんな風に自分の欲求を素直に(?)ぶつけて、そして、折れない子供を育てるとしたら、どんな風に扱いますか?ロボット・カミイは、いろんな経験を経てちょっとずつ成長していき、最後はみんなの作ってくれたチビゾウに、喜び勇んで乗って、ロボットの国に帰りました。でも、そんなヒーローになれない子供は、どんな風に生きて行くんでしょうか?あくまでも、わがままな子供の正直な気持ちと認識に立ったこの本は、子供のときの気持ちを思い出させてくれるのです。ロボット・カミイ(福音館創作童話シリ-ズ ) 古田足日/堀内誠一 /福音館書店 1982/05出版 88p \1,200(税別)
2003.02.25
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夕べいつから降り出したのか、雨が降っている。朝早く、納豆を買いに行った。子供の学校の時間に間に合うように、急いでエレベータを下りたから、傘を持っていなかった。フードをかぶるのは最近はやらないみたいだけれど、結構好き。でも、急いで羽織っていったジャンバーにはフードがなかった。春の雨が、だんだん強くなる。しかし、気が付けば、少々濡れたってつらいことなど、何もなかった。今までは、早く早くとせかしていたけれど、娘が多少遅刻しても、何も困ったことなどないのと同じように。今週は、少しずつ時間を作って家の整理をしよう。おかあさん人形が欲しいと娘が言っていた。手芸物は時間ばかり掛かって面倒だが、来週、少し家を離れることを思ってのことだったら、少し真剣に聞いてやらないとならないかな。
2003.02.24
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今週は、休日らしい休日を過ごさせてもらった。土曜日は、ちょっとだけオフに出させてもらった。金曜日に急いで新しいCDの曲の歌詞カードをコピーして、コードネームを取ってちょっとだけ準備したけれど、気持ちが追いついてなかったので、我ながらへたくそだった。スリーコードなんてしばらく忘れていた。久しぶり。でも、やってみればできないわけじゃないんだな。来週からはあまり外にも出られるか分からない日が続くから、日曜日は、みんなで河口湖までドライブ。今日は冬日で、富士山は見えなかった。でも、帰りまでにはみんなごきげんで、おいしい物を食べて帰った。窓から樹が見えるだけでも、ちょっとだけ気持ちがなごむ。なんでかな。若い頃は、松原湖の近くで夜遅くまで流れ星を見ようとみんなで道の真ん中に寝ころんだり、奥多摩の丸木で出来たベンチに腰掛けてギターを弾いたり、家の近くだって、今考えてみれば、一山拓いて出来た団地だったからケヤキや桜、どんぐりなどに囲まれていたのに、今は、都会の真ん中だ。人生の時期としては、一番まし、というか、安定しているから、よしとするべきなのかな。きっとそうなんだ。
2003.02.23
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父親のお見舞いに行ってきた。お見舞いと言っても、自宅療養で放射線治療だから、遊びに行ったみたいだ。朝、電話して、湘南ライナーに乗って昼頃着いた。湘南ライナーでは、久しぶりに本が読めた。父母の住む公団住宅には、白い水仙の花が、そこここに咲いていた。それでもケヤキの木はまだ裸だし、桜のつぼみはまだ固い。今日電話して今日のお客なのに、家にはたくさんのケーキの入った箱が待っていた。お見舞いに来たはずなのに、そのほとんどは帰りを待っている子供達へのおやつの手みやげになった。ときどき閉口するほどに、いつも何かしてくれたい母なのだ。放射線治療の効果で、年末にはすっかり枯れていた声が、だいぶ以前の父の声に戻っていてうれしかった。喉がやけどの状態になるので、食欲が落ちたり気分が悪くなることがあるので、途中で入院するという話もあったらしいが、今のところ在宅でいけるらしく、一安心。それにしても、久しぶりに会ってたくさんしゃべらせてしまった。本当はあまりしゃべってはいけないらしいのに、大丈夫かな。実家の支出状況は、そのほとんどがエンゲル係数なのだ。といっても、外食や高級な食材ではなく、母はまめにおかずを作る。もともと栄養配分だどうしたこうしたと考えて始めた割にわたしは、このごろ面倒になって一品豪華主義(豪華じゃないかも)になってしまっている。健康は食生活から、生活習慣からということで、来期忙しくなる前にどこか立て直さなくてはいけないなあ。(と日記には書いておこう。)
