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連日良い天気が続いていますが、今年は黄砂が多いようです。中国方面から風に乗ってたくさん流れてきているようです。中国は発展途上で工場の煤塵もそれに乗って空気汚染の原因のひとつと言われています。日本だけの問題ではなく、世界中で考えなければならない重要なことだと思います。店に来られたお客様と色々な話をするのですが70歳前の男性と「日本は何でこんなにおかしくなったんだ」という話題になりました。自分たちが若い頃は親のいうことは絶対で年長者を敬う、親を大切にすることは当たり前の時代だったとのこと。物は無くても何でも分け合っていた・・と。そういえば私が若い頃(20~30年前)「親を殺す」とか「子供を殺す」など、まず考えられませんでした。家族は一番信じられる小さな社会でした。他の人が何と言おうと家族は 助けてくれる最後の砦だったように思います。中には夫婦間、親子間で仲が悪い家族もあったかも知れませんが、家庭の中で殺人事件がおこることは滅多にありませんでした。考えられませんでした。私が若い頃は高度成長期で戦後の立ち直り時に生まれたものですから物があまりなかったのです。暖房器具も火鉢だけ、真冬は寒くてお風呂で温まることが天国でした。それでも全く不満はありませんでした。他の家庭も似たようなものでそれが当たり前だったのです。私は「カンボジアフロム教育支援」という特定非営利活動法人に属していますが(年間二千円の会費でカンボジアに学校を建てて学校に行かせる支援)先日総会がありました。その中で会報誌にカンボジアの学生が日本語で書いた作文が載っていました。「貧しい暮らしの中で両親は牛の世話や畠を作って作物を売ったりして朝から晩まで働いて7人の子を育てています。貧しくて姉は学校をやめなければならなかった。今は家の手伝いをしている。親はどんな大変なときでも辛そうな顔は見せず子供達に笑顔で励ます言葉をかけてくれます。≪学校に行って勉強してくれるだけで充分でそれ以外に子供達から何も貰いたくない≫と親はいいます。私は良い思いやりの親がいるから、苦しい生活の家庭に生まれても、とても幸せで運がいい人だと思います」つまり子供の将来が幸せになるだけで充分だ・・・と親は言うのです。どんな貧しくても自分のことを考えてくれる親がいるから幸せだと本人も親に感謝しています。物は無くても親はたくさんの愛情を子供達に注いでいるのです。何と素晴らしいことなのでしょうか?(カンボジア教育支援で少しでも学校に行けない子供達を応援しよう・・)との思い上がった考えは間違いで、こちらの方が人間の心の持ち方を学ばせてもらっています。それで何で日本はこんなに心が荒んでしまったのかというと物が溢れ、感謝の気持ちが無くなってしまったからではないのか・・私が若い頃は物もあまり無かったので親の世代は≪テレビを買うお金を貯めよう、洗濯機も買いたい、洋服も欲しい≫とガムシャラに働いてきました。物がひとつずつ増えるたびに嬉しくてたまりませんでしたし、大切に使っていました。鉛筆一本、消しゴム一つでも簡単に買ってもらえないので大事にしていました。今の若い人たちは生まれたときから物が溢れ、何でもあるのが当たり前、苦労することもなしに欲しい物が手に入る・・感謝の気持ちも育たないのではないかと思います。それに加えて政治家や企業のモラルの無さ・・マスコミではいつも謝罪の会見ばかり。これでは見本を示さなければならない大人がそんなふうだから、子供達にばかり「いい子に育ちなさい」というのは無理です。それが日本の現実なのです。テレビゲームも人殺しのゲームがあったりテレビでも殺人の番組があったり・・こんな現状が≪モラルのない日本≫を作り出してしまっているのではないでしようか?孫の代に少しでも心が育つ時代になっているよう願わずにはおれません。ひとり一人が心がけて「小さな事にも感謝する、感動する」ことを実践したいものです。 では また・・
2007年05月31日
