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ハロウィーン(Halloween)は、「万聖節の前夜祭(All Hallows' Eve)」とも呼ばれている。しかしながら、キリスト教の用語のように聞こえるこの名称に、「聖(hallow)」とは言えない起源が隠されている。事実、学者たちは、ハロウィーンのルーツを、キリスト教時代のずっと以前、古代ケルト人が大ブリテン島やアイルランドに住みついたころのものとしている。ケルト人は太陰暦を使い、1年を二つの季節―暗い冬の期間と明るい夏の期間―に分けていた。そして、11月1日ごろの満月に、「夏の終わり」を意味するサムハインを祝った。 ケルト人の新年の始まりを画するこの祭りは、夏期の終わり、つまり収穫がすんで、牛や羊を放牧地から畜舎へ入れ終えたころに行なわれた。ケルト人は、日が短くなるころに、さまざまな儀式や犠牲によって太陽を活気づけなければならないと信じていた。古い年が死んでゆく象徴としてすべての火が消されると共に、聖なるかがり火がともされて新しい年が始まった。共同体のすべての人は、そのかがり火からの火で自分の家の炉床に新たに火を起こしたのである。こうしたかがり火は、今日の英国で行なわれるガイ・フォークス・ナイトやブラジルの6月の祭りなどに名残をとどめているが、それは悪霊を追い払うためのものとも考えられていた。 サムハインの祭りの時には人間界と超自然界との間のベールが開き、善い霊も悪い霊も共に地をさまよう、と信じられていた。死者の魂は自分の家に戻ると考えられ、家族はそれぞれ訪ねて来る亡霊のために食事や飲み物を調えてなだめ、あるいは災いを防ごうとした。であるから、今日の子どもたちがお化けや魔女の格好をして家々をめぐり、ハロウィーンのお菓子をねだったり、いたずらをすると脅したりする時、それと知らずに古代のサムハインの儀式を伝承していることになる。ジャン・マルカルは自著、「ハロウィーン―歴史と伝統」(Halloween, histoire et traditions)の中で、「何かを手にもらう時、自分たちの理解していない象徴のレベルで、見える世界と見えない世界との間の兄弟的交歓関係ができ上がっていることになる。ハロウィーンの仮装……が、実は宗教的儀式であるという理由はここにある」と述べている。 人々は、物質の領域と超自然の領域との境界が除かれると信じ、人間が霊の世界へとたやすく越えて行けると考えていた。したがって、サムハインは特に、将来についての秘密が明かされる点で、とりわけ縁起の良い時期とされた。リンゴやハシバミの実はどちらも神聖な樹木の産物とみなされ、結婚、病気、死などに関する占いのために用いられた。例えば、しるしを付けたリンゴをたらいの水の中に幾つか入れて、手を使わずにリンゴを一つくわえると、若者は男性でも女性でも、だれが自分の未来の配偶者かが分かる、とされていた。この占いの風習は、今日でもハロウィーンのリンゴくわえ(bobbing for apples)ゲームとして残っている。 サムハインはまた、酔って騒いだり、羽目を外したりすることが特徴であった。「通常の価値判断は、愚弄されないまでも、まったく逆転した。禁じられていたことが許され、許されていたことが禁じられた」とマルカルは述べている。ハロウィーンは今日でもこの種の精神を反映しており、それが、人気の高まっているかなりの理由であるに違いない。この点に関し、「宗教百科事典」(The Encyclopedia of Religion)は、現今のハロウィーンについて、「大人も文化的制約を越え、したい放題の軽薄な晩を過ごして、自分を捨てられる時」と述べ、「こうして、いつもの現実や予測される種々の物事から年に一度の逃避ができる晩という、ケルト的な祝祭の原形は、20世紀にまで保たれた」と述べている。
2004年10月31日
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10月31日の夜。月明かりの中で、仮装した小人数のグループが家々を回り、たいへんな剣幕で脅しをかけ、自分たちの要求を突きつける。ある家では、いかめしい顔つきのカボチャの提灯が戸口を守っている。中のろうそくは人間の脂肪でできている。ある家の玄関には人間の血が滴っている。これは、ケルト人の死者の神サムハインをたたえる夜である。“キリスト教化された”祝いの中で、サタンがこれほど自分をたたえ、死んだ信奉者たちを記念する祝いはほかにないだろう。著述家J・ガルニエが示唆するところによれば、苦しみと死の祝いの起源は、堕落したみ使いたちの混血の子供ばかりか、サタンを信奉する人間たちがすべて洪水の時に滅びてしまった昔にまでさかのぼる。世界の様々な文化圏の死者の祭りは「すべて、洪水が起きたとモーセが記しているまさにその日、またはその前後、つまり第2の月の17日、現在ではおおよそ11月に当たる月に行なわれ」る。―J・ガルニエ著、「死者の崇拝」。 ドルイドたちも例外ではなかった。10月31日には、サムハインによって解き放たれた死者の霊が生きている者たちと交わると言われていた。ドルイドたちは提灯を手に通りを練り歩き、家にやって来ては、サタンへの捧げ物として金銭を要求した。 ハロウィーンは、悪魔崇拝の儀式が行なわれる主要な日である。「悪魔主義者が犠牲をささげ、魔女が輪になって静かに祈ったり死者のための食事をしたりする、死者の世界のための宗教的な祝日である」と、ユーエスエー・ツデー紙の記事は伝えている。同紙は、ワシントンの魔法使い、ブライアン・ジョーダンの言葉を引用し、「[キリスト教徒は]知らないで、私たちと一緒に私たちの祝日を祝っています。……私はそのことに好感を持っています」と述べている。★仮面と衣装。「ケルト人は、霊たちのために飲食物その他のごちそうを供え、それから仮面と衣装を着けて村の外れまで行進し、霊たちをだまして追い払った」。★かがり火(bonfire)は、「文字通り、“骨を燃やす火(bonefire)”」で、「祭司たちが動物を、またしばしば人間を、いけにえとしてささげて太陽の神をなだめる時の」火だった。(タンパ・トリビューン紙)「ドルイドは、いけにえの生き物が死ぬ様子を眺めて将来を占おうとした」―ボーモント・エンタープライズ紙。★お菓子をくれないといたずらする。「ドルイドたちの叫び声は、現代の『お菓子をくれないといたずらするぞ』に似たところがある」―セントラル・コースト・ペアレント誌。★怖い話。「血生臭いドルイドの儀式は、若者たちが幽霊や精霊を話題の中心にすることの中に今も生き続けている。……ハロウィーンにパーティーを開いたり、怖い話をしたりする風習も、ドルイド時代に、霊が国の中をさまよっていると考えられていたことから始まっている」―タンパ・トリビューン紙。 これらの祝日が異教に起源を有しているにもかかわらず、現代の祝いの楽しさを子供から取り上げるという考えにたじろぐ人もいる。では、よく教えられている子供は、古代のサトゥルヌス、アスタルテ、サムハインについてどんなことを知っているだろうか。ある子供たちは非常によく知っている。そして、そうしたものにかかわりたくないとも思っている。 親の皆さん、あなたは自分の子供にこのような儀式のまねをしてほしいと思われるだろうか。