2003.02.19
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(2.20 夜半過ぎwrite)上をむいて歩こう~が、心の耳から離れない。おおたか静流さんの「声浴~Voice Bathing」は、不思議なアルバムだ。妙なるベルカントが、作られた美しい声の代表だとすれば、この人の声は、山から楮(こうぞ)を抜いてきて、川でさらした和紙のような声だ。だから、涙もカナシミも笑いも踊りも、一番よく染み込む。これを借りてきてはじめて聴いたときには、ちょうどなんだか心が荒れてしょうがなかったときだったので、こわくなって途中で針を上げてしまった。(本当はCDだけどね。)そのくらいインパクトがあったのだ。民族調から始まって、「りんごの木の下で」など古今東西の歌が行き交う。少しpaniaguaとかいう人(?)の音楽に似ている。paniaguaは、昔、ゲシュタルトセラピーの先生のところによく通っていて、そこで聴かせてもらったのだけれど、バロック調なのに、最後に車のエンジンの音が入っていたりする不思議な音楽だった。ところで、今インナーが見つからないのだけれど、このタイトル、「せいよく」と読むんじゃないだろうな。まあいっか。生きる力だ。
2003.02.18
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「目ん玉」トリビュート・ページをそのうち作ろうと思っています。「目ん玉」は、2ヶ月に1回、18年間続き、1999年末に20世紀と共に109号で歴史を閉じることになった同人誌です。出身の大学の法学部OBのメンバーを中心に、学部は違っても、わたしはそのメンバーの多くが所属していた聖書研究会にいたご縁から、何回か原稿を掲載していただきました。伊東屋で表紙になるきれいな上質紙を買い求め、B5サイズ半分折りに切り、原稿を切り張りし、コピー機で印刷するという作業は完全手工業、100部~最高で200部前後作っていたでしょうか、本当に「目ん玉」を愛する方々の手により、これまで続いたんだと思います。素人集団で好き勝手なものを書いていましたが、友達が友達を呼び、さまざまな人が集まるようになりました。中には、市販の本を書くようになった人もいます。わたしは、ナマケモノだったので、あまり作業日には参加しなかったのです。それでも、詩やエッセイなど、折に触れ、いろいろと書かせていただきました。やがて、時代は変わり、インターネットが普及し、わざわざ印刷して発送するという手間を掛けなくても、人に書いたものを誰でも見てもらえるような機会が出来るようになりました。落ちこぼれ院生を経て、東京で仕事を始め、結婚を機に群馬へ転勤、出産後仕事を辞めて県内転居、その後、宮崎での新しい生活と変動の多かったわたしを強く支えてくれたのがこの同人誌だったと思います。わたしは東京にいなかったので、よくわかりませんが、いろいろと事情があって目ん玉がなくなる日が突然にやってきました。ちょうど、やっと住み慣れていた九州をも離れなくてはならなくなった時期だったので、何重にも離別の思いを重ねることとなり、苦しい日々だったと思います。それだけにわかったのは、さまざまな生活の変化を「目ん玉」で文章にまとめ、誰かに読んでもらう、わかってもらうことを、どれだけ心の支えにしていたか、ということでした。感謝と共に、少しずつ自分の書いたもので公開できるものなどをまとめていきたいと思います。(この1冊だけは、表紙はわたしが書いています。 もっとおしゃれなもの、素敵なのもあるのですが、 著作権に問題のないようにこれを載せました。)
2003.02.17
