2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全9件 (9件中 1-9件目)
1
今日に生きる人々は互いに仲良くやっていくのに困難を覚えているのではないでしょうか。 そして、大抵の人が自分は心が広いと考えたがるものですが、まったくうそ偽りのない気持ちでこう自問してみるのはいかがでしょうか。 心の狭い、がんこな人は、本当にいつも“ほかの人”だろうか…と。 実際には、自分も思っている以上に心を閉ざしているかもしれません。 「宗教と政治、この二つについては決して話さないことにしています」と言うことがありますか。 あるいは、これまでに食べたことのない食べ物には見向きもしないなんてことありませんか。 「カタツムリだって? ご免こうむるよ」。 あるいは、あまりなじみのない医療の方法についてはどのように考えるでしょうか。 「ハリだって? あんなもの、いんちきだよ!」 あるいは、ドイツに住んでいる人なら“だれでも”知っているように、 ジプシーは泥棒 ドイツ北部地方の人は意地っ張り ベルリン生まれはみんな騒々しい シュワーベン地方の人はけち 外国人は怠け者、とされているのを「知って」いますか。 言うまでもなく、似たような考え方はどこにでもあります。そう、わたしたちの住んでいる国、地方、地域にもあるのです。
2004年01月31日
コメント(0)
あわてて結論を出してしまって、あとでそれが正しくなかったことが分かったというような経験をしたことがあるだろうか。 本当に恥ずかしい思いをする。しかしもっと悪い結果になって、自分の結婚関係や大切な友情に容易ならぬ緊張が生じたとしたら、それは本当につらいこと。 心が広かったなら、すべての証拠がそろうまでその問題について判断を下すようなことはせずにすんだだろう。 また、早まって口を開くこともなかったはず。 この点について聖書は箴言 18章13節で次のような賢明な観察を行なっている。 「聞かないうちに返事をするなら、それはその人の愚かさであり、恥辱である」。 何事も自分の視点からしか見ようとせず、見解や趣味や好みの相違を認めようとしない、心の狭い人々と良い関係を保つのは本当に容易なことではない。 そして、心を閉ざすこと以上に心の狭いことがあるだろうか。 言うまでもなく、心を広くするとは言っても、道徳的な原則を見失い、“何をしてもよい”という見方を採るようになるほど広く開放的であってよいという意味ではない。 しかし、心を広くしてある人を理解しようとしたとしても、その人の間違った行動を大目に見ていることにはならない。 その人がなぜそのように考えたり行動したりするのかを見定めようとしているにすぎないのである。 酌量すべき情状があるだろうか。その人の育ち、背景、あるいは環境に問題があったのか。知識が不足していたということはないだろうか。 他の人々の過ちや弱さに関して広い心を持てば、その人たちに感情移入をしやすくなるだろう。 クリスチャン愛をもってその人たちに援助の手を差し伸べ、過った行動や態度を変えるよう助けることが難しくなくなるだろう。それは有意義な関係に寄与する。
2004年01月30日
コメント(0)
様々な問題を首尾よく解決するには、賢明な助言を進んで受け入れなければならない。箴言 15章22節はこう述べている。 「内密の話し合いのないところには計画のざ折があり、助言者の多いところには達成がある」。 心が広ければ、周囲の人々、つまり共に働いたり生活したり交わったりする人々の助言を受け入れるのに役立つ。 その結果、物事を達成し、成功を収めることになる。 心が広いと、模範の中に助言を見いだすのにも役立つ。 模範を示すことによって助言を与えている本人が、その事実に気づいていない場合さえあるかもしれない。 夫が人々の物事のやり方に心を乱した時に、あるクリスチャンの宣教者の妻が夫にいつも話していたことはその良い例である。 彼女は夫に次のことを思い出させた。 「どんな人からでも何かしら学べるということをお忘れにならないでね。あることをしてはいけないということを学ぶだけかもしれませんけれど」。 確かに、他の人々の考え方や行動に対して自分の心を閉ざさなければ、大きな益を得られる。 広い心で、「その行ないがどのような結果になるか」よく見極めることにより、事情に応じて、その歩みに見倣ったりその歩みを避けたりすることができるだろう。
2004年01月29日
コメント(0)
人間の脳には、ブリタニカ百科事典に収められている資料の1万倍の情報を記憶する能力があると推定されている。どうして心を閉ざして自分が取り入れる知識の量を制限し、この膨大な能力を押さえつけてしまうのだろうか。 心を閉ざすと、精神の成長が停止してしまう。これは危険である。心が閉ざされると、ふさわしくないあるいは間違った考えや見解を正すことができないからである。 一方、心が広ければ、円熟へ、そしてより精神的に平衡の取れた状態へと成長する。また、自分の見解や決定の基盤となる土台を広げるのにも役立つ。 であるから、正しい決定を下す可能性が大きくなる。
2004年01月28日
コメント(0)
現在においても将来においても,病気を完全かつ永久的に治すのは人間の力を超えたことである。 しかし、神の助けが差し伸べられようとしている。神の事物の新体制が、肉体的にも道徳的にも病んでいる今日の社会に間もなく取って代わろうとしている。その時、『「わたしは病気だ」と言う居住者はいなくなる』。―イザヤ 33:24。 それまでの間、わたしたちは身体的な疾患の苦痛から一時的に解放されるように努める。治療法はたくさんあるので、その中から選ぶことができる。 心の広い人は、そうした治療法が普通ではないとか、正統的でないというだけの理由ではいかなる治療法をも退けることはない。 また、ある人に効き目があっても、別の人には効かないことがあるという点をも悟ってもいる。であるから、適切な注意を払うとはいえ、心が広ければ、心を閉ざしていては決して選択の対象にならないような治療法を含む、はるかに広い範囲から選択する道が開かれる。 心が広いと、快活な態度を保つのにも役立つ。心を閉ざす人は偏見や憎しみで毒されている。それは愛のないことであり、それゆえ健康にとって有害である。 一精神科医が言っているように、「憎むほうが易しいが、愛するほうが健康によい」のである。確かに現代の医学は、「静穏な思いは肉体に命を与える」および「快活な心は良い薬である」という聖書の真理を明らかにしている。―Pr 14:30; 17:22.