2004年10月30日
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フィリップ・スタッブルフィールド博士はニューズウィーク誌のインタビューに答えて、「中絶医であることが公に知られると命取りになる」と語った。事実、米国では一般の人々からの圧力が強くて中絶手術を完全にやめてしまった医師が少なくない。幾つもの中絶診療所が爆破事件で破壊された。「医師たちが地域社会の行なう事柄を恐れているため、所長のなり手がいない診療所が国中にある」という時代があった。 それにもかかわらず、中絶は行なわれ続け、その数は増えていた。その理由の一つを見つけるのはさほど難しくはない。それは、利益の上がるビジネスだからである。 例えば、パルス誌の伝えるところによると、フランスのパリでは、親が自分の十代の娘にひそかに中絶させるために1,000ポンド相当を支払った。ロンドンの一部の診療所は中絶1件に対して2,000ポンドを請求する、と同誌の記事は述べていた。 英国最大の中絶あっせん機関のうちの二つは、1982年に合わせて450万ポンドの収入があった。ヒューマン・コンサーン誌はその額を報じ、「中絶はもうかるビジネスだ」と評していた。日本の政府は経口避妊薬(ピル)を認可していなかった。「その禁止は、中絶手術で一財産を築く医師たちの圧力によるものである」と、ロンドンのサンデー・タイムズ紙は当時報じていた。中絶の世界のどこを調べても、お金の問題が表面に出てくる。 これは別に驚くほどのことではない。未婚の十代の娘が妊娠したといった突然の精神的打撃を受けたとき、多くの親は、その状況を解決できるのであればどんな額の料金も妥当と思う。中絶が安全に素早く、しかも全く秘密裏になされるのであればなおのことだろう。 それでも、この問題全体に関して憂うつな気持ちになっている医師が多くなっていた。英国における中絶時代の開幕の時にデーリー・メール紙は、イアン・モリス教授の言葉として、「もしも自分が、中絶について今知っている事柄を、この職業に就いたばかりの時に知っていたなら、自分は婦人科を選ぶことなど決してしなかっただろう」と報じた。さらに同教授は、「わたしは中絶手術を嫌悪する。それは自分が受けてきたあらゆる医学的な訓練に全く反するものだからだ。目指すところはすべて救命であって、この特殊な形の殺人を行なうことではないのだ」と述べた。実に強い言葉であるが、すべての医師が同意見というわけではない。しかし、その言葉からは確かに、一部の医師が本能的に感じている中絶手術に対する嫌悪感が伝わってくる。
2004年10月29日
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先に触れた17歳の女性は、子供を中絶しないことに決めた。こう言っている。「姉は、私が妊娠していることに気づいて、最初から特に感情面で支えになってくれました。姉は、私が子供を産んでもずっと援助してくれるとまで言ってくれました。心の奥底で思っていたことを実行するのに、その言葉を聞くだけで十分でした。私はそれを実行に移し、子供を産みました」。それは9年前のことでした。彼女は、8歳になる息子を見ながら、「中絶をしていたら、生涯で最大の過ちをおかすところでした」と語っている。 またある若い女性も同じようなことを述べている。「5年前に、中絶クリニックの待合室に座って、自分の順番を待っていました。私の順番になった時、考え直して、医師と会う代わりにクリニックを出ました。今4歳になるかわいい息子がいて、もうすぐ二人目の子供を出産します。そして私はお腹の子の愛情深い父親と結婚しています」。 未婚で妊娠しているなら、性急な決定を下してはならない。状況が極めて悪いように見えても、希望が全くないわけではない。しかし、支えや円熟した人からの導きは確かに必要である。両親に自分の心を打ち明けるのは、良いスタートと言える。もし両親がクリスチャンであるなら特にそう言える。(Pr 23:26)確かに最初、両親は間違いなく傷つき、怒ることだろう。しかし、恐らくいつかは、喜んで助けてくださるようになるだろう。例えば、妊婦検診などの世話を受けられるように取り計らってくれるかもしれない。また、資格のある人に差し伸べられている、政府の設けた何らかの計画を利用できるよう助けてくれるだろう。 自分の子供に最善のものを与えられないと感じて、養子に出すことにした未婚の母親もいる。子供を養子に出すほうが、子供の命を終わらせるよりずっと良いとはいえ、神は、『自分に属する人々に必要な物を備える』責任を親に与えておられる。(1Ti 5:8)一人で子供を育てるなら、子供に物質面で最良のものを与えることはできないかもしれないが、それよりはるかに重要なもの、つまり愛を与えることができる。(Pr 15:17)それで大抵の場合、未婚の母にとって、自分で子供を育てるほうがもっとよいだろう。 赤ちゃんを育てるという骨の折れる仕事や、生活を大きく変化させなければならないことに関してはどうだろうか。すべてを考えると圧倒されそうになるかもしれない。しかし、聖書はそうした難問に対処するうえで助けとなる実際的な助言を与えている。悔い改めた未婚の母は、神の言葉にしっかりと根ざした霊的な援助からも益を受けることができる。そう、愛ある支えや適切な導きを得て、置かれた状況下で最善を尽くすことができる。 妊娠中絶は全く解決策にはならないのである。
2004年10月28日
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妊娠中絶は、簡単な解決策というより、問題をさらに悪化させる可能性がある。少なくとも、正邪に対する内なる感覚、つまり神が人間に植え込まれた良心に反するものとなる。(Ro 2:15)さらに、妊娠中絶は、若い女性に、胎内で成長している小さな命に対して優しい同情の扉を閉じるよう求めるものである。本当に道徳心を弱める行為といえるのではないだろうか。 15歳の少女は「[中絶後]数週間たってから、罪悪感や後ろめたさのようなものを感じ始めました」と言っている。状況は2月、つまり子供を出産するはずだった月になると、もっと難しくなってしまった。またある女性も昔を思い出して次のように語っている。「15年前に妊娠中絶をしました。中絶をしてから、私は重いうつ病を患い、病院で何度も治療を受けなければなりませんでした。自殺したいとさえ思いました」。 確かに、若い女性がすべてこのように反応するわけではない。多くの人は、胎児は人間の命ではないと心から信じている。しかしこの点に関して、「命の源」である創造者は何と述べておられるだろうか。(Ps 36:9)聖書は、神にとって胎内で成長している子供は単なる胎内の器官よりずっと重要なものであることを明らかにしている。神はダビデ王に霊感を与えて次のように記させた。「あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました」。(Ps 139:16)それで創造者は、胎児でさえ別個の人間、生きている一個の人間としてご覧になるのである。この理由で、神は、人が胎児を傷つけた場合、その責任を問われると言われたのである。(Ex 21:22、23)であるから、神からすれば、胎内の子供を殺すことは人間の命を奪うことに等しいのである。それで神を喜ばせたいと思う少女は、たとえ圧力を受けたとしても、中絶を選択肢の一つと考えることはできない。
