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地獄という語は、ジェームズ王欽定訳(およびカトリックのドウェー訳、また大多数の古い翻訳)の中で、ヘブライ語シェオールおよびギリシャ語ハーイデースの訳として用いられている。ジェームズ王欽定訳で、「地獄」はシェオールの訳として31回、ハーイデースの訳として10回出ている。しかし、この翻訳は一貫しているわけではない。シェオールという語がさらに31回は「墓[grave]」、3回は「坑[pit]」とも訳されているからである。ドウェー訳の中でシェオールは、63回は「地獄」、1回は「坑」、あと1回は「死[death]」と訳されている。1885年、英国改正訳の完訳出版に伴い、原語のシェオールが、ヘブライ語聖書の英語本文のかなりの箇所でそのまま音訳された。といっても、大半の箇所で「墓」や「坑」が用いられ、「地獄」という語も14回ほど出て来る。この点アメリカ訳の委員会は英国の聖書改訳者たちと意見を異にし、アメリカ標準訳(1901年)を刊行した際には、シェオールの出て来る65か所すべてでそのまま音訳した。クリスチャン・ギリシャ語聖書に出て来るハーイデースについては、どちらの翻訳も、10回すべてをそのまま音訳したが、どちらの訳ともギリシャ語のゲエンナ(英語、Gehenna)のほうをすべて「地獄」とし、この点、他の多くの現代訳と同じになっている。ヘブライ語とギリシャ語のこれらの原語の訳語として「地獄」という語を用いることに関し、「バインの旧新約聖書用語解説辞典」は次のように述べている。「ハデス……これは旧約[聖書]の『シェオル』に相当する。欽定訳の旧約[聖書]および新約[聖書]で、この語は残念なことに『地獄』と訳されている」。「コリアの百科事典」は「地獄」に関しこう述べている。「まず第一に、これは旧約聖書のヘブライ語シェオル、およびセプトゥアギンタ訳や新約聖書のギリシャ語ハデスを表わしている。旧約聖書時代のシェオルは単に死者の住まいを指しており、道徳上の区別を全く示唆していなかったのであるから、今日理解されているような意味での『地獄』という語は満足のゆく翻訳ではない」。実際、今日理解されている「地獄」の意味ゆえに、この語は上記の聖書原語の訳語としては非常に不満足なものとなっている。「ウェブスター新国際辞典 第3版」、大型版は“Hell”の項で、「『隠す』という意味のhelanから派生」と記している。したがって、英語の“hell”(地獄)という語に、本来、熱さや責め苦の概念はなく、単に『覆われた、あるいは隠された場所』という考えを持っていたにすぎない。古い英語の方言に“helling potatoes”という表現があるが、それは、ジャガイモを蒸し焼きにするという意味ではなく、ジャガイモを単に地中か地下室に入れるという意味である。今日、英語の“hell”に付された意味は、ダンテの「神曲」やミルトンの「失楽園」で描写されているようなものだが、それはこの語の本来の定義とは全く異質である。とはいえ、火の燃える責め苦の場所としての「地獄」という考えは、ダンテやミルトンよりはるか昔にさかのぼる。グロリア・ユニバーサル百科事典は、“Hell”の項でこう記している。「ヒンズー教徒や仏教徒は地獄を霊的な清め、また最終的な救済の場所とみなしている。イスラム教の伝統では、それは永遠の処罰の場所と考えられている」。死後の苦しみという考えは、バビロンやエジプトの古代諸民族の異教の教えの中に見いだされる。バビロニア人やアッシリア人の信条によると、「冥界は……恐怖に満ちた場所……強大な力を持つ、どう猛な神々や悪霊によって支配され」る所であった。古代エジプトの宗教文書は、犠牲者が永久に火で焼かれるとは教えてはいないが、「他界」の特徴を「永遠の罪に定められた者」の「火の坑」と描写している。「地獄の火」は何世紀にもわたってキリスト教世界の基本的な教えとなってきた。であるから、アメリカーナ百科事典(1が次のように述べているのも当を得ている。「聖書の初期の翻訳者たちがヘブライ語のシェオルとギリシャ語のハデスやゲヘナを繰り返し地獄と訳したために、多大の混乱と誤解を招いてきた。聖書の改訂版の翻訳者たちはこれらの言葉をただ翻字してきたが、それだけでは、こうした混乱や思い違いをそれと分かる程度に除去するにはなお不十分である」。しかし、そのような翻字およびそれが一貫してなされることにより、聖書の研究者はこれらの原語の出て来る本文を正確に比べることができ、物事を素直に受け入れる気持ちがあれば、その真の意味を正しく理解することができる。
2004年04月30日
