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真の友とは、兄弟より固く付き、忠節や友情の点で変わることがなく、苦難のときには来て友を助け、忠実を示して友に助言を与える人。一方、富んだ人や贈り物をする人には、その交友から得られる自分本位の益にだけ関心を持つ友が大勢いる。 食べ物と水が人間の身体面にどうしても必要であるのと同じように、友情も人間の精神面に不可欠なもの。とはいえ、友達が欲しいというこの基本的な欲求を満たすことは、多くの人にとって決して容易なことではない。 孤独な人が増えている。「その原因の幾つかを理解するのは、難しいことではない」と、キャリン・ルーベンシュタインとフィリップ・シェーバーは、共著「親密さを求めて」の中で述べている。著者たちはその要因として、「移動の増加」つまり人々が住む場所をたびたび変えること、また「人間関係が希薄で犯罪が多発する都市」、「近隣と顔を合わせず、もっぱらテレビやビデオだけの生活」などを挙げている。
2004年07月31日
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回避できない、そして多くの場合、不利な結末。運命論とは、あらゆる出来事が神意によって、あるいは人間よりも大きなある力によって定められ、予定されているゆえに、必ずそのとおりに起きるという信仰と定義できる。 運命論の奴隷にされることは非常に危険である。
2004年07月30日
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他の人に、その人の持つ貴重な物を手放させたり法的な権利を放棄させたりする目的で、意図的に欺きや策略を用いたり、真実をゆがめたりすること。『だまし取る』と訳されているヘブライ語(アーシャク; Le 6:2)には、自分の力、権力、あるいは権威を他の人に対して誤用するという基本的な意味がある。であるから、この語は「虐げる」とも訳されている。(Ec 4:1; Isa 52:4)ギリシャ語の動詞アポステレオーには、「奪う; だまし取る; 奪い取る」という意味がある。(1Co 7:5; Mr 10:19; 1Ti 6:5)ギリシャ語の名詞ドロス(「詐欺」; Ac 13:10)は、「欺まん」とも訳されている。―Mr 7:22.
2004年07月29日
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厚かましい態度、つまり法や権威に対する不敬や、軽べつをさえ示す態度を反映する行為。ヘブライ語のジンマーという言葉は「みだらな行ない」また「不徳義」と訳出されている。(Le 18:17; 19:29)ギリシャ語アセルゲイア(みだらな行ない)は、「放縦; 奔放; 恥じ知らずの行ない; 行為の卑わいさ」とも訳されるかもしれない。どちらの語も性の不道徳には限定されていない。聖書はみだらな行ないとして、集団強姦(Jg 19:25; 20:6)、売春(Jer 13:27; Eze 23:44)、流血(Ps 26:9、10; Eze 22:9; Ho 6:9)などを挙げている。「無節操な者」はみだらな行ないを企てると言われており、そのような行ないが「戯れ事のよう」になっている人たちは愚鈍な者、つまり道徳的に無価値な者として類別されている。―Isa 32:7; Pr 10:23.