2004年10月27日
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無理もないことだが、ある種の強力な感情、相反する感情さえ働き始めるかもしれない。若い女性は、自分の胎内で成長している子供に母性愛を感じるものだが、同時に当然のこととして不安や心配も感じるかもしれない。 例えば、18歳の女性は「大学に行って、できたら修士号を取りたいとさえ思っていました」。彼女の考えでは、自分の将来の計画に赤ちゃんは邪魔になる。先の15歳の少女も同じような結論を下した。「母親になったら、子供と家にいなければならないでしょ。学校にも行けないし、私はそんな用意はできていなかったんです」。ある調査によれば、妊娠中絶をした十代の女性の87%は、子供を産むと生活が激変してしまい、それを受け入れる用意ができていないのではないかと恐れている。 経済的困難という不安や、一人で子供を育てるという責任を担う能力がないのではないかという懸念も、多くの人が中絶を選ぶ一般的な理由となっている。18歳の彼女はこう語っている。「私の育った家庭は、両親が離婚し、母一人で3人の子供を育てました。母の苦闘を見てきました。……私も母のような片親になるのが目に見えていました」。 他の人からの圧力、特にボーイフレンドからの圧力は、中絶を決意させるものとなることがある。17歳の女性はボーイフレンドに、「中絶しないなら、君とはもう二度と会いたくない」という最後通告を言い渡した。また別の女性の場合、中絶するようにとの圧力は、母親や他の親族からもたらされた。 妊娠中絶は実際には赤子の命を奪うものではない、という世間一般の考え方も大きな影響を及ぼす。先の18歳の女性は次のように言っている。「赤ちゃんとして考えないようにしたんです。……妊娠5週間目の胎児は小指の爪よりも小さいということを本で読み、必死にその考えにしがみつきました。もし小指の爪の大きさしかないなら、本当の赤ちゃんではないんだ、と自分に言い聞かせました。中絶できるように、現実のものとして考えないようにしたんです」。 医療技術が発達した国々では少なくとも、妊娠中絶は安全で、おそらく十代の妊婦の出産よりも安全ではないかと主張する人もいる。それで、すべてのことを考えたうえで、妊娠中絶が望ましいと感じるかもしれない。しかし、妊娠中絶を選んだものの、後悔するようになった人も少なくないことを事実は示している。ある女性は、「20歳の時に中絶をしました。今は34歳ですが、自分がしてしまったことにうまく対処するのが難しいのです。私は子供を産みたかったんですが、ボーイフレンドはそれを望みませんでした。私は今でも心に大きな傷を負っています。この心痛から一生逃れられないんです」と言っている。
2004年10月26日
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「妊娠検査が陽性と出たとき、ボーイフレンドは中絶するようにとすぐに要求しました。そのためのお金さえ渡してきたんです」と、彼女は述懐する。彼女は17歳だった。 ある少女は15歳の時、自分が妊娠していることに気づき、中絶クリニックのカウンセラーと話し合った。少女はこう言っている。「カウンセラーは私に細かな点まで話してくれました。彼女は、私が中絶してもいいし、もし望むなら、養子斡旋所か産院を探してあげてもいいと言いました」。 米国だけでも毎年100万人を超える十代の少女が妊娠している。その中には、クリスチャンとして訓練を受けてきたにもかかわらず、「淫行を避ける」、つまり結婚前のセックスを避けるようにとの神の命令に従わなかった若者も幾らかいる。(1Th 4:3)結局、不道徳行為は、多くの不必要な苦しみをもたらす。とは言っても、これらの若者の中には、自分の歩みを悔いるようになり、生き方を変えたいと思うようになった人も少なくない。ところが、結婚しないで子供を産んだ後の恐るべき展望を考えると、妊娠中絶が問題の簡単な解決策ではないかと考える人もいる。毎年、米国の妊娠した少女の50万人近くが結局、妊娠中絶を選ぶ。これは、望まれない妊娠の本当に一番良い解決策なのだろうか。
2004年10月25日
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何世紀もの間医師たちは、尊いヒポクラテスの誓いに表わされている価値観を信奉してきた。その誓いは一部次の通りである。「私は、たとえ頼まれても死をもたらす薬は与えない。そのような薬を飲むよう勧めもしない。いかなる婦人にも[中絶を行なうための]有害な座薬を与えない。むしろ、己の術を潔白かつ神聖なものに保つ」。 子宮内の生命を絶つ医師たちはどのような倫理的葛藤に直面するのだろうか。ある医師は次のように述べている。「インターンや研修医として中絶を行なっていた最初のころは、感情的苦痛は全くありませんでした。……満足できなくなってきたのは何百回も中絶手術を施してからのことでした。……私が変化した理由ですか。開業医になったばかりのころ、一組の夫婦が私のところに来て、中絶して欲しいと言いました。患者の子宮頸が硬直していたので、頸管を広げて中絶を行なうことができませんでした。1週間後にまた来れば、もっと柔らかくなっているだろうと私は言いました。夫婦は再び来ましたが、考え直したと言いました。7か月後に私はこの夫婦の赤ちゃんの出産に立ち会いました。「それから何年かたって、私は幼い男の子とテニスクラブのプールで遊びました。その子の両親も私もそこの会員だったのです。その子の名はジェフリーといいますが、ジェフリー君はかわいい子で、幸せそうでした。あの時私がジェフリー君の命を絶たなかったのは単に技術的に困難だったからだ、と考えるとぞっとしました。……母親から依頼されたというだけで、成長した胎児をずたずたに引き裂くのは、社会が許してはならない邪悪な行為だと思います」。 中絶手術を手伝うのをやめた一人の看護婦は、自分が中絶診療室で行なっていた仕事についてこう語った。「胎児の体の断片を数えるのも私たちの仕事でした。……胎児の体の一部を子宮内に残したまま母親が家に帰ると、深刻な問題が生じかねません。私は肉片を集めて、腕が2本、脚が2本、胴体、頭があるか注意深く確かめました。……私には4人の子供がいます。……自分の職業と私生活との矛盾があまりにも大きくて両立させることができませんでした。……中絶は難しい仕事です」。
2004年10月24日
