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多くの人に読まれている運動に関する本は、「体の動かし方が気分に生化学的影響を与えることは多くの研究によって証明されている。ホルモンの量や酸素濃度は、どんな運動をするかによって変わってくる」と述べている。身体的運動は有益であり、そのことに疑問の余地はない。聖書も、「体の訓練には少しの事には益がある」と述べている。(テモテ第一4:8) 定期的な運動を無理のない範囲で生活に取り入れてみるのはいかがだろうか。感情面で良い影響があることだろう。また、いつも健康に良い食事を取ることも有益。 さらに、音楽や娯楽の選択にも注意を払える。「ハーバード大学精神衛生レター」に掲載された研究結果によれば、「暴力的なシーンを見ると……怒りや攻撃的な感情がかき立てられやすい。……暴力的な映画を見た人たちはいっそう攻撃的なことを考えるようになり、血圧も上昇した」ということである。であるから、見るもの聞くものについて賢明な判断を下す必要があるといえる。―詩編1:1-3.コリント第一15:33. 感情を制御できるようになるための最善の方法は何と言っても、創造者との親しい友情を培うことである。神は、祈りによって神に話しかけること、気持ちや感情を打ち明けることをわたしたち各人に勧めておられる。使徒パウロは、『何事も思い煩ってはなりません。あなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば、一切の考えに勝る神の平和が、あなた方の心と知力を守ってくださるのです』と述べている。人生でどんな強さを培うことは確かに可能である。使徒パウロは、「自分に力を与えてくださる方のおかげで、わたしは一切のことに対して強くなっているのです」と付け加えている。―フィリピ4:6、7、13.
2005年01月31日
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怒りを処理することも大変難しい課題である。腹立ち紛れに人を傷つけるようなことや否定的なことを言ったり行なったりする若者は少なくない。 もちろん、時に怒りを感じるとしても、それは異常なことではない。しかし、人類最初の殺人者であるカインのことを考えてみると怒りを宿したままにしておくならどういう結果を生じさせるかわたしたちに教えてくれる。彼が『非常な怒りに燃えた』時、神はカインに、そのような怒りが重大な罪につながる恐れがあることを警告し、「あなたは[罪]を制するだろうか」と言われた。(創世記4:5-7)カインは神のその忠告を心に留めなかった。結果、弟であるアダムを殴り殺してしまうという血の罪を犯すことになった。 しかし、神の助けを得るなら、怒りを抑えて、罪を犯さないようにすることは可能なのである。 この場合もやはり、思考をコントロールするということになる。聖書は箴言19章11節で、「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違反を許すのはその人の美しさである」と述べている。だれかに気分を害されたら、その人がそういう振る舞いをした理由を理解することに努める。わざと傷つけようとしていたのだろうか。衝動的に、あるいは事情を知らずに振る舞っていたのだろうか。人の間違いを大目に見ることは、ほかでもない神の憐れみを反映することであり、すぐにかっとならないようにする助けにもなる。 では、怒るのが当然と言えるような場合はどうだろうか。聖書は、「憤っても、罪を犯してはなりません」と述べている。(エフェソス4:26)必要なら、相手の人とよく話し合ってみることができる。(マタイ5:23、24)あるいは、問題を水に流す、つまり怒るのをやめていつもと同じように過ごすのが最善という場合もある。 興味深いことに、怒りをどう処理するかという点で友達が影響を及ぼす場合もある。であるから聖書はこう命じている。「怒りやすい者の友となるな。激怒する者と共に入って行ってはならない。その道筋を親しく知るようになって、自分の魂をわなに掛けてしまうことのないためである」。―箴言22:24、25. 怒りを抑えようと努力する人たちに囲まれていれば、自制心を培うよう助けられる。そのような人たちとの交友ができる場所を見いだすことは悪の蔓延る世にあって難しい。しかし、真の平和と平穏を求める心の正直な人は必ずそれを見い出すことができる。
2005年01月30日
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感情を制御するための一つのかぎは思考をコントロールできるようになること。消極的な考えは行動に必要なエネルギーを奪いかねない。(箴言24:10)では、積極的な考え方をして、感情を制御できるようになるにはどうすればいいのだろうか。 一つの方法は、落胆させたり不安を引き起こしたりする消極的な事柄をくよくよ考えないようにすることである。「まじめなこと」や「義にかなっていること」に思いを集中するようにという聖書の助言に従えば、消極的な考えを積極的な考えに置き換えることができる。(フィリピ4:8)それは容易なことではないかもしれない。しかし努力すればできるようになる。 ある若い女性はこのように嘆いたことがあった。「いろいろなことに直面して、すっかり圧倒されています。新しい仕事に就いて、新しい責任も与えられました。精神的にへとへとです。息が詰りそうです」。若者が時々そのような気持ちになったとしても、驚くには当たらない。そのために自信がなくなることもあるだろう。聖書はテモテという青年について述べている。テモテは与えられた責任を果たす優れた資格があったが、それでも自分は不十分だという気持ちと闘っていたようである。―テモテ第一4:11-16.テモテ第二16、7. 新しい仕事やなれない仕事をするときは、きっと不安になることだろう。「自分には絶対にできっこない」と心の中で思うかもしれない。しかし、消極的なことをくよくよと考えないようにすれば、不安な気持ちを抑えることができる。仕事がよくできるようになることに注意を集中する。分からないことは人に尋ね、指示に従う。―箴言1:5、7. 仕事が上手にできるようになればなるほど、不安感は薄れてゆく。自分の弱点をくよくよ考えてやる気をなくし、向上するための努力をしなくなってはならない。(わたし自身も性格上これには相当な努力と考え方の調整が必要だったし、今なお努力を必要としています。)使徒パウロは批判された時に、「たとえわたしが話し方の点で熟練していないとしても、知識の点では決してそうではありません」と答えたことがある。(コリント第二10:10;11:6)同様に、自分の長所を認め、弱点を克服するための助けを求めて神に頼るなら、あなたも自身を持てるようになる。神は昔の人々を助けたように、あなたを本当に助けてくださる。―Ex 4:10. 感情を制御するのに役立つ別の方法は、控えめで現実的な目標を定め、自分の限界を受け入れることである。また、自分を他の人と比較しないようにすることも大切。聖書のガラテア6章4節は次のような賢明な助言を与えている。「各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば、他の人と比べてではなく、ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」。たしかにそうである。
