2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全5件 (5件中 1-5件目)
1
朝7時半ころに、家内から電話!私「どうした?」(まだベッドで寝ぼけまなこ)妻「何も知らないの?テレビ見てないの?」私「エツ?どうした?」妻「地震よ、地震。震度5で、あなたの部屋、またメチャクチャよ」私「…!!?」妻「アッ、電話が入ったから、後でね」実は、昨日から札幌に来ている。慌てて、テレビをつけたが、NHKほか民放各局何事もなく通常番組。やがて、ニュースで「福岡で地震」とTOP項目に挙がってはいるが、最初のニュースは、ローマ法王のコンクラーベだ。それほど、大きく出てなければと安心するも、また自分部屋の積み上げた本がやCDの山が崩れたかのかあとため息。10分ほどしてこちらから電話すると、長女が出て、「お父さんの部屋だけ、被害だよ。本がまたたくさん落ちてるよ」今回は、コップが一個、食器扉を開けた、落ちて割れた程度らしい。娘がまだこの時間いるということは、彼女の行きだした私立中は休校になったということのよう。どうするのか、家内が学校に問い合わせできたが、先生も慌てている様子で、ホームページで休校ということがわかり、家にいるらしい。長男の高校は連絡が付かず、とりあえずは出かけていったという。自転車で50分ほどを毎日通っているのだが。西鉄バスはうごいているが、福岡地下鉄は止まっているとのこと。離れて、現地が心配なとき、唯一の頼りは、放送局のニュース報道だなあと思う。しかし、地元と離れたところのギャップも実感。地区によっての感覚差はしかたがない。いち早く、見舞い心配のメールや電話を即座にくれたのは、札幌の仲間、スタッフである。札幌滞在を切り上げるというほどのこともないかとは思いつつ落ち着かない気分である。
2005.04.20
コメント(7)
朝方やや冷えこんだが、昼過ぎから、日差しはやや強く、さわやかな風がそよ吹くとても良い天気。起きてジョギングを30分。最近また再再開!チョットアシがだるい。そして、10時半を目指し、NHK福岡放送局向かいのレストラン青山である人と待ち合わせで、朝食後、車を出す。携帯は不明の相手で、17日の10時過ぎに「青山」に多分いるので、良かったら顔を出しませんかというお誘いが、2,3週間程前にあり、それをたよりに出て行ったのだ?その人とは、以前1回会ったことがある。今日が2回目。青山の駐車場にはまだ一台も車は無く、すると来てないのかなあと思いつつ階段をあがり店内を見回すと、一番奥で、ニッコリと微笑んで手をかざす人を発見。改めて挨拶、人懐こい穏やかな笑顔に、気持ちが一遍に和む。互いに団塊の世代で、2歳僕のほうが上だった。東京の大学を出たと聞き、大学名を思い切って訪ねると僕の母校とすぐ近くの隣組の私立校。急に親しみがわいてくる。昨日の「人間関係ファシリテーション」のラボラトリーの経験では、初対面で互いの違いを探しあうより、同じ共通項探しの方がしやすく、その方が近しくなると言う気づきがあったが、まさにそのとおりの展開のままに話が弾む。このH.S氏とは、ある「2007年に定年を迎えるわれら団塊の世代は、何かつながろう」という「メーリングリスト」で知り合った。きっかけは今の時代らしく、団塊とはいえ、バーチャルな出会いなのである。そのMLでのメール文章に漂う、H.S氏のペーソスと純情さ、ひたむきさに僕はエラク、シンパシーを感じて、いつかお会いしたいですねと返事を茨ていた。1ヶ月ほど前、漸くそのMLの中の有志が集まったのが初対面で、ああこんな人だったのかと一瞬に打ち解け、といってもその日はほかにメンバーもいて、殆ど互いの口をきくのでもなく、会議の発言だけで、互いの思いを披露するというまでにはいたらなかった。