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ギリシャ語のバサニゾー(およびそれと関連のある語)は、クリスチャン・ギリシャ語聖書中に20回以上出て来る。この語には、基本的には「試金石[バサノス]で試す」、敷えんすれば「拷問を加えて調べる、または尋問する」という意味があった。辞書編集者たちは、この語がクリスチャン・ギリシャ語聖書中では「ひどい苦痛で悩ます; 悩まされ、苦しむ」という意味で用いられていると指摘している。―Mat 8:29; Lu 8:28; Re 12:2.聖書では幾つもの箇所でバサニゾーが用いられた。例えば、まひで苦しんでいた下男は、そのために「ひどく苦しんで」、または「痛みで苦しんで」いた。また、ロトもソドムの人々の不法な行ないのために「その魂に堪えがたき苦痛を味わ(い)」、または「悩まされて」いた。(2Pe 2:8)この言葉は舟の前進が困難なことに関してさえ用いられている。―Mat 14:24; Mar 6:48.Matthew 18:34.に出て来るギリシャ語の名詞バサニステースは、翻訳によって「牢番」と訳されたり、「責め苦に遭わせる者たち」また「拷問者たち」と訳されたりしている。獄では情報を得るために時々拷問が用いられたので、バサニステースは牢番を指して用いられるようになった。国際標準聖書百科事典はMatthew 18:34.におけるこの語の用法について次のように述べている。「恐らく、投獄自体が『責め苦』とみなされた(実際にそうであったに違いない)のであろう。したがって、『責め苦に遭わせる者』が牢番以上のものを意味したと見る必要はない」。であるから、「昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭う」者たちについて述べたRevelation 20:10.の言葉は、彼らが拘束された状態に置かれることを示しているようである。拘束された状態を「責め苦」と言い得ることは、Matthew 8:29.とLuke 8:31.の並行記述によっても示唆されている。ある注解者たちは聖書の中で「責め苦」という言葉が出ている箇所を、火によるとこしえの責め苦の教理の裏付けとして指摘してきた。しかし、すでに示されたように、Revelation 20:10.にそのような意味はないと考えるべき聖書的な理由がある。事実、14節を見ると、責め苦が起きる「火の湖」は実際には「第二の死」を意味していることが分かる。また、イエスは富んだ人が『責め苦のうちにある』ことについて話されたが(Lu 16:23、28)、イエスは実在の人物の文字通りの経験を描写したのではなく、例えを述べておられたのである。「啓示」の書には、文脈から見て「責め苦」が明らかに例証的もしくは象徴的な意味で用いられているとはっきり分かる例がほかにも幾つかある。
2004年04月29日
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多神教を奉じるギリシャ人の最高神。ローマ人のユピテル(ジュピター)に相当する。ゼウスは空の神で、風、雲、雨、雷を支配し、これら自然の力に対する支配力を、破壊するためにも益をもたらすためにも行使する神とみなされていた。古代の詩人ホメロス(「イリアス」、VIII、1‐25)は、ゼウスを他の神々すべてを合わせたよりも大きな力を持つ神として描いている。しかし、ゼウスは絶対的な意味で最高であるとはみなされておらず、時には欺きの犠牲になったり、運命の三女神の意志や定めに従わねばならなかったと描写されている。伝説は、ゼウスの誕生、幼年時代、王座の獲得について述べている点を別にすれば、おもにゼウスの数多くの情事に関するものである。神話の物語は、ゼウスが女神たちや地上の女たちを誘惑し、多数の私生児の父となったことを述べている。不合理なことであるが、ゼウスはイアシオン(一人の人間)を、女神デメテルと不道徳な行為を行なったかどで殺した。ゼウスとヘラとの夫婦関係はゼウスの数多くの不忠実な行為によって損なわれただけでなく、ほかにも難儀に付きまとわれた。ゼウスは自分の妻ヘラの絶え間ない小言に非常に悩まされていたので、集合した神々の前でこのことについて時おり苦々しく不平を言ったとされている。人間と大して変わらんじゃんか。人間より性質悪いかも…人間(ギリシャ人)の考え出したものであることは明らかですな。
2004年04月28日
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何かの基本的な構造もしくは本質。それは、人が生まれながらに持っているひととなり、さらには、遺伝的特質や一般的な習わしを指すことがあり、時に、生物の身体的な強い衝動を指すこともある。聖書の翻訳者たちは一般に、ギリシャ語フュシスとフュシコス(形容詞形)をそれぞれ、「性質,自然」、「性質の、自然の」と訳出している。野獣の性質とは異なる人間に属する性質というものがあり、野獣でさえすべてが同じ性質を備えているのでないことは、James 3:7.の次の言葉に示されている。「人間[フュセイ テーイ アントローピネーイ、「人間に属する性質」]は、あらゆる種類[ギリシャ語、フュシス、「性質」]の野獣、および鳥、はうもの、また海の生き物をならして従わせますし、実際従わせてきました」。この「性質」の違いは、神の創造物の多様性を明らかにしており、各々がその種類にしたがって生み出すという神の法則によって保たれている。
2004年04月27日