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2月16日付で、届いたばかりのアルバムです。VIVID SOUNDと言う会社のクローン・ユア・メモリーズというシリーズで、仲間うちで、わたしはほんの一声だけですが、協力した記念のCDです。思春期の頃に聴いていた音楽は、タイムカプセルのように懐かしく響いてくるのです。昔聴いていた音楽を共に、一緒にわいわいやっていると、知らない人たちなのに、なんとなく同窓会みたいな気分です。 暑い砂 雨に歌えば 悲しさを手紙にこめて 学生通り 大空 春のあらし 春から夏の日に 薄化粧 お月さんあんたに 浜辺 やさしくうたって(with 大塚まさじ)このアルバムを出したとき、ケメは23歳くらいだったでしょうか。出だしの「熱い砂」は、オールディズっぽいコーラスが良いです。それでも、振り返り人を思い、さびしくて切ない歌詞が多いですね。傷つきやすい想いを抱えながら生きていたあのころに重ね合わせて、何度も聴いてみるのです。
2003.02.16
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このテーマは、英語じゃないといけないのかな?十分オールディ-ズだと思うのですが・・・。さて、ホームページから懐かしい曲が聴けることがわかり、しょっちゅう聴いています。http://www.big.or.jp/~waka/ 元メンバーだったワカさんのホームページです。左のメニューから「音楽室-101他」に入ってください。小学校のころだったか、ステージ101は、大好きで毎週楽しみにしていました。大きくなったらオーディションを受けるぞ!と真面目に思っていましたが、そのうちに終わってしまいました。今思うと、芸事を何もしていなかったわたしが、レベルの高い中に入るには、かなりの距離がありますが、小さい頃の夢は、現実検討を伴わないことが多いものですよね。さて、あのころの時代は、未来に希望があり、物質的にはあんまり豊かではなかったけれども、前向きに努力すれば、必ず便利で住み良い時代が来るという信念があったように思います。ステージ101の歌は、表題曲にしても、「涙があるから」、「人生すばらしいドラマ」なども、明るいすがすがしさが感じられて良いですね。
2003.02.15
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(編集中)今日は、キンクスのビレッジグリーンを聴きながら、仕事をしています。英語は得意ではないので、良くわからないけれど、 ぼくらは、「村の緑を守ろう」団 神はドナルドダックを救いたもう 田舎芝居その他もろもろ救いたもう 虐げられてきた古いやり方を守り 君や僕に今出来ること以上のことをやらせる新しいものに 反対するなんじゃこりゃ? うろうろ家事をやったり、レポートを添削したりしながら、”PICTURE BOOK”とか掛かると、踊っています。誰も見ていないのをいいことに、ちょっと変なおばさんです。キンキーではないので、他のアルバムはわからないので、あんまりロックンロールばりばりではない、しみじみ系アルバムが他にあれば知りたいところです。
2003.02.14
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娘を学校に連れていくと、帰り道、公園に梅の花が咲いていた。ささやかな甘い香りがするから桜より好き、なんて誰かが言っていた。公園の土を踏んで、紅い梅、白い梅とにおいをかぐと、満開の白い梅の方が、においが強い。木の下から花を見上げると、ちょうど満開の花の薄い花びらに包まれた雄しべや雌しべがぽあぽあと鼻に当たる。冷たくて良い感じで、鼻の先をぶつけて遊んでしまった。子犬みたいだ。このごろ座ってばかりの生活で、なかなか自然の中を出歩いたりする機会がない。朝不機嫌な娘を、学校に送りに行くようになってから、1週間以上が経った。はやく自立して欲しいものだが、それが何のためにかと言うと、はずかしいとか、自分のためにと言う気持ちが強い。だったら、今、自分がだいじょうぶならそれでいいや。梅の花の ぽあぽあぽあぽあで、ちょっと元気が出て、家に帰った。娘のわがままで、ちょっと得した気分。*********夕べは、へんてこな夢を見た。自分でもおかしいし、はずかしいような変な気持ちだから、内容はここには書けない。でも、その変な気持ちの中に、生きる力のようなものが沸いてくるから、不思議だ。人はさまざまな人やものに養われながら生きて、時間が巡っているということを、なんとなく考えている。
