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今日は、台風が近づいているので、子どもの運動会が中止になった。雨が降り初めだったので、娘は、リュックに教科書と体操服を詰め込んで行った。学校に近くなったら、みんながランドセルだったので、旗振りをしているロングヘアの主事さんにさんざん文句を言ったあげく、わざわざ家まで帰ってきて、ランドセルをしょい直して(!)、友達と出かけていった。昼は弁当を持って、その友達と住宅の階段でランチにしていた。なんか、楽しそうだなあ。息子は、大役を仰せつかって不安だったのか、はたまた仰せつからないで不満だったのか、さまざまに揺れているようで、休みを口では喜びながらも、なぜか不機嫌だった。なんつう、個性的なお子さまたち。わたしは、雨天で火曜日に順延なので、仕事を休むので、収入が少し減る。しかし、このままでは熱出すなあと思ったら、やっぱり熱が出た。微熱なので、ライブで熱が出ています(爆)。井本整体の「風邪の効用」と「整体入門」が、文庫で再発売になった。井本整体では、風邪を引くのは、体が季節の変化にあわせて自身のの均衡を取ろうとする現象なので、熱を出したら喜ぶべきだという。わたしは、ある人主催の井本流健康教室に通っていたが、「どんな方法でも健康になったるで~」と思っていたので、投薬はあまり良い方法ではない、と聞いて感情的に辞めてしまった。そこでの師は、健康を気にすること自体が健康を損なうことがあるので、辞めると元気になると言う人もいる、と語っていたが、実際わたしはちょっと元気になった。しかし、それとともに、そこでの経験もいろいろと使っているのだ。足湯をして、後頭部を蒸しタオルで温めると、熱が上がるが、自分に熱が合ってくる感じ。息をたくさん深く吸って、今まで固くなっていた体が、あちこちぎしぎしと動いて、あるべき位置に行くという感じだね。今日はやすみなさいという神様の思し召し。久しぶりに、生き物になった気持ち。ありがとう。
2003.05.31
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学生さんたちの中に、同い年くらいの方がいる。小さな子どもたちを抱えながら、がんばっている。お互い自分の限界に挑戦することの連続で、厳しいが、こちらはお金をいただいている側だからなおさら、無能力なくせにテーブルのこちら側にいることが、申し訳なく思う。なんでって、結局、好きだからやっているんだよね。評価されるまでに、力を付けるまでに、時間が掛かる営みだとしても。少し休んだら、また神様が力を与えてくれるだろう。
2003.05.30
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今日は、多摩川近くに行きました。都会住まいなので、何もない河っぷちをふらふらするのが、なによりもごちそうなのですが、今日は、彼の希望で、ワン&ニャンがたくさんいるところへ。彼ったらマザコンで、お母さんまで連れてきちゃった。年下で、笑顔が素敵な・・・2歳児です。友達の子どもなのでした。帰りに仕事先にちょっと寄ったので、たくさん歩きました。15006歩で、ピカチュウと仲良しになりました。本屋さんでは、きれいな表紙の本がわたしを連れてってと言っています。「セラピストの物語/物語のセラピスト」(小森他 日本評論社)。本当は、仕事先で借りたのと同じテキストを買って読もうと思ったのですが、やっぱりこっちにしました。Narrative Therapyに心惹かれるものがあって。ナラティブセラピーは、クライエントの語り(物語)を大切に聴いていって、セラピストとその語りを共有することによって、相互関係の中で治療的な物語をつむいでいこうというものです。下山晴彦氏の「心理臨床の発想と実践」という本があるのですが、その本の中で、以下のようにあります。「臨床心理学は、自己の物語を生きることの援助の学です。(中略)心理臨床実践において他者の物語に関わり、新たな物語を共同生成する作業を行います。」これを読んで、なんだか今までわからなかったことが、すっと入ってきたように思いました。ここは、「心理臨床を学ぶことの危険性」という章で、臨床心理士になることを目指すことによって、自分自身の現実感の希薄さを回復できる幻想がもたれやすいこと、しかし、自他の区別が曖昧であると、自己の物語希求を満たすために、当事者を利用してしまう危険性が述べられているのですが。今まで、人が人の話を聞くことで、なんで治癒に向かうのか、どうも納得がいかなかったのですよね。また、セラピーの中の上下関係みたいなのもどうもきらいでした。今日、わたしを招いた本も、なんだか素敵な本みたいです。楽しみ。電磁波を伝わってくるたった一言の裏にさまざまな思いが行き交うとき、物語を作らずにはいられない人間の性分のことを思います。