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ある基準によって決まる、十分に成長し、成熟し、完成している状態。聖書には、霊的に円熟している(完成している)とはどのような状態のことかを確かめるための基準が示されている。この基準によると、円熟したクリスチャンとは、よく気が変わったり、教理上の問題で他の人に容易に迷わされたり影響されたりするような霊的なみどりごではない人のことである。そのような人は知覚力が訓練されているので、正しいことも悪いことも見分けることができる。基礎的な事柄を教えてもらう必要がない。世の知恵にではなく、神の霊によって導かれている。聖書は、霊的に円熟している、もしくは霊的に大人であることの程度や段階については何も述べていない。しかし、人が大人になった後も知識や経験や識別力の点で成長し続けるのと同じように、円熟したクリスチャンも進歩し続ける。試練に遭って、信仰や忍耐が強まる場合もある。「わたしの兄弟たち、さまざまな試練に遭うとき、それをすべて喜びとしなさい。あなた方が知っているように、こうして試されるあなた方の信仰の質は忍耐を生み出すからです。しかし、忍耐にはその働きを全うさせなさい。それは、あなた方が完全に[字義、完ぺきな]、またすべての点で健全になり、何事にも欠けるところのない者となるためです」。(James 1:2‐4)同様に、大人にもそれぞれ身体面および知的能力や才能の点で違いがあるように、円熟したクリスチャンにも人それぞれ特質の点で違いがあるかもしれない。知識、判断力、勇気、あるいは寛大さなど、何らかの面で秀でている人もいれば、他の面で秀でた人もいるだろう。であるから、円熟について考える際には、円熟したクリスチャンであるか否かを決めるものは特別な能力や才能ではない、ということを考慮に入れる必要がある。
2004年04月26日
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うわさ話とは、他の人の私的な事柄に関するむだ話、根拠のないうわさのことである。中傷とは、口頭または文書によって人の名誉を傷つけることで、たいてい悪意に基づくものである。うわさ話はすべて悪質な、もしくは有害なものというわけではないが、そのようなものになる場合がある。時には、人をほめる内容のものかもしれず、人間ならだれしも抱くような関心から、他の人についてたわいのない、もしくは当たり障りのないことを話すだけかもしれない。しかし、それは容易に有害な話、あるいは問題を招く話になるおそれがある。うわさ話はむだ話だからである。聖書はむだ話をしないようにと助言しており、舌を従わせるのが難しいことや、舌が『わたしたちの肢体の中で不義の世界をなしていて、全身に汚点をつけ、生まれついた人生の車輪を燃やす』ことを指摘している。舌の破壊的な力をさらに強調するものとして、この聖書筆者は、舌は「自らもゲヘナによって燃やされる」と続けている。取り留めのないむだ話の危険性は、何度も強調されている。そのような話は愚鈍や愚かさと結び付けられており、それはわなとなって、話し手を滅びに陥れかねない。「言葉が多ければ違犯を避けられない」とProverbsは述べ、唇を制することこそ思慮深い行動であると諭している。「口と舌を守っている者は、その魂を苦難から守っている」という句は、無思慮で取り留めのないむだ話を戒める警告である。
2004年04月25日
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聖書にかなった結婚関係以外の不義の性関係。ヘブライ語動詞ザーナーとそれに関連する幾つかの語形は、淫売、不倫な交わり、淫行、売春などの考えを伝えている。「淫行」と訳されるギリシャ語はポルネイアである。バウアーの「新約聖書希英辞典」(F・W・ギングリッチとF・ダンカーによる改定版、1979年)は、ポルネイアを「売春、不貞、淫行など、あらゆる種類の不法な性的交わり」と定義している。ポルネイアは、少なくともひとりの人間の性器が甚だしくみだらに用いられることが関係するものと理解されている。また、そこには同性または異性の二者以上(それに同意した別の人間や、獣も含む)がかかわっているはずである。強姦を犯した人のその不法行為は淫行であるが、これは、無理やり強姦された人をも淫行者とするわけでないことは言うまでもない。族長社会において神の忠実な僕たちは、それが独身者、婚約者、既婚者の間で犯されたかどうかにかかわりなく、淫行を憎んだ。淫行は神に対する罪とみなされた。
2004年04月24日
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自分の間違いを認めてその間違いを正すよう当人を動かすために、過ちを犯したことを当人に納得させる目的で与えられるもの。叱責は戒めとは違い、証拠を挙げて過ちを明らかにすることを何ら伴わないけん責の形を取ることもある。ヘブライ語の動詞ヤーカハ(戒める)は、『責任を問う』および『事を正す』とも訳されている法律用語である。これに対応するギリシャ語の言葉は、エレンコーである。どちらの言葉も、大抵の場合、罪を悟らせて当人に悔い改めるよう要求するという考えを伝えている。ヤーカハが出て来る多くの箇所を翻訳するのにギリシャ語セプトゥアギンタ訳がエレンコーを用いていることに関して、新約聖書神学辞典はこう述べている。「それは、神がご自分の司法活動の結果として人を懲らしめ、教育することを表わしている。このことには、罪人に罪を悟らせることから懲罰や処罰を与えることまで、また厳しい試みによって義人を教え諭すことから教えや訓戒によって導くことまで、教育のあらゆる面が包含されている」。
2004年04月23日
