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男の子は女の子のどんな点をいいと思うのだろうか。ある調査では、やはり、ルックスがトップに挙げられ、興味や価値観が合うことは6番目だった。 当然ながら、多くの若者は、異性からどう見られているかをあれこれ考え、もしかすると心配することさえあるかもしれない。これはその若者がいつでもすぐに結婚できる年ごろになっている、ということではない。単に魅力がない人、好ましくない人とは思われたくないだけなのである。“理想の”体を望むのは愚かなこと? 臨床心理学者のウィリアム・S・ポラックは、多くの若者が芸能界の影響を受け、「ダイエット、ウエイト・トレーニング、エアロビクスに膨大な時間を費やしている。すべては体格や体型を良くするためである」と述べている。“理想の”体になろうとして、ほとんど何も食べないといった危険な極端に走る若者さえいる。とはいえ、社会問題研究所はこう述べている。「現代のマスメディアが提供する女性の理想像に達することができる人は、体重と身長の観点だけから見ても、全女性の5%もいない。体型や容貌なども理想的といえるのは、おそらく1%程度であろう」。 これは何を意味するのか考えてみよう。もちろん自分の外見を気にかけてはならないという意味ではない。適度な運動とバランスの取れた食事によって体に気を配るのは、全く理にかなったことである。ふさわしい休息と睡眠も、外見や気分を最良の状態にする助けになり、加えて、自分の衛生面や身なりにも気を配ることが大切である。内面の特質 好ましい容姿は注意を引くかもしれないが、長い目で見れば結局、『美しさは泡のよう』である。見た目のよさは概して一時的なもので、決して魅力的な性格の代わりにはならない。それで、自分のウエストラインや力こぶばかりに注意を向けるのではなく、『物静かで温和な霊という朽ちない装いをした、心の中の秘められた人』を飾りとするように努める。確かに今の世の中で、多くの若者は、立派な人格特性、ましてや霊的な特質には、ほとんど関心がないかもしれない。それでも、敬虔な価値観を持つ人たちは、確かにそれを大切なものとみなし、魅力的と見るだろう。
2003年01月31日
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1979年、コロンビアの首都ボゴタのある病院でのこと。未熟児の生存率が低く憂慮すべき状態にあった。一医師はある新しい解決策を考え出した。それが“カンガルー・マザー・ケア”というものである。 未熟児を生き続けさせることは、医師たちにとって一つの課題である。低出体重児はたいてい保育器の温かい環境の中で体重が増えるまでそこにいる。だが、発展途上国では、慢性的な施設床不足、衛生状態の悪さ、医療関係者・医療機器の不足などが、結果として危険な交差感染を招くことが少なくない。 コロンビアのある医師は、この問題を多少解決できそうな一つの方法を考え出した。それは、生まれた未熟児の状態が安定するまで標準的な方法で世話をする。その間、母親は未熟児のケアの仕方を指導される。赤ちゃんが十分健康になると、今度は母親が生きた保育器になるというもの。 赤ちゃんを両の乳房の間に抱き、着ている服で包み込むようにする。赤ちゃんは、カンガルーのおなかの袋に安全に収まったかのように、ぬくぬくとした状態で母親の乳を飲むことができる。 手の込んだ装置など一切要らない。母親は、適当なブラウスか、ベルトのある普通の服を着る。赤ちゃんの体重が十分に増えたら、親子ともに家に帰ることができ、病院へは検査のため定期的に通うだけとなる。 予備調査の示すところによれば、カンガルーケアは効果的であり安全。それに、赤ちゃんと母親との絆も一層強くなる。多くの国でこの方法が取り入れられているそうである。メキシコでは、母親が休息を必要とするときのために、親族の人たちが“カンガルー・ファーザー、グランドマザー、さらにはシスター”になれるよう訓練を受けている。メキシコでカンガルーケア計画を管理しているグワダルペ・サントス博士は、「わたしたちは1992年以来この方法を用いて、どれほど効果的であるかを見てきました。保育器は少なくてすみ、病院にいる時間もずっと短くてすみます」と、ある雑誌に語った。 先日、メキシコで大きな地震があったようだがこの方法が少しは役に立っているのだろうか。以前のW杯前のメキシコ大地震ほどの被害は聞き得ていないのだが…。文明の利器というものは大自然の前では全く役に立たないことが多々ある。しかし、人間にはそれを補うだけのものが与えられていることを謙虚に受け入れる必要があるということに気付かなければならない時期にきている。
2003年01月25日
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「早急に対策を講じないかぎり、2032年までに世界人口の半分以上が水不足の影響を受け、健康面で深刻な結果が生じる」と、BMJ誌(旧ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル誌)は述べている。国連の報告によると、清潔な水を利用できる人の数は、「1990年の41億人から2000年の49億人に増加したが、発展途上国に住む11億人はいまだに安全な飲み水を得ることができない。現時点で、合計24億人が満足な衛生設備を使用することができずにいる」。その結果、「毎年、40億件の下痢が生じ、220万人が死亡している」。それだけでなく、腸内寄生虫、住血吸虫症、トラコーマなどに苦しむ人も大勢いる。 人類はあらゆる問題を自らの手で生み出している。(その背後にはある者による強力で邪悪な力が働いているのだが)結局、人間は既に完成されている秩序だった法則を発見しそれを応用しているに過ぎない。それらを発見し何らかの形で人類の繁栄に寄与しているとしてもそれは、人間に対し誉れを配するものではないと思う。純粋な気持ちから研究し様々な分野に貢献している人に対し頭が下がる気持ちはある。ただそのすべてが良い動機のもとに利用されているかといえばそれは別次元の問題。 統計上に表わされる数字は確かに驚くものだが実際その苦しみにある人々の惨状は想像すらできないのが本当のところだろう。特に見た目だけの豊かさに浸っている人たちにとっては。 既に世界全体の社会は立ち行かなくなっている。しかし絶望することはない。心が純粋で道理に適った見方のできる人たちはその真理を探し、求め、見つけ出すことができ希望を持てるからである。
2003年01月23日
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皮膚は人体最大の器官であり、最前線にある防御壁として、病気を媒介する生物、脱水、体温低下から体を守っている。それで、やけどを負った人や、皮膚に潰瘍のある糖尿病患者などは大きなリスクにさらされる。代替の表皮として死体の皮膚を使うことがよくあるが、供給不足だ。さらに皮膚移植によって病気に感染したり、拒絶反応が生じたりする欠点もある。メキシコ市のザ・ニューズ紙によると、治癒が困難な傷を負う患者に豚の小腸を使ったバイオマテリアルを移植する試みが成功している。興味深いことに、使用されている豚の小腸の粘膜下組織は、人間の皮膚とよく似ており、量も豊富だ。この代替皮膚の実験を行なっている形成外科医ホルヘ・オリバレスはこう述べている。「わたしが治療した患者には瘢痕がほとんど残らないし、傷はたいてい数週間で治る。何よりも、患者の痛みと炎症からすぐに解放されるのが最大の利点だ」。 クローン人間がどうとか、世間を騒がせているようだけど人類の歩んできた歴史的な観点でこれらのことを考え、また倫理的にみてもまず、新たな問題が生み出されることは間違いないだろう。(医療・バイオテクノロジー・商業界など様々な分野で)末恐ろしいかぎりである。豚の代替皮膚移植は可愛く見える。豚に変身するはずはないだろうから(笑)
2003年01月22日