2003.05.26
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一日子供たちはどこかで遊んでいた。あたたかい初夏の一日。買い物に行ったら、絵描きのおじちゃんが、植え込みに背中を丸めて座ってた。ホームレスで、キリスト様みたいな格好をして、絵を描いているんだ。このごろは、浴衣を羽織っているから、うしろ向きにちょこんと座っていると、何かなって思った。。暑い日は、筵の上に大の字にしんどそうに寝ていたり、寒い日は、お酒を飲んで歌を歌っている。そして、不思議な人間のたくさんあるイラストがじょうずなんだ。マイヨールってあんな感じかな。色がとてもきれい。「小さな日記」にしようと思ったけれど、どこかの彼が死んじゃうフォークソングみたいだからやめた。ほそぼそと小さなことばをつむいでいきたいから、地味な題名でしょ。今日は、子どもの運動会のため、ゼッケンを縫いつけたり、文献リストのためのソフトをダウンロードしたり。まあまあのお休みだった。やっぱり、忙しくても、どこかきままで、好きなこともやれるし、若いときよりは本が買える。明日からは、また忙しくなるなあ。
2003.05.25
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五月もなかばで、少し蒸し暑い日もある。あれこれと文献をあさっているうちに、子どもが夕飯を作れと言う。外食やお惣菜の割合が多くなったが、そういうので、あまりおいしいものがない。いつか飽きるんだな、化学調味料は。なんとか効率よく、自分の食べたいものを作ると言うからだの感覚を信じて手をかけることが、子供たちにも良いのだろうと思う。朝日新聞に素敵な理系の女性研究者の記事があったので、思わず切り抜いたが、どこにいったかな。47歳。小さい子どもは夫にまかせて、朝早くから夜遅くまで論文を読んで過ごした。徹底的に無駄を省き、練りに練った構想で必要な実験のみ、効率よく行った、とか書いてあった。うちは、だんだん子どもが手が掛からなくなったとはいえ、今後も転居がたいへんなわけだし、何よりも時間を自分をまだまだうまく使えない。研究法を中心にあれこれ読み漁っている初学者に毛が生えたようなものだ。まあ、そういうことを面白がっている自分がいて、また、なんだかわからないけれど、今の状態から抜け出したがっている自分がいるわけだから、いつかがんばったと思える日が来るのかもしれない。最近、いろいろな学生さんたちに触れ、こんな気持ちでいるのは、自分だけじゃないと知っただけ、少し強くなれるような気がする。
2003.05.24
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なんだかいそがしくなっちゃいました。実力以上の仕事を受けると、たいへんです。書き込みをしてくださった方々、お返事なかなかできなくて、ごめんなさい。 植え込みの つつじに 野花背比べ 路地隔て 親子すずめが 呼び交わすおそまつさま。北国ではお花見というニュースもありますが、こちらは、五月の風に、青草が背比べのように伸びています。
2003.05.23