彼から、昔住んでいた大濠公園のあたりを土日は探訪散歩徘徊しているので、「青山」か、公園内の「ロイヤル」あたりで暇な人で会いませんかと言うお誘いが、MLメンバーに対してあったことを覚えていた。”団塊の僕らが20歳のころの、往時のヒットポップスなどのドーナツ版レコードでも何枚か持ち寄って、僕らの「栄光の青春なつかし話」を、お互いにしあったら楽しいね。””もっと僕らは元気になるべきかもしれないね、もっとアドレナリンが沢山出てくること何かやろうよ””コミュニティFM放送局って、3000万円で作れるらしいから、皆で出資して設立したら、楽しいよねえ。”実は、僕の東京の幼馴染の1人には、この放送局構想を話したことがあって、そいつはそれを聞くと即座に、その時はおれ500万円出すよと約束してくれたのだ。あと残りは、「2500万円!」なんだよと話す。放送局の共同出資者、もう2、3人さがそう!金持ちの友いないか?‥!。放送局開設の前に、まずは30人くらいの仲間で、各人がドーナツ盤レコードを4,5枚持ち寄り、ミニコンサートを、ぼくら団塊主催で開催しよう、「レコード」を使ってね。CDでもMDでもなく‥。オープンリールのテープとカセットは使ってもいいことにしようよ。HS氏にあって、僕のちいさな夢がまた、甦った。ちなみに僕の「青春前期のベスト5」は、1、 アルディラ(エミリオ・ペリコリ・映画「恋愛専科」主題曲)2、 アフリカの星のボレロ(サウンドトラック盤かフィルムシンフォニックオーケストラ)3、 ワルツィング・マチルダ(ジミー・ロジャース映画「渚にて」主題歌)4、 夕映えのブルース(ベルトケンプフェルト楽団)5、 ひき潮(フランクチャックスフィールド楽団)かなあ。もっともっといくらでも出てきそう。皆さんは?
2005.04.17
コメント(1)
朝10時から18時まで、吉塚駅の近くの会場で開催された、日本ファシリテーション協会福岡支部の臨時勉強会に参加、そして、18時半からは、中州川端のリバレインで、NHK文化センターのコーチング講座と連続で、インプットとアウトプットの1日。昼休みに一歩外に出れば、初夏のような陽射しのさわやかな天気で気持ちよい。こんな日に会議室にこもりっきりでファシリテーションのラボラトリーなんて、あまり爽快な気分というわけではなかった。少なくとも外の空気の爽快さに比べると‥かなりね。「人間関係ファシリテーション」というテーマだったけれど、参加してジンワリと感じるのは、「ヒョットすると俺は人嫌いの傾向があるかもしれない」という、はるか昔、感じたことのある感覚が、妙な確信をもって再び生じてきてしまったこと。「コミュニケーションをとる」ということはそんないやではないと言う意識があると思ってるこれまでの十数年、そんな自分への戸惑いが起きてきて実感は、今日はチョットくたびれたというのが正直なところかな。自分の周りの関係ある人たちを、全てみな、”理解し受け止めよう”ということに、知らず知らず無意識にチャレンジしていたのだが、そんなことは限界があることを、「自分自身が感じた」ということかもしれない。今日のラボでの、僕の結論は、“人とは感覚的に付き合おう、僕が好きになった奴のそばに行く、僕が惹かれる対象には、まっすぐに近づいていく“ということ。これは改めて重要な人生の大事と思ったと言うことである。もし、初対面の人の多い知らないグループ集団に自分がおかれた場合、着席が自由なときは、気に入った雰囲気、好もしく感じた人間の隣に行く、それは男でも女でもかまわずにと言うことだ。それをとっさに感じ、実行するということは、次の展開への布石として、自分のかかわる人間関係の心得として、結構大事な感覚、いや「嗅覚」だといいたい。4月というスタートの時期、新入学や、進級、職場では異動など、新しい環境や人間関係に囲まれるとき、この嗅覚活用は、楽しいのではないかな?チョット思いもかけない文章を書いている。毎日日記をつけるって、こんなアウトプットってこと?