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このところ爽やかな良い天気が続いています。世間では目を覆いたくなるようなニュースばかり・・高校生が母親を殺しバックに頭部を入れ持ち歩いたり、復縁喧嘩?で引きこもり、発砲事件になり前途ある優秀な警察官が射殺されたり・・日本はどこまでおかしくなってしまうのでしょう?胸が痛みます。以前の私は聞こえない為に(周りに聞えない人もいなかったので)かなり肩肘を張っていました。小さい時から・・・ずっと・・・「聞えないから悔しい!」「聞えないから負けたくない」「聞こえないからといってバカにしないで!!」「聞えないから・・・」数え上げたらきりがない程ガムシャラに生きてきました。言葉には出しません。まず「聞えない」ことを言いたくない。憐れみの目で見ないで欲しい。普通の人と同じように接して欲しい。何で私だけ??常に心の中では「聞えない」葛藤が渦巻いていました。何でかというと、以前より良くなったとは言え、(今でもそうですが)障害者が暮らしやすい世の中ではないからです。好きで聞えなくなったわけじゃないのに・・姉妹の中で何で、どうして私1人だけ??常にやり場のない悔しさ、どこに行っても会話の内容が判らない辛さ・・疎外される辛さ。きっと、このまま肩肘張った人生だろうな・・と思っていました。一番の転機は、やはり主人と知り合って理解してくれる、共に人生を歩んでいける人と巡り合ったこと・・だから家庭の中では耳が聞えないことを忘れるくらい幸せでした。世界一幸せ・・だと思っていました。そりゃ子供を育てる時、夜泣きも聞えないし子供の言葉も必死で口元を読み取ったり不便な事はありましたが、いつも支えてくれる人がいたので苦しさ、悲しさも反滅しました。それに増して、主人はユーモアがあるプラス思考の強い人だったので少しずつ感化されたのかもしれません。それでも、子供を育てる時「聞えない母親に育てられたから躾がなっていない」と絶対言われたくありませんでした。子供は親を選んで生まれてこれないのです。「聞えないお母さんだったから嫌だった」と先々、子供から絶対言われたくなかった。これは親になった以上、子育ては責任なのです。子育ての時に自分自身、プラス思考など考えたこともありませんでした。育てる事に必死で周りが見えていませんでしたから・・とにかく「世の中に出ても痛みのわかる、常識のある子に育てなくては・・」とそればかり考えていました。主人とは隠し事は全くない程何でも話していましたので、亡くなった当時は「自分の人生もこれで終わってしまった・・・これから何を支えに生きていこうか??」そればかり思っていました。主人の後を追いたいけれど、当時末っ子が高校生だったので「父親がいないうえに母親までいなくなると、いくらなんでも可哀相だ・・生かされるときまで生きなくては・・」と自然に逆らわずに生きていこう・・と思い至りました。そうして、主人が亡くなってもう10年になります。いつの間にか、肩肘張ることも、聞えなくて悩んだことも受け入れられるようになりました。何でかな??主人がいたときは、私が「聞えないとわかると憐れみの目で見られるから嫌だ。普通の人に見られたい」と、いつも言っていたので私の気持ちを尊重してくれ、取り立てて聞えないことも他の人に言わないようにして守ってもらってました。片耳が少しは聞えていたのに(100db)主人が亡くなったショックで全く聞えなくなってしまいました。あと片方がかろうじて補聴器で音が入る・・・でも言葉はわからないので読唇です。段々ひどくなり、ますます聞こえなくなってくる・・その後、これではいけない・・と自分で思うようになり卓球を始めました。その時子供達の励ましがあったから前向きになれたのだと思います。特に息子tomoが、私が生き甲斐を持てるように、既存の店を「難聴者が経営する喫茶店」にリニュアールできるようアドバイス、バックアップしてくれた事は大きかったです。tomoのバックアップも然ることながら私自身も、今まで私を守ってくれた主人が亡くなって聞こえないことを隠していても却ってきつい・・・ことを感じていました。「聞えないことをわかってくれない人は別世界に住んでいる人だと思うことにしよう・・ありのままの自分をわかってくれる人だけでいい」と思うようになっていました。子供達も「聞えないことを話したほうがいいよ・・・」と言うようになっていました。そしたらスー―ッと肩の力が取れて軽くなったのです。聞えないことを恥ずかしい・・と思っているのは当人だけで他の人は、そこまで考えていない、裏を返せば、それぞれに自分のことで精一杯の人が多いのです。ありのままを受け入れ、尚且つ、何で私がこんなに悩んでいたのか??世の中に難聴を理解してもらう事が大切なのではないか??と思うようになりました。きっと今までの私のように悩んでいる人がいるかもしれない・・あなただけじゃないんだよ、そう思ったらビックリするほど道筋ができたのです。tomoが「聞えないことを隠さなくていいよ。きっとお母さんのように悩んでいる人がいるよ。難聴者が集まれる店にしたら?人工内耳も考えたら?」と励ましてくれました。同時に難聴会に入会したことも大きかった・・その後は少しのきっかけも逃さず、迷わずに進んでいっています。そして聞えないことを公言したら楽になりました。人生、良いことは向こうからくるのではありません。