2004年07月28日
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日本小児科医会の医師たちの指摘によれば、テレビを長時間見ている子どもにはコミュニケーションを図る上での問題が多く見られるとのことである。 その問題とは、言葉を覚える、親と目を合わせる、対人関係を築くといった能力の後れなどである。「親子が顔を合わせて遊んだり、外で遊ぶ時間がなくなったことが、子どもの健全な発達を妨げている可能性がある」と、同会の内海裕美氏は述べている。小児科医は「授乳・食事中はテレビ・ビデオは止める」、「子ども部屋にテレビ、ビデオ、パソコンは置かない」などの提言をしている。また、親が医師の助言に従って子どもたちにテレビやビデオを見せないようにしたところ症状の改善が見られたという。 子供の成長と共に理に適った環境の醸成が必要である。幼子は日々成長しているのだから。
2004年07月27日
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「読むことは知識と知力を得るかぎです。……人間の思考や知識の宝庫に通じる扉を開くのです」。と「全ポーランド読み聞かせ」運動の主催者は述べている。しかし、多くの大人や子どもは読書を“必要だが嫌なこと”としか考えない。 この運動の創始者たちは、「幼児期に読書の習慣と本への愛着をはぐくむべきです」と述べ、親たちに、「学業においても人生においても成功を収める賢い子に育ってほしいなら、毎日20分間、本を読んであげましょう」とアドバイスしている。また、読み聞かせを先延ばしにせず、「できるだけ早く始める」ようにとも述べている。いつごろ始めたらよいのだろう。「幼い子どもをひざに抱き、優しいまなざしで見ながら、興味をかき立てるような口調で読んであげましょう」と勧められている。「そうすれば、読書が安心感や喜びや親密さと結びつき、それはいつまでも消えることがありません。加えて、精神面での発育も刺激されます」。 この運動の主催者は、「子どもに本を読み聞かせることがかつてなく重要になっている」ことを強調し、ほかにも益があると述べている。朗読は子どもに考えることを教え、「他の人や世界や自分自身を理解するよう助け、……興味をかき立て、想像力をはぐくみ、情緒面での発育を促し、感受性や思いやりを育て、道徳的価値観を与え、……自尊心を築き上げます」。本を読んであげることが、「子どもの精神と心を脅かす……多くの望ましくない影響を打ち消す解毒剤」であるのは間違いないと、この運動の提唱者たちは結論している。 ここでは読む、読み聞かせるという習慣の重要性をあげましたが、もちろん本の内容についてよく調べる必要のあることはいうまでもありません。
2004年07月26日
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ある父親は、娘が幼い時から、毎晩寝る前に本を読み聞かせることを習慣にしていた。時たつうちに、娘が多くの物語を覚えて文章を目で追い、言葉や発音の仕方を認識できるようになったことに気づいた。 読むことに加えて他の補足的な活動をバランス良く行なおうと努める親もいる。絵をかくこと、楽器を演奏すること、家族で動物園やキャンプに行くことなどである。そうした機会に、教訓を学ばせ、ふさわしい道徳的価値観や振る舞いを子どもの感受性の強い思いと心に植え付けることができる。 そのような努力を払う価値はあるのだろうか。穏やかな安心できる環境で、上に挙げた実際的な指針を当てはめるように最善を尽くす親は、子どもたちが積極的な態度を培うのを見る可能性がずっと高くなる。幼い時に意思を通わせる技術や知力をはぐくむなら、子どもの徳性や霊性に大いに役立つ。 幾世紀も前に書かれた聖書は、Proverbs 22:6.ではっきりこう述べている。「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても、それから離れないであろう」。親は確かに子どもの訓練において肝要な役割を果たす。子どもに惜しみなく愛を表わしたいものである。共に時間を過ごし、進歩を促し、教える。そのようにするなら、子どもにもあなたにも幸福がもたらされるだろう。―Proverbs 15:20.
