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明日から四月です。年が明けたのも、ついこの前のようだったのにもう三ヶ月過ぎてしまいました。月日の経つのは本当に早いものです。桜もほぼ満開ですが雨が降ってて散るのが早いかもしれません。いじめ・・という言葉で私には嫌な記憶があります。小学校高学年の時にクラスの男の子から「お~い、耳ツンボ」と言われた事・・・今でもその男の子の顔もハッキリと覚えています。聞こえないのに、どうしてわかったか?というと読唇でわかったのです。多分その男の子は私が聞こえているとは思わないでちょっとしたいたずら心で発したかもしれません。でも言葉の暴力です。当時悔しかったけれど何も言い返せないおとなしい子供でした。悔しい、辛い気持ちだけを胸にしまっていました。その男の子は今では私に言ったこと等、スッカリ忘れているでしょう。その他低学年の時も補聴器を隠されたり補聴器しているのを「michiちゃんだけラジオを聞いてずるい」と言われたり・・その度に胸を痛めていました。でも仲良くしてくれる友達がいたので気が救われていました。自分がイヤだと思う言葉は絶対言わないようにしよう・・と子供心に留めていました。いじめというものは何年経っても心の傷として残るものです。楽しい思い出は少し薄らぐけれど、いじめの傷は50年近く経った今でも消えません。この頃は「むかつく」「頭にきた!」と切れる若い子も少なくありません。それは紙オムツのせいだという方もいました。紙オムツが濡れても表面がサラサラになるように化学物質を施してあるそうです。それを生まれた時からオムツが外れるまで二年半着けっぱなしにすると約21900(二万一千九百)時間、柔らかい肌が化学物質に覆われていることになります。それが皮膚から浸透してその時にすぐ反応が出るわけではなく10年位経ってから精神的に切れやすくなるそうです。それがいじめなどに繋がるらしいです。「紙オムツは洗濯などの手間が省ける事は利点だけど、他はいいことは一つも無い。ゴミは増えるし、原料のパルプは自然を破壊し環境問題になっている、お金はかかる」とのこと。(ちなみに嫁さんも娘も布オムツで育てています)いじめに紙オムツの話が出るとは思ってもいなかったのでビックリしましたが、さもありなん・・うなずけます。最近もいじめが大問題になって、しかも陰湿になっています。胸が痛んで涙ぐみそうになります。何故無くならないのか・・・・大人の世界でもいじめがあるようです。目に見えない心の教育が大切だと思います。痛みがわかる・・・もし自分が同じことを言われたらどう思うか?常に相手のことを自分の立場に置き換えて考えてみたらいいのに・・私もいつも「痛みのわかる子になってほしい」と子育てしてきました。この頃はテレビで暴力シーンや、お笑い番組でも悪ふさげで相手をポカポカ叩いたりエスカレートするばかり・・善悪の判断がつかない小さい時からそんな番組を見ていると悪影響があります。家庭での教育も大切ですが野放しのテレビ番組に、ある規定が設けられないものか・・とつくづく思ってしまいます。私は唄が大好き・・・特に童謡、唱歌が好きで、よく口ずさんでいます。聞こえない為にヘン拍子ですが、歌っていると心が穏やかに優しくなります。「赤とんぼ」「うみ」「我は海の子」「ふるさと」・・日本の歌100選がありますが、ほぼ8割くらい知っている歌です。聞こえがいよいよダメだと思ったとき童謡、唱歌のテープを買って必死に聞きました。(今少しでも聞こえているうちに楽しみたい)と思って・・幸い、その後人工内耳で音を取り戻し唄を楽しめています。この唱歌などを、小さい時から聞かせていれば心も優しくなるのではないか・・・いじめも減るのではないか・・などと思ったりします。孫達が集団生活の中で、いじめにあわないように、いじめる方にならないように・・・と老婆心ながら思っている今日この頃です。 では また・・・
2007年03月31日