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生命もしくは生存の原理であり、個体の生きた存在、あるいは生きて存在している期間を指す。地上における物質界の生物に関して言えば、命あるものには一般に、成長、物質代謝、外界の刺激に対する反応、生殖などの能力がある。聖書の中で命という意味で用いられているヘブライ語の言葉はハイイームで、ギリシャ語の言葉はゾーエーである。ヘブライ語のネフェシュという語とギリシャ語のプシュケーという語はどちらも「魂」を意味し、抽象的な意味における命ではなく、人間もしくは動物としての命を指す語としても用いられている。植物にも命があり、そこには生命の原理が働いているが、それは魂としての命ではない。理知を持つ者に適用される全き意味での命とは、生きる権利を持った完全な存在のことである。
2004年04月22日
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口論もしくは論争、または訴訟。聖書は、理由もなく言い争いや口論にかかわってはならないと助言している。(Pr 3:30)「通りすがりに自分に関係のない言い争いに憤怒する者は、犬の耳をつかむ者のようだ」とProverbsは述べている。(Pr 26:17)愚鈍な者の話は容易に言い争いに至り、愚かな者は言い争いを避けるための抑制力を働かせない。(Pr 18:6; 20:3)言い争いは「怒りを押し出す」ことから生じるので(箴 30:33)、怒ることに遅ければ逆の効果が生じる。―Pr 15:18.言い争いは平和な雰囲気を打ち壊し(Pr 17:1)、最も柔和な人にも自制を失わせることがある。言い争いは有害な結果をもたらすので、Proverbsは、「言い争いが突然始まってしまう前にそこを去れ」と助言している。
2004年04月21日
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さげすむこと、または侮辱、嘲笑もしくは愚弄を受けさせること。ヘブライ語やギリシャ語には様々な度合いのあざけりを表わす幾つかの言葉があるが、どの語を選ぶかは状況によって異なる。であるから、聖書には、あざけったり、あざ笑ったり、冷笑したり、嘲笑したり、やじったり、笑ったり、愚弄したりする人のことが出て来る。あざける者たちは一般に他の人々にとって忌むべき者である。(Pr 24:9)そのような人々は、もし戒めを受け入れないなら、災難に遭う。(Pr 1:22‐27)また、貧しい人や自分の親をあざ笑う者は、何と卑劣な人間だろう。(Pr 17:5; 30:17)多くの場合、あざける者は叱責する人の言葉を聴こうとしないし(Pr 13:1)、戒めてくれる人を愛さない。(Pr 9:7,8; 15:12)いずれにせよ、そのような人は他の人々の益のために懲らしめを受けるべき。(Pr 9:12; 19:25,29; 21:11)そのような汚れた者たちと交際するよりも、そういう人々を追い出すほうが勝っている。不敬虔なあざける者たちと共に座ろうとしない人は、ずっと幸いだといえることは間違いない。
2004年04月20日
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胎芽または胎児が独立して生きられるようになる前に胎外に排出されること。一般の用法では、堕胎もしくは妊娠中絶と流産はしばしば区別されている。前者は故意に分娩を誘発して妊娠している子宮の中身を出すことと定義されており、後者は不慮の避けられない妊娠中断とみなされている。聖書中では堕胎、もしくは妊娠中絶と流産は区別されておらず、聖書ではこれらの語がより広い、互換性のある意味で用いられている。ヘブライ語のシャーカルは「流産をする」(Ex 23:26)という意味であるが、この語は「奪い取る」(De 32:25)、『子を奪う』(Le 26:22)、「流産する」(Ho 9:14)、『実を結ばない』(Mal 3:11)とも訳されている。ヘブライ語のヨーツェートという言葉は、Psalms 144:14.では「流産」と訳されており、「出て来る」という意味の語根に由来している。「流産」および「月足らずで生まれた者」という表現は、ヘブライ語のネーフェルという言葉を訳したもので、この語は「落ちる」という意味の語根ナーファルに由来している。不可抗力の流産は、事故、伝染病、心身のストレスや過労、あるいは母親が虚弱体質であることによって生じることがある。人為的な手段により、薬物の使用により、あるいは手術により、望まれない子供の誕生を避けることだけを目的として故意に妊娠中絶や流産を誘発することは、神の目から見て重大な犯罪行為。命は神からの貴重な賜物なので、神聖なもの。それゆえに、モーセに与えられた神の律法は、まだ生まれていない赤子を堕胎から守るだけにとどまらず、他の危害からも守った。というのは、もし男たちがけんかしている時に、妊婦あるいはその子供が致命傷を負ったなら、「魂には魂……を与えなければな(らなかった)」。(Ex 21:22‐25)もちろん、そのような罰を適用する前に、その状況やどの程度故意のものであったかが裁き人たちによって考慮された。J・グレン博士は、危害をもたらそうと故意に企てることの重大さを強調して、次のように注解している。「子宮内で生育できる胎芽は一個の人間である。ゆえに、それを殺すことは、第六のおきてを破ることなのである」―「聖書と現代医学」より。