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ここのところ、毎日曇り。今日は朝から雨降りだったが、午後には晴れて、娘を連れて買い物に出られた。少し蒸す陽気のせいか、少し疲れる。今、舅と姑が家に来ている。舅はパーキンソン病で、足下が少しあやしい。治療の便のために、我が家を利用してくれているわけだ。さっき、買い物から帰ったら、息子が舅の手を引いていた。自分では立ち上がれない義父を助け起こして、手を引いていく。今までもあった光景だが、我が息子ながら胸がじんとする。わたしが教えることが出来なかった優しさだと思う。息子は、今までに何度か東北の義父母の家にひとりで行ったことがある。ひとりで飛行機に乗ったり、ひとりで新幹線に乗ったり、冒険として楽しみながら、密かに育てられてきたのだと思う。このごろ、息子はまたまた大人と接して、成長してきている。小学校のゲームサークルの囲碁のボランティア指導者の誘いで、囲碁の地域サークルに通いだしたのだ。「◎○さんには二子置いてなら勝てる」とか、話をするようになったし、囲碁の先生のおじさんから、電話連絡が来たりする。核家族の二世だから、自己流に育てて、出来なかった部分を育ててくれると思うとうれしい。お馬鹿なおかあさんは、すぐ権力争いみたいな親子喧嘩にしてしまい、権威もへったくれもないのだが、地域の大人は勝手が違うらしい。違う文化を吹き込んでくれる。中学になると、あまり親と話をしなくなるというが、そんなとき、第3者の大人は力になってくれそうで、頼もしい。
2003.05.19
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行き帰りに使う道で、栗の花のような匂いがする。いくら見上げても分からなかったが、今日やっとどの樹だかわかった。見上げていた方とは道の反対側の線路際の歩道の低木だった。名前はよくわからないが、ねずみもちの樹に似ているみたい。初夏の曇り空から、ひっそりと白い花がこぼれる。見上げていた側は、風俗の店屋が並ぶが、椎名林檎さんのアルバムのタイトルではなく、本当の樹の花だ。今日の授業では、こんなことを学生にやってもらった。履いている靴下を脱いで、また履いてもらう。次に、目をつぶって片手でやってもらう。また、片足立ちで片手でやってもらう。案外むずかしいでしょ。そういうことをすると、靴下をはくという当たり前の動作が、目と手の共応、重たい頭蓋骨を体のバランスで支えるという複雑な動作によってなりたっていることがわかる。そこから、アフォーダンスという理論とリハビリテーションの話になる。アフォーダンスというのは、afford(~を提供する)という動詞から成る認知心理学の用語。環境にそなわる性質で、環境とかかわる動物行動によってあらわれる性質を指す。ということだ。たとえば、椅子は「座ること」を、リンゴは「食べられること」をアフォードするのだと言う。福祉の学生さんなので、いかに残された能力と環境を駆使して環境に適応するか、させるか、ということを考えさせようと思ったのだ。前半の理論は、夢の中で聞いていた学生達も、結構面白がってくれたのがよかった。面白がって欲しい。人間は、ものごとを工夫する知恵を持っていることを、思い起こして欲しい、なんてえらそうに。ささやかながら、こんなことをしてみました。
2003.05.14
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金子みすゞさんの「ほしとたんぽぽ」、「わらい」、「たいりょう」、「つゆ」の四曲が、六月の合唱祭の出し物だそうだ。「ほしとたんぽぽ」~ま昼の星、冬のたんぽぽの根といった誰もが気づかないけなげな生が、「みえぬけれどもあるんだよ」という母が子に語るようなやさしいかたりかけ。「たいりょう」~おおばいわしの大漁でにぎわっている浜を対照として、海の中のしずかな弔いを、シンコペーションのしゃれた掛け合いと、フェイドアウトしていくような「たいりょうだ」のコーラスとそれに続くピアノの不協和音のアドリブ風のアレンジで、しずかな悲しみを盛り上げていく。シンコペーションの掛け合いは、達郎さんのクリスマスイブの中の間奏のコーラスにちょっと似ていて、おしゃれなのに、途中で短調に転調して、雰囲気を浜辺のにぎわいからおさかなのかなしみへ、見事に世界を変えている。ハミング中心のかわいらしい曲だが、詩のうつくしい世界を見事に描き出した佳曲集である。最後の「つゆ」は、蜜を取られたお花の涙をそっと気遣うはちの歌。かわいらしい童謡です。わたしが子どものころ歌っていた童謡を作った中田喜直氏は、おいくつくらいの方かと検索を掛けると、平成12年5月3日逝去、享年76歳と言うことであった。