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「カトリック百科事典」によると、ルペルカリア祭は西暦5世紀末に、教皇ゲラシウス1世により廃止された。(ゲラシウスは単に、ルペルカリア祭を“浄めの祭り”に置き換えただけだと言う人もいる)それでも、わたしたちは今日、その現代版が「聖バレンタイン・デー」という名のもとに盛大に行なわれているのを知っている。この“キリスト教化された”名称の由来に関してはさまざまな説がある。ある話によると、3世紀のローマ皇帝クラウディウス2世は若い男たちが結婚するのを禁じていたが、バレンタインという司祭が若いカップルの結婚式をひそかに執り行なった。彼は西暦269年ごろ、2月14日に処刑されたと言う人もいる。それはともかく、“聖人の”名称でこの祝いの芳しくない起源を隠すことはできない。(2回に分けて書いた昔のばか騒ぎのことね) さて結論!「1年を通じて純粋な愛を表現するほうが、ずっと深い満足感が味わえるということ」なぜなら、感傷的な祝日の一時の気まぐれより毎日、愛や感謝を行動や言葉で表わすことのほうが互いにとっての絆を深めるからね。たとえ遠くに離れていたとしても心がつながっているほうがはるかに勝る。 たしかに、特別な日をもうけることが悪いわけじゃないんだけど、相手への愛の動機が一番重要だからね。そこを勘違いしてるとただのイベントに終わってしまうよ。極端に言うなら結婚披露宴をしてその後の家庭生活のことを考えず問題に直面するとすぐに別れるという、結婚という形を取った1度限りのお祭り。いや、何回でもする御方もいらっしゃるか。まぁ、バレンタインを単なるイベントとしてみてる女性も少なくはないだろうけどね。わたしみたいな者が貰うと困るんだよな。所詮、義理なんだから。とは言っても本気で渡されるのも困るんだけどね。だって、相手にとって必要なものを与え合うことが『たいせつ』だと思っているから。
2003年01月21日
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ローマでは、多くの人がファウヌスという名の同様の神を崇拝していた。この神も半分が人間、半分がやぎとして描かれている。ファウヌスの崇拝は、毎年2月15日に祝われた乱痴気騒ぎの祭り、ルペルカリア祭で盛大に行なわれた。この祭りの間、裸同然の男たちが、やぎ皮のむちを振り回しながら丘を駆け回った。子どもをもうけたいと思う女たちは、その男たちが走りぬける道の近くに立った。女性をむちで打つと必ず多くの子供を産むと、ローマ人は信じていたのである。 次回はこの昔のばか騒ぎにつけられた新しい名前「聖バレンタイン・デー」について書き、結論しようと思う。
2003年01月20日
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この日は世界中の、恋心を抱く、期待に胸を膨らませた人たちが、何らかの形で「愛しています」と言ってもらうのを待つ日です。しかし、多くの人はこの祝日の始まりについては何も知りません。 今日バレンタイン・デーと呼ばれているものの起源は、パンという神の崇拝が盛んだった古代ギリシャにまでさかのぼる。神話に出てくるこの半人半ヤギの豊饒の神は凶暴で、何をしでかすか分からない性格を持ち、人々からたいへん恐れられていた。英語の“panic”という語の字義通りの意味が“パンの”であることもうなずける。パンは笛を吹きながら家畜の群れの番をすることになっていた。しかし、その心はすぐにほかのことにそれた。パンはニンフや女神たちと度々、色恋ざたを起こした。ある彫刻は、パンが愛の女神アフロディテに言い寄っているところを表現している。二人の上を、愛の神エロスが翼を羽ばたかせながら舞っている。その様子は、今日のバレンタイン・カードにあるキューピッドによく似ている。日本のバレンタイン・デーは西洋のそれとは違う。女性から男性にプレゼントを贈るというのがお決まりになっている。互いに愛を確かめ合うために相手のことを純粋に思ってプレゼントを交換するそれとは大きく異なっている。まったく商魂たくましいと言うべきなのか、あげくの果てに訳の分からんホワイト・デーなるものまでつくってしまった。完全にあおられているな。結論はバレンタイン・デーの経緯について2つほど調べてから書いてみようと思う。
2003年01月19日
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「ほんのしばらく前と比べると、わたしたちは今日、豊かな世界に住んでいる。……理論上は……すべての人に十二分の食糧がある」。世界保健機関の調査報告はこう述べている。もしそうなら、栄養不良を引き起こしている真の問題は何だろうか。 「問題は、食糧が均等に生産も分配もされていないことにある」と、WHOは述べている。「土地の肥沃な発展途上国において、貧しい人たちが、あふれんばかりの収穫物や穀物が現金のために輸出されてゆくのを、ただむなし手で、またお腹をすかせてながめていることが余りにも多い。少数の人に短期的利益が及び、大勢の人に長期的損失となっている」。国連食糧農業機関(FAO)が行なった最近の調査によると、地上の『5分の1の最も富んだ人々が肉や魚の45%を食べ、5分の1の最も貧しい人々はわずか5%しか得ていない』のが現状である。 一方、「満足な教育を受けられず、正しい情報を入手できないことも、栄養不良の原因となる」と国連児童基金は述べ、さらにこう付け加えている。「情報戦略や利用しやすい質の高い教育プログラムがないと、人々の関心を高め、能力や行動を改善して栄養不良と闘うことができない」。同時に、食物が不足すると、やはり健康を損ない、良い教育を受ける能力が低下する。またしても悪循環が生じる。 挫折を感じさせるそうした障害にもかかわらず、この分野の専門家の中には、楽観的な見方をしている人もいる。例えば、FAOの事務局長ジャック・ディウフは次の希望を言い表わした。「わたしは、あらゆる男女子どもが来る日も来る日も十分な栄養と安全な食物を得られる世界を夢見ている。そこでは、ひどい貧富の差は縮まっている。差別ではなく寛大さが、内乱ではなく平和が、環境悪化ではなく持続可能な開発が、人を衰弱させる絶望感ではなく繁栄がある」。 しかしすでに考えたように、そうした希望を実現するには、食糧の生産や分配を増やす以上のことが求められる。他の人に対する公正で利他的な関心が広く行き渡らなければならない。しかし、そうした高潔な特性は、現代の商業主義の特色ではない。 地上から貪欲、貧困、争い、利己主義などの巨大な障壁を排除し、栄養不良を一掃することができるだろうか。それとも、これはとうてい果たし得ない夢なのだろうか。「飢えや栄養不良の排除は、論理的には実現可能である。資源はある。問題は……全国的に、また国際的に一致した行動を取ることだ」。―世界保健機関
2003年01月18日
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栄養不良を予防するために、個人としてはどんなことができるだろうか。■母親の食事を改善することが極めて重要である。妊娠中や授乳中の女性は、普通より多くのカロリーやたんぱく質を摂取する必要がある。とりわけたんぱく質は、母乳を作るのに使われる。そこで、食物が乏しい場合には、出産年齢の女性や、幼児を優先させる。■ほとんどの場合、乳児にとって母乳に勝るものはない。母乳には、子どもを感染症から守る免疫抗体が含まれているので、生まれて数日は特にそう言える。生後4か月ぐらいまでは、乳児の正常な発育や発達に必要な栄養すべてが母乳から得られる。■生後4ヶ月から6ヶ月まで、乳児の食物は以前母乳が中心だが、じきにほかの物も食べられるようになる。つぶした果物や野菜などを少しずつ与える。新しい食べ物は、一度にひと品ずつ与える。二、三日して、その食べ物に慣れたなら、別の物を与える。もちろん、赤ちゃんが新しい食物をよく食べるようになるまでに、辛抱強さ、また何度も試してみる必要がある。離乳食を作る際、忘れてはならないのはすべてが清潔でなければならないこと。それには食物や器具をよく洗うことである。■生後5か月から9か月になると、乳児は普通、母乳やミルクに含まれる以上のカロリーやたんぱく質を必要とする。ほかの新しい食物を次々に、また根気強く与えるようにする。