2004年04月19日
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ヘブライ語のバーサール、およびギリシャ語のサルクスは、人間、獣、鳥、あるいは魚の別を問わず、おもに肉体の柔らかい部分を指す。さらに限定すれば、おもに筋肉と脂肪でできている部分のことである。聖書は、生き物の種類によってその肉がそれぞれ異なっていることを指摘している。(1Co 15:39)研究者たちは、そのとおりであることを認めるようになっており、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、および魚の肉はそれぞれの化学的組成や細胞の構造が大いに異なっていることに気づいている。人肉嗜食、つまり人肉を食べることなど、人間にとって本来考えるのも不快なことであり、神とその古代の契約の民イスラエルはこれを憎悪した。イスラエル人は、野獣に引き裂かれた動物の肉も、自然死した動物の肉も食べることはできなかった。そういう動物の肉は、正しく血が抜かれていないことを別にしても、忌むべきものであった。今日では比喩的な意味において人肉を喰らうような行為が数多く見られる、そして文字通り人肉嗜食している連中もいる。まったくもって恐ろしい時代である。道徳感覚が麻痺している。
2004年04月18日
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聖書の中で使われている原語の言葉(ヘブライ語、ネフェシュ; ギリシャ語、プシュケー[ψυχη])は、「魂」が人や動物、あるいは人や動物の享受している命であることを示している。英語の“soul”(魂)という語からほとんどの人が共通して思い浮かべる事柄は、霊感を受けた聖書筆者が使ったヘブライ語やギリシャ語の意味とは一致していない。この事実は、次第に広く認められるようになっている。1897年にC・A・ブリッグズ教授は、ネフェシュの用法を詳細に分析した結果、聖書文献ジャーナル(第16巻、30ページ)の中で、「現在使われている英語の“soul”は大抵の場合、ヘブライ語の[ネフェシュ]とは違う意味を伝えており、不注意な読者は誤解しやすい」と述べている。アメリカ・ユダヤ人出版協会がトーラー、すなわち聖書の最初の五つの書の新しい翻訳を出版した時、その編集主幹を務めたヘブライ・ユニオン大学のH・M・オーリンスキが、「ここで問題になっているヘブライ語は“ネフェシュ”」なので、“soul”という語はこの翻訳からほとんどすべて削除されていると述べた。彼はこう付け加えている。「他の翻訳者たちは、それが“soul”を意味すると解釈しているが、それは極めて不正確である。聖書は、我々が魂を持っているとは述べていない。“ネフェシュ”はその人自身であり、食物に対するその人の欲求であり、その人の血管を流れる血そのものであり、その人の存在なのである」。人間の魂は目に見えず不滅であるという教えはどこから出ているのだろうか。問題は、英語の“soul”という語の一般的な意味が、主として、ヘブライ語聖書やクリスチャン・ギリシャ語聖書からではなく、古代のギリシャ哲学、実際には異教の宗教思想から来ていることにある。例えば、ギリシャの哲学者プラトンは、ソクラテスが語ったとされる次のような言葉を引用している。「魂は……もし肉体から何も引きずり出すことなく純粋なかたちで肉体を離れるなら……魂自体に似たもの、すなわち目に見えず神聖で不滅で賢いものの中へと入って行く。そこにたどり着くと、魂は、誤りや愚行や恐れや……人間に付きものの他のすべての苦難から解放されて幸福である。そして……実際にその後いつまでも神々と共に生きる」―「ファイドン」。プシュケー(魂)は物質ではなく、形がなく、目に見えず、不滅であるというギリシャの教えとは全く対照的に、聖書では、地上の生き物に関して用いられているプシュケーとネフェシュはいずれも、物質であり、形があり、目に見える、死すべきものを指している。
2004年04月17日
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肉体の死後にも生き続ける死人の霊は、特にその影響を受けやすい人(霊媒)を通じて、生きている人と交信することができ、実際に交信する、という信仰もしくは教理。聖書も一般の歴史も、ごく初期の時代から心霊術があったことを明らかにしている。エジプトの宗教は心霊術に関係する事柄で満ちていた。また、アッシリアのおもな宗教上の中心地でもあったバビロンの宗教も心霊術が特色となっていた。ギリシャ語で「心霊術」を意味する言葉はファルマキアである。「(英語,ファーマシーその他)は、おもに薬、麻薬、まじないなどの使用を意味する。「バインの旧新約聖書用語解説辞典」(1981年、第4巻、51、52ページより)次いで、毒を盛ること。次いで、『肉の業』の一つとして言及されている呪術、呪術においては、簡単なものにせよ効き目の強いものにせよ麻薬が使われた。それと共に呪文が唱えられ、オカルト的な力への呼びかけがなされるのが普通である。そこには種々の護符やお守りなどが用意される。それらは依頼者や患者を悪霊の働きかけや力から守るためのものと言われているが、実際には依頼者に呪術師の神秘的な能力や力を印象づけるためのものである」。このような肉の業からは離れているべきである。