「ほしとたんぽぽ」の曲集のクレジットは1991年であるので、64歳くらいのときの曲であろうか。あまりのみずみずしさに感動を覚えた。PTAの合唱部は、昨年は他に現役メンバーがいたので、忙しいわたしはお役ごめんしてもらって休部していた。しかし、今年はとりあえず部長を引き受けることになってしまった。つまり、わたし以外はすべてOG、もしくは外部からの要員ということになるので、PTAクラブという立場上、現役がいないと困るのだ。転勤族ファミリーの一員として、学校に慣れようとして入ったクラブが、そういう状態だったので、最初はとまどったが、まあ、とりあえず5~6月は、できるだけ出席ということになる。今日は、午前中授業、午後から個人面談と合唱で、13346歩。一日忘れたから、ピカチュウ普通になかよし。
2003.05.07
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南房総から帰ってきた。あたたかい気候の中、海に親しむ生活で、こころ洗われ、そして、口惜しくなった。(自分のためのメモです。)ランクアップをなぜ目指すか。ひとつには、自分なりの生活をするためだ。連れ合いの転勤に振り回されるのは、もうたくさんだ。精神的、経済的に自立していないと、自分がなくなってしまうようで、不安になる。誰がいてもいなくても、子供たちと自分らしい生活を守っていきたい。理想の生活と、理想の学びに少しでも近いものを今のできる範囲の中で求めていきたい。
2003.05.04
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自分の覚書(反省)だから、人が読んで面白いかどうかわからないよ。(いつもだけれど)。本フェチなので、本を買うのがすきなんですね。本屋さんや図書館の本のにおいが好き。なんだか新しい考えや世界に出会いそうで、うきうきしちゃう。で、結局、あんまり時間が取れない。部屋の中に、ごきぶりなみに繁殖して、狭い部屋を占拠するのだ。どんなに無理をしても、時間は限られているんだから、読める本の数なんてたかが知れている。そもそも、無理って出来ない~。昔、ある牧師さん曰く、「一生に音楽を聴ける時間なんてたかが知れているんだから、自分は、もうバッハしか、聴かない」と。知り合いのパパだったけれど、だんだんその牧師さんの年齢に近づいてきているんだろう。みこみで、本を買うのはやめよう。資料や本は溜め込むためじゃなくて、読むためにある。ハムスターじゃないんだから、もずのはやにえじゃないんだから。買いたい本は、リストにして、読めそうだったら買おう。読みたかったら、読める計画を立てよう。反省!
2003.05.02
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今日は、なかなかハードな一日。朝から、PTAの広報の集まりがあって、ランチを外で取ってから、歩いて図書館へ。久しぶりにまとまってお勉強(^^)。4時過ぎに図書館を出て、こんどはPTAクラブの部長の集まり。ことしは、学童の広報と、PTAの広報と、ついでに女声コーラス部長なのだ。をいをい、お仕事はだいじょうぶなのかい?と自分で突っ込みを入れてみる。なんだか、このごろ、主婦のみなさんの集まりに行くと、つい、でしゃばってしまいます。だって、みんな黙っているから、気がせくんだもの。わかんないところはさっさと聞いて、さっさと決めて、さっさと帰ろう、ね。と思って、そそくさと質問などしていると、「やってください」の視線がくるんだわ。さすがに、身が持たないからと、広報の役員は逃げました。図書館は、学校をはさんで、別の駅の近くだから、ぴかちゅうの万歩計で、行って帰って12096歩。おつかれさん!このごろ、不勉強が恥ずかしくて、このホームページのコンテンツもなんとかしちゃおうかな~とか、思っています。検索で引っかかって読んでも、大したこと書いてないし・・・。まあ、1日100人も読んでいないわけだから、いっか。ああ、三流な自分は嫌だぞ!
2003.05.01
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