2003.02.13
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娘が「バレンタインのチョコを作りたい」という。まだ1年生のももちゃんに、お目当ての素敵な男の子がいるわけではなくて、我が家の男どもに上げるつもりなんだそうだ。よしよしと重い腰を上げて、いそいそと材料を買いに行った。ついでに、すっかり大きくなったので、学校の上履きも買い、都営住宅の脇を通ると、亀が死んでいた。三寒四温の寒の日で、ときどきみぞれが降ってくる。あちこち寄るところがあるから、わたしが一人で行く羽目になる。割れ目のついた板チョコをぱきんと割って、ステンレスのボールに入れて、湯煎にする。ももの発案で、むいてある甘栗に爪楊枝を刺して、チョコにまんべんなく浸す。だいこんを輪切りにした奴に栗を上にして爪楊枝を立てて、アラザンを振って、乾いたらおかずケースに詰めてできあがり。残ったチョコにはあり合わせのナッツを入れて固まらせる。あ、マシュマロも使えば良かったね、と気が付いたときには、溶かしたチョコは終わっていた。男どもが帰ってくる前に、めだたない箱に詰めて、冷蔵庫に入れて、証拠隠滅。ささやかな手作りで、子供は満足したらしい。甘栗チョコ、なかなかかわいいでしょ。************インフルエンザが治ってからますます甘えん坊になった娘です。お寝坊で学校に行くのもたいへん。それでも、なんだかわからないけれど、おかあさんの存在は大きいらしい。わたしの仕事も春休みになったので、今まで仕事で忙しかった分、ちょっと構ってやろうと思っています。上の息子の方は、最近メタモルフォーゼしつつあるようで、なんだか面白がっています。11歳だから、思春期までもうすぐです。男になっていくのが、本人もおもしろいらしい。エッチな話をわざとして、クレヨンしんちゃんをまねしてみたり、とってもおさないですけど。
2003.02.12
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東海道線を南に下ると海が見えてくる。ずっと遠くまで広がる水平線が好きでした。「つぶやき岩の秘密」というドラマは、もっと遙か遠くの海でしょうか。それでも、東海道線から見えるささやかな海も、ずっと遙か遠くまでつながっているのですよね。空も、誰かがどこかで遠くで見ている空と同じ空。つながり続けている広い世界への出口への遙かな憧れ。さて、石川セリさんのベスト盤を借りてきました。小学生の時、テレビの主題歌だった表題の「遠い海の記憶」が好きだったので、セリさんのアルバムは最近一枚手に入れていたのですが、それとは別に「八月の濡れた砂」が聴きたかったんです。昔雑誌で見た歌で、聴きたくて聴けなかったものがたくさん。そんなものを見つけることが出来る時代になったものです。このアルバムの中で、やっぱり好きなのは、「八月の濡れた砂」(学生運動のころの映画音楽だったらしい)、「遠い海の記憶」(NHK少年ドラマシリーズ「つぶやき岩の秘密」の主題歌だった)、「フワフワwow wow」、「朝焼けが消える前に」(ユーミンの曲)、「SEXY」(下田逸郎さんのしみじみした曲です)という最初の5曲です。今まで感じたことがなかったんですが、石川セリさんは、うまいですね。表題曲と「フワフワwowwow」は、ステージ101にいたピコこと樋口康雄さん。それぞれ、個性のある人たちの曲の中で、自分なりの色のある世界を作り出しているという感じで、「セリの世界」になっている。表題曲にしても 今だ見つめておけ 君のふるさとを その美しさの中の 本当の姿を いつか大人になって君はふと気づくだろう あの輝く青い海が 教えてくれたものは なんだったのだろうとなんて力強いメッセージを実にさりげなく歌っています。モデル出身かなにかの美しい人ですが、内面には鞭のようにしなやかな力強さを秘めているのか。わたしは、今までは、声が通るとか、そんなことばかりで余裕がなかったけれど、自分なりの色を見つけ出したいなあ、なんてささやかに願うのです。素人が聴いて、そんな風に思うの、おかしいかな。