2004年07月25日
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平衡の取れた子どもを育てる上で、教えることは欠かせない。多くの親は、毎日時間を取って子どもに本を読んで聞かせている。それは、ふさわしい振る舞いについて教訓を与え、創造者の言葉に基づく道徳的価値観を教える機会となる。聖書は、忠実な教え手また宣教者であったテモテが、「幼い時から聖なる書物に親しんでいた」と述べている。―2 Timothy 3:15. 幼児に本を読んで聞かせることは、シナプスの形成を促進させる。かぎとなるのは、よく気がつく思いやり深い人が読み手になることである。教育学教授のリンダ・シーゲルは、読み聞かせる内容について注意を促し、「子どもが楽しめるレベルのものであるべきです」と述べている。また、定期的に、できるだけ毎日同じ時間に読むようにするとよいだろう。子どもはその時間を楽しみにするようになる。 教えることには懲らしめも含まれる。愛のこもった懲らしめは小さい子どもの益になる。Proverbs 13:1.は、「父の懲らしめがあれば子は賢い」と述べている。しかし、懲らしめには多くの事柄が関係していることを覚えておきたい。例えば、言葉で正したり、何かの特権を与えなかったり、他の形で罰を与えたりすることなどである。ブレイズルトン博士はこう述べている。「[懲らしめとは]子どもに感情や無茶な振る舞いを制御する方法を教えることである。子どもはみな、どこまでが限度かを一生懸命に知ろうとしている。懲らしめは、親が与えるものとして、愛に次いで極めて重要である」。 親として、懲らしめが効果的かどうかはどうすれば分かるだろうか。まず第一に、子どもはなぜ懲らしめられているのかを理解しているべきである。矯正を与える時には、子どもが親の温かな支えや愛情を感じられるような仕方で行ないたいものである。
2004年07月24日
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子どもと一緒に時間を過ごすなら、きずなが生まれる。さらに、意思を通わせる技術が向上する。そのように家庭や他の場所で、いつでもふさわしい時に親密な関係を培うことは、聖書が勧めていることである。-Deuteronomy 6:6、7;11:18-21. 子どもの発育に関する専門家は、手の込んだおもちゃや何か特別の活動よりも、親が子どもと共に過ごす時間のほうがずっと重要であるということに同意している。お金のかからない日常の活動を通して、子どもとのそのような時間を作れる。例えば一緒に公園に行って自然を観察するだけでも、親が意義深い質問をして意思の疎通を図るとても良い機会となる。 聖書は、「跳び回るのに時がある」と述べている。(Ecclesiastes 3:1、4.)のびのびと遊ぶことは、子どもが知能や感情、また人との接し方の面で成長するのに肝要である。マスタード博士によると、遊びは有意義なだけでなく、ぜひとも必要である。「子どもは主に遊びを通して、様々な活動のための脳内配線を発達させる」と博士は述べている。子どもが型にはまらない遊びに使うおもちゃは、空の段ボール箱のような、しごく単純なものでもよいのである。ありふれた安全な家庭用品が、幼児にとっては高価なハイテクおもちゃと同じように興味をそそる。 大人の指導する活動をあまり多く行なわせると、子どもの想像力や独創性を抑圧しかねないと専門家は考えている。度を過ごさないようにすることが勧められる。子どもが自分の小さな世界を探検し、自分の機知を試すことができるようにしてあげてほしい。多くの場合、子どもは自分にとって面白いことを見つける。とはいえ親の責任として、子供がけがをしないように、どこで何をして遊んでいるかを知っているべきである。
2004年07月23日
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☆ 乳幼児の注意力が続くのはごく短時間なので、楽しそうにしている時だけ遊ぼう。☆ おもちゃを使う場合は、安全で、子どもの感覚に良い刺激を与えるものを選ぼう。☆ 動作の伴う遊びをしよう。乳幼児は、自分で落としたおもちゃを拾ってもらうなど、同じことを何度もしてもらうのを喜ぶ。
2004年07月22日