最初は、穀類や野菜の離乳食を、それから肉類や乳製品を与えてゆけるだろう。離乳食は、最初は裏ごしするが、6か月ごろからは細かく刻んで与えることができる。塩や砂糖を加えることは、必要でなく、勧められてもいない。■8か月を過ぎると、母乳は主ではなく、むしろ補助食になる。赤ちゃんは、家族が食べている物を食べるようになる。食物は可能な限り清潔にし、食べやすいようにできるだけ細かく刻む。理想的な食生活には、果物、野菜、穀類、豆類、肉類、乳製品などが含まれる。子どもは、特にビタミンAを多く含んだ食品が必要である。その幾つかを挙げると、母乳、濃緑食葉野菜、みかんやにんじんやパパイヤなどオレンジ色あるいは黄色の野菜や果物がある。3歳未満の子どもは、1日に5回ないし6回食事をする必要がある。■できるだけ多くの種類の食品を組み合わせて食べさせることによって、子どもを守る様々な栄養素が得られる。母親は、子どもに栄養価のある食物を与えることを心がけ、満腹なのに無理に食べさせるとか、欲しがるのに与えないといったことはしない。以上の提案と共に、小児専門の栄養士ジョージナ・トゥサンは、子どもを生後7日目、1か月目、そしてその後は毎月、小児科医か診療所に連れて行き、診てもらうようにと勧めている。子どもが脱水症やひどい下痢、高熱などの症状を示した場合も、医療専門家の助けを求めるべきである。 これらの提案は、子どもの食生活を改善するのに役立つとはいえ、栄養不良は、人間の努力だけでは解決できない大きな問題であることも認めなければならない。「すべての人に対する十分な食糧供給と栄養教育という、極めて重大な問題が残っている」と、ブリタニカ百科事典(英語)も述べている。
2003年01月17日
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栄養不良の直接の原因は食べ物の不足である。しかし、社会的、経済的、文化的、また環境的に見て、もっと根深い原因がある。そのうちの主要なものは貧困で、とりわけ発展途上の国々で無数の人々に影響を及ぼしている。しかし、貧困は、原因であると共に結果でもある。栄養不足にかかると、人の生産性は低下し、貧困が悪化するからである。 要因はほかにもある。知識の不足も、不健康な食習慣の原因となる。これまで考えてきたように、種々の感染症も関係している。不平等な食糧分配や女性に対する差別など、社会的また文化的な原因もある。多くの場合、女性は“最後に最も少なく”食べる、つまり男性が食べた後に男性より少ない量を食べる。また、女性は良い育児のための教育を受ける機会も奪われている。 さらに、環境的要因が食糧生産を低下させている。その中には、自然災害や戦争もある。「2001年世界の食糧不安定事情」によると、1999年10月から2001年6月だけで、22か国が干ばつ、17か国がハリケーンや洪水、14か国で内戦や抗争、3か国が異常な厳冬、2か国が地震の被害に遭っている。治療と予防 栄養不良の子どもにどんな治療を施せるだろうか。もし重度の栄養不足であるなら、まずは入院させるのが最善だろう。世界保健機関が医師向けに出版したマニュアルによると、医師は、子どもの状態を調べ、感染症や脱水症の治療を行なう。栄養補給は徐々に行ない、多くの場合、チューブを利用して栄養補給することから始める。この最初の段階は1週間かかるだろう。 次にリハビリ段階に入る。子どもには再びミルクを与え、できるだけたくさん飲むように励ます。この段階では、感情的、また身体的な刺激も重要である。世話をし、愛情をそそぐなら、子どもの発育に驚くほど良い影響が及ぶ。この時期に、子どもが再び栄養不足にならないよう、適切な食事や衛生管理など、子どもを退院させることができるが、引き続き病院や診療所で診察してもらうことは大切である。 しかし、予防に勝るものはない。そこで、多くの国では、政府や各種民間団体が、一般向けに栄養補給プログラムや食品強化プログラムを設け、飲料水を確保し、簡易トイレを設置し、周辺地域を清潔にし、予防接種キャンペーンを支援し、子供の成長と発達を見守るなど、多くの方法で栄養不良の予防に貢献している。
2003年01月16日
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保健専門家はどのように子どもの栄養状態を評価するのだろうか。種々の兆候や症状を分析し、食生活に関する質問をし、検査をするよう指示するだろう。しかし、大抵は、しごく簡単な体位測定に頼る。子どもの身体測定をし、その数値と標準値を比較するのである。それは、栄養不良の型や程度を見極めるのに役立つ。 最も重要なのは、体重、身長、腕周りの測定である。体重を年齢標準値と比較することによって、栄養不足の程度が分かる。もし重度の栄養不足なら衰弱して、非常にやせて見える。子どもの体重が標準値より40%以上少ないなら重度、25%から40%は中等度、10%から25%は軽度とみなされる。身長年齢標準値と比べて非常に低い場合は、慢性の栄養不足を示し、子どもの発育は阻害されている。 たんぱくエネルギー栄養障害(PEM)の最も深刻な形態は、マラスムスとクワシオルコル、そしてその複合型である。マラスムス(消耗症)は、生後6か月から18か月の乳児に発症する。カロリーや栄養素が慢性的に不足するためにゆっくり引き起こされ、授乳が不十分だったり、母乳の代わりに非常に薄いミルクが与えられたりすると病状が進む。体重は大幅に減少し、皮膚が骨につくほど筋肉はやせ細り、成長は遅れる。また、乳児は、「老人顔」になり、機嫌が悪く、よく泣く。 クワシオルコルというのは、あるアフリカの方言から取られた語で、「退けられた子」を意味する。後から生まれた弟か妹に母親の乳房を奪われることを述べている。この症状は離乳後に現われ、カロリー不足も伴なうが、たんぱく質が甚だしく欠乏するために進行する。浮腫を招き、子どもの手足や腹部が膨れ上がる。顔もむくんで満月のようになることがある。発疹ができ、髪の毛が退色したり変質したりする。この病状の子どもは、肝臓が腫れ、無気力で悲しげである。前に触れたエリクの場合がそうであった。母親は、エリクに生後1か月までしか母乳を与えず、その後は、かなり薄めた牛乳しか与えなかった。エリクは生後3か月で野菜スープと砂糖水を与えられ、近所の人に預けられた。 PEMの第3の型は、マラスムスとクワシオルコルの両方の特徴を含む。これらの症状はすべて、早く治療をしないと命にかかわる。
2003年01月15日
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「私は飢えていました。皆さんはわたしの飢えについて調査する委員会を作りました。わたしは住む家がありませんでした。皆さんは、わたしの窮状について報告書をまとめました。わたしは病気でした。皆さんは、恵まれない人々に関するセミナーを開きました。皆さんは、窮状のあらゆる面を調査してくれましたが、わたしは依然として飢え、家がなく、病気です」。―筆者不明。世界のいろいろな組織や機関が栄養不良をなくそうと多くの努力をしてきたが、期待したほどの成果は上がっていない。例えば、1996年、国連食糧農業機関(FAO)の世界食料サミットは、世界の栄養不足人口を、2015年までに半減させて約4億人にする目標を掲げた。 賞賛すべきことに、幾らかの前進は見られた。しかし残念ながら、FAOの最近の報告書「2001年世界の食料不安定事情」は、「明らかに、世界の栄養不足人口の減少スペースは緩慢になってきた」と述べている。それで、サミットが掲げた目標は今なお達成し難く見える。事実、「栄養不足人口は、過半の発展途上国においてかなり増加している」と、同報告は述べている。 この敵に打ち勝つのは、なぜこれほど難しいのだろうか。その答えを得るために、まず栄養不良とは何かを明確にし、次にその広範に及ぶ影響と根深い原因を調べてみる。 栄養不良は、体の細胞が取り入れる栄養素の欠乏によって生じ、普通、次の二つの要素が組み合わさって引き起こされる。(1)たんぱく質、カロリー、ビタミン、ミネラルの不足、(2)頻繁な感染症。 下痢、はしか、マラリア、呼吸器疾患などの病気は、体に重い負担をかけ、栄養不足の原因となる。