2004年04月16日
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これはギリシャ語のカタラリアの訳語である。関連のある動詞カタラレオーは字義通りには「悪く言う」こと、それも正当な理由がないのに、大抵は悪意のある、あるいは敵意のこもった方法でそうすることを意味する。使徒Jamesはこの言葉を、人を不当に裁いたりとがめたりすることと結び付け、理不尽な仕方で非難するという意味を伝えています。陰口をきく者、つまり陰で悪意をこめて他人の悪口を言う人は、神の憤りが向けられる者たちの中に含められており、み言葉はそのような事柄を続ける者がすべて死に価することを示している。
2004年04月15日
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他の人の所有物、繁栄、有利な立場、地位、あるいは評判のためにその人に対して抱く、憤りと不快感のこもった感情。 そねむ人は他の人の持っているものを欲しがり、欲しいと思うものを持っている人たちにはそれを持つ資格がないと考えることがある。 ヘブライ語のキンアーという言葉は、文脈によって熱心、激情、全き専心を求めることを指す場合もあれば、しっとやそねみを指す場合もある。 一方、ギリシャ語のフトノスは常に否定的な意味合いを含んでおり、そねみを意味する。 罪深い人間の持つ悪い性向の一つは、そねむ傾向である。それは憎しみの表われである。
2004年04月14日
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アルコール飲料を飲み過ぎたために酔っている状態。大酒飲みとは、強い酒に過度にふけって酩酊する習慣のある人のことである。酩酊するまで強い酒を飲むことは、聖書の中で厳しく非難されている。「箴言」の賢明な筆者は、アルコール飲料を飲み過ぎた時の影響を生々しく、しかも科学的に正確な筆致で描き、こう警告している。「災いに遭っているのはだれか。不安を抱いているのはだれか。口論をしているのはだれか。心配をしているのはだれか。理由もなく傷を負っているのはだれか。目の鈍くなっているのはだれか。それはぶどう酒と共に長い時を過ごす者、混ぜ合わせたぶどう酒を捜し出すために入って来る者たちではないか。ぶどう酒が赤色を呈し、杯の中できらめきを放ち[ぶどう酒がひどく魅惑的にきらめいて見え]、なめらかに流れるとき[あまりにも楽々とのどを滑り下りるとき]、これを見てはならない。それは終わりには蛇のようにかみ、まむしのように毒を分泌する[それは身体面の(例えば、肝硬変を引き起こす)、あるいは精神面の(飲酒家譫妄を生じさせる)病気の原因となるばかりか、実際に命を奪うこともある]。あなたの目は奇妙なものを見[アルコールは脳の中枢に影響を及ぼし、それを抑制する; 普段は抑制されている態度が前面に出て来る; 幻覚が生じる; 記憶の空白部分を埋めるために、空想上の経験を非常にもっともらしく語る; 気ままな行動を表わす]、あなたの心はゆがんだことを話す[普段は押さえられている考えや欲求が表われる]」。―Pr 23:29‐33; Ho 4:11; Mat 15:18、19.同じ筆者は大酒飲み自身が経験する事柄を描写し、こう続けている。「そして、あなたは必ず、海の真ん中に横たわっている者[おぼれる人の錯乱状態を経験し、ついには無意識の状態に陥る人]のように、帆柱のてっぺんに横たわっている者のようになる[船の揺れはその部分が最も大きいので、大酒飲みの命は事故、発作、けんかなどで危険にさらされる]。『彼らはわたしを打ったが、わたしは病気にならなかった。彼らはわたしを殴ったが、わたしはそれに気がつかなかった[大酒飲みは、独り言のようにそう言う; 当人は実際に起きたことや,その経験によって身に招いた罰に対して無意識であった]。わたしはいつ目覚めることだろう。わたしはさらにそれをもう少し求めるであろう[当人は今、飲み過ぎの影響を眠りによって取り除かなければならないが、飲酒の奴隷になっているので、飲めるようになったらまた飲もうと、そのことを楽しみにしている]』」。そのような人は、酒に金をつぎ込み過ぎることにより、また信頼の置けない、仕事のできない人間になることにより、貧困に陥ってゆく。―Pr 23:20、21、34、35.大酒飲みは、ばか騒ぎをしたり、荒々しく気ままに騒音を立てたり、ばかげた行為に走り、恥辱をもたらしたりしがちである。そのため、酩酊を習わしにすることは、許容されるものではない。ただ、「死すべき人間の心を歓ばせるぶどう酒」という言葉があるようにぶどう酒や他の強い酒を適度に飲むことは、健全な楽しみであるといえるだろう。あくまでこれはわたしの良心の問題であり、この浮かれ酔酒をともなう飲み会などは有害であるという考えがある。
2004年04月13日