2005.04.16
コメント(3)
昨夜、久しぶりに友人のT.Mと会った。福岡姪浜にある小料理店で待ち合わせ、約束の時間にチョット早めに行ったが、すでに彼はカウンターのいつもの席で待っていてくれた。彼との付き合いは、1980年代の中頃からだから、もう20年である。当時、私が広告会社の大阪支社に勤務していた頃、担当お得意のひとつの下着メーカーの宣伝広報担当だった。いわゆるスポンサーの人間だった。下着の付け方を指導する60秒CMを制作したり!(この製作現場はなかなか楽しかったですぞ)、関西テレビの「モーニングアップル」と言う桂三枝が司会する番組で、提供スポンサーになったり(これは、三枝のおこした番組内のある事件で番組スポンサーを降りたり!?)、北海道のテレビ番組へ当時の専務(社長夫人)に出演してもらう企画や、雑誌対談などと、短期間だが色々と提案が実現できた。競合広告会社のT社やD社の攻勢を縫って、役員や上司に了解をとりつけて、実施にこぎ付けることも多く、ありがたい存在であった。広告代理店とその得意先の人間関係では珍しく、土日のプライベートでも彼の会社の女性社員なども一緒に宝塚劇場の観劇に付き合ったりして、なんとなくウマが合うというか、波長のあう仲間だなあという感じだった。当時は、勿論双方とも結婚前の独身で、ひまもあった‥。その後数年して、彼が会社を辞め、福岡で自分のPR会社を起したという連絡があった。彼は、出身が宮崎県都城の近くで、地元にほんとは戻って仕事をしたかったらしい。1994年夏に、僕自身が東京から福岡への転勤話が起き、そういえば福岡ではと思い出したのがTM君だったのは当然である。福岡では、今度は広告会社とPR会社という180度立場が逆で、業務を依頼する立場になった。昔、彼が得意先の人間だったころは、こちらがエレベーターまで見送るのだったが、今度は、逆転し彼が色々と手配報告をし、フォローをしてくれる立場になった。彼の会社は、九州で唯一つのPR専門会社である。「源匠ピーアール」とチョット変った名前の会社である。名前の由来は、源氏が好きなのだといつか言っていた。設立してすでに12年目ほど、彼は、自分で描いていた会社規模には遠く及んでないと謙遜しているが、この小さな九州マーケットで、着実な業績をあげている。今は、A.K君という大学新卒の社員も公募で入社してきて、彼が仕切っている現場もあり頼もしい存在になっているという。沖縄出身のA君は、仕事振りもさることながら、性格が誠実で、赤十字のイベントはじめ、私の古巣の広告会社や、取引先での信頼も今やとても大きいという。入社6年ほど経つが、僕が会社を辞めてからもT.Mを訪問し不在の時などの対応は、いつまでも純情で素朴で、沖縄人のやさしさ、おおらかさをホンワカと感じさせる。思うに、彼のような社員が、気持ちよく勤めている会社ということでも、友人T.Mの業務が順調なことが伺える。昨夜は、姪浜に揚がる魚を美味しく安く食べさせることで人気の「御園」と言う店に行った。以前紹介したのは地元の私なのだが、いまや私より彼のほうが常連である。私が札幌で仕事をすることが多くなってから、福岡では夜はカルチャーセンターの「コーチング講座」があって、なかなか食事の約束ができず、久しぶりだった。きのうは、約束が急にキャンセルになったとかで連絡があり、うまくタイミングがあったのだ。彼の勤めていた下着メーカーの当時の専務(社長夫人でもある)は副社長、そして社長を務めていたが、昨年会長になっている。彼女が数年前社長に就任したとき、「社長業は孤独でしょう?気楽な遊び仲間になりましょうか?」とお誘いし、年1回ほどお会いする企画を立てた。以降、福岡や鹿児島の種子島への旅行、北海道札幌など、ゴルフやグルメの旅にお誘いして、屈託のない親しいお付き合いを続けている。たまに、これから福岡に行くのだけど時間ある?と連絡があり、T.Mと図ってお店をスタンバイしたりする。私には、昔のお得意先で、彼には元上司であるが、いまや「会長」と言う職務は忙しいのかすっかり最近はご無沙汰である。「近々、Hさんに連絡してみようかね、コーチングを勧めたらどうですか?」などと話が弾んだ。こんな、長い付き合いができるのも、彼の存在があればこそなのである。彼が思いがけないことを言う。「いつもmusamejiさんの楽天日記を読むことから自分の1日が始まるんですよ。」!?彼は、会社に出てくると、コーヒーを炒れ、パソコンのスイッチを入れ「お気に入りに登録」の楽天の私のホームページを観ているそうだ。「あ、また今日も日記書いてないな。」と確認し、その日の自分の仕事を始めるのだという。たまに新しい日記を見つけると、喜んでくれるらしい。彼は、僕の文章で、「コーチング」のことを書いているより、母のことや、娘のこと、ピアノの先生のエピソードなどが好きだという。こんな嬉しい読者が、私の拙い日記に、しかも身近に存在するということは、ありがたい反面、チョット複雑であった。“毎日読もうとしてくれている友人の存在”、しかしこれまで「書きたくなるとき書く」で、まず毎日は書かないという、殆どサボり気味の記入率20パーセントである。「承認」してくれる友人の存在は、私のこれからの書く行為には大きな励みとなったのだが、1回書くと5000字ほどは書いてしまうので、それなりに時間も必要なのである。さて、これからの「musamejiマジメ日記」、短くでも毎日書くということを、課題にしてみようかなあ。久しぶりの友人からの「フィードバック」を得て、今日の日記を書いてみた。(これでも4618字である!)