こうした病気によって、食欲が低下し、食物の摂取量が減るので栄養不良が助長される。逆に、栄養不足の子どもは感染症にかかりやすくなる。こうして悪循環になり、たんぱくエネルギー栄養障害(PEM)による死亡率が高くなる。 子どもが栄養不良になる危険が高いのはなぜだろうか。子どもは体が急速に成長する時期にあるため、カロリーやたんぱく質の需要が高いのである。同じような理由で、妊娠中や授乳中の女性も栄養不足になりやすいと言える。 子どもの場合、問題はしばしば誕生前から始まる。母親が妊娠前や妊娠中に栄養不足あるいは栄養不良だと、低出生体重児が生まれる。ついで、早く乳離れさせたり、粗末な食事の習慣だったり、衛生状態が悪かったりすると、栄養不良になることがある。 必要な栄養素が不足すると、子どもは心身共に正常に発達することができない。子供はいつも泣き、病気がちになる。状態が悪化するにつれて、さらに体重の減少が目立ち、目や泉門(頭のてっぺんの柔らかな部分)がくぼみ、皮膚や組織が弾力を失い、体温調節ができなくなる。 栄養不足は別の形を取ることがある。それらも子どもの発育を遅らせる。例えば、主に鉄分、ヨウ素、亜鉛などのミネラルやビタミン―特にビタミンA―の不足がそうした影響を与える。ビタミンAの不足は世界の約1億人の幼児を苦しめており、失明の原因ともなっている、と国連児童基金は述べている。また免疫機構を弱め、感染症に対する子どもの抵抗力を低下させる。 栄養不良は人体、特に子どもの体を破壊する。心臓、腎臓、胃、腸、肺、脳などを含む、あらゆる臓器や組織が影響を受ける場合がある。 子どもの成長の遅れが、精神発達障害、学力や知的能力の低さと関係することが様々な研究で明らかになった。国連の一報告はこうした影響を、栄養不良の最も深刻で長期に及ぶ結果と呼んでいる。 子どもは、栄養不良をなんとか生き延びても、大人になってからその影響を受けることがある。そのために、ユニセフはこう嘆いている。「このような知能の損失はほぼ完全に防ぐことができるゆえに、それを放置する事は許しがたいことであり、犯罪にも等しい」。それは、長期的に見ても、栄養不良の影響が重大な問題であることを意味する。最近の研究は、幼児期の栄養不足が、大人になってから心臓病、糖尿病、高血圧などの慢性病になる傾向と関連があるとしている。 とはいえ、重症の栄養不良が最も広範囲な問題を来たしているのではない。「栄養不良に関連した死の4分の3以上は、重度のではなく、軽度や中等度の栄養不良による」のである。軽度や中等度の栄養不良になる子どもは長期的な健康問題を抱えるようだ。よって、適切な処置が施せるよう、子どもに栄養不足の兆候がないかどうかを見分けることが肝要である。
2003年01月14日
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エリク(仮名)は、生後6か月の男の子です。ところが、身長や体重は、生後一、二か月の赤ちゃんほどしかありません。体重が大幅に不足しているのに、脚やおなかは膨れ、顔はむくんで丸くなっています。顔色は悪く、髪の毛はかさかさでつやがなく、皮膚には発疹ができています。エリクはとてもいらいらしているように見えます。医師がエリクの目を検査するときには、細心の注意が要ります。眼球の組織が傷つきやすいからです。エリクは知的な発達も阻害されているようです。残念ながら、この子の状況は、決して例外的なものではありません。「世界の子どもの死の半分以上がその影響を受けており、その恐ろしさはペスト以来のどんな伝染病も及ばない。だがそれは伝染病ではない。その惨害は死を免れた人たちに及んで、無数の子供に障害を負わせ、病気に対する抵抗力を弱め、知的能力を損なっている。それは女性や家族、ひいては社会全体の生存を脅かしている」。―「世界子供白書」(英語)、国連児童基金。 これは、どんな病気について述べているのだろうか。栄養不良、特にたんぱくエネルギー栄養障害(PEM)について述べたものである。世界保健機関(WHO)は、栄養不良を「静かな緊急事態」と呼んでいる。この悲劇は、どれほどの範囲に及んでいるだろうか。WHOによると、栄養不良は、「毎年死亡する1,040万人もの子どもの少なくとも半数の死にかかわって」いる。 栄養は、さまざまな疾病にかかわっている。ビタミンやミネラルの欠乏など、一つないしそれ以上の栄養素の不足による栄養不足から、肥満や食事関連の他の慢性疾患に至るまで広範に及ぶ。しかし、「栄養不良の最も致命的な形態の一つ」はPEMである、とWHOは述べている。その主な犠牲となるのは、5歳未満の子どもたちである。 冒頭で触れたエリクや、栄養不良に苦しむ大勢の子供たちについて、ちょっと考えてみてほしい。その状況を子どものせいにすることはできないし、子どもたちはそこから逃れることができない。ある小児専門の栄養士は「苦しんで犠牲となる側は最も責任がないのに、最も害を受けています」と、語っている。 すべての人に十分な量の食料がある。いや、それ以上にあるのである。さらに、栄養不良は、最も容易に予防でき、最も安く治療できる疾患なのである。こうした事実を知ると憤りをさえ感じるのではないだろうか。 栄養不良は子どもに限った問題ではない。2001年7月のWHOの報告によると、「栄養不良は長い影を投じ、発展途上世界の国民全体の20%に当たるほぼ8億人に影響を及ぼして」いる。これは、世界の8人に1人が栄養不良で苦しんでいる、ということである。 栄養不足人口が最も多いのはアジア、それも特に南アジアや中央アジア一帯だが、栄養不足の人口比率が最も高いのはアフリカである。次は、ラテンアメリカとカリブ海の幾つかの発展途上国である。 先進国は栄養不良とは無縁なのだろうか。いや、そうではないのである。「2001年世界の食糧不安定事情」(英語)によると、先進国にも栄養不良の人が1,100万人いる。さらに2,700万人の栄養不足の人が、特に東ヨーロッパや旧ソビエト連邦の共和国などの、いわゆる途上国と呼ばれる国々にいる。 栄養不良がこれほど深刻な問題になったのは、なぜだろうか。栄養不足を改善するために、今すぐできる事が何かあるだろうか。地球から栄養不良がなくなる時代は来るだろうか。
2003年01月13日
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確かに断わるのは易しいことではない。断わる場合、割れ物が入っている小包を扱うときのように、注意深くする必要がある。それでは、参考になると思える提案を幾つか挙げてみる。○問題を親や信頼できる円熟した人に相談する。あなたが少し現実離れした期待を抱いていないか見極めるのを助けてくれるかもしれない。○明快かつ率直であること。疑問の余地を残さないよう、あなたの気持ちを相手に伝える。「お断りいたします」というだけで、たいていの人は求愛を思いとどまるだろう。必要なら、「申し訳ありませんが、あなたには本当に関心がないんです」といった、もっと強い言葉で断わる。もう少し粘れば気が変わるかもしれない、という印象を与えないように注意する。恋愛感情が全くないことをはっきり伝えるなら、相手の人は思い違いをしないですみ、失意から立ち直りやすくなる。○正直さと同じく巧みさも大切。「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる。しかし、賢い者たちの舌は人をいやす」率直さは大切だが、わたしたちの発する言葉は「慈しみのあるもの、塩で味つけされたもの」でなければならない。○決定を変えない。友人たちは、おそらくあなたの決意の背後にある理由がほとんど分からずに善意の気持ちから、もう一度やり直すよう強く勧めるかもしれない。しかし結局のところ、自分の下した決定の結果を背負って生きて行かなければならないのは、悪気のない友人たちではなく、“あなた”なのである。○自分の言葉と調和した行動を取る。二人はかつて良い友達だったかもしれない。物事が以前の状態に戻って欲しいと願うのはごく自然なことなのである。しかし、それはふつう実際的なことでも可能なことでもない。彼はあなたに恋愛感情を抱くようになった。その人がそうした感情を無視して何事もなかったかのように装える、と考えるのは現実的なことだろうか。二人が互いに接する場合、礼儀正しいほうがもちろん良いのだが、いつも電話で話しをしたり、社交的な場で一緒に多くの時間を過ごしたりするなら、相手を一層みじめな気持ちにしてしまうだけだろう。それは結局、相手の気持ちをもてあそぶことになり、親切なことではない。 互いに対して「真実を語りなさい」そのようにするのは難しいかもしれないが、そうするなら、二人がそれぞれ自分の人生を歩んでゆく助けとなるだろう。