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まだまだ肌寒い日が続きます。今日は今年初めての卓球の試合でした。なかなか勝てず苦戦中で、2勝4敗。球がオーバーすることが多く、悔やんでも実力そのままです。でも仲間とのお喋りも楽しいものです。先日マッピングに行きました。確認してみればマッピングは11ヶ月ぶりです。耳鼻科のコンピューターの調子が悪く、いつも聴力検査や聞き取りテストだけで終わっていました。聴力検査では25dbまで(音として)聞こえているそうです。マイクでの単語の聞き取りも80%以上とのこと。私は鈍感な方でプログラム1と2に入れていただいている音の違いが微妙なので取り立てて、どっちがいいか感じません。それで「聞こえるようになっているのかしら」と聞いて、試しに音入れして2回目の音を聞かせてもらいました。(一昨年10月の音)コンピューターなので実際凄いです。簡単に以前の音をいれてもらえるのですから・・(え~ッ!!これが前の音??)と言うほど物足りない少し小さい音が入ってきました。以前だったら(うるさいなぁ。この音で充分)と感じていた音が物足りなくなっているのです。聞こえの幅が一年で広がっている事を感じました。自分では聞こえの幅は、あまり変わらないように思っていたのですが、こうして以前の音域を聞かされると歴然とわかります。そういえば、孫が昼寝している時、娘とコソコソ話ができるのですよ。娘が「人工内耳してないときはコソコソ話なんて、とてもできなかったよね。書かないとダメだったもんね~」としみじみと言ってました。健聴者と同じ様に全部聞こえるわけではないけれど、考えてみれば私がコソコソ話しているなんて、以前から考えたら、夢のようです。やはり凄い!スタッフ(言語聴覚士)の方とのお喋りもまた楽しい。近況報告などから始まって私生活の事まで・・・これが凄く信頼関係を築いてくれます。ちょっと長い文章の聞き取りは90%でした。100%を目指していますが、ちょっと無理かな?「michiさんは経過が凄くいいから検査の間隔を空けています」と言われます。今のところ3ヶ月に一度検査に通っていますが、佐賀には人工内耳の手術が出来る病院が無いので、今まで佐賀から5~6人の難聴会員を連れて行っています。当日も2人の難聴会員の方を連れて行きました。聞こえない方にとって、少しでも聞こえるようになることは切実たる願いです。少しの可能性も見逃す事はできません。補聴器で格段の音が聞こえた方もおられます。人工内耳で気になるのが電池の費用です。補聴器に比べるととても高いのです。朝から夜まで人工内耳を使っていると、空気電池が3日で無くなります。一度に3個使用するので単純に考えれば、空気電池が一日1個で無くなる事になります。空気電池は6個入りが1500円ですので定価だと一日250円かかることになります。だからコクレア社の電池6個入りを10ケース以上注文すれば5500円のを纏め買いしています。節約の工夫をしています。私の場合、喫茶店を1人でしています。店が二階なので階段に赤外線チャイムを取り付けチャイムが鳴ると振動で来客を知らせてくれるシルウオッチを使用しています。それでお客様がいらっしゃる時だけ人工内耳のスイッチを入れて電池を節約しています。家に1人でいるときは人工内耳のスイッチを切って又節約です。これで3日で無くなる電池が5~6日もてます。一生死ぬまで電池の使用と、マッピングやリハビリとは縁が切れません。まぁ、私の身体の一部ですから大切に付き合っていきたいと思っています。 では また・・・
2007年03月21日
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ずっと暖かいまま春になると思ったら、やはり寒の戻りがきました。暖かさに慣れた身体に寒いのは堪えました。油断していたら風邪を引いてしまいました。本当の春の訪れが待たれます。先日友達とお喋りしてた時「今度ね、ガス代が凄く高くなっててビックリしたよ~」「寒いからねぇ。どれくらい高くなってた?」「今まで1万2千円だったのが一気に1万7千円になってね。多分原因わかるんだ」よく聞けば年頃の高校生の娘さんがシャワーを使いっぱなしだとのこと。「私がパートに行ってる(四時間)給料の二日分はパーだよ」「言えばいいじゃん」と私。