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子どもは、常に愛情深い関心を払って世話をすれば元気に成長する苗木のようだ。水と日光は若木を養い、健全な成長と安定を促す。同様に、言葉や体で表現することによって豊かに愛情を注ぐ親は、子どもの精神および感情の成長と安定を促す。 聖書は簡潔に、『愛は人を築き上げる』と述べている。(1Co 8:1)子どもに惜しみなく愛を表わす親は、実のところ創造者である神に倣っていることになる。聖書によると、イエスはバプテスマを受けた際、子に対する是認と愛を表わす父親の声を聞いた。イエスはすでに大人であったが、大いに元気付けられたに違いない。―Luke 3:22. 愛情を示すこと、寝る前に本を読んで聞かせること、一緒にゲームで遊ぶことなどは、子どもの発育の肝要な要素である。J・フレーザー・マスタード博士はこう述べている。『子どもがすることは何でも、成長につながる経験となる。子どもがはいはいを始めたら、親がどのように励まして反応するかは重要である』。親の愛と関心により、子どもが成長して責任能力のある円熟した大人となるためのしっかりとした基礎が据えられる。
2004年07月21日
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子どもの人格形成にいちばん影響を及ぼすのはだれかということに関し、研究者たちの意見は一致していない。子どもは主に同じ年ごろの仲間によって形作られると考える人もいる。しかし、子どもの発育の専門家であるT・ベリー・ブレイズルトン博士とスタンリー・グリーンスパン博士は、幼い時から愛着をもって子どもを教え育てる親の役割は決して小さく見られるべきではないと考えている。 後の人生経験や仲間の影響は、幼い時の成長を補足してゆく働きをする。子どもが家庭内で思いやりや理解を示してもらうことは重要である。また、しっかりと自分の気持ちに対処する方法も教えられる必要がある。そうした面で助けを得る子どもは大抵、他の人と働くときにも協力的で、思いやりや感情移入を示すことができる。 幼い子どもを訓練してゆくには多くの努力が必要である。成功するには―とりわけ初めて親になった人は―経験のある人たちに導きを求め、その上で明確な方針にしたがってゆくのが賢明である。専門家たちは子どもの発育に関して非常に多くの本を書いている。そうした本に書かれている事柄は、聖書にある信頼できるアドバイスと相通じる場合が少なくない。
2004年07月20日
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「子どもが、自分は愛され、家族とのつながりが親密で、目的や探究心を持てると感じるなら、脳は発達する」。ハーバード大学医学部のピーター・ゴースキーはそう述べている。「親の役割は、脳の回路を完璧にすることではなく、健康で分別と気遣いのある人間を育てることだ」。 子どもが成長し、道徳的に廉直で、思い遣り深い人になるのを見るのは、親にとって大きな報いである。そのような結果をかち得るかどうかは、親が手本を示し、良い友となり、十分に意思を通わせ、教える面で率先するかどうかに大きく依存している。子供はみな生まれつき道徳的に振る舞う潜在能力を持っているが、親は子どもの成長に合わせて漸進的に道徳観を教えてゆかねばならない。
2004年07月19日
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子供の成長につれ、一種の剪定がなされる。必要がなさそうなシナプスの配線は切り捨てられるようである。そのことにより、子どもの能力に大きな影響が及ぶかもしれない。「子どもがしかるべき年齢で適切な刺激を受けなければ、神経回路が正しく発達しない」と、脳の研究者マックス・シナダーは述べている。J・フレーザー・マスタード博士によると、結果として低い知能指数、語学力や数学的能力の不足、成人してからの健康問題、また行動上の問題さえ生じる可能性がある。 確かに幼い時期の経験は、大人になってからの生活に影響を及ぼすようである。精神面で強靭か脆いか、抽象的に考えることができるかできないか、感情移入を示せる人になるかどうかといったことは、乳幼児期の経験に左右される場合がある。親の役割が特に重要なのはそのためである。「幼いころの経験の極めて肝要な部分は、細やかな親の役割だ」と、ある小児科医は述べている。 これは、いたって単純なことのように思えるかもしれない。よく世話して教え育てるなら、子どもは立派に成長する。しかし、親ならだれもが知っているように、どうすれば子どもを正しく世話できるかを理解するのは必ずしも単純ではない。親の役割を効果的に果たすことは、必ずしも本能的にできるわけではないのである。 ある研究によると、調査の対象となった親の25%は、自分たちが子どもをどう扱うかによって、子どもの知能や自信や学習意欲を高める場合も低める場合もあるということを知らなかったという結果が出たそうだ。 子どもの才能を伸ばす最善の方法は何だろうか。また望ましい環境を作るにはどうすればよいのだろうか。
2004年07月18日
