SAMEJIマジメ日記 JAKE JAWSのHP
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街の写真屋さんが減ったという話を、「とくダネ」テレビでやっている。子供のころ、いつも我が家で取った写真を、焼付けをしてもらう小さな写真屋さんが近所にあった。ご主人は、からだの大きな、とても太った人で、やさしい目をした象の様な雰囲気の人だった。そのおじさんが、店先で、現像したばかりの写真を、カッターで一枚ずつ縁を切りそろえ、大きな手でていねいにモノクロ写真を仕上げ袋にいれて行く様子を、出来上がりを受け取りに行った僕は、待っている間、飽きずにながめていたものだ。焼付け直後の写真は、ほのかにあったかく、チョット反り返って、新しい写真を、家族より先に眺め確かめる特権が楽しみだった。おじさんは、子供のぼくに、写真に写っている犬のことや、家族のことなどをひと言ふた言声をかけてくれ、「またどうぞ」と穏やかに笑った。写真屋さんは、近所の人の持ち込んだフィルムを現像し、焼付けているうちに、その家族の様子や、行事、外出先でのことなど写真を通じて、よく知ることになっていたのだろう。その家の雰囲気や様子を、持ち込まれる写真を通じて、知らず知らずに感じ取っていたのかもしれない。モノクロ写真で、キャビネ版という小さなサイズの24枚とか36枚撮りの写真の中から、母が、気に入った写りを何枚かを選び、手札と言うやや大きめのサイズを再注文したり、一緒に写っている人に上げるための焼き増しなどで、ネガにしるしをつけ、一日のうちにまた写真屋さんに舞い戻ったものだ。そんなモノクロ時代ののんびりした、写真屋さんとのお付き合いのような関係は、もう今のデジタル写真の時代には望むべくもない。写真は小一時間も待っていれば、直ぐカラー写真が上がってくるし、昔の3,4日の上がりを待っていることなど全く必要ない。フィルムを預け2,3、日、出来上がりをゆっくりまち、その写真をみて楽しみが甦るという、「待つ楽しみ」は、今や全く無用となってしまった。デジタルカメラが登場し、自分で焼付けができ、紙ではなくテレビモニターやパソコン画像、メールでも映像が再現できる時代では、街の写真屋さんはもう経営が成り立たず、どんどん消えていっているという。街の、人や家族と小さな写真屋さんとの一つ一つの付き合いも、同時になくなるということなのだ。人と人のふれあいの場が、どんどん形を変えていっている。子供心に、一生懸命一枚一枚写真を仕上げていく様子に、仕事をしている大人の真剣なまなざしや、ふと見せる厳しげな表情に、その人の人生や暮らしへの何かをおぼろげに感じながら、他人の暮らしを垣間見た、自分の少年時代を思い出す。いまの日々の生活は、そういうシーンをどんなところで、今の子供たちは見出すことがあるのだろうか?新しいメディアがいくつも登場し、そして発達し、個人が、造作なく文章や映像や音声まで、瞬時に他人に送ることが可能な時代になった。道具があるという面からは、まさにコミュニケーション全盛の時代のはずなのに、むしろ人は、身近な近隣の人とのコミュニケーション機会に飢え始めているかのようだ。「人」が“人をみること”、穏やかに相手を見やり受けとめ、うけいれる。心のどこかに、お互いの存在を受け入れ、さりげなく関係を感じているという、余韻が見出せない世の中になってしまっている。そんな街では、子供が、見ず知らずの大人に、誘拐され、刃物でさされ、殺されるのだ。「もっとコミュニケーション」と望む人々は、むしろこれまでになく増えてもいる。コミュニケーションを望む気持ちは、道具のことではなく、個人個人の係わり合いの濃さ、距離の近さなのだろうか。便利と思われる一方で、コミュニケーションの本質は、深刻で切望されている課題ともいえるのだ
2005.02.09
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