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古い集合住宅は、緑につつまれている。ゆりの葉の付け根についている黒いものは何かと尋ねると、「鬼百合の子供」と父親はボードに書く。小さな白い根っこがついていて、植えるといくらでも増えると母は言う。隣に揺れている小さな三つ子の実は、「白山吹」の実。夏ならぬ夏のあとにも、そっと秋はひかえている。昨日、父親が退院した。家には、母親の古い嫁入り道具の三面鏡に変わって、小さなプラスティックの鏡と大きな吸引の機械が置かれるようになった。声帯を失って、喉に開けた穴から呼吸する大きな手術だった。それでも、不思議なことに、父親はわらって生活している。病棟の看護婦さんたちは、別れを惜しんで一枚のカードをくれた。わたしが、父に対して抱いた気持ちのように、たくさんのステキなメッセージがつづられていたのだった。父親は、勲章のようにそっと見せてくれた。入院している間に、筆談でたくさんの話をした。こんなに真剣に親の話を聞いたのは、生まれてはじめてだった。入院中に家をきれいにしておこうと、本棚の整理をしていたのだが、そこには思ったよりたくさんの川柳の本があった。ちょっと思いついて、送ってもらったばかりのいとう岬さんの川柳の本を持っていったら、「僕も句集を出そうとしてまとめていた!」とボードにしっかりとした大きな字で書いてくれた。父の俳号は、臥龍亭。見せてくれたノートで、思いがけなく、若いときの父親に出会うこととなる。ちょっと気取って見せたり、スランプに悩んだり、今のわたしよりずっと若い20代の父親。素直に語らい得ない素顔の父親があふれていた。何よりも、父親の素顔に触れ、つながりを確認することが出来たことで、わたしの心の中にあった大きな空白が埋まったような気がするのだ。
2003.08.28
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「わたしが書いた文章」欄を新設し、「ダウン症ってなあに?」をアップしました。数年前にお手伝いさせていただいていたダウン症親子会からの依頼で、以前に書いたものをちょっとだけ書きなおした文章です。何かご意見、ご感想があれば、お寄せください。
2003.08.26
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娘の付き合いでソフトボール合宿。自分がやるわけでもないので、適当に飲み物の準備を手伝ったりしている。めずらしく頭が疲れない。赤松が埴輪のように笑う空
2003.08.24
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急に暑くなりました。頭もからだも動かさなければ。たくさん思いついても、抱え込めるキャパシティーがあるわけではない。それは、分かるけれど、思いは止まることがないのです。********************** 獅子の仔のめざむる肢体 草いきれ ( 息子の成長に驚いて )
2003.08.22
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この世の中は、わぁすごい!と言うような素敵なことに満ちていて、それと同じくらい、つまらないけれどやらなくちゃいけないことに満ちていて、いつもいつも困ってしまうわたしなのでした。
2003.08.21
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<もっと時間が欲しいからひとこと日記>本気で整体を習おうかと思う今日この頃。やっぱりやわらかくしなやかで強い身体は必要だと思う。これからさまざまな欲動やら目的やらを抱え込む子どもたちにとって。 コンクリに夏なき夏のさかさ蝉
2003.08.19
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寒い夏。野菜は出来ないんだろうし、お米は不作なんだろうし、プールにも行けないし、子どもたちも遊べない。でも、おかげさまで過ごしやすいし、電気は足りているし、それに・・・晴れていたらもっと、犯罪が増えるんだろう、たぶん。梅雨は過ぎちゃったけれど、わたしは泣きたいから泣くのよ、と言って、雨は降り続けるのかも知れない。何かそこに知恵があるのか、誰にもわからない。とにかく、雨は降り続けるのだ。
2003.08.15