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母親の子宮の中で暖かく安らかに心地よく過ごしていた胎児は、突然の猛攻撃を受けて命を奪われる時にどう感じるのだろうか。わたしたちには想像することしかできない。胎児から直接聞くことはできないから…。 中絶はたいてい妊娠から12週間以内に行なわれる。このころまでには、小さな胎児は呼吸をしたり飲み込んだりする練習をしており、心臓は拍動している。小さな足の指を丸めたり、指を握り締めたり、水中でとんぼ返りをしたりすることができる。そして、痛みも感じるのである。 多くの胎児は子宮からもぎ取られ、鋭い刃の付いた吸引器で瓶の中に吸い取られる。この方法は真空吸引と呼ばれている。強力な吸引力(家庭用掃除機の29倍)で小さな体をばらばらに引き裂く。拡張器とキュレットによって取り除かれる胎児もいる。キュレットは先が輪型になったナイフで、これを使って子宮内膜をこすり、胎児を細かく切り刻む。 16週を過ぎた胎児でも、食塩水を注入して食塩中毒を起こさせて中絶される。長い針を羊膜内に差し込んで羊水を幾らか吸い取り、代わりに濃縮した食塩水を注入する。胎児がその有毒な液体を飲み込んだり吸い込んだりして、肺がいっぱいになると、胎児は苦しみもだえる。食塩水には組織を破壊する働きがあるため、胎児の表皮はただれ落ち、皮がむけてしなびてしう。脳から出血が始まり、数時間後には痛みに苦しみながら死に至る。ところが、1日ほどたった後に陣痛が始まっても、死にかけてはいるもののまだ生きている胎児が生まれることも時々ある。 胎児が成長しすぎていて、このような方法で中絶できない場合、方法は一つしかない。子宮切開法である。これは帝王切開の一種であるが、生命を救うという通常の目的とは異なり、生命を終わらせるために行なわれる。母親の腹部を切開し、胎児を取り出す手術である。胎児はほとんどすべての場合生きている。泣くことさえある。しかしそのまま見殺しにされる。窒息させたり溺れさせたりするなどの手段を講じて胎児の命を絶つ場合もあるという。
2004年10月23日
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他の医療処置と同様に、中絶にはある程度の危険と痛みが伴う。妊娠期間中は赤ちゃんを安全に守るため子宮の入り口、つまり子宮頸は固く閉じている。拡張器を用いたり器具を挿入したりする時に、痛みと外傷を伴うことがある。吸引中絶術は30分ぐらいで終わり、術中に軽い痛みまたは激しい痛みを感じたり、けいれんを起こしたりする女性もいる。食塩水を注入して流産を誘発する方法もある。分娩促進剤プロスタグランディンが使われることもある。子宮の収縮が数時間から数日続くこともあり、痛みと感情的な消耗を伴う場合もある。 中絶直後に現われる合併症には、出血、子宮頸の損傷あるいは裂傷、子宮への穿孔、血液凝固、麻酔による反応、けいれん、発熱、悪寒、嘔吐などがある。胎児や胎盤の一部が子宮の中に残っていると、感染症にかかる危険は特に大きくなる。中絶が完全でないこともよくある。その場合には、後に残って腐敗してゆく組織を取り除く手術、場合によっては子宮そのものを摘出する手術が必要になるかもしれない。米国、英国、旧チェコスロバキア各政府が行なった調査は、妊娠中絶をするとその後、不妊、子宮外妊娠、流産、早産、先天性欠損症などの増加する可能性が非常に高くなることを示唆している。 当時、米国公衆衛生局長官C・エベレット・クープは、「中絶を行なったものの、子供を産めない今になって子供が欲しくてたまらないという女性の感情に現われる反応や罪悪感に関する研究」はだれも行なったことがない、と述べた。 命と神の律法に敬意を払うゆえに純潔を保つ貞潔な若いクリスチャンたちを調査の対象に含めていれば、これら若いクリスチャンのほうがより健全な人間関係、より強い自尊心、長続きする安心感を持っているという結果が出ていたことだろう。
2004年10月22日
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生まれる前の赤ちゃんが毎年5,000万から6,000万、中絶されて死んでゆく。その数の大きさをみなさんは理解できるだろうか。それは、ハワイの全人口と同じ数の人々を毎週抹殺することに等しいのである。 ほとんどの国は中絶に関する詳しい記録を取っていないので、正確な数字を入手するのは困難である。中絶が制限されているかまたは法律で禁止されている所については、専門家たちは推測するしかない。しかし、世界の中絶事情はおおよそ次のようなものである。 米国では中絶手術は、扁桃摘出術に次いで多く、毎年150万件以上行なわれている('93)。そのうちの大多数―5人につき4人―が未婚の女性であることは間違いない。既婚女性の出産回数が平均して中絶回数の10倍であるのに対して、独身女性の中絶回数は出産回数の2倍に上る。 カトリックの国が多い中南米は、中絶に関する法律が世界でも特に厳しい地域である。しかし違法な中絶が跡を絶たず、女性の健康は深刻な脅威にさらされている。例えば、1992年ブラジルの女性が受けた中絶は400万件に上り、そのうち合併症のため治療が必要になった例が40万件あった。中南米では、妊婦全体のうち4人に一人は中絶を行なう。 大西洋の向かい側のアフリカ大陸にも、厳しい法律がある。傷を負ったり死んだりすることは珍しくない。違法な中絶を行なう人々に頼る貧しい女性たちの間では特にそうである。 中東では多くの国で厳しい法律が定められている。それでも、高い料金を支払える女性たちの間では中絶は広く行なわれている。 西ヨーロッパでは、中絶はほとんどの国である程度許されている。中でも北欧が最も解放的である。英国国民医療制度では、1967年に中絶が合法化されて以来、中絶の動向を記録してきた。その結果、私生児の誕生、性行為感染症、売春、生殖に関係した数多くの障害が増加し、それに加えて中絶の件数も2倍に増えていることが分かった。 アジアは世界でも中絶が最も多く行なわれている地域である。長く一人っ子政策と強制的中絶を進めていた中華人民共和国は中絶件数が最も多く、毎年1,400万件を報告していた。日本の女性たちは、小さな地蔵によだれ掛けやおもちゃを供えて、中絶した子供たちを供養する。避妊ピルに対して一般の人々は大きな不安を抱いているため、中絶は家族計画の主要な手段になっていた。 医療技術が進んだことで、アジア全土で、とりわけインドでは女性の権利拡張運動家にとって困った状況が生じていた。羊水検査や超音波検査などの技術を利用すれば、赤ちゃんの性別は妊娠期間の極めて早い段階で分かる。東洋の文化は昔から娘よりも息子のほうを重んじてきた。そのため、性別検査と中絶が容易にできる所では、女の子の胎児が数多く中絶され、男女の出生バランスが崩れている。今では女権拡張運動は事実上、女性が女の子の胎児を中絶する権利を要求するという矛盾した形になっている。
2004年10月21日
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医学の進歩により、生殖補助医療はますます普及するに違いない。この医療技術によって誕生する赤ちゃんは、将来、出生児全体の30%を占めるようになるという予測もある。倫理的、道徳的な問題点をめぐる議論も続くだろう。 真のクリスチャンははるかに重要な事柄を考慮に入れる必要がある。それはわたしたちの創造者であり、生殖のしくみをもうけられた方の見方である。(Ps 36:9)もちろん、聖書は現代の生殖補助医療について直接言及しているわけではない。とはいえ聖書には、神の考えや見方を示す明確な原則が収められている。その原則を導きとするなら、倫理的、道徳的に正しく、神の前で清い良心を保てるような決定を下せるだろう。―1 Timothy 1:5.