2005年01月29日
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どんな年齢や生い立ちの人にとっても感情を制御するのは大変なことだが、特に苦闘するのは思春期から大人への過渡期にある人である。ルース・ベルが書いた「体の変化、生活の変化」という本はこう述べている。「ティーンエージャーは普通、ばかげた気分と幸福感、そして不安の入り混じった複雑な感情になるものです。多くの若者は、同じ物事に対して一度にさまざまな感情を抱きます。……泣いたと思えば笑っているということもあります」。 若者はまた、あまり経験を積んでいない。(箴言1:4)であるから、新しい状況や難題に初めてぶつかったときは当然ながら、いくらか不安になったり、もしかしたら困惑したりすることだろう。幸いなことに、創造者は人間の感情をよく理解しておられる。『不安の念を起こさせる考え』をもご存知である。(詩編139:23)そして、役立つ原則をみ言葉の中で示しておられる。
2005年01月28日
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感情には強い力がある。人の考えや振る舞いに影響を及ぼし、良いほうへも悪いほうへも動かす。時には、感情に押しつぶされそうになることもある。自分に満足することはまずない、望みどおりに行なえないことはしょっちゅうで、そのために腹を立て周りの人たちに当り散らし、時には暴力を振るうこともある。相手の感情を考えることなど思いにも上らない。そんなどうしようもない思春期を経験した。本当に感情を抑え制御することは難しい。 しかし、責任能力のある円熟した大人になるには感情を制御することを学ばなければならない。最近では、感情を処理したり人と付き合ったりする能力のほうが知能よりも大切であると一部の専門家の間で考えられている。いずれにしても聖書は感情を制御することを重要視している。例えば、箴言25章28節には、「自分の怒りを抑えることができない人は、城壁がなくて攻撃にさらされる都市のように無力です」とある。 感情を制御する……。なぜこのことが非常に難しいのだろうか。
2005年01月27日
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今日、つらい状況に耐えなければならないことが多いとしても、命がすばらしい贈り物であることに変わりはない。わたしたちは命を保つために最善を尽くす。神が約束しておられる将来の生活は、エレファント島に残された隊員たちのような、厳しくて苦しい状況下でただ生き延びるためだけに苦闘する生活などでは決してない。神の目的は、わたしたちを現在の苦しみと空虚さから救い出し、「真の命をしっかりとらえる」ようにさせることである。その命こそ、神が創造の際に人間に与えようとお考えになったものである。―テモテ第一6:19. こうしたことすべてを神が行われるのは、わたしたち一人一人を貴重なものと見ておられるからである。神は、人間を最初の親アダムとエバから受け継いだ罪と不完全さと死から解放するため、み子イエス・キリストが贖いの犠牲となるよう取り計らわれた。(マタイ20:28)イエス・キリストはこう述べている。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え、だれでも彼に信仰を働かせる者が……永遠の命を持てるようにされた」。―ヨハネ3:16. 苦痛と虐げによって生活を台無しにされている人々のために、神は何を行なわれるのだろうか。神の霊感を受けた言葉は神のみ子についてこう述べている。「助けを叫び求める貧しい者、また、苦しんでいる者や助け手のない者を彼が救い出します。彼は立場の低い者や貧しい者をふびんに思い、貧しい者たちの魂を救います。彼は虐げと暴虐から彼らの魂を請け戻します」。そのようにするのはなぜか?『彼らの血[つまり彼らの命]はその目に貴重なものとなる』からである。―詩編72:12-14. 人間は幾千年もの間、多くの苦痛を抱いて「うめく」かのように、罪と不完全さという重荷を負い、労してきた。神がそれを許されたのは、生じる有害な影響すべてをご自分が拭い去ることができる、ということをご存知だったからである。(ローマ8:18-22)神は近い将来、み子イエス・キリストの手中にある王国政府を用いて、「すべての事柄の回復」をもたらす。―使徒3:21.マタイ6:9、10. その回復には、苦しみを経験して死んだ人々の復活も含まれる。その人たちは神の記憶の中で安全に保たれている。(ヨハネ5:28、29.使徒24:15)そして、やがて「満ちあふれるほど豊かに」命を得るだろう。苦痛や苦しみのない楽園となった地上における、完全な状態での永遠の命である。(ヨハネ10:10.啓示21:3-5)その時、生きている人は皆、生活を存分に楽しみ、「神の像(かたち)に」造られた人間を特徴づけるすばらしい特質や能力を培うことができる。 柔和な者は地を所有し無上の喜びを得、邪悪な者は絶ち滅ぼされいなくなるのである。そこには義が宿り、決して命を粗末に扱うような者はいない。
2005年01月26日