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去年縁日で取って来たメダカが、ほったらかしにしていたにもかかわらず、6匹中5匹無事である。水が深い緑色になっていても、金魚と違って案外平気らしい。お腹に卵を抱えているので、水草をいれ、卵を産みつけたところで卵だけ別な入れ物に移すと、孵化した稚魚が小さい入れ物いっぱいになった。みじんこよりもぼうふらよりも小さい。あたたかいベランダで、まだまだ続けて卵をつけているから、これからもおどろくほど増えるんだろう。ただ、問題は、ささやかな命を持つ稚魚をどれだけ生かしてあげられるかということだ。自然の状態では、大量死することを前提として、メダカはたくさん稚魚をこさえるそうだ。同じ水槽のままだと、メダカは卵や稚魚を食べてしまうので、今まで増えなかったらしい。********夕べは、息子の同級生の女の子が、海外に行ってしまうということで、お別れ会に行ってきました。息子がいないので、どうしようかと思ったのですが、大人同士のお付き合いも大事かなあと思って、ひとりで羽を伸ばさせてもらいました。ひさしぶりにうわばみのように飲んで、たくさん大人同士の話が出来ました。あくの強~い親が育てたあくの強~い子どもだと思っていた息子が、意外に周囲の大人からかわいがってもらえていることを、改めてうれしく思いました。大人への反感、特に親に対してひどくなってくる年齢です。そんな時期、「ぐるぐる回して他の親で育てよう」というような話も出て、頼りになる方々でした。わたしは、基本的に出不精なので、ここのみなさんは、息子が自分から誘われて、ご飯を食べるようになったグループで、今回は、息子がいないので、参加した次第。どこでも、自分から居場所を見つけられる子どものたくましさに、育てられてしまう母です。
2003.08.10
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今日は、ひとりの優雅な午後です。子どもたちと連れ合いが、明け方に東北の実家に出かけてしまったのです。渋滞と台風を避けて、ミニ台風オヤジみたいに子どもたちをせっついて出かけたのがよかった様で、なんとか無事着いたと連絡がありました。わたしはといえば、明日から自分の実家に行きます。数日お休みいたします。今日は、珍しく一人で、普段できないことをやります。普段食べられないものを食べます。音楽を聴くとか、映画を観るとか、ホテルでランチ。というのはうそで、家の端から端まで、ゆっくりお掃除をするのです。それから、冷蔵庫の残り物を片付けようと思います。午前中からそんなにしていますが、朝からあんまり変わらないみたいなうちの中です。やっぱり片付け物は苦手です。それでも、賽の河原のように、片付けたそばから、子どもたちが散らかしにこないのがうれしい。
2003.08.09
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これからは悪い時代が続くかも知れない。どうしても変えようもない運命とやらがあるのなら、そんなものだと受け止めて、愛し合い、いたわりながら、生きていく方が百倍もお得だろう。もしかしたら、そういうことだけで、過ぎ去っていく痛みもあるだろう。転勤族の家族としては、今までいろいろ不満もあったが、結婚というものが、自分の意思ではなく、潜在意識とやらが選んだ事柄であるのなら、それはそれで何らかの知恵が働いているのかも知れない。四十過ぎても、男は男であり、女は女である。捨て去ってしまおうとすると、それは、ぎこちないエネルギーとなり、苦しいだけだ。ないものをねだるのではなく、ここに存在するものを生かして、生きていくことを考えよう。目の前の細やかなことがらの中にも、神がおられます。
2003.08.08
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このごろ。日が差し込んでくると、ちょっとうれしくなって、それで、気が緩むとちょっと落ち込んで、それでも、さあ!元気を出して、と、手のひらを大きく開いて、歌いながら歩いていって、また、ときどき立ち止まってはため息をつく。そんな毎日の繰り返しです。ちょっとだけ少し安心材料が増えたかな。夏休みは、わたしを含めて、からだが硬く、頭の切替えの悪いおかあさんにとっては、魔の時期です。なんだか振り回されるし、用事が多い。夏休みだから、学校の仕事がなくて、あれができる、これができるというように期待していたはずの時間が、どんどんつぶされていくのです。わたしだけではなく、そういう相談を何件も聴きました。なんで、こんなわたしが、机のこちら側で話を聴く立場なのだろう、とため息をついて、それでも、他人ごとは苦しくないのです。 ヒデリノヒハ オロオロアルキ愚痴を言わず、しょってしまわなければなりません。こないだまでは、ことばの作り出す感情の世界に魅せられて、このごろは、だんだんことばの知恵と身体の知恵について、考えるようになりました。ことばで作り出す世界は、現実を見据えること、感じることの妨げになることがある。言葉をたくさん生み出す母親=必ずしも賢い母親ではないなあと感じるこのごろ。「わたしは悪いお母さん」、「子供は嫌いだから」、「うちの子は神経質で」たくさんの言葉が、自分自身や子ども自身の成長のさまたげになることを多く見てきて、自分もそうだろうと思うし。子供の必要に沿うような柔軟でたくましい足腰とこころ。そんなものを育てるためには、どうしたらよいのだろうか。そんなことを漠然と考えています。さて、仕事だ。9月のゼミの準備の英訳と、地方のダウン症の親子会への寄稿。ひさしぶりに頼まれてしまって、びっくりしました。お金にならないけれど、覚えていてくれてうれしい。