2003年01月12日
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とはいえ、若い男性の申し出を断わるのは、口で言うほど簡単なことではない。わたしたちは、他の人の感情に敏感であるべきで『優しい同情心を身につけ』自分が扱ってもらいたいように相手を扱うことは大切なことだからである。しかし、それは相手を失望させたり傷つけたりしないだけのために、関心のあるふりをするべきだという意味なのだろうか。相手の人は、遅かれ早かれ、あなたの本心に気づくだろう。あなたが正直に気持ちを伝えられず、断わるのを先延ばしにしているなら、いっそう辛い思いをさせてしまうだけ。それよりもっと悪いのは、その人がかわいそうだというだけの理由で結婚することである。同情は結婚の良い土台とはならない。 しかし、『彼と結婚しなかったら、結婚のチャンスは二度とないかもしれない』と、考えて悩む人もいるかもしれない。「ティーン」誌(英語)の一記事が述べるとおり、女性は次のように考えることもあるだろう。「かれは“理想の人”ではないけれど、まあいいか。それに、独りでいるなんていやだし」。確かに親密な交わりを求める気持ちは強いものだが、自分のそばにだれかがいれば、その願望がちゃんと満たされるというわけではない。本当に愛せる人、結婚に関する責任を果たせる人を見つけることが関係しているのである。結婚相手を決める際は性急に結論を出さないことは賢明であるといえる。慌てて結婚し、後悔するようになった人は少なくないのだから。 最後に、相手の男性が明らかに重大な欠点を持っていても、交際を続ける人がいるかもしれない。『もう少し時間をあげれば、変わるかもしれない』と考えるのである。これは本当に分別のあることだろうか。結局、悪い癖や行動の型は身についてしまっているものなので、変化するのは非常に困難なのである。また突然、劇的な変化が見られたとしても、それが永続的なものだと心から確信できるだろうか。こうした状況にあったある若い女性は、交際相手が自分と同じ目標を持っていないことを知り、賢明にもその人と別れることにした。「それは辛いことでした。彼に身体的な魅力を感じていたからです。でも、そうするのが正しいということが分かっていました」と語っている。 次は断わる際の参考になると思える提案を書き出そうと思う。
2003年01月11日
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「僕と付き合ってくれませんか」。若い男性からこう言われたことがあるだろうか。若い女性なら、うれしく思ったかもしれないし、ときめきをさえ感じたかもしれない。一方、とても戸惑い、なんと返事をしていいか分からなかったかもしれない。 だれか異性から関心を示されると、ひどく動揺することがある。結婚できる年齢に達していて、そうした関心にこたえ応じられる立場にいる場合は特にそう言える。しかし、どう反応するかは、だれから関心を示されたかによって大きく変わってくる。もし、相手が感情面で円熟していて、あなたもその人に引かれているなら、返事をするのは簡単だろう。しかし、明らかに、ふさわしい配偶者になる特質を持っていない人だったらどうだろうか。あるいは、立派な特質はあるものの、自分が全く関心のない人ならどうだろう。 例を挙げて考えてみたい。中東のシュネムという村の田舎娘は、かの賢王ソロモンから求愛された。娘はどう応じたか。娘はソロモンを退けただけでなく、王に仕える宮廷の女性たちに、「愛がその気になるまでは、わたしのうちにそれを目覚めさせたり、呼び起こしたりしないで」ください、と嘆願した。この賢い乙女は、感情まかせに振る舞うよう他の人たちから圧力をかけられることを望まなかったのである。彼女はソロモンに全く恋愛感情を抱いていなかった。身分の低い羊飼いを愛していたからだ。 これは、今日結婚を考えている人たちに大切なことを教えている。つまり、恋愛感情はだれに対しても抱けるものではないということである。よって、誰かとしばらくデートをしていても、その人に恋愛感情がわかないということもあるだろう。それはもしかすると、その人の性格に何らかの弱点が見られるからかもしれない。あるいは、その人に魅力を感じていないためかもしれない。そうした気持ちを無視するのは愚かなことだろう。無視したからといって、消えるわけではないからである。ある女性は、交際していた若い男性についてこう語っている。「彼には不安な点がとてもたくさんありました。ささいなものではなく、本当に疑問に感じる点があって、一緒にいると緊張して落ち着きませんでした」。この女性は後に、そうした疑問がある以上は交際をやめるのが最善だと感じた。 さて、人の恋愛観には様々なものがあるのは間違いないことだけど、感情まかせに交際を続けることには多くの問題が潜んでいるんだよね。ここでは、若い女性を対象にした書き方をしているけど記した原則は若い男性にも当てはまる。次は、「断る」という点についてもう少し掘り下げて書いてみようと思う。
2003年01月10日
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ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の極微の世界を覗いてみる。ある科学者はこう述べている。「長年にわたって電子顕微鏡でウイルス粒子を観察してきたが、これほどまでに微小なものが持つ精密で複雑なデザインにはいまだに驚嘆し、興奮させられる」。 ウイルスはバクテリアより小さく、そのバクテリアは人間の平均的な細胞よりもずっと小さいものである。ある権威者によれば、HIV粒子は「2億3,000万個集めても、この文の終わりにあるピリオドぐらいの大きさにしかならないとのこと。ウイルスが増殖するには、まず宿主細胞に入り込んで、その資源を占拠することが必要である。 HIVは人体に進入すると、免疫系の制御下にある大兵力と闘わなければならない。骨髄で生産される白血球によって防衛網が作られる。白血球には主に2種類のリンパ球があり、T細胞およびB細胞と呼ばれている。さらに食細胞と呼ばれる白血球もある。 T細胞には様々なタイプがあり、それぞれが異なった機能を受け持つ。ヘルパーT細胞と呼ばれるものは戦略上の要となる。侵入者の識別を援助し、その敵を攻撃して破壊するための細胞を生産するよう指示を出す。HIVによる攻撃の際に特にねらわれるのは、このヘルパーT細胞である。キラーT細胞は、進入されてしまった体細胞を破壊するために活性化されるB細胞は、感染との戦いに投入される抗体を生産する。 HIVはレトロウイルスの一種で、HIVの遺伝情報は、DNA(デオキシリボ核酸)RNA(リボ核酸)の形で保たれている。HIVは、重い症状が現われるまで長期間潜伏していることがあるので、レトロウイルスの中でも、レンチウイルスと呼ばれるサブグループに分類されている。 HIVは宿主細胞に入ると、その細胞のメカニズムを思いのままに使うことができる。宿主細胞のDNAを“再プログラム”して、HIVのコピーを大量に作る。しかし、そのためにはまず、異なる“言語”を使わなければならない。自分のRNAをDNAに変え、宿主細胞の生産メカニズムが読んで理解できるようにする必要がある。そのためにHIVは、逆転写酵素と呼ばれるウイルス酵素を用いる。やがて宿主細胞は、多数のHIV粒子を生産してから死ぬ。これら新たに生産された粒子は、他の細胞に入り込む。 ヘルパーT細胞の数が大幅に減少すると、他の軍勢は反撃されるおそれなく人体を荒らし回ることができる。患者はあらゆる種類の疾患と感染症にかかりやすくなる。こうして、ついにエイズが発症する。HIVにより免疫系全体の機能が損なわれてしまったのである。 以上は簡略化した説明であり、免疫系についてもHIVの作用についても究明されていない点が多い、ということを覚えておかなければならない。 ここ20年近くにわたり、膨大な資金をつぎ込み、世界中の一流の医療研究者が知力と体力の限りを尽くしてこの小さなウイルスを研究してきた。その結果、HIVについてかなりのことが分かってきた。外科医のシャーウィン・B・ヌーランド博士は幾年か前に次のように語っている。「ヒト免疫不全ウイルスについて収集されてきた情報の量と、その猛攻撃に対する防御を講じる面での進歩には、まさに驚くべきものがある」。 しかし、死をもたらすエイズの進撃は憂慮すべきペースで続いているのである……。