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創造者の存在を否定する人々の主張には惑わされたくないもの。そのような人々は、人間は理性によらない非人格的な自然の力によって造られたと考える。人は「神の像(かたち)」に造られてなどおらず、すずめを含む地球上の他の動物全てと少しも変わらない、というわけである。 命が理性によらない力によって全く偶然に存在するようになった、というのは本当に筋の通った見方だとあなたは思われるでしょうか。分子生物学者マイケル・J・ビヒーによれば、生命を支配する「驚くほど複雑な生化学過程」について考えると、そのような見方は全く道理に合わない。生化学上の証拠に照らすと、「地上の生命は、最も基本的なレベル……からして、知能的な活動の所産である」と結論せざるを得ない、とビヒーは述べている。―ダーウィンのブラックボックス―進化論に対する生化学の挑戦」。 聖書は、地上の生命はあらゆるレベルのものが知能的な活動の所産であると述べている。そして、その知能的な活動すべての源が宇宙の創造者であるJehovah Godであることも示している。―詩編36:9.啓示4:11. 苦痛に満ちた世界で耐え忍ばなければならないという現実ゆえに、地球と地上の生物すべての創造者また設計者の存在を疑うとするならそれは非常に残念なこと……。次の二つの基本的な真理を心に留めていただきたい。第一に、わたしたちの周囲に見られる不完全な状態は神の意図されたものではないということ。第二に、創造者は十分の理由があってそのような状態を一時的に許しておられるということである。神がこの悪の存在を許しておられるのは限られた期間だけであり、それは人間が神の主権を最初に退けた時に提起された倫理的論争を永久に解決するためにほかならない。―創世記3:1-7.申命記32:4、5.伝道の書7:29.ペテロ第二3:8、9. 事の始まりを知り、神の最もすばらしい特質である『愛』を深く探るなら、公衆の面前で赤ちゃんがナイフで刺し殺されるなど愛の神に関しては考えられないことを理解することができ、またなぜそれが許されているのか、そしてどう解決されるのかを理解することができる。 先にも述べたようにすずめ一羽といえどもその命を貴重なものとみなす神が人間の幼子の命を軽んじられるはずはない。
2005年01月25日
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「しかし、無数の星の名を―あるいは幾十億という人の名を―知っているからといって、その各々を気にかけていることにはならない」と異議を唱える方がいらっしゃるかもしれない。十分な記憶容量のあるコンピューターは幾十億人分の名前を記憶できるが、コンピューターがそのうちのだれかを気にかけているはずはない。とはいえ、聖書によれば、創造者である神は幾十億もの人の名前を知っているだけでなく、その一人一人を気にかけておられる。「自分の思い煩いをすべて神にゆだねなさい。神はあなた方を顧みてくださるからです」と、使徒ペテロは書いている。―1Pe 5:7. イエス・キリストはこういわれた。「すずめ二羽はわずかな値の硬貨一つで売っているではありませんか。それでも、あなた方の父の知ることなくしては、その一羽も地面に落ちません。ところが、あなた方の頭の毛までがすべて数えられているのです。それゆえ、恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです」。(Mt 10:29-31)ここで、神はすずめや人間の身に起きる事柄を承知しておられるにすぎない、とは述べられていないことに注目していただきたい。さらに、「あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです」と述べられている。なぜすずめより価値があるのだろうか。人は「神の像(かたち)に」造られているからである。神ご自身の崇高な特質を反映する、道徳、知的、霊的な特質を培って発揮する能力が備わっているのである。―Genesis 1:26、27.
2005年01月24日
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「端から端まで30キロの、岩と氷に覆われた、近づきがたい荒涼とした場所」で、隊員たちは身を寄せ合い、救出を待った。彼らが絶望に陥らなかったのはなぜだったか。シャクルトン隊長が約束どおり救出してくれる、と確信していたからである。 これが、先日書いた「今日人類の置かれている状況と酷似している」こととどう関係があるのか、考えてみたい。 今日に生きる多くの人は非常に辛い境遇にある。ただ、生き延びるためだけに苦闘していると言っても過言ではないだろう。とはいえ、そのような人たち「苦しむ者たち」は虐げや苦難から「助け出される」。その根拠は何か。創造者である人格神は、「苦難の日にわたしを呼べ。わたしはあなたを救い出す」と、Psalms 50:15.で述べている。神はすべての人の命を貴重なものと見ておられることを確信していただきたい。 地球に住む幾十億人の一人にすぎないわたしを創造者が貴重なものと見てくださるとはとても考えられない、と思われるだろうか。では、わたしたちの周囲の広大な宇宙にある膨大な数の銀河に含まれる無数の星について、預言者イザヤが何と書いているかに注目していただきたい。こうある。「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは、その軍勢を数によって引き出しておられる方であり、その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。満ちあふれる活動力のゆえに、その方はまた力が強く、それらの一つとして欠けてはいない」。―Isa 40:26. この言葉は何を示しているだろうか。わたしたちの太陽系は天の川銀河のほんの一部にすぎず、天の川銀河には少なくとも1000億個の恒星がある。では、ほかにどれほどの数の銀河があるのだろうか。確かなことは分からないが、1250億個という推定もある。であるから、想像を超える数の恒星があるに違いない。惑星までをも含めるとわたしたちの数の概念では理解できない。それでも、宇宙の創造者は一つ一つの恒星を名付けすべてを把握しておられると聖書は述べているのである。 宇宙が偶然や超自然的な活動によってできたのでないことは、わたしたちの住む惑星地球を見れば理解できるはずである。太陽を中心として公転する他の惑星との実に精巧な位置関係、そしてそれぞれの惑星のもつ役割、何より地球を保護するための驚くべきシステム例を挙げれば切がない。このこと自体も人間の命を貴重なものと見てくださっていることの目に見える証拠ではないだろうか。それを認め感謝するならば、全き確信を持つことができる。
2005年01月23日