2004年10月20日
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提供者については匿名にする、というのが多くの国の方針である。英国で人間の生殖に関係した物質の使用を規制しているHFEA(ヒトの受精および胚研究に関する認可庁)はこう説明する。「互いを知っている人の間で意図的に提供が行われた場合を除き、現在及び過去の提供者については、卵子や精子の提供を受けた夫婦とその結果生まれた子どもに対して匿名とされる」。 しかし幾つかの土地では、この匿名の方針をめぐって盛んな議論がなされている。そのために方針や法律を変えた国もある。匿名の方針に反対する人々は、子どもは自分がどのような者で、どのようにして生まれたのかをじゅうぶん知る必要がある、という点を強く指摘する。次のような調査報告もある。「養子となった人の80%以上が血のつながった親族を探す。そうした親族はたいてい、出生について知りたいという子どもの積年の願い―ほとんどの人が抱く願い―をかなえてくれる。また70%近くは、生みの親の医学上の遺伝的特性という、出生に関する重要な情報を知りたがっている」。 提供精子による受精で誕生し、今では成人した16人の人にインタビューが行なわれたところ、「自分のアイデンティティーを確立するのが難しく、見捨てられたと感じた子どもが少なくなかった。欺かれたという感情や家族への不信感があった」。
2004年10月19日
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ある種の不妊治療については、別の面も考慮しなければならない。代理母や、他者から提供された精子や卵子を用いた場合、夫婦の結婚の絆にどのような影響を与えることが考えられるだろうか。妊娠・出産の過程に、第三者(一人の提供者)ばかりか、“第四者”(二人の提供者)や“第五者”(二人の提供者と代理母)のかかわる医療技術もある。 提供された精子や卵子などの遺伝的物質を用いる不妊治療の場合、関係者は次のような要素も考慮する必要がある。 ・夫婦の一方だけが子どもの遺伝的親である場合、あるいはどちらも遺伝的親でない場合、その出産によって夫婦にどのような感情的影響が長く残るだろうか。 ・息子または娘は、自分が普通とは違う仕方で宿されたのを知ったとき、どう反応するだろうか。 ・子どもに出生について知らせるべきだろうか。血のつながった父あるいは母を探すことを許すべきだろうか。 ・精子や卵子の提供者には、どんな道徳的・倫理的権利および義務があるだろうか。
2004年10月18日
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体外受精の分野で開発された新技術は、着床前遺伝子診断である。この着床前診断では、幾つかの受精卵の遺伝子を検査した後、子宮に移植する受精卵を選ぶ。この技術に関わる問題について、「生殖補助医療の選択―社会的、感情的、倫理的課題」という本は次のように述べている。 「いずれ[科学者は]受精卵の身体的、知的特性、おそらくは感情的、社会的特性も診断できるようになるだろう。それほど遠くない将来に、親は子どもの特性を幾らか選べることになる。しかし、何かの重い病気を持つ夫婦のための着床前遺伝子選別を支持する人は多いにしても、特定の性別の子を望む夫婦のための診断や、将来的には、青い目の子や音楽的才能のある子や長身の子などを望む夫婦のためにこの技術を用いることは、支持しない人が多いだろう」。 「着床前遺伝子診断は、他の多くの科学技術と同じく、単にできるから行なうべきなのかどうか、という疑問を提起する。……ジレンマとなるのは、一歩間違えれば厄介なことになるハイテク関連のこの問題で、どこに線を引くべきか―もちろん引ければの話だが―という点である」。
2004年10月17日
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「“前胚”」という後は、受精後14日間の胎内での発育段階を指して用いられる。第8週の終わりまでは“胚”(embryo)と呼ばれ、それ以後は胎児と呼ばれる。では、“前胚”という語が用いられるのはなぜだろうか。 「社会学および社会政策国際ジャーナル」によると、この語は、受精14日間に「人間の胚を研究することを認める理由として用いられ」た。一資料はこう述べている。「胚を胎児になるはずの構造物と見ると、精子が卵子に出会ってから2週間ほどたつまでは胎児の初期萌芽は形成されない」。しかしこの“前胚”を、研究対象にしかならない単なる細胞の塊として片づけてよいだろうか。この2週間で実際に何が起きるかを考えてみよう。 精子が卵子内に進入して24時間ほどで、男女の染色体は合体する。続く数日間、その細胞は分裂を繰り返す。受精後4日から5日で、その細胞は外側の細胞層と内側の細胞塊とがある中空の球状になる。これは胞胚または胚盤胞と呼ばれる。外側の、層になった細胞の多くは胎児の体外の組織になり、内部細胞塊から胎児そのものが育つ。 受精から約1週間後、子宮への着床が生じる。胞胚は子宮に付着し、胎盤を形成し始める。この胎盤を通して、酸素や栄養物を母親の血流から取り入れ、老廃物を排出することができる。「驚異の旅―人体の探検」という本によれば、9日目ごろまでに内部細胞は「新しい人間の“建設”という仕事」に着手する。同書はさらにこう述べている。「それら20ほどの細胞は、その後5日ないし6日間に、一連の構築と分化を進め、実際の胚の構成要素の、最初のものを作るに違いない」。であるから、この「構成要素の最初のもの」は第2週の終わりまでに現われ始め、やがてそこから中枢神経系が発達する。 この段階的な準備過程は人間の初期の胚内部で進行するため、「新しいヒト胚の始まりとみなせる生物学的な事象や段階は一つもない」と唱える人もいる。 しかし真のクリスチャンは、生命は受精の時に始まる、と考える。受精した最初の細胞に、胎盤の形成、着床、母体の血管との連絡などに関するプログラムが収められているという事実を考えると、このすばらしいプログラムを設計された理知ある存在を認めざるを得ない。これこそ唯一真の神の成せる業であり、その神をいっそう称賛せずにはいられない。
2004年10月16日
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考慮すべき基本的要素は、人間の胚つまり受精卵をどう見るかという点にある。このことはきわめて重要な質問である「生命はいつ始まるか、受精の時か、それとも妊娠期間のもっと後か」という点と関係がある。この質問に対する答えは、多くの夫婦が不妊治療に関して下す決定に影響するに違いないだろう。例えば、生命が受精の時に始まると考えるのであれば、次の基本的な質問について考えなければならない。 ・夫婦は、子宮に移す卵子より多くの卵子を受精させ、余った受精卵を将来の使用のために保存する、という通常の手法を医師が取ることを認めるべきだろうか。 ・夫婦が子どもを持てなくなった場合や、もっと多くの子を持つことを望まなくなった場合、保存されている受精卵はどうなるか。 ・夫婦が離婚した場合や一方が死亡した場合、保存されている受精卵はどうなるか。 ・そのような受精卵を破壊するという重い責任をだれが負うか。 未使用の受精卵や保存されている受精卵をどうするかは、軽々しく扱うことのできない問題点ではないだろうか。