2003.02.10
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温かくなったので、娘を連れて散歩してお買い物。お花屋さんでスイートピーとレースフラワーの入ったミニブーケを買いました。本当は、良いにおいの日本水仙が欲しかったのですが、娘に選ばせたから、ネクストタイム~♪です。************このごろ御冷やご飯の冷凍が、次々と溜まって行くので、夕ご飯は、だまこもち鍋です。お姑さんに教わったのを適当にアレンジして作ってます。きりたんぽ鍋用の比内鳥スープを土鍋であたためて、(なければ醤油仕立てのうどんの汁をちょっとお砂糖を入れて甘くした感じかな)鶏肉を入れます。肉類は普通沸騰してから入れるんですが、汁が冷たいうちに入れると、なぜかやわらかく出来ます。具は、ゴボウと白滝とねぎとせり、まいたけなどです。きりたんぽセットは、だいたいこんな感じの具ですね。せりがないときは、わたしは、ほうれん草とか適当に誤魔化して青菜を入れてます。そして、だまこもちは、お冷やご飯をビニール袋に入れて、指先やすりこ木でビニールの上からぶちぶちつぶして、片栗粉を適当に入れて、ちょっとずつひとかたまりにしていって、つぶがなくなったら、手に水と塩を適当につけて、団子三兄弟くらいに丸めるのです。これは、片栗粉と水、塩がないと、すんごいべたべたで、大変なことになりますし、片栗粉を入れないと、汁に入れると崩壊しておかゆになっちゃいます。本当は、すり鉢に入れてすりこ木でごりごりやるらしいんですが、片栗を知らなくてひどい目にあってからは、ビニール袋の利用が簡単で良いかなあと思ってます。きりたんぽより安上がりに出来ます。肉団子スープにも、ついでにこのご飯団子を入れると、結構喜んで食べていますね。こんなこと、書いていますが、あんまり家事、料理は得意でないのです。おいしいものは好きなんですが、手際が悪いし、頭がお仕事モードになっているときは、本当に味なんてどっかにいっちゃいます。サイドディッシュも、もっと充実させたいなあと思っているのですが、それでも、なんか面白い料理なので、書いてみました。
2003.02.09
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立春前後から、少しずつ太陽の光がまぶしくなってきました。今日は、八重椿の植え込みに、メジロを見つけたんです。知っていると思うけれど、メジロって、うぐいす色をしていて、目の周りが白いかわいい小鳥。家の周りの八重椿は、前のさるさる日記にも書いてたけれど、例のホームレスのおじさんがお腹がすいてむしゃむしゃ食べていたあの花です。山茶花と書いたけれど、色が椿の色だからたぶん八重椿。とにかく、メジロは神様のセンスのよさで、あんなに華奢な萌黄色。もしも手のひらで捕まえることが出来るなら、あふれそうにドキドキしていて温かいのでしょう。いつもは好きになれない都会の街もこんな風に春の訪れを知らせる可愛い子がいると、うきうきしてしまう。帰り道は、ちょっと冒険して、隣の駅から歩いて帰りました。****************季節は関係ないのですが、夕ごはんはしじみの味噌汁でした。昨日生協から届いたシジミ貝を水をはったなべに入れると、にょごにょご這い出てくるのですが、子供たちが覗き込んでいました。ついやってしまうのが、ちょっと開きかけたシジミ貝に爪楊枝をはさむと、きゅっと閉まる。それで爪楊枝を持ち上げると、シジミもいっしょに持ち上がる。ばかばかしい遊びをやっていると、なかなかシジミの砂が抜けなくなるようで、「こら!」とか、子どもをどなって、それでもおいしいシジミの味噌汁でした。
2003.02.08