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あなたの命はどれほど貴重なものでしょうか。 第一次世界大戦中、ヨーロッパで無数の命が犠牲にされていた時、南極大陸では命を救うための必死の努力が続けられていた。アイルランド生まれの英国人アーネスト・シャクルトンの率いる探検隊は、乗船していたエンデュアランス号が流氷に押しつぶされて沈没するという惨事に見舞われた。シャクルトンは隊員たちを南大西洋のエレファント島の比較的安全な場所に何とか移動させたが、依然として非常に危険な状況にあった。 生き延びるにはサウス・ジョージア島の捕鯨基地に行って、救援を求めるしかないと、シャクルトンは判断する。基地までは1100キロもあり、使えるのはエンデュアランス号から回収した長さ7メートル足らずの救命ボートだけであった。まさに前途多難な状況である。 1916年5月10日、シャクルトンと少数の隊員たちは17日間の苦しい旅の末、サウス・ジョージア島にだどり着く。ところが、荒海に阻まれ島の反対側に上陸するしかなく、最終目的地にたどり着くには、地図にない雪山を幾つも越えて30キロも歩かなければならない。満足な登山用具などない。それでも、凍えるような寒さを物ともせずに前進し捕鯨基地に到着し、その後、取り残されていた全員を救出したのである。シャクルトンがそれほどまでに懸命な努力を傾けたのはなぜだろうか。「彼の唯一の願いは隊員をひとり残らず生還させること」だった、と伝記作家ローランド・ハントフォードは書いている。 これは、「今日の人類の置かれている状況と酷似している」。といったらあなたはどう考えられるだろうか。
2005年01月22日
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非常に多くの人が自分は全く無価値だと感じて絶望し、自分が生きようが死のうが気にかける人などいないと思う理由は、ほかにもたくさんある。戦争や不公正に加えて、干ばつ、飢きん、病気、肉親の死など数え切れないほどの災いが(最近ではスマトラ沖地震による津波災害など)全人類を悩ましているため、生きることには本当に価値があるのだろうかと人々は感じている。(だからなのか、命を軽んじる替え歌などを平気で放送する行為がみられるのは) もちろん、すべての人が極度の窮乏や苦しみを経験するわけではない。とはいえ、ひどく虐げられていない人であっても、古代イスラエルのソロモン王が述べた次の言葉に共感を覚えることだろう。「人は日の下で骨折って働いているそのすべての骨折りと心の奮闘に対して、いったい何を得ることになるのであろうか」。自分の行なった事柄について考え、その多くが「むなしく、風を追うようなもの」であったことに気づく人は少なくない。―Ecclesiastes 2:22、26. 多くの人は、人生を振り返り、「これがすべてなのだろうか」と考える。実のところ、昔の族長アブラハムのように本当に「満ち足りて」人生の終わりを迎える人がどれほどいるだろうか。(Genesis 25:8)空虚さを感じる人が少なくないだろう。とはいえ、人生は空虚なもの、とあきらめる必要はない。神はすべての人の命を貴重なものと見ておられ、わたしたち一人一人が真に充実した満足のいく生活を送ることを願っておられる。では、真に満足のいく生活はどのように実現するのだろうか。
2005年01月21日
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第一次世界大戦はまさにその典型である。おぞましい戦いの中で幾度も「人間の体がいたずらに犠牲にされた」と、歴史家のA・J・P・テイラーは述べている。軍事指導者たちは名声と栄光を求めて、兵士たちを無価値な消耗品のように使った。フランスのベルダンの戦いでは70万人を超す死傷者が出た。「獲得したり失ったりするような[戦略的な価値のある]報いはなく、ただ人々が殺され、栄光があるだけだった」とテイラーは書いている。―「第一次世界大戦」。 命を軽んじるそのような態度は今でも広く見られる。近年、「人口爆発により、貧しくて立場の弱い人々が世界の労働市場にあふれ」ている、と学者のケビンベイルズは指摘する。そのような人々は、過酷な商業体制の中でただ生き延びるためだけに生涯にわたる苦闘を余儀なくされており、「命は安っぽいものになって」いる。ベイルズによると、人々は搾取され、奴隷同然の扱いを受け、「金もうけのためのまさに使い捨ての道具」とされている。―「使い捨てられる人々」。
2005年01月20日
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「人は神の像に造られているのだから、人の命を奪うことは、世界で最も貴重で神聖なものを破壊することである」。―「一般人の倫理入門」、ウィリアム・バークレー著。 「世界で最も貴重なもの」。命とはそのようなものだと、あなたも思われるだろうか。人々の行動からすると、バークレーと同じ見方をしない人が多いようである。他人の幸せなど全く顧みず、暴力に訴えてまでも利己的な目標を果たそうとする人々によって、無数の命がいとも簡単に奪われてきた。―Ec 8:9.
2005年01月19日
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携帯電話や、電波信号を中継する基地局の発する電磁波によってがんが生じるかどうかについては、いまだに議論が続いている。何億という人々が携帯電話を持っているので、ごく一部でも健康を害する人がいるとすれば、大きな健康問題となる。であるから、携帯電話の電波が人体に与える影響に関する綿密な科学的研究が数多く行なわれてきた。どんな結論がでたのだろうか。 「携帯電話に関する独立専門家グループ(IEGMP)」が発表した報告書にはこうある。「われわれ専門家グループは、現時点で入手できる証拠に基づき、一般市民が携帯電話の使用について心配する必要はないと考えている」。ニュー・サイエンティスト誌もこう伝えている。「近年、恐怖をあおるうわさが流れているが、これまでに得られた証拠の大半は、携帯電話の発する電磁波にさらされても健康に害はないことを示唆している。害があることを示す研究結果は再現が難しいことが判明した」。 携帯電話が健康に与える影響についてはまだ不確かな点があるため、多額の費用をつぎ込んで研究が続けられている。決定的な答えが出るまでの間、IEGMPは次ぎの事柄を勧めている。「[携帯]電話の使用時間をできるだけ短くする。比吸収率(SAR)の値が低い電話を使う。SAR値を減らすことが証明されているハンズフリー装置などの機器を使う」。IEGMPはさらに、「16歳未満の子どもには携帯電話を使わせないように」とも勧めている。子どもの神経系は発達の途上にあり、「認識されていない健康上の危険があった場合、その害を被りやすい」からである。 絶えず議論の対象になっているとはいえ、携帯電話は経済および社会に多大の影響を及ぼしている。親類とも言うべき電子機器であるテレビやパソコンと同じく、携帯電話は有用な従者にもなれば、厳しい主人にもなり得る。それが味方になるか敵になるかを決める力は、文字通り利用者の手の内にあるのである。 最後に、もう当たり前のことではあるが携帯電話を使用する際の注意事項を見なおしてみる。 ・公共の場で使うときは小さい声で話す。携帯電話のマイクは非常に感度が良く、また周りの人もあなたの個人的な会話を聞きたいとは思わないだろう。 ・何らかの講演や会議に出席している時、また映画館や劇場、レストランなどでは、電源を切るかマナーモードにしておく。 ・運転中は携帯電話を使わない。