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脳の活動を画像化する技術が進歩したため、科学者たちはかつてないほど詳細に脳の発達を研究できるようになった。そうした研究が示しているのは、情報を処理し、感情を正常に表現し、言語を習得するのに必要な脳の機能を発達させる上で、乳幼児期が非常に重要であるという点である。「脳内の連接は、幼い時期に驚くほど急速に形成される。遺伝的情報と環境的な刺激とが刻一刻と相互に作用し、脳の全体像が形作られてゆく」と、ネーション誌は伝えている。 シナプスと呼ばれるそうした接続の大半は、生後数年の間に出来上がると科学者たちは考えている。その時期に、「赤ちゃんの知能、自己意識、他者への信頼、学習意欲などにかかわる“配線”がなされる」と、子供の発育に関する専門家T・ベリー・ブレイズルトン博士は述べている。 赤ちゃんの脳は生後数年間に、大きさ、構造、機能の面で劇的に成長する。良い刺激や学習体験に富む環境の中で、シナプスの形成は増してゆき、脳内に神経経路の広大なネットワークが作られる。その経路によって、考え、学び、推論することが可能になる。 乳幼児の脳は刺激を受ければ受けるほど、多くの神経細胞が活性化し、細胞間の連結も増す、と考えられている。興味深いことに、ここで言う刺激とは、様々な情報や言語などに接することによって受ける知的な刺激だけではない。科学者たちは、感情的な刺激も必要であることを発見した。抱きかかえられたり触れられたり遊んでもらったりしないで、感情的にあまり刺激を受けない乳幼児は、他の子どもと比べてシナプスの形成が少ないことが研究によって示されている。
2004年07月17日
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子どもの時期に何を学ぶか学ばないかは、将来の能力に影響を及ぼす。では、子どもは、平衡の取れた立派な大人へと成長するために、親から何をしてもらう必要があるのだろうか。
2004年07月16日
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親が常に遊びを指図することによって新しいタイプの問題児が生み出されていると考える専門家もいる。生活が細かく管理されているためにストレスを抱え、感情的な波があり、よく眠れず、うずきや痛みを訴える子どもたちである。ある心理学者によると、そうした子どもは十代に達しても問題に対処する方法を会得しておらず、「燃えつきていて人付き合いが悪く反抗的」になっていることが少なくないと言う。そこで、多くの親はジレンマに直面している。子どもの才能を十分に伸ばしたいと考えるが、小さい子どもに多くを無理強いしたりせかしたりするのは賢明でないことも理解できるからである。適度に平衡を取る方法があるだろうか。幼い子どもは成長につながるどんな潜在能力を持っているだろうか。どうすればそれを引き出して伸ばせるか。子どもの成功を助けるために、親は何ができるだろうか。
2004年07月15日
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多くの親は先のような研究成果に促され、子どもを良い幼稚園に入れようと大いに骨を折るだけでなく、たくさんのお金をかけて音楽や美術のレッスンを受けさせる。子どもがあれこれ練習すれば、大きくなって万能になると信じる親もいる。専門的な個別指導プログラムや就学前教育機関が増えている。自分の子どもが他の子どもより優位に立てるように、できることは何でもしたいと言う親もいる。 そのように熱を入れることは、ただ益だけをもたらすのだろうか。子どもに限りない機会を与える育て方のように思えるかもしれないが、そうした子どもが、型にはまらない遊びを通して学ぶという大切な経験をし損なっていることも少なくない。のびのびと思いつくままに遊ぶことにより、独創性が刺激され,子どもは他の人との接し方の面で、また精神面や感情面において成長すると教育者は言う。
2004年07月14日
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近年、児童心理学者たちの間で重要な論議の的となっているのは、子どもの発育において“生まれ”と“育ち”が果たす役割であるそうだ。生得的なものいわゆる“生まれ”は遺伝的に子どもが親から遺伝的に受け継いだもので、習得的なものいわゆる“育ち”とは子供が受ける養育や訓練を指す。 ほとんどの研究者は、これら二つの要素が組み合わさって子どもの発育に影響を与えると考えているとのことである。 子どもの発育の専門家であるJ・フレーザー・マスタード博士は、こう説明している。「臨床的に現在分かっていることだが、子どもが人生の早い時期に経験する事柄は、その子の脳の発達に影響する」。スーザン・グリーンフィールド教授も同様の点をこう述べている。「例えば、バイオリン奏者は他の人と比べて、脳の中でも左手の指の動きをつかさどる領域が発達することが分かっている」。