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米国では、毎年14歳以下の少女約3万人が妊娠し、十代で妊娠する少女の合計は年間100万人に上る。そのうち約60万人の少女は子供を産むが、そのうち3人に二人は結婚せずに子供を産む。カナダでは毎週1,000人を超す十代の少女が妊娠する。ニュージーランドでは生まれてくる赤ん坊のうち5人に一人は私生児である。これも、家庭が破綻をきたした悲しい結果である。明らかに、家庭生活の破綻は、広範にわたっており、悲惨な結果をもたらしている。幾十万人もの十代の母親が夫なしで子供を育てようとしていることを考えるとがく然とさせられる。しかし、それは現実に起きていることである。そればかりか、英国の20歳未満の花嫁の3人に一人は、結婚式の当日すでに妊娠している。米国でも、25歳未満の新婦のほぼ四分の一は結婚の時すでに子供を出産しているか、あるいは妊娠中である。それらの新しい家族のほとんどは、そのような事情のために経済面と感情面で負担をかかえる。(70年代以降の家庭の崩壊を特徴付けるデータ)現在幾つかの国々では、学齢期の子供を持つ母親の多くが職業に就いている。米国の場合、母親の半数余りが職業を持っている。父親も働いているので、子供たちは大抵、必要とされる親の指導を受けそこなっている。ユーリー・ブロンフェンブレンナー教授の次の言葉が示している通りである。「確実に問題を予示するものがあるとすれば、それは子供が帰って来ても家にだれもいないということであろう」。離婚、別居、姦淫が広く見られ、多くの親による家庭の責任の回避などがいよいよ一般的になってきているので、社会学者たちは、家族は今世紀に消滅する可能性があると予告している。また、家庭生活の破綻が癌のように広がり、文明そのものの崩壊を招くことを恐れている人々もいる。21世紀に入った現在、完全にそうはなっていないかもしれないが、上記の社会学者の見通しは正しかったといえる状況に近いものが明らかにみられる。
2004年04月12日
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文字通り何百万人ものアルコール中毒者のいる国は珍しくない。フランスでは1年間に4万人がアルコール中毒で死亡しているとのことである。('79)米国では5人の高校生のうち一人は1週間に少なくとも1度酒に酔う。アルコール中毒の根本的な原因が家族のいさかいや不和にあることは認められている。
2004年04月11日
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イタリアで国民兵役に召集された196万8,984人の若者のうち、6万5,000人近くが梅毒にかかっていることが明らかになった。毎年米国で報告される100万人のりん病患者の25%は15歳から19歳の若者である。米国では毎日約5,750人の少女がりん病のために学校を休んでいる。今日見られる恐るべき性の乱脈ぶりの主要な原因は家庭が破綻をきたしていることにある。いずれも、'79~'80にかけての数字。
2004年04月10日
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親子三代が一緒に暮らしている家族は現在あまり見られなくなった。アメリカには一人で暮らしている人が650万人余りいる。('80)年老いた親族は多くの場合は邪魔者扱いにされて老人ホームへ入れられるか、さもなければのけ者にされる。その結果、多くのお年寄りは孤独を味わい、早く死んでしまう。
2004年04月09日
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「人が殺されたり、傷付けられたり、暴力をふるわれたりする可能性は、他のいかなる社会状況におけるよりも、自分の家の中で親族から受けることが多い」と、社会学者のリチャード・ゲリーズは述べている。米国では毎年2,000人ほどの子供が親の手にかかって殺され、100万人近い子供が危害を加えられている。また、夫婦間の殺人事件は年間約2,000件に上っている。これは家族の状態が悪化しつつあることの結果である。(いずれも'80の数字)
2004年04月08日
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麻薬の乱用は世界の多くの国で、特に若者たちの間に増えている。イタリアには麻薬中毒者が20万人、英国には200万人、米国には600万人いると伝えられている。('80)ある指導的な精神科医は、「麻薬常用者を調べて大抵気づくのは、人格形成期である幼年時代を父親なしで過ごしていることである」と述べている。
2004年04月07日
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国連人権委員会の報告によれば,南米のある一つの国だけで未成年者の売春婦が約5万人いる。少女の売春は世界中に広まっている。その理由について、1978年5月16日付のデトロイト・ニューズ紙は、「売春婦になる少女の多くは分裂した家庭の出であることが一つの型になっている」と述べている。幾つかの調査によると、売春婦の25%は近親相姦の経験を持っている。
2004年04月06日
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日本では毎週平均16人を超える若者が自殺を図っている。西ドイツでは最近1年間に1,468人の若者が自ら命を絶った。米国では毎年約5,000人、つまり一日平均13人の若者が自殺している。('80当時の数字)青年期の精神医学を研究しているあるグループの主任、アーサー・フローズ博士はこう説明している。「昔から心のよりどころとなってきたものがもはやなくなったと感じている若者は少なくない。家族はますます安定性を失ってきており、働きに出る母親が増えている。おばあちゃんが近所に住んでいないから、子供は放課後、クッキーを焼いているおばあちゃんのところへ行くということもできない」。