自分が動くのです。変わるのです。何かのきっかけ(それは後になって思い出されることもありますが)を前に進む・・・すると、そこから又、道ができていくのです。自分が進んでいけば変わる・・つまりプラス思考です。同じ状況でも良い方に考えたら些細なことでも感謝の気持ちが出てきます。こうして息を吸えるだけでも、歩けるだけでも幸せなことです。でも聞えない事は不便。今まで人様の前で話したこともなかった私が時々難聴に関する講演を頼まれます。たとえ100人の前でも恥ずかしい・・と思ったことがありません。自分の辛かった人生を思い返し、1人でも悩む人が少なくなるように・・との想いが、誰かが私に乗り移ったのではないかと思うほど、話が口から出てきます。下書きの原稿も書いたことは無いのに誰かが私の口を借りているのではないか・・と。それに助けてくれる方と次々知り合えて繋がっていきます。要約筆記の方、ボランティアの方、お客様・・と、有難いかぎりです。実は今日も街のイベントに出店して、このようにして知り合った方がボランティアで手伝ってくれました。聞こえない私をありのまま受け入れてくれる有難さ・・・小さなことでも(ありがたいなぁ、感謝!)と、受け入れられるように心がけたいと思っています。この心の財産が私の生きる縁となっています。人生、1人で生きて行けないから人との関わりが大切だと思います。ありのままを受け入れて前に進んでいく、平凡な日々が一番の幸せなのかもしれません。 では また・・
2007年05月20日
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昨日から真夏日で最高気温も27度近く・・この間まで肌寒かったのに・・・温度差に身体が慣れるのも大変ですね。最近、店に某市役所から講演の依頼に来られました。「人権のことで話して欲しい」そうです。「私のことを、どこから聞かれましたか?」と伺ったら「教育委員会です」とのこと。「対象者は、どんな方達でしょうか?」と聞いたら「中年から高齢者、主に主婦」らしい。話す対象者のことは必ず伺うことにしています。「要約筆記の方と一緒に行きたいのですが・・・」とお願いしました。基本的に私に講演の依頼をされるのですが必ず要約筆記と共に・・をモットーにしています。話の内容は殆ど私に任せてもらっているので対象者によって内容を変えています。なんで教育委員会なのかというと学校の難聴児に要約筆記を取り入れたくて教育委員会の方と何回か話す機会があったからでしょう。(学校にも要約筆記を取り入れるところが少し出てきましたが、まだまだ浸透していません。機会あるごとに教育委員会に掛け合って話しているところです)その某市役所の方は社会課関係なので講演会の予定を取り計らっておられます。近々、何回か講演会をされるそうで「耳の不自由な方の為に手話通訳を入れています」とさも?(準備万全なんですよ)と言いたそうな口振りでした。私はすかさず「すみませんが手話通訳を入れていても会場に100人お客様がおられた場合、手話がわかる人は多分1人くらいだと思いますよ。要約筆記だったら5人くらい必要な方がおられると思います。要約筆記も入れて欲しいですね」と言いました。「アラ!!耳の不自由な方は手話通訳を配置しておけば充分だと思ってました」と驚いたように答えられました。「手話も必要ですよ。でも人生の途中で聞こえなくなった方のことも視野に入れて下さい。もし、貴女が急に突発性難聴や老人性難聴になった場合手話がわかりますか?」と言ったら「あ~ぁ、わかりませんねぇ。実はうちの親も最近耳が聞えにくくなってテレビの音量が凄いんですよ」とハッと気付かれたように話されました。自分の親が聞えにくくなっているのに自分の親が難聴者・・・だと結びつかないのです。耳が聞えないイコール聾唖者、イコール手話なのです。家庭の中で聞えにくくなっている親に、つい高い声で話したり、怒鳴ったりしている現実。「用紙に用件を書いたらどうでしょうか?高い声だと自尊心が傷つきますよ」と話しました。「気付かなかった。こんなに身近な所にいるのに・・難聴って大変な障害ですね。理解することは大切ですねぇ。ぜひ、そういうことも講演で話してください」と感嘆されました。私は手話サークルにも行っています。聾唖者の方と話すときに知っていた方がいいからです。でも手話は浸透しています。あまり浸透しすぎて却って私たち中途失聴者の影が薄くなっています。もっと中途失聴者のことも理解して欲しいのです。聾唖者とは、また違う障害だということをわかってほしい。ある日、突然音が入らなくなる恐怖。人の話し声が聞えなくてコミュニケーションもうまくいかなくなり人間関係もおかしくなって引きこもりがちになる・・・なのに外見からわからない。