ある国では法律により、余った受精卵をどうするか―保存するか、提供するか、研究に用いるか、廃棄してよいか―を明示した同意書の提出が夫婦に求められている。受精卵が5年を過ぎても放置されている場合、病院が承諾書なしで処分することを倫理的に受け入れている土地もある、という点に夫婦は留意していなければならない。今日、世界中の病院では凍結された受精卵が幾十万個も保存されている。 考慮すべき別の要素は、夫婦は未使用の受精卵を幹細胞研究のために提供するように促されることがある、という点である。例えば、アメリカ不妊治療協会は、保存されている未使用の受精卵を研究に提供するよう夫婦に勧めてきた。幹細胞研究の一つの目的は、病気の新しい治療法を見つけることである。しかし、その研究は議論の的となっている。胚性幹細胞を取り出す過程でどうしても受精卵を破壊してしまうからである。 新しい遺伝子技術の開発により、他の幾つかの倫理的問題点も生じている。一例として、着床前遺伝子診断について考えてみよう。 この診断では、幾つかの受精卵の遺伝子を検査した後、子宮に移植する受精卵―多くの場合、希望する性別のものや、何らかの病気を引き起こす遺伝子のないもの―を選ぶ。着床前診断は性差別につながりかねない、髪の色や目の色など子どもの遺伝的特徴を選ぶためにいずれ用いられるようになる、という点を指摘する人もいる。選ばれなかった受精卵はどうなるのか、という倫理上の疑問も生じる。
2004年10月15日
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カトリック教会は1987年に不妊治療の道徳性について述べた文書を発表している。“Donum Vitae”(生命の賜物)として知られるその文書によると、妊娠に至るように夫婦の性関係を補助する医療技術であれば、道徳的なものとみなされる。一方、夫婦の性関係そのものに取って代わる医療手段であれば、道徳に反することになる。この考え方に従えば、卵管閉塞の手術や不妊治療薬の使用は道徳的とみなされるが、体外受精は不道徳とみなされるだろう。 その翌年、米国議会の一委員会は、さまざまな宗教グループが不妊治療をどう見ているかを調査している。その最終報告書によると、大半の宗教グループは、従来の医療による介入、夫の精子を用いた人工授精、夫婦の卵子と精子による体外受精を認めていた。また、調査対象となった宗教グループのほとんどは、受精卵の破壊、非配偶者間の人工授精、代理母出産は道徳に反するとしていた。 1997年、「教会と社会のためのヨーロッパ・エキュメニズム委員会」(EECCS)―プロテスタント、聖公会、東方正教会を代表する団体―は意見書の中で、生殖補助医療に関する見解が各派で異なることを明らかにした。その意見書は個々の良心や個人の責任が関係していることを強調し、こう述べている。「EECCS加盟教会の“特定の”見解について述べるのは難しいと思われる。実のところ、複数の見解が存在する」。 生殖医療に関して多くの異なった意見があることは明らかである。国連の世界保健機関も、生殖補助医療が、「社会規範、道徳規準、倫理規範、法制度などの問題に絶えず直面している」ことを認めている。生殖補助医療にかかわる決定を下す前に考慮すべき、どんな要素があるのだろうか。
2004年10月14日
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今日、不妊の夫婦には、何十年か前にはなかった幾つもの選択肢がある。しかし、どの方法を選ぶかに際し、次の重要な質問が生じる。生殖補助医療にはどんな倫理的、道徳的問題が関係しているだろうか。その点を考えるにあたり、さまざまな宗教グループがそのような治療法をどう見ているかをまず調べてみる。
2004年10月13日
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この医療を受ける人が多い理由として、現代のライフスタイルを挙げることができる。アメリカ生殖医学会の報告書にはこうある。「高等教育を受けて専門職に就く女性が増え、晩婚化が進むにつれ、平均出産年齢は過去30年間に高くなっている。しかも、“ベビーブーム”(1946-1964年)に生まれた大勢の女性が出産年齢後期に差しかかり、この世代で不妊治療を希望する女性が増えている」。 生殖力が年齢と共にいかに速く衰えるかに気づいていない、ということもある。米国疾病対策予防センターによると、女性が自分の卵子で妊娠する可能性は42歳までに10%未満になる。そのため、年齢の高い女性が生殖医療を受ける場合、提供された卵子を用いる例が少なくない。 新しい傾向として、不妊の夫婦が受精卵の“養子縁組”に踏み切り、他の夫婦の不妊治療で残った受精卵を用いるという例もある。米国だけでも、およそ20万個の受精卵が冷凍保存されているものと見られている。最近、CBSのニュースは、「胚提供は長年、小規模にひそかに行なわれてきた」と伝えた。 当然ながら、生殖補助医療の進歩によって、数々の質問が生じている。この種の妊娠・出産は倫理面、道徳面でどう考えられるだろうか。次に、こうした点を含む幾つかの質問について取り上げてみる。
2004年10月12日
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人為的ミス。米国、オランダ、英国では、不妊治療の病院で精子や受精卵の取り違えが生じている。両親とは人種の異なる双子が生まれた例や、人種がそれぞれ異なる双子を出産した例もある。 多胎妊娠。複数の受精卵を子宮内に移す結果として、複数の胎児を宿すことがある。幾つかの研究によると、多胎妊娠では早産や低出生体重児や死産が多く。子供に障害の残る可能性も高くなる。 先天異常。体外受精で生まれた子どもは、心臓や腎臓の病気、口蓋裂、停留睾丸など、先天異常の生じる危険性が高くなる、という研究もある。 母体への影響。ホルモン療法や多胎妊娠によって合併症が生じると、母体に及ぼす危険が増す。
2004年10月11日
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人工授精。性交によらずに精液を女性の生殖器へ入れる方法。以下の不妊治療の前にまずこの方法が試みられることが多い。 配偶子卵管内移植、ギフト法(GIFT,gamete intrafallopian transfer)。女性の卵巣から卵子を取り出して精子と一緒にし、受精していない卵子と精子を卵管へ入れる方法。これは腹部を小さく切開し、そこから、腹腔鏡を用いて卵管へ入れる。 卵細胞質内精子注入法(ICSI,intracytoplasmic sperm injection)。1個の精子を卵子の中に直接注入する方法。 体外受精。女性の卵巣から卵子を取り出し、体外で受精させる方法。その受精卵(胚)を、子宮頚管を通して子宮内へ移す。 接合子卵管内移植(ZIFT,zygote intrafallopian transfer)。女性の卵巣から卵子を採取し、体外で受精させる方法だが、その受精卵を、腹部を小さく切開して卵管へ入れる。米国疾病対策予防センターの生殖保健情報に基づく。
2004年10月10日