「何回も言ってるけど。使いすぎじゃん・・と言うと素直にウンと言うけど効き目が無いよ」娘さんもわかっているけれど使わないでおれないのでしょう。「じゃ、シャワーのヘッド部分を外してみれば?」とアドバイス?しました。後日「どうだった?」と聞いたらシャワーのヘッド部分が外れない器具だったとのこと。それでガスの元栓が台所にあるのでシャワーを使っていることがわかると、すぐさま浴室のドアをドンドン叩いて「シャワー使うなぁ~洗面器で風呂の湯を汲みなさいっ」と怒鳴る日々だったとか・・・そして翌月・・・ヤッター!なんとガス代が5千円ダウンしていたそうです。娘さんにガスのメーター表を見せながら「あんたが協力してくれたから、こんなに安くなったよ」と話したら、「へーッこんなに下がるんだね」と娘さんもそれ以降は協力してくれるようになったとのこと。日本は資源が無いから無駄遣いしたらダメ・・・というのが私の方針なので我が家の子供達は節約の精神?がしみこんでいます。娘は仕事の関係で遠方で一人暮らしをしています。心がけているのは、使っていない部屋の電気は全て消す。電気炬燵は四方の一辺だけ炬燵布団を天板に挟んでめくっています。炬燵から1メートル弱離れたところにファンヒーターを置きます。めくったところに1メートル弱離れたファンヒーターの温風が入るようにしているとのこと。炬燵のコンセントは使わず抜いたままですが、部屋も充分暖まるし、炬燵もポカポカ。炬燵の電気代がかかりません。職場の人から聞いた省エネだとか。勿論私も実行しています。ファンヒーターの設定温度は17度にしています。ある日、娘宅に友人がケーキを持って遊びに来てくれた時、「私がお皿を洗うわ」と手伝ってくれたのはいいけれど、皿を洗っている間、水道の水を出しっぱなしだったとのこと。娘曰く「もう勿体なくて、勿体なくて。自分で洗えばよかったと思ったよ。しかもいつも水は細く出して使っているのに友達はジャージャー出しっぱなしだもん。胸が痛んだよ」と。私も時々温泉に行った時、見知らぬ隣の人が体を洗っている時湯が出しっぱなしだと勿体なくて止めたくなります。まさか、止めたりはしませんけれど・・・資源が無い日本・・・贅沢な日本・・・世界では食べるものも事欠く人が沢山いるというのにこんな浪費が続くとどうなるのでしょう。きっといつかひどいしっぺ返しがくるでしょう。イヤ温暖化などでもう危険が迫っています。ひとり一人が心がけて地球に優しく暮らして欲しいものです。これからの未来ある子供達に資源を大事に使いたい、残してやりたいものです。 では また・・
2007年03月10日
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昨日は「ブラス(金管楽器)と竹楽器・佐賀ふるさとコンサート」へ行きました。知り合いの息子さんが出演されるということで親しくしている方達と魅惑の時間を堪能しました。特に尺八や竹マリンバは初めて聞き、なんともいえない音の饗宴。尺八がこんなに美しい音色だとは知らなかったし竹の温かみのある音にも感動し、しばし別世界に引き込まれたひとときでした。マイクでの挨拶が聞き取りにくいのが残念でした。人工内耳では普通の方のような聞こえは望めませんネ。先週は沖縄で行われた九州ブロック要約筆記研修会へ参加しました。県内の要約筆記会ばかり関わっているので他県では、どんなふうなのか知っておきたいと思っていました。難聴会から二名、要約筆記サークルから五名の参加です。会場は沖縄大学です。沖縄では1965年頃、風疹が流行り聴覚障害児が400人ほど生まれています。聾学校と普通学校に通った生徒達の内39人が沖縄高校へ入学しました。その中の4人が沖縄大学へ進学されています。当時はノートテイクなど思いもよらなかったのではないかと考えられますが、その下地があったからこそ1999年に聴覚障害学生が声をあげ初めて大学に要約筆記奉仕員が派遣されました。現在沖縄県の四大学に9人の聴覚障害学生が在籍し講義保障のノートテイカー(学生)は100人を越えているそうです。学内では難聴学生やノートテイカーの存在が当たり前のようになり教員も協力的です。