理解してもらいにくい。要約筆記だと今まで使っていた日本語、文字で意思の疎通ができます。ただ書くのに少し時間がかかるけれど手話より言葉はハッキリ伝わると思います。私など初めて要約筆記をスクリーンで見たとき(話の内容が私にもわかる。ここに私が存在する)と嬉しくて感動して涙ぐみました。それほど難聴者にとって素晴らしいのです。でも記録ではありません。ノートテイクなどで書いてもらった用紙を「記録になるから欲しい」といわれる人もいます。普通、人間の話し言葉は一分間に250字~300字話します。それを要約筆記者は頭の中で話の大事なことを整理しながら一分間に60字くらいで書きます。(1字書くのに一秒かかることになります。最近はパソコン要約筆記も増えてきて全体の8割弱は打てるようです。)全部書くことは到底できません。私たち難聴者は、その四分の一の情報でも有難いのです。健聴者が話しを聞く・・・その時話は消えてしまいます。覚えているけれど全てが記憶に残るわけではありません。それと同じで要約筆記とは、難聴者の耳代わりに要約筆記者が書いてくれるので基本的に記録ではありません。話が終わるとその場で要約筆記した用紙も破棄することが本当なのです。「ちよっと・・・全部読めなかったから、もらっていいですか?」と言われる方も中にはいますが基本的に書いた用紙は破棄するべきなのです。特に個人でノートテイクされた用紙は守秘義務もありますし、要約筆記者が話の内容を他人に話すことも禁じられています。手話の場合はその場の手話で終わるので残る物はないのですが要約筆記は用紙やロール紙に残るので、その点が手話と違います。要約筆記を受ける側もその事を理解して利用してもらいたいものです。近頃、法律で耳が不自由な方達の情報保障として要約筆記や手話は 必要だから公の場で配置する、当事者も要請していいことが決まりました。国会でも要約筆記、手話が配置されています。ところが、まだ、あまり知られていません。もっと広める必要があります。だから「要約筆記をお願いするのは気の毒」と思わないで堂々と要請していいのです。要請窓口は地元の市役所、区役所などの福祉課です。私も四年前に難聴会に入るまでは何も知りませんでしたし、要約筆記の意味も内容も、全くわかりませんでした。活動するにつれ講演の依頼がきたりしました。それで要約筆記のことも、勉強して理解しないと自分が話した言葉に責任をもてないので要約筆記会長に教わったりしました。まだ完璧ではないし、まだまだ勉強不足ですが少しでも難聴や要約筆記を理解して欲しい!知って欲しい!切実な想いです。今、小さな喫茶店を経営していますが決して儲かっているとは言えません。自分が食べていくくらいの売上はありますけれど・・他の店で(飲食店などで)儲かっている店もたくさんあると思いますが、この頃は不思議と他の店が羨ましいと思わないようになりました。今日も(店が二階なので)階段を杖をつきながら「ヨイショ、ヨイショ」とゆっくり上がってきてくれたお客様、難聴会員がおられます。いろんな話をします。時には書いたり・・と筆談で。「ここに来たら、ゆっくり話せていいですねぇ」と喜んで帰っていかれました。こんなに嬉しいことがあるでしょうか?(一人でもいい。聞えない人がこの店があったから良かった)と言って頂けるうちは頑張ろう・・・と思いました。こうして心の触れ合いをさせて頂いています。お金ではない、心の財産が少しずつ増えて満たされています。本当に有難いものです。これからも、少しずつ歩いていきます。 では また・・・
2007年05月09日
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早くも大型連休となりました。皆さんは楽しいプランを立てられて楽しまれていますか?それとも仕事で遊ぶどころではない・・という方も、おられるでしょうね。私も予定は立てていません。人が多くて却って疲れそうだからです。今年は休息に当てています。ちょっと自然と触れ合えればいいですね。ここ四五日、ひどい、きつい風邪でグッタリしていました。去年は産看護も二回ありましたが、なんともなくて(身体か強いのだけが取柄なんだ)と自慢していました。「バカは風邪を引かないんだって・・・」なんて。一週間ほど前、娘から「お母さん、熱が出た~来てくれる?」とSOSメールが入り、店を早めに閉めて生後九ヶ月の孫守りへ駆けつけました。十キロ近くある孫が最初の風邪を撒き散らかし娘から私へと移りました。(後日、娘婿も移ったそうですが)張本人の孫は元気いっぱい、手足をバタバタさせて遊んでいます。家事と楽しいひとときを済ませて帰った二日後なんとなく身体がきつくなってきました。