2003年01月09日
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ネビラピンとは何でしょうか。ジャーナリストのニコル・イターノによれば、「[母親から]子どもへのエイズの感染率を半減させ得ることが試験で実証された抗レトロウイルス薬」です。 ドイツの製薬会社がこの薬を5年間無償供与することを申し出ました。しかし、2001年8月まで、南アフリカ政府はその申し出を受け入れませんでした。何が問題だったのでしょうか。 南アフリカは、470万人という世界最多のHIV陽性者を抱えている。ロンドンのエコノミスト誌(英語)が2002年2月に報じたところによると、南アフリカのタボ・ムベキ大統領は「HIVがエイズの原因であるという一般的な見方を疑っており、抗エイズ薬の価格、安全性、効用に疑問を抱いている。大統領は使用禁止としてはいないが、南アフリカの医師たちには使用を控えるよう圧力がかけられている」とのことである。これが大きな問題になるのはなぜだろう。南アフリカでは毎年大勢の子どもがHIV感染者として誕生しており、妊婦の25%が保菌者だからである。 このように見解が対立したため、ネビラピンの配給を政府に求める訴訟が起こされた。南アフリカの憲法裁判所は、2002年4月に意見表明を行なった。ワシントン・ポスト紙によると、「政府は、資格を持つ医療機関がその薬剤を使用できるようにしなければならない」という判決が出た。南アフリカ政府はそれまでにも国内18か所で試験的にネビラピンを提供していたが、最近のこの判決は同国のHIV陽性の妊婦すべてに望みを与えたと言われている。
2003年01月08日
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大手製薬会社も、薬を必要とする発展途上国にエイズ治療薬を格安で提供し始めた。これでさらに多くの人が薬を利用できるようになる、と期待された。しかし、そうした薬を発展途上国で手軽に利用できるようにするには、克服すべき大きな障害がある。その一つはコストである格段に安くなっても、薬を必要とする人の大半にとってはまだまだ高すぎるのである。 別の問題は、薬の投与が簡単ではないということである。たいていの錠剤は毎日決められた時間に服用しなくてはならない。正しく服用しなかったりすると、薬剤耐性を持つHIVを生み出すことになりかねない。食物が乏しく、きれいな飲料水が足りず、医療施設がほとんどないようなアフリカの各地では、正しい投薬を確実に続けることは困難である。 また、薬を服用している人の経過を観察することも必要である。耐性が生じたら、薬の組み合わせを変えなければならないからである。そのためには経験ある医療スタッフが必要であり、また検査費用は高額である。そして薬には必ず副作用があり、薬剤耐性を持つウイルスも現われつつある。 2001年6月、国連総会のエイズに関する特別会議において、発展途上国の援助のために世界保健基金を設けることが提唱された。70億㌦から100億㌦が必要だと見積もられたが、今のところ、この基金への約束寄付額の合計は目標額をはるかに下回っている。 科学者たちは、ワクチン発見への強い期待を抱いており、様々なワクチンが各国でテストされている。そうした努力が成功を収めたとしても、ワクチンが開発され、テストされ、一般に使用しても安全だと実証されるまでには数年かかりそうである。 ブラジル、タイ、ウガンダなどの国では、治療プログラムが大きな成果を上げている。ブラジルでは、自国製の薬の使用により、エイズ関連の死亡率が半減した。経済的に恵まれた小国ボツワナは、国内の必要とする人すべてに抗レトロウイルス薬を供給するよう努めるとともに、不可欠な保健医療施設の充実にも力を入れている。 エイズは、一つの重要な点で他の多くの感染症と違いがあります。予防可能なのです。聖書の基本的な原則を堅く守る心構えがあれば、全くとは言えないにしても多くの場合、感染を避けられます。聖書の道徳基準は明快です。結婚していない人は性交を避けるべきです。結婚している人は、配偶者に忠実であり、姦淫を犯してはなりません。血を避けるようにとの聖書の訓戒に従うことも身の守りとなります。 確かにそのとおりだ。己の欲望のままに生きることは自分を破滅へと追いやるばかりか他の人々にも確実に悪影響を与える。愛の冷えきった今の時代で起こるべきして起こった悲劇だと思う。「不倫は文化だ」などと言った者の気が知れない。自分勝手な人間の集まりはその行動することにおいて必ず贖罪しなければならないとも思うが、正直言って悔い改めようとしない邪悪な者は消滅してもらいたい。(人を裁く権利は人間にはないのだが)そのような者たちのために多くの心の純粋な人々が犠牲になったり、また、彼らの知らない所で悲しむ人々がいるのだから。
2003年01月07日
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アフリカの多くの国では、エイズ流行の事実が否定されてきた。エイズの話題を避けたがる人もいる。しかし近年、特に若者を教育し、率直な話し合いを促す努力が払われてきた。そうした努力は幾らかの成功を収めてはいるが、人々のライフスタイルや習慣は根強く、変化を起こすのは困難である。医学上の進歩 医学の分野では、科学者たちがHIVについて多くのことを理解し、薬を開発して大勢の患者の命を延ばしてきた。最低3種類のレトロウイルス療法が用いられ、効果を上げている。 これらの薬はエイズを治すわけではないが、特に先進国で、HIV患者の死亡率を低下させている。こうした薬を発展途上国にも供給すべきであると唱える人は少なくない。しかし、そのような薬は高価であり、発展途上国のほとんどの人にとって手が届くものではない。 そのため、人命より経済的利益のほうが大切なのか、ということが論議の的となっている。ブラジルのHIVとエイズに関するプログラムの責任者パウロ・テイシェイラ博士は、そのような現状を認め、こう述べている。「標準的な収益をはるかに上回る利益を上げるだけのために大勢の人々が生存に必要な薬のないまま放置されている、という事態を見過ごすわけにはゆかない」。博士はさらに、「声を大にして言いたいのは、商業上の利益は倫理的また人道的な配慮に優先すべきではない、という点である」と述べている。 大手製薬会社が持つ特許を無視して、はるかに安くジェネリック薬を製造あるいは輸入することにした国もある。(ジェネリック薬とは、他の製薬会社が特許を持つ薬の複製品のことである。世界貿易機関の加盟国は、緊急事態の際には医薬品の特許を合法的に無視することができる。)ある調査によれば「[ジェネリック薬の]価格は、米国での標準価格より最大82%も安いことが分かった」と、「南アフリカ医学ジャーナル」誌は述べている。
2003年01月06日