2004年07月13日
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親は子どもが成長して立派な大人になることを心から願う。そうなるようにどんなことができるだろう。子どもの才能を伸ばす最善の方法はなんだろう。
2004年07月12日
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「優しい同情心、親切、へりくだった思い、温和、そして辛抱強さ」これら、敬虔な特質は、波風の絶えない時期にも結婚のきずなを守るものとなる。 そうした特質の一つについて使徒パウロは、「だれかに対して不満の理由がある場合でも、引き続き互いに忍び、互いに惜しみなく許し合いなさい」と書いている。(Col 3:13)ミシガン大学の心理学者クリストファー・ピーターソンも、「許す態度は幸福と最も強く結び付いた特質である」と述べている。 親切、優しさ、許す態度は、「結合の完全なきずな」である愛につながる。結婚されている方には互いに愛し合う幸福な時期があったに違いないだろう。かつて抱いていた愛を取り戻せないだろうか。状況がどれほど難しくても、勇気を出していただきたい。希望はある。配偶者に堅く寄り添い、聖書の原則を当てはめるなら、想像を超える大きな幸せが得られる。もちろんこれには大きな努力を払うことが必要であることは言うまでもない。
2004年07月11日
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離婚を考えている人は、自分が結婚に対して非現実的な期待を懐いていないか自問してみる必要があるかもしれない。 マスメディアは、豪華な結婚式でクライマックスを迎えハッピーエンドになるロマンチックな関係という幻想を、人々に抱かせている。結婚式の後、過大な期待が裏切られると、そのために生じる失望が争いの炎を燃え上がらせることがあるかもしれない。緊張が高まり、傷ついた気持ちでいっぱいになる。愛は色あせ、やがて怒りと憎しみに変わる。そのような状況になると、もう離婚しかないと思う方もいらっしゃるかもしれない。 消極的な気持ちに考えを曇らされるままにしておくことはどのような影響を及ぼすだろうか。それは火を見るより明らかなことだろう。 結婚の誓いを堅く守っている人たちと話し合うことは有効な方法である。なぜなら、『互いに慰め、互いに築き上げることを続けてゆく』ことの実践という点で実際的で必要な励ましを得ることができるからだ。
2004年07月10日
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今日、ささいな理由による離婚があまりにも多いことは何を示しているのか。 「離婚の利点が過大評価されている」と、不幸な結婚を研究するチームの主任を務めたシカゴ大学の社会学者リンダ・ウェイト教授は述べている。オックスフォード大学のマイケル・アーガイル教授も、11年にわたって多数の人の反応を分析した後、「社会で最も幸福でないのは、離婚あるいは別居状態の人」であると結論している。幸福になれないのはなぜなのか。 離婚すれば、幾つかの問題は解消するかもしれないが、自分ではどうにもならないような、胸の痛む出来事も次々に生じる。研究によると、離婚によってうつ病の症状が軽減したり、自尊心が高まったりすることはまずない。 “申し分のない結婚生活”を送っているわけではないとしても、配偶者に対し、忠実であることは益をもたらす。そうしようと決意して幸福を見いだす人は少なくない。「多くの問題は時たつうちに解決し、夫婦は大抵いっそう幸福になる」と、ウェイト教授は述べている。実際、ある研究によると、結婚生活に「大きな不満」を持ちながらも離婚しなかった人たちの8割近くが、5年後には「幸福な結婚生活を送っていた」とのことである。このことからも、重大な問題を抱えていても性急に離婚しないのは得策といえるのではないだろうか。
2004年07月09日
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婚姻関係を法的に解消すること。したがって、結婚による夫婦のきずなを断つこと。原語では「離婚」を意味する言葉にも様々なものがあり、字義通りには、「去らせる」(De 22:19)、「解放する」もしくは「解き放す」(Mt 1:19)、「追い出す; 投げ出す」(Le 22:13)、「断つ」などを意味する。―De 24:1、3.その聖句にある「離婚証書」という表現は、字義通りには、「断つことの書」を意味する。