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アンドリュース・シスターズのベスト盤を買った。The Andrews Sisters Greatest Hits 16 日本版というCD。これを買ったのは、実は訳があって、中古レコード屋さんで、かびたレコードのクリーニングの仕方を尋ねたら、親切に教えてくれたので、なんとなく手ぶらでは帰れない気持ちになったという変な理由なんですが。だからといってこれを選んだのは、昔大瀧詠一さんのGO!GO!NIAGARA!という深夜放送で、吉田美奈子さんの「ラムはお好き」とアンドリュースの”Rum and Coca Cola”を並べて掛けていたのが、とってもかっこよくて覚えていたというのが理由。「ラムはお好き」は、細野晴臣さんの曲で、”Rum and・・”のパクリ。実際”Rum and Coca Cola~”というちょっとお茶目なコーラスが入ります。でも、この曲を聴いてみると、思っていたより似ていなくて、D6のコードのイントロから始まる吉田美奈子さんの一人アカペラもオリジナルな味のある歌だなあとしみじみ思いました。こういう決まったコーラスをいつかやってみたいですね。さて、このアルバムは、1940年代のスイングジャズのコーラス集で、(というんでしょうね、良く知りませんが)、美人三姉妹のユニゾンのようにきれいに整ったリズムがなんとも小気味よいです。「ラム アン コカーコーラ!」と乗りに乗って、お皿洗いを済ませましょ~♪
2003.02.06
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娘を連れて、近所の神社に行った。2年間、娘の面倒を見てくれた保育園のある神社だ。平将門の鎧が奉ってある由緒ある神社だと言うことだが、くだんの鎧がどこにあるのか、知らない。卒園して1年近くなり、良くしてくれた担任の先生ももういない。がんばり屋で、子供の心を持った楽しいひとだった。残念ながら「このままじゃダメだと思うので、方向転換します」といさぎよく出ていかれたが、その後、保育園以上に適した仕事を見つけたのだろうか。アフロ髪の赤鬼、緑鬼を、年男年女が豆を撒いて追い払い、その後は、お楽しみの豆まきだ。今年は紅白餅もティッシュもおみかんも、心なしか少ない。不況のせいだろうなあ。いつの間にか娘とはぐれたので、内気な娘に絶対あげようと思っていたお菓子の袋ももらえなかった。保育園の先生にティッシュと炒り豆ばかりの手提げを見せたら笑われた。いつの間にか戻ってきた娘は、お菓子を投げてもらったと言って喜んでいた。大きくなったものだ。縁起物の炒り豆をいっぱいに入れてもらった手提げ袋。今年は、不幸が近寄りませんように、と、普段の年よりも念入りにお願いしたくなる。
2003.02.03
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今日は、ぎりぎりセーフでした。ある研究会の司会を頼まれてしまい、2時開始だと思っていたのですが、直前にパソコンのメールをごそごそと読み直してみたら、なんと1時半~4時と書いてある。めずらしくちょっと早く行こうと殊勝に思っていたので、ぎりぎりセーフの時間。あいかわらずぽやんとしていたので、はっと我に返ると、きちゃないかっこのままドアを開け、入れっぱなしになっていたクリーニングをメータボックスから取り出し、なんとか見られる格好になって、もう一度ドアを開けて飛び出しました。駅の華やいだ雑踏を超え、坂道を走って走ってやっと着いたら開始時間。発表者が子供の事情で遅れたので、何とかなりました。いつもこんなの。時間はだいたい遅めに勘違いすることが多くて、嫌になってしまう。こないだは、学童の保護者会で行事の報告をすっぽかして、2週間忘れていました。なんでだろう、この頭。一度頭の中を割ってみたい。まあ、こんなトンデモ司会でも、今日は発言者が次々と盛り上がり、わたしの介入を待つまでもなかったので、良かったです。はじっこにいると、居眠りでも始めそうな毎日なので、真面目に流れを考えながら聴いていたので、勉強になりました。
2003.02.02
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