2005年01月18日
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携帯電話は人づきあいにも仕事にも有用な道具だが、働いている多くの人にとっては味方というより足かせのように思える時があるかもしれない。職場につながれているように感じるのである。ある調査によれば、広告会社の従業員の80%、また建設作業員の60%が、いつでも雇い主や顧客からの電話に応じなければならないという圧力を感じている。どこで何をしていても電話に出なければならないというこの圧力は、ある研究者が「割り込みの文化」と呼ぶものを形成しつつある。この現状を踏まえて、携帯電話の電波をさえぎる建築資材がレストランや劇場用に開発されている。 至るところで見られるこの機器は、迷惑な割り込みを助長するだけにとどまらず、公衆の敵となる危険性もある。カナダにおける研究調査では、運転中の携帯電話の使用は飲酒運転と同じほど危険であるという結果が出た。電話で話すのは、単に同乗者と会話するよりもはるかに難しい、とウェスタン・オーストラリア大学の傷害調査センターのマーク・スティーブンソン教授は述べている。運転中の電話は危険であり、土地によっては警察に罰金を課されるにもかかわらず、最近の調査によればオーストラリアでは運転中に5人に1人が携帯メールを送り、3人に1人は携帯電話で電話をかけたり受けたりしている。 携帯電話の不適切な使用は、空の旅にも危険を生じさせる。新型の飛行機の配線は携帯電話の電波の影響を受けないように保護されているが、現在使用されている飛行機の中には、電波の干渉を受けやすいものもあると言われている。「英国民間航空局は2機の旅客機内でテストを行ない、安全飛行に不可欠な電子機器に携帯電話の電波が干渉することを確認した」とニュー・サイエンティスト誌は述べている。同民間航空局のスポークスマンは、携帯電話による重大な脅威を次のように指摘している。「携帯電話は、基地局から離れれば離れるほど強い電波を出す。そのため、飛行機が上昇するにつれて電話の発する信号も強くなり、飛行中の重要な時に干渉の度合いが高まる」。オーストラリアでの調査によれば、機内では携帯電話など個人の電子機器の電源を切るようにとの警告を乗客が無視したために、飛行中の民間航空機に問題が生じた事例が少なからずあった。
2005年01月17日
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このハイテク機器を使って膨大な数のメッセージがやり取りされているが、その多くは音声ではなく文字によるものである。特に若者の間では電話で話す代わりに、携帯メールを使う人がますます増えている。この機能によって、比較的低料金で短いメッセージをやり取りできるからだろう。電話機の小さなボタンでメッセージを打つ必要があるので、メール愛好者は、絵文字や記号などを組み合わせて略した表現を用いて意味を伝える。電話で話すのに比べ文面を考えて打つのは手間がかかるが、現状は世界中で毎月およそ300億件のメールが送られている。 その内容はというと、英国における調査によると、18歳から24歳の若者の42%が異性とふざけ合うのに携帯メールを使い、20%がこのはやりの通信手段で相手をデートに誘い、13%がメールで関係を終わらせていた。 携帯メールでは言葉や文法がいいかげんになることが多いため、若者の読み書き能力が低下するのではないかと懸念する社会評論家もいる。それとは対照的に、携帯メール現象によって「新しい世代が文章を書くことに再び関心を向けている」と主張する人もいる。オーストラリアで辞書を出版している会社の広報担当者は、サン-ヘラルド紙に次のように語っている。「全く新しい[言語]様式を作り出す機会はめったにありません。……携帯メールとインターネットが相まって、若者が文章を書くことが多くなっています。この様式の表現法を身につけて流行語や略語……を使いこなすには、それなりに流ちょうに考えをはっきりと言い表わせなければなりません」。
2005年01月16日
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携帯電話の売れ行きが急速に伸びていることは、多くの企業にとっては朗報である。ある大企業は、「携帯電話は家庭用電化製品として今までで最大の市場を形成している」と述べている。つまり、過去のどんな電子機器よりも多額のお金が携帯電話に費やされているのである。 例えばオーストラリアでは、人口2000万人のうち1500万人以上が携帯電話を持っているそうである。同国の数ある電話会社の一つだけを取っても、利用者による最近1年間の通信回数は75億回に上った。世界的に見ると、携帯電話によって通信会社が毎年莫大な利益を上げている。通信業界が携帯電話を味方とみなしているのも当然と言えるだろう。
2005年01月15日
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現在、およそ13億5000万台の携帯電話が使用されているそうである。国によっては国民の半数以上が携帯電話を持っている。たいていは手のひらに収まるサイズで、端末自体は無料で提供される場合もある。オーストラリアのブレティン誌は、「携帯電話の利用台数はテレビとパソコンを合わせた数とほぼ同じである」と述べている。今では20か国以上で、携帯電話のほうが固定電話よりも多くなっている。ある産業専門家のコメントによると、携帯電話は科学技術の驚異というだけでなく「一種の社会現象」である。 携帯電話は社会にどんな影響を及ぼしているだろうか。それは味方か。それとも敵だろうか。
2005年01月14日
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毎日、十分の休息を取る バランスの取れた食事をし、過食を避ける 早歩きなどの適度な運動を定期的に行なう 心配事があるならば、信頼できる友達に話す 家族との団欒の時間を増やす 家事をだれかにゆだねるか、分担する 身体面と感情面での自分の限界を知る 現実的な目標を定め、完ぺき主義に陥らない 物事を組織し、平衡の取れた、道理に適った予定を立てる 温和や辛抱強さなどのクリスチャンの特質を培う 自分のための時間を取り分ける なるほどな、と思った。 ストレスを減らす方法として世の傾向と決定的に違うところは、ストレスを発散させるという点に表われている。上記の提案は全く平衡の取れたもので買物をしてストレスを発散させるとか飲み屋で浮かれ騒ぐことによってストレスを発散させるなどといったような方法とは全く違う。そのようなストレス発散法は一時的には良いものに思えるかもしれないが実際のところ新たなストレスを背負い込むという結果につながる。衝動買いは経済的なストレスを生じさせるものとなり得るし、酔酒は内臓器官などへの負担また、酩酊するまで呑むならその人の評判は良くないものとなる可能性もあり、ひいては人間関係においてそれによるストレスを生じさせるかもしれない。(一時的な快楽ではないだろうか) 人々が漠然と想い描いている自由とは、えてして本当の自由とはかけ離れたもので人をあらゆる束縛へと誘っているようだ。