2005.04.15
コメント(3)
はじめて、MUSAMEJIがコーチングの勉強会に参加したのは、2年前の2003年6月21日だった。その時の、勉強会講師が、今日の日本コーチ協会福岡支部勉強会で再び講師役で登場の黒木雅裕氏。今日は、昔の日記から紹介する、「わたしMUSAMEJIのコーチング」との出会い。;;;;;;;;;;;;;;;;;<2003年9月1日記>私は、この7月から、「コーチング」の勉強をやりだした。初めてこの「コーチング」という言葉を知ったのは、ある女性コーチとの出会いが発端である。私がこの楽天HP開設を初めに設定した4月15日とほぼ同じ時期に、その彼女もHPを開設、偶然互いを知り、HPを覗き、時には書き込みをするようなった。この方「クラルテ」さんこと、矢次ひかる氏と言って楽天日記を書いている福岡の女性コーチだった。こう言えば、お分かりの方も多いのでは!?そのころ私は、広告会社を早期退職後のアナウンサーの仕事、つまり「声の仕事」再開のために必須と思い、滑舌練習や、発声訓練を実に28年ぶりに改めて開始したところだった。地元FM福岡のOBアナウンサーの村元陽一氏に、毎週「リハビリ・ボイストレーニング」と称してお相手をしていただいていた。そのトレーニングは、まさにコーチングで言うところの「クライアントとコーチ」の関係に似ているのではと感じたぼくは、彼女のホームページの書き込み欄に、質問をし、彼女とのやり取りが始まった。そして、彼女がHPにかいている「人の話を良く聞くことも大事」、「褒め上手であること」の重要性や、「自分自身の中にその答え、解決策はある」、「それに気付かせてあげるのがコーチ」など、感じるに、村元氏との「声・読みに関するやり取りと練習法」は、コーチングにかなり近いものではと思ったのだ。山本五十六の言うところの、「やって見せ、言ってきかせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ‥‥」村元氏自身、彼の教えているスチュワーデス学校の学生さんに、この句の通り実践していると言い、私に対しても、まさに知らず知らずにそうしてくれていたと思う。矢次ひかるコーチによれば、企業は、指示命令型の職場環境から、質問協働型への転換を期し、日々の現代社会での人間関係のエッセンスを「問いかけのスキル」としてアメリカで体系化、最近日本でも話題にされるようになってきているのが「コーチング」であるとの説明であった。「結局自分が本来からわかっていることを人間はいつか知るだけ、それに気が付いたときに初めて意味を持つのでは!」と、大学卒業して北海道での放送局就職を決めたときも、フリーになって東京へ戻ろうと決めたときも、結局自分の思いを引っ張り出したという記憶があった。自分の中に答えはある、かねてから自分で思っていることでもあった。もし、当時の自分に、「コーチ」という職業の人がいたら?!もし「コーチング」が今のように普及していたら!俄然コーチング!?への興味が強烈にわいた。早速インターネットの言語検索で「コーチ」「コーチング」を引いてみると、東京や大阪ではなくこの福岡でも目を引く会社や講座があった。日本コーチ協会福岡支部主催の勉強会があって、その週の土曜日が丁度、月一回の勉強会開催と言うページを発見。早速参加を申し込み、その旨を矢次コーチに報告したところ、なんと彼女も参加する予定だとの返事。そして前日に、コーチングに関するレクチャーを彼女自身からしてもらったのだ。楽天HPで知り合った人との、初めての劇的な、まさに運命的な出会い、面会だった!6月21日当日、午後1時からの、日本コーチ協会の福岡支部が開いている勉強会へ駆けつける。40人位いたのだろうか、直前に放映さていたNHKの「九州沖縄リポート」でのコーチング紹介の番組を見てという人も何人かいてテレビの力はやはり侮れない。最初の約1時間、初めての参加者向けに基本編があり、生で「コーチとは、コーチングとは」について、私の初めて正式に知るところとなった。