2003.08.07
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こんなときは、ひとやすみ。
2003.08.05
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やっと夏らしくなった。さざんかの葉が、太陽の光を受けて輝いている。もわっとした都会のアスファルトも、いつも通る交番や消防署のある景色も、ちょっと元気だ。わたしは、汗をかくことが苦手だ。汗にかぶれやすいので、かゆくなってしまう。だから、髪の毛を伸ばすのも苦手だ。髪の毛が目に入ると、結膜炎になることがある。自分でもちょっと情けない。でも、汗をかくこと、かゆくなること、すべてが生きているからだ。痰を出すと、病気が治る。熱を出すのは、バイキンと戦っていることだ。娘は、おじいちゃん宛てのお手紙に「へいねつ」とひらがなで書いて笑っていた。汗がかゆいくらいならいいけれど、つらいことが多いな、このごろ。生きているから(笑)。年齢のせいなのか、今までに棚上げにしていたことが、どっと圧し掛かって来た感じである。仕方あるまい。*******書くことは、蜘蛛の糸、ことばの網。生かすことがあり、殺すこともある。ちょっと間抜けなわたしは、ときどき自分のことばに足を掬い取られるのだ。怠けていた息子に、「こういう日もあるよ。今日は休んでな」、というと、張り切って出かけていった。へへ~んだ。元気を一服盛ってやったぞ。
2003.08.03
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ミドリガメなどの小さいカメを見ると、だいたい小さな水槽の中でもがいている。社会心理学の中村陽吉先生の「呼べば来る亀」、石川良輔氏の「うちのカメ」(八坂書房)などを読むと、家で放し飼いをしている。もともとそういったペットは、狭い中では飼われているというよりは、飼うことで命を縮めているのではないかという考え方があるそうだ。カメは、家の中の地理をよく覚え、個体に合わせて場所を変えながら生活するということだ。子供がカラスをあまりにかわいがるので、かえって野生に帰すには良かった。捕まえられたり、なでられたり、いじくられるのがいやで、出て行ってしまったのだ。そういうのを見ていると、鳥獣保護法で保護されていないペットの動物たちの処遇は、いったいこれでよいのかと、考えてしまう。そもそも人間の子供たちへの対応は、どうなんだろうか?迷惑を掛けない子、暴れない子、大人の手を煩わせない子が良い子とされているとしたら、子供たちの野生はどうなるのだろうか。(むろん、わたしが見た典型的な極端な例だ。 でも、自分が子育てを始めたときは、振り返ってみて そんなだった。)犬猫であれば、きゃんきゃん鳴かず、大きくならないように品種改良できるが、人間の子供は、去勢も品種改良も出来ない。 すでにはじまった「いじめ」や「非行」にいい対策がなくても、 はじまるまえなら、衆知をあつめれば子どもに、 連帯感をもたせる道もみつかるだろう。 それができなければ、 私たちは自分がつくりだした文明によってほろびるであろう。 (松田道雄 育児の百科 1991 第5版)この言葉がずっと気になっている。最新版では、さらにインターネットなどの問題も含めてあるようだったが、警笛を鳴らす最後の一文は、同じである。********書き散らしパンセ 1芸術の本質は、日常の中の感動を、とれたての果実を絞るようなピュアな形で取り出し、人々とわかちあうことである。あまり大したことは出来ない自分であるが、いつからかそんな考えを持っている。(できれば、これも続いて書きたい。毎日書き散らしの反古の様な日記にて失礼。)
2003.08.02
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七月のカレンダーをはぎ取ると、輝ける季節の写真が待っている。悪い夢は終り、だいじょうぶだいじょうぶと言うように。まだまだ夏休みは半分以上残っている。子供たちの相手もしなくてはならない。表題のことを少し考えてみたい。その1ここのところ、野口晴哉氏の本に傾倒しているが、そこで繰り返し述べられているのは、子供は人の関心を引きたい動物であるということである。まずは、赤ちゃんは無力であり、人の関心を引かなければ生きていくことが出来ない。だから泣いて自分の欲求のありどころを示す。それからも、泣いたり、話し掛けたり、時には病気になりさえして、自分がここにいて親の関心を必要としていることを示すのだという。親としての反省点であるが、個に閉じこもってのインターネットも、やりすぎると目の前の子供を忘れることがあり、怖いなあと思う。その2(続く)
2003.08.01
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