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ルイーズ・ジョイ・ブラウンの誕生から25年余りが過ぎた現在、さまざまな薬やハイテク技術が開発され、不妊治療は大きく変化した。 飛躍的進歩の結果、生殖医療によって誕生する赤ちゃんの数は大幅に増加している。例えば、1999年には、米国だけでも3万人以上がその手法で誕生した。スカンディナビアの幾つかの国では、そうした方法で宿された赤ちゃんが毎年の出生児の2%ないし3%を占めている。 世界的に見ると、体外受精によって毎年10万人ほどの子どもが誕生しており、1978年以来、推定100万人がこの手法によって誕生した。 生殖補助医療が行なわれているのはおもに先進国である。1回の治療に多くの費用がかかり、国の健康保険や、雇い主の負担する保険、個人加入の保険などは普通適用されない。タイム誌によると、「45歳の女性が体外受精を7回試みた場合、治療費は軽く10万ドルに達す」る。とはいえ生殖医療は、養子縁組以外に方法のなかった不妊の夫婦の多くに希望を与えている。今では、男女の不妊原因の多くに対処するさまざまな治療方法がある。
2004年10月09日
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1978年7月25日、英国のオールだむで、ルイーズ・ジョイ・ブラウンという女の赤ちゃんが生まれた。ルイーズは史上初の試験管ベビーである。 その9か月前、ルイーズは体外受精という過程により研究室で命を宿された。この技術を用いて、母体から採取された卵子がガラス皿の中で精子と結合した。二日半後、細胞分裂を繰り返して8個の微小な細胞の小さな塊となった受精卵は、母親の子宮へ移され、その後は普通の仕方で成長した。ルイーズの誕生は、不妊治療の新しい時代の幕開けとなった。 体外受精の開発以来、生殖補助医療(ART,assisted reproductive technology)として知られる技術―卵子と精子とを扱うさまざまな不妊治療を含む―が広く用いられるようになった。 1984年、米国カリフォルニア州のある女性は、他の女性から提供された卵子から育った赤ちゃんを出産した。同じ年、オーストラリアでは、冷凍保存されていた受精卵(胚)から赤ちゃんが誕生した。1994年にはイタリアの62歳の女性が、提供卵子と自分の夫の精子によって出産した。
2004年10月08日
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つぶやきは有害なうわさ話に発展することがあるので、何を話すかに注意を払わなければならない。うわさ話とは、他の人や、その身の上に関するむだ話のことである。 一方、中傷とは、他の人の名誉を傷つけることを意図した、根拠のない話のことである。そうした話は、悪意のあるもので、敬虔さにもとる。むだ話は中傷に発展することがあるため、パウロは、うわさ話をするある人たちを戒める言葉を語り、次のようなやもめに触れている。 「何もしないでいることも覚え、家々をぶらつき回ります。そうです、何もしないでいるだけでなく、うわさ話をしたり、人の事に手出ししたりする者となって、話すべきでないことを話します」。(1Ti 5:11‐15) クリスチャンの女性が、中傷に発展しかねない話をする自分の弱さに気づくなら、『まじめで、人を中傷したりしない』ようにというパウロの助言に留意するとよいだろう。(1Ti 3:11)もちろん、クリスチャンの男性も、有害なうわさ話をしないように用心しなければならない。―Pr 10:19.
2004年10月07日
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確かに、ある程度の成功を収めた指導者もいる。しかし、そのような人がいても、働けるのはせいぜい数十年である。後を継ぐのはだれだろうか。人類史上屈指の有能な指導者であった古代イスラエルのソロモン王は、その点を熟考し、次のような結論に達した。「わたしは、わたし自ら日の下で骨折って働き続けたわたしのすべての骨折り、すなわちわたしの後に起こる人のために残すことになるものを憎んだ。しかも、その人が賢い者となるか愚かな者となるかをだれが知っていよう。それでも彼は、わたしがそのために骨折って働き、そのために日の下で知恵を用いた、わたしのすべての骨折りを支配するようになるのである。これもまたむなしい」。―Ecclesiastes 2:18、19. ソロモンは、自分の良い業績を後継者が引き継いでくれるのか、それとも台なしにしてしまうのか、分からなかった。ソロモンにとって、指導者の新旧交代が繰り返されるのは「むなしい」ことだった。他の聖書翻訳は、この過程を「無益」あるいは「無駄」と述べている。ある翻訳では、「無意味である」となっている。 時には、暴力によって支配者が無理やり交代させられることもある。有能な指導者たちが在職中に命を奪われてきた。深く尊敬されていた米国大統領アブラハム・リンカーンは、次のように演説したことがある。「わたしはしばしの間要職に就くよう選ばれました。そして今、皆さんの前で力を授けられましたが、その力はやがて消え去るでしょう」。その言葉どおり、在職期間は短いものだった。リンカーン大統領は多くを成し遂げ、さらに人民のためにもっと多くを行ないたいと願っていたが、国を指導できたのはわずか4年間だった。2期目の初めに、指導者の交代を望む男に暗殺されたのである。 人間は、たとえ一流の指導者であっても、自らの将来を保証することさえできないのである。では、そのような指導者に将来を託すべきだろうか。聖書は、「高貴な者にも、地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない。その霊は出て行き、彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる」と述べている。この下線の部分を他の訳では、「その日に彼の善意はすべて失われる」とされている。―Psalms 146:3、4. 人間の指導者に頼ってはならないという忠告を受け入れるのは難しいかもしれない。
2004年10月06日
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1940年、イギリス議会ではリーダーシップの危機が叫ばれていた。第一次世界大戦で英国を勝利に導いた77歳のデービッド・ロイド・ジョージは議論に耳を傾けていた。多年にわたる政治経験から、高官たちの仕事ぶりを的確に評価することができたロイド・ジョージは、5月8日、下院での演説でこう述べた。「国民は、指導者がいる限り、政府が目標をはっきりと掲げる限り、そして指導者たちの粉骨砕身の努力を確信している限り、いかなる犠牲も払う用意がある」。 このロイド・ジョージの言葉から明らかなとおり、人々は指導者に、有能さ、および事態を改善しようとする誠実な努力を期待している。ある選挙運動陰はその天を、「人は大統領選でだれかに票を投じる時、その人物に自分の生活も将来も子供たちも託しているのです」と語っている。そのような信頼を裏切らないようにするのは至難の業である。なぜか。 わたしたちの世界は解決の難しい問題で満ちている。犯罪や戦争を根絶できるほど賢くて力のある指導者がこれまでにいただろうか。今日の指導者の中に、万人に食物や飲み水や医療を供給できるほどの手腕と思いやりを備えた人がいるか。環境を保護したり回復させたりするのに必要な知識と決断力を持ち合わせた指導者がいるだろうか。全人類が長く幸福に生きることを保証できるほど有能で力のある人がいるだろうか。 はっきり言っていません!