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「我々は、現代版の世の終わりとも言うべきものを相手にしているのである」。アフリカのHIVとエイズに関する国連特使スティーブン・ルイスのこの言葉は、サハラ以南のアフリカにおけるエイズの現状に関する多くの人の懸念を代弁している。 幾つもの要因により、HIVがまん延している。そして、エイズは他の問題を悪化させている。エイズが流行しているアフリカ諸国や世界の各地で広く見られる状況には、たいてい以下の事柄が関係している。■道徳。性的接触がHIVの主要な感染経路なので、明確な道徳規準がなければ、当然のこととしてエイズのまん延が加速される。しかし、未婚者に性的禁欲を奨励してもしょうがないと感じる人が少なくない。フランソワ・デュフールは、「若者にセックスをしないようにと注意するだけではうまくゆかない。若者たちは、理想的な容姿や振る舞いに関する大量の性的イメージに毎日さらされているのだ」と、南アフリカのヨハネスブルクのスター紙(英語)に書いている。 若者の行動はこの分析の正しさを裏付けているようだ。例えば、ある国で行なわれた調査によると、12歳から17歳までの若者の約3分の1が性交を経験していた。 南アフリカでは、レイプが国家の緊急課題とみなされている。ヨハネスブルクのシティズン紙(英語)の報道によれば、レイプは「非常に多発し、わが国の女性にとって健康上の最大の危険となっており、子どもにとってもますます大きな危険となっている」とのことである。さらに、「子どものレイプは近ごろ倍増した。……このような行為がなされるのは、処女をレイプするとHIVが消えるという俗説が相変わらず幅を利かせているためと思われる」とも報じられている。■性感染症(STD)。問題の地域ではSTDの罹患率が高くなっている。「南アフリカ医学ジャーナル」誌(英語)は、「STDにかかっていると、HIV-1に感染する恐れが2倍から5倍高くなる」と述べている。■貧困。アフリカの多くの国が貧困と闘っており、貧困はエイズまん延の温床となる。先進国で生活必需品とみなされるような物も、たいていの発展途上国では手に入らない。電気もきれいな飲料水もない地域社会がたくさんある。田舎に行くと、道路が整備されていなかったり、そもそも存在しなかったりする。栄養失調に苦しむ住民も多く、医療施設は最低レベルである。 エイズは、商業や工業にも弊害を及ぼす。従業員の間で感染者が増えたため、鉱山会社は生産性の低下を実感している。それを補おうとして作業の自動化や機械化を考えている会社もある。あるプラチナ鉱山では、2000年に従業員のエイズ患者数がほぼ2倍になり、労働者の約26%が感染している、と推定された。 エイズの悲しい結果の一つは、大勢の子どもがこの病気のために親を失って孤児になることである。その子たちは、親と経済的安定を失うだけでなく、エイズに付きものの恥辱にも耐えなければならない。親族や地域社会の人々はたいてい、自分も貧しくて援助できないか、援助したがらないかのいずれかである。多くの孤児が学校をやめる。中には、売春を行なうようになり、結果的にエイズのまん延に手を貸してしまう子どももいる。幾つもの国で、このような孤児を援助するための政府あるいは民間のプログラムが設けられている。■無知。HIV感染者の多くは、感染の事実に気づいていない。この病気には恥辱が付きまとうため、多くの人は検査を受けたがらない。「HIV感染者あるいはその疑いのある人は、医療施設から締め出され、入居や就職を拒まれ、友人や同僚からうとまれ、保険の適用を受けられず、他国への入国を拒否されることがある」と、国連合同エイズ計画(UNAIDS)のプレスリリースは述べている。HIV陽性であることが分かって殺された人さえいるほどである。■文化。アフリカの多くの文化圏では、女性は夫の浮気を問いただすことや、性的接触を拒んだり、安全な性行為を提案したりすることができない。エイズを知らなかったり否定したりする文化的信条も少なくない。エイズを魔術のせいにして、まじない師に助けを求めることがある。■不十分な医療施設。ただでさえ不足がちな医療施設に、エイズのため、ますます負担がかかっている。二つの大病院は、入院患者の半数以上がHIV陽性であると報告している。クワズールー・ナタールにある病院の医局長は、病室の稼働率は140%だと述べた。患者二人につき一つのベッドしかなく、3人目はベットの下の床に寝かされる、ということもある。―「南アフリカ医学ジャーナル」誌。 アフリカの状況は悲惨だが、さらに悪化しそうだ。「この病気はまだ流行し始めたばかりだ」と、UNAIDSのピーター・ピオットは述べている。 言うまでもないことだが、国々はエイズ対策を講じている。また2001年6月には、国連総会がHIVとエイズに関する特別会議を初めて開いた。人間の努力は成功を収めるだろうか。死をもたらすエイズの進撃は一体いつ止められるのだろうか。
2003年01月05日
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「エイズの大流行は地球上のいかなる戦争よりも破壊的である」。 ―米国務長官、コリン・パウエル。エイズ(後天性免疫不全症候群)が初めて公式に報告されたのは1981年6月のことだった。「我々、エイズ発見当時の関係者は、この感染症がこれほど大規模に広がるとは想像すらできなかった」と、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の事務局長ピーター・ピオットは述べている。20年間でエイズは史上最大の流行病になったが、今後も広がってゆく見通しである。 推定3,600万人以上がHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染しており、それ以外の2,200万人がエイズのために亡くなった。(UNAIDS公表の推定値による)2000年にはエイズによる死亡者数が全世界で300万人に上り、流行し始めて以来の最高の年間総数を記録した。豊かな国々を中心に抗レトロウイルス薬による治療が行なわれたにもかかわらず、そうなのである。 サハラ以南のアフリカは推定2,530万人の感染者を抱えており、大流行の中心地となっている。西暦2000年に、この地域だけでも240万人がエイズで亡くなった。それは全世界の合計80%に当たる。エイズは、この地域における最大の死因なのである。 南アフリカは感染者数が世界で最も多く、470万人と推定されている。そして、HIV陽性の子どもが毎月5,000人生まれている。元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラは、2000年7月にダーバンで開かれた第13回エイズ会議で講演し、こう述べた。「南アフリカ国内で若者の二人に一人、つまり半数がエイズで死ぬことになると知って、私たちはがく然としました。何とも恐ろしいことに、統計に示されるこうした感染症すべて、およびそれに伴なう人々の苦しみ……は防げたはずであり、今でも防げるはずなのです」。 感染者の割合は、東ヨーロッパ、アジア、カリブ海諸国でも急上昇している。1999年末に東ヨーロッパにおける感染者数は42万人だった。2000年末に、その数は控えめに見積もっても70万人に増加していた。 アメリカの六つの大都市で行なわれた調査によれば、若い男性同性愛者のHIV感染率は12.3%だった。さらに、HIV陽性者のうち自分が感染していることを知っていたのは29%に過ぎなかった。調査を主導した疫病学者はこう述べている。「HIV陽性者のほとんどが感染の事実を知らないという結果には全く憮然とさせられる。新たな感染者がそれとは知らずにウイルスを伝染させている、ということなのだ」。 2001年5月にスイスで開かれたエイズ専門家の集まりにおいて、この病気は「人類史上最も破壊的な流行病」であると断言された。すでに述べたように、エイズはサハラ以南のアフリカで特に猛威を振るっている。次回はその理由を取り上げた記事を紹介してみます。 私が初めてエイズという病気を知ったのは’82,3頃だったと思う。Acquired Immune Deficiency Syndrome当時は主に同性愛者が罹患する致命的な病気であるぐらいの認識だったと思う。ある雑誌で見た記事を書いてみよう。(’83に読んだもの)●輸血を受けた幼児がAIDSで死ぬ 米国ジョージア州アトランタの疾病コントロール・センターの報告によると、輸血のために幼児が死亡した。その血によって、AIDSに感染したためである。アトランタの疫学機関もまた、度々血液凝固物質を血管内に注入された血友病患者の間に、AIDSにかかった人が数人いることを報告し、次のように述べている。「この報告をはじめ、血友病患者の間にAIDSにかかる人が相変わらず報告されていることは、AIDSが血液や血液製剤によって伝染するのではないかという重大な問題を提起する」。その頃はまだ、米国や英国での発病者の報告件数は300~500人前後の3ケタ台だったと思う。それが今やアフリカをはじめ世界中で猛威を振るっている。爆発的に…。その背後にある問題は多岐に渡る。一つ言える事は道徳規準の低下にある。金銭への愛もその要素である。金儲けのためにあるいは利潤追求の犠牲となった人たちもいれば、おのれの不道徳さゆえにHIV陽性という実を刈り取った者もいる。 当時から二十年…。次からアフリカに蔓延するエイズの現状と医学上の進歩などを書いてゆこうと思う。