2005年01月13日
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ストレスは、特に現代の生活に付き物で、避けることはできない。とはいえ、それに対処する方法を身に着けることはできる。率直に言って聖書の原則に従うならば大きな助けを得ることになる。例えば、ある状況に置かれて押しつぶされそうに感じているなら、「兄弟より固く付く友人もいる」ことを思い出すことができる。(Proverbs 18:24)円熟した友人や配偶者に相談することができる。社会学者のロナルド・L・ピッツァーは、「自分の内にため込んではいけない。理解を示し、心配してくれそうな分別のある人に自分の気持ちや不安を打ち明けるように」と勧めている。 聖書は、「自分の魂を豊かな報いを持って扱(う)」ことについても述べている。(Proverbs 11:17)そう、自分の必要を満たすのも良いことなのである。聖書は、「一握りの憩いは、二握りの骨折りと風を追うことに勝る」と述べている。(Ec 4:6)自分のための時間を作ること、たとえ早朝の数分間であっても、一杯のお茶を飲んだり、何かを読んだり、祈ったり、静かに黙想したりするなら、驚くほどの力になるだろう。 適度に運動し、健康的な食事を取るのも良いことである。子育てに関するある本は、次のように述べている。「時間や体力が貴重でも幾らかを自分のために用いるというのは、実際のところ、自分という銀行に体力や気力などの資産を蓄えていることになります。……いつも自分を費やしている人は、補充することも必要です。そのような人は、“自己破産”しないまでも、感情的に支出超過になってしまう危険を冒しているのです」。 さらに聖書は、「温和な気質」や辛抱強さや親切など、ストレスに対処するために必要な特質を培う上でも役立つ。(Ga 5:22、23. 1Ti 6:11)また、聖書は希望も与えている。人類の不幸の種となるものすべてが過ぎ去る新しい世の到来が約束されているのである。(Re 21:1-4)であるから、聖書を読むことを毎日の習慣にするのは大切である。 クリスチャンであればストレスのない生活を送れる、というわけではない。それでもイエスは、「生活上の思い煩いなどのために……押しひしがれ」ないようにすることができる、と述べた。(Lu 21:34、35)
2005年01月12日
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共働きの夫婦の場合、家事の負担もストレスの原因になりがち。仕事を持つ母親の中には、家事の手間を減らして対応している人もいる。手の込んだ食事を準備するなど無理な話で、実際にできない、と考える人もいるだろう。そこでイエスの述べた次の助言を適用できるだろう。「ですが、必要なのはわずかなもの、というより一つだけです」。(Lu 10:42)これは手間をかけて食事の準備をしていた女性にイエスが述べたもので、ものごとを簡素にすることができることについて教えてくれてもいる。 「ひとり親家庭」という本は、「片づけの手間を減らすために、シチューなど鍋一つで済む料理を作りましょう」と提案している。ここでの要点は家事のやり方を簡素化することによってストレス軽減につながるということである。(決して手の込んだ料理を作ることを非としているわけではない) そのようにしても、すべきことはまだ多くあるかもしれない。働きに出ているある母親はこう述べている。「自分が若い時は全部こなせていましたが、今は、以前よりも大変です。忙しすぎる生活がこたえるようになってきました。それで家族のみんなが、気を利かせて協力してくれます。おかげでストレスをためずに済んでいます」。そう、家族全員で協力するなら、だれかに負担をかけすぎずに家事を果たすことができる。ある子育ての本は、こう述べている。「子どもに家事をさせることは、満足感……を持たせる優れた方法の一つです。いつも決められた仕事を果たすことにより、有益な習慣や、働くことに対する健全な態度が身に着きます」。一緒に家事をすれば、子どもと共に時間を過ごすことにもなる。 ある若い女性はこう語っている。「負担を幾らかでも担ってあげると、母が楽になるのが分かります。うれしく思いますし、責任も感じます。また、家族のありがたみもよく理解できます。さらに、家事のやり方を学ぶのは、将来に備える助けにもなっています」。ほかの女性も同じように述べている。「両親は、わたしたち子どもが小さいころから、自分のことは自分でするように教えてきました。それはとても役に立っています」。
2005年01月11日
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子どもと上手に意思を通わせるには、努力が求められる。時間が限られている場合はなおさらである。聖書は、『家で座るときや道を歩くとき』など、あらゆる機会に子どもに話しかけるよう勧めている。(De 6:6-8)先の車いすで生活を送っている父親は、「会話の機会を探さなければなりません。わたしは息子と一緒に車に乗るときに話し合うようにしています」と述べている。 確かに、すべての親が、子どもとうまくコミュニケーションを行なっているわけではない。「どうやって話を聴けばよいのか分かりませんでした。うまくコミュニケーションが図れないのでいらいらし、後ろめたい気持ちになりました」と、3人の子をもつある母親は認めている。改善するにはどうすればよいのだろうか。まず、「聞くことに速く」あることが必要である。(James 1:19)「意欲的な態度で注意深く話を聴くことは、ストレスを減らすための極めて効果的な方法です」と、ベティー・B・ヤングズ博士は述べている。 忘れてはならないのは、聴き方に注意を払わなければならないことである。目と目を合わす。そして子どもが話す問題を決して軽視しないこと。自分の気持ちを話すように子どもを励ます。ふさわしい質問をすることもできる。子どもを愛していること、正しく行動できると信じていることを言葉で繰り返し伝えてあげてほしい。(2Th 3:4)クリスチャンの親であるなら一緒に祈ることも大切。 上手にコミュニケーションを図るには努力が要るが、それによって家族内のストレスを減らすことができる。コミュニケーションは、子どもがストレスを経験していないかどうかを知る機会にもなる。子どもの気持ちや置かれている状況を理解するなら、知恵のある導きを与えやすくなる。自分のストレスについて聞いてもらえる若者は、ストレスを発散しようとして非行に走ることがあまりない。