講師の黒木雅裕氏自身が、職場(特別養護老人ホ-ム理事長とのこと)でかつて、自分がいかに「指示命令叱責型」の上司でいたか、それがコーチングを学んでから「質問提案承認型」にいかに変わったかから話しが始まる。面白かったのは、黒木氏自身の職場の皆さんをこの日のお手伝いとして伴い、一部は生徒としても参加させていたことで、中のお一人は「指示命令叱責型」時代のコワイ黒木氏のロールプレイ相手役にも引っ張り出され、なかなかの名優振りであった。職場で上手に「コーチング」ができると、双方のコミュニケーションが活性化され、より元気になって参加意識が旺盛になり、職場で効果的な成果が得られるという。そのためには「聞く耳」を持つことが大切ですと……。そして2部は、受け皿(レセプター)としての自分の役割を実感しようと参加者同士で互いに、自己紹介をしあい、次に他己?紹介できるように互いを良く聞き合うことを試してみる。このロールプレイで、「普段、いかにみんな自身のことを聞いてもらえていないか」ということにも気がつき、他人のことをきちんと聞くことの大切さと難しさを両方味わったのである。目を合わせ、うなずき、それで?と続けることが、こんなに難しく出来ないなんて、悲しいものである。かく言う私自身、日々女房の話しを聞いてやってないという自責の念がかなり生じてしまった。「良く聞く」とは、近しい関係だと余計難しいのも事実であろう。そう、前日お会いした矢次ひかるコーチも2時から参加、またお目にかかることが出来た。この日の締めくくりは、クライアント役が「バーチャルイチロー」になり、コーチ役からいかに自身の自信を再び回復できるかというところを実際どおりにやってみるというもの。コーチ役は、最上輝未子プロフェッショナルコーチがつとめ、イチロー役は黒木氏が「外角低目を打つ自信がなくなってしまった」イチローになっての「コーチング」、自信をとり戻すまでが見事に進行して行く。そして、この日の参加者同士でもも「バーチャルカルロスゴーン」や、「バーチャル小泉」などになって、コーチ役とクライアント役を互いに経験してみる。私はバーチャルアキラクロサワになり、「新作がかけない悩み」をコーチにぶつけるという役、コーチ役の方が、なんとコーチの内藤素子さんで、彼女の問いかけに答えて行くうち、見事に「バーチャルクロサワ」は新作のテーマを見出すことができた!九州山口全域から集まってのコーチやコーチング勉強中のかたがたのこの勉強会は、ロールプレイがふんだんにあり、参加者同士がいやおうなしにコミュニケーションをしあう、初めてその場に参加した人間にとっては、参加型の驚くべき内容の構成、進行であった。私にはとても新鮮で面白く、参加者の方々のパーソナリティや個性も、最初からすんなり自分の中に入ってきた感じだった。「コーチング」の哲学とされる、・人間は無限の可能性をもっている・答え、能力はその人自身が持っている・その答えを見つけるためにはサポートが必要である。と言う3つの考えは、私が20年前にあるセミナー(IBD‥なんとあの伊藤守氏の当時やっていた(今でも?)自己啓発系セミナーなんだけど)で感じたときの「気付き」に良く似ていた。「気付き」と言う言葉の使い方自体も似たところがあると思ったが、そのときの経験も「コーチング」に出会う伏線として大いに私にとっては意味のあることだった。勉強会の帰路、書店によ寄って早速矢次コーチお勧めのローラウイットワースの「コーチングバイブル」を求める。新しい出会い、この「コーチング」は、私にとって今後のキーワードのようだ!昨日の興奮の余韻をさらに引きずって、帰宅したのであった。:::::::::::::::この日記から約2年が経過しての今日の勉強会、黒木氏はいま福岡支部の支部長、私はその運営委員の立場で参加、司会役であった。参加者36人のうち、初めてという方が、7,8人はいらしただろうか?その中からも、きっと「コーチング」に出会い、人生かわって来る人がいるかもしれない。懐かしく、この初めての勉強会に参加した日のことを思い出すMUSAMEJIである。
2005.04.10
コメント(4)
全5件 (5件中 1-5件目)
1