2004年04月05日
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「家族制度が崩壊していることを考えれば、[米国で]1年間に教師に対する暴行が7万件あり、学校で殺人事件が100件起き、10億$(約2,400億円)相当の学校の資産が破壊されたことも不思議ではない」と、メニンガー財団の主任精神科医ハロルド・V・ロス博士は言明している。('80頃)
2004年04月04日
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世界中で、家族という制度はほころびてきている。家庭問題がこれほど多い時代はかつてなかったのではないだろうか。アメリカとカナダの離婚件数は、他の国にも存在する問題の深刻さを示す一例に過ぎない。これと同様の、あるいはもっと高い離婚率を示している国がほかにも幾つかある。社会の基本的な単位である家族の生活の破綻は、人体の基本的な単位である細胞が十分に機能しないことになぞらえられるだろう。たくさんの細胞が病気になって、“狂って”しまうと、体全体に悪い影響が及ぶ。同様に、多くの家族が生活に破綻をきたすならば、文明全体が衰える。家庭問題の専門家であるメイヤー・エルキンは、「今の子供たちは分裂した家庭で育っている。我々は社会的な時限爆弾を生産しているのである」と警告している。実際、家庭生活の破綻の結果はどれほど深刻か。家庭生活の破綻が主な原因であるとされている問題を次回に挙げてみる。
2004年04月03日
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では、それら、従来の家族制度に取って代わろうとする関係はどんな結果を生んでいるだろうか。大体において良い結果は得られていない。例えば、新しい道徳を実践している若者の間では十代の妊娠が非常な勢いで増えており、そのために政府は毎年、医療費と福祉費に多額の予算を計上しなければならない。そのつけは納税者に回ってくる。実を言うと、これら家族制度に取って代わる生活上の取り決めが出てきたこと自体、すでに実証済みの価値が崩壊していることの表われなのである。これは早晩わたしたちすべてに影響を及ぼす事柄である。かなり古いが、1978年のワールド・ブック百科事典はそのことを次のように印象的に述べている。「文明全体の存続もしくは消滅は、家族生活が堅実かどうかにかかっていた」。これは本当に真実だろうか。歴史家たちは、古代ギリシャにおいて道徳の退廃が家庭を破壊したことを指摘する。歴史家ウィル・デュラントは当時の人々の様々な生活様式に注目したのち、こう書いている。「これまで、ギリシャがローマによって征服された根本原因は、ギリシャ文明が内部から崩壊したことにあった、という点を示そうと努めてきた。大国が征服される場合、その国は必ずすでに内部から崩壊している」。このことはローマについても言える。デュラントによれば、ローマの初期には家族の結束が強かったので、人々はしっかりしていて国家は強力だった。それから数世紀経てローマ人の家族生活が弱まると、国力も衰えた。ところで、現在の社会をながめて、歴史が全世界的な規模で繰り返しているのではないだろうかと考える人もいる。今日、家庭は本当に破綻をきたしているのか。この後示す事柄はそれを明らかにする。
2004年04月02日
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家族は社会の最も古い、最も基本的な単位である。また、一国の青年男女を保護し、育むための枠組でもある。しかし、深刻な問題を抱えた家族が多いことを皆さんは恐らく知っておられるだろう。家族のきずなが弱まり、崩壊の一途をたどるようになるとどうなるのか。US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の1978年3月13日号は次のように述べていた。「家族は社会の中心的な力である。その家族という制度が崩壊すれば、その代わりとなるものを設けない限り、社会も崩壊する。しかも、それは強力で道理に合ったものでなければならない」。しかし、実際のところ、従来の家族制度の代わりを立派に務めるものが何かあるだろうか。今や普通になっている、「家族のような」様々な実験的関係を見てどう思われるだろうか。例えば、同性愛者の“家族”が続々と登場し、中には、養子をもらっている“家族”さえある。性関係も共同なら、生まれた子供の養育も共同という、コミューン式の“集団婚”もあった。正式に結婚している男女が、互いに配偶者以外の人と性関係を持つことを認め合っている“開かれた結婚”も今では当然のことのように行なわれている。特に多いのは、男女が合法的な結婚の正式手続をせずに同棲する“内縁関係”である。これらの結果は何を生み出しているだろうか…。
2004年04月01日
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