2005年01月10日
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ストレスを緩和する働きが最も発揮されるはずの場所とは何所だろうか。そして、そこで何が行なわれることによって緩和剤となるのか。考えてみたい。 まず、その場所とは「家庭」である。本来家庭はストレスからの避難場所であるべきはずなのだが、今日そこはしばしば最大のストレス源となっている。なぜだろう?「夫婦の危機を乗り越える」という本は、「関係が少し難しくなっている夫婦や不仲の夫婦は、仲たがいの最大の原因としてコミュニケーションの不足を挙げる」と述べている。緩和剤となるものはコミュニケーションである。 聖書の原則は、夫婦間のコミュニケーションをよくする助けとなる。聖書は、「黙っているのに時があり、話すのに時がある」、また「時宜にかなった言葉は、ああ、何と良いものであろう」と述べている。(Ec 3:1、7.Pr 15:23)この点をわきまえているなら、配偶者が疲れていたり、ストレスに悩まされている時に感情的な問題を持ち出すことはないだろう。配偶者が耳を傾けやすい適切な時まで待つほうが良いのではないだろうか。 確かに、仕事のきつかった日には、冷静さや辛抱強さを示すのは簡単ではないだろう。しかし、とげのある言葉で配偶者に不満をぶつけるとしたらどうなるか。聖書は、「痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす」と諭している。(Pr 15:1)反対に、「快いことばは蜜ばちの巣であり、魂に甘く、骨のいやし」となる。(Pr 16:24)夫婦で会話する際、「悪意のある苦々しさ、怒り、憤り、わめき、ののしりの言葉」がいっさい出ないようにするには、真剣な決意が必要である。(Eph 4:31)そうするだけの益があることは事実である。コミュニケーションを上手に図る夫婦は、互いを慰め、支えることができる。「一緒に協議する者たちには知恵がある」と、箴言(Proverbs)13章10節は述べている。
2005年01月09日
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聖書の助言は、経済的な重圧に対処する上でも役立つ。イエス・キリストは、「何を食べまた何を飲むのだろうかと自分の魂のことで、また何を着るのだろうかと自分の体のことで思い煩うのをやめなさい」と説き勧めた。(Matthew 6:25)どうすればよいのか。実際、神に確信を持っている人たちはその堅い信仰によって神が基本的な必要物を備えてくださる(Matthew 6:33)ことを経験している。神の約束は、無意味な口約束ではないのである。 言うまでもなく、金銭に関しては「実際的な知恵」も必要である。(Pr 2:7. Ec 7:12)聖書は次のことを思い起こさせている。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく、また何かを運び出すこともできないからです。ですから、命を支えるものと身を覆う物とがあれば、わたしたちはそれで満足するのです」。(1Ti 6:7、8)少ないものでも満足する見方を身に着けるのは、現実的、また実際的なことである。事故で車いす生活を送るようになったある男性は妻と一緒に出費を切り詰めるために幾つかの手段を講じた。彼はこう述べている。「わたしたちは節約に努めました。例えば、電灯は、使っていなければ消して節電に努めました。自動車に乗る時も、ガソリンを節約するために、行き先を考えて幾つかの用事を一度で済ませるようにしました」。 親は、子どもたちが正しい態度を持てるように助けることができる。彼の娘は、こう述べている。「わたしには衝動買いをする傾向があるので、両親は、本当に必要なものとそうでないものとを見分けられるように助けてくれました。すぐにはできなかったのですが、今では、単に欲しいだけなのか、それとも必要なのかを区別できるようになりました」。 このように親は、無駄な出費を減らす方法について子どもと話し合うことができる。
2005年01月08日
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あなたもストレスに悩まされているだろうか。それは仕事が原因だろうか。独りで悩んでいても、のしかかるプレッシャーが大きくなるだけかもしれない。聖書の箴言15章22節は次のような考えさせる言葉を述べている。「内密の話し合いのないところには計画のざ折がある」。 職場でのストレスを研究する専門家たちは、「雇い主に話すこと」を勧めている。「雇い主も、問題について知らなければ助けようがない」からである。怒りや不満をただぶつけるのではない。「穏やかさが重大な罪を鎮める」とEcclesiastes 10:4.は述べている。冷静な態度で仕事上の話をする時のように話し、対決するような姿勢は避ける。仕事のストレスが減れば生産性が向上する、という点をよく理解してもらえるかもしれない。 同じことは、同僚との緊張関係や衝突など、職場の問題にも当てはまる。そのような問題に対処するための有効な方法を探していただきたい。必要なら調べることもできる。 全くどうしようもない状況であれば、別のところで働くことを考えた方がよいかもしれない。(もちろん性急に事を進めるのは賢明でないことは言うまでもない)
2005年01月07日
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「仕事と家庭と他の個人的な務め、それらのバランスを取ることは、近年ますます難しくなっている」。そう述べているのは、家族生活に関する最近のある本である。確かにわたしたちはストレスの多い時代に生活している。では、ストレスに対処するためあなたはどのようなことをしていらっしゃるだろうか。何かのアドバイスやまた自分自身の考えによってストレスを軽減されている方もいるかもしれない。 聖書が現代のストレス社会にも通用する数多くの助言が書かれてあることを皆さんは信じられるだろうか。実際、聖書を学んでいる人にとっては、今がストレスの多い時代であることをよく知っている。なぜなら、現代が「対処しにくい危機の時代」になることを聖書は2000年も前に予言されていたからである。―2Timothy 3:1-5. 「ストレスがあるのは普通のことですから、それをコントロールする方法を知らなければなりません」と、3人の子どもを持つある父親は述べている。もちろん、ストレスをコントロールするのは口で言うほど簡単ではない。 それでも、その助けになる、実際的な提案があり、聖書にはそのための原則が書かれている。