2004年07月08日
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英国でのこと、人生の節目となる神聖な儀式が始まろうとしている。司祭は列席者に歓迎の言葉を述べている。司祭の前には一組の男女が立っており、友人や子どもなど親しい人たちが見守っている。 これは結婚式か?いや、この式は二人の結婚関係の終わりを確認するためのものである。離婚があまりにも多くなったので、一部の教会は離婚式を執り行なうようになっているという。 離婚により結婚関係に終止符を打つと、本当にもっと幸せな人生を送れるのだろうか。
2004年07月07日
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人間味のある普通の親切と、愛ある親切には、種々の違いがある。例えば、人間味のある親切を示す人は多くの場合、相手と個人的に深いかかわりがなくても親切を示すもの。しかし、だれかに愛ある親切を示す場合、人は愛を込めてその相手に密着する。 人間どうしの愛ある親切の表明は、すでに存在していた関係に根ざすものである場合がある。以前の親切な行為から生じた関係の上に築かれたものもある。
2004年07月06日
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客や見知らぬ人を心から寛大に迎え入れ、歓待すること。「もてなし」という語は、ギリシャ語のフィロクセニアの訳語で、字義通りには「見知らぬ人に対する愛(親愛の情あるいは親切)」を意味する。偽善的なもてなしを避ける Proverbs 23:6‐8.には、偽善的な見せかけのもてなしを受けることに関する警告が次のように述べられている。「目が寛大でない[字義、「目に関して悪い」]者の食物で自分を養ってはならない。また、そのごちそうを欲しがってはならない。彼は自分の魂の中で計算した者のようだからである。『食べなさい、飲みなさい』と、彼はあなたに言う。しかし、その心はあなたと共にはないのである。あなたは自分の食べたわずかばかりの食物を吐き出すであろう。あなたは自分の快い言葉を浪費したことになる」。そのような人は、何かを気前よく与える種類の人ではなく、与えるものに対する何らかの見返りを期待しているので、相手に対して何かを当てにしており、優しい態度で招待するが、何か隠された動機を持っているのである。その人と食物を共にするなら、また特にその人の出すおいしい料理をもう一度楽しみたいと思うほど渇望するなら、自分をある程度その人の勢力下に置くことになる。その人の何らかの要望を拒むのが難しい場合もあるということに気づくかもしれず、事によると問題に巻き込まれるかもしれない。それで、その人と一緒にいつか食事をしたことで気分が悪くなることだろう。また、霊性や築き上げる交友を鼓舞することを願って述べた快い言葉は、確かに浪費されたことになる。
2004年07月05日
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物質の所有物や生活の必需品が乏しいこと。質の点で劣っていることを指す場合もある。また、霊的な欠乏のゆえに哀れな状態にあること。 貧しさは古くからある問題である。幾世紀もの期間を通じ、困窮している人々の数は一般に、持てる人々の数をしのいできた。イエスは、ある寛大な行為を受け入れた際、不完全な状態で生きている人間の間では貧困はなくならないという厳然たる事実を認めて、弟子たちにこう言われた。「あなた方にとって、貧しい人たちは常におり、あなた方はいつでも望む時に彼らに善を行なえますが、わたしは常に共にいるわけではないからです」。(Mr 14:7)聖書はこの問題に対する平衡の取れた見方を提出しており、耐え難い状態に苦しんでいる人々に同情を言い表わす一方で、怠惰のゆえに事実上『自分の身の肉を食べる』人々を戒めることもしている。(Ec 4:1、5; Pr 6:6‐11)そして、物質的な繁栄よりも霊的な繁栄を強調している。(1Ti 6:17‐19)それで、使徒パウロは次のように書いた。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく、また何かを運び出すこともできないからです。ですから、命を支える物と身を覆う物とがあれば、わたしたちはそれで満足するのです」。(1Ti 6:7、8)しかし聖書は、物質的に貧しいこと自体を徳としては描いておらず、極度に貧しくなると盗みを働く誘惑に陥る恐れのあることを警告している。―Pr 6:30、31; 30:8、9.