沖縄難聴者・中途失聴者協会の会長はなんと大学生です。挨拶の中に「ノートテイクの支援のおかげで全講義に情報保障があり人並みに大学生活を送ることが゛できているが、ノートテイクが無かった過去の学生達を思い返すと、先生の話が全くわからず、ただ黒板の文字のみを頼りに、教科書や参考書を開き、問題解決のプロセスを自力で想像していかなければならなかっただろう。」といわれていました。これは私の学校時代にも当てはまり、また現在も授業が聞こえなくて難儀している学生が沢山いるだろうことを思うと胸が詰まってなりません。研修会は2箇所の分科会に分かれていて私は第二分科会「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)「戦時を生き抜いた聴覚障害者」に希望しました。一日目は「1フィート運動の会」と言って(子供達にフィルムを通して沖縄戦を伝える会)でした。1人1フィート(100円)のカンパで米国立公文書館などに保存されている沖縄戦の記録フィルムを買い取り、戦争を知らない世代に伝えて世界平和の原点とする運動です。1983年結成以来、約11万フィートのフィルムがあるそうです。上映会は戦争の恐ろしさをまざまざと映していました。その後聾唖者の戦争体験談でした。手話だったのですが私はあまり手話がわからなく、要約筆記スクリーンや佐賀からの要約筆記会長のノートテイクで内容を読み取りました。その後交流会があり琉球舞踊を堪能しました。花笠を被った独特の動きのゆっくりした四つ竹など綺麗でした。沖縄料理に舌鼓を打ち、おしゃべりに花が咲きました。当日は私の5?歳の誕生日だったのでホテルに帰ってから仲間が誕生会を開いてくれました。ケーキを買ってきてくれ(名前まで書いてくれてました)ロウソクを立ててもらい吹き消したら「ハッピバースディmichiさ~ん」と唄ってくれました。有難くて感謝で涙が滲みました。子供達全員、嫁さん、娘婿からもお祝いのメールが入り、忘れられない誕生日となりました。翌日は平和バスツアーでした。沖縄戦最後の激戦地となった本島南部へ行きました。糸数アブチラガマといって自然にできた全長270メートルの洞窟で、中に入りました。内部は広いです。でも地面はデコボコで濡れています。倒れないよう歩くだけで精一杯です。勿論真っ暗闇なので懐中電灯は必需品です。要約筆記者はバインダーに用紙を挟み懐中電灯の灯りで筆記し続けてくれました。有難いことです。足元も不安定な所での筆記、さぞ大変だったでしょう。戦時中は日本軍の陣地や倉庫として使用され軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。鉄の爆風といわれる凄まじい沖縄戦での避難所でした。終戦時は200人ほどの住民と負傷兵が米軍の投降勧告に従って壕を出たそうです。中は真っ暗なのでとても不安で怖い所ですが当時の人たちはここが天国だったとのこと。自然の洞窟なので(人間が掘った穴は崩れる心配があるが)頑丈で敵から隠れておけるし、中には湧き水がありとても助かったそうです。ガイドさんが試しに「懐中電灯を消して目を閉じて下さい」と言われたときは暗黒の世界で音も全く聞こえないので、怖くて不安でたまりませんでした。ガマの中に50分ほどいたでしょうか?入り口の階段から明かりが少し見えた時、生き返ったような気がしました。改めて平和な時代に生まれた幸せを噛み締めました。「絶対戦争を起こしてはならない」と強く思いました。沖縄での要約筆記はまだ歴史も浅いし大学でのノートテイクは充実しているが一般社会ではまだまだのようです。それは沖縄に限った事ではありませんが、やはり利用する私たちが声を上げていかないとなかなか理解してもらえないのではないでしょうか?いろんなことを考えさせてくれた研修会でした。沖縄では若い大学生達が要約筆記を利用していますが社会に出てからもこの情報保障が続いていく世の中になることを願っています。 では また・・
2007年03月02日
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