2004年01月26日
コメント(0)
子供のころを覚えているだろうか。生活は面白くてたまらなかった。新しい事があれば何でも知ろうとし、その度に胸がわくわくした。心が広くて、新しい印象に対する受容力があった。大抵の子供はそうだろう。偏見など何のことなのか分からなかった。 しかし、新しい事柄に対するこの心の広さを保ってきただろうか。それとも、自分の国で食べ慣れている食べ物がないとこぼす外人旅行者のようになっているだろうか。もちろん、旅行をしている時には健康管理のために飲食に関して一定の用心をすることは必要かもしれない。例えば、ビン詰めの水しか飲まないようにするとか、特に熱帯では、生野菜やサラダを避けるなどするのは賢明。しかし、そうしたことを除けば、土地の料理のあるものを試してみるぐらいのことができない理由が何かあるだろうか。原地の人々は長年の間それをおいしいと思って食べてきたのだ。自分が何を得損なっているのか、分かっていないのかもしれない。 また、外国の習慣についてはどう思っているだろうか。それらは自分の見地からすればいくらか奇妙に思えるかもしれない。しかし、“奇妙だ”ということは“劣っている”ということではない。「我々のやり方のほうが優れている」と言い張るのでは心を閉ざしていることになる。例えば、箸よりもナイフとフォークのほうがやはりよいと思うかもしれないが、箸を使って食事をすることを学べば、自分の生活は豊かになる。 生活様式が異なるからと言って、どうして他の民族集団との交わりを避けるのか。自分を広くして人類の中に見られる多様性に富んだ様々な事柄を楽しんでみれば、あなたの生活もより意義深いものになるのではないだろうか。
2004年01月25日
コメント(0)
神によって創造された唯一の女性であり最初の女性であったエバは、かつて生存した女性の中で最も美しかったと思われる。 しかし、エバと夫のアダムは創造者である神に反逆した。 そのためエバは神との親しい関係を失い、人類に恐ろしい悲劇をもたらすことに荷担した。 その後もエバは美しかったに違いなかっただろうが、その美しさは上辺だけのものであった。 美しさは、突き詰めて言えば神から授かったもの。ある人は他の人よりも多く受け継いでいる。 もっと美しくありたい―あるいはハンサムでありたい―という願いから、少しでも自分に麗しいところがあれば、それを最大限に活用しようと、多くの時間とお金を費やす人は少なくない。 しかし、エバの例から分かる通り、ただ美しいだけで他の特質がそれに伴っていなければ、結局その美しさは無価値である。(形骸…あえて言おう“カス”であるとはギレンの言葉)では他の特質とはどんなものだろうか。 昔、ソロモン王の時代に生じた一つの出来事は、その質問に答えを与えてくれる。
2004年01月24日
コメント(0)
美しく、麗しい若い女性と一緒にいるのは楽しいものだが、(ホントか?) 外面の麗しさの背後に、偽善と利己的な虚栄心が隠れていたらどうだろうか。 その場合、美しいのは上辺だけで、内側には醜さが隠れているのである。 美しさがあせてゆくときに残るものは何か。 …(結婚する時はよく相手を知ることですな)
2004年01月23日
コメント(0)
男性に関しては、『若者[若い男子]の美しさはその力である』。(Pr 20:29) 確かに、若い男子のエネルギーと活気は人を強く引き付けることがあるが、そうした若い時の活力が衰えると、どうなるだろうか。 同じ聖書の箴言には、「白髪は、義の道に見いだされるとき、美の冠である」と記されている。(Pr 16:31) 義は内面の美しさに関係した一つの面である。 若い男子が義を培うなら、若さに伴う魅力的な活力を失ったとしても、その義は変わらずに残るだろう。
2004年01月22日
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1
![]()
![]()