まさか移ったのでは??その夕方から布団に倒れこむように寝込んでしまいました。熱を計れば37,8度。咽喉も痛い、身体も痛い・・・熱が出たのは人工内耳の手術以来で正確には風邪などで発熱したのは三年ぶりです。ここ最近「自然治癒力」に、かなり興味を持ち始めていたのでこの力を信じて治してみようと思いました。(読者の皆さん、簡単に真似をなさらないように・・・)本当の風邪薬というのは、無いといわれています。今までは、すぐ医者に掛かっていたのですが過剰な注射、薬に疑問を持っていたのです。まず安静と水分補給・・・これだけは大切です。子供達が小さい頃医者から「緊急の場合、〇〇〇スエットは点滴に近い成分が入っているので、飲ませていい」と言われていたのを思い出し枕元に用意しました。それと、お腹が空いた時の為にバナナも置きました。普通は(たまに風邪引いて、布団に寝たら休息できていいなぁ)なんてバカな事を考えていたのですが、いざ風邪に罹ると、とてもそんな悠長なことではありません。まず身体が痛くて、きつくて寝ているだけで、しんどい。咽喉も痛くて痰、咳が出る。快適な睡眠にはほど遠く、起き上がれない・・熱も38,5度と急上昇・・もし医者に掛かっていれば何を処方されるかな?なんて考えました。まず熱さまし・・熱は風邪などのウイルス細菌の病原体をやっつけようと身体が反応する「身体の防御反応」なので、むやみに熱を下げると細菌が残ってしまう可能性も考えられます。高熱になると身体がきつく、弱るので幼児や高齢者には熱さましが必要かもしれません。普通は冷たいタオルを硬く絞って額に乗せて冷やす方法でいいのでは??今は熱さましシートがたくさん出回っていますが粘着に化学薬品を使っているようなので私は昔ながらのタオルが良いと思います。結局タオルも使いませんでしたが・・熱が上がるのは病菌と戦っている証拠。他に原因がない限り下がるのを信じてひたすら布団を被って寝ていました。一日半位で汗がドッと出て何回か着替えました。次に痰や咳・・・痰は気道内の分泌物などに細菌ウイルス、ほこり、物質の剥がれた細胞が交じったもので、咳は気道に入っていた異物や痰を身体の外に出し排除する体の免疫反応です。だから咳止めなどで、むやみに咳を止めると病菌などが体内に残ることになります。でも咳は体力を凄く消耗するので幼児や高齢者は咳止めが必要な場合があるでしょう。そこで上手に咳をすると、痰が出やすくなることがわかりました。寝たままだと、なかなか痰が出にくいので、上体を起こし息を吸い込んで一気に咳をすると一,二回ほどで出やすくなるようです。あと吐き気や下痢も身体に不要なものを体外に出そう・・とする体の反応ですから、止めるのは良くないと思います。吐き気がひどくて食物を受け付けない時は点滴が必要ですがそれ以外は水分補給しながら様子をみるといいのでは??以上私の判断ですが薬は全く使わずに四日で治りました。三晩くらい痛くてきつい夜を過ごしました。なので四日目からの快適な眠りに感謝しました。食欲も無いので無理に食べる事もしませんでした。身体の要求に任せようと思ったのです。病気すれば体力がないとダメ・・・といって無理に食べる人もいますが、身体は病菌をやっつけようと戦っているわけですから、そこに食物が入ってくると、エネルギーがまず胃の中のものを消化させようと、そちらが優先されてしまって病菌をやっつけるのは二の次になってしまいます。治るのが遅くなるようです。人間の身体というのは自分で治る力を持っているのです。身体の動きに逆らわない自然体が一番早く治るようです。こうして復活しました。あまり食べてなかったので体力を少しずつ(食べて)つけていきたいと思います。寝ていて気になったのは店を休んだこと・・1人でもお客様が来てくださる限り店を休みたくない・・・と思っているので(きっと誰かが来て下さっているだろうなぁ。申しわけないなぁ)と胸が痛んでいました。案の定「心配して毎日通っていたよ」と言われた方もいました。開けた途端少ないながらもカウンターに座ってくれるお客様ばかりで切れ目が無く、立って食事することになりましたが、たとえ1人のお客様でも有難いものです。残念だったのは卓球の試合を休まなければならなかったこと。卓球の仲間からも「早く元気になって練習においでね」とメールが入り布団の中で勇気をもらいました。病気のメカニズム(仕組みや原因)をよく理解した上で初めて自力で治り知識がひとつ増えました。昔の人は、こうして風邪などを治していたのでしょうね。健康が一番・・・と感じた出来事でした。 では また・・
2007年05月01日
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