2003年01月04日
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「子供を兵士として使うことを禁じる条約が本日から施行され、世界の人権侵害の主な原因の一つと闘う10年に及ぶ国際的努力は、有終の美を飾ろうとしている」と、国際連合の2002年2月12日付の広報は述べた。96か国が署名した選択議定書は、「18歳未満の者を正規軍に義務的に徴募しないことを定め、自発的入隊の最低年齢を少なくとも16歳に引き上げる義務を各国政府に課している」。推定によれば、「現在、世界の85か国で50万人の子どもが、政府軍、準軍事組織、武装集団で兵士となっており、35以上の国で30万を超える子供が戦闘に活発に参加している」。国連ニュースサービスのWebページによると、その多くは誘拐された子どもで、「逃げようとすると殴られたり殺されたりする。少女たちはたいてい性的に搾取されるため、特に弱い立場にある」。 レイヴと呼ばれる徹夜のダンスパーティーに行く若者の10人中9人が、アンフェタミンをベースにしたエクスタシーとして知られている薬物を使用している、とスペインのエル・パイス紙は伝えている。最近スペインでは、レイヴに行った二人の若者がエクスタシーの過剰摂取で死亡した。「しょっちゅう薬を勧められたよ」と亡くなった若者の友人は振り返る。若者がこの薬物を使うのはなぜだろうか。仲間の圧力に加え、エクスタシーが生じさせる一時的な仲間意識や自尊心のためである。若い人は、エクスタシーをハシッシュやコカインなどの麻薬や、アルコールと混ぜることがよくあるが、いずれも危険な副作用は強くなる。エクスタシーは、記憶力の減退やうつ病だけでなく、『呼吸器系の問題、脳出血、死さえ』引き起こしかねないと、スペインの「全国麻薬撲滅計画」は警告する。以上、二つの記事を書いてみましたがそれぞれの問題の背後にあるものは何か考えてみると本当に今の体制が崩壊へと向かっているのに疑問の余地はないように思います。人間の想像する終末論はたいてい理に適っていないものが多いようです。 生き方は人それぞれの自由です。ただ、それは「蒔いたものは必ず刈り取る」という原則によって明らかにされる時が来る事は間違いないでしょう。 現実から目を逸らすことは、ある意味、賢い事とは言えないかもしれません。ただ、今の状況を絶望視する必要もないのではないでしょうか。少なくとも希望をもっているある人たちにとってはそう言えます。 次回はある雑誌のエイズについての情報記事を取り上げてみたいと思います。
2003年01月03日
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国際連合の出した「世界人権宣言」によれば、“労働権”は万人が持つ基本的な人権である。しかし、その権利が保障されているとは限らない。仕事の安定性は様々な要素に依存しており、地元の経済の健全さから世界市場の状態まで、多くのものの影響を受けている。とはいえ、勤め口が無くなったり、無くなりそうになると、しばしばデモや暴動やストライキが生じる。例外となる国はほとんどない。「仕事」という言葉でさえ、、「これまで常にそうだったように、激しい感情を引き起こす言葉である」と、ある文筆家は述べている。 仕事が大切な理由はいろいろある。収入が得られるだけでなく、精神面や感情面の健康にも役立つ。仕事をすれば、社会に貢献できる人間になりたい、人生の目的を持ちたいという人間本来の欲求が満たされる。また、ある程度の自尊心も培える。だから、自分の必要を満たす以上のお金があったり、退職できる立場にいたりしても、あえて仕事を続ける人さえいる。実際、仕事は非常に大切なので、仕事が不足すると、大抵は深刻な社会問題が生じる。 一方、仕事があっても、職場で多くの圧力に直面するため、仕事から満足感を得られなくなっている人もいる。例えば、今の市場は競争が激しいため、経費を切り詰めるために人員を削減する企業が増えている。そのため、残された従業員にさらに多くが要求され、余分な仕事を果たさなければならなくなることもある。 より楽な生活や、より効率的な仕事を約束していた現代の科学技術も、職場の圧力を増し加えてきたと言えるかもしれない。例えば、コンピューターやファックスやインターネットのおかげで、勤務時間後に仕事を自宅に持ち帰ることも可能になり、結果的に家とオフィスとの境があいまいになっている。会社のポケットベルや携帯電話は上司と自分をつなぐ見えない鎖のようだと感じたサラリーマンもいる。 経済的な状況や職場環境が急速に変化する中で、多くの年配の人たちが不安を募らせている事柄がある。それは、まだ仕事ができるのに使い物にならないと思われることだ。この点について、人権委員会のの元メンバー、クリス・シドーティは、「40歳以下でなければコンピューターや新しい科学技術に付いてゆけないという固定概念があるようだ」と述べている。そのため、以前であれば働き盛りとみなされた多くの良い働き手が、、最近では、年を取りすぎて使い物にならないとみなされている。何という悲劇だろう。 近年、職業倫理や会社への忠誠心が攻撃に遭っているのも無理はない。フランスの雑誌「リベラシオン」は、「会社がささいな株価変動で人を解雇すると、会社への忠誠心は過去のものとなる。……働く必要があるのはもちろんだが、会社のためにではなく、自分のために働くべきだ」と述べている。 このように問題が山のようにあっても、人間にとって働くことは、やはり基本的に必要な事柄である。では、急速に変化する時代に、どうすれば世俗の仕事に対する平衡の取れた見方を培い、それと同時に、安心感や仕事から来る満足感を保てるだろうか。 「一握りの憩いは、二握りの骨折りと風を追うことに勝る」。あまりにも根を詰めて、または長時間働くことは、実際には逆効果であり、無駄に「風を追う」ようなものである。なぜそう言えるのか。わたしたちに最大の幸福をもたらすもの、つまり家族や友人との関係、霊性、健康、さらには寿命をさえ損ないかねないからである。両手いっぱいに仕事を抱えながら争いや惨めさを経験するよりも、少ない物質的な利得で満足しつつ、適度な平和を楽しむほうが、見方として平衡が取れている。 しかし、一方、怠惰についてはどうだろう。怠惰は、自尊心や、他の人がわたしたちに対し抱いているかもしれない敬意を損なう。働こうとしない人は他の人に養ってもらうに値しない、という率直な見方もある。むしろその人は、生き方を変え一生懸命働き、自分と自分に属する人たちのために必要物をきちんと備えるべきである。一生懸命働くことにより、本当に窮乏している人を助けることさえできるかもしれない。『平衡』を保つことが重要なのである。 あと、良い仕事の習慣は、自然に身につくものではない。そこで仕事を尊ぶよう子供のころから訓練することは大切であると言える。 現在の不完全な事物の体制では、雇用や就職の見込みに伴なう問題や不安がなくなることは決してない。それどころか、世界がますます不安定になり、経済の変動、さらには弱体化が進むにつれ、事態はさらに悪化するかもしれない。 金銭に対する愛を第一とする生き方ではなく、平衡の取れたライフスタイルを保つようにしたいものだ。
2003年01月02日
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