2004年10月05日
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であるから、多くの人が、良い指導者は見つからないとあきらめているのも無理はない。国によっては、特に選挙の際に人々の無関心さや絶望感が明らかになる。アフリカのジャーナリスト、ジェフ・ヒルはこう述べている。「人々が自分たちには惨めな生活を変える力がないと感じると、無関心や[投票の]棄権が広く見られるようになる。……アフリカの場合、人々が投票しないのは必ずしも現状に満足しているからではない。多くの場合それは、だれも願いを聴いてくれないと感じている人々の助けを求める叫びなのである」。同様に、米国の新聞コラムニストは目前に迫った選挙について、「完全無欠な候補者がいてくれたらよいのだが」と書き、こう続けている。「そのような候補者などいない。一人もいない。我々はそれで我慢しなければならないのだ」。 では人類は、不完全な指導者で「我慢」するしかないのだろうか。人間の指導者が人々の必要を満たせないでいるのは事実だが、今後も良い指導者は決して見つからないのだろうか。
2004年10月04日
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「立ち去れ。我々はそなたと縁を切る。神の名によって命ずる、出て行け!」―オリバー・クロムウェル。イギリス議会のリーオポルド・エイメリーがこの言葉を引用。 開戦から8ヶ月、第二次世界大戦は激しさを増し、英国とその連合国にとって戦局は思わしくなかった。リーオポルド・エイメリーと他の政治家たちには新たな指導者が必要だった。そのため、1940年5月7日にエイメリーは下院で、ネビルチェンバレン首相に向かって上の言葉を引用した。3日後、チェンバレンは辞任し、ウィンストン・チャーチルが首相となった。 人間は基本的に指導者を必要としているが、どんな指導者でもよいというわけではない。家庭においてさえ、妻や子どもが幸せであるためには父親がリーダーシップを取ることが大切である。 では、国や世界の指導者にどれほど多くのことが求められているかを考えてみていただきたい。良い指導者がなかなか見つからないのも不思議ではない。 そのため幾千年にもわたり、戴冠式、革命、クーデター、任職、選挙、暗殺、政権交代が数限りなく行なわれてきた。 多くの王、首相、君主、大統領、大臣、独裁者が台頭しては消えていった。強力な支配者たちでさえ、予期せぬ変化によって退けられることがある。申し分のない長期的なリーダーシップは夢にすぎないように思える。
2004年10月03日
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予防努力は、すでにHIV/エイズ感染者となっている大勢の人にとってはほとんど慰めにならないだろう。そうした人たちは、病気そのものが身体に及ぼす影響で苦しみを味わうほかに、状況ゆえにしばしば汚名を着せられたり拒絶反応を示されたりする。どうしてだろうか。日常的接触でHIVが伝染するという、間違った通説があるからである。HIV/エイズに感染したくないという気持ちは理解できる。伝染性で命にかかわる病気だからである。この病気を恐れるあまり、感染者に対して理不尽な恐れを抱くようになった人もいる。感染者は治療を拒否されたり教会堂から締め出されたりしており、襲撃されることさえある。 エイズは神から邪悪な人に下されたのろいであると唱える人もいる。なるほど、性道徳、薬物の使用、血などに関する聖書の規準を守っていれば、この病気に感染せずに済んだ人も多いことだろう。(Act 15:28、29.2 Corinthians 7:1)とはいえ聖書は、病気が特定の罪に対する神から罰のしるしではないことを示している。それどころか、「悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし、そのようにしてご自分がだれかに試練を与えることもないからです」と述べている。(James 1:13.John 9:1-3)聖書の規準に従わないでHIVあるいはエイズに感染したとしても、行ないを改めた人は、自分が神に見捨てられてはいないことを確信できる。 神は長く病気を患っている人を思いやり、愛してくださることは、み子イエスが地上に来られた時に明らかにされている。旅の途中で、今で言うハンセン病の人に出会ったイエスは「哀れに思い、手を伸ばして彼に触れ」られた。イエスはご自分の奇跡的な力を用いて、その人をいやした。(Mark 1:40-42)イエスがそうした人たちに示した愛は、天の父の愛を完全に反映していた。―Luke 10:22.
2004年10月02日
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若者たちは幼いころから、奔放な性行動を奨励するような性的メッセージの集中砲火を浴びている。主なHIV感染経路の一つである静脈注射による薬物使用も盛んに行なわれている。今日、無責任に行動する人が増えていることを考えると、エイズが終わる時は本当に来るのだろうかと思える。 保健専門家たちは適切にも、行動を改めることを、エイズとの闘いにおける極めて重要な戦略として挙げている。「総合的で継続的な保健情報や援助を通して、HIV感染につながる行動を避けるのに生涯役立つ能力を培うように、あらゆる年齢の若者を助ける必要がある。そのような総合的プログラムには、親や教育者の介入も含まれる」と、疾病対策予防センターの報告は述べている。 明らかに、子どもが仲間などから誤った情報を与えられる前に、親はこうした危険について子どもに教える必要がある。これは必ずしも易しくはない。しかし、子どもの命を救うことになる。セックスと薬物について子どもに教えても、子どもの純真さを奪うことにはならない。かえって、子どもが純真さを失わないよう守ることになるのである。
2004年10月01日
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