2004年07月04日
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滅ぼす、破滅させる、または滅ぼし尽くす行為。滅びとは普通、物体または生き物の物理的な終わりを指すが(2Ki 21:3; Jer 18:7; Da 2:12、14、18)、霊的な破滅を指すこともある。―1Co 3:17.
2004年07月03日
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「誉れ」を意味する主要なヘブライ語はカーヴォードで、これは字義的には「重いこと」という意味。であるから、敬われている人は、重きをなす人、ひとかどの人物とみなされる。ギリシャ語ではティメーという名詞が、「誉れ」、「尊重」、「価値」、「貴さ」といった意味を持っている。その動詞のティマオーには「値を定める」という意味もあり(Mt 27:9)、名詞のティメーは「代価」や「代金」という意味を持つ場合があり(Mt 27:6; Ac 4:34)、形容詞のティミオスには「重んじられる」、「惜しい、もしくは貴重な」、「宝の、もしくは貴い」などの意味がある。―Ac 5:34; 20:24; 1Co 3:12.
2004年07月02日
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巧みな称賛の言葉で人に取り入ること。追従。偽って、口先だけで、あるいは度を超えてほめそやすこと。普通、へつらいの対象となる人の自己愛や虚栄心を満足させようとして行なわれるので、その人に害をもたらす。へつらいの動機は、他の人から恵みや物質上の利益を得ること、へつらっている人に対する負い目を感じさせること、あるいはその人に栄光をもたらすことにある。他の人をわなにかけるためのものであることもよくある。(Pr 29:5)へつらうことは、上からの知恵の証拠ではない。それはこの世のもので、利己主義、不公平な差別、偽善などを特徴としている。(Jas 3:17)不誠実さ、偽りを語ること、人に追従したり、人を称揚したりすること、他の人々の虚栄心に付け込むことなどはすべて、神にとって不快なことである。―2Co 1:12; Ga 1:10; Eph 4:25; Col 3:9; Re 21:8. へつらうことは有利なやり方のように思えるかもしれないが、聖書は、「人を戒める者は後になって、舌でへつらっている者よりも多くの恵みを得る」と指摘している。(Pr 28:23)他の人をしのぐためにへつらいの手段を利用するのは、愛に反することである。憎む者はへつらいの手段に訴えるかもしれないが、やがてその欺きは石のように当人の上に転がって戻って来ることになる。―Pr 26:24‐28.へつらいには、その犠牲となる人をだますために滑らかな話し方が用いられる。「へつらい」、「滑らかな舌(唇、あるいは言葉)」(Ps 5:9; 12:2,3; Da 11:32)、「滑らかさ」(Pr 7:21; Da 11:34)、「両義のある」(Eze 12:24)などの表現は、ヘブライ語の語根語であるハーラクやそれに関連のある語を翻訳したものである。ここに挙げた聖書中の例ではいずれの場合も、滑らかに話す人の動機は悪いものである。へつらいと人からの称賛を受け入れて悲惨な結果を招いた例として、ヘロデ・アグリッパ1世がいる。群衆はへつらって、ヘロデが「神の声」で話していると称賛した。ヘロデはこのへつらいを受け入れ、神に栄光を帰さなかったので、神のみ使いに撃たれて死んだ。(Ac 12:21‐23)一方、バルナバとパウロは群衆が自分たちのことを神格化するのを急いでやめさせた。(Ac 14:11‐15)また、あるユダヤ人の支配者がイエス・キリストに「善い師」というへつらいの称号を用いようとした時、イエスは即座にその人を正し、「なぜわたしのことを善いと呼ぶのですか。ただひとりの方、神のほかには、だれも善い者はいません」と言われた。―Lu 18:18、19.Job 32:21、22.
2004年07月01日
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