2005年01月06日
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子どもでも大人でも、職場や学校でのストレスに長い期間さらされると、健康に少なからぬ害が及ぶ。医学関係のある著述家は、「ストレスに対する身体の反応は、離陸態勢に入った飛行機の状況に幾らか似ている」と述べている。ストレスを感じると、心拍や血圧は急上昇する。血糖値が上がり、ホルモンが分泌される。この著述家はさらにこう述べている。「ストレスが続くと、緊張状態にある体の器官(脳、心臓、肺、血管、筋肉)の各部は慢性的に機能過剰状態になるか、でなければ機能低下状態になる。時間とともに、身体や精神に支障を来たすことになる」。ストレスによると考えられる病気の名前は、驚くほどたくさんある。心臓病、心臓発作、免疫不全、がん、筋骨格疾病、糖尿病などは、その一部である。 特に心配なのは健全でない方法でストレスに対処しようとする人が、とりわけ若い人を中心に多いことである。ベティー・B・ヤングズ博士は、次のように述べている。「全く気の滅入るような実情だが、苦痛から逃れたいという気持ちゆえに、十代の若者たちは、アルコールや薬物の乱用、不登校、非行、乱交、攻撃的行動、暴力行為、家出などの行動に走る。結果として、逃れようとしたストレスよりもさらに対処しにくい問題を抱えることになる」。 ストレスは特に現代の生活に付きものでそれを全く避けることはできない。とはいえ、ストレスを制御するためにできることはたくさんある。
2005年01月05日
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社会学者のロナルド・L・ピッツァーは、「多くの若者がかなりのストレスを抱えている」と述べている。若い人は、思春期における身体的また感情的変化に対処しなければならず、さらに学校でも様々な圧力を経験する。「チャイルド・ストレス!」という本によると、学校での一日というのは、「ストレスとなる問題や圧力で満ちており、勉強やスポーツ、友達関係、先生とのやり取りなどがその原因」となる。 場所によっては、学校での暴力事件に対する恐れが不安をいっそう募らせている。また、テロなどの犯罪や他の災害もある。十代のある少女は、「親から、今の世の中がどれほど恐ろしいかということばかり聞かされるとしたら、自分も恐怖感を抱いてしまうと思います」と書いている。 親は、子どもに励みを与える存在であるべきです。ところが、「子どもや十代の若者がやり場のない自分の気持ちを話そうとしているのに、親が簡単に片づけたり、取り合わなかったり、真剣に受け止めなかったり、無視したりする例があまりに多い」と、ピッツァーは述べている。夫婦関係が張り詰めていて親の側に余裕がない、という場合もある。「両親はけんかばかりしていたように思います」と、ある男の子は述べている。少年の両親は結局離婚した。「チャイルド・ストレス!」という本はこう述べている。「暴力や口げんかだけがトラウマの原因になるわけではない。口で優しい言葉を言っても、内面のいきり立った感情は伝わるので、子どもは不安を感じる」。
2005年01月04日
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独りで子どもを育てている人も、家族の必要を顧みようと、かなりのストレスを経験する。朝早く起きて朝食を作り、子どもに服を着せて学校へ送り出し、遅刻しないように大急ぎで職場に行き、求められる仕事に追われる。 こうしてひとり親は、身体的にも感情的にもくたくたになることだろう。日中の仕事が終わると、また別のストレスが続く。急いで職場を後にし子どものところへ急ぎ、夕食の支度をし、家族の種々の用事を行うのである。十代の娘を4人持つ、ある母親は、自分の生活を圧力鍋に例えてこう述べている。「圧力が大きすぎて爆発しそうに感じることもあります」。
2005年01月03日
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仕事をしている多くの人にとって、職場は様々なプレッシャーにさらされる場所となっている。 欧州労働安全衛生機構の報告は、人々がしばしば仕事のことでストレスを経験していると述べ、その主な理由として、経営者側と従業員とのコミュニケーションの不足、従業員に影響する決定について発言の機会が十分にないこと、同僚との不仲、雇用不安、給与への不満を挙げている。理由はどうであれ、子どもがいて仕事を持つ人にとっては、職場での緊張に対処した後に家族の必要を顧みるだけのエネルギーなどほとんど残っていないかもしれない。しかも家族のためにすべきことは、限りなくたくさんある。米国を例にとって、ある1年について見ると、約5000万人が病気や高齢の家族の世話を行なっていた。経済的な問題も家族のストレスの大きな原因になりがちである。二人の子どものある母親は、夫が交通事故で車椅子生活を余儀なくされた時、経済的苦難に直面した。彼女はこう述べている。「経済的な問題は緊張を生みます。家族の生活費を賄うだけのお金がないと、気がめいります」。
2005年01月02日
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ストレスとは何だろうか。一専門家によると、「身体や精神の緊張を生じさせる、物理的、科学的、あるいは感情的要因」と定義されるようだ。さて、ストレスとは本質的に有害なものなのか。そうではない。メリッサ・C・ステプラー博士によると「ある程度のストレスや緊張は、たいてい有益である。何かの特別の仕事や務めを行なう際、適度の緊張感があると、それによって良い成績を収め、精力的に働けることが多い」とのことである。例えば正しくチューニングされたギターの弦は適度の張りがあるから美しい音色を奏でることができる。弛みっぱなしではダメであるし、張り詰めすぎると弦は切れてしまう。 ストレスが問題となる場合もこれによく似ている。ステプラー博士によると、「ストレスが、人を圧倒するほど、もしくは制御できないほど大きくなったときには、マイナスに作用」する。次に、ストレスの一般的